「崇」字をもつ天皇たち

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396日本@名無史さん
>>379
しかも、応神の子である稚野毛二派(ワカノケノフタマタ)皇子から継体へと
繋がる皇統が、允恭の皇后である忍坂大中姫(オシサカノオホナカツヒメ)の
実家とされていることも興味深い。
要するに系図上、忍坂大中姫は稚野毛二派皇子の娘であり、彼女の兄弟とされる
意富富舒(オホホド)王が継体の父方の曾祖父になっている。

因みに継体の本名はいうまでもなく男大途(ヲホド)デあることから、
「意富富舒」と「男大途」は本来的には「大ホド」と「小ホド」の意味であった
ものが、後に別々の漢字を当てられたものと考えられている。
同じ家系のなかに「大○○」と「小○○」という対になる名前が存在する例は、
他には雄略の「大泊瀬(オホハツセ)」と武烈の「小泊瀬(ヲハツセ)」の
ようなものもある。(武烈の母方の祖父は雄略)