361 :
日本@名無史さん:04/09/01 19:53
フジ?
学研M文庫 『立花宗茂』発売記念age
小説だけど、学研だけど、面白いですよ(少なくとも童門よりは)
363 :
日本@名無史さん:04/09/11 14:11:46
八尋の方が好きだがな…。
俺は原田種真のほうだな
365 :
日本@名無史さん:04/10/04 12:38:13
>>358 東の本多忠勝、西の立花宗茂の対決が見たかった
立花理佐は子孫ですか?
368 :
日本@名無史さん:04/11/06 21:49:44
立花宗茂・真田幸村・伊達政宗は同い年。
370 :
日本@名無史さん:04/11/27 00:11:57
ほんとかよ
372 :
日本@名無史さん:04/12/25 05:46:31
三角氏
373 :
日本@名無史さん:04/12/27 21:43:37
age
下がりすぎなのでage
いつかこの人を題材にした本を書いてみたい…
>374
今から書いてみなよ。
書き溜めて、推敲して、より自分の味のあるものに仕上げてみなよ。
他人に見せなきゃ恥ずかしい思いもしなくていいし、
今の実力なんて関係なく、やってみてよ。
けっこう小説類も、何年もかかるらしいから、気持ちのあるうちに
書いた方がいいよ。
376 :
日本@名無史さん :05/01/28 02:02:34
宗茂が関が原に来てたら、島津の隣に布陣するな。島津も宗茂に触発されて参戦してただろう。
左近、蒲生浪人、立花、島津こんなラインで押してたら・・戦況を見た小早川はどんな判断を下していただろうか??
宗茂はそんな想像をたくましくしてくれるんだよ〜〜
>376
しないと思いまふ。
島津は父の敵ですよ。
>>377 朝鮮の役のエピソードを調べてみて。
宗茂は島津に対しても尊敬の念を抱いている様。
関が原から引き上げるとき宗茂の船に義弘を招いたときも
家臣が敵討ちしようといってきたけど、そんなのは卑怯者のすること
ってしりぞけたな
>379
だからですよ。
関ヶ原前なら重臣の反対にあって、無理だろうと思ったわけです。
そこに構えるという無理に押し通すどおりもありませんからね。
重臣もそんなにケツのあなちっさい連中揃いと思いたくないがな
当時の武家の発想としてはそっちが自然ですよ。
強い結びつきのあった人が殺されたのなら、なおさら。
強くて魅力ある武将同士が連携して・・・・というのは、
言い方悪いけれども、平和な現代人のエゴに過ぎない。
逆に宗茂も合戦前に家臣に反対者が出れば、押し通したりしないと思う。
名将だからこそ、戦前に家臣に不信感を持たれることが
いかに愚であるかわかるだろうし、第一実父紹運に教えられて育ってるはずだし。
383 :
日本@名無史さん:05/01/30 06:55:52
立花宗茂と真田幸村と蒲生氏郷は知名度ないね。稀代の名将なのにな。黒田官兵衛もそうか。
384 :
日本@名無史さん:05/01/30 08:39:06
幸村?
385 :
日本@名無史さん:05/01/30 08:44:58
俺は真田昌幸のほうが好きだな
386 :
日本@名無史さん:05/01/30 08:56:32
あえて真田幸隆
>>383 幸村は知名度あるだろ
信繁の知名度は低いが
立花宗茂って改易される以前の戦上手ぶりが取りざたされることが多いけど
むしろ改易された後の方に凄さを感じるものがあると思う。
もしあそこで改易されなかった場合大阪の役でも豊臣方に付くのが筋となるわけだから清正みたい
に急死するか真田信繁みたいに派手に散ってたかしてただろうし、例え徳川についても裏切り者
のそしりをうけざる得なかったはずだったんだけど改易されて徳川家に仕官したことで徳川方に付いて
当然の立場になっていた。しかも秀忠、家光の2代を通して御談判衆(将軍の相談役みたいなもの)を
勤め外様大名でありながら幕閣並に信頼されるという、明らかに改易されなかった場合よりも立場が
好転している。
なんつうか人間関係の達人とでも言うのかな、親に期待され、主君に信頼され、他大名とよく友誼を
結び、幕臣からも頼られ、家臣はよく働き、領民にも慕われる。
まあ運と実力あってこそなんだろうけど、ある意味究極の処世術を体現した人なのかもしれん
奥さんとの仲は…
>>388 >もしあそこで改易されなかった場合大阪の役でも豊臣方に付くのが筋・・・・・・
>例え徳川についても裏切り者のそしりをうけざる得なかったはず
福島正則でさえ豊臣方に付いてないし、その他多くの豊臣恩顧の大名及び
その子孫や西軍で改易を逃れた者が、家を守る為に豊臣方に付いてない。
よって裏切り者のそしりは受けない。宗茂も自身や家臣の為に徳川家に仕えて
家を再興している。当時は我々が考える以上に御家が大事だったと思われる。
豊臣方に付いた長宗我部ら浪人も、御家再興が狙いだったかも?
真田信繁は例外
>明らかに改易されなかった場合よりも立場が好転している。
確かに改易されなかった場合、或いは関ヶ原で東軍に付いていた場合は
幕府に信頼されず、あぼ〜んされてた可能性がある。
秀忠、家光の2代で結構あぼ〜んしたから、改易されて徳川家に仕官して正解
391 :
日本@名無史さん:05/02/01 07:07:53
でも、立場的には長曽我部成親や真田幸村と一緒の浪人でしょ?
>>389 闇千代様は7歳で立花山城の城督となってた人だからねえ、プライドが高かったんだろうね。
個人的なイメージとしては、なかなかデレないツンデレって感じなんだが
実際どういう人だったんだろうね
頑固で我が強い性格だったんだろうね
当主をさしてでしゃばるなっていう意識が宗茂にもあっただろうし
闇千代にしても一度は家督を継いだっていうプライドもあるわけだし
磁石の同じ極どうしで反発しあっちゃったのかなぁ
闇千代は道雪が死ぬときまで当主だったということで、
婿である宗茂にもそのように接していたと何かで読んだことがあります。
ましてや2人は幼馴染ゆえ、遠慮もなかったことでしょう。
美人でありながら父譲りの気性の激しさ、今だと誰が
イメージに近いだろうか?
旦那を差し置いてというなら、ヒラリー・クリントン
父譲りの気性の激しさなら、田中真紀子かな
真紀子も若い頃は、父の美人秘書みたいな扱いだったよね。
397 :
日本@名無史さん:05/02/19 16:32:28
志木沢郁の「立花宗茂」は久々のヒットだった
八尋や童門のと比べて面白い?
俺も結構面白くよめたよ
いままでの小説と違って他国の大名との関係もよかった
細川忠興とかいいけんか友達みたいにかかれてたしね
幕府に取り立てられてからの話も童門のと違って立花宗茂という人物がいかに特異な存在かわかる
大河祈願age
402 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:28:52
>福島正則でさえ豊臣方に付いてないし
正則は家臣を入城させようとしましたよ。
失敗しましたが。
404 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:20:46
高橋紹運の息子で立花道雪と養子縁組したんだっけ。
それでかつ有能なんだから、これほど文句なしな武将も珍しい。
道雪は宗茂を見込んで無理矢理婿養子にしたんだけど
道雪の一人娘・ぎん千代との中は最悪だったようね。
IF史になってしまうが、結局自分の血統を残さなかったことを道雪は草葉の陰でどう思っていたのかな。
406 :
日本@名無史さん:05/03/09 02:04:44
道雪は息子が一人いたが坊さんになったんだよな
宗茂には実子がいなかったから、甥を養子にして跡継ぎにした訳だが、
この時代、子供がいなかった為に取り潰された大名は、いっぱいいる。
立花家が安泰だったのはなぜかな?
宗茂存命中に跡継ぎを確保したからだろ?
後継者不在のまま没したら、当然立花家も取り潰されてただろ
410 :
日本@名無史さん:
age