日本史板で証明する武田信玄の天下とり

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308日本@名無史さん:02/11/01 23:32
甲斐府中にも家臣の屋敷があったわけで、
城下に有力家臣の妻子を人質として置いておくのは当たり前。
勘違いしてねえか?
309日本@名無史さん:02/11/02 00:38
信玄の信濃侵攻は防衛目的ではないでしょ。
家臣を府中に住まわせたり職種ごとの集住も行わせてる。
信長とたいして違わないよ。信長マンセー史観はもううんざり。
310日本@名無史さん:02/11/02 08:00
信長マンセー史観もたられば信玄厨もどっちもうんざり
311金魚:02/11/02 12:14
 はっはは、バレたか。確かに信長の兵農分離は不徹底であった。後の秀吉の実測に
基づく検地に対して、信長の検地は、自己申告による差し出し検地。もっとも、網野善彦氏に
よれば、太閤検地は東北日本では不徹底だったとも言うが。
 にも関わらずに、織田軍は天下統一を目的とした長期の遠征を配下に科し続けた。

 武田信玄は、北関東で北条氏と、長野盆地争奪戦(川中島の戦い)で上杉氏と対立
している。無駄である。北関東や諏訪盆地以北など、放棄すべきだった。その後、

1,慎重策として、今川氏真、家康、信長と順に倒していく。
2,急進策として、一挙に美濃に主力侵攻して信長を倒す。

 と、すべきだった。1や2に集中できなかったのは、配下をコントロールしきれ
なかったからであろう。
312金魚:02/11/02 12:17
>309

 防衛と侵略は不可分ですよ。諏訪盆地の防衛を完璧にしたかったら、諏訪
ではなく、松本まで侵略して防衛戦を北上せねばならないし、松本を防衛
するためには、長野まで侵攻せねばなりませんから。
313 :02/11/02 12:57
信長倒してもボスは、足利だよー。
314日本@名無史さん:02/11/02 13:18
家柄が違うからねぇ。
いくら信長、頑張っても。
晩年はまあ、自ら将軍職につくほどの実力なり朝廷工作をしていたわけだが。
315日本@名無史さん:02/11/03 00:09
>>311
なんだ?井沢の信者か?
ちょいと調べれば分かることだが、長期の遠征なんて例は他の大名でも
いくらでもあるわな。信長は広く中央を支配して特に経済力があったから
遠征を続けられたわけだが、兵農分離がどうしたとかいうレベルではない。

上野進出は北条氏との対立ではない。北条との対立は対今川政策の相違故
である。基本的なところで無知だな。

>北関東や諏訪盆地以北など、放棄すべきだった。その後、

>1,慎重策として、今川氏真、家康、信長と順に倒していく。
>2,急進策として、一挙に美濃に主力侵攻して信長を倒す。

イタタタタタタタ・・・
諏訪以北放棄したら、甲斐と南信濃しか残りませんぞ!?
そんな国力と兵力では今川どころか徳川相手でも怪しいですな。

>>313
『甲陽軍鑑末書』によれば(まあ信頼性は微妙だが)信玄の天下構想に
おいては、足利義昭をとりあえず将軍に立てはするが、本願寺に軟禁状態に
しておくのだとか・・・
義昭が手元にあれば次世代の頃には将軍位を狙える家格だからね。
武田家は。
信長はうっかり逃がしちゃったけど。
316日本@名無史さん:02/11/03 01:01
とりあえず甲陽軍鑑をもとにした話は無駄です。
317日本@名無史さん:02/11/03 01:04
>>316
一概に否定してしまっては、話が進まない。
318日本@名無史さん:02/11/03 03:58
甲陽軍鑑のような信憑性の薄いものを参考にする方が話進まないだろ。
319日本@名無史さん:02/11/03 04:05
どの話かしらんが、甲陽軍鑑を全否定するとなると
武田家の話は進まないちゅう現実があるわけだが・・・
320日本@名無史さん:02/11/03 04:07
>>319
おまえ三戦板住人か?
321日本@名無史さん:02/11/03 04:33
甲陽軍鑑も最近は見直されてC級史料ぐらいにはなってるんじゃなかったけ?
それにしても史料の価値としてはあれだが。
322日本@名無史さん:02/11/03 04:39
>>320
どんなに真っ当な研究者の著書でも、甲陽軍鑑に一言も
触れずに終わらせたものが、あるか?
323日本@名無史さん:02/11/03 11:27
真っ当な研究者の著書が甲陽軍鑑から話を持ってくるときは
必ず315のように「信頼性は微妙だが」などとことわりがあるはずだ。
真っ当ならね。
324日本@名無史さん:02/11/03 21:40
王代記とか妙法寺記とか高白斎記とか二木家記とか
信頼できそうな史料をつなげてもどうにも全体像に迫れない程度の
量でしかないため、結局多かれ少なかれ甲陽軍鑑に触れざるを得ないわな。
信頼性は微妙だが。
ただ、全くもってダメダメと言い切ってしまうには、気になる記述が
多いと思うわけだな。
325日本@名無しさん:02/11/03 22:09
その資料の価値は、客観的信頼度とともに他にどれだけあるかというのもありますので・・・。
で、たとえば金魚氏が言ってるようなことだって、実際に出陣前にどのような腹づもりだったの
か、どこまで行くつもりだったか・・・など準備を見れば一目瞭然なのだが、やっぱり資料の不
足というスパイラルに陥るわけ。織田や徳川なら大概のことはわかるんだけどね。
だから、甲陽軍艦も相対的には一級資料とせざるを得ない。問題は、そのような資料の活用方法
にあるわけで。
326日本@名無しさん:02/11/03 22:18
(続き)それにしても、本当に信玄が京都まで行くつもりだったのかどうかは、
やっぱりみんな知りたい罠。調略や諜報もしっかりしていたようだし、当時の
東海や畿内の様子も逐一把握はしていただろうが、それにしても京都までは遠
い。信長は浮き足だっていたとも言われているが、そこは領ホームゲームの強
み、知悉しきった領地内でのゲリラ戦もある。信長自身が死ななければいいわ
けだから。実際、逃げる算段もしてたって言うし。
兵站の問題もあるし、どうしても源平合戦や尊氏の時代のようなイメージを払
拭できない。それに上洛したところで、征夷大将軍を義昭がゆずるとも思えな
いし・・・。

どうも、信玄が自分の死期を悟っての、いわば死に花を咲かせるための行動で
はないか、と思ってみる。
327日本@名無史さん:02/11/03 22:47
武田家の強さをアピールして
自分の死後武田家になかなか攻めさないようにしようしたとか。
328日本@名無しさん:02/11/03 23:06
実際そんなところかも。跡継ぎがアボンだしね。まあ、それは信玄の問題もあるが。

で、結局こじんまりまとまってしまったが、こんなんでいいのかな?
329日本@名無史さん:02/11/03 23:32
信玄の部下に秀吉がいて重用すれば天下取れそう。
330日本@名無しさん:02/11/04 00:16
それはどんなもんかと。自分も足利の傍流だし、結構格や身分にもこだわってたようだし。
やはり人材登用に積極的で、身分にもこだわらなかった信長だからこその秀吉だったかと。
331日本@名無史さん:02/11/04 00:35
ところで同盟国の駿河侵攻と嫡男を失ったことに関して皆さんの意見は?
その後上杉・今川・北条を同時に敵にまわす最悪の展開を乗りきったのは流石
だと思うけど、本当に賢い男ならそういう状況を作らないという見方もできるし。
はたまた、あのままではどの道ジリ貧で仕方ないとい見方もあるだろうし。
332日本@名無史さん:02/11/04 01:51
海が欲しかったんでしょう。
北は上杉ががっちり抑えてるから獲り易そうな南へ。
333日本@名無史さん:02/11/04 04:07
>>330
信玄の配下なんてのはワケワカラン地侍ばかりだと思うが・・・
334日本@名無史さん:02/11/04 11:10
>>333
信長や秀吉が登用した連中よりはましかと思うが
335日本@名無史さん:02/11/04 11:32
>>331
義信を失ったのは痛かったかも
義信は、武将としても逸材だったらしいし、年齢的に見ても信玄が
亡くなった時には、武田家を率いていくのにふさわしい年齢だったよね
勝頼よりは、無難に家中をまとめられたはずだよ
総帥が義信で、その下で猛将勝頼とよくわからん信豊が猪みたいに他国に突撃。
その後には、盛信も控えているし、、、
でも、駿河進行に反対しちゃだめだよね。義信も
嫁を捨ててでも、、、、

んで、たらればなんだけど、駿河進行の前に遠州進行をしてたらどうなったどうか?
まだ小勢力だった家康が短時間で平定できたくらいだから、信玄もあっという間に
平定できたんじゃないだろうか?
ついでに、三河東部、北部も頂いて、、、
これらと同時に 駿河の武将たちには裏切りを奨めておく。
んで、上記の平定がすんだら、一気に駿河進行
西からは、遠州・三河・南伊那衆が攻め込み
東では駿東郡から甲州・諏訪・中信濃衆が攻め込む
北条への牽制は、東信濃・奥信濃・西上野衆が、上州→武州を荒らす事と
佐竹・太田・里見にお願いして、北条領にちょっかいを出してもらう。
遠州さえ容易に取り込めれば、実現可能な策だと思うが
さすれば、三河〜駿河までの平定戦が割と短時間でできたのでは?

北条氏康が先に駿河を平定しちゃわなければね
336日本@名無史さん:02/11/04 13:06
たとえ義信が総帥でも信豊が家臣の中枢にいると思っただけで心配で心配で。
武田の副将として十分な力量を持っていたおとうちゃんの血をちゃんと受け継いでんのかね。
337日本@名無しさん:02/11/04 14:42
っていうか、義信を死なしてまでも上洛を目指した、ってのがそもそも
焦りすぎのあらわれでは。政略結婚など戦国の世の常、別に今川一門を
皆殺しにするって言ってる訳でもないのになぜ嫡子を殺さねばならなか
ったのか・・・。

まあ、半分空白地帯だった遠州を先にすることは問題は無いと思うので
すが、やはり北条に先んじられ、後の上洛時にのど頸に匕首を突きつけ
られる形になるのがいやだったのでしょう。
338CFR:02/11/04 16:54
司馬遼太郎氏によると、武田信玄や上杉謙信くらいのいくさの名人は世界史上でも5人いないといいます。ただし、この2人が長生きしていても、結局は織田信長が勝っていただろうとも言っています。
339日本@名無史さん:02/11/04 17:09
本当に戦がうまかったんだろうか・・・
なんか結局引き分けばっかで資源と人命の浪費としか
340日本@名無しさん:02/11/04 17:13
漏れもそう思う。経済の最先進地域とも言われる当時の濃尾地方と、
在地領主の扱いに手を焼いていた中部以東とでは、その経済的観念も
人間も異質であり、当時の状況から短期間に国内の統一まで行ってし
まうのは、常識的には相当困難だと思う。信玄や謙信ペースだと、統
一までのプロセスとして、それぞれ同じくらい軍事的才能をもった跡
継ぎが最低3代は要したかと。それも、武田、上杉、毛利以外は無理。

・・・ただ、当時の国のかたちとして、最終的にどちらがあったのか
と言えば、それは結局徳川家康だったわけ。武士の力の強力な東国を
どうするかといえば、やはり信長流の急進改革派は難しかったという
のが漏れの考えです。秀吉の揺り戻し、更に石田三成が勝てなかった
のも、結局その時代の発達段階として、やむを得なかったかな、と。

341日本@名無史さん:02/11/04 17:15
甲斐の国力を考えたら相当すごい人物だと思えるが
甲斐に生まれた時点で終わってるな。
342日本@名無しさん:02/11/04 17:17
340は、338へのRESです。
343日本@名無史さん:02/11/04 17:17
戦国時代って最終的には秀吉中心にしてまわったよな。
344日本@名無史さん:02/11/04 17:20
武田家は他と比べても信虎、信玄、勝頼と戦に関しては優秀な人間が続いたと思うが
それでもあそこまでだしな。
345日本@名無史さん:02/11/04 18:11
>>335
家康が遠州を容易に平定し得たのは武田家と共同戦線を張ったから。
遠州も当時今川領であって、どっちを先にしても同じだろうよ。
あと義信って本当に優秀なのか?
死んだから褒められてるだけじゃねーかと正直思うんだが。
だいたい、義信側から謀反を起こそうとして発覚して処罰なんだから
先見性の無い人物だったんじゃないか?
346日本@名無史さん:02/11/04 19:20
>>345
武田と共同戦線を張ってたのなんて、ここにきてる誰もが知ってること
共同戦線張ってたとしても、小勢力(当時は)の徳川があれだけ短期間に
遠州を平定してるんだから、武田自体が先に遠州を取るのは容易だっただろう
>>335の言うようについでに東三河と北三河をおさえちゃえば、徳川は岡崎
周辺のみの小勢力でしかない。
これなら、西上戦のときに時間を取られるような相手じゃないでしょ

でも、武田が遠州を押さる間に、北条氏康が駿河を押さえてしまったら全てが
台無し。
武田が駿河侵攻したときに北条とにらみ合ってる(さった峠だったかな?)
くらいだから、武田が遠州平定を先にしたら、北条が直ぐに駿河に入って
くる可能性は高いね。
ポイントは、どうやって北条を関東に釘付けにするか、駿河へこさせないかに
なるね。
北条さえ駿河に来ないようにできれば、遠州を押さえた後に駿河に進入して、
駿河〜遠州〜三河の大部分を武田の両国に取り込む事ができたかも

話は前後するが、徳川が岡崎周辺の小領主だったら、織田・徳川vs浅井・朝倉
も違った結果になったかも
これらの戦では徳川方に参加していた多くの遠州勢力がけっこう活躍してるんでね
347日本@名無史さん:02/11/04 21:49
>>346
その頃はとっくに三河一国の領主だと思うが
「岡崎周辺のみの小勢力」ってなんだよ・・・・
ちなみに普通に考えて、遠江に進出しつつ北条の駿河進出を
押さえるのは無理だろ。
348日本@名無史さん:02/11/05 01:12
駿河より先に遠江を押えるべきだったと言うのは後知恵と言う物ではないでしょうか?
駿河と遠江だと駿河の方が美味しい土地なんだから、そっちを先に取るのは当たり前。
徳川に押えられた遠江と北条に押さえられた駿河のどっちが奪いやすいかと言えば徳川に押えられた遠江。
そんなら先に駿河を獲るべ、となるのも無理ないのでは?
349日本@名無史さん:02/11/05 03:25
今川家と敵対するのが前提で、駿河か遠江かと聞かれたならば。

近い方の駿河を先に固めないと、遠江に行ってる間に
甲斐を駿河から攻められますな。
350日本@名無しさん:02/11/05 06:35
っていうか、徳川・織田との同盟関係によって今川を折半したわけで、実際に
遠江に出て違約を責められています。そりゃ家康にしたら、遠江を通り越して
駿河獲りにはならないわけで。

問題は、信玄の企図する同盟策というのは、果たして全部有効だったのか?と
いうことでして、確かに当時常識の方法ではありますが、単独で駿河・遠江に
出て北条と徳川の挟み撃ちが、そんなに怖かったのでしょうか?

ここらあたりの検証によって、結局言われているような立地条件による限界説
が正しいかどうかが明確になると思います。
351日本@名無史さん:02/11/05 06:42
>>347
>>346は、徳川が遠州を押さえた頃=岡崎周辺の小勢力とは言ってないぞ。
もし武田が北三河と東三河を押さえれば、西三河しか残らんから、
岡崎周辺のみの小勢力になってしまうと言ってるのでは?
352日本@名無史さん:02/11/05 06:45

すいません
もう一度読んだら、徳川が遠州を押さえた頃を小勢力と書いてありますね
逝きます
353日本@名無史さん:02/11/06 00:22
>>350
正確には、家康が掛川城に篭った氏真を追い出す為に
「駿府を返すから開城しろ」と勝手な約束をしたのがいかんのですな。
354日本@名無史さん:02/11/22 11:54
>>353
なるほど。
355日本@名無史さん:02/11/22 15:26
岩村をもっと支援すれば美濃と二方面作戦で
356日本@名無史さん:02/11/23 09:04
二正面作戦の負担に耐えられず、武田がつぶれる。
357日本@名無史さん
やっぱ越後を落としていれば・・・