1 :
日本@名無史さん:
少尉時代は軍旗をとられるマヌケ振りを発揮し、
203高地では素人のような用兵で屍の山を築く。
精神論を重視の悪しき伝統を日本陸軍に残した。
腹を切るなら天皇のためではなくて
無茶な戦いをさせられた兵士のためにすべきだった。
死ぬ時まで勘違いしまくりのアホ将軍。
こんな奴が何で軍神なんだ?
バカなんだよ。乃木は。
バカを恥ずかしげもなくカミサマ扱いして
よろこんでいるあたり、明治・大正・昭和期の
民度が知れるってものだ。
3 :
日本@名無史さん:03/02/06 01:33
そんな人がなぜ大将にまで立身できたんだ?
それは決まっている。
日本の民度が低いからだ!
5 :
日本@名無史さん:03/02/06 01:37
じゃ、お札の肖像に使ったりしたら、非難ごうごうになるかなぁ。
6 :
日本@名無史さん:03/02/06 01:38
日本のお札は結構無難な人が多くない?
コネで大将になった訳ではないのか?
なるでしょう。彼のせいで
どれだけの日本人が異国に骸を晒したことか。
国民としては恨んでも恨みきれないでしょう。
8 :
日本@名無史さん:03/02/06 01:39
203高地って結局どうやって陥落させたんだ?
ロシア軍の弾薬の数=日本兵の死体
10 :
日本@名無史さん:03/02/06 01:48
福田ツネアリ(字忘れた)が203高地での乃木の作戦は当時の日本陸軍の状況からして妥当だったって検証して
いるらしい。いや、読んだことないんだけどさ。
ごめん。携帯からだから見られない。
7時くらいに見てレスします。いらないと思うけど。
兵力を消耗させる指揮官は無能だよ。
本来は戦争なんかしないで、外交の結果として
利益を得られることが最上だろうに。
実際に戦闘はじめてしまうのは愚の骨頂。
15 :
日本@名無史さん:03/02/06 02:04
日露戦争を語れる奴が出てこないと糞スレ確定。
16 :
日本@名無史さん:03/02/06 02:09
203高地の作戦が妥当かそうでないかは別にして、
賢将でないことは確かだな。
教科書通りの正攻法を重視して自分の頭で作戦を考えたことがない。
軍事的な功績はゼロだし。
結局は明治天皇のコネが物を言ったんだろ。
「日露戦争を語れる」とは、軍事オタを指すのではない
ので、あしからず。戦術がどうこう、あの時の兵力配置が云々
といったウンコはいらないです。
世界史板らしく、世界史上における日露戦争をお願い。
18 :
日本@名無史さん:03/02/06 02:12
あの当時、要塞攻略に関する「教科書」など無いんだけど、
「教科書通りの正攻法」の「教科書」って、具体的に何を指してるのかな?
ごめん、ニホン史板だったWA。
レーニンは乃木による旅順攻略の方法を「こと細かく」調べ上げて
要塞への強襲は、「絶対必要かつ有益であった唯一可能なことで
あった。」という結論をだしてるよ。
24 :
日本@名無史さん:03/02/06 02:18
>>17=22
板間違えたり自己レスしちゃったりしてるところから見て、相当お疲れの様子。
もう遅いし寝た方が良いんじゃないかとw
さっきもお会いしましたでしょうか?
別板で同じ指摘をしていただいた気が。
26 :
牛沼久太郎 ◆.CA8T6GEL6 :03/02/06 02:28
>>18 「教科書通り」ってのは慣用句だろが。
正攻法ってのは攻撃側が防御側の3倍の兵力で押せば
落ちない砦はないっていう素人でも考える攻撃法。
工夫もなにもない人名軽視の作戦。
27 :
日本@名無史さん:03/02/06 02:40
>>26 >素人でも考える攻撃法
ていうか、当時の陸軍に要塞攻撃の「玄人」なんていたのかね?
>>11 読んだ。たぶんそれ。てか、それしかないね。
おまえらは過去のその人物じゃないんだから、
批判はやめて「はー、そうですか」と馬鹿みたいに驚いてろ、という話になってるね。
すばらしいね。
ttp://noz.hp.infoseek.co.jp/meiji/nogi.html ☆『三軍が28糎砲を早くから使はなかつたのは、1.その命中率が惡い、
2.砲床を作つてゐる時間がない──と豫想されたからである。
實際には1も2も間違ひだつたが、
「實際の戰爭となれば、その種の蹉跌は幾らもあらう。」 』
☆ 『もし將軍がそれほどに愚將であるなら、さういふ人間を第三軍司令官に
任じた大本營、それを認めた滿洲軍總司令部の大山總司令官、兒玉總参謀長
にも責めは歸せられなければなるまい。』
★しかし實際の戰爭となれば、その種の蹉跌は幾らもあらうや戰爭に誤算は付き物である
とは述べないのはあまりにも第三軍に贔屓に過ぎる。少なくとも、乃木や第三軍は
期待に応じた動きをすべきであった。
☆『第三軍の旅順要塞偵察不備の非を難ずる論者は多いが、海軍及び大本營の情報活動の
無能を指摘する論者は少ない。』
★戦場での偵察は軍の管轄であって、海軍や大本営の情報活動の余地はほとんどない。
事前偵察の不備は確かにそうであるが、戦場で偵察不備というのは論外です。
☆『翌12日には兒玉大將から追掛け「二兔を追ふべからず。28糎砲は威力を本攻に
用ゐるべし。無駄彈丸を送るべからず」と要求して來たのである。……
兒玉大將と海軍との板挾みで、第三軍は困つてしまふ。兒玉大將は東北正面主攻作戰
を指示、ついでに港内敵艦を放置せよと新命令を追加した。』
★これは命中率が悪い、実際損害のほどが確認できる手段が限られているので
無駄弾を戒めた命令です。また満州軍は第三軍のやりたいようにさせる為に仲介に
立っていると考えるべきです。
☆『乃木將軍は白井参謀を總司令部に派遣し、協議せしめてゐる。その詳細は省略するが、
第三軍は新鋭の第7師團を主攻方面にではなく、遊動豫備軍として使ひたい事を申入れ
てゐる。後にこの師團が二〇三高地を占領した事を想ひ合せれば、乃木將軍より
兒玉將軍の方が東北正面主攻作戰に捉はれてゐたと言ふべきであらう・・。』
★この論は無茶苦茶です。白襷隊の大部分は第7師団でしたし、この予備隊は東正面
に投入される命令もだしかけています。
この11/27の命令は第9師団大島師団長の意見で取りやめになりました。
☆『なほ伊藤(整)氏はロシア側にとつて二〇三高地陷落がもう一息といふところで、
日本軍がこれを休止し、12月1日から4日間休止状態に入つた事實を注意深く記録し
てゐるが、ロシア側からすれば、この4日間は謎の休止期であつたらう。この休止は
いふまでもなく、兒玉將軍來順の爲で、それが無くとも、或はそれが無ければ、
二〇三高地は12月1日か2日には陷落してゐたかもしれぬといふ見方も出來ないではない。
谷中將を始め、司馬、福岡兩氏は兒玉將軍の演じた活躍を鞍馬天狗のそれになぞらへ、
少々話を面白くしすぎてゐる嫌ひがある。兒玉將軍の來順如何に拘らず、二〇三高地は
既に熟柿の如く落ちるべき時期に達してゐたのではないか。』
★主戦力の第7師団の精力、体力とも尽きているという大迫師団長の意見によって
攻撃中止の意見が通ったのに、児玉来順の為の攻撃中止とはいい加減な論ですね。
32 :
日本@名無史さん:03/02/09 15:42
アゲ
33 :
日本@名無史さん:03/02/09 16:13
乃木というより伊地知がばか!
福田の論は、司馬の小説の視点にバイアスがかかっているということを
論証しようとするもので、福田自身は戦史の専門家でもなんでもないから
福田の論を細かくみていけば、つっこみどころはアリアリだろうね。
批判の骨法は、小林秀雄による芥川の「将軍」批判をなぞっているとみるのが
妥当か。乃木くらい数多く文学者による批評の的になった軍人はいないだろうな。
一般の乃木にたいする感情の両価性に、文学者は敏感だからこそこういう風に
論いの的になるわけだろう。
現在の自衛隊の将官クラスで文学者の興味を引くような人材は
いるのかしら?
現代の文学者の大半が、そういう方面には無関心じゃないの?
自衛隊のほうだって、文学者なんぞに関心をもつとは思えないし。
白襷隊を結成して無用な人命を奪い
自暴自棄になって自分も突撃自殺を図ろうとし職務放棄
古今東西、およそこんな将軍みたことない
38 :
日本@名無史さん:03/02/09 17:14
夫婦そろってキチガイで 明治大帝が死んだとき意図不明の殉死
コイツらが美化された段階で 日本の将来は間違ってしまった
39 :
日本@名無史さん:03/02/09 17:19
>1
司馬遼太郎を読んだ知ったかハッケソ!
203高地での死者の数が如何に少なかったかを軍版で聞いてみそ
当時も乃木の殉死は意味不明といったやつはいたからな。
乃木の同時代人には、その意味がよくわかったものがいたと
いうことだろう。
42 :
日本@名無史さん:03/02/09 17:23
しょせん乞食百姓出身者が武士道気取ったらそうなった、
ってトコだろ?(藁
その程度の批判しかできないなら、簡単にしっぽを
つかまれちゃうよ。
>>41 徳富蘆花の親父の敬一氏いわく。
『(乃木の殉死は)敗北だ。』
明治維新を生き延びた彼は生きてこそ命であり、勝者であった。
明治維新で死んだ物はみな敗北者であった。これは紛れもない事実。
最後の最後に乃木は負けてしまったと評した彼の論は実に的を
得ていると思える。
子供が先に戦死だしな・・・。もう役に立つこともないと自殺か
乃木家を残すなって遺言したらしいし。
>>44 なら、こっちは漱石や新渡戸の殉死への評をもちだすよ。
47 :
日本@名無史さん:03/02/09 17:40
>>44 軍旗を取られて自決したがっていた時から人生の
敗北者だったのさ。
「敗者の美学」に通じてしまうものはあるな。司馬遼太郎はそういう
美学が大嫌いで、だからこそ、あれほど乃木を貶したわけだろうな。
49 :
日本@名無史さん:03/02/09 18:02
nogiwaaho,kitigai,tanshouhoukei,otikobore,ishiatama,ganmeikorou.
50 :
日本@名無史さん:03/02/09 19:13
つか司馬遼太郎ってフィクションだろうが。
さぞノンフィクションのようにフィクションを作るのが上手い。
そこら辺判ってないとダメのような…
後世の創作って多いだろ?いまの大河ドラマとか…w
>>50はいつもどんな本を読んでいるのか非常に気になる。
54 :
日本@名無史さん:03/02/10 18:14
>50 偉そうだな
55 :
日本@名無史さん:03/02/10 18:19
司馬信者必死だな(藁
56 :
日本@名無史さん:03/02/10 18:36
司馬の乃木に創作が混じっているとしても、戦前の官製乃木像も
脚色された部分が多いのも事実。
広瀬武夫なんて銅よ?
58 :
日本@名無史さん:03/02/10 18:47
広瀬武夫が横須賀時代に通っていた金沢八景の割烹旅館・千代本には、
借金残したまま急な転勤になった時の言い訳の手紙が残っている。
60 :
日本@名無史さん:03/02/10 19:11
力押ししか考えられんやつには負けられん>乃木
62 :
日本@名無史さん:03/02/11 10:15
上野公園の西郷隆盛階段下の希典の描いた 「忠魂の碑」 高さ10メートル
幅5メートルの石碑が崩れかかってる。早くなんとかしろ。
石原知事様へ
63 :
日本@名無史さん:03/02/11 11:37
遠方に師に値する者あり。
万里の道を厭わずその教えを乞う。
何で乃木は優秀な戦略家から戦術や戦略を習おうとせなんだ?
書簡のやりとりだけでもOKなのに。
64 :
日本@名無史さん:03/02/11 11:48
史記でいうと龍且
努力が信条の無能者だな
65 :
日本@名無史さん:03/02/15 18:38
age
66 :
日本@名無史さん:03/02/15 18:44
悲運の将だな
能力もないのに重任、負わされて
長州閥に生れなければ・・
67 :
日本@名無史さん:03/02/15 19:15
「坂の上の雲」は乃木を徹底的に貶めた「小説」です。あれを史実だと思っちゃいけないよ。
68 :
日本@名無史さん:03/02/15 19:36
↑ 官製・乃木神話を事実と信じてるアフォがここにも。
69 :
日本@名無史さん:03/02/15 19:53
>>68 マジで坂の上の雲を史実と思ってるの?
あれはいかにもノンフィクションのようなフィクションですが、何か?
70 :
日本@名無史さん:03/02/15 20:20
ここのスレで誰が坂之上の雲が史実とのべているのか?
71 :
日本@名無史さん:03/02/15 21:21
アゲ
72 :
日本@名無史さん:03/02/15 21:38
乃木愚将説は日露戦争後から、流布していた話で、別に珍しくもないが。
73 :
日本@名無史さん:03/02/16 17:47
乃木の放蕩を心配した身内の計らいで、湯地お七(静子と改名)と、結婚したが、
希典の酒池肉林の遊蕩三昧は改まることなく、結婚の翌日から、柳橋の紅灯に通う
日々。帰宅は連日、真夜中であり、俸給は、まったく家庭に入れない。帰宅しても
母、寿子には挨拶するが、静子には、ほとんど、口をきくことはなかった。この為
静子夫人は、生家に金銭の援助を求めることが度々で、謹厳な湯地家では愛想づかしを
長男、勝典が生まれたころには、遂に、家計の窮迫で住居を売り払い、粗末な借家に。
74 :
日本@名無史さん:03/02/16 18:02
「日本の偉大なるドンキホーテ」(佐藤春夫)
75 :
日本@名無史さん:03/02/16 18:17
京都帝大教授、谷本富の乃木評「乃木大将は、その古武士的質素順直の性格
にもかかわらず、わざと、飾ったようなところがあって、余は心ひそかに
これを心よしとはしなかった。大将はいわゆる孤相である。平たく言えば
下賎の相に近いもので、とうてい、大将という如き高職に上がるべき富貴も
天分もない」このため、谷本博士は、自宅に投石され、大学も退職の憂き目に。
76 :
日本@名無史さん:03/02/16 19:02
本来なら軍法会議で銃殺だな。
77 :
日本@名無史さん:03/02/16 19:40
ん?誰が銃殺、乃木?
当時の日本人は機関銃の脅威を認識していなかったらしい。
爺ちゃんから聞いた話だが、203高地攻略の時、乃木は指令本部を前線から
何キロも後ろに置いていたらしい。児玉がそれを知り激怒したとか。
無能な乃木に後輩の児玉が乃木に指揮権を譲るように迫ったとか。
乃木は山縣の捏ねで出世しただけとか。
児玉はドイツに留学していた。児玉をよく知るドイツ陸軍の関係者は
日露が開戦した時、児玉がいるから、日本が勝つと言わしめたほどの智略家。
児玉は第4代台湾総督で桂太郎でも統治できなかった当時の台湾を
児玉は安定化させた。
乃木が軍旗を敵に奪われ、自決しようとしていたのを児玉が説得して止めたとか。
乃木は司令官としてはどうもダメみたいね。詩でも書いてりゃよかったのに。
乃木はどうみても武人の顔じゃないし、覇気がない。
もっと苦労人児玉が評価されるべきだと思う。
乃木大将は名将です。これは明らかです。旅順では要塞の死命を決する望台を指向し、
その無数の要塞群のうちわずかな要地だけを攻略しただけでこれを陥落させただけでなく、
露西亜国民の抗戦意識をうち砕き露西亜帝国の終わりの始まり(血の日曜日事件)を招来
しています。また、この戦訓は当時観戦武官であったマッカーサーによって後に硫黄島に
おいて採用され、擂鉢山の攻防に於いて、乃木をバカだとしているどこかの国民に対して、
大いに効果を上げているのです。
日露戦争敗北
−>皇帝と軍の権威失墜
1)ロシア崩壊
2)仏露同盟の権威失墜
−>プロシア、ビスマルク主義の台頭
−>第一次世界大戦
日露戦争は容易ならざる戦争だったんだよ。
>>79 旅順要塞攻略決定が乃木によるものなのか?
>>79 旅順要塞の死命を決したのは二百三高地じゃないというのは
どういうことであろうか?
83 :
日本@名無史さん:03/02/17 07:36
硫黄島の戦闘での、日本軍の損害は、戦死19,900、戦傷1033、計20,933
米軍は、戦死6,822、戦傷21,865、計28,686で攻撃軍の損害が多い点では
他の戦場とは異なる現象で乃木に似ている。だけど、硫黄島の米側指揮官は
太平洋地域司令官のニミッツ。マツカサは、南西太平洋地域司令官。
>>79 >マッカーサーによって後に硫黄島において採用され,
マッカーサーが硫黄島を攻略したなんて初めて聞いた。
768 名前:日本@名無史さん :03/02/17 00:59
>>762 あ〜あ、とうとうローカルルールスレにここが槍玉にあがったねえ
スレ立てはもう少し考えようぜ、id表示になるかもしれないぞ。
絶滅寸前の馬鹿サヨ、最後の砦日本史板が痴情の楽園じゃなくなっちゃうの!!
いいじゃない。どうせ、反日馬鹿サヨなんだから、生きてても死んでても、
関係ないんだから。w
「乃木を語れ」スレと重複っぽいが
>1は過度の乃木マンセーが居ない所で乃木話をしたかったのか?
乃木が何で軍神扱いかって?
彼の行動はあらゆる意味で真似できない。
だから神様扱いされたんだと思う。
余りにも損害を出しすぎたからさ・・。
88 :
日本@名無史さん:03/02/17 22:37
大江志乃夫は乃木は無能しているね。
89 :
日本@名無史さん:03/02/18 02:00
>>5 切手の肖像にはなったこともあったようで・・・戦時中だけど。
90 :
日本@名無史さん:03/02/18 12:44
うちの親戚の家に、賞状がたくさんあった。
みると日露戦争で戦死したことによるものだった。
親戚の住所を考えると、所属していたのは203高地で激戦をした連隊だった。
うちの一族を何人殺せばいいのか。
でもそのせいか、一族の中で第二次大戦での戦死者が皆無だった。
91 :
日本@名無史さん:03/02/18 12:49
積善の家に余慶あり
92 :
日本@名無史さん:03/02/18 22:26
日めくり
どうもこまった。私は乃木大将をバカだと思いませんがマンセーじゃないですよ。
どう転んでも旅順攻略戦も奉天会戦も、兵隊にとっては災難以外の何ものでもありません。
従って指揮下の将兵には上層部を厳しく批判する権利は大いにあります。
明治39年発行の第9師団戦歴にも、「無謀にして」との表現が多数あります。
また、もちろん、私も乾布摩擦や水ごりは、健康によいかも知れないがしたくないです。
問題は、大本営参謀本部という訳のわからん責任のない組織が生まれて、命令外のコント
ロールが行われ、偵察も作戦準備も整わないうちに乃木大将に強襲を指示し続けたところに
あると考えているのですよ。そして損害の責任は乃木や第三軍の指揮官に負いかぶせる。
二〇三高地からの砲撃もよく見ると自沈で、つまり大本営発表の疑いがある。
大阪商人は日本の敗戦の責を乃木に求めた。ある面では正しいのですが、長岡の史料を使
った。そこにこそ問題があるのに。
94 :
日本@名無史さん:03/02/19 08:49
>指揮下の将兵には上層部を厳しく批判する権利
あるかよヴォケ
そんなものが存在する軍隊が何処にあるかと小一時間問い詰めてやる
95 :
日本@名無史さん:03/02/19 10:29
>>乃木というより伊地知(薩摩)がばか!
激しく同意、その通る!
司令官はどっしり構える。参謀長官がアホだと兵隊が可愛そうです。
こいつの薩摩隼人的戦法が駄目なんです。
まあ、児玉のように修正できなかった乃木ちゃんは駄目なんですがね。
>>1
結論、お前のほうがバカ、 理由:なんか、本当にバカそうだから
96 :
日本@名無史さん:03/02/26 22:28
97 :
日本@名無史さん:03/02/27 10:09
梅津美治郎は乃木を大層尊敬していたそうな。
98 :
日本@名無史さん:03/02/27 10:25
>>94 >>指揮下の将兵には上層部を厳しく批判する権利
>あるかよヴォケ
その通り。
批判する前に気に入らない上官を後ろから撃ってから安全なところまで退却して作戦がおわるまで待ってればいいもんな。
実際の話、旅順戦の後期になると兵の士気は下がってしまっており、上官が先頭で突撃しても兵が塹壕から一人も出てこないなんて光景も見られたらしい。
99 :
東郷屁〜八郎:03/02/27 19:07
100 :
世界@名無史さん:03/02/27 19:20
先帝陛下も乃木院長閣下を大変尊敬されていたそうです。
人格者として芸術家としては一流であったことは多くの
人が認めるところであります。かの児玉源太郎閣下も事
漢詩にかんしては乃木閣下には遠く及ばないと自ら語って
います。ただ、人格者で芸術家である人が必ずしも良き指
揮官ではないことも周知の通りです。しかし、軍人として
はメッケル少佐から将来陸軍を背負う男と評され事実日露戦争
にて重要な役割を担った児玉閣下、黒木閣下よりも人間的
に乃木閣下に共感を覚えるのは私だけでしょうか。
101 :
日本@名無史さん:03/02/27 20:35
乃木大将は、本来学者志望で軍人志望じゃなかったのに。
明治維新の時に、従兄弟がドイツに留学に行く話を聞いて、自分も従僕の身分で
いいから、ドイツに留学したいと長州の先輩に頼んだが、「これからは国防が大事
だから、軍人になれ」と言われて軍人になったんだよ。
教育者・文人としての乃木大将は一流の人物だったよ。
先帝陛下が、少年時代に一番影響を受けた人物は、乃木大将と自らおっしゃって
るよ。
今上陛下の家庭教師には乃木大将に匹敵する教育者はいなかったと思うが。
>>100 発狂して敵陣に突撃しようとするキチガイに教育されたから
キチガイ天皇ができちまったんだろ(w
103 :
日本@名無史さん:03/02/28 13:38
明治天皇が少年時代に一番影響されたのは山岡鉄州ではなかったのか。
ちなみにお気に入りの高官は大西郷と西園寺だったと言われているが、果たして乃木の名前は出てきてたっけ?
教育者としても学習院の生徒には非常に嫌われていて大正時代の白樺派や芥川にこっぴどく書かれているね。
人間的にも乃木より黒木の方が明るい性格で戦時中では身分、国籍を問わず誰とでも分け隔てなく接しており俺は好感が持てるな。
104 :
日本@名無史さん:03/02/28 17:22
学習院時代、乃木が南朝賛美するので、足利尊氏の子孫で学習院の生徒だった
足利惇氏は下を向いてじっとしていたという。
105 :
日本@名無史さん:03/02/28 19:06
昭和陸軍なら軍旗奪われたら自決強要されるのは間違いないのだが。
102が言ってるのは昭和天皇じゃないの。
伊地知が攻撃不能塹壕戦でやっていれば,
東郷大山のごとく名将といわれたんだろうな。
107 :
日本@名無史さん:03/03/02 11:42
>106
そんな作戦とったらバルチック艦隊を回航させていたロシアの思う壺。
108 :
日本@名無史さん:03/03/02 11:44
109 :
日本@名無史さん:03/03/02 13:53
>>73 夜遊び云々は、児玉とつるんで歓楽街に出没していた訳だから、児玉も同罪。
乃木が学者の道に進んでいれば、203高地で死なずにすんだ兵士が多くいたこと
も事実。
日露戦争で勝てたのは、米国のロ系ユダヤ人がロシアにいた時のユダヤ人への圧制を
思い、買い手のない日本の国債を一身に引き受けて戦費を調達してくれたお陰、また
頃合いを見て米政府に働きかけて調停(講和)に持ち込んでくれたための勝利、日本人
はただ血を流すだけでよかったのだ。
そうゆう意味で乃木はうってつけ、無謀な突撃を繰り返し多数の兵隊を殺して二百三
高地を奪い取らなければ日本がロシアを打ち破ったという感激は薄かっただろう。
111 :
日本@名無史さん:03/03/03 02:27
>110
血を流すだけでよかったなんて、のんきだね。
陸でも海でも、戦いに勝ったからだろ?それが戦争に勝つ第一条件。
戦費調達や講話斡旋は、その第一条件クリアのあとのテーマ。
112 :
日本@名無史さん:03/03/03 08:03
戦費調達しなければ戦はできんだろ。
113 :
日本@名無史さん:03/03/05 18:43
イギリスは戦費(国債の買取)だけでなく、軍艦まで最優先で建造してやった。
日露戦はイギリスにとっても大きなメリットがあったのだろう。
当時のイギリスにとっての日本は、冷戦時のアメリカにとってのイラクみたいなものだな。
115 :
日本@名無史さん:
乃木自身 自分の能力に疑問を抱いているが、周りがどんどん
出世していくのが我慢ならなかったんだろ