米や特産品も嬉しいけど、俺達武士だけじゃ食いきれないの
現金を贈れ、そのほうが使い勝手が良いんだよう
2 :
日本@名無史さん:02/11/01 20:31
江戸時代は農民より武士の方が貧しかった
3 :
日本@名無史さん:02/11/01 20:58
うそでしょ?
江戸時代は百姓にとっては暗黒時代だったはず。
米は食えないし殺され放題だし。
4 :
日本@名無史さん:02/11/01 20:59
うお!いきなり結論が出た
検地によって百姓の土地所有が認められたのはなかなか知られてない事実だろ
まあ、それによって納税の義務も生まれるんだけどね
5 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:02
>>3 そんなことを言うと、井沢信者が登場するぞ…
7 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:04
>4は>2のことね
>3は明治政府が公布した五箇条の御誓文のなかの
「旧来の陋習(ろうしゅう)」って奴に見事にだまされたって奴だね
8 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:20
教科書では定免制ってのは
飢饉のときでも税収を安定させるために幕府が決めたってあるけど
佐渡の国で定免制を止めること通告したとき名主たちを先頭に大きな反対運動が起き、
それが最初の国を挙げての百姓一揆になったってあるけどなんで?
検見制のほうが良かったんじゃないの?
9 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:24
あれは増税だよ実質ね。
>8
教科書にもあると思うが、どちらも一長一短
検見だとその場のサジ加減で重く取られることもある・・
定免なら豊作の時は百姓がたっぷり取れる
11 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:36
>8そもそもその教科書が違うんで
定免制は、役人の検見の不正、政治の腐敗を追及する民衆の検見制の批判から生まれた対策なんだと
12 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:40
>>8 農民の生産力が向上してきて、武士は定面より検見法のほうが増税でき
るって気づいて、検見法にしようとした。
生産力が増加させられる自信があった農民は、検見法だと向上分まで
とられてしまうから、常面法の固持にこだわったんだね。
全国各地で似た一揆が起きているよ。
13 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:42
×→定面
○→定免
14 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:48
全国各地って、幕府の直轄領だけじゃないの?
15 :
日本@名無史さん:02/11/01 21:59
>12
>>8の教科書だと重税するため定免制にしたんだろ
今度はその逆で検見制にしたってか、農民には迷惑な話しだな藁
16 :
日本@名無史さん:02/11/01 22:02
>>14 直轄領以外でも、もめた藩もあったようだよ。
幕府に言いつけたりしている。
17 :
日本@名無史さん:02/11/02 00:34
江戸時代の百姓の生活のことについて知りたいんだが
お勧めの本があったら教えてください
>17
入門書程度でよければお勧めのがありますよ
『百姓の江戸時代』ちくま新書
もしあなたが>>7の言う旧来の陋習に凝り固まった別の選んでください
この本は江戸時代の農民がいかに自由で活発だってのをものがってる物です
東京大学の教授だって旧来の陋習に凝り固まってる人がいるので気にしないで下さい
19 :
日本@名無史さん:02/11/02 19:35
>18
おい例えば寛政の改革の
百姓の人返しや米価引き下げ棄捐令なんて
十分あんたの言う旧来の陋習じゃないのか!
税金といっても米や金以外の公役など直接的に労働力などを負担する税をあったんだよ。
しってる?
21 :
日本@名無史さん:02/11/02 22:59
知ってるが、それがどこで、どのような人に、どのような使役があって、どのくらいするのかってことは知らんよ
日本史板で威張れるくらいの知識なら↑の疑問にも答えてもらいたいものだ
厨房や高校での知識ぐらいならみんな持ってるから自慢にならんぜよ
22 :
日本@名無史さん:02/11/03 00:37
>20は納税=物納だって思ったのだろ
勘違いは誰にもあるものだ
江戸時代では「公平、平等な税負担」というものは存在しませんでした。
基本的に場あたり的にその場その場で課税基準が決まっていきました。
各領主はそれぞれ独立した徴税権をもっていましたので領地毎に税の仕組みが違っていました。
さらに同じ領主の領内であっても各村や各家の由緒やなにやらでそれぞれが課税率等が異なっており
統一した課税基準などというものは存在しませんでした。
公役についていうと領民全体に課されるケースと特権付与に対する代償として課されるケースなどがありました。
後者のケースでは例えば江戸では床屋(髪結い床)にはなぜか火事の時に町奉行所にお手伝いに掛けつけるなどと
いう義務があったりしました。これは床屋の営業特権の代償として位置付けることができますね。
あるいは村役人、町役人なども基本的に無給ですのでこれなども公役にあたるでしょう。
とはいえ公役負担のかわりに冥加金による金納やその座の生産物による物納などもあったようです。
前者の方ですが村方では悪名高い助郷人足などがこれですな。
これなどは交通の発達により規模が大きくなりしまいには人足を勤めるために
二泊三日もかかるような遠方の村にまで助郷の指定がかかり村方の負担は大変だったようです。
もうちょっと変り種だと宿場の本陣経営なども実は公役の一種だったりします。
24 :
日本@名無史さん:02/11/03 13:12
>23
ネタですか?
検地は?
>24
マジですけどなにか?
検地をしてても帳外にする土地の基準やら等級付け
検地の結果に対する課税率なんかもそれぞれの
ローカルルールで微妙に異なっていたようです。
また課税/検地をする方が一律で実施しようとしても
村方は「先例が違う〜」などと抵抗して実施は
困難であったようです。
26 :
日本@名無史さん:02/11/03 23:22
>25
定免制は>11の言ってるようにやはりそのようにして出来たみたいですね
ローカルルールってやつを詳しく聞きたいんですが私「割付」研究してるんですが、文面・文体大体同じですよ
>23
>>各領主はそれぞれ独立した徴税権をもっていましたので領地毎に税の仕組みが違っていました。
さらに同じ領主の領内であっても各村や各家の由緒やなにやらでそれぞれが課税率等が異なっており
統一した課税基準などというものは存在しませんでした。
↑
ここの部分のソースをいただきたいんですけど
出典でもかまいません
御教授お願いします
27 :
日本@名無史さん:02/11/03 23:26
お前ら変態かよ!卑弥呼とセックスしたいだなんて・・・・
今生きてたら何才だと思ってんだよ!!
28 :
日本@名無史さん:02/11/03 23:38
米を納めるんじゃなくて、収入からの納税にしていたらどうなっていただろう。
やっぱ幕藩体制は「米経済」の上で成り立っていたから崩壊かな?
29 :
日本@名無史さん:02/11/03 23:54
>27
どこの誤爆だよ藁
面白すぎる
>28なんでだろね
米経済といっても米の物々交換してたわけではないのだし
農民だって米や農作物を売って着物や酒などの日常品を買っていたわけだしね
全然金がないわけではないだから
詳しい人解説求む
>>26 たとえば親村と子村では課税率が微妙にちがったりとか・・・
あとはうろ覚えだけど領主側が帳外地への竿入れを強行しようとしたけど
ある村だけ先例や由緒を申し立てて領主側が断念したとかですね。
あるいは同じ村役人であっても免税特権として与えられる
非課税地の面積が各家ごとに微妙に異なってたりとかしてますね。
あとは昔からの旧領と加増の新領とではそれぞれ異なってたりもするですな。
また加増の時期によりそれぞれ微妙に異なってたりするです。
飛び地なんてのもやはりそれぞれ違ってましたね。
32 :
日本@名無史さん:02/11/04 02:27
>>28 武士も結局、米を札差を使って金に換えていたんだから、なんでできないんだろ。
もっと根本的な部分があるのかね。
20さんに反論
>23
>各領主はそれぞれ独立した徴税権をもっていました
江戸時代は確かに今までの村の代官と百姓の身分関係の徴税方法ではありません。
それは検地により百姓の土地の所有権が認められ崩壊しました。
つまり、年貢・諸役が直接領主に納められることになった。(ここまでは20さんと同じ)
しかし実際には、村役人(名主)の責任で村名主の手を経て大名の蔵に納められた
つまり名主の裁量によって納税額が決められたのです
>江戸時代では「公平、平等な税負担」というものは存在しませんでした
上記の名主が自分の裁量にできますが、実際には名主は、村から給米をもらい雇われている形式だった
名主は長百姓を集めて寄合いを開き、その合議で村政を運営するようになったのです
こうして世襲名主はいなくなり名主は長百姓から選ばれることとなった
(さらに、新井白石政権のときに(1713)名主の世襲を禁ずる法令が出された)
長文で分かりにくいかも知れませんが
名主は村から給米をもらい、村民の意思を推し量らなければいけなかったのです
村民の意見も聞かず「公平、平等な税負担」でないことをしたら民主制で選ばれた名主が追及されることになるのです
長文スマソ
ですます調だったり、だである調が入り混じってる恥
スイマセン
厨房以下ですね
逝ってきます
ごめん、ちゃんといわなかった俺が悪いやね。
俺がいう「公平、平等な税負担」というのは現在の税制と比較した場合で使っています。
各村の先例等で村落間で税が異なっていたりあるいは各家の由緒等で税負担が異なっていても
当時の村人たちの認識ではそれらは妥当なものとして受け入れらていた筈です。
まぁ当然ながら時代の変化や色々な駆け引きがあったかと思いますが・・・。
他にも村民会議の決定で村の諸役を免除された家などもありましたよね。
村内の各戸が一律に負担しない以上はそれは「平等な税負担」とはいえないかと思いますが?
たとえばですねノーベル賞の田中さんですが・・・賞金は非課税ですけど
終身で非課税特権が与えられる事はないですよね?
でも江戸時代とかだと功績によって「一代限りで5反まで免税」とか「永世免税」とか
そういうのがあったわけじゃないですか。
そういう状況に対して「公平、平等な税負担」がなかったという表現をしています。
よろしいでしょうか?
おいらは「村役人が恣意的に課税した」とかいう意味で
「公平、平等な税負担がなかった」といっている訳ではありません。
お間違えのないようにお願いします。
>36のように誤解してました
公平、平等がないってのに正直カチンと来てましたw
現在も真の税金の平等を計ろうとしたら、人頭税しかありません
しかしそれを実行したら労働人口で数え一人年額200万円の人頭税になってしまうからね
ただしその世界では所得税から年金の保険料、消費税まで一切払わなくて良いから高額所得者にとっては幸せですね
しかし所得格差があるのは今も近世も同じで、経済的に余裕がある人に多く払ってもらうから安定的に共同体が運営できます
補足として新田開発ではよく免税措置が取られました
これは経済の発展は土地からの潤いが必要と考え、他国からの開発者を積極的に呼び込むための措置であったといわれています
38 :
日本@名無史さん:02/11/05 13:18
>32
年貢の米納(現物)は大名が自ら年貢米を商品として販売することによって、経済の主導権を握る、商人的発想だと思われます。
それは、米以外の物納はほとんど無く貨幣によって納められていたからです
租税納め帳を見ても明らかです
白布や青苧の運上として銀納させ、米だけが物納なのです
もし、通説どおりの自給自足を百姓の基盤とする学説としたら幕府は商品生産を抑えなかったのかという不自然な疑問にぶち当たります
ゆえに、年貢米だけは領主自らの販売商品にしていたと考えられるのです
39 :
日本@名無史さん:02/11/05 14:28
>>38 ほうほう。
では、米経済の崩壊=幕藩体制の崩壊は違うってことでしょうか。
40 :
日本@名無史さん:02/11/05 17:04
>>39 それについては明確な解答を私は持ち合わせておりませんが、やはり収入のほとんどが米納からだと思われるため>39の通りになるのではなるのではないでしょうか
あんた読解力なさすぎ。
42 :
日本@名無史さん:02/11/06 17:20
そうか,俺も>37のように読めたが
43 :
日本@名無史さん:02/11/22 22:56
44 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:02
此訳
上田壱町七反歩半 十四
此取米拾弐石七斗五升壱合 反七斗五升取
中田三町九畝拾歩半 十二
内壱畝五歩 前々川欠引
残三町八畝五歩半
此取米弐拾石三升弐合 反六斗五升取
下田五町六反七畝歩半 十
内壱反弐畝拾三歩 前々川欠引
残五町五反四畝拾七歩半
此取米弐拾九石三斗九升三合 反五斗三升取
下々田弐反六畝拾三歩半 八
此取米壱石五升八合 反四斗取
新下々田弐町六反七畝廿一歩半 六
弐反六畝七歩 前々川欠引
実際の割付から引用したんですが、石盛が十四,十二,十,八、六となってるのは何でか分かりますか?
一般では十五から始まる奇数じゃないですか
菜種や綿などの商品作物には直接課税はされないのが封建経済のタテマエ.
しかし,享保以来,幕府はこれらからも税収を得たいと考え,菜種商人などに株仲間を結成させ
独占的にこれらの作物の取引を行う権利をあたえそこから運上金を徴収することになった.
もちろん,株仲間商人は税負担を農民に転嫁するから,商品作物を安く買い叩くことになる.
これに反発した河内や摂津などの農業先進地帯の名主らが結束し
長期にわたって農民闘争を展開することになる. →国訴運動
46 :
monopsony(買い手独占):02/12/08 23:26
念の為に付言すると,農民達は租税負担に反発したのではなく(税負担じたいはまあしょうがないだろうが)
幕府の株仲間政策によって取引の自由を奪われたことに反発したわけね.
独占商人は不当なバーゲニングパワーを行使できるから,運上金を幕府に納めてもたんまり儲けることができる.
47 :
日本@名無史さん:02/12/08 23:33
>>44 一坪だけ刈り取ってみて全体の収穫量を推測して石盛を定める。
その結果そうなったのだろう。
>47
それはわかります
私が言ってるのは
『上田壱町七反歩半 十四
此取米拾弐石七斗五升壱合 反七斗五升取 』
一反あたりの収穫量が↑『反七斗五升取』となってるのに石盛が偶数である十四になってることです
普通上田の基準は 反一石五升 で石盛十五の奇数になるんじゃないのでしょうか?
49 :
日本@名無史さん:02/12/13 12:12
ところで、相給の場合、それぞれの領地に別に庄屋っていたんですか?
例えば、ひとつの村が三人の領主の相給だったとすると、
年貢を納めるために、それぞれの領地に庄屋って要るとおもいます。
そうするとその村が相給ではなくなったときに、それまでの庄屋ってどうなるのでしょう。
50 :
日本@名無史さん:02/12/13 21:14
ところで、相給ってなに?
51 :
日本@名無史さん:02/12/14 04:22
>>48 別に税率がぴったり50%である必要はないでしょ。
素直に計算して税率53%でいいじゃん。
52 :
日本@名無史さん:02/12/15 18:35
53 :
日本@名無史さん:02/12/15 18:42
>>50 一つの村が何人もの領主に分割して知行されていること。
54 :
日本@名無史さん:02/12/15 22:52
一つの村が複数領主に統治されてるなんてのはざらにある話で、
総年貢高がいくらで、あなたはこのうちいくら、こちらはいくらって
話ではなかったか?
庄屋なんて一人で充分。
55 :
日本@名無史さん:02/12/15 22:57
おいらは江戸のでぇくだがよ、税なんぞ納めたこたぁねぇなぁ。
56 :
日本@名無史さん:02/12/15 23:02
>>55 そうだね。定額の上納金を組合に納めればよかったね。
58 :
日本@名無史さん:02/12/15 23:21
庄屋=名主(名子とかの)?
領主=大名?
庄屋って言うと誤解されるから変えるべし
学会だってそうだろ
>>54 うんにゃ、記録によると各領主毎に名主が任命されてた模様なり。
例えば5人で分割してる村(五給)では5人の名主役がいた事がわかってるよ。
とはいえケースバイケースで一人で兼任してたケースもあるらしい。
60 :
日本@名無史さん:02/12/15 23:54
>>58 学会と単語で言われると、どこの学会かと皆色々考える。
61 :
通りすがりの者です:02/12/20 10:34
>59
でも極端に多い場合はどうだったんだろう?
例えば山城国葛野郡西院村の場合、領主の数は177!!
ご存知の方お教え待ってます。
62 :
日本@名無史さん:02/12/20 12:21
>61
すごいけど、全部で何戸くらいあったの?
63 :
通りすがりの者です:02/12/20 14:13
>62
断片的な資料しか持ち合わせてないのでわからないのですが、
享保14年(1729)の村の総石高が2,878.891石です。
ちなみに領主を分類すると宮家・門跡が3、堂上家5、地下官人系98、
寺社59、その他11、そして幕府領です。
64 :
日本@名無史さん:02/12/20 17:34
少なくとも177戸以上はあるということだよね。
65 :
日本@名無史さん:02/12/20 18:53
>>64 理論的には持高20石の百姓がいて、10石某領、5石某領、5石某領
であっても、少しも差し支えないものと思われ
66 :
日本@名無史さん:02/12/20 19:12
辞典によると、明治5年で252戸だと(それ以前のは載ってない)
つーか、角川地名くらい調べろ、と煽ってみる
67 :
通りすがりの者です :02/12/20 19:24
>66
図書館遠いです^^;(在宅中且つ田舎なもんで)
フォローどうも(感謝!!)
68 :
日本@名無史さん:02/12/20 19:47
商工業者らが献上していた冥加金は幕府財政がひっ迫してからは
率を定めて課税していたので実質的には税金化していた。
69 :
日本@名無史さん:02/12/22 17:02
>65
「理論」って・・・
空想の話じゃないんだから。
71 :
日本@名無史さん:02/12/30 18:38
72 :
日本@名無史さん:03/01/05 18:27
江戸時代は米が金のようなものだったからね〜。
今でも米農家が他の農家より優遇されているのは
やっぱり日本にとって「米は国家なり」の意識がもともとあるからなのだろうか?
73 :
日本@名無史さん:03/01/05 23:27
米の商品価値が相対的に低下していったことで石高で示される禄を
貰っていた武士の生活が苦しくなる一方だったわけだが
74 :
日本@名無史さん:03/01/08 00:40
米の納税時に一票に付き
但 延口共 四斗取
これって4斗手数料ってな感じ?
現在もあるって聞くけど大事なこと?
75 :
日本@名無史さん:03/01/10 16:39
なんで5公5民とかって分かるわけ?
(^^)
(^^)
78 :
日本@名無史さん:03/01/17 12:32
>75
記録があります
79 :
日本@名無史さん:03/01/19 04:57
半石半永制について教えてたもれ。
80 :
日本@名無史さん:03/01/19 06:14
蒲生氏郷以来幕末まで維持された米沢藩の年貢制度。
年貢高の半分を米、残り半分を貫高・銀に換算して納める。
土地生産力が低い、内陸という地理的条件などによる。
81 :
日本@名無史さん:03/01/19 07:02
>80
んでさ、結局米価が安定しなくなったから半永にして
藩はリスクをさけようとしたわけなの?
82 :
日本@名無史さん:03/01/19 13:33
大小切りってのもあったね
83 :
日本@名無史さん:03/01/20 06:44
質問です。
「小宿」の意味を知りませんか?「在郷商人」と同じような
かんじだと思うんですけど、近世用語だと思うんですけど
「国史大辞典」に載ってなかったんで。できればなぜ「小宿」
というのかもお願いしまふ。
84 :
日本@名無史さん:03/01/22 18:06
畑の免は米で納められたのに対し、林畑は永(銭)でおさめられるのはなんで?
85 :
日本@名無史さん:03/01/22 18:10
米じゃないから
18>『百姓の江戸時代』だけど、史料を載せているのはいいが
、何か今までの学説を一生懸命、何とかしてひっくりかえそうとしてる所が窺える。
まあその方がおもしろいけどね。知識の確保には使えると思うけど、あれはあまり
農村史のモノサシには使えないと思います。あくまで私見だけどね。
87 :
日本@名無史さん:03/01/31 22:32
88 :
日本@名無史さん:03/01/31 22:34
∧_∧
( )
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/ / ⌒ヽ
/ /| | |←>>庄屋
/ / .∪ / ノ
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( ´| ∪∪
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(´ ノ (´ ノ
89 :
日本@名無史さん:03/02/14 16:36
90 :
日本@名無史さん:03/02/28 15:31
age
91 :
日本@名無史さん:03/03/24 12:05
む
92 :
日本@名無史さん:03/04/17 11:57
(^^)
94 :
日本@名無史さん:03/04/18 00:40
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
96 :
日本@名無史さん:03/04/29 00:57
97 :
日本@名無史さん:03/05/07 22:43
98 :
日本@名無史さん:03/05/21 11:16
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
100 :
日本@名無史さん:03/05/22 12:55
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
102 :
日本@名無史さん:03/05/29 12:10
103 :
日本@名無史さん:03/06/12 20:44
104 :
日本@名無史さん:03/06/27 08:29
105 :
日本@名無史さん:03/07/08 00:23
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
108 :
日本@名無史さん:03/07/18 12:49
109 :
日本@名無史さん:03/07/25 00:53
110 :
日本@名無史さん:03/07/31 00:20
(^^)
112 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:12
113 :
日本@名無史さん:03/08/04 01:14
空揚げは山崎渉以上に悪質と知れ。
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115 :
日本@名無史さん:03/08/10 14:48
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
117 :
日本@名無史さん:03/08/16 02:13
118 :
日本@名無史さん:03/08/21 11:05
119 :
日本@名無史さん:03/08/29 01:29
120 :
日本@名無史さん:03/09/04 00:00
121 :
日本@名無史さん:03/09/11 23:56
122 :
日本@名無史さん:03/09/18 01:11
空揚げするんならもっと人はいる時間にすればいいのに。
124 :
日本@名無史さん:03/09/25 23:35
125 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:26
唐揚大王降臨中!!!
126 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:25
127 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:55
唐揚大王降臨age
128 :
日本@名無史さん:03/10/10 02:20
129 :
日本@名無史さん:03/10/10 11:08
age
130 :
日本@名無史さん:03/10/25 21:10
131 :
日本@名無史さん:03/11/07 00:01
132 :
日本@名無史さん:03/11/07 01:05
唐揚大王降臨記念age
133 :
日本@名無史さん:03/12/05 23:59
134 :
日本@名無史さん:03/12/20 17:39
135 :
日本@名無史さん:03/12/20 19:15
唐揚ヤッホー
この時代、長屋の八つぁん熊さんは、何の税金も負担しないで良かったの?
137 :
日本@名無史さん:04/01/10 15:37
どうやろね?
138 :
日本@名無史さん:04/01/10 15:38
してない江戸時代は町人天国
139 :
日本@名無史さん:04/01/12 01:17
>>136 税金はいりません。
そのかわりに現在のような行政サービスも期待できません。
140 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:07
141 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:11
>そのかわりに現在のような行政サービスも期待できません。
治安維持、火消し、災害時の救済 等はあったけどな。
142 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:14
江戸時代は地方自治の時代だから、諸藩によって実情は様々。
143 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:16
>>142 というより
連邦国家だろ?
特に幕末は・・・。
144 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:26
幕末に行くほど幕府は弱体化
145 :
日本@名無史さん:04/01/12 17:33
>>144 そおそお!
連邦国家の盟主の
面目丸つぶれ!
146 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:52
税はみんなでみんなのための道路を作ったりとかだけど
江戸時代は農民は搾取されるだけ。取られるだけで何もいいことなかったな。
147 :
日本@名無史さん:04/01/12 18:55
天領の農民は結構
堂々としてたらしいよ。
俺たちは将軍様の直参農民だって!
148 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:02
ふざけた体制だ。圧倒的多数の農民が少数の暴力団に支配されるようなもの。
149 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:06
150 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:10
一揆起こそうとするとどうなったかな?死刑か?
武器も独占されてる。
151 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:11
端的に言うと恐怖政治
152 :
日本@名無史さん:04/01/12 19:12
>>150 心配するな友蔵!
俺たちには大塩さまが
ついとる・・・。
153 :
日本@名無史さん:04/01/12 20:55
江戸時代の脱税について語ろう。
納税の義務がないのに
脱税の概念なんかない
155 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:16
江戸時代の脱年貢について語ろう
156 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:20
どうする?友蔵・・・。
俺たちの隠し田が話題になってるぜ・・・。
やはり一揆しかねぇな友蔵!
とんねるず
呼んでこよう。
157 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:21
江戸時代でも税はありますよ。
長屋住まいの人にはないけど商人にはあった。
158 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:22
159 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:23
一揆の主張が認められた場合でも首謀者は死罪。
160 :
日本@名無史さん:04/01/12 21:51
>>147 天領の農民は藩の農民より恵まれたらしいね。
悪代官もいたがばれると処罰されるし(むしろ良い代官の
方が多かったらしい)飢饉のときも幕府が救済策として税を
軽減したり救い小屋で農民を助けたらしいし。
それに比べ悪大名の藩の農民は救いようがない。
161 :
日本@名無史さん:04/01/12 22:42
>>157 その制度を復活してほしいよ
長屋住まいの人=マンション住まいのサラリーマンの所得税
商人=法人税
商人でも自分の土地に自分の店を構えてない限り税金はなかったよ。
要するに不動産所有税が基本だったのだな。
164 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:14
痴ほう文献だった。
165 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:19
江戸で橋をかけるなどの公共事業をする時は、幕府が商人に費用を出させる。
その代わり、商人は橋の通行料を徴収できる。
という事だったらしい。
166 :
日本@名無史さん:04/01/13 22:19
>>160 天領の代官は石高の低い武士が多い。
そして癒着しないように転勤が多いんだよね。
近江の一揆ではそりゃもう大変だった、映画になっていた。
167 :
日本@名無史さん:04/01/24 23:22
168 :
日本@名無史さん:04/01/25 02:51
s
169 :
日本@名無史さん:04/01/31 20:16
今の日本、税金使って税金集める役人養ってるのは無駄だよな
170 :
日本@名無史さん:04/02/01 00:38
租庸調
171 :
日本@名無史さん:04/02/07 17:36
人頭税だけ?
172 :
日本@名無史さん:04/02/08 06:35
>160
大企業社員=天領農民
中小企業社員=悪大名領農民
どっちも百姓。
まあ、サラリーマンは現代の百姓だなぁ
>>150 「国訴運動」は,長期にわたる農民闘争だが,合法闘争なのでひとりの処刑者もだしてゐない.
そして最終的には,農民側の主張がほぼ認められた.
174 :
日本@名無史さん:04/03/03 00:52
175 :
日本@名無史さん:04/03/20 01:12
176 :
日本@名無史さん:04/03/20 01:15
天領の農民の年貢は「四公六民」だったのに対して、
紀州藩の農民の年貢は「八公二民」だったらしい。
177 :
日本@名無史さん:04/03/20 02:51
江戸初期の村高をそのまま使ってるからじゃないの?
178 :
日本@名無史さん:04/04/15 22:51
179 :
日本@名無史さん:04/04/15 23:02
江戸時代の税制学者、北野駿河守弘久「宗教法人“増上寺”に課税せよ」
(勘定奉行所所論論文)によれば、
宗教団体に課税をすれば、幕府財政は大幅に潤う事が議論されている。
180 :
日本@名無史さん:04/04/27 07:35
181 :
日本@名無史さん:04/05/20 00:28
182 :
日本@名無史さん:04/05/20 00:33
>>179 現代も一緒だな、宗教団体を免税する理由はなんなんだろう?
利益を上げることが目的の団体でないため
相手が強いから。
うかつに税金取ると反発がすごい。
185 :
日本@名無史さん:04/05/20 00:44
>>183 利益目的の最たるもんだよ。宗教なんて。
無くてもいいものなんだから、ものすごく高い税率にすればいいのに。
>>182 昔も今も、最高権力者と癒着癒着。お互いに利用しあって生きている。
今でも宗教者と伝統芸能(茶道・華道)は「うわぁ〜、権力者に取り入るの上手!」と呆れる
ほど擦り寄り上手。
187 :
日本@名無史さん:04/05/20 01:09
食料の公平な分配は無理としても、コンビニやファーストフード店の新品同様の残飯の廃棄は実にもったいない。
188 :
日本@名無史さん:04/05/20 02:34
つうか、信者の組織票が凄いからね。創価だけじゃないんだよ。
日本の多くの土地の検地(農民の所得調査)は、幕府開幕後、数十年で終了していた。
だから、江戸中期は100年前、後期は200年前の先祖の所得を元に課税されていたので
ある。
村の中には9公1民なんて重税をかけられた村もあった。しかし、この9公は穀物生産に
対してであって、この村の所得の中心であった、海運と柿は非課税であった。
明治初年の村の収入と、幕末の納税から計算すると、検地が200年間無かった藩領で
20%弱、たびたび検地のあった旗本領で30%弱であった。
江戸時代初期は、力ずくで限界近くまで収奪するのが一般的であったが、武士の
戦闘力の消えた中期以降は、合法的脱税の黙認が定例であったようだ。
190 :
日本@名無史さん:04/05/20 17:36
信者の組織票は創価がダントツ。
締め付けもダントツ。
191 :
日本@名無史さん:04/05/20 17:38
明治政府になって税が倍増したとか聞いた
>>189 初期っていつまでですか?
中期以降も検地を実施している例はあるのでは?
>>192 例があるなら、その話をしてください。
面白そうだ。
脱税してもその脱税した金なり、米なりを貯蓄しにくいんじゃ
ないか
195 :
日本@名無史さん:04/06/18 00:33
196 :
ネコピーマン・バカデス:04/06/18 04:11
>>191 誰に聞いたんだよ?w
「竹槍でちょいと突き出す二分五厘」って知らんのか? これは
明治新政府が地租税が3%と定めたのを、一揆で2.5%したってことだ。
2.5%が旧来の税負担とほぼ同じだったとされるから、いいとこ2割増だよ。
197 :
日本@名無史さん:04/06/19 15:26
てーゆかね、困窮した領主はよく御用金の召し上げだの年貢の前借なぞをやってますた。
前借も酷いものでは来年の分では足りなくて再来年や再々来年の分までなんてのもありました。
本当に6公4民だのといった税率だったならば
御用金だの再来年の分の年貢の前借だのはできなかったでしょう。
実際にはかなり安い税率であった模様です。
198 :
日本@名無史さん:04/07/09 22:37
商人や町人の納税について教えて下さい
199 :
日本@名無史さん:04/07/10 00:05
窓税など無茶な税があったとかなかったとか・・・
201 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:52
>23
現在の法人税制みたいですねえ。
202 :
日本@名無史さん:04/08/05 17:03
藩によって、天領によって、税の取立ては千差万別。
平均的に、「高い」「低い」は言えないな。
203 :
日本@名無史さん:04/09/02 23:41
204 :
日本@名無史さん:04/09/04 21:43
>村の中には9公1民なんて重税をかけられた村もあった。
誰か具体例教えてくれない?
205 :
日本@名無史さん:04/09/05 16:10
実際問題として、9割の税なんかかけられないと思う。
せいぜい3割程度でないと、物理的に無理がある。 恐らく、穀物(米)の税率が
教科書に出てくる、5公5民、6公4民という事だと。
雑穀、野菜などは、無税または、ごく少ない税金のはず。
お茶には税金がかけられたので、”農民は山奥にお茶の木を植えた” というのを本で読んだ。
山奥に自生しているお茶の木は、ほぼ間違いなく、そのときの名残らしい。
>>204 100%というとこもあった記憶が・・・110%もあったっけ?
郷土史関連の資料を読みあさってるときに見たのですが、どこだか思い出せない(スンマセン)。
奥能登時国家では?
「本業」の田畑への税率は100%超えるけど、「アルバイト」の回船業の収入を加えると税率10%を割るとかいう話。
激しくがいしゅつのような気もするが。
場所は一応近畿圏です。
209 :
日本@名無史さん:04/09/24 01:17:19
210 :
日本@名無史さん:04/09/29 17:34:52
町人の税金は、どのように徴収されていたのでしょうか?
211 :
日本@名無史さん:04/10/10 01:08:52
さあ
212 :
日本@名無史さん:04/10/10 02:44:16
町人に税金は無い
213 :
日本@名無史さん:04/10/26 13:07:57
>>212 ちょっと違う。
課税されて町の運営自治に参加できる町人と、課税されず町の運営自治には参加できない町人とに分けられてた。
例外として、江戸・大坂・京都・堺の町人は地子(今で言う住民税か?)免除。
214 :
日本@名無史さん:04/10/26 13:15:40
基本的に無税ですが、公課は有ります
215 :
日本@名無史さん:04/10/26 14:12:39
>>213 でも売上税みたいなのはあるよ。
正式には売上税を一定額以上払ってないのは町人ではなかった。
216 :
日本@名無史さん:04/11/17 22:58:27
売上げの何%を取られたの?
217 :
越中やもり:04/11/29 01:03:38
越中、加賀藩高岡城下を作る為にまず造られた町の1722年の町割り図面を
見たところ、各家の名前の左下に持分という小さな字が書いてあるのを見まし
たが、これはどんな意味を持っているんでしょうか、数十軒あるなかで持分と
書いてあるのは4軒ほどしかありません。加賀藩2代目前田利長の命により
造られ、木材と廻船の特権を与えられた町です。
どなたか、明るい方お教えください。
218 :
日本@名無史さん:04/12/23 01:01:07
219 :
日本@名無史さん:05/01/04 16:59:11
売上げの何%を取られたの?
220 :
日本@名無史さん:05/01/04 17:00:50
堺の町は税が無かったってマジ?
221 :
日本@名無史さん:05/01/04 17:20:49
職業と関係なさそうな屋号、
奈良屋・堺屋・大阪屋とかって、
堺の商人だったという名残なのかな?
222 :
日本@名無史さん:05/01/26 21:09:34
なんで奈良が?
223 :
日本@名無史さん:05/02/18 13:35:13
224 :
日本@名無史さん:05/03/12 08:25:37
217
持分ではなく、侍分の誤りでは?
226 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:08:52
なるへそ
227 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:46:13
町人の払う金は性質上税というより登録料。
運上金倍払うから独占させてくれ等は美味い汁吸える前提で払う賄賂。
農民負担だけが無限大。
壊滅した潰れ農村には間引き絶対禁止で人余ってた一向門徒入れて存続。
228 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 10:53:30
一向宗って間引き禁止だったの?
229 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 01:14:38
そうやろ
230 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 00:07:53
そうなんか?
231 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:59:01
そうでしゅ
間引きという風習は東日本だけのものだろ
233 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:27:55
そんなことない。九州の某藩の記録で見たことがある。
234 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:40:06
要するに町人というか商人はほぼ無税だったので、
江戸の商人はあんなに栄えたということか?
235 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:32:21
どういう要約だよw
236 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 16:45:12
江戸時代の農村と戦国時代の農村の違いについて1000字程度で書いて下さい
237 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:23:18
238 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 21:08:54
239 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 21:33:12
江戸時代の農村と戦国時代の農村の違い
最初の二文字が違う。
以下、この文章を100回繰り返すと1000字。
240 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:12:39
>>236 戦国時代の農村は、柵や土塁などである防護施設などが備わっていた。
また農民も刀や槍などを持っていたので、一般的に考えられている農村ってよりは
一種の武装勢力と解釈したほうがよい。
さらに戦国時代の農民は江戸時代の農民よりも、
血気盛んで水の利権を巡り隣村と対立した場合など、
武力で決着をつけたりしていたことも確認されている。
あとある程度の政治力もあり、国人衆や大名も彼らの支持を得るための
政策なども行っている。
241 :
240とは別人:2005/09/11(日) 16:49:55
そして江戸時代の農村になると隣村との争いは
領主の裁判権で平和的に解決してもらうという方向へと進むのであった。
242 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:52:30
江戸の納税、最大人口の農民(従属農民含む)負担だけが絶大。
基本的に年貢の他、夫役等(無償)
マンガ読んだ位のヴァカだと宝暦治水持ち出して賃金貰ってる(最大級ヴァカ)
島津家が尾張領民を無償で使役出来る訳ねぇだろ。
金積もうが人集まらない難工事。大名弱らせようとするお手伝い普請の真骨頂。
天領も朝鮮(琉球)通信使歓待役、例幣使歓待役等、大負担。
243 :
:2005/09/16(金) 23:31:44
>>240 フンザ(パキスタン北部)は、最近まで村同士の戦闘があったらしい。
現在形のところ、まだおおいだろうな。
アフガンとか、ソマリアとか
244 :
日本@名無史さん:2005/09/16(金) 23:54:57
刀狩や検地を行えば、
そういった村同士の合戦は減るんだろうけどね。
中国では農民一揆が現在盛んに行われている。
245 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:38:03
マジ?
どちらの暗黒大陸も進行形で戦国時代
刀狩どころか武器を提供している始末
247 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 00:03:03
ほう
248 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:42:37
250 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 14:01:10
そうなの?
251 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 18:04:44
年貢の納め時
252 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:35:26
age
物納なのかな。
案外金銭での支払いが多かったのでは?
254 :
:2005/12/25(日) 23:32:56
流通貨幣÷経済
で考えよう
>253
金納反対一揆も起きてるし、金納を愁訴してるところもあるし、
実際問題どっちが多かったのかは知りたいところだ。