415 :
日本@名無史さん:2008/10/19(日) 00:01:43
明治以降だろ?
俺が言ってるの戦国時代とかそれ以前
416 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 09:27:13
>>10 信長の長島・加賀の戦い、大坂夏の陣の大殺戮戦を見てから言え。
>>97おかしくないか?的中突破の島津1400名ぐらいは死んでるはずだが
>>413 世界の最先端だった中国と比べてカスと言われてもねえ。
ヨーロッパに限ってはなんでヨーロッパ全体なの?
日本の歴史がカスなら、世界192カ国中180カ国以上
の歴史もカスだろ。ついでに朝鮮を引き合いに出す理由も
意味不明。
419 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 16:17:29
なるへそ
戦国時代って城を落としたら三日三晩は略奪が許されていて、それが足軽の
給料だったんだしょ。領民はたまらないな。
>420
いや、攻城中・交戦中もだろ。
規制されてるけど、勝手にやってる。
略奪されないためには、攻撃側の領主に金を払って「制札」を手に入れる必要があるが、
これとて、(ときには)一定のツテが必要らしい。
422 :
日本@名無史さん:2009/02/07(土) 04:38:02
ところで足軽って
略奪したものをどうやって持って帰ったの?
まさか手に持って帰ったわけじゃないよね?
荷駄隊に、名札付けて持って帰ってもらったとも考えにくいし。
さっさと換金して、金のかたちで持って帰ったのか?
423 :
日本@名無史さん:2009/02/07(土) 19:55:32
宅急便で故郷に送ったに決まってんだろボケが!
疲れんだろ
424 :
日本@名無史さん:2009/03/28(土) 08:25:34
425 :
日本@名無史さん:2009/03/28(土) 08:43:46
農業生産高の増加、商工業の発展というのは、中国の戦国時代がまさにそうだな。
諸子百家などの思想家が出たのも戦国時代。インドの十六大国時代、ギリシャの
ポリス時代に似ている。地方割拠の時代の方が、産業開発や科学・思想の発展が
進むんだろうね。
426 :
日本@名無史さん:2009/03/28(土) 14:28:05
戦争が社会を発展させるだなんて昔の人はうまいこと言ったもんだ。
>>417 たしか関ヶ原は両軍合わせて死者が一万前後じゃなかった?
実際に敵と交戦したのは西軍は石田、大谷、島津(撤退時)、宇喜多、小西だけだし
東軍にも睨み合いだけで交戦してない武将もいるし
まあ近代以前の戦闘なら妥当な死者数なんじゃない?
山崎の戦はどっちもかなりの戦死者を出してるな
428 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:14:05
そうだな
交戦しないで睨み合いか。オラが地元の百姓だったら屋台を出したい
430 :
日本@名無史さん:2009/05/16(土) 23:51:25
431 :
日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:09:49
432 :
日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:22:38
というかヤクザの出入りの延長が普通であって
近代殺戮戦争が異常なのですよ・・・
433 :
日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:01:19
結構戦死者出たんじゃないの
434 :
日本@名無史さん:2009/10/11(日) 08:25:52
435 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:56:00
436 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:31:40
437 :
日本@名無史さん:2010/01/15(金) 02:31:25
人類の歴史自体が平和そのもの。
戦争やったり核兵器作ったり大量虐殺やったりなんともほのぼのとした平和な生き物。
>>437 そうそう。ヒロシマとかチェルノブイリとか言っても人口は増え続けてる。
世界中の人たちが幸せなセックスライフを楽しんでる。
439 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 02:32:23
そうか
440 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 06:27:39
>>211 一般に、新しく生まれる形容詞は悪い意味のものが広まる
うざい キモい ださい やばい
441 :
日本@名無史さん:2010/03/23(火) 07:51:27
なんや
>>440 やばいは、今はいい意味で使う人が多いのでは?
443 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 22:23:39
結局人口は減ったのかな、1550年に1050万人の人口がいるとの説があるから
やっぱりふえたのかな。
税金取れる意味での人口は減ってるんじゃね
445 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 11:13:01
446 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 23:53:32
つい最近まで戦国時代に対し、北斗の拳やマッドマックスのような核戦争で滅亡後の世界観を想像していた。
応仁の乱を契機に文明(年号にあらず)が崩壊し、荒野には野党が、町には冷酷な独裁者がいて民衆を弾圧していた、というような。
でも考えてみれば、若いときの秀吉が行商していたというのは伝記とかで知っていたはずなんだ。
なぜか矛盾を覚えなかったんだよな。
447 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 01:10:52
今で言う軍隊規則があったんでは?
村に押し入って「ヒャッハー!」なんてことが出来たのは山賊や野武士くらい?
そいつらにしたって駆逐されてただろうに
農民も武器を隠し持ってたみたいだし
ルイス・フロイスは、『日本史』で、「日本は百年も戦乱が続いてるはずなのに京都や堺周辺は信じられないほど平和で繁栄してた」・・・と書いてる。
「ヒャッハー!」なんてやってたら来年取るもの無くなっちゃうしな
450 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 03:04:27
>443
そういう推算の人は「豊臣時代の日本の人口は1800万人」説だろ多分。
室町中期から戦国時代には凶作頻発で飢饉が次々と襲ってくる時代だったらしいので
戦争が無くても人口が減って当然。
戦争によってそれが悪化した可能性もないではないが。
>446
・荒野に夜盗、は、まあウソだな。
どこの勢力にも属さない徒党なんか、生きてられない。
ただ、夜盗と大差ないようなグループは少なからず居ただろうが、
そいつらだって、いちおう「農村」ではあるはず。
451 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 03:15:27
>447
大名間の戦争とかで戦場になるときには、係争地付近の村に乱入するのは常識だったようだぞ。
それを避けるために、係争地付近の村や寺社はツテを頼りに乱入側の大名に付け届けをして「制札」というのをもらうんだが、
「濫暴を禁ず」とか「異乱」とか「略奪禁止」なんかの制札をもらっても、
当事者の村が自力で略奪者を撃退することに対して「その大名に敵対しようとしたわけではない」と認めてもらうだけの意味しかなかった。
略奪者の撃退は、あくまでも村々の責任で行う義務があった。
戦争に動員された村人たちが自ら率先して遠征先の村で略奪するのが日常だったんだ。
そこの村人と戦いになったら捕虜を連れ帰って身売りする。
捕虜に身寄りがあれば「身代」を取って返却する。って、中南米とかで見られる誘拐産業と大差ないな。
>449
いやいや。
とある国境の村を治める領主の苦労譚で、
毎年秋になると隣国の大名が責めてきて青田刈りをして米を取ってしまうので、
その時期よりも早く収穫できる早稲を主体にして田植えするのが常だった、とか書いてるんだよな。
当時は早稲・中稲・晩稲の三系統ぐらいを併用して、あの田は早稲、この田は晩稲などと植え分ける風習があったらしい。
稲の品種そのものはすでに何十もあったが、そのうち収穫期の違うもの数種類を併用していたわけだ。
たぶん、村人総出で田植えする、その時間が長くかかるので、時期をずらしてたんだろうけど。
話がそれた。
つまり、毎年ヒャッハーする大名が少なくなかったんだよな。
植えの記録を残した領主は宇和島の人で、攻め込んで略奪したのは宗麟だったかな。
権力者が自分に従わない土豪地侍に夜盗のレッテルを貼ってただけじゃないの?
453 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:48:57
え?
戦国時代の文献や記録に「夜盗」なんて言葉は出てこないだろ?
454 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 22:03:43
俺も最近、戦国法の本読んでるんだが、こんなにすばらしい法があったのならば、
治安はすごく良かったんじゃないかと思う。
むしろ信長・秀吉・家康みたいな他国に攻め込んで領土を全国的に拡大させるという
発想の方が、革命的だったんじゃないか?
せいぜい小競り合いか、隣に領土を広げるか、京都に行くかぐらいじゃないか?
455 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 22:23:47
456 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 12:44:19
軍隊規制があっても、日本軍は中国で「ヒャッハー!」したろ?
457 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 18:01:24
>465
ヒャッハー! したのは、主に中国人でしょ。
国民党と共産党の間の激しい内戦状態で、
彼ら中国人が敵地の中国人に対してヒャッハー! することが多かったことには疑いの余地がありません。
中国歴代の革命勢力が、たいてい、そういう感じでしょう。
(記録類の多くは、反政府軍の軍紀が守られているのに対して政府軍は云々、って感じですが、
勝った側の悪口は書きにくいですからね。)
459 :
日本@名無史さん:2010/08/13(金) 10:17:50
確かに戦争するためには兵士に食べさせないといけません。
決して戦国時代が平和だったから、戦争をするだけの食料が
取れたのではなく、生き残るためにみんなが工夫して競争した
結果だと思う。相手より1人でも多く兵士を集めなければ
自分が滅ぶとなれば、必死に工夫するでしょう。
当時は負け=死だったから必死だったと思う。生活保護もうつ病も
無いのだからね。今は甘すぎる。天武天皇の皇子時代の呼び名だよ。
大海人皇子(おおあまの皇子)
江戸時代人口が増えなかったという事実は恐ろしい。
462 :
日本@名無史さん:2010/08/16(月) 17:00:02
>461
江戸時代の最初の百年間に人口が倍増してるだろ
>460
むしろ、略奪に行く機会を与えるために戦争いたみたいだぞ
略奪にでも行かないと生きていけないほど困窮した人が少なくなかったみたい。
当然ながら、略奪されて飢えた人も多かったんだろう。
戦国時代の小競り合いはほとんど八百長みたいなもの
武士は戦いが仕事で俸禄を貰うわけだが、戦っていないと仕事をしていないのと
同じ事、税を搾取するためには戦っているというアリバイが必要だった。
そうやって荘園領主の権利を奪っていって武士が土地の領有者になった。
>>463 イミフ
鎌倉時代の御家人・地頭の武力は、もっぱら荘園内の農民や領家に対し向けられてるね。
遠隔地にいる領主のあずかり知らぬうちに、強引に既成事実を作る。
領主は幕府や朝廷に訴え出るけど、結局は妥協案を呑まされる。
戦国時代は、公家さん達は荒れた都を離れ、荘園に住み着く。
ほとんどの者にとっては一時の退避先でしかなかったが、ある者はそこで武力を身につけ戦国大名化した。