>>400 群書類従本桓武平氏系図か。サンクス。
ただ、吾妻鏡で見る限り、幕府に出仕してるのは
明らかに北条時政娘の子である六郎重保。
重忠の嫡子は重保だったと見る方が良いと思う。
だとすると時政の娘は(前妻か後妻かは問題ではなく)
正室だったということにならないかな。
後妻が前妻を追い出す、或いは前妻没後に正室となる、
というのは、ちょっと後になるけど北条時頼室
(前妻・毛利季光娘。後妻・北条重時娘)
などの例もあることだし。
>401
千葉氏研究で著名な福田豊彦氏いわく、
「この時代の御家人には領地で仕切る正室と、鎌倉での現地妻がいた」そうなのよ。
その話を聞いて、群書類従の系図の表記にピンときたわけ。
重忠が謀殺された付近には、重忠を追ってきた妻女が悲嘆のあまり死んだって伝説もあるんで
伝説を信じるわけではないが、これは重忠と一緒に生活してた足立の娘を意味しているのではないだろうか。
確かに御家人待遇を継がせるのは六郎重保の方だったかもしれないけど
重忠にとっての正室はあくまで足立の娘だったのでわ。
いやいや、学術的論理一貫を思いきり欠いてる推測なことは重々承知してます(嗤
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
ミ・д・ミ ホシュ
で、足利は鬼畜ということでよろしいですか?
407 :
日本@名無史さん:03/05/27 01:27
>>397 足利尊氏に腹違いの兄がいたとは知らなかったよ。
で、その高義という人はいつ頃、何才くらいで、そして何が原因で死んだのかな?
元服は済ませているようだから、どんなに幼くても12、3才にはなっていたんだろうし、
それと、名前に「高」の字が入っているけど、高氏同様に北条高時の諱を貰ったのだとすれば、尊氏ともそんなに年令は違わないことになるね。
以下は妄想だが、兄弟三人で仲良く馬などに乗って遊んでいたところ、末弟の直義がわざと馬を驚かせ、落馬した高義が頭をうって死んでしまった。
「こいつさえいなければ兄者(尊氏)が嫡子になれる!」と思ってやった行為だった‥‥なんていかにもありそうな話では?
当時直義はせいぜい10才くらいか?
まさしく三つ子の魂ナントヤラ、恐るべき子供たち〜足利兄弟の巻(w
なんで嫡男が「高義」なんて名前だったんだろう??
庶子?の「高氏」のほうが嫡男っぽい名前だと思うが。
409 :
日本@名無史さん:03/05/27 05:45
>>407 ワラタ
でもあながち否定できんところがこわいw
>>408 そうでもないっしょ
「義」の字は源氏にとって神聖な字では?
そういや、弟も直「義」‥‥
410 :
日本@名無史さん:03/05/27 07:15
>>409 直義の初名は「高国」。高義の死後改名した可能性濃厚。
高義の存在を記念して「義」の字を受け継いだか、それとも…。
>>407 高義には源琳と陸奥守某の二人の子がいたところを見ると、
少なくとも16〜17才くらいにはなっていた可能性大。
足利義兼もいるが、「義」の字はやはり八幡太郎義家の影響では。
むしろ「氏」を鎌倉公方家が系字にしてるところが面白い
412 :
日本@名無史さん:03/05/27 17:02
>>411 八幡太郎義家を意識して、というのはあったでしょ
かまくら幕府全盛の頃は北条氏を憚ってか、歴代「義」の字を避けて北条執権の諱を有難く頂戴していたのに
将軍になったら初代の尊氏以外は全員「義」が入っているね。
義家以降は、「義」が嫡男の字になったね。
三男坊の頼朝は「義」を使ってもらえなくって、
「頼」を通字にしようとしたみたいだが。
尊氏は、源氏嫡流をアピールするために「義」を復活させたんだろうな。
そういえば、新田義貞は「義」の字だな。新田氏嫡男は代々「義」か?
414 :
日本@名無史さん:03/05/27 21:35
>>410 高義って子供までいたのか。
夭折さえしなければ足利氏の運命もまた変わっていたんだろうが、足利家伝来の置文でも見て、プレッシャーに耐えかねて自殺って線もありかもな。
で、その子供たちはどうなったの?
源琳というのは僧侶だろうけど、陸奥守某ってのは?
415 :
日本@名無史さん:03/05/27 21:58
>>414 源琳については知らん。
陸奥守某は一応武将として尊氏に従軍していたらしく、
尊氏が九州に敗走する際に南朝方に討たれたとある。
(by 群書類従系図部 足利系図)
何でイミ名が伝わっていないかその辺もまた謎。
足利氏では、高義、直冬、清祖、尊満と、四代続けて長男が家督を取り逃がしている。
(清祖はひょっとして千寿王より年下だったらスマソ)
416 :
日本@名無史さん:03/05/27 23:34
尊蛆も神経弱そうだけどね。高師直と直義がいなけりゃどうなっていたか。
417 :
日本@名無史さん:03/05/28 00:16
尊氏が将軍になった時点での将軍の権威なんてたかが知れてたと思う。
だって鎌倉将軍には全然実権が無かったのだから。
御家人たちは彼を将軍として祭り上げても、
その家臣になったとは思っていなかったと思う。
結局源氏の棟梁っていうだけでは看板だけだから、
それに実権を持たせた師直と直義の存在は大きい。
418 :
日本@名無史さん:03/05/28 00:26
>>413 新田氏嫡流を列挙すると、
義重
義兼
義房
政義
政氏
基氏
朝氏(朝兼)
義貞
となっていて、鎌倉中期の政氏〜朝氏の3代は
義の字を使わず、足利氏の通字である「氏」を使っている。
新田義貞が何故義の字を使ったのは謎だけど、
氏を使わずに義を使ったことには意味があるのかもね。
>>410 足利高義は1315年頃には当主として活動していたが、
間もなく没したらしい。
高義の子には、上杉朝定の室となった女性がいたらしい。
419 :
日本@名無史さん:03/05/28 01:11
足利も突然「義」が復活だ罠。まあ分家筋にはチラホラいるが。
義康-義兼-義氏-泰氏-頼氏-家時-貞氏-高義
-高氏
家時の「時」ってやっぱ得宗さんからもらったんだろうなあ。なんか違和感ありまくりだが。
ところで高義の妻って誰の娘?
420 :
日本@名無史さん:03/05/28 01:21
>>415 >陸奥守某は一応武将として尊氏に従軍していたらしく、
尊氏が九州に敗走する際に南朝方に討たれたとある。
何でイミ名が伝わっていないかその辺もまた謎。
なんて可哀相な人だ。仮にも将軍尊氏の甥なのに。
父親が健在だったら足利の当主にもなっていた筈なのに。
もしかして、カナーリ冷遇されていたんだろうか?
本当に陸奥守であれば、そうは思えないけど。
421 :
日本@名無史さん:03/05/28 01:39
陸奥守じゃないよ。
安芸守だよ。
どっちにしても胡散臭いけど。
422 :
日本@名無史さん:03/05/28 01:52
>>414 >足利家伝来の置文でも見て、プレッシャーに耐えかねて自殺
もしかして、今川了俊の創作デンパを真面目に信じているのか?w
足利ヲタがいっぱいいることだけは
よく解った。
424 :
日本@名無史さん:03/05/28 02:10
>>422 足利家に家時が死の際に残した置文があったことは事実。
内容が義家の置文云々かはともかくとして。
足利って、ちょっと精神的に不安定な感じな人が多いから面白い。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
427 :
日本@名無史さん:03/05/28 13:13
山崎くん、勘弁してよ。一番下の方にあったよ。落ちちゃうじゃん。もう!
428 :
日本@名無史さん:03/05/28 17:01
>>418 新田義貞は里見家から入った養子だという説もあるけど、いずれにしても、父、祖父、曾祖父いずれの諱も名乗っていないのは珍しい。
源家中興の英主・八幡太郎義家を意識しての名乗りかもしれんな。
足利高義って若くして死んだわりには3人も子供がいたのね。
だとすると、没年令は16、7よりもう少し上とみるべきではないかな?
まあ‥‥その気になれば不可能ではないけどw。
429 :
日本@名無史さん:03/05/28 22:45
430 :
日本@名無史さん:03/05/28 23:38
徳川は将軍家は「家」でとおしていた。
御三家は当主は将軍の諱をもらっていた。
でも、次男以下、分家は、
尾張では「義」
紀伊・水戸では「頼」
まあ、時代が下がればインフレなんだね。
431 :
石橋尾張守:03/05/29 20:23
>>393 足利っていうのが新羅三郎の息子あたりの代から
はて??
八幡太郎の子息(義国)って言いたかったのかな。
>>409 直義の初名は「高国」。高義の死後改名した可能性濃厚。
私は「高」が高時の偏諱を受けたものなので、
高氏が尊氏に解明したのと同じタイミングだと思ってました。
432 :
日本@名無史さん:03/05/30 01:07
433 :
日本@名無史さん:03/05/30 02:07
木曾義仲 かわいそう
源義経は♀だった
…てことは、静御前は♂でつか?
435 :
日本@名無史さん:03/05/30 18:29
源義興
>>431 直義の初名は「忠義」という説もあります。
改名のタイミングについては同意。
げんぺい
ぺい=平で、この先祖は赤の民族で、祖をペルシアにもつ。
オレー! という掛け声はラテン系の掛け声と同じ。
その後、俺に転化した。
池宮の「平家」で
後白河法皇が「おれ」って言うんだよなあ。激しく違和感。
439 :
日本@名無史さん:03/05/30 22:47
俺、まじで源経基だけど、なんか質問ある?
441 :
日本@名無史さん:03/05/31 10:17
442 :
動画直リン:03/05/31 10:21
443 :
日本@名無史さん:03/05/31 14:04
源氏とは、新羅の源義光だから韓国系です。
444 :
日本@名無史さん:03/06/01 13:19
新羅義光
445 :
日本@名無史さん:03/06/01 13:24
源氏マンセー
446 :
日本@名無史さん:03/06/01 13:25
源氏とは新羅花郎だよ
447 :
日本@名無史さん:03/06/02 15:39
>>440 源満仲はほんとうにあなたの子供なんですか?
448 :
日本@名無史さん:03/06/02 19:12
>>440 あなたの弟の経生という人について教えてください。
>>440は偽者。俺こそがホンモノの経基さま。
>>447 満仲は俺の子。間違いない。
ヤツが生まれる十月十日前、激しい夜だった。
今思い出しても、下半身が熱くほてるな。
>>448 経生か。あのバカについては触れてほしくないな。
あいつと血がつながってると思うと、虫唾が走るわ。
>ツネピー
あなたは新皇サマに((;゚Д゚)ガクガクブルブル
だったと聞いたのですが、本当ですか?
>>450 ば、馬鹿なことを言うな!
あんな、チバラギの無位無官のヒゲもじゃ馬賊野郎に、
この経基様がおびえるわけないだろ。
ああいう手合いは、きちんと潰しておかなきゃいけない。
だから、早い段階で都に戻って報告したわけよ。
「いまだ兵の道に練られず」?
まったく、なめられたもんだよ。
秀郷のクソ親父や貞盛のヒョーロク玉が余計なことしなきゃ、
征夷副将軍として俺様が大活躍するはずだったのによぉ!
452 :
日本@名無史さん:03/06/02 23:28
警固使・太宰権少弐源経基様にお尋ね申す。
豊後国海部郡佐伯院の合戦で捕虜にした賊首って
誰でしたっけ?
>>452 たしか、桑原生行とか言ったな。
うまく生け捕りにしたから、そのまま引きずって、
都をパレードしようと思ったら、
ちょっといびりすぎたみたいだ。死にやがった。
佐伯是基を捕らえたのは俺の軍勢ではない。
あれは日向国衙軍が捕らえたんだったな。
そうそう、「太宰」ではなく「大宰」が正しいからね。
まぁ、昔からみんな混同するから良いのだが、一応。
454 :
日本@名無史さん:03/06/03 07:13
ツネピーキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
>>453源経基様
お見事!流石「我こそ本物」と云うだけあって、引っかけ問題も
クリアーするとは。
449&451的レスも面白いが、453的マジレスも有りとは
今後の活躍、期待しております。
456 :
日本@名無史さん:03/06/03 16:12
>>449 下半身がほてるのは別にいいのですが、「日本歴史大辞典」をはじめ、多くの本では、あなたの生まれた年を
916(延喜16)としているのに、あなたの長男である源満仲さんの生まれた年が
延喜12となっているんですよ。
なんで親子の生まれた年が逆なんですか?
というわけで、実は満仲さんはあなたの実の子供ではなく、あなたの名跡をついだ他の何ものかではないのか、と思って
おたずねしたわけです。
>455
そんなもののどこが「引っかけ」だよ
458 :
日本@名無史さん:03/06/03 23:05
>>456 源満仲を疑うなら、源経基も貞純親王も疑わないといけない。生年のつじつまが合わないのは、満仲だけじゃない。
もしかして・・、全員身分を詐称していたり。
http://kintaro2-2001.hp.infoseek.co.jp/genji3.htm それでは貞純親王とは一体どのような人物だったのでしょうか。いざ彼について調べてみる
と想像以上に資料の絶対量が不足している事に気づかされます。
例えば生誕年について下記のような事が分かりました。
@貞観15年(873)生まれ説(系図纂要)
A仁寿3年(853)生まれ説(尊卑分脈)
B貞観16年(874)生まれ説(将門・純友東西軍記)
C仁和元年(885)生まれ説(日本紀略)
ちなみに没年については延喜16年(916)でほぼ間違いないようです??
これで見ると貞純親王の生まれた年についての記述が一世代くらいのスパンを持っている
ことが分かります。つまり約30年間の誤差を持っているのです。これほど長い期間では例
え「善意の誤解」であったにしても、記述上で全くの別人が入れ替わる可能性が十分に可能
であるように思われて来ます。
459 :
日本@名無史さん:03/06/03 23:50
でもまあ、別人が入れ替わってるにしても兄弟とか従兄弟とか同じような出自の人だろうし。
>>457
ここのスレの方々ならば調べれば、桑原生行の名は出るはず。
文献史学では一字一句を見逃さない観察力・洞察力・注意力が
重要なので古典的ではありますが、大宰を太宰に入れ替えてみました。
大宰府と太宰府なら気づいても十二文字の漢字情報で、取り合えず
重要なのは官職と経基の名前であって認識すれば、次行に目は移ります。
それを「源経基」さんは見逃さず指摘したので私はお見事と思った訳。
俺、まじで平忠正だけど、何かある?
>460
と、自分の誤字を正当化してみましたw
463 :
日本@名無史さん:03/06/04 02:30
経基さん、まだ来ないね。戸籍でも取り寄せているんだろうか?(W
平盛時(平五、民部丞)って通称が時定(平六)に似てるから北条の関係者?
平頼綱と関係ある?
>455
ためしたのか。この俺を。ま、>457の言うように、ひっかけにもならんな。
佐伯の戦いはジェノサイドだったよ。
こっちは手柄を全く立ててないってのに、遠保のハゲが純友の首あげちまったからな。
イライラして、ついやりすぎた。
>456
気さくな男であるところを見せようと、下ネタをかましてみたのだが、
お気に召さなかったか。
>「日本歴史大辞典」をはじめ、多くの本では、
「多くの本」がどんなものか知らないが、それらが典拠とした史料を問題にしてくれ。
まぁ、ベルンハイムでも読んでくれ。
俺はツワモノだから、詳しいことは知らん。
それにしても延喜16年生まれなどと書かれているのか。
天徳5年に45歳で卒去したのだから、延喜17年生まれになるはずなんだがなぁ・・・。
そうそう、満仲は延喜12年生まれじゃないよ。
いくら俺の下半身がたくましいといっても、さすがにそれは無理だ。
>463
すまん。昨日は方違で2ch見られなかった。
466 :
日本@名無史さん:03/06/04 22:17
満仲も千晴も暴力団の親分
久しぶりに覗いたら本物のツネピーが…(´・ω・`)
468 :
日本@名無史さん:03/06/05 00:04
頼朝って本当に血の色緑かっていうくらい冷血な気がする。
命びろいしてもらった平氏を討つなんて。
>468
子供の頃に延命してもらっても
大人になってまた殺されそうになったら、君ならどーするよ。
470 :
日本@名無史さん:03/06/05 00:13
>>469 もしくは、和議を結ぶとか、平家の誰かと結婚するとか
いろいろ方法あったんじゃないですか?
>>471 一介の流人に、天下の平家が
和議だの縁組だのしてくれたらいいねぇ。
>>472 うう、そういわれると。。。でも、頼朝の命を助けてなければ
討たれることもなかったわけだし。平家側としては飼い犬に手を
噛まれる心境だったでしょうね。うーん、、、
474 :
日本@名無史さん:03/06/05 00:48
ってか、助命されたとはいえ親兄弟を殺されて流人に落とされたんだぞ。
恩なんか感じるかよ。
475 :
日本@名無史さん:03/06/05 02:50
吉川英治の「新平家物語」では助命されたことについて清盛に恩義を感じているという
くだりがあります。平家追討の要因は木曾義仲のせいだといいのがれしていますた
頼朝、ちゃんと恩返ししてるじゃん、池禅尼の血筋には(平頼盛など)
だいたい、平家追討は後白河の院宣が無くてはできないこと
それをいうなら、平家と親戚なのにそれを討とうとした後白河こそ冷血漢
‥‥ま、いずれにしてもあまり意味のない非難だな
ツネピの登場で、このままネタスレになるのかとオモタが、安心した。
むしろ、北条が裏切った方が六波羅にとっちゃ誤算だったんじゃないかい?
北条? 誰それ?
by西八条の面々
480 :
日本@名無史さん:03/06/06 02:07
頼朝?誰それ?‥‥ああ、あいつか!!
20年も前のことで、存在していたことさえ忘れてたよ。
by西八条の面々
元々ここはネタスレです。
482 :
日本@名無史さん:03/06/06 17:57
頼朝は、それほど平家そのものは恨んではいなかったと思うぞ。
合戦で敗れたらどうなるかくらい、武門のならいとしてわかりきったこと。
勝っていれば、同じこと(またはそれ以上に残虐なこと)を義朝は平家にやったに違いないし、
頼朝は聡明だからそれをきちんと弁えていたはず。
むしろ許せないのは、家人のくせに裏切った連中だろう。長田荘司とかね。
こちらに対しては恨み骨髄。
>>476 >>親戚なのにそれを討とうとした後白河こそ冷血漢
っていうか、保元の乱で兄と戦ってるし、いまさら何をって感じだな。
484 :
日本@名無史さん:03/06/06 21:01
平盛時って何系の平氏ですか?
485 :
日本@名無史さん:03/06/06 23:04
平家物語読むなら何がいいですか?
やっぱ吉川英治でしょうか?
脚色されてるはあまり読みたくないんですが…
486 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/06 23:20
>>486 レスどうもです。
アマゾンで検索したら
平家物語長門本延慶本新考 和泉選書 (81)
高橋 貞一 (著)
とでましたが、これでいいんですよね?
>487
それは単なる解説書っつーか、、、。
素直に岩波文庫の読んどけば?
>>488 平家物語〈1〉 岩波文庫
梶原 正昭, 山下 宏明
これですね。
アマゾンのレビューもいい感じなので読んでみます。
レスどうもでした。
>489
それを読み終えてから延慶本を読んだ方がきっと面白いよ。
勉誠社から出てるのが一番読みやすいと思う。上下で¥5万だけどねw
>>489の平家物語も12巻あって1冊大体1000円だから
全部そろえると1万超えるよ。
あ、ごめん間違えた。
1冊1000円で12巻あるのは講談社学術文庫だった。
岩波文庫は800円×4冊だね。
494 :
日本@名無史さん:03/06/08 04:16
漏れは角川文庫上下2册で読んだ
しかも古本屋で買ってトータル500円もしなかったと思う(w
ところで講談社のは量もかなり多いけど、これは異本をイパーイ収録してあるからか?
それだったら欲しいけど、現代語訳も載せているからっていう理由なら萎えるな
>494
異本をイパーイ収録してあるのは新人物往来社から出てる参考源平盛衰記だな。
講談社のは巻ごとにただ分冊してあるだけだし
なんであんなに高いのかわからん。
497 :
盛時教えてくれよ:03/06/08 17:23
>497
この時期は、正史がなく、公家の日記もない、史料の空白時代だからね。
まぁ、正史があっても基本的に五位以上にならないと載らないからね。
この清和源氏クラスだと、30代後半にようやく出るって感じじゃないかな。
>484=497
平盛時とだけ言われても、同姓同名がいたりするからなぁ。
とりあえず、
貞盛―維衡―正度―維盛―盛基―盛時 ← こいつのことか?
『尊卑分脈』には仁平元年4月8日に卒去したとあるが。
っていうか、『尊卑分脈』ぐらい自分で引いてくれ。
尊卑分脈ぐらいっていわれてもねぇ・・・。
気楽に図書館行ける学生ならともかく、リーマンにはなかなか難しいだろ。
買ったら高そうだし。売ってるのかどうか知らんが。