織田信長の有力家臣について語ろう

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1日本@名無史さん
一時代を築いた織田信長
彼を支えたと言うか、こき使われた信長の有力家臣団について
語りましょう。

取り敢えずは、柴田、豊臣、丹羽、滝川、池田、前田、佐々あ
たりから話を始めませんか?
2日本@名無史さん:02/11/08 08:45
羽柴秀吉 
3日本@名無史さん:02/11/08 08:45
明智光秀
4日本@名無史さん:02/11/08 09:03
明智光秀をすっかり忘れていた。
織田家家中で最もスピード出世をしたのは羽柴秀吉じゃなくて明智光秀のような
気がするんだけど実際はどうなんだろう?
5bloom:02/11/08 09:10
6日本@名無史さん:02/11/08 09:52
光秀のスピード出世は、織田家家臣団との婚姻関係も大きな要素かと思われ
7日本@名無史さん:02/11/08 10:13
光秀と婚姻関係にあった織田家中の有力武将と言うと細川藤孝の他に誰がいたっけ?
8日本@名無史さん:02/11/08 10:38
>>7
筒井(?)・津田信澄、荒木もだっけ?
9日本@名無史さん:02/11/08 10:41
>>1
類似スレ多数あり。
気をつけてスレ立てするように。
101:02/11/08 10:45
>9
類似と言われようが、このネタと傾向での話が聞きたかったのでスレを立てた。
類似は類似であって複写とかコピーではないので、その点をご考慮願いたい。
11佐々成政:02/11/08 10:47
時代の波に乗れなくて、ちょっと悔しい。
12日本@名無史さん:02/11/08 11:07
>10
類似スレで語れる内容は類似スレでやろう。
13日本@名無史さん:02/11/08 11:13
丹羽長秀は織田家中では古参でそれなりの地位もあった筈なのに、殆どの小説や
ドラマから抹殺されていると言う罠
14日本@名無史さん:02/11/08 15:15
>>13
見せ場がないんだよな。
美濃進攻や安土築城とかでしか。
15日本@名無史さん:02/11/08 15:23
パッとさいでりあの「パッ」は
パッとしないの「パッ」
16日本@名無史さん:02/11/08 15:27
滝川一益は池田恒興の親戚ってほんと?

「滝川一益」という文庫本(出版社忘れた)の話だけど、うそっぽい気がする
17日本@名無史さん:02/11/08 15:28
前田家の直系子孫が南方で戦犯として処刑されたが、見事な死に様だったらしい。
銃殺する相手のために目印を胸に縫っておいたとか…
18日本@名無史さん:02/11/08 15:29
>>16
池田恒興の父親が婿養子で、もとは滝川姓だったとは思うけど、
滝川一益と親戚かどうかはわからないなあ。
19日本@名無史さん:02/11/08 15:31
ま・ま・まじーーー 
まったくのでたらめでもなさそうだな・・・

20日本@名無史さん:02/11/08 15:43
あのまま織田信長が生きていたら、たぶん森蘭丸も有力家臣になったはず。
21日本@名無史さん:02/11/08 15:45
>>20
言わずもがな
22武蔵野:02/11/08 16:10
佐々家の末裔が、今テレビに頻繁出て活躍しているぞ。
23日本@名無史さん:02/11/08 16:56
>>20
蘭丸のアニキが生きてる間はムリだろ
24日本@名無史さん:02/11/08 18:13
森長定だっけ?
既に5万石の大名じゃなかったっけ?? らん丸って・・・
25PURE-GOLD:02/11/08 18:23
総合芸術情報発信サイト。
http://www.pure-gold.jp/koten
26日本@名無史さん:02/11/08 20:08
本当は森乱あるいは乱法師。
実名は、成利あるいは成和。
これが正しい。
27日本@名無史さん:02/11/08 20:54
織田信忠の乳母の滝川氏(三の丸殿の母)は滝川一益と関係あるの?
28日本@名無史さん:02/11/08 20:56
乳母って池田恒興のお母さんでしょ。
29日本@名無史さん:02/11/08 21:11
信長の乳母が池田恒興の母。のち信秀の側室。
信忠の乳母が滝川一益の縁者(?)。のち信長の側室。
30日本@名無史さん:02/11/08 21:18
織田信忠の乳母の滝川氏(三の丸殿の母)= 滝川一益の縁者(?)。のち信長の側室。

って、娘と一緒に秀吉に磔にされたんだよね。

3129:02/11/08 21:21
磔にされたのは信孝の母の坂氏と信孝の娘では?
32日本@名無史さん:02/11/08 21:48
信長の乳母(池田恒興の母)も織田信秀の側室だよ。
信長の妹の小田井殿を産んだのは池田恒興の母。
33日本@名無史さん:02/11/09 00:06
>>29・32
信長の乳母が、信秀の側室だった証拠・資料があるのですか。
ご存じなら、教えてください。どの本に載っているのですか。
宜しくお願いします。
34日本@名無史さん:02/11/09 00:18
小田井殿の墓石のある寺帳か何かにそう書いてあるのが発見されたはず。
結構有名だよ。検索しろ
3529:02/11/09 00:56
今私の手元にあるのは、「歴史読本1992年3月号 織田信長 一族の女性たち」。
この雑誌の152ページに信秀の側室についての記事があります。
以下その引用。

【池田氏】
 池田政秀の息女。実名不詳。信長の乳母となり、晩年に「大御乳さま」と呼ばれる。
永正十二年(1515)生、慶長十三年(1608)十月十六日没、九十四歳。
 『諸家系図纂』によれば、尾張小田井城主織田信張の子息又八郎信直は
某年に信長の妹を娶るが、その生母について「母号養徳院。元嫁池田紀伊守恒利。
生勝三郎信輝」云々と記す。 
(以下略)
3633:02/11/09 01:07
>>29=35さん ありがとうございます。
歴史読本でしたか。明日にでも早速に図書館行って、調べてきます。
市内の図書館にあるかなー。
でも、一部でも引用していただき、有り難うございました。
自分でもよく勉強してみます。『諸家系図纂』も調べてみます。
子供の乳母を側室にしてしまったのですね。
3729:02/11/09 01:17
それと『織田信長総合辞典・岡田正人編著』雄山閣出版 にもほぼ同じ記事が
載ってたと思います。持ってないので確認はできないのですが、
こちらのほうが出版年が新しいはずなので、見つかりやすいかもしれません。
3833・36:02/11/09 01:31
>>37さん またまた、有り難うございました。
辞典ならば、市内の図書館にもあると思います。
この本、知りませんでした。まだ、信長に興味を持って、日が浅いので。
34さんが言われるように、「小田井殿」で検索してみましたが、
「墓石のある寺帳」は出てきませんでした。
39日本@名無史さん:02/11/09 02:00
貢献度→柴田≒羽柴≒明智>滝川>>>前田≒佐々>2羽>池田
出世度→羽柴>>>>>滝川>>明智>>柴田>>前田≒佐々>庭>池田
知名度→羽柴>>>>>>>>明智>>>>>前田>柴田>>>>滝川≒二話≒池田
40日本@名無史さん:02/11/09 02:00
不等号半角にすりゃよかった・・・
41日本@名無史さん:02/11/09 13:06
そういえば、池田恒興にも織田信秀の息子説があったな
42日本@名無史さん:02/11/09 13:21
いくらなんでも丹羽が前田や佐々より貢献してないということはないだろ。
43日本@名無史さん:02/11/09 15:16
>>41
池田恒興「にも」ってどういうこと?
ほかは長谷川竹ぐらいしか知らん。
44日本@名無史さん:02/11/09 15:53
じゃあ長谷川竹でいいじゃんw
45日本@名無史さん:02/11/09 16:48
貢献度→柴田≒羽柴≒明智>滝川>>>前田≒佐々≒2羽>池田
出世度→羽柴>>>>>滝川>>明智>>柴田>>前田≒佐々>庭>池田
知名度→羽柴>>>>>>>明智>>>>>前田>柴田>>>滝川≒二話≒池田
46日本@名無史さん:02/11/10 01:59
有力家臣
47日本@名無史さん:02/11/10 02:15
>>45
出世ということなら、滝川一益は明智光秀より下だと思うが・・・
48日本@名無史さん:02/11/10 02:18
45はアンチ池田?
49有力家臣の子孫:02/11/10 13:08
池田恒興の、織田信秀息子説、聞いたことないなー
長谷川秀一のことなら、『織田信長総合事典』にかいてあったけど
50日本@名無史さん:02/11/10 14:59
www.page.sannet.ne.jp/kotatu/ hyo/itiran/itiran/ikeda2.htm
息子説
51日本@名無史さん:02/11/11 09:40
池田家ばんざい
52日本@名無史さん:02/11/11 11:07
>>35
>勝三郎信輝
この時点で正しくないよ。
53日本@名無史さん:02/11/11 15:23
池田は信長の乳兄弟だから。身内といっていいよ。
5435:02/11/11 19:39
>>52
私もその点は引っかかってはいましたが、
「信輝」がおかしいからといって即、信直室の母が養徳院、
という記述まで否定はできないので、そのまま書きました。

ただどうも池田家はこの「恒興」が「信輝」と伝わっていたりという点のほか、
彼の妻がもと織田信時の妻だったのか織田信勝(信行)の妻なのかとか、
長男の「元助(之助)」の実名とか、輝政の前妻の中川氏の離縁理由は何なのかと、
曖昧というか情報が錯綜している点が多くて、よくわからない家ですね。
55日本@名無史さん:02/11/11 19:42
池田恒興の池田は、摂津の池田ですか?
56日本@名無史さん:02/11/11 19:52
混乱させている池田家履歴略記を書いたのは斉藤道三の子孫。
元助の妻が斉藤道三の娘だった関係で雇ったらしい。
5735:02/11/11 19:58
>>55
それも謎のひとつですね。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ikeda.html
上記のページのとおり出自も諸説あるようで……
以前に恐らく藤堂高虎のスレで延々とその話題が出てたことがありました。
58日本@名無史さん:02/11/11 21:06
某 「池田殿はさぞかし名家なんでしょうな」
池田輝政 「今系図を偽造してるとこだよん」

 あっけらかんと答えたって逸話を聞いたことあるよん。


59日本@名無史さん:02/11/11 21:39
太田牛一。彼がいなかったら信長という人物がここまで明らかにはならなかった。
60日本@名無史さん:02/11/11 21:42
>>58
それ池田光政のことだと思うが。

大名A「池田さんの先祖はだれですか」
光政「いま林大学頭に申し付けてある。できたらお知らせします」
61日本@名無史さん:02/11/11 21:45
>>58、60
前田利常じゃなかったけ?
62日本@名無史さん:02/11/11 21:47
>>60は司馬遼太郎著作より
63日本@名無史さん:02/11/11 21:57
>>61
前田利常は池田光政ヲタクだったらしいから真似したんじゃないかな
もしそんなことを言っていたとしたら
64日本@名無史さん:02/11/11 22:36
>>63
利常のほうが年上ではないの?
65日本@名無史さん:02/11/12 11:00
>>54
>「信輝」がおかしいからといって即、信直室の母が養徳院、
>という記述まで否定はできない

否定はできないけど疑わしいよね。
すくなくとも肯定はできないよね。
つまり、その史料を根拠にはできないということです。
66日本@名無史さん:02/11/12 22:02
>>64
年上でも名君という点では池田光政のほうがずっと上なわけで
67日本@名無史さん:02/11/15 17:37
丹羽長秀の話ってあまり聞かない。
実際、謎の多い人物だったのだろうか?
68日本@名無史さん:02/11/16 02:31
滝川と明智の前半生も謎が多いよね
69日本@名無史さん:02/11/16 02:43
滝川一益は甲賀忍者の出と言う解説を時々読むけど、幾ら何でも一介の忍から
武将に成り上がったと言うのは考えにくいような気がする。
甲賀の土豪の出と言う事なんじゃないだろうか?
70日本@名無史さん:02/11/16 02:51
>69
甲賀の土豪は、上忍じゃ?
71日本@名無史さん:02/11/16 03:42
>>69
滝川は国人だからね。
その頃のエピソードが残ってないのは
当然と言えば当然。
池田家との姻戚関係を利用して
信長に仕えるようになったのは事実のようだ。
初めは鉄砲の技術が高かったことを評価され、
鉄砲師範のような仕事をしていたようだ。
その後、指揮能力を買われ前線指揮をとるようになり
出世していったらしい。
72日本@名無史さん:02/11/16 04:23
鉄砲のエピソードと言うか描かれ方をする事が明智光秀も多いような気がする。
実際に明智光秀が砲術に秀でていたと言う事実はあったのだろうか?
73日本@名無史さん:02/11/16 07:02
>>72

「足利義昭と信長の仲介」しかり、それもこれも、
光秀の血を引く細川家が、『細川家譜』で
捏造したものです。
74日本@名無史さん:02/11/16 07:41
>>72
三好軍の襲撃から足利義昭を守るべく鉄砲撃ちまくりました

>>73
なんのこっちゃ
別に細川家では光秀に思い入れなんかありません
75日本@名無史さん:02/11/16 13:35
佐々成政最強伝説!!
76日本@名無史さん:02/11/17 05:30
米五郎左の話は出ないね。
やっぱ地味な武将だったのかね。丹羽は。
77日本@名無史さん:02/11/17 11:22
織田信長有力家臣

織田信忠
羽柴秀吉/柴田勝家/徳川家康/滝川一益/明智光秀
織田信雄/織田信孝/丹羽長秀/長岡藤孝/筒井順慶/穴山梅雪/三好笑岩/蜂屋頼隆/前田利家/佐々成政/池田恒興
長岡忠興/森長可/蒲生氏郷/宇喜多秀家/河尻秀隆/羽柴秀長/宮部継潤/武田元明/津田信澄/織田信包/不破光治
78日本@名無史さん:02/11/17 15:17
>>77
大武鑑だっけ?
79日本@名無史さん:02/11/17 18:11
>>58
松本伊代みたいな奴だな。。。
80歴史学士:02/11/17 18:29
蒲生氏郷はキリシタンで僕の好きな武将です。

 智謀と芸術性、そして武力に軍学的センス抜群だったからです。
81日本@名無史さん:02/11/17 19:35
武力ってなんでつか?
82日本@名無史さん:02/11/17 19:36
心の力
83日本@名無史さん:02/11/17 19:46
安土城の建造、琵琶湖〜淀川の連絡船の建造、四国征伐の準備など
大活躍の丹羽がなぜ地味?
84 :02/11/17 20:53
>>83
「準備」って地味じゃん(w
85日本@名無史さん:02/11/17 20:54
そだな
86日本@名無史さん:02/11/17 21:01
本能寺さえなければ丹羽はちょうそかべの首をとってたと思う。
本能寺が全部悪い。
87日本@名無史さん:02/11/17 21:02
丹羽は息子がアホだからなー子孫もなー
88日本@名無史さん:02/11/17 21:03
↓ 他スレから転記だけど、伊予ぐらいもらって四国探題なんて呼ばれたりして。


@信長 …圧倒的な支配者、海外進出だ。
A信忠 …信頼された後継者、海外出兵は撤収。
B柴田 …ゆーても筆頭家老、奥州もオレが攻め取るぜ!奥州探題。
C羽柴 …毛利降したら領土拡張STOP?
D明智 …九州探題に配置替え?
E滝川 …北条討伐後、江戸へ。
F丹羽 …四国の伊予あたりを頂戴する?
G信雄 …信孝滝川栄転後、伊勢伊賀志摩全域領有。近畿管領。
H佐々 …柴田前田の奥州進出後の北陸探題?に
I前田 …奥州探題柴田の副将に。その死後は奥州探題に。
J川尻 …甲斐をしっかり守れ!
K筒井 …明智九州探題の副将に。
L森  …信濃をしっかり守れ!
M信孝 …三好家を継いで、阿波と讃岐を領有。
N池田 …遠くに転封された稲葉、氏家の後に入り美濃へ。信忠の補佐。
O村井 …京都をしっかり守れ!
P信包 …信雄の補佐して、近畿を安定化。
Q蜂屋 …どうしよう、何する?
89日本@名無史さん:02/11/17 21:04
房大量発生
90日本@名無史さん:02/11/17 21:07
丹羽の子?で一人京極家の養子に行ったのが、京極家の支藩主になってた。
名張藩。で、オレはあの丹羽長秀の子孫だぞーって、お家騒動おこしたんだよね。
NHKのドラマでやってた。

91日本@名無史さん:02/11/17 21:11
丹羽のガキは、秀吉より所領を吸い上げ裸れマスタ
92日本@名無史さん:02/11/17 21:20
>91
そしてその所領は前田利家のものになりました
93日本@名無史さん:02/11/17 21:37
>>90
藤堂の養子で藤堂の支藩とちゃうの?
94日本@名無史さん:02/11/17 21:45
丹羽が京極家の養子になどなれるわけないだろ
95日本@名無史さん:02/11/17 22:03
丹羽の没落は、丹波攻略に従軍するようになってから
96日本@名無史さん:02/11/17 22:03
京極でなくて藤堂だった・・・ スマソ
97   :02/11/17 22:08
>>91
越前北庄123万石は一部を除いて前田のものにはなってないよ
関が原で没収された小松8万石と混同しとるんとちゃう?
9897:02/11/17 22:10
91 → 92 ですた。
99日本@名無史さん:02/11/17 22:39
丹羽は九州を与えられたと思うな。
惟隅姓を与えられてるから。
100日本@名無史さん:02/11/17 22:43
明智は日向守で、羽柴は筑前守
101日本@名無史さん:02/11/17 23:42
九州三国志だろ?
羽柴丹羽明智で治めたと思われ。
信孝は四国の蓋な。
102日本@名無史さん:02/11/18 00:04
房大量
103日本@名無史さん:02/11/18 01:18
有力大名の能力値決めてみた。意見希望。

        知力  武力  野望
羽柴秀吉   95   85   99   さすが天下人の実力!
柴田勝家   80   90   75   敗れたりといえど鬼柴田!
明智光秀   96   80   90   三日天下も天下なり!
滝川一益   90   88   66   進むも滝川退くも滝川!
丹羽長秀   88   85   40   織田に無くてはならぬ米五郎左!
前田利家   65   70   20   槍の又左は男でござる!
佐々成政   50   75   50   まさに日本版勇将ハンニバル!
森 長可    30   68   20   鬼武蔵の異名は伊達ではない!
川尻秀隆   20   60   30   名実共に武田の後継者となる男!     
104日本@名無史さん:02/11/18 02:22
房万歳
105日本@名無史さん:02/11/18 02:40
106日本@名無史さん:02/11/18 05:01
丹羽の子孫って二本松と名張以外にはどこかにいるの?
それと名張の子孫って何かトラブル起こして断絶でもしたの?
107日本@名無史さん:02/11/18 09:17
旗本に丹波遠江守長守てのがいて、長崎奉行→江戸町奉行になっている。
が、この江戸町奉行は北町・南町ではなく、江戸時代唯一この時期のみ
設けられた「中町奉行」。
で、かなり前にTV東京で「江戸中町奉行所」て時代劇やってたなァ…(´ー`)
108日本@名無史さん:02/11/18 11:37
名張の丹羽は、NHKのドラマでは結局、無理やり我慢させられて終わった(結局何もなし)と
思うけど・・・ ずいぶん昔だから忘れた。
109日本@名無史さん:02/11/18 11:40
丹羽長守を丹波哲郎が演じていた。
110日本@名無史さん:02/11/18 11:43
丹羽の庭には二羽鶏がいる
111日本@名無史さん:02/11/18 13:08
 
112日本@名無史さん:02/11/18 13:15
>>101
まあ、そうでしょうな。
信長が本能寺で死なずに統一していれば、
政治の中心地は大阪・京都になる。
畿内は信長の直轄地となって、
四国・中国・北陸に息子を配置。
東海道は家康と譜代にまかせる。
滝川は関東に配置し、
柴田は東北に配置。
113日本@名無史さん:02/11/18 13:18
小中学校の同級生に丹羽って名前の愛知県県会議員の息子が居た
けど、長秀の子孫かどうかは不明。

114日本@名無史さん:02/11/18 13:21
>>113
丹羽という名字は結構多いよな
115日本@名無史さん:02/11/18 13:22
岩崎の丹羽氏も生き残ってるからな
116113:02/11/18 13:24
>>114
まあ、柴田とか、前野とかも多かった。
地名も昔は愛知県丹羽郡だった。

117日本@名無史さん:02/11/18 13:26
>>116
そりゃ多いだろうな
118日本@名無史さん:02/11/18 13:32
丹羽長秀の評価って誰か下してないの?
同時代人で。
119日本@名無史さん:02/11/18 13:32
丹波でルンバ
120日本@名無史さん:02/11/18 13:40
有力家臣といえば、梁田広正や原田直政、坂井政尚、蜂屋頼隆などは
けっこう重要ポストだったりする
121日本@名無史さん:02/11/18 13:51
>>118
歴史研究者の、○口先生に聞いてみたら
122六本指:02/11/18 14:28
藤吉郎くんは織田家の家臣という意識はあったのかなぁ?

天下布武とか酔狂なこといいだした傾いた酔狂な兄ちゃんが
いるもんで、酔狂で手伝ってたんと違う?

他の家臣がいないときはタメ口だったと思うぞ。
123日本@名無史さん:02/11/18 14:29
草履取りからスタートしたんだからタメ口はないだろ。

タメ口だったのは利家じゃないかな?
124六本指:02/11/18 14:35
信長くんは織田家で意外と孤独だったから〜。

身の程知らずな親族、譜代家臣、多いしね。

「おめぇら、器じゃねぇだぎゃ〜。」ってさ・・・。

信長君本人は立てても、他の連中はアウト オブ 眼中。

125六本指:02/11/18 14:38
織田家家臣で、好きなのは丹波さんぐらいだったんじゃない?
126日本@名無史さん:02/11/18 15:15
丹波って誰?
127日本@名無史さん:02/11/18 15:34
哲郎に決まってんだろヴォケ
128日本@名無史さん:02/11/18 16:48
>>106
初代の藤堂高吉が、羽柴秀長の養子になった後に高虎の養子になった。
しかしその後実子の高次が生まれたため、後を継げなかった。
そのため子孫は独立をしばしば画策したらしい。
だが結局家臣のまま。


129日本@名無史さん:02/11/19 07:54
まあ、俺が言いたいのは
丹羽長秀とビワハヤヒデは似ている、ということだけだ。
130日本@名無史さん:02/11/20 00:11
>128
丹羽秀長と言う人がいたのですか?
丹羽長秀ではなくて。
131日本@名無史さん:02/11/20 01:01
130は大馬鹿
132日本@名無史さん:02/11/20 01:37
二羽長髭
133日本@名無史さん:02/11/20 08:16
もう丹羽の話は飽きた。
みんなで蜂屋頼隆の話をしようぜ!
134日本@名無史さん:02/11/20 08:59
羽柴秀長も最初は、羽柴長秀だったよ。

長は信長の長だから(へんきを受けたかどうかは知らんが…)下にもってくるのは不遜。
毛利元輝、武田信晴、今川元義・・・ やっぱり変だ、そんなの。
135日本@名無史さん:02/11/20 12:01
>134
そうは言っても丹羽長秀は最初から丹羽長秀だからねぇ。
信長公認だったんだろうし。幼なじみだったようだし。
136日本@名無史さん:02/11/20 13:12
>>133
ネタ出せ
137日本@名無史さん:02/11/20 13:30
滝川一益なんてどーだい?

関東管領位や上州と信州の一部の領土より、茶器を欲しがったという逸話があるけど…
領土に執着しない、野心なんてないんだ・・・という演技じゃねーかな?
劉禅と一緒で、まわりを警戒させないための、演技。
138日本@名無史さん:02/11/20 13:33
滝川しかり、前田しかり・・・みんな加増の仕方が急すぎないか?

前田なんて、3万石ちょっとから、一気に能登21万石だろ。
もう3年本能寺の変が早かったら、いくら親友とは言え、秀吉も前田利家を
相手にしなかったかも・・・
139日本@名無史さん:02/11/20 14:07
>138
あの時期、急速に伸張したからじゃないの?
140日本@名無史さん:02/11/20 14:33
>>139は童貞
141日本@名無史さん:02/11/20 15:21
口の悪い奴がいるな
142日本@名無史さん:02/11/20 16:55
堀、池田、蒲生あたりが、あと3年信長が生きていれば国持ち大名になってたろうな。
143歴史学士:02/11/20 17:08
逝ってよし
144日本@名無史さん:02/11/20 20:46
>>134
はじめは丹羽長秀にあやかって
長秀としたが同じ名前はもったいなくてつかえないということで
ひっくり返して秀長とした話
145日本@名無史さん:02/11/21 14:34
佐々成正の子孫は徳川の旗本としても残らなかったのかな?
滝川一益の孫は家康の側近の旗本になったようだけど。
146日本@名無史さん:02/11/21 17:32
滝川の子孫って・・・そうなの?
147日本@名無史さん:02/11/21 21:30
>>142
池田は国持ち大名といえるんじゃないの?信長の時代だと
何を持って国持ちとするかもはっきりしないけど。
堀が入っていて菅屋が入ってないのも不公平だ、なんて思ってみたり。
148日本@名無史さん:02/11/22 09:41
一国の8割以上を領有してたら国持ち大名かなぁ
149日本@名無史さん:02/11/22 10:59
>>147
池田が国持ち大名といえるのは輝政のときがはじめて。
150日本@名無史さん:02/11/22 11:04
>>145>>146
佐々成政には男系子孫はいません。
滝川一益の子孫は幕臣です。3000俵くらいだったかな?。
それに孫が真田信繁の婿だよね。
151日本@名無史さん:02/11/22 11:57
ということは、真田家の直系は滝川一益の子孫ってこと??

152日本@名無史さん:02/11/22 12:18
>真田家の直系

は、信之。


滝川三九郎は改易(って言うのか旗本?)されてなかったか?
その真田の件で。
153日本@名無史さん:02/11/23 09:57
松井友閑
154日本@名無史さん:02/11/23 10:06
ちょっと借用↓。 この順位って江戸時代どうなるの??

@信長 …圧倒的な支配者、海外進出だ。
A信忠 …信頼された後継者、海外出兵は撤収。
B柴田 …ゆーても筆頭家老、奥州もオレが攻め取るぜ!奥州探題。
C羽柴 …毛利降したら領土拡張STOP?
D明智 …九州探題に配置替え?
E滝川 …北条討伐後、江戸へ。
F丹羽 …四国の伊予あたりを頂戴する?
G信雄 …信孝滝川栄転後、伊勢伊賀志摩全域領有。近畿管領。
H佐々 …柴田前田の奥州進出後の北陸探題?に
I前田 …奥州探題柴田の副将に。その死後は奥州探題に。
J川尻 …甲斐をしっかり守れ!
K筒井 …明智九州探題の副将に。
L森  …信濃をしっかり守れ!
M信孝 …三好家を継いで、阿波と讃岐を領有。
N池田 …遠くに転封された稲葉、氏家の後に入り美濃へ。信忠の補佐。
O村井 …京都をしっかり守れ!
P信包 …信雄の補佐して、近畿を安定化。
Q蜂屋 …どうしよう、何する?
155日本@名無史さん:02/11/23 10:09
直臣に限ると
前田>池田>細川>長益>信雄>
156六本指:02/11/23 10:40
>>123

目一杯、タメ口だったと思うぞ。

世の中には相性、食い合わせというものが存在する。

藤吉郎君のさわやかで愛くるしい笑顔を前にすると、乱暴者の
信長君は何もいえないのだ。

嫌がらせをするときは、大抵、妹のお寧々にやらせる。
至近距離だと、大抵かわすしぃ〜。

藤吉郎くんと織田家お抱えの力士と相撲をさせようとしたりね。
157六本指:02/11/23 10:59
信長君は藤吉郎くんに負い目があるのだよ。

織田家家中で、藤吉郎くんの嫁探しが賭けのネタに
なった時、大穴をはずすためにお寧々を押し付けたのだ。

お市殿に夜這いをかけるつもりが、すり替わって待っていたのが、
お寧々。

お寧々に騙されて別の場所で待っていたお市殿は、腹いせに藤吉郎
いぢめをライフワークにする、「白い割烹着の悪魔」に。

素直じゃないぞ、お市。
158日本@名無史さん:02/11/23 11:10
信長の家臣の中ではベッキーが一番出世が早いんじゃないの?
159日本@名無史さん:02/11/23 13:40
誰?それ
160日本@名無史さん:02/11/23 13:51
お市に夜這いなんて掛けようものなら信長に斬り殺されるぞ。
161日本@名無史さん:02/11/23 14:09
>>154
大名で残っているのは、丹羽・信雄・前田・森・池田か
162日本@名無史さん:02/11/23 19:19
>>157

共犯者は柴田の姉ちゃんと池田の妹。
163日本@名無史さん:02/11/23 19:32
>>160
アホは放置
164日本@名無史さん:02/11/23 19:32
>>161
森って残ったんだ。
165日本@名無史さん:02/11/23 23:02
番外だが、有楽斎長益の子孫も大名として残ってるね。

全然関係ないが、
柴田の遺臣が住友財閥の祖。
山中の子孫?が鴻池財閥(鴻池銀行→三和銀行→UFJ銀行)の祖。

166日本@名無史さん:02/11/23 23:29
>>165
この人の親父、柴田家家臣だったの?


住友政友(すみともまさとも)
(1585年〜1652年)

天正13年(1585年)、越前・丸岡(福井県丸岡町)に武家の二男として生まれ、
12歳の頃京へ上りました。
167日本@名無史さん:02/11/24 02:14
言われてみれば越前だな
168日本@名無史さん:02/11/24 02:17
住友は五大財閥中一番のDQNと言われてるがね
169日本@名無史さん :02/11/24 02:31
柴田勝家の子孫で、
勝家の死の直前に描かせた画像を秘蔵していた方がいましたよね

江戸・東京博物館の「利家とまつ」の展示でも出品されていたね
170日本@名無史さん:02/11/24 09:38
>>164
残ったけど17世紀末くらいに取りつぶされてなかったかな?
171日本@名無史さん:02/11/24 09:39
>>154
なぜ細川はいない?
172日本@名無史さん:02/11/24 10:20
ただの漏れです。 
江戸時代大出世だったね、細川も。
平成が出世の極みか・・・天下取ったんだから

173日本@名無史さん:02/11/24 10:24
>172
出世の極みは室町時代で、戦国時代に衰退して
江戸時代や平成の世で分家がやや盛り返したって感じじゃないか。
174日本@名無史さん:02/11/24 11:43
なんか、昔読んだ本に「坂井尚久(うろ覚えです)がもう少し生きてりゃ、
方面軍団長くらい任されたろう」とか書いてあったんですが。美濃平定で活躍して、
さあ立身するぞってときに近江だかどっかで戦死したらしいんですが。
誰っスかこの人。あんまり名前聞きませんよねぇ。
175 :02/11/24 12:03
>>174
姉川で戦死した坂井右近政尚だわな
176日本@名無史さん:02/11/24 17:09
池田の子孫は天皇陛下の義兄なので今は、
池田>細川>>>>前田(宮内庁職員)になりますた
177日本@名無史さん:02/11/24 19:24
細川もなぁ

お金全部使ったんじゃなかったっけ、政界進出で。

178日本@名無史さん:02/11/24 19:58
>177
でも、我々庶民が心配するほど、困ってないと思うけどねー
179日本@名無史さん:02/11/24 20:06
天皇の義兄と宮内庁職員なら、

宮内庁職員(上)>>>>>天皇の義兄>宮内庁職員(ヒラ)

でしょう。
180日本@名無史さん:02/11/24 22:57
CM出てたな肥後守
181日本@名無史さん:02/11/24 22:59
>>180
米のやつ?
182日本@名無史さん:02/11/24 23:04
180=181
自作自演は見苦しい、やめなさい石川県民
183日本@名無史さん:02/11/24 23:05
>>182=馬鹿?
184182 :02/11/24 23:06
>>183
正解!!
185日本@名無史さん:02/11/24 23:13
また始まったよ(180=181=183=184)石川県民て哀れ。
肥後守ってだけで前田家が思い浮かぶなんて普通じゃないことも
わからないのかね。笑える。2分で答えてるし。
186日本@名無史さん:02/11/24 23:17
いや、笑えすらもしないな、もはや。利家とまつと一緒で。
どうせ頭の悪い石川県民向けのドラマだし、こんなに
くだらないのもうなずける。ああやらないとわかんないんだろうな。
187日本@名無史さん:02/11/24 23:31
>>185
ネタ、煽りの程度が低い。
もっと意外なところに落ちをつけるか、
フリ自体を工夫しろ。
188日本@名無史さん:02/11/24 23:32
>>185>>186>>187>>188と予想
どうよ?
189日本@名無史さん:02/11/24 23:38
だんだん自分でも恥ずかしくなってきたみたいだな(プ
これまで我慢していたがおまえの自作自演は本当にわかりやすくて
見るに耐えんのだよ。これまで放っておいたが一度教えてやろうと
思ってね
190日本@名無史さん:02/11/24 23:47
アホが1人つれた
報告してまいります
191日本@名無史さん:02/11/24 23:51
>>190
何も首吊りしなくても。
おまえのアホは今にはじまったわけじゃあなかろうに
192日本@名無史さん:02/11/25 00:03
193日本@名無史さん:02/11/25 00:42
梁田広正や塙直政について語ってくれ。一応国持大名にまで出世したんだぞ
194日本@名無史さん:02/11/25 00:59
>>193
まずは語ってみろ。レスはそれからだ
195日本@名無史さん:02/11/25 01:31
>>194
二人は、信長の重要な家臣でした
196日本@名無史さん:02/11/25 02:03
>>193
カス武将
197日本@名無史さん :02/11/25 02:08
おまいらしっとるけ
本能寺の変起こしたのはだれか?
198日本@名無史さん:02/11/25 02:14
梁田は信長のお気に入りで、加賀一国を預けられるまでになりましたが、
残念なことに能力が追いつかず、最後は更迭されましたとさ。

原田直政に至っては、本人が戦に負けたからといって、一族丸ごと
追放されてしまうという、戦国の常識からは考えられない仕打ちを
受けました。
信長がこのような非道い仕打ちをしたために、家臣の間では
信長不信が高まりました。
199日本@名無史さん:02/11/25 06:45
丹羽長秀が前田利家か徳川家康と同じくらい長生きしたら、丹羽家って前田家や徳川家と互角の規模の家に
なった可能性が高いように思う。戦国時代はある意味、個人の時代だから寿命がそれなりに長いのも重要で
あったと思う。
ただし逆に世渡り下手そうだから家康か秀吉に滅ぼされてしまった可能性も高いような気がする。
200日本@名無史さん:02/11/25 12:07
両雄並び立たずで、北陸東西決戦があったかも。
かなり激しいやつが
201日本@名無史さん:02/11/25 12:15
二人を並んで配置しないだろうけどね。
四国方面の押さえか、東北への国替えになる可能性が高いのでは?
IFはこれくらいに。
202日本@名無史さん:02/11/25 13:26
 明智=惟任
 丹羽=惟住
と同じように、
 梁田=別喜
 塙=原田
と姓を賜ったんだよね。
天正はじめ頃は明智や丹羽と同格だったってことか
203日本@名無史さん :02/11/25 14:25

すごく同意
204日本@名無史さん:02/11/25 22:18
別喜(戸次)姓てそんなにありがたいのかね
205日本@名無史さん:02/11/25 22:24
惟任や惟住はかっこいいけどな

206日本@名無史さん:02/11/25 22:42
蒲池とかもらった人はいないの?こっちのほうが名誉だと思うんだけど。
207日本@名無史さん:02/11/25 22:49
ストーカーがウザイ
208日本@名無史さん:02/11/26 14:24
佐久間家も語ってやれ
209日本@名無史さん:02/11/26 17:54
>>208
無理
210日本@名無史さん:02/11/26 17:57
蒲池信盛
松浦守就
宇都宮秀貞
カッコ(・∀・)イイ!!

211日本@名無史さん:02/11/26 19:07
明智光秀に惟任、丹羽長秀に惟住の姓を与えたのは両家とも九州の名門だから
九州地方を織田信長が征服した暁には明智と丹羽に九州支配をさせるつもりだ
ったのでは?と言う説があるが、これは実際どうなのだろう?
212日本@名無史さん:02/11/26 19:19
>>211
まずは、この説がどの様な史料に依拠して考えられたのか、
そして、その史料が信憑性があるのかという点から
考察を始めなければ、と思うのですが。

その史料をご存じならばお教え下さい。
213日本@名無史さん:02/11/27 02:20
俺も211の話は読んだ事がある。でも出典が何なのか、誰の推論なのかは
知らないなぁ。
214日本@名無史さん:02/11/27 02:41
これは九州に派遣させると窺わせる史料はないが
明智光秀が惟任日向守、塙直政が原田備中、簗田広正が別喜右近大、村井貞勝が長門守、
羽柴秀吉が筑前守、滝川一益が伊予守、丹羽長秀が惟住
と言う風な事から、学説として明智・丹羽・羽柴は九州に行くのでは?と言われてるようです

最初に誰が唱えた説なのかは知りません
215日本@名無史さん :02/11/27 03:10
そういえば、信長家臣で、尾張から東国地方にかけた受領名を名乗った
部将っていませんよね。相模守とか、下野守とかねー
みんな、西国方面の名家や、受領名を名乗る者が多いですよね。
216日本@名無史さん:02/11/27 07:54
近くだと本物と重複して「やーい偽者」って言われるから、わざと遠くの国のを名乗ったと聞いた。
うん?じゃあ、何故本当の任官をしたときも遠くの国なのかって… 知らん。

天下布武で、すでに遠くの国を目標にしてたから?
やっぱ近くだと、既に取られてたり、権利関係がややこしかったから?かな
(他の武将に越前を守らせているのに、他の武将に越前守を与えちゃったとか…)
217日本@名無史さん:02/11/27 08:31
惟宗姓がいなくて(´・ω・`)ショボーン
218日本@名無史さん:02/11/27 14:07
任官の時点で信長の目が西国に向いていたのは確かだろうが、
明智・羽柴・丹羽が九州を治める予定だったってのは言いすぎもいいところ。
村井が国主になるとは思えないし、滝川は関東に行ってしまった。
西国平定を重視した、という意味を持つだけだろうね。
219日本@名無史さん:02/11/27 16:24
しかし、思うのは武将の能力云々は別としても、
世代交代をうまく行えるかどうかが家を保全するために
重要であるかが、このスレ全部を見ていてよくわかるね。
220日本@名無史さん:02/11/28 07:58
関ヶ原前に死ぬと悲劇だよな。

しかし、秀吉もあと半年生きていたら、裏切り者秀秋の減封を達成できたのに。
たしか命令だした直後に死んだんだよね

221日本@名無史さん:02/11/28 11:25
>220
乗り切ってる二代目もたくさん居るだろ。
222日本@名無史さん:02/11/28 19:28
思えば丹羽長秀は惟住姓は得ているけど正式な官位はなんだったんだろう?
五郎左衛門尉の尉が官位なの?
223日本@名無史さん:02/11/28 20:14
>>222
確か、丹羽長秀は信長死後の天正13年には越前守を名乗っているけど、
これも正式な任官かどうか、確認されない。

信長の時代に、重臣の中で長秀唯一人が、五郎左衛門尉の仮名で通していたのも
不思議と言えば、不思議だわな

「左衛門尉」ならば正式な官職で、衛門府のなかでは左衛門督・左衛門佐につぐ三番目
の役職といことだ。
224日本@名無史さん:02/11/28 22:17
梁田は能力が無いというより兵力が少なすぎたんじゃない?
むしろ信長に無茶な仕事を押し付けられたって感じがする。

丹羽って官位を断ったんでは無かったっけ?
225日本@名無史さん:02/11/29 01:19
>>220
長宗我部とかまさしくそうだね
226日本@名無史さん:02/11/29 01:50
>>224
信長が一向一揆を甘く見ていたという部分はあるかもしれない。
が、政治的に敵を懐柔するような手腕が梁田に欠けていたのは
確かだろう。
227日本@名無史さん:02/11/29 06:34
>224
丹羽長秀が惟住姓を貰った時に官位に関しては自分の官位を断って部下を任官させたと言う
話は読んだことがあります。若い頃からなぜかずっと五郎左衛門ですよね。これも不思議。
で、惟住の件の時に自分の任官を断ってしまったと言う事は丹羽長秀ってこの当時は無位無冠だ
ったと言う事になるんでしょうか?これも、また不思議な話のような気がするんだけど。
しかし、あのおっかない信長がくれると言う物をよく断ったものだなとか思う。下手したら追放
されかねないと思うのは信長に対する偏見があるかな?
228日本@名無史さん:02/11/29 07:47
>>227
長秀は子供の頃から信長と一緒に遊んだりしてたから、
かなり特殊な関係だったと思う。
229日本@名無史さん:02/11/29 08:41
えっちしていた利家も特殊だぞ
恒興は乳兄弟だし
230日本@名無史さん:02/11/29 09:08
>>266
適材適所できなかったのは信長なんだが(笑
「俺様の期待を裏切りやがったなー!
 まるで俺の人事が下手みたいじゃん!?
 メンツ潰しやがって!せっぷーく!」
ってことかもしれないし、


・・・実はわかってた上での配置かもしれない。
秀吉が佐々成政@肥後でやったように。
佐々「よーし復活だー!バリバリいくぞ!びしびしいくぞ!」
とバリバリと残党狩り、一揆討伐。
百姓「なんだあのやろう?他所からきやがってムカツク!」

佐々取り潰し→加藤・小西配置
百姓「前より全然マシじゃん、わーい。」
その頃には反乱分子は佐々により粛清済。

梁田を使ってそれをやり、ありがちだけど秀吉は真似をした、と。
佐々成政、長生きしてたらどうなったろうな。
231日本@名無史さん:02/11/29 09:35
>>230
大勢に影響なし
232日本@名無史さん:02/11/29 10:01
だったら、梁田じゃなくて、林とか安藤とか氏家とか遠山とか…
233日本@名無史さん:02/11/29 11:29
>>224
>無位無冠
漢字間違ってるよ。
正しくは、「無位無官」。
官職と位階が無いということ。
丹羽長秀に位階はあったのかもしれないよ。
234223:02/11/29 12:46
>227
丹羽長秀が惟住姓を貰った時に官位に関しては自分の官位を断って部下を任官させたと言う
話は読んだことがあります。

官位を断ったという話は、丹羽長秀ではなく、織田信長本人です。

『信長公記』によると、朝廷から官位の昇進を勧められた信長は、勅諚を忝なくも辞退し、
その代わりに宿老らが恩命を賜る。

松井友閑は宮内卿法印、武井夕庵は二位法印、明智十兵衛は惟任日向守、
梁田太郎左衛門は別喜右近、丹羽五郎左衛門は惟任を賜った。
『信長公記』に記載はないが、同時期に、村井民部少輔は長門守、
羽柴藤吉郎は筑前守に任官したと考えられている
235234:02/11/29 13:03
追記
234で、時期を記さなかったのですが、天正3年7月のことです。

同じく、塙九郎左衛門尉も原田の姓を下賜され、備中守に任官したと考えられる。
その直後の文書に「原田備中守直政」と署名している。
236ヒステリ〜ひすとり:02/11/29 14:08
豊臣ヒデにとって織田ノビ−は邪魔者!!そこで明智君をそそのかす!!
その誘惑にまんまと乗せられたアケチ−は、本能寺でのびを殺す。(三日の天下)
豊臣ヒデの奴は、アケチ−に裏切りのレッテルをはり、すぐに消す必要があった。
そして自らが天下を取るシナリオ。   恐るべし!!ヒデ!!
 備中高松?あそこらへんで戦うふりして、いつでも東に進撃するつもりだった。
実際、ものすごく迅速に大軍移動させ、アケチ−をころそうとしただろ?
アケチ−の側近に豊臣ヒデのスパイは浸透して情報は筒抜け!
三日で殺されている。   これは自分の仮説ですが・・・・。 
237日本@名無史さん:02/11/29 14:14
>>231
暴れん坊的に知られた佐々成政が「肥後一国」で残っていても、か?

ま、長生きしてれば、の話だけど。
238日本@名無史さん:02/11/29 14:18
>236
アケチーじゃなくて、ミッチーが良かった。

大返しが怪しいのは確か。
準備していたとしか思えん。
239日本@名無史さん:02/11/29 14:52
一揆誘発の責任だけで切腹ってのは、どうも処分が厳しすぎるな。
やっぱり見せしめか
240日本@名無史さん:02/11/29 15:00
でしょ
241日本@名無史さん:02/11/30 13:40
>234
丹羽長秀が貰ったと言う「惟住」って官位でもなければ位階でもないですよね?
彼は一体なにを貰ったのだろうか?と思う。名字と言うか、姓と言うか。
それと実際に信長存命中に丹羽長秀と言う武将は官位や位階を持っていた事実が
あるのだろうか?
242234・235:02/11/30 14:37
>>241
長秀以外の、信長の部将もそうだけど、原田・羽柴・村井などは受領名を使っているけど、
実際に朝廷から叙爵されたかどうか、史料(口宣案など)がないので判明できないのでは。
叙爵を経ないで、受領名や官途名を与えられる場合もあったようだが、それが
信長の部将にも言えるかどうか微妙だよね。
秀吉の場合でも、本能寺の変後に、叙爵している事実があるほどだから。


信長の子息場合には、信忠・信雄・信孝などは、確実な史料があるので、
叙爵の後に、侍従や右近衛中将などに任官していること明らかになっているが。
243242:02/11/30 14:45
追記

長秀の場合には、受領名や官途名を名乗ることがなかったから、
官位(官職と位階)は与えられてなかったといえるのでは。

ただし、朝廷から下賜されたという「惟住」姓の歴史的な評価を
どう考えるかが問題では

244日本@名無史さん:02/11/30 15:31
>>239
一度は敵対したのを赦して重用し、朝鮮出兵の足場となる九州を
任せたのにこの始末!と言いたいところだが、有力国人たちを
旧領安堵と言って寝返らせ、「旧領は旧領でも、オマエラが勢力伸ばす
以前の領土だけ」とか言って反乱の芽を作ったのは秀吉自身。
(肥後では名前だけの君主担いで国人が勢力伸ばしたから)
成政を殺したんは自分の面子の問題やね。
天下人に間違いがあってはいかんという。
245日本@名無史さん:02/12/01 17:57
>243
長秀は欲がなかったのか、無知、愚鈍だったのか・・・
今一つ掴みどころのない武将に思える。
無位無官、官位や位にあまり価値を感じていなかったのだろうか?
246日本@名無史さん:02/12/01 18:20
有力家臣の官位きぼんぬ
247日本@名無史さん:02/12/01 18:31
>>241
丹羽長秀は官位は貰ってないよ、というか「やる」という信長に対し
「オレは五郎佐でいい」と自ら断った。
秀吉時代に越前守を称したらしいけどね。
248日本@名無史さん:02/12/01 18:44
>丹羽長秀は官位は貰ってないよ、というか「やる」という信長に対し
>「オレは五郎佐でいい」と自ら断った

この話うそ臭い。丹羽が120万石って言うのと同じく
この話のソースは?
249242・243:02/12/01 20:29
241さんの問いに対して、書き込みしましたが、

245以降で、241さんの書き込みあります
250日本@名無史さん:02/12/01 23:19
丹羽長秀の所領。越前一国と加賀能美・江沼二郡123万石。 『丹羽家譜』

丹羽長秀は天正十二年三月頃より「越前守」を称す。 『金沢市立図書館文章』
251日本@名無史さん:02/12/01 23:31
>>248
漏れもソースはわからんが、津本陽の「下天は夢か」にも
このエピソードは出てたような・・・
252日本@名無史さん:02/12/01 23:37
>>248
人に聞く前にgoogleなどで自分で調べろや
官位をやろうと言う信長に「五郎左で結構」と断ったエピソードは
(真偽は別として)けっこう有名なエピソードだぞ
253日本@名無史さん:02/12/01 23:45
>>252
最近、こういう言葉を知らん厨房が増えたよね
自分の知識が全てだと思っているから、他人が自分の知らないことを言うと
調べもせずに「うそ臭い」と決め付け、「ソースは?」と詰問する
嘘や勘違いを書く奴もいるからソースはチェックする必要はあるが、
「そういった事跡があるのなら、ソースを教えていただけませんか」とか
言えば、お互い気分いいのにね
254日本@名無史さん:02/12/01 23:50
ものの聞き方を教えてやるのも老人の務めじゃろうて
ホワッホワッホワッ
255日本@名無史さん:02/12/01 23:55
>けっこう有名なエピソードだぞ

というか、おまえ三戦板住人だろうが。
有名だとか低脳ナ答えするなよ。
それにソースを聞かれて家譜とか答えんナや。
要するにおまえは小説とかそういう類の話を
していることがわかったのでもうきかねーよ。
聞いてるのはな、ソースなんだよ。
検索なんてとっくの昔にしていて、それでも
小説とか伝聞でしか書いてないから聞いてんだろ
要するにおまえも知らないってことだ。
どうせ太閤記とかの作り話がソースなんだよ。
史実以外のことを書き込むのは学問板ではやめろよ。
256日本@名無史さん:02/12/01 23:58
本当に最近は信じられない厨房ばかりなな。
しかも他人に説教しているつもりらしいから笑える(プ
257日本@名無史さん:02/12/02 00:08
250〜254までは同一人物だな。
あんな常識のない低脳書き込みをするやつが大勢いるとは思えん
258日本@名無史さん:02/12/02 00:21
慶長3年
越前の石高50万石
加賀の石高35万6千石

丹羽長秀は天正3年7月にそれまでの受領名「左衛門尉」を、そのまま受けたと言う説もあるが
ただし、官位昇進の辞退の件は信長公記にも記載されてるので、なんとも
越前守については、自称か叙任かは確認出来ず
259223・234・235:02/12/02 00:47

すでに指摘しているよ


223 :日本@名無史さん :02/11/28 20:14
>>222
確か、丹羽長秀は信長死後の天正13年には越前守を名乗っているけど、
これも正式な任官かどうか、確認されない。
信長の時代に、重臣の中で長秀唯一人が、五郎左衛門尉の仮名で通していたのも
不思議と言えば、不思議だわな
「左衛門尉」ならば正式な官職で、衛門府のなかでは左衛門督・左衛門佐につぐ三番目
の役職といことだ。

234 :223 :02/11/29 12:46
>227
丹羽長秀が惟住姓を貰った時に官位に関しては自分の官位を断って部下を任官させたと言う
話は読んだことがあります。
官位を断ったという話は、丹羽長秀ではなく、織田信長本人です。
『信長公記』によると、朝廷から官位の昇進を勧められた信長は、勅諚を忝なくも辞退し、
その代わりに宿老らが恩命を賜る。
松井友閑は宮内卿法印、武井夕庵は二位法印、明智十兵衛は惟任日向守、
梁田太郎左衛門は別喜右近、丹羽五郎左衛門は惟任を賜った。
『信長公記』に記載はないが、同時期に、村井民部少輔は長門守、
羽柴藤吉郎は筑前守に任官したと考えられている
235 :234 :02/11/29 13:03
追記
234で、時期を記さなかったのですが、天正3年7月のことです。
同じく、塙九郎左衛門尉も原田の姓を下賜され、備中守に任官したと考えられる。
その直後の文書に「原田備中守直政」と署名している。

260259:02/12/02 00:51
242 :234・235 :02/11/30 14:37
>>241
長秀以外の、信長の部将もそうだけど、原田・羽柴・村井などは受領名を使っているけど、
実際に朝廷から叙爵されたかどうか、史料(口宣案など)がないので判明できないのでは。
叙爵を経ないで、受領名や官途名を与えられる場合もあったようだが、それが
信長の部将にも言えるかどうか微妙だよね。
秀吉の場合でも、本能寺の変後に、叙爵している事実があるほどだから。
信長の子息場合には、信忠・信雄・信孝などは、確実な史料があるので、
叙爵の後に、侍従や右近衛中将などに任官していること明らかになっているが。


243 :242 :02/11/30 14:45
追記
長秀の場合には、受領名や官途名を名乗ることがなかったから、
官位(官職と位階)は与えられてなかったといえるのでは。
ただし、朝廷から下賜されたという「惟住」姓の歴史的な評価を
どう考えるかが問題では
261250:02/12/02 00:55
釣ったのか釣られたのか、ようわからんが・・・・・・

>>255
「有名」とか「常識」という言葉で片づけるのは説明努力を放棄していると漏れも思う。
>>それにソースを聞かれて家譜とか答えんナや。
>>史実以外のことを書き込むのは学問板ではやめろよ。

君に問ふ。
君の言う高尚な学問とはなんぞや?
>丹羽長秀の所領。越前一国と加賀能美・江沼二郡123万石。
越前は江戸期に開発されていて、太閤検地は差出で数字は出鱈目だとでも言いたいのかい?
もしそうなら、『毛利氏四代実録考証』や『吉川家文書』をみてごらん。秀吉家中での丹羽長秀の立場がわかるから
それとも、君の脳内史実では越前一国と加賀能美・江沼二郡を丹羽長秀が領した歴史的事実は無いことになっているのかい?
もしくは、君の脳内では家譜に書かれていることはすべて間違っているのかい?
ソースという言葉がお気に入りのようだが、なにをもって君は丹羽長秀の所領を規定しているのか、そのソースをきぼんぬ。
『大日本野史』にも丹羽長秀の所領は上記のとうりだが、君の理屈では『群書類従』も研究者は援用してはいけないのかな?

君は根本的なところで「学問」にたいする認識を誤っていると漏れはおもうね
262254:02/12/02 01:00
>257 
常識のない低脳でスマソ(藁
250〜253の名誉のために謝っておくよ。
漏れは258以降のような書き込みを待っていただけなんだ。
263日本@名無史さん:02/12/02 01:08
>>255
図星を指されたからって、そんなにいきり立つなよ
>>256がジサクジエンなのバレバレだしw
ま、もっとマッタリしようぜ


264野間ゲーテ ◆jX76BbYHZE :02/12/02 01:11
>>261
>『毛利氏四代実録考証』や『吉川家文書』
って市の図書館とかではないなぁ。
265255ではないが:02/12/02 01:14
>>250
丹羽長秀の所領。越前一国と加賀能美・江沼二郡123万石。 『丹羽家譜』
丹羽長秀は天正十二年三月頃より「越前守」を称す。 『金沢市立図書館文章』


これって、何とかさんの「織田信長○○人名辞典」から引用したようですね。
文章は→「文書」の写し間違い
266日本@名無史さん:02/12/02 01:16
>>255は神です
みんな、彼に逆らってはいけません
史実以外のことは書いてはいけません
ちなみに史実とは、一般に流布されている家譜や伝聞、物語などは
含みません
他人の歴史研究も低俗なので含みません
>>255が認定したものだけを史実といいます
267日本@名無史さん:02/12/02 01:23
結論

丹羽長秀は越前守になってないし、
越前一国と加賀2郡では123万石もありません。
268日本@名無史さん:02/12/02 01:24
五郎左の話飽きた。

生駒親正の話しようぜ
269250:02/12/02 01:25
>>265
あ・た・り

しかも読み間違えている・・・・・・

現役の頃は全国の石高を空で言えたのだが・・・・・・

歳はとりたくない。
270日本@名無史さん:02/12/02 01:31
>>267
せいぜい半分の60万石でしょうな。
271日本@名無史さん:02/12/02 01:37

丹羽長秀の所領。越前一国と加賀能美・江沼二郡123万石。 『丹羽家譜』
だとすると、「織田信長○○人名辞典」も間違いがあるのね
272271:02/12/02 01:45
文禄三年頃の諸国の石高 『当代記』より

越前国十二郡 49万1412石
加賀国四郡  35万5570石 

「織田信長○○人名辞典」が引用する『丹羽家譜』の
 越前一国と加賀能美・江沼二郡123万石の説は、明らかに間違いですな
273271・272:02/12/02 01:47
史料をきちんと読むと、色々と面白いですな

歴史研究の醍醐味ですな
274250:02/12/02 01:51
>271
ワカサとオウミの一部に加増されたようだが、数字が合わない。
きりのは140万石と書いてあるが???

日本城郭大系もあるが、全ての城の履歴が詳らかにされているわけではないし、そこまでしようとは思わん。
275日本@名無史さん:02/12/02 01:54
若狭と近江の一部って信長在命時では?
276271・272・273:02/12/02 02:00
若狭一国 8万5000石
近江国十二郡 77万5379石
若狭ょわ入れるにしても、近江が問題かな

それでも、123万石にはならないよねー
277日本@名無史さん:02/12/02 02:00
日本城郭大系は良い本だすか?
漏れが中学の時親にねだって買ってもらって(毎月ローン)
本棚に眠ってマツ。確か1冊6000円くらいして貧乏な漏れの
親が無理して買ってくれたような気がしまつ 2・3県まとめて
城の解説があって、573とか城の番号がふってあって・・・・
なんか悲すくなってきますた・・・・
278276:02/12/02 02:01
>若狭ょわ入れるにしても、近江が問題かな

 若狭を入れるにしても、近江が問題かな

279276:02/12/02 02:05
>>277
それなりに、利用価値はあると思いますよ


昔、『日本城郭全集』があったが、その本も良かったよ
280253:02/12/02 02:06
丹羽長秀 1535〜1585/04/16
 万千代。五郎左衛門尉。賜姓されて「惟住」、秀吉政権下で「羽柴筑前守」
 を称す。
 父長政は斯波氏の家臣であったが、長秀は信長の近習として15歳のころより仕え
 信長の庶兄信広の娘を妻とする。
 秀吉ら方面軍の軍団長とは異なり、主に遊撃軍として主に活躍した。
 ・佐和山城主として5万貫(甫庵)または5万石(当代記)を与えられる
 ・朝倉浅井滅亡後に若狭を任され、若狭での長秀の権力行使を示す最も古い
  史料としては天正元年9月付けで禁制を掲げているのが確認されている
 ★天正3/7/3、信長は朝廷より官位昇進の勅ジョウをいただいたがこれを辞退、
代わりに老臣たちを任官させることを請い、勅許された(公記)。
  このとき任官された者は、武井夕庵、松井友閑、村井貞勝、羽柴秀吉、
  明智光秀、塙直政、簗田広正である(言継の日記などによれば、滝川一益も
  この時任官したと言われている)。
  長秀は、明智、簗田らとともに賜姓を受けた。
  長秀は幼少よりの近習として、あるいは一軍の将として信長の信頼を
  受けていたことは間違いなく、任官の件は、信長の冷静な勲功評価に
  よるものか、長秀の控えめな性格を見込んで最初から信長が与えなかったか、
  長秀自身が断ったのかは定かではない。
 ・天正10/9、神戸信孝の四国征伐軍の副将として遠征に参加することを
  命じられる。
  あくまでも若い信孝の老臣としての立場であり、主将ではない。
  これは武田討伐時の信忠につけられた滝川一益と同じ立場といえる。
281253(続き):02/12/02 02:07
・信長の死後、秀吉の傘下に入る。
  天正10/7/18付けの毛利輝元から長秀、蜂須賀正勝に贈られた戦勝祝いの
  手紙の文面および贈品は全く同じで、すでに蜂須賀ら秀吉の家臣と同等に
  見られていることは確かである。
  秀吉と長秀の当時の手紙を見ても、全て長秀からお伺いを立てる形となっている。
  秀吉は禁制などに長秀の名を連名で記すことによって、自らの織田家の実権
  簒奪を覆い隠す隠れ蓑とし、長秀も暗黙のうちにこれを認めることで
  大封を得ることができた。
  若狭一国に近江高島・志賀二郡、越前一国、加賀能美・江沼二郡を加えて
  123万石となる(丹羽家譜)。
 ・天正12/3頃より越前守を称す。これに秀吉から与えられた羽柴姓を加え
  羽柴越前守となる。
  そもそも羽柴の「羽」は丹羽から取られたものであり、それを改めて与えられ
  かつての同僚の下に甘んじて主家滅亡に手を貸したことを晩年悔やむことが
  多かったと言われている。
  丹羽家が長秀死後に数度にわたって減封された理由に、優れた丹羽家の家臣を
  秀吉が直臣にすることを望んだことや、大封を危険視されたことのほかに、
  晩年の長秀の鬱屈を秀吉が察していたことも挙げられている。
282250:02/12/02 02:08
>>277
日本城郭大系は良質な史料とはいえないけど参考にはなると思う。

顰蹙をかうだろうけど漏れはオフで100円で買った。
岩波講座日本歴史も新刊同然のが新・旧100円だった。
283日本@名無史さん:02/12/02 02:11
>若狭一国に近江高島・志賀二郡、越前一国、加賀能美・江沼二郡

足し算すると123万石になるのかな?
284日本@名無史さん:02/12/02 02:11
若狭と近江ニ郡は、清洲会議での所領では…
285276:02/12/02 02:13
100円は、安すぎ

城郭体系、全部持ってないダー
286日本@名無史さん:02/12/02 02:15
>>284
だから全部もらったのではないの?
越前と加賀二郡を貰う際に、若狭と近江二郡を返したとは、
どこの史料にも見あたらないけど・・・?
287276:02/12/02 02:16
>>283

「浅野家文書」によれば、
近江の高島・滋賀は、天正11年の段階から秀吉の直轄領になっていて、
杉原家次が管理している
288日本@名無史さん:02/12/02 02:17
中村一氏や浅野長政、羽柴秀次、生駒親正が近江にはいったのはいつだっけ
289日本@名無史さん:02/12/02 02:21
>>286
若狭と越前と加賀は、後に取り上げられているから、それまでは
丹羽家のものだったのは間違いないのだが、近江はどうだろう?
290日本@名無史さん:02/12/02 03:20
素朴な疑問だけど朝倉氏の最大動員兵力はどのくらい?
越前が50万石しかないのなら、近江に一万以上も派兵できないと思うのだが?
291日本@名無史さん:02/12/02 03:20
>>289
 >>287の指摘があるし、
 常識で言えば加賀二郡が近江二郡の代地と思えるのだが、
 もし近江二郡を含めて計算すると123万石になるのなら
 再検討する価値ありだな。
 
292日本@名無史さん:02/12/02 03:23
>>290
できるんじゃない?
293日本@名無史さん:02/12/02 11:21
50万石なら、1万2500。頑張っても1万5千だな。
留守兵も考えると…1万も厳しい。

もっと石高あったんじゃないの?
294日本@名無史さん:02/12/02 11:49
50万石なら、無理すれば3万5000くらい兵出せるよ。
295271・272・273 ?:02/12/02 11:49

>もっと石高あったんじゃないの?

だったら、ご自分で史料を博捜して、石高を提示してみたらどうですか
296日本@名無史さん:02/12/02 11:55
>>293
あの時代はもっと動員率高かっただろ。
それに、「1万石で250人」ってやつはあくまで
「軍役」だからな。戦のときに出す兵力。
留守番は除外されるよ。
297日本@名無史さん:02/12/02 12:54
>50万石なら、無理すれば3万5000くらい兵出せるよ。

それは無理だろ。がんばっても2万弱
しかも朝倉は一向宗相手の兵もいるし、連年の軍役で無理しすぎだったし

298日本@名無史さん:02/12/02 13:07
>>296
当時の軍装は戦の度に貸し与えられていたはずだが、
「軍役」いがいの予備をどれぐらい常備していたのだろうか?
299日本@名無史さん:02/12/02 13:49
攻め寄せる一向宗より貧相な装備で立ち向かう朝倉兵に萌え〜
300日本@名無史さん:02/12/02 15:46
朝倉って、WWU末期の独逸国民擲弾兵みたいだね(W
301日本@名無史さん:02/12/02 17:51


このスレ、またおかしな方向に歩き出した
302日本@名無史さん:02/12/02 18:08
立花宗茂は、関ケ原のときに7000人くらい動員していたよ。
303ヒステリ〜ひすとり:02/12/02 18:46
 やっぱ朝鮮征伐の財政出費が豊臣家のその後を決めちまったかな?
304日本@名無史さん:02/12/02 20:28


また、可笑しいのが出てきた
305日本@名無史さん:02/12/02 20:49
別に豊臣の腹はいたんどらんだろ。
306日本@名無史さん:02/12/02 23:54
痛んだのは西国諸大名の懐
307日本@名無史さん:02/12/02 23:55
>305
仮装パーティにお金がかかったのかも(笑
308日本@名無史さん:02/12/03 00:21
で、織田信長の有力家臣・団忠正については誰が語ってくれるの?
309バロン曽志崎:02/12/03 00:30
>>291
真偽はともかく丹羽家譜では若狭・近江の領地を含んで123万石としてますよ。
石高については丹羽家側も自信が無いみたいだけど。

長秀年譜 天正十一年癸未

今年ヨリ越前若狭加賀半国江州之内兼領。ソノ高都合ニテ百二十三万石余。
北陸ノ藩鎮トナル。因テ功臣ヲ悉ク来邑ヲ加エ授ケ国中ノ城々ヲ守ラシム。
(添書)但越前ハ天正十一年長秀ノ検地ト云。
310日本@名無史さん:02/12/03 00:35
>>309
天正年間の石高じゃなく、もっと後の時代の石高なら120万石いくかも。
江戸初期の寛永検地の石高だと100万は超えそう。
もっと後の時代ならあるいは。
ん?もう領有してないって?
311日本@名無史さん:02/12/03 00:40
馬鹿かおまえ等
123万もあるわけねーだろ
家譜なんか信じてどーすんだよw
312日本@名無史さん:02/12/03 00:50
じゃあおまえないって証明しろよ。
できなかったら首吊って氏ね!
313日本@名無史さん:02/12/03 00:52
江戸時代中期に書かれた家譜を信じるのか
慶長や文禄の検地の結果を信じるのか

アフォはどっちだ!?
314バロン曽志崎:02/12/03 00:59
検証もしたことないのに、家譜というだけで非難して賢いつもりになってる
人って多いですよね。
まー私も123万石は多すぎだとは思いますが。
315日本@名無史さん:02/12/03 01:06
とりあえず前田より多くしたかっただけなんじゃないの >>123万石
316日本@名無史さん:02/12/03 01:09
越前・近江・若狭・加賀の太閤検地帳で一目瞭然なんだが
317日本@名無史さん:02/12/03 01:17
>314
江戸時代中期に書かれたのなら、
江戸時代中期の石高で計算したんじゃない?
318日本@名無史さん:02/12/03 01:19
検証も糞も検地に関する研究本は腐るほど出てるけどなw
319日本@名無史さん:02/12/03 01:26
どうやらヒッキー君は、煽ったほうが知りたい情報を得られると学習されたようです。

もう、この丹羽の石高にかんする話は打ち切ったほうがよいのでは。
320日本@名無史さん:02/12/03 01:29
谷口克広著の「秀吉戦記」には60〜70万石としているね。
ちなみに近江とかは秀吉子飼いに与えられたらしいので
合計するのは間違いらしい。
321320:02/12/03 01:31
>60〜70万石

丹羽の123万石とされた領地についてっす。
322?u´?{???1/4?3?j?3?n :02/12/03 01:45
>>320
同じ著者の本なのに矛盾しないかなー
「秀吉戦記」と「織田信長○○人名辞典」

271 :日本@名無史さん :02/12/02 01:37

丹羽長秀の所領。越前一国と加賀能美・江沼二郡123万石。 『丹羽家譜』
だとすると、「織田信長○○人名辞典」も間違いがあるのね


272 :271 :02/12/02 01:45
文禄三年頃の諸国の石高 『当代記』より
越前国十二郡 49万1412石
加賀国四郡  35万5570石 
「織田信長○○人名辞典」が引用する『丹羽家譜』の
 越前一国と加賀能美・江沼二郡123万石の説は、明らかに間違いですな
323日本@名無史さん:02/12/03 01:59
家臣人名辞典は丹羽家譜の引用と書いてあるじゃん
324日本@名無史さん:02/12/03 02:08
丹羽が123万石と60万石の違いではかなり歴史が変わるのかな?
信長家臣団としての格付けみたいなもんがかなり上下するのかな?
325日本@名無史さん:02/12/03 02:56
私歴史の素人なんですが、「丹羽家譜」と言う物は出版印刷された資料なり書籍として世間に
出回っているのですか?丹羽って言ったら外様でそれ程、江戸時代には石高も高くなかった藩
だと記憶していますが。有名どころの家譜ならまだわかるのですが。
326日本@名無史さん:02/12/03 03:07
寛永諸家譜・寛政重修諸家譜・歴史読本-戦国大名系譜総覧>325
327日本@名無史さん:02/12/03 03:10
ああっ、もうダメッ!!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
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328日本@名無史さん:02/12/03 03:15
★★★学問としての日本史総合スレ★★★
より転載

174 :日本@名無史さん :02/12/01 22:13
最近若い人の間で人気があると聞いたので、今日初めて
この2ちゃんと称する掲示板に来てみました。
一体何ですか?この下品で不健全な内容は。
他人の誹謗中傷ばかりで卑屈で歪んだ性格の人間ばかり。
何よりもひどいのはその不健全さ。
見るに耐えない絵文字や下品な言葉。
穢れのない清らかな研究者達がこんな不道徳な掲示板をみて
悪質な犯罪者になったらあなたたちはどう責任をとるのですか?
いい加減にして下さい。
329日本@名無史さん:02/12/03 03:34
まあ317が言ってることあたりが当たりじゃないの?
昔の人ってあんま整合性を追及してなさそうだし(w
330日本@名無史さん:02/12/03 07:30
信孝と丹羽が無理して出陣してたら、秀吉は援軍という形になって
戦功第一は信孝ってことになったのかな?
331日本@名無史さん:02/12/03 08:38
無理をしようにも本能寺の変を聞いた四国遠征軍は四散してしまったのでしょ?
それに対しての明智軍は殆ど無傷なんだから勝負にならないでしょ?
それとも信孝の旗の元に織田家関係の大名が続々と集まって来たのかな?
332日本@名無史さん:02/12/03 12:19
山崎での戦勝後、上洛途上の秀吉・信孝に朝廷は太刀を下賜する。
勅使によって太刀を下賜したということは、両人の軍事行動が朝敵征討であることへの
承認と考えられる。
この時、朝廷は光秀を朝敵として認定したことになる。

しかし、信孝には本来この時点での太刀下賜は不必要だったのではないだろうか。
信孝にとっては対光秀戦は父信長の弔い合戦、及び織田残存体制による反逆者征討との
名分があるのだから、朝敵認定の名分を必要とはしなかっただろう。

本来、太刀下賜が行われるのであれば信長の後継者候補である信孝にのみ与えられる
べきところ、秀吉も太刀下賜によって信孝の同位に並ぶことになってしまった。

朝廷が主体的に勅使を派遣し秀吉にも太刀を下賜したと考えるより、この勅使は秀吉の
強要であると考えるべきであろう。

秀吉が信長の後継者としてすでに動き始めているこの時期、少数の軍勢しか保持していない
信孝・丹羽の軍勢の下位に甘んじるとは思えない。
333日本@名無史さん :02/12/03 12:25

この説は、○○京子女史の、丸写しね

特にこのあたり

>朝廷が主体的に勅使を派遣し秀吉にも太刀を下賜したと考えるより、この勅使は秀吉の
 強要であると考えるべきであろう。
334日本@名無史さん:02/12/04 01:58
羽柴筑前守の名を贈られた武将って前田利家と丹羽長秀の二人なの?
二人とも同じ名前?
335日本@名無史さん:02/12/04 02:22

あんたさん、あほか

過去レス、詳しく読んでみな
336日本@名無史さん:02/12/04 03:00
妙な奴が居着いちゃったけど、

あんなぁあんさんへたれなかんさいべんつかうんやめとき
ごっつきぃ〜わるいねん

オマエの関西弁、外人が言うより気持ち悪い。
出身地を誤魔化さなあかんところに棲んどるんはカワイソウやと思うけど
他の地方の言葉にしてくれ。
337日本@名無史さん:02/12/04 04:26
>>334
違うよ
二人は同一人物なんだよ
338日本@名無史さん:02/12/04 10:10
丹羽家譜の123万石って、そんなにもめるようなことかなあ?
単に秀吉に厳封に次ぐ厳封された怨みが、失われた所領を過大に書かせただけ。
話がループしはじめているので、そろそろ次のフレッシュな話題に移ってほしいなあ。
339日本@名無史さん:02/12/04 10:51
ふれっしゅとな。

えーとえーと、信包の重要性について……。
340日本@名無史さん:02/12/04 10:57
>338
そういうときはまず自分が新しい話題を提供しろ。
341日本@名無史さん:02/12/04 11:53
織田信包、織田信張、津田信澄ら、信長軍団で活躍した織田一族はどうよ?
342日本@名無史さん:02/12/04 11:59
信包はなかなか優秀だったみたいだね。
信長も重用してるし
343日本@名無史さん:02/12/04 12:09
 信長の側近で、斎藤道三の庶子とされる斎藤長竜に
ついて、詳しい伝記をご存じのかたは、ぜひとも書き込み
をお願いします。
344日本@名無史さん:02/12/04 12:20
 織田信包は、信長の北畠氏攻略後、北伊勢の戦国大名
長野氏に養子に入り、家督を継いだはずですが。
345日本@名無史さん:02/12/04 12:30
>>344
「が」、何よ?
346日本@名無史さん:02/12/04 12:39
信包は信孝より順列が前だからなー。
やっぱりそれなりの人物だったんだろう。
無理矢理家督争いに参加しなかった辺りからも、それが察せられるね。
347日本@名無史さん:02/12/04 12:40
信包は、兄の信長と同腹といわれる。
その生母は、信長死後は信雄に庇護されて尾張で化粧料ともいえる知行を与えられていた。
しかし、信雄が秀吉によって改易されると、信包は生母を引き取っているね。
生母は、文禄三年正月に安濃津で死去したが、それは信包が秀吉によって
伊勢の領国を取り上げられる直前だった。
348日本@名無史さん:02/12/04 12:41
信包の子孫って四国でどっかの大名に仕えてうんぬんって話を聞いたことある。
信雄や長益の子孫と比べるとしょぼいなぁ
349日本@名無史さん:02/12/04 12:52
>その生母は、信長死後は信雄に庇護されて尾張で化粧料ともいえる知行を与えられていた。
これは初耳
濃姫(と思われてる人)じゃななくて、信長の生母の土田御前?
土田御前は安土から日野、そして安濃津に逃れて信包の世話になったと思ってた
350日本@名無史さん:02/12/04 12:52
尾張三奉行家の系統として、織田信張も注目したい。
三奉行家のうちもうひとつの因幡守家は消えたのかな?
351日本@名無史さん:02/12/04 12:55
 信包は、伊勢の長野氏の家督を継いでいます。信長が信包を
長野氏の養子に送りこんだ最大の理由は、当時の長野氏の当主
長野具藤は、北畠氏から来た養子だったため、その具藤を強制
的に隠居させ、代わりに自分の弟信包を長野氏の当主にして、
北畠氏の勢力を北伊勢から放逐しようとの目論見があったから
です。
352349:02/12/04 13:01
>>347>>351は同じ人だと思うから、信雄が土田御前を庇護して
尾張で化粧料与えたってのは何で確認できる訳?
353347:02/12/04 13:07
>>349

織れが、調べたわけではないんだが、

『織田信長総合事典』によると
「本能寺の変後は、尾張を領有した孫の信雄の保護下にあって、「大方殿様」と尊称された。
『織田信雄分限帳』によれば、「六百四十貫文 如意之郷 大方殿様」と登録されており、
化粧料というべき知行を支給されて余生を送っていたことが判明する。」とあるよ。

354347:02/12/04 13:10
>>352

351は、織れではないよ
355日本@名無史さん:02/12/04 13:14
>>353
おーあんがと。「あつちとの」しか確認してねー!!!なんてこったい
356日本@名無史さん:02/12/04 13:17
信包の話をしてたから同じ人かと思ったよ
うーんスマソ
357347:02/12/04 13:17

349さんですか
358日本@名無史さん:02/12/04 13:18
土田御前は信雄改易後、信包のもとに身を寄せたんだろうね。
墓は三重県津市にある。
359日本@名無史さん:02/12/04 13:18
>>357
ソーデス、スマンコッテス
360347:02/12/04 13:20
同じ時間にカキコしてる

355・356さんは、349さんですね

特に深い意味はありません
361347:02/12/04 13:22
>>358


347 :日本@名無史さん :02/12/04 12:40
信包は、兄の信長と同腹といわれる。
その生母は、信長死後は信雄に庇護されて尾張で化粧料ともいえる知行を与えられていた。
しかし、信雄が秀吉によって改易されると、信包は生母を引き取っているね。
生母は、文禄三年正月に安濃津で死去したが、それは信包が秀吉によって
伊勢の領国を取り上げられる直前だった。
362日本@名無史さん:02/12/04 13:25
そういう書き込みやめろよ
わけわかんなくなるだろ
363日本@名無史さん:02/12/04 13:27
>>343
斎藤新五郎のことだと思うけど
道三の子ってのは俗説だろうと言われてる。
信忠に属し、越中経略などを担当。
本能寺の変で二条御所にて討死
364日本@名無史さん :02/12/04 13:36
斎藤新五郎の実名は、「長竜」などと系図には出てくるみたいたが、
最近の研究では「利治」とされてる。

以前、岐阜市の歴史博物館で展示してた時に、解説があった。
365日本@名無史さん:02/12/04 13:38
斎藤新五郎長竜で知ってる範囲

・長竜と言う名前は真偽が定かだではない
・佐藤紀伊守に婿養子にはいって加治田城主になった
・道三の子で、五男らしい(これも色々説有り)
・越中攻めに神保長住らと共に飛騨から参加し、月岡野合戦で功績あり
・二条御所で討ち死

ぐらい
366日本@名無史さん:02/12/04 13:42
「利治」なの?
俺はどっかで「利興」って聞いたが
367日本@名無史さん:02/12/04 13:45
>>362

ここは、2ちゃんねるなんだから
またーり、といきましょうよ
368日本@名無史さん:02/12/04 13:50
たしか、岐阜の博物館では、古文書が展示してあつて、
「利治」と読めると解説がありました。

新五郎の古文書の署名を「利興」と読んだ人もいたと、
カルチャーセンターで聞いたことあるけど、詳しいことは
分からないです。
369日本@名無史さん:02/12/04 14:05
ふーん、しかし「治」と「興」って読み違える程似てないと思うが
370日本@名無史さん:02/12/04 14:29
371日本@名無史さん:02/12/04 14:33
齋藤利尭と兄弟だっけ?
372日本@名無史さん:02/12/04 15:21
生駒親正もいいよな
373日本@名無史さん:02/12/04 15:29
 美濃の斎藤家の元重臣で、斎藤龍興を見限り信長の家臣に
なるが、のち武田家に内通したとして織田家中を追放された。
そして、本能寺の変後、どさくさにまぎれて旧領土の美濃北方
を回復しようとしたが、稲葉一鉄に敗れて死んだ悲劇の武将
安藤守就の子孫が、土佐藩山内家の家老家で、明治に男爵に
なった伊賀家です。
374日本@名無史さん :02/12/04 15:58


で、その伊賀家には、史料とか系図何か残っているのかしら。
375日本@名無史さん:02/12/04 16:12
土佐山内の重臣って、
伊賀家なの?安東家ならしってるけど。

376日本@名無史さん:02/12/04 16:18
安東家は安藤守就の甥の子孫らしいけど。
377日本@名無史さん:02/12/04 16:34
 推理作家の小林久三氏が、織田信長は本能寺の変では死なず、
京都を脱出して、堺から薩摩へ逃れ、薩摩の島津家に匿われた。
 しかし、信長は本能寺で負った重傷のキズが癒えず、薩摩内の
隠れ家で亡くなった。という説を唱えておられますが、信長が本能寺
を脱出して、薩摩へ逃げることが果たして可能なのでしょうか?

378日本@名無史さん:02/12/04 16:52
377さんへ

それは、小説家の捏造した、フィクションでの世界ですよ。
そんな史料や根拠も、全くありません。

小説家、見てきたような、嘘をつく  の世界ですよ。

こまった、こまった・・・
379日本@名無史さん:02/12/04 18:38
八切にはまれ
380日本@名無史さん:02/12/04 21:01

矢切って、誰のことと

矢切の渡し?
381日本@名無史さん:02/12/04 21:44
>>378
お前の日本語変……。
こまったこまった。

>>380
お前は目が変……。
こまったこまった。
382日本@名無史さん:02/12/04 21:49
↑ ちっちゃい男だな 藁

383日本@名無史さん:02/12/04 21:53
380=382
384381:02/12/04 22:04
>>382
なんで漏れが短小だってわかったんだ?
385日本@名無史さん:02/12/04 22:07
>偽381
釣りはよそでやれ。
386日本@名無史さん:02/12/04 22:15
>>377
薩摩まで逃げる意味がわからん
387日本@名無史さん:02/12/04 22:16
>>386
島津を関わらせて小説を書きたかったから。
388日本@名無史さん:02/12/04 22:20
斎藤新五郎には、たしか子供がいたはず。おなじく、新五郎を名乗った息子が。
389日本@名無史さん:02/12/04 22:23
そいつも短小だったのか?
390日本@名無史さん:02/12/04 22:30
短小だがタマはでかかったそうな
391日本@名無史さん:02/12/04 22:39
なかなかの良スレだったのにな・・・・・・・
392368・388:02/12/04 22:44
>>391

377から、おかしくなった
393日本@名無史さん:02/12/04 22:45
「本能寺の変の時、斉藤新五郎が岐阜城を乗っ取った」っていう話は、
八切の創作なの?

もしあったことだとしたら、こっちの方が親(道三の子)っぽくない?
394日本@名無史さん:02/12/04 22:47
斉藤新五郎は二条城で信忠と共に死んでる。
395368・388・392:02/12/04 22:48
>>393

それは、玄蕃助を名乗った齋藤利尭のことでないかな
396395:02/12/04 22:54
斎藤利堯は、新五郎と同族とも考えられるようで、あるいは兄弟ともいわれてるよね
397393:02/12/04 23:32
>>395
斉藤長龍=利堯じゃなかったのか
道三の子供って、
長井隼人正、
斎藤義龍、
義龍に切られた二人、
長龍

の五人だっけ?
利堯は道三の一族じゃなくてもともと美濃にいた方の斎藤一門だってこと?
398395:02/12/05 00:39
過去レスの343 363 364 366 368

一応、以上のレスを読むと参考になると思います。
399日本@名無史さん:02/12/05 14:04
斎藤さん
400日本@名無史さん:02/12/05 16:13
やっぱ滝川一益って、たきがわかずますって読むんだよね。
織田信雄は、おだのぶかつ。

いちますとか、のぶおとか言ってんじゃねーよ


401日本@名無史さん:02/12/05 16:33

石田三成は、いしだかずしげ。

みつなりとか言ってんじゃねーよ
402日本@名無史さん:02/12/05 17:01
滝川一益は「いちます」
石田三成は「みつなり」
で正しい
403日本@名無史さん:02/12/05 17:08
かずますだよ
404403ではないですが:02/12/05 17:21
>>402

>滝川一益は「いちます」、
 
とされる根拠は何ですか。
405日本@名無史さん:02/12/05 17:37
一益は「かずます」だろ。
406日本@名無史さん:02/12/05 17:39
俺もどっかで見かけたことあるよ、いちます説

あと信長の弟「信行」は「信勝」が正解とかいうやつ。
407日本@名無史さん:02/12/05 17:43
寛永何たらじゃないか?
408日本@名無史さん:02/12/05 18:22
寛政譜では「いちます」とふりがなが振ってある。
子孫には「かず」と読ませる人もいるのにわざわざ「いち」
と読ませているンだから、「いちます」でしょう。

織田信勝に関しては、
「信行」とする根本史料、その他信頼できる史料が皆無であり、
自署は「信勝」「信成」「達成」であることから、
「信行」は間違いであるとされています。
409日本@名無史さん:02/12/05 18:36
そんないい加減な・・・
410日本@名無史さん:02/12/05 18:45
ほかにどんな理由が要るの?
411404:02/12/05 18:52
>>408

よく分かりました。ありがとさん、です。
412日本@名無史さん:02/12/05 18:58
>408
ところでその「達成」という名前だけど、
斯波義達と関係あるのかな?
時代は合わないないと思うけど。
読み方は「たつなり」?
関係あれば「さとなり」?
誰かご存知の方いらっしゃいませんか?
413404:02/12/05 20:39
>>408
>>412

「達成」と自署しているということは、古文書が残されているのですね。
414日本@名無史さん:02/12/05 20:50
かずますが正しい
415日本@名無史さん:02/12/06 00:09
というか、なんで「いち」が音読みで「ます」が訓読みなのかと小一時間(ry
416日本@名無史さん:02/12/06 02:32
「いち」って音読みなの?
417日本@名無史さん:02/12/06 02:43
正しくは、かずますだって
418 :02/12/06 02:45
信長 「のぶ」「なが」
家康 「いえ」「やす」
秀吉 「ひで」「よし」
419日本@名無史さん:02/12/06 02:48
雅史「まさ」「ふみ」

420日本@名無史さん:02/12/06 03:01
道雪「どう」「せつ」
雪斎「せつ」「さい」
一休「いっ」「きゅう」
沢庵「たく」「あん」
金血「きむ」「ち」
421日本@名無史さん:02/12/06 03:06
朝娘「もう」「むす」
桃女「ピンク」「レディ」
菓達「キャンディー」「ズ」
422日本@名無史さん:02/12/06 03:06
テレビ「てれ」「び」
火曜日「かよ」「うび」
新宿 「しんじ」「ゅく」
423日本@名無史さん:02/12/06 03:32
あ〜ぁ、ネタスレになってるよ
424日本@名無史さん:02/12/06 08:40
420の上げてるのは雅号であって名(諱)ではない。
名に音読みを用いることは中世・近世ではあり得ない。
「一」を「いち」(呉音)、「達」を「たつ」(漢音)で読むなどということは絶対無い。

逆に読みが複雑化してなんと読むか分からなくなった幕末〜明治あたりの
場合は本当の読みがわからんので、「徳川慶喜」は「けいき」、「木戸孝允」は
「こういん」などと音で通称された。
今は勝手に「よしのぶ」「たかよし」などと呼んでいるが、本当は訓では何と読む
のかは名付け親以外は誰も(恐らく当人すらも)知らない。
425424:02/12/06 09:48
ちなみに徳川慶喜自身は「よしひさ」と読んでいたとか。

スレ違いすまそ。
426日本@名無史さん:02/12/06 10:17
滝川一益は「いちます」だよ
寛政重修諸家譜にそう書いてある
427日本@名無史さん:02/12/06 11:04
>>424
>420の上げてるのは雅号であって名(諱)ではない。
あんたねえ、ネタに(略
428日本@名無史さん:02/12/06 11:08
>425
ネタですか?
429日本@名無史さん:02/12/06 11:21
>>424
雅号なのか??
430日本@名無史さん:02/12/06 16:33
そいじゃ「達成」はなんと読む可能性が高いの?
431日本@名無史さん:02/12/06 17:10
たつしげ
432日本@名無史さん:02/12/06 17:50
420が「たつ」とは読まないって言ってるんだもん
433日本@名無史さん:02/12/06 18:19
かずます
みつなり
のぶかつ

です、これは定説なんですよ
434未来はあるのか?:02/12/06 18:22
まあ、気がむいたらこっちに来て下さい。

【2:253】なぜ日本は未だに戦争責任を問われるのか?<世界史板>


435日本@名無史さん:02/12/06 19:41
「いちます」が正しい。
436日本@名無史さん:02/12/06 20:22

なにを書こうが勝手だが
>>408 以外、根拠らしいものすら挙げてないね
これが日本史板だと思うと泣けてくるよ
437日本@名無史さん:02/12/06 20:45
>>436
ならお前が書け

それが嫌ならPCを窓から投げ捨てろ
438日本@名無史さん:02/12/06 21:01
>>436
最近、>>437みたいなヒキコモリが常駐してるから放置しとけ。
どのスレ見ても、意味のない事書き連ねてるから。
439日本@名無史さん:02/12/06 22:13
レスピタ
440日本@名無史さん:02/12/06 22:26
掘直政

天下の三陪臣age
441日本@名無史さん:02/12/06 22:30
>それが嫌ならPCを窓から投げ捨てろ

あはははは、その通りだ!
442日本@名無史さん:02/12/06 22:31
NHKの大河ドラマ、「春日局」では「いちます」って言ってたな。
443日本@名無史さん:02/12/06 23:46
折衷案として「ひとます」でどう
444日本@名無史さん:02/12/06 23:53

445日本@名無史さん:02/12/07 08:18
どうして寛政譜の信頼性は疑わないの?
446日本@名無史さん:02/12/07 09:39
のぶおってカッコ悪いじゃん
のぶかつだよ
447日本@名無史さん:02/12/07 09:43
他に読みをひらがなで書いてる史料がないからじゃないの?>>445
否定しようにも出来ないってのが理由だと思われ。
448日本@名無史さん:02/12/07 09:51
名に音読みを用いることは中世・近世ではあり得ない。
「一」を「いち」(呉音)、「達」を「たつ」(漢音)で読むなどということは絶対無い。
449日本@名無史さん:02/12/07 10:22
絶対に無いと言っても近世?の江戸中期の寛政譜には書いてあるがどういう事だろう?
450日本@名無史さん:02/12/07 10:40
昔は当て字とかしてエエ加減だから、それを信じる人の数だけ
説が有るんじゃないの?
451日本@名無史さん:02/12/07 14:25
織田信雄が「のぶかつ」ってのは同時代史料があるからいいんだけどね。
452日本@名無史さん :02/12/07 14:49
>>451

私も、辞典類で信雄を「のぶお」と思っていました。
同時代史料とは、何ですか。教えていただけないでしょうか。
宜しくお願い致します。
453日本@名無史さん:02/12/07 15:03
>>452
織田信長総合事典には、「お湯殿の上の日記」に「のぶかつ」とある、と書いてる。
454日本@名無史さん:02/12/07 15:36
>織田信長総合事典

金日成総合大学みたいだな
455日本@名無史さん:02/12/07 15:46
>>453
内侍のみなたんが間違われてたということはないんでありませうか?
456日本@名無史さん:02/12/07 15:57
>>455
「のぶお」と言ってた同時代史料ってあるんですか?
457日本@名無史さん:02/12/07 16:10
滝川雄利とか土方雄久とかいるんだから普通は信雄(のぶかつ)でしょ。
「たきがわおとし」「ひじかたおひさ」ってことはないと思われ
458452:02/12/07 17:39
>>453

有り難うございました。
近くの図書館で「お湯殿の上の日記」という本を探してみます。
459日本@名無史さん:02/12/07 17:47
滝川雄利
たきがわゆうり?
ユーリ=滝川?
何人?
460日本@名無史さん:02/12/07 18:20
457の根拠はいまいちだろ
時代も違うし・・・
461日本@名無史さん:02/12/07 18:23
時代違うのか?
462日本@名無史さん:02/12/07 18:28
>460 461

主君からの一字拝領、のこと知らないんだよ

信雄から「雄」の一字賜って→雄利や雄久と名乗るのですよ
463日本@名無史さん:02/12/07 18:37
一字拝領→同じ読み

という話じゃないのか?
464462:02/12/07 18:48

「のぶかつ」から一字拝領したから当然「かつとし」「かつひさ」となるのです
465462:02/12/07 18:55
464でお答えしましたが、
457ではありません
466日本@名無史さん:02/12/07 18:58
400以下のバカ厨房、読み方教室から本題にもどれ。
467日本@名無史さん:02/12/07 19:09
ふりかなをなおすひきをのふゆさむし ハァ、ヨイヨイ
468日本@名無史さん:02/12/07 19:24
>>466
有力家臣の読み方ならいいんだよ、厨房君。
んなこというんならてめえがネタふりな。
469日本@名無史さん:02/12/07 19:43
470日本@名無史さん:02/12/07 19:47
かっこいい〜萌え〜
471日本@名無史さん:02/12/07 20:17
親正公は信長より年長。秀吉の下で戦国期を生き抜き、最後の関が原合戦では
親子で東西陣営に分かれ、西軍についた自分は出家するけど既に70歳を過ぎてて、
子一正が生駒家を存続できたから満足。地味だけど、したたかな人ですね。
生駒騒動でつぶれたのは残念。

一正が「いちまさ」か「かずまさ」かの言い争いはご遠慮ください。
472日本@名無史さん:02/12/07 20:39
評価問題ではかならず丹羽が登場するわけだが。
よっぽど影薄かったのでつか?
473日本@名無史さん:02/12/07 21:21
生駒氏は信長の時代より、やはり秀吉の時代の武将でしょう。

関ヶ原の戦いで、生駒親子が東西に分かれたのは、どちらの陣営が敗北しても、
一方が家名を残せるから、ではなかったのかなー
474日本@名無史さん:02/12/07 21:40
結局、お家断絶したの???
475日本@名無史さん:02/12/07 21:44
結局、読み方教室は終わっちゃったの???
476日本@名無史さん:02/12/07 21:49
>>474
どっか配置換えになった。東北か北陸か。
そんなことより、お家騒動の原因が大名の領国支配方法の転換を巡る争いだったらしいから
マニアックなことが好きな人は調べてみたら。
477日本@名無史さん:02/12/08 00:04
そもそもこの生駒親正ってどういう出なの?
本家(?)は吉野の実家の生駒家長だよね?
478日本@名無史さん:02/12/08 00:14
父の親重の代に美濃土田氏から尾張生駒氏に養子に入り生駒姓になったという。
父の妹が織田信長の母・土田御前である。
また、生駒氏は信長の室となった吉乃の一族でもある。


だそうだ。一門のコネってとこか。
479日本@名無史さん:02/12/08 00:15
そもそも吉乃って本当にいたの?
480日本@名無史さん:02/12/08 01:50
(;´Д`)ハァ・・・・・
481日本@名無史さん:02/12/08 10:09

名前の読み方をまじめに検討するスレがあってもいい
482日本@名無史さん:02/12/08 14:21
どういう経緯で生駒家の養子になったんだ?
しかも美濃から尾張へ
483日本@名無史さん:02/12/08 17:10
>472
評価問題で必ず丹羽が登場するというのはどういう意味ですか?
484日本@名無史さん:02/12/08 17:16
山内一豊は?
485日本@名無史さん:02/12/08 17:37
山内一豊も、信長、秀吉さらに家康時代まで生き延びたわけだから、世渡り名人だったんだろうなあ。
最後は土佐一国丸々もらって、幕末まで安泰だったんでしょ。めでたしめでたしの人生か。
486日本@名無史さん:02/12/08 18:03
山内一豊=前田利家
487日本@名無史さん:02/12/08 18:56
堀尾案を盗作したってのは事実なんだろうか・・・

488日本@名無史さん :02/12/08 20:54
483さんと同じく、472さんに問いたかった。

>評価問題ではかならず丹羽が登場するわけだが。
>よっぽど影薄かったのでつか?
489日本@名無史さん:02/12/09 01:25
堀久太郎秀政、という小姓あがり側近はどうだ。

本能寺の変の時は、備中高松の秀吉の陣中にいたといわれているが。

490日本@名無史さん:02/12/09 02:31
本能寺の変が無かったとすれば、信長が天下を取るわけだが
奥州征伐は秀吉あたりではてこずるのは必至

最上は余裕だとして問題は南部・伊達・芦名この辺りは手強いので苦戦するな
伊達は特に注意が必要かと
491日本@名無史さん:02/12/09 02:34
>>490
秀吉で苦戦するなら誰がいっても苦戦します
同じ様な兵力ならまだしも、奥州に手が伸びる頃なら圧倒的大兵力で叩けるはず
ていうか、そもそもあの流れだと秀吉が奥州にまわるとは思えない
492日本@名無史さん:02/12/09 02:41
>490
>491

書き込みが早すぎる。自作自演?
493491:02/12/09 02:44
いやいや、違いますよ
494日本@名無史さん:02/12/09 03:04
生駒の話は?
495日本@名無史さん:02/12/09 06:03
>>489
名人久太郎
なにやらしても卒なくこなす男だな
長生きしてれば、大仕事をしたかもね
496日本@名無史さん:02/12/09 06:34
久ちゃんは氏郷の先輩だっけ?
497日本@名無史さん:02/12/09 08:44
こんどは名前の話じゃなくて名字の読みの話だけど
山内一豊は「やまのうち」じゃなくて「やまうち」らしいね
498日本@名無史さん:02/12/09 11:03
>>490
なんだか信長の野望でもやってるみたいだね。
史実でもすでに奥羽のほとんどの大名は信長になびいているよ。
・・・つーかよく意味がわからん文章だけど、もしかして誤爆?
するとやはり492の言うように自作自演?
499489:02/12/09 11:51
堀秀政は、秀吉から羽柴の姓を与えられているね。

本能寺の変直前に、信長の命で、信長の中国出陣を伝えに備中に下り、
秀吉と東上して山崎の合戦に加わった。
変直後に、秀吉と行動を共にしたことが、その後の秀政の政治的地位の確立
を決定づけた、と考えられないだろうか。
500日本@名無史さん:02/12/09 12:03
羽柴姓は乱発してたじゃん
豊臣の姓までもらってるものもいるし
501日本@名無史さん:02/12/09 12:09
織田信雄は織田信勝とも名乗っているようです。
ほかに具豊、信意とか。
502489:02/12/09 12:22
>>500

羽柴姓を与えられた、最も早い例として、堀秀政を挙げたのです。
たしか、どこかの本に天正10年の末に、羽柴久太郎 と名乗っていたと書いてあった
と思うのですが。
503日本@名無史さん:02/12/09 12:34
>>501
[具豊]は北畠の養子になったときだよね。
結局いつまで北畠を名のってたんだろう。
本能寺のときまでかな。
504日本@名無史さん:02/12/09 15:32
たしかに堀秀政は早くから羽柴を名乗っていますね。
秀吉の与力だった、堀秀村とは関係無いのかな?
505日本@名無史さん :02/12/09 16:46
>>501

>信意は、何と読むのでしょうか
506日本@名無史さん:02/12/09 18:24
>>504
堀秀村は秀政とは別人。

堀秀村誘降は竹中重治唯一の功績として知られる。








こう書くとレスがタクサンつきそう(W
実際、竹中半兵衛は何を成したのだろうか?
507日本@名無史さん:02/12/09 18:31
稲葉山城攻め
508489・502:02/12/09 19:23
>>504

堀秀政は尾張の出身、堀秀村は近江の豪族で、両者は血縁関係は
ないと思われ

苗字と実名の秀が、同じであるが、全くの偶然であろう
509日本@名無史さん:02/12/09 20:35
堀秀政の系図。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hori_k.html
利仁流藤原氏ということになってる。


堀秀村の系図は見つからず。
ただ同じ近江の豪族の今井氏・蒲生氏の同族(つまり秀郷流藤原氏)に
堀氏がいるようなのでこれかもしれない。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/gamo_k.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/imai_omi.html
510日本@名無史さん:02/12/10 03:31
稲妻パラダイスage
511日本@名無史さん:02/12/10 03:42
おっさん発見!(ワラ
512日本@名無史さん:02/12/10 05:59
お〜い信長の有力家臣の話しになっているか?
秀吉に移って来ているような気が・・・・・・
513日本@名無史さん:02/12/10 08:27
まあ一応久太郎や蒲生は信長近臣でもあったわけで…
514508:02/12/10 13:36


なんか、このところスレの調子が今ひとつだなー
515日本@名無史さん:02/12/10 13:53
お前のせいじゃないか?
516日本@名無史さん:02/12/10 14:03

他の、信長関係のスレも、いまいち、だよね

みんな、種切れ、だわな
517日本@名無史さん:02/12/10 14:08
あげ足とり厨が増えてきたから人減ってきた
518日本@名無史さん:02/12/10 17:38
少なくとも、堀秀政と堀秀村の話をしているときに
「秀吉の時代の話に移っている」というのは適切ではないだろう。
堀秀政つながりで信長近習の話も聞きたいな。
519日本@名無史さん:02/12/10 18:16
堀秀村についてよく知らんから詳細キボン
520日本@名無史さん:02/12/10 19:00
浅井家臣で近江鎌刃城主。
結構の大身だったらしいが、若年のため家老樋口直房が後見となる。
浅井滅亡後、改易される。

521日本@名無史さん:02/12/10 20:03
有力家臣じゃないジャン。
522日本@名無史さん:02/12/10 20:41
>>520
浅井関連の話にあんまり登場しないけど活躍しなかったの?
523日本@名無史さん:02/12/10 22:10
つーか一騎討ちで一番弱いのは秀吉なのよね

信玄や謙信には勝てないでしょーな
こいつらには勝てるだろーが 
最上ヨシアキ 足利ヨシアキ その他 公家大名

佐々や前田に比べたら実戦向きでは無いの確実 
(事実、秀吉は足軽時代は戦場を逃げ回っていた)

524日本@名無史さん:02/12/10 22:14
一騎討で一番強いのは足利義輝辺りか
家康も相当なものだったらすぃが、
少なくとも信玄、謙信なんざ一太刀だろな。
525日本@名無史さん:02/12/10 22:18
>>523
>事実、秀吉は足軽時代は戦場を逃げ回っていた

ソースきぼんぬ。
526日本@名無史さん:02/12/10 22:47
>>518さんに

逆に、堀秀政つながりで信長近習の話も聞きたいと思いますが
527日本@名無史さん:02/12/10 23:06
>>525
俺もその話の出典知りたい。
まさか小説?
528日本@名無史さん:02/12/10 23:07
信長の親衛隊って本を読め>>526
図書館に置いてあるぞ
529日本@名無史さん:02/12/10 23:23
>>528

その本、518さんに教えてあげたらどうですか。
さっきから、近習の話聞きたがっていますよ。
530日本@名無史さん:02/12/10 23:24
桑田忠親氏の本に
柳生の無刀取りに感銘し柳生に弟子入りした秀次に対して、
「自分は今まで一度も自分の手で人を斬った事がない、他人に人を斬らせる分別があったから天下を取れたのだ」
と諭す話しがあったと思う。
その時は「へー、秀吉で自分の手で一度も人を殺した事が無いんだ」と驚いたが
良く考えると彼らしい逸話だと思った。
531日本@名無史さん:02/12/10 23:49
>>522
歴史群像の最新号に、結構詳しく載ってます。
532日本@名無史さん:02/12/11 02:50
523=530?

ようするに秀吉が嫌いなの?
523の記述に悪意を感じるのは漏れだけかな?
どこらへんが事実なのかようわからん。

事実、秀吉は中国で一度キレたことがある。
地域住民虐殺は織田家の通過儀礼。というのならまだわかるが・・・・・・
533日本@名無史さん:02/12/11 11:26
>>522
逆に、浅井攻略のポイントとなる土豪です。
だからこそ、浅井滅亡後邪魔になって粛清されたんです。
534518:02/12/11 13:19
>>529
俺は518で一回書き込んだだけなんだけどな・・・。
「信長の親衛隊」は発売後すぐに買って読んでるし。
誰も近習の話に興味ないとわかったのでsage。
535このスレ香ばしいな:02/12/11 16:55
このスレ香ばしいな
536日本@名無史さん:02/12/11 16:58
>>532
御座船沈没の件かい?
537日本@名無史さん:02/12/11 21:06
>281秀吉は禁制などに長秀の名を連名で記すことによって、自らの織田家の実権
  簒奪を覆い隠す隠れ蓑とし、長秀も暗黙のうちにこれを認めることで
  大封を得ることができた。

犬畜生よりひでえな
538日本@名無史さん:02/12/12 02:02
>犬畜生よりひでえな

なにが?と聞いてみる。

539日本@名無史さん:02/12/12 03:01
>530
>柳生の無刀取りに感銘し柳生に弟子入りした秀次に対して、

あの真面目な話、豊臣秀次が柳生に弟子入りを希望したもしくは実際に師匠として迎えたと言う事実は
あるのですか?私は全く初めて聞く話なんですが。
540日本@名無史さん:02/12/12 05:09
>>524
バカモン、かの大東流合気柔術の原型となったのが、武田家に代々
伝えられし武術であるぞ。
541日本@名無史さん:02/12/12 05:17
523 :日本@名無史さん :02/12/10 22:10
つーか一騎討ちで一番弱いのは秀吉なのよね

信玄や謙信には勝てないでしょーな
こいつらには勝てるだろーが 
最上ヨシアキ 足利ヨシアキ その他 公家大名

↑アホ晒しあげ。
一騎討ちなんかしてなんか意味あんの?
三国志の読みすぎですか?
確かに個人的な武勇・勇猛さは必要だが、戦の強さはそんなものだけで決まるものではないだろ。
そんなもんは最後の最後で問われてくるものなんだ。
542日本@名無史さん:02/12/12 05:24
秀吉って、最初は足軽ぐらいからスタートしたんだろうけどさ。
足軽だと、首を獲る以外に功績の上げようがないような気がするんだけど。
どうやって出世したんだろうね?
足軽組頭ぐらいまでなれれば、また指揮の面で功績上げていけるだろうけど。
543日本@名無史さん:02/12/12 05:29
>>542
逃げた信長の鷹を木に登って捕まえたから、とか言ってみる。
544日本@名無史さん:02/12/12 05:50
>>542
Y談。生駒ちゃんに取り入って、ノブナガにY談をして出世した。
ホントだよ。
545530:02/12/12 07:57
私は>>523とは別人です。

>>530の逸話は調べ直すと桑田忠親ではなく江藤俊平の間違い、教養文庫の「豊臣秀吉」に書いてあった。
ただ、出典は書いてなかったです。それでは一部編集しながら引用。

柳生宗規は、無刀で人の斬りかかる刃を止める事が評判であった。
それを聞いた関白秀次は興味を持ち彼が上洛した時、彼を召し試しに斬りかかったみた。
すると、宗規は簡単に秀次の腕を押さえつけ身動きできなくした。
「なるほど宗規は名人である」と感心した秀次は彼の弟子となった。
その後、秀次は木下半助を使いとして無刀取りの件を秀吉に伝えた。
それを聞いた秀吉は
「秀次はその分別では自分の後を継ぐ事は難しい。
天下を治めるべき身が、白刃にて自分の身を斬らせ、それを取ってなんの益があろう
そのようなうつけた事を大将はしないものである。
自分は天下を取ったが一度も自分の刀で人を斬った事はない。
人に人を斬らせる分別をして天下を取ったのだ。秀次はそれほどの秀次はそこまでのうつけ者だったのか」
と非常に立腹したという。 
546日本@名無史さん:02/12/12 08:07
>>542
でもないよ。
まず、秀吉の父の弥右衛門は豪農でその屋敷は並の農家よりかなり大きく名主か庄屋クラスであったと思われ、
半農半士としてはかなり上位の身分だったと言われてる。

それに秀吉が信長に仕えた当時のさまざまな逸話などを見る限りでは
信長も最初から秀吉にある程度、目をかけ「頭のキレル者」と認識してたと思われる。
武功の件に関しても最初から組頭のような身分で巧みに自分は直接戦闘を避け人に戦わせるようにしてたんじゃないの?
547日本@名無史さん:02/12/12 08:12
>>545
宗矩というとこが怪しげですな。
ヤシは当時、ハタチいくかいかんかくらいの歳っしょ。
548日本@名無史さん:02/12/12 08:15
>>546
近年秀吉の家は富農だったという説が出てきていることは知っていたけど、
なんか根拠はあるんでしょうか?
549日本@名無史さん:02/12/12 08:22
読み書きが出来るとか商売人的な思考が出来るとかそんなんが理由なのかな?
ようしらんが。
550日本@名無史さん:02/12/12 08:56
>>548
根拠は一杯あるよ。
そんな事はここで聞かずに
まず検索するなり本を読むなりして勉強してね。
掲示板で何から何まで済まそうとするのはイカンよ。
イチイチそんな事書くの面倒くさい。
551日本@名無史さん:02/12/12 08:59
>>546
しかし、逸話だと、台所奉行とか炭薪奉行、普請奉行で出世したことに
なってるが、それが事実だとすると軍を率いる部将タイプでなく、村井貞勝
みたいな吏僚タイプになってたような気がする。
史料での初見は京都奉行だったけ?これも行政官ではなくて軍政官的な
感じだし、それ以前にも少なくとも軍功はあったと思われるんだが…
552日本@名無史さん:02/12/12 09:07
>>551
まあね。確かに>>546の逸話を全て真実、もしくは秀吉自身の作り話と取れないことはないが、
少なくとも秀吉が「首二つ取った」とか「だれそれを討ち取った」という話しを聞いた事ないのは事実。
想像するに自分を指揮官のような仕事につけてくださいと頼んだのではないか?
553日本@名無史さん:02/12/12 09:19
滝川一益も最初は吏僚からスタートだ。
文官と武官できっちり分けられてたわけじゃないんでしょうね。
554日本@名無史さん:02/12/12 15:22
>>551
史料での初出は確か1565年、知行の宛行とかで副状を出しているとか
じゃなかったかな。
その頃にはすでになかなかの重臣の立場だったと。

なんでも義理の親父の竹阿弥に寺に預けられたとかよく言われるけど、
学校もない当時は武士だって若い頃に寺で勉強するんだよな。
とするとそれなりの教養をその時に身につけたんじゃないかと。
読み書きとか算術とか。
それで遠江の松下家で経理担当をやってたとかなんとか。
555日本@名無史さん:02/12/12 16:31
武士と言っても識字率低かったからね。
556日本@名無史さん:02/12/12 18:19
>>555

>武士と言っても識字率低かったからね。


秀吉の場合には、当てはまらない、と思います。
ちゃんと、書状も出している(と、いっても右筆が書くわけだけど)ことからしても、
秀吉は、文字は読めて書けたと思いますよ。

少なくとも、2ちゃんねるで遊んでいる人たちよりは、
まともな日本語使っていたと思われ

557日本@名無史さん:02/12/12 18:26
>>555
・・・低いのか?

>>556
右筆使えるほど出世するのは何時頃だろう?
558日本@名無史さん:02/12/12 18:27
藤堂高虎ぐらいでも、ほとんど字が読めなかったらしい。
で、晩年は家臣たちに耳学問を奨励したとのこと。
559556:02/12/12 18:29
永禄・元亀の頃から、すでに右筆がいたと思います。
560日本@名無史さん:02/12/12 18:46
字が読めない書けないじゃ副状出す立場にはいないわな。
だから秀吉は字が読めて書けたはず。
藤堂高虎は・・・元は地侍の家だから・・・ある意味じゃ秀吉とも
どっこいどっこいの生まれだとは思うが・・・
この辺の差はどこから出るんだろうね。
561日本@名無史さん:02/12/12 18:48
秀吉が貧農出身というのは出自が不明確であることから
対立勢力がそのように誹謗したということ。徳川政権下
では、彼が下賎の出であるということを強調したかった
し、明治に入ってからはその設定が最高の出世物語の柱
としてもてはやされたわけだ。
実際には信長に見識を買われて登用された朝鮮人の貿易
商であったのだから、日本語も読み書きくらいは当然できた。
562556:02/12/12 18:53
桃山から江戸初頭の大名のなかでも
藤堂高虎の「発給文書」って、相当残っているよね

このことからしても

>藤堂高虎ぐらいでも、ほとんど字が読めなかったらしい

と言うのは、どうかな

563日本@名無史さん:02/12/12 18:53
>>561
各史料に描かれた様子からして土豪富農の類だという話は最近じゃ
よく出て来るが、

 な ん な ん だ よ オ マ エ は

消えろクズ
564日本@名無史さん:02/12/12 19:11
>>561
秀吉の出自について朝鮮人の貿易商だったというのは
初めて聞きました。
秀吉が朝鮮出兵をしたという史実と照らし合わせてみると
興味深い話ではありますね。

>>563
あんたはどこの板から来た厨房なの?
頭ごなしに相手を罵倒するような人は日本史版には向かないよ。
565日本@名無史さん:02/12/12 19:16
>>564
ジサク(・∀・)ジエーン!!
566562:02/12/12 19:35
>>561・564

秀吉が
>朝鮮人の貿易商であった


というのは、出鱈目の捏造だと思われ
567日本@名無史さん:02/12/12 19:56
いや、秀吉が朝鮮人だというのは別にそんなに荒唐無稽な話でもないよ。
まず信長は尾張時代からさかんに海外貿易を志向していた。これは経済力、
武力を効率的に高めるためだけど、当時、東南アジア〜日本海までの海域
の交易ルートは朝鮮の貿易船によって支えられていたといっても過言では
なかった。
これは造船技術において朝鮮が日本のそれを凌駕していたことも理由の一つ。
南蛮貿易と簡単に言っても実際に航海していたのは朝鮮船が多くを占めていた。
そういう点で、信長が海外貿易を主眼においたとき、朝鮮商人を抱き込もう
と考えたとしてもまったく不自然ではない。
おもしろいのが秀吉が当初名乗った「木下」という姓。これはようするに「李」
を崩したものであり、秀吉が朝鮮人であったという傍証となっている。
568562:02/12/12 21:54

アホクサ
569日本@名無史さん:02/12/12 22:01
秀吉が朝鮮人だったとしても、父親かそれ以前の代に
日本に帰化したと解釈しないとつじつまが合わないな。
570日本@名無史さん:02/12/12 22:04
>>569
どうして?
571日本@名無史さん:02/12/12 22:20
>>569
秀吉出自の通説が正しいことを前提にすると、
当時の尾張国愛知郡中村郷はただの農村で、
この土地に10代の朝鮮人商人が土着するのが理解出来ないのと
母方の親戚として日本人の加藤清正がいること。
572日本@名無史さん:02/12/12 22:25
通説(尾張中村の農家出身)が正しくないという主張なのに
通説が正しいことを前提にして反証してどうすんだよ(w
573日本@名無史さん:02/12/12 22:37
まったくだな。馬鹿じゃないのかね
>これは造船技術において朝鮮が日本のそれを凌駕していたことも理由の一つ。
>南蛮貿易と簡単に言っても実際に航海していたのは朝鮮船が多くを占めていた。

いやはや。

海外で米国人の次に嫌われているのが韓国人というのはよくわかる。

民族学校というのは偏向した人格を育成するのには役に立ちそうだね。
575日本@名無史さん:02/12/12 23:01
>>572
説明が足らなかったが、
尾張中村出身の朝鮮人秀吉という仮説としてレスしただけだ。

それとただの煽りだったら他所行ってやってくれ。
576日本@名無史さん:02/12/12 23:32
おちついてメール欄を読め
577日本@名無史さん:02/12/12 23:37
つーか朝鮮は当時は鎖国中では?
当然ながら外洋を航海する船が朝鮮船ばかりなんてことは有り得ない。

と釣られてみるテスト。
578日本@名無史さん:02/12/12 23:45
>>575
それは読めばわかるよ。
なんでそんな無理のある仮説を立てるの?
「尾張中村出身の」朝鮮人だと主張してる奴は誰もいないんだが。

足りないのは説明じゃなくてあんたの頭。
579日本@名無史さん:02/12/13 00:32
釣り針を怖がっていては2chは出来ない。
580日本@名無史さん:02/12/13 04:04
貧農だと悔しいから
秀吉に対する嫉妬
581日本@名無史さん:02/12/13 04:38
家康が古事記坊主の子孫だというのも嫉妬かい?
582日本@名無史さん:02/12/13 07:46
激しくスレ違いの流れに鬱…
583日本@名無史さん :02/12/13 11:21
信長の家臣の中でも、小姓衆がいるね。
菅屋長頼・堀秀政・長谷川秀一・福富秀勝・万見重元・森成利など・・・
小姓衆の役目、仕事って何なの・・・

本能寺の変で多くの小姓衆が死んでいるよね、信長が安土から京都に入るときは、
小姓衆を召し連れる、と『信長公記』にあるけど
いつも信長の側にいたの。
584日本@名無史さん:02/12/13 11:36
小姓→馬廻り→武将→大名
が出世コースらしいね。
585日本@名無史さん:02/12/13 11:38
小姓衆と馬廻衆は別と思うが
586日本@名無史さん:02/12/13 14:36
別だから出世コースだろ?
587日本@名無史さん:02/12/13 14:39
だが、馬廻りより身分が高い小姓というのもいたらしい
588日本@名無史さん:02/12/13 14:45
小姓・馬廻→吏僚・武将→城持ち→国持ち

森乱なんかは小姓なのに城持ちだよね


589日本@名無史さん:02/12/13 16:31
信長の場合は物事をはっきりさせないと気のすまない性分からか、
「小姓衆」ではなく「小性衆」と呼んでたよ。
590日本@名無史さん:02/12/13 16:35
まじ?
591日本@名無史さん:02/12/13 18:09
うそ
592583:02/12/13 18:54
活発な論議、期待したけど、やはり駄目か?

588のような、とんまな書き込みがあると、スレが萎れる可能性が大きいな
593583?:02/12/13 20:34

スマソ
588は、589の誤り   重ねてスマソ

589のような、とんまな書き込みがあると、スレが萎れる可能性が大きいな
594日本@名無史さん:02/12/13 20:47
↑下らんことをいちいちカキコすんな。
萎え萎え。
595日本@名無史さん:02/12/13 23:49
堀秀政って信長の小姓になる前は秀吉の部下だったんだね。
織田家中の誰だか忘れたけど将来性があるからって事で秀吉のところに移籍して、
そのあと信長にこいつは使えそうだと言う事で抜擢されたらしい。知らんかった。
と言う事でもともと親秀吉派らしい。
596日本@名無史さん:02/12/14 00:23
>>593
信長自身が、文書では小姓ではなく小性と書いていたというのは
本当らしいが・・・
まあ当て字ぐらいは普通の時代だったけど。
597日本@名無史さん:02/12/14 01:17
織田家中の誰だか忘れたけど

織田家中の誰か(名前は忘れたけど)に仕えてたけど、
598日本@名無史さん:02/12/14 02:02
>>595
堀秀政は、13歳の頃には信長に仕えていたようだけど、
そんなに転々としたんですか?
599?u583:02/12/15 01:28
>>595
>堀秀政って信長の小姓になる前は秀吉の部下だったんだね。


そんなことはあり得ないでしょう。何か、根拠でもあるの
600日本@名無史さん:02/12/15 01:43
寛政家譜に書いてある。らしい。
現物を見たわけじゃないので。
601日本@名無史さん:02/12/15 06:20
>>尾張中村出身の朝鮮人秀吉

とんでもねえキチガイが混じってるな(笑)
いくら2chでもよォ…
602日本@名無史さん:02/12/15 10:30
>>601
567のメール欄見れ。
603日本@名無史さん:02/12/15 10:49
>>596
信長が「小性」と書いてたのは
小姓衆を性の道具と思ってたので、
はっきりさせたかったらしい。
604日本@名無史さん:02/12/15 15:34
>>603
信長に聞いてきたの?>小姓衆を性の道具と思ってたので、はっきりさせたかった
605日本@名無史さん:02/12/15 16:25
>>596の指摘が正しいところなんじゃないかな
606日本@名無史さん:02/12/15 16:27
あ、603は596へのレスか。くだらね。
607日本@名無史さん:02/12/16 12:52
京都所司代の村井貞勝は、尾張時代から奉行の一人として活躍しているね。
はじめ吉兵衛尉、
ついで民部丞(みんぶのじょう)=民部少輔(みんぶのしょうorみんぶのじょう)を称し、
天正三年に長門守に任官し、晩年に入道して「春長軒」と名乗った。
家臣団のなかでも、終始一貫して吏寮の立場を貫いた部将といえるのでは。
608日本@名無史さん:02/12/16 21:38
>>600
寛政重修諸家譜で見てきました。
それによれば、美濃斎藤家家臣の堀秀重の息子として生まれ。
始め大津長昌(信長側近)に仕えたが、「これじゃ出世は難しい」と
考えて秀吉に鞍替え。
その後1565年に信長の目に止まって信長の近習に。

……寛政譜の註釈に信長の目に止まった話の所で「その時13歳」と
書いてあったけど……そりゃ編者も変に思うでしょうなあ。
13歳までにそんなに何度も仕える先を変えるなんて……
1565年よりも前の段階で秀吉に仕えるなんて。
まあ確かに出世しつつある頃だったろうから勢いはあったろうが、
信長側近の大津長昌が駄目で秀吉なら良い理由とは何ぞや。
それより何より、斎藤家家臣の息子が、斎藤家滅ぶより前に信長の
側近に仕えたりしてたんですねえ……しかも13歳にもならないうちに……
609日本@名無史さん:02/12/17 23:08
親父の秀重の代で信長に鞍替え、と言う事みたいだね。
でも斎藤家が滅ぶ前に織田家に鞍替えしてる連中って結構いるよね。
森可成も桶狭間の前には斎藤から織田に鞍替えしてるよね、たしか。
610日本@名無史さん:02/12/18 03:02
森可成はむしろ土岐氏に仕えていて道三に追い出され、その後信長に仕えた
ということらしいが。
611日本@名無史さん :02/12/18 23:46
美濃の斎藤氏から、信長にくら替えした部将、他に誰がいる?
612日本@名無史さん:02/12/18 23:57
猪子兵介なんていつから信長に仕えてるんでしょうかね。
まあ正徳寺の会見のときと本能寺の変のときの猪子兵介は
年代的に別人でしょうけど。
613日本@名無史さん:02/12/19 00:07
>>612

稲葉山城の陥落頃と見るのが、普通だけれど、
道三が敗死した弘治二年以後と思えるが、どうだろう

聖徳寺の時と、本能寺の変の時、別人、すなわち親子と見られるわけですね。
ただし、同一人物とも思われるのだが・

会見が天文22年(1553)で、本能寺の変からは30年前だから、
同一人物の可能性はあると思う
614612:02/12/19 00:22
ネットで調べたところ没年に諸説あるみたいですね。
道三と共に死んだとも、織田信清に仕えて犬山で戦死とも、
本能寺の変で二条城で戦死とも。
正徳寺の会見の逸話からして、道三の側近と思われますから、
道三死後すぐに信長に仕えた可能性もありそうですね。
615日本@名無史さん:02/12/19 14:00
信長初上洛時に、蜂屋と金森が随っていたのは有名な話。
616611・613:02/12/19 14:35
>>615

初上洛、永禄の二年ですよね・・
これ以前に、斎藤氏旧臣、というよりも、道三の旧臣が、挙って信長を頼って来た、
ということでしょかねー
617日本@名無史さん:02/12/19 20:28
東濃の遠山氏も桶狭間に織田方で参戦したらしいじゃん
618日本@名無史さん:02/12/21 01:14
信長の配下となった、いわゆる美濃衆のなかで、信長の側近中の側近と言えば、
右筆であり奏者などを務めた武井夕庵がいるけれども、
夕庵はいつ頃、信長に仕えたのだろうか。
619日本@名無史さん:02/12/21 01:17
1567年の美濃攻略の前後。
620日本@名無史さん:02/12/21 01:28
>>613
毛利新介もいるしね

ところで道三の家老だった堀田道空ってどこいったの?
621日本@名無史さん :02/12/21 01:29
桶狭間の戦いの時、夕庵が熱田神宮で神文を書いて、
信長の勝利を祈願したと言われているが、本当なの
622日本@名無史さん:02/12/21 02:06
>>620

道空は、道三とともに戦死したのかなー
623日本@名無史さん:02/12/22 16:58
>620
道空って織田氏の領地である津島に屋敷があったらしいけど、
どういう系統なの?
一応子孫は大名になっているらしいけど、
本当に道三の家臣なのかな?
624日本@名無史さん:02/12/22 17:40
前に少女漫画で、「恋ひわたりの」って話で、池田恒興が
織田信行の妻を信行の死後に、荒尾に帰る途中に信長の命令で略奪して
結婚するっていう話を読んだんですが実話ですか?
625日本@名無史さん:02/12/22 17:51
織田信時の妻でなかったけ?
どっちも信長の兄弟で変な死に方してるけど。
626日本@名無史さん:02/12/27 06:42
織田信行→信勝
林通勝→秀貞
池田信輝→恒興
森長定→成利
627日本@名無史さん:02/12/28 22:07
>>626

何、矢印ごっこして遊んでいるのか
628sage:02/12/28 23:10
>>627
間違いを正しているのでしょう。
629日本@名無史さん:02/12/29 02:35
織田信行とか林通勝はまだ使ってる人多いけど池田信輝はあんまり見ないね。
630日本@名無史さん:02/12/29 06:48
小牧長久手のときは信輝となってるのをちらほら見かけますな。
631日本@名無史さん:02/12/30 02:58
本能寺の変が起こらず、信長が淡路に本営を置いて本格的に中四国征討が
行われると同時に、北国征討軍が越後に流れ込み、毛利上杉長宗我部家の滅亡
も時間の問題?さすれば、侵攻地への織田家臣の入封があるだろうけど、
 中堅クラスの昇進(国持大名化)はあったのだろうか?一門連枝衆は除いて
 たとえば、丹羽・笑岩・蜂屋・金森・高山・中川あたりか…
632日本@名無史さん:02/12/30 15:20
>>631
厨がよくそういうの考えそうだね。
と言いながら自分もたまに考えたりするけどさ・・・
信長が敵対する大名を滅亡以外の方法では許さない、
と考えるのはやめた方がいいと思う。
633日本@名無史さん:02/12/30 15:33
かといって秀吉みたくバンバン安堵しちゃうというのも
想像しがたくないかな?
634日本@名無史さん:02/12/30 15:37
極端だな
635日本@名無史さん:02/12/30 15:44
>>632
家名保持のためにプライドを捨てられるのは毛利くらいじゃない?
いよいよ安芸侵攻が見えてくるくらいの情勢となれば
将軍放出、嫡男人質、安芸喪失くらいまでだったら飲みそう。
長宗我部は直前までの成り行きを見ると信長の方で評価してなさそう。
降伏するが処刑、そんな感じかな。
上杉は本領になだれ込まれても徹底抗戦!でも部下に見放されてしぼーん
ぐらいじやないか。
636日本@名無史さん:02/12/30 15:47
安芸放棄w
637日本@名無史さん:02/12/30 15:50
>>636
なんで笑うの?現に関ヶ原後には飲んでるじゃん。
638日本@名無史さん:02/12/30 15:53
さらに爆笑w
639日本@名無史さん:02/12/30 16:01
> 以上のように、豊臣家の五大老をつとめ、関ヶ原の合戦にいたって、
>心ならずも家康に敵対することになった輝元であったが、戦後、
>吉川元広らの奔走も空しく、祖父元就や父隆元、叔父の吉川元春・
>小早川隆景らが築き挙げた毛利氏120万石の領国を、
>防長二国三十六万余石に改易されてしまった。
>居城も山陽側の広島から、山陰側の萩に移ることとなった。

>>637
無知でなければ単なる煽りだろ。
アホはほっとけ。
640日本@名無史さん:02/12/30 16:03
関が原と比べるにしては状況が違いすぎると思うのだが
641日本@名無史さん:02/12/30 16:04
関ヶ原から毛利の改易に2年かかってる訳だが。
関ヶ原の後には上杉も改易を喰らってる。
なのに上杉は徹底抗戦、毛利は家名存続の為に根拠地まで放棄すると主張する。

つか信長の時と関ヶ原後を同列に語るなんてナンセンスにも程がある。
どっちがアホかは明白だな。
642日本@名無史さん:02/12/30 16:18
>>639
そうですね。
>>640
具体的には?

関ヶ原後:西軍総大将となった名目上の責は重いが事実上戦闘に参加していない
     また、その旨も東軍に通告済み。軍勢は温存されている

に対して>>635の仮定では中国方面軍が備州までをほぼ制圧しさらに侵攻してくる
くる状況を想定している。
1582年6月時点に比べ信長方は増援を加え、毛利服属の小名群の降伏などもあり
全体的に戦力は増進している一方、毛利方の主戦力は撤収の際の消耗、離脱等で
縮小していると考えられる。
少なくとも正面戦闘を挑むことは無理だろう。
毛利方に残されたオプションは
・屈辱的和平
・中央の異変および他の戦線で織田方が敗戦するなどの情勢の変化があるまで持久
・乾坤一擲の奇襲
くらいしかない。現実に攻撃を受けている点で関ヶ原後より状況は悪いように思える。

643日本@名無史さん:02/12/30 16:21
ほ、本物だ・・・
644日本@名無史さん:02/12/30 16:22
>なのに上杉は徹底抗戦、毛利は家名存続の為に根拠地まで放棄すると主張する。

それこそ関ヶ原後と同列に語ることはできない
本能寺時点での上杉と毛利の政策には温度差がある。
毛利は戦闘継続意思が薄く明らかに落しどころを探っていた。
645日本@名無史さん:02/12/30 16:23
>>641
安芸放棄(wとか言ってて今度は上杉の方につっこみですか?
節操が無いんですね。
646日本@名無史さん:02/12/30 16:31
厨と言ったのは正しかったようだ
647日本@名無史さん:02/12/30 16:31
ツッコミどころ満載だしなw
648日本@名無史さん:02/12/30 16:32
関ヶ原では東軍がそのまま会津に乱入する可能性を
考慮に入れた作戦なわけだから
少なくとも上杉方には領内で戦う意思はあったわけだ。
毛利とはぜんぜん戦意が違うね。
649日本@名無史さん:02/12/30 16:36
>>646->>647
ていうか、もっと燃料をよこせよ。
具体的に突っ込んでもらわないとこっちも火が消えちゃうぞ。
650日本@名無史さん:02/12/30 16:37
燃料だと(プ
651日本@名無史さん:02/12/30 16:38
つーか、スレ違い。いや、板違いだな。三戦板逝けば?
652日本@名無史さん:02/12/30 16:38
秀吉と毛利の交渉を知らないようだ。
頑張れ房。休暇は長くないぞ。
653日本@名無史さん:02/12/30 16:41
どー考えても関ヶ原よりは状況はいいけどな。
654日本@名無史さん:02/12/30 16:42
>>650->>652
はやくしろよっ!
二行以上の文章が書けないわけじゃないだろ?
655日本@名無史さん:02/12/30 16:44
クエン酸忙しいな
656日本@名無史さん:02/12/30 16:45
>>655
もしアメリカ〜と被ってるのか。
おまいら、どっちかのスレに集中しる!
657日本@名無史さん:02/12/30 16:48
>>655
クエン酸(?)だけど、ここには書きこんでないが・・・?
658日本@名無史さん:02/12/30 16:51
>>657
憶測で物を言ったり、一行煽りしかできないようなアホどもを
構うことは無いよ。
彼らはしょせん年の瀬の暇つぶしに昼間から冬房を煽ること
しかできないクズだからね。
659日本@名無史さん:02/12/30 16:53
>>658
ありがとう。今度からは無視します。
それと、このスレッドに関係ないこと書いてごめん。
660日本@名無史さん:02/12/30 17:25
結局煽るしか能の無い厨房だったみたいだな。
ま、粘着しないだけましか。
661日本@名無史さん:02/12/30 18:59
信長在世のとき、毛利は代理人秀吉に対して実際どのくらい譲歩するつもり
だったんでしょうか?安芸・周防・長門・石見・出雲は最低保持したかったの
でしょうか?あとNHKで大友と連携して毛利包囲網を築いていたというのは本当??
 上杉家臣団の離反(織田勢が越後に乱入した時)といえば、新発田重家以外で
離反しやすい人物っていたんでしょうか?本庄繁長?当然織田方からの離反勧誘は
あちらこちらで行ってるでしょうが・・・
662日本@名無史さん:02/12/30 21:48
本能寺直前の毛利の停戦条件は信長が了承するような条件ではないと思われ。
信長の腹としては甘く見つもっても芸防長のみ、くらいじゃないか?
備州が陥落しても毛利が抗戦しつづけたならさらに条件は厳しくなると思われる。

上杉家は単なる国内諸豪の盟主という形態から脱していない。
越後に乱入されている時点で諸将が離反しないほうが不思議。

663信と仲間たち:02/12/30 22:40
        ∧村∧    ∧孝∧ ∧明∧    ∧池∧
       ( ´_ゝ`)   ( ´_ゝ`) ( ´_∧乱∧(´<_`∧滝∧
       /    ヽ ∧澄∧  ∧忠∧ ´_ゝ`)  (´<_`   )
       (  |   .| ( ´_ゝ`)/( ´_ゝ`)   \ ∧柴∧  \
   ∧丹∧ヽ⊃  |  ∧猿∧ U     ∧信∧  (´<_`  )  | |  
  ( ´_ゝ`) |    ( ´_ゝ`).| Y  ( ´_ゝ`)|/    ⌒i ∧佐∧
  /∧鬼∧ヽ | ∧河∧    .| .|  /   \|     | |(´<_`  )
  ( ´_ゝ`)   ( ´_ゝ`) ∧犬∧  /   / ̄ ̄ ̄ ̄/| |/    \
  /    ヽ  /    ヽ( ´_ゝ`) (__ニつ/  VAIO  /.| |____|
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664日本@名無史さん:02/12/30 23:10
>>662
>上杉家は単なる国内諸豪の盟主という形態から脱していない。
毛利家は国内諸豪の盟主という形態から脱しているの?
665日本@名無史さん:02/12/30 23:16
毛利は非抗戦を選択する、という仮定じゃん。
666日本@名無史さん :02/12/30 23:32
戦国大名っていうのはみんな国内諸豪族の盟主、なんです。
上杉家は新発田家、直江家など、毛利家ならば熊谷家、平賀家などの領国支配を認めてもらっていただけ。
武田家なんかはもっと立場が近かったようです。離反などをしなかったのはそれだけその大名の信頼が厚かった、ということなんです。
甲斐に攻め込まれたときなんかは勝頼は簡単に裏切られてます。
667上総介:02/12/30 23:50
なぜ織田家の家臣はこんなに有能な人ぞろいなの?
1、信長が有能だからそれを体で学んで育った家臣だから
2、確かに無能ではないが、信長は目立ち過ぎたため必然的に家臣も目だっただけ。
 必ずしも"信長の野望"に出てくる能力値の有能家臣団ではない。
3、信長が怖かったので必然的に家臣もビビリながら頑張り強くなった。
4、もともとみんな有能だったので信長が出世できた。
みなさんこの4つのどれだと思います?私もよくわかりませんが。^_^;
668日本@名無史さん:02/12/30 23:55
>>666
残念、不正解。
表面的な理解にとどまっている。
669日本@名無史さん:02/12/31 00:10
森長可の遺言書と滝川一益の三国一太郎五郎宛の手紙が載ってる史料教えてくれ

文献はダメだぞ。史料を頼む
670マタザエモン:02/12/31 00:16
>>667
わしは、4じゃと思う。確かに信長は有能だが、秀吉、利家、勝家、家康(家臣ちゃう?)
もかなりのもんじゃ。
織田家には天下を取れそうな器が勢ぞろい。
マジですごすぎ。
【例】
秀吉・・・実際にとりました。
家康・・・実際にとりました。(家臣とちがう?)
勝家・・・とれそう?でした。
利家・・・とれそうでした。死ななければ。(え?無理?家康いれば?)
光秀・・・天下人殺しました。明智の3日天下と悪口も言われてますが、とれる器。
成正・・・狙いました。
671日本@名無史さん:02/12/31 00:17
 カリスマを持った当主または補佐代行がいれば部下も信頼して(表面的に)
いくだろうが、そのカリスマを失えば信頼を落として、自家が窮地の時に敵方
に寝返るのは非難出来ないですよね…豪族達も自分の命だけでなく、家を子孫
に残していく為には…
重要なポストにいた人物で離反しても敵方から保証がないのが分かっているのなら
当主と同じ道を選択するだろうが…
 現代でも思想は違えども、社会においてもある事だし…(命をとられる事はないが)
672日本@名無史さん:02/12/31 00:28
1-->柴田、滝川
2-->丹羽、佐久間、林
3-->家臣の7〜8割
4-->羽柴、明智
利家は違うでしょ。一騎駆けの端武者じゃん。
秀吉と友達だったって幸運以外に出世の理由がない。
利家自身の自慢の「数十回合戦に挑み26の兜首を獲った槍の又左」
だって、万石以上の大名の自慢話としてはかなりレベルが低い。
673としいえ:02/12/31 00:33
他にも自慢はいっぱいあるぞ。

藤吉郎に顔をつぶされても藁って許す人の良さ
わざと喧嘩する計略だったはずなのにホントに殺しちゃうほどの勇猛さ
調子のいいことをいっておいていざとなったら勝家を見捨てる冷酷さ
三成の要請に応じず、家康に天下を許しても家を守る冷静さ

どうだ見直したか!
674上総介:02/12/31 00:57
利家は凡人のような気がするのだが、出世というのは必ずしも能力
だけではないと言う事なのだろうか。
100万石というのは天下こそとってないが、ものすごい出世のはず。
真田親子などはものすごく有能なのに小大名。
出世とは能力より、運や人望?
675日本@名無史さん:02/12/31 01:09
>>667
2と3だろ。
676昔の学生:02/12/31 02:12

>>669
>森長可の遺言書と滝川一益の三国一太郎五郎宛の手紙が載ってる史料教えてくれ
>文献はダメだぞ。史料を頼む


他人に教えを乞うのに、随分と高飛車な態度だねー

少しは、自分でも関係資料でも探したのかねー

学生か院生なら、ちょっと頭をひねれば探す手だて分かるのにねー

歴史研究第一歩は、まず資料探しだわねー

こんな、人間に教示する人がいるのかねー
677日本@名無史さん:02/12/31 02:40


一、さはひめのつぼ、秀吉様へ進上。但、いまは宇治にあり。

一、だいてんもく、秀吉様へ進上。仏陀にあり。

一、もし、うちじに候はゞ、此の分に候。母に候人は、かんにんぶん、秀吉様へ御もらい、京に御いり候
  べく候。せんは、今のごとく、御そばに奉公の事。

一、我々あとめ、くれぐれ、いやにて候。此の城は、要にて候間、たしかなるものを、秀吉様より、
おかせられ候へと、御申すの事。

一、をんなどもは、いそぎ、大がきへ御越し候べく候。

一、あしき茶の湯どうぐ、かたな、わきざし、せんに御とらせ候べく候。いづれもいづれも、仏陀の如
  く、御とどけ候べく候。仏陀のほかは、みな、せんにとらせ申し候。但し、なり次第、此のよし、御
  申し候べく候。

    天正十二 三月廿六日あさ             むさし  
     尾藤甚右衛門さま 申し給へ

又、申し候。京の本阿弥ところに、秘蔵のわきざし二つ御いり候。せんに取らせ申し候。尾甚に御申し候べく候。
おこう事、京の町人に御とらせ候べく候。母に候人は、かまいてかまいて、京に御入り候べく候。せん、こゝもと
あとつぎ候事、いやにて候。十まんに一つ、百万に一つ、総負けになり候はゞ、みなみな火をかけ候て、御死に
候べく候。おひさにも申し候。以上。
678日本@名無史さん:02/12/31 02:40
>>669
文献も立派な「史料」ですが何か?
679日本@名無史さん:02/12/31 02:42
さてもさても、此の遠国まで御文、殊に一箱御心ざしといひ、又御床しさといひ、
旁(かたがた)賞翫他に無く候。存知より候はぬ地獄へおち候。宇治も弥々とほく成り候条、
茶も如何かとはかりがたく候。何篇に付、不道具たるべく候。心がけ候ても、
ならぬ事のみたるべく候。別の所作もならぬ国にて候条調はずとも、弥々すき一篇に候。
とね川と云ふはたに居住すべく候条、水は形のごとくたるべく候。炭も津国程は
これなく候といへども、木は多く候条、せいを入れやかすべく候。釜は今に一つもなく候。
爰元取り静め、山中迄ほりまはるべく候。今度武田討果し候。自然希もこれ有るかと
御尋も候はば、小なすびをと申し上ぐべき覚悟に候ところ、さはなく、遠国にをかせられ候条、
茶の湯の冥加はつき候。弥々京堺のすき御床敷までに候。来年は罷り登るべく候。
其の節、御茶たぶべく候。新介方へ別紙に申すべく候へ共、万々いそがはしく候条、
御心得にあづかるべく候。申し度き事多く候へ共、つき候まじく候条、万御推量候べく候。
恐々謹言。

卯月四日 一益 (花押)
三国一
大郎五郎へ 返事
680669:02/12/31 02:45
別に中身はいらないんですよ。

これらが載ってる刊行されてる史料名が知りたいだけ
681日本@名無史さん:02/12/31 02:46
>>680
文献はいらないんだろ( ´,_ゝ`)プッ
682日本@名無史さん:02/12/31 02:51
文献じゃない史料で刊行されてるものなんて知らんなー
683日本@名無史さん:02/12/31 02:59
がたがた言ってないで早く教えろや!

つーか、知らないんだろ?プッ
684日本@名無史さん:02/12/31 02:59
今一わからん
発給文書などが転載されている、一般的に市販されてる資料なのか
それとも、書状そのものが記載されてる古記録などの史料なのか
それ以外なのか

もうちっとわかりやすく説明してたもれ
685日本@名無史さん:02/12/31 03:03
森長可の遺言の現物は個人蔵なので転載されている書籍ということに
なるんだろうが、彼、文献はダメらしいね。書籍は文献だしなあ。
686日本@名無史さん:02/12/31 11:15

>>669
何を求めているのか、皆目わからん

>>677
追って書の部分、少し文が抜けてますよ

>>685
長可の遺言状は、現在はある博物館の所蔵となっている。

687664:02/12/31 15:30
亀レススマン

>>665
知識力を100点と仮定したら
文章力は18点?
688日本@名無史さん:03/01/01 20:12
勃起あげ
689日本@名無史さん:03/01/01 20:46
信忠の小姓で、同僚の佐治新太郎と口論して刺殺された金森甚七郎の実名が
「一為」ということが最近発給文書によってわかりました。単にそれだけですが。
690686:03/01/01 21:17
>>689

『信長公記』天正七年四月の記事に出てくる小姓ですね。
信忠小姓の文書が発見されるのは、極めて珍しいことですね。
どのような、ところから発見されたのでしょうか。
非常に興味があります。
実名が「一為」ですか、金森長近の一族ではなさそうですねー

いやはや、びっくりしました
691日本@名無史さん:03/01/01 21:24
>>689
「それだけ」といっても、ここ見てるような人間は皆詳しく知りたいと思う。
692日本@名無史さん:03/01/01 21:29
>>690
富山の旧家から発見されたものです。
年欠ですが状況からして天正6年10月14日ということがわかります。
天正6年10月といえば、上杉謙信の死後、織田方が越中で攻勢に出た
時期で、10月14日は斎藤新五郎が月岡野で上杉軍を破っています。
金森ら信忠小姓衆も、斎藤新五の軍勢に加わっていたのでしょう。
文意は上野氏ら土豪の織田方への勧誘といったところです。
693692:03/01/01 21:32
>>692
すいません月岡野で上杉軍を破ったのは10月4日でした。
694日本@名無史さん:03/01/01 21:43
>>691
すいません。あまりにマイナーなので相手にされないかと思いました。

追記しますと、天正6年10月4日、斎藤新五郎が河田長親ら上杉勢を破り、越中
戦線で織田勢が有利に立ちます。10月11日、信長は毛利長秀・坂井越中守・森
長可ら信忠軍団の主力を越中に派遣することを伝えています。この際に一気に
越中を制圧しようとしたものでしょう。しかし同28日、信長は斎藤らに帰還を命じます。
信長は北国の寒さを懸念して、としていますが、畿内で荒木村重の謀反が伝え
られたためと思われます。
こうして、天正6年における越中攻勢は不発に終わりました。この時期、越中攻めは
信忠軍団が担当だったようです。侵攻路も飛騨経由でしたが、周知のように、後に
越中攻めは柴田軍団の担当となり、北陸道からの侵攻となっています。
695690:03/01/01 21:49

>>692

佐々成政が越中に派遣される以前には、一時期斎藤新五郎が、
この方面の制圧の司令官になっていましたよね。
その時期に、信忠小姓も新五郎に従軍していたということですね。

新発見の甚七郎の文書には、「一為」の署名と花押が据えられているのですね。
富山県文書館などの資料調査で発見されたのでしょうか。
北陸地方の新聞に掲載されたのでしょうか。
紙面がお分かりになりましたら、御教示をお願いいたします。

新しく発見されたのは、甚七郎の文書だけでしょうか。

新発見の文書は、あるものなのですねー

極めて有効なレス、有り難うございます。

696692:03/01/01 22:04
>>695
発見の経緯はよくわからないですが、「富山史壇128号」に紹介された
金龍教英氏の小論で知りました。私は専門外なのでよくわかりませんが、金龍氏
はこの分野の専門家でいらっしゃるようですね。他に発見されたということは載って
ませんが、所蔵元の上野氏は細川家被官上野氏の末裔であられ、以前から他に
細川高国感状、波々伯部正盛書状などが伝わっているそうです。
697695:03/01/01 22:14

>>696

早速の御教示有り難うございました。
富山史檀、最新号のようですね。

このスレには、何度か書き込みし、あるいは拝見していましたが、
今回ほど、感激したことはありませんでした。
このスレが、真の意味で信長の研究に寄与することを祈りつつ擱筆します。

696さん、有り難うございました。
698伊達遠江守家中:03/01/04 11:00
いや、それはあなたの思い込みだYO!
699日本@名無史さん:03/01/04 11:54
遠江家厨ウザイ
700日本@名無史さん:03/01/04 19:59
800石get
701かこわる:03/01/04 19:59
700石だった
702日本@名無史さん:03/01/05 15:11
>>698は誰へのレス?
703日本@名無史さん:03/01/06 14:53
滝川一益にもっとスポットをあててほしい
704日本@名無史さん:03/01/06 17:22
一益の生涯は意外とつまらないよ
特に後半は最悪
705日本@名無史さん:03/01/06 22:40
成政の生涯も意外とつまらないよ
特に後半は最悪
706日本@名無史さん:03/01/06 22:41
信盛の生涯も予想通りつまらないよ
特に後半は最悪
707日本@名無史さん:03/01/06 23:11
>>683
不覚にもワロタヨ
708日本@名無史さん:03/01/07 00:12
>>704->>706
おまえらのとるに足らん人生に比べれば数倍マシだろ。どれも
709日本@名無史さん:03/01/07 15:38
アタリマエダロバーカ
710日本@名無史さん:03/01/07 17:52
>>708
んなわけねーだろ。おれは少なくとも切腹なんぞせんぞ。
711日本史@名無しさん:03/01/07 18:46
本能寺の変後、秀吉や利家ら遺臣の前に信長は霊として現れなかったのかな?
712日本@名無史さん:03/01/07 19:07
>>711
現れましたよ。
秀吉が逝去する前に秀吉の枕元に現れたそうです。
ソースはNHK『利家とまつ』
713日本@名無史さん:03/01/08 02:02
NHKなら間違いはないな。
714日本@名無史さん:03/01/08 02:13
蜂須賀小六
715日本@名無史さん:03/01/08 07:39
蜂須賀小六家政のほう。
716日本@名無史さん:03/01/10 21:26
では、三好笑岩について。
717池田ファン:03/01/11 12:40
池田恒興が摂津池田氏につながるのはガセと見てよいか?

あと織田末期に池田秀氏とかいうやつがいたと思うけど、これは六角氏の家老の家だよね?

も一つ質問があるんだが、小牧長久手のあと、アフォ秀次が秀吉に送った手紙のなかで
池田監物をくれと名指しで書いていたが、この池田監物ってナニモノ?
718山崎渉:03/01/11 16:40
(^^)
719日本@名無史さん:03/01/11 20:21
age
720日本@名無史さん:03/01/13 14:31
>>717

>秀次が秀吉に送った手紙

その手紙の内容の詳細をキボン
721日本@名無史さん:03/01/14 15:59
池田恒興だろ
722日本@名無史さん:03/01/15 15:18
>>721

池田恒興は、小牧長久手の戦いで戦死。天正12年4月9日没
723日本@名無史さん:03/01/15 15:27
>>717
検索しましょう
摂津池田の重臣のようです
池田監物丞正遠
724日本@名無史さん:03/01/15 22:37
池田恒興は紀伊守。
725日本@名無史さん:03/01/15 23:33
池田大作は?
726山崎渉:03/01/16 08:43
(^^)
727日本@名無史さん:03/01/16 14:16
乳母の子だったらもっと重用されてもよさそうだが
728日本@名無史さん:03/01/16 22:20
頭悪かったんだろ
729日本@名無史さん:03/01/17 03:38
他の有力家臣が本人>息子なのにたいし、
池田は本人<息子なわけで、
まあ大大名として残ったんで
良かったんでないの。
730日本@名無史さん:03/01/17 03:40
         ,,,,        
       ,: '(';;;;;'       
.     ,.ヘ./  .       
     ∧ /          
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ       
   /\       │      
  /  ゝ      │ 
  |  │  ━   ━ '   
  |  /    -   -        
   (6        \  
   ヽ|     ,,,,, ─′ 
    \    ̄ ̄l  
      ヽ  ;;;;;;;;;l  


人生50年。下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。
731日本@名無史さん:03/01/17 08:18
池田元助は?
732日本@名無史さん:03/01/18 12:36
733日本@名無史さん:03/01/18 18:39
age
734日本@名無史さん:03/01/19 13:48
武田かなんかの資料で、金森が偉く大物扱いされてたのを見ておどろいた
あれはナンだったのだろう
735日本@名無史さん :03/01/19 14:37

詳細、キボン
736日本@名無史さん:03/01/20 18:02
>>731
池田元助も紀伊守。
池田紀伊守政秀(摂津池田氏の臣か)−池田紀伊守恒利−池田紀伊守恒興−池田紀伊守元助
と、代々紀伊守を継承している様子じゃ。
737日本@名無史さん:03/01/20 18:12
島田秀満って誰?
738日本@名無史さん:03/01/20 18:15
但馬守
739日本@名無史さん:03/01/20 18:23
池田之助
じゃないの?
740日本@名無史さん:03/01/20 18:26
>>736
池田恒興が紀伊守を名乗ったという確証はありません。
同時代の摂津池田二十一人衆に同じ池田紀伊守がおり、
そこと混同した可能性もあります。
741日本@名無史さん:03/01/20 18:27
>>717

三好の家老にも池田氏いなかったか?
742日本@名無史さん:03/01/20 18:31
>>736
池田政秀、恒利ともに系図類でのみしか確認できないはず。
743日本@名無史さん:03/01/20 18:32
>>740
清洲会議に出席した人間として、
・・・・、丹羽五郎左、池田紀伊守と興福寺の記録にあるよ。
744日本@名無史さん:03/01/20 18:40
>743
清洲会議のときって、すでに勝入になってなかった?
745日本@名無史さん:03/01/20 18:44
>>744
興福寺の記録だから、本人が改称しようが、前に呼ばれていた名前で呼んでるんじゃないの?
746日本@名無史さん:03/01/20 18:47
>745
その史料って正しいの?
後学のために何と言う文献かおしえてたもれ。
747日本@名無史さん:03/01/20 18:51
>>746
「多聞院日記」

今ググルで検索したら、『蓮成院記録』『家忠』にも明
らかに恒興と思われる「池田紀伊守」が登場しているらしい
748日本@名無史さん:03/01/20 18:55
>>747
ググッてみました。
でもそこの文によると、
息子の紀伊守元助と混同した可能性があるというふうにかいてありますな。
749日本@名無史さん:03/01/20 19:03
>>748
それは天正11年以降元助が名乗るようになったのにもともと名乗っていた
恒興と混同している可能性があるってことじゃないの?
750日本@名無史さん :03/01/20 20:03
息子の勝九郎元助が、紀伊守を称するのは、天正11年5月からです。
同時期、父親の紀伊守恒興は、入道して「勝入」と号して、
紀伊守の称号を息子の元助に譲ったわけです。
751日本@名無史さん:03/01/20 23:01

しかし、元助って成人の武将らしくない名前だね
幼名みたい
752日本@名無史さん:03/01/20 23:20
池田元助の妻って斉藤道三の末娘だよね。信長のょぅじょで。
753日本@名無史さん:03/01/20 23:32
>>752
それじゃ姉さん女房なんだね。
754日本@名無史さん:03/01/21 11:57
>>750
いやだから恒興が紀伊守と名乗ったという確証はないわけよ。
755日本@名無史さん:03/01/21 12:04
>>750
ググると天正10年6月まで勝三郎を名乗っているね。
756日本@名無史さん:03/01/21 22:16
恒興と名乗ってないんだから公式文書じゃないんじゃないの?
だから紀伊守とも名乗らない。
757日本@名無史さん:03/01/22 11:47
>>756
意味不明なんだけど
758750:03/01/22 17:07
紀伊守の典拠は
『天王寺屋会記』、『兼見卿記』、『家忠日記』
759日本@名無史さん:03/01/24 09:44
じゃあ、そろそろ
筒井順慶の話しでもしようか。

いきなり大国大和を与えるなんて、信長も豪儀だよなぁ
760日本@名無史さん:03/01/24 11:56
秀吉にもっと沢山チョソを殺してもらいたかったものだな
761日本@名無史さん:03/01/24 13:38
スレ違いなのはわかってますが、誰か教えてください。
本能寺の変の後の清洲会議で秀吉が担いだ信長の嫡孫、三法師ってその後どうなったのですか。
762日本@名無史さん:03/01/24 13:43
筒井家はなんで江戸初期に潰されたの?
家康に嫌われたのですか
763日本@名無史さん:03/01/24 14:08
>>761
豊臣政権下で岐阜13万石ちょいと中納言の位を貰ってた。
でも関ヶ原で西軍につき、家臣が篭城を勧めたのに野戦に打って出て
あっさり敗北、そして降伏。高野山に追いやられ二十代で死んだ。
764日本@名無史さん:03/01/25 08:52
岐阜城主だから、結構キーパーソンではあったんだけどね。
765日本@名無史さん:03/01/25 19:42
筒井家なぁ
豊臣政権下で領国が大和じゃなかったら、もっと勢力維持できたかもしれないけどね
766日本@名無史さん:03/01/25 20:27
筒井が伊賀に転封されたのは、
興福寺の被官という立場からなかなか脱却できなくて、
近世大名になりきれなかったからだっけ?
767日本@名無史さん:03/01/26 09:17
>>761
>>763

むしろ、清洲以降〜関が原のほうが気になる。

・どこで育ったのか
・誰に育てられたのか
・最初から岐阜13万石なのか
・軍役はどうしていたのか(名代等)
・織田家臣は残っていたのか。どういう面子か

とか。どなたか御教授ください。

天守閣まで追い詰められて、開城前に「ちょっと待って」と言って
生き残った家臣の勘状書き始めたんだよね。
んで書き終わって「いままでありがと」とか言いながら手渡して開城。

秀信って、もう少し長生きしてれば御赦免→小大名ぐらいにはなれ
たと思う。
信長に生き写しの顔だったとか。
かわいそーだな。
768バロン曽志崎:03/01/27 20:11
>>767
秀信の直臣というと分限帳のたぐいは残っていなかったと思いますので軍記物に
頼るしかないのですが、織田家の有力武将がつけられた気配はないですね。
万石取りとされるのが、木造左衛門佐(後の大膳)、百々越前守、津田藤右衛門
くらい。織田家古参の一族と思われる苗字では、前田、梶川、坂井、生駒、滝川
なんてのが見られますが何者なのか解りません。
769日本@名無史さん:03/01/28 08:48
織田秀信、家臣、でぐぐったら
飯沼勘平長資
ttp://www.m-network.com/sengoku/sekigahara/nagasuke.html
木造長正
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/koz_kuri.html

他に木造具康、百々綱家、斎藤徳元、杉山四郎右衛門、杉浦重勝、長屋正隆、佐藤方政、大窪八兵衛
などが出てきたが、ほとんど知らねえ…(;´Д`)
770日本@名無史さん:03/01/29 19:27
木造→北畠の一族でなかったか? 関が原後は福島家
百々→建築の名人 関が原後は山内家(高知城の縄張りをした)
771日本史@名無しさん:03/01/30 21:39
池田勝入入道(池田信輝)の母親は信長の乳母どころか 父親は、織田信秀でしょ?

 って事は、信輝は信長の異母兄弟と言う事になり、織田家の一門衆になるのでは?
772日本@名無史さん:03/01/31 08:41
どういう異説だ、そりゃ(w
773日本@名無史さん:03/01/31 11:44
池田勝入の実名は恒興です。
信輝は確認されていません。
774日本@名無史さん:03/01/31 12:14
>>771
おいおい、もしそんな説が本当ならたいへんだぞ。
775日本史@名無しさん:03/01/31 12:27
池田恒興の母親は織田信長の乳母でしたが、
信長養育後に信長の父・織田信秀の女を生んでいます。

つまり、信秀の手がついて側室となったのです。
けれども、恒興は信秀の父親ではありません。
776日本@名無史さん:03/01/31 12:34
>>775
それは事実ではありません。
777日本@名無史さん:03/02/01 01:44
信秀六女の小田井殿は信長乳母養徳院の子。
かなり信憑性の高い史料がみつかってるしその他の状況をみても
間違いないだろう。
しかし恒興は信秀の子ってのはどういう説なんだろ。
778775:03/02/01 15:17
>>776

『織田信長総合事典』にくわしく書いてあるよ
779日本@名無史さん:03/02/01 15:38
>>778
>>775は最後の一文が変。
単純なミスだとは思うけど。
780775:03/02/01 15:50
けれども、恒興は信秀の父親ではありません。

↓ 訂正します

けれども、信秀は恒興の父親ではありません。
781日本@名無史さん:03/02/03 16:42
要するに女好きだったんだな
信秀って
782日本@名無史さん:03/02/03 17:17
日本人の遺言状という本に信長乳母の遺書が
あったんだけどそれに、自分の財産は信秀の墓のある寺院に
寄付すること、って遺言状を池田輝政に与えていた。
783日本@名無史さん:03/02/05 16:39
熱愛だね
784日本@名無史さん:03/02/05 21:23
>>768-769
往年の織田家の家臣団のなかからイマひとつだったヤツが残っちゃったって感じだな

木造具康は北畠攻略で裏切った木造具政の子、
百々綱家は近江に百々屋敷ってのがあったからその辺の出かな?
杉浦重勝(五郎左)は竹ヶ鼻で踏ん張った人だね
攻め手の福島正則が助命して家臣に迎えようとしたけど自害

785日本@名無史さん:03/02/06 03:01
>往年の織田家の家臣団
言葉が変
786日本@名無史さん:03/02/06 17:32
じゃあそろそろ
平手一族の悲運について語るか・・・

三方ヶ原で死んだのって政秀の子?
あれで一族滅亡??
787日本@名無史さん:03/02/06 17:40
ひろひでだっけ・・・
 
788日本@名無史さん:03/02/06 17:55
三男らしいね。汎秀は。
長男は長政。父親が切腹するもとを作ったといわれる親不孝者。
二男は?
789日本@名無史さん:03/02/06 21:47
長男・長政と次男・監物は伊勢長島の合戦で戦死
790日本@名無史さん:03/02/06 21:51
そうなんだ…
じゃあ一族のその後は??
791日本@名無史さん:03/02/06 23:53
信長が生きていた頃の秀吉には人望があったのに、
なぜ信長が死んだ後の秀吉には人望がなかったのかな?
792日本@名無史さん:03/02/07 00:31
なくはないだろ。毛利も大友も上杉も、信長死後に秀吉に従ったんだし…(´・ω・`)
宗麟は信長時代だったっけ?
793日本@名無史さん:03/02/07 14:22
平手家って・・・聞かないね
 
794日本@名無史さん:03/02/08 01:54
>>17
むちゃくちゃ遅いレスなんだけど。
この間、実家で母親の誕生日の新聞を見つけたんだよ。
(空港でコピーした物)
そしたら、載ってたよ。前田何某の死亡記事が。
位がそこそこ高かったのと、伯爵かなんか貴族っぽいのが付いてたから
なんとなく「この前田ってあの前田の子孫かなぁ?」と思ってたんだけど、
やっぱり前田の子孫で戦死した人はいたんだね。
ちなみにその新聞は昭和17年11月13日の新聞です。
795日本@名無史さん:03/02/08 01:59
連続すいません。
なんとなく気持ち悪かったので探してきました。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/jinji-ama.html

やはり俺の見た新聞の死亡記事は前田家の人でした。
しかし死亡記事が出るまでに2ヶ月・・・・遺族のことを思うと
なにかもの悲しい気持ちになります。
796日本@名無史さん:03/02/08 02:11
新ゴーマニズム宣言か何かで小林よしのりに紹介されてたな。
797日本@名無史さん:03/02/08 09:19
それとはちょっと違うと思う 階級とか

ゴマ宣で出てたのは青年将校風の前田の人間で、南方の島で強引に戦犯と
して処刑されるも、銃殺前の姿があまりにも潔かったって話しだよね
 
798日本@名無史さん:03/02/08 11:59
平手家の直系は絶えたけれども、一族の平手大炊は織田信雄に仕え、
その子孫はいまでも愛知県に住んでいるよ
799日本@名無史さん:03/02/09 09:06
内藤勝助と青山与三右衛門の立場はどうなる
800日本@名無史さん:03/02/09 09:20
>>795
前田利為氏は先祖綱紀が収集した古文書を保存・公刊する尊経閣文庫を
作った人として日本史学界では有名な人。
http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/daijiten-sonkeikaku.htm
801日本@名無史さん:03/02/09 09:56
802日本@名無史さん:03/02/09 12:36
>>799
内藤勝介は知らないけど、青山は孫の佐渡が前田家に仕えて、子孫も連綿と重臣です。
803日本@名無史さん:03/02/11 09:01
青山も林も佐渡か…
804日本@名無史さん:03/02/11 12:29
佐渡がブームだったんだろ
 
805日本@名無史さん:03/02/12 07:46
本多も佐渡なわけだが
806日本@名無史さん:03/02/12 08:04
807日本@名無史さん:03/02/12 09:34
あまり近くの守を名乗ると、偽者と本物が同居するからでしょ
遠くの守だと、そのリスク小さいし
808日本@名無史さん:03/02/12 11:13
>>807
バカなんですか?
809日本@名無史さん:03/02/12 12:32
いいえヴァカです
810日本@名無史さん:03/02/12 15:53
>>808
そういう言い方すんな
そろそろ2Chを楽しめ、そして喧嘩ならモ板でやれ。
811日本@名無史さん:03/02/12 20:41
>>810
にちゃんねら気取りの初心者の方ですか?
812日本@名無史さん:03/02/12 20:48
バ━━━(  ゚,___ゝ゚)━━━カ!!
813日本@名無史さん:03/02/12 20:50
↑このAA初めて見た
814日本@名無史さん:03/02/12 21:43
でもあまり近くの守は名乗らないよね
例えば織田家で三河守や美濃守、伊勢守を名乗った人っている?
815日本@名無史さん:03/02/12 21:46
>>814
織田信秀は三河守だったよ
816日本@名無史さん:03/02/13 06:56
ちなみに・・・

三河守
1541年9月 織田信秀
1560年5月 今川義元
1566年12月 徳川家康

三人ともちゃんと朝廷から任じられている。
817日本@名無史さん:03/02/13 09:52
しっかし、よく織田信秀を三河守に任じたね。
三河の豪族は文句言わなかったの? 松平家とか水野家とか…

それと話題は、「近くの守を僭称する人っていないよね」ってことだよね。
818日本@名無史さん:03/02/13 14:35
>>817
>三河の豪族は文句言わなかったの?
ヴァカですか?
819日本@名無史さん:03/02/13 15:06
>>818
そういう言い方すんな
そろそろ2Chを楽しめ、そして喧嘩ならモ板でやれ。
820日本@名無史さん:03/02/13 15:18
819は文句言ったね
821日本@名無史さん:03/02/13 16:47
>>816
むむ、1560年といえば桶狭間。季節も初夏、多分この辺じゃなかったか。
ならば今川サイドとしては三河の守任官と尾張出兵はリンクしてたわけだ。
そうまで用意周到に臨むも武運つたなく首取られちゃったんだね。ロマンやね。合掌…
822日本@名無史さん:03/02/17 08:19
ロマンだす
 
823日本@名無史さん:03/02/17 09:02
いや、むしろマロンだな
824日本@名無史さん:03/02/17 10:59
義元が三河守に任官された事実はない。
825日本@名無史さん:03/02/17 12:24
>>824
?????
826日本@名無史さん:03/02/17 14:49
世は空しい。
いままで家来を・・。
827日本@名無史さん:03/02/17 15:56
現代でも大納言とか三河守とか自称してる人いるのかなぁ

県知事に当選したら、「おめでとうございます、山田美濃守さま」
なんて冗談言い合ったりするのかな。
828日本@名無史さん:03/02/17 23:13
>>825
>>816へのレスだよ。
三河守どころか上総介も義元は任官されてない。
義元自身、名乗ってもない。
829日本@名無史さん:03/02/18 07:50
>>828
では義元の官位はどんなもんだったの?




義元
1549年2月 叙 従四位下
1560年5月 任 三河守

氏真
1560年5月 叙 従五位下
        任 治部大輔

本表は叙任時期の明白なものに限る。系図・家譜等には依拠せず、
『歴名土代』『公卿補任』その他の家伝文書等の信憑性のある史料のみによった(著者)。
       
今谷明 『戦国大名と天皇』 講談社学術文庫 P257〜259

上総介は不明。
830日本@名無史さん:03/02/18 10:30
>>829
義元の三河守叙任は『歴名土代』『公卿補任』には見られない。
『瑞光院記』に義元の三河守、氏真の治部大輔叙任が書かれてる。
『歴名土代』には氏真の治部大輔叙任が確認出来るが、これ以降の氏真発給文書にも
治部大輔を名乗った事は一度もない。上総介のまま。出直せ。
831日本@名無史さん:03/02/18 11:49
昨日、大学入試で「信長記」を書いたのは誰か?
という問題が日本史で出てきたのですが、誰なんですか?
知ってる方お願いします。
832日本@名無史さん:03/02/18 11:58
>>831
太田牛一または小瀬甫庵
833日本@名無史さん:03/02/18 12:04
>>832
ありがとうございます。
選択肢で選ばせる問題だったのですが、その中に知ってる人が松永尺五しかなかったので松永尺五を選択してしまいますた。。。
鬱だ氏のう。。。
てか、この問題って大学入試にしては鬼っすよね?
山川の用語集にも載ってなかったと思いましたし…。
834日本@名無史さん:03/02/18 17:47
丹羽長秀って朝廷から何らかの官位を貰っている?
ずっと五郎左衛門だったような気が。後で貰ったのも惟住の名字だし。
官位とは少し違うような気がするんだけど。
835日本@名無史さん:03/02/18 17:49
>>829のをちょろっと立ち読みしてみたんだが、義元の三河守の口宣案がでたのは5月8日、
戦死はわずか11日後の5月19日。なんか哀れだな。
836日本@名無史さん:03/02/18 18:50
>>834
たしか秀吉に越前守貰っていたと思ったけど。
837日本@名無史さん:03/02/19 08:53
>>833
某有名私大Wの入試問題なぞ、鬼を極めとるよ。
国分寺の僧侶の定員とか、長崎の出島の面積はいくらか、とか。もうアフォかと。
で、教科書に載ってんのか?と思って山川の詳説日本史見たら出島の写真の脇の
キャプチャに1.32ヘクタールとかちっちゃく書いてあったりするわけよ。
まあ、ふるい落とすための試験だからねぇ。
838日本@名無史さん:03/02/19 15:53
>>829
>『歴名土代』『公卿補任』その他の家伝文書等の信憑性のある史料のみによった(著者)。

 ↑
「信憑性のある史料のみによった」のならば、
少なくとも西暦ではなく和年号で記したらどうですか。
839日本@名無史さん:03/02/19 16:03
>>838
関係の無い煽りはやめよう。
意味が無いから。
840日本@名無史さん:03/02/19 16:45
ほんと、揚げ足取りやり始めたら収拾つかなくなる
 
841日本@名無史さん:03/02/19 17:56
>>838
滅茶苦茶セコイ難癖だな。漏れもその本持ってるが、原文は西暦に和暦も併記してあるぞ。
842日本@名無史さん:03/02/19 23:20
もう、揚げ足とりも、それに敏感に反応するのもやめなって
見苦しい
 
843日本@名無史さん:03/02/20 15:53
そろそろ2Chを楽しめ、そして喧嘩ならモ板でやれ。

て、こった
844日本@名無史さん:03/02/20 22:19
そもそも今谷は室町の○○であって、所謂戦国時代の知識はかなり怪しい。
845日本@名無史さん:03/02/21 00:28
>>844
そうか?ずいぶん熱心に三好氏の研究やってたような。
846日本@名無史さん:03/02/21 02:38
堀久太郎は既出?
847日本@名無史さん:03/02/21 02:44
明智光秀に決まり!
日本のキムジョンイルたる信長を誅殺した
偉大な人物
848日本@名無史さん:03/02/21 02:49
ぷぷっ 成田で嫡子ノブタダが捕まったんだって
ディズニーランドへ行きたいんだって
849844:03/02/21 19:44
最近もりあがらんからネタにはなるか、、、
>>845
買ったまま読んでいなかった氏の『戦国三好一族』を適当に開くと
127頁。
鉄砲が戦闘に初めて使用されたのは、文献にみる限り、畿内で細川晴元と三好長慶の戦いに与力が鉄砲に当たって戦死したときのことである。と記している。
「細川右京兆人数足軽百人計出会、野伏有之 きう介鉄砲に当死云々」『言継卿記』天文19年7月14日条。
 
しかし鉄砲という言葉自体は、「蒙古襲来絵詞」にも見られ鎌倉時代にも使われていた。
応仁の乱の頃、中国伝来の火薬を使用して殺傷力は小さなものであったが、銃火器は存在していたことが、『蔭涼軒日録』や『碧山日録』にみられる。
http://members.tripod.co.jp/twt/niwa/tanegashima.htm

まぁこの辺は「鉄砲」の定義の問題だからどうでもよいが、
>この日以前に鉄砲が使われたことは知られていない。
>晴元軍には、恐るべき新兵器が装備されていた。
ここまで断言しても良いのだろうか?

>鉄砲の実戦使用の最初が長篠の戦いであると今でも信じる人が多い。
って、昭和60年頃の認識はそうだったのだろうか?

>天文19年に築かれた中尾城の壁には石を詰めているのだから鉄砲が実戦にかなり普及していたことがしられる。
書いていて自分でおかしいとは思わなかったのだろうか?

129頁には天文19年7月(冒頭の戦いでは)鉄砲隊の足軽衆が独立して運用されているように書いてある。

今谷氏を評価している人は多いと思うが、一応私もそうなのだが、この人は所所で妙な事を書く傾向があると思う。
850日本@名無史さん:03/02/22 10:35
わざわざ突っ込むようなことなのか?
851日本@名無史さん:03/02/22 14:43
ネタ二○○カコワルイ
852日本@名無史さん:03/02/22 20:24
中条家忠

退き口三人衆で佐々成政と簗田広正は有名だけどこいつだけはマイナー
853日本@名無史さん:03/02/23 11:46
age
854日本@名無史さん:03/02/25 08:15
しっかし
西美濃三人衆って言うんだっけ。稲葉氏家安藤…
早期に織田家に降ったわりには出世しなかったな
明智ほど贅沢はいわないけど、せめて細川以上になってもよさそうなのに
 
855日本@名無史さん:03/02/25 08:20
856日本@名無史さん:03/02/25 15:03
濃姫について、しばし語られい。
雑談スレが見つからなかったので、ここで聞いたでござる。

スレ違いでつか?というか、どこで聞けばいいのか、わかりませんでした。
ごめんなさい。
857日本@名無史さん:03/02/25 15:45
>>856
存在しなかった。








でいいじゃない。
858日本@名無史さん:03/02/25 17:22
>>857

そんなムエタイ、いやゴムタイな!
859日本@名無史さん:03/02/26 16:21
もっと語れや
860日本@名無史さん:03/02/27 00:04
>>817
北条家当主→相模守
北条氏邦→安房守
北条綱成→上総介
北条氏繁→常陸守(介じゃなくて守)

信秀の三河守も三河攻めの口実(正当性)を朝廷権力を借りて示したわけで
北条家のも僭称か正式か知らんけど、同じような意味じゃないの
常陸介佐竹義重に対し、常陸守北条氏繁
今川家の当主に多い上総介に対し上総守信長、涙ぐましい努力だ
861日本@名無史さん:03/02/28 15:38
信長4重臣の子孫はどうなったの?
青山与三右衛門:加賀前田家重臣
平手監物丞政秀:?
林佐渡守秀貞 :?
内藤勝介   :?
862日本史@名無しさん:03/03/01 07:43
>860
 
 信長が名乗ったのは上総「守」ではなく上総「介」でしょ?
863日本@名無史さん:03/03/01 11:52
平手の息子は三方ヶ原で戦死したんじゃなかったっけ?
864日本@名無史さん:03/03/01 17:58
汎秀ダケガナー
865日本@名無史さん:03/03/01 21:21
>>862
最初だけは上総「守」を名乗ってる。
866日本@名無史さん:03/03/01 21:46
間違いに気がついて「介」になおした
867日本@名無史さん:03/03/02 13:34
意識して「守」を名乗ってたのに、間違いに気付いて、ってのも適当じゃないな
868日本@名無史さん:03/03/02 14:21
ほんとに意識してなのか?
869日本@名無史さん:03/03/03 19:12
うん
 
870日本@名無史さん:03/03/03 20:14
もう、許してYO!ホントは・・・・。
871日本@名無史さん:03/03/08 07:03

 織田軍団
 
872日本@名無史さん:03/03/13 05:16
信長の黒人家来ヤスケについて知りたい
本能寺で死んだらしいことぐらいしかわからないので
情報ください

信長生きてたら天下統一後に小大名とかなってたりしたのかな
873日本@名無史さん:03/03/13 05:20


  poison ・・・ おい、ソリマツ! おまい「その時歴史が動いた」にゲストで出ろや・・・。
  いやしくも信長の役をやったのならさ・・・。
874日本@名無史さん:03/03/13 05:44
>>872
俺が知ってること

宣教師が連れてくる→信長に見せる→信長「墨塗ってんじゃねーの?洗ってみ」
→洗っても黒い→信長「こいつは珍しいわい」→宣教師から譲られる
→信長、奴隷身分から解放して小姓にしてやる→本能寺で死亡

これぐらい。
これ以外の事知ってる人っているのかな
875j:03/03/13 05:49
http://www.pink-angel.jp/betu/linkvp2/linkvp.html
★その目で確認すべし!!★超おすすめ★
876日本@名無史さん:03/03/13 07:13
>>874
死んでないだろ。生け捕りになって宣教師に返されたと聞いたが。
877日本@名無史さん:03/03/13 08:59
生け捕りとは初耳
勝手に獅子奮迅の働きをして死んだと思ってた
878日本@名無史さん:03/03/13 10:47
>>872
本能寺では死んでないよ。
明智に捕らえられたが、光秀が「黒人は人間ではなく動物なので放してやれ」
といって釈放された。その後は不明。
879日本@名無史さん:03/03/13 13:54
弥助は二条御所で戦っていたから、小姓ではなく馬廻りだったのかも
880日本@名無史さん:03/03/13 17:28
大河ドラマ「秀吉」の本能寺のシーンでは
矢を射たれたヤスケが「マミー!」って叫んで死んでたな(w
881日本@名無史さん:03/03/13 23:04
日本語しゃべれたのかな

馬廻りにしろ小姓にしろ騎乗の士だから結構身分高いよね
信長が天下とってたら黒人大名ができてたりしてw
882日本@名無史さん:03/03/13 23:13
>>881
この時代に黒人が居たのか?
この時代の黒人(アフリカ人・インディアン)は奴隷だぞ。
頭わりーな、お前。
883日本@名無史さん:03/03/13 23:17
1581年。これは本能寺の変の1年前ですが、キリスト教宣教師ヴァリニャーノは
黒人を連れて織田信長に会いました。

すると光秀はこう答えたのでした。
-------------------------------
「黒人奴隷は動物だから、何も分かっていないし、日本人でもないので殺す必要
 はない。南蛮寺にでも置いておけ。」
-------------------------------

            〆    〆    〆 

ちょっと説明しましょう。南蛮寺とはキリスト教の教会のことです。
当時、日本には教会だけでなく、神学校までがありました。そして、そこではラ
テン語、ポルトガル語、宗教学、倫理学、日本文学、書道、体育、音楽などが教
えられていたのです。

驚くべきは、体育の授業のために運動場や海水浴場があり、音楽の授業では、
なんとハープシコードやオルガンまで習っていたことです。当時、神学校の中で
オペラが演じられていたとも伝えられています。
884日本@名無史さん:03/03/13 23:25
>>882
あんた、無知さらけ出してるよw
885日本@名無史さん:03/03/14 00:52
オルガンはじめて弾いた人って信長って知ってるつもりでやってたけど本当?
886日本@名無史さん:03/03/14 08:41
「時の旅人」ってアニメだと蘭丸がオルガン弾いてたな
887日本@名無史さん:03/03/14 18:10
あの頃から漏れは竹内まりやさんに萌え萌えだった
888日本@名無史さん:03/03/14 19:49
>>885
1580年 日本に2台のオルガンがあって一台は安土、もう一台は有馬に
あったはず
信長がオルガンをきいたのは確実だろうが
弾きはしませんでした。
889光秀総統:03/03/14 20:47
本能寺は燃えているのか?
890日本@名無史さん:03/03/17 07:19
オルガン弾いてる信長って絵になるよな
まさに六天魔王ってかんじ
891日本@名無史さん:03/03/17 07:29
>>66
>年上でも名君という点では池田光政のほうがずっと上なわけで

1から読んでたんだがこれには納得できん。
892日本@名無史さん:03/03/17 08:00
>>890
やっぱり弾いてる曲は
ベートーヴェンの「運命」か(笑)
まだ生まれてないのかベートーヴェン。
893日本@名無史さん:03/03/17 18:15
>>892
大バッハですら生まれていないのに、、、、、、
894日本@名無史さん:03/03/17 22:54
>>883
音楽史上、最初のオペラは
1597年のヤーコポ・ペリ作曲の「ダフネ」(現存せず)とされてまつ。

だいたい、神学校の中で世俗作品を演奏するわけがない。
まあ、受難劇とかならやったかもしれないな。
895 :03/03/18 00:56
>>874
宗男がムルワカを飼ってたみたいな話だな
896日本@名無史さん:03/03/24 10:18
蜂屋頼隆について語っておくことはないか?
897日本@名無史さん:03/03/24 23:57
>>896
それは次スレのおたのしみ(W



たてようと考えている香具師いてるのかな?
898日本@名無史さん:03/03/26 23:49
織田重臣の中で生まれ年が”?”なのは勝家だけ、
何とか特定できないものか。
899日本@名無史さん:03/03/27 13:00
勝家を弔ってる寺とか調べれば分かるかも
享年何歳とか出てるだろうから没年である1583年で逆算すればよい
900日本@名無史さん:03/03/27 15:02
900
2chで爆破予告した人が今日捕まりました。
去年の11月27日に書いたものです。
皆さんそんな安易な行動は止めましょう。
通報されたら終りですよ。
ちなみに捕まったのは無職の方です。
901日本@名無史さん:03/03/28 15:45
長谷川秀一
902日本@名無史さん:03/03/29 07:42
中川瀬兵衛について語っておくべきことはないか?
903日本@名無史さん:03/04/03 19:03
蜂屋頼隆の画像って今売ってる歴史読本ではじめて見た。
904日本@名無史さん:03/04/04 04:36
あの変な汚い肖像画だろ
905日本@名無史さん:03/04/04 13:48
でも面白い顔してるし、いいんじゃない?
906日本@名無史さん:03/04/04 13:52
              ,.-、
           /.n l  /⌒ヽ
             | l l | ,' /7 ,'
        , '' ` ー ' '-' /
       /  、_,       `ヽ
         l   , .-. 、`´    l
         ヽ  ヽ ̄フ     /
        丶、 ̄____,/
         /  ,. - 、  )
      (( ( n ([N],ハ_う
         ゝ)ノ  ̄   ヽ
            /   _   l ))
            〈__ノ´   `(_ノ


NOVAうさぎが蜂屋頼隆に興味を持ったようです
907日本@名無史さん:03/04/06 22:40
でも肖像画って死後何十年も経ってから想像で書かれることが多いから
成立年代まで知りたいもんだ
908日本@名無史さん:03/04/06 23:22
結局、堀"名人・久太郎"秀政が一番戦争は強いわけだが?
909日本@名無史さん:03/04/07 11:36
そういう人物は不幸な末路を・・・
というのが歴史の真実。
910日本@名無史さん:03/04/08 15:08
ちょっとスレ違いだが佐久間信盛の子、佐久間道徳は
1584年に京で謀反起こしてたんだな。
911日本@名無史さん:03/04/08 20:33
>>910
詳細キボソ
912日本@名無史さん:03/04/09 16:31
『信長公記』登場回数、信長の家臣の中では丹羽が一番なんだな。
蜂屋は9位と大健闘。巻末の索引を見てだけど。
913日本@名無史さん:03/04/09 17:31
太田牛一が丹羽長秀の右筆だしな。
914日本@名無史さん:03/04/09 19:00
>>911
俺も今詳しく調べ中
↓某サイトより転載
小野木 重次 (おのぎ しげつぐ) ????〜1600
尾張の出身。清次郎。縫殿助。早い時期から秀吉に仕えており、天正元年(1573)九月に
長浜城主になった秀吉から二百五十貫文を与えられたという。その後の動向ははっきりしない。
天正十二年(1584)五月、織田信雄の家臣佐久間信栄(正勝)の弟道徳が、
京都で反乱を企てることがあった。
京都所司代の前田玄以が留守中であったのだが、当時山城の在番をしていた重次が
兵三百を率いてこれを鎮圧している。同年の小牧長久手の合戦でも兵三百を動員した。
福地山城主となった時期は明確でないが、前城主の杉原家次の死亡した天正十二年(1584)
九月以降から天正十六年頃までの間であろう。
天正十七年(1589)に美濃の検地奉行を務め、翌年の小田原征伐では兵八百を動員。朝鮮出兵では渡海している。
関ヶ原の合戦では西軍に属して、細川藤孝の丹波田辺城を包囲攻撃した。だが、自分の居城福知山を攻撃され、籠城後に自害した。
915日本@名無史さん:03/04/09 20:31
最近オンラインカジノでよく遊んでるよ!
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916日本@名無史さん:03/04/10 08:37
(・∀・)カエレ!
917日本@名無史さん:03/04/10 16:58
>>914
反乱っていうか家康方に内応したってことか?
全然知らなかったです。
道徳は号なのかな?
918山崎渉:03/04/17 14:21
(^^)
919日本@名無史さん:03/04/17 15:23
信雄の密命で工作活動してたっぽいな
920堕天使:03/04/19 00:03
921日本@名無史さん:03/04/19 15:58
道徳のことについて、以前三戦板の信盛スレにもあったよ。
922山崎渉:03/04/20 01:51
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
923日本@名無史さん:03/04/21 00:36
みんな大好き佐久間君
924日本@名無史さん:03/04/21 22:18
佐久間盛政の末弟、源六郎勝之のことはあまり知られていない。
佐々成政の養子となり、成政に養育されたという。
末森合戦などに奮戦したが、成政が秀吉に降伏した時、「秀吉は一家の敵である」として
秀吉に従うことをよしとせず出奔、次兄安政と共に小田原北条氏に仕えた。
後徳川家に仕え、大坂の陣では竹田永翁を討ち取る。
後、信州長沼一万八千石の大名となる。(家は後に断絶)
925日本@名無史さん:03/04/23 08:27
坂井政尚と佐々成政が兄弟ってのは本当なの?
926日本@名無史さん:03/04/23 17:22
>>925
変な系図ではそうなってるのがあるけど信憑性はゼロ
927日本@名無史さん:03/04/24 20:01
堺屋太一の"予言" 平成30年、信長再臨!
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928日本@名無史さん:03/04/27 16:56
生駒家長
929日本@名無史さん :03/05/02 00:36
914は学習研究社歴史群像シリーズ40号付録『秀吉家臣団事典』からの丸写し
930日本@名無史さん:03/05/02 08:59
長谷川秀一
931日本@名無史さん:03/05/02 18:32
まあ本を丸写ししただけのサイトが多いわけだが
932日本@名無史さん:03/05/15 20:24
umu
933日本@名無史さん:03/05/18 22:12
結局家老のうちで大名として残ったのは丹羽家だけか
934日本@名無史さん:03/05/18 22:39
丹羽は江戸期に10万石・・主家の織田よりも石高多い
935日本@名無史さん:03/05/18 22:45
林さんってどうなったの?
936日本@名無史さん:03/05/18 22:50
まだ最終判決は出てない
937日本@名無史さん:03/05/19 08:09
池田は…?
938日本@名無史さん:03/05/19 20:15
死にかけてます
939日本@名無史さん:03/05/19 20:56
織田信張は…?
940yuis:03/05/19 20:57
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941日本@名無史さん:03/05/19 21:03
あれだな・・・
942日本@名無史さん:03/05/19 21:12
943日本@名無史さん:03/05/20 04:43
>>933-940を一気に読むと笑えるな
まるで織田信張が・・・
944山崎渉:03/05/28 11:36
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
945日本@名無史さん:03/06/08 20:15

946日本@名無史さん:03/06/10 08:48
塙直政について語れや
947日本@名無史さん:03/06/11 00:12
織田信光
948日本@名無史さん:03/06/11 00:19
>>946
一時は出世頭だったのにね・・・
949日本@名無史さん:03/06/11 00:43
直政の孫の友治は田中吉政に仕えて関ヶ原の役にも参戦している。
感状を与えられたというから戦功もあったのだろうな。
950日本@名無史さん:03/06/11 16:07
子は友安
951日本@名無史さん:03/06/11 23:16
次スレは?
952日本@名無史さん:03/06/12 12:46
イラン
953t-akiyama:03/06/18 16:24
携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)

 このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。

この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
954日本@名無史さん:03/06/26 22:49
イラク
955山崎 渉:03/07/12 13:00

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
956日本@名無史さん:03/07/13 19:32
原田直正は一時期トップ5に入るぐらいだからね
山城、大和、和泉の守護に命じられるなんて
丹羽、明智あたりも抜いてそう
生きていれば近畿管領になれたはず
これだけ出世できたのは妹のおかげ萌え
957日本@名無史さん:03/07/13 20:32
「塙直政」。
958日本@名無史さん:03/07/14 00:21
それも、バン直政な
959日本@名無史さん:03/07/14 01:24
蜂屋は語られそうで語られず終いか…
960三好笑岩:03/07/14 09:09
漏れは…?
961日本@名無史さん:03/07/15 02:07
>>959
あなたがネタを振れば良いだけ
962山崎 渉:03/07/15 11:40

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
963日本@名無史さん:03/07/18 20:07
964中川瀬兵衛:03/07/19 01:08
俺こそ重臣。
965日本@名無史さん:03/07/19 04:36
どこが?
966細川昭元:03/07/25 01:06
犬もらった俺こそ重臣。
967日本@名無史さん:03/07/26 01:01
968日本@名無史さん:03/08/01 08:54
969世直し一揆:03/08/01 20:16
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))
●他人に異常に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、そこから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けていることが多い)
●権力・強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(人が見ていない場合特に))
●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているので性格が鬱陶しい(根暗・陰気)
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量、視野が狭い、多数派=正しい と信じて疑わない)
●集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)
●他人の悪口・陰口を好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がそうだから容易に他人を信用できない、またポーズだけで中身を伴っていない、「世間体命」)
●たとえ友達が多くいても、たいていは浅い付き合いでしかなく、心の友はおらず孤独(心の感度が低く、包容力がなく、冷酷だから)
●頭が硬く融通が利かないためストレスを溜め込みやすく、また短気で、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿)
●たとえ後で自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通そうとし、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかないだろう!)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでやねん!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)

970山崎 渉:03/08/02 01:06
(^^)
971日本@名無史さん:03/08/08 00:26
972山崎 渉:03/08/15 13:50
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
973日本@名無史さん:03/08/27 18:07
974日本@名無史さん:03/09/03 21:34
975日本@名無史さん:03/09/18 00:24
976権六ちゃん:03/09/20 10:24
なんで権六さんのスレないんだよ。
とりあえず語るぞ。
歴史ドラマではいつも悪者に描かれる権六さんも「利家と松」では
かっこよかったな。
感動した。

誰かスレ立ててくれ
977日本@名無史さん:03/09/21 09:50
やだ
978日本@名無史さん:03/09/25 05:08
あげまん
979日本@名無史さん:03/10/13 17:15
過去2ヶ月でレス8…
980日本@名無史さん:03/10/13 17:16
もう埋め立てたほうがいいかな?
SKY騎馬軍団参上
御首頂戴する
旅団もついて参れ!
バiタラg
985ロマンス太郎:03/10/17 21:36
                   ,'⌒,ー、           _ ,,..  X
                 〈∨⌒ /\__,,..  -‐ '' " _,,. ‐''´
          〈\   _,,r'" 〉 // //     . ‐''"
           ,ゝ `</ /  〉 /  ∧_,. r ''"
- - - -_,,.. ‐''" _,.〉 / /  . {'⌒) ∠二二> -  - - - - - -
  _,.. ‐''"  _,,,.. -{(⌒)、  r'`ー''‐‐^‐'ヾ{} +
 '-‐ '' "  _,,. ‐''"`ー‐ヘj^‐'   ;;    ‐ -‐ _- コンビニ行って1000とってくる
 - ‐_+      ;'"  ,;'' ,''   ,;゙ ‐-  ー_- ‐
______,''___,;;"_;;__,,___________
///////////////////////
織田信長
>>985
早すぎ
988日本@名無史さん:03/10/17 21:37
                   ,'⌒,ー、           _ ,,..  X
                 〈∨⌒ /\__,,..  -‐ '' " _,,. ‐''´
          〈\   _,,r'" 〉 // //     . ‐''"
           ,ゝ `</ /  〉 /  ∧_,. r ''"
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  _,.. ‐''"  _,,,.. -{(⌒)、  r'`ー''‐‐^‐'ヾ{} +
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 - ‐_+      ;'"  ,;'' ,''   ,;゙ ‐-  ー_- ‐
______,''___,;;"_;;__,,___________
989日本@名無史さん:03/10/17 21:43
(´ー`)ノポポポポポ・・・・
990日本@名無史さん:03/10/17 21:46

     / ̄⌒⌒ヽ
      | / ̄ ̄ ̄ヽ
      | |   /  \| 
    .| |    ´ ` |
     (6    つ /   990か・・・ちくしょう・・・
    .|   / /⌒⌒ヽ
      |    \  ̄ ノ
     |     / ̄

  __,冖__ ,、  __冖__   / //      ,. - ―- 、
 `,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ /   _/        ヽ
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  __,冖__ ,、   ,へ    /  ,ィ     /      \
 `,-. -、'ヽ'   く <´   7_//     /     _/^  、`、
 ヽ_'_ノ)_ノ    \>     /       /   /  _ 、,.;j ヽ|
   n     「 |      /.      |     -'''" =-{_ヽ{
   ll     || .,ヘ   /   ,-、  |   ,r' / ̄''''‐-..,フ!
   ll     ヽ二ノ__  {  / ハ `l/   i' i    _   `ヽ
   l|         _| ゙っ  ̄フ.rソ     i' l  r' ,..二''ァ ,ノ
   |l        (,・_,゙>  / { ' ノ     l  /''"´ 〈/ /
   ll     __,冖__ ,、  >  >-'     ;: |  !    i {
   l|     `,-. -、'ヽ'  \ l   l     ;. l |     | !
   |l     ヽ_'_ノ)_ノ   トー-.   !.    ; |. | ,. -、,...、| :l
   ll     __,冖__ ,、 |\/    l    ; l i   i  | l
   ll     `,-. -、'ヽ' iヾ  l     l   ;: l |  { j {
   |l     ヽ_'_ノ)_ノ  {   |.      ゝ  ;:i' `''''ー‐-' }
. n. n. n        l  |   ::.   \ ヽ、__     ノ
  |!  |!  |!         l  |    ::.     `ー-`ニ''ブ
  o  o  o      ,へ l      :.         |
           /   ヽ      :..
991日本@名無史さん:03/10/18 00:34
長谷川秀一(竹)はどうですか?
992日本@名無史さん:03/10/18 01:31
1000
993日本@名無史さん:03/10/18 01:33
1000
9941000:03/10/18 01:33
1000
995日本@名無史さん:03/10/18 01:34
本能寺の変はユダヤの陰謀だ!
9961000:03/10/18 01:34
1000
9971000:03/10/18 01:35
1000
998日本@名無史さん:03/10/18 01:35
1000
9991000:03/10/18 01:37
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