871 :
日本@名無史さん:03/01/16 20:17
結局、三・一独立運動に対して日本は軍・警察を総動員して、阿鼻叫喚たる残虐行為によって鎮圧したということでよろしいか?
872 :
日本@名無史さん:03/01/16 20:34
(1990年厚生省発表分)
朝鮮人軍人 軍属
徴兵・徴用 11万6294 12万6047
復 員 11万0116 11万0043
死亡者数 6178 1万6004
全部、日本のせいだ。死亡させられたという表現が適切だったな
>インド人が勝ち取ったの。なんで第1次世界大戦のあとに与えられたのか考えてみよう。
その通りです。イギリスは譲歩的取り引きの道を選びました。
日本は、まだ支配力・技術が足りないという発想の道を選びました。
インドに与えられた自治権は第1次世界大戦への協力に対する反対給付です。
インドでは独立まで頻繁に暴動が起こっています。最初の10年に集中している朝鮮とは大違いです。
イギリスも弾圧しまくりですが何か?「アムリッツァーの虐殺」ローラット法の制定と酷いもんです。ようするに鞭だけでは足りなかったと言うことですね。
>西欧近代国家は、該当民族が自主的に決定したわけです。植民地には、決定権がありません。
どの国の民衆も徴兵制の導入を選択したわけではありません。
権力者が勝手にやったことです。
>日本は徴兵制を速やかに進める目的で参政権をちらつかせたわけです。
朝鮮人による参政権要求運動でも「参政権」と「徴兵」は常にセットでした、「徴兵なくして参政権無し」は常識でした。
>>871 む、異存はないがその経緯を教えてくれ。
876 :
日出づる処の名無し:03/01/16 21:42
_,ヾゝー'"'"'"ー、,; ,.:-‐―‐-.、_
,ラ 、_ ヽ,、 / \
イ r-'ー゙ "ー‐、, ミ/ ヽ
i! ,! i! ミi ,ハ i
,j i /ニ=、 ,r==、i ,,ハ ,ノヽi! ゙'レ>ヾ-、 ,!r'
i V <(・)>i i!(・)>゙!,i !!イ(・)) <.(・)>゙ i /!i
゙!ji! ., j .i_ /j i 。 。, ト-'
,ィi:. ;" ー-‐' ト' .! ,.=、 / ̄ ゙̄ー-、_
__ノ !ハ : 0 ; ,/ _,.-‐''\ ゙='' ,/
/ \\  ̄ ,// ゙ー-‐‐"
/ \.゙ー-イ ,/
♪ 日本が嫌いなのに帰国しないの なんでだろ〜 なんでだろ〜
877 :
日本@名無史さん:03/01/16 21:58
ここの板もID入れたいな。
各地で捏造を論破された在日の温床になっている。
ここは日本史板だっつーの!
878 :
日本@名無史さん:03/01/16 22:12
>>862 >31独立運動について
これは取り方だから結論を出す必要は無いかと。
これを小馬鹿にするような人は歴史を軽んじていると思います。
暴動レベルでは無くて、31独立運動はかなりのレベルの反政府活動だと思います。
ただ、規模から内乱と言うにはちと大袈裟ですね。
そして、住民がついてこなかった。
歴史的に武力統治から文治統治の切り替えのターニングポイントとして
ものすごく重要な歴史だと思います。
しかし、このレベルの騒動は独立国だって経験します。
従って、ここから住民は独立を望んでいたと言うのは
少し難しい気がするのがオイラの意見です。
879 :
日本@名無史さん:03/01/16 22:15
>>864 >ifの独立について
独立に関しては、日本が太平洋戦争を回避する以上に難しく思います。
自分的に、日本が独立出来たのが20%位の率だと思っています。
それが大国に挟まれた小国の朝鮮だと更に率が小さくなると思います。
ただ、自分が思うに、朝鮮に坂本竜馬の様な人材がいたら
かなり歴史が変わっていたのではと思います。
が、かなり独立運動を頑張っても最後には植民地化されると思います。
なにしろ日露中に挟まれているので、
独立のままだったら戦争の火種となるので欧米が独立を認めないでしょう。
「日本が認めても、世界が認めない」となった可能性大です。
まぁ、これはオイラの仮説ですけどね。
880 :
日本@名無史さん:03/01/16 22:32
>>856 感謝です。
まぁ、歴史の当然の流れと感じます。
当然、大韓帝国側が「嫌」と言えば
日本は武力併合か親日政権クーデターを起こしたでしょう。
朝鮮の利益を考えたら李完用以下の決断は正しいと思われます。
李完用が死に際に
「なんで朝鮮人は伊藤公を殺しておきながら、
売国奴である自分を殺さなかったのか
何故日本の支配に満足して抵抗をしないのか」
と嘆いたと聞きます。
遺憾だが、過失大により完全に朝鮮側に同情出来ないといった所です。
881 :
日本@名無史さん:03/01/16 22:43
>>865,854
>朝鮮人が総督になれない問題。
もう十分に意見交換した感じだからいいでしょ。
制度的にはなれたが、なった実績が無い。
また、朝鮮側に大将クラスの人材がいなかったので
実際に任官させる意志があっても任官させる人材がいなかった。
これ位で。
>老人ぶん殴り問題。
まぁ、こんな事があったらしい位でいいでしょ。
本当にしても極々一部の出来事ですから。
「差別があったらしいよ」位の認識で。
>帽子問題。
「帽子を取ったらしいよ」位の認識で。
伊藤博文といえばハーグ密使事件で高宗相手に切れたそうだね。
保護国化がそんなに嫌なら宣戦布告しろって。
宣戦布告するくらいの気概があれば大韓帝国も、また違った道を歩んだかもね。
883 :
日本@名無史さん:03/01/16 22:47
>>837 これだけレスしていれば見逃す事もあるだろうに。
「レス貰ってありがとう」の気持ち位でいきんしゃい。
884 :
日本@名無史さん:03/01/16 22:56
>>882 そりゃー、目かけてあげて、手取り足取り独立の道をいろいろと画策してあげて、
それでも未だに日本の平安時代の政治をしていたから
仕方なく併合しか無いかと思って、朝鮮に良い条件を探していたら
ハーグに何の相談も無く密使を送りこんできたら、
伊藤公のメンツまる潰れで怒るでしょう。
今まで、タカ派を押さえてきたんだから。
実力で日本を排除するのはまだ解りますが、
あれだけ裏切ってきた他の列強に今更「助けて」ですからね。
ここから、オイラ、朝鮮側に独立と言う考えが無かった様に思うんです。
無論、独立のままでいたいと思ってはいたでしょうが、
実勢や行動を伴わない、「私、歌手になりたい」レベルの話だったと思います。
>>884 伊藤博文はこの頃は未だ併合反対派だったと思う。
併合が正式に決定したのは1909年の閣議決定。
まぁ、第三次日韓協約は併合の準備段階ともとれるけど、
これもハーグ密使事件の後だしね。
大韓帝国側が独立を甘く考えていたのは同意。
列強の保証があれば独立が維持できると考えていたんだろうな。
>>883 俺もそう思って普通にレスを返すつもりで書いたんだけど、
もう一度レスをよく読み返したら切れました。
俺が書いた文章はたった4行です。
で、その1行目を引用してレスを返しといて、2〜4行目をまったく読んでない。
もうね馬鹿かとアフォかと、お前は本当に俺のレスを読んでから引用したのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ただ誰かのレス引用したかっただけちゃうんかと。
植民地法令通の俺から言わせてもらえば今、植民地法令通の間での最新流行はやっぱり、
中野文庫、これだね。
と吉牛コピペでしめてみる。
887 :
日本@名無史さん:03/01/17 00:46
>>885 前スレだったかなぁ?
縄文さんのレスでハーグ事件の前に、
伊藤公が誰かに「併合でいーい?」と聞かれて、
「異存無し」って答えたエピソードがあったと聞きました。
んで、オイラもハーグ事件の頃には
「アアン、カッコイイ事ばっか言って独立の行動してねーし、
やる気ねーだろ、おい。併合しかたねーんじゃネーノ?」
と思っていたと思います。
>>886 まぁ、そんなに怒らないで。もともとそういう人だから。
喧嘩したって前に進む訳では無いしね。
随分前から話し合って前にすすんで無い感じだから、
相手の結論と自分の結論を必ずしも合わせる必要は無いと思いますよ。
学校については
「差別があったらしい、制度的差別は確認出来ないが、あったと解釈する人もいる」
位で。
インドとの比較は、血の流れた量が違うので、
ちょっと読めば比較にかなり無理がある事は解りますって。
よって、「インドと朝鮮は一概に比べるものじゃない」って位でいいのでは?
参政権と徴兵制の問題は・・・、ダブルスタンダードだね。
独立国がする徴兵はオッケーで、宗主国がやるのはダメと。
「当時として徴兵されるので参政権があると言うのが標準だった。
朝鮮ではこの権利が与えられた。
が、独立以外は権利の拡大と認めない人もいる」
あんま良くないが、これ位で。
888 :
日本@名無史さん:03/01/17 00:58
>>887 横レスだが、
>「異存無し」って答えたエピソードがあったと聞きました。
それを言ったのは1908年だったと思う。ハーグより二年後の話、
その間に私人としての発言では、独立させるという主旨の話をしている。
ま、伊藤に諦められた要因はこれが一番大きいとは思うけどね、。
889 :
日本@名無史さん:03/01/17 01:01
>>771 学問については取り替えやすい。例えば東学は没落両班製です。
これでは無理だと考えれば取り替えてしまう。
東学について
http://homepage1.nifty.com/tkawase/osigoto/donghak.htm >崔済愚は自分の東学を称揚するために「儒教」そのものを批判しているのではなく、
>儒教的倫理の失墜を嘆いている
>「西洋人は銃器を発達させており、朝鮮の兵隊の敵うものではない。ただ、東学だけ
>がその類いを打ち破ることができる」という認識を持っていた。物理的ではなく
>精神的武装といったのはこのような意味
これでもある意味無理で、李朝を恨むというか、そうなってくる。
この流れから李容九がでてくる。彼も両班だったと思います。
なお、東学の支持者は農民です。
日本の場合については
>>746の下のリンクが少しふれていると思います。
すでに基盤自体は存在したというか、応仁の乱あたりが商品経済の勃興と言ったのも
そのあたりで一休や利休といった人が、ほかにもあげないといけないかも知れませんが、
うまれてきている、ということです。本来ならもう少し以前かも知れない。
韓国で儒教に勝っているかどうかは見方によるかな。でも、秀吉が責めてこないと言った
通信士の子孫は、現在でも、あれは歴史を捏造されたと言っているそうだからなあ。
だからこそ私は、実学は偉いと思いますが。
重層的ではありえない理由として、台湾と比べても商売が下手だったという点もあげる
ことができるでしょう。
私にはむしろ、同民族による、ある意味優れた植民地経営に見えてしまう。
だから日本を利用したのではないかな。
>忙しいので、一部スルーありえり。
>>865 :日本@名無史さん :03/01/16 15:00
>それはその通り。
じゃ、ここだけ同意。よかった。
>どこでも良いから植民地人に本国議会の参政権を得ていた所を教えてくれんか。
自信ないが、インド人はイギリス国籍移動で公民権を手にできたのかな?
>少なくとも総督になれなかった明確な理由があることは認めてくれ。
そこまで、低姿勢で言われると弱いな。
じゃ、大将がいなかった・時間がなかったを君の意見として認める。
ただし、私は、大将がさせなかったという推測。「そうかもな」とは認めてくれ。
>日本式の葬儀で一人浮く格好の奴がいたら、そりゃからかわれる。
>朝鮮式でやったんなら話は別だが。
高宗の葬儀なら、もちろん朝鮮式でしょ。
>866 :日本@名無史さん :03/01/16 15:18
>必ず通わせろとは無いようだが?
ラストにまとめときます。
>>867 >>正確には駐留は認められてません。
>これは間違いです。日韓議定書(第4条)をもう一度読んでみましょう。
いいえ、正当な理解です。秋山氏ですか?
>ここにもあるように、日本側が「第三国の侵害」「内乱」の危険があると判断すれば、
>たとえ大韓帝国の許可・承認がなくとも、「軍略上必要の地点を臨機収用」できるわけです。
1904年には、「第三国の侵害」と「内乱」の危険は存在しませんでした。
日本があったと主張しても、条約文言は「第三国の侵害に依り若くは内乱の為め」ということですから
予防措置は書かれていません、事件が発生してから行動できると言う文言です。
この条約の時点では、まだ保護国でもなかったことを確認してください。
>それは収用の期限に関する点です。
「軍略上必要の地点を臨機収用」とは、「戦争・内乱の臨機に応じて」と言うことで、
収容期限がないからいつまでも駐留しててよいと言うのは、取り違いです。
現実には、1905年の条約威圧のために、新たに京城に部隊を移動させています。
そして、演習を行っています。条約の想定された異常の行動です。
繰り返しますが、保護条約締結以前の時点であることに注目してください。
よって、正確には「駐留権」と言う言葉は、条約のどこにもかかれていません。
>>868 :おまいら中野文庫くらい見とけ :03/01/16 18:22
>私大なら朝鮮人が勝手に作れるんでしょ?
勝手には作れないでしょう。1908年の私立学校令から、総督府の許可が必要だ
と予想されます。申し出があったかなかったかは知りません。ソースを下さい。
>
>>842 >>>ソースは?吉野の件はまだ結論出てないんだが。
ラストにまとめます。中野文庫はよく見ています。
>>869 :日本@名無史さん :03/01/16 19:40
>未熟だからこそ日本資本主義は朝鮮市場を必要としたと思うが?
アメリカ・中国市場に比べ見劣りしたと言えます。購買力が小さいです。
逆に、綿花栽培をさせて、日本に輸出させてた思考回路でしたから。
>朝鮮は関税の関係で外国製品と有利に戦える貴重な市場。ここを朝鮮製品に荒させるなど愚の骨頂
前期には、軽工業部門で圧倒してますね。かきむしっています。
先の引用文は、特に中期以降の北部朝鮮重化学工業化に関連しています。
>「大事なのは内地人労働者に職を与えること、そのためには朝鮮人なんぞ犠牲にしてかまわない。」
>←帝国主義者としての正しい発想。
込み入りますが、帝国主義者の原動力の資本家階層は、資本の論理で動きますから、
厳密には、資本家としての正しい発想は
「内地や半島が失業しようが雇用されようが関係ない、わが社だけ利潤が上がればいい」
だと思います。
この論理で、日本チッソは水俣を選択し、日窒財閥は朝鮮北部を選択しました。
真の資本家は、雇用など気にしません。利潤額と利潤率が行動指針です。(例:ゴーンのニッサン再建)
>>870 :スルーされてかなりむかついている837 :03/01/16 19:56
失礼しました。レスが多いので苦労しています。ちなみに、私は、毎日、
約半分はスルーされています。
公教育の件はラストにまとめます。
>>871 いいです。
>>873 :スルーされてかなりむかついている837 :03/01/16 20:49
>インドに与えられた自治権は第1次世界大戦への協力に対する反対給付です。
>インドでは独立まで頻繁に暴動が起こっています。最初の10年に集中している朝鮮とは大違いです。
>イギリスも弾圧しまくりですが何か?「アムリッツァーの虐殺」ローラット法の制定と酷いもんです。
>ようするに鞭だけでは足りなかったと言うことですね。
そうですね。アメとムチ、親宗主国派階層作りは植民地統治の原則ですね。
日本は独立運動後、総督府組織図を全部変えてますね。ソースアドレスは
どっかいっちゃったが、君なら知ってるでしょう。
>どの国の民衆も徴兵制の導入を選択したわけではありません。
>権力者が勝手にやったことです。
フランスは民衆の間から雰囲気が高まっていたと思いますが。
>朝鮮人による参政権要求運動でも「参政権」と「徴兵」は常にセットでした、
>「徴兵なくして参政権無し」は常識でした。
徴兵制だけ来て、参政権は来ませんでしたね。1945年10月が約束日でしたが、
直接国税15円以上の制限選挙。日本人中間層と上級層、朝鮮人地主層の参政権
になる予定でした。独立志向党の成長を恐れたのかと予測されます。
>>878 >これは取り方だから結論を出す必要は無いかと。
>これを小馬鹿にするような人は歴史を軽んじていると思います。
>暴動レベルでは無くて、31独立運動はかなりのレベルの反政府活動だと思います。
>ただ、規模から内乱と言うにはちと大袈裟ですね。
>そして、住民がついてこなかった。
>歴史的に武力統治から文治統治の切り替えのターニングポイントとして
>ものすごく重要な歴史だと思います。
ほとんど、同意見です。
>しかし、このレベルの騒動は独立国だって経験します。
>従って、ここから住民は独立を望んでいたと言うのは
>少し難しい気がするのがオイラの意見です。
>当日「民族代表者」はソウルの料亭泰和館で「独立宣言文」を朗読し祝杯をあげた後、
>官憲に連絡し逮捕された。しかし民衆はソウル、平壌をはじめ全国で「朝鮮独立万歳」
>を叫びながら示威行進に立ち上がった。3月11日、原敬総理は厳重なる手段を使って
>二度と発生しないように処置せよと命令した。
>堤岩里虐殺をはじめ全国で血生臭い弾圧が強行された。公式集計によっても死者7,500名、
>負傷者1万6千名、検挙者4万6千名を数える。
>武力のみによる統治に限界を感じた日本は、1919年三代目総督長谷川好道を退け、
>歴代総督で唯一海軍出身の斉藤実を送り込んだ。
http://www.jade.dti.ne.jp/~f-chouko/faq/zainitikeisei.html 独立を望んでいたと思います。
>>879 :日本@名無史さん :03/01/16 22:15
>ただ、自分が思うに、朝鮮に坂本竜馬の様な人材がいたら
金玉均では役不足だったでしょうか。あの時日本が、なぜ支持を急に控えたのか?
>「日本が認めても、世界が認めない」となった可能性大です。
>まぁ、これはオイラの仮説ですけどね。
日英米⇔露独仏の緩衝中立地帯列強連合信託統治は、ありえたかな?イフはワカラン。
ただ、植民地化して、外国と国境線で対峙するために、国境線のさらに外側に
軍事防衛ラインを張らなければならず、「帝国の死病」を招いたと、昨年の
講談社版・日本の歴史(明治のあたり)には書かれてましたね。
石橋湛山の小日本主義が良かったんではないのかと思っていますが。
>>880 :日本@名無史さん :03/01/16 22:32
>感謝です。
どういたしまして。
>大韓帝國側が嫌と言えば
>日本は武力併合か親日政権クーデターを起こしたでしょう。
事実ですね。1905年10月の閣議では、韓国政府が之を受け入れなかった場合は、
日本は韓国及び列強に保護権を獲得したと一方的に通告すると決めて、天皇の
裁可を得てます(「日本外交年表竝主要文書1840〜1945」上・外務省編)
つまり、軍事独裁をやる気だったんでしょうかねぇ。
>>881 仲裁委員会の方ですか?お世話かけてスマソ。
>>882 :日本@名無史さん :03/01/16 22:46
>伊藤博文といえばハーグ密使事件で高宗相手に切れたそうだね。
>保護国化がそんなに嫌なら宣戦布告しろって。
1905年の保護条約には国王の批准御璽御印がないんですよね。
それで、韓国・北朝鮮などは無効論を言ってますね。
伊藤は切れて、印を押すか、退位しろとせまりました。
(伊藤も印がないことを気にしてたようですね)
高宗は退位を選びました。だから、今でも、高宗の批准御名御璽がありません。
>>883 :日本@名無史さん :03/01/16 22:47
>これだけレスしていれば見逃す事もあるだろうに。もあるだろうに。
>「レス貰ってありがとう」の気持ち位でいきんしゃい。
いやぁ、助かっちゃうな。ありがとう。
>>890:日本@名無史さん :03/01/17 01:11
>なお、東学の支持者は農民です。
そうですね。
>応仁の乱あたりが商品経済の勃興
鎌倉時代後半が、社会進化による合理精神と非合理精神の拮抗期で、
南北朝室町期は、商品経済が活発化してますね。
プロト資本主義としての商品経済の発達は江戸時代かと思います。
>だからこそ私は、実学は偉いと思いますが。
姜教授も実学の発掘と再評価を発言されてました。
つくづくも、政争がらみになってしまったことを残念がってました。
>重層的ではありえない理由として、台湾と比べても商売が下手だったという点もあげる
>ことができるでしょう。
これは、ちょっとわかりません。ただ、台湾資本が植民地化に朝鮮に比べ発達してますね。
砂糖と稲作の適地が原初的蓄積に関係してるかもしれません。
>私にはむしろ、同民族による、ある意味優れた植民地経営に見えてしまう。
>だから日本を利用したのではないかな。
同民族?日本と朝鮮の事でしょうか?
きっと「ある意味」に色々な意味があるのかと推測します。
ただ、私は、20世紀型&単一民族国家の支配型&同化政策型の植民地支配と
理解しています。日本が軍事政略上利用したのかと思います。
>>852 >極東において英露の勢力はバランスしえません。
>ロシアがシベリア鉄道で大量の陸軍を送り込めるのに対しイギリスは海路しかありません。
>ロシアが何が何でも不凍港をえようとしているのに対してイギリスにはそのような動機がありません。
日露戦争後は、ロシアの極東での脅威は事実上一時期、消滅しました。
ロシア革命に対しての列強の干渉戦争でシベリア鉄道は破壊され、復帰したのは1925年
ごろです。
>だいたい日本と清すら操れなかった朝鮮がどうやって英露を手玉に取るというのでしょうか?
>かの国には軍事力が徹底的に欠けておりました、これでは独立を保持しえるはずがありません。
軍事力は弱いですね。さらに、1907年ごろ日本によって、大韓帝國軍は解散させられてます。
ただし、日本が併合「しても良い」正当な理由にはならないと考えます。
軍事力が弱いなら植民地にされてよいのなら、米国に負けた日本は植民地に
されても納得する事になります。
金玉均の明治維新的改革を日本が大援助する手はずでしたが、突然、止めたのが
残念です。併合は日本の歴史にとって、マイナスだったと考えます。
>>816 >就学率が26年で15%上がれば上出来だと思いますが何か?
>2.5倍なら偉業だと思いますが何か?
>新聞で識字率が上がるというのはどういった理論ですか?字が読めないと新聞も読めないと思いますが。
>またそのような実例はあるのでしょうか?
日本の場合、就学率は、1875年から1900年までの25年間で(学齢発布1872年)、
男子は50%から90%へ、女子は20%から70%へ、男女平均は35%から80%へ
増加しています。
卑近な例で恐縮ですが、私の祖母は、家庭の事情で小学校に数日しか通えず、
実質非就学者ですが、新聞で字を覚えました。晩年には、テレビ欄は使いこなせていました。
記号としての識字力なのか本人の努力なのかわかりませんが。
>>857 :横レス :03/01/16 12:03
>>民族衣装は尊重すべきと思うが。
>当時の社会の常識でしょうか?
>現代なら当然尊重すべきですが。
当時のその老人の感覚なら、殺意をいだいたのではないでしょうか。
1、
> 1912、3、28:在朝鮮日本人子弟のための初等・女子中等教育機関を公立
>(居留民団と学校組合により設置)とし,小学校令・高等女学校令に準拠させる〔勅〕
↓
この法令の「小学校令・高等女学校令」とは日本本土の法令を意味します。
ソースは下記。
↓
2、朝鮮での学校の実態
>朝鮮では、内地人と朝鮮人の学校は別々に存在した。
>『内地人の学校は内地の制度と同じ』で、
>朝鮮人は「朝鮮教育令(明治44年勅令第229号)」に基づく学校が設けられた。
>実業・高等教育については、同一の教育機関が設けられた。
>李朝時代の初等教育機関である「書堂」もそのまま存続した。
>・・・・・・・・内地人用の学校⇔ 朝鮮人用の学校
>初等教育機関→→→ 尋常小学校⇔ 普通学校
>・・・・・・・→→高等小学校 ⇔ 普通学校高等科
>中等教育機関→→(男)中学校 ⇔ 高等普通学校
>中等教育機関→(女)高等女学校⇔ 女子高等普通学校
>教員養成機関→→ 師範学校一部⇔ 師範学校二部
>実業教育機関 →→→→→→実業学校
>高等実業教育機関→→→→専門学校(旧制)
>高等教育機関→→→→→→→大学
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/k-textbook/3-1jiken-chushaku.html ↓
↓
日本本土では、1907年から義務教育が6年になっていますから、
在朝鮮日本人には6年の就学義務が発生します。
朝鮮人には適用されませんので、制度が違うわけです。
現在の海外日本人学校が文部省の管轄で本土と同じ義務教育を行うのと同じです。
↓
3、
よって
>「日本人に対しては600円の補助(注:学校組合を作れば総督府から出る)を
>与えて、どんな山間僻地でも学校を作る便利がある。しかし朝鮮人については
>この特典を与えない。さらに、費用を負担するからと言っても、朝鮮人の子ども
>を、日本人の組合学校に入れてくれない」
>吉野作造「中国・朝鮮論」(東洋文庫)
という事態が発生してしまったわけです。
最初から、こう提示すればよかったのですが、逆からの提示になり、
迷惑かけました。
903 :
日本@名無史さん:03/01/17 11:34
>>896 >>ただ、自分が思うに、朝鮮に坂本竜馬の様な人材がいたら
>金玉均では役不足だったでしょうか。あの時日本が、なぜ支持を急に控えたのか?
どこかの韓国の日本への留学生のホームページを見た所、
韓国の評価でも金玉均には人民がついていかなかった
リャンパンの改革となっていますね。
どうも支持者が少なかった様に感じます。
支持の取りやめは国内世論の併合推進によるものかな?
しってるつもりでやったら面白そう。(もしかしてやってたかな?)
>石橋湛山の小日本主義が良かったんではないのかと思っていますが。
自分は朝鮮権益の確立に絞って、満州権益はリットン調査団の報告を受け入れて
なんとかしのぐのがベストだったかなと感じます。
ここまでは国際世論も日本の主張を受け入れていますから。
ただ、そうしたら日本世論が受け入れず、内戦と言うことも考えられますね。
歴史ってそうなるべくなったから、ifはやっぱり難しいですね。
>>903 そうですか。韓国側の評価では早産(つまり人民との乖離)みたいな感じですね。
石橋湛山は、英米との利益と朝鮮・満州との利益を比較し、
数的分析の上で、植民地を捨てた方が国益にかなうと主張してましたね。
>>900 その老人本人の感覚としては当たり前。そりゃ当然。
人類社会で常識だったかい?と言っただけ。
いろいろ返信なさってますが、どこかずれてますねぇ。
>>892 私は秋山氏ではありません。学生時代に、少しだけこの時代について勉強した者です。
韓国併合条約や、第二次日韓協約の無効を訴える方は幾度となく拝見してきましたが、
日韓議定書以後の日本軍駐留を、ここまで突っこんで取り上げる方にお会いしたことはありませんでした。
なので、半ば手探り状態で議論を進めることになると思いますが、ひとつよろしくお願いします。
>いいえ、正当な理解です。
正当か不当かは、多分に個人の価値観によって判断されるもの。
あなたにとっては「正当」に思えるのでしょうが、
私にとってはとてもじゃありませんが「正当」とは思えません。
以下、その理由をば。
>日本があったと主張しても、条約文言は「第三国の侵害に依り若くは内乱の為め」ということですから
>予防措置は書かれていません、事件が発生してから行動できると言う文言です。
・・・「第三国の侵害に依り若くは内乱の為め」に限定しておられるのはなぜでしょう?
正確には「第三国の侵害に依り若くは内乱の為め大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合」です。
つまり「危険ある場合」という文言が、予防措置を許容しているわけですが、
なぜだか、「大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合」の部分を省いて理解されてるご様子。
これは意図的なものですか?それとも単なるミスですか?
>1904年には、「第三国の侵害」と「内乱」の危険は存在しませんでした。
日露戦争はご存じですよね?
日韓議定書は、日露間に戦端が開かれて後に結ばれたものです。
従って日本軍は、韓国には「第三国による侵害の危険」が存在すると認識し、駐留の口実とした。
これもあなたの中では「正当」でなく「不当」なのでしょうか?
「不当」だとすれば、どこがどのようにおかしいから「不当」なのか、ご説明下さいませ。
ちなみに、私には「正当」のように思えますが。。。
(つづく)
(つづき)
>この条約の時点では、まだ保護国でもなかったことを確認してください。
全く同感です。
保護国時代の韓国と違い、この時期の韓国は、日本と全く対等な立場です。
もし、韓国が日本軍の駐留を認めないとすれば、対抗措置によってその見解を明らかにせねばなりませんし、
それを行わない場合、外交上、韓国は日本軍の駐留を認めていたということになります。
ということを踏まえお伺いしますが、韓国側は日本軍の駐留に対し、どのような対抗措置を講じましたでしょうか?
この条約の時点では、まだ保護国でもなかった(フリーハンドで外交を行えた)ことを確認しつつ、お答え下さい。
>「軍略上必要の地点を臨機収用」とは、「戦争・内乱の臨機に応じて」と言うことで、
>収容期限がないからいつまでも駐留しててよいと言うのは、取り違いです。
韓国側がそう考える事は容易に推測できます。
しかし、もし韓国が日本軍の駐留を「条約の取り違い」であると判断しても
それが「条約の取り違い」であることを日本側に確認、場合によっては抗議しなければ、
韓国側の「判断」は何ら意味を持ちません。
日本側は、同条約の範囲内のものと考え行動しており、韓国側からも抗議が来ない。
この状態は、外交上、日本軍の駐留は韓国側に認められたものとして処理されます。
先ほどもお伺いしましたが、韓国側は日本軍の駐留に対し、どのような対抗措置を講じたのでしょうか?
(つづき)
>現実には、1905年の条約威圧のために、新たに京城に部隊を移動させています。
>そして、演習を行っています。条約の想定された異常の行動です。
部隊の増強は禁じられていましたっけ?禁じられていませんね?
新たな部隊を京城に派遣したとして、それがどうかしたのでしょうか?
日本軍は軍隊であり、軍隊とは日々演習を行う組織です。
同時に、日韓議定書は日本軍の駐留を想定した条約です。
すなわち日韓議定書は、演習を行う日本軍の駐留をも想定したものであり、
「条約の想定された異常の行動」とは、単に韓国が軍隊を知らなかっただけか、
もしくは。様々な可能性を考慮するという能力に乏しかっただけのことです。
>よって、正確には「駐留権」と言う言葉は、条約のどこにもかかれていません。
うーん、仰っていることがよくわかりません。
日本は土地を収用する権利はあったが日本軍を駐留させる権利はなかった、ということですか?
私の中では、日本による収用→日本が自由に使用できる土地を得ること→日本軍の駐留も可能
という流れになっているため、「駐留権」なる言葉が存在しなくとも「駐留権」が認められたと解釈していますが、
これは間違いなのでしょうか?
まずはそこいらをハッキリさせてから、改めてレスしたいと思います。
とまぁ、なるべく端折らないでレスしたらこんなになってしまいますた。
とりあえず今回はこんなところで。
909 :
秋山真之 ◆CRIUZyjmw6 :03/01/17 16:15
>>899 > 金玉均の明治維新的改革を日本が大援助する手はずでしたが、突然、止めたのが
> 残念です。併合は日本の歴史にとって、マイナスだったと考えます。
清国とロシアの存在をお忘れ無きよう。あの時点で支えつづける国力は
ございませんでした。
910 :
日本@名無史さん:03/01/17 17:11
貴なんか大横綱じゃないよ。
横綱になるには有利な部屋にいたし協会のグルでなった横綱。
二子山部屋に上位力士がいたし都合がよかったんだよ。
そして、協会の読みどうり相撲人気を復活!!
壊れるまで協会は使いたいわけよ。
それに踊らせれてる貴信者は哀れだよ。
本当の悪は協会だよ。
貴や力士を責めちゃダメ。
武蔵丸や曙の方がよっぽど立派な横綱だと思うよ。
貴は大関陣と1、2番取ればいいわけだけど
武蔵や曙はより多くの上位陣と闘って横綱になったんだもん。
>日本本土では、1907年から義務教育が6年になっていますから、
在朝鮮日本人には6年の就学義務が発生します。
何故就学義務が発生するの
?選挙権は与えられていないのに就学義務だけはあるの?
学校が内地に準じると言うこととそこに在朝鮮日本人が就学しなくてははならないと言うことは別問題。
>現在の海外日本人学校が文部省の管轄で本土と同じ義務教育を行うのと同じです。
その日本人学校に通う義務はないよ。現地の学校に通っている人もいる。
属地主義だから国外では日本国憲法は通用しません。
吉野の発言はでたらめでしょ?
【朝鮮人の申請却下が1件だけだと仮定しても吉野のでたらめさが理解できないの?
それとも却下の事例がたくさんあるとでも言いたいの?】
>>891 >現地人に現地人を支配させるのは、植民地主義ではよくある分断ワザの一つです。
これをその通りと言っただけだぞ。
朝鮮人がそうだったという事を同意したわけでは無いぞ。
>自信ないが、インド人はイギリス国籍移動で公民権を手にできたのかな?
具体的な事例が出せず、想像で言うしか無いわけだ。
そもそも、そちらが評価しているインド人の自治で、
インド在住の英国人相手に支配権が行使できたのかい?
>じゃ、大将がいなかった・時間がなかったを君の意見として認める。
だから、これは意見じゃなくて事実なの。
大将になれる時間が足りなかったと言う意味を解ってる?
朝鮮人が併合時代に日本の会社で40年働けなかったのはおかしいとは言わんだろ。
>ただし、私は、大将がさせなかったという推測
これは、日本人大将が朝鮮人を総督にさせなかったという事か?
朝鮮人に大将がおらずにどうして総督に任じれるんだよ。
慣例を曲げる正当な理由があるか?
>高宗の葬儀なら、もちろん朝鮮式でしょ。
なら、葬儀に敬意を払わない馬鹿な日本人もいたということだな。
ニヤニヤ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
./.:::::::::;:;:;:;:;:;:;:;:;:
./::::::::/ ヽ ニヤニヤ
ニヤニヤ. |:::::_::::ゝ ⌒ ⌒ | _____________
|::::|ξ| ¬ ¬ /
ヽ ヽ ○‥○ < 口チンポで勘弁してくれ・・・
/ └ 二(O) \
/ \__ニノ \.  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ニヤニヤ
ニヤニヤ
>>902 >日本本土では、1907年から義務教育が6年になっていますから、
>在朝鮮日本人には6年の就学義務が発生します。
確かに、第三次小学校令で義務教育は義務づけられている。
第三十二条
児童満六歳ニ達シタル翌月ヨリ満十四歳ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス
2 学齢児童ノ学齢ニ達シタル月以後ニ於ケル最初ノ学年ノ始ヲ以テ就学ノ始期トシ
尋常小学校ノ教科ヲ修了シタルトキヲ以テ就学ノ終期トス
3 学齢児童保護者ハ就学ノ始期ヨリ其ノ終期ニ至ル迄学齢児童ヲ就学セシムルノ義務ヲ負フ
第三十六条
2 官立若ハ府県立ノ学校ニ於テ尋常小学校ノ教科ヲ授クヘキ部分、高等学校若ハ中学校ノ予科
又ハ盲学校若ハ聾唖学校ノ初等部ハ児童就学ニ関シテハ之ヲ市町村立尋常小学校ト同視ス
しかし、小学校令・高等女学校令に準拠させる=義務教育は早計な気もするが?
あくまで、学校を小学校令に準拠させたのであって、
在朝日本人にこの法令を適用するのは法律的に無理があると思うんだが。
それと、この勅令の真偽もはっきりしていないんだが?
勅令の内容を吟味しないとどうしようもない。
>>894 >インドに与えられた自治権は第1次世界大戦への協力に対する反対給付です。
>インドでは独立まで頻繁に暴動が起こっています。最初の10年に集中している朝鮮とは大違いです。
>イギリスも弾圧しまくりですが何か?「アムリッツァーの虐殺」ローラット法の制定と酷いもんです。
>ようするに鞭だけでは足りなかったと言うことですね。
そうですね。アメとムチ、親宗主国派階層作りは植民地統治の原則ですね。
日本は独立運動後、総督府組織図を全部変えてますね。ソースアドレスは
どっかいっちゃったが、君なら知ってるでしょう。
インドでは自治権を与えてからも大規模暴動が起こっているけど、
朝鮮では試行錯誤の時期が過ぎてからは大規模暴動は起こっていないはず。内地でも維新後10年は暴動が絶えず、明治10年には西南戦争が起こっています。だから、体制を根本から変える場合ある程度の暴動は仕方ないかと。
>どの国の民衆も徴兵制の導入を選択したわけではありません。
>権力者が勝手にやったことです。
>フランスは民衆の間から雰囲気が高まっていたと思いますが。
民衆が徴兵制を選択したと言えるのは国民投票で承認された場合だけだと思います。現代日本でも国会議員たちが勝手に制定してもそれは民衆による選択とはみなせません。
民衆の選択と言うには最低でもその議案が選挙の争点となっていることが必要だと思います。
実際にどうだったかはよくわかりませんが徴兵制を布いたのは恐怖政治で有名なジャコバン党です。多分勝手にやったんじゃないかと、、
徴兵に応じない者には参政権どころか行動の自由すら与えていません。
916 :
日本@名無史さん:03/01/17 18:42
>>892,906-908
おお、これは興味深い。
ここまで突っ込んでの話はついていけませんが、
なかなか意義のある話なので、双方ともガンガッテくださいです。
>>909 まぁ、ifの話で更に「もし、英雄がいたら・・・」の話ですから。
917 :
ROM聖人:03/01/17 18:52
>>915さん
大変申し訳ないが、いつも非常に読みにくい。
改行をもそっと頻繁にしていただけないでしょうか
いつもの方じゃなかったらスミマセン
>朝鮮人による参政権要求運動でも「参政権」と「徴兵」は常にセットでした、
>「徴兵なくして参政権無し」は常識でした。
>徴兵制だけ来て、参政権は来ませんでしたね。1945年10月が約束日でしたが、
直接国税15円以上の制限選挙。日本人中間層と上級層、朝鮮人地主層の参政権
になる予定でした。独立志向党の成長を恐れたのかと予測されます。
参政権が結局与えられなかったのは戦争に負けたと言うだけの話です。
制限選挙になっているのは民度が低いと判断されたからでしょう。
衆愚政治と民主政治を分けるのは国民の教育程度です。
だから、まず成功者である多額納税者に選挙権を与えると言うことには一定の意味があります。
日本は普通選挙を行った結果、国民は軍部を支持し大政翼賛会に行き着きました。
国民に十分な教育も施さずに普通選挙を行った結果衆愚政治や独裁政治に陥った例はWW2後のアジアアフリカ諸国に腐るほどあります。
919 :
日本@名無史さん:03/01/17 20:27
>>861 >>イギリスのインド統治の初期と後期は違う印象を受けます。
あの頃は欧米の植民地政策が行き詰まりつつありましたから、
それでも印度を手放さなかったのは、莫大な利益があったから。
印度は莫大な人頭税が入り、数少ない黒字の植民地でした。
日本もイギリスから、形だけでも議会作っておけと言われていたそうですしね。
>日本は日清戦争10年準備みたいな体制でしたから、軍事費が多くかかったと理解しています。
最悪の場合、それだけの予算を掛けた日本が攻めてくるかもしれないんです。
どう考えても足りません。
>三・一独立運動については、参加数・死傷者数は、諸説紛糾ですね。、
諸説ありますが、基本的に死者などは総督府の資料であっているでしょう。
事態把握しなければならないのですからね。
少なくとも運動家の数字は私は信用しないことにしています。
>堤岩里の教会での
なんらかの事実としてはあったようですが、原因と結果が諸説あります。
>>867 ×→1904年には、「第三国の侵害」と「内乱」の危険は存在しませんでした。
○→1905年8月にはポーツマス条約が締結され、1905年11月には、「第三国
の侵害」と「内乱」の危険は存在しませんでした。
わかっていたことと思いますが、単純な年数ミスしました。
鬱だ。逝きます。
今は忙しいのでこれでスマソ。明日はレスできるか、どうか、???