● 謎の大王・継体天皇について ●

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936日本@名無史さん:04/03/07 23:25
公孫系は漢族ですか?
937933=935:04/03/08 07:24
>>934
百済人の中の漢人系氏族は至って少ない。日中韓の資料あわせて
20いくつかの百済姓があるが、ほとんどは百済の固有姓で、もともと
漢人系だった可能性のある姓は「国氏」だけ。これは古代の斉の貴族の
子孫で山東半島に多い姓。つまり漢人の子孫である可能性があるが、
個人名は漢人ではなく百済人っぽい。つまり漢人の子孫ではあっても本人
たちは完全に百済人。国氏は百済八大姓のひとつで、歴史の中には国智牟、
国雖多、国弁成の3人の個人名が出てくる。肩書きをみるとうち2人は大佐平
(首相クラス)だからなかなかの上流貴族。しかし国氏が登場するのは比較的
末期であり、楽浪郡との関係を云々するのは難しい。初期に多い姓ならとも
かく。この国氏の子孫は今の韓国にも残っていて潭陽国氏・玄風国氏・英陽
国氏・金城国氏と4つの本貫があるがすべて百済八大姓の国氏の子孫という。

他に王氏(王仁)と高氏(高興)の二人の中国人がいたが、この両氏は
個人として一人づつ出てくるだけで貴族階級にそういう氏族がいた様子は
ない。これは漢人系百済氏族というより、単純に百済にきた一人の中国人と
みるべきだろう。百歩譲って、日本の史(フヒト)みたいに漢字・文章を
扱う下級官吏(下級貴族)として中国人が使われていたのかも知れないね。
王仁も高興も百済の初期の人物で、楽浪郡との関係はいかにもありそうに
思われる。
ついでにいうと2chではよく書いたから知ってるかも知れないけど
王仁は楽浪郡に多かった有名な「楽浪王氏」の一族と考えられている。
王氏や高氏が百済にたくさんいたことは史料上は証明できないが、
可能性を認めるのはよい。ただし、あくまで三流下っ端貴族がいいところ。
「日本でいえば秦氏や東漢氏・西文氏のような存在だったが記録が消失した
ため残らなかった」とか、いっていえないこともないが、あまり学問的な
手法ではない。
938937:04/03/08 07:26
>>936
公孫度から公孫淵までの3世4代は漢人。ただし初代の公孫度は
妹や娘が夫餘王の妃になっているから、もしかしたら
記録に残ってないだけで、夫餘王室から奥さんもらってる奴も
いたかも知れない。
939日本@名無史さん:04/03/08 10:16
韓国人がしきりに訴えているのだけれど、どう思います?


日本天皇が 百済人である 明白一 証拠

1.新撰姓氏録にその証拠がある.

新撰姓氏録は西紀 815年に日本 畿内に 本拠を置いた 1182氏の 系譜とその
由来を 記述一本だ. この 姓氏録は大きく 天皇,皇子の 子孫である
皇別, 天神地祇の 子孫である 神未定雑姓が 117氏だ.
ところで 天皇, 皇子の子孫である 皇別 の中一番尊貴ハン氏が
真人なのにその 総数は 48氏だ. その中で 12番目 "大原真人は
百済王であり 30代 敏逹天皇の 子孫" という 記録エズモックするところだ
(原文の 百済王と言う(のは) 百済王族を示すのに, 日本歴史書は
百済王族を 百済王で 一貫になるように 記述して来た). すなわち
敏逹天皇の子孫が 百済人というのは 敏逹天皇の 子, 敏逹天皇 自身,
敏逹天皇の 父や 祖父も百済人というのを意味する



「敏逹天皇の 父や 祖父も百済人というのを意味する」
これは同時に継体天皇が百済人だという事を意味しているのですが、
どう思います?信用できる説なのでしょうか・・・・・?
940日本@名無史さん:04/03/08 15:13
翻訳がめちゃくちゃで何いってるのかわからん
941937:04/03/08 15:51
>>937に追加訂正

継体紀に段楊爾と高安茂の2人の五経博士がみえる。
欽明紀には五経博士の王柳貴、易博士の王道良、暦博士の王保孫、医博士の王有凌陀
と4人の王氏がみえる。
これらは倭国に帰化したわけではなくて交替要員できて百済に帰った連中と思われるが、
末期に近い百済に学問を職務とする王氏がいたことが想定できる。
高安茂は高興の子孫だろうか。
942日本@名無史さん:04/03/10 02:04
>>939
って、これバリバリの個人名じゃん。(w
敏逹天皇の孫に百済王(くだらのきみ)という方がいて、
その子孫ですってことなんだろ?
他の皇族の名前は全然、百済と関係ない名前ですが?
人数が沢山になりゃ、名前を考えるのも大変だ。
別に外国の国名をつけてもおかしくないけどね。
臣下(これもバリバリの倭人)にも韓子さんとかいるよ。

943日本@名無史さん:04/03/10 05:20
>>937

5C半島の歴史から言って、
旧外来勢力が、漢帝系
新外来勢力が、扶余系
と仮定すると、

百済等の固有性などとは、
何人を指すのか? 縄文人と解釈すればいいのか?
漢人氏族がいないという資料は、偏りがある研究じゃないの?

944937=941:04/03/10 23:12
>>943
だから941で訂正したわけですよ。
百済には王氏・高氏を代表とする漢人系貴族がいた。

百済の固有性というのは夫餘。馬韓出身貴族・漢人出身貴族・倭人出身貴族
などは夫餘出身貴族と同じく、すべて夫餘系の王家の家臣。

「漢帝系」という用語はよくわからない。皇帝とはあまり関係ないと思うが。
縄文人も時代からいって無関係。
945日本@名無史さん:04/03/11 15:38
>>944
電波本でも読んでるの? この時代の資料で断定口調なのは電波本って事になるよ。

漢人系貴族は、歴史経緯から多数存在しただろうが、君が確認できてるのは
王氏と高氏と言いたいのだろうが、その他大多数を消す論拠がないよ

で、その他の貴族が扶余系? どっからそんな帰結になる?
そもそも百済建国が扶余ってのも、極めて少ない文献からの直接表現ではなく、
推論的な帰結にすぎないんだよ。
その文献も3,4Cの扶余系の建国の可能性を示唆するだけであり、
では、3C4C以前に、百済にどのような固有種が存在したかといえば、
旧外来系の漢系か、本来半島南部にいただろう、日本列島と同じ縄文系人
という事になる。
946日本@名無史さん:04/03/11 20:54
>>945
そのほか大勢を消した覚えはないが?
漏れが消したというそのほか大勢の名を出してごらんよ?

>その他の貴族が扶余系? どっからそんな帰結になる?

?その反対のことをいってるのだが?944をよく読んでくれ
「(百済には)馬韓出身貴族・漢人出身貴族・倭人出身貴族など(がいたが、
これらは)夫餘出身貴族と同じく、すべて“夫餘系の王家”の家臣」。
誤解させるような文章だったかな?

百済は夫餘系が馬韓を征服したことで建国されたという事は文献から直接
理解できる通説であり、とくに疑うべき要素はないと思いますよ。
あなたがそれを認めないのは自由だが、それならそれで否定論を展開して
ください。もし通説を認めるのであれば、百済以前にその地にいたのは
論理的に「馬韓人」であることが明白でそ。百済建国の前に住んでいた者
の話をしながら、なぜ百済建国より千年近くも前の縄文人が出てくるのか、
ちょっと理解できませんねー。
それに、漢人に原住民を征服する余力があったら、そもそも帯方郡は
滅亡しないと思いますが。

あなたは百済は「夫餘が馬韓を」征服してできたのではなく
「漢人が縄文人を」征服してできた国だと思ってるのですかな?

とりあえず電波よばわりは撤回してくださいますか?
947日本@名無史さん:04/03/11 21:23
電波呼ばわりは撤回 OK

ただし、そのあたりの説を断定口調にすると
電波です。 ここは史学板ですから
948日本@名無史さん:04/03/12 03:11
歴史は自然科学ではないのだから一定の蓋然性が認められるなら
ほぼ断定していいと思うがな。
「…と思われ」「…かと」「…と推測」「…かも知れぬ」
「…と言えないこともなかったりしないともひょっとしてもしかしたら
限らないかぁと思ったりしちゃったりなんかして」とか、いちいち
断らないと電波なのか?そんな論文作法はないだろ。
それが一説にすぎないことが「自明の理」である場合には
簡便にすましてなんら問題ない。

とはいえ、素人もロムってるから、「文献記述そのままに近い部分や
いわゆる通説を踏襲する部分」と「新説・自説を唱える部分」とは
断定調か思われ調かで微妙に区別できるように気を使って書く、
というのは親切でいいかも知れない。今後は注意することにしますよ。

ちなみに944の中にはほぼ断定してよいことしか書いてないよ。
------------------------------------------------
944 :937=941 :04/03/10 23:12
>>943
だから941で訂正したわけですよ。(→断定可)
百済には王氏・高氏を代表とする漢人系貴族がいた。(→断定可)

百済の固有性というのは夫餘。馬韓出身貴族・漢人出身貴族・倭人出身貴族
などは夫餘出身貴族と同じく、すべて夫餘系の王家の家臣。
(→紛らわしい表現だったことは認める。>>946のように改訂)

「漢帝系」という用語はよくわからない。
(→これは漏れの不理解の表明だから断定でいいだろ)
皇帝とはあまり関係ないと思うが。(→これは漏れの感想だから断定でいいだろ)
縄文人も時代からいって無関係。(→断定可)
949日本@名無史さん:04/03/12 04:17
>>948
真摯な人なので、あえてひとこと。
「史学板なので・・」という意味は
常識の矛盾点を探して疑う事が許されるのが史学の姿勢。
通説程度だと、それを認めない勢力も多数いる事を前提とするべし。
そのため通説程度を、他説の根拠とする場合は仮定として韻をふむ。

百済建国に関しては、扶余の関与は示されているが、同時に
その扶余族は200年前に公孫(漢族)との婚姻関係にある子孫
でなかったか?(うろ覚えなのだが)
さらに、百済は伯済国が転じたというのも通説。伯済という氏が
中原で認められこれは漢族では?
950日本@名無史さん:04/03/12 15:11
>>942
>敏逹天皇の孫に百済王(くだらのきみ)という方がいて、
>その子孫ですってことなんだろ?

百済王の大原真人は本当に百済王家の末裔だったの?
あと敏達天皇の孫と書いてあったけど、血は繋がっているの?
951日本@名無史さん :04/03/13 05:51
※詳しい解説
百済王は押坂彦人大兄皇子の男と推定され、
恐らく「古事記」に見える多良王と同一人物かと思われる(久多良王の久が誤脱したか?)。
根拠として、『日本高僧伝要文抄』所引「音石山大僧都伝」の冒頭に
「和上諱明詮。俗姓大原氏。彦人皇子之後也。祖彈正尹従四位下桜井王。天平十一年賜姓為大原氏(略)」
とある。このことは既に黛弘道氏が指摘している。
952日本@名無史さん:04/03/13 06:07
>>942
百済王というのは、大和(だったっけ)の百済という地名から付けられた名前だよな。
953951:04/03/13 06:26
>>952
いや、河内にも大和にもある。
敏達帝の百済大井宮の所在地とも関わってくるだろう。
1河内国錦部郡百済郷(大阪府河内長野市太井)
2大和国広瀬郡百済(奈良県北葛城郡広陵町百済)
など……
954(倭王権873〜878の妄想人):04/03/13 09:22
>>952さん >>953さん
正しい指摘、感謝。
まあ、漏れは「新撰姓氏録」に対する韓国国粋主義歴史学者の解釈上の誤り
を指摘したかったので整理しただけだったんだが。
そうか、なるほど。”秋津島瑞穂国”に所在する「百済」という地名ね。それが自
然でしょうね。
でも、>>939さんがどこかで拾って来た、例の”学説”を唱えるような国粋主義者
の学者って「百済大井宮」を根拠に”百済系がどうの”とか言い出しそうですね
(w
とにかく、敏逹天皇の政務地や大原真人一族の祖先の名前だけをもって継体
天皇を百済人とすることは、論理的に乱暴としか思えません。




955日本@名無史さん:04/03/13 09:37
地名なのかな。
普通は皇族の名は乳母になった氏族の名をつけるケースが多いと思うんだが。
百済系の帰化人が乳母だったってだけじゃないのか?
956日本@名無史さん:04/03/13 09:38
誰か変なのが来てるのでさげ
957日本@名無史さん:04/03/13 09:40
>百済建国に関しては、扶余の関与は示されているが、同時に
>その扶余族は200年前に公孫(漢族)との婚姻関係にある子孫
>でなかったか?(うろ覚えなのだが)
>さらに、百済は伯済国が転じたというのも通説。

それはそのとおりで矛盾はない。

>伯済という氏が中原で認められこれは漢族では?

それは氏ではなく個人名の字(あざな)です
958日本@名無史さん:04/03/13 09:41
すみません、変なハンドルやめにします。きえます。
959日本@名無史さん:04/03/13 17:28
いまいち理解できないのですが・・・・
「百済王」大原真人は実際に百済の血を引いていなく、地名やその他の
名称から名づけられたって事?

敏達天皇も押坂彦人大兄皇子も百済人とは無関係ってこと?
960日本@名無史さん:04/03/13 20:19
>>959
百済の血を引いてるから百済王と名付けたなら、そういう記述をするはず。
名前ですべて判断するなんて遠山某みたいだぞ。
961日本@名無史さん:04/03/14 12:22
流れを読まずにすみません・・・
釈日本紀で上宮記逸文として
「ホムツワケ」と読めるのを「誉田天皇」也
・・・としているのはどう整理すればよいの
でしょうか?井上光貞などは「ホンダワケ」
の誤記であり、決して垂仁天皇の皇子ではない、
としているが・・・
962日本@名無史さん:04/03/14 19:06
>>959
YES

>>960
名前からある程度推測可能なこともあるよ。
百済王の乳母は百済人か百済系帰化人だろう。地名じゃないと思う。
とくに断り書きがないということは通常どおり乳母の氏族の名だろう。

>>961
「都」をタと読むのはツよりも古い発音で、ここはむしろ「タ」が正しい。
963日本@名無史さん:04/03/15 01:19
>>962
「都」の上古音?
964日本@名無史さん:04/03/16 19:56
>>963
そう。上古音だと[tag]

ちなみに推古朝遺文や万葉集などにしか表れない通常の呉音とはちがった
音読が多くあるが、これは古倭音などといわれ、上古音に基づく音読。
(普通の呉音はもっと新しく、上古音から中古音への移行過程を反映した音)

魏志倭人伝の音は中古音よりは上古音の方がやや近いが、完全に上古音まで
いってしまうとズレてくる。(三国時代は、後漢の頃から始まっていた
上古音から中古音への移行過程の時代)
965日本@名無史さん:04/03/21 02:29
またもや韓国人が韓国人が訴えているのですが、どう思います?
継体天皇とは関係ありませんが・・・・
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=30908&work=list&st=&sw=&cp=1

「新撰姓氏録の記録によれば応身のお父さんがアラ伽揶国阿羅加耶国の
王だった俄羅斯等阿羅斯等だったと言いますが..」

本当でしょうか?
966日本@名無史さん:04/03/21 06:52
国産のトンデモカキコを読むだけでもうんざりなのに
なんで半島の電波までもってくんるんだよ!

新撰姓氏録にそんなアホなこと書いてあるわけないだろ
普通に考えろ
967日本@名無史さん:04/03/21 07:13
>>965
歴史学会は「極右」ですか。紅い匂いが薄くなってきたから?(ワラ
水野説のオイシイトコドリに見えるのだが。

「新撰姓氏録」の件については既出のとおり。
本当に半島からやってきてそれに誇りを持つならもっと堂々と明記するはずだ。
でも、そういう状況ではない。
また、仮にこのオッサンが言うように皇室が百済王室の一族なら、百済王室は
なぜ、「日本の王家は百済王家の分家なんだ」という記録を残すはずだが、そ
ういう記述もなければ系図もない。これをどう考えるのか。
ttp://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=30908&work=list&st=&sw=&cp=1
の書き込みをした方にお尋ね申し上げる。
「百済が誇り高き韓民族の一員ならば百済王は倭王は自分の弟だと明記する
はずだがならばなぜ記述しないのか?」

天皇家と海外の王族は別モノと考える方が自然と私は考える。
継体天皇は本州生まれの本州育ちの倭人。海外から来た人ではありません。
近江(滋賀県)を甘く見るなよな。


968日本@名無史さん:04/03/21 07:22
>>966
気持ちは分かるが、まあまあ、落ち着こうや。
>>939-940
>>942
>>950-955
>>959-960
>>962
で論破されているんだから。
969685:04/03/21 07:24
すみません・・・・・
どうしても気になったので。新撰姓氏録には、応神天皇に関しても
そのような記述はありませんよね?

あと「日本書紀に登場する天皇加衣出身系譜には 」
こんな系譜日本書紀に乗っていますか?でたらめでしょうか?
970日本@名無史さん:04/03/21 12:30
>日本書紀に登場する天皇加衣出身系譜には

前後の引用がないと文脈がわからないから、
具体的になにを勘違いしてるのか元ネタを判定できないな。

一応、桓武天皇より以前だと、皇室に入った半島の血は

新羅王>天之日矛>神功皇后>応神天皇

これだけ。他には系譜に明記され例はないはずだが。
971日本@名無史さん:04/03/21 19:58
>>970
継体天皇も息長氏系皇族だから、神功皇后と同じで多少は天之日矛の系統の血はたしかに入ってる。
しかし、それをもって継体天皇を百済の帰化人だなんて言うのはおかしいよな。
972日本@名無史さん:04/03/22 18:03
言語学者の中には、皇室の祝詞は新羅の言葉に似ている、
などと主張する者があるようですが、応神は百済系で
その後も親百済政権が続いたハズだが、なぜ新羅語なのか?
知証王(?)=継体って説はどうですか?
973日本@名無史さん:04/03/22 21:20
>応神は百済系で

なんでそんな事が言えるんだ?

>知証王(?)=継体って説はどうですか?

どうですかって言われても・・・
なんでそんな珍説が成り立つのかを先に説明してくれ。
つっこみようがない。
974日本@名無史さん:04/03/24 16:10
>>973
>知証王(?)=継体って説はどうですか?

三国史記なんかと照らし合わせると、倭国軍が
新羅に攻め込んで、その際新羅の炤知王
(在位479〜500)が殺され、倭から
智証王が立った、という説もあるらしい。
いづれにせよ、智証王にしろ、継体にしろ
前の王とはアカの他人・・・というのは興味深い。
975日本@名無史さん:04/03/31 11:06
age
976-:04/03/31 12:55
じゃ、敗戦処理の懲罰ってことで新羅王が廃されて
倭軍が新しく親倭派の王を擁立してきたってことでないの?
977日本@名無史さん:04/03/31 23:55
TBSの”世界ふしぎ発見”あたりに継体天皇を特集するように
リクエストしてみれば?
978日本@名無史さん:04/04/01 21:59
TBSのことだからどんなデムパを発するか分からん。
ちなみに今週はヤマトダケ
979日本@名無史さん:04/04/04 10:40
>>976
そっか、現地採用の『傀儡政権』を
打ち立てた、って考え方も出来るよな!
980日本@名無史さん:04/04/04 10:44
>>972
他スレからのコピペ

489 :日本@名無史さん :04/04/01 18:53
応神天皇が新羅から来た事だけは間違いない。
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
(1)気比神社
祭神は伊奢沙別命(いざさわけ)・仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉姫尊・武内宿禰の七神。
垂仁天皇(三世紀後半頃)三年に渡来した「新羅の王子・天日槍(あめのひぼこ)を伊奢(いざ)さわけのみこと沙別命として祭った」といわれている。
『書紀』によれば、応神天皇は角鹿の笥飯大神と名前を交換し、大神を去来沙別(いざさわけ)の神とし、応神は誉田別(ほむだわけ)尊としたとある。

すると、応神の元の名前は去来沙別であり、天日槍ということになる。

即ち、新羅人であったということになるのである。
981日本@名無史さん:04/04/05 17:13
継体天皇はメディアではいじれないだろうな。
この人には万世一系という「国体」が絡んでくるからな。
982日本@名無史さん:04/04/05 17:33
なんど言ったら分かるのか?
簡単に日本を征服できるわけないだろ?
983日本@名無史さん:04/04/05 17:33
だいたい、もしそれが事実なら日本書紀に書いてあるだろ?
984日本@名無史さん:04/04/05 17:37
なんで、朝鮮人は歴史を捏造するのか?

というのと

それを支持する(自称?)日本人が出てくるのか?

というのは謎だな。
985日本@名無史さん
そういえば、テレビを見てたら評論家のおっさんが
「継体天皇は朝鮮から来た」みたいな事を言っていた
のでビックリ。
こういうのは、真面目に論破しておかないと「風説の流布」
みたいに、どんどん広まるからなあ。
いい加減うんざりするけどね。