●土方歳三は本当に強かったのか?●

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
中村半次郎と対等にわたりあえたのは土方だけだった、
という話もありますが。どーだったのでしょう?
2日本@名無史さん:02/11/28 10:56
その逸話知らんぞ。
3日本@名無史さん:02/11/28 16:52
山野八十八より弱くて井上源三郎より強いってくらいじゃないか?
4日本@名無史さん:02/11/28 17:13
日野にいたころは、相手が油断してると土方にやられる程度。
京都に出てきてからは、人を斬り過ぎて、刀を握る部分が
血で腐ったぐらいだから、喧嘩剣法は相当上達したはず。
後に、陸軍少将となった半次郎(桐野)よりは格下と思われる。
5日本@名無史さん:02/11/28 17:49
半次郎の逸話も無茶苦茶なのが多い。
実は藩中最強の使い手は大山格之助であり、
例の雨だれが落ちるまで3度抜いたというエピソードも
大山の話だそうだ。(半次郎がそれを見て仰天した)
65:02/11/28 17:52
だから俺は半次郎と互角でもいいと思うわけね。
7日本@名無史さん:02/11/28 18:04
沖田のエピソードには、三度突きが、一突きに見えたって
いうのがあるけど、土方のエピソードはあまり聞かない。
8日本@名無史さん:02/11/28 18:58
鬼の土方
9日本@名無史さん:02/11/28 19:07
斬る!という威圧感はあっただろう。
10日本@名無史さん:02/11/28 22:35
人斬り抜刀斎に一本負けしたらしい
11日本@名無史さん:02/11/29 08:37
本当ですか?
12日本@名無史さん:02/11/29 20:42
a
13日本@名無史さん:02/11/30 03:28
沖田や近藤は剣術家だが土方の場合は戦略家である。
剣術家の場合、個人戦や接近戦等には強いが、団体戦や中長距離戦には弱い。
新撰組においても団体戦術や組織編成等は戦略家である土方の考案である。
鳥羽伏見戦以降の戦いは刀剣による近距離個人戦よりも大砲や洋式銃等の
中長距離団体戦が主体となった。
それゆえに近藤が流山で戦線離脱する原因につながる最大の理由に繋がる。
剣術主体であった近藤にとっては鳥羽伏見の敗戦は自分の時代の終焉を認めなければ
ならなかった。それゆえにそれ以降の戦績はさえなかったこともあり流山で離脱しえなかった。
それとは逆に土方は根っからの戦術家であった為に鳥羽伏見以降は水を得た魚のように洋式戦術を
取り入れ常に戦線の最前線に立ち函館まで戦いぬいた。

14日本@名無史さん:02/11/30 03:30
沖田・永倉・斎藤が三強じゃない?
15日本@名無史さん:02/11/30 04:03
土方は剣術家としてはそれほど強くなく指揮官だと最強!!
16日本@名無史さん:02/11/30 09:59
個人的に

斉藤=沖田>永倉=近藤>土方>藤堂>原田>山南>井上

ってかんじ
17日本@名無史さん:02/11/30 10:46
函館に向かう船の中で旧幕府軍の武士達に、「斬るときは、相手の
腰に自分の腰をくっ付けるようにして斬れ」と指導していた位だから
旧幕府軍のなかでは、剣の腕は筆頭だったのではないか?
そもそも、相当強くないと京都の浪人たちを取り締まっている間に
斬りあいにおいて、大怪我ぐらいしたはず。
そういうはなしは、聞いたことが無い。
18日本@名無史さん:02/11/30 10:49
ヘルスにいって、尻の穴を5000円で舐めれもらうといいよ。
19日本@名無史さん:02/11/30 12:11
スレ違いかもわかりませんが
日野の石田寺には土方の遺骨は埋まってるのですか?
戦死だから死体とかどっかいっちゃったのかな?
20日本@名無史さん:02/11/30 13:19
新撰組の組員は基本的に強かったんだよ。きっと。
けど、刀対ライフル銃じゃ 戦う前から結果は見えてる。時代遅れの哀れな新撰組組員が、
今でも同情されて、人気が有るんだよ。土方歳三がライフル銃片手に茂みに隠れて
新政府軍の兵士を狙撃してたら、華がないよね。
刀片手に突撃して行く土方が、切り合うことなく撃ち殺されたことで、歴史に名を残し、NHKでも取り上げられるんだ。
21日本@名無史さん:02/11/30 14:09
ソース忘れたけど、新選組幹部で強かったのは永倉新八で、斉藤一、沖田総司が
それに続いていたという当時の談話があったように思う。
土方歳三も「武術英名録」に載るぐらいだから、師範級の腕は持っていたんじゃ
ないかなぁ。
天然理心流の門人で近藤勇の友人だってだけでは新選組副長は勤まらないような
気もするし、少なくとも皆が認めるだけの実力はあったと思うよ。
土方の戦い方の目撃談としては「相手に砂を投げつけ、混乱した隙に着ていた羽織
を相手の首に巻きつけてそのまま締め落とした」ってのがあったなぁ。
要は相手をしとめればいいのですね。
22日本@名無史さん:02/11/30 15:21
>>19
遺体は不明です。
>>20
土方がライフル銃で新政府軍と戦った話しはあったはず。
23日本@名無史さん:02/11/30 16:44
芹沢鴨が最強。というのが最近の傾向ですよね。
24 :02/11/30 20:00
>21
マジ?その逸話初めて聞いた!
ソースきぼん。
25日本@名無史さん:02/11/30 21:03
低脳ばかりですね
26日本@名無史さん:02/12/01 10:20
b
27日本@名無史さん:02/12/01 10:26
まあまあ、煽らずにマターリとやりませう。
28P1:02/12/01 13:31
新撰組には鉄砲もありましたよ。
握りに『新撰組』の刻印がしてある銃を見たことあります。
当時としては最新型だったそうです。
政府公認の集団ですから装備なんかは、かなり良いものが行っていたそうです。

29日本@名無史さん:02/12/01 20:08
c
30日本@名無史さん:02/12/02 00:02
土方って目録じゃなかったっけ・・・下から2番目の位で
今でいう剣道2段くらい。
で沖田が免許だったような気がする。
でも竹刀剣術がいくらできたって人は切れないからね・・・
その点、土方はすっぱりと竹刀を捨てて真剣で修行して
いたらしいし・・・。
俺的には
沖田=斉藤=長倉>土方=原田>近藤=藤堂
だなぁ
31日本@名無史さん:02/12/02 16:44
近藤も土方も流石に真剣だと強そう。
32日本@名無史さん:02/12/02 17:30
>24
光栄(KOEI)の歴史パラダイスって本に載っていたよ
33日本@名無史さん:02/12/02 17:37
近藤が土方より弱いってことないだろう。
34日本@名無史さん:02/12/02 19:33
土方の場合、彼個人の強さに肩書きが追いついてないだけのような。
天然理心流への入門時期も、17歳と26歳の2つの資料があるし、
17歳で一度入門したものの何らかの理由で天然理心流を離れ、26歳
の時に再度入門しなおしたという説もあながち間違いではないのかも。
26歳から剣術はじめた男が新撰組の副長としてあのメンバーを指揮する
には無理があると思うし。
天然理心流から離れた時期も、石田散薬の行商をしながら他流試合で腕
を磨いていたとすれば、肩書きこそ目録でも実力は他の新撰組の連中と
比肩してて、それだからこそ副長として上に立つことを皆が認めたのでは
ないんかな。
35日本@名無史さん:02/12/02 22:30
土方の得意技「諸手突き」
沖田も突きを多用。
所謂、「ちゃんちゃんばらばら」はまれだった。
36日本@名無史さん:02/12/03 02:48
突きは先手を取れるし、かわされても二の突き、三の突きと追い詰めれるからなあ。
いわゆる時代劇ふうう立ち回りは、虚構にすぎない。

示現流のトンボ、突き、居合い、どれが一番先の手をとれるのだろうか。個人差はあるだろうが、興味は尽きない。
37日本@名無史さん:02/12/03 03:12
>>1
根拠無し。出展は何?
38日本@名無史さん:02/12/03 03:13
みんな想像などではなく、ちゃんと文献に基づいた
発言をしようぜ。
39日本@名無史さん:02/12/03 10:00

>>37
新人物往来社の本
書名忘れた。
40日本@名無史さん:02/12/03 10:56
天然理心流って防具つけて竹刀で稽古とかしてたんですか?
木刀で直に殴り合ったりするんですかねえ?
実践向きの流儀とはよくききますが。
41日本@名無史さん:02/12/03 18:46
>>40
もちろん防具をつけての稽古もあったわけよ。
土方は赤い面紐を好んでいたらしい。

ただし、桐野よりも強かった云々などは
新選組に関するどんな本にも載っていない。
作家のフィクションか何かを誤解しているのだろう>>1
42日本@名無史さん:02/12/03 19:00
土方をカッコイイと信じてきて、写真みたときガ━━━(゚ロ゚)━━━ン。
やっぱ昔と今じゃイイ男の定義は違うのね。
43日本@名無史さん:02/12/03 20:19

>>41
桐野の示現流?の最初の一撃を受けられたのは、土方だけだったと書いて
あった。桐野より強いかは不明。
>>42
土方の写真は3種類位ある。そのうちの1枚はかなりハンサム。多分
修正されたものと思われる。
漏れは沖田の肖像画のコピー持ってるよ。
やっぱヒラメのような顔してる。
44ネオ麦茶R:02/12/03 20:36
>>42
新撰組の中では一番カコイイと思われ。
45日本@名無史さん:02/12/03 20:41
新撰組は土方いなけりゃ、ただの殺し屋集団。
46【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 20:43
>>43
沖田総司の肖像画は西郷隆盛のと同様、
死後に描かれたものです。
姉かその息子(甥)がモデルだったかな?
でも、お姉さんもヒラメみたいな顔だよね、
老婆になってからの写真だからよく判らないけど。
47日本@名無史さん:02/12/03 20:43
>>43
>>桐野の示現流?の最初の一撃を受けられたのは、土方だけだったと書いてあった。

そのような史実はない。
48日本@名無史さん:02/12/03 20:52
そもそも桐野と誰も戦ってないだろ。
49日本@名無史さん:02/12/03 22:18
土方の写真のうち、目の輪郭がハッキリとした
妙に若々しいのは修正されたヤツだよね。
あとの2つが本来の土方像ってことになるけど、
充分格好いいと思うぞ。
一応土方の容姿について記した当時の風評を並べておくと 
 「身丈五尺五寸、眉目清秀ニシテ頗ル美男子タリ」・・・両英雄士伝補遺
 「身長もすらりとした、あの仲間うちでは男っぷりもよい方」・・・史外史譚剣豪秘話
 「ことに土方の如きは役者とでもいいたい位の色男然たる風貌であった」・・・漫談明治初年
こんな具合です。
50日本@名無史さん:02/12/03 23:26
>>49
べつに悪くはないが、正直普通のオジサンという感じだよ。
修正前の土方の写真。
やっぱり昔と今とでは美的感覚が違うのだと思う。
桂小五郎の写真はハンサムだと思うけどね。
51【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 23:27
土方も桂も俺と比べれば大した顔じゃないな。
52日本@名無史さん:02/12/03 23:29
>>43
>桐野の示現流?の最初の一撃を受けられたのは、土方だけだったと書いて
あった

正直知りたいんだけど、その本の書名は何?
(やっぱり小説じゃないの?)
その著者は何を根拠にそのようなことを書いてあった?
53日本@名無史さん:02/12/03 23:30
>50
漏れも土方は結構普通な感じ。
同じころの写真で榎本の方がいい男ぶりだと思うのだが
54日本@名無史さん:02/12/03 23:48
桂小五郎はカコイイな!
勝海舟は鈴木アグリな!
55日本@名無史さん:02/12/03 23:52
かりに、桐野の最初の一撃を受けたとしても、
その後取り逃がしているのなら(桐野は維新後も存命しているわけだし)、
隊規にふれて土方セプークじゃん(藁
56【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 23:53
俺って平田堅に似てんなぁ。
訂正:平田⇒平田

もう寝まちゅでちゅ。
58日本@名無史さん:02/12/03 23:54
顔なら、旧幕府歩兵頭の大鳥。
蝦夷新政府の陸軍奉行、土方の上司。
ありゃ!まただ・・・
訂正:平田⇒平井
60日本@名無史さん:02/12/03 23:58
>>58
「上司」・・?
ひょっとして「上官」と言いたかったのか?
61日本@名無史さん:02/12/04 00:01
そもそも薩摩藩士である中村半次郎が新選組に
斬りかかるわけないしな。
少なくとも京都時代においては建前上、薩摩と会津藩
は対立していなかったわけだし。
(説明しなくても分かるよな)

まあ典拠に関しては>>43のレスを待とう。
62うろ覚え:02/12/04 00:15
津本陽は書いてたな。
「半次郎は沖田や土方と戦ったことがある」と。
半村良は「土方のみ避けることができた」
ドキュソ系の文庫だと結構「土方のみ対等」「土方のみ避けれた」が多い。
ただし「最初の一撃を受け止める」というのは皆無。
司馬死姦では「最初の一撃は絶対外せ」で特に両者の力量の描写はない。

ちなみに津本は「関が原で数十人の島津鉄砲隊が家康を切腹寸前まで追い詰めた」
とか愉快なことも書く。(決戦の前日にあった知られざる逸話なんだって)
63【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/04 00:18
土方歳三は(新選組隊士の中で)指揮官としては最高だろうが、
人斬りの腕前では近藤や沖田や斎藤の下だろう。
64日本@名無史さん:02/12/04 00:40
新撰組剣豪ランキング<有名人編>

1位・沖田総司
2位・斉藤一
3位・永倉新八
4位・服部武雄
5位・近藤勇
6位・土方歳三

だろうな
65日本@名無史さん:02/12/04 00:41
修正前の写真はボーっとしすぎてはっきり見えないから
普通なのかいい男なのか不細工なのか判別できん。
ただあの座ってる全身像はカッコイイ。
いかにも武人て感じ。
66888Get:02/12/04 01:35
なんだか悪乗りで書いた事が大事になってきたな。まっいいや。

オアフ島の攻略は史実の南方攻略と同様、上陸すれば占領は可能だと思う。
まず、オアフ島の防御施設の貧弱さ強力な要塞が無い。道路の整備が良い事。
現地にいる日系人の多さとそれによる日本軍にしては事前情報に恵まれた
状態で戦える事。
オアフ島はハワイ島と比べて小さく、地形の起伏が激しくない事。
また海岸砲は殆どが海の方を向いているので後ろの攻撃には使えないか制限が
あると思う。米軍は真珠湾攻撃の後の混乱で、市民の動揺を抑えながら戦わなけ
ればならない事。真珠湾の隣にホノルル市がある。米軍自身がパニックに落ちて
いる可能性が高くフィリピンのマッカーサーと同じで日本軍の兵力を見誤る可能
性が高い。
>>続く
67888Get:02/12/04 01:36
すみません誤爆しました。
68日本@名無史さん:02/12/04 01:41
正直に言うけど、土方の写真は修正前もかっこいい。
69日本@名無史さん:02/12/04 02:30
土方って日野でも義兄の陰に隠れてるし、
上洛時にも沖田よりも下位で、
金づるではあっても、たいして重要視されてなさそうだったのに、
京で急に上に上がってきてる感じだよね。

例えば・・・こんなんとか?
・他の人が出来ない、細々とした事務が出来た
→面倒なので土方に任せっぱなし(武士は細かいことはしない、とかで)
→土方がいないと組織の運営が成り立たなくなってもーた
→気が付くと裏の実権は土方の手中に・・・ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル

「土方が目録」のソースは何でしたっけ?子母澤さん?文書?
井上源三郎は免許皆伝だったみたいだけど。
70日本@名無史さん:02/12/04 09:19
土方は鬼のように言われてるが、どこかの戦場で
敵に恐れをなして逃げようとした若者を「貴様逃げるのか」
と言って、切り捨てたことがあったそうだ。だけど後で
「あの時はかわいそうなことをした。」と言って泣いたという
逸話もある。
外国の話だけど、あの独裁者ヒトラーも大戦末期にときの財務相
シュペーアから、「俺を貴方の後任にしないでくれ。」と言われて
素直に承諾している。
みなやさしい側面もあったんだな。
71日本@名無史さん:02/12/04 09:23
人間ですから
72日本@名無史さん:02/12/04 10:27
>>62
けっきょく全部小説だよね。
まあとにかく「一撃を受け止めた云々」の出典は
>>43のレスを待とう。
73日本@名無史さん:02/12/04 12:00
土方とか近藤ってなんで殺されなかったの?いや新撰組の隊士に。
芹沢鴨とかは素行が悪いから暗殺されちったよね?
結構、近藤も土方も威張ってたらしいじゃん。局中法度で何人も切腹させられてるし。
土方を恨んでた奴も多かったんじゃないか?隊内でさ。
伊東だって近藤を殺す計画立ててたらしいじゃないか。永倉と原田も最後愛想つかしてるし。
やっぱ近藤や土方殺すとまずいことあったの?
74日本@名無史さん:02/12/04 12:15
土方は弱い、って言うか新撰組自体が弱い。
多人数で少人数または一人を押し包んで倒すことしかできない奴ら。
彰義隊もその方法を真似して官軍兵士をたびたび襲撃して、
「武士のやり方じゃない」と反ってバカにされたよね。

そういった正々堂々、一対一などを重んじないのは、
近藤らが農民出身なので、剣士・武士としての名誉といった武士道の
理念に捕らわれずに済んだことや、
武芸を競うための団体ではなく、威嚇・制圧が目的の戦闘集団なので
「相手を殺せばやり方はどうでもよい」と結果だけを重視できた
からだと言われています。
正面きって一対一で戦えば、土方は坂本竜馬や桂小五郎、清河八郎
などの剣士には及ばなかったでしょう。
75日本@名無史さん:02/12/04 12:21
清河、桂はまあとして。
坂本って・・・・・。
まぁピストルで撃たれりゃたまらんべ。
76日本@名無史さん:02/12/04 13:14
武士にも人数を用意するって考え方は当然あるんじゃないでしょうか?
例えば、忠臣蔵で名をあげた山鹿流って兵法でも、
必ず3対1で数的優位を保つようにと説いてますし、
これを多数の大名が学んだとのことだし

そもそも、戦う人数を増やすのって基本だし。
「武士のやり方じゃない」と官軍が語ったのは、平時の感覚で評したか、
その怖さを知ってのイメージ操作かと思えるのだけど。

77日本@名無史さん:02/12/04 20:54
ていうか、新選組は基本的に捕縛しなきゃいけないんじゃ?
闇雲に斬っちゃったら、そいつの藩と面倒なことになるっしょ。
だから土方の逸話
(投石首絞め〜理心流か永倉弟子関係に伝わってる話だったような?)
がああいう風になってる訳で。
78日本@名無史さん:02/12/04 21:47
a
79日本@名無史さん:02/12/04 21:56
複数で1人を相手にするのが卑怯と言われても、相手だって尊王攘夷を
名分に強盗殺人するような連中なわけだからね。
京都の治安維持が目的なわけだし、乱の元凶になるような人物なら多勢
で囲んでさっさと始末するほうが合理的。
捕縛するにしても1対1じゃ簡単に捕まらないだろうし、そういう意味
でも数を揃えるのは当然の行為だと思うな。
80日本@名無史さん:02/12/04 22:58
珍選ヲタ臭っ!
弱いことの反証になってねー。
単にエグけりゃ良いなら国定一家の方が強い。(幕吏の方が圧倒的に多い)
まあ関東じゃゴミみたいな奴らが京都に残留しただけだからな。
戻った庄内所属の新徴組の方がはるかに上だろうな。
81日本@名無史さん:02/12/04 23:11
>>80
珍微ヲタでつか。
82日本@名無史さん:02/12/04 23:42
まあそんなことよりも、まずは>>43のレスを待とう。
どういう性質の文献から、土方と桐野が渡り合ったというのだろうか。
83日本@名無史さん:02/12/05 00:05
土方が官軍の鋼鉄艦に斬りこんだって書いてある
文献もあったぞ。
84日本@名無史さん:02/12/05 00:17
>>83
まあ実際には甲鉄には乗り込んでいないのが事実だけどな。
でもきょうびの新選組関係の本に斬り込んだなどと
書かれた物はないよ。
85日本@名無史さん:02/12/05 00:18
>>83
その文献が資料的な物なのか小説や評論なのか。
86日本@名無史さん:02/12/05 00:30
>>74
多人数で襲うからといって、新撰組が弱いとは言えないだろ。
まずは、弱いっていう証明をしてくれよ。

それから、一対一なんて鎌倉時代じゃあるまいし、
そんなもんに拘る必要もないって。
87日本@名無史さん:02/12/05 00:46
>>86
強いか弱いかの論議でもないと知れ。
88日本@名無史さん:02/12/05 01:10
>>87
スレタイトルは、土方歳三は本当に強かったのか?なんだけどね。
89日本@名無史さん:02/12/05 01:16
>>88
強いか弱いかと言う意味のないスレを良スレに変えるのが基本だな。
90日本@名無史さん:02/12/05 01:26
>>89
いやはや、ご立派なお考えですな。
しかし、このスレを良スレに変える前に、
その口ぶりをなんとかしていただきたいものです。
91日本@名無史さん:02/12/05 01:38
狂信者ご機嫌だな。
俺も武道やるが仲間集めりゃサップだってやれるかもしれないが
虚武しいからやら無いし、そんなの強くない。
鎌倉がとか関係なし。あまり武道・芸を乏しめるな狂信者。
92日本@名無史さん:02/12/05 01:47
>>91
俺に対するレスだと思うけど、反論できなきゃ狂信者と決め付けるのか?
新撰組は武道の団体じゃないんだから、一対一とかに拘る必要が
ないって言ってるんだよ。
それに、武道の話なんてどっから出てくるんだ?
93日本@名無史さん :02/12/05 01:48
サップをやるかやらないかは関係ないだろ。
94日本@名無史さん:02/12/05 01:50
土方より岩倉グシのほうがつおい
95日本@名無史さん:02/12/05 01:54
>>92-94
過剰な反応だ、餅突け。
96日本@名無史さん:02/12/05 01:57
>>92
反論?俺はお前相手にしたの初。
お前狂信者。スレ趣旨から剣の腕だろ?そう武道関係ないのか。
>>93
別にタイムリーな強さ挙げてみただけ。
で?どうした?

97日本@名無史さん:02/12/05 02:03
初めての相手に狂信者とか言ってる時点でアフォ決定だな。
98日本@名無史さん:02/12/05 02:05
>>97
じゃお前もアホ決定だな。
99日本@名無史さん:02/12/05 02:08
ププー
アフォども同士で騒いでやんの(プ

数少ないアフォ仲間同士、仲良くやれっての
わかったかチンカスども
100日本@名無史さん:02/12/05 02:08
>>99
じゃお前もチンカスだな。
101バカな>>1へ:02/12/05 02:12
>>1は多分「北方謙三」を読んで、現実と小説の世界を彷徨ってるのでせう
歴史初心者がよくやる恥ずかしい激しい勘違いですね。
102日本@名無史さん:02/12/05 02:20
>>101
質問なのだが北方謙三のどの本に>>1の説が書いてあったの?
103日本@名無史さん:02/12/05 09:31

>新撰組は集団で少数の敵を襲うから強い
冗談もほどほどにしてくれ。
池田屋では新撰組は4〜5人で斬りこんで
20人位の敵と戦っている。
新撰組には死傷者出たが、結果的には勝利してる。
ただし、敵方は池田屋から脱出する際、多数の会津藩兵等
を死傷させているから、敵方の勝利とも言える。
104日本@名無史さん:02/12/05 12:33
>>103
>冗談もほどほどにしてくれ。
冗談もほどほどにしてくれ。
子母沢寛の『新撰組始末記』ぐらい読んでくれ。

>ただし、敵方は池田屋から脱出する際、多数の会津藩兵等を死傷させているから、敵方の勝利とも言える。
君の記述は・・・・・・
リアル厨房だとは思うが・・・・・・
105日本@名無史さん:02/12/05 13:19
池田屋に居た奴等って大刀隠されて脇差で奮戦してたらしいな。
けど池田屋の天井はかなり低かったらしいし室内戦だから脇差有利か?
しかし新撰組の奴等は突きで殺してたらしいから室内でもOK?
人数は少ないけど甲冑で身を固めてし、相手も酔っ払ってたんだろ。
北添なんて不意打ちのようなものだろ。
106  :02/12/05 13:52
いずれの資料も信憑性では50歩100歩でしょ。
ま、しょせん歴史は脳内遊戯だが。
そんな脳内遊戯で罵り合うのはやめとき。
それより京都行ってゆかりの地を訪ねるほうがおもしろいぞ。
司馬先生みたいに現場を前にして小一時間もうそうにふけるも良し。
107日本@名無史さん:02/12/05 14:20
狭い道路にひっきりなしに通るバスや自動車をBGMにパチンコ屋の前で妄想に小一時間。

京都の人間でなければわからんか。

史料の取捨選択もできないのに、学問板で何を言いたいのやら。

108日本@名無史さん:02/12/05 17:45
>>107
歴史学そのものを否定するようなアホォに
一々マジレスするなよ。
109日本@名無史さん:02/12/06 01:20
>>105
>北添なんて不意打ちのようなものだろ。

君の新選組に関する知識は古すぎるよ。
土佐の北添は池田屋の屋外で死亡していたことが
現在判明している。
(会合の場にはいなかったらしい)

そもそも北添が池田屋で一番に斬られる描写をしたのは
子母澤寛が最初。
110日本@名無史さん:02/12/06 10:45
そんなことより、竜馬が本当に強かったのか興味ある。
塾頭まで務めていながら、人を切った話を聞かない(でもピストルで殺ってる)
111日本@名無史さん:02/12/06 12:10
竜馬が御前試合で桂に勝ったのは本当なの?本当ならかなり強いんじゃないか?
けど長刀なんだっけ?どういうことなんだ。フィクションってことか?
112日本@名無史さん:02/12/06 12:56
まあ、龍馬VS桂の試合を伝える武市半平太の
書簡があったのですが、実は試合当日武市は
江戸にいなかったことが判明している。
それでこの書簡は偽造ということに。

>けど長刀なんだっけ?

長刀の免許が現存しているだけで、剣術の
免許が確認されないというだけ。
塾頭だったのはフィクションではなく事実だから
(千葉さな子の証言による)、免許じゃなかったこと
はあるまい、とされているね。

ちなみに神戸海軍操練所の塾頭であったことはフィクションね。
塾頭は別の人物。
113紅孔雀:02/12/06 12:59
陸奥守吉行見てみたいぞぉ〜〜〜w
114日本@名無史さん:02/12/07 16:46
で、トシは強いの?
115日本@名無史さん:02/12/07 17:12
昔4チャンでやってた「11PM」で仙台からの中継の時、
司会者が土方が甲鉄艦に斬り込んだって言ってたことあったな。
実際はそんな事無いんだけどね。
仙台と言えば、官軍が仙台城を攻撃したときの仙台藩の死者は
700人以上、それに対して官軍は10人位だったとか。
これ以降、仙台藩士は腰抜けと言われたそうだ。
だけど北越戦争では、官軍は苦戦したね。
駒井とかの幹部が戦死してる。
116日本@名無史さん:02/12/07 20:37
土方個人の剣の実力なんて、あんまり土方のメリットにはならんだろ。
たとえ剣は弱くても戦術に長けていたほうが、彼の人生にとってはよかったはず。
117日本@名無史さん:02/12/07 20:58
土方が生き続けて陸軍大将になっていればナァ
118日本@名無史さん:02/12/07 21:00
>>117
生き残っていたら斬首は免れまい。
119日本@名無史さん:02/12/08 05:13
竜馬の本スレはどれ?
120日本@名無史さん:02/12/08 06:03
新撰組は一応「治安警察」だったわけで
「自称志士」らの商家に活動資金提供強要【総会屋】阻止
だ多かったのでは?
明治元勲の朋輩が切られたのは、池田屋事件くらい、では?
121日本@名無史さん:02/12/08 07:19
永倉新八最強。これ定説
122日本@名無史さん:02/12/08 15:00
永倉より芹沢の方が力は上だな。
123日本@名無史さん:02/12/08 15:18
04年の大河ドラマも主役は芹沢だしな。
124日本@名無史さん:02/12/08 15:25
うそつけ
125日本@名無史さん:02/12/08 16:04
芹沢<近藤、橋本<土方<永倉<小野<<沖田<<<<斎藤
ってとこかな。
126日本@名無史さん:02/12/08 22:21
斎藤一、天満屋では使い物にならなかったねぇ〜
127日本@名無史さん:02/12/08 23:07
真剣で勝負なんてことははじめからありえないから別として、近藤、土方、佐藤彦五郎の三人が、ある道場で試合をしたとき、土方が一番劣るといわれたそうだよ。
だから近藤<土方はないと思う。
128日本@名無史さん:02/12/08 23:14
道場剣術にはルールがあるだろ、今のスポーツと一緒だ。
実戦は一回限りだったりする。
129日本@名無史さん:02/12/08 23:28
実戦は一回限りなら、それこそ味方同士でどっちが強いかなんて無意味だと思うが。
ところでなんで「始末記」を史料にする?あれはフィクション性の強いものだよ。もっと当時の史料にあたらないと。
130日本@名無史さん:02/12/09 00:10
>>129
>ところでなんで「始末記」を史料にする?

いまどき『新選組始末記』を史料扱いするやつなんていない思うが?
131日本@名無史さん:02/12/09 00:24
強い弱いと、勝ち負けは違う。
殺し合いも違うし。

殺そうと思う相手に大酒飲ませたか分らないけど寝所に忍び込んで惨殺。
あの時には思想はないだろうな、又戦国時代が始まるかっら我等も国持大名
と錯覚したんだろう。
132日本@名無史さん:02/12/09 00:46
>>131
お前、笑われるぞ。
あまりに無知だ。
攘夷思想のこと知らないのか?
133日本@名無史さん:02/12/09 00:55
強い弱いをいうなら、やっぱり道場での試合で図るしかないんじゃないのか・・。
真剣での一度きりの戦いは、強いほうが勝つとはかぎらない。
134日本@名無史さん:02/12/09 01:28
>昔4チャンでやってた「11PM」で仙台からの中継の時、
>司会者が土方が甲鉄艦に斬り込んだって言ってたことあったな。
>実際はそんな事無いんだけどね。
>仙台と言えば、官軍が仙台城を攻撃したときの仙台藩の死者は
>700人以上、それに対して官軍は10人位だったとか。
>これ以降、仙台藩士は腰抜けと言われたそうだ。
>だけど北越戦争では、官軍は苦戦したね。
>駒井とかの幹部が戦死してる。

仙台藩士は白石で官軍幹部の暗殺に成功してますが

と言っても我らが会津蕃と二本松蕃が幕軍最強!

こーいう事言うと庄内になんか言われそうだけど

135日本@名無史さん:02/12/09 01:33
>>132
尊皇攘夷は当時の流行思想だから、その後に流れが変わると転向者が
多数出ている。
136日本@名無史さん:02/12/09 09:30
>>132
当然だろ。佐幕反幕に限らずな。
137日本@名無史さん:02/12/09 16:23
弱いやつよりかは強いんじゃない?
138東日本大王ジーモン:02/12/10 20:49
芹沢鴨に男色趣味まであったら、歳さん危なかったかもね(w
139日本@名無史さん:02/12/10 21:13
気合だ!気合っ!
140日本@名無史さん:02/12/10 21:17
>>126
斎藤をかばった部下が重傷を負ってしまったんだよね。
けっきょくこの隊士は不随になって騎手になったそうだが。
141140:02/12/10 21:18
失敬。
騎手→旗手ね(w
たしか中島登も肖像を描いていたよな。
142日本@名無史さん:02/12/12 12:31
下半身の強さだったら鴨さんと同等以上か!?最強じゃん!
143日本@名無史さん:02/12/13 16:55
芹沢鴨って美男子だったらしいね。
144日本@名無史さん:02/12/14 00:49
結局、土方は函館で味方からの発砲により戦士。
辞世の句は「済まん。」
会津では武士でないため城に入れず、母成峠で戦うも
足に被弾し、長期間療養することとなった。
145日本@名無史さん:02/12/14 00:57
>>144
誰の小説ネタ?
146日本@名無史さん:02/12/14 01:30
>>144
「句」の意味知ってる?
新選組ヲタってしょせんそのレベルか。
147144ではないが:02/12/14 01:43
>>145
>誰の小説ネタ?

北海道在住の小説家Kの作品。
函館市長やドラマで土方を演じた俳優までが
著作に言辞を寄せた。

が、箱館戦争研究家の脇哲が当人を追求したところ
土方の戦死状況を伝える文書がフィクションであること
が判明。
以降Kは沈黙。
もちろん著作は絶版。
であったことが判明。
148日本@名無史さん:02/12/14 01:44
>144はヲタじゃないだろう。母成で被弾とは・・。

149日本@名無史さん:02/12/14 01:48
>>144
>会津では武士でないため城に入れず

なんという未熟な認識だ。
会津若松城に入城できなかったのは、城が籠城を開始したため。
土方の隊どころか出戦していた会津の部隊まで入城できなかった
のが事実。
150148:02/12/14 01:48
144は、全部Kの作品に書いてあるのか。そりゃむちゃくちゃだ。
しかし、それなら、すぐいいかげんなものとわかりそうなものだが。
151日本@名無史さん:02/12/14 01:52
>144
土方、宇都宮城退去からしばらくして足に負傷し
会津戦で戦えなかったのは事実。

鶴ヶ城で戦うつもりは最初から無いと思う。
新潟も二本松も陥ちているのにあんな所に篭っても袋の鼠。
さっさと放棄してさらに北で戦うのが上策。

土方は、何処かの御仁とは違って、
武士の美学をあてもない集団自殺と同一視してはいなかった。
あそこで死んでも犬死だし、事実そうだった。

土方の死亡時、函館陸側郊外の柵に陣取り督戦を行い、
一度退却してきた旧幕府軍をもう一度前線に向かわせることに成功している。
しかし、この軍がもう一度退却してきた時には土方は死んでいた。

流れ弾に当たったとも、
別の敗残旧幕府兵が、退却を止めさせようとした土方を撃ったとも、
終戦交渉をしていた榎本・大鳥が主戦派の土方を後ろから撃ったとも、
小説は如何様にも書いている。

しかしその後の停戦交渉を見る限り、榎本は無罪っぽい。
奴は最後まで「腹を切って終わらせる」と言っていた。

早乙女貢は会津士魂で、榎本に土方殺人の全ての責任をなすりつけ、
「会津人が土方の最後の味方だった」と、どの史料にもない捏造をしているが、
そんな中傷をするから、会津が旧幕府の間でも白眼視されるのだ、ということには
気付かない。
152日本@名無史さん:02/12/14 01:53
>>144
>母成峠で戦うも足に被弾し、長期間療養することとなった。

148の指摘通り、土方が足を負傷したのは母成峠ではなく、会津以前の宇都宮の戦いのとき。

ほんとうに新選組のことを知っているのか?
いいかげんなこと書くなよ。
153日本@名無史さん:02/12/14 01:56
>>150
Kの作品が対象としているのは箱館戦争以降ね。
154日本@名無史さん:02/12/14 01:57
無知なのは、144か?小説家Kなのか・・・。
155日本@名無史さん:02/12/14 02:01
いや>>144君にはとても勉強になったでしょう。
お礼の言葉のひとつも入れな、>>144君。
156日本@名無史さん:02/12/14 02:01
>>155
>鶴ヶ城で戦うつもりは最初から無いと思う。

水を差すようだが、城外での戦闘を止め、入城しようとして
果たせなかったことは隊士の島田魁が述べていたと思うが。
157日本@名無史さん:02/12/14 02:09
>>156
その通り。土方が会津で戦うことを断念したのはもっと後のことであって、
救援を求めるために、わざわざ新選組本隊を大鳥に委ねているほど。

つまり援軍を引き連れ再び会津で戦う意志があったということ。
土方と共に新選組も会津から出国したと認識している者も多いようだな。
158日本@名無史さん:02/12/14 02:13
なるほど、勉強になりますた
159日本@名無史さん:02/12/14 02:16
幕府軍の越し抜け共が、新撰組生き残りを指揮官にして、罪を被せようとしていた
のは、土方自身も感じていただろうな。
近藤の最期を知っているわけだから。
160日本@名無史さん:02/12/14 02:20
土方名将。
161日本@名無史さん:02/12/14 02:29
>>159
>幕府軍の越し抜け共が、新撰組生き残りを指揮官にして、罪を被せようとしていた

俺も箱館戦争の経緯については勉強したつもりだが、ちょっとその意味はわからない。
具体的にはそれはどういうこと?
小説の話ではなくて?
162日本@名無史さん:02/12/14 02:33
>>161
だね。
「幕府軍の腰抜け共」とは具体的にはどの顔ぶれなのだろう。
「幕府軍」という言葉自体も疑問だが。
163日本@名無史さん:02/12/14 02:38
わからんね。榎本や松平太郎はもちろん、大鳥でもないし・・・
誰のことを指しているんだろうね<罪を被せようとしていた
164日本@名無史さん:02/12/14 02:40
土方と河上彦斎って相通じるものがあるよね。
俺は幕末の中でこの二人が好きだ。
165日本@名無史さん:02/12/14 02:49
159が沈黙してしまいますた。
166日本@名無史さん:02/12/14 08:34
やっぱり土方は生き残ってたら、処刑されたのかねぇ。
榎本や大鳥が殺されずに、土方だけってことがあるだろうか。
新政府に有用ってことなら、土方だってそうだと思うが。
近藤だって、処刑は土佐の暴走の結果であって、許される可能性だってあったわけだし。
167日本@名無史さん:02/12/14 09:05
土方が新政府に有用?
呑百姓のただの人殺しの下郎がどうして?
168日本@名無史さん:02/12/14 09:11
ダサツマは全員ドン百姓だからなぁ・・しかも部落だし
169日本@名無史さん:02/12/14 10:53
薩摩藩兵>>新撰組
桐野>>土方
170日本@名無史さん:02/12/14 11:25
土方(新撰組)は敵を殺した数よりも味方を殺した数のほうが圧倒的に多いい。
とても陰湿な集団だ。
このような連中を処分するには切腹よりも、より陰湿な打ち首のほうがお似合いだろう。
元の身分にも照らしても相応しい。
171日本@名無史さん:02/12/14 11:40
確かに味方を殺した数の多さは、新撰組の大きな問題点。
しかし身分・階級を判断に持ち出すとはね。官軍寄りにしては明治維新の意義軽く見てるな。
土方は百姓とはいえ、西側の下級武士よりはずっと豊かであったろうよ。

とはいえ、169のような評価はあって当然ですよ。
172日本@名無史さん:02/12/14 11:59
土方は百姓であることに強い劣等感を持っていたのだろう。
武士階級に対する異常な執着心なんかみてもそうだ。
でも、土方の忠義って誰に対する忠義なのかな?
主君のいない忠義などただの言葉遊びに過ぎないしね。
 もちろん幕臣になる前の話だよ。
 土方の武士道とは寺小屋で聞いた「退廃的な江戸武士道」であって、鎌倉、戦国の
武士道は知るはずもないだろう。
173日本@名無史さん:02/12/14 12:38
土方って寺子屋で初等教育受けたんだろうか?
174日本@名無史さん:02/12/14 12:42
一応、豪農の出で江戸の大店に奉公した経験もあるからな。
寺子屋くらい行ってるだろう。
175日本@名無史さん:02/12/14 12:42
土方はゴリラーマンの藤本と通じるものがある
176日本@名無史さん:02/12/14 13:06
新撰組の秩序は、相互監視と密告と粛清によって保たれていたのであり、
重苦しくじめじめとした陰鬱な集団である。
 もし、この中に西郷・大久保・高杉・坂本といった人物がいたと想像
してみる。  なんと似合わないことか!
 
 西郷の持つ巨大な感情は正反対な冷徹な集団を受け付けないだろう
 高杉の洒落はこの連中には通じないだろう。

いやらしくて、遊びなく、猜疑に満ち、陰鬱な連中、これが新撰組であり、
土方のキャラと瓜二つだ。
 
 
177日本@名無史さん:02/12/14 13:24
ほんとうに「遊びなく」ならまだしも、
幹部だけが妾を囲い、遊郭通いなどを
し放題だった。旧ソ連みたいだよね。
178日本@名無史さん:02/12/14 13:49
土方は身分制緩やかな天領呑百姓。単純にお上は偉いと思い込んでいたんだろうな。
武士の衣や刀に憧れて真似してみたかったんだろう。
 
179日本@名無史さん:02/12/14 13:53
新撰組の墓に集う奴らって盲目に等しいよね。
180日本@名無史さん:02/12/14 15:43
何か、必死なヤツがいるなぁ。
181日本@名無史さん:02/12/14 16:47
基地外の程は土方と同じくらいかもね
182日本@名無史さん:02/12/14 16:49
土方がある意味、狂人めいていたかも、というのは同意する。
ていうか、幕末の志士のかなりの人数がそうだったんじゃないかと。
183日本@名無史さん:02/12/15 09:19
土方は人を信用できないんだろう
184日本@名無しさん:02/12/15 16:56
脇哲氏が批判した人物とは誰?書名と著者名で知りたい。
185日本@名無史さん:02/12/15 19:28
土方が最初の奉公先を飛び出したのは
そこの番頭に掘られそうになったからって噂聞いたんだけど
これは嘘だよな?
186日本@名無史さん:02/12/16 09:27
奉公先の女に手出して、首になった。
187日本@名無史さん:02/12/16 09:46
>186
それは二度目の奉公の時だね。
188日本@名無史さん:02/12/17 21:02
>185
嘘も何も、帰ってきた理由なんてわからないよ。
189日本@名無史さん:02/12/17 21:36
しかし、あの土方が商家の奉公人だった姿は想像できない・・・
>>185
まず商人にホモはいなかったと思われ。
男色家は武士・公家・僧侶・神官。
191日本@名無史さん:02/12/17 23:05
考えてみりゃ、なんで二度目の奉公を首になった理由ははっきりしてるのに、
最初の奉公の方は曖昧なんだろう?
192日本@名無史さん:02/12/17 23:26
スレ違いスマソ。

>>115
>仙台と言えば、官軍が仙台城を攻撃したとき
実際はそんな事実無いんだけどね。
仙台藩は領内に本格的に攻め込まれる前に降伏しとります。
>仙台藩の死者は700人以上、それに対して官軍は10人位
それは白河城攻防戦。会津・仙台・旧幕・奥羽諸藩の連合軍二千五百が
伊地知正治指揮の官軍八百にボロ負けした戦ね。
約七百(しかも以上じゃなく、六百八十前後)の死者も連合軍合計の死者で
仙台藩だけなら百を越えてないし。仙台藩だけで七百人も死んでたら、
仙台藩の戊辰戦争での戦死者の半分以上がこの戦で出た計算になってしまうよ。
193日本@名無史さん:02/12/18 01:52
>>192
遅レス、カコワルイ。
誰も読まないって。
194日本@名無史さん:02/12/18 08:54
>>192
どっちにしても、仙台藩だめぽ。
195日本@名無史さん:02/12/18 22:15
土方に商家の手代などつとまったのだろうか?
作り笑顔で揉み手するトシさんなんて想像できん。
196日本@名無史さん:02/12/18 23:04
>>195
務まらなかったから出奔したんだろ。
もっとも、土方が無愛想だったというのは
小説による思いこみだろう。
日野時代はそこそこ愛敬があったというぞ。
197日本@名無史さん:02/12/19 00:07
文献によると、人当たりはいいが、土方を毛嫌いする者も
いたそうだ。
198日本@名無史さん:02/12/19 00:39
>>190
丁稚に手を出す番頭は結構いたらしいYO。
199中村太吉:02/12/19 01:54
俺生粋の同時代人だけど土方はすげー腰の低いあんちゃんだったよ。
いつも近藤のいうことには「ハイ、ハイ、」って答えてたし。
商家で礼儀作法仕込まれてたのもあって丁寧な性分だった。
豪傑面してるあの集団の中では異彩を放ってていろんな雑事に重宝がられてたなぁ。
ここだけの話石田さんは目が斜視ぎみだったんだけどね。
近藤道場で一番強かったのは近藤は別格として長倉だね。そのあと山南、沖田、斎藤、
まぁ天然理心流で一番強かったのはダントツで真田なんだけどさ。
とにかく多摩にいたころの石田さんはすげー優しい人だったよ。

200中村太吉:02/12/19 02:12
近藤はちょっと、というかかなり我侭だったよ。試衛館の頃から。
道場主だからそんなもんかもしれないけどさぁ。かくいう俺も出稽古先増やす為にと四六時中稽古付けにいってたよ。
あの当時他道場より天然理心流どうしの勢力争いが酷くてさ。営業するの大変だったぜ。
沖田は近藤には諂ってたけど門人には結構でかい態度取るんだよね。
近藤って若い奴を贔屓するんだよね。むかつく。石田さんだけだよ。俺らに気使って呉れたのって。
そういう意味で長倉とか実力が折り紙付きの剣客が居て呉れたのは嬉しかったなぁ。
稽古で沖田の鼻っぱしら叩き潰したのには内心拍手喝采だったよ
201日本@名無史さん:02/12/19 02:51
>>199
申し訳ないがつまんないよ。
もう少しコンパクトに。
202日本@名無史さん:02/12/19 19:42
上野松坂屋の大得意先は寛永寺の僧侶たち。
だから何だってことでもないんですが。
203日本@名無史さん:02/12/19 21:31
>202
てことは…(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル
204日本@名無史さん:02/12/19 21:48
坊主に掘られたってことかい?
205おてもやん:02/12/19 22:27
私の祖母の祖母が
土方が奉公先を首になった際の原因となった女性だったそうです。
首になったあとも手紙のやり取り、逢引はしていたそうです。
というか、私の祖母の祖母が土方に責任を取れとか、金を無心
したりしつこく付きまとったようですが、、、

土方がシエイ館に入ったり、京都にいったり函館までいったのは、ひとえに私の
祖先から逃げたかったからだとか?一度は包丁で2.3度刺し、逃げる土方を全裸で
追いかけたこともあるそうです。

私の家に伝わる口伝では土方は相手の攻撃に対して目をつぶる癖があるらしく、
一撃目の攻撃はできても、それをよけられると道場でコテンパンにされていた
そうです。あと、多摩時代は私の祖先の影に絶えず怯えてパッとしなかったそうですが、
京都に出てから、その呪縛から開放されたのか活躍するようになったそうです。
206日本@名無史さん:02/12/19 22:33
>>205
コピペ
207日本@名無史さん:02/12/20 10:34
TVでやってた幕末純情伝が結構面白かったのでage
208日本@名無史さん:02/12/20 11:11
餅をあげよう
209日本@名無史さん:02/12/20 16:08
河上彦斉と土方の共通点ってどういうところなんですか?
性格とか?
210日本@名無史さん:02/12/20 20:54
>>209
生き様だろ
211日本@名無史さん:02/12/20 20:55
無様な生き様がか?
212日本@名無史さん:02/12/20 22:39
無様結構じゃないか!そこがいいんだよ。でも211は賢く、器用に生きた人間がすきなんだろうな。
213日本@名無史さん:02/12/21 00:36
まぁ土方も彦斎も、仲間に死に後れたと常々意識し
いずれ自分も死ななければならないと自覚していた
という点では、確かに共通するところがあるな。
214日本@名無史さん:02/12/21 02:10
>>193
そんな事言うな。遅レスは日本史板では普通だよ。
215日本@名無史さん:02/12/21 07:37
餅をageよう
216日本@名無史さん:02/12/21 11:04
新撰組オタの娘さん達が土方についてさわいでるの見るのはうんざりだが…。

近藤と違って土方があきらめ悪く戦い続けた事が、武士として潔かったかどうかは
ともかく、明治日本におおいに貢献したことは確かだ。

普通、戊辰を戦い続けた幕臣達は、明治日本の出発を邪魔した存在に見られるが
(確かにいなければもっとスムーズに明治が始まったろう)、実は彼らと戦う事に
よって、明治新政府の軍人達を教育することになり、それが日清日露の勝利に
つながったともいえる。日露戦争で軍を指揮した大山巌達は、度重なる血みどろの
内戦を戦い抜き、机上では学べない重要な何かを学び、それが日露戦争を見事に
のりきった戦略眼(戦術でなく内需外交も含めた戦略ね)を養ったのだ。
いわば、土方は肥やしになったのだ(宇都宮戦などはいい教育になっただろう)。

…だが、昭和の15年間に及ぶ戦争の指揮官達は、日露戦争の教訓を見事なまでに
忘れ、あるいは曲解し、敗北してしまった。そこにはやはり(せいいっぱい戦った
昭和の防人達にしつれいなのであまり言いたくはないが)血しぶき舞う斬り合いを
若い頃に経験し武人として完成された明治の軍人と、ただただエリートとして教育
され、戦場というものを知らなかった官僚軍人の差があったのだろう。
217日本@名無史さん:02/12/21 11:28
>>216
昭和の兵隊もあんまり評価できんよ。
頑張った点は認めるが、悪名高い下士官や上等兵は日本軍の恥。
自国の同胞を虐待するような兵隊は非難されて当然。
スレ違いになったので、これくらいにしときます。
218216:02/12/21 11:58
>217
同意するよ。
…それでも健気だったと思う、あの時代までの兵隊というか日本人は。

それに比べて今の日本は……(泣。
219日本@名無史さん:02/12/21 23:57
>>216
そういや、宮古湾海戦には若き日の東郷平八郎も参戦していたんだよな。
もっとも接舷戦法を提案したのは土方ではなく、甲賀源吾だが。
220日本@名無史さん:02/12/22 03:10
餅をageよう
221日本@名無史さん:02/12/22 08:56
頂きます
222日本@名無史さん:02/12/24 09:32
昔、老婆から「戦争のときは、怪我をして血だらけの兵隊さんが沢山船で
運ばれてきて大変だった。」という話を聞いた新聞記者が、太平洋戦争
のことかと思ったら、戊辰戦争の時のことだったという逸話があるぞ。
223日本@名無史さん:02/12/24 10:52
>>222
よく知られる逸話だが土方の強さと関係がないじゃん。
意味不明。
224日本@名無史さん:02/12/24 16:13
桐野>別府>土方>辺見
225日本@名無史さん:02/12/24 16:25
s







>>224
辺見十郎太は敵の剣ごと縦に両断した猛者だぞ
226日本@名無史さん:02/12/24 18:06
桐野>別府>辺見>土方
227日本@名無史さん:02/12/24 22:16
土方のファンって、土方が剣士としてそれほど強くなくても別にかまわないんじゃないのか?
自分は土方の場合、司令官として有能なら、個人的剣技などどうでもいいと思うんだが。
228日本@名無史さん:02/12/25 23:36
餅をageよう
229土方に一票!:02/12/30 17:00
土方って、日清・日露戦争あたりまで生きてたら…
良い司令官になったろうな!
西南戦争でも、きっと良い攻撃したと思うよ!
230日本@名無史さん:02/12/30 17:19
>>229
根拠が不明。
231土方に一票!:02/12/31 09:00
230>よ…
煽るな!禿が!
232  :02/12/31 11:32
豪農は、名主=みょうしゅ で、上昇すれば、大名に成っていたのだろう。
それに近い郷士層等から、新撰組の連中や、志士が多く出ている。
経済的には、下級武士よりも明確に豊かな層からです。
233日本@名無史さん:02/12/31 12:18
素手の土方歳三、日本刀を持った一般人(漱石とか)、ニホンオオカミ。

戦ったら誰が一番強い?
234日本@名無史さん:02/12/31 13:27
土方だったら、素手でも刀を持った一般人に勝てそうな気がする。
だがニホンオオカミに素手で勝つのは無理だろう。

問題は、一般人が刀でオオカミに対抗できるかってことだな。
235日本@名無史さん:02/12/31 22:15
一般人が刀持っても、ほぼバットの役目くらいにしかならないような・・・。

梅の花 一輪咲いても 梅は梅
236日本@名無史さん:03/01/02 01:13
本人がそうやって生きたんだから死んでこんなにたってから他人がとやかく言ったって何にもなんないんじゃないの。
237日本@名無史さん:03/01/02 13:04
素手の人間が戦って勝てるのはイヌ科の動物までらしい。
急所をやられない限り、ねじふせてなんとかなるとか・・・

素手の土方vsニホンオオカミ、いい勝負になりそうだ。
238日本@名無史さん:03/01/02 14:12
土方は函館で降伏してたら100%斬首されてたね。
薩長の志士を殺しすぎ。
万一、生き残って日露戦争に参加しても、大山や児玉みたいな
名将になるのは無理。旧幕府方だから。
239日本@名無史さん:03/01/02 14:17
立見尚文と比較するとどうよ
240日本@名無史さん:03/01/02 14:28
土方は洋学書生でも伝習士官でもないからね。
生き残っても、佐川官兵衛みたいに西南戦争で戦死してたかも。
241日本@名無史さん:03/01/02 14:39
箱館政権のメンバーで刑死したヤツはいないだろ。
首魁の榎本、大鳥が助かって土方一人が斬首ってことはあるまい。
獄死しなければ、中級官吏か士官で平凡な生涯になってただろう。
242日本@名無史さん:03/01/02 17:20
>238
薩長の志士を殺したって、誰を?何人くらい?
池田屋意外で教えてほしい。

単なるイメージでいってはいないのなら、教えてほしい。マジで。
243日本@名無史さん:03/01/02 17:32
そもそも新選組が薩摩にうらまれる筋合いはまったくない。薩長同盟までは味方だった。新選組がうらむことはあったかもしれんがな。

近藤の刑死にだって、薩摩は反対していたわけだろ?
244日本@名無史さん:03/01/02 20:35
>>243
そうだな、一部の将兵が独断で決めたらしいし
でも新撰組にいい感情を持ってると思えないが
245日本@名無史さん:03/01/02 21:28
坂本竜馬も新撰組にやられたという説もある。
新撰組を統括していたのは、実質土方だから、
竜馬は土方にやられた可能性もある。
坂本は土佐だけど、西郷の手下の様な存在だったそうだ。
246日本@名無史さん:03/01/02 22:38
近藤の刑死や、土方がどうなったかという問題は、竜馬のことより、高台寺党との関係を考える必要があるように思う。

しかし土方については、幕府側の人間の語り残しはあるが、官軍側のはなくて、実際どういう風に思われていたのだかわからない。
実質的に組を統括してた、などという認識が官軍側にあったとは思えない。
247日本@名無史さん:03/01/03 00:16
坂本を殺ったのは西郷方の間者らしいぞ
うちの曾祖父が言ってたもん
『ありゃぜったい西郷どんの仕業っだ』ってさ
248日本@名無史さん:03/01/03 12:43
土方には、沖田の様に、池田屋で喀血したとか、いつも冗談ばかり
言ってたとか、若くして一番隊隊長だったとか、死ぬ前に猫と戦った
とか、若くして死んだとかのエピソードが無い点、いまいちだ。
修正した写真が無かったら、ただの殺し屋だっただろう。
(鞍馬天狗の敵役として。)
249日本@名無史さん:03/01/03 12:46
やっぱり土方ファンって、あの写真の影響が大きいのか。
250日本@名無史さん:03/01/03 12:49
えー。石田散薬いらんかえー。
251日本@名無史さん:03/01/03 20:24
>248
あなたがご存じないだけで、エピソードは山のようにありますよ。
おそらく新選組の中で一番わかっている部分の多い人物でしょう。
それから、池田屋で沖田が喀血した可能性は薄く、猫の話は創作です。
252日本@名無史さん:03/01/04 12:48
>>251
沖田は池田屋で多数の敵に斬りこんでいる。
刀が折れるほど戦った。若くして死んだ。
土方は池田やでは後から参戦したのみ。戦闘の記録なし。
瓦解するのが分かっている旧幕府軍に付いて行き、どうにか生き延びようと
したが、なんと味方から撃たれ死亡。鳥羽・伏見以降は無いほうがいい。
253日本@名無史さん:03/01/04 20:25
>252
沖田ファンということはわかりますが、一言。
真に沖田ファンならば、新選組始末記を史料としてはいけません。
あれはフィクションです。

沖田にはまだわからないことが多いので、しっかり研究して新選組ファンに還元してください。
254日本@名無史さん:03/01/04 20:33
まあ、沖田ファンと土方ファンで喧嘩するなw。
255216:03/01/04 22:39
彼の指揮官としての実力はそこそこ認めて良いと思う(つまり彼が率いた集団は
強かった)。

まず、京都での警察行動は決して戦争ではなかった。その為銃砲は使わず、
もっぱら小集団による、強制執行がメインだったわけだが、これに関しては文句なく
土方は才能を発揮したと言っていいんじゃないだろうか。綺麗な戦い方にこだわらず
粛々と任務をこなし、その武名でもって京都の治安を可能な限り守った才能は、
誉めていいだろう。後の時代でいうと秘密警察の長みたいな役回りをさせれば、
日本の歴史上最も優れた人物の一人かもしれない。
256日本@名無史さん:03/01/05 02:40
写真見て思ったんだけど、土方のちんこってでかくないか。
257日本@名無史さん:03/01/05 11:59
うーん、よくわからんな。

新撰組始末記・新撰組遺聞が実録ノンフィクション

新撰組物語が小説

でいいの?
新撰組研究では始末記は欠かせない資料だと思っていたがそうではないのかな?
258コヴァ:03/01/05 15:41
幕末を生き残ったら、どうなったか?
赦免され、榎本が海軍卿になったくらいだから、陸軍卿くらいは任されたかも知れん。
259日本@名無史さん:03/01/05 16:09
榎本が出世できたのは、テクノクラートととしての知識・能力によるもの。
剣術しかできない土方じゃ、普通の士官か官吏ってとこでしょう。
260日本@名無史さん:03/01/05 17:53
土方は仙台に榎本と行ったとき、訳分からないこと言って
馬鹿にされたらしいぞ。
261日本@名無史さん:03/01/05 17:56
>>258
そんな可能性はゼロ。
せいぜいお巡りさんの幹部クラス。
262日本@名無史さん:03/01/05 18:06
明治になってからも元新撰組隊士狩りは行われている。
生き残ったとしても変名潜伏するしかあるまい。
263日本@名無史さん:03/01/05 18:13
五稜郭開城時点で降伏しておれば、処刑はされてないはず。
榎本、大鳥ら箱館政権幹部同様に禁固刑ののち、赦免されたであろう。
264コヴァ:03/01/05 20:15
薩長の士族に不満が高まってくると、却って警察なんかでは旧幕臣や賊軍出身者を登用し始める。
そのお陰で会津藩家老だった山川浩や佐川官兵衛が、陸軍や警察の幹部になれた。
西南戦争まで生きていれば、土方が山県有朋に代って征討軍を指揮したかも知れない。
265日本@名無史さん:03/01/05 20:19
>259
陸軍卿は無理かもしれんが、剣術しかできないってことはない。
むしろ彼の剣術の腕はそれほどのことはなかったろう。
つうか、明治の軍隊に剣術ってどれほど実戦の役にたつんだ。

>260
兄と弟のあれですな。馬鹿にされたのは事実。

>262
隊士狩りはただ、新選組であったというだけで捕縛されるということではなく、個々の事件によるものや、私怨による暗殺等だろう。
新選組であることを隠したいなら、改名だけで潜伏の必要は無かろう。
斎藤一は改名で警官に採用されている。

266日本@名無史さん:03/01/05 20:20
賊軍とはいえ幕臣や代々の武士と、土方を比較するには無理があるだろ。
267日本@名無史さん:03/01/05 20:27
>>265
会津藩士・藤田五郎は変名だろ。
268日本@名無史さん:03/01/05 20:44
>>266
土方も一応旗本待遇だった訳だが・・・・
269日本@名無史さん:03/01/05 20:50
>>268
江戸に帰ってからの速成旗本な、近藤なんて大名だ。
270日本@名無史さん:03/01/05 21:16
近藤が旗本になったのは、慶応3年6月ダネ。
土方だって幕臣になったわけだ。

大鳥は医者の子だし、榎本だって、身分の高い幕臣だったわけじゃあるまい。
271日本@名無史さん:03/01/05 21:19
>>268
慶応3年(大政奉還前)に見廻組格で旗本になってたはずだが。
272日本@名無史さん:03/01/05 21:40
慶応3年に御目見え以上(旗本)になったのは近藤のみのようだ。
273日本@名無史さん:03/01/06 12:09
>>272
そんなことぐらい今どき誰でも知ってるよ。
274272:03/01/06 15:17
誰でも知ってるかどうかは知らんが、271にレスしただけだよ。
慶応3年に土方は旗本にはなっていないといっているのだが。
275日本@名無史さん:03/01/07 16:39
>258
遊び的な思考なら面白いやね。
陸軍卿は無理があるとしても立見尚文の例から考えると日露戦争時に中将クラスにはなれたかもしれん。
一個師団率いてロシア人相手に戦う土方歳三ってのも中々良いかも。 あくまでも遊びとして。
276日本@名無史さん:03/01/07 16:52
あくまで遊びなら・・・。
日露戦争だと70近いから前線にでるのはきついかも。
それより日清戦争。海戦の勉強をしてもらって、北洋艦隊と決戦。

しかし、日清戦争だと、いい勝負って感じじゃないから、面白みがないか。
277コヴァ:03/01/07 21:33
>>275
その前に台湾征討あたりで、マラリアにやられ戦病死したかも知れん。
278日本@名無史さん:03/01/07 22:09
小説しか知らないけど服部武雄が一番じゃないのかな?
油小路だっけ?どうなんだろう?
279日本@名無史さん:03/01/07 23:24
>>278
また半可通が現れた。
服部が強かったのは事実だが、剣腕が服部より勝っていた者は
さらに数名いたの。
服部は高齢者だしね。もう少し若ければ師範にはなれたかも。
280日本@名無史さん:03/01/08 00:08
a
281日本@名無史さん:03/01/08 01:32
そもそも誰が一番強いかなんてわかるはずのないものを決めるのは無意味だ。
282山崎渉:03/01/11 16:51
(^^)
283山崎渉:03/01/16 08:57
(^^)
284bloom:03/01/16 09:18
285日本@名無史さん:03/01/19 15:07
素手の土方と日本刀を持った漱石、どっちが強い?
286日本@名無史さん:03/01/19 16:30
漱石。
287日本@名無史さん:03/01/20 14:03
漱石が刀をふりまわせば、土方は近づくこともできない。
288日本@名無史さん:03/01/22 10:50
土方、漱石の顔めがけ砂礫を投げつけ目潰し。
怯んだ漱石に足払いを掛け、刀を奪った土方の勝。
刀を持ったってだけの素人相手に土方が負けるわけ
なかろう(藁。
289日本@名無史さん:03/01/22 15:22
で、なんで漱石が出てきたの?(藁
290日本@名無史さん:03/01/23 15:21
刀+漱石VS土方なら土方の勝ちかもしれんが
刀+太宰VS土方なら太宰の勝ちだろ!!
太宰は柔道やってたし。長身だし。
291日本@名無史さん:03/01/23 15:26

              \    │   ハァ?     .| ./ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/
___       ___ .\   |               |/ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
|ハァ?|       |ハァ?|  \.└――──―──/ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
 ̄∩( ゚Д゚ ) 〃 ̄∩( ゚Д゚ )\  ヽ(゚Д゚ )ノ   ./ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
  ヾ.    )    ヾ.    ) \∧∧∧∧∧/ /(゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ? (゚Д゚)ハァ?/  /
  | | |      │ │ |  .<     激 >.| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  /
  (__)_)    (__)_) <    ハ し >.|    (゚Д゚)ハァ?  最 中  | ./
────────────<    ァ  く >────────────────
|o ゝ○ノ|     ::/^'ヽヽ:::::::<   ?    > / ○   _ ○\   /
.ヽ( )_,,ノ      |ゝ○_ノ o|:::::<        >(      ││   )<  / \ ア ?
^''     `‐'   ヽ..,,_( )ノ  ::l<       > \    丿 |   /   \
~~   ( / ̄ ̄ヽ    -‐‐‐--l-∨∨∨∨∨.  /     ̄ ̄   \    \____
 ,,,, |  |||!|||i|||!| |   ~^'‐..,,_/  /. ____.\(            )
(:::::}| :| |ll ll !! !.| |   ,,,,  イ ~''/  Ю)__) \           /
. ~~ | :|!! || ll|| !!:| | {:::::) ::l ./   | ゚Д゚.| ハァ? . \    |    |(゚Д゚) ハァ?
.   | | !     | l  ~~  l /    ^^^^^        \.   \    \⊂)
     `ー--― 'ノ     /                  \.   )    ) |
292日本@名無史さん:03/01/23 16:55
どうせなら、斎藤とか沖田と漱石を戦わせたほうがよかないか?
土方は剣がそれほど強かったとは思えない。土方の剣の強さを示す逸話なんてあったっけ。
293日本@名無史さん:03/01/23 16:56
>>43が読んだのはなんて名前の小説だろう?
294日本@名無史さん:03/01/24 00:20
>>43はノンフィクションしか読まないらしいよ。
295 :03/01/24 00:34
土方って竜馬の身体のデカさにビビって何もできなかったヘタれですね。
296日本@名無史さん:03/01/24 11:19
北方謙三の本で「黒龍の柩」っていうのが出ている。土方たちがいかにも
人斬りのプロといった感じで描かれている。
慶喜が津軽に潜伏したり、坂本が西郷に暗殺されたりと、小説だから正史とは
違うのだろうけど、なかなか面白いよ。

あ、俺は高杉と長岡の河井が好きだ。
297日本@名無史さん:03/01/25 05:30
餅をageよう
298日本@名無史さん:03/01/29 12:30
同age
299日本@名無史さん:03/01/29 16:52
>>295
マジなの?
300日本@名無史さん:03/01/29 22:06
土方は近代戦術家としては非常に優れている。
剣名だけで陸軍奉行並になった訳ではないよ。
少なくとも大鳥より評価が高かった。
しかも敗走中に戦いながら、洋式軍事を学んだと言うところは賞賛に値する。
301日本@名無史さん:03/01/29 22:39
やっぱり吉村貫一郎じゃないの?
302日本@名無史さん:03/02/02 15:06
吉村って、同時代史料で強かったっつう逸話残ってるの?
303日本@名無史さん:03/02/02 21:40
どかたって誰?
304日本@名無史さん:03/02/02 22:42
>300
自分もそう思います。刀槍から銃砲への切り替えに変なこだわりを
もたなかった。きっと「和魂洋才」を身をもって知ったのでしょう。
根っからの「喧嘩屋」だったんだね。
305日本@名無史さん:03/02/02 22:44
マシンガンズじゃないけどさ、某ライヴ行ったら男の客同志で喧嘩始まって最悪。
殴られてふっとばされた奴が私にもろぶつかってきたからなだれみたいに倒れて前に
いた女の子の頭に顎ぶつけて舌噛むわ、唇切れるわで流血だよ。
止めに入ったスタッフにまで殴りかかってほんと滅茶苦茶。
後で理由を聞いたらモッシュした人の足が頭に触ったからむかついて殴ったらしい。
んな事で切れてんじゃねえよ!
でも先日の武道館行ったら周りに野郎が多くって(パンサー側の2階席)
突き上がる拳とオイ!オイ!オイ!の掛け声に燃えさせてもらった。
武道館にいた野郎、ありがとね。
306日本@名無史さん:03/02/03 15:41
>>304
お前・・・「燃えよ剣」とか好きだろ。
307日本@名無史さん:03/02/03 16:46
>>306
そんなことは土方に限ったことではない。
大鳥だって古屋だってそうだろ。
308日本@名無史さん:03/02/08 01:22
土方=五尺五寸=165cm
309南部:03/02/08 19:15
御申す訳ながんすが、吉村先生が一番
310日本@名無史さん:03/02/08 19:16
吉村だ
311日本@名無史さん:03/02/09 00:37
↑最近壬生義士伝見たヤシと思われ ( ´,_ゝ`)プッ
312日本@名無史さん:03/02/09 03:58
土方って 中村半次郎と剣を交えたことあるの?京都では すれ違いになってるんじゃ(新選組が勢力もってた時は薩摩を斬ってはいけなかった)らしいけど!鳥羽伏見で交えたのかな?
313日本@名無史さん:03/02/09 04:30
五尺五寸166〜169。 それから新人物社「幕末没者名簿」みても新選組の没者はほとんど 同士打ちや切腹。長州や倒幕派との戦いにて没はほとんどない(池田屋かスパイ粛正くらい)よって新選組は敵と剣をあまり交えてないとみた。鳥羽伏見以降は分からないけど
314日本@名無史さん:03/02/12 00:52
新選組は剣を交えてなかったんではない。
集団戦法を取っていたため隊士の消耗が少なかったのだ。
たまに討幕派ヲタが1対多数なんて卑怯だと喚くが勘違いも甚だしい。
新選組は別に討幕派と試合をしていたわけではない。
彼等は公儀に認められた正式な治安部隊だ。
手向かうものには切り捨て御免の赦しも貰ってる。
つまり、当時の京においては新選組が機動隊で
討幕派が過激派だったわけ。
機動隊員が革○と1対1で闘わなかったからといって
卑怯だなどと言うアホは普通の人間には居るまい。
通常、治安部隊に求められるものは如何に効率よく取締りをするかで
その点、新選組の取った集団戦法は非常に理に適う。
よって、新選組隊士の死因はそのような基準にはならないと思われ。

ちなみに鳥羽伏見ではすでに薩長の主力は銃に移行していた。
その結果、刀剣中心だった旧幕側はコテンパに。
新選組、会津などが多少踏ん張るも所詮は銃には敵わず。
現に土方自身が江戸引き上げ後に依田某に
「刀は役に立たなかった」と述懐している。
315日本@名無史さん:03/02/17 13:54
たとい身は 蝦夷の島根に朽ちるとも
我が魂は、君を守らん

     だっけ、辞世の句は
316日本@名無史さん:03/02/17 13:59
弱いよ
この前、ちょーしくれてるからちょっとぼこったら、土下座してたよ(藁
317日本@名無史さん:03/02/19 03:27
>315
魂は東の君を守らん

とかではなかったかと。
しかしこれはホントに土方の辞世なのか?
吉田松陰の辞世にすっげ似てないか??
でも出所は結構まともな史料なんだよな…確か。
318日本@名無史さん:03/02/20 02:42
ちがうよ。『両雄逸事』が正しい。

よしや身は蝦夷が島辺に朽るとも
魂は東(あずま)の 君やまもらむ(原文は万葉仮名)
319日本@名無史さん:03/02/20 02:48
マジバナでワルイんだが、オレ、ビルダーね。
ドカティとタイマン張って勝ちまくりよ。
ケンカっていうのはよ、力が決め手なんだよな。
320秋田在住:03/02/20 02:53
生き残った奴が強いのね。

よって平安から廃藩置県まで生きた佐竹一族って事で問題ねーな?
321日本@名無史さん:03/02/20 02:55
幕末で目立った地域はうらやますぃな。
322日本@名無史さん:03/02/20 10:38
土方はよく大鳥と比較されがちだが、こんな見解もあるよ。
土方が指揮官としてその能力をフルに発揮出来るのは小〜中規模部隊を
統率した時で、万を越える大部隊を駆使して戦略、という場合は
大鳥の方が知識も手腕もあって、土方の及ぶところではない。
そもそも二人を比べる事自体が不適切であり、二人の役所は異なる。
昔の合戦で言えば、総大将(後方指揮者)と侍大将(現場指揮官)を比較するようなものと言える。
やはり土方の場合は戦略家ではなく局地戦の戦術家と呼ぶべきではないか。
323日本@名無史さん:03/02/20 19:34
>>322

土方は戦場だけを見る戦術家てのに同意。
だからこそ新撰組は、時勢に取り残された。
324日本@名無史さん:03/02/20 20:08
土方に戦略性を求めるのは酷だと思うけど?
もともとは、剣術が達者な一青年だったんだし、
むしろ、戦術の才能があったことをほめるべきじゃないかと。

>>323
例え倒幕が時勢だとしても、新撰組が倒幕側につくとは思えないな。
325日本@名無史さん:03/02/20 20:14
頓死したのが気の毒だね
326日本@名無史さん:03/02/20 20:29
>>325
頓死というより戦死じゃないか?
327日本@名無史さん:03/02/21 00:15
機を見るに敏な新選組になんの魅力もあるものか。
しかしその時勢に乗った官軍側の諸隊だって、ものの見事に時勢に取り残されてある意味新選組より悲惨な末路をたどったやつらもいるしね。

あげくに、結局士族の反乱を起こすなど見苦しいかぎり。
328日本@名無史さん:03/02/21 00:43
>>327
新撰組の魅力ってのは、機を見るに敏かどうかではなく、
人間が魅力なんじゃないかな?
329日本@名無史さん:03/02/21 01:09
確かに官軍の隊にはあまり魅力を感じないな。
330日本@名無史さん:03/02/21 01:17
ほんとに強かったってさ。
331日本@名無史さん:03/02/21 02:15
土方か永倉のどちらかが使っていた鉢金に13、4の切り傷があってどれも致命傷になる様なものだったとNHKでやっていた。
防具があったから生き残ったものの、結構洒落にならないぐらい斬られているよね。
332日本@名無史さん:03/02/21 03:19
>331
斬られているというより、鉢金で刃をうけたのでは?
土方は分からんが、永倉ほどの腕ならそれくらいは簡単だろ。
333日本@名無史さん:03/02/21 04:10
そうか・・・永倉はそこまで腕が立つのか。詳しいな。
334日本@名無史さん:03/02/21 08:49
水の北 山の南や 春の月
335日本@名無史さん:03/02/22 00:40
薩摩藩士は戦で
てがらをたてるのは三番目、怪我をするのは二番目、戦死するのが
最高の名誉と教えられていた。
彼らが強かったのは当たり前。
336日本@名無史さん:03/02/22 00:52
結成メンバーの近藤、土方、沖田、井上、山南、永倉、藤堂、原田で
敵に斬られて死んだのはいないね。
藤堂はまあ、内輪だしな。
これって結構凄いな。
337日本@名無史さん:03/02/22 01:02
>336
確かに。
しかしホントによく江戸の弱小道場にこんなに人が揃ったよな…
338日本@名無史さん:03/02/22 11:48
試衛館は、小さな道場だが、弟子として多摩の富農層を抱えていたので、決して貧しくはなかったとか・・。

多摩は豊かではあるが、やくざが横行し、治安が悪かったので、農民たちは武士よりもよほど切実に剣術を必要としたようだ。
339日本@名無史さん:03/02/24 00:48
>338
揚げ足を取るようで申し訳ないが…
試衛館=貧乏説はあながち嘘ではないと思われ。
近藤勇が実家の兄に借金を頼んだ手紙とかが残ってなかったかな、確か。
ちなみに近藤の実家、宮川家はかなり裕福だったらしい。
家屋敷の敷地が2000坪?とか…ウラヤマシイ。
340日本@名無史さん:03/02/24 02:14
>>336
ていうか、助勤で公務中に戦死したのは安藤早太郎だけじゃないか?
あと合戦で井上と山崎か。
341日本@名無史さん:03/02/24 03:20
>>337
まず命を投げ出す覚悟があるかどうか。
近藤や土方にはそれがあった。
その覚悟がないやつはウロタエて切り合いにもならないって
ことでしょう。
342日本@名無史さん:03/02/24 03:24
>>332
>土方か永倉のどちらかが使っていた鉢金に13、4の切り傷があってどれも致命傷になる様なものだったとNHKでやっていた。
>防具があったから生き残ったものの、結構洒落にならないぐらい斬られているよね。

あれは事前に試し切りした跡でしょ。
安物は、パリンと割れて役に立たないから。
343日本@名無史さん:03/02/24 03:25
>>342
甲冑でも鉄砲を試し撃ちしてから使っている場合もあるよ。
344日本@名無史さん:03/02/24 11:50
山南啓助はどう?。置手紙残して江戸に向かい、大津にいたところを沖田総司に
連れ戻されて、切腹になりましたが、もし、沖田が局長らを裏切って山南と2人して
逃亡する、ってことはありえなかったの?
345 :03/02/24 12:06
 ぽんいちろう  
346日本@名無史さん:03/02/24 14:39
山南についてはストレスで狂気の末の切腹が有力。
347日本@名無史さん:03/02/25 10:04
>>344
脱走説は典拠が無く、現在疑問視されている。
(子母澤寛の創作性が強い)
一番古い記録では、346のの言うように、
自分の意見が採用されないことで噴悶の上
切腹とある。
348日本@名無史さん:03/02/26 02:34
新撰組始末記(子母澤のではない)には自刃とあるし、両雄史傳には近藤から切腹を命じられたとあるね。
脱走は顛末記にあるけれど、顛末記はかなり手が加えられてるというからね。
349日本@名無史さん:03/02/27 18:46
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030227-00000512-yom-soci

香取慎吾が近藤勇ってどう思うよ・・・
350日本@名無史さん:03/02/27 18:51
永倉が神道無念流?の免許皆伝ってのは創作なの??
351日本@名無史さん:03/02/28 05:17
>350
え?そんな話は聞いた事がないぞ??
調べて期末。
…以下、資料より抜粋。
「一五歳の時神道無念流2代目岡田十松に師事し18歳で免許皆伝となる。
(中略)剣は同流の百合元昇および心形刀流坪内主馬にも学んだ。」
少なくとも↑が嘘という事はないんではなかろうか。
本人が色々記録を残してることだし。
顛末記が今貸し出し中なんでそこに書いてあったかはわからんが。
352351:03/02/28 13:46
>新撰組顛末記
15で切紙18で本目録19で脱藩。
免許皆伝についての記述なし。
>新選組戦場日記
15で入門18で本目録22で免許皆伝。

戦場日記のほうは永倉新八顕彰会会長とかゆー人の調査結果らしいので
信用してもいいのではないか。顛末記の記述とも合致するし。
ちなみに351で引っ張ってきた資料は「組長列伝」でつ。
353日本@名無史さん:03/03/07 16:59
土方の俳句見るたびに吹き出す。おもしろすぎ(w
354日本@名無史さん:03/03/07 17:36
香取が近藤か…。
どちらかというと原田のほうがいいと思うけど…。
土方は誰だろう?年が近い人だろうから…
歌舞伎役者でもつれてくるのかな?まさかJrってことはないよな。
355日本@名無史さん:03/03/07 19:26
ごめん。うろ覚えだけど土方は、山崎なんとかって人だよ。
ひとつ屋根の下で、車椅子に乗ってる役だったらしい。
で、沖田が藤原達也
356日本@名無史さん:03/03/08 02:20
なんか見た目と実際の年齢がメタメタになりそうだな....
357日本@名無史さん:03/03/08 02:44
壬生義士伝の沖田役はぴったりだと思う
358日本@名無史さん:03/03/08 12:25
テレ東の壬生義士伝の土方役に
相馬主計を演じていただきたいなぁ。
359日本@名無史さん:03/03/08 14:11
今年の忠臣蔵にも出てたし
360日本@名無史さん:03/03/08 14:13
>>354
そこらへんは時代劇板のスレに詳しく書いてるよ。
【新選組!】2004年大河・ママニモ負ケズPart18
http://tv2.2ch.net/test/read.cgi/kin/1046928120/
361日本@名無史さん:03/03/08 14:15
>>355
土方…山本耕史
ちなみに芹沢は佐藤浩市だとか
このキャスティング大丈夫かなぁ・・・

362日本@名無史さん:03/03/09 10:33
スレタイみて、厨房スレだと思ってたけどなかなか良スレ。
やっぱ書き込む人の質の問題てすね。
363日本@名無史さん:03/03/09 10:51
ただ、ここは土方の剣腕を検証するスレなので
あまり無関係の話題は避けるようにお願い。
364日本@名無史さん:03/03/09 10:54
>>355
藤原組長が沖田ならよかったのに。
365日本@名無史さん:03/03/09 12:02
土方がキムタクなら許す
366日本@名無史さん:03/03/09 13:10
近藤=ストロング金剛
367日本@名無史さん:03/03/09 13:23
土方の巨根が沖田の命を縮めた。
368日本@名無史さん:03/03/10 17:02
>>367
激しくワラタ
369日本@名無史さん:03/03/11 21:07
>>364
近藤勇の香取より、年上だし強そうじゃん
370日本@名無史さん:03/03/11 21:15
近藤 ストロング金剛
土方 木村拓哉
沖田 藤原組長 
371日本@名無史さん:03/03/11 23:20
>362
そうか?
凄い厨房スレだと思うが
372362:03/03/12 11:45
>>371
実は書きこんだあと、俺もそうオモタw
373日本@名無史さん:03/03/12 19:14
沖田マンセーだった中高時代。
今はもう卒業したけどさ、さすがに藤原組長はやめてよ・・・

土方のキムタクは良し♪
自分で言ってて痛い・・・。逝ってきます。
374日本@名無史さん:03/03/15 01:35
戻ってクンナ
375日本@名無史さん:03/03/15 20:10
沖田総司の写真を見てイメージとのギャップにたまげますた
すれ違いゴメン( ´・ω・)
376日本@名無史さん:03/03/17 16:27
>>375
>沖田総司の写真
そんなの見つかったのか?
377日本@名無史さん:03/03/17 23:48
>>376
子孫宅にある肖像画のことだろ
378日本@名無史さん:03/03/17 23:51
本当にって、それ以前に強かったなんて、どこに書いてあるんだい?
燃えよ剣になんていうなよぉ〜
379日本@名無史さん:03/03/30 22:28
あげる
380日本@名無史さん:03/03/31 22:25
赤上げて、白上げないで、スレ下げる。(w
381日本@名無史さん:03/04/03 02:33
●芹沢鴨は本当に強かったのか?●
382日本@名無史さん:03/04/03 19:10
そう鴨。
383山崎渉:03/04/17 14:36
(^^)
384日本@名無史さん:03/04/19 22:29
>>365
キムタコじゃ、イメージに合わねーYO
大体、キムタコなんか女にしかモテねーだろ?
その点、土方は同姓からも好かれてんのさ
よって、キムタコじゃ、役不足ケテーイ!!

385日本@名無史さん:03/04/19 22:30
>>384
同姓→同性
386山崎渉:03/04/20 02:07
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
387日本@名無史さん:03/04/24 00:34
>381
芹沢鴨は本当に強かったのか?
近藤、土方、沖田、、、、、をあわせても自信がなかった。
酒を飲ませ、女を抱かせ、屯所で夜中におんなもろとも殺す
それぐらい強かった。
キチガイだから、きられてもいたくないうえに体力があり、一番厄介なやつ
頭もいい
なにがふまんだったんだろう
388日本@名無史さん:03/04/24 00:43
最強の剣豪

暴れん坊将軍
sage
390日本@名無史さん:03/05/19 12:46
餅をあげます
391日本@名無史さん:03/05/19 18:21
すっかり中村半次郎が追いやられたスレだの。
わしゃ、大山格ノ助と桐野、どっちが強かった?というほうが興味がある。
392日本@名無史さん:03/05/19 18:49
剣の腕は、近藤、土方、沖田よりも勝海舟や坂本竜馬の方が上。
彼らは若かりし頃、超一流の道場で修業をし、師範代までつとめていた。
近藤らが学んだ道場は田舎の一道場にすぎない。
但し、真剣勝負となると、新撰組の方が強いのではないかと思う。
勝海舟も坂本竜馬も生涯人を斬ったことはなかったので。
393日本@名無史さん:03/05/19 18:54
>>392
ネタ?
394日本@名無史さん:03/05/20 09:56
>但し、真剣勝負となると、新撰組の方が強いのではないかと思う。

んじゃ、弱いんじゃないか・・・・・
395日本@名無史さん:03/05/20 19:16
396日本@名無史さん:03/05/20 20:50
一日で宇都宮、松前の城を落とした土方は神。
397山崎渉:03/05/22 02:53
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
398日本@名無史さん:03/05/25 00:48
真剣での一回の勝負=一年分の道場での稽古
399日本@名無史さん:03/05/25 23:50
>392
それって、小説じゃないの?
400山崎渉:03/05/28 10:54
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
401日本@名無史さん:03/05/29 15:36
>1に立ち戻るが、油小路以降、御陵衛士残党を薩摩藩邸に匿ったことで、
薩摩藩邸と新撰組との間になんらかの確執が生まれ・・・ってことなら
近藤狙撃までの間に、土方新撰組vs中村半次郎ってフィクションも
有りかもしれんと妄想する。
402あぼーん:あぼーん
あぼーん
403日本@名無史さん:03/05/29 21:01
道場での試合が強いのか?
真剣勝負で強いのか?
運が強いのか?
404日本@名無史さん:03/05/29 21:28
>>391
大山格ノ助って政府の言う事聞かなかった
薩摩藩の県令?
405日本@名無史さん:03/05/30 00:20
>404 そ〜です 大山格ノ助=県令・大山巌
当時の薩摩藩の斬い手としては藩内で名が通ってたらしい。
桐野より上か同等? 寺田屋での一件と桐野を救った話が
桐野本人が語った話として知られてるけど、やり合った事はないのかと
妄想は尽きない。 どちらにしろ剣の腕では両者土方よりも一枚上だろう
と、思うがなあ
406あぼーん:あぼーん
あぼーん
407日本@名無史さん:03/05/30 00:22
真剣勝負にはルールなんてないから、生き残った者こそ勝者。
408菊一文字:03/05/30 02:57
新撰組は一人じゃ戦わない
個人よりも組織力。
409日本@名無史さん:03/05/30 19:07
>>407
相手が強くて 逃げて生き残っても
士道不覚悟で切腹 
410日本@名無史さん:03/05/30 19:34


木刀を10回振って息切れする新撰組ファンが集まるスレ





411日本@名無史さん:03/05/30 21:14
>>405
大山巌とは別人でしょ。
412日本@名無史さん:03/05/30 23:32
>411うえっ?そうなのか?(汗  確かめてみるべ
413日本@名無史さん:03/05/30 23:56
って間違えました 巌は陸軍元帥  逝ってきます 
414日本@名無史さん:03/05/31 18:52
スレ違うけど・・・。叫ばして。
こないだまで新選組に興味なかったせいか最近まで歳三を「さいぞう」と思ってた。
ハマッタ今でもクセで「さいぞう」と読んでしまう。
そして吉田稔麿を「みねまろ」と読んでいた。
ハズカスィ〜〜〜〜!!
415困っています:03/05/31 19:03
突然お邪魔してすみません。今この↓スレ↓で荒らしが暴れています。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1054302336/l50
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053783706/l50
犯人はどうやら「思い込み厨の伊達遠江守家中」というヤツです。
こいつに関する情報を探しています。ご存知の方がいたら教えてください。
89


416日本@名無史さん:03/05/31 19:31
安心しろ漏れは
最初どかたさいぞうと呼んだ
417414:03/05/31 23:17
なんか安心した・・・スマソ。
目くそハナクソですが、ワロタ
418日本@名無史さん:03/06/01 00:08
>>414
でも「さいぞう」って書いてる記録もあったような気がするぞ。
逆に、ほんとに読み方は「としぞう」であってるんか?
419日本@名無史さん:03/06/01 01:20
としみつ かもしれん なんちって
420日本@名無史さん:03/06/01 22:51
としさん、なんちゃってー
421日本@名無史さん:03/06/02 15:15
桐野は脇差だけ帯びて銭湯に行った帰りに新撰組の大勢に取り囲まれて
そのとき左手の小指を切り落された(桐野の孫の談話)
422日本@名無史さん:03/06/02 19:15
>421 んな話あったんですか? 征韓論争の最中、自宅前で土居九一郎に
左手中指を落とされた話は知ってるんだけれども・・確か土居を撃退後
左手そのまま大久保邸に談判に向かったと思ったが・・・
ムムム、フィクションなのかな・・・     
とすると桐野 そん時は小指も無し? 
423日本@名無史さん:03/06/02 19:53
>>421
彼女がいないってことか?
424日本@名無史さん:03/06/02 20:39
>>422
後の陸軍少将がそんなに無防備だったの?
425日本@名無史さん:03/06/02 20:50
あれ、見廻組の鈴木隼人とかいうのに落とされたんじゃなかったか?
426日本@名無史さん:03/06/02 22:16
>424 剛胆、楽観的、悪く云うと無防備、または狂勇とも。
 桐野の特徴的印象なんじゃないでしょうか。 でもそれでいて
 抜き合わせれば腕は立つ。素直で可愛くて熱くて強い・・と、
 そういう所が好かれているんでしょうね。 しかし西南戦争では
 その楽観と狂勇が仇となりますね。
427日本@名無史さん:03/06/02 22:25
土佐藩(板垣退助)は板橋から、薩摩藩(桐野)は品川から江戸に侵攻。
土佐は赤、長州は白、薩摩は黒のカツラをかぶっていた。
428日本@名無史さん:03/06/02 22:40
>425 「西南伝記」だったか?神田三河で鈴木隼人を斬った話は
知ってるけど、小指〜が痛い話は知らんかった。
 中指の方がフィクションかも・・・ いくらなんでも小指も中指も
無かったら痛過ぎる・・
429あぼーん:あぼーん
あぼーん
430日本@名無史さん:03/06/03 13:08
桐野、別府、辺見、最凶軍団。
カタギの顔じゃない。剣の腕以前に相手にしたくない。
っつーか薩摩に生まれたくない。
431日本@名無史さん:03/06/03 17:05
>430 長生きできそうにないもんな・・・
薩摩隼人で美形は短命という・・・何故かというと必ず衆道の
対象になるから・・・迫られて断ると決闘・・相手を斬れば切腹。
分かっていながら喧嘩を売り、斬りあう・・・・
どうすりゃいいのよ? って俺が美形なワケではないのだが・・・
小説では桐野は決闘中、屁をこいて相手のやる気を削いだりしてたな・・・
432日本@名無史さん:03/06/03 20:39
>>430
土方の写真は修正してある。
現物は彼らと変わらないw
433日本@名無史さん:03/06/03 21:06
434日本@名無史さん:03/06/03 21:34
何度見ても、なんかちっこい・・・土方・・・
おこんなよ・・・と誰にレス?
435日本@名無史さん:03/06/03 22:39
>>434
西郷と大久保は、実物は迫力あったろうな。
ともに180くらいだっけ?
436日本@名無史さん:03/06/03 22:59
437日本@名無史さん:03/06/03 23:05
本物はもっといい。
    別府晋介
      ↓

http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu2/beppu.html
438日本@名無史さん:03/06/03 23:55
>435 多くの藩士を束ねるのには、やはり体の大きさも一役
    買ってたんだろうな
 が、kyan玉まで大きくするこたなかったのに・・・ 西郷ドン
>437別府、桐野は胆の座った顔してるなやっぱり・・しかしあごひげ最悪
の桐野少将はサイトの中に写真を見受けんな・・ 
433<みたいなの見てもやっぱ土方の方がおなごはええんかの? 
439日本@名無史さん:03/06/04 13:12
西南戦争の時の辺見って土建屋よしゆき(紳助の友達)に似てないか?
440日本@名無史さん:03/06/04 18:06
・・・・土建屋よしゆきがわからん・・・
刀の銘みたいだ  土建屋吉行
441日本@名無史さん:03/06/04 21:07
昔の人の写真を見ると、日本人の顔って明らかに変化したんだなと思う。
442日本@名無史さん:03/06/05 00:19
土方歳三の修正後の写真みれるとこないですか?
443あぼーん:あぼーん
あぼーん
444日本@名無史さん:03/06/07 09:22
>442
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3799/ishin.html
有名なサイトだからブックマークしとけ
445日本@名無史さん:03/06/07 18:55
>>444
すばらしい!

...でも、全然関係ないんだが、この写真に萌えてしまった。(w
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/mutuwife.html
446日本@名無史さん:03/06/07 19:24

漏れはこの写真に萌えたわけだが・・
http://www.nittochi.co.jp/recruit/message/index8.html
447日本@名無史さん:03/06/07 19:30
土方は整形したらしい
448日本@名無史さん:03/06/07 21:28
449448はプラクラ:03/06/07 22:08
448はプラクラ!!注意!!
450日本@名無史さん:03/06/07 22:43
448は切腹しろ
451日本@名無史さん:03/06/07 22:47
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 呼んだ?

   ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄
    /)  /)       _
   /  ⌒  ヽ       | /
  | ●_ ●   ̄▼▼\>>
  (〇 〜  〇      |>
    ヽ    ___  |
    |_/ ̄|_/  |_/ |_/ 
452日本@名無史さん:03/06/07 22:48
>>446
こっちの子のほうがタイプ。
http://www.nittochi.co.jp/recruit/message/index6.html
453_:03/06/07 22:50
454日本@名無史さん:03/06/07 22:58
>>452
趣味悪いな
455日本@名無史さん:03/06/07 23:23
456日本@名無史さん:03/06/08 01:29
内藤隼人
457日本@名無史さん:03/06/08 01:42
和泉守兼定な・・・・資料館でお目にかかったが、愛刀と記載されてたけど、
ありゃ使ってないよな。目釘一本じゃ柄割れが恐くて振れんわ・・・
11代の会津兼定が見たかった・・・
458日本@名無史さん:03/06/08 09:27
小鉄
459日本@名無史さん:03/06/09 06:09
>>455
こわかったぞ
こっちがホントの(レプリカだけど)ノサダ
ttp://www.n-p-s.net/toshizoukoshirae.htm
460日本@名無史さん:03/06/10 23:53
このスレ読んでおもったこと;
今まで、俺はだまされていた。司馬遼太郎ヌッコロス
461日本@名無史さん:03/06/11 01:32
慶応3/12月中、中村半次郎、御陵衛士残党(阿部・内海・佐原)に
外出許可。
12月18日(伊東甲子太郎祥月命日)沖田襲撃・・が不在と・・
半次郎、確信犯か?

遅スレか・・?
462日本@名無史さん:03/06/11 13:01
小説を史実だと思っててて
それを嘘だと知って
逆切れかおめでてぇな
463日本@名無史さん:03/06/11 14:18
何を騙されていたんだ?
近代戦指揮官としての土方歳三は本当に強かった!というのは正しいだろ。
464日本@名無史さん:03/06/11 14:21
>土方の写真は修正してある。
>現物は彼らと変わらないw
当時の写真は不鮮明なので修整するのは珍しくない。
465 :03/06/11 14:22
日本史史上最大の英雄土方歳三が天下統一してたらと思うと夜も眠れない
466日本@名無史さん:03/06/11 18:12
>>465
俺もだよ同志
467日本@名無史さん:03/06/11 19:07
土方は、血液型A型だったらしい?から指揮官としては、向いていなかった
のかも?
468土方歳三:03/06/11 19:16
天下統一? そんな小難しいもんいらねえぜ。
469日本@名無史さん:03/06/11 21:06
>463
坂本竜馬の剣術・土方歳三の死に様等、いくらでもある。
470日本@名無史さん:03/06/12 06:33
まあ大きいのは斎藤一と斎藤一諾斎を同一人物にしてることだな>燃えよ剣
471日本@名無史さん:03/06/12 20:43
勝沼でも実際何してたか解らんし、流山近藤捕縛の時も土方いったい
どこで何してたんだい・?  およそかなりの所がフィクションなんだから、
今さら騙されたなんて云うない。  
472日本@名無史さん:03/06/12 20:49
歴史小説を真に受ける方が間違い。
歴史がつくとはいえ、小説はフィクション。
473日本@名無史さん:03/06/12 23:04
でもデタラメを書くのはひどいです…
474日本@名無史さん:03/06/13 03:28
勝沼事件の時、土方は伝習隊なんか呼びに行って無いしな・・
横浜なんて行ってない。日野の自宅に宿泊してた記録があるそうじゃないか?
それじゃドラマにならんから・・・

で、、、デタラメ? ってちょとなつかしい。  
475日本@名無史さん:03/06/13 05:38
土方は函館から軍艦に乗ってロシアへ亡命。
その後伊太利亜で土方精錬鋳造所を設立してます。
土方→ドカタ→ドカッティ→DUCATI
そうです。あの有名なオートバイメーカ、デュカティです。
476史実では:03/06/13 07:09
土方は函館降服直前にフランスの軍艦コエトロゴン号に乗って脱出
フランスに渡りパリジェンヌとはハメまくりです
477日本@名無史さん:03/06/13 08:33
>>476
でそのあとモンゴルに渡りチンギス・ハーンになりますた。
478日本@名無史さん:03/06/13 10:54
↑タイムスリップしてますが・・・・
479日本@名無史さん:03/06/15 17:32
混乱の清にいけば、いくらでも活躍の場がありそうだ。
480日本@名無史さん:03/06/15 22:19
そこで原田とバッタリ
481日本@名無史さん:03/06/16 11:59
馬賊に身を落とします
482日本@名無史さん:03/06/16 12:08
強かったことを示す証言としては・・・
日本刀を片手で持って、人を切り殺せたらしいということです。
傷は負わせれても片手で殺すことはなかなかできんかったらしい
483日本@名無史さん:03/06/16 13:47
それにしても、斉藤一ってやばい顔してるなぁ。
こんなの襲ってきたら、めちゃめちゃこえーよ。
484日本@名無史さん:03/06/16 16:09
>483 指差して確認しただけらしいから、隣のシトかもしれんよ(ww
                斉藤 
               な・す・び
485日本@名無史さん:03/06/16 21:01
436読むと辺見って言うやつは凄いな
486日本@名無史さん:03/06/16 21:19
薩摩の黒豹:辺見十郎太  彼の地ではもう神様ですな。
斉藤あたりと一戦やってもらいたかった・・・
487日本@名無史さん:03/06/16 21:25
土方歳三の遺品が展示されてる、もちろん和泉守兼定ものこっている
生家の資料舘、歩いて10分なのに、行こう行こうと思っていて、
20年経っちゃった。刀見せてくれるのかなあ?行ってみたいけど、
億劫でなあ。
488日本@名無史さん:03/06/16 21:50
>487来年の大河に乗じてなんかイベントがあればともかく、
基本的には来年の土方忌までは兼定は観れませんな・・・・
確かそう言っとりましたが・・・・・・・
489日本@名無史さん:03/06/17 08:18
>刀見せてくれるのかなあ?

通常は鞘に入れて展示
抜き身の展示はトシゾーキの日だけ

でも、最近は行ってないから不確かな情報として留意してね
490日本@名無史さん:03/06/17 08:55
鞘に入れたまま展示というのは基本的には展示の仕様としてありえませんな。
土方忌の時お目にかかった白鞘拵の本体は、万全を帰して刀身を抜いて
丁地油を塗り、油紙にでも巻いて保存。 拵えのみ見せるという事でしょう。
通常中身は入っていませんね。
491日本@名無史さん:03/06/18 02:36
函館で生き残っていたら、
日清では少将・歩兵師団長くらいには納まって
いたかも知れんね。
「退く者は斬る!」とか言ってね。
陸軍師団を率いて大陸を疾走する土方を
見てみたかった。
492日本@名無史さん:03/06/18 20:33
もし生き残っても、西南戦争で辺見あたりに真っ二つにされてたよw
493日本@名無史さん:03/06/18 20:49
あ、煽っとる・・・
494日本@名無史さん:03/06/18 21:15
まぁ見てみようではないか。
495日本@名無史さん:03/06/19 07:18
少なくとも土方が分の幹部に上り詰めてたら、日本軍のダサい軍服は
何とかしてくれたはずだ
496日本@名無史さん:03/06/19 22:29
今だったら歌舞伎町で、ホストでもやってんじゃない?
497日本@名無史さん:03/06/20 15:52
あ、煽っとる・・    (合の手か 漏れは・・
498日本@名無史さん:03/06/20 19:11
新撰組は所詮烏合の衆の集まり。
土方・沖田も辺見・別府の薩摩軍に比べれば弱い弱い。
499日本@名無史さん:03/06/20 20:56
とりあえず、警察組織としては非常に恐ろしい集団だったと思われ。

逃げれば切腹だからねぇ〜死を覚悟してる人ほど恐ろしい人はないのでは?
例えば自爆テロとか…
500日本@名無史さん:03/06/20 21:11
>少なくとも土方が分の幹部に上り詰めてたら、日本軍のダサい軍服は
何とかしてくれたはずだ

 ( ゚д゚)おいおい、軍服までダンダラかい?
501日本@名無史さん:03/06/20 21:19
火消し装束
502日本@名無史さん:03/06/21 00:18
だんだらは土方のアイディアじゃないと思うがな。

あれ、すぐに誰も着なくなったし。
503日本@名無史さん:03/06/21 10:57
久々にスレタイの話に戻すが(笑)、
土方が吉原がらみのいざこざで決闘して、近藤と伊庭八郎が助太刀にキター、って逸話があるらしいね?
504日本@名無史さん:03/06/21 13:58
っていうか試衛館の連中と伊庭八郎は交流があったのだろうか?
505日本@名無史さん:03/06/21 16:11
>504 講武所を通して試合なり出稽古なり交流はあったんじゃないかな・
助太刀という逸話の真偽は渡辺昇等の例のごとくわからないけど、
心形刀流との交流は想像できる。お互いの姿くらいは観た事あるでしょう。
506日本@名無史さん:03/06/21 16:31
土方は指揮官というイメージが強くて沖田や永倉・斎藤のような
常に最前線で剣を振ってた連中に比べると腕はどうだか、という
気がする。
それよりも鉄の規律で新撰組をシメてた鬼副長の京都時代と
兵に慕われる名将と化した函館との変わり方が気になる。
やはり鳥羽・伏見での敗北で何か思う事があったのか、それとも
近藤の死と新撰組の離散で吹っ切れた物があったのか。
507日本@名無史さん:03/06/21 17:56
土方歳三はフランス製の洋服は首が長く作っているため
不格好にならないようにマフラーを巻いていたと何かの本に書いていたような
508日本@名無史さん:03/06/21 19:49
土方は石田散薬を売り歩いてる時、女を襲った事があると
何かの本で読んだような気がする。
509日本@名無史さん:03/06/21 19:52
池田屋で戦闘中、喀血しても怪我一つしなかった沖田は
本当に強かったんだろうな。
510日本@名無史さん:03/06/21 20:10
>>499
薩摩藩でも、逃げれば切腹。
武士は一度刀を抜けば、何もせずに刀を鞘に戻せない。
一日中刀を抜いて睨み合ってた事だって、よく有ったらしい。
当然生理現象は垂れ流しだw
511日本@名無史さん:03/06/21 22:21
>>509
総司の池田屋吐血説はフィクションの筈…
512無料動画直リン:03/06/21 22:22
513499:03/06/22 07:25
>>501
そっかあの時代はみんな逃げれば切腹だもんなぁ〜
怖い時代だ。


土方歳三は個人の強さよりも部隊指揮官として天才
だったんじゃないかな?
514日本@名無史さん:03/06/22 07:49
>504 文久2年、土方座元での試斬会に伊庭八郎の名前が出てる・・
ちょっと話が講談か小説めいていて胡散ンくさいのだけど・
信用していいのやら、悪いのやら・・・・・
515日本@名無史さん:03/06/22 08:05
個人の強さもなかったら指揮官にもなれなかったと思うよ。
近藤、土方は相当強かったはずだし、沖田だって病気じゃなければ
それなりの地位だったのでは?
516日本@名無史さん:03/06/22 10:45
幕末最強の剣客は榊原健吉だったはずだが・・
517日本@名無史さん:03/06/22 10:52
>514
その話は刀匠列伝の虎徹編に載ってますが逸話っぽいですよね?
否定は出来ないけど肯定もできないし…
言い伝えや文献が残っていれば参考になるんでしょうけどね
518日本@名無史さん:03/06/22 11:05
>>511
沖田の脚色って一体なんであんなに派手なんだろうね?
映画の演出なんだろうけど・・・
実際肺病だから、喀血の演出はアリにしても、浅黒い平目顔が
なんで色白の美青年にされるのか・・・
519日本@名無史さん:03/06/22 11:24
毎晩女漁りしてた土方よりましでしょう<脚色
520日本@名無史さん:03/06/22 11:25
>518 池田屋に関しての脚色は沖田の喀血と云わず、劇中で
一度でいいから今の史実と云われるモノに添ったものをやって欲しい。
いつも一番最初にやっつけられる北添しかり、沖田に斬られる吉田しかり、
もう今さら実際は違うって一般に既知なものは修正してほしいね。
521日本@名無史さん:03/06/22 11:38
ネコも無しね
522日本@名無史さん:03/06/22 11:39
千駄ヶ谷で芯だのも無しね。
523日本@名無史さん:03/06/22 14:55
沖田の美形説は少女漫画から発したらしいよ
524日本@名無史さん:03/06/22 15:11
>503〜連
伊庭八郎の辞世 「まてよ君 迷途も友と思いしに しばし
遅るる身こそつらけれ」は誰に宛てたものなのかな・・
土方に・・と理解してる人もいるようだが・・
525日本@名無史さん:03/06/22 18:02
>>511
>>518
禿同。私も史実といわれるものに忠実な映画なり何なりを見てみたいでつ
526日本@名無史さん:03/06/22 18:03
間違いますた…
>>511は自分でした
>>518>>520でした…
527日本@名無史さん:03/06/22 22:12
>523
悪いのは司馬遼太郎
528日本@名無史さん:03/06/22 22:22
新選組(沖田)の芝居なら月蝕歌劇団の「新選組 in 1944・ナチス少年合唱団」が秀逸。
529日本@名無史さん:03/06/22 23:07
>>527
司馬は、作家であって歴史家じゃないから、悪いというのはどーかなー?
530日本@名無史さん:03/06/22 23:47
>529
だから、なおのこと少女漫画家に罪はない。
531527,530:03/06/22 23:50
「悪い」というのではないな。
沖田を美形にしてしまったのは司馬だということがいいたかった。
532日本@名無史さん:03/06/23 00:13
結局、司馬の野郎が嘘をついたのが悪い。諸悪の根元
533日本@名無史さん:03/06/23 00:18
今日「燃えよ剣」のビデオを見ました。役所さんが土方さんの役、
イメージとちがった。↓↓近藤さんも・・・
534日本@名無史さん:03/06/23 00:22
>>524
そのイバの歌すごくカコイイ
535日本@名無史さん:03/06/23 12:56
>>532
それを言うなら子母沢の新選組三部作の時点で…
536日本@名無史さん:03/06/23 16:52
>535
しかし沖田の顔に関しては、子母澤はシロだ。
537日本@名無史さん:03/06/23 23:45
沖田の顔に刀傷があったってのは三部作じゃなかったっけ?
「浅黒い顔」とかは下母沢だよね?
538日本@名無史さん:03/06/24 00:17
永倉の回想によると土方、山南、井上、藤堂と言った豪傑揃いの面々でも
沖田には子供扱いされたと言うから、恐らく沖田斎藤永倉の新撰組殺人3トップ
よりは腕のほうは落ちたろう。まあ副長まで張ってて弱かった筈がないけど。
539日本@名無史さん:03/06/24 02:52
土方は実戦記録が乏しいからしょうがないな・・誰も強かったって
云ってくれないし・・・
しかし、隊士には厳しい稽古を強いたね。暗闇での刃引き稽古を考え出した
のも彼なら、寝所に真剣で押し入って咄嗟に対応させるのを考え出したのも
彼。屯所裏の土壇に罪人を引き立てて、人を斬った経験のない者を選んでは
斬首の任にあたらせる・・・と 
拷問も含めて基本的にサドの傾向があったことは否めんな・・・
540日本@名無史さん:03/06/24 13:12
実際に土方がそういうことを考案したかどうか、
証拠はなにもないよ。
541日本@名無史さん:03/06/24 13:21
癒されますね
http://pleasant.free-city.net/
542日本@名無史さん:03/06/24 21:52
小説家に引っ張られなきゃ、新撰組がここまで興味持たれることも
なかった訳で・・  そんなに恨むなよ・・
543日本@名無史さん:03/06/24 23:05
>>538
山南と井上って、人のいいオジサンでしょ。豪傑ではないんじゃ?
ソースは司馬遼太郎
544日本@名無史さん:03/06/24 23:45
司馬遼太郎「燃えよ剣」からクライマックスシーン。
歳三の鬼神ぶりが見事に書かれている。

歳三は、もはや白兵突撃以外に手がないとみた。
幸い敵の左翼からの射撃が不活発なのを見て、兵を振り返った。
「俺は箱館へゆく。おそらく再び五稜郭には帰るまい。
世に生き飽きた者だけはついて来い。」というと、その声に引き寄せられるようにして、
松平隊、星隊、中島隊からも兵が駆けつけてきて、たちまち200人になり、
そのまま隊伍も組まずに、敵の左翼への吶喊を開始した。歳三は、
敵の頭上を飛び越え、飛び越えして、片手斬りで左右に薙ぎ倒しつつ進んだ。
鬼としかいいようがない。そこへ、官軍の予備隊が駆けつけて左翼隊の崩れが
かろうじて支えられるや、逆に五稜郭軍は崩れたった。
これ以上は進めない。が、ただ一騎、歳三だけがゆく。悠々と硝煙の中を進んでいる。
それを諸隊が追おうとしたが、官軍の壁に押しまくられて一歩も進めない。
皆、茫然と歳三の騎馬姿を見送った。五稜郭軍だけでなく、
地に伏せて射撃している官軍の将士も、自軍の中を悠然と通過してゆく敵将の姿に
なにかしら気圧されるおもいがして、たれも近づかず、銃口を向けることさえ忘れた。
歳三はゆく。ついに、箱館市街の端の栄国橋まで来たとき、
地蔵町の方から駆け足で駆けつけてきた増援の長州部隊が、
この見慣れぬ仏式軍服の将官を見咎め、仕官が進み出て、「いずれへ参られる。」と、問うた。
545日本@名無史さん:03/06/24 23:47
「参謀府へゆく。」歳三は、微笑みすれば凄みがあるといわれた
その二重瞼の眼を細めて言った。むろん、単騎斬り込むつもりであった。
「名はなんと申される。」
長州部隊の仕官は、あるいは薩摩の新任参謀でもあるのかと思ったのである。
「名か。」歳三は、ちょっと考えた。
しかし、箱館政府の陸軍奉行とは、どういうわけか名乗りたくはなかった。
「新撰組副長、土方歳三」といったとき、官軍は、白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。
歳三は、駒を進め始めた。
士官は、兵を散開させ、射撃用意をさせた上で、尚も聞いた。
「参謀府に参られるとはどういうご用件か。降伏の軍使ならば作法があるはず。」
「降伏?」歳三は馬の歩度をゆるめない。
「今申したはずだ。新撰組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ。」
あっ、と全軍、射撃姿勢をとった。
歳三は、馬腹を蹴ってその頭上を跳躍した。
が、馬が再び地上に脚をつけたとき、鞍の上の歳三の体は凄まじい音を立てて、地に転がっていた。
なおも怖れて、みな近づかなかった。
が、歳三の黒い羅紗服が血で濡れはじめたとき、はじめて長州人たちはこの敵将が死体になっていることを知った……。
歳三は、死んだ。
546日本@名無史さん:03/06/25 00:17
今更司馬遼がソースってのも…あれは史実でなくてエンターテイメントだし。
547日本@名無史さん:03/06/25 00:22
沖田>永倉>土方>斎藤。
ソースは行殺…ゴメソ。
548日本@名無史さん:03/06/25 00:42
>545-546
新撰組についてその小説しか読んだことのない俺は、土方がそのようにカッコヨク死んだと信じていた。
また、沖田が美男子だと信じていた。
軍鑑に斬り込んだことも信じていた。
その他もろもろのデタラメを全て信じていた。
549日本@名無史さん:03/06/25 00:57
史実の方がかっこいいぞ。
部下を助けようとしてたんだから。

そんな一人でつっこむような、わがままで自分勝手な死に方じゃない。
550日本@名無史さん:03/06/25 01:01
ちょっとまとめてみようか。

・負けん気が強かった
・モテモテだった
・情け容赦のかけらも無かった
・むごい拷問を思いついた
・そのくせやたらにプリティな句を詠むのが趣味だった
・最後の方はなぜかいい人になっていた

他に何かある?
551あい:03/06/25 01:14
私があなたを癒します♪
http://endou.kir.jp/betu/linkvp/linkvp.html
552日本@名無史さん:03/06/25 01:15
>550
それは著しく小説のイメージに引きずられている。
3番目と4番目は確認できない。
古高の拷問も近藤、土方がやったと書き残したものもあり、
単独でやったものかどうかわからない。

負けん気も、多摩時代は特にそういった話は残されていないと思う。
553日本@名無史さん:03/06/25 01:37
大山格ノ助>榊原鍵吉>中村半次郎>川上彦斎>辺見十郎太>服部武雄>
芹沢鴨>斉藤一>永倉新八>伊庭八郎>奈良原喜八郎>沖田総司
>田中新兵衛>近藤勇>渡辺昇>桂小五郎>斉藤勧ノ助>平田五郎>
山南敬助>土方歳三・・・ふう・・と、織り交ぜて土方こんなとこか?
妄想だけど・・
554日本@名無史さん:03/06/25 05:04
新撰組時代は、組織をまとめる役目だったから本人の意識以上に緊張してて
且つ無理もしてたんだよ、きっと。所詮は烏合の衆だし、自分より剣技が格上
の輩もゴロゴロいてたし。それに自分の想像以上に組織が強大になって行った。
だから「鬼」とか「九尾の狐」なんてゆう有り難くもない異名をもらうくらいに
非情に徹してたんだ。勿論、武者震いがするくらいにやり甲斐も感じてたろうけど。
でも、新撰組が瓦解していき、近藤、沖田、井上といった朋友が次々と先に逝って
しまう。京都にいた時よりもハッキリと「死」を意識できたんじゃないか?そこまで
達観してしまうと、肩の力みが取れてあらゆるものから解放されたはず。きっと昔
みたいに無理をする必要がなくなったんだね。憑き物が落ちたとでも言うのか。だから
函館時代には下の人間に異常に慕われてたんだと思う。
例えるなら「軍神」に近い存在になっちゃったんじゃないかな?

でも、勝海舟に軍資金を募りにいった話はなんだか哀れだな・・・。


555日本@名無史さん:03/06/25 08:51
九尾の狐とか鬼とかいわれていたなんて書いた史料はないよ。
子母澤の新選組始末記はフィクション。
京時代、近藤に対する内部からの批判は根強いものがあるが、
土方に対する記述はほとんどない。
だから京の土方がどんな人間だったのかはわからないといえる。
556人間の商品化、全体主義への一歩:03/06/25 09:07
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その2●●●http://natto.2ch.net/mass/kako/988/988402795.html
864 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/25(金) 02:10
>>860
856じゃないけど、盗聴/盗撮は、トイレの音や、自分の過去、
今日その日思いついた事、買ったもの、自分の体までネタですよ、気持ち悪いですよ、
本当に大変だから、気軽にそう書かない方がいいですよ。(マジレス)
(笑)って冗談のように書く時あるけど、別に気楽な気持ちで書いているんじゃ
なくて、悲しい事を楽しく表現する事で、重い気持ちを無くしたいんです。じゃないと、体にくるから・・・

710 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/21(月) 19:44
>>709
だから、気が付かなきゃ良かったのに。
気が付いたから、メディア総出でお前らを精神病者か自殺に追い込もうとしてたんだ。
ゴミとか野良犬とか言ってやったろ。それでも生きてるお前らはよほど神経が図太いんだな。
演技もいい加減疲れたらしな?。仕方ないよ自分達が悪いんだから。

だとよ。
557日本@名無史さん:03/06/25 12:37
白虎隊士と話したっていうのは嘘?
558日本@名無史さん:03/06/25 15:54
今図書館で、小島英煕の剣豪伝説(新潮社を見てきた。
野太刀自顕流の章に面白い話が。

東郷重位が柳生なんたらの2人の弟子を破ったという話、
薩摩の記録にはあるが信憑性なし。
なんたらなる人物は実在しないとのこと。
誤記による別人だとすると生没年の点からまた不審である。
また2人は家光の指南役だそうだが、その事実はない。
そして東郷重位にも薩摩の外では確証のある勝負の逸話はない。

津本陽の小説が薩摩の逸話を全て現実にあった事として扱っているのと比較するとオモロイ。
559日本@名無史さん:03/06/25 17:48
津本陽は好きだな。
560日本@名無史さん:03/06/25 20:34
神速の剣、東郷重位は「抜かず」が極意だったっけ・・
記録が少ないのは致し方ないな・・津本の表現はあまりにもディティールが
リアルで説得力があるので、脳内妄想も、つい史実と思いがち・・
多分それなりの資料があっての話だと思いながらいつも讀んでる・・
幕末剣士をまさぐるに当たって、小説家としては自分は一番好きな作家
だけどね・・新撰組を題材にする時も単なるマンセーではなく
明暗あって面白い。 

561日本@名無史さん:03/06/25 21:17
今NHKで新撰組やっちょる。
562日本@名無史さん:03/06/25 21:22
桃井俊三、千葉秀作
563日本@名無史さん:03/06/25 21:27
>>561
先週もやってたんでごわすな。
564日本@名無史さん:03/06/25 21:30
フランス軍事顧問のブリュネに認められたんだから凄かったんじゃない?
西洋兵学を乾いた綿のように吹込んだって言うから
565日本@名無史さん:03/06/25 21:32
官軍!!!
566日本@名無史さん:03/06/25 21:39
このとんがったパーティ帽みたいなのは何ですか?
567日本@名無史さん:03/06/25 21:40
慶喜と勝が癌だったんだね
568日本@名無史さん:03/06/25 21:42
緋村抜刀斎が最強
569日本@名無史さん:03/06/25 21:44
本当に蚊取針碁に出来るのかなぁ
570日本@名無史さん:03/06/25 21:44
偽名で命ごいとは卑怯な(w
武士の風上にもおけんな。あもともと百姓か。
血はあらそえんな(ww
571日本@名無史さん:03/06/25 21:45
近藤アボーン
572日本@名無史さん:03/06/25 22:06
燃えよ剣だけしか知識のないニワカですが
五兵衛新田って、どういった物だったんですか?
施設かなんかですか?
あと、綾瀬のどの辺にあったんですかね?

実は綾瀬の隣に住んでて官軍が千住に布陣とかは
聞いたことあったんですけど、流山への通り道だと
ばかり思ってました…。
ご存知の方がいたらご教授願えませんか?

それにしても、綾瀬川で土方が釣りしてたってエピソード。
今じゃ首都高の下をコンクリに固められ、臭いガスを吐き続けてる
Best3に入るドブ川を見てる人間からするとなんか感慨深いな。
573日本@名無史さん:03/06/26 23:09
>>572
五兵衛新田って昔の地名だよ。今の綾瀬駅付近(綾瀬四丁目あたり)。
旧幕府のお偉いさんから「進軍中断、綾瀬で待機してよ」ってことで
あの辺の名主が金子さんって言うんだけど、家がデカイって理由だけで
隊で住み着いちゃったわけ。あと近くの観音寺あたりにも。
庭で銃の調練されたり、金子さん本人が隊士に殺されそうになったりで
大変だったらしいよ(w

俺が綾瀬に住んでる頃は金子邸は残ってたけど、今はどうなんだろう。
574572:03/06/27 02:00
>>573
レスありがとうございます。
身近な所にこういった場所があったとは正直驚きました。
街中歩く時も今までとは気分的に少し違う感じがします。
足立の郷土資料館にでも今度行ってみようと思います。

友人に綾瀬在住の金子姓が3人いるけど関係ないかな…?
575日本@名無史さん:03/07/03 22:00
土方に関する逸話思い出した。
何らかの理由で(宿の取り忘れ?)、当時旗本扱いだった土方が怒って
刀を抜いて徳川側の侍達の集会に怒鳴り込んだ。
侍達は鬼気迫る土方にビビッタと言うのが有ったな。
576日本@名無史さん:03/07/04 10:33
>575
出典は?
577日本@名無史さん:03/07/08 23:23
土方は、小柄な男だったのですか?
578日本@名無史さん:03/07/09 23:16
座高が低かったから
座ってる状態で会った人は背が低い人という印象受けた
と何かで読んだ。でも本の名前忘れた
579日本@名無史さん:03/07/10 08:28
座高が低かったとなると、脚が長かったということになるんだろうか
580日本@名無史さん:03/07/10 13:51
天然理心流はマイナーな田舎剣術に過ぎないので
北辰一刀流などに比べれば明らかに弱小でしょう

近藤の道場に強い道場破りが来たときに
桂小五郎を助っ人として雇ったといいます
沖田も近藤も土方も剣術家としては
突出した人物ではないと思いますね

新撰組が怖れられたのは
常に奇襲、集団戦法を心がけたからだと思います
581日本@名無史さん:03/07/10 14:51
気組みバカ一代
582日本@名無史さん:03/07/10 15:58
土方の身長は162cm。
どうやらそれをコンプレックスに思っていたらしく、
服装を洋式に変えたときに、厚底ブーツを常にはいていた。
583日本@名無史さん:03/07/10 19:09
>>580
それって司馬さんの(略

>>582
162センチって本当か?
タッパがある程度ないと剣道はキツイのだが。
沖田、斉藤、永倉たちは180以上あったらしい。
584日本@名無史さん:03/07/10 19:44
>>583
近藤も土方も背が小さいという同時代人の証言がある
近藤と土方の身長は同じくらいだったそうだ
沖田も160くらいだったという証言がある
土方は写真で見ても華奢でヒョロヒョロなので縦に長く見えたから
一部に長躯という目撃証言ができたんだろうね。
当時としては大体平均値なんじゃないの
180cmこえてるのは嶋田くらいだろ
585山崎 渉:03/07/12 11:56

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
586日本@名無史さん:03/07/15 08:02
今、立て続けに土方が主人公の小説読んでる。
『土方歳三散華』(広瀬仁紀)と、
『土方歳三』(大内美予子)を読み終わって、今
『歳三からの伝言』(北原亞以子)にさしかかったとこ。

『〜散華』が池田屋からで、あとの二つは戊辰戦争がメインなんだよね。
587日本@名無しさん:03/07/15 10:42
幕末は日本人史上、背が1番低かった。
農業生産高の割合に比べても、人口が多かったから。
男は152〜3cm、女は143〜5cm位だったとか。
588山崎 渉:03/07/15 11:53

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
589日本@名無史さん:03/07/15 18:38
坂口祐三郎さん… (;´Д⊂)  
590日本@名無史さん:03/07/28 23:36
>>558
別スレで話題になったが、薩摩側は証拠を出せない模様。
毎度毎度このパターンで呆れるよ。
591山崎 渉
(^^)