1 :
学部生@文学部:
1919年にイタリアの詩人ダンヌンツィオが義勇軍を率いてフィウメ
市を占領した際に、下位春吉という日本人が共に行動していたのですが、彼自身
について書かれた文献がなかなか見つかりません。詩人であり、教師で
あり、作家であった人物のようなのですが、どなたかご存知の方がいれば
教えてください。
BINGO!! ワタクシ ぺリーが 2get デース!
_,,-―- 、__
>>3 ねえ・・・
_,,/;;;;;;ヾヾ 、,;;;;;;;;''ヽ_
>>4 開国してください
ノ;_;,-―--''''゙゙ ̄ フ::::;;:'-、
>>5 開国してくださいよー
// l、::::::: l、
>>6 このチョンマゲ!!
(ヾ:::l |::::::、::、::::.ヽ,
>>7 いーじゃない開国。
、ノ:::::.| _,,、 ,、、__ |:::::::::::ゝ::::::>
>>8 あなた尊皇派?攘夷派?
ゝ:::::::|''=・-`l ト'=・=ー` ヽ:::::::::::ゞ:::ゝ
>>9 シカトですか?
ヽ.| ` ー ,ヽ::,-;:::;;::/
>>10 そんなに黄色くないのネ日本人て
| 、_,、,` l/6l::::ノ
>>11 ペリーね、この間孫が生まれたの。
| ! , , l_ ノ:/
>>12 「R」と「L」の発音の区別もできないくせに!
__| -'ー-ヽ / /`)
>>13 お茶もださないの?
ヽ | ,  ̄ __l_/,,-'=i______
>>14 寝ましょか?ここで?
__,,\`、_ ー-―' _//='''_-;;;;;;(( oo(( ))
>>15 風呂桶がぬるぬるする〜
;;;;;;;;;;○>\ ̄ ̄//○'.;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|l |l |l |l |l ||
>>16 外人ナメると後がコワイヨ〜?
3 :
日本@名無史さん:02/11/26 03:15
4 :
日本@名無史さん:02/11/28 00:59
私はこのスレがたったことに驚きを隠せません。
かなりマイナーですが、知る人ぞ知るで戦前の右翼事典には出ています。
私もよくは知りません。実はそのお孫さんの一人が私の友人です。
まず大本教の出口王仁三郎とつながりがあったようです。
亡くなった時、葬儀に笹川良一氏が来ていたとか。
そのくらいしか知りませんが。
5 :
日本@名無史さん:02/11/29 21:35
知らない。
少々下位春吉氏を研究しております。
お孫さんとお知り合いですか。
それならば、ぜひ戦後の春吉氏の話しが聞きたいです。
彼の略歴は、世界史の同名のスレに書かせて頂きました。
7 :
日本@名無史さん:02/12/09 00:26
>>6 もう少し待っててね。
一週間後に孫に会うから。
お返事有難うございます。
私の所属している研究会では、かなり「下位春吉」の関心が高いです。
私自身も、彼の生涯を評価しております。
9 :
日本@名無史さん:02/12/10 01:31
>>8 実はそのお孫さんにこのスレ知らせました。
驚きと大爆笑でした。
お孫さん結構いい奴です。
爆笑ですか?
確かに、「イキオイ有り過ぎの人生」を送った方ですからねぇ。
私は某作家さんの文献調査の手伝い途中で「下位春吉」氏を知りました。
あんまり面白くて、ここ一年は「下位」氏の著作を重点的に集めまくってます。
多分、現在では日本で数少ない「下位春吉」のファンを自称しております。
きっと、こういう私自身もお孫さんには「爆笑」でしょうねぇ。
11 :
日本@名無史さん:02/12/11 23:25
>>10 来週まで待ってて。6年前に友人は結婚したけど下位姓の人が何人か式に来ていた。
12 :
日本@名無史さん:02/12/24 02:06
>>1 すまん、あまり大した情報を聞けなかった.....
期待もたせてごめん。
結局変わり者の好々爺としか言わなかった.....
あげくの果てには、そのスレ立てた人の方が知っているはず、と言われた。
孫たちもそんな凄い爺さんだったという実感がないらしい。
このスレ立てたあなたに、いい意味で神経疑ってました。
それは残念です。
下位春吉を探す為に、イタリアにEメールをバンバン送るは、古本で10万円位は出費するはと、意外に苦労したんですが、イマイチ分からない部分があったものでして・・・・・。
イタリア時代の春吉氏を知ってらっしゃる娘さん夫婦(お孫さんのお母さんか伯母さん?)がいらっしゃる筈ですが、ご存命でしょうか?
もし可能でしたら、取材させていただきたいくらいです。
無論、当方の身分や取材意図を汲んで頂いてからのご判断で結構なのでのが・・・・。
今回はメアドを書きておきますので、宜しければ直接ご連絡ください。
>>14 私は1氏とは別の下位春吉の情報を追っかけている者ですが、昨年都内在住
の春吉氏のお孫さんである女性とお会いして色々お話は聞けました。この
女性の二次戦中のイタリア>ドイツでの体験談も相当面白い物でした。
そのお孫さんはお父上が毎日新聞(正確には東日ですが)の記者だった方でしょうか?
一応、お名前はここには書きませんが、その体験の一部を本になさっていらっしゃるかと思います。
どうぞ、情報をお教え願えないでしょうか?
特に戦後の春吉氏が分からず、途方にくれているものでして・・・・・。
>>15 そうです。木村裕主氏のムッソリーニ物の著作でもいくつかこのご家族の
エピソードは紹介されています。戦後すぐに出版されたお父上の欧州戦中
秘話もあります。ご兄弟にあたる長男の方も少年手記書いたたとお聞き
しましたが、そちらは残念ながら未読です。
ちなみに15氏はどちらかの出版関係の方でしょうか?いずれにしても取材に
関しては先方の意向もありますのでしばしお待ちを。追ってご連絡いたします。
ご返答有難うございます。
私は、時々作家サンの下調べ等をしているので、出版関係といえるかもしれません。
しかし、下位春吉氏の追跡は個人的な興味です。既に出費から考えても、大幅な赤字ですので・・・・・。
取材させていただければ、大変有りがたいです。
よろしくお願い致します。
ちなみに長男の方の手記というのは「地球半分逃げ帰る」という題名ではないでしょうか?いろいろ探しているのですが、私も味読です。
>>17 了解しました。ちなみに南部為吉郎さんはイタリアにメールを送られている
ようですが、ぺスカーラ在住の下位春吉研究家の女性の方とはコンタクト
されたりしてますか?私も向こうからの情報に興味がある次第です。
イタリア特派員だった下位の娘婿が別のドイツ特派員と共著の戦後ルポルタージュ
独伊篇はコピーで入手しましたが、この人の長男の「地球半分逃げ帰る」は
どこからか実際に出版されているのでしょうか?私も噂程度しか聞きませんが。
私はイタリア語が出来ませんので、基本的に英語でメールを送っています。だから、返事は5分5分ですね。
そのイタリアの研究家の方は初耳です。イタリアで研究なっている方がいらっしゃるとは聞いていたのですが・・・・・。
私は古本関係の情報交換グループ(古本に強い出版関係者の集まりです)に所属していますが、「地球半分逃げ帰る」の情報は未だにありません。戦後ルポルタージュは、入手しております。
現在探しているのは春吉氏の講演筆記「伊国の酒」という本です。一度、古本目録で見つけたのですが、手に入れ損ってしまいました。悔やまれます。
>>19 イタリアとのメールのやり取り>そうですか。イタリアとのコンタクトはイタリア語が
確かに必要ですね。
ところで大学書林のイタリア語小辞典を編纂した下位英一氏は春吉とは義兄弟
という間柄でよろしいのでしょうか?春吉と家族関係についてこちらでも情報
整理しているところです。
奥さんの弟さんで良いと思います。著作の中でも、「義弟と渡伊する」と有りましたので。
これ以上はプライヴェートに関わりそうなので、もし家族関係のお話なら直接メール頂ければ有り難いです。
お教え頂ければ、こちらからメールしても構いません。
何かと歴史関係を追っていると、そういうことが気になるものでして・・・・。
判りました、それでは続きはメールにて。
生まれが福島県なので、修学旅行等で何度か行った事があります。
終戦後、米軍がムッソリーニの名前が削り取りに来た、という噂が地元ではありますが、本当なのかどうかは検証しておりません。
子供の頃から、「何でムッソリーニが白虎隊を知っている?」と長年の疑問でした。下位春吉氏の存在を知って、ようやく合点がいった次第です。
>>24 ムッソリーニの名前が在ったかは定かではありませんが、主な碑文全面は終戦後に一度削られて
1986年になってから地元の有志の方々によって再現されたそうです。また、米軍は記念碑の
土台の四隅と鷲が掴んでいたファシスト党のシンボルであるブロンズ製のファッショ(斧を
棒で束ねたローマ時代の護民官の武具)も撤去しました。戦前の姿は
>>23のサイトを開けば
当時の完成図で確認できます。
ダヌンツィオと親交のあった下位は1920年代の若いまだ理想に向かっていた時代のファシスト
党に共鳴してこの白虎隊の逸話をムッソリーニに伝えたのでしょうか。
その他に情報は?
(^^)
日本海で沈没船の財宝探しもやってる。
戦前の大本教と絡むのなら、今をときめく秋山真之の晩年にも接点は
あるのだろうか?
大本教に秋山真之がいたのはほんの一時期だけでは?
31 :
学部生@文学部:03/01/15 21:47
このスレを立てた本人ですが、しばらく見ないうちに大いに盛り上がっていた
ので驚いてしまいました。大学の図書館で論文をあさっていたのですが、まったく
見つからず、皆さんがどこでこれほどの情報を入手されたのか、ただただ
驚いています。
このスレを立てたきっかけは、ロッセリーニを中心としたネオリアリズモ
に関する資料を探していたところ、青土社の「ファシズムを演じた人々」
という本の中でダンヌツィオに関する文章の中で下位春吉のことを見つけた
ことがきっかけでした。
当時の新聞を丁寧に読んでいると、東京朝日新聞にはたびたび記事やインタビュー
が載っていました。彼がダイヤモンド社から本を出した時の担当の編集者のノート
が現存しているようなのでそれをぜひ読んで見たいと思っています。
今期のレポートには間に合いませんでしたが、卒業制作のドキュメンタリー
はぜひこの人物を追いかけてみるつもりです。
ややうろ覚えですが、青土社の「ファシズムを演じた人々」の細かい記述に間違いあります。気をつけて下さい。
33 :
日本@名無史さん:03/01/16 01:58
>>14 間違ったらすみません。
その方って世田谷区に住んでませんか?
(^^)
>>31 今現行の資料でなら、
展転社刊 昭和の戦争記念館第3巻 「大東亜戦争の秘話」名越二荒之介編
にも色々と春吉のヒントが隠されています。ご一読を。
>>33 プライバシーに関わる事柄なので詳しくはお答えできませんが、私がお会い
した方は世田谷区在住ではありません。いずれにしても春吉の娘一家の44年
におけるイタリアでの興味深いエピソードは木村裕主さんの「だれが
ムッソリーニを殺したか」でも紹介されています。
文庫版ではタイトルが違っていたような。
37 :
日本@名無史さん:03/01/21 11:56
青土社の「ファシズムを演じた人々」は戦後忘れ去られた下位を世間に
再認識させた意味は大きいと思う。ここから始めた人も多いんじゃない?
イタリア突撃兵部隊の軍服姿の下位春吉写真に萌えた。一次戦ごろって結構
日本人がフランスでも義勇軍として参戦していたような。バロン吉元の漫画でも
仏空軍のパイロットになる話があったが、これも何かの実話があったと聞く。
それはバロン滋野のこと?
40 :
学部生@文学部:03/01/23 02:22
下位春吉に関する記事を読んでいたところ、彼がイタリアに渡ったのはダ
ンテの研究をするためであり、いつか日本にダンテの私立公開図書館を作
るつもりであったことを知りました。けれども、大学の図書館や古本で手
に入れた本の中でも、初期に書かれた「お噺の仕方」をふくめてダンテに
ついて書かれた記述はありませんでした。「口語童話」の先駆けであり、
ダンテの研究者であった下位がなぜ、イタリアファシズムの信仰者となっ
ていったのか、1915年〜1917年の空白(イタリア到着から義勇兵となるま
で)を埋める資料はないでしょうか?
>>40 その空白期間は私も追っていますが、今のところは謎です。おそらく推測の域
ですが、その間の英雄詩人ダヌンツィオとの出会いから次第にイタリアの
ナショナリズム運動に傾倒していったのではないでしょうか。
一応、ダンテ関係の史跡を廻ったみたいですよ。そういう文章を見たことはあります。しかし、そもそも教師であった春吉が、なぜダンテ研究を始めたかは、やっぱり不明です。
春吉は後年に国家社会主義排撃の組織に入っています。
当時のイタリア・ファシズムを、現在の我々がイメージとして持つファシズムと重ねるのは難しいのでしょう。
青年運動としての初期ファシズムに、かなり親近感を持ったのではないでししょうか。
無論、14=maroさんの言う通り、ダヌンツイオの影響は大きいでしょうね。
春吉は東京高等師範学校(自称)出身らしいので、兵役に行っていない可能性が大ですね。
春吉が学生だった時代は、戦時色の強い昭和と違って徴兵制もゆるかったですから。
各地に「徴兵除け」を売りにした神社が出来てた時代だし・・・・
45 :
学部生@文学部:03/01/24 03:04
春吉のダンテへの興味は中学のころからだと、東京朝日新聞の特派員とのイ
ンタビューに答えていました。師範学校の英文科で英語版を読んでいるうち
に原書で読みたいと思うようになり、外語大に入学したようです。
春吉とダヌンツィオとの出会いは、東京朝日新聞の特派員がダヌンツィオから
聞いた話によると1917年の秋にイソンゾ河の陣中にいるダヌンツィオの元を
春吉が尋ねてきたことがきっかけのようです。しかしそうすると、なぜ春吉が
義勇兵として参戦したのか、きっかけが分からなくなります。ダヌンツィオに
影響を受けてというのならば分かりやすいのですが。。
すいません。
差し支えなかったら、その記事の出た新聞の日付をお教え願いないでしょうか?
>>45 なるほど、春吉がダヌンツィオに出会ったのが1917年のイソンゾ河の陣中だと
するとそれ以前からイタリアのナショナリズムに傾倒していたのかも知れませんね。
ただ実際に兵士として参戦したのは、1918年10月のモンテ・グラッパ戦線での
最終局面からしか(イタリアの官報を引用した春吉の記述などからも)今の所
確認出来無いので、義勇兵になったのはダヌンツィオとの出会い以降だと言える
のかも知れません。そして思想から行動への切り替えが起こったのではないで
しょうか。私もその朝日新聞の日付けを知りたい所です。
春吉研究の方からお借りした「大戦中のイタリア」にも“欧州大戦乱中、私が
伊国の戦線に走ったのは、一九一八年の夏であった。”という記述がありました。
>>45の新聞記事と突き合わせて前年にダヌンツィオに会った事がキッカケに
なり、それから影響を受けて義勇兵として参加したという流れでしょうか。
50 :
学部生@文学部:03/01/25 08:44
新聞の日付ですが、東京朝日新聞の大正十年五月七日の2ページ目です。四回の連
載ものの「ナポリの詩人下位」という記事です。インタビュアーは「文史朗」とな
っていますが当時の特派員の名前からすると、鈴木文史朗だと思います。文史朗
の著作を読んでみましたが。
米欧変転記 / 鈴木文史朗 著 1943
文史朗文集 / 鈴木文史朗 著 ; 文史朗文集刊行会 編 1952
文史朗随筆 / 鈴木文史朗 著 1948
東西話行 / 鈴木文史朗 著 1926
静動雑記 / 鈴木文史朗 著 1947
のどこにも、春吉の名前はありませんでした。しかし、ダヌンツィオとムッそーリ
ーニのインタビューはあったので、この人物で間違いないと思います。
51 :
学部生@文学部:03/01/25 08:57
>>49私としては、「ファッショ運動とムッソリーニ / 下位春吉 述 1927」
のなかで春吉が戦争でのイタリア人を見てみたかったという考えで参戦した
と書いていることを考えて、そこでダヌンツィオと出会いイタリア・ファ
シズムに傾倒していったのかと思っていました。しかし、イタリアの官報に
書いてあるとするならばやはり1918年に義勇兵として参戦したのでしょうか、
たしかにそっちのほうが分かりやすい順番ですし。
新聞の日付のご教授有難うございます。
あさひ新聞の縮刷版をチェックする手間が省けました。
イタリア軍への参加を春吉本人は「物見遊山」と称しておりますから、あんまり大げさな理由はないのかもしれません。
まあ、照れ隠しで言っているのかもしれませんが・・・・。
>>50 >東京朝日新聞の大正十年五月七日の2ページ目
レスどうも有難うございます。
私もこの日付けを元に調べてみようかと思います。
ナポリの詩人下位と紹介される割には一遍の詩編も現在は伝えられていない
のも以前から大いなる謎でした。もしかして自称?と思った事もあります。
55 :
日本@名無史さん:03/01/28 09:10
下位春吉は舌刀を揮って乱麻を切る
こう評したのは出口王仁三郎
大本教だけではなく色々な人脈が春吉の周囲には見られますね。基本的には
右より、反共産ですが。佐賀藩の士族出身である事を考えると皇道派との接点
も出てきそうです。
戦前の児童文学関係で名前を聞いた事が在ります。
58 :
学部生@文学部:03/02/03 02:02
>57
イタリアへわたる以前に、大塚講話会というものを立ち上げたようですね。
日本童話協会にも所属してようで、昭和15年に協会の発行している童話研
究という雑誌に春吉の文章が載っていました。
ということは、児童教育はライフワークだったと考えてもいいのでしょうか?
大塚講話会や数々の戦前の児童文学者との関わりや業績は知っていますが、
どうしてもそれと日本におけるファシズム思想の伝道師としての下位春吉が
なかなか自分のなかで結びつかなくて困っています(笑
帰国前の大正時代から既に軍国童話作家とは交流があったようでなかなか複雑な
人物です。
当時は口演童話というものが、教育の一環で行われていました。
大塚講話会は随分と本を出版しておりますが、東京師範学校の生徒・つまり教師の予備軍として、この口演童話を意識していたのでしょう。
春吉本人はこの口演が上手かったみたいですね。
この口演のマニュアル本が「お噺の仕方」という本というわけです。当時はベストセラーだったようです。
それと、当時の教育は国家主義でしたので、童話にも国家主義的なものは多いです。関わった人は忘れたいらしいですが(笑
そういえば、巌谷小波もドイツに留学していた筈。意外に童話とファシズムは近い所にあったのかも・・・・。
定期あげ
遅まきながら、記念カキコ。
昭和戦前期、かなり有名だったけど戦後忘れられた知識人?の一人ですね。
記念カキコ2
こういう戦前日本の多様な人材を知る機会はありませんね、
興味深く読ませていただきました。
戦後も天皇に拝謁しているので全く忘れ去られていたのかどうか。
現在は忘れ去られているが。
13 名前: >フィウメ占領 投稿日: 2001/04/04(水) 05:35
1ですけど
三島へのダヌンツィオの影響は、楯の会OB会でも話題になってたと聞いたことがあります。
それから、フィウメ占領には下位春吉という土井晩翠の弟子に当たる作家が、日本人として
はただ一人参加してます。下位は日本にファシズムを紹介した人ですが、後に日本に帰って
大本教の出口王仁三郎と黒龍会の内田良平が作った「昭和神聖会」の幹部になってます。
あれ、明日は出張で会議なのに…何でこんな時間に起きてんだ、私は。w
>>6 世界史のスレに書き込んだという下井の略歴をもう一度ここに書いて
もらえませんでしょうか?どうも世界史板の方はダット落ちしたようです。
ご要望につき、先に世界史板に出した略歴を書きます。
細かい事実は色々ありますが、ざっとこんな感じの人という略歴ですので、その辺はお汲み取り下さい。
あ!あと間違ってる記述がある場合は遠慮なくご指摘ください。
上からの続き
下位春吉
明治16年10月20日、福岡県朝倉郡生まれ。
明治40年、東京高等師範学校英語科入学、入学時から巌谷小波・久留島武彦の「口演童話」運動に参加。卒業後は女子中学・女子師範学校の教師をしながら、東京外語大学伊太利語科へ通う。
その語学力を買われ、大正4年にナポリにあるイタリア国立東洋語学校の教授として赴任する。現地で日本文学の紹介を目的とするサークルなどを作る。
第一次世界大戦へのイタリア参戦後、大正7年頃にイタリア陸軍の特殊部隊である「アルディーティ」部隊へ義勇兵として入隊し、「ビアベ」や「グラッパ」などの戦闘に参加らしい。
1919年(大正8年)ベルサイユ条約に反旗を翻した「フィーメ」占領事件へもダンヌンツィオの側近として、国内右派の政治家への密使などで活躍を見せる。
その後も、ファシズムの初期である黒シャツ運動に関係し、ムッソリーニの知人として日本の知識を授ける。
何度もイタリア・日本を往復し、日本における「イタリア・ファッショ」の宣伝者として講演や著述を行い、新聞社長や政治団体の理事などを歴任。
昭和29年12月死去。
64様へ
戦後の天皇拝謁につきまして、差し支えなければ状況をお教え願いますか?よろしくお願い致します。
>>69南部さん
コテハン書き忘れてました(W
聞き及んだ話では、昭和22年と23年に昭和天皇に拝謁して戦前の著作について
説明したという話しでした。
>>71maro'様
わざわざ書き込み有難うございます。
下位春吉年表は参考になりました。
文学者という位置付けでよいのだろうか。
75 :
学部生@文学部:03/03/11 04:28
就職活動のためなかなか卒論にとりかかれません。
現在、私が集めたり読むことができたのは、
英米裸形三態 / ルイヂ・バルジーニ 著 ; 下位春吉 譯 1941
日本協会パンフレット]. 89 / 下位春吉 述 1940
今日のイタリヤ / ミルコ・アルデマーニ,下位春吉 著 1940
ファッショ・イタリヤの社会事業 / 下位春吉 編述 1940
伊太利の組合制国家と農業政策 / 下位春吉 講演 1933
ファッショ政体に於ける労働政策 / 下位春吉 著 1932
ファッショ運動とムッソリーニ / 下位春吉 述 1927
ムッソリニの獅子吼 1919
お噺の仕方 / しもゐはるきち 著 1917
なのですが、他にも読むべき資料があれば教えていただけないでしょうか?
76 :
学部生@文学部:03/03/11 04:44
>>南部さんへ
下位は福岡県嘉穂郡に住んでいたことがあるようです。
大正14年に発行された「偉哉リッツォ艇長」下位春吉著
の巻末に発行所として「福岡県嘉穂郡飯塚町
下位 郷友・学友会」と書いてありました。
東築中学(2期卒)だとは南部さんからの情報で知りましたが。
高校の社会の先生が、下位さんだったが...
>>学生部@文学部様
「偉哉リッツォ艇長」の記述は、さる作家サンからお教えていただきましたが、私自身が確認しておりませんでした。わざわざご教授有難うございます。
また、下位氏のどの側面を中心に卒論をお書きになるのかにもよると思いますが、比較的本人が自分を語っているのは、雑誌「キング」付録だった「熱血熱涙の大演説」ではないでしょうか?
私でよければご協力いたしますので、もし宜しければ卒論完成時にはお見せ願えませんか?無論、宜しければですが・・・・・・。
80 :
学部生@文学部:03/03/13 01:57
>>南部さんへ
もし、よろしければぜひお願いします。学部生
なので、クオリティには自信はありませんが、
就職さえ決まれば、時間だけはあるのが学生なの
で、就活が終わり次第(6月ぐらい)、下位の故
郷を訪ねたり、じっくりと時間をかけて取り組む
つもりです。
卒論の指導教授にも言われましたが、下位の持つ
顔があまりにも多いので、切り口をどこにするか
非常に迷っています。
「熱血熱涙の大演説」ですが、上にあげた著作の
中に収録されていたような気がするので、探して
みます。
>学部生@文学部さん
都内にお住いなら国会図書館で下位の著書・翻訳書が二十数冊揃っていますので
閲覧やコピー取りも可能です。お試しください。
>学部生@文学部さん
お返事有難うございます。
都内にアクセス出来るなら、maro'さんのお言葉通り国会図書館が近道ですね。
ただ、国会図書館は役所仕事のメンドクササが分かる場所ですので頑張ってください。
83 :
日本@名無史さん:03/03/14 18:21
世界史板から記念カキコ。
84 :
学部生@文学部:03/03/15 18:21
>maroさん
>南部さん
アドバイスありがとうございます。都内の大学なので、大丈夫です。
国会図書館には、コピーの枚数に上限があるという恐ろしい噂を
聞いたことがありますが、地道に日参します。
>学部生@文学部様
論文のコピーなどは著作権をうるさく聞かれますので、予め下位春吉の没年が1954年(昭和29)であること載っている資料をお持ちすることをお勧めします。
あと、コピー代は通常よりも高いですので、ご用意を!
都内でしたら直接会うことも可能ですので、機会がございましたら情報交換いたしましょう。
ご健闘を!
>学部生@文学部さん
増上時近くの三康図書館に『対戦中のイタリヤ』があります。こちらの方が
国会図書館より閲覧やコピーもしやすいかもしれません。
書き間違いですね。正しくは『大戦中のイタリヤ』でした。
今過去スレ読むと
>>56で佐賀藩士族出身と書きましたが秋月藩の誤りです。
訂正をば。
ホシュ、ホシュと。
下位さんのみという訳ではなく、第一次戦に関わってそうな日本人の本を読みまくってます。
どなたか、商社関係で第一次戦へ関わってそうな人間の著作をご存知ありませんか?イタリー関係が載っていると面白いのですが・・・。
白土拝
此の期に及んでまだ生年月日と没年月日を修正させられるとは、つくづく謎な
お人だ。
(^^)
捕手じゃなくて保守。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
95 :
学部生@文学部:03/04/30 23:49
お久しぶりです。なんとか就職活動を終了することができました。
とりあえず、下位春吉の本を読破するために国会図書館通いから
始めるつもりです。
就職活動、ご苦労さんです。
春吉のどの辺りをやるか、決まりました?
スイマセン。
上の書き込みは学部生@文学部さんへのものです。
>>南部為吉郎さん
私としては、下位の様々な顔がどのように作られていったのか。
それを生い立ちから調べていきたいと思っています。
気の長い話なのですが、彼の著作や彼が関わった場所や組織
に残された足跡を探してみたいと思っています。
研究がんばって下さい>学部生@文学部さん
まずは福岡の父方出身藩史から調べられると意外な人脈があがってくると
思います。春吉氏の人脈のおおもとは全てこの北九州から出ていると
言っても過言では無い様です。思想的な足掛かりもこの辺にありそうです。
大ヒント、福岡出身の戦前の大物右翼と言えば…。
100 :
日本@名無史さん:03/05/17 16:11
100getは、サザエでございま〜す!
(⌒Y⌒Y⌒)
/\__/
>>1-49 母さん、この味どうかしら?
/ / \
>>50 流石マスオさん、50getできるなんて!
/ / ⌒ ⌒ \
>>51-73 まぁタイ子さん、お元気?
(⌒ / (・) (・) | ∧
>>74 ンモー、カツオったら名前書いてても0点取るんだから!
( (6 つ | |  ̄ヨ
>>75-76 あら、裏のお爺ちゃん!
( | ___ | / ヨ
>>77 父さん、いいかげんに止めたら?
\ \_/ / / / ̄
>>78-94 なんということでしょう!
\____/ / /
>>95-99 あんた達ねぇ〜、東芝のパソコン
使わないから100取れないのよ!
101 :
一石二鳥は当たりまえ:03/05/17 16:12
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
103 :
maro':03/05/23 10:53
春吉氏の著作&原稿一覧の資料があると聞きました。入手できれば弾みが
つきそう。
104 :
南部為吉郎:03/05/23 22:36
そそそ、それはスゴイ!
ほしいい!!!
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
106 :
日本@名無史さん:03/06/22 22:09
よくわからんのでアゲてみた。
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その2●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/988/988402795.html 707 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/21(月) 17:21
>>703 いいかい、君達は市場資本主義の世界に生きている。
トップに上り詰めたクリエータ達も万能じゃない。
ネタには日々苦労しているんだ。
ネタはマンガ、小説、歌詞、映画、芸人等あらゆる
マスコミの活動に効果的に利用されている。
自身や芸能人周辺ネタでは限界がある。結局、
一般市民情報から供給しなければ、立ち行かなくなる。
君らが気がつかなければ、いいネタ元になっていた物
をこっちはあがったりだ。
君達は選ばれたんだ。それぞれに物語が設定してある。
君達に刺激を与え、物語を発展させ、そこからネタを貰う。
物語を発展させる想像力は意外と稀有な能力でね。
忘却のかなたに消える所を世に送り出してあげている訳だ。
君達も自分達のネタが商品化されていたら喜べよな。
これで市場が盛り上がり、景気が良くなり、皆ハッピーだ。
完全なシステムさ。君らが一翼を担うのは当然だろ。
気が付いていないが君達は自分でその道を選んだよ。
もっと大人にならなくちゃ駄目だよ。
だとさ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
(^^)
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>>107 丁寧なレス、ありがとうございます。
そうですね、調べものの一環でしたので興味が分散しがちでした。
直接的に興味があるのは世界に残した影響、と言いたい所ですが、
確かにそれを追うだけでも範囲がべらぼうになりそうですね。
また、他板を漁ってはみましたがそれらしいスレは中々見当たらず、
土壌を作るにも事情を知らないと難しそうに思われました。
まだ調べはじめて間がない事もありますので肝が座りにくいという事もあり、
専門書を読みつつネットを泳いで探してゆくのが良いようだと感じました。
雑談のほうも覗かせていただきます。
折角のお話を申し訳ありません。有難うございました!