戦国期における合戦の政治的・経済的背景

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1日本@名無史さん
第一次国府台合戦においては、
古河公方と小弓公方との政治的背景
箱根神社や鶴岡八幡宮の所領の保護を背景に、房総進出を図る北条に対して
日蓮宗を保護し、日蓮宗の勢力が強い国府台台地への進出を図った里見
また、下総国府があり、下総と武蔵を結ぶ位置にあり、経済的・交通的要所であった国府台

こんな風に経済的・政治的観点から合戦のおこった要因を考えてみませう
2日本@名無史さん:02/12/13 15:09
イェイ
ペリーがAゲットデース

ねぇ >>1開国してください

以下略
3日本@名無史さん:02/12/13 15:12
参ゲット
4日本@名無史さん:02/12/13 15:14
真面目に考証すれば、非常に面白いと思うが
洩れにはそれだけの知識がない。
5日本@名無史さん:02/12/13 21:08
非常に面白いし、いいと思うけど、
2ちゃんでは出来ないと思う。
ただの電波が集うスレになってしまうのでは?

史料による裏付けが出来ないから、単なる仮説で終わってしまう。
だから歴史学として検討するのも非常に難しい。
6日本@名無史さん:02/12/13 23:27
かなりの名スレだと思われる。
が、(以下同文)
7日本@名無史さん:02/12/13 23:42
>>1さん

ところで存在論的にその合戦の主体としてはどこに視点を合わせるべきだと思う?
「誰」が進出を図ったと見なすべきか?
1さんは『里見』『北条』って書いてるけど、それは
大名個人?家?旗下の軍団?領民全員?

例えば、川中島合戦は武田晴信と長尾影虎の戦いではなくて、
甲斐と越後の領民同士の戦いと見るべきだと言ってた学者がいたけど。
8日本@名無史さん:02/12/14 00:27
名スレ祈念age。
9日本@名無史さん:02/12/14 12:59
>>7
「誰が」と問われれば、各勢力(寺社関係も含め)の思惑もあるので
特定はし難いと思われます
最初の挙げた第一次国府台合戦で言えば、
足利義明は兄高基との不和から、千葉氏との抗争を有利に図ろうとする武田信基の招きに応じて
生実城に入って小弓公方と称して鎌倉への復帰を目指し、上総への勢力拡大を狙う里見氏とも手を結んだんですが
それが武田氏との亀裂を招き、結果、信基の子の信隆を里見と協力して追いやり
信隆は北条氏綱を頼って、武蔵へ逃れました

対して古河公方の足利晴氏は小弓公方を認める訳にはいかない
それを保護していた北条氏綱は上総への勢力拡大の狙いもあり
武田信隆は旧領への復帰と言う風に、合わせる視点としては
家でも大名個人でも構わないと思います
もちろん、あまり一般的には言われない寺社勢力でも構いません

各勢力からの視点で語れば、見えない所も見えてくると思いますので
10日本@名無史さん:02/12/18 01:49
保守
11日本@名無史さん:02/12/22 07:56
ほっしゅほっしゅ
12日本@名無史さん:02/12/29 22:47
sage
13日本@名無史さん:03/01/01 10:51
公共事業の一環とみるのは?
14山崎渉:03/01/11 17:04
(^^)
15日本@名無史さん:03/01/12 13:52
土地を媒体にした主従関係を続ける限り、戦国大名は戦争で領土を獲得し続けなければならない。
はやいとこ家臣団をサラリーマン化すればよかったのだ。家臣たち自体が独立の小領主であった
ことの弊害は戦国大名を苦しめ続けた。
16日本@名無史さん:03/01/12 13:56
>>15
それが簡単にできたら大名も苦労しないって
外敵がいる状態で大名が自分の戦力の基本である配下領主の権限を取り上げたら
いくら命があっても足らんぞ。
謀反起こされるか、敵に寝返られるかするのがおちだ
17日本@名無史さん:03/01/12 14:19
>15
政情が安定した江戸時代になっても家臣に土地を支給する地方知行制は根強く残り、俸禄制を実行しよう
とする殿様の側近官僚と抗争するくらいですから、戦国時代に俸禄制を実施するのは至難の技だったはず。
18日本@名無史さん:03/01/12 14:47
>>17
俸禄制をとるには、領内の生産高を把握しなければなりませんぞ。
戦国当時は荘園制のなごりで、名主、領主、地頭などの名目で農民の生産物を
搾取する連中が残っており、大名が自分の領国内の収入がいくらなのか正確に
知ることは難しかったのでは。
19日本@名無史さん:03/01/12 14:56
信長は尾張にいた頃サラリー制に近いことをやっていた、
っていうのは司馬の妄想でせうかね。
司馬の妄想が正鵠を得ているとしても
後に信長が明らかな領主制を布いていることをみれば、
サラリー制にすることのむずかしさがよくわかる。
20日本@名無史さん:03/01/16 04:07
>土地を媒体にした主従関係を続ける限り、
>戦国大名は戦争で領土を獲得し続けなければならない。

これはウソだろ。
21山崎渉:03/01/16 08:41
(^^)
22日本@名無史さん:03/01/17 01:21
age
23日本@名無史さん:03/02/03 21:31
世界史における日本の戦国時代
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1042900786/
24日本@名無史さん:03/02/04 05:38
1、信長が天下統一の一歩手前まで行けたのは、いち早く堺を押さえ
  上納金を出させ、その金を軍資金とし、兵を雇い、いつでも戦が出
  来たため。

2、武田が滅んだのは、勝頼が戦をやりすぎ、その軍資金を増税で賄
  ったため、重い税に耐えられなくなった民が勝頼を見限ったため。

3、秀吉が唐入りをしたのは、家臣に与える土地が無くなったため。
  秀吉は家臣に領土を与え過ぎ、また家臣も、そのまた家臣に領土
  を与え過ぎた。石田三成は自身の半分の禄で島左近を家臣とした。

こんな感じか。
25日本@名無史さん:03/02/04 15:30
>>24
けっこう聞く話だけど、こんなに簡単なものではないと思う。
26金魚:03/02/04 18:26
 近代なら、学者の研究成果を指針に、民衆のイデオロギーとい
うエネルギーでもって、ある理想を追求した「革命」「変革」が
可能である。
 しかし、戦国時代にそんな事は不可能だろう。戦国大名も当時
の民衆も、近代のインテリとは、ほど遠い。当時の「変革」とは
、先進地の社会変化を追認しつつ、後進地の変化を加速するもの
だったと思う。そして、先進地の社会変化も、学者の研究成果を
指針としたものではなく、社会の経済発展と、人々の勝ち残るた
めの必然的な行動から生じたものであろう。
 戦国時代の「軍団」とは、国人・地侍といった小領主の私兵の
連合体である。小領主とは、農地の経営者であり、私兵とは経営
者一族や隷属的な農民である。当然、彼らは、農繁期を含んだ長
期の出兵を嫌う。
 しかし、短期出兵だけでは勝ち残れない。生産力に余裕のある
豊かな領地と、強い権力を持った戦国大名ほど、度重なる長期出
兵に耐えうるだろう。その典型が、織田信長だったのだろう。
 長期出兵を強いられ続けた農村は、慢性労働力不足状態になる
。労働力不足は、当然、労働力=隷属的農民の地位向上を促す。
隷属的農民の中に、自作農化する者も増えてくる。
また、長期出兵から帰ってきた兵には耕す田畑は無い。プロ兵士
化していくしかない。
 つまり、勝ち残るための必然として長期出兵があり、長期出兵
の必然的結果として、兵農分離が促進していく。織田家のように
、中央の豊かな地域を領国化した戦国大名は、兵農分離が急進行
中であったと思う。そして、織田家に飲み込まれた地域は、結果
的に兵農分離が加速する。
 豊臣秀吉による検地・刀狩り等の兵農分離策も、これらの先進
地の社会変化を追認しつつ、後進地域の変化を強制的に急加速さ
せていくものだったと思う。
27金魚:03/02/04 18:27
 司馬遼太郎先生は「関ヶ原の戦は選挙のようなもの」と述べている。両軍の多数派工作の結果が関ヶ原に現れたのである。
 しかし、関ヶ原だけではなく、土地の取り合いを主とした封建戦争そのものが、選挙の如く、多数派工作が中心なのである。現代の選挙よりも、イデオロギーが絡まないので、敵・味方の関係が流動的である。戦闘はその結果の再確認にすぎない。
 ただ、選挙と違う点がある。それは、支持者の数だけではなく、支持の熱烈の度合いも問われる点である。
 もし、今、選挙をすれば、自民党支持者は、公明党支持者よりも、ずっと多い。しかし、両者が、もし戦えば、少数の公明党支持者が自民党支持者に勝つ可能性がある。支持者の熱烈度に大きな開きがあるからである。
 桶狭間・厳島等々、封建戦争に、少数が多数を倒す例があるが、それは、戦術的成功だけではなく、支持者の熱烈度の違いもあったと思う。
 さらに、封建戦争は、イデオロギーよりも個々の物欲と出世欲で戦われるために、本気で命をかける者は少ない。弓矢や初期鉄砲で離れて撃ち合う。危険な白兵戦は少ない。
 しかし、たまたま、本気度の高い指揮官がいたら目立つ。その典型は項羽や呂布。日本でも上杉謙信が比較的このタイプに近い。しかし、このような危ない者には普通の人間はついていけない。彼らの晩年の悲劇の遠因であろう。
28日本@名無史さん:03/02/05 02:04
>>26 >>27 
何が言いたいのか・・・

>>25
たしかに、よく聞く話かもしれないけど、現代と照らし合わせて考えると
結構面白いよ。
現代で言うと、信長は孫正義かな、いち早く堺(インターネット)を押さえ
そこから上がる金で次々事業を展開し、今やヤフーBBが200万人、BB
フォンが160万人にもなり、NTT(室町幕府)のADSL213万6000を超えよ
うとしている。

武田はダイエーかな、一時は天下を取る勢いがあったが、今は、見る影
も無い。その原因は、戦(多角経営)をやりすぎ本領(本業)を軽視した結果
とも言える。戦(多角経営)をやりすぎると本領(本業)に金をかけなくなる。
すると、本領(本業)の経営が悪くなる。そうなると、軍資金(経営資金)が無
くなり戦(多角経営)が出来なくなる。武田は最終的に甲斐一国しか残らず
またそれすら無くなった。今、ダイエーは多くの子会社を処分している(ダイ
エーホークスは残して欲しい)が最終的には本業しか残らない可能性は高い。

29日本@名無史さん
>>28
秋山も戦死(引退)したしな。

と、どーしょーもないことをいってみるテスト