401 :
日本@名無史さん:
中国は満州を取り返すため、日本と戦わねばならなかった。
402 :
日本@名無史さん:04/04/19 00:56
>>393 満州は本来、独立国であったが、日本以外の誰も、
その独立を支援してくれなかった。
えっ、満州事変は日本の侵略だが、日中戦争は蒋介石の侵略でしょ。
日中戦争の開始は盧溝橋事件じゃなくて第二次上海事変だぞ。
台湾では未だに8・13抗戦って言うし。
404 :
日本@名無史さん:04/04/21 20:10
盧溝橋事件がなくても日中戦争は避けられなかったような気がするんだけど・・・
西安事件以降、明らかに抗日戦にシフトしてるし、上海での国民党軍の作戦は
あらかじめ綿密に練られたものだったよね。
日中戦争のチンピラゴロツキと朝鮮戦争のそれを区別するのは誤り。
日中戦争だろうが朝鮮戦争だろうが、国民党だろうが共産党だろうが、
米中同盟だろうが向ソ一辺倒だろうが、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキ。
チンピラゴロツキの序列をどう並び替えても、チンピラゴロツキの服装や
髪型をどう変えてみても、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキ。
チンピラゴロツキは上下左右どう並び替えてみてもチンピラゴロツキ。
日中戦争でB-29の支援、朝鮮戦争でMig-15の支援があったというが、
チンピラゴロツキがどの国の支援を受けようがチンピラゴロツキ以上
の生き物になれたわけじゃないだろう。
米中決裂で向ソ一辺倒、中ソ決裂で米中接近。
「チンピラゴロツキコインの裏表」っていうんだよ!
406 :
日本@名無史さん:04/04/28 00:14
407 :
日本@名無史さん:04/04/28 23:30
尾崎秀実や西園寺公一らが汪兆銘工作を煽ってたのは、
蒋介石と日本との対立を修復可能にして、共倒れとアジア
共産化を狙ってたのからなのかな?
修復可能→修復不可能です
スマソ
409 :
日本@名無史さん:04/04/29 01:26
>>404 で、上海の日本居留民はみんな虐殺ってわけですか・・・。
410 :
日本@名無史さん:04/04/29 10:13
華北分離工作について良い本ないですかね?
共産主義というのは、チンピラゴロツキ人格改造マニュアルなのか?
アメリカ軍は太平洋戦争が終わった途端に腰抜けになる軍隊なのか?
ヤルタ協定でも、米ソ一致で国民党支持ではなかったのか?
アメリカがケチった対中支援を、ソ連が気前良くやってくれたのか?
共産主義は政権交代の方便に過ぎないし、アメリカにとっても日本との戦争は
重負担で日本降伏はそれからの解放だったし、ソ連はもともと中国には冷淡で、
中ソ同盟はあくまで冷戦の一時期にすぎず、それ以降は米中接近だ。
朝鮮戦争の中国軍はその殆どが元国民党軍で、日中戦争のチンピラゴロツキ。
やはり米軍は「チンピラゴロツキ」も撃破できなかったへっぽこ軍隊だった。
日中戦争は日・共・国の三国志と考えた方がいい。
413 :
日本@名無史さん:04/04/29 20:57
ところで山東出兵ってなんで批判されてるの?
1927年の南京事件等の北伐軍の無法振りを見てれば
居留民、権益保護のために出兵するのはある意味当然だと
思うんだけど・・・
414 :
日本@名無史さん:04/04/29 21:24
>>407 満州事変以降の共産主義者は日中、日米対立を煽るようなことを
総合雑誌や新聞等で書きまくってた。(尾崎、三木清等)
コミンテルンは32年テーゼで「帝国主義戦争を内乱に転化しろ」って言ってるし、
帝国主義国同士を噛み合わせて共倒れさせて敗戦革命を狙ってたんだと思うよ。
>413
ラディンが米国に喧嘩売った理由と同じようなモノだよ。
中国領土の中に日本軍が足を踏み入れるというコト自体が、
中国ナショナリズムの敵だと思われちゃったというだけの話。
417 :
日本@名無史さん:04/05/04 13:56
「日中戦争 VOL3」(児島襄 文藝春秋版)P592
「中国白書」によれば、米国は一九四四年(昭和十九年)、
中国の戦力と戦意が「全面的に崩壊」しつつある、と判断した。
この年、日本軍は、前述した如く、北京―漢口打通作戦をおこない、
さらに桂林攻略作戦も実施した。
日本軍は、いずれも作戦終了後は根拠地に引き上げたものの、
中国軍の対応は消極にすぎ、駐中国大使C・ガウスは、
「中国人は本気で抗日する意思があるのか」と疑い、その「内紛と無神経」
が矯正されない限りは、「共産党の勝利は不可避だ」と、米政府に報告した。
418 :
日本@名無史さん:04/05/09 15:08
極東のプロシアは日本ではなく、中国の方だよね。
現在の人民共和国の外交もまさにプロシアだ。
419 :
日本@名無史さん:04/05/09 18:36
日本は中国を、分割統治すりゃ良かったのに。日英米仏で。
420 :
日本@名無史さん:04/05/09 18:48
独占統治しようとしたから世界中を敵に回したんだよ。
独仏が消えて、米が乗ってこなかったからだな。
422 :
日本@名無史さん:04/05/13 20:35
>チンピラゴロツキは上下左右どう並び替えてみてもチンピラゴロツキ。
国家権力が資本主義経営をするから効率は極めていい。特に成功したのは土地
政策。それまで土地は国家の所有物であったが、「所有権」は国家にあるが、
「使用権」は売買できるとした。日本の土地制度は旧来からの法律と諸制度にがん
じがらめになって公共利益を著しく阻害している。成田空港は三十年経過しても地域
問題を農民と解決できず、不全な国際空港のままで世界に「日本の恥」をさらしている。
中国の土地収用は日本と比較できないほどスムーズである。上海は四年足らずで
ハブ空港の基本条件を満たした国際浦東国際空港を完成させた。韓国、香港、
シンガポールなども競って立派な国際空港を完成させており、日本の国際競争力の
低下がここにも現れている。日本も良いことは中国からも積極的に学ぶべきではないか。
http://www.jic-gifu.or.jp/np/newspaper/kikaku/chugoku/chugoku10.htm
経済成長ちゅうたってしょせんパンツや靴下、ズボンに靴下など、
安い労働力で安い雑貨を売ってるだけだろ。
土地制度だと? 国際空港だと?
人口調節もできないチンピラゴロツキが、日本に不法入国するんじゃねえよ。
土地制度がそんなに合理的で優れているのなら、どうしてチンピラゴロツキ
が溢れて日本にタレ流しになるんだ。汚物の管理くらい自分の国でやれよ。
主義主張・政治政策に関わらず、チンピラゴロツキは所詮チンピラゴロツキ。
424 :
日本@名無史さん:04/05/16 17:54
蒋介石はなんで日本軍に上海決戦を挑んだの?
425 :
日本@名無史さん:04/05/21 23:40
よく旧国民党関係者や産経新聞なんかが共産主義批判してるけどよ、
ヤルタ協定でもソ連は国民政府支持を決めてたはずだぞ。
チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ 国 民 党 の 自 己 破 綻
という観点を抜きにして共産主義批判をするのは全くの筋違いだ。
ただし国民党がどうしてチンピラゴロツキになってしまったのか、
いや「なってしまった」のではなく元からチンピラゴロツキだったのか、
あるいは日中戦争で連戦連敗してチンピラゴロツキになったのか、
いやその逆で元からチンピラゴロツキだったから連戦連敗だったのか、
アメリカがヘタに肩入れしたからチンピラゴロツキになったのか、
それとも中国人がチンピラゴロツキなのは生まれつきなのか、
中国の歴史的風土がチンピラゴロツキを生み出してきたのか・・・
「チンピラゴロツキの発生起源」というのはまた議論の余地がありそうだ。
427 :
日本@名無史さん:04/05/22 00:03
幻の東久邇宮内閣
近衛は後任に東久邇宮稔彦を推した。ここまできて戦争をくいとめうるのは、強い信念の
持ち主であり、皇族の権威を援用できる宮しかないと考えたのである。実はこの案は
東条の考えであった。
九月六日の御前会議の翌朝、宮は東条陸相を自邸に呼んで注意した。 宮が第一次大戦後
ヨーロッパに長期滞在した際、フランスのクレマンソー元首相やペタン元帥が日米戦争を
予言し、決してアメリカと戦ってはならないと忠告したことを、宮は話して聞かせた。アメリカが
外交的に日本を締めつけ、短絡的な日本が自分の方から開戦するとのクレマンソーの
予言通りに昨今の事態は進んでいると宮は指摘し、猛省を促した。
http://www.c20.jp/text/im_kin06.html http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/hyakuisan59.html たしか、クレマンソー発言は、下記の著書にも書いてあるそうだ。
東久邇稔彦『やんちゃ孤独 菊のカーテンの中の一人の人間記録』(読売新聞社(読売文庫)、
昭和三十年六月初版)
428 :
日本@名無史さん:04/05/22 00:04
初の皇族内閣を組織し、 降伏文書調印・軍解体・復興など終戦処理にあたった東久邇稔彦
(ひがしくになるひこ)氏がフランスに留学し滞在中にあい、 求められこの偉人は有益な言葉
を与えている。
その内容を作家の阿川弘之氏が 短文の中で明らかにしておられた。 ・・・その内容は・・・
大正の半ば、 東久邇宮がフランスに渡ってパリの陸軍大学に学び 卒業後は更に2年間
社会・政治・経済・外交史を勉強。 その間にクレマンソーに会っている。 この若い皇族は
その席で「日米戦争の可能性について」質問し意見を求めた。 それに対しこの大政治家は
なんの躊躇(ためら)いも無く「・・・それは当り前だ。アメリカが太平洋アジアへ進出するには
日本の勢力を除く必要がある。第一次大戦でアメリカはドイツを叩いたから 次は日本を叩く
だろう。 といって、アメリカは自分から日本に戦争を仕掛ける愚かなことはしない。 まず
外交で日本を苦しめる。日本は外交が下手な上に短気だから、ギュウギュウ締め付けられ
ると きっとケンカを買い日本の方から戦争を仕掛ける。アメリカはそうなるように外交を持って
いく。 戦争になればアメリカは強い それに生産力がある。日本は戦争になれば必ず負ける。
だからどんな事があっても日本はガマンして戦争はしてはならない。」と。 歴史はクレマンソー
が予測し 語った通りに進んでしまった。
http://www.izmiweb.co.jp/Contents/p01/01/100.html
429 :
日本@名無史さん:04/05/22 14:30
"第二次大戦に勝者なし〜ウェデマイヤー回想録"
アルバート.C.ウェデマイヤー/講談社学術文庫
日本が降伏するまえも、降伏したあとも、中国共産党がきわめて有利な立場に
立っていたが、それは、彼らが中国国民の運命に無責任であったからである。
しかし、じゅうぶんな効果はおさめなかったけれど、国民政府は自由中国の防衛
のために努力していた。中共軍は日本軍や国民政府の支配地域を攻撃すること
のみに専念し、日本軍から攻撃されて傷つき苦しみながらも、なお降伏しよう
としない中国というゾウに、ヤマイヌかハイエナのように襲いかかったのである。
中共軍は、日中戦争の主要会戦のいずれにも参加しなかった。一九三七年の
上海戦にも、広西省の李宗仁将軍が日本軍に大打撃を与えた一九三八年の台児荘戦
(日本では徐州会戦といわれている)にも、また、同じ年の武漢三鎮の防衛戦にも、
長沙戦にも、後になってはサルウィーン戦とビルマ戦線にも、彼らは加わらなかった。
中国共産党の主義主張に共鳴しているアメリカ人の証言でさえも、中共軍が日本軍
の主要駐屯地のどれ一つも、また中国鉄道を支配している日本軍をも攻撃したことを
認めていない。このことは、たとえば、セオドア・ホワイトは、彼とアナリー・ジャコビー
の共著でベストセラーとなった『中国からの雷鳴』(Thunder Out of China)の
なかで、次のように述べている。
「中共軍は、日本軍の小部隊を奇襲する機会に恵まれたときにのみ、戦闘を行
なった。…(略)…日中事変中の主要会戦で日本軍のはげしい攻撃に耐え、
日本軍にかじりつき、そして日本軍に殺されたのは、国民政府軍の疲れきった
兵士たちであった。」
私は中国赴任後、直ちに中国の現状を理解したといおうとしているのではない。
私の上司であるマーシャル参謀総長と同様に、私はスチルウェル将軍の報告に
よって、中国に対して偏見をいだいていたが、マーシャルやスチルウェルとちがい、
共産主義者の脅威について注意しなければならない、ということを過去において経験
していた。中国共産主義者の非情な目的をはっきりと確認するようになるには、いくらか
時間がかかったけれども、私は中国赴任の当初から、彼らについて夢はいだかなかった。
中国国民党が資本主義だなんて言ったら、ハイエクもケインズも烈火の
如く怒り狂うに違いないぜ。
金と権力で土地と人民を支配し寄生搾取するだけのチンピラゴロツキが、
「資本主義」なる看板を掲げてみただけ。これじゃ資本主義のツラ汚しだ。
こんなの、共産革命で叩き潰されて当たり前。
しかしながら共産革命が成功して旧チンピラゴロツキを追い出しても、
結局別の新たなチンピラゴロツキが取ってかわっただけのことだった。
結局、中国人の全員が「チンピラゴロツキ」だったのだ。
うちの祖父は陸軍の将校だた。巨人の上原の祖父と同期だた。
南京占領はよろし。張作霖爆殺は疑わし。萬州国は正当。
しかし、漏れの好きな人は純粋な支那の血を引いている…
もっと早くに知っていれば…
432 :
日本@名無史さん:04/05/29 16:46
児島襄「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い2」(文春文庫)P11〜14より
1935年の第七回コミンテルンは、各国に反ファシズム人民戦線の結成
を指示した。中国共産党もこの支持にしたがい、国共内戦を中止して
一致して抗日戦争に蹶起すべきだ、と国民党側に働きかけた。
<中略>
ソ連首相スターリンは、十二月十四日、中国共産党指導部にたいして、
蒋介石逮捕は中国が必要とする抗日民族統一戦線結成に逆行する、
蒋介石だけが現在の中国を指導できる、蒋介石と協議して
平和解決に導くべきだ、との指示を打電した。
このスターリン電報は、中国共産党指導部を困惑させた。
『西安事変』は、張学良、楊虎城、中国共産党の結合による画策であり、
蒋介石を逮捕した以上は、この三者で国民党軍もふくめた抗日戦線
の結成と指導をおこなう決意であった。
スターリンの指示に従えば、蒋介石が「復活」するだけでなく、張学良、
楊虎城にたいする報復も予想され、結果は共産党側の分裂と敗北を招来しかねない。
だが、中国共産党指導部はスターリン指示に従うことにして、
代表として周恩来を西安に派遣した。
周恩来は、十二月十七日、西安に着き、そのご張学良、楊虎城の説得、
さらに南京から飛来した蒋介石夫人宋美齢、次いで蒋介石自身と会談した。
周恩来は蒋介石を全中国の指導者として認める、
共産党も従来の考えを捨てて協力する、という二点を軸にして
話し合いを成功させ、蒋介石は十二月二十六日、南京に帰還した。
433 :
日本@名無史さん:04/06/03 17:42
中公新書の「日中十五年戦争史」が一般向けの本では開戦経緯が一番良くまとまってるね。
434 :
日本@名無史さん:04/06/03 20:11
>>433 上海事変が蒋介石主導だったことを触れてるのは
その本ぐらいだよな。
「支那事変戦争指導史」堀場一雄
日本の無駄な占領地域拡大路線があったからこそ共産党の解放区ゲリラ戦術が有効になり、
反日=国土回復運動に成長してしまった。いわば中国の共産化の原動力になったわけで、最
悪の結果を産んだと言える。
そりゃ戦争だからどっちが残虐とかいっても無意味だが、少なくとも自分の土地で自分たちの
家族や仲間を外国人に蹂躙されたらそれは腹が立つだろう。確かに撤退のころはそれはもう、
ひどい目にあったというのは戦争経験者の話を聞けばすぐにわかる。漏れの聞いたじいさんの
はなしでは、捕まったら逆さ串刺しにされて街道沿いに並べられたんだと。でも、そもそも他人
の土地を奪っておいて、ということで、じいさん泣いてたよ。「同じ百姓なのになあ、悪いことした」
って。
437 :
日本@名無史さん:04/06/03 21:44
宮様将軍を冷遇した陸軍が悪い。東条達が満州で暴走したらで勅令で討伐するか勅令で逮捕して死刑にし宮様将軍を陸軍トップにすれば海軍穏健派の山本いそろくと手が組めて無駄な戦いを避けれたんじゃないかな?
裕仁は賢いから前に出ない。従ってそんなことはあり得ない。
閑院宮は長らく参謀総長してた。
大体その東條が、東久邇宮を首相にしろと言ってたじゃん。
っていうか、東条が満州で暴走……?
一応チャハルで暴走してるw
東條兵団
442 :
日本@名無史さん:04/06/03 21:57
終戦の尻拭いをさせられたにすぎないよ。2.26事件の時、昭和天皇が近衛師団と海軍陸戦隊を自ら率いて鎮圧するって言ったら陸軍がビビッてクーデター部隊を懐柔して投降させたよ。悪いのは東条一派。
443 :
日本@名無史さん:04/06/03 22:53
上海事変は国民党がおっぱじめたわけだろう
支那人が言うように侵略といえるかねこれが
上海事変でやめとけばたしかにその通りなんだが、問題はその後だろ……
侵略でないと言い張るのなら万里の長城を越えるのは論理的におかしいし、
南京を攻略するのもおかしいわけでね。
暴支庸懲であり正当な懲罰である。
"nagasaki"
上海占領した時点で停戦か?
とりあえず戦争終わらせるために首都を落とそうというのは
そう理不尽なことではなかろう
448 :
日本@名無史さん:04/06/04 03:39
>>439 田原総一郎が谷沢永一との対談で、「東条は東久邇宮を首相にしようとした」
と言ったら、谷沢は「自分に組閣の命が戻ってくると思っていたと思いますよ」とか
言ってたぞ。
実際、東条はそういう感じの男だし。
石原莞爾だって、東条暗殺計画の相談を受けて、「あいつは殺しでもしないと辞めない
奴だ」と賛成したんだ。
449 :
日本@名無史さん:04/06/04 04:02
下記のサイトを読んだらよく判るけど、参謀本部は必死に日中戦争を止めようとしていた。
陸軍悪玉説なんて、完全な嘘なんだよな。
満州事変はやらなければ満州利権がやばくなっていたし、日中戦争も当初は上海その他の
在留邦人保護のためにやむをえなかった。
つまり、帝国陸軍は基本的に正しかったんだよ。
東亜連盟戦史研究所
「戦争の天才と謀略の天才の戦い」 国民のための大東亜戦争正統抄史1928―56
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/index.htm
佐藤尚武の宥和外交
1937年3月林内閣のもと佐藤尚武が外相に就任した。
佐藤は中国国内で居留民が殺害される事件の多発を憂慮し
満州事変以来の対華強硬方針を改める方針に転じた。
「再認識論」というもので中国と一定の距離を置きながら
対等外交を進めるというものだった。佐藤は広田弘毅の一期先輩
で欧米派の外交官である。ところが蒋介石は前年の綏遠事変や
西安事件により権力基盤を固めており、この佐藤の宥和外交を
日本の弱さと受け取った。蒋の上海に執着する姿勢は生涯変わらず、
ファルケンハウゼンの案出した戦争計画にのめり込んでいった。
452 :
日本@名無史さん:04/06/04 08:36
>>449 確かに満州事変は利権保護のためだと正当化できるが、それにしたって
満州国の建国はやり過ぎだし、華北分離工作は弁解の余地がない。
日中戦争の原因は華北分離工作だと思うよ。蒋介石が上海決戦を
仕掛けたのは、最早中国のナショナリズムを抑えきれなくて、対日開戦しなかった
ら国民党が崩壊するから。
4−15 和平条件案
8月7日未明、陸軍・海軍・外務三省大臣会議で確定された和平条件はまず停戦条件として
「1 塘沽停戦協定その他華北に関する従来の軍事協定は一切解消
2 特定範囲に非武装地帯設定
3 冀察・冀東両政府を解消し、国民政府において任意行政を行う
4 支那駐屯軍の兵力を事変前に還元
5 従来の行きがかりを捨て日中親善を具現化」
抜本的国交調整案として
「1 満州を承認するか、あるいは満州国を今後問題とせずとの約束
2 日中防共協定
3 親日政策を取る。
4 上海停戦協定の解消
5 日本機自由飛行の解消
6 日中経済提携、貿易の増進」
つまり、満州国さえ事実上承認すれば北支傀儡政権を解消し、
日中経済提携を進めるというもので、戦闘に勝利している日本側から
提示する和平提案とすれば、破格の条件です。これを見ても、
この段階で日本側に中国大陸侵略の意図がなかったことは、明々白々です。
>453
満州国の「建国」にはなんの正統性もねーんだってば。
他国に武力侵攻しーの、傀儡政権樹立しーの、じゃあ
「侵略」と言われてもまったく反論できないし、利権確保の手段としてはやりすぎ。
逆に、満州国の建国を取り下げてさえいれば、
国際社会からは満州利権確保のお墨付きをもらえた(リットン勧告の骨子がコレだ)し、
中国との妥協も為し得たかもしれない。
中国軍って200万も軍隊がいたのに何であっけなくやられたの?
リットン勧告受け入れが最善の道だよね。
リットン調査団はちゃんと中国の利権侵害を認定してるし、
イギリスにとっても中国の利権回収運動は他人事じゃないから
日本には同情的だった。
34年に東トルキスタンを侵略して滅ぼしてる中国にどうこう言われる筋合いは無いんだがね。
帝国主義はお互い様。国際連盟は中国には優しかった。それは彼らの情報技術が優れたものだった
からだろう。今も同じか・・・
本当に汚い国だ。
28年に張学良がソ連の東支鉄道を回収しようとしてソ連軍に蹴散らされたよね。
日本の場合は直接の侵略を受けたわけじゃないにせよ、自衛行動として正当化
できるんじゃないかな。
459 :
日本@名無史さん:04/06/04 18:27
>>457 その際のイスラム教徒の虐殺も凄まじかったそうだな。
460 :
日本@名無史さん:04/06/04 18:37
中国の利権回収運動は別に日本だけを標的にしたわけじゃなく、
>>458(中東鉄道紛争は29年だよね)
のようにソ連やイギリスも痛い目にあってる。
ソ連は軍事力で張学良を一蹴したが、イギリスは日英同盟が廃棄されたために軍事力が不足し反撃
にでることができず、漢口と九江の租界が占領されても黙認するしかなった。
外蒙古が共産化された状況下で、日本も対抗措置として満州を傀儡化させる必要性を感じていた。
>458
だから、リットン勧告はそういう内容の文書なんだってば…
満州国なんてシロモノを捏造されちゃあたまらんが、
日本がそれをやろうとした理由の一つである「中国民族主義への対抗」という要素には
最大限の理解を示した、むしろ「大日本帝国」の側に立った文書なんだよ。
ただ、石原や岸信介のような「革新勢力」の側に立ってなかった、から
日本はそれを受諾しなかった、と。
463 :
日本@名無史さん:04/06/05 00:37
>>452 主権をシナから分離しないと、現実問題として、権益なんて守れないだろ。
関東軍の満州駐留権だって、日清満州前後条約で承認されたものに過ぎなかったし、
司法権がシナ側にあれば、満鉄平行線その他の権益侵害に打つ手もない。
華北分離工作は、石原莞爾だって、軍事力による分離ではなく、経済的に日本の支配下
に入れるというだけのプランだったろ。
ウジ虫が大量に湧いて出たなw
まあ、満州国とやらの内実を知るだけでもそんなファナティックな妄言など
吐けないと思うが。
ウジ虫とか言ってるお前がウジ虫
wそうかもなw
しかしながら、軍部が戦争を止めようとしていたなどと言う事を恥ずかしげもなく
言い散らす勇気は漏れには無いな。小泉だって年金や道路改革しようとしてる
し、そこだけ後世取り出して論じることも可能だが、だからといって大量の失業
者や自殺者を無視して良いわけはない。年金使い込んだ役人も税金ごっぽり
つぎ込んで何もせずに逃げた関東軍も同じだ罠
467 :
日本@名無史さん:04/06/05 01:38
>>466 お前みたいな奴が、敗戦後、GHQに乗せられて
「悪いのは軍部だ!」と叫んだんだよ。
>>466 関東軍は逃げず60万も捕虜にされたが?
>467
GHQ内部の権力闘争についてはご存じ?
あれ知れば「GHQに乗せられて」なんて言葉は恥ずかしくて吐けないぞ。
>468
「関東軍」は民間人見捨ててトンズラこいたのは歴史的事実だぞ。
「関東軍所属の前線将兵」は避難民逃がすために絶望的な戦いに臨んだが。
「組織」と「部分」の評価をごっちゃにするな。
あんたの言い草に従えば、江戸幕府は五稜郭まで徹底抗戦したことになるし
日本の終戦は1979年だっつーことになっちまう(まだ終わってないかも…)。
物事の評価は対象を厳格に定めてからでなければ行ってはならない。
これは歴史の価値判断以前の、あらゆる言論活動に必須の基本的常識なんだがなぁ。
470 :
日本@名無史さん:04/06/05 08:43
>実際には、関東軍はかなり頑張っていたんだ
>>469読め。
それに、国民感情というものがある。かってにさんざん暴走しておいてあのていたらくでは、
何と言われても言い訳できない。それに首脳部が逃げたのは隠れもない事実。アカとかい
ってる時点で日本史板にいる資格はないな。そんな幼稚な色分けが効くほどやわな時代じ
ゃない。とりあえず満州に居た人の話を直接聞くことから始めた方がいい。
関東軍の作戦では朝満国境で防衛ラインを築いて持久する予定だったんでしょ。
そう。通化に司令部を置いてそこで抵抗する予定だった。
ただすぐにポツダム宣言受諾となったので、逃げたような印象を人々に与えたけどね。
小生は満洲に居りましたが、赤いものは赤いと思ひます
満洲帝國一般の氣風も反共でした
475 :
日本@名無史さん:04/06/05 18:12
問題は日中戦争をどのように決着するのか、に関する構想があったのかってことだ。
蒋介石や毛沢東を捕縛しようが、ゲリラの根拠地を1,2潰そうが
はたまた主要都市を制圧しようが、広大な中国領土にはいくらでも
抗日運動が起こりうるし、抗日の根拠地を作れる。
ホント軍部の連中に聞いてみたいよ。
結局は中国権益を護ろうとすることが、日本と日本人にとってかえって
マイナスにしかならなかったんだから。
参謀も「漏れ臥竜」「じゃあ漏れは鳳雛」「じゃあ漏れは竹中半(ry」とかいって遊んでる
連中ばっかしだったかんなw
どうせ「早く成都取って武侯廟にお参りするか」とか夢見てたんじゃねえか?
>475
っていうか、何のために日中戦争をやるかという点において
明確な意志を発動した人間は実はだーれも居らんのよ。
まだ満州事変→満州国、までは、石原や岸らの「新体制」構築、という旗印があった。
利益線概念とでもいうか、「ここから先は手を出したらいかん」という判断があったわけで…
ところが日中戦争にはもはやそれすらない。 目的も何も無い、ただ戦いが続くから戦う、という
出口の見えない戦争を日本はやらかしてしまっていたのだ。
池田純久の回顧録に面白い話が載ってる。
関東軍の参謀が、内蒙工作の了解を取り付けるため、天津軍に来た時、
計画に反対する池田に対して、花谷や田中がしきりに「池田君は三国志を知っているか」
と云うので、むかっ腹がった池田参謀は「支那語は出来ないので読んだ事はない」と
答えて座が白けてしまうが、多田司令官が池田を支持してなんとかその場は収まる。
池田は、板垣、田中、花谷をアフォな支那通、多田を理解ある支那通として、
要するにアフォな支那通は、支那人というのは三国志のように、簡単に裏切ったり
くっついたりすると考え、ちょっと工作すれば、三国時代のような分裂状態になると
考えておると、分析してる。
中国もソビエトよりは日本の方がくみしやすいと踏んで、反日に走ったのだろう。
480 :
日本@名無史さん:04/06/05 20:40
満州が平和で栄えていたから、万里の長城を越えて
華人が満州国へ大量になだれ込んできた→金持ち日本人を妬んで危害殺戮にまで及んだ。
今の日本を見ればわかるだろ、中国人の犯罪跋扈は。
そこで帝国陸軍は悪の根元を断とうとしたんだ。
コミュニスト=悪 は不変の真理。
どうせ演義なんだろうなw
そんなもん読んでねえとかいって笑うヤシもアフォまるだしだな。
でも、張学良、蒋介石、毛沢東、朱徳、傅儀、馬占山などの馬賊、それに金日成、スターリン、
石原完爾・・・確かに三国志的なスケールは間違いないw軍閥の離合集散も凄まじかったらし
いな。第19路軍とか。
482 :
日本@名無史さん:04/06/05 21:45
日中戦争をどう集結させるかだけど、陸軍は、とりあえず居留民保護のために出兵した
が、撤退するには、在シナ日本資産を放棄し、邦人をシナから撤収させるしかないが、
それは政治の判断。
ところが、その決断をも含んだトラウトマン工作でも、近衛首相や広田外相が反対して
潰されたんだろ。参謀本部は受諾するように要請していたのに。
つまり軍部の責任じゃないんだよ。政治のリーダーシップの問題。
近衛首相だって、自殺直前に自分の責任を認めていただろ。
戦時中は全部が軍部といっても良いわけだが。
言うこと聞かないとすぐアボンだし。
484 :
日本@名無史さん:04/06/06 08:17
支那人は多くが文盲なのですから、動物的なのは仕方ありません
中国は壮大な大回りをしたと思う
軍閥割拠、国共内戦、大躍進、文化大革命、下放、天安門、一国二制度、
犠牲者(死者)は皆、旧日本軍へカウント。 日本軍に感謝しろや
486 :
日本@名無史さん:04/06/06 11:16
>>480 「悪の根元を断とうとした」はわかるけど(結構本質を突いてるかも)。
それはどういう状態になったら、なにをしたら「断つ」ことになる(あるいは
なると思った)のか?
487 :
日本@名無史さん:04/06/07 11:00
支那兵は、唐傘担いで鍋釜背負って、泣きながら逃げ惑う香具師ら
あれじゃ戦争になんかならないよ
488 :
日本@名無史さん:04/06/07 18:37
>>487 まあ、支那兵も軍閥に無理やり連行されて兵隊にされたんだから、可哀想ではある。
489 :
日本@名無史さん:04/06/07 18:43
まあ、「支那」なんて死語を得意げに使ってる輩の言うことなど何の説得力もないな。
中国北京は 日本のodaは朝貢だと?
491 :
日本@名無史さん:04/06/07 21:49
問 中国の宣伝工作はいかなるものだったか。
答 中国は、戦闘作戦より宣伝を重要視して、あらゆるでっちあげを利用しようとした。
中国は、「宣伝は作戦に優先し、政治は軍事に優先する」というスローガンが唱え、戦争に
おける宣伝の重要性を忘れることはなかった。
また、中国政府宣伝処顧問セオドア・H・ホワイトは、中国の対外宣伝の方針について、
「米国を中国の味方につけるためであれば、米国マスコミに対して嘘をつき騙すこと、
さらにいかなる手段をとることも許される」と証言している。
(北村稔『「南京事件」の探求』、文春新書)
@「上海事変」工作
中国軍機は、昭和十二年八月十四日、上海の共同租界やフランス租界に爆撃を加え、特に、
外国民間人の多数宿泊するキャセイホテル、パレスホテルを意図的に破壊した。中国政府は、
それを「日本軍機の仕業」と国際宣伝し、大成功を収めた。(中村粲、『大東亜戦争への道』)
B「長沙市への放火」工作
「日本軍の犯罪行為」に見せかけるために、中国が仕組んだ謀略・宣伝工作だった。しかし、
日本軍が長沙市に進撃しなかったため、中国の工作が完全な失敗に終わったことは、
郭沫若の証言から明らかである。
http://s2.kcn-tv.ne.jp/users/seigasai/daitouai.htm
492 :
日本@名無史さん:04/06/07 22:34
こーいうの見てると日本人ってナイーブなんだなぁとつくづく思う・・・
結果が手段を正当化するのが国際社会の常識だ、という簡単な理屈を
いつになったら日本人は覚えるのだろうか?
シナのどこが死語なんだボケ
帝国も、支那事変を始めると、
情報委員会を内閣情報部に格上げして、
「宣伝」に力を入れた。帝国は第一次欧洲大戦における
宣伝戦の威力に震撼し、研究をかさねていた。
対内宣伝は現在もその影響力を残すほどの成功だったが
、対外宣伝は大コケにコケたらしい。
なるほど、当時の宣伝方策大綱を読むと
こりゃダメだという感じなの、チョン
なにせ八紘一宇の肇國の大精神だからねえ、噫。
聖戦の真義が御詔勅に炳かなる如く、東洋の平和であり、道義の顕現であり、
抗日支那の反省を促し、その建設に協力するものであればこそ、
我等は堂々天地に愧ぢず、千万人と雖も我往かんとの信念を以て邁進しつゝある
のである。打算に立脚した列国の向背は一時の現象であつて、
吾人が正道を履んで終始渝ることなければ、
天下に敵なく道義は必ずその光りを放つであらう。 ´,_ゝ`
497 :
日本@名無史さん:04/06/08 13:16
立てよ日本1億の 命あふれる足音に
地平も揺れよ 大陸のすべての物は今朝だ!
昨日よ父がまた兄が 命捧げた大陸に
今日から清い美しい 大和桜を咲かすのだ!
思えば永く立ちこめた 平和を乱す雲と霧
今晴れ渡る大陸を ともにゆく日はもうすぐだ!
そうだ情けの手を取って 勝ち鬨上げる大陸で
四億の民と睦まじく 君が代歌う日はすぐだ!
感謝に燃える萬歳に 今日から鳴るぞあの旗は
進む大陸日本の 意気の印だ魂だ!
コピペ地獄の始まりか
499 :
日本@名無史さん:04/06/09 09:19
唐傘担いで鍋釜背負った
支那ぽこぺんの兵隊は
強盗強姦殺人放火
悪いことなら何でもござれ
でも肝心の戦争は
どんと鳴ったら逃げ散って
跡形も無く消え失せる
/"´⌒`ヽ、
>,, イ,ヶ:::::::;\
(www,,,::::::::;;;;;:::ヽ、
ゞ μ ノ ;;;;;::::;;::::ヽ、
};w〆;;;;:::::;;;;;;;:::::::ヽ、Mw,
~~{ミ彡;;;; /;;;;:γ⌒;;. .ゞ Mw,
}ミ彡;:/::;;檎;;:::::...;;:::: :ヽ、7
ノ#!##(::;;璽;;≠;;;;;;:::::: : } メwゝ∧_
{##!##,;;::;螺檎}};;;;;::: : ;メ::}~~~> (´
ャ‐(,j{゙j、,、 {##!##※;護爾{{;;;;:::: ". . .メ;;;}/~ (´
やλ^/ {##!!##;;:痔羅碁..... "" ; メ;;;::] {M∧/^´
~ヽ^´;,、 ヘ###等醐璽裸;;;;;,,,;.. . ;};;;: ::::}>こし、∧//
ヘ ;;::: ̄,/^へ、._, -;;;´ ̄;;;:::: ; メ,,,,,;::;;;:{~~~~.> そ
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