1 :
日本@名無史さん:
キリスト教の無い日本史においては古代と中世の線引きは
何を基準にするのが正しいのでしょうか?
2 :
日本@名無史さん:02/12/09 18:19
しらん
2げと
3 :
日本@名無史さん:02/12/09 21:28
たしか土地を媒介にした主従関係(いわゆる封建制度)の有無だろ?
鎌倉殿と御家人との御恩と奉公ってやつだ
4 :
日本@名無史さん:02/12/09 21:53
江戸時代の学者が公家政権時代を「上世」
武家政権時代を「中世」、徳川時代を「近世」
としたのがはじまり。
西洋史の古代・中世・近代とはもともとは無関係だった。
「上世」はまた太古・上古・中古・近古にわけられていた。
>>3>>4 では、中世の始まりは平家政権からになるのでしょうか?それとも鎌倉幕府からになるのでしょうか?
6 :
日本@名無史さん:02/12/09 22:27
早い人は荘園制が成立した王朝国家(摂関政治期)。遅い人は江戸幕府の成立。
主流、保元・平治の乱の頃
7 :
日本@名無史さん:02/12/09 22:37
>>4 違うよ古代、中世、近代の分類は西洋史のもろパクリ
だから日本史には厳格には適用できず、矛盾がでてくる
8 :
山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/09 22:59
普通は中世といえば荘園制の成立から太閤検地まででは。しかしこんな本を
読めば分かるような質問でスレを立てるとは高校生であるにせよ酷い。
9 :
日本@名無史さん:02/12/09 23:04
>>8 荘園制の成立・・・って懇田永年私財法からだろ?
もろ古代じゃん
>>8 どうして荘園制の成立から太閤検地までを中世とするのか教えてください。
それと
>>8に対する反論ですけど、本によって古代と中世の線引きが違い、
読めば読むほど分からなくなったのでスレを立てたわけです。
12 :
日本@名無史さん:02/12/10 08:52
荘園経済ってのは中世的な特徴ですにゃん
これは8のいうとおり
13 :
日本@名無史さん:02/12/10 09:05
シナでは荘園経済のまっただ中で律令制や均田制が導入された.
これらは本来,中世的な現象です.
ところが日本では,経済の発達段階とは無関係に同時代のシナから制度を
輸入したために,古代と中世とがねじれることになった.
シナでは三国時代あたりから中世なので隋唐の社会は中世の後半ぐらいだろう.
班田収受だの律令だのを古代の特徴と考えてはいけない.
14 :
日本@名無史さん:02/12/10 09:49
大化改新から中世とすれば西洋史とも中国史ともそこそこ整合するんじゃいの?
ただ
>>4のような江戸時代からの慣用にひっぱられて
「武家政権→封建社会→中世だろ?」との思い込みで混乱してるんだろう。
15 :
山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/10 21:23
>11
確かに研究者・派閥によって定義は異なりますね。中世を信長入京までとす
る意見(織田政権を中世的とみるか近世的と見るかについても意見が分かれ
る)もあれば、応仁の乱までとして戦国時代を中世と近世の間におく意見も
あります。言い換えれば正解は無いということですが、おおよそ12世紀〜
16世紀までと考えておけば間違いは無いでしょう。
10の疑問については「日本中世史入門」と題された本を何冊か読めば分か
るものとお答えしておきます。
16 :
nanasi:03/01/04 14:09
age
17 :
日本@名無史さん:03/01/04 14:18
租税の納めるのが、租庸調の時代が古代、年貢の時代が中世、税金の時代が近代と教えられた。
18 :
日本@名無史さん:03/01/04 14:23
後背位古代
正常位中世
税を都におさめるのが古代、
税を地元の当局におさめるのが中世。
私有荘園が早くおこった地域では中世が他の地域より早く来たことになる。
これがわりあい妥当なのでは。
22 :
日本@名無史さん:03/01/05 01:56
つってもな、歴史を扱ううえで、
ごく便宜的に、ざっくりと色分けができるというだけの話なわけで、
厳密にやろうとすること自体がナンセンス。
1467年と聞いてその頃の支配体制や権力構造が即座にわかる人には時代区分はあまり用立たない。
「1192作ろう」と「天下を1600」の間だから、、、
だいたいあんな感じの世相か、
とまあこういう風に使うべきシロモノだから。本来。
23 :
日本@名無史さん:03/01/05 02:04
関係ないが、「代」と「世」はどう違うの?
ついでに時代の呼び方も再編しよう。
上古〜律令制定 神話時代
律令制定〜743年 律令時代
743年〜平氏勃興 荘園時代
平氏勃興〜1192年 平氏時代
1192年〜1467年 前期武家統治(前源時代)
1467年〜織田勃興 分治時代(戦国)
織田勃興〜1600年 織豊時代
1600年〜1868年 後期武家統治(後源時代)
1868年〜1945年 前期官僚時代(帝国時代)
1945年〜 後期官僚時代(民主時代)
25 :
Head Zeppelin:03/01/06 00:57
日本史上、中世の起点は院政の開始なんだとかで。
まあ、庄園制度と大きく関係するんだろうけど、
院政が確立された時には世の中は古代と大きく変わっていて、
その最終的なしめくくりとして院政が完成したと考えるべきなんでしょう。
まあ、時代ってのは点で区切れるようなもんじゃないから、
あくまで目安として知っておけば十分なんじゃない?
ただ、日本史の中世は、
ローマ帝国(西)の滅亡からコンスタンティノープル陥落までを中世としている
ヨーロッパの一般的な通史区分よりはよっぽど科学的で、まともな意見だと思いますが。
26 :
日本@名無史さん:03/01/06 00:58
中世史専門の学者と古代史専門の学者の話が食い違うあたりが
それではないかと。
27 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:05
区分はそのままでよいが翻訳語が気にいらないので、
近代以前の古代、中世、近世を、
王朝時代、封建時代、後期封建時代として、
大和時代以前を前王朝時代とするのがよいかと。
(^^)
(^^)
31 :
日本@名無史さん:03/01/17 23:16
???
32 :
日本@名無史さん:03/01/18 00:51
しかし、日本史の中世という概念を、シナや西欧と同じにしようとすること自体に無理があると思われ。
まったく異なる歴史をたどってきたわけだから、同じ尺度で見ようとするのは、無理がある。
> 743年〜平氏勃興 荘園時代
この期間の前半は、まだ荘園はマイナーな存在じゃないかい?
荘園公領制あたりからじゃない?
33 :
日本@名無史さん:03/01/18 02:25
院政から鎌倉は、まだまだ過渡期。中世の進行は、ずいぶんと緩慢に進んだ。
34 :
Head Zeppelin:03/01/18 21:17
おれも33氏の意見に賛成だが、用語にとらわれず、実態をつかむことが肝要だと思う。
おれなりの考え(これは歴史学を考慮してではなく、まったくの独断)だが、
この世に中央と地方があるならば、地方の独立性がどんだけ強くなるかが基準じゃないだろうか?
おれたち日本人が「封建時代」と呼ぶ、上限不確定・下限幕末の政治形態は、
今考えると、ずいぶん地方の裁量権が大きかった。
全国一律の法律も無かったし、非常に自治権が強かった。
逆に言うと、それなりに合理的な社会でもあったわけだ。
呉智英はそういうこと知ってて封建主義者を自称してるのかな?
古代国家の実像がハッキリとつかめていない以上、
古代と中世の境界は不分明にならざるを得まい。
中国古代の殷なんか、ホントに呪術政治やっとったわけで。
そもそも歴史とは革命か世界大戦でもない限り線では切れない。
ただある程度推測で言えるのは、
古代に比べて中世は地方ごとの独立性が高まった時期なんじゃないかってこと。
そしてまたポイントなのは、中世は古代に比べて格段に発達した社会だったこと。
そして、中世は意外なほどダイナミズムを具有した時代だったことだろう。
35 :
日本@名無史さん:03/01/18 21:40
一般的には古代に比べて中世は地方の独立性が高まったと思うようだけど、
日本の古代が何も中央集権ではないよ。恐らく律令制のことをイメージしているの
だろうけど、律令制の前は地方だらけだったんじゃないかな。
もともと地方分権的社会だったのが、一時律令制によって中央集権的に
なったけど、直ぐ又地方主体になって行ったと思うよ。
36 :
日本@名無史さん:03/01/18 22:23
>>32 朝廷が土地公有制の国家原理を決定的に捨てた、
そこを起点におく、という判断です。
ヤカンの水が湯になったときをとらえるのは難しいですが、点火した時点ならばとらえやすい。
まあそれ以前にも部分的解放はありましたが、後世の社会に与えた影響の多寡でAD743をとりました。
現代人にはピンと来ない部分ですが、古代王朝の強烈な原理的正義が「農耕」であったことは注目に値します。
土地公有制とはむしろ非農耕部族の農化政策とみるのが妥当でしょう。
そのフロンティアが飽和して国家原理が消滅するのが6世紀頃かと思われます。
37 :
日本@名無史さん:03/01/18 22:39
701年に大宝律令がやっと出来て、早くも743年に崩壊。
要するに輸入物の律令制はうまく行かなかったということですよね。
土地公有制の原理というのも、ほんの一時のことだった。
38 :
日本@名無史さん:03/01/18 22:40
「一時の律令制」の前後で社会にそんなに違いはあるのか?
40 :
日本@名無史さん:03/01/18 23:01
まあAD701には律と令が整備されて、輸入物の律令体制が確立するわけですが、
土地公有制度そのものはその前からあったとみていいのではないでしょうか。
というのも、少なくとも大和朝廷がさす「農業」とは、
(当時としては)かなり高度な土木技術と、
莫大なインフラ整備費用と労力を要するものなので。
農業インフラ整備はまさに国家的事業であったと考えます。
そう考えればむしろ公有こそ自然な成り行きというものでしょうね。
41 :
日本@名無史さん:03/01/18 23:06
>>39 ですね。
〜律令まで、というのは私の誤りです。
朝廷成立までをくくって「前王朝時代」とするのが最も妥当かも知れません。
42 :
日本@名無史さん:03/01/18 23:09
国内の統一は、国外の力を意識したときに生じますね。日本は2度と思います。
大唐帝国の力に対する律令制の時と、黒船・列強の力に対する明治維新。
その他は統一なし。
地球も他惑星人の脅威があれば統一するでしょう。
元の襲来を見落としている。
あのときはむしろ四分五裂した。
44 :
日本@名無史さん:03/01/18 23:40
教科書的には
・古代:平安時代まで
・中世:鎌倉時代〜安土桃山時代
・近世=江戸時代
・近代:明治〜WW2終戦
ってかんじだな。
>22
1467は有名だろう?「人の世空し」だろ。最近は言わないのか?
ちなみに俺が小学校で習ったのは
・645 虫五匹
・710 納豆食ったら
・794 なくよウグイス
・894 はくしに戻そう
・1192 (略)
・1333 いちみさんざん
・1467 (略)
・1600 (略)
・1868 イヤロッパ
かなぁ。
45 :
日本@名無史さん:03/01/18 23:56
有名かどうかより、
年号を聞いただけでその年起こった事件を即座に察し、
その時々の社会システム及び権力体制、事件が起こった背景まで分かる、
つまり日本史板にいるような人になるかと思うんだが、
そういう人には時代区分をする必要性がそもそもない。という話。
だいたいにしてそういう人ってのは、
たとえば近世をとってみても前期と後期では
その社会の様相が著しく違うことまで知っているわけで、
所謂教科書的な時代区分なんて不要なわけでしょ
46 :
日本@名無史さん:03/01/19 00:04
時代区分の議論は、時代の社会的特徴を述べ合うもので、必要ではないけど、
それなりに興味深い議論の方法と思うよ。
47 :
日本@名無史さん:03/01/19 02:11
>36
>朝廷が土地公有制の国家原理を決定的に捨てた、
これは、ちょっと・・・
普通、土地制度で言う場合、律令制度の終末期から王朝国家体制を経て、荘園公領制に移行するって感じだと思うけど。
「朝廷が土地公有制の国家原理を決定的に捨てた」ってのはねぇ。
大体、10世紀末あたりから王朝国家体制と呼ばれるんだけど、この時期、メイ
ンは公領のほうだからね。荘園はあくまでも付属みたいなもの。寺社に対して
財政源の付与みたいなのが多かったと思ったけど。
新任国司到着後に国内の公領と荘園の調査を行うけど、その場合、新開地の申
し出があると公領に組み込まれるのが原則だからね。だから、摂関家にしても
荘園からの収入はかなり少ないよ。
土地公有制を捨てたわけじゃないし、荘園が多かったわけでもない。単に、土
地私有を朝廷が認めたということを過大評価しすぎ。
律令制と王朝国家体制の違いは、
・戸籍・計帳などを作って人民を直接支配することをやめた
・国内を名という単位で管理し、それぞれ負名に経営を任せ、国司は負名から税を取り立てた
とかかな。まあ、ほかにもいろいろあるけど、とにかく、院政期に荘園公領制
に移行するまでは、荘園は例外的な土地所有形態で少数派だと。
48 :
日本@名無史さん:03/01/19 14:25
ひとつの名の規模、面積、人口はどのくらいだったのでしょうか?
地方によって様々でしょうか?
律令以前の自立した豪族が地域(1つの水系)を支配しているという状況と、
その豪族を郡司に任じて支配を任すというのでは(荘園公領制)、
地域社会の側では何も変わっていないような気がします。
49 :
日本@名無史さん:03/01/20 02:19
> この世に中央と地方があるならば、地方の独立性がどんだけ強くなるかが基準じゃないだろうか?
> おれたち日本人が「封建時代」と呼ぶ、上限不確定・下限幕末の政治形態は、
> 今考えると、ずいぶん地方の裁量権が大きかった。
> 全国一律の法律も無かったし、非常に自治権が強かった。
中世には一般に含めない時期、たとえば、「国司が受領化」した時代、国司
の実態は徴税請負人になり、徴税以外は在地のことに関心をもたなくなった。
表面上は中央集権のように見えて、実態は徴税以外は地方は放置、結果、在地
は在地の人間の裁量が幅を利かせた。こう見ると、中世以前もそれほど中央集
権というわけではないのかもしれない。
50 :
日本@名無史さん:03/01/20 05:19
>>36 墾田永年私財法は日本の律令制(熟田主義)に欠けていた
墾田規定を示したもので、律令制の反対物ではない。
律令制下の荘園と中世の荘園は、内部形態も国制上の位置も
全く違う別物。
>>48 >その豪族を郡司に任じて支配を任すというのでは(荘園公領制)
事実認識として誤り。
51 :
日本@名無史さん:03/01/20 06:26
おまえらバカだな。
教科書の最後の方に年表が載ってるだろ?
そこに書いてあるじゃないか!!
日本語も読めないクソチョンはここに書き込むな。
分かったら下がってよし。
53 :
日本@名無史さん:03/01/21 02:03
>50 受領国司のもとでは郡司、郡衙はどのような機能を果たしていたのでしょうか?
54 :
日本@名無史さん:03/01/22 01:28
郡司と名の関係はどうなんだろう?
55 :
日本@名無史さん:03/01/22 01:31
> 律令制下の荘園と中世の荘園は、内部形態も国制上の位置も
> 全く違う別物。
> >その豪族を郡司に任じて支配を任すというのでは(荘園公領制)
> 事実認識として誤り。
せっかくだから、解説してみてちょ。
平安期にかけて郡司層は衰退したと考えてよいのかな?田堵、開発領主への連続性はないと
57 :
日本@名無史さん:03/01/22 02:17
院政のころになると、郡司層を構成する人たちの出自が律令時代とはがらりと
かわると聞いたことがあるな。
58 :
日本@名無史さん:03/01/24 01:58
以前は国造系の古くからの豪族。
平安中期くらいから、国司の連れてきた郎等や在庁官人系が多くなった。
59 :
日本@名無史さん:03/01/24 02:47
荘園整理令によって新立荘園を停止したが、それが逆に荘園を固定化し、
公式な土地所有制度として認めることにもなった。
延久の荘園整理令。
60 :
日本@名無史さん:03/01/24 02:51
荘園というのは要するに田んぼのことですな。
田もあれば、牧もあれば、森・林、野・原その他様々、もちろん人間も。
国司の連れてきた郎等が郡司ってのはないと思うが‥‥
62 :
日本@名無史さん:03/01/24 07:05
要するに自給自足経済ですね 荘園内だけでたいていの物資はそろってしまう
そもそも郡司はいつごろまで任命されていたんでしょうか?
受領国司以降にも郡衙では仕事が行われていたんでしょうか?
64 :
日本@名無史さん:03/01/25 01:24
当初、郡司は国衙の行政を補佐する立場のもので納税義務は負名にあったが、
長久の荘園整理令のころから、郡郷再編が行われ、地域単位で徴税が行われる
ようになった。それに伴い、郡司は郡内の徴税、警察、裁判などの権限が国衙
から任されるようになった。徴税が滞れば、郡司は解任されることになる。
また、荘園公領制の到来により、荘園と公領は公的に対立する土地所有形態と
なり、その境界をめぐって武力紛争がしばしば起こった。郡司は公領側の立場
であるから、当然、受領は武力紛争に耐えうる人物を郡司層に採用する。それ
が、国内の武士であり、このことにより武士の在地領主化を促進した。
65 :
日本@名無史さん:03/01/25 01:34
> 国司の連れてきた郎等が郡司ってのはないと思うが‥‥
藤原経清、平永衡など、受領がつれてきて土着化した武士が郡郷司に
なった例はあります。
66 :
日本@名無史さん:03/01/27 02:14
郡司は国司が任命するものなんですか?
67 :
日本@名無史さん:03/01/27 02:42
>郡司は公領側の立場
一概に言えないよ。郡司で荘官なんてざらにいるからね
>土着化した武士が郡郷司に なった例はあります。
郡郷司ね。納得。
69 :
Head Zeppelin:03/01/27 21:59
勝手に持論を述べさせていただきましたが、
日本のばあい、中世と近世の区分も明確ではないよね。
豊臣秀吉の覇権以降、日本の社会が大きく変わったのも事実だけど、
世に言う絶対王政なんかにならなかったし、諸侯も基本的には独立国でしょ。
何とも言い難いが、中世は古代よりずっと発達した社会だったことは間違いない。
徳川の時代も、時代を下るにつれて幕府が次第に中央政府の機能を果たすようになったから、
徳川初期と後期ではずいぶん異なった視点が必要となる気もする。
どの時代もそうだけど、一概にここを境に社会が大きく変わったとは言えないよね。
社会は全体にゆっくりゆっくり変化していくものだから。
たとえば中世寺社なんか、平安時代から次第にああなって、南北朝以後衰退してくわけでしょ。
鎌倉時代は多分に古代的要素を残しつつも、中世であった時代になる。
日本史学会で院政の成立を中世開始の基準としているのも、説得力あると思う。
でも、鎌倉幕府の成立って非常に大きい意義があるよね。
ただ、日本史のばあい、地域性も大きく作用してると思う。
畿内、関東、東北でそれぞれ異なった年代区分をするぐらいで丁度いいんじゃ?
しかし、自給自足経済なんてのはかなり早い段階で終わったんじゃないかな?
中世でも庄園内で自給自足してた人は少なかったでしょう。
商品経済が非常に発達する時代でもあったわけで、中世は。
時代を下るほど商品経済が発達したと考えるべきで。
70 :
日本@名無史さん:03/01/27 23:13
> 畿内、関東、東北でそれぞれ異なった年代区分をするぐらいで丁度いいんじゃ?
そうだね。時代の進み方も違うし、様相も違う。日本としてひと括りするのは
無理があるね。
西国ってあまり話題にのぼらないよなぁ、史料が少ないのかな。
でも、平安の前期、中期でも自給自足経済なんてあったのかな?
物の流通はあっても不思議じゃないが、史料がないから、なんとも言えんけ
どね。
公家は旧貴族で武士は新貴族、もしくは武士が新武士で貴族は旧武士(の末裔)
という認識でよろしいですか?
72 :
Head Zeppelin:03/01/27 23:24
西国のばあい、資料が少ない(少なくとも東北より少ないってことはない)ってより、
あまりに関西中心に語られすぎてきて、そのせいで他地方が看過されてるんじゃ?
四国なんか、意外なくらいに歴史書で扱われてないでしょう(郷土史は除く)。
東国のばあい、西国との差異が非常にハッキリしてるから歴史家も無視できないんでしょう。
北海道+琉球は最初っから除外するとしても、日本史は最低でも東西に分けないと、
ちゃんと研究できない気がしますね。
自給自足なんて経済形態はかなり早い段階で衰退に向かったと思いますが、
年代を下れば下るほど商品化される財が増えていったのも事実でしょうね。
だから、「完全な自給自足」経済は平安時代でも有り得なかったんじゃ?
どの辺まで自給自足と考えるかで異なってくると思います。
資料が残らないぐらい近い地域でも、商品流通があれば、自給自足とは言えないでしょう。
東国ではものすごく広大な庄園もあったから、ホントの意味での自給自足はなかったのでは?
73 :
Head Zeppelin:03/01/27 23:31
日本史の特殊性として考えていいかも知れないのは、
旧貴族層が後世まで名家として残ったことかも。
世界中どこの国でも王家(中国なら皇室)より旧い貴族はいたわけだけど、
彼らは実力が皆無だったわけではないだろうから、
日本みたいに実力を失った旧貴族が保護されて近代に至ったのは珍例では?
日本の武士は、中国でいう「郷紳」、朝鮮でいう「両班」に似てると思う。
地主で地方の支配者なんだが、同時にインテリ層でもある。
江戸時代の武士は貴族ってより郷紳に近いと思う。
まあ、武士ってのも、ヨーロッパ人に言わせれば「田舎貴族」なんでしょうけど。
74 :
日本@名無史さん:03/01/27 23:59
弥生時代や縄文あたりでも遺跡から遠方の品物が出てくるってことな
かったっけ。ということは、物の流通はかなり古い時期から存在した
わけで、それにたとえば海産物などの食料が混じっている可能性もあ
るわけで、こう考えると、実は自給自足なんてのは、日本の歴史上、
ほとんど存在しなかったのかもしれん。
まあ、でも、72の言うように、自給自足をどう定義するかにもよるんだが。
> 日本みたいに実力を失った旧貴族が保護されて近代に至ったのは珍例では?
確かに、奇跡とも言えそうだが。
日本の場合、武家政権が形式上は、天皇の臣下という形をとったおかげ
で、かろうじて旧貴族層も生き残ったわけで。これは、日本の歴史の特
殊性ですね。というか、天皇の存在そのものが日本の歴史を諸外国の歴
史と大きく分ける特殊性なわけで。
旧貴族層が生き残ったのも珍例なら、それ以上に、「にほん」という国
の成り立ちに深くかかわった王家が、現在も君臨しているのはもっと、
珍例なわけで。だからといっては何ですが、私個人としては、天皇とい
うのは日本にとって重要無形文化財みたいな感じもしないのではないの
ですが。
75 :
PURE-GOLD:03/01/28 00:01
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76 :
Head Zeppelin:03/01/28 23:14
まあ、江戸時代までみたいに「大義名分」が外交問題になった時代じゃないから、
日本に最高権力者たる将軍と最高権威たる天皇が併存してたのも
歴史的事実として認識するべきでしょうね。
いかに世界的に特殊であっても、日本ではそれが現実だったわけで。
そういう例外って、いくらあってもいいと思うんですけどね。
ネパールでは「摂政家」ってのが事実上国王だったそうですし。
江戸時代の日本・朝鮮外交では将軍を「大君(たいくん)」としたそうですが。
足利義満(+以後の足利将軍)が「日本国王」と称したのだって、
外国からすればそっちのほうが納得しやすかったからでしょう。
思うのは、意外と昔の権力者って、旧い名家や権威を無視できないんでしょうね。
日本史上(鎌倉時代以降)、根絶に近い族滅を食らった名家って北条氏ぐらいでしょう。
足利一門も、ほとんどが残ったわけで。
自給自足ってのも、追求しだすとキリがない。
人間が消費する産品をどれだけ自給できるかなんて、不毛な議論て気も……。
たとえば「塩」とかって、内陸部の人(岩塩ない地域)は生産難しいでしょ。
ただ、昔の人ほど必要物資を自前でまかなっていたのも事実でしょう。
たとえば衣服とかって、昔の人は自分で作ってたわけだし(男もね)。
だから、どの時期を以て自給自足経済の終了とするか議論が必要でしょうね。
「古代」とか「中世」とかいうのは歴史的背景から生まれた概念であり、
それらの言葉にむりやり歴史を当てはめるのは本末転倒している気がする。
日本史には当てはまらない概念。
78 :
日本@名無史さん:03/01/29 01:09
公領は中世、古代は国衙領。
何いってんだよ、同じだよ。平安後期以降の国衙支配下の土地だよ。
荘園と対比されるものだから中世用語だよ。
古代に国衙は所領持ってないだろう。乗田は政府が所有者だし。
国衙領ってのは、11世紀に入って郡郷制の変質に伴って出てきた
院・郷・保・別名などの新しい行政単位や変質した郡によって形成されたんだよ。
郡司・院司・郷司・保司・名主が置かれて、租税の徴収などにあたったのさ。
荘園の増加により、次第に国内での比重は低下するけど、
国衙支配の基盤として中世を通じ存続したんだよ。古代じゃないよ。
>71
旧貴族をさらに前後に分けて、大和政権以前の地方豪族と律令貴族としてよいでしょうか
81 :
日本@名無史さん:03/01/30 21:41
そうだな。古代というと「律令」と思っている香具師が多いようだが、
オレなんて、古代というと律令以前を思ってしまうぜ。
律令なんて、唐の真似して、中央集権国家を作ってみただけで、
その後、直ぐに元の木阿弥で、荘園とか国衙領とか、しまいに大名だの出てきて、
バラバラになって行っただけに感じられるよ。
古代の各地の豪族みたいなもんよ。分かれて百余国ってなもんよ。
この国は、基本的に地方分権的でバラバラで平和な国と思うよ。
82 :
日本@名無史さん:03/01/30 22:03
1へ
カビ具合
83 :
日本@名無史さん:03/01/31 01:28
そういう唐も、中央集権なのは都市だけだったりする。
84 :
日本@名無史さん:03/01/31 22:25
古代 = 文書史料が乏しくて、素人が仮説を立て易く一応格好がつく時代。
中世 = 文書史料がかなりあって、素人が仮説を述べる余地が少ない時代。
まあ、こんな感じだぜ。日本史版見てると分かるだろ。
85 :
日本@名無史さん:03/01/31 23:45
其の分類だと、平安時代は古代に入るのか、中世に入るのか?
そこそこ史料は残ってて、もっともらしい仮説を立てるには、結構勉強が必要
な時代だが、かといって中世とするのも前期、中期は???だが。
86 :
Head Zeppelin:03/02/01 00:17
いやあ、平安時代とか鎌倉時代って呼称も、かなり問題あるでしょ?
僕はきわめて便宜的な区分だと考えてますけど、
あれって昔の歴史学者が「政権の中心地」で命名したもんでしょ。
僕なんか、今でも「室町時代」って呼称を嫌って使いません。
ただ、鎌倉幕府の成立を以て中世開始って、学問的には通用しないでしょうねえ。
平氏政権の成立だって、中世開始ってほど前後を区分できるものとは。
嫌みな言い方ですが、
鎌倉幕府の成立によって年代区分できる地方って東北だけじゃないですかね?
僕は院政が開始された段階で社会はすっかり中世社会になっていたと思います。
でも、古代的要素が多分に残ったんですよね、日本では。
寺院に関して見れば、平安と鎌倉の間より、足利時代中期のほうが区分にふさわしいと思う。
延暦寺は戦国時代まで余勢を有していましたが、
興福寺を見ると、足利義教の時代あたりが境界を為す気がします。
お公家さんは南北朝時代が境界線でしょう。
多角的な視点が必要だと思います。
日本で、明確な年代区分をやりやすい土地って、北海道と沖縄だけって気がします。
87 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:20
>>85 貴殿の認識によれば、平安時代は明らかに中世とうことになるね。
>かといって中世とするのも前期、中期は???だが。
の部分は何か別の分類法を持ち出してきてそれと合わないと思っているだけで、
>>84の分類法とは無関係だよね。
88 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:26
現代の我々が、どうしても古代と中世に分けたければ、
>>84が一番もっともらしい分け方だね。
(あえて分ける意味があるとは思わないが)。
だって、古代なんて時代はないよ。我々が詳しく知らないだけで、色んな文化や事件や
政治形態が延々とあったことだろうよ。
89 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:33
> あれって昔の歴史学者が「政権の中心地」で命名したもんでしょ。
その通りやね。
時代の様相なんか無視して、政権の中心で便宜的に命名した感は強いね。
平安末期と鎌倉初期は連続してるもんな。明確に切れないよ。
90 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:35
>僕は院政が開始された段階で社会はすっかり中世社会になっていたと思います。
別にあんたが思わなくてもそれが定説だよ。
今後更に早くなる可能性はあるが。
>鎌倉幕府の成立によって年代区分できる地方って東北だけじゃないですかね?
東北だって奥州藤原氏のころはもうとっくに中世だよ。
幕府の成立によって社会構造に変化なし。
91 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:37
>88
しかし、中世史関連の書籍なんかでは、こういう分類で中世を定義する
のは見たことないが。
92 :
Head Zeppelin:03/02/01 00:45
人類の歴史をすっごく巨視的に見ちゃうと、
原始人だった頃があって、文明化された今があった。
古代は、「人間が原始人やめてから」ずーっとなんですよね。
だから、古代ってすっごく長い、ある意味めちゃくちゃな年代になっちゃうと思う。
年代区分てのは、あくまで便宜と考えるのが一番妥当であると思います。
僕が86で難癖つけた日本の通俗的年代区分だって妥当な点もあるわけだし。
鎌倉幕府、足利幕府、徳川幕府の時代で、制度だけじゃなく、
それなりに社会が大きく変化している。
各幕府が倒れたのだって、必然性皆無なわけではない。
この辺はヨーロッパの王朝交代とは決定的に異なるわけで(あれは単なる交代)。
でも、各幕府の性質や存在意義だって、簡単に区別できるわけじゃない。
普通、足利幕府は中世で徳川は近世とされますが、
足利の幕府は鎌倉に比べて格段に「中央政府」としての機能は充実してる。
鎌倉時代なんて、ホントに「二つの政府があった」わけで。
鎌倉幕府自体が、頼朝の頃と得宗専制期で大きく変化した。
乱暴な言い方ですが、もう古代中世近世近代なんて区分はやめていいような気がします。
世界中どこの歴史にも適用できるわけではないし。
たとえば沖縄の歴史は尚巴志の統一(1429)によって古代が終わるそうですが、
それにしては年代が遅すぎるのではないかと。
で、薩摩の征服までが中世で、薩摩統治時代が近世と。
これは少々無理がありすぎるのでは……
僕は沖縄の歴史に、そういう区分を設ける自体が間違ってると思います。
北海道にも、中世がありません。
年代区切ることは大切だし、あってもいいと思いますけど、
マルクス主義的な区分はもうやめたほうが宜しいかと。
93 :
Head Zeppelin:03/02/01 00:53
>90
25で最初に書いた時、院政の成立した頃にはもう中世だったろう、
と書いておきましたが。と言うより、仰せのとおり定説ですね。
遡行することこそあれ、下ってくることは有り得ないでしょう。
まあ、あれなんでしょね、何か大きな制度の変化って、
時代の変化の最終的な完成として表れるもんなんでしょうね。
そういう点では、院政ほどの変化って、後代にも見つかりませんね。
東北が奥州藤原氏の時代に中世に突入していたかは検討が必要でしょう。
ただ、1189年の征服が東北にとって大きな意義を持ったことは事実。
だから、鎌倉幕府によって最大の変化を蒙ったのは東北だろう、と。
京都方面は、公家の政権が続きましたからね。それに対する当てつけです。
東北は歴史が詳しくわからないから、年代区分が一番難しいかも。
鎌倉幕府滅亡が一画期なのは間違いないが、いつから戦国時代なのか?
中世の定義しだいでなんとでもいえるわけだが
ここでの議論では「中世」の定義はどうなってるの?
95 :
日本@名無史さん:03/02/01 01:00
平安時代、鎌倉時代とかいう時代区分で歴史教育すると、誤解を生むも
とかもな。平安時代なんて400年もあって、中身はずいぶんと変わって
いる。一方、平安時代末期と鎌倉初期は連続している。
96 :
日本@名無史さん:03/02/01 01:02
> ここでの議論では「中世」の定義はどうなってるの?
各人さまざまみたいですよ。
97 :
日本@名無史さん:03/02/01 01:31
>それなりに社会が大きく変化している。
いつもそれなりに変化してるけどさ。
古生代・中生代・新生代の分かれ目と
第3紀と第4紀、ジュラ紀と白亜紀の分かれ目とでは質が違うわけ。
鎌倉と室町の間にも変化はあったろうけど
古代と中世、中世と近世の変化とは違うわけ。
時代区分は歴史認識の基礎なの。避けて通れないの。
>院政開始
1086年に白河上皇が院政をおこなったのと、その前年では何か画するものがあるんですか?
86年も85年も地方は公領と荘園に分かれていたことに変わりないと思うんですけど
99 :
日本@名無史さん:03/02/01 04:00
白河帝が譲位してすぐに院政が始まったかというと、そうでもない。
白河院が、本格的に院政ができたのは、天皇が幼少のとき。
なかなかはっきりと時代は区分できないもの。
院政開始で中世と言っているのはどういう意味ですか?
101 :
日本@名無史さん:03/02/01 23:59
>>100 よく分からんが、古代=律令制 と思っている奴等にとって、律令制の崩壊=中世 なんだろ。
オレに言わせりゃ、律令なんて一時の出来事で、古代と呼ばれている時代は、人類発生以来の
恐ろしく長い時代を指す訳の分からない言葉でしかないけどね。
102 :
日本@名無史さん:03/02/02 00:08
律令制は確かにショボイが、それにしても明治まで形式的にせよ続いたというのも
大したもんですなあ。
103 :
日本@名無史さん:03/02/02 00:08
>86年も85年も地方は公領と荘園に分かれていたことに変わりないと思うんですけど
荘園「制」が始まるのは鳥羽院政以降。
>古代と呼ばれている時代は、人類発生以来の恐ろしく長い時代を
原始時代と古代の区別ぐらいはつけてね。
104 :
日本@名無史さん:03/02/02 00:14
>>102 某大先生によると最近まであった大蔵省は
現代が律令制である証らしいよ(p
105 :
日本@名無史さん:03/02/02 00:20
今でも、偉い人が死ぬと、位階が贈られているみたいだね。
従五位とかいうやつ。すごい世界だ。
106 :
日本@名無史さん:03/02/02 00:40
律令時代にも同じ名前の役所があったからですか?>某大先生
>103 古代の始まりもこれっていう画期があんのかな?
108 :
日本@名無史さん:03/02/02 00:56
>>105 司馬遼も確か正三位か従三位をもらってたよ。
109 :
日本@名無史さん:03/02/02 01:14
第二次世界大戦後、原始時代や原始社会の語に置き換えられたが、それは深刻な思索によったのではなかった。
日本の歴史を正しく体系づけるためには、「原始的」といった非歴史学的な概念を排除する必要がある。
110 :
日本@名無史さん:03/02/02 01:16
>>107 普通は国家の成立。
ただ何を以て国家とするかで、またもめるんだけどね(w
有力農民にとって公領にいるのと荘園の荘官になるのとで、そんなに負担が違ったんだろうか?
112 :
日本@名無史さん:03/02/02 03:10
開発領主によって開発されたところの農民て、国衙と開発領主の双方に税を納
めるんだったっけ?
113 :
日本@名無史さん:03/02/02 09:43
>>94,97
それにしても何だな。
時代区分という本当は存在しないものについて、
あーだこうだと議論するのは結論が出なくて楽しいね。
114 :
日本@名無史さん:03/02/02 09:47
>>108 じゃあ、司馬遼は、大納言ってところかい?
>従三位をもらってたよ 誰がくれるんだよ!
>112 開発した現地人が開発領主で、国司か領家に納税するんでしょ
116 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:00
全部で13条の勅令(今は政令)の「位階令」というのがあるよ。
(大正十五年十月二十一日勅令第三百二十五号)
最終改正:昭和二二年五月三日政令第四号
第一条はこんな感じ。
第一条 位ハ左ノ十六階トス
正一位
従一位
正二位
従二位
正三位
従三位
正四位
従四位
正五位
従五位
正六位
従六位
正七位
従七位
正八位
従八位
117 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:04
第一条第2項
一位ハ親授二位以下四位以上ハ勅授五位以下ハ奏授トス
と書いてあるから、従三位であれば勅授ということになるな。
118 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:28
司馬遼太郎(福田定一)氏は、死後すぐに三位を追贈されています。
むろん天皇の名で与えられています。
延喜の荘園整理令の902年に最後の班田収受おこなわれる
120 :
日本@名無史さん:03/02/06 23:42
>>109,
>>110 原始時代も古代も、よく分からない時代を観念的に整理して、分かったような気になっているだけのことよ。
無意味。
現在から見て、分からないというだけで、恐ろしく長い時間の中で、
本当は色々なことがあったことだろうよ。いくつもの文明が生まれては滅びたのかもしれない。
分からないことは、純粋に分からないとするべきで、観念的な時代区分は止めようね。
121 :
日本@名無史さん:03/02/07 00:30
まあなんだな。進化論的歴史観というイデオロギーでよ。
社会や文明は進歩しつづけているという信仰が基本になってるってことだな。
122 :
日本@名無史さん:03/02/07 00:39
123 :
日本@名無史さん:03/02/07 02:47
仮に不可逆的な変動を進歩と呼ぶなら歴史はたしかに進歩しつづけている。
たとえばおなじ日本人式の「王政」であっても、
一度王政をすでに経験し、武家による日本式封建制を経たそれと、
古代におけるそれとでは、まったく意趣を異にするといえよう。
3歩さがって4歩進むことはあるにしろ、
大概として歴史は不可逆的に進行しており、
進歩している、と言える。
124 :
日本@名無史さん:03/02/08 21:57
>>123 文献の残る歴史時代については、何となくそういう感じがしなくもないが、
現代人が原始時代とか古代と呼ぶ時代においてもそうだろうか?
歴史時代にしても、
進化論以降の人々は、単なる不可逆的時間の流れに、発展・向上・進歩という観念を持ち込んで、
それ以前の歴史を語るようになったように思うね。
それ以前の人々はそんな感じではなかったみたいだよね。
「聖人の上古」とか、「昔は良かった」とか、時間の流れに、崩壊・堕落・混乱を
を感じていたんじゃなかろうかね。
125 :
日本@名無史さん:03/02/08 23:30
言語では、時代とともに簡略化・省略化の傾向が見られる。
堕落・崩壊かな。
126 :
日本@名無史さん:03/02/11 23:34
まあ、何をもって「進歩している」とするかという答えの出そうにない大難問が
あるわけだが。
それを無視して、お気楽に歴史は進歩していると言うのはいかがなものかと。
歴史観にも通ずる話だが、要するにひとそれぞれで、決まった答えがないんですな。
古代においても,アンシャン・レジームに固執していた連中は没落するしかなかった.
彼らがいにしえをしのび「昔はよかった」というのは,現実逃避的な頽廃そのものだろう.
日本でいえば大化の改新が中世のはじまりだろう。
古代というのは基本的に都市国家の時代で、古代の帝国というのも都市の連結したもの。
それが異民族の侵入によって瓦解して先住民と異民族の融合(または民族交代)がおこり
古代帝国の法制度と異民族の部族制度が合体して封建的な社会が生まれたのが中世。
ロ−マ、漢、ササン朝などが古代で、フランク王国、イスラム帝国、唐などが中世。
日本でも縄文、弥生時代は一種の都市国家の時代。古墳時代が古代帝国に相当。
ヨーロッパでいえば、イベリア半島がイスラムの手に落ち、地中海の制海権を失い
陸の孤島となったために、古代ゲルマン人の文化を基層にギリシア哲学、ローマ法学、
キリスト教という本来水と油のような4要素が狭い中に閉じ込められ混合されて
中世ローロッパが生まれた。それ以前のローマ帝国=地中海文明は消滅。
日本は百済の滅亡によって半島の足場を失い、列島に逼塞する道を選び、国内で
古代以来の倭人の文化を基層に、儒教、律令制、仏教という4要素から独自の中世文化と
中世社会を成長させた。それ以前の倭国(=海を越えて半島に干渉した小帝国)は消滅。
ちなみに倭から半島を奪った唐は、古代中国(西晋)を滅ぼした五胡のひとつ鮮卑の
建てた国で、百済滅亡は中国に侵入した異民族の膨張過程のひとつとみることができる。
(^^)
130 :
日本@名無史さん:03/02/18 19:12
>>124 >>123をよく読んでくれ。
「仮に不可逆的な変動を進歩と呼ぶなら」
という仮定の上での話だ。
世の中がよくなった・悪くなったの話ではない。
よく知られているように、「技術」はときに完全にロストされてしまうことがある。
現在、古薩摩と同じ陶器を焼くこともできなければ、
織豊期に古代と同じ大仏の頭を鋳ることもできなかった。
造形物に限らずともよい。
今の日本において完全にロストされている技術といえば、
戦国期には国内を舞台にそれなりに発達していたと言える、外交技術だろう。
またこれもよく知られているように、経済力も衰退ないし退廃する。
ギリシアやローマが好例だ。
しかしながら、それでも歴史は不可逆にすすみ、それを敢えて上の仮定で言うなら「進歩している」。
9.11以前と以後では、もしよく似た事件がもう一度起こったとしても、
歴史はやや趣の違った展開をする、とそういうことだ。
十字軍の遠征以前・以後で分けても当然それは言える。
分かってるよ〜ん。
だけど、進歩という言葉には価値観がどうしても入るね。
単に言葉だけの問題であれば、
「仮に不可逆的な変化を堕落と呼ぶなら、・・・」
と言っても同じだね。
その時の時代感覚として、進歩と思っていたか堕落と思っていたかも歴史だよ〜ん。
それと、記録・記憶の残る範囲でないと、不可逆的とも言えないよね。
なんせ、完全に記録・記憶が残らない過去の出来事であれば、
その後の出来事に何の影響もない訳だから。
132 :
日本@名無史さん:03/02/18 22:33
>>131 仰ることはよくわかるが、
メディアが普及する以前の社会は、
それ以前よりずっと口伝やタブーがよく伝わっていた社会。
民族・部族があらゆる意味で完全消失(ありえないことだが)でもしない限り、
歴史的体験はタブーのような形をとって伝えられるのでは。
もちろんタブーが形骸化することも少なくないだろうが。
江戸時代のように恣意的に歴史痴呆化されてしまう時代ももちろんあるが、
それも次の体制にシフトする頃にはだいたいバレ、変革をさらに加速さえさせる。
北もじきにそうなるだろうね。
134 :
日本@名無史さん:03/02/18 22:56
>>131-132 歴史の不可逆性ってのはそういうことかい?
一回起こったことはもう取り戻せなく、
それによって何らかの因果が生じるということじゃないの?
それが語り継がれるかどうかの問題じゃないでしょ。
当事者が影響ないと思ってることでも
そこに長期的な因果を見出すのも歴史学ってのの仕事じゃなかろうか。
ただ不可逆性を「進歩」という言葉で表現するのは違和感あるね。
「進歩」には良くなるってニュアンスがあるから。
それは124に賛成。
135 :
日本@名無史さん:03/02/18 23:10
>>134 132だが。
いいこと言うね。ご指摘サンクス
>>128 早川・渡部の頃まで話し戻すなよ
石母田が文庫になってる時代に(w
137 :
日本@名無史さん:03/02/19 06:31
>>136 マルクス主義が崩壊した今、講座派以前にかえって議論するのもまた
一興では?
もっとも中世が平安末〜鎌倉に始まるというのはマルクス主義どころか
明治時代の原勝朗まで遡るのだが。
講座派や労農派のヨタ話よりはまだ江戸時代の学者でもいくらかまし。
139 :
日本@名無史さん:03/02/26 23:08
キミタチの業界の詳しい内情は分からんが、
>>128は読ませるねえ。
今どき講座派・労農派から史学概論始めるとこなんてないよ。
20年以上前はそうだったらしいけどね。
今はたいてい江戸時代(国学、白石‥‥)、あるいは中世や(『愚管抄』とかね)
古代から始めるとこだって珍しくない。
石母田や早川なんて軽く触れる程度だよ。
しばらく止まってたみたいだけど古代と中世の境についての議論は終わったみたいだな。
ところで中世と近世の境はどこ?「信長から近世」という通説への批判は?
近世のはじまりはどこ?
信長政権から・・・・・通説
戦国から・・・・・・・会田雄次説
徳川幕府から・・・・・江戸時代の通説?
それと近世のはじまりとはいってないが網野善彦が
中世の前期と後期で日本史が大きく分断されているといってる。
建武の新政崩壊で分けているようだが。
143 :
Head Zeppelin:03/03/05 09:07
日本史を、地域性を無視して一括して考えることが
そもそも不可能な気がする。
東日本に関して私見を述べさせていただくなら、
東北)戦国開始時期確定不能、太閤仕置き(1590)以降近世
関東)享徳の大乱(1455)〜小田原征伐(1590)が戦国時代。家康入府以降もう近世
西日本で強力な政権ができても、それが東国に波及するのは1590が決定的。
だから、信長の上洛(1568)で近世が始まったとは言い難い。
信長支配下はそれでいいかも知れないが、紀伊なんか最後まで勢力圏外だったから、
太閤の時代まで待ったほうが無難かと。
全国政権という意味で、信長より太閤を指標とすべきではなかろーか?
そもそも、戦国開始時期が地域によってまちまち。
応仁文明の大乱終結後、戦国時代が始まったという通説が非常に疑問。
明応の政変を画期としたほうが妥当であると思われる。
144 :
日本@名無史さん:03/03/05 09:53
地域性をふまえていうなら、鉄砲が実用化された地域から近世になった、でいいんじゃないの
技術と、それに当然不随してくる思想や文物が政治地図や社会情勢、軍事形態をも変えたわけで
堺がいい例でしょ
145 :
Head Zeppelin:03/03/05 23:24
>144
いや、鉄砲をそこまで過大視するのもどうだろう?
鉄砲は戦史上重要な兵器ではあるけれど、歴史を動かしたかまでは。
たとえば鉄砲によって独立を守った紀伊の雑賀一揆は、
むしろ中世の産物であるような気がする。
非常に自治感覚が濃厚で、まだ中央の威令に屈服しない自由さを備えた。
鉄砲が歴史を動かすほどの意味を持つのは、大量生産されるか、
あるいは国家が大量占有する段階に至ってからだろう。
第一、鉄砲が文化や思想を動かすようなモノだったかが疑わしい。
おいら秀吉の検地から近世と聞いたことがあったが、一体、中世と近世
の違いは何ですか? 一言で簡単に教えてください。
>>143 あんたの指標は「成立」「確立」みたいだが
漏れ個人は次の時代への胎動が始まったら
もう、そのあたりから時代区分すべきだと思う。
過去レスで話題になった言葉を使えば「不可逆的」
ってとこだな。
148 :
日本@名無史さん:03/03/06 18:42
「日本には中世はなかった」(石田一良)
石井進氏がドイツで専攻を聞かれ「日本中世史」と答えたら
「日本に中世はなかったはずだ」とつっこまれ、びっくりして聞くと
「石田教授にそう教わった」と。
「私は実はかなりそうした見方に賛成する気持ちがあるので、ちょっと
困った」と、『中世史講座1』(学生社)の座談会で回顧。
スレの進行と(あまり)関係ないのでスルーしてちょ
149 :
日本@名無史さん:03/03/06 19:32
>>145 大量生産されたんだよ。
パッと紙が燃えるようにして、瞬く間に当時の日本は鉄砲重装備国家になった。
最南端のゴマみたいな領土の先っぽに伝来してからわずか50年の間にそうなる、
というのは、分国統治であったことも考え併せるとまさに「どえらいスピード」。
鉄砲を過大視しすぎてるという指摘は、
>>144の書き方について言えばあたっている。
鉄砲(と、それに当然付随する知識、技術、哲学的思想、観念、etc...)は、
中世を終わらせるための契機、触媒となったに過ぎない。
折りしも戦国は円熟期を迎えており、戦国が終結するだけの高エネルギー状態に既に成っていた。
後は化学反応を早めるための触媒さえがあれば、ものすごい速さで反応が進み、高熱を発する。
「元亀・天正」と呼ばれるのがその時期だろうね。
契機でとらえて行くなら鉄砲が制式化されるほど普及した地域から近世化していった、
と見るのはある意味正しい。
しかし、因果で捉えていく方が妥当だ、とする意見ももっともではある。
ただ、因果を追って行くとキリがないのも確かだ。
150 :
日本@名無史さん:03/03/08 07:41
中世と近世の落差って、そもそも何なの?
西欧の時代区分は、資本主義の完成度が大きな意味を持っています。
日本も現在は資本主義なのだから、それと関係を持たずに入られません。
わたしは市民階級の発展した元禄時代からを近世と捉えています。
まあ、講の発達した室町中期も大きな時代区分ですけど。
152 :
日本@名無史さん:03/03/08 23:40
可視現象として顕れてくる時期は元禄期ということになるのだろうし、
量的なMAXをとれば元禄期ということになるのだろうけども、
微分をすればむしろ1600〜1700年間の方がその発展度は高い気がするけどな。俺は。
>>150 分権化のみられる中世とは異なる、武士による権力の統一、
兵農分離した領主による民衆支配、全国市場の形成をともなった商品経済の発達、
対外的には鎖国制の実施、ってとこかな。
154 :
日本@名無史さん:03/03/10 06:16
155 :
日本@名無史さん:03/03/15 20:46
>151
>市民階級の発展した元禄時代からを近世と捉えています
私は、古代、中世、近世、封建社会を定義づけることは不可能だと思っています。
これらの社会においては権力は領主や地主などの大土地所有階級が権力を握っています。
なお、自治都市、都市国家は局地的例外とします。
しかし近代社会では、それ以外の階級、普通は市民革命によって市民(ブルジョア)が権力を握り、
国民国家が成立し、それが近代となるわけです。
156 :
日本@名無史さん:03/03/15 21:04
だから時代区分は、前近代/近代しかあり得ないと思います。
157 :
日本@名無史さん:03/03/15 21:21
古代・中世・近代と言う区分は西欧の歴史から作られたもので、西欧以外の
地域に当てはめるのはそもそも無理、それぞれの国で独自の区分をつくるし
かない。「近世」という時代区分も西欧にはないし。
158 :
日本@名無史さん:03/03/15 21:50
>>157 全くその通り。
まあ、西欧の場合と比較して楽しむという前提で議論しているという理解で宜しいのかなと思うよ。
大前提としては、そもそも時代区分なんて言う存在しないものについての議論は、そういう議論を
した方が楽しいからやっている訳なので、まっ良いではないか、ということね。
それに、ある意味、理解が深まるということで、良いではありませぬか。
160 :
日本@名無史さん:03/03/17 10:06
近世と近代は意味がちがうだろ。
江戸時代の日本では現代の意味で家康以後を近世と呼んでいた。
今では織豊政権からの一貫性を認めて信長以降を近世ということが多い。
西洋ではフランス革命以後を近代というようになってから
それ以前に近代と呼んでいた時代(ビザンチン帝国滅亡以後)を前期近代と呼ぶようになった。
その西洋の前期近代の翻訳に今の日本では「近世」の言葉を当てている。
したがって「西洋には近世という時代区分はない」というのは誤り。
161 :
日本@名無史さん:03/03/18 15:08
>159
ではあなたなりの時代区分を提示してください。
時代区分論なんて興味ないくせに
この擦れに書き込もうという気持ちがわからん
163 :
日本@名無史さん:03/03/19 00:48
>162
誰に言ってるの?
156と157に言ってんでしょ
165 :
日本@名無史さん:03/03/23 15:34
>162
ではあなたなりの時代区分を提示してください。
私は、155.156の意見に賛成です。
まあ解釈は人それぞれだけど、「しかあり得ない」なんて書かれるとね。
二分法なんて、いくらでもありうるわけで、網野某の南北朝期でわけるのとか、
あるいは自然(獲得)経済と生産経済でわければ、前近代から近代への移行は
生産経済時代における一齣に過ぎない。これは別に極論ではなく
生産経済への移行というのは歴史上非常に大きな意味を持っている。
他にもどのような観点によるかで、様々な二分法があることは世に行われているとおり。
近代への移行というのが歴史上の画期であることは否定しない。
近年、近世以降現代までを一つの時期として見ることも行われているが
近世以降の時期を区分する一つとしては有用だろう。しかし原始・古代以来の
長い時期を区分するものとしては、所詮、近代的価値に絶対性を見出す
視点からのものとしか認められない。
個人的にはとりあえず原始・古代・中世・近世・近代・現代でいいと思う。
もしこれらの用語にアレルギーがあるというのなら、(奴隷制・封建制・資本主義など
といった概念との親縁性、あるいは近・代・世などの語への先入観)
別に1,2,3でも、甲乙丙丁でも、イロハでも、ABCでも構わない。
さまざまな問題点はあるが、少なくとも二分法よりはマシと考える。
短いとは言えない、しかも様々な歴史的展開があった期間を一括りに
されるのは納得いかないし、近代への移行が古代や中世へのそれと
質の異なる、区別すべきものであるとの考えには到底従いがたい。
近代にのみ有意味性を付与する非常に僭越な行為だと、「個人的には」思う。
近代論なんてせいぜい70年代までだと思っていたので、今さらびっくりと言うのが正直なところ。
どうせ時代区分なんて大雑把に色分けできればいいだけの話なんだから、
鎌倉時代の前までが古代、戦国時代の半ばまでが中世、
明治維新の前までが近世、敗戦までが近代でそれ以降は現代、
これでいいじゃないの。
「戦国時代の半ばっていつだよ」って?
それは戦国時代の確定作業を色々としなければならないのでスレ違いですw
今どき鎌倉から中世ってのもすごいが、他はそんなところだろうね。
「戦国時代の半ば」ってのもいいと思うよ。二分法の話になるけど
古くは内藤湖南が応仁の乱の前後で日本史を大きく二つに区分し
応仁の乱以後の社会が今日の日本社会に直接連続する社会とし
安良城盛昭は太閤検地で、網野も最近は後ろに幅を持たせて十四、
五世紀に高度経済成長の頃まで続く社会の基礎が形成されたとし、
石井進も戦国の動乱から太閤検地にかけての社会の切れ目を重視し
勝俣鎮夫も戦国時代に転換を認めて内藤説を敷衍、坂田聡も高度
成長まで続いた日本の伝統的な社会は室町時代後半に成立したとし
朝尾直弘も内藤を引用して戦国時代を日本史上の一大分岐点とみ
尾藤正英も戦国時代から江戸時代初期にかけて成立した国家体制を
日本の歴史をその前後で二分するほどの画期的な出来事と評価する。
(但し古代国家の成立と並ぶ日本史上の第二の統一国家の成立とする)
このように二分法の場合、いわゆる近世以降で切るのが近年の大勢で
確かに近代化論なんてのは学界ではとっくに超克されているのだが
問題は一般には意外に未だ支持者が多いってことだな。政治家にも。
155・6みたいにね。西洋近代市民社会にのみ価値を認めてね、
それだけが正しいんだ、そうでないのは許さん、ってね。戦争するわけだ。
冷戦も終わり、大塚・川島・丸山も逝き、21世紀のこの世の中に
そんな椰子がたくさんいるんだな。脱オリエンタリズムが言われて
久しいこの時期に、まだまだそんな椰子がたくさんいるわけだ。
自分の価値観のみを信じ押しつける帝国主義者・ファシストがね。
こうゆうのの信奉者がいるかぎり、戦争は永遠になくならんってこった。
俺がグローバルスタンダードなんだってか。僭越もここまで行くと愉快だね。
169 :
日本@名無史さん:03/03/31 02:43
170 :
日本@名無史さん:03/04/01 12:57
ここの討論で初めて日本社会の流れがつかめたYO!
学校で学んだ日本史が「抜け殻」のように思えてきた。
文部科学省の指導要領が諸学説の異議をかいくぐった
骨抜き=落としどころ説だからか。
171 :
日本@名無史さん:03/04/01 17:42
>166
>個人的にはとりあえず原始・古代・中世・近世・近代・現代でいいと思う。
それぞれの時代の定義を示してください。
172 :
日本@名無史さん:03/04/01 18:03
>168
>西洋近代市民社会にのみ価値を認めてね
近代という概念は普遍的な概念だと思うよ。
たまたま世界で最初に近代国家が成立したのがヨーロッパだから、
「西洋近代市民社会」なんて言うけど、時期の違いこそあれ、
今やほとんどすべての国が近代国家ですよ。
>168
>自分の価値観のみを信じ押しつける帝国主義者・ファシストがね。
>こうゆうのの信奉者がいるかぎり、戦争は永遠になくならんってこった。
植民地支配から解放されて近代国家になった国もあるわけですから、
前近代/近代という時代区分を主張しているからといって、
これを帝国主義者、ファシストというのは極論です。
>近代という概念は普遍的な概念だと思うよ。
へえ、そうですか。すごい自信ですね。
歴史的存在であるに過ぎない私は、とても自分の属している時代だけを
他のあらゆる時代から別格扱いするなんて、僭越なことできません。
>今やほとんどすべての国が近代国家ですよ。
なるほど。じゃ、その「ほとんど」から漏れるところも近代国家にしてあげなくてはいけませんね。
>植民地支配から解放されて近代国家になった国もあるわけですから、
なるほど。近代国家になるってとても素晴らしいことなんですね。
地球上が近代国家ばかりになるといいですね。
ブッシュさんには今後とも頑張ってもらって、全地球近代化に邁進して欲しいですね。
あなたもブッシュ3世になれるよう精々頑張って下さい。
>近代という概念は普遍的な概念だと思うよ。
そんなこと今時ヨ−ロッパ人でもなかなか言わないけどね。
175 :
日本@名無史さん:03/04/05 18:09
>173
>ブッシュさんには今後とも頑張ってもらって、全地球近代化に邁進して欲しいですね。
イラクはすでに近代国家ですよ。近代国家=民主主義というわけではありません。
近代の定義については155を参照してください。
欧米と日本が世界に先駆けて近代国家になり、その国力で前近代社会の段階にあった国々を侵略し、
植民地支配したという歴史があるために(ナポレオン時代のオランダのように、
近代国家であっても弱ければ属領になることもありましたが)、
近代を特別に重視すると、そのように偏見の目で見られてしまうのかもしれませんね。
これでも私なりに勉強したんです。しかし、古代、中世、近世、封建社会についての明確な定義を
どこにも見つけることができなかったのです。そこで、時代区分は前近代/近代
しかあり得ないという結論に達したのです。
176 :
日本@名無史さん:03/04/05 21:32
いつの時代にも戦争はあったわけでして、世界史の中で多くの大帝国の興亡がありました。
ですから、「時代区分は前近代/近代しかない」と主張したからといって
「ブッシュさんには今後とも頑張ってもらって、全地球近代化に邁進して欲しいですね。
あなたもブッシュ3世になれるよう精々頑張って下さい。」などというのはピント外れですよ。
なんか、「時代区分は前近代/近代しかない」=「近代主義」=「欧米近代主義」=「帝国主義」
みたいな図式があるようですが、それは冒頭で述べたように誤った固定観念です。
>欧米と日本が世界に先駆けて近代国家になり、
なるほど。欧米や日本は優秀なんですね。先駆けなんですね。
他の国は遅れてるんですね。落伍生ですね。
そんなところにも早く近代になってもらわなくちゃいけなかったんですね。
いまだに近代になってないところはとんでもないですね。
早く近代になって欲しいですね。地球上が近代国家ばかりになると素晴らしいですね。
是が非でもそうしなくてはいけませんね。
>その国力で前近代社会の段階にあった国々を
なるほど。前近代社会というのは近代社会の前の段階なんですね。
近代社会より遅れた段階なんですね。
いまだにそうゆう遅れた段階にあるところも、はやく近代になるといいですね。
あなたのお説を敷衍するとこうならざるを得ません。
いわゆる50年代以降唱えられたライシャワーやロストウ等の近代化論とどこが違うのでしょう。
178 :
日本@名無史さん:03/04/06 16:44
ライシャワーやロストウは近代と前近代を明確に定義していなかったのではないですか。
私は155で前近代と近代の定義を示しています。
日本は明治維新で近代国家になるのですが、幕末、アメリカ視察から返ってきた勝海舟に老中が
「アメリカで特に気がついたことを言ってみよ」と問いかけ、
「アメリカでは高い地位に就いている者はそれ相応の能力を持っていますが、
日本はそうではありません」と勝が答え、老中が「控えおろう」と怒ったという有名な話がある。
続き
明治維新前の日本は、身分社会で、良い家柄に生まれなければ権力の座につけない。
良い家柄に生まれなかった優秀な人材は、その実力を発揮する場所がなく、社会の発展に貢献できない。
維新前の日本で権力の中心部にいたのは、徳川幕府だが、譜代大名、親藩、旗本などが支えていた。
彼らは社会の発展に無用な官職を身につけ、法外な役得をもらい、社会の発展を遅らせていた。
一般的に前近代社会はその地域や時期によって強弱があるものの、身分社会である。
近代国家ではこれも地域や時期によって違いはあるものの、身分社会ではない。
どちらが社会の発展にとって有利かは言うまでもない。
幕末の長州藩で、高杉晋作は身分にこだわらずやる気と能力のある者によって奇兵隊を結成した。
彼が長州を支配下に治めようとして挙兵した時、圧倒的に人数では不利であったにもかかわらず、
藩の正規軍を破って奇兵隊が勝った。
180 :
日本@名無史さん:03/04/06 17:34
まあ,二分法は二分法なりに,視点を明確にするから,いいんだけれど
「しかない」っていうこたあないんじゃないかい.どこで二分するかは,
それこそ関心の持ち方の所在によるとしかいいようがない.
ちなみに,オレがもし二分法で時代区分をするなら,前近代/近代 よりも
高度経済成長前/高度経済成長後 でわけるね.縄文時代も明治も昭和の
最初の三十年ぐらいも,すべて前半だ.
181 :
日本@名無史さん:03/04/06 20:10
>180
>まあ,二分法は二分法なりに,視点を明確にするから,いいんだけれど
>「しかない」っていうこたあないんじゃないかい.どこで二分するかは,
>それこそ関心の持ち方の所在によるとしかいいようがない.
175に書いたように私なりに歴史の勉強をしました。
古代.中世.近世.(封建社会).近代.それぞれの時代について考えた場合、
なんとなく感覚的にはそれぞれの違いはあるように思うのですが、
それが何なのか、ある程度目星をつけてもう一度世界史を読むと、どうも違う。
そんな繰り返しで結局、古代.中世.近世.封建社会の世界史的定義を見つけることができませんでした。
180さんは 高度経済成長前/高度経済成長後 で時代を二分するということですが、
これは他の国に当てはめるといつがその時期になるのですか。
182 :
日本@名無史さん:03/04/06 20:30
私は155で前近代と近代の定義を示しましたが、
それに基づいていくつかの国の近代に移行した時期を列挙しておきます。
オランダ....1609年.スペインからの事実上の独立
イギリス....1642-1688年.ピューリタン革命から名誉革命
アメリカ....1776−1783年.アメリカ独立.アメリカ合衆国の成立
フランス....1789年.フランス革命
ドイツ....1848−1871年.三月革命(プロイセン).ドイツ統一(ドイツ全土)
イタリア....1871年.イタリア統一
日本....1868−1871年.倒幕(旧幕領).廃藩置県(日全土)
横レス失礼します。
近代とは、「モダニズム」なんですけど?
フランス革命、アメリカ革命は、理解出来るけど。
184 :
日本@名無史さん:03/04/06 21:39
>183
私は155で近代の定義を次のように示しました。
私は、古代、中世、近世、封建社会を定義づけることは不可能だと思っています。
これらの社会においては権力は領主や地主などの大土地所有階級が権力を握っています。
なお、自治都市、都市国家は局地的例外とします。
しかし近代社会では、それ以外の階級、普通は市民革命によって市民(ブルジョア)が権力を握り、
国民国家が成立し、それが近代となるわけです。
183さんが定義する近代(モダニズム)を説明してください。
ジャン・ジャック・ルソーが発明したのが「近代」
「社会契約論」=「自然法」
結実が「バスティーユ」「ボストン茶会事件」
極東に至って、中江兆民「三酔人経綸問答」
186 :
日本@名無史さん:03/04/07 00:35
>185
なんともあいまいですね。
ルソーの社会契約論=自然法の結実がバスティーユとボストン茶会事件
ということですが、これは前者がフランス革命、後者がアメリカ独立のことですよね。
確かにこの二つの革命に社会契約論が思想的影響を与えていたことは認めますが、
そうするとナポレオン時代のフランスは一種の軍事独裁政治でしたし、
アメリカ独立後も奴隷制度は続いていたわけですけど、この辺の矛盾はどう解釈したらいいんでしょうか。
日本は明治維新から近代が始まると思うのですが、中江兆民は倒幕には何の影響も与えていないし、
維新後も日本の中心的な思想とは言えないでしょう。この点も説明願います。
>明確に定義していなかったのではないですか。
なるほど。定義するかしてないかだけで、他の点は一緒なんですね。
つまり、欧米や日本は優秀で先駆けで、他の国は遅れた落伍生で、
いまだに近代になってないところはとんでもないところで、地球上が近代国家ばかりになる
ことは素晴らしくて、前近代社会というのは近代社会の前の遅れた段階だと。
せいぜい頑張って立派なファシストになってください。
え? ファシストって言うのは「ピント外れですよ。」? でも、
>イラクはすでに近代国家ですよ。近代国家=民主主義というわけではありません。
民主主義だろうが近代国家だろうが、要するに自分が普遍的な概念だと思ったものを
世界中に広げることが正しいと思ってるんですよね。これってファシストでしょ。
ファシストがいやならマルキストでもいいですよ。だって
>どちらが社会の発展にとって有利かは言うまでもない。
社会って発展するためにあるんですね。発展するもんなんですね。
マルキシズムそのものですね。二分法か三分法かの違いがあるだけで、
そうそう、前近代は近代の前の遅れた段階でしたもんね。
まあ、精々頑張って立派なファシスト、失礼マルキストになって下さい。
明治維新はブルジョア革命、これって労農派の議論そのものだよね。
50年代どころか、いまだに戦前のレベルをひきずってるのが、約一名いるってことだね。
市民だの、大土地所有だの、国民社会だの、今どきこんな概念で時代区分しようとするなんて。
「私なりに勉強したんです」って、何を勉強したんだろ。戦前でストップしてるのかな。
189 :
日本@名無史さん:03/04/07 13:59
労農派の維新論は、倒幕において下級武士が主体となっていてそれ以外の勢力を無視ないし軽視している点で、
講座派と共通の前提条件に立っています。私は下級武士の中でも尊皇攘夷を心から信じていたものと、
スローガンとして利用しようとしたもの(後に維新の志士と呼ばれる人たち)、
そしてここが最も重要なのですが、倒幕の資金を提供していた大商人、維新後台頭してきた新興企業家の存在
を重視するという点で、労農派とは違う観点から明治維新はブルジョア革命だと考えています。
190 :
日本@名無史さん:03/04/07 17:06
>187
>要するに自分が普遍的な概念だと思ったものを
>世界中に広げることが正しいと思ってるんですよね。これってファシストでしょ。
>ファシストがいやならマルキストでもいいですよ。
そうすると、185さんが近代の定義として示した社会契約論や自然法などを説いたルソーや、
その当時の啓蒙思想家たちもファシスト.マルキストってことになるんですか。
それに私は歴史の勉強をした結論を述べているのであって、
私がいまさら広めるまでもなくほとんどすべての国が近代国家です。
>欧米や日本は優秀で先駆けで、他の国は遅れた落伍生で、
>いまだに近代になってないところはとんでもないところで
必ずしも優秀だから近代国家にいち早く転換できたのではないと思います。
最初の四大文明は、エジプト.メソポタミア.インダス.黄河ですから、この時代においては
欧米や日本は後進地域でした。13Cには世界史最大のモンゴル帝国が誕生しました。
欧米や日本など、近代国家に早く転換した地域はずっと世界史的には後進地域だったのです。
(特に日本は)。
それではなぜ欧米や日本が他の地域に先駆けて近代国家に成れたのか、
正直な所良く分かりません。
>世界史的定義
プ 世界史の基本法則でつか、唯物史観そのままでつね
>ずっと世界史的には後進地域だったのです。
なるほど。歴史には先進・後進があるんでつね プ
>先駆けて近代国家に成れたのか
なるほど。近代国家に早くなれたほうが先進なんでつね プ
>正直な所良く分かりません。
古代・中世・近世の時代区分に近代に劣らない意義を与えたら分かるかもよ プ
サヨとウヨが根本的には同種だってことをこの人の思考方法はよく示してまつね
せいぜいがんばってくらはい、ファシマルさん
192 :
日本@名無史さん:03/04/08 18:26
>191
>古代・中世・近世の時代区分に近代に劣らない意義を与えたら分かるかもよ プ
この時代区分が当てはまるのはおそらく日本とヨーロッパのいくつかの国に限られるのではないでしょうか。
たとえばアメリカみたいな移民国家は古代から近世までの歴史を持たないわけですし、
近世は中央集権の進んだ体制だとされていますが、イタリアなんかは中世以降
ばらばらで、近世をとばして近代に入ったと思います。
古代.中世.近世のそれぞれの違いはなんとなく感覚的には分かるのですが、
自信を持ってそれぞれの定義を説明するだけの地点には到達していません。
そこで、時代区分は世界史的に普遍性を持つものとしては、前近代/近代しかありえないといったのです。
もっとも、166さんが
>個人的にはとりあえず原始・古代・中世・近世・近代・現代でいいと思う。
というようにとりあえず便宜上の区分として用いるのなら、
ヨーロッパのいくつかの地域と日本に限っては、かまわないと思います。
>たとえばアメリカみたいな移民国家は古代から近世までの歴史を持たないわけですし、
各国史は世界史の一部なんだから当たり前でそ
>イタリアなんかは、近世をとばして近代に入ったと思います。
ほーそりゃすごい新学説でつね
>古代.中世.近世のそれぞれの違いはなんとなく感覚的には分かるのですが、
>自信を持ってそれぞれの定義を説明するだけの地点には到達していません。
ただの物知らずだろ
>そこで、時代区分は世界史的に普遍性を持つものとしては、前近代/近代しかありえないといったのです。
前の行の一文と整合性まったくなし
自分の知識の範囲と人類の知識の範囲の区別がついてないようでつね
194 :
日本@名無史さん:03/04/08 23:10
ブルジョア革命っていうのは普通名詞ではなく固有名詞であって、
単なるフランス革命の別称なんだよ。
第二次世界大戦を太平洋戦争とか大東亜戦争と呼ぶのと同じこと。
マルクスか誰か知らないけど、誰かがことさら一般化しようとしただけ。
こういう認識に転換しちゃえば明治維新はブルジョア革命であるか? 否。明治維新です。
明治維新によって日本は「近代化」をした。
「近代化」ってことには資本主義も含まれるけど、この言葉もマルクス一派の造語だから。
じゃ、近代化って何?
近代というのはこのスレでも出ていたと思うけど、西洋人が考えた総合的概念。
結構西洋本位だったりするんだね。
だから、手っ取り早く言えば「脱亜入欧」することが近代化。
西洋文明圏に参加し、西洋通念上先進とされる国家の建前をとり、西洋風の取引をする。
チョンマゲ結って刀引きずってるようじゃ、少なくとも西洋人は近代化したとは思ってくれない。
じゃあ、明治維新は革命か、それとも改革かクーデターか?ということについてはどうか。
革命っていうのはね、色々定義はあるだろうけど敢えて狭義で規定させてもらえば、
絶対王政とかツァーリズムとか中国の皇帝制とか、中央集権の専制的体制、
いやこれはもとい、体制的専制をひっくり返すときの用語なわけ。
だから、江戸政権は将軍の体制的専制ではなかったから、革命ではないね。
世界史風にいえば単に徳川王朝の崩壊、ってことになる。
昭和初期にもし天皇体制をひっくり返す事件があれば、
これは「昭和革命」と呼ばれただろうね。
195 :
日本@名無史さん:03/04/08 23:59
>193
>各国史は世界史の一部なんだから当たり前でそ
その各国史でどの国もが通る段階があるのではないか。
そう問題意識を持ったことはありませんか。
>>イタリアなんかは、近世をとばして近代に入ったと思います。
>ほーそりゃすごい新学説でつね
たとえばポルトガルやスペイン、フランスなどには明らかに中央集権の進んだ
君主体制が成立しました(これが近世の定義)が、イタリアにはそれはなかったと思います。
>>古代.中世.近世のそれぞれの違いはなんとなく感覚的には分かるのですが、
>自信を持ってそれぞれの定義を説明するだけの地点には到達していません。
>ただの物知らずだろ
それなら、古代.中世.近世.近代 の各時代の定義をぜひとも教えてください。
>>そこで、時代区分は世界史的に普遍性を持つものとしては、前近代/近代しかありえないといったのです。
>前の行の一文と整合性まったくなし
ちゃんと整合してますよ。古代.中世.近世の違いは感覚的には理解できるが、
明確に定義づけることは私にはできない。しかし古代から近世をまとめて前近代とするなら、
それと近代の違いを定義することはできます。
>世界史的に普遍性を持つものとしては、
普遍・絶対・唯一‥‥、無邪気でつね。まあ、せいぜい頑張ってくらはい。
>ほとんどすべての国が近代国家です。
なるほど。それに漏れるところは普遍の例外なわけだ。正常に対して異常なわけだ。
あんたの世界史でゆう世界とは、前近代→近代理論に沿うところだけなわけだ。
それ以外のところは実在していても、あんたの意識には存在しないわけだ。
必要ないわけだ。学問的に考慮する必要もない、認識対象外なわけだ。
じゃまなわけだ。自分の理論に沿わない、やっかいもんなわけだ。
無視して構わないわけだ。近代国家になったらやっと認めてもらえるわけだ。
マルキストの面目躍如でつね。素晴らしい、拍手。パチパチ。
197 :
日本@名無史さん:03/04/09 00:37
>194
>ブルジョア革命っていうのは普通名詞ではなく固有名詞であって、
>単なるフランス革命の別称なんだよ。
それは極論ですよ。ブルジョア革命前のフランスでは、
国民のわずか数%の第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)などの領主が権力を握り、
その中でも特に宮廷貴族=領主が国王を取り巻き、圧倒的な権力と特権を持っていた。
第三身分(平民)の中でも大.中のブルジョアは経済的には大きくなっていたが、
権力を握っていなかった。
それがフランス革命によって「大.中ブルジョアが、一部の旧支配階級と結びながら
権力の座に就いた。」
権力者の経済的性質が、領主や地主などの大土地所有階級から、ブルジョアに代わったのである。
だからフランス革命がブルジョア革命と呼ばれるのだが、ここに前近代社会と近代社会の決定的な違いがある。
世界史的にブルジョア革命=国民国家=近代国家と規定できるる
>>197 あほか。
194の指摘は事象からの観念抽出に手違いがありうる、つまり観念形成の過誤ってことだろ。
ただの常識=社会通念をそのまま蒸し返して反論のつもりかYO
199 :
日本@名無史さん:03/04/09 01:17
>196
>あんたの世界史でゆう世界とは、前近代→近代理論に沿うところだけなわけだ。
マルクス以来の歴史区分では 原始-古代-中世-近世-近代-(社会主義)-(共産主義)
が通説となっていた。従来の一般的歴史区分の方が、ヨーロッパの一部の地域の歴史に基づいて作られたもので
普遍性に乏しかった。この時代区分に当てはまるところもあるが、近代以降どのような社会ができるのかは別として、
当てはまらないところのほうが多い。そこで世界史的に通用する時代区分として、古代から近世までをまとめて前近代、
それ以降を近代としたのです。
>それ以外のところは実在していても、あんたの意識には存在しないわけだ。
>必要ないわけだ。学問的に考慮する必要もない、認識対象外なわけだ。
>じゃまなわけだ。自分の理論に沿わない、やっかいもんなわけだ。
それはまったく逆ですよ。古代-中世-近世-近代の時代区分にこだわることによって、
各国史を勉強する際に、その時代区分に引きずられて、理解が歪んでしまう可能性がかえって高くなると思います。
>無視して構わないわけだ。近代国家になったらやっと認めてもらえるわけだ。
もちろん現在は近代国家であっても、そこにいたるまでの歴史は、重要でしょう。
193さんは、私が195で答え、反問した事に何一つ答えていません。
中でも最大の論点である
「古代.中世.近世.近代 の各時代の定義をぜひとも教えてください。」
についてあなたの考えを教えてください。
200 :
日本@名無史さん:03/04/09 01:27
そもそも「近世」って日本史だけの特殊用語かと
思ってたが
202 :
日本@名無史さん:03/04/09 19:00
マルクスの呪縛っていかに強烈だったかがわかるスレだね。
マルクス的な主張をしてる人も逆の主張をしてる人も、
そのいずれもがマルクスが囲ったワクの中で議論してる。
203 :
日本@名無史さん:03/04/09 22:50
>198
>194の指摘は事象からの観念抽出に手違いがありうる、つまり観念形成の過誤ってことだろ。
観念抽出も何も、194さんはフランス革命という事象をまったくフランス独自のもので、
その内容に世界史的に一般化できるもの(ブルジョア革命)はないと言っているのです。
194さんはブルジョア革命という用語を一般化するのを否定し、その代わり近代化を普遍的なものとしているみたいです。
194さんによると近代の定義は
> 手っ取り早く言えば「脱亜入欧」することが近代化。
> 西洋文明圏に参加し、
そうするとヨーロッパはその歴史が始まったときからずっと近代ってことになりますね。
ヨーロッパの歴史の中のある時点が分岐点になるんじゃないですか。
>西洋通念上先進とされる国家の建前をとり、西洋風の取引をする。
その本質的、普遍的な内容についてもう少し詳しく説明してください。
また、そういう定義だと同じヨーロッパの中でも国によって近代化の時期が異なる
ことの説明ができないんじゃないでしょうか。
>チョンマゲ結って刀引きずってるようじゃ、少なくとも西洋人は近代化したとは思ってくれない。
そうすると、現代の国際会議でアラブの人たちが民族衣装で出席していることは、
アラブ諸国がまだ近代国家の段階にないということですか。
204 :
日本@名無史さん:03/04/09 23:08
>194
>明治維新は革命か、それとも改革かクーデターか?ということについてはどうか。
>革命っていうのはね、色々定義はあるだろうけど敢えて狭義で規定させてもらえば、
>絶対王政とかツァーリズムとか中国の皇帝制とか、中央集権の専制的体制、
>いやこれはもとい、体制的専制をひっくり返すときの用語なわけ。
そうするとオランダの独立は革命ではないのですか。
アメリカの独立もまた革命ではないのですか。
私は両者ともに革命であり、194さんは認めないかもしれませんが、
ブルジョア革命として共通の本質的内容を持っていると思います。
205 :
日本@名無史さん:03/04/10 00:25
>203
一般化しようとすることそのものを否定をしたわけじゃないでしょ。
一般化のしかたに問題がある、という指摘。
>204
じゃ、あなたの考えるブルジョア革命を説明してみて。
ついでにローマ社会とブルジョア革命後の社会の本質的相違についても説明してくれると有り難い。
>>199 >一部の地域の歴史に基づいて作られたもので 普遍性に乏しかった。
あんた、わかってんじゃん。その通りだよ。
全ての国が原始共産・古典古代(奴隷)・中世封建(農奴)・近代資本主義(市民)、
とゆう過程を通過する、そんなわけねえわな。そうゆう過程を経てない
国には歴史がない、停滞してるんだ(アジア停滞論)、なんてデムパもいいとこだ。
で、あんたの説だが、言ってることはこれと全く同じなんだよ。
全ての国は前近代→近代という過程を経る。そうでないところには歴史がないって、
そうゆう論理になるわけだ。停滞論、オリエンタリズムそのものだよ。
レヴィストロースやサイードを経たこの21世紀にだ、まだそんなマルキシズムと
同じパラダイムを繰り返す、しかも歴史板で。滑稽なんだよ。
ま、だからみんな相手するんだけど(w
>古代-中世-近世-近代の時代区分にこだわることによって、
勘違いしないで欲しいが、俺は今頃「世界史の基本法則」 捜してるわけじゃないから。
こだわるのは(そんなにこだわりもしないが)あくまで日本史において。
>そうするとヨーロッパはその歴史が始まったときからずっと近代ってことになりますね。
>ヨーロッパの歴史の中のある時点が分岐点になるんじゃないですか。
あんた何言ってんの。現在のヨーロッパって概念は、近代の産物なんだよ。
こうゆうところの言葉遣いに、あんたのテクニカルタームへの意識の
低さが現れてるんだよ。「ヨーロッパはその歴史が始まったとき」
っていつのこと言ってんの。まさかギリシア・ローマなんて言わないでよ(w
他の方へのレスへの横レスだけど、気になったんで。失礼。
それから余計な老婆心だけど、まあ愛国心があるのは分かるけど
明治維新がブルジョア革命だなんて、かなりのデムパでも最近は言わないよ。
別にそんなことで、日本を世界の仲間入りさせてくれなくても
日本はれっきとした世界史の一部だからいいよ。ほっといて。
207 :
日本@名無史さん:03/04/10 06:16
>205
>203
>一般化しようとすることそのものを否定をしたわけじゃないでしょ。
>一般化のしかたに問題がある、という指摘。
194さんははっきりと
<ブルジョア革命っていうのは普通名詞ではなく固有名詞であって、
<単なるフランス革命の別称なんだよ。誰かがことさら一般化しようとしただけ。
といって、ブルジョア革命の普遍性を否定しています。そしてその代わりに近代の定義についてあいまいな説明をしています。
>205
>>204 >じゃ、あなたの考えるブルジョア革命を説明してみて。
>ついでにローマ社会とブルジョア革命後の社会の本質的相違についても説明してくれると有り難い。
*1 ブルジョア革命以前の社会においては、権力は領主や地主などの大土地所有階級が握っている。
*2 ブルジョア革命によって、支配階級の座にブルジョアが就く。そしてそれが国民国家=近代国家となる。
これが基本法則だが、いくつかの補足が必要である。
>204
>ついでにローマ社会とブルジョア革命後の社会の本質的相違についても説明してくれると有り難い。
これは、共和制以降のローマで平民身分の商工業者(ブルジョア)が権力の座についていたことを念頭に置いた質問ですよね。
支配階級が共通しているのは認めますが、都市国家から出発したローマ帝国は、近代を創出するブルジョア革命と違って、
国民国家の意識がなかったのではないでしょうか。自分たちの本来の領土はどこからどこまでという意識がなく、
力の続く限り領土を拡張しようという意識が強い点で、古代帝国の限界を持っていたと思います。
208 :
日本@名無史さん:03/04/10 12:01
>>207 近代国家が成立を見たあと、ほとんどの国が植民地獲得に乗り出し、
まもなく帝国主義の時代に入る。まさに「力の続く限り領土を拡張しようという時代」。
ドイツ・ロシアは啓蒙専制君主によるヨーロッパスタイルの輸入をじゃんじゃんして、
遅れ馳せながら植民地獲得に乗り出す。
一般的にはこれを啓蒙専制君主による近代化といっている。
そういう流れだ。
ブルジョア革命の第一定義として大土地所有階級が権力を握る社会を覆すというが、
明治維新をブルジョア革命とするなら、ここに矛盾が発生する。
江戸期の土地所有階級は「地主」で、要するに本百姓連中であって、連中は権力など握ってない。
大名や武士は領地の徴税と簡素な司法・行政を行うのみで、
私有地もない、従って私有地で働かせる小作人(農奴)も持ってない。
つまり経済的には至って貧乏。
お前、要するに古いんだよ。
国民国家(=近代国家)の成立をもってその国の近代のはじまりとするのは、とりあえずいいとしても、
近代国家の成立=ブルジョワ革命と短絡していいかどうかは別問題。
フランス革命と米国建国で近代国家ができたが、その段階では固有のものか普遍的な現象なのかは
まだ判然としていない。
フランス型国家の模倣として独(第二帝国成立)伊(統一)日(維新)と国民国家ができた段階で
普遍的近代のはじまりとする考えもありうる。
米仏日独伊における国民国家の成立ははたして一律にブルジョワ革命といえるのか激しく疑問。
マルキズムの色眼鏡を感じる。
まず中世と近世の境について議論ききたかったんだけど
いきなり「近代」論争になっちゃってるね
なんでもかんでもブルジョワ革命だとこじつけるのは
ブルジョワ革命からプロレタリア革命へのコースが普遍的だと主張するための前振りにすぎず、
取るに足らない唯物史観だと思うがなぁ。
211 :
日本@名無史さん:03/04/10 19:55
>208
>近代国家が成立を見たあと、ほとんどの国が植民地獲得に乗り出し、
逆に言えば、植民地とされた多くのアジア、アフリカ諸国は、独立した時に
(第二次戦後が多い)、近代国家の成立に至ることが多いわけですよね。
これらの国は植民地獲得に乗り出すことはなかった。
わたしは207で
*1 ブルジョア革命以前の社会においては、権力は領主や地主などの大土地所有階級が握っている。
*2 ブルジョア革命によって、支配階級の座にブルジョアが就く。そしてそれが国民国家=近代国家となる。
これが基本法則だが、いくつかの補足が必要である。
と書いた。その補足とは、近代に至る道のりとして、国内でブルジョア革命が起こる場合と、
オランダやアメリカ、第二次大戦後のアジア.アフリカの多くの国のように植民地支配からの独立によって、
近代国家に移行する場合と、ドイツやイタリアのように国土の統一によって近代国家に移行する場合がある。
そしてこれはあくまで推測だが、第二次大戦後の東ヨーロッパでは、もしかしたらまだ近代国家に成っていない国もあったかもしれないが、
ソ連の強い影響力の下で革命の輸出によって近代国家になった可能性もありうる。
この場合は、支配階級はブルジョアではなく労働者ということになる。
もっとも、ソ連、東ヨーロッパは89-91年の時期に社会主義体制が崩壊して、
明確な支配階級が分からないが、いずれにしても大土地所有階級でないことは明らかである。
212 :
日本@名無史さん:03/04/10 20:26
>208
>大名や武士は領地の徴税と簡素な司法・行政を行うのみで、
>私有地もない、従って私有地で働かせる小作人(農奴)も持ってない。
>つまり経済的には至って貧乏。
私が大土地所有階級といった時、それは植民地のアメリカの大農園主や、ロシアで農奴解放令以降、
領主から地主に形態を変えた場合を念頭においていたもので、領主制がある場合は領主の権力のほうが地主
(正確には土地保有農民=自由に土地を売買できない)より強いのは当然です。
さて、江戸時代の大名や武士はいたって貧乏と208さんは言っていますが、
これもまた粗雑な議論で、譜代大名と旗本が幕藩体制の中で重要な官職を得て、財政上の特権を得て、
政治的、経済的に幕藩体制の支柱となっていた。幕府は全国の四分の一を領有し、それを経済基盤としていた。
↑サヨクが「日帝支配40年」を「近代の波及」という面でとらえ、
事実上肯定した、記念碑的レス。
214 :
日本@名無史さん:03/04/10 21:13
1 1 9 2 年 か ら 中 世 ! !
以上
215 :
212の続き:03/04/10 21:16
もちろん領地を持たない中.下級武士もいて、彼らは禄をもらっていたが、
特に下級武士は貧乏なものが多かった。いずれにしても将軍家を中心として
譜代、旗本などの領主の一派が支配階級だったのである。
208さんが武士や大名は私有地を持たず、小作人(農奴)を持っていないというのは、ヨーロッパの歴史をごちゃ混ぜにした認識である。
ヨーロッパの領主の一般的形態として、領主の直営地と農民保有地に分かれていた。
領主は農民保有地に封建貢租を課し、直営地においては農奴と呼ばれる賦役労働の課せられた農民がいた。
しかし時代が進むにつれて、農奴はだんだん消滅していき、フランス革命前の直営地では小作人と契約して労働をさせていた。
日本の江戸時代の領主は、ヨーロッパの領主のように直営地を持たず、地主(厳密には土地保有農民=土地を自由に売買できない)
貢租を得ていた。地主の中には自作農と、小作人を使っていた寄生地主がいた。
つまり、これは領地経営の違いであり、個別的特殊事情として置いておけばよい。
「お家」は名目上の領主を離れた自立した経営体(=事実上の法人)であって、
家産制的な土地私有の主体ではない。
217 :
日本@名無史さん:03/04/11 00:38
>206
>あんた何言ってんの。現在のヨーロッパって概念は、近代の産物なんだよ。
じゃあその近代って何なんですか。194さんは近代の定義として
>近代というのはこのスレでも出ていたと思うけど、西洋人が考えた総合的概念。
>結構西洋本位だったりするんだね。
と言っています。ヨーロッパ人が考えた総合的概念が近代で、近代の産物がヨーロッパという概念....。
近代が先なの、ヨーロッパが先なの?
>だから、手っ取り早言えば「脱亜入欧」することが近代化。
>西洋文明圏に参加し、西洋通念上先進とされる国家の建前をとり、西洋風の取引をする。
その内容を説明してください。また、西洋文明圏に属している国が同時に近代国家に移行しなかったことも説明してください。
218 :
日本@名無史さん:03/04/11 00:52
>210
>なんでもかんでもブルジョワ革命だとこじつけるのは
>ブルジョワ革命からプロレタリア革命へのコースが普遍的だと主張するための前振りにすぎず、
まったくの誤解です。私はマルクス主義者ではありませんし、
ブルジョア革命からプロレタリア革命への移行が普遍的だとも思っていません。
>213
>↑サヨクが「日帝支配40年」を「近代の波及」という面でとらえ、
>事実上肯定した、記念碑的レス。
私は左翼ではありません。 日本の植民地支配を肯定していません。
219 :
日本@名無史さん:03/04/11 00:57
>207
>本来の領土
へえ〜、そんなものがあるんだ。是非とも説明して下さい。定義して下さい。
220 :
日本@名無史さん:03/04/11 00:59
日本の植民地支配という言葉を使う時点でサヨだろ。
221 :
日本@名無史さん:03/04/11 01:02
>マルクス主義者ではありません
>私は左翼ではありません。
発展段階論と本質還元論、
立派なサヨです。
スレタイ嫁、ボケが。
223 :
日本@名無史さん:03/04/11 01:20
>208
>ドイツ・ロシアは啓蒙専制君主によるヨーロッパスタイルの輸入をじゃんじゃんして、
>遅れ馳せながら植民地獲得に乗り出す。
>一般的にはこれを啓蒙専制君主による近代化といっている。
ヨーロッパスタイルとは何ですか。
ここで言うドイツとは、プロイセンのことですか。それとも統一後のドイツですか。
ロシアと同列に並べているところからすると三月革命以前のプロイセンのことだと思いますが、
この時代は領主(農奴解放令後のロシアでは領主から転じた地主)の一部が王権と協力して権力を
構成していたのですから、厳密にはこの段階では両国とも近代国家ではありません。
幕藩体制における地主と領主の違いもわからない、
米英の植民地支配からの独立が近代化で日本の植民地支配は別問題だとかいうサヨの矛盾丸出し、
階級闘争のモデルに歴史をあてはめるというマルキシズムまるだし、
しかもその上、自分の主張が古典的サヨと同じであることもよくわかってない、
古代ローマと近代社会の違いもわからずあてずっぽうなことばかり抜かす、
厳密な近代国家の定義など何一つできてないくせに
「厳密には近代国家じゃありません」とか得手勝手な論理を振りかざす、
こんな奴にこれ以上何を話せばよいのか。
>206
>全ての国は前近代→近代という過程を経る。そうでないところには歴史がないって、
>そうゆう論理になるわけだ。停滞論、オリエンタリズムそのものだよ。
まあ、コテハンを使わなかった私にも責任はあるかもしれませんが、
私の意見をまったく取り違えています。
私は211で近代国家に至る道のりをいくつかのパターンに分類しました。
また、199で、ヨーロッパの一部の地域と日本では
マルクス以来の歴史区分では 原始-古代-中世-近世-近代-(社会主義)-(共産主義)
が通説となっていた。従来の一般的歴史区分の方が、ヨーロッパの一部の地域の歴史に基づいて作られたもので
とも言っています。前近代/近代と区分することのほうが、柔軟に各国の歴史を考えられるのです。
221さんは私の歴史観を「発展段階論と本質還元論」と考え、
206さんは「停滞論、オリエンタリズムそのものだよ。」と認識しています。
なんか批判するほうも様々ですね。最初は確か近代論だと言われていたのが、
今は左翼と言われています。
>219
>>207 >本来の領土
>へえ〜、そんなものがあるんだ。是非とも説明して下さい。定義して下さい。
中世のヨーロッパ大陸では、王権が非常に弱く、領主の独立性が強かった。
複数の国王に仕え、それぞれの宮廷で何らかの地位を与えられている領主もいた。
しかしある時期、絶対主義と呼ばれる中央集権の進んだ体制がいくつかの地域で確立した。
ポルトガルとスペインはアラブ系の支配下にあったが、そこから抜け出して独立を果たすと、
国王の名の下で中央集権が進んだ。
フランスでもブルボン王朝が成立して、中央集権を進め、大半の領地に王権が浸透した。
領主たちの騎兵団は解散させられ、中央軍が結成された。また、各領地の領民に国家から税がかかった。
こうして絶対主義の時代に国土がかなりの程度確定した。
人によっては、この段階で国民国家の成立とする考え方もあるが、この時代の支配階級は、
国王と、王権の拡張に協力した領主の一派であり、まだ前近代の段階であり、
国民国家とは言えない。
フランス革命の時に「共和国は唯一にして不可分」という宣言が出されたが、
これはフランス革命までは絶対主義のフランスでも依然として王権の及ばない領地が残存した
ことを意味する。
だから、近代国家=国民国家が成立する時期に、その国の領土が確定する。
これはフィクションではありません。
女の子が40日間渡って監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。(深くかかわったのは5,6人)
膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、手足を押さえつけられ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、お尻の穴に花火を入れ爆発させ、20キロの鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされ、瞼(まぶた)に熱いろうそくをたらされ、
手足を押さえつけて、膣にマッチ棒を入れられ燃やされ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
女の声だが、人間とは思えない叫び声(悲鳴)(絶叫)を上げ続けた!苦しさのあまり何度も気絶した。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして(失禁して)死んだ。(殺された)
専門家によると自死(あまりのつらさに耐え切れず、脳が死ぬことを選択した(命令した)らしい。)
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体には髪がなくなっていた。
40日間の監禁で極度のストレスのあまり全部髪が抜け落ちた。死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。
「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。この事件の犯人の実名
http://tmp.2ch.net/youth/#1
マルチポストはやめなさい
>224
それぞれの論点について、あなたなりの意見を述べてください。
>階級闘争のモデルに歴史をあてはめるというマルキシズムまるだし、
だからマルクス主義者じゃないですって。
歴史の勉強で、その社会でどのような経済的性質を持つものが権力を握っているかを
認識することは大事だと思います。
頑迷な左翼が1名いることはわかるんだが・・・。
あとの複数はコテハンじゃないため混同してしまって
言ってることに一貫性がないように見えるなぁ。
>194
>ブルジョア革命っていうのは普通名詞ではなく固有名詞であって、
>単なるフランス革命の別称なんだよ。
194さんはブルジョア革命の一般性を否定しながら、
>革命っていうのはね、色々定義はあるだろうけど敢えて狭義で規定させてもらえば、
>絶対王政とかツァーリズムとか中国の皇帝制とか、中央集権の専制的体制、
>いやこれはもとい、体制的専制をひっくり返すときの用語なわけ。
と独自の革命の定義を示しています。私はこの定義に賛成できませんが、
百歩譲ってこの定義に従うなら、少なくとも
イギリス革命/1642-1688/ピューリタン革命から名誉革命
フランス革命/1789/
ロシア三月革命/1917/
以上の三つは革命であると認識しているのですね。
これら三つの革命は、絶対王政という体制的専制をひっくり返したわけですけど、
絶対王政の時代より革命後の時代のほうが中央集権的なんですよ。
国民国家の成立を近代国家の成立と同一視するのはそのためです。
194さんの革命の定義に従うなら、ナポレオンの第一帝政下のフランスは、
革命の成果が途絶えた時期だということになりますが、
この点はどのように解釈しているのですか。
>国民国家の成立を近代国家の成立と同一視するのはそのため
漏れは誰かと違ってはじめから「国民国家の成立を近代国家の成立」と主張してる。
これは別にマルクスとも唯物史観とも関係ないと思うのだが、違うのか?
漏れが違和感を表明したのは「ブルジョワ革命」。
>>226 >だから、近代国家=国民国家が成立する時期に、その国の領土が確定する。
あのね、全然答になってないんですけど。
だから、何でそれが本来なの? 古代には古代の、中世には中世の、
いや、国にはその時々の領土があるでしょ。何で近代国家の領土が「本来」なの。
あなたの議論は全て、近代こそが絶対、近代こそが正しい、近代こそ全て、
近代は素晴らしい、近代万歳、そこから始まっています。
あなたがマルキストと違うと主張するのは、3区分を2区分にしたとこだけ。
発展段階論をとり、基底還元主義にのっとり、階級闘争で歴史を解釈する、
あなたの頭の構造がガチガチのマルキストで、80年代以降の人文・社会科学の豊かな成果
(アナール社会学の再生、構造主義・ポスト構造主義、言語論的転回、脱オリエンタリズム‥‥)
とは全く無縁の、時代錯誤の独り善がりな、お粗末なアナクロニズムであることは
否定すべくもありません。更に言えばそんな簡単な理屈・事実も理解できない
○○さんであることも、これまた否定すべくもありません。
>国民国家の成立を近代国家の成立と同一視するのはそのためです。
232さんに同感。
そんなこと一般常識だよ。何を偉そうに言ってるんだか。誰も否定しないよ。
あんたがDQNなのは、それで以て二区分したりするから。階級闘争史観で。
あるいは発展段階論で捉えるから。ブルジョワ・大土地所有、なんだかなあ〜
>柔軟に各国の歴史を考えられるのです。
全然柔軟じゃないじゃん。前近代→近代という歴史を歩んでいない所は萱の外。まさに発展段階論そのもの。
>近代国家に至る道のりをいくつかのパターンに分類しました。
前近代→近代とゆう枠内でね。それ以外はほったらかし。無視。要するにどうでもいいんだな。
発展段階論に沿わないところには歴史はないと。停滞してるんだと。
ああ〜、同じことばっかり何度も言ってきたら、いい加減うんざりだな。
ここまで理解力がないのも珍しい。
>>224 >こんな奴にこれ以上何を話せばよいのか。
激しく同意
194さんは明治維新について
>江戸政権は将軍の体制的専制ではなかったから、革命ではないね。
>世界史風にいえば単に徳川王朝の崩壊、ってことになる。
>昭和初期にもし天皇体制をひっくり返す事件があれば、
>これは「昭和革命」と呼ばれただろうね。
これは明治維新以降日本で体制的専制が確立したということですよね。
その一方で194さんは明治維新で
西洋文明圏に参加し、西洋通念上先進とされる国家の建前をとり、西洋風の取引をする。
ことによって近代化を進めたとしていますね。つまり体制的専制の下でも、近代化はできるということになるんですけど、
しつこいようで申し訳ないですが、近代の定義は何ですか。「西洋通念上先進とされる国家の建前」
とは具体的に何を意味するのですか。
>234
>前近代→近代とゆう枠内でね。それ以外はほったらかし。無視。要するにどうでもいいんだな。
>発展段階論に沿わないところには歴史はないと。停滞してるんだと。
そんなことありませんよ。たとえば古代ギリシャのアテネ、ローマにおいて、
領主や地主などの大土地所有階級ではなく、ブルジョアが権力を握った。
これをどう位置づけるかは難しいです。これらの地域の歴史を知ることは重要です。
ほったらかしていいわけありません。
三一書房よ、
>>194をじっくり読め。そして洞察しろ。
要するに、
「ブルジョア革命」と言ったところでフランス革命を模型にして成り立ってる概念に過ぎず、
一般普遍的な抽出をなしているとは到底言えず、
「近代」と言ったところで身びいきで曖昧な西洋人の通念に過ぎない言っている。
もっと詰めていうと、双方とも極めていい加減な観念である、と言っているわけだ。
お前はこれについてろくな反論をせず、前提を失ったまましつこく食い下がっている。
いや、食い下がってるつもりでいる。そのカッペ臭さに俺は閉口する。
このスレを見ろ。
迷惑かけてるとは思わんのか。
>238
私は207で
*1 ブルジョア革命以前の社会においては、権力は領主や地主などの大土地所有階級が握っている。
*2 ブルジョア革命によって、支配階級の座にブルジョアが就く。そしてそれが国民国家=近代国家となる。
これが基本法則
と述べています。フランス革命で上記のことが達成されたとは238さんは認識していないのですか。
私の意見も独特のものですが、それに反論する人たちはどんどん珍妙な議論をしているように見えます。
このスレタイである「何を基準に古代と中世を区別するの」からしてそもそも、
マルクスの時代区分(古代/中世/近代)を暗黙のうちに前提としているじゃありませんか。
それに待ったをかけて、世界史的に普遍性を持つ時代区分は前近代/近代
といったのは私ですよ。マルクスの時代区分に無批判に従っていた皆さんのほうが
マルクスの呪縛にはまっているのではないですか。
マルキストの半島人にとって自国の歴史には中世と呼べるような時代なかったからな
私は日本とヨーロッパの一部の地域については
古代-中世-近世-近代
の時代区分が適用できると考えていますが、近世もまたマルクスの時代区分にはなかったものです。
そして、古代から近世までを厳密に定義することはできないが、便宜上のものとしてなら
有効だと思います。
私が明治維新はブルジョア革命だと言ったところ、
愛国心があるのは分かるが今時そんなこというのはDQNだよ
と言われました。
240さんの認識とまとめると、私は日本に愛国心を持つマルキストの朝鮮人?
242 :
日本@名無史さん:03/04/13 01:08
>>237 何回同じこと言ったら解ってくれるのかなあ。誰もそんなこと訊いてないでしょ。
ギリシアもイタリアも、あなたの理論に収まるわけでしょ。前近代→近代っていう。
古代ローマもギリシアもその前近代の中に収まるわけでしょ。あなたの理論外じゃないじゃん。
俺が言ってるのは、あんたが「ほとんどすべての国が近代国家です」
と言ったことに対して言ってるんだよ。つまりこの「ほとんど」に入らないところは
無視していいんですね、マルキシズムが自分の方程式に沿わないところには
歴史がない、停滞している、って言ったのと同じ構図だね。ってこと。わかった?
まだわかりませんか。もう何度同じこと言ってもわからないようだったらいいです。
>>239 古代と中世を時代区分すること自体は、マルキシズムとは無関係です。
むしろ時代区分・時期区分は歴史学、歴史認識にとって必須の作業です。
マルキシズムとは、歴史は発展するものである、歴史を規定するのは階級闘争である、
歴史には世界史的に普遍の法則がある、と考える唯物史観・史的唯物論のことです。
つまり、あなたの考えかたそのものです。
>このスレタイである「何を基準に古代と中世を区別するの」からしてそもそも、
>マルクスの時代区分(古代/中世/近代)を暗黙のうちに前提としているじゃありませんか。
はぁ?
古代と中世の区別はマルクスの発明かい。こりゃまたずいぶんな珍説だね(w
結局、結論的に言うと、この人は何も知らないのではないか。
勉強したと言うが、その実、何もしていないのではないか。
少なくとも、マルキシズムがどういうものかということを、ちゃんと理解しているなら、
自説の論理構造がマルキシズムそのものであることなど、すぐに分かるはずではないか。
孔子のいわゆる「学ぶ」「思う」の、後者のみをこの人はしているのだろう。
人類が100年以上前にすでに到達した地点にやっとたどり着いたんだね。
人類はとっくの昔に通過した、古くさい理論にね。ご苦労様。
そうでしょ。
行間にそれが滲みでてる。
スレの趣旨からだいぶ外れてるから、
ガキは放置して中世の話しませんか
>206
>現在のヨーロッパって概念は、近代の産物なんだよ。
BC5C、ヘロドトスは「歴史」で、アジア対ヨーロッパという図式を示しています。
このスレで早々と
>7
>古代、中世、近代の分類は西洋史のもろパクリ だから日本史には厳格には適用できず、矛盾がでてくる
という意見が出ています。私は中世の後に近世を加えて、古代から近世までは厳密には各時代を定義できないものの
便宜上、そのように分けるのはかまわないと思っています。
いずれにせよ、古代、中世、近代の分類が、地域的限界を持っているという点で、
7さんと共通しています。
また97さんは、
「古代.中世.近世.近代なんて時代区分は止めよう、世界中どこの国にも適用できるわけではないのだから。」
とおっしゃっています。私もこの問題意識から、世界中どこの国にも適用できる時代区分を考えたのです。
>130
>「仮に不可逆的な変動を進歩と呼ぶなら」
>という仮定の上での話だ。
>世の中がよくなった・悪くなったの話ではない。
>またこれもよく知られているように、経済力も衰退ないし退廃する。
>ギリシアやローマが好例だ。
>しかしながら、それでも歴史は不可逆にすすみ、それを敢えて上の仮定で言うなら「進歩している」。
130さんも慎重に条件をつけながらも、歴史は不可逆に進み、進歩する、と言っています。
これはこれで発展段階論でしょう。私とはその内容が異なるものの、大雑把な歴史観としては共通しています。
221さんは私のことを「発展段階論と本質還元論=立派なサヨ」と規定しましたが、
そうすると130さんは発展段階論だけですから、「中途半端なサヨ」ですか。
249 :
日本@名無史さん:03/04/13 17:55
大名は地主じゃないとしても、武士は地主だったはずなんだが。地主権を失ったのは
なぜだろうか・・。領主権を藩や幕府に預け、そこから土地の収入を俸給として得ている
内に、地主意識を完全に失ったのかな。
>242
>俺が言ってるのは、あんたが「ほとんどすべての国が近代国家です」
>と言ったことに対して言ってるんだよ。つまりこの「ほとんど」に入らないところは
>無視していいんですね、マルキシズムが自分の方程式に沿わないところには
>歴史がない、停滞している、って言ったのと同じ構図だね。ってこと。
現在、どの国が前近代国家なのかは定かではないが、もしそれが分かったとしたら、
私は当然その国の歴史に関心を持ち、どうしていまだに近代国家に移行できないのかを考察します。
ある国が前近代の段階で様々な歴史を持っているし、近代に移行する時の状況もその国独自の事情があるでしょう。
251 :
日本@名無史さん:03/04/13 18:03
新開発田は大名権力で開墾した土地でもともと土地の権利関係がない、つまり、
ヨーロッパでいうと直営田に相当するはずなんだが、版籍奉還で大名はその権利を
ほとんど抵抗感なく手放している。これは、幕府の転封政策で説明付くと思う。あちこ
ち土地をたらいまわしにされているうちに、領地の所有者意識どころか法人(経営体)
意識さえうしなって、幕府の一部署の気分になっていたと思う。
>242
>マルキシズムとは、歴史は発展するものである、歴史を規定するのは階級闘争である、
>歴史には世界史的に普遍の法則がある、と考える唯物史観・史的唯物論のことです。
>つまり、あなたの考えかたそのものです。
確かに私は、歴史は発展するもので、それには普遍的法則があると考えていますが、
具体的には「前近代社会においては、都市国家、自治都市を除き、領主や地主などの大土地所有階級が
権力を握っている。ある時期、何らかの変革によって(ブルジョア革命による場合が多い)、
ブルジョアまたは労働者階級が権力を握り、国民国家=近代国家が成立する。」
ただこの一点です。
そして、歴史を規定するものは、階級闘争という観点も大事ですが
それ以外に、自然環境、地理的条件、人口の変動、外部の社会との関係.....
などを十分考慮しないといけないと思います。
253 :
日本@名無史さん:03/04/13 23:35
最近の時代で盛上がっているようだが、このスレは中世と古代な訳だが、
古代とは何だい?
254 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:52
文字を書くようになってからこっちが古代。
それ以前は記録が残らないからどっちかつーと考古学の対象範囲。
もちろん考古学も歴史学の一部だろうけど。
いつまでが古代か?てのはちょっと難しい。
敢えて大ざっぱな話でいくなら、鉄製農具が一般に普及した時期ぐらいじゃない?
鉄製農具が使われだすと生産がぐんと上がって社会構造も変わってくる。
あくまで農耕民本位の話です。
>130さんも慎重に条件をつけながらも、歴史は不可逆に進み、進歩する、と言っています。
>これはこれで発展段階論でしょう。私とはその内容が異なるものの、大雑把な歴史観としては共通しています。
130氏は「仮に不可逆的な変動を進歩と呼ぶなら」と言っているんだよ。
あんたみたいな無邪気な発展段階論とは次元が違う。
あんたには理解できんかもしれんが、よく読んでみろ。
「経済力も衰退ないし退廃する‥‥しかしながら、それでも歴史は不可逆にすすみ」
これが歴史・時間というものの大前提だ。その意味が理解できれば
「大雑把な歴史観としては共通しています」なんてアフォなことは言えんはずだ。
>いまだに近代国家に移行できないのかを
なるほど。世界中全て必ず近代国家に移行するものなんだ。
「いまだに」移行しない、いや「できない」のはおかしいわけだ。
「ほとんど」に入らないところも、いずれは近代になるんだ。
前近代から近代へ移行するっていう以外の歴史なんてあり得ないわけだ。
地球上全てあんたの理論範疇内ってことね。なるほど了解、了解(w
>確かに私は、歴史は発展するもので、それには普遍的法則があると考えています
やっと認めてくれましたね。それで結構。
わたしはあなたと違って、「しかあり得ない」なんて思わないから
他人がどうゆう持論であろうがかまわん。
ただ上記から必然的に導き出される諸点を指摘するたびに否定するので
くどくど同じことを繰り返してきた。(非発展・法則外地域の認識・評価など)
上記さへ認めてくれれば結構。ついでに階級闘争論であることも
(「ブルジョアまたは労働者階級が権力を握り、国民国家=近代国家が成立する」)
認めてくれるといいのだが、まあいいか。
まあ、せいぜい、発展段階論に則った世界史の基本法則目指して頑張って下さい。
>おーる
長々失礼。スレタイに戻されたし。
>255
>階級闘争論であることも
>(「ブルジョアまたは労働者階級が権力を握り、国民国家=近代国家が成立する」)
>認めてくれるといいのだが、
255をよく読んでください。そこで私は、
歴史を規定するものは、階級闘争という観点も大事ですが
それ以外に、自然環境、地理的条件、人口の変動、外部の社会との関係.....
などを十分考慮しないといけないと思います。
と、階級闘争の視点も認めつつ、それだけではなくほかの諸要素も歴史を動かす
要因だと言っているのです。階級闘争というとなんか時代遅れでおどろおどろしい
感じがしますが、これも経済的利害関係の一部分と置き換え、
上に挙げた要素と合わせて歴史の変化を解釈するのは、
マルクス主義とはかなり離れた歴史観になるでしょう。
>>経済力も衰退ないし退廃する‥‥しかしながら、それでも歴史は不可逆にすすみ」
>これが歴史・時間というものの大前提だ。
これはある意味私より強固な発展段階論でしょう。
130さんによると
>130氏は「仮に不可逆的な変動を進歩と呼ぶなら」と言っているんだよ。
>あんたみたいな無邪気な発展段階論とは次元が違う。
ということですが、例えば、フランス革命の後、王政復古した時期は、
フランス革命の成果がないがしろにされ、社会の進歩が止まっていたのですか。
257 :
日本@名無史さん:03/04/14 04:09
>マルクス主義とはかなり離れた歴史観になるでしょう。
この点言いたいこと山ほどあるが、まあいいや。
階級闘争史観を否定しないことさへ認めてくれれば結構。
発展段階論と世界史の基本法則、基底還元論と合わせて認めていただいて
私は非常に満足しています。
>これはある意味私より強固な発展段階論でしょう。
>社会の進歩が止まっていたのですか。
他の方の見解をあれこれすのは気が引けるが
130氏は社会が発展するとは言ってない。時間の流れは不可逆だってこと。
あなたに理解しろってゆうのが無理だし、別に理解してもらおうとも思わないからもういいよ。
あなたが他人の説を安易に自分に引きつけて、勝手な解釈するので。
130氏ご本人は歯牙にもかけてないだろうから、私があれこれ言うべきではなかった。
マルクス主義とはかなり離れた歴史観とやらをめざして頑張って下さい。
258 :
日本@名無史さん:03/04/14 22:14
259 :
日本@名無史さん:03/04/14 23:11
古代と中世だっつうの。
>251
>領地の所有者意識どころか法人(経営体)意識さえうしなって、幕府の一部署の気分になっていたと思う。
その幕府すら戊辰戦争で負けたんだから、なおさら維新政府には逆らいがたかったのでしょう。
板:日本史
スレッド:何を基準に古代と中世を区別するの?
日本史の古代と中世以外は、他に行ってやって下さい。
三一書房はそんだけ持説に固執するんだから自スレでも立てるといいんだよな。
中世はあれだろ、日本史の場合フロンティアの消滅からが中世だろ。
征夷大将軍の役職が形骸化した頃からが中世。
>261
>日本史の古代と中世以外は、他に行ってやって下さい。
それは259さんにも言ってるんですよね。
>では、中世の始まりは平家政権からになるのでしょうか?それとも鎌倉幕府からになるのでしょうか?
1.平家政権で武士が政治の実権を握る。
2.鎌倉幕府の成立で、武士の権力が東国を支配。
3.承久の乱で幕府の権力が全国に及ぶ。
この三段階を経て日本の中世が始まるんじゃないでしょうか。
中世は無いんじゃなかったのか
266 :
日本@名無史さん:03/04/15 19:38
日本の歴史に「中世」という名前をつけたいのなら(西洋史の用語は無視)、
律令成立から崩壊までを中世と名付けるのが良いのではなかろうかね。
大宝律令やら何とか律令の成立から明治維新頃までを中世とよぶことにしようぜ。
その間、変化は色々あったけど、共通の価値観と秩序があったんじゃねえかな。
>265
私は
>>241で
日本とヨーロッパの一部の地域については
古代-中世-近世-近代 の時代区分が適用できると考えています
と書いています。
>266
>律令成立から崩壊までを中世と名付けるのが良いのではなかろうかね。
>大宝律令やら何とか律令の成立から明治維新頃までを中世とよぶことにしようぜ。
>その間、変化は色々あったけど、共通の価値観と秩序があったんじゃねえかな。
律令成立から明治維新まで続いた共通の価値観と秩序って何ですか。
268 :
日本@名無史さん:03/04/15 21:33
律令的価値観と律令的秩序。
位階官職を正当とする世界。
269 :
日本@名無史さん:03/04/15 21:50
>>267 なんだ、結局マルクスの発展段階論をあくまで基本にして、
発展段階論でカバーしきれない中東とAA地域のフォローのために、
近代/前近代なんて大ざっぱな区分にしてみただけの話か。
ガチガチのサヨクが体面繕っただけじゃん。つまんねーばかばかしい
270 :
日本@名無史さん:03/04/16 00:27
>269
だから私はマルクス主義者でもガチガチの左翼でもないですって。
資本主義の後に社会主義.共産主義が必ず来るとは思っていません。
しかし、ヨーロッパの一部の地域と日本については
古代−中世-近世-近代
の時代区分は便宜上有効だが、その中でも特に近代に移行する段階は、
それまでの各時代の変化よりも極めて大きな断層がある、と思っています。
そして、経済.地理的条件.自然環境.人口の変動.外部の社会との関係などによって、
社会は変化していくものだと考えています。
さて、1さんは11で本によって古代と中世の線引きが違うと言っていますが、
鎌倉幕府成立の前後、つまり武士が事実上権力を握った点で共通しているのか、
まったく違う視点で線引きしているものがあったのか、この点を教えていただけませんか。
271 :
日本@名無史さん:03/04/16 01:16
マルクス主義といっても広義狭義いろいろございましてね、
その問題点はいくつも指摘されてるわけだけれども
そのうちの大きなのが「発展段階論」。
これに立つ限り「マルクス主義と変わらないよ」ということであります。
しかも、「ヨーロッパの一部の地域と日本については」
これなんてなあ、まさしくマルクス主義ナショナリストな発想ね。
まだマルクスの掌の上から出てないよ。
ちなみに、今や日本史の教科書でも中世の開始は院政期ですよ。
>>264 中世は院政期からってのが現在の通説ですが。
最近では摂関期に遡らせる議論すらある。
それを今どき武家政権を指標にするなんて。
いかにもアナクロなあなたらしいけどね。
私以前に、3、5、6などで、武家政権の誕生をもって中世の始まりとしています。
ちなみに
>>44 >教科書的には
・古代:平安時代まで
・中世:鎌倉時代〜安土桃山時代
44さんの教科書も古いのですね。
また、
>>96で、中世の定義は各人ばらばらと指摘されています。
さらに266さんは
>律令成立から崩壊までを中世
として、271さんや272さんの院政期よりもはるかに時代を繰り上げていますが、
これには批判しないのですか。
>271
>「発展段階論」。これに立つ限り「マルクス主義と変わらないよ」ということであります。
マルクスの発展段階論は、資本主義の後に社会主義、共産主義が来ると予言してたんだけど、
この部分を否定してもマルクス主義になっちゃうの?
>「ヨーロッパの一部の地域と日本については」これなんてなあ、まさしくマルクス主義ナショナリストな発想ね。
土地を媒介とした臣従関係(いわゆる封建社会)によっていったん地方分権がすみ、
その後、中央集権的な体制を経て、近代国家に至るという点では、同一性があると思います。
>中世は院政期からってのが現在の通説ですが。
通説を鵜呑みにしてそれを披露するなら何も議論はできない。
私もある部分では通説を受け入れ、ある部分では独自の考えで歴史観を作り上げているのだが、
通説であろうと異端的な説であろうと、自分の意見として表明するなら、
その理由を説明してほしい。
摂関期も院政期も短期間で終わったのですが、これが中世の始まりとするなら、
それらの時期の重要な要素がずっと中世が終わるまで続いていたことになりますが、
その点を踏まえて説明願います。
275 :
日本@名無史さん:03/04/16 20:13
漏れは信長の上洛(1568年)が近世の始まりで、中世は小田原降伏(1590年)まで続いてたと思う。つまり地域によって中世の終わりと近世の始まりが違うということ。織田・豊臣の力が及んでいたところは中世から近世になっていった。
ヨーロッパでいうと、14世紀、イタリアでルネッサンスが開化した頃、お隣フランスではまだ中世が続いてたということと似てる。
>>律令成立から崩壊までを中世
>として、271さんや272さんの院政期よりもはるかに時代を繰り上げていますが、
>これには批判しないのですか。
何で「はるかに繰り上げてる」なんて言えるんだよ。
律令の崩壊をいつと捉えるかは人それぞれだろうが。
あんたの摩訶不思議な頭の中では定説があるのかも知れないけどねw
院政期からを中世だとする人は、摂関期はまだ律令の時代だと考えるし(後期律令国家論)
いっぽう摂関期をすでに権門体制の時代だとする人もいるし、王朝国家論の立場をとる人もいる。
人それぞれなんだよ。だから中世がいつからか議論が分かれるんじゃないか。
266さんの言う律令を一つの指標とすることは、近年までの通説的立場。
もちろんそのこと自体の可否は問われるべきで、最近はそういう議論も出てきているが
少なくとも誰かさんのような、武家云々で時代区分するなんていう無邪気な話とは訳が違う。
>この部分を否定してもマルクス主義になっちゃうの?
ようやく分かったようだね。その通り。
マルキシズムの本領は、歴史は発展するものであり、それには普遍的法則がある
という偏屈でDQNでトンデモな「物の考え方」。その結果付随的に導き出されたのが社会主義・共産主義の話。
人類に対する害悪としては前者(物の考え方)のほうが遙かに大きい。
後者の共産主義云々の話は信じなくても、発展段階論・本質還元主義には
多くの人間が知らず知らずのうちに染まっている。誰かさんみたいにねw
>通説を鵜呑みにしてそれを披露するなら何も議論はできない。
>その点を踏まえて説明願います。
鵜呑みにしているわけではない。通説が通説たりうるのは、多くの人によって
支持される理由があるからである。説明するなら異端的な意見を言うほうが
説明すべきであろう。もっと研究史を踏まえて発言してほしい。
武家政権を中世の始まりとする素朴な古典的議論から、もう何度もパラダイム変換が起こって
現在に至っているわけである。現在の学説(通説であるかどうかを問わず)は
そういった過去の業績の積み重ねの結果として存在しているのであり
それらを無視した議論を出されたって、こっちはどうしようもない。
微積分の話をしているときに、四則演算から説明しろと言われても困る。
そんなことは自分で勉強してくれ。いいかげんあなたの相手するのも疲れてきた。
>自分で勉強してくれ
その通りだな。概して水準が高校生レベル。
その時期まではごく自然に、そうとは知らずに左派観念持ってる奴が多い。
勉強してくれというしかない。
ときに三一書房よ、おぬし確証バイアスって言葉知ってるか。
お前がまさにそれ。反証となる事実を明らかに黙殺している。
ひとつやふたつの話ではない。随所に見られるのだが、
>土地を媒介とした臣従関係(いわゆる封建社会)によっていったん地方分権がすみ、
>その後、中央集権的な体制を経て、近代国家に至るという点では、同一性があると思います。
これなんかは明らかにその口で、かなり恥ずかしい間違い。
重大な認識について、ド素人みたいな間違いを犯してる。
だから「もっと勉強しろ」という声があがるわけだ。
何処を間違えてるかわかるか?
教えてやんねーよ。「自分で勉強してくれ」。
>>3 >たしか土地を媒介にした主従関係(いわゆる封建制度)の有無だろ?
>鎌倉殿と御家人との御恩と奉公ってやつだ
>>6 >主流、保元・平治の乱の頃
>>44 >教科書的には
>・古代:平安時代まで
>・中世:鎌倉時代〜安土桃山時代
>>137 >中世が平安末〜鎌倉に始まるというのはマルクス主義どころか
>明治時代の原勝朗まで遡るのだが。
>>167 >鎌倉時代の前までが古代、戦国時代の半ばまでが中世、
>>214 >1 1 9 2 年 か ら 中 世 ! !
私以前にこれだけの人が、武士の存在を重視して中世の始まりを位置づけています。
277さんの
>微積分の話をしているときに、四則演算から説明しろと言われても困る。
>そんなことは自分で勉強してくれ。いいかげんあなたの相手するのも疲れてきた。
この発言は上に挙げた人たちにも向けられているんですよね。
280 :
日本@名無史さん:03/04/16 23:01
マルキシストが。わが国の歴史に西欧を見ようとしているに
過ぎない。戦前の歴史研究者と根底では変わらず。
>276
>マルキシズムの本領は、歴史は発展するものであり、それには普遍的法則がある
>という偏屈でDQNでトンデモな「物の考え方」。その結果付随的に導き出されたのが社会主義・共産主義の話。
なんかもう感情的になって無理やり反論のための反論をしていますね。
資本主義がいきずまって社会主義、共産主義が来るという点を否定してもマルクス主義だなんて......。
>発展段階論・本質還元主義には多くの人間が知らず知らずのうちに染まっている。誰かさんみたいにねw
このスレでも私以外に歴史は不可逆的に進歩するといっていた人がいましたね。
唐突ですがここで高杉晋作の狂歌を紹介します。
太閤も 天保弘化に生まれなば なにもへせずに 死ぬべかりけり
これは、秀吉がもし天下泰平の時代に生まれていたら何もすることはなかっただろう、
という意味です。もっと言えば、一人の人間の努力によって社会が動くのではなく、
環境の制約の中で人々はそれにうまく対応しようとして社会が形成されるということを示唆しています。
その環境の要素として、「経済、自然環境、地理的条件、人口の変動、外部社会との関係」
などがあります。これが本質還元論だからだめだというのなら、
276さんは社会の変化していく要因は何だと思っているのですか。
>266さんの言う律令を一つの指標とすることは、近年までの通説的立場。
オイラ素人だけど、オイラと同じように感じている人が結構いるようなので嬉しい。
オイラのいう中世の中には様々な変化があって、中でも武士の成長は重要だよね。
だから武士の成長に関連して時代区分を置きたくなる気分は分からないでもない。
だけど、それだと、律令以前の時代をどう見るのかで困ってしまう。
律令以前の歴史が謎めいているので、ホトンド無視する立場をとりがちな人達にとっては、
律令以後にしばらく「古代」を置きたくなるんだろうなと思うよ。
けれども、律令以前の歴史をしっかり見る気になれば、
やっぱ、律令の存在はでかいよ。
それ以後の武士ったって律令の規範のなかの存在じゃないの。
武人というだけなら、律令以前にもタンといる。
大王家にも武人だらけ。
律令制なんてできたそばから崩壊している。
そもそも律令制が出来たときから完全に施行されているとはいえないようじゃんか。
それより、律令制というものがその後のとてつもない長い時代の
規範意識としてよこたわったということが重要と思うんだよね。
283 :
日本@名無史さん:03/04/16 23:41
仕様だ馬鹿!
(^^)
>282
たしかに、徳川幕府でさえ律令制を廃止しなかったから、その規範意識が
根強かったのは認めます。でも、その意義を認めれば認めるほど、
それを終わらせた明治維新の画期性を認めざるを得ませんね。
>資本主義がいきずまって社会主義、共産主義が来るという点を否定してもマルクス主義
や、マルクス主義だろ。ふつーに。
もっと具体的に言えば所謂「マルクス史観」。
社会主義、共産主義を否定しているだけであってマルクス主義であることには間違いない。
社会主義、共産主義というのはマルクス史観の延長線上にある政治イデオロギー(過去の)であって、
極論すればマルクス史観の論理上の帰結に過ぎない。
あくまでその主体はその史観なり経済論にある。
ずいぶん前の方で、古代と中世の境については議論が終わったので、
「じゃあ次は中世と近世の境はどこ?」というふうに話が展開したのに、
その直後から近世を飛ばして「近代論争」。
それにうんざりしたら「古代と中世の境について」のループ。
みんな我が儘なんだね。
>286
>極論すればマルクス史観の論理上の帰結に過ぎない。
あのですねー、マルクス主義というのは別名「弁証法的唯物史観」と言いまして、
やたら矛盾とか対立を強調するんですよ。
「社会の変革は生産力と生産諸関係の矛盾が表面化したときに起こる」
これが基本。これを資本主義社会に当てはめれば、「極論」ではなく必然的に社会主義革命、
共産主義革命へとつながっていくんです。
それにマルクス主義社会の変革要因として「生産力と生産様式の矛盾」
に力点をおいてますが、その点私はもう少し幅広く
「経済、自然環境、地理的条件、人口の変動、外部社会との関係」
などに対応して社会は変化し、安定すると考えています。
これでもまだ、マルクス主義だけしからんとおっしゃるなら、
286さんは社会が変動していく要因は何だと考えているのか、
自分の歴史観をぜひ披露して下さい。そしてそれにもとずいて、
古代と中世の境目を示してください。
>>286 お前の主張をまとめれば「量的変化から質的変化」、弁証法そのものじゃないかw
単に「マルクス主義」の枠を勝手に狭めて、自らは違う、と主張しているに過ぎない。
自分に都合よく土俵切って一人相撲やってりゃそりゃ無謬だろうよ。
第三者不在。客観性皆無。
幼児は鏡に映った自分の姿を否定したがるからな。
290 :
日本@名無史さん:03/04/17 22:39
マルクスが好きとか嫌いとか、楽しんでるヤツが数人いるようだが、
そんなもんで盛上がるヤツに出会ったのはもう何10年も昔のこと。
懐かしいなあ。
291 :
日本@名無史さん:03/04/17 22:45
正しければ「誰の説」だっていいんだけどね。
>289
「(弁証法は)ブルジョア階級とその杓子定規的な代弁者にとって腹立たしい、
恐ろしいものである。というのは、それは現存しているものの肯定的理解の中に、
同時にその否定の理解、その必然的理解を含むものであり......その本質上、
批判的で革命的なものであるからである。」マルクス/資本論/
マルクスが資本論で言ってるように、マルクス主義において、資本主義の後に社会主義が来るのは必然なんです。
何度も言っているように私は資本主義の後に社会主義が来るとは思っていませんし、
「量的変化から質的変化」一本やりだと、資本主義と社会主義の中間の
スウェーデンのような社会民主主義が分析できないでしょう。
私の歴史観は288で示したとおりですから、289さんは人の歴史観をあれこれ言うなら、
社会が変動していく要因は何だと考えているのか、
自分の歴史観をぜひ披露して下さい。そしてそれにもとずいて、
古代と中世の境目を示してください。
わかった、わかった。三一書房さんは正しい。あなたの見方は間違ってない。
世界で唯一の正しい理論だ。世界の定説だ。はいはい。
だからこんなところでくすぶってないので、立派な歴史家になって下さい。
今度はスウェーデンですか。まさに修正主義者の面目躍如ですな プ
中世イコール武士、近現代イコール市民社会・国民国家ですか。
まさに‥‥
またどうせ文句言われるからやめとこ。
私は264で
1.平家政権で武士が政治の実権を握る。
2.鎌倉幕府の成立で、武士の権力が東国を支配。
3.承久の乱で幕府の権力が全国に及ぶ。
この三段階を経て日本の中世が始まるんじゃないでしょうか。
といいましたが、古い説だといわれるかもしれませんが結局これが妥当なんじゃないでしょうか。
律令説については、正式な律令の職でない征夷大将軍に実権が移り、それに官職を与えてはくづけをすることで、
律令は空文化したと思うのですが、そうは言っても、明治維新まで廃止されず、
江戸時代でも官位が大名や旗本たちに与えられていたのですから、この辺の解釈は難しいですね。
律令説を一刀両断に切り捨てることはできません。見解の相違として、1さんの判断に任せましょう。
>世界で唯一の正しい理論だ。世界の定説だ。はいはい。
私はそんな傲慢なこと思ってませんよ。
ただ、私をマルクス主義だからけしからんといっている人たちの誤解を解くために一連のレスをしていたのです。
>またどうせ文句言われるからやめとこ。
だからちゃんと自分なりの歴史観に基づいて、中世と古代の分岐点を示せばいいじゃないですか。
296 :
日本@名無史さん:03/04/18 21:11
「中世はどこから始まるのが正しいか」という命題は無意味で、
「この列島の歴史に大きな区分を設けるとして、
古代、中世、現代の3区分に分けるとすれば(4区分でも5区分でも何でも良いが)、
その定義をどう置くと分かったような気になって楽しいか」
ということよ。
その回答は色々あろうね。正しいかどうかではなくて、
その理由を含めて、聞いていて面白く、なるほどな、と触発されるかどうか、
それだけのことよ。
なんせ、時代区分なんてえなものが、本当にあるわけではないよ。
各自の歴史観の開陳以外のないものでもないよ。
298 :
日本@名無史さん:03/04/18 21:25
299 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:21
「時代區分」とかいう木簡が出ると良いんだが。
断層からな。
初めなんのこっちゃと思った。
301 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:26
「神の手」なら可能か?
302 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:37
年号入りの石碑でもOK。
303 :
塩ビ工業・環境協会(偽:03/04/18 23:50
ご相談ください
「塩ビ製品は耐薬品性に優れており、土壌中の酸やアルカリに侵されて有害物質を発生することはありません。又、自然に分解することもなく、長期的に安定した材料です。」
この場合の二酸化マンガンにあたるものを触媒と言います。
反応速度を速める働きをしますが、みずからは化学変化しない点が重要です。
305 :
日本@名無史さん:03/04/19 12:07
>>294三一書房氏へ、
貴殿の中世の定義と特徴は何ですか?
既出なら申し訳ないが、改めて簡潔に書いてちょ。
>305
私の中世の定義はまったく平凡です。また、時代遅れだと皆さんの嘲笑を浴びるでしょう。
武士という身分が、土地を媒介とした臣従関係でつながりながら、権力を握っていた時代。
中世の段階では、地方、というより地域的な独立性が強かった。
また、いまどき武士かよ---と突っ込まれるんでしょうね。
308 :
日本@名無史さん:03/04/19 22:03
>>307 時代区分のポイントとして武士に着目するのは中々興味深いと思います。
ただ、その方法で列島史上の中世を定義すると、その前の時代区分が辛くないですか?
その前に何個かの時代区分を置くのならそれも面白いとは思うのですが、
中世と来ればその前は何と言っても古代。しかし、武士以前を古代という一つの
時代区分とするのは何か変な気がします。
やっぱ、律令とか、日本統一とか、大和朝廷成立とか、何かその辺に区分が
あるべきと思うんですよね。
そうすると、そのポイントと武士とどっちを取るか。
まあ、どっちでも良いので、列島史に何個の時代区分を設ける前提で
話をしているのかということで変わってくる面もあるのですが、
やっぱ、律令かな、とオイラは思うよ。
309 :
日本@名無史さん:03/04/19 22:27
誰にともなく、おききします。
知識がプアなので見えてこないんですが、
時代が変わると判定する対象を
「日本列島の住民のライフスタイル」にはできないのですか?
王権のスタイル史ならわかるんですが。
>>308 戦後十数年のうちに書かれた通史読め。
興味深くともなんともない。
>>309 どの住民のライフスタイル?
もうちょっと詳しくキボンヌ
>>310 無知からスタートしてるので申し訳ない。
どの住民って日本列島の全員です。
先史時代と民俗学ばっかり好きだったので、
「鉄器の使用」とか「弓矢」「黒曜石」「里芋栽培」
「木製椀」「笊籠」「一日の労働時間」「交易範囲」
「塩と材木」みたいなことで区分できないのかと・・・
308は間違いです。309です
313 :
日本@名無史さん:03/04/19 23:37
>>311 一概に「ライフスタイル」と言っても難しいかも。
民俗学では割合なじみの深いメンツだと思うが、
日本には其の地勢上、漁民や山の民も無視できぬほどたくさん居た筈で、
農村社会と相互寄与しつつ社会を構成していた。
民衆といえば農民とブルジョアばかりだったわけじゃない。
上の方にそういうの全部無視して土地と権力者だのブルジョアだのわめいてる馬鹿がいるけどな。
民俗学は俺も好きだよ。
これはたとえばの話だけど
>>311の示唆したような方向性をつきつめてゆくことで、
歴史学の分野にダイナミズムをもたらすようになればたぶんもっと好きになる。
314 :
日本@名無史さん:03/04/19 23:46
ライフスタイルの視点もヴェリーグッド。
その場合でも古代とか中世とかの時代区分は可能ですか?
というか、名前は何でも良いことで、
列島史を大きく3〜4程度の時代区分を設けることは可能ですか?
>>313 いや、なんだかわからんのです。
鉄器は世界中で、生活を変えたでしょう。
弓矢もそうでしょう。
また、高度な労働カレンダーや、交易などでもよいでしょう。
もし、ライフスタイルがほとんど変わっていなかったら、
時代区分を無理にしなくてもいいかな、とも思います。
貴殿は「列島史を大きく3〜4程度の時代区分」しなければならない
ところから始めておられるわけですが、
私の考えでは、自分の先祖史から離れた「王権史」じゃあ
つまらないなあ、などと思っているわけです。
>>315 いかにも民俗畑っぽい、微妙な考え方の傾斜が気に入ったw
いいキャラだ
>>317 いや、ほんとに大笑いしてもらっていいのです。
>308
>やっぱ、律令とか、日本統一とか、大和朝廷成立とか、何かその辺に区分があるべきと思うんですよね。
それはそのとおりだと思います。私は、668年の天智天皇即位で一つの区切りがあると思います。
この時、日本という国号の採用し、近江令で国家の行政機構の枠組みが決まり、
670年に最初の全土にわたる戸籍「庚午年籍」の作成、などがありました。
一言で言えば日本建国。でもその前にどこかで区分すべき時期があるでしょう。
>309
>時代が変わると判定する対象を「日本列島の住民のライフスタイル」にはできないのですか?
高校生レベルで時代遅れの知識しか持っていない私が言うのもなんですが、
そうするとますます時代区分が難しくなるでしょう。地域によって習慣が違いますし、
住民といっても、農民、商人、ものを作っている人....職業やその中での規模の大小など
どこまで視野に入れていいのか誰にも分からないと思います。
320 :
日本@名無史さん:03/04/20 00:35
天智天皇即位で国号の採用? 近江令で国家の行政機構?
勉強してきましたってのはいったいどこでだ、おい
>>318 いやいや、皮肉や馬鹿にして言ったわけじゃないんだ。すまん
「王権史じゃつまらないなあ」。
失礼ながらふきだしてしまったんだが、同時に共感してしまった部分もある
つまるつまらないで言われてみれば、多少そんな気もするw
魅力あるよあなた
>>319 三一書房さんより、授業中寝ていた私のほうが、何でも言える(笑
日本アルプス以西の統一が、701年の天武の大宝律令あたりでいいと思うんです。
でもわたしが思うのは、3世紀半ば〜鉄器がじわじわと使われるようになった。
農業、漁業、戦争すべて、スピードが速くなった。
余剰生産物が出て、労働すると財ができ、世間が騒がしくなってきた。
それを「西の王権統一」したのが668年〜701年だという感じです。
つまり、300年以上生活が落ち着かなかった。昭和20〜昭和末もそうですね。
323 :
日本@名無史さん:03/04/20 00:58
時代区分は前近代と近代しかあり得ないんじゃなかったのかよ。
>>323 日本とヨーロッパに限り他の区分もありえるのだそうな。
江戸政権は中央集権国家であり、明治維新はブルジョアが権力を握ったので、
西洋と日本の歴史は基本的に同じなんだそうだ。
間違いだらけの解答用紙でつね
>西洋と日本の歴史は基本的に同じなんだそうだ。
ああ、そういえば、そんなこと言ってたね。
別に目新しくもない、てゆうか、何か70年代にトリップした感じw
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
327 :
日本@名無史さん:03/04/20 09:56
>>309>>315 >貴殿は「列島史を大きく3〜4程度の時代区分」しなければならない
>ところから始めておられるわけですが、
とんでもないです。
このスレの主旨と、
>時代が変わると判定する対象を
>「日本列島の住民のライフスタイル」にはできないのですか?
と貴殿が書かれていたので、何かアイデアがあるのであればと思い、
聞いてみただけで、ないのであれば、別にそれで良いです。
328 :
日本@名無史さん:03/04/20 10:04
>西洋と日本の歴史は基本的に同じなんだそうだ。
西尾ら自由主義史観者らが「封建時代があったのは日欧のみ」とプロパ
してるので、利用されないように。
ちなみに、江戸時代=近世ならば、西欧に近世と言うのは存在しない。
西欧では中世の次が近代です。
ま、無理やり当てはめるのは、かつてのマルクス主義的で危険と言うことかな?
↑スレのログを嫁。
とっくに出尽くした
>>327 了解です。
私にとって「征夷大将軍」「封建」「武家社会」などの語は、
隔靴掻痒の感があります。
ラーメン屋さんに入ってメニューをみたら、
成分分析表と記号だけ載っていたような感じです。
>325
>>西洋と日本の歴史は基本的に同じなんだそうだ。
>ああ、そういえば、そんなこと言ってたね。
>別に目新しくもない、てゆうか、何か70年代にトリップした感じw
>328
>西尾ら自由主義史観者らが「封建時代があったのは日欧のみ」とプロパ
>してるので、利用されないように。
私の意見を批判する方は、批判のための批判って感じで、最初は近代主義、
次はマルクス主義、そして今度は自由主義史観ですか。
241で私は、日本とヨーロッパの一部の地域に限っては「便宜上」、
古代-中世-近世-近代 の時代区分は使えるといったのであって、
基本的に同じとは思っていません。
ヨーロッパの歴史に近世を適用したのは、絶対主義の時代を区分したほうがいい
と思ったからです。もちろんヨーロッパの絶対主義は江戸時代よりずっと中央集権が進んだ体制ですが、
国王が諸領主と協力して権力基盤を固め、中央集権を進めたという点で一致しているので、
近世で一くくりにしました。
>320
まさか日本書紀に出てくる天皇が当時から「天皇」を使っていたというんじゃないでしょうね。
律令制とひとまとめにして言うけど、官位を定めたという意味で「令」が大事ですよ。
「三国史記」によると、670年12月のころに倭国が改めて日本と号した、というくだりがあります。
外国の史料に「日本」が出てくるのはこれが最初ですから、その直前に起きた変革で最初に「日本」
という国家が誕生した。それまでの歴史は、日本列島の上で起きた倭国とかいろいろな地域支配者の興亡。
332 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:11
>>331 ・・・まあ細かいことは良いけどさ、少しは現在の研究水準てのも考慮してくれや
天皇号・日本号の成立に関しては天武朝からというのが現在の通説
推古朝からという説も有力だが、天智朝という説は(無くは無いが)あまり相手にされてないよ
近江令に関しても、存在を認めないか、単行法だったというのが青木和夫以来定説化してる
もちろん、こっちにも異論はあるけどね
あんたの古いのは史観だけじゃないみたいだな
333 :
日本@名無史さん:03/04/20 16:59
やっぱ、時代区分には律令が良いようですね。
個人的に何となくそう思っていたのですが、
皆さんの書込み見ていて改めてその思いを強くしました。
列島史を何区分にするつもりかによって話は違ってくると思いますが、
仮に、非常に大括りな時代区分を考えるのなら、
「律令」を画期とするのが良いですね。
それ以後が中世、それ以前が古代。
律令が列島史にとってそれほど大きな意味のあるもんなのかどうかが疑問。
律令・・・あんなものは飾りですよ。偉い人にはそれがわからんのです
>>333 また、勝手気ままな話ですが、大和朝廷が律令決めたから
中世になったんじゃ「王権史」だからつまらない(笑
日常鉄器具が一般人まで普及したので、適地の農地化が一服し、
新農地開墾に行き詰まってくるとともに、土地の私有概念が定着し、
製鉄+地金流通+鍛冶を含めて、塩、乾物、木材の流通など、
広域分業社会が躍動し始めるのが中世。
・・・かなり怪しい想像です
337 :
日本@名無史さん:03/04/20 17:29
律令が輸入ものというのが辛いけどね。
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>332
>天皇号・日本号の成立に関しては天武朝からというのが現在の通説
>近江令に関しても、存在を認めないか、単行法だったというのが青木和夫以来定説化
あなたは現時点での通説を鵜呑みにしているだけじゃないですか。
もちろん上の説が現在の流れになってるのは知ってますけど、
もう一度旧説と読み比べて自分で考えた結果、やはり旧説は捨てがたいと思いました。
通説がかわればまた無批判的にそれを鵜呑みにするのですか。
仮に百歩譲って、現時点での通説が正しいとして、
このスレの趣旨「古代と中世の時代区分」とどう関わってくるのか、
天皇号、日本号の成立をもって古代日本の建国とし、一つの分岐点として位置づけること自体には賛成なのか、
別の基準で別の時期に古代の区分点を持ってくるのか、
あなた自身の意見を聞かせてください。
横レスになるが。
>やはり旧説は捨てがたい
何故そう思ったのかを書かないから説得力ないんだよ
列島人史の時代区分を、微細なところで分けると、
「大づかみ」の話のはずが、重箱の隅をつつく方に行きがちです。
「王権史」が面白くないのも、ひとつにはそのためです。
>340
>やはり旧説は捨てがたい 何故そう思ったのかを書かないから説得力ないんだよ
だから私は339で
「仮に百歩譲って、現時点での通説が正しいとして、」
と、天武朝のときに天皇号、日本号が成立し、近江令については存在しないか
単行法であると仮に認めたら
このスレの趣旨「古代と中世の時代区分」とどう関わってくるのか、
天皇号、日本号の成立をもって古代日本の建国とし、一つの分岐点として位置づけること自体には賛成なのか、
別の基準で別の時期に古代の区分点を持ってくるのか、
あなた自身の意見を聞かせてください。
と、332さんに問うたんです。でも自分の意見は言わないんですね。
345 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:25
>343の三一書房さんへ。
>>341で、>もういい。スルーしてくれ
とのことだから、もう良いんじゃないか?
自分の意見を自分の言葉で言うことができないようだから。
みなさんは、「なんとか令」「なんとか律令」の勅をもって、
中世突入だとお考えでしょうか。
私はムズムズするんですが・・・
>>345 三一書房と過去ログ読まない新規参入の無限ループが続いております。。。
気が変になりそうなんでそろそろ私撤退します
348 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:55
>>346 Yes, I do.
ただし、列島史を3〜4の時代区分に分けたいと思う場合の話としてね。
そもそも、時代区分なんて、「いや、その前から変わりつつあった」とか、
「人々の生活がそんなに急に変わらない」とか言うヤツが出てくるのは分かっていて、
そんなの当然だと思うから、話の前提を前提として受容れるて話を楽しむ場合のこととしてね。
>>348 突き詰めると、スレタイ自体を否定してしまいますからね。
350 :
日本@名無史さん:03/04/20 22:07
なんたって、日本建国の画期だからね。
これを画期と言わずして、何をか画期という。
309さんは列島住民のライフスタイルで時代区分することを提唱しましたが、
私は当初、文化、習俗などのことを指していると思いました。
しかしそれが
>鉄器の使用」とか「弓矢」「黒曜石」「里芋栽培」
>「木製椀」「笊籠」「一日の労働時間」「交易範囲」
>「塩と材木」みたいなことで区分できないのかと・・・
>日常鉄器具が一般人まで普及したので、適地の農地化が一服し、
>新農地開墾に行き詰まってくるとともに、土地の私有概念が定着し、
>製鉄+地金流通+鍛冶を含めて、塩、乾物、木材の流通など、
>広域分業社会が躍動し始めるのが中世。
ということなら、このアプローチもまた有意義だと思います。
>>351 構想がまとまらないので、用語もあやふやですみません。
353 :
日本@名無史さん :03/04/20 22:47
日本には古代と近代しか存在しない。
戦国時代までが古代、豊臣政権以降が近世。
中世などは存在しない。
354 :
日本@名無史さん:03/04/20 22:50
西尾かよっ
>>353 旧石器時代と戦国時代は、別な時代に分けたいような気がするんですが?
>353
>日本には古代と近代しか存在しない。
矛盾してます↑↓
>戦国時代までが古代、豊臣政権以降が近世。
「豊臣政権以降が近代」のタイプミスですか。
この時期を境に何が大きく変わったのですか。
>>353さん
私は何言われても驚きませんから、ご安心ください。
本音でずばっとお願いします。
>あなたは現時点での通説を鵜呑みにしているだけじゃないですか。
おれ332じゃないけどね。近江令の実在なんてことが唱えられてたのはね、
はるかはるか昔なわけ。それから研究が積み重ねられてね、いちおう通説なるものが
形成されてるわけだ。もちろん通説も仮説に過ぎないわけだから批判され覆らない
ことはない。しかしそのためには過去に肯定派と否定派の間でもってなされてきた
議論を超える議論が必要なわけ。あんたのような印象論・感情論じゃ話にならんの。
前近代と近代って区分は、まああんたとはレベルも次元も違うが
近年ウォーラーステインもやってたことだし、そのこと自体は
別に非難するには当たらない。しかしね、まあウォーラーステイン
以上のことを言えとは言わんけどさ、せめて彼の説を踏まえるなり、少なくとも90年代以降の
研究動向も含んでもらわないとさ。今頃70年代の言説持ち出されてもねえ。
何日かぶりにここ覗いたけどさ、日本とヨーロッパには同じ時代区分が可能だとかさ。
相変わらず何の進歩もないねえ。まあもうすぐ5月だし、回顧と展望も夏が近づいた頃には
出るだろうからさ。もうちょっと勉強したほうがいいよ。本当に歴史学について発言したいならね。
309さんの
>>330 >私にとって「征夷大将軍」「封建」「武家社会」などの語は、
隔靴掻痒の感があります。
っていいねえ。誰かに見せてやりたいよ。あ、見てるかw
その後の他の309さんのもいいねえ。336とか342とか。
誰かさんにも見習って欲しいもんだ。
>358
>近江令の実在なんてことが唱えられてたのはね、はるかはるか昔なわけ。
この点は自分の間違いを認めます。
>日本とヨーロッパには同じ時代区分が可能だとかさ。
過去ログをちゃんと呼んでください。私はあくまで、ヨーロッパの「一部の地域」と日本において「便宜上」同じ時代区分にすることならかまわない、
といっているのです。
>それから研究が積み重ねられてね、いちおう通説なるものが形成されてるわけだ。
>あんたのような印象論・感情論じゃ話にならんの。
歴史学では、新史料の発見、もしくは既存の史料をつき合わせて合理的に解釈した結果、事実関係が変わり、
疑問の余地なく通説が変更を余儀なくされることがあります。
しかしその一方で、既知の史実をどの程度評価しなおすかで、通説が変わる場合もあります。
江戸時代の鎖国政策がそうです。昔は、文字通り国を閉ざしていたと認識されていました。
しかし、四つの口で対外的に開かれていた面を強調する立場が出てきました。
鎖国以後の日本が、オランダ、中国と貿易をして、朝鮮と外交関係を持ち、琉球やアイヌと関係を持っていたことは、
古くから知られていたことで、決して新史料の発見や、誰もが納得する史料の合理的再解釈によるものではありません。
「あんたのような印象論・感情論じゃ話にならんの。」どころではなく、
まさに「印象論・感情論」で通説が変わりうる例です。
ところで、私の意見、基礎的事実の誤りを批判するのはかまいませんが、
それがこのスレの「何を基準に古代と中世を区別するのか。」にどのように影響を及ぼすのか、
私の間違いを正した結果、どのように古代と中世の認識に変化を及ぼすのか、
その点を自分の意見として述べてください。
>>359 いえいえ、私の真似したら、「歴史学」から脱線です。
むしろ過去レス(例えば1〜150)に宝ありっていう気がします。
それより
>>347さんの指摘が一番気になっています>私か?
論をきちんと積み上げよ!というお叱りだと思います>反省
362 :
日本@名無史さん:03/04/22 18:45
>「便宜上」同じ時代区分にすることならかまわない、 といっている
横レス失礼。
「便宜上なら構わない」どころか、時代区分なんてもんはそもそも便宜上の話だぞ。
古文書に「今から中世です」という記述が出てくるわけでもなければ、
地層から「之ヨリ下層ヲ近世ト云フ」と書かれた木簡が出てくるわけでもない。
いつからを中世と呼ぶかはここではさておくにしろ、
古代最末の人間と中世最初の人間の社会が大きく違うということもない。
メジャーには目盛りが振ってあるように、時間の流れにも便宜上目盛りを振っただけ。
細かく振りすぎてもフレキシブル性に欠けるからじゃあ大まかに5つぐらいに分けましょうと。
それだけの話に過ぎない。
あ、マルキシズムは別だよ。ここで言ってるのはあくまで
「マルクス史観に拠らずに時代区分に意義を見出すのなら」ね。
なお余談だが、時代区分にカッチリとした唯一の時機を与えるのも私はナンセンスだと思う。
10-20年幅ぐらいで「いつ頃」とさえ分かればよいのであって、
そういう社会現象を見出すことがより有効だろうと。
具体的に云えば「AD1868からが近代」とするよりは「1858-78辺りからが近代」とした方が、
時間の経過を分かつにあたって、要素となる筈の事件をおよそ内包しているという点で「正確」だし、
クダラナイこと(便宜上の話)で不毛な議論を繰り返す必要もない。
>362
>いつからを中世と呼ぶかはここではさておくにしろ、
このスレは何を基準に古代と中世を区別するのか、ということですから、
>10-20年幅ぐらいで「いつ頃」とさえ分かればよいのであって、
>そういう社会現象を見出すことがより有効だろうと。
362さんは、どのような社会現象がどの時期に生じて、中世の出発点とするのか、
具体的におっしゃってください。
私もまた、
>>307で、ある程度の期間を経て、中世の出発点としています。
君・・・読解力皆無だね。。。
365 :
日本@名無史さん:03/04/22 21:51
文化や精神世界の印象で言えば、戦国時代の前後で列島史を2つに分けるのが良いような気がする。
戦国時代以前のことは、何だかシックリ来ない別世界のことのように感じられるよ。
まあ、恐らく、戦国時代以前にも大きな変化があったんだろうけど今じゃ良く分からない。
頑張れば分けられるのかもしれないが、どうせ多くの人に興味はない。
例えば、「今年の10大事件」とか年末にやっても、年初頃の事件より年末近くの事件の方が
大きく取り上げられる傾向があるよね。所詮そんなものかなと思う。
所詮、時代区分ったって今を基準とするしかないしね。
印象だけで書き込むのもどうかとは思うが、意見ある人はどうぞ宜しく。
おっといけねえ。
時代区分の意見を言うのに、「戦国時代」という時代区分を使ってしまった。
でもまあ良いよね。
私は13世紀中ごろが気になって仕方がありません。
庶民の念仏・死者への弔い・鍬や鋤・牛馬耕作・二毛作・銀行・日本国民意識の萌芽・箸の使用
・・・ここからなら、今に繋がるような感じ・・・
>まさに「印象論・感情論」で通説が変わりうる例です。
プ なるほど。そうゆう考えなわけね。
近年の鎖国論が印象論・感情論だってか。
これこそパラダイム転換、過去の議論を超える議論の恒例なんだよ。
それを印象論・感情論としか認識できないとは‥‥
救いようがないわ。少なくとももう私にはあなたの頭を変えるのは
無理なので退散します。さいなら〜
>>367の補足です
「死者への弔い」とは板碑=供養塔の習慣のことです。
弔う気持は400万年前でもあったでしょう。
>365
>文化や精神世界の印象で言えば、戦国時代の前後で列島史を2つに分けるのが良いような気がする。
私の本来の立場と違いますが、「文化や精神世界の印象」という土俵に立つなら、
天皇が現人神として日本を統治することが書かれた「日本書紀」の成立が一つの区切り。
そして、1946年の人間宣言でそれを天皇自ら否定したのが次の区切り。
371 :
日本@名無史さん:03/04/23 17:42
ハァ?
>>370三一書房さん
おもいっきり私を刺激してくださいましたね(笑
「王権の大義名分」のお話をされたとおもいますが、
為政者からみたらそうだと思いますが、
列島人全員にとってあまり大事じゃないことのようにみえます。
別な例では「今度の王様は禅譲か、略奪か」なんて、
結構みんな冷ややかに見ていたのだと思います。
ここで笑っていただけないと困ります。
・・・「王権史」が面白くない309より
373 :
日本@名無史さん:03/04/23 18:02
仕様だからしようがない
>372
>列島人全員にとってあまり大事じゃないことのようにみえます。
最初のうちは為政者の中だけの話なんだけど、15C-16Cにかけて民間信仰が盛んになり、
その中の一つに伊勢神宮参拝があります。18C以降、伊勢信仰が特に庶民の間で広まります。
そして1867年、ええじゃないか--王政復古-国家神道-為政者の宗教政策と民間信仰が近づく。
1946年、天皇の人間宣言で天皇の神格性の否定、しかし戦後も民間の神社参拝は、他の宗教とともに根付く。
375 :
日本@名無史さん:03/04/23 21:30
>>372 為政者は民衆の支持なしには存在できないでしょ。大王や天皇という概念にしても、
それを民衆が理解しなければ成立しないね。統治形態は結局民衆が選ぶもの。
王権史が他の歴史と切り離されたものとは全然思えないです。
>>374 なるほど、そうですか。
日本書紀から15〜6世紀はちょっと離れているように思いますので
もう一ヶ所ぐらいターニングポイントをお考えではありませんか?
私が見つめているのは、歴史書の出てこないような人ですので、
まるで違うのですが、15〜6世紀に修験道が盛んらしいのはそう思います。
でもむしろ、この人たちは世直し隊みたいな感じで、時宗の坊さんにハートが近い。
この信仰が広まる原因を「王権」から引っ張る必要はないような気がするのですが。
あ、脱線しました。
古代と中世の区別でしたね。
>>307の三一書房さんの定義は、私には「わからない=無知」だけなのです。
で「大きく変わった時代はここあたりかな」とぼんやり思っているだけなので賛成反対は思いつきません。
農民と武士の区別が生活者当人にとって、どんな感じで分離していったのか、知らないのです。
というわけで、感想?しか言えませんが、お許しを。
>>375 人口の大部分は、「自分の意思で為政者を選んでその地に住まうことを決意」していないと思っているのです。
378 :
日本@名無史さん:03/04/23 21:58
能、狂言、水墨画、書院造り、茶の湯、生け花、
封建的主従関係、下克上
うううん分かるなあ。すっと入る。この時代以後だと映画やドラマが受ける。
これより古い時代は、どーも感覚が馴染めない。なーんか異質。
ここいら辺に時代区分がありそーに思うぜ。
309の言うことはなかなか面白いね
自分でも指摘しているが、面白すぎて学問的な立脚点を失っているが
ここは2ちゃんなんだから、それはそれで大いに結構なんじゃないか
それに引き換えなんだ、きちがいとしか言いようのない持論狂は
380 :
日本@名無史さん:03/04/23 22:54
古代と中世の境についてはこの擦れの随分前に終わってるだろ。
中世と近世の境について騙ってくれ。
381 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:00
中世と近世のはざまの時期って年数にしたらすごく長そうだな
382 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:02
近世って何?
383 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:11
日本史を何区分にすると楽しいか。
384 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:17
パーティション切らない方が便利
「近世」のイメージ、どなたかありませんか〜?
>私は無いので考え中
386 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:28
中世というからには、中な訳で、その前と後は同じ数だけ時代区分がないとね。
387 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:43
信長上洛以前が中世 上洛以後近世 ってのはどう?
388 :
日本@名無史さん:03/04/23 23:47
309氏の代弁をすると、彼はきっと気に入らないと思うw
「尾張の弾上忠様がみやこに入ったんだそうな」
「へえ、たいしたお人ですなあ」
ぐらいの話でしかなかったろうから。
390 :
日本@名無史さん:03/04/24 00:44
「中」世−「近」世−ときたら「東」世と続かないとしっくりこないだろ
391 :
日本@名無史さん:03/04/24 00:48
なんでそんな方向に話が逝ってるのかな。
リアルタイムで歴史の位置付けがわかる一般庶民なんて
今も昔もいないだろ。
>>391 アバウトにいうと、何世代かで生活などが
ずいぶん変わる時代があるように思います。
爺さんの時代は大変だったの、
のんびりしてたの、こんな娯楽はなかっただの
時代の変化は肌でわかるのではないでしょうか。
>>387さんのご指摘のちょっと後の時代、刀狩と検地は、
相当庶民にはショッキングだったと思います。
でもそこでいいのか、もっと後がいいのかわかりません。
もっといろいろ聞かせてください>意見が無いので考え中
393 :
日本@名無史さん:03/04/24 01:42
なんだなんだ太閤検地封建革命説でも聞きたいってのか?
394 :
日本@名無史さん:03/04/24 01:50
「中世的世界」は結局形成されずじまいだったんだよな、黒田荘。
大航海時代、東南アジアに日本人がどんどん行っているので、慣海民を無視できません。
きっとバナナも食べていた。農業も民具がかなり増えていただろうし、人糞肥料が普及して
結構完成された農業になっていたかもしれません。商品流通も市が立ち、為替があるから、
遠方交易も楽。庶民生き生き。この勢いが続くのはいつまでなのか、わかりません。
397 :
日本@名無史さん:03/04/24 02:35
うーん、なんだかなぁ。
大航海時代には日本もすでに近世だろう。
398 :
日本@名無史さん:03/04/24 02:56
そういえば近世史の方が並々ならぬ意欲で訳した「大航海時代の東南アジア」
は新訳本もぼろくそに言われてましたな。
細かい点や時期は別として、ライフスタイルって視点は共感者が多いみたいね。
こうゆういわば社会史的な考え方、つまり人々の心性、まあ考え方・感じ方・生活様式などなど、
そういったものを時代区分の、ひいては歴史認識の起点にするのは最近一般の動向だろうね。
約一名相変わらず王権史、といえばカッコいいが、要するに「豚に歴史がありますか」
的思想の持ち主がいるみたいだけど。天皇が日本文化、日本精神を主導する
とでも思っているのかな。マンタリテ、ソシアビリテの意味が全然分かってないね。
>396
>商品流通も市が立ち、為替があるから、遠方交易も楽。庶民生き生き。
でもそういった経済活動の基になる貨幣は、中国のものを使っていたんです。
江戸幕府が貨幣鋳造権を独占し、独自の貨幣を発行し、全国に流通していきました。
これは庶民のライフスタイルの変化と、為政者の交代の両方の視点からも大事だと思います。
>>400 (経済的な)「信用」が無い王様が発行した通貨なんか、誰も受け取らないわけです。
だから7Cには鋳銭司があったのに、950年ごろから江戸初期まで、鋳造しない。
庶民からみて、王様は「信用」できないが宋・明の天子なら「信用」できる、と思ったんじゃないでしょうか。
王様に関係なく、どんどん動いてしまう列島人の力強さを感じますね。
>授業中寝ていたので、よくわかりませんが・・・
>>400 >これは庶民のライフスタイルの変化と、為政者の交代の両方の視点からも大事だと思います。
あ、ごめんなさい、答えになっていませんでした(汗
私にとって、庶民の暮らしぶりを主軸に歴史を見るのが「いい感じ」なのです。
その歴史解釈のために、王権の話題がどんどん出てきてもOKです。
天武や秀吉・綱吉を出してこないと、説明がくるしいです。
403 :
日本@名無史さん:03/04/24 20:48
「豚に歴史がありますか?」
405 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:23
近代と近世は一文字違いだし、
近世と中世も一文字違いだなあ。
406 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:24
近代と古代も一文字違いだなあ。
407 :
日本@名無史さん:03/04/25 23:28
豚は猪が家畜化されたものだろうけど、
鶏のもとは何だ?
>江戸幕府が貨幣鋳造権を独占し、独自の貨幣を発行し、
結局支配者が何かしないと時代は変わらないのね。
>全国に流通していきました。
支配者が何かする前から貨幣は流通してたんだけどね。
309さんいわく
>王様に関係なく、どんどん動いてしまう列島人の力強さを感じますね。
>庶民の暮らしぶりを主軸に歴史を見るのが「いい感じ」なのです。
「豚に歴史はない」的考え方の人には理解できないか。
>>380>>387から話題が面で広がってます>自分のせいだった。
さて「近世はいつからか」ですが、なんとなく13C中〜17C中を「中近世」にして、
17C中〜近世にしたくなってきました。となると、8C中〜13C中が中世になってしまいます。
自信もなく、説明も怪しいですが、のちほどさせていただく積りです・・・
あぼーん
412 :
日本@名無しさん:03/04/26 03:23
速水融の弟子の慶応一派が工作員やってるスレはここですか?
>>412 速水融の弟子の慶応一派に
400万年前〜400年前の「宗門改帳」も探して欲しい!
414 :
日本@名無史さん:03/04/30 16:48
400万年?!
直立歩行・火の使用・言葉の使用→400万年前かなって思ったものでして・・・
416 :
日本@名無史さん:03/05/03 00:08
今日は疲れたよ。
生きていれば色んなことがあるもんだなあ。
やれやれ。
417 :
日本@名無史さん:03/05/03 03:15
東旧研一派ですか?
418 :
日本@名無史さん:03/05/03 03:28
419 :
日本@名無史さん:03/05/04 15:46
>415
言葉の使用と文字の使用は違う時期に始まると思うんですが。
>419
もちろんです。
話し言葉と思考言葉が「本当の言葉」で
文字言葉は補助にすぎないとおもいます。
ところでインカ帝国のキープ(結縄)や、
子供の砂絵記号は文字なんですかね。
記号といえば犬の小便(マーキング)も記号ですから、
話し言葉に変換できる記号だけが、「文字」でしょうか。
あんまり考えるとますますスレ違いなのでこのへんで・・・
421 :
日本@名無史さん:03/05/05 14:44
>410
>17C中〜近世にしたくなってきました。となると、8C中〜13C中が中世になってしまいます。
この説明をそろそろしてもらえませんか。どちらからでもいいです。
あぼーん
423 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:27
>420
話し言葉、文字言葉、思考言葉、3つ揃ってその社会の言語が成立したと言えるのではなかろうか。
「宗門改帳」は当然この三つが揃わないとできませんよね。
424 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:47
309さんの嫌いな王権かどうかはともかく、為政者が社会をきちんと把握してないとそういうものはできない。
また、その地域の列島住民も一つの社会の構成員であるという意識がないとできない。
425 :
日本@名無史さん:03/05/05 21:05
>423>424
あんた宗門改帳がどういうものかわかっていってんの?
あれれ、いつの間にか、お客さんがいっぱい!
>>421 困りました、自信がありませんがやってみます。すぐ論破されると思います。
中世(8C中〜13C中)
内向的時代+人土地固定社会+宗教と発声文学の普及
中近世(13C中〜17C中)
高生産性農業+貨幣中心経済+製品流通制の確立+為政者の司法義務時代
近世(17C中〜)
行動統制と反発社会+娯楽志向の風
>宗門改帳について
私はなんにも知らないので「工作員がいる」なら教えて欲しい。
427 :
日本@名無史さん:03/05/06 17:10
>420
>>宗門改帳について 私はなんにも知らないので「工作員がいる」なら教えて欲しい。
またご謙遜を。速水/慶応一派と聞いて、人口歴史学/宗門改帳がわかるんだから、
何にも知らないことはないでしょ。
428 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:59
明治維新以降、銭湯での男女混浴が禁止されたわけですが、
銭湯ができて以来ずっと男女混浴だったんでしょうか。
430 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:10
309さんが始めて当局の指示で住民のライフスタイルに介入したことを認める発言をしました。
でも309さんの発想だと、その指示は守られず、男女ごちゃ混ぜの混浴は事実上続いたと想像してるんじゃないですか。
混浴って、今の法律では問題ないのかな。
あぼーん
432 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:16
貴族の世と武士の世で区別する。
あぼーん
436 :
日本@名無史さん:03/05/09 01:33
>432
それじゃあ、鎌倉幕府の成立かその辺になっちゃうよ。
議論をまたそこに戻すの?
別にいいですけど。
437 :
日本@名無史さん:03/05/09 14:35
309さん、またなんか問題提起してくださいよ。
>>437さんの「おだて」に乗ってしまいます!
白雉〜天平時代についてです。
673年天武天皇の即位〜743年墾田永年私財法あたりに
日本の大転機があったことが、このスレで論じられました。
(
>>266-350)
この大転機は、壮絶なバトルの中で、不思議な意見の一致をみました。
しからばそこが、どう大転機だったのか、みなさんで論じませんか?
あ、もちろん「そこで区切るのは間違いだ」っていうのもOKです。
ただし、「古代」「中世」のレッテルだけはこだわらないことにします。
タブーなく、自由に皆さんで語れたら、とっても楽しいと思います。
437さん、この問題提起はどんなものでしょうか?
439 :
日本@名無史さん:03/05/09 22:22
たんに律令制国家になったってことでは?
440 :
日本@名無史さん:03/05/09 23:57
>>439 太政官制(2官8省)の開始(大宝律令)はこの時代でしょうけれど、
(少なくとも唐風でない)法律すら過去に一切無かったとは考えにくいのではないでしょうか。
ですから授業中よく聞いていなかった私に言わせると、法律が決まっていない国が
「防人を東国から派遣する」「白村江で新羅・唐と戦う」ことはできないと思いますし、
古臭い法治制度がだんだん浸透していって、「大宝律令」時代に突入していったんじゃないのかと・・・
・・・ああまた、日本史の先生に怒られる(笑
人間の社会関係を変えるのは時間がかかると思うのです。
変な例ですが、明治に入って、株式会社を作った人がいたとします。
でも、急に「機能集団=ゲマインシャフト」の組織なんか出来ないで、
江戸から続く本間家や三井家の組織みたいな会社に、どうしてもなってしまう。
立派な規則を作っても、まったく新しい仕組みって、急に理解できないし、演じられない。
だから、先生が、「律令時代」なんて黒板に書いても、つい寝てしまいます・・・・
↑は私309です。ゲマインシャフトではなくゲゼルシャフトでした(汗。
442 :
日本@名無史さん:03/05/10 21:48
坂本龍馬の亀山社中は日本最初の株式会社?
>>440 んなこたあ当たり前のことでね
なんで「律令制国家」の成立を大宝律令制定の一瞬に限定しちゃうんだよ
自分で上のほうに「白雉〜天平」って書いてるだろ
大宝律令の前にだって浄御原令もあるし、体系的ではないだろうが近江令も大化改新詔もある
大宝律令で「律令体制」が完成するわけじゃない
墾田永年私財法だって律令制の不備を補うという理解が一般的
(墾田永年私財法が律令体制の崩壊なんてのは相当なアナクロだ)
大宝律令の制定、というのは、律令制国家成立のエポックの1つであって
それがすべてじゃないからな
授業聞いてないのを誇らしげに書いてるけど
単に理解してないだけじゃないかという気がするな
444 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:21
>>443 そのとおりです。ぜんぜん理解したことはありません。
「律令国家」と「法治国家」の区別も曖昧です。
この白雉〜天平時代=大転機
日本列島がどう変わったのか、なにを重視すべきなのか、
何が変わらなかったのか、たくさん論議があるのではないでしょうか?
過去レスの通り、墾田永年私財法を「時代の終わり」と見る人もいるし、
試験的実施の取り下げのようにも捕らえ得る。
大宝律令に先立つ近江令・飛鳥浄御原令・筑紫の君イワイの「令?」など
その虚実も含めて、問題大有りです。
どうでしょう、ここを論点にするというのは・・・
445 :
309=444:03/05/10 23:25
>>442 そうらしいですね、司馬遼太郎の本で読みました。
実態はどんな組織だったのか知りませんが。
446 :
日本@名無史さん:03/05/10 23:32
>443
何切れてんの。
明治維新を1868年とするか、1868−1871年とするか、1867−1889年とするか、
それくらいのニュアンスの違いでしょ。
309さんにも言いたいけど、「人間の社会関係を変えるのは時間がかかる」
というのは一面の真実だけど、戦争や革命、技術革新で飛躍的に変わることもありうる。
>>446 ご指摘ありがとうございます。
時代変化の「原因」「テンポ・スピード」も重要な論点ですね。
この時代の変化の論点は、まだまだたくさんあることでしょう。
ご覧の皆さんはどうお感じでしょうか?
>大宝律令に先立つ近江令・飛鳥浄御原令・筑紫の君イワイの「令?」など
>その虚実も含めて、問題大有りです。
この時期が再び話題になったのでここで訂正させていただきます。
わたしはかつて
>>319で近江令.天皇号.日本という国名の認識を間違えていました。
「近江令はおそらく存在しなかった」「天皇号、日本の国名は、天智天皇か天武天皇のとき始めて使用された」
と遅ればせながら訂正します。
三一書房さん
過去レスの訂正とは、なんとご丁寧なことでしょう。
荒らしが多い日本史板で、誠実なコテハン住民を貫くことだけでも大変なのに・・・
また、話をおきかせてください。
>>351で私の考えを「有意義」と言っていただけたのが、うれしくって
すっかり「でかい面」をしてしまいました。
三一書房さんも、皆さん(私も含め)も、AD700前後を、日本の大変革期と考えています。
一致したから終わりではなく、そこを議論のスタートにしませんか、というのが私の提案です。
歴史の見方は人それぞれでOKなわけで、無理に意見を一致させたら面白くありません。
「あなたの見方はここの出来が悪い!」なんて言われて逞しい説に改造したり、
新説を思いついたりするのが、楽しいわけです。
私が実証できないけれども考えているのが、8C中ごろ、西日本の「鉄革命」が終わったということです。
BC1500年ごろからヒッタイトで始まった鉄革命が、墾田永年私財法あたり?で西日本の地まで浸透した、っていうことです。
http://www.atomlt.com/06school/sc04/sc04_02.html 三一書房さんはこの時代をどうご覧になりますか?(私に合わせないでくださいねー笑)
ホラふきたくなるのが古代。
キスしてほしくなるのが中世。
451 :
日本@名無史さん:03/05/12 17:58
>450
どういう意味よ。
>8C中ごろ、西日本の「鉄革命」が終わったということです
ヨーロッパの多くの地域と日本(特に関西)は、土質が硬く、青銅農機具ではあまり耕作が進まなかった。
鉄製農機具の導入によって、農業生産が大きく向上した。
けっ、今頃訂正したっておせえんだよ
そんなこたあ、ここにいる人間は百も承知のことなんだよ。
散々お子ちゃまの相手させられたこっちの身にもなってみろ。
無駄にレス消費させやがって。
もう一度ゆうぞ。二次方程式の話してるときに四則演算の
話をするな。分からなかったら調べろ、勉強しろ。
>ここにいる人間は百も承知のことなんだよ。
私は以前、「フランス革命はブルジョア革命である」といったところ、
ある人が「フランス革命はフランス革命という固有名詞で、ブルジョア革命というのはない」
と反論しました。明らかにこの意見は突出したもので、通説とは言えませんが、
誰もこの点で議論しようとはしませんでした。私が自分で反論したら、
別の人が、「ブルジョア革命を否定してるんじゃなくて、フランス革命からの観念抽出に間違いがあるんだ」
と援護射撃しました。そしてブルジョア革命を否定した人が再度、同様の主張をしました。
これって「二次元方程式の話」なんですか。
それと、私の意見に反論する人は、その間違いを正した結果、このスレの趣旨、
あるいはその時点で焦点になっている問題についてどのような見解の修正が生じるのか、
自分自身はどう思うのか、その点をはっきりしてください。
そうでないと、それこそスレの無駄遣いでしょう。
456 :
日本@名無史さん:03/05/14 23:04
>>454さんみたいに歴史に通暁している人が、何人もこのスレを見守っておられるので、
皆さんが「ちよっと発言してみるか」と思う状態が、よきスレを作ると信じます。
「あの時あなたはこういった」をやっていくと、双六が進まないので面白くありません。
また「今の学説ではこうなってます」では論になりません。
>>4>>8>>15>>17 そこで
「古代」と「中世」の名称からフリーになって、AD700年前後に話題を絞りましょう。
「文献歴史学」に加えて、「考古学」「民俗学」「人類学」の『まねごと』も加えましょう。
そうして、焦げ付きやすい歴史観論争から、列島の実態究明論争へシフトしてみましょう。
・・・と思ったわけです。
>これって「二次元方程式の話」なんですか。
俺が書いたのは「二次方程式」。他人の文章を引用するときは正確にね。
あのね、俺が言ってるのはあんたが448で書いてる近江令、
天皇号、日本の国名のこと。456さんの
>「あの時あなたはこういった」をやっていくと、双六が進まないので面白くありません。
というのは尤もで耳が痛いが。あんたは
>この時、日本という国号の採用し、近江令で国家の行政機構の枠組みが決まり
なんて書いてるんだよ。堂々と。事もあろうに日本史板で。恥ずかしげもなく。
しかも何人かの人から指摘があっても勉強の気配なし。
訂正するならもっと早くしろってこった。全くスレの無駄遣い。
議論がストップしちまうっつうの。議論てのはある程度の共通の前提が
あって成り立つものなのに、その前提を共有してないのがいると
話が進まないわけ。今さら近江令なんて持ち出されても困るのよ。
とにかくこれからは気を付けてくれ。
>私の意見に反論する人は、その間違いを正した結果、(後略)
まずは恥じろよ。自分が間違ってたことを。あんたの辞書には
恥ずかしいとか、謙虚とか、反省とかいう言葉はないのかい。
それから、あんたの「意見に反論」してるレスはあまりないよ。
ほとんどは「間違い」誤りの指摘、ないし嘲笑。
まあ前向きな議論目指してお互い頑張りましょうや。
458 :
↑309=456 続きです:03/05/15 01:27
また、各界の専門家が、自分のテリトリー内で成果をあげても、
学閥や学界の自然な壁があるのか、素人から見て「?」のような気がします。
特に考古学の人たちは、口が重くていらいらします。
粗にして雑かもしれないが、2チャンネラー同士で、こんな壁なしに
自由な話ができるのではないか、面白いんじゃないかということです。
所詮2chなんですから、高邁・深遠・無謬・最新でなくてもご愛嬌、
細かい詮索ぬきでいきましょう。
>457
>まずは恥じろよ。自分が間違ってたことを。あんたの辞書には
>恥ずかしいとか、謙虚とか、反省とかいう言葉はないのかい。
訂正レスが遅れたのは、そのために話の流れを邪魔しちゃ悪いからと思ってしばらく様子を見ていたんです。
そしてこの時期が再び話題になったので、448で訂正したのです。
「恥ずかしいとか、謙虚とか、反省とかいう言葉」があるからこそ、コテハンを使い、
時に訂正してるんですよ。人のことそんなに非難するんだったらあんたもコテハン使いなよ。
>それから、あんたの「意見に反論」してるレスはあまりないよ。
「近代の定義」「社会が変化する要因」などは私の意見です。
これに対して山ほど反論がきました。
>ほとんどは「間違い」誤りの指摘、ないし嘲笑。
「フランス革命は固有名詞であってブルジョア革命ではない」
「{資本主義が乱熟して、その後に社会主義.共産主義体制になる}という命題を否定してもマルクス主義
でありうる」
こういうのはあんたにとっては嘲笑の的にはならないの?
>「あの時あなたはこういった」をやっていくと、双六が進まないので面白くありません。
309さんの言いたいことも分かりますが、枝葉末節についてはそうですが、本質的な部分では、
そのようなやり取りを通じて議論が深まったり、双六が進む場合もあると思いますよ。
>まあ前向きな議論目指してお互い頑張りましょうや。
その言葉のしつけてそっくりあんたに返すよ。自分の発言に責任持つためにこれからはコテハン使えよ。
****************************************************************************************
7Cに、日本で初めて貨幣が作られたが、畿内の役人の給料などに使われるだけで、列島住民の間では流通しなかった。
彼らは依然として米や布などを交換手段としていた。
はいはい、わかりました。もう2度とあなたの間違いを指摘しません。
これからも向上心をもつことなく、固定観念に凝り固まった主張を続けて下さい。
>7Cに、(以下略)
はいはい、その通りですw
ほな、さいならっきょ
>>460 三一書房さんへ
ご返答ありがとうございます。
やはり議論は前に進めましょう、ということでほかの方も異論がないと思います。
「双六が進む場合もあると思いますよ」に意を得て、螺旋階段でも尺取虫の歩みでも、
成り行きまかせでボチボチやりましょう。
三一書房さんご指摘のとおり、継続参加の方は、コテハンにしていただけると、話しやすいですね。
通貨(準通貨)はやっぱり米と布でしょうか。私もきっとそんなところなんだろうと思います。
でも、学校の先生は、米と布である証拠は教えてくれなかった気がします。
私が当時の人間だったら、「塩」「炭」でもOKな感じです。「鉄」じゃ小分けが大変。
743年東大寺建立の詔が出ますが、庶民の寄付が多ければ多いほど良いという考えがあったそうで、
お札をたくさん売ったらしいです。このときのお金はなんでしょう?私は知りません。
http://www.mint.go.jp/qa/qa_16.html ええい、強引に言ってしまえ、準通貨はいろいろあったんでしょう、きっと。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
為政者は8Cに貨幣を作ったが列島住民の間ではほとんど流通しなかった。
10C半ばに、貨幣は作られなくなった。列島住民は自分たちの貨幣を信用していないと、
あきらめてしまった。
12Cになって宋銭が輸入されて、それが列島住民の間で信用されて流通しだした。
貨幣が最後に作られてから宋銭を輸入するまでの2Cは、戦国時代とは違う意味での無秩序状態だった。
466 :
日本@名無史さん:03/05/23 02:51
いいくにつくろう鎌倉幕府だろうが。
309さんはよくあちこちのサイトを見つけてきますね。
根気よく検索しまくってるんですか。
9cじゃ、中国本土でも稲作はそれほど広まっていなかったと思うが…
>>469 21世紀にもあんまり広がっていないと思います。
特に漢民族は米より麦なのでしょう(寒すぎ)。
雑な言い方しますと、揚子江が米、黄河が麦。
う〜ん、そういう意味でもなかったんだけど、いいや。
ところで、9cじゃなくて、BC10cですた。スマソ
472 :
日本@名無史さん:03/05/25 08:06
>>1 古い時代=古代
中くらいの時代=中世
近い時代=近世
これでいいじゃん
>472
>古い時代=古代
>中くらいの時代=中世
>近い時代=近世
古い/中くらい/近い---どういう基準で、どこに着眼点を置いてそれらの境目を決めるのかをめぐって議論してるわけで、
もちろん各時代が重なりながら徐々に古い時代の要素が小さくなっていくということもありうるわけだけど、
それぞれの時代の特徴を示して欲しいです。
>>473さんへ
「これでいいじゃん」をやっていくと、「今と昔」の二分割史観が現れ、
今昔物語になってしまいます(嘘
475 :
↑訂正309:03/05/26 15:01
>>472さん宛てでした。
三一書房さん、失礼しました。
>>473のお話、同感です。
私はこの「そもそも論」をときどき振り返り、立脚点の足固めするのが結構大事だと思ってます。
私見ですが、文科系の一流学者は「大テーマ」の視点を忘れずに研究しますが、
三流学者は根や幹を忘れて枝葉を語ります。瑣末なことに関連する広がりを構想できない。
構想できないから他の事象や全体の構造が見えてこない。だからつまらないし、ほかの人の栄養にならない。
時代区分は皆さんどんな感性で捉えておられるんでしょうね、落第生だった私に教えて欲しいです。
自分的には人々の生活ぶりが「活発化⇔沈静化⇔安定化」ですとか、生活様式や物質的経済的変化など
なんでもいいんじゃないかと・・・(こんなの史観ではないかもしれません)
おしえてくださ〜い!
どうでもいい
>476/477
最近は時代区分論ははやらないと。
479 :
日本@名無史さん:03/05/27 04:36
伝統社会→近現代。
これだけ。
やべぇ! 半ば本気だったけど、相手にされるまいと思って書いたのにw
481 :
日本@名無史さん:03/05/27 10:27
>>479 最近の動向は、近世と近代の区分も
「どうでもいい」なんじゃない?
482 :
日本@名無史さん:03/05/27 13:23
さすがに産業革命以前以後の違いは大きいだろ。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
485 :
日本@名無史さん:03/05/31 19:57
>>348の通り、
もともと時代区分なんて大したことではないよ。
ひとつの歴史の楽しみ方というところじゃないかな。
だから飽きてくるとどうでもよくなって他のことで楽しむ。
だけど、暫らくするとみんなまたやりだすよ。
ガイシュツだと思うけど、文化.生活史からすると室町時代に
一つの断層があるように思える。
487 :
日本@名無史さん:03/06/01 21:45
私も
>>378さんの見解に共鳴しています。
司馬遼太郎も同様のことを書いていました。
489 :
日本@名無史さん:03/06/13 15:21
じゃあ室町時代が一つの区切りとして、それ以降はどうなんでしょうね。
細かく区切っていったらきりがないから、後1つか二つくらいの分岐点で
現在の日本ができたと仮定したいんですけど。
卒論か?
491 :
日本@名無史さん:03/06/13 23:58
次は泣く子も黙る明治だべ。明治の中期頃だと思うよ。
国家神道やら、国民意識やら、現代人が昔からあると勘違いするほど染み付いた
新しい文化が生まれたと感じるね。
492 :
日本@名無史さん:03/06/14 01:08
室町は区切りかな?
個人的に中世は、外国から学ぶもの(科学技術など)がなくなり、遣唐使廃止あたり
からだと思う。
次の区切りは、応仁の乱。
この時期、中国・南蛮から新技術が大量に導入され、かなーり経済発展した。
そして武士は力を蓄え→戦国時代へ
次の区切りは、徳川幕府。
鎖国し、また中世的な安定社会がやってきた。経済は頭打ち状態。
最後は、黒船〜明治維新。
日本近代化へ。
日本は島国だから変革期には必ず「海外」があるような・・
>>495 最後を明治維新においているのは疑問。
私にいわせりゃ、日本の歴史において最大の断層が
横たわってるのは、
1960年代のいわゆる高度成長期だ。
農村の地域共同体が崩壊し、都市民が人口の大多数を占め
そして何より、貧困が消えた。
エネルギー・食料、その他資源の一人あたり消費に至っては、
この時代以前の暮らしを想像するのも難しい。
趣味であれ、仕事であれ、過去に思いを馳せるものならば、
「現代ほど、過去の時代を想像しにくい時代はない」
ということは、常に意識しておくべきでは?
ちなみに1回目の区切りは、聖徳太子〜。
遣隋使派遣により、中央集権的な古代国家ができあがった。
>>497 >現代ほど、過去の時代を想像しにくい時代はない
これはいつの時代でも言えることだと思う。いつの時代も過去の時代を
想像するのは難しい。
高度成長は・・近代化の範疇に入ると思いますねえ。強いてあげるなら
バブルがはじけ、ポストモダン(?)の今こそが最後の区切りとなるでしょうか。
>戦国時代とは違う意味での無秩序状態だった。
鋳造貨幣の時代は秩序があって、現物貨幣の時代は無秩序かい
アフォくさ。幼稚すぎて話にならん。
まぁ、秩序ある流通とは言い難かったかもねぇ
501 :
日本@名無史さん:03/06/17 22:28
時代は指数関数的に変化すると感じる。
だから、最近の出来事の重大さと比べると古い出来事が小さく見える。
しかし、このような単純な比較では歴史の意味は語り難し。
株価指数の歴史を見るときと同じように、対数グラフにして見ると良い。
古い時代の動きもキチンと見えて来るよ。
>>501さんの説も大変魅力的ですね。
指数関数にする方法(難しそう!)って誰にでもできますか?
比喩だったらごめんなさい。
503 :
日本@名無史さん:03/06/18 00:39
比喩だよ〜ん。
「指数関数にする方法」って変な言い方に感じるよ。
時代の変化自体が指数関数的で、それを対数にして見ると良い、ということなんよね。
だから、質問するなら、
「対数にする方法」を聞いて欲しかったな。
まっ、比喩だから、ダイレクトな答えはないが、
言うとすると、
現代の感覚で昔のことを論じると歴史の真実に迫れない、ということね。
今は「10年一昔」なんてもんじゃないもんね。
スピードはやし
>>503 では、あなたの方法で実際に歴史をわけてみてください。説明も付けてね。
506 :
日本@名無史さん:03/06/18 23:41
501は比喩だってばさ。
それはさておき、オイラの時代区分の考えは、このスレッドにもう沢山書いたよ。
>>506 おさわがせしました。よくわかりました。
509 :
日本@名無史さん:03/06/22 19:03
1192作ろう鎌倉幕府 せっかく覚えたんだから大事にしてくれよ。
私が想像すると・・・
「1192にしてみろ鎌倉幕府」・・・庶民の思い
511 :
日本@名無史さん:03/06/23 21:52
稲作開始が中世の始まりだな。
鎌倉幕府は「政治」というキーワードで分ければ区切りになるような
気がする。
が、
「経済」で分けると、区切りにならないような気がする
513 :
日本@名無史さん:03/06/24 23:12
経済で分けるなら、
「徳川家康による日本独自貨幣の全国流通」が画期だね。
514 :
日本@名無史さん:03/06/24 23:14
((((((((())))))))))))
515 :
日本@名無史さん:03/06/24 23:42
平将門から中世が部分的に始まってるらしい。
院政期で、かなり中世になっているらしい。
土地封建制度の確立した地域から中世らしい。
経済圏の周辺から新時代が始まるのか?
外出だろうな、スマソ。
516 :
日本@名無史さん:03/06/24 23:47
北海道,沖縄を除き,荘園公領制という一応共通した土地制度の上に
立ち,後期には村・町制に移行しはじめる社会を中世社会
ってのが大筋らしいが。
これだと、畿内からじわじわ広がっていくのかな?
>>515-516 それぞれ、中世の定義を論じないと始まらないのでは?
さんざんログにあるけれども、お二方の定義も聞かねば。
518 :
日本@名無史さん:03/06/25 02:10
>>515 結局、土地制度に着目するのが一番わかりやすいんだね。
土地制度を議論する上で問題となるのが、武士の性格をどう捉えるかだと思うのだが、
摂関家も、院政を行った『天皇家』も、武家も、荘園を媒介にした主従関係を結んでいるわけだから、本質的には変わらない。
摂関家を例にとると、
政所という家政機関が存在していたことや、摂関家と私的な主従関係を結ぶ者の存在など、ほとんど武家の棟梁と変わらないということ。
特に、律令国家としては平安中期以降、ほとんど行われなかった死刑が、
摂関家でも、私刑として行われていたことなどは、独自の司法、警察機構を荘園内に持っていたということで、着目すべき。
つまり、乱暴に言ってしまえば、荘園の寄進が始まった時点で、中世の芽が出ているといえるのではないかと。
でも、これまでの議論をぶち壊すようで申し訳ないが、
古代と中世は、完全には分けがたいし、その両方の性格を持った時代が結構長く続いたと考えるべきなのだと思う。
「社会」の何だよw
曖昧すぎて否定も肯定もできん
521 :
日本@名無史さん:03/06/25 11:18
519は歴史素人
説明できない
>>520はド素人
なんて掛け合いはいらんから、早く説明汁
スマソ、漏れの2chブラウザだとリンクがズレてた…
恥ずい、逝ってくる
524 :
日本@名無史さん:03/06/25 12:03
古代的社会・・・公地公民・官僚的中央集権・自墾地荘園・民衆の国家隷属
中世的社会・・・寄進地荘園制・私的土地所有・分権支配・民衆の私的隷属
これが長い間かかって重なりつつ移行していったんじゃないかな?分からんけど。
525 :
日本@名無史さん:03/06/25 12:51
うちの母親は「一郎」と言う名前を「いかにも昔の人の名前だな」
と言います。また寿司をもともとはファーストフードだと言ったら
バカなことを言うなと怒りだし、「昔は寿司は高級品だった」と言
います歴史に興味の無い人にとって『縄文〜昭和』=昔 平成=今
という二極化の認識しか無いようだ。
526 :
日本@名無史さん:03/06/25 12:55
寿司は庶民の食い物なのにねぇ
529 :
日本@名無史さん:03/06/25 13:03
ど根性がエルを見ていた世代にとっては
寿司は高級品。
ファストフードといえば、室町時代には「使い捨て陶器入り軽食」が街道で売られていたそうです。
この点、日本は先進国です。
531 :
日本@名無史さん:03/06/25 21:55
>>524 >古代的社会・・・公地公民・官僚的中央集権・自墾地荘園・民衆の国家隷属
まあ、一般的にはこんな感じでいうヤツが多い訳なんだが、こんなものは律令以降の
ことやね。比較的最近のことやし、律令的価値観はその後も明治維新まで続いた。
律令以前を何と呼ぶのかな? 律令以前こそ古代というべきではなかろうかね。
本件、ガイシュツではあるが、良い流れなので今一度申す。
まっ、歴史を何分割するつもりで話をしているかによっても変わる訳やけどね。
○ホモサピエンスの列島定住
○縄文土器の普及
○金属器の普及
○米作の普及
○大和朝廷の成立
◎中世開始
○江戸幕府鎖国政策の崩壊
533 :
日本@名無史さん:03/06/25 22:12
>>532 なかなか良い感じやねえ。
しかし、「中世」という名前は「真中の世の中」という意味やろうけど、
終わりから2番目というのは何か変やね。
やっぱり、稲作の普及辺りが真中辺やから、これが中世やないかな。
534 :
日本@名無史さん:03/06/25 22:57
[荘園公領制の確立]
白河院,鳥羽院の院庁下文と後白河天皇宣旨を得た荘園を停止の例外とすること
を規定した1156年(保元1)の保元新制は,全国が天皇の支配下にあることを強調,
荘園の廃立は宣旨のみによることを明らかにし,荘園・公領の分野をかく乱する
出作り・加納を停止した。
あわせてこの新制は神人・悪僧の濫行を抑制し,神人交名(きようみよう)を注進
させ,さらに寺社領荘園と仏神事用途の注進を命じている。これは荘園の年貢・
公事と神人・寄人の奉仕によって年中行事を運営し,その経済体系を整えつつ
あった寺社の掌握を意図したもので,荘園公領制はここに確立に向かってさらに
一歩前進した。
ここが中世の確立期?
封建的土地主従関係のほうがわかりやすいなぁ
535 :
日本@名無史さん:03/06/26 23:00
>>533 日本史の世界では、大和朝廷の成立以前は良く分からない謎の時代と考えて、
それ以降の時代を研究対象にする伝統がある。その範囲でものを考えると、
中世というのは、
>>534とかが論じている辺りのことが真中の世の中になるんだな。
文献学者と考古学者相互の「知らんぷり」は
真実を知りたいだけの素人には、迷惑な話ですね。
不要な学問の垣根は、なくなってほしいものです。
さらに言えば、学問の砦もなくなったほうがいいですね。
骨董品屋の店主や郷土史家のほうが、
よっぽど真実をつかんでいると思うことがあります(笑。
537 :
日本@名無史さん:03/06/27 23:41
知らん振りしている人達は、本当に振りをしているのでしょうか?
頭が悪いからではないでしょうか。 その方が説得力があるな。
専門外だから、口出ししてボロ出したくないという話は聞いたことある。
素人が口出すのとは訳が違うから、仕方が無い面もあるとは思うけど...
539 :
日本@名無史さん:03/06/27 23:47
一つの専門分野に閉じこもるのは、頭が悪いからか、やる気がないからだよ。
うーん、煽りにマジレスすると、
学問の世界では、他人を説得しなければいけないからね。
どんなに正しくても、「客観的に(悪意をもって)見る第三者」を
納得させなければ意味ないからね。
「証明されてない『真実』」には学問上意味がないから。
とはいえ「論証はすべて覆されたけど、学説としては生きてる」って
いうケースも存在するから、必ずしも一概にはいえないんだけどね。
ま、現代は「消費者主権」の時代だから、歴史マニアのほうが、
学者よりもえらい、ってことで全然かまいませんけど。
541 :
日本@名無史さん:03/06/27 23:49
どちらにしてもカルシウム不足が考えられる。
みなさん、おっしゃることが鋭いですね。
どなたの意見にも説得力があって、自分を失いそうです。
ええと、カルシウム剤はどこだ?(笑
最近の学界状況はそんなこと無いと思うけどね
むしろ学際的研究多すぎ
かえってそっちの害毒が目に付く
>>543 つーか、学際臭を漂わせないと、
科研費はおりないのじゃよ。
それ以外の予算もみんなそう。
文科省のやることはわからん。
3行目については激しく同意。
一応補足しておくと、
漏れは「一つの分野…」等については触れてませんので、
そこらへん、よろしこ。
ただ、
>「証明されてない『真実』」には学問上意味がないから。
は少し気になります。逆に、理学系分野ですと
ほとんど『証明されてない真実(=仮説)』の上に成り立っているのですが。
>文科省のやることはわからん。
は禿同
>>545 なるほど、確かに「仮説=証明されてない真実」ですな。
これは私が半可通でした。言葉で仕事をするものとして反省いたします。
ではそれをふまえて、言い直し。
「史学の世界では、史料等に基づくきちんとした実証作業なしで、
どんなに正しい仮説を唱えても、相手にされない。」
いわゆる歴史マニアが、論文だけを読んで自分なりの時代観を
開陳したとして、それがたとえ正しかったとしても、学者は「然りごもっとも」しか、
いわないし、
郷土史家が、自分に都合の悪い史料は「権力者が残す史料など信用ならん」
といって無視し、都合がよければたとえ記紀の記載でもマンセーする、
そういうことは相手にされない、という意味のことを言いたかったのでつ。
理系でも、実験に再現性がないと、その仮説は相手にされませんよね?
それに、史学・考古学の場合、在野の人は、花火を打ち上げることに
ばかり夢中になって、「ゴッドハンド」になるのがせいぜいですから。
>>546 そのゴッドハンドを、学界挙げてマンセーしてたんだろ。
盗人猛々しい。
スレ違い
550 :
日本@名無史さん:03/06/28 23:10
>>549 別に貴方が腰を折った訳ではないので、お気になさらずに。
551 :
日本@名無史さん:03/06/29 21:14
「中世」って、西洋史になぞらえた言葉でしょ。
所詮、ゲルマン移動からしか始まらない自分達の歴史を、もっともらしく、隣国のギリシャ・
ローマ時代を古代と名付けて、その後を中世ということにして、長い歴史の上に立っている風
の歴史観を作っただけのことでしょ。
このマネをして、大和朝廷・律令制を古代ということにして、その後の武家時代・封建制を
中世ということにして、西洋史の概念を持ち込んで喜んでいるだけでしょ。
日本は西洋と違って、その前に長い歴史があるのにね。
552 :
日本@名無史さん:03/06/29 21:19
軍人勅諭では中世は確か藤原氏の時代以降を指す。
553 :
日本@名無史さん:03/06/29 21:53
学者でも、中世開始期は難しいみたいね。
10世紀が人頭税から、土地所有者納税への転換期で、中世への移行と言う学者もいれば、
まさに10世紀こそ、中央集権的古代国家の完成期と言う学者もいる。
同じ、土地制度を題材にしても見解が分かれているようだ。
554 :
日本@名無史さん:03/06/29 21:59
>>552 中世(なかつよ)に至りて文武の制度皆唐国風(からくにぶり)に傚
(なら)はせ給ひ六衛府(えふ)を置き左右馬寮(さうめりゃう)を
建て防人なと設けられしかは兵制は整ひたれとも打続ける昌平に狃
(な)れて朝廷の政務も漸く文弱に流れけれは兵農おのつから二に分れ
古の徴兵はいつとなく壮兵の姿に変り遂に武士となり兵馬の権は一向
(ひたすら)に其武士ともの棟梁たる者に帰し世の乱と共に政治の
大権も亦其手に落ち凡(およそ)七百年の間武家の政治とはなりぬ
勅諭だと、古代・中世・現代で、中世は中国風ってことは大化の改新から
かな。幕末までだね。
555 :
日本@名無史さん:03/06/29 22:03
>>551 日本だけ特別って歴史観は、ちょっとなぁ。
作る会が「縄文がエジプト並だ!」と妄想発言してるみたいに聞こえて、ちょっと無惨。
日本は世界の周縁部で、別にいいじゃない。事実なんだから。
556 :
日本@名無史さん:03/06/29 22:04
難しいのは当然だね。
わずか、200〜300年前に出来た律令制が、完全に施行されもせぬまま崩壊して行く
過程における一つの現象を、日本史の画期として捉えようとしている訳だから、
そもそも、問題の置き方が変だよな。変な問題だから難しいのは当然だね。
武士というのも律令制の中の概念だしね。
広義に武人というと天皇家の祖先も武人だしね。
557 :
日本@名無史さん:03/06/29 22:17
>>555 日本史だけが特別じゃないよ。 みんな特別さ。
それはさておき、
縄文がエジプト並とかいってるヤツがいるのかい? そんなことは知らないし、
そんなことはどうでも良いのだが、エジプトを西洋史の一部のように感じる感性にしても、
エジプトという隣国の歴史を巧みに取り込んで、西洋史を長く立派に見せるために使って
いるよね。
558 :
日本@名無史さん:03/06/29 23:06
中国史は長すぎて、どこが中世とも言いようがない。
559 :
日本@名無史さん:03/06/29 23:24
荒れるね。
ここは日本史版と言うことで
その話題はやめましょうw
561 :
日本@名無史さん:03/06/30 09:14
>>556 その、律令制が崩壊してきたと言われる10世紀以降を、
律令に頼らずとも天皇制が家系だけで安定し、律令に頼る中国の桎梏を抜けて、
統治能力は摂関に委任すればいいのだから、ある意味安泰期。
さらに、律令的人頭税をやめて土地税にして日本的財政安定装置を作った。
崩れたと言われる、平安中後期のほうが、貴族は豊かな生活をしており、
人民も千三力は伸びてるのではないのか。
と、言われている。
で、だから、中世への移行期とも言えるし、
逆に、古代中央集権の最高期ともいえるらしい。
まったく難しい。
荘園公領制もわかったようでよくわからない。
一言で説明してくれると、ありがたい。
この荘園公領制も、中世システムとも言えるし、日本型律令変形安定システム
ともいえる。
院政あたりが、移行期と言うのが、最も多いらしいが。
562 :
日本@名無史さん:03/06/30 09:17
ギリシャ・ローマには、哲学・人間観・法学など規範たるものが存在するので、
ヨーロッパの古典古代といって、差し支えないらしい。
そういう意味では、日本には古典古代は存在しないともいえるらしい。
平安文学と、ギリシャ哲学ではちょっと角度が違うからかな。
563 :
日本@名無史さん:03/06/30 22:09
西欧諸国(イギリス・フランス・ドイツ・等)は、隣国であるギリシャ・ローマ
偉大な古代史を借用しているのだよ。イギリス・フランスはローマ帝国の版図に
入ったことはあるけど、それを以ってギリシャ・ローマの古代を自国の歴史に獲り込む
のはやり過ぎだね。なんたって、ローマ時代のガリア(フランス)地域は野蛮人の
住むところだからね。
そのやり方で行くなら、日本の歴史を中国の黄河文明から語るようなもんでないの?
ガリアにしても、ブリタニアにしても、ゲルマニアにしても、だね。
個人的には、イスパニアはまだ許せるんだけど、どうだろう。
565 :
日本@名無史さん:03/06/30 22:26
何が良いたいかというと、西欧諸国の歴史は事実上ローマ帝国の崩壊から始まっている訳だが、
その前の時代を隣国の偉大な歴史を借用して古代と名付け、自分達の歴史の始まりを中世と名付
けたということよ。だから、少し苦しいけど、一応、「中世」は自分達の歴史の真中辺りな訳
だな。
これのマネを日本の歴史にあてはめようとしたから変なことになっている訳だな。
真中でない時代に「中世」と名付けてしまってね。
566 :
日本@名無史さん:03/06/30 23:10
個別国家史において、ギリシャローマを自国の古代史として叙述している国家はないよ。
ヨーロッパの精神的支柱として、ギリシャローマを古典古代として認識してるだけ。
それをずずしいとは思わないな。
ヨーロッパ史がオリエントから始まるなら、むしろ健全ではないかな。
中国・半島の強い影響下に成立した日本の古代国家を、
あたかも、独自のように考える錯覚のほうがむしろ害悪。
東洋史の場合、やはり中国から始まる。自然でしょう。
その上に日本の個別歴史がある。
567 :
日本@名無史さん:03/06/30 23:18
それで良いと思うのだが、それにしても、あるいはそうだからこそ、
大和朝廷の律令時代を古代と名付けてその崩壊過程を中世と名付ける
ことに違和感を持つんだよね。
568 :
日本@名無史さん:03/06/30 23:35
桃山時代に来日した宣教師達は、東洋エリアではなくて、日本をヨーロッパのような
まとまりと考えたようだけどね。
天皇=教皇、大名=諸侯、っていう感じでね。
東洋エリアの場合、ヨーロッパに比べてまとまりがないね。
569 :
日本@名無史さん:03/06/30 23:52
最近は、律令制が崩れたと考えず、天皇家権力維持に中国のまねをする必要がなくなり、
日本の実情に再編成され、経済的にも政治的にも安定度を増したのが、
10世紀以後ととらえるらしい。
で、それを中世移行という学者もいれば、古代の最盛期と言う学者もいる。
どっちかにしてほしい。困るんだよね。
古いけど、東国封建政権樹立から中世前期のほうが、わかりやすくていい。
>荘園公領制も、中世システムとも言えるし、日本型律令変形安定システムともいえる。
荘園公領制は中世だよ。古代荘園(以前の初期荘園など)とは違う。
>で、それを中世移行という学者もいれば、古代の最盛期と言う学者もいる。
漏れは古代の最盛期を採るな。
散々ログにあるけど、中世は室町からでいいと思うなぁ。
572 :
日本@名無史さん:03/07/01 09:16
荘園公領制は、12世紀に展開を見せ、平安末期から鎌倉前期が確立過程かな。
そして、13〜14世紀に新展開を見せ、戦国期で終わり始め、秀吉でとどめと。
9世紀から11世紀までは、国司が受領となっていった展開だね。
となると、下部構造的には、古代は11世紀まで。中世は12世紀から。
わかりやすい転換点としては、やはり院政かな。荘園が質量ともに変化するからね。
上部構造としては、各地に守護地頭を武家政権が配置した1185年が、はじまりで、
確立は承久の乱以後かな。
この乱以後、京都の治安は武家政権に頼り、次第に次期天皇決定や元号改正も
実質が武家に移行していく。特に大覚寺党と持明院統の争い以後は、天皇決定能力
を失い、武家に決めてもらっている。
文化面など見ると、室町からがしっくりくるが、南北朝で京都政権が地に落ちた、
根っこは、鎌倉期にあると感じる。宗教改革も鎌倉期だし。
となると、スタンダードだが、院政から鎌倉が中世前期、室町が中世後期。
中世は密教が入ってきたころから
574 :
日本@名無史さん:03/07/01 14:30
7世紀後半には入ってきてる。本格的には9世紀。早過ぎないか?
>下部構造的には、
荘園公領制は下部構造だけじゃないよ、上部構造、政治組織でもある。
576 :
日本@名無史さん:03/07/02 07:28
>>575 ふむ。なるほど。荘園公領ー受領ー中央政府という生産支配関係を規定してる部分かな?
確かに、下部構造というのは広義で経済部分、狭義で生産力。
網野氏などは、中世開始時をいつと捉えているのかな?
577 :
日本@名無史さん:03/07/02 08:03
>>566 日本は江戸時代までは中華帝国の一員と考えるのが妥当だな。
中華帝国全体を見ないと日本の古代中世は理解できない。
中華帝国の… というなら、足利までで良くない?
戦乱期において大陸との関係を重視する必要は薄いような。
579 :
日本@名無史さん :03/07/02 22:22
西洋や中国の基準等をそのまま日本に持ち込むこと自体論外。日本の
歴史と西洋や中国の歴史は違うから、比較すること自体おかしい。日
本における古代と中世の区分に限れば、支配者の転換、即ち朝廷(な
いしは貴族)から武士とみるのが妥当かと。そうすると平氏政権ない
しは、院政では。
580 :
日本@名無史さん:03/07/03 08:30
フェーダルは中世、フェーダリズムの漢語訳は封建制だが、
古代中国の封建制とフェーダリズムは全然違うし、日本の御家人制度や幕藩制度ともまったく違う。
581 :
日本@名無史さん:03/07/03 09:52
世界宗教が民衆・支配地辺境にまで浸透するところから中世が始まり、
宗教改革を以て中世は終わり。
ヨーロッパでは、キリスト教公認・国教化から、カルバンやルーテルの出てくる
あたりまで。
西アジア・北アフリカでは、イスラム帝国時代から今なお中世。イラク、シリア、
エジプトのように世俗国家化し脱中世のところもあれば、部族制の古代に逆行して
いるモロッコやサウジのようなところもあり、いま、まさに宗教改革を邁進中の
イランあり。ただ、どこも、中世を脱していない。
インドでは、阿郁王やクシャン王朝の仏教、回教系諸王朝・ムガル帝国とも、
中世化に失敗。古代社会のまま長らく停滞。
東南アジア諸国は仏教の受容と一種の原理主義である小乗仏教の伸張が同時進行、
工業化の直前まで中世。
582 :
日本@名無史さん:03/07/03 10:31
インドは、イギリス産業革命前は、世界の綿手工業の中心地。
欧州への大輸出超過。ある意味、世界の工場だった。
植民地下のインド人資本による近代工業化の成功や立法権獲得などみると、
中世〜近代の入り口くらいはいってたんでは?
イスラムでは、王制イスラム主義近代国家もありえる。
タイには近代がある。
583 :
日本@名無史さん:03/07/03 15:30
1968年の永原慶二氏の「日本の中世社会」だと、10世紀から中世。
2002年の網野善彦氏監修の「日本の中世1〜12」だと、よく読んでないが院政期
からっぽい。
永原氏の本は2001年に岩波モダンクラッシックスで、新装新発売。
このいつもケンカしてる2人の対決はどうなのよ!
ケンカっつうか、永原氏が網野氏にからんでるだけか。網野氏は病気だし。
誰か論点整理して。
584 :
日本@名無史さん:03/07/03 22:36
各地の豪族を平らげて成立した中央集権的大和朝廷の律令制であったが、
やはり日本の国情に合わず、地方分権的状況への回帰現象が現れ、律令制は
次第に崩れて行った。一般に中世と呼ばれているのは、この回帰現象である。
585 :
日本@名無史さん:03/07/04 00:07
大和朝廷の段階で、日本列島の殆どを統一できたことが最大の不思議。
交通・通信の普及。命令を施行する人材とそれを理解する人民。
その後、たちまち地方分権社会へ逆戻りし、再び統一されたのは遥か後の時代。
律令制の崩壊過程を中世と名付けて、それ以前をバクッと古代というのは、
どうしても納得できない。統一前の長い歴史を無視しているように感じる。
587 :
日本@名無史さん:03/07/04 04:44
>>585 飛鳥時代の推定人口が、350万〜500万程度。
日本全部で、いまでいうと大きめの県の規模。兵庫県・550万、福岡県・490万、静岡県・380万。
その規模の人を治めるのに、そんなに大きな政治機構は要らないだろう。
ちなみに、ローマがイタリア半島を制圧したのが、紀元前260年。大和朝廷の700年近く昔。
イタリア半島+シチリア島と、本州+四国+九州が、ほぼ同じ面積(25万平方キロ)
ローマの最大領域、紀元前に、地中海をぐるっと回って、東西4000キロ、南北2000キロを
支配している。
札幌〜福岡の直線距離が2000キロよりちょっと短いくらいだよ。
588 :
日本@名無史さん:03/07/04 09:51
律令制が崩れたと言う平安中期10世紀は、もっとも王朝が豊かな財政に支えられていた。
国司が受領となり、人頭税が土地税となり、中央の収奪機能がきっちり成功していた。
律令が崩れたと言うより、律令が現実対応し、うまく動き出していた、との解釈がいいのでは。
令の、罪刑確定とか、きちんと吟味して、令に準じて行われている。
死刑廃止と言われているが、実は死刑決定はたくさん出ている。
それを、天皇が、罪一等減ぜよということで流罪にしてるだけ。
天皇に穢れをつけたくなかった面と、貴族の慣例がある。
将門などはしっかり首を切られてるし。ま、戦闘で死んだんだけどね。
589 :
日本@名無史さん:03/07/04 15:26
律令制は、大宝律令施行時に既に我々が考えるようには機能していない。
律令制が崩壊したというのは、税の対象が人間から土地に代わっただけの
ことで、律令国家と区別して王朝国家というが、果たして588のいう王朝
が豊かな財政に支えられていたとは言えないのでは。国家の財政が潤うの
ではなく、一部の中央貴族や寺社が潤っていただけ。中央の収奪機能も必
ずしも機能していなかったのも明白。それよりも古代と中世の区分基準を
話し合おう。
590 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:28
いやああ。中世を話すためにも古代は重要さ。
院政やら武家政権やらを中世と称して西洋史のマネをする場合、その前の古代が大事。
ローマと対比すべきガツンとした体制があって、それが崩れないとね。
果たして、律令制がそれに見合うかどうか。
591 :
日本@名無史さん :03/07/04 22:01
>>589 ローマと対比すべきガツンとした体制があって、それが崩れないとね。
何故、ローマなのか。それだけ西洋史を引き合いに出すのであれば、日本の近世
を西洋史のうえで説明して欲しい。日本は日本で独自の発展を遂げており、日本
の基準を明確にすべき。今回のスレで大前提な筈の日本における古代の定義も確
定していないのに、古代が重要という意見だけでは説得力なし。579・589は私の
意見であるが、日本独自の基準を導いてこそ、このスレッドの意義があるのでは。
日本は島国であるが故に、諸外国とは独自の歴史を有していることに考慮すべき
であろう。
>>591 同感だね。
590で言っているのは、「西洋史のマネをする場合は、・・」だよ。
律令制は、ローマと対比すべきガツンとした体制ではないと思うから言っているのだよ。
「中世」を語る場合、
(1)西洋の中世と類似の時代を日本史に探し当てる。
(2)日本史を何区分かに区分けして、そのうち真中辺りの時代区分を中世と称する。
この2つは全然違うと思うね。
オイラは(2)を語りたいのよ。
593 :
日本@名無史さん:03/07/04 22:26
関係ないが、紫シン殿の襖には、平安から今も中国の賢人の絵が描いてあり、
天皇の即位の服は、平安から幕末まで中国皇帝服だった。
国風文化とは、中国律令の日本式消化形態。
というわけで、一応、古代律令はある程度、ガツンとあった。
>>589 最近の研究だと、受領ー中央の収奪体制がうまく働き、
教科書的に権門勢家中心ではなく、国家経済自体が潤っている。
(講談社「日本の歴史06」道長と宮廷社会)
>>592 歴史学、というか日本の学問全体が
近代における西洋からの輸入を出発点としているんだから、
ある程度、西洋の歴史学の尻尾を残していても仕方あるまい。
だから、貴君の(2)のうち、
・日本史を何区分かに区分けする。
この点には同意するが、
・そのうち真ん中あたりを「中世」と称する。
には承服しかねる。
時代区分をきちんと考え直すことは必要と思うが、
たとえば、縄文時代とか、前期旧石器時代(あるかどうかわからんがね)を
「古代」と言い換えることは、先学の遺産を敵視、とはいわんまでも
無視・軽視します、と宣言しているような気がしてね。
>>592「西洋史のマネをする場合は、・・」だよ。
それは理解した上での発言だよ。あまりにもこのスレの曖昧さが気になった
から、素直に指摘してみただけのことである。でも、592のいう「日本史を
何区分かに区分けして、そのうち真中辺りの時代区分を中世と称する。」と
いうのは支持できない。日本史を何区分というのも曖昧すぎる。研究者によ
っては、区分や年数に差が開くよ。それぞれ何を基準にするかによって、解
釈が異なるからね。
596 :
日本@名無史さん:03/07/04 22:46
それぞれ何を基準にするかで解釈が異なるだろうね。
もともと時代区分というものはそういうものだよ。
それと、中世という名前は、
どう見ても真中辺りの時代区分に付けられるのがふさわしい名前だね。
それがいやなら別の名前を考えれば良い。
597 :
日本@名無史さん :03/07/04 22:54
>>593 それは、国司に地方政治を委任させた後の話であって、受領の力によるところ
が大きい。朝廷が定めた機能とは異なり、あくまでも588の意見にストレートに
反応しただけ。では、荘園整理令の意義を国家の財政面から答えて欲しい。
598 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:50
真言宗、禅宗、抹茶、囲碁のルール、律令制、他にもあるかな?
中国のマネをして日本に定着し、中国では廃れたもの。
599 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:55
600 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:59
>>599 陽明学は「日本に定着した」と思えないが・・・ 毛沢東思想みたいなもんだ。
602 :
日本@名無史さん:03/07/05 09:25
>>597 受領は、わりと厳しい審査で任命されている。現実は高校教科書のような
金で受領が好きにやり放題で、自分の金儲けし放題ではなかったみたい。
受領終了後に審査があり、それに合格しないと官位があがらない仕組み。
税制が人頭税から地税に変換したのは中央の指示。詳細は複雑なので省くけど。
藤原道長時代に荘園が有力貴族を潤していたというのは、近年は否定されている。
荘園はあったが、自墾地形は途中で東大寺レベルの寺院以外消滅している。
寄進地形があきらかに増加したのは、院政以来。特に東国・東北。
荘園整理令は、現存する荘園の認可と新規荘園の禁止だが、
荘園が不輸の権を手にするのは超難問で、権を持っていてもなんだかんだ
受領に徴収されていたのが実態。
それが、院政期以後、寄進荘園が増えて、それへの中央の対応策が、
荘園公領制。
603 :
日本@名無史さん:03/07/05 09:32
604 :
日本@名無史さん:03/07/05 10:05
>>594 そうすると、貴君の考えによれば、
中世と一般に呼ばれている時代は、真中辺りの時代ではないということだね。
では、ナゼだれがどう見ても真中辺りの時代という意味を持つ「中世」という名前を
使うのかな?
考えられる理由は2つ。
(1)西洋史の中世に似た時代を探し出して同じ名前をつけた。
(2)律令時代を古代と名付け、それより前の歴史を訳の分からない時代として軽視する。
605 :
日本@名無史さん:03/07/05 10:28
「中世」だと漠然とした印象だから、「封建時代」が良いね。
>>604 貴君に考え付く理由のどちらでもない。
「先行研究と、それをなした先学へ敬意を表して」だよ。
先学が「中世」と名づけた理由は(1)だろうし、
それが必ずしも正しくない、という見解には賛成どころか
「日本の「中世」は、西洋の「中世」とは違う」ということを
明らかにするのが、後学のつとめだとは思ってるがね。
先行研究は克服すべき対象ではあるが、
同時に尊敬・尊重するべき対象でもある。
軽視・蔑視・無視・敵視する対象ではありえない。
学問すべてがそういうものじゃないの?
まして、人の営み自体を研究対象とする歴史学においては、
もっとそうじゃないの?
607 :
日本@名無史さん:03/07/05 19:19
>>602 受領功過定や勘解由勘文などを考慮しての発言と思われるが、受領に任命され
るのは難しいことなんでしょうか。摂関との結びつきで、いかようにもなりま
すよ。高校教科書に載っている藤原元命が、その後どうなったのかをご存じで
すか。一概に、審査が厳しいとは言えませんが・・・
荘園整理令の多くに「国務の妨げ」と規定されているが、これが何を意味する
か理解していますか。自墾地系とか寄進地系という内容に触れるのではなくて、
荘園が中央にとってどんな弊害があるのかを597で問うただけです。
因みに、寄進地系荘園の最盛期が院政期であることも知っていますし、荘園が
有力貴族を潤していたということを否定した説も知っています。では、何故、
王朝国家の財政が必ずしも潤っていなかったのかということをご存じですか?
608 :
日本@名無史さん:03/07/05 19:22
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609 :
日本@名無史さん:03/07/05 20:27
>>606 そういうことなら、それはそれで良いのではないかな。
しかし、改めるべき場合には改めることも大事だね。
特に一般の市民にとって大切なことは、歴史学の歴史ではないからね。
610 :
日本@名無史さん:03/07/05 20:49
先学への敬意は結構だが、本当に相応しくない名前だと考えるのであれば、
変更すべきと提案すべきだろう。
>>607 受領任命は簡単ではないですよ。限りがありますからね。任命会議は
わりと厳格です。
藤原元命だけでなく、多くが罷免強訴されてます。留任嘆願もありましたが。
それは、在地領主の権限の増加の観点から考えるべきものでしょう。
さらに、その後、収奪率の割合が定められていくわけです。
荘園整理令は、後三条のそれまではほとんど効果なしでしたが、
それ以前の荘園は、摂関家のとかはあまり多くはありませんでした。
さらに、荘園も国衙領もならして、税収をとるようになっていきました。
内裏造営などは、寺社荘園も免除は許されず、勅命で払わされてます。
結構何回もです。
摂関期に寄進地荘園が大規模であったわけではないというのは、定説になってる
と思いますが。
王朝国家の財政のほうが奈良時代や、平安初期よりも豊かですよ。
受領収奪体制の質が変わったのです。平安中後期のほうが、それ以前よりも
年中行事や文化行事や文化にかけるお金も、平安初期より贅沢になっています。
受領や国ごとに支出を任命してるから、金に困ってるように誤解されてるだけです。
そういう方式に、財政のシステムが変わったのです。金に不足はしてません。
金に不足とは、室町の朝廷をいいます。
612 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:21
>>611 王朝国家の財政のほうが奈良時代や、平安初期よりも豊かですよ。
農業技術の進歩等を考慮していないのではないのでしょうか。集約農業や耕地
開発が進展すれば、税収が増えるのは当然のことでは。
受領の任命会議は厳格であったかもしれないが、摂関との関わりに留意すべき
でしょう。それに、藤原元命に関する問いに答えているとは言えませんが。も
しかしたら、ご存知ないのでしょうか。
摂関期における寄進地系荘園のピークが頼通の時であることも周知のことです
し、摂関期より院政期の方が大規模であったことも周知のことです。当然のこ
とを述べられても、ことらとしても反応できませんが・・・
何故、内裏造営費を勅命で支払わされているのでしょうね。それに、年中行事
等にお金をかけるというけど、ただシステムとして整ったという解釈の方が当
然と思いますが。
王朝国家は、平安初期が含まれるのですか?
611と612の勝負、明らかに612に軍配
612は、日本史のプロとみた
>>613 別に勝負をつける気はない。
それよりも、時代区分の基準について語り合おう。私としては、古代の
定義を確立し、それから中世の区分基準をスレした方がいいのでは。
因みに、私は日本史のプロというよりも生業にしているだけ。
教諭?
教諭とみられるとは・・・
もし教諭だったらいけないのですか?
仮に612が教諭としたら、知識レベル高い・・・
俺の日本史教諭より専門知識あるよ〜
>>616 いや、そんな批判的に書いたわけじゃないデシ
生業かぁ、漏れも生業にしてみたいなぁ、でも教師免許持ってないよー
というわけ。どちらにしても羨ましいデシ(´・ω・`)
>>618 貴方の気持ちは理解できました。古代と中世を区分する基準について語り合
いましょう。私としては、古代の定義を確立し、それから中世の区分基準を
スレした方がいいのではと思うけど。どうでしょうか?
620 :
日本@名無史さん :03/07/05 23:47
612は教師ではないな
大学の関係者の可能性あり
>>619 中世は分権の時代、その前は集権の時代、ってことでいいじゃん。
集権の時代の前に、別の時代が何個あるかはおいといて。
617の発言からだと、行司って高校生なの?
判定する資格あるのか?
そのくらいスルーしてあげろよw
624 :
日本@名無史さん:03/07/06 10:17
>>612 別に勝敗をつけるためでないというのは同意見。
どうもあなたのほうが有利と言う人がいるので去るかw?
ただ、一応述べたいことは、
10世紀は、律令崩壊期という俗説は誤解で、ここ数年で決着がついていると思えます。
10世紀王朝国家は、古代の中央集権の最高形態で、財政も裏打ちされてます。
班田制より受領制の方が、現実対応的だし、生産力を生かせる体制と言うことです。
近年の学会の傾向はいずれもそうなってます。
失礼ながら、参考文献が古いと思われます。
藤原元命の件は何を聞きたいのですか?
知ってることを聞くのは失礼ですよ。
罷免のことですか、その後の再任命のことですか?
もしかして、武士は在地発生説ですか?
625 :
日本@名無史さん:03/07/06 10:50
>>624 >10世紀は、律令崩壊期という俗説は誤解で、ここ数年で決着がついていると思えます。
>10世紀王朝国家は、古代の中央集権の最高形態で、財政も裏打ちされてます。
>班田制より受領制の方が、現実対応的だし、生産力を生かせる体制と言うことです。
なるほどなあ。前から不思議に思っていたことがスッキリしたなあ。
生産力が向上したこともあるんだろうなあ。
武士の在地発生説?
何か興味ある言葉だなあ。もそっと詳しく教えてたも。
626 :
日本@名無史さん:03/07/06 11:09
昔の偉い人は、足を前に出して膝を曲げ、足の裏を前面に見せるようにして座るね。
背中や腰が疲れると思うんだが・・・・。
627 :
日本@名無史さん:03/07/06 14:24
>>625 各地の在地領主層が武装して武士化したって説じゃないのかな。
昔の教科書に乗ってたやつ。
最近は、武士は武を職能とした軍事貴族、つまり武士は貴族から発生したが
主流みたいね。
でも、地方にも受け皿があったのではと言う感情は持つけどねw。
628 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:37
>>624 失礼ながら、参考文献が古いと思われます。
失礼ですね。最近の学会状況は熟知しているつもりですが。それに、私の
これまでの発言をトータルにみれば、それらを踏まえた発言であり、他の
方々の発言に個々に反応しているだけであることが明白かと。私が何時、
律令制の崩壊期が10世紀と述べましたか。それに、班田制より受領制の方
が、収奪力がアップしていることぐらい当然でしょう。国司に地方政治が
委任されて強力な権限を国司が握っているのだから。そして、農業の進歩
も中央に貢献している筈。
摂関に任命された受領が、地方政治がやりにくいから新たな命令を出して
欲しいと摂関に求めることもあるでしょう。
王朝国家と律令国家の財政の比較は、何をご参考でしょうか?
私の方も、625さんの教養がとても高くてついていくことができませんので、
このスレッドへの書き込みを最後とします。
>>624 628に同感。624は一方的に自分の意見を言っているとしか思えない。論争といものが成り立っていないような気が・・・
>>628 怒っていますか?たかが掲示板ですよ。
10世紀の武士の人口構成比が果たしてどの程度なのか気になりますね。
皆さん「王権史」「官僚史」「統治者史」がお好きのようですが、
木地師などは明治初期になっても政府がその実態を把握できなかったようですから、
昔の時代の立派な「社会機構」を想像すると大コケにコケるのではないでしょうか。
>>628 勝敗を付けるためで無いというお考えわからんでもないが
まあ、しかし、この勝負は端からあなたの勝ちだってことは
ここにいる多くの人の認めるところですからw
貴兄が富の一部への偏在、受領功過制の空洞化、奢侈論、都城論など
最近の動向を把握しておられるのに対して、誰かさんは今どき
自墾地系・寄進地系だの、不輸だの、公田官物率法だの
7・80年代でストップしちゃってるようですからね。
>失礼ながら、参考文献が古いと思われます
ほんと、よくいうねw
王朝国家論者で、
しかも大津しか読んでないようだから
しょうがないよ
2000年以降の出版物を見ると、
>>624のいうとおりだよ。
>>634 だから、これまでのやりとりをみたら624と628はまともな論争になっていないんだよ。
624が一方的に知識をひけらかしているだけ。628の質問にちゃんと答えずに批判と知
識のひけらかしだけ。自分が何でも知っているとでも言いたいんでしょう。
628も最近の学会状況を知っていることぐらい624とのやりとりで分かるよ。624の発言
に一つ一つ反応しているだけだな。628の発言の奥深さを読みとれよ。誰だって、本に
書いてあることぐらい、そのままスレッドに書き込めるよ。624がそうなの。
>>628 本当に最後なんでしょうか?
勉強になるからもう一回登場して!
624はいらんw
>王朝国家はいつか
一般に王朝国家の完成は10世紀から12世紀。特質は、官庁の独立と家による仕事の請負。
>荘園整理令の意義は何か
1040年の長久令は,格前・格後の整理基準を改めたことや,内裏造営のための
賦課と関連して出されたことなどで画期的であったが,その背景には,
11世紀40年代に行われた別名制の公認があった。
それまで権門勢家に寄進した荘園となっていたものを,別名として国衙支配の
中に位置づける方針がとられ,以後の新立荘園は認めないとしたのが長久整理令。
長久令以降の荘園整理令は中世荘園制の形成に対応するもの。
それ以前の、整理令は、ほとんど効果がなかった。寺社系にはね。
10世紀の寺社系荘園以外の開発新田は公領に吸収されていってた。
意見があるなら、書きたいことを書けばいいじゃないか。
そんな、自作自演するなよw。
ばればれだよ。
都城論とか述べたければ述べれば?
8世紀と10世紀の財政の差は歴然でしょう。租庸調を整理して実情に合わせただけでも
莫大な上昇でしょう。まして、一国まるごとに請け負わせられるようになったんだから。
624っていったいなにもん
自分で頭いいと思ってんのかな
やっぱ628の自作自演か。変だと思ってたんだ。
内容がなかったからね。生業は本屋かな。
>>の形でばればれだね。大恥じW
>639
>>を使っている香具師いるぜ
それだけで判断するとはw
641 :
日本@名無史さん:03/07/07 22:55
>>629のメール欄。abc@docomo.ne.jp
>>635のメール欄。abc@docomo.ne.jp
>>636のメール欄。edtr@docomo.ne.jp
>>638のメール欄。sqw.rtt1@docomo.ne.jp
>>640のメール欄。utyu@docomo.ne.jp
こりゃあ、珍しい人だ。
あとは、皆さんのご判断にお任せしましょう。
>641
身元特定されたくない人もいるだろう
641の自作自演
>637
>租庸調を整理して実情に合わせただけでも莫大な上昇でしょう。
そんなことを当たり前のことじゃないの。628は、それを前提に話を進めて
いるよ。既に律令施行時に律令制は機能していないと言ってんだから。両国家
の財政の文献を聞いているんだから、それを答えてから意見言えよ。
628のいう荘園整理令の意義を、国家の財政面から答えているとは言えない
と思うけどな。
追伸:
[email protected]でレスしてます。
age
>>642のメール欄は・・・。
この人もうダメボ(つД\)
646 :
日本@名無史さん:03/07/07 23:21
面白くないスレッドになったね
636ですが・・・
635のメール欄真似ただけなんですが・・・
648 :
日本@名無史さん :03/07/07 23:39
>>641 普通に考えたら、あまりにも証拠が揃いすぎだと思わないか。
641の自作自演とみた。
もしかしたら、628に敗れた624の自作自演か。
>628さんへ
坂上康俊「負名体制の成立」(史学雑誌94−2)
勝山清次「中世年貢制成立史の研究」
佐藤泰弘「古代国家徴税制度の再編」(日本史研究339)
上島亨「一国平均役の確立過程」(史林73-1)
受領功過定の重要性・緊迫性については「北山抄10」や「小右記」
「小右記」には、諸国財政割り当てなども書かれているので参考にしてください。
まだ、メール欄のことがわかってないみたいだね。
だからさあ、『小右記』を見れば、受領功過定がいかに
恣意的に行われていたか一目瞭然だろ。実資がブツブツ
言ってるじゃん。
>莫大な上昇
だからあ、それがどこへ行くかが問題なわけ。『小右記』読んでるなら
受領が公事よりも道長・頼通への献物を優先させたことぐらい知ってるだろ?
628氏は消えたようだな。できれば残ってもらって、624のほうに消えたほしかったが
世の中うまくいかねえなw
傍から見れば、624をどうしても気にくわない人間がいるように思われるのだが・・・。
両者が論争してくれれば良いだけだと思うのだがなあ。
>>650 628さん
実資は道長に頼りにされていたと言うのはご存知とおもいますが。
ああいう、切れる公正な男が、なぜ会議の主役で主導権を握れていたのか。
最後は道長が決めたとしても、会議では下級から発言し始め、
全員が発言し、実資が受領の不公正を発見すると数日もめる。
道長は、実資の意見を尊重して敬意を払ってますよ。
もちろん、一族の利益のために、意見が割れたときは利益擁護に回ることは
ありましたが。
会議を全部ひっくり返すようなことはしていません。実資も、文句は残してますが、
道長のテクノクラートとして仕事を良くやり抜いてます。
>それがどこへいくかが問題
朝廷財政に入ってますよ。職が家で継続する時代になったから、
家ごとに大きく支出されてます。
10世紀に生産・財政が平安初期よりも上昇し安定してきてたことはいいですね。
受領制のおかげで、10世紀は財政が安定した。
もちろん、摂関家への志や受領任命のための成功を否定はしない。
しかし、受領は好き放題収奪できたわけではない。
また、以前の常識よりも国家財政に貢献してるし、朝廷の指名による
中央への負担をきちんと受け持っている。
何よりも、道長は、一族への配慮は当然あるが、
天皇や上級公卿とよく打ち合わせ、国家財政の安定に苦慮している。
特に一条天皇などは、受領の査定に口を挟むほど政務熱心で頭脳もあり、
道長とともに国政運営にあたってたようです。
>>651 論争とは穏やかじゃないよw
穏便に、討論くらいにしまひょ
>ああいう、切れる公正な男が、なぜ会議の主役で主導権を握れていたのか。
主導権を握れていたってどういうことですか?
道長が左大臣のころ叙位・任官が全然公正じゃなかったのは周知でしょ。
陣定が下位から発言することとは全然次元が違うでしょ。
>道長は、実資の意見を尊重して敬意を払ってますよ。
そりゃ有職故実的なことでしょ。
いや、それですら実資の意見に違うことをやることが往々にしてある。
>朝廷財政に入ってますよ。
>受領制のおかげで、10世紀は財政が安定した。
>また、以前の常識よりも国家財政に貢献してるし、
だから、中央に納められたその後が問題なわけ。
儀式・造営・奢侈以外、何か民政のために使われました?
精々気まぐれな賑給くらいでしょ。あなたの言う国家財政・朝廷財政って何なの?
>朝廷の指名による中央への負担をきちんと受け持っている。
そう、臨時召物や国宛なんかでね。
必要に応じて、そら儀式だ、そら造営だ、ってかき集める。
年間予算が決められているわけでもなく。
あなたの議論は、主張する点とその根拠として挙げられるものが
全然リンクしていない。
もうちょっとちゃんと大津氏読んであげなきゃ可哀想だよ。
>>654 >人事
無能な人物は藤原一族長老格でも役職に就けませんでしたよ。
名前は失念したけど、間抜けばっかりやってたの誰でしたっけ。ご存知かと思いますが。
道長はわりと、国政全般を意識してますよ。だから一定の権威もあった。外戚だけじゃないんです。
>有職故実的なことでしょ
実資の受領の認定や評価に耳をかしていますよ。場合によっては数日かけてます。
当然、否定したこともあったけど、思いのほか実資らの実務派を尊重してます。
普通あれだけ日記に悪口を書くんだから、記録から見ても道長の思い通りでない
意見を連日、口にしてる感じ。でもすぐリストラ!とかしてないでしょ。
>民政のために
失礼ですが、奈良朝や9世紀の方が福祉的と?悲田院や公的救済制度とかの
ことですか?公的救済制度は問題が多かったですよ。出挙もあったし。
律令の弊害はお詳しいはず。何か民政寄与ありましたか?
班田収受の頃より、10世紀のほうが在地勢力や地元有力勢力の権限・豊かさは
俄然上昇してます。
10世紀の荘園収入は大きかったかどうかから財政支出に論点を変えようとしてますね。
まぁ、いいでしょう。上級公卿の収入のついては次に書きます。
領民を大切にしたのは、基本的には戦国大名からです。
>>654 >臨時召物とか
これは、通常の受領の中央への収納に、追加してですよ。
臨時追加が大きすぎるときは、定期収納が減ったり免除はあったでしょうが。
ですから、受領は定期収納以外をゲットできたわけです。
定期収納せずに私欲だけ認める中央政府はいるはずないし、
たとえ道長系の中下級貴族が受領に優先されたとしても、競争の力で
定期収納を収められる人物が拝命されるわけです。
成功でも、その条件は前提でしょう。
貧国や冷害以外で定期収納がほとんど未納の受領の記録はありますか?
年間予算は律令制の時期より、受領制のほうが見通しが立ちやすくなりました。
基本収納に加え、いつでも臨時加増できるんですよ。便利じゃないですか。
否定する「近年の」根拠は?
・摂関制は荘園制にもとづかない
1、11世紀前半までの荘園は例外的存在にとどまり、社会全体を規定してない。
支配体制を支えたのはあくまで公領(含む、公領に吸収された荘園)。
10世紀段階では、荘園制は成立していない。
2、かつては摂関家経済は荘園制にもとづくとされていたが、今では、それが
成立しないのは明白。この時期の貴族は家領荘園を有していたが、その収入は
あくまで補助的な財源。
上級貴族の財政は、あくまで封戸などの国家給付に支えられていた。
この意見は、上横手氏(皇学館大学教授、京都大名誉教授)、元木氏(京都大学助教授)、
勝山氏(京都大学教授)の共著「日本の中世・8(2002年)」(監修は網野氏、石井氏)。
このシリーズと、講談社の「日本の歴史」シリーズも似た論調ですね。
これを否定する、「2001年以降」の論拠があったら教えてください。
657 :
日本@名無史さん:03/07/09 18:52
古代と中世の定義とはなんだろう?
古代
→ 土着宗教と神権政治もしくは寡頭合議制
中世
→ 国際宗教の浸透と武断政治
ではないのか?
話ずらしてんのはどっちだよ。
>無能な人物は藤原一族長老格でも役職に就けませんでしたよ。
あのね、受領の話してただろ。
>たとえ道長系の中下級貴族が受領に優先されたとしても、
>競争の力で定期収納を収められる人物が拝命されるわけです。
家司受領って言葉知ってるよな。道長にせっせと奉仕して、そのお陰で
受領になって。で、また道長にせっせと奉仕して。それの繰り返しだよ。
反道長の姿勢を明らかにして大国受領になれたやついるかい?
形式的任命の後、たちまち相博させられた例があるの知ってるだろ。
受領に限らない。中下級官人だってそう。全公卿の反対押し切って
但波奉親をむりやり官史にしたのは周知だろ。まあ歴史的には
彼の意図に反してその後、無事小槻氏が局務になっていくけどね。
>名前は失念したけど、間抜けばっかりやってたの誰でしたっけ。
道綱かい。だから、出世できるか出来ないかは道長の意図のままだったってことだよ。
>場合によっては数日かけてます。
数日かけて自分の意図を通すのが殆どだけどな。
>実資らの実務派を尊重してます。
ほお〜、実資が実務派ですかw
>でもすぐリストラ!とかしてないでしょ。
公卿が公卿を解官出来るわけねえだろ。
この時期は致仕・出家・辞官申任以外に、どんな行政上の不始末したって
解官されることなんてねえよ。終身公卿さ。
謀反以外で公卿が解官された例があるなら聞きたいもんですな。
>公的救済制度は問題が多かったですよ。出挙もあったし。
あのね、実質どうだったかを問題にしてるんじゃないの。
政府がどうゆう行動をしたかを問題にしてるわけ。
この時期の「国家財政」とやらの使い道は儀式・造営などが殆どでしょ。
>10世紀の荘園収入は大きかったかどうかから財政支出に論点を変えようとしてますね。
はあ? 俺がいつ荘園云々言ったよ?
>年間予算は律令制の時期より、受領制のほうが見通しが立ちやすくなりました。
>基本収納に加え、いつでも臨時加増できるんですよ。便利じゃないですか。
そうゆうのは予算とは言わないの。もうちょっと日本語勉強したほうがいいよ。
あんたの文章読むのは本当に骨が折れる。
>摂関制は荘園制にもとづかない
あのね、そんなことはもう20年も前から言われてるわけ。
このころの貴族にとってはまだ封戸のほうが、はるかに荘園より
経済的意味が大きかったってことなんてのはね。
あんたにはつい最近知ったから物珍しいのかも知れないけど
>11世紀前半までの荘園は例外的存在にとどまり、社会全体を規定してない。
例外的存在なんじゃなくて、院政期以降の領域型荘園とは性格がちがうわけ。
土地を一円的領域的に支配してないの。実資が「公領立錐の余地無し」
って言ったのは別に誇張でも何でもなくて、実際免田・寄人型荘園は
広範に展開していたわけ。ただ後の領域型荘園とは違って、
庄内の土地・人民・収穫物の全てが領主のものというわけでは
なかったの。わかった?
>この意見は、上横手氏(皇学館大学教授、京都大名誉教授)、元木氏(京都大学助教授)、
>勝山氏(京都大学教授)の共著「日本の中世・8(2002年)」(監修は網野氏、石井氏)。
>このシリーズと、講談社の「日本の歴史」シリーズも似た論調ですね。
>これを否定する、「2001年以降」の論拠があったら教えてください。
だれも否定してないよ。ちなみに上に書いたような免田・寄人型荘園を提唱したのは
小山靖憲氏。別に上の3氏に限らず学界で広く認められてる議論だよ。
上の3氏は荘園制が専門じゃない。勝山氏はやや近いが。
2001年どころか、ここ何十年否定する意見なんて聞いたこと無いよ。
批判的継承ならたくさんあるが。
>摂関期に寄進地荘園が大規模であったわけではないというのは、定説に
今どき寄進地系荘園てか。在地領主が領家へ、領家が本家へ
なんて無邪気に考えてるんだね。もうちょっと勉強したほうがいいよ。
661 :
日本@名無史さん:03/07/09 20:11
今日の朝日の夕刊に吉岡忍氏が「自分以外はバカ」の時代だという文章を書いてますな
相手が間違っているという前提だといつまでたっても平行線だね、お互いに
ほんとにね。いいかげん疲れた。635さんいわく
>まともな論争になっていないんだよ。
>624が一方的に知識をひけらかしているだけ。628の質問にちゃんと答えずに
>批判と知識のひけらかしだけ。自分が何でも知っているとでも言いたいんでしょう。
>誰だって、本に書いてあることぐらい、そのままスレッドに書き込めるよ。624がそうなの。
624は在地領主制的武士論や摂関期の荘園制など、高校で習ったことが
学界では否定されてることを知って嬉しくて誰かに言いたくてしょうがないんだろうが
そんなこたあ、20年前から周知のこと。中田薫以来の寄進地系荘園なる概念が、
近年克服されつつあることもお勉強しておくべきだな。それが出来たら
また付き合ってやるよ。ほんと相手するの疲れる。628氏が消えたのも分かる。
663 :
日本@名無史さん:03/07/09 20:40
古代は経済成長の時代
中世は経済停滞の時代
中世はGDP、人口が停滞しはじめた10世紀から15世紀末までとします
664 :
日本@名無史さん:03/07/09 22:24
>>自作自演好きの635=628=662氏へ
>実資が「公領立錐の余地無し」
10世紀に、新たな受領が任地に着いたとき、最初の仕事は何ですか?
もちろん知ってますよね。荘園をどうしたんですか?
それを知ってるはずですから実資の言葉と実際の差がわかりますよね。
>寄進地系荘園
また、再認知されてますよ。知ってますよね。
>民政
10世紀以前の民政の話はどうなったんですか?何を政府はしてたんですか?
ケチらずに教えてくださいよ。
>財政
10世紀は財政が困ってたって話はどうなったんですか?
次は支出内容に変えましたね。
9世紀の造作・東北侵攻と、10世紀の造作・年中行事とどういう価値の差があるんですか?
ケチらずに教えてくださいよ。
665 :
日本@名無史さん:03/07/09 22:25
>>自作自演好きの635=628=662氏へ
>荘園の形成
11世紀中ごろで、まだ公領と荘園はせめぎあい中。
1156年からが、荘園の国家による容認です。
これは、国家による荘園の統制も意味します。
院政と鎌倉幕府によって荘園制(公領制)は完成に向かっていきます。
もちろん、とっくに知ってることですよね。
あなたは、たぶん勉強家なんでしょうが、学問に一番大切な「誠実さ」がないですね。
ごまかしと、すりかえばかりです。
自分で聞いといて、答えたら知らんぷりして、都合の良いところばかり
つまみ食いする。
別に付き合ってくれなくていいです。消えなさい。卑怯者は邪魔です。
自作自演天国スレにマジレスした私が馬鹿でした。
あなたのレスの変遷を思い返したらどうですか。若いのにズルばかり覚えてちゃ
モノにならないですよ。反省してください。
あきれて、もうレスする気もしません。存分に自作自演でもしてください。
666 :
日本@名無史さん:03/07/09 22:28
>>663 鎌倉中期以降、農業生産が増加開始し、室町には農商工が
発展したと思うが。
2毛作や綿作や問や金融資本など。
667 :
日本@名無史さん:03/07/09 22:51
大和朝廷成立以降が中世。それ以前が古代。
668 :
日本@名無史さん:03/07/09 23:18
言いがかりは止してくれ。
俺は621=632=650=654=658=659=660=662。
>11世紀中ごろで、まだ公領と荘園はせめぎあい中。
その頃はまだ領域型荘園の形成途中だよ。公領とせめぎ合いもクソもあるか。
>1156年からが、荘園の国家による容認です。
ほお〜、是非とも詳しく聞きたいですなあ。
今じゃ鳥羽期が荘園制の画期だなんて殆ど通説だろ。
白川・後白河のときの変化とは比べもんにならん。
保元令と三代御起請の地か?w
>ごまかしと、すりかえばかりです。
そっくりそのままあんたにお返しするよ。
>自分で聞いといて、答えたら知らんぷりして、
答えになってねえんだよ、てゆうか俺もきいてないしw
>消えなさい。卑怯者は邪魔です。
あんたにそんな権限はない。まあ言われなくとも消えるけどね。
ここまで侮辱されて平気でいるほど俺もお人好しじゃないから。
>若いのにズルばかり覚えてちゃ
おっ、若いなんて久しぶりに言われたよ。これだけは感謝するよw
まあ、精々これからも古典学説を信奉して頑張って下さい。
さて。アフォ二人が消えたところで、話を戻しませんか。
そうだな
672 :
日本@名無史さん:03/07/10 22:20
仏教伝来。
673 :
日本@名無史さん :03/07/10 22:43
>669
怒るのも無理ないな
628も自作自演とかでやられたんだろ
今度は貴方が標的だね
ここではまともな論争はできないね
641がきてから
674 :
日本@名無史さん:03/07/10 23:17
三畳紀、ジュラ紀、白亜紀からなる。
恐竜全盛の時代だ。
みっともない人がいますね。ここまでくると釣りかな
荘園の話は難しくて私にはわかりませんが、
日本列島人が大きく生きざまを変えたのは、何時なんでしょう?
>>676 「弥生時代」の始まり辺り
室町・戦国時代
明治維新
678 :
日本@名無史さん:03/07/11 21:51
679 :
日本@名無史さん:03/07/12 09:24
>>678 その次は、戦後の衛生改善である。
ノミ・シラミ・ギョウチュウの駆除、トイレの洋式水洗化、結核・ライの撲滅。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
681 :
日本@名無史さん :03/07/12 22:12
628と669が消えてから低レベルなスレッドになったと思うが・・・
664・665のように常に自作自演と攻撃していたら、まともな話し合いはできないと思うが・・・
628は624に合わせていただけで、639のいう内容は失礼かと思うが・・・
むしろ低レベルの624に対して攻撃しろよ
669も真面目に答えているだけで、内容自体に問題はないと思うが・・・
669に対して反撃する材料がなかったとしか考えられない
もう一度、高レベルのスレッドにして欲しい
682 :
日本@名無史さん:03/07/12 22:48
別名 (べちみょう)
本来別納(べちのう)の名(みよう)の意で,11世紀の半ば以降,公領の
荘園化を防ぐため国衙が在地有力者の私領確保の欲求に妥協しつつ,
開発をみとめ官物・雑公事の納入を請け負わせたことから成立した土地制度
上の一呼称。〈べつみょう〉ともいう。
別名領主の大部分は郡郷司や在庁官人であり,一般に別名の成立は国衙近傍
の地域で著しい。別名の史料上の初見は1102年(康和4)丹波国の米光保の
作田について〈公験の限りあるにより立券荘領せしむるといえども,米光保
においては別名を申請するところなり〉という丹波国司下文である。
また75年(安元1)9月宇佐宮の貫首漆島並清が,一族の郷司並実からの臨時雑役
・田率雑事の賦課を免れるため,豊前国辛島郷時成名内元里名田を別名と
することを申請して大宮司から認められた例のように,一族内で別納権を
確立するため別名とすることもあった。
なお旧来の郡―郷制の解体にともない成立する郡,郷,院,保,条,名
など多様な名称の所領が,支配・収取の単位として成立し,並列的に存立
する状況を一般に別名制と呼んでいる。
この辺が、中世の入り口かな?
この土地体系を、認可したのが1040年の長久の荘園整理令ということかな。
683 :
日本@名無史さん :03/07/12 23:15
>>681 自作自演としか628・669に反撃できない知識しかないからでしょう
こんなやり方で勝ったと思っている奴の気がしれないが
俺も自作自演と攻撃されるかも
624でも628でもない、第三者が今の事態を
起こしたんだろうな・・・
686 :
日本@名無史さん:03/07/13 20:18
後三条天皇から中世って言うのはなんで?
687 :
日本@名無史さん:03/07/13 20:21
688 :
日本@名無史さん:03/07/14 09:05
荘園を国家の収入源として認知していった開始としてでは。
689 :
● ◆Akky/.gruQ :03/07/14 09:59
てか、顕密体制論を語る香具師はいないのか?
690 :
日本@名無史さん:03/07/14 13:56
円珍か?
どの変の角度から?
691 :
日本@名無史さん:03/07/14 14:20
>顕密体制論
最近はあまり聞かないが、学会などでは評価はどうなってるの。
鎌倉仏教は、宗教改革か、はたまた一時の異端か、というあたりかな。
漏れは改革の気がするがな。近世の浄土・浄土真宗・曹洞宗・日蓮宗
の檀家数など見て。旧仏教と並立しうる存在と思うが。
王権と癒着や妥協したから違うとも言うが、所詮宗教で革命家ではないからね。
それを言ったら、プロテスタントが体制宗教の国もあるしねぇ。
顕密体制論も権門体制論も、出された当初はゲテモノ扱いだったが
今ではむしろ通説と言ってもいい位置にある。もちろんそのまま認め
られてるわけではなくて、様々な方面から批判がなされているが、大枠は
継承されている。但しありがちなことだが、論者によって意味合いが
ズレつつあり、そういった点も含めて改めて検証すべきとの機運が
高まりつつあり、すでにいくつか成果も発表されている。
>近世の浄土・浄土真宗・曹洞宗・日蓮宗の檀家数など見て。旧仏教と並立しうる存在と思うが。
それは誰も否定してないよ。顕密体制論は中世体制論。
中世においてはいわゆる鎌倉新仏教は異端だったって言う話。
旧仏教いわゆる顕密仏教が社会・国家を規定していた。
新仏教が社会的に影響を持つようになるのは戦国時代から。
顕密体制論以前は旧仏教=古代仏教、新仏教=中世仏教と考えられていた。
694 :
日本@名無史さん:03/07/15 11:34
教えて君ですまんが、戦国も普通は中世だろう?
鎌倉期でも一遍の時宗は全国的に影響を持ち、旧仏教支配下の非人も帰依してる。
高級公卿にも念仏系は存在感を示している。
頴尊などの旧仏教も頑張ってはいて、天台の力は東西の権力に影響してるが、
鎌倉を規定してたのは八幡宮や禅宗の気がするが?
鎌倉期には、新旧仏教が並立してたというならわかるが…。
確かに、鎌倉初期は異端で迫害を受けてるが、いずれも地方に勢力を広げ、
日蓮などは佐渡から帰ってきて執権と話し合ってる。有力武門の帰依も多い。
踊念仏に上級貴族のご婦人方が見学に来てもいる。
また、後鳥羽の怨念を恐れた幕府は後鳥羽の孫あたりを、鎌倉の禅寺で
優遇している。臨済宗系だと思う。
旧仏教が朝廷に力を持ってたのは事実。鎌倉期でも強訴で天皇が逃げ出し、
無人の御所に神輿が投げ込まれている。六波羅もあまり手出ししていない。
しかし、公式には顕蜜体制でも、内実は天台一派とはいえ、念仏系が
摂関家をはじめとして、心をつかんでた印象を持つ。平安以来の念仏系だが。
貴族の日記などには確かに、執権が死ぬと旧仏教の〜の訴訟却下の祟りだろうか
などと書かれてはいるが。
鎌倉期において、特に中期以降は、東西の公式的行事においては天台顕蜜が優先されたが、
実質的には幕府は禅宗、有力御家人は禅宗・日蓮宗、民衆は念仏系、
京都公家も内実は古い形の念仏系、被差別民は時宗か真宗。
という印象を受けるが…。
鎌倉初期においては、新仏教は異端というのは認める。
いずれの国と時代を問わず、新宗派は最初は異端だからね。
天台の最澄もずいぶんと、奈良仏教にいじめられていた。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
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\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
696 :
日本@名無史さん:03/07/15 11:46
おきれ
697 :
日本@名無史さん:03/07/15 13:45
>>694 付けたし
確かに、鎌倉幕府や要人との律宗や天台とのつながりは深い。
が、比叡山が園城寺を焼いたとき、園城寺から1人、延暦寺から数名
六波羅が流罪を命じている。
旧仏教との妥協はあるが、臨済宗は権力との接近に成功し、
鎌倉幕府を帰依させ、藤原氏も帰依させている。
698 :
日本@名無史さん:03/07/15 22:06
訂正ー叡尊は西大寺の真言律宗だったね。
全集は武家の上層部にも支持されていましたが
日蓮宗や時宗、浄土宗はまったくの少数勢力だったのでは?
そもそも一般の庶民はいつごろから仏教徒になったの?
700 :
日本@名無史さん:03/07/16 21:11
時宗は一遍の時代に、日本中に広まり、農村部など今でも名残をおさめている。
真宗と日蓮宗は室町時代に広がった。真宗は蓮如以後爆発的拡大。日蓮宗は都市商人が多い。
曹洞宗も地方に広まった。
臨済宗は都市部かな。
時宗の僧は全国を遊行していたんでないの?
いつごろから遊行寺は大きくなったんだろ
702 :
日本@名無史さん:03/07/17 09:30
各地を遊行するのと、各地に住み込むのと両方いたみたい。
各地の道場は、室町で2000!
清浄光寺(遊行寺)
伽藍は第6世一鎮のころから整備され,第8世渡船の56年(正平11‖延文1)に
いたって完成した。
南北朝,室町時代は鎌倉公方足利氏や関東管領上杉氏等の保護を受け,何度か
の火災にあったにもかかわらず順調に発展した。
二条良基の《測玖波集》に〈清浄光院にまかりて〉とか,道興准后の《廻国雑記》
に〈藤沢の道場,聞えたる所なれば一見し侍りき〉などとあるように,広く世に
知られていた。
時宗の信者たちの清浄光寺に対する信仰心もあつく,《時衆過去帳》などによって
彼らが当寺に葬送,納骨した例を多く見ることができる。
1513年(永正10)後北条氏の進出に伴い焼亡するが,江戸時代に入り,徳川氏の
保護を得て1607年(慶長12)に再興された。
寺領100石を与えられ,時宗全体の総本山格に昇る。
703 :
日本@名無史さん:03/07/23 00:18
営業と内勤みたいなもんか
>>676 >>荘園の話は難しくて私にはわかりませんが、
>>日本列島人が大きく生きざまを変えたのは、何時なんでしょう?
生きざまって言ってもいろいろあるけどねー。
使っている貨幣、婚姻形態、家のつくり、食事、服装.....。
身長で見ると、列島人は
弥生時代に身長が伸びて、古墳時代に伸びがとまって、
それ以降幕末まで身長は低くなっていくんだけど、
その間の鎌倉時代に男女の身長差が一番開いて、
明治以降再び身長が伸びた。
これは食事における動物性たんぱく質とカルシウムの摂取量の変化、
つまり食事の変化に対応していると思います。
ここからどんな生きざまが見えてくるかは分かりませんが、
とにかく分かりやすい一つの視点にはなるんじゃないでしょうか。
705 :
日本@名無史さん:03/07/24 23:27
江戸時代のからくり人形展に行った。
たしかにたいしたものだが、袋小路にはまり込んだ不気味さも感じた。
江戸時代は、中世というべきではないか?と、感じた。
封建制に、農業中心で商業は発達すれども産業は手工業。
非中央集権、身分制社会。
これは、中世だ!
近世などといわんでよい。
諸君、いかがか?
>>705 貴方が一人でそういいたいのなら干渉せんよ。
他人に強制しないかぎり、いくらでもどうぞ。
>>704さん
核心を突いたご質問です。時代の区切りはまさに、どこに注目して行うのかが、
大きな問題だと思います。私は単に、権力者の統治体制や、王統の区切りで
日本史を把握するのがどうもなじまなかったからです。
ここにレスされる皆さんは、もっと柔軟な判断なのでほっとしています。
男女の身長差で思い出しましたが、動物では、メス獲得が激しい種ほど差があるそうです。
鎌倉時代は熱烈ラブコールの時代だったのかもしれません。
>>705さん
江戸時代、民主主義から乖離していったような印象があります。鎌倉時代の自治自衛の気風が
すっかり萎えてしまったようにみえます。清朝中国や李朝朝鮮と同様の閉塞感があります。
伸びやかさに欠ける中世欧州と比較できるかも知れませんね
704
そりゃ、自然史的な見方ではね。生き様ってのはそうではなくて
もちっと社会的ってゆうかな、物の考え方、意識ってゆうか
まあ簡単に言えばマンタリテってゆうやつだな。
707
まあ、人それぞれなんだろうけど、江戸時代ってそんな窮屈でもないような。
もちろん現代の民主主義社会と同一視するつもりはないけど
でも侍はサラリーマンだし、庶民もいるし、壁一つ超えたら
かなり現代に近いみたいな。少なくとも鎌倉時代よりはマシだよ。
江戸時代ほど、庶民の自治がゆきわたっていた時代はないんだが。
年貢の徴収からなにから、
町方における治安維持と裁判以外は、ほぼ自治で行われていたのに。
江戸時代についていったい何年前のイメージで話してるんだろうか?
>>709さん
大都市江戸の話をされていると思います。
私が閉塞感としているのは日本列島全体として、
入会権抗争や年貢の軽減嘆願などはみられるものの
民衆が領主を追い出して自治を始めたり、領主を担いで隣接地を侵略したりという
自由をほとんど放棄するようになった、という心情・習慣を指しています。
あらぶる山の民も江戸期にほとんどいなくなった。室町時代などは、
山村同士で女子供以外全員殺しあうことがときどきあったが、
江戸期には、管轄藩がきっちり決められるようになり、乱が起きると
厳しく取り締まられ、しっかり処罰されるようになった。
与えられた安定のもとでの「お上に逆らうと損」的なあきらめ感や萎縮感が
江戸期に定着したと思われるのです。
>>710 うーん。あなたのいう、「侵略の自由」というのが良く分からないです。
「自力救済」と混同なさっていませんか?
「夜警国家」という考え方もあるように、治安の維持というのは為政者の義務。
江戸幕府は基本的に、治安維持と年貢収納さえきちんとしていれば、
下々の自治に対して殆ど介入しなかったというイメージがあります。
「殺しあう自由」がないと人は萎縮するなどという話は始めて聞きました。
それから、私がイメージしているのは江戸というよりは、
農村における自治のイメージですよ。
712 :
日本@名無史さん:03/07/25 15:21
江戸幕府は、思想統制はしてるし、5人組で農村統制はしてるし、
宗教統制もしてるし、職業の自由もない、建前では移転の自由もない。
農村の自治と言うのは年貢請負などを指してるのだろうが、室町以来の惣村自治
の換骨奪胎の面もある。
立法権・行政権・警察権・裁判権は武士が持ち、農民自治はその下請けになってしまった。
江戸時代見直しが最近ブームだが、基本を忘れると大変なことになる。
あくまで、出生職業身分制社会で、自治や自由はすべてその内側のもの。
だから、商工業や芸術の発達が、奇形発達の印象を受ける。
だから明治にタガが外れたとき、大発展したんじゃないかな。
性意識や男色やらからみても、
末期以外の江戸時代は中世でよろしい。
>>712 ふぅ。
上部権力による統制があるから自治じゃない、ってか。
それなら、現在だって、民法や刑法、究極には憲法による統制があるから
自治なんて存在しないよねぇ。
今に、信号で交差点をわたるのが自由じゃないから、
道をあるくのにも、われわれは統制されてるって言い出すんじゃない?
ま、冗談はともかく、「自治」の定義にずれがある以上、互いに議論が成立しません。
それこそ、農村の検断・勧農はだれがやるのか、とか、
そもそも、そんな概念は通用するのか、とか、そこから議論せねば
ならなくなるが、そんな余裕もないのでね。
714 :
日本@名無史さん:03/07/25 23:18
>>713 からかってるつもりなんだろうが、ずいぶんとピントがずれてる人だw。
主権の所在がぜんぜん違う。天然?
自治が統治に利用されてたのは知ってますよね?
だから、自治が存在しえたのです。
近代以前は、中世でよろしい。近世定義などいらん。変に幻想を持つ。
>>711>>713 私の言いたいことが伝わっていないようです。
大正デモクラシーに通ずるような気概が、江戸期に萎えたということです。
上を見上げないで、下を見て暮らす心象風景が一般化したのではないかと思うわけです。
日本だけでなく、中国や朝鮮でもあったと思います。
これを「アジア的停滞」と評した西洋人もいました。
309さんは、列島住民の生活様式が時の為政者に束縛されたものではない、
というイメージを追い求めているようだけど、権力と住民の力関係を
正確に描くことは技術的に難しいですよ。資料的限界があります。
人口歴史学で住民の生活を復元しようという試みがありますが、
これも戸籍が整備されている=時の為政者が社会をよく管理している、
という前提があってこそ可能なわけですよね。
大正デモクラシーはいうまでもなく明治憲法下におけるものですが、
その前には維新政府による専制政治があったわけですよね。
ある共通の価値観、共通の権力を有していると人々が自覚した状態になって、
為政者は住民の自由を許すのではないでしょうか。
そうでないと自由=無秩序=地域の有力者の支配 ということになりますよね。
矛盾してますが、為政者の支配の確立とともに、住民の自由も拡大していく、
という関係が成り立つかもしれません。
江戸時代は、戦国時代を治めたのですから、大きな権威を持っていたと思います。
列島住民も戦乱に飽きていて、安定した為政者を望んでいたのではないでしょうか。
それが、お上に物申す、という気概を小さくしてしまったのかもしれません。
>>715 716氏ともかぶりますが。
江戸時代の権力は史料上「公儀」と表現されることが多いです。
時代劇などでは「公儀」は幕府の固有名詞のようになってますが、
実際の史料をよむと、必ずしも幕府のみでなく、藩であったり、
代官所であったり、はなはだしくは、村役人レベルの判断でも「公儀」という用語が
使われているケースもあったと記憶しております。
幕藩体制とは、下位から最終的に将軍を頂点とする「公儀」概念のピラミッドによって
支えられている、と考えられているはずです。
つまり、民衆が幕府を「公儀」として是認し、その「公儀」が、
幕藩体制の中で、それを支える各部分、藩や村落・町内の自治に
「正統性」と保証を付与する。
そういう構造が江戸時代の政治構造にたいする
有力な学説の一つとなっているはずです。
失礼ながら、309さんは「民衆は為政者と常に闘争しているのが正しいあり方」という
固定観念に縛られすぎていらっしゃるのではないのでしょうか。
民衆の自治を上位権力が保証する、というあり方も存在するのです。
>>716>>717 民衆と為政者の関係は、私より皆さんのほうが詳しいと思いますので
教えていただきたいくらいです。
私が争う自由のように書いたので、民衆は必ず反体制であるように聞こえてしまってすみません。
私は争いも革命も共産主義も大嫌いですから、誤解を招いたと思います。
「民主主義」が理念としては良いものとしますと、江戸期にうまく育ちきれなかった恨みがあります。
鎌倉時代にはその種子があったとおもうんですよ。でもつぶれてしまった。
江戸以前、公権力が放置していた山村がかなりありましたが、そんな村の中には領土などが原因で
近隣の村と殺戮を繰り返していたところがあり、いつか知恵者がでて調停和平すべきところを、
武力で藩の統治下にされ、首謀者は処刑されるなどして、やっとおさまった次第であり、
自発的対近隣和平はついぞ生まれなかった。英国やスペインが乗り込んだときのインドやペルーも、
近隣部族への憎しみが先にたち、漁夫の利を外国に奪われるだけだった。
一方、独立を譲らなかった地域も、殲滅された。ヤソ教も一向宗も嫌われた。
結局、武家による武力で、領土や支配関係が決まったわけです。民衆の選択・獲得の末ではありません。
が、鎌倉時代は、もうちょっと民衆が発言していたと思います。その延長線に国体が向かわなかった。
江戸時代になると固定化した支配の下で、民衆は「お上には逆らうと損」「長いものには巻かれろ」という、
心情のもとで暮らすようになったと思います。鎌倉時代と対極的だと思うのです。
ぼんやりと普段そう思っていたので、「江戸は中世」と聞き、面白いと思ったわけです。
闘争なんかするのは野蛮なことで、共存共栄自治が広がって国や連邦になれば大変よろしいと思います。
近年ではEU連合がその方向なので、結構なことだと思います。
>民衆が領主を追い出して自治を始めたり、領主を担いで隣接地を侵略したりという
>自由をほとんど放棄するようになった、という心情・習慣を指しています。
これは別に閉塞でもなければ後退でもありません。
幕藩体制の成立によって確かに民衆が失ったものもあるでしょう。
しかし民衆はそれらを失っても得られるもののほうを選んだのです。
幕藩体制は支配者階級が支配統治の万能機関としてつくりたいように
つくったわけではありません。民衆の同意があればこそ統治は可能なのであって
幕藩体制には戦国時代以前に民衆が獲得した多くの権利が埋め込まれています。
もちろん義務もです。それとて支配者・被支配者館の合意・妥協の産物です。
どちらか一方的なものではありません。
>これを「アジア的停滞」と評した西洋人もいました。
ここ何十年そんなことをゆう人はもういませんね。
>>719 おっしゃるとおりです。
徳川幕府はかなり上手だったと思います。同時に
民衆の民主主義的自覚が後退したと思います。
アジア的停滞とは、帝国主義時代に欧州列強から
やられっぱなしの東洋を指して言われた言葉です。
近世はもともと明治中期にちょっと前と言う意味でつけただけ。
新しい意義をつけたのは、近年のあとづけ。
中世の後、近代でなんの問題もない。
ちなみに江戸時代に近世とは現代の意味。
江戸時代を評価はするが、美化しすぎては危険。
ポストモダニズムの影響もあるのだろうが、
モダーンを通過してからこそポストモダーンがある。
家光の豪華絢爛なパレードは日本橋で引き返した。
橋の向こうには飢饉の餓死者が積まれていた。
わが子を間引きとして殺害することは、民衆内部で正当化されていた。
>江戸時代の中世性
幕末の洋学は軍事面と医学を中心とする。軍事面でいえば鉄製武器製造・洋式船
製造の試みは,学術書翻訳,幾つかの藩での反射炉等の築造をみせた。
しかし醍摩藩の洋式船製造廃止があり,水戸藩で働いた大島高任が,優れた銑鉄
なしには鉄器鋳造は不可能と考えて釜石地方に作った高炉は製品を出すにいたったが,
軍事的にも産業的にもなんらの効果をあげていない。
砂鉄を原料とする和鉄では刃物を中心とする道具類や小型の鋳物はできても,
やや大きな機器を作ることはできなかった。
1874年の《府県物産表》をみても,加工用具の骨格部はすべて木製である。
いざり機から高機への移行,さらに明治に入ってのジャカードの普及についても,
また生糸繰糸における座繰器の出現にしても,すべてが木製品であり,民間の
大工の手で行われている。
士族層による語学の学習や知識の吸収はあっても,近世において産業的効果を
発揮しないだけでなく,知識を獲得した人も,明治に入っては技術者としては
働いていないことに目を向ける必要がある。
>>720 ひとつだけお聞きしたい。
江戸時代に「民衆」の「民主主義的自覚」が後退した、とおっしゃるが、
前近代における「民衆」をどのように定義しておられるのか?
>>723 難しいことはあまり訊かないで下さい、どうせよく知らないのですから。
民衆とは、日本列島に住んでいる普通の人をさしています。
>難しいことはあまり訊かないで下さい、どうせよく知らないのですから
ならば、知っていることだけ書き込めばよろしいかと・・・
726 :
日本@名無史さん:03/07/29 23:03
年 次・人 口
750( 奈 良 )4,512.2
900( 平 安 )5,506.2
1150( 平 安 )6,441.4
1600( 慶 長 )12,273.0
1721( 享 保 )31,278.5
1786( 天 明 )30,103.8
1792( 寛 政 )29,869.7
1846( 弘 化 )32,297.2
12世紀から16世紀は資料がないが、
順調に100万づつ増加してるようだ。
727 :
日本@名無史さん:03/07/30 22:44
書き込みは、短い文章で歯切れよく書きましょう。
意味のまとまりで行を空けましょう。
こんな風に。
前近代における民衆=被支配階級の人々
民主主義的自覚=自分の生活に関することは自分で決めたいという個人主義の一歩手前の、
自分の属する共同体で身分を同じくするもの同士で決めたいという自治意識。
729 :
日本@名無史さん:03/08/01 09:01
江戸時代の農村は想像以上の階層社会。
江戸時代の自治は、上層部の富農や村方役人に牛耳られ、
自治が阻害されることが多かった。
上層部は、武士=支配階級側について、農民を管理してたからね。
百姓一揆はなくても、村方一揆(農村内部の階層対立騒乱)はなかった村はないといわれている。
その辺が、中世自治と比べてどうなんだか。
>>729 中世の農村に階層がなかった、とおもってはるんでっか?
いわゆる「山城国一揆」は国人層とよばれる村落領主の一揆。
一向一揆内部ですら、地元と本願寺からの派遣組とで対立があった。
階層の存在しない時代・場所は存在しないよ。
プロレタリア革命後のソ連ですら、例外ではなかったようにね。
>>730 それを言ったらみもふたもない。
被支配階層がどの程度為政者に対して自分たちの要求を平穏に訴えられるかどうかでもって、
各時代を比較するしかない。
あくまで比較の問題だと、慎重に心の中で留保しておかないといけませんね。
732 :
日本@名無史さん:03/08/01 15:53
>>729 江戸時代に幻想を抱いてる人には、思い出す必要があるね。
室町自治には五人組制度などの支配者の管理システムは入ってなかった。
下人はいたけどね。
被差別民は室町では農民たちが決めていたが、
秀吉以来、支配者の権限となった。
検地は直接農耕民には歓迎されたようだが。
(^^)
良スレあげ(皆さんに感謝)
735 :
日本@名無史さん:03/08/02 21:47
>>735 別人です。>1が誰かは知りません。
良スレだと思って黙って読んでいたところ、
人格攻撃戦の様相を呈したので、
つい、
>>309で水をさしてしまいました。
濃くて深くて滋味に富むこのスレが、戦いのためでなく、
啓発しあえる対話たることを願っています。
737 :
日本@名無史さん:03/08/02 23:35
で、江戸時代中世説はだめ?
平安後期〜鎌倉=封建制移行期
南北朝・室町前半=前期封建制
戦国時代=中期封建制
安土・桃山、江戸=後期封建制
738 :
日本@名無史さん:03/08/02 23:53
>>737 別に一向に構わないんじゃないの。
キミは、中世=封建制、と考えている訳だね。
それも別に構わないんじゃないの。
そうじゃなきゃならない訳じゃないけどね。
江戸時代中世説は好きです。
750年から3,400年間が中世という考えも捨てがたいのですが。
740 :
日本@名無史さん:03/08/03 00:16
法体系からも、文化的にも、合理精神の発達レベルからも、
江戸時代は中世でいいのではないかと。
742 :
日本@名無史さん:03/08/03 11:20
室町時代に入って家の形態・在地構造の変化に対応して,大名などの家法がつく
られるとともに,国人一揆の一揆契約状などの領主間協約もつくられるようになった。
これらの法は,その系譜も性格も異なるが,その地域の多様な法慣習を土台にして
成立した地域権力体の法としての特徴を示し,また領主が伝統的に保持してきた
領主権などの私権を制限し,自力救済権を否定していくことを目的とした共通の
傾向がみられるのである。
そして,この家法,一揆契約状の発展の系列のなかから,国家法としての分国法
が成立し,これらの傾向・特色が明確なかたちで法文化されるにいたるのである。
上の文を参考にすると、自力救済は室町、特に戦国期に否定されている。
中世の指標としてよく出されるが、実際には複雑と思える。
古代にも農民たちは自力で逃散闘争などしてたし、逆に江戸時代も敵討ちが
認められる部分もあった。
江戸時代も進むと、庶民の敵討が多くなっている。討手と敵の身分の差は問われない。
公に確認されただけで100件以上。(平出鏗二郎の「敵討」)
復讐が禁止されたのは、1871年。中国法を取り入れた。
744 :
日本@名無史さん:03/08/09 21:54
教皇レオ3世がカール大帝に王冠を授けキリスト教の統一王国が誕生した。
失われた西ローマ帝国の再来という訳だ。
これを中世の始まりとするのが古典的な考え方みたいだね。
中世の特徴は、聖王たる教皇と俗王たる皇帝の2つの権威、キリスト教王国、封建制、ってところかな。
これと同じ時代は日本にはないから、適当に当てはめて似たような時代を探すって訳だね。
聖王たる天皇と俗王たる将軍の2つの権威、封建制、ってとこで線引きで良いんじゃないの?
キリスト教はないんだから。
以上、高校三年生のお言葉でした
746 :
日本@名無史さん:03/08/10 13:58
>>744 とても分かり良い。1の質問に答えているのではないか。
747 :
日本@名無史さん:03/08/10 14:02
748 :
日本@名無史さん:03/08/10 14:43
744=746は俺だけど高2だよヴァーカ ココの連中は高卒か中退の低偏差値だろうがよ
釣れますか?
知性に年齢や学歴は関係ないと思いますよ。
>>744さんは、質が高いと思います。
余談ながら、国家上級試験に合格して、文部科学省に入る人は、
成績が上位の人ではない。この省は天下り先が少ないため、
生涯所得が少なくなってしまうためです。
で、許認可がなくなると省庁としての仕事・利権がなくなるので、
いろいろやって、知性派の
>>744さんのような説ははっきり書くな
などと横槍を入れたりします。
どうか、雑音やインチキに惑わされない、確固とした史観で、
21世紀の歴史学を応援してやってほしいと思います。
752 :
日本@名無史さん:03/08/11 10:09
江戸時代は中世にしよう。
近世とは、明治に「今の世」と言う意味。
古代・中世・近代でOK!
>>750 知性派、ですか?
ログを読まないのが?
笑っちゃうねw
「古代・中世・近代」だとやっぱり無理があるからって、
また近世を加えることになったんだよね。
なんか同じこと繰り返してばかり。
755 :
日本@名無史さん:03/08/14 22:22
中世はヨーロッパ中世、近代はヨーロッパ近代のことだわね。
だけど、ヨーロッパ中世はユーロッパにこもっていたから、他の地域でも似たような
時代を見つけ出して中世と名付けてもさほどに違和感がないね。
ところが、ヨーロッパ近代は地球規模で拡大したから、他の地域で独自の歴史展開を
指して近代と名付けることに違和感があるね。だから、ヨーロッパの影響を受けた時代
以降しか近代と名付け難いという訳だ。
しかるに、例えば日本では、独自の歴史展開として江戸時代にかなり良い線まで行った
って訳だが、結局、明治以降、ヨーロッパ近代文明に塗り変えられることになる。
それで、ヨーロッパ近代から見れば、それ以前の歴史はなんでもかんでも中世ということになる。
しかし、それだと何だかしっくり来ない。それで、近世という時代をこしらえることで
座りが良くなるってえ寸法さね。
756 :
日本@名無史さん:03/08/14 22:34
>江戸時代にかなり良い線まで行った
それは、維新で西欧化が進んだからいえるんでないかい?
江戸期の「いい線」てのは、今よく見ると、かなり奇形な気がするが。
ヨーロッパ近代が、
職業の自由・身分差の解消・中央集権の確立・資本的生産様式・機械工業化
を指針とするのであれば、それは普遍性を持つものでやむをえない。
やはり、中世後期でよい。
757 :
日本@名無史さん:03/08/14 23:23
>>501 で言ったように、新しい変化から見ると昔の変化は小さく見えるもの。
だから、そこは対数でおおめに見ないとね。
江戸時代の発展は、ヨーロッパ近代からみればジッパヒトカラゲの中世で充分
かもしれないが、心の時代と言われる21世紀的にはヨーロッパ近代文明も
相対化されるような気がするよ。
758 :
日本@名無史さん:03/08/15 11:23
つうか、江戸時代の発展は量的発展で、
明治からは質の転換があった気がするが。
江戸時代の職人技術は、近代工業に全く役立たなかった。
759 :
日本@名無史さん:03/08/15 12:00
中世でも近世でも単なる言葉遊びのような気がする。
無理にそんな定義しなくても「江戸時代」でいいじゃん。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
761 :
日本@名無史さん:03/08/15 21:17
知性とは遊びだよ。
762 :
日本@名無史さん:03/08/15 21:29
別にただ江戸時代でもいいんだが。
江戸時代特別視が、最近ちょっと気になるんでね。
あくまで、基本的には江戸時代は、
封建的身分差別体制で、人権や資本主義の発達を規制していたという
大きな視点から、「中世」でいいとおもうわけで・・・。
763 :
日本@名無史さん:03/08/15 21:50
江戸期の身分制といえば士農工商だが、これが封建制とどういう関係があるのかな?
764 :
某、何某でござる:03/08/15 22:02
そもそも、地球の45億年からみると日本の歴史はごく短いものだが、それでも夏目漱石二人分ぐらいまで文献で追える訳で、それを三つか四つに区切ろうなど歴史に対する傲慢であ〜る!
765 :
日本@名無史さん:03/08/15 22:25
>>764 まあそのとおりだが、知的遊戯と理解されたし。人間の考えることなど皆そんなものよ。
夏目漱石云々のところは意味分からんがね。
粗悪なコピペだろ
767 :
日本@名無史さん:03/08/15 22:42
>>748 あなたは誰? 匿名掲示板とはいえ嘘はいけないね。
768 :
日本@名無史さん:03/08/15 22:52
>江戸期の身分制といえば士農工商だが、これが封建制とどういう関係があるのかな?
士>平民>賎民だね。
職業選択の不自由は、近代以前の封建制の共通事項では。
明治当初の人々は、武家支配の崩壊=身分制の崩壊を、
封建制度の崩壊と理解していた。
日本における封建制度成立の画期は武家政権の成立,つまり鎌倉幕府の
成立のときに求められることになり,〈封建の世〉と〈武家の世〉とが
同じものを指すことになった。
こうした前提のもとで,明治維新後当時の人びとは,版籍奉還から廃藩置県
にかけてのプロセスを,藩=武家支配権の解体として,封建制の廃棄,
郡県体制の形成という概念で理解した。(石井紫郎:平凡社)
>>765 >夏目漱石云々のところは意味分からんがね
2千年ということじゃないかな
771 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:12
職業選択の不自由は、選択できるほど職業の種類がないことが主因ではないかな。
農耕社会成立以降は、主な職業は農業以外ないね。だから、封建制に伴いがちな身分制は、
職業選択の不自由が本質ではなくて、支配階級と被支配階級の分離によるものだろうよ。
それはさておき、農業以外の職業といえば商・工だね。江戸時代には職業選択の自由は
相当程度あったよ。商工業の発展があって農業以外の職業があったしね。
772 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:31
そうだな。
農民の子が町に出て商人や職人になったり、
町人が旗本屋敷に武家奉公して若党や渡り用人になったりしてるな。
似たような意味だよ。
私の言ってる職業選択の不自由とは、武家たる支配階級と、その他の
被支配階級の分離が、当然第一に挙げられる。
一般的には農民は、幕府や藩の重職には就けない。
あと、現実は移動があったが、本来的には移動の自由・農を離れる自由
がない。
だから、人返し令が、一定の成果を上げている。
774 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:40
ま、どっちにせよ、江戸時代が発達を阻害してたのは事実だな。
775 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:55
まあ微妙だな。
社会の実態的発展を見るか、それに追いついていない法制面を見るか。
それに江戸時代が発展を阻害したかどうかも微妙だな。
資本と消費の集中による商工業の発展があったし、支配されているはずの商人のなか
には実質的に武家を支配する者が現れる微妙な関係があったし、世界制覇を進める
西欧列強から一定の距離を置いて国内の発展の時間稼ぎが出来たし、
結構良いんじゃないかね。
職業選択の自由をそういうふうにとらえたら、
古代も中世も同じになっちゃうんじゃ・・・。
前近代をどのように区分するかが問題なのに。
777 :
日本@名無史さん:03/08/16 16:47
前資本制生産様式まではいったが、資本的生産様式に離陸するには、
やはり一波乱が必要だったわけでないかな?
鎌倉時代中途から、資本と消費の集中と産業の発展はあったと思うが。
だから、量的には鎌倉〜江戸までは進歩しつづけている。
御家人よりえばってる商人がいたのは鎌倉や室町にもいたし。
ちなみに、古代から鎌倉までも、人口や経済生産力はやはり、
それなりに順当に伸びている。
ただし、鎌倉あたりから支配階層は、変わってるでしょ。
それが武力を背景とした土地支配制度に基づく区分でないかな
江戸以前と明治には越えられない壁がある。
778 :
日本@名無史さん:03/08/16 16:55
古代はキリスト・釈迦以前無いし同時期。宗教が人々の生活を隅々にまで支配し始めるのが中世、そこから脱却するのが近代
でどう?
巨大宗教の発生と伝播までが古代、宗教が人々の生活を支配し始めるのが中世、そこからの脱却が近代
中世の目印の一つに、よく「宗教の時代」って言われるよね。
で、日本では具体的に何時代が、古代・中世・近代?
国家神道はパスでいいんだよね。
781 :
日本@名無史さん:03/08/16 22:31
古代宗教と中世宗教の区別からやるかね。
何スレ消費する気?
783 :
日本@名無史さん:03/08/16 23:16
室町時代の信仰と江戸時代の信仰の違いはあるのか?
784 :
日本@名無史さん:03/08/16 23:17
江戸時代は葬式仏教じゃねーの?
785 :
日本@名無史さん:03/08/16 23:30
室町の宗教はマジだろ、江戸のはネタ
786 :
日本@名無史さん:03/08/16 23:49
ヨーロッパ近代の歴史観では、つい最近まで、文明化=キリスト教化、というニュアンス
があったね。彼らにとっては、キリスト教以外の宗教は、原始宗教・部族宗教・古代宗教
だったんだろうね。
ヨーロッパ以外の日本からみると、彼らの考えは偏っていて一般性がなく、了見が狭い訳だけどね。
787 :
日本@名無史さん:03/08/17 00:06
明治以前の日本の宗教の主流は神仏習合だ。神社と寺はほとんどひっついていた。
神殿で坊主が読経していた。これを中世の宗教というかどうか。
中世という言葉にキリスト教的な意味を少しでも持ち込むと、こんなのは中世とは
いえないだろうね。
788 :
日本@名無史さん:03/08/17 12:33
キリスト教が文明化のものさしってのは、ギリシャ・ローマ文化を継承しうる
レベルに、僻地のゲルマンとかがなったと言う面もあるのでは?
789 :
日本@名無史さん:03/08/17 12:43
江戸仏教は、政治権力に完全に従属させられてたからね。
ただ、地獄や極楽や輪廻や呪いや呪術はまだ江戸の人は信じてたんでないかい。
キリスト教の伝来は、仏教を相対化してしまった部分があるのではないか。
体制に順応すれば、江戸仏教は安定財政が保証されたわけだ。
ただ、明治人の信仰心と江戸人のそれでは壁がある気がするが。
790 :
日本@名無史さん:03/08/17 14:39
どんな壁があるのだろうか?
神仏分離令かな?
職業選択の自由だとか
現代的価値でやるのはダメ
792 :
日本@名無史さん:03/08/18 21:27
キリスト教から見ると、他の宗教は迷信みたいだよ。特に多神教はレベル低いと思われているみたいだ。
彼らのこしらえた歴史観には、宗教的感覚がコソーと入っているところが扱いにくいね。
古いカトリックの教会へ行くと壁にズラリと並んだ聖人達の像に驚く。これは多神教と同じだよ。
793 :
Epimetheus ◇3X1b8VAs/E:03/08/21 16:47
宗教は気を抜くとすぐ多神教に堕落するからね
>ヨーロッパ近代の歴史観では、つい最近まで、文明化=キリスト教化
初期のころはキリスト教の中でもプロテスタントでしょう。
もっもと、宗教改革と並行して魔女狩りが横行したのも不思議な現象。
795 :
Epimetheus ◇3X1b8VAs/E:03/08/21 17:36
魔女狩りって魔術を使ったりするわけでしょ?
呪術イクナイ!のプロテスタントなら魔女狩するのは当然では?
a
797 :
日本@名無史さん:03/08/21 18:22
>信仰心における江戸と明治の壁
徐々にではあるが、疾病特に伝染病に有効な手を打てるようになったのが
大きいのでは?
さらに、機械文明による合理的無神論的思考精神の発達かな。
あと、キリスト教の容認。
仏=神が少しは相対化されたんじゃなかろうか。
>魔女狩り
魔女狩りはプロテスタント・カトリックともに行われた。
どっちが多くを殺害したかはわからんが、
「一大産業」として成立するレベルまで魔女狩りは盛んだったようだ。
798 :
日本@名無史さん:03/08/23 22:52
どの宗教も多神教だよ。
神々の中に超越的な神を一人置く場合を一神教と呼ぶヤツがいるだけだよ。
誤解を与える名前だから注意が必要だね。
799 :
日本@名無史さん:03/08/23 22:54
天皇家はながらく天照大神は大日如来の垂迹として
仏法を上においていたらしい。
800 :
日本@名無史さん:03/08/24 22:23
そう、江戸期以前の日本は神仏習合が基本。現代人が考える仏教も神道も存在しない。
801 :
日本@名無史さん:03/08/24 22:34
「日本は神国」ってのも仏教思想の一つの表れだったらしい。
仏がこの国を守るために神を使わしたと。
伊勢神宮も大日如来の垂迹で仏法の一種らしい。
神道が昔はあったと誤解したのが、江戸中期以降の国学。
そして、実現しようとしてしまったのが明治以降。
で、アボーンと。
802 :
日本@名無史さん:03/08/24 23:06
仏教伝来によって、その対比として自国に伝統的な宗教的行為が存在することを自覚した。
神社の社殿は、仏教寺院をまねて自国風の建物を作った。
803 :
日本@名無史さん:03/08/24 23:22
神道は宗教ではない。明治政府が創作した儀式の総称である。
>803
んなこたーない
一神教から見れば、神道は「習俗」にみえるでしょう。
806 :
日本@名無史さん:03/08/26 22:38
内容の深みから見て、仏教の方が神道より上でしょうね。我国では神仏習合が一般的で、
デタラメな感じはあるけど、基本的に仏教を上と見ている訳だし、キッチリ仏教を研究
した人も一定割合でいる訳だし、我国での仏教受容はマアマア深まっていたのかなと思うよ。
という訳で、
仏教を国教と認めて以降、廃仏毀釈までの仏教王国時代を中世とすれば良いのではないかな。
ヨーロッパの中世を特徴付けるキリスト教にしても、ヨーロッパから見れば外来宗教で、
日本の仏教と共通しているし、キリスト教がヨーロッパの古代宗教(風習)との融合が
広く見られる点も日本の仏教と共通している。
807 :
日本@名無史さん:03/08/28 10:48
確かに、キリスト教もヨーロッパからは離れたパレスチナのアジア宗教だな。
アイルランドには、神道のような古代の神々が妖精として残っている。
偶像崇拝許可もゲルマン人対策だよね。
クリスマスも太陽復活の儀式(冬至の頃)に合わせたそうだし。
江戸時代の後期国学に創作された、日本には神道があったと言う誤解を
明治政府が実践してしまったところに、躓きの石があったわけだが。
伊勢神宮も天皇家も仏教だったということを、当時の国学者は知らなかったのだろうか?
まったくドシロウトの意見なんですが・・・
・古代→文明の誕生から古代的巨大帝国へ収斂していくまで→日本では平安時代まで
・中世→騎馬民族による破壊とそこからの再生の過程→日本に無理に当てはめると武士の台頭から安土桃山まで
・近世→再び国家の強大化と富の蓄積→日本では江戸時代
・近代→二重革命の世界的な波及→日本では明治以降
シロウト考えでスイマセン。
809 :
日本@名無史さん:03/08/28 15:45
院政期が区分なのが多いみたいよ>古代と中世
荘園制が封建的になり、各権門が経済基盤を持っているようになったと言うことかな?
810 :
日本@名無史さん:03/08/28 16:14
私は少数派ですが、江戸時代までが中世です。
811 :
日本@名無史さん:03/08/28 19:05
また神キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
誤爆スマソ
814 :
日本@名無史さん:03/08/28 22:18
815 :
日本@名無史さん:03/08/29 10:54
鎌倉室町の権門体制を前期封建制、幕藩体制を後期封建制とも言うね。
前期中世と後期中世でもいいんでは?
いまさら変えるのは無理だろう。
中世から近世への変化が軽視されてしまうし。
817 :
日本@名無史さん:03/08/29 22:43
中世と近世の大きな差とは?
近代との壁よりは、かなり小さいと思うが。
818 :
日本@名無史さん:03/08/30 00:33
近代と前近代以上の隔たりがないと時代区分できないわけ?
>幕藩体制を後期封建制とも言うね。
今どき、そんなDQN居ないだろ
820 :
日本@名無史さん:03/08/30 11:23
>幕藩体制
兵農分離制を階級支配の原則とした純粋封建体制の一形態
by佐々木潤之介氏
兵農分離を原則としなかった中世が前期、原則としたのが後期。
また、京都依存が前期、京都吸収に成功が後期との意見もある。
821 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:14
神道は、江戸中期からの国学に目をつけて明治政府が創作したもの。
それまでは仏教が主。神仏習合が一般的で、如来や菩薩が古代の日本に現れたものが
神であるとされた。神社は寺の別院等として寺に付属していることが普通だった。
これが、明治の神仏分離令以降、地位が逆転。神社は寺から分離独立し、
還俗する僧侶が続出。神主に転向する僧侶も現れた。寺社領は没収され、神主は
公務員と同等の地位を与えられた。寺は葬式屋として生き延びるしかなかった。
信教の自由の主張をかわすため、明治政府は神道は宗教ではないとして国家神道の道を進めた。
という訳で、現在の神道の歴史は100〜200年程度で極めて短いもので、
宗教であるとされたのは戦後のことである。
822 :
日本@名無史さん:03/09/01 00:17
教科書的に言うと、
古代=中国より律令制を導入、中央集権制。
中世=律令制が崩壊。導入以前の氏姓、血族優先の社会。
823 :
日本@名無史さん:03/09/01 00:19
神社本庁を撲滅せよ!日本の伝統に反する神仏分離を打破せよ!
>導入以前の氏姓、血族優先の社会。
今どき律令国家トンネル論でつか
アフォクサ
825 :
日本@名無史さん:03/09/01 21:54
馬鹿だな。
その『律令国家トンネル論』とやら説明してみろよ。
京大文学部日本史学科中世史過程専攻のおれが一度たりとも聞いたこともなく、
また、どんな検索エンジンにも引っかからないし、お前の思いつきか?
しかも、今時ってどんな時だよ。あん?
説明出来んのか?
826 :
日本@名無史さん:03/09/01 22:13
で、中世は、最近は院政期からで決まりでいいのかな?
院政期が封建荘園制の確立期となってるようだ。
荘園制に重点だと終わりは戦国大名領国制になって、
封建制に重点だと江戸までも中世でいいかな?
827 :
日本@名無史さん:03/09/01 22:19
出産のない男にあっては、青年と壮年の線引きはどこになるのでしょうか?
828 :
日本@名無史さん:03/09/01 22:26
前近代
元服まで子供。元服から大人。
現代の目安
前期青年期12〜15
中期青年期16〜18
後期青年期19〜22
以後が壮年期。
829 :
日本@名無史さん:03/09/01 23:27
青年団に入っている間は青年。
830 :
日本@名無史さん:03/09/01 23:29
荘園制とは律令前への回帰である。
>>825 アハハ、もともと京大周辺から出てきた言葉なのに知らないでつか。
まあ「過程専攻」なんて書く人が京大生だとは端から信じてませんが。
東京の人達の、律令制が崩壊したら結局律令前の社会に戻っちゃった
ってゆう安易な説のことでつよ。歴史は交互に繰り返されるってゆう
あんたみたいな厨房脳味噌にウケのいい、非学問的な説のことでつよ。
832 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:37
江戸時代の人と、鎌倉室町の人の宗教観は、どうなんだろう。
念仏系が有力派になったようだけど。
極楽地獄を多くの人が信じてれば、江戸も中世?
833 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:49
近代以前が中世だよ。はっきりしているのはそれだけ。
近代は世界共通性が高いからね。
中世以前は世界各地で独特な面が強い。それこそが中世の特徴。
中世より前は古代だけど、古代と中世の画期なんてどうでも良いじゃないか。
あるがままの歴史を学ぼう。
それより、21世紀は心の時代だよ。今が心の時代と近代の画期ではなかろうか。
834 :
日本@名無史さん:03/09/02 23:42
>>831 文章読んだ限り、おれもあんたを信用できんけど。
ひとつひとつの単語は平易だが、どう読んでも、
どう安易な説なんだか、何ゆえ非学問的なのか、さっぱり説明がないな。
それにその気持ち悪い文体だと、説明能力あるのか疑問だがな。
835 :
日本@名無史さん:03/09/03 12:52
>近代以前が中世
それは賛成だ。
江戸時代は中世後期で問題ない。
近代は、
1、天保の改革ごろから
2、ペリー来航から
3、明治から
と、あるが、どれだろ?
天保に一票。
田沼と定信を乗り越えた後だから。理由はそれだけだけど。
タイトルを
「日本史の新しい時代区分を作ろう」
だったらよかったのに。
今のタイトルだと、使えもしないヨーロッパ製の区分のことを
つい考えてしまう。そんでややこしくなる。
早速だが、新スレ作るか?
>江戸時代は中世後期で問題ない。
いや問題あるでしょう。やっぱり近世にしておいたほうがよろしいかと。
>近代は、
>1、天保の改革ごろから
>2、ペリー来航から
>3、明治から
>と、あるが、どれだろ?
明治維新からでいいんじゃないでしょうか。
840 :
日本@名無史さん:03/09/04 22:07
どこからが古代なのかも決められないままに、 何処までが古代かを議論する浅ましさ。
841 :
日本@名無史さん:03/09/04 22:23
>>839 ペリー来航以降を近代と見るのが通説だと思いますが。
842 :
日本@名無史さん:03/09/05 09:25
江戸は中世でいいかとも思うが。
近世だという場合、中世と江戸の違いや壁って何?
近代とそれ以前の違いからみたら、同じにしてもいいくらいな気がするが。
>古代の開始
謎の4世紀の大和朝廷成立あたりかな?小さくとも国家意識の枠ができた時代。
>近代
天保ー西南雄藩が財政改革・洋式軍制・優秀な人材の家格を無視した登用、に
成功もしくは着手
ペリー来航ー世界資本主義の市場経済に投げ込まれる契機。中央集権化への原点
近代的な国交・通商を強いられ、資本主義世界市場と近代国際政治に巻き込まれた。
明治維新ー中央集権・四民平等・国家財政での資本主義育成・国軍成立の実践開始。
んん、難しいな。
843 :
日本@名無史さん:03/09/05 23:45
立秋を過ぎるともう秋なのか、夏の終わりなのか。
んん、難しいな。
きわめて大雑把な意味に限定されるかも知れないが
律令トンネル談義(w)は、とりあえず正しいと思うよ。
細かいこといえばなんとでも言えるのはそりゃそうだろうけど。
845 :
日本@名無史さん:03/09/06 09:58
で、律令が崩壊して中世になったのをいつと規定してるの?
846 :
日本@名無史さん:03/09/06 10:14
>>844 律令時代と鎌倉時代とでは農村のありようがかなり異なるが、これは細かいことなのかね?
また血族といっても古代の「イエ」と中世の「イエ」もかなり差があると思う。
これも細かいことではないと思うが。
847 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:33
律令が崩壊したのは明治で、これが中世から近代への移行プロセスのクライマックス。
もう少し社会構造や経済に目を向けるべきだと思うが。
849 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:47
オイラのハハは、「戦前は封建的だったが、戦後は民主化された」と言っている。
1945年まで中世か?
850 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:55
>>849 その「封建的」はかなり拡大された概念ですね。
851 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:40
近代というのもかなり古い概念だね。
量子力学、相対論、DNAの発見、臨床心理学の登場、辺りから時代が変わっているように思う。
今や、ナノテクノ、ハイブリッドカー、DNAの解明、心の時代、だもんね。
新時代に入りかけていると感じる。
852 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:44
ヨーロッパにおける古代・中世・近代の三分法は
ルネサンスの頃に生まれたとされますから
ずいぶん古い概念です。
853 :
日本@名無史さん:03/09/07 22:54
イエの変化による古代と中世
家が父から長男へ継承されるという近世的な家の制度は、古代社会には
存在していなかった可能性が強い。
もっとも、始祖との関係を原理とするウヂ(氏(うじ))の制度に対して、
律令は父子の関係を基本とするイヘの制度を創設し、それが後の家の
制度の源流となったと考えられるが,《愚管抄》(1220成立)に明確に
あらわれるような〈家をつぐ〉という観念が,はっきりした形で成立
してくるのは,院政期ころからの可能性が強い。
854 :
日本@名無史さん:03/09/17 22:31
856 :
日本@名無史さん:03/10/05 12:40
>>855 ぶらくらじゃないけど、古代と何の関係もないじゃないか。
857 :
日本@名無史さん:03/10/08 21:08
>>852 チョッと前に放送大学でやってたね。中世の学者がキリスト教的時代区分で聖書に基づいて
8分法を使っていたのに対して、ルネサンスの学者が新しい時代区分として3分法をとなえ
始めたんだってね。
その先生が言うには、今では、3分法はほとんど用いられない、んだって。
858 :
日本@名無史さん:03/10/13 22:20
Nobody is here.
859 :
日本@名無史さん:03/10/17 16:17
死にかけたえらーい学者の気分次第
860 :
日本@名無史さん:03/11/03 21:41
このスレ、かつては華やかだったんだけどな。
今じゃ、北風吹きすさぶ廃屋になってしまったようだ。
次スレが立つ気配などまるでなし。これにて断絶。さらばじゃ。
861 :
日本@名無史さん:03/11/04 02:51
ヨーロッパにおいて、中世封建制とは次の2つの要素を必要とする。
1.封土を媒介とした支配階級の主従関係
2.移動の自由を奪われた農民(農奴)の存在
日本においては一般的に、前者の成立は鎌倉幕府の誕生、後者の成立は太閤検地と言われる。
862 :
日本@名無史さん:03/11/04 02:55
鎌倉幕府の成立が、寿永2年10月宣旨なのか、頼朝の征夷大将軍就任なのかの議論。
戦国時代の開始が、応仁の乱なのか、明応の政変なのかの議論。
こういうのと同レベルの議論でしょ?
三葉虫や四放サンゴ,フズリナ等、地球上の生物の90%の絶滅。
864 :
日本@名無史さん:03/11/07 17:13
西洋史で、最近は、『近世』って時代区分が普通になってきてるんだね。
中学生の教科書年表にまで、西欧の『近世』区分が出てた。
今のところは1社だけらしいけど。
知らんかった(ーー;)
東ローマ滅亡・大航海から、フランス革命あたりまで。
イギリス史では、名誉革命までと言う人もいる。
近世ヨーロッパと呼ぶのは,おおよそ,16世紀の初めのいわゆるルネサンスと
宗教改革の時代から18世紀末に至るまでの,約300年間のヨーロッパである。
通常のヨーロッパ史の時代区分では,16世紀から第1次世界大戦までを一括して
〈近代〉と呼ぶことが多い。
しかし,最初の3世紀は,産業革命とフランス革命という二重の革命によって
開幕する狭義の〈近代〉とは,多くの点で性格を異にし,あえていえば,
〈中世〉との連続性を色濃く保持している時代と考えられるので,ここでは
〈近世〉という枠組みを設け,別個に考察することにする。
日本史の時代区分では,江戸時代を近世とし,明治以後を近代として区別する
のが一般的であるが,ヨーロッパ史についても,このような区分が歴史的現実
の理解に当たって有効なことが多い。
フランスの歴史学は,もともと,フランス革命を分岐点として,16世紀初めから
革命までを〈近代史 histoiremoderne〉,革命以後を〈現代史 histoirecontemporaine〉
と呼んでおり,前者はまた〈アンシャン・レジーム〉とも名づけられ,独自の社会
体制とみなされている。それゆえ,命名法はともあれ,枠組みの設定の仕方では,
〈近世〉を独立させる時代区分と合致する。
他方,イギリス・アメリカの歴史学は,16世紀以降第1次大戦までをひっくるめて
〈近代史 modern history〉と呼ぶならわしであったが,
近年,その最初の段階を〈初期近代史early modern history〉と名づけて,
区分する傾向がみられるようになった。ここにも,共通の時代認識があるといってよい。
865 :
日本@名無史さん:03/11/17 03:32
そもそも、日本史における「近世」という用語も、英訳するときは“early modern”とするのが一般的だからね。
866 :
日本@名無史さん:03/11/17 20:58
>>865 “early modern”というのは、たぶん適切な訳語がないから借用しているのだと思う。
講座派の考え方だと近世を「初期近代」と捉えることはあり得ない。
867 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:46
講座派って、今でもそんなに力あるの?
868 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:50
>>867 近代史の研究者のかなりは今なお講座派的な考え方に立っていると思う。
869 :
日本@名無史さん:03/11/17 23:40
岩波講座の古いバージョンの奴なんかは、結構酷いね。
韓国のことを南朝鮮なんて普通に書いてあるし。
870 :
日本@名無史さん:03/11/18 00:07
俺が学校から聞いた歴史観では、
奈良時代時代迄が古代
平安時代から戦国時代までが中世。
安土桃山時代から江戸時代までが近世。
明治時代と大正時代が近代。
昭和時代からが現代。
と言う分け方だったな。
どうせ時間の経過とともに歴史はどんどん過去に追いやられるものなんだから、
適当でかまわんだろう。
いくら妥当な定義を模索しても、所詮今しか通用しない区分方法だ。
871 :
日本@名無史さん:03/11/18 00:12
>>870 いつ頃聞かれた歴史観なのでしょうか?
このように時代で区分していたのは、はるか以前のことのように思います。
現在だと例えば近代はペリー来航から始まると見るのが一般的かと思いますが。
872 :
日本@名無史さん:03/12/19 19:37
873 :
日本@名無史さん:03/12/19 23:46
天保の改革から近代という説もある。
上知令が幕藩体制否定の第一歩だとか。
あぼーん
875 :
日本@名無史さん:04/01/17 10:04
庶民がハダシの頃が古代
876 :
日本@名無史さん:04/01/25 02:53
>>875 日本人の大半は近代でも屋内では裸足だと思うが。
877 :
日本@名無史さん:04/02/06 23:31
庶民が箸を使うのが中世、手づかみが古代。
878 :
日本@名無史さん:04/02/07 03:59
古代でも箸使いまくってましたが
879 :
日本@名無史さん:04/02/07 04:04
天皇や公家が尖った靴を履いてたのが古代
靴でなくなったのが中世
880 :
日本@名無史さん:04/02/07 04:07
天皇や公家が匙と箸を使って食事してたのが古代
箸だけになったのが中世
尖った靴を履き、匙と箸での食事……どっかにそんな民族があったような…
881 :
日本@名無史さん:04/02/07 04:12
天皇や公家に限らないよ。川上の村から箸が流れてきたんだよ
律令制が始まったら中世。それ以前が古代。
支配論理の転換点。
883 :
日本@名無史さん:04/02/07 10:40
竪穴式住居が古代。高床式住居が中世。
884 :
日本@名無史さん:04/02/07 14:51
>>883 奈良〜平安ぐらいまでは、庶民は竪穴だったらしいけど?
だから、平安後期から次第に中世になったという訳だな。
886 :
日本@名無史さん:04/02/07 22:01
全員頭に何か被るのが中世。何も被らない人が多いのが古代。
887 :
日本@名無史さん:04/02/17 12:27
age
888 :
日本@名無史さん:04/02/19 20:37
崇仏論争の決着以後が中世。それ以前が古代。
889 :
日本@名無史さん:04/03/01 06:52
世界史的には
古代:異民族を制圧して拡張主義の大帝国が登場
ローマ帝国やペルシア帝国、秦、漢など
中世:大帝国が異民族に侵入されて滅亡〜民族を越えて宗教でまとまり出す
ゲルマン以降のカトリック教会、イスラム帝国や五胡十六国以降
890 :
日本@名無史さん:04/03/01 06:58
日本は騎馬民族の制圧って無かったからなあ。
桓武朝までは異民族制圧路線だけど、
宗教でまとめようとし出すのは天平時代からはじまっている。
891 :
日本@名無史さん:04/03/01 11:51
騎馬民族説wだと古墳時代以前が古代で以降は中世(w
だがそれだと大体世界的な騎馬民族の大移動と時期的には一致する。
892 :
日本@名無史さん:04/03/01 12:30
>五胡十六国以降
これは京都学派の時代区分。
宋代以降を中世とする方が学界では主流派ではなかったかと。
ただしこういう時代区分論(論争)は
中国史でも日本史でも、ここ30年ほどは全く流行らなくなっているが。
893 :
日本@名無史さん:04/03/15 13:26
894 :
PCgame板:04/03/18 19:46
太古 縄文時代〜弥生時代
古代 公家時期
中世 武士時期
啓蒙 鉄砲導入&外国文化流入の戦国末期
近代 明治維新による資本制導入
現代 敗戦 → 税を払わない貧乏人に対してにも選挙権許可、の導入から
こんなもんじゃねーの? 時代区分は。
895 :
日本@名無史さん:04/03/21 01:38
>>894 とりあえず、「敗戦後」であるから消費税に結びつけるのは無理があるのではなかろうか、と思うわけですがどうなんでしょうねぇ
ひさしぶりにきたらかなりレベルが低下してるな・・・・(泣
899 :
日本@名無史さん:04/04/18 01:30
あげとこう
900 :
日本@名無史さん:04/04/18 02:10
スレ違いかも知れないけど、「鎌倉幕府はいつから始まったのか」って
議論があるでしょ。
あれって何か意味のある議論なの?
901 :
日本@名無史さん:04/04/20 01:03
>>900 意味はあるだろ。
「鎌倉幕府の本質はどこにあるのか」という考えがちがえば
当然「鎌倉幕府の本質が形成された時期がいつなのか」という
答えも変わってくる。
902 :
日本@名無史さん:04/05/02 06:40
鎌倉幕府ほどではないが、室町幕府や江戸幕府の場合も、実質的な成立と、征夷大将軍就任による名実ともにの成立には、多少時間的ずれがある。
903 :
日本@名無史さん:04/05/23 20:40
個人的には1072年が古代と中世の分かれ目では?
この年に藤原頼通が出家し、白河天皇が即位して後三条上皇が院政を始めている。
904 :
日本@名無史さん:04/06/03 22:54
律令国家の成立が古代と中世の区切りと思う。中世とは、約1000年に亙る律令制の
崩壊過程である。
905 :
日本@名無史さん:04/06/14 03:14
律令国家の変質が確定的となった時点(902年、班田収受法廃止)からが中世。
その後、荘園公領制が様々な変遷を経て、最終的に解体される(太閤検地)までが中世である。
906 :
日本@名無史さん:04/06/14 03:36
>>903 なぜ院政開始=中世のはじまり、なのかわからん。
根拠示せよ。それとも思いつきですか?w
今までの上レスの通り、支配関係と土地制度の違いで分けてるんじゃないのか?
かなりの遅レスでスマ祖。
庶民が裸足が古代って・・・
うちの親(戦中生まれ)のガキの頃は、当たり前のように子供は裸足だったって・・・
まぁ、田舎の話であって大人はさすがに履物履いてたけど。
908 :
日本@名無史さん:04/06/14 12:37
靴を履くのが古代。履かないのが中世。
909 :
日本@名無史さん:04/06/14 22:16
>>905 そのやり方だと、それ以前がずーっと古代ということだろうが、
律令制成立の前後の時代区分をどうするかが問題となるよな。
やっぱ、律令制成立が日本史の支配関係・土地制度では、
一大画期と思うよ。
910 :
日本@名無史さん:04/06/14 22:20
大画期: 律令制、明治維新(地券発行)、敗戦(農地改革)
小画期; 班田収受法廃止、戦国大名発生、太閤検地
九州と畿内が大枠、統一された680〜690年が古代t中世の分かれ目・・・ちょっと古すぎか?
912 :
日本@名無史さん:04/06/14 23:40
>>909 律令制成立以前=原史古代
律令制成立以後=古典古代
なんてどう?
913 :
日本@名無史さん:04/06/15 05:06
>>910 鎌倉幕府成立(幕府の補任による地頭の配置)は重要じゃないの?
914 :
909、910:04/06/15 21:17
>>912 まあ、何でも良いんじゃないのかな。おれは、律令制から明治維新までを中世と
呼ぶのが良いと思っているが、重要なのは画期をどう見るかであって、
画期と画期の間の名前ではないからね。
>>913 一応それも重要ではあるが、律令制崩壊過程のヒトコマってところだろう。
小画期の一つに加えても良いかもしれない。
あるいは、
>>910の小画期を中画期として、
平治の乱、承久の変、鎌倉幕府成立、応仁の乱やらを小画期として並べるのも
一興だな。
>>1 ローマ帝国が崩壊し、ゲルマン人による封建制、従士制に変わってから。
日本では摂関政治、院政の後、武士が政権を握る鎌倉幕府から
916 :
日本@名無史さん:04/06/15 21:30
>>914 土地制度に着目すると
院政期以降の重層的なありようと
律令制下の単層的なありようは
かなり異なると思うが。
>>912 奈良時代とかを、上古(じょうこ)って言うんじゃないの?
918 :
日本@名無史さん:04/06/15 21:58
919 :
日本@名無史さん:04/06/15 22:22
>>914 律令制度が変質した10世紀以後とそれ以前とは、土地制度が大きく異なると思う
が。
(
>>916の言っていることと同じだけど)
また、土地制度史的には、太閤検地の以前と以後も大きく異なる。
よって、10世紀から16世紀までを日本の中世と考えるのが妥当。
>>915 院政の開始や鎌倉幕府の成立については、実は社会に与えた影響は、さほど大きくな
い。
院による知行国の設定や幕府による地頭の配置は、それまでの土地制度を否定せず
に、そこに自らの息のかかった者を入り込ませるという形式をとっている。
土地制度を根本的に変えたわけではないので。
920 :
909、910:04/06/15 22:23
>>916 一応それも重要だな。小画期の一つに入れるのが適当だろう。
まあ、何せ律令制の崩壊過程のヒトコマだ。
921 :
日本@名無史さん:04/06/15 22:46
大画期: 律令制、明治維新(地券発行)、敗戦(農地改革)
中画期: 班田収受法廃止、戦国大名発生、太閤検地
小画期: 墾田永世私有法、平治の乱、院政開始、鎌倉幕府成立、承久の変、応仁の乱
三分法(古代、中世、近代)なら、画期は、律令制と明治維新しかないな。
これだと、なんせ、中世が長いから、もう少し分けたくなる気持ちは分かる。
中画期も小画期も中世を分けるものだからな。
>>920 >やっぱ、律令制成立が日本史の支配関係・土地制度では、
>一大画期と思うよ。
それはひとつの画期だとは思うが
>>919が言うように土地制度の面では
太閤検地で律令制には完全にピリオドが打たれると思う。
923 :
日本@名無史さん:04/06/15 22:54
てか、律令制成立(701年?)から中世なんて言っている研究者いるの?
924 :
日本@名無史さん:04/06/15 22:55
分かった、じゃあこうしよう。
大画期: 律令制、太閤検地、明治維新(地券発行)、敗戦(農地改革)
中画期: 班田収受法廃止、戦国大名発生
小画期: 墾田永世私有法、平治の乱、院政開始、鎌倉幕府成立、承久の変、応仁の乱
925 :
日本@名無史さん:04/06/15 23:11
926 :
日本@名無史さん:04/06/15 23:26
「律令制」と言ってしまうと曖昧になりがちだが、班田収受法廃止以前の均田制と、それ以後の荘園公領制は、根本的に異なる。
そして、一般的に「律令制」とか「律令国家」とか言った場合は、前者を指す。
荘園公領制は、本来の律令制度が想定している社会とは、完全に異質な状態。
つまり、太閤検地でピリオドを打たれたのは、律令制というより荘園公領制というべき。
>>924 墾田永世私有法は、荘園公領制(班田収受法廃止以後の体制)への布石の一つ。
戦国大名発生は、幕藩体制(太閤検地以後の体制)への布石の一つ。
これらは、それ自体が重要というよりも、全体の流れの中で、のちの社会体制の変化を誘導する遠因となったという点に重要性がある。
院政開始や鎌倉幕府成立は、荘園公領制に新たな要素が付け加わる契機。
承久の乱は、それを社会全体へ浸透させる一過程にすぎない。
また、荘園公領制に新たな要素が付け加わる転機としては、他にも、多くの地方で守護による国衙機能の接収をもたらした南北朝の内乱がある。
平治の乱・応仁の乱は、何故そこに含めるのか理解に苦しむ。
平氏政権は、基本的に院政と同様に荘園公領制(とそのバリエーションである知行国制)に依拠している。
応仁の乱は、それを戦国時代の開始と捕らえるのなら、戦国大名の発生とイコールと思われる。
但し、近年では戦国時代の開始は、応仁の乱よりむしろ明応の政変と考えるほうが主流。
「墾田永世私有法」って、一般的には「墾田永年私財法」だよな・・・。
928 :
日本@名無史さん:04/06/15 23:36
>>925 その説がトンデモ説なのか、一般に受け容れられるものなのか、おおよその基準になるんじゃない?
>つまり、太閤検地でピリオドを打たれたのは、律令制というより荘園公領制というべき。
>>922の「完全に」という部分に
その含みをもたせたつもりなんですが
言葉足らずで申し訳ない。
930 :
日本@名無史さん:04/06/16 00:03
荘園公領制にしても、律令制の(大)変質としてとらえられるもので、
律令制以前の氏族支配とは根本的に違うね。
まあ、中世というものがいつから始まったか、という問いは、日本史を幾つの時代
区分で考えるかによってどうにでも変わると思うが、
律令制が一大画期であったと、やはり思う。
931 :
日本@名無史さん:04/06/16 00:07
考古学的な立場から言えば、律令国家の成立以前は、原史時代(つまり完全な歴史時代じゃない)というべきだね。
先史時代・・・政治史的な事象は全くわからない。その時代の社会は考古遺物などにより断片的にうかがえる段階。
原史時代・・・政治史的な事象は外国文献や後世に書かれた自国文献などにより断片的にわかる程度。その時代の社会は文献や考古遺物を総合して概ねわかる段階。
歴史時代・・・政治史的な事象が自国文献のみでほぼ完全にわかる時代。その時代の社会も自国文献でおおよそがわかる状態。この段階になると考古学は文献史学の補助的な存在。
古代・中世・近世・近代などという時代区分は、歴史時代に対して行うもの。
よって、律令制成立以前は、こういう時代区分に関しては、除いて考えるのが当然。
もう少し正確に言えば、律令国家の成立を指向し始めた段階から歴史時代と言うべきかも知れないが、いずれにしても、「律令国家の完成=完全な歴史時代の開始」ということに問題はない。
933 :
日本@名無史さん:04/06/16 00:14
なるほど、そういう考え方も面白いね。その考え方だと、それこそ、律令制は、
一大画期どころか、思考の大前提という最大の画期ということになるね。
表現の仕方は違うけど、オレと基本的に同意見ということだな。
よって、
律令国家の完成・・・古代の開始
班田収受法廃止・・・中世の開始
太閤検地・・・近世の開始
明治維新・・・近代の開始
とするのがもっとも妥当。
仮に原史時代を古代に含めるのなら、
>>912(=私)のように原史古代と歴史古代(古典古代)を区別したほうが良い。
935 :
日本@名無史さん:04/06/16 00:21
画期としてはそんな感じで良いと思うが、画期間の名前の付け方(基本的には何でも
良い。番号でもOK)は、それだと、律令制の重大性が希薄に感じられるなぁ。
>>933 理解して貰えて嬉しいです。
あと、文献史学(日本史学)の立場だと、
均田制の時代=律令国家
荘園公領制の時代=王朝国家
と呼んでいることが多いね。
937 :
日本@名無史さん:04/06/16 01:51
歴史時代の幕開け
古代への序章・・・聖徳太子の改革&大化の改新(豪族の官僚貴族化)
古代(均田制)の開始・・・律令国家の完成(それまでの氏族制度の否定)
律令制の変化・・・三世一身法(土地所有の制限付き容認)
中世への序章・・・墾田永年私財法(土地所有の拡大)
中世(荘園公領制)の開始・・・班田収受法廃止(均田制の否定)
荘園公領制の変化・・・知行国制(国衙領の完全な私領化)
荘園公領制の変化・・・地頭の配置(支配階層への武家の流入)
荘園公領制の変化・・・南北朝の内乱(国衙機能の守護への統合)
近世への序章・・・戦国大名の登場(大名領国の成立)
近世(幕藩体制)の開始・・・太閤検地(荘園公領制の否定)
幕藩体制の変化・・・参勤交代の制度化(大名領国の立場の確定)
幕藩体制の変化・・・地方知行制の俸禄制への移行(大名と家臣の関係変化)
近代への序章・・・関東取締出役&上知令(私領に対する権利の縮小)
近代(近代的土地制度)の開始・・・廃藩置県&地租改正(幕藩体制の否定)
近代的土地制度の変化・・・大地主の出現(大土地所有の進行)
現代への序章・・・国家総動員法(戦時統制による富裕階層の経済的没落)
現代の開始・・・農地改革(近代的土地制度の否定)
938 :
日本@名無史さん:04/06/16 02:29
>>937 近世以降をちょい改変。
近世への序章・・・戦国大名の登場(大名領国の成立)
近世(幕藩体制)の開始・・・太閤検地(荘園公領制の否定)
幕藩体制の変化・・・参勤交代の制度化(大名領国の法的立場の確定)
幕藩体制の変化・・・地方知行制から俸禄制への移行(大名領国の性格の変化)
近代への序章・・・関東取締出役&上知令(私領に対する領主の権利の縮小)
近代(近代的土地制度)の開始・・・廃藩置県&地租改正(幕藩体制の否定)
近代的土地制度の変化・・・大地主の出現(大土地所有の進行)
現代への序章・・・国家総動員法(戦時統制による富裕階層の経済的没落)
現代(現代的土地制度)の開始・・・農地改革(近代的土地制度の否定)
現代的土地制度の変化・・・大都市への人口集中&減反政策(農村の過疎化)
939 :
日本@名無史さん:04/06/17 23:12
細けえなあ。しかし、その中で、最大級の画期は、
律令制国家の開始、廃藩置県&地租改正、の2つだな。
この2つの画期で日本史を3つに分けて、
古代、中世、近代、と名づけるというのが自説なのだな。
それをさらに細かく分けるのは勿論OK。
あとは、名前の付け方に工夫すれば、それらしくなるんじゃなかろうかな。
今日の朝日新聞夕刊では、第5面のヒマネタで「古代」全面記事があったぜ。
これだと、「古代=縄文時代、弥生時代、古墳時代」 ってことで、
オイラの感覚と合うなぁ。
941 :
日本@名無史さん:04/06/19 21:33
今どき、律令制以降を古代というのは変だな。
それって、律令以前は訳のわからない時代で、歴史家の手におえない時代だから、
とりあえず無視して、訳のわかる時代だけを研究しよう、って立場だよな。
考古学者と歴史学者が棲み分けるための便宜てきな区切りに過ぎないんんじゃないのかな。
言わば、研究手段による時代区分であって、歴史そのものの時代区分とは言えないな。
発掘やら色々進んできていることだし、考え直した方が良いな。
>>941 古代とか中世とかってのは、歴史時代に対しての時代区分だろ。本来的には。
>考古学者と歴史学者が棲み分けるための便宜てきな区切り
確かに考古学は、本来的に歴史学者が扱えない先史時代の考古学を研究することから始まったのは事実。
しかし、それは過去の話で、今は、原史考古学や歴史考古学も重要になっている。
むしろ、原史時代(日本史においては弥生〜古墳)は、歴史学と考古学の連係プレーが非常に重要。
歴史時代においても、それぞれ古代考古学・中世考古学・近世考古学などの分野が確立されつつあって、歴史学とは別の立場から、その時代の社会の解明に貢献している。
とは言っても、日本において歴史考古学が重要視されるようになるのは、比較的最近。
日本における歴史考古学の最初の成果は、有名な越前一乗谷の朝倉氏居館とその城下町の跡の発掘だろう。
946 :
日本@名無史さん:04/06/19 23:43
>>944 だから、歴史学者が伝統的に扱ってきた範囲に「古代」を置くのは過去の話にするべきだよな。
もっと、広く日本の歴史を捉えて、時代区分をするべきだよな。
新しい研究分野が確立されるかどうかも研究手段の問題であって、時代区分の問題じゃないよな。
>>946 そうは言っても、「古代」という言葉自体が本来的に歴史学の用語。
貴方のように、歴史学の範疇よりも広い範囲の議論がしたいのなら、
歴史学が扱わない時代を指す時代区分は、歴史学の用語に頼らずに新たにつくるべきでは?
もちろん、こういう場合、一般的には先史時代を指す時代区分として「原始」という語が用いられるが。
なお、原史時代は、歴史学も多少は関与しているので、「古代」に含めることも多いが、こういう場合は、厳密には「原史古代」と「古典古代」は区別される。
少なくとも、一般的には、古典古代とされる時代は、日本に限らず外国史においても、その地域が完全な歴史時代に入ったあとの年代を指している。
感じ的には奈良時代も古代だよな・・・・・。
律令制って言っても、対して機能もしてないし、唐の時代に長い間に産み出されてきたものを
パクって来ただけだしなw
949 :
日本@名無史さん:04/06/20 17:13
一般世間では、律令以前を原始時代とは誰も言わないな。
細かく言うなら、飛鳥時代、古墳時代、弥生時代、縄文時代、とかいう感じだけど、
これは、原始時代とは普通言わないな。
普通は、こういうのを古代と言うぞ。
おや。久しぶりにきてみたら
生産力史観に逆戻りした議論を得々としてる馬鹿がいるな。
( ´,_ゝ`)プッ
また馬鹿が戻ってきたかw
>>949 縄文は先史時代なんだから明らかに原始だろ。
弥生・古墳は、原史時代だから、古代に含めてもいいけど。
954 :
日本@名無史さん:04/06/20 21:28
先史時代というのは、現在得られる文字記録がない時代という意味で、
研究手段における便宜的な時代区分に過ぎない訳だが、
原始時代とは何だ?
「先史時代だから原始時代だ」という論法は成立するのだろうか?
950 :日本@名無史さん :04/06/20 17:34
おや。久しぶりにきてみたら
生産力史観に逆戻りした議論を得々としてる馬鹿がいるな。
951 :日本史@名無しさん :04/06/20 17:41
( ´,_ゝ`)プッ
また馬鹿が戻ってきたかw
956 :
日本@名無史さん:04/06/23 22:28
957 :
日本@名無史さん:04/06/26 22:05
プップップップ
958 :
日本@名無史さん:04/06/27 19:18
ブッ
959 :
日本@名無史さん:04/06/27 21:49
プップッ
960 :
日本@名無史さん:04/06/28 21:21
末期症状が出始めましたな。
961 :
日本@名無史さん:04/06/29 23:46
ピッ。
962 :
日本@名無史さん:04/06/30 22:15
屁
家制度で家父長制は武家の頂点で始まり、ほぼ1000年間かかって
完成と同時に崩壊しました。
11c-12c 家父長制の始まり
13c 庶民にも少しずつ浸透していく。
1945年 日本における家父長制の完成、そして崩壊。
964 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:05
701年大宝律令のあたりでしょ。
大和朝廷による西日本統一の一応の完成形なる、という理由
965 :
日本@名無史さん:04/07/03 21:39
>>964 おおおおおおーーーーー。きゃっほーーー。
我が意を得たり。そのとおり。律令こそ中世始まりの画期なり。
おい!自演野郎のディスティ!
お前こんなところにも出没してやがるのか?
トリップつけたまま自演やっちゃったディスティについてはこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1084186997/l50 905 名前:ディスティ・ノヴァ ◆o42sEUlX0o 投稿日:04/06/18 14:57
生物を知らないのはあなたでしょう(笑)
あなたが詳しいというならナチズムとダーウィニズムの関係について語って欲しいな。
わたしより詳しいとはおもえないが。
言っておきますがわたしは生物の教師。本職です。
プロを相手にしてよく言える(苦笑)
近現代ドイツにかんしてはおそらくわたしが一番くわしいですよ。
でないとコテハンなんかにはなりません。
2ちゃんねるに書き込むのは初心者ですが、馬鹿が多いという噂は本当ですね(苦笑)
906 名前:ディスティ・ノヴァ ◆o42sEUlX0o 投稿日:04/06/18 15:01
おれはディスティ・ノヴァにも一理あると思うな。
今騙りがはやっている。
彼もその被害者なんだろう。
本当に彼が書き込んだレスだけ見ればそんなやつとは思えない。
お前こそずっと彼に粘着していた張本人ではないのか?
ノヴァ、アホは無視してほどほどにがんばれや。
>>966 おまえ、うぜえ。
オレは954ではない。
オレは954を見て本当に喜んでいる。
オレはこれまでもこのスレで何度も登場している。
オレは、繰り返し書き込みをするときは、今回のように名前に前回の番号を書いて、
そのことをハッキリ示しているよ。
968 :
日本@名無史さん:04/07/04 14:10
どうせだったら天孫降臨から中世にしちゃえば?
俺も自作自演に見えたよ。
だって、めったにいないバカだから。
言っとくけど俺は966ではないから間違えないでね。
>>964 統一国家の形成ってのは、古代のメルクマールじゃないのか
天孫降臨はBC100頃か。ちょっと中世には早すぎ。
神武東侵はAD350頃か。まだちょっと古いかも。
白村江の敗北は663年。区切りとしては中途半端。
近畿朝、日本国に改名、670年。まだ安定せず。
筑紫都督府設置、671年。列島はまだ分裂中。
壬申の乱終了、672年。まだ九州倭国はある。
天武〜持統は九州倭国を滅ぼす
薩摩の評督ら、罰せられる、700年。
この間、評制を郡制にかえる
701年大宝律令施行・・・律令政治の始まり・・一応最近まで
972 :
日本@名無史さん:04/07/05 18:42
>>971 神武東征は、BC660のことですが、何か?
973 :
日本@名無史さん:04/07/05 21:57
974 :
日本@名無史さん:04/07/05 23:18
>>972 日本書紀が年代を古いほうにシフトさせている、つまり大嘘ついているだけですが何か?
もとはいつのことだかなんてわからんだろうが
産経新聞で古代史の連載をしているんですけど、それによると最初の頃の天皇の年齢とか年代は、
半年で一年と日本は数えていたそうなんですが本とですか。
977 :
日本@名無史さん:04/07/15 22:10
本当。
収穫祭は春と秋
お盆も年2回
実は昔の1年は今の6ヶ月。
マジ?
2倍年暦は電波説。
980 :
日本@名無史さん:
年(ねん)は古代中国語の音だよな。
当時の倭では、どう呼んだのだろうかいな。