島津維新【義弘】

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275日本@名無史さん
>>267
スレタイの島津義弘関連の話題にようやく戻れそうw
縁起でもない話題だが (((((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

『島津氏正統系図』で知られる義弘の妻は
・北郷忠孝(島津忠親の弟)の娘
・広瀬氏娘(実は園田清左右衛門の娘)後に「宰相殿」の呼称で知られる
の2人だけ

なのだが、政略結婚で相良義陽の妹と結婚していたという説がある。
相良義陽は当初島津氏と対立、後に島津氏に降伏し、島津氏に見殺しにされるような状態で
戦死した肥後南部の戦国大名。義弘の妻となった義陽の妹は将来を悲観して自殺したという
話が伝わっているらすぃ。
、、、というこの話。
『加治木物語』など信憑性の些か薄そうな史料に載っている話なので何処まで信じていいか
という問題は残るが。。。
276日本@名無史さん:04/02/04 09:53
>>267
ん?小説で出てたな、津本陽の「薩南示現流」(文春文庫)。
以下、無許可で抜粋してみる。(まずいかな?)
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・当時の薩摩は人命は薄紙一枚といわれた。
 城中でも手討ち、死罪がおこなわれるのはめずらしくない。

・ある年の夏、鹿児島の城にいる義久のもとへ、弟義弘の使者が来た。
 使者は、いなか侍で、素肌に十徳を着て、袴もはかず褌をあらわしていた。
 用件を言上しているあいだ、その侍はしきりに尻を動かす。
 小姓がみると、褌がゆるみ、尻の穴に蠅がたかっている。
 かゆさに堪えかねているのであろうと見るうち、
 小姓は思わず忍び笑いをもらした。義久はその場で小姓を死罪に処した。

・また殿中で短冊を隠し持っていた侍女が、重臣にそれを見せよといわれ、
 即座にのみこみ、その場を去ることなく腹を裂かれ、
 短冊を読まれたことがあった。内容は恋文にすぎなかった。

・島津義弘は、自分の最初の妻の父相良氏に敵対されるや、
 妻とその侍女十六人を山籠に乗せ、深山に棄てた。
 女たちは籠から出られないままに主従ともにもがき死に、
 その崇りが強いために、殺害の場所に阿弥陀寺を建てたという。
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・・・てな感じ。

「薩南示現流」が漫画雑誌上で漫画化されている関係で
原作を読んだマンガヲタ無知不逞の輩が
>>267を書込んだに違いない。

なまじ学術的な史書よりも、軽薄な歴史剣豪小説の方が
世間の眼に触れてしまうしな。