なんか地味な存在だよな
大河の主人公にしてもよさそうなのに
ま、無理だろうけど
2ダ!
3 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:02
歴代日本国王一覧
初代 足利義満
2代 徳川家宣
3代 徳川家継
4 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:03
備考 豊臣秀吉(辞退)
5 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:05
>>3 足利将軍で「日本国王」を名乗ったのは義満だけなの?
義教以降は「日本国源某」だったっけ?
大河になったら一休役はえなりかずきがやりそう
すげーやりそうで鬱
7 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:10
そう言えば日本の権力者で朝廷を倒して自ら国王を名乗ろうとした
歴史上の人物はいないよね。仮に自分の権力基盤がしっかり整って
造反される心配がなくなったところで、朝廷を倒したらどうなって
たのかな?
8 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:42
今谷明の説はどう?
9 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:53
大内は勘合貿易のときどうしてたの?
やっぱ国王?
10 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:59
11 :
日本@名無史さん:02/09/19 02:02
>>1 本人は派手なのにな。後白河法皇もそうだが、歴史上の有名人のわりにマイナーだ。
12 :
日本@名無史さん:02/09/19 03:00
金閣って足利義満の生前からキンキラキンのピーカピカだったの?
13 :
日本@名無史さん:02/09/19 03:38
>大河の主人公にしてもよさそうなのに
マジレス。
信長・秀吉・家康
合戦シーン
これが出てこないと面白いように視聴率が取れません。マジで。
すると誰かが責任取らなきゃ→みんな嫌。
つまりおよそ安土桃山、と。
いや。大河ドラマは、予算が豊富なリッチ大河と
ぼんびーな貧相大河をくりかえしてバランスをとっている。
例…リッチ→時宗、元禄繚乱等
貧相→慶喜、徳川三代、利家
貧相に当たれば,可能性はあるぞ。
15 :
日本@名無史さん:02/09/19 05:29
人気がない理由はやっぱ、顔。
顔があかんよ。顔が。
16 :
日本@名無史さん:02/09/19 07:49
世阿弥で大河をやってそのパトロン役
17 :
日本@名無史さん:02/09/19 08:00
一休さんと新右衛門さんとおしょうさんと桔梗屋さんは誰がするんだろ。
よは順徳院の皇胤なり。だから玉座をいただいてもかまわないのさ。
19 :
日本@名無史さん:02/09/19 08:07
>>17 勝手に考えた。
一休 えなりかずき
新右衛門 阿部寛
木吉木便屋 おすぎ
和尚さん ショーンコネリー
南北朝合一
守護大名排斥
皇位簒奪計画
と、ネタは豊富にあるのになぁ
21 :
日本@名無史さん:02/09/19 09:37
キャラ的には一休さんのがいちばん近いな。
イメージとしては細野晴臣なんかイイ!ね。
でもツムラあたりがやりそうで、なんかそのまんまでつまらん。
22 :
日本@名無史さん:02/09/19 09:51
>>14 無理無理。
そもそも、それよく見てみ。
リッチのほうにこそ可能性がある。
貧乏のほうこそ、合戦&信長で視聴率、なのよ。
でもね、ここ最近の大河見ればわかるでしょう?
もう昔の大河ドラマは終わったの。
NHKも視聴率を「取りに行かなきゃ」って時代なのよ。
23 :
日本@名無史さん:02/09/19 13:28
>>21 >でもツムラあたりがやりそうで、
津川さんの間違いでは?
足利義満で大河やるのは、皇位簒奪と世阿弥との同性愛を描かねば
ならずNHKが取り上げるには、かなりリスクが高いかと…。
25 :
日本@名無史さん:02/09/19 15:27
>>24そうだった。なぜか日本の名湯のCM思い出したので間違えただよ。
26 :
日本@名無史さん:02/09/19 15:28
木原敏江の漫画に、世阿弥と義満の同性愛をテーマにしたのが
あったと思う。
27 :
日本@名無史さん:02/09/19 21:23
史上最大の国賊
足利義満をやるときはNHKがヤケクソになった時ということで
でも、見てぇ
後小松天皇に皇嗣がいると、息子の足利義嗣が皇位をつげないから
後小松天皇の側室腹の一休さんを出家させて皇位継承者を根絶やし
にするつもりだったんだよね。鹿苑院太上天皇さま。
後小松天皇のあとは、伏見宮家から後花園天皇が皇位を継いでるし
ね。
久我家(村上源氏)から源氏氏の長者取り上げたり、西園寺家から
北山第を接収して金ピカの金閣寺作ったり、やりたい放題な将軍様。
ステキです。ホント。
やっぱ世間一般的には義満後半生のイメージが強いんかなあ、と
このスレを眺めて思ったり思わんかったり。
個人的には、まだ有力守護の掌握すらままならないほど不安定だった時期から、
それこそ朝廷まで「やりたい放題」できるに至った、その過程に惹かれるんだけどねえ。
取り上げてしまったら、右翼の兄ちゃんたちと、ココ最近電波なクボヅカくんが
黙ってはいないでしょう。きっと、NHKは延暦寺のように焼き討ちにあってし
まうかも?でもそんな跳ね上がり君たちがつかまる現場も中継で放送したら、NHK
に受信料はらってもいいかなとココ最近…。
窪塚…
マジで狂ってるよな、最近…。
33 :
日本@名無史さん:02/09/22 00:17
わかりやすいが厄仏だ。
34 :
日本@名無史さん :02/09/22 11:15
太平記以上のタブーですな
35 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/22 11:16
これで駄目なら足利義教はもっと駄目か・・・でもある意味織田信長
よりはましでは。
36 :
日本@名無史さん :02/09/23 00:44
朝廷の存在ってやっぱりでかいんだな。
利用価値があるといったほうが適切かもしれないけど。
結局、義満はあと1歩というところで死んじゃったけど、
病死?それとも暗殺?
>36
腹上死
38 :
日本@名無史さん :02/09/23 00:53
男の憧れ、腹上死
ココはひとつ、クボヅカくんの電波っぷっり
を特集してみたら将軍様のドラマより面白い
かも?
40 :
日本@名無史さん:02/09/23 03:03
41 :
日本@名無史さん:02/09/23 23:46
>>40 かなりデムパでござりまするな。
もう少しましなものを…。自費出版は酷すぎます。
42 :
日本@名無史さん:02/09/24 17:58
筆者の長島銀蔵を知ってていってるのか?
この時代の事を多くの日本人は知らないと思う。
興味有るけど、大河ドラマでは難しいよ。命懸け
なきゃ役者も制作者もやってらんないね。
44 :
日本@名無史さん:02/09/24 23:49
>>42 彼(長島 銀蔵)の著書がどこのまとめられてるのかNETで探してみましたら…
http://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/history/h_books.html このようにデムパ本の集大成のようなところにございました。
とどめはこの本が最後に鎮座してるというあきれた事実。
教科書が教えない歴史
● 藤岡信勝・自由主義史観研究会/産経新聞ニュースサービス(日本近現代史)
ペリーはなぜ日本に来たのか/ローズヴェルトに救われた日本/迫害された日本
人の移民たち/日本の人種平等案を否決したアメリカ/憎しみ合う薩長を結んだ
龍馬の情熱/江戸城で新政府に思いはせた江藤新平/辛亥革命の発信基地は東京
だった/大震災後朝鮮人を守った警察署長/インドの独立を助けようとした日本
軍/28日間書き続けたユダヤ人へのビザ/日本にも危機感与えたアヘン戦争/好
戦でも反戦でもなかった与謝野晶子/激動の明治を辛抱強く生きた乃木静子/日
韓親善に生涯ささげた李方子妃・・・・・
--------------------------------------------------------------------------------
教科書が教えない歴史2
● 藤岡信勝・自由主義史観研究会/産経新聞ニュースサービス(日本近現代史)
対馬を基地にしようとしたロシア/征韓論唱えていなかった西郷隆盛/日中全面
戦争のきっかけとなった通州事件/日本軍を「南進」に転換させたゾルゲ事件/
突如持ち出された虚報「南京虐殺」/日本に有利な証拠次々と却下/事後法の裁
きに反対したパール判事/原爆投下を告発した米国人/「自衛戦争」と主張した
東条元首相/10万超えた広田元首相助命嘆願/ペリー来航2年後に初の蒸気船/
日露戦争から生まれた「正露丸」・・・・・
アホですな。お前。
45 :
日本@名無史さん:02/09/25 00:58
46 :
日本@名無史さん:02/09/25 01:05
一休さんの将軍様だろ?
47 :
日本@名無史さん:02/09/25 07:19
48 :
日本@名無史さん:02/09/25 08:38
>>29 一休って本当に天皇の子のなのか?
一休はのちに破戒僧になってメクラの女性を妻帯したんだよ。
子供はたまたまできなかったけど、できるかもしれない危険性があるじゃん。
どうして、彼を野放しにしておいたんだ。
49 :
日本@名無史さん:02/09/25 11:05
一休は本当に後小松天皇の子。成人してからも宮中に出入りして天皇と雑談
したりしている。自由奔放に生きることができたのは、天皇の後胤という特権
階級に属したことも一因だろう。ただし、一度出家して坊主になると絶対にもう
天皇にはなれない。この点が足利将軍とは違うところ。
50 :
日本@名無史さん:02/09/25 11:16
しまった。ガイシュツでした。
52 :
日本@名無史さん:02/09/25 11:54
日野富子のあんまり面白くない大河あったけど
あの富子でさえいい人にされてたから
例えば天皇と不倫して世継ぎをでっち上げたくだりは触れなかったし
義光の生涯くらいなんとか捏造できそうだけど。
大河ドラマって1年間放送しないで、何ヶ月かのパターンでおもしろそうな
人たちの生涯やってほしい。
53 :
日本@名無史さん:02/09/25 19:39
まあ、本当に皇位を狙っていたかどうかすら不明ですがね。
徳川秀忠だって、明正天皇の祖父ということで「衡岳院太上天皇」の
尊号を贈られかけてるし(平清盛あたりにも、その可能性あり)。
足利義嗣の元服式が親王と同形式だったのは、次期天皇というより、
「日本国王世子(=次期日本国王)」といった明に対するモノだと考えた方が理解しやすいし。
その線でいけば、ドラマ化する事は難しくないと思われ。
うそつけ↑慶応4年1月15日革命は足利北朝天皇から大室南朝天皇。
55 :
日本@名無史さん:02/09/25 21:23
>>7 蘇我入鹿や平将門も皇位を狙った可能性はある。
(かなりあやしいが)
56 :
日本@名無史さん:02/09/25 22:25
>>49 >ただし、一度出家して坊主になると絶対にもう
天皇にはなれない。この点が足利将軍とは違うところ。
後光厳院がいるじゃないか。
57 :
日本@名無史さん:02/09/26 23:52
後光厳天皇は確かに一度仏門に入った少年が還俗して皇位についたもの。しかし、
南朝に北朝の上皇、天皇がみな拉致されて、幕府がどたばたと無理やり担ぎ上げた
天皇で、天皇の経験もない婆さん(広義門院)を治天の君に祭りあげ、彼女から
譲られた格好にしたこと、三種の神器もないことなど、異例ずくめで、天皇として
の正当性に大きな問題ありといわざるをえない。
58 :
日本@名無史さん:02/09/26 23:58
後光厳院は坊主が天皇になったというだけでも、天皇の資格なし。人物と
しては秀でていたようだが。
59 :
日本@名無史さん:02/09/28 14:33
なんだかんだいいつつこういうのが可能だったのはやはり義満の時代だけなのでは?
南北朝から義満の一件は天皇の制度が近代以降考えられていたような
神聖絶対な枠組みのものでは実はなかったという点に中世論的価値があると思うが。
61 :
日本@名無史さん:02/09/29 18:19
そういえば、足利義教はなぜ天皇になろうとしなかったんだろ?
義満と違って回りくどいことせずに、武力にモノを言わせて
とっとと天皇になれたはずなのに。
62 :
日本@名無史さん:02/09/29 18:52
>>61 足利義教は八幡大菩薩(=応神天皇)の化身と自称。
武田勝頼が「諏訪明神の再来」と名乗ったようなものかと以下略
63 :
日本@名無史さん:02/10/01 07:24
>>57 異例な即位の先例を継体天皇に求めてるからね。
>>49 >ただし、一度出家して坊主になると絶対にもう
天皇にはなれない。この点が足利将軍とは違うところ。
坊主から即位した天皇
↓
天武天皇
称徳天皇
道鏡法王(未遂)
崇道天皇(未遂)
この他にいらしたら御教示願いたし。
64 :
日本@名無史さん:02/10/01 20:42
天武も称徳も出家してないが・・・
65 :
日本@名無史さん:02/10/02 01:25
>>64 大丈夫?
天武も称徳も「即位後の出家」はしてないけど「出家の身」から即位してるよ。
66 :
日本@名無史さん:02/10/02 03:58
671(天智10)年1月、天皇は大友皇子を太政大臣に任命。大海人は東宮大皇弟として冠位法度の事を奏宣(書紀注に或本は大友皇子の宣命とする)。
同年10月7日、病に臥していた天皇は東宮を臥内に召し入れ、「後事を以て汝に属(つ)く」云々と伝えるが、大海人は病と称して固辞し、「洪業を奉じて大后に付属せむ。
大友王をして諸政を奏宣せしめむ。臣は天皇の奉為に出家修道せむことを」請願し、天皇はこれを許した。(天武即位前紀によれば、東宮に派遣された蘇我臣安麻呂が大海人に注意を促し、これにより大海人は天皇に謀略があることを疑ったという。)
大海人は直ちに内裏仏殿に向かい、剃髮して沙門となった。同月19日、吉野での修行仏道を天皇に請い、許される。翌日吉野に入る。同年12月、天皇崩御。
67 :
日本@名無史さん:02/10/02 08:52
称徳の場合は重祚する前に「孝謙上皇」
(諡号だが便宜上こう言っとく:本来は宝字称徳孝謙皇帝)
として尼・法基になり、天平宝字六年六月三日の詔にて出家宣言している。
(『続日本紀』巻第24)
68 :
日本@名無史さん:02/10/06 15:40
息子は義満自体を非難してる。使節派遣もやめてるし。
国王って、中国皇帝が臣下とみなしている周辺諸国の長に与える位でしょ。
天皇とは全然レベルが違うよね。
中華皇帝からするとベトナムの国王と韓国の国王と日本の国王って同格なの?
>>70 微妙に違いはあったようだけど、大体同じみたいだよ。倭も古代では、漢委奴国王
という金印をもらったりしていたわけだよね。臣下の礼をとり、朝貢する。冊封というよ。
朝鮮半島の国王なんて今まで絶対に帝とか天子とか言ったことはない。年号も当然
中国のものを使ってた。ほんの一時朝鮮の年号をたてたことはあったけど、中国皇帝
にコッピドク叱られて止めたらしい。
日本では早々と、大王が天皇と称し、独自の年号を持ち、天皇のことを帝とか
天子と言った。これって、独立の証だよね。どうして日本の独立を黙認したのかは
謎だ。だけど中国は朝貢方式しか交流しないんだ。だから、義満は皇帝の臣下となって
朝貢貿易をやったんだ。朝貢では卑屈な感じだから勘合貿易ともいうね。中国は
下手に出る相手にはお返しを沢山与えたから、義満は大もうけだったらしいね。
日本国王なんかになっても、中国は朝貢のお返しをくれるだけで、それ以外は
なにもなかったと思うよ。日本国内では日本国王なんて無意味だったと思うよ。
>9
室町幕府がショボくなって、山口の大内氏が勘合貿易をやったときは、大内氏が
日本国王だったみたいだよ。日本国王なんてそんなレベルのものよ。
ただ、朝鮮国に対しては威力があったろうね。あっちは朝鮮国王だから同格だよね。
73 :
日本@名無史さん:02/10/16 14:33
義満も自分は日本国王じゃないっすよって返書出してますよね。
欺瞞だという説と本気で弁解してるって説に分かれます。結局簒奪もしなかった
から。
74 :
日本@名無史さん:02/10/16 19:59
>>71 義満の上に天皇と言う存在があったことは、わかっていて黙認してたの?
>>73 えっ、そうなんすか。そんな返書出したんすか。
>>74 推定だけど、明の皇帝にとっては、立派な貢物ともっともらしい挨拶状があれば、
それで良かったんじゃないだろうか。中国から見れば、中華世界を取り巻く世界中の
諸国は栄枯盛衰を繰返すことは普通のことで、その中で立派な国が建てられれば皇帝の
徳を慕って当然に朝貢してくる、朝貢する国が多いことは皇帝の徳の高さの証明と考えて
喜ぶ、まあこんな具合じゃないのかな。
日本は朝鮮と違って陸続きじゃないし、中国人は海外渡航を禁止されていたらしい
から、日本の中の体制がどうなっているのかとかはどうでも良くて、立派な中国語の
挨拶状とドッサリ貢物があれば充分だったんじゃなかろうか。それに、皇帝としては
国王以外の者から朝貢を受ける訳にはいかないしね。
もし、天皇がそれを上回る貢物を持って行けば、すぐに天皇に日本国王の位を与える
だろうね。だけど、それは天皇が皇帝の臣下になるという意味だから、この時代の天皇
はそんなことはしないね。
だから、明の皇帝から見ると日本に天皇がいるかどうかは無意味なことだったんだろうね。
文句も言って来ないし。
76 :
日本@名無史さん:02/10/16 22:37
講談社の日本の歴史では、義光の皇位簒奪計画は否定されてますが、
ワシは王朝を狙っていたと思うんですが、どんなもんでしょ。
息子(義教)がオヤジ嫌いでなければ、かなーり面白かったのかなと思いましゅが?
77 :
日本@名無史さん:02/10/16 22:43
78 :
日本@名無史さん:02/10/16 22:48
>>77 そうだっけ、スマソ。
義教は、くじ引き将軍(孫)か。
79 :
日本@名無史さん:02/10/16 22:50
義満の国書の署名は「日本国王臣源道義」だったのでは?
貿易再開後の将軍は、単に「日本国源某」だったと読んだ記憶があるけど。
還俗将軍の名なぞ、聞くも不快じゃ!
81 :
日本@名無史さん:02/10/16 23:00
ああ、確かに臣が入ってたyo!
>>80 籤は神意なるぞぉ!!
82 :
世界@名無史さん:02/10/16 23:02
>>75 義満は1400年に燕王(永楽帝)側に使者を送っているよん。
まあ実際は、建文帝政権と二股かけていて、あわよくば「日本国王」の地位を
確保しようとした、というのが真相だけどね。
(これで大失敗したのが李氏朝鮮とベトナム)
朝貢貿易では卑屈なので(教科書的には)勘合貿易と言うように、日本国王が中国皇帝
の臣下の位で朝貢貿易のために必要というだけでは卑屈なので、スゴそうに見せるため
に皇位簒奪計画とか言って話をそらせているのではないだろうか?
最初に皇位簒奪計画説をたてたのは誰なんだろうね。
84 :
日本@名無史さん:02/10/17 01:31
なんとなくキムジョンイルに似てるな
親の七光り
85 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:05
>親の七光り
一般的に義詮はヘタレといわれておりますが?
86 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:08
>85
上皇を置き去りにして逃走したアフォ。
87 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:18
先の太政大臣で、先の征夷大将軍で、武家・公家統一の金閣(当時は
莫大な敷地)を建て、死後太政天皇号?を朝廷側から送られてるあたりが、
簒奪計画説のポイントかな。
毒殺説は、死後に媚びてる朝廷勢力が怪しいとの事。
まあ、義満が当時「治天の君」だったことは確からしい。
公家連中がこぞって、天皇・上皇からはなれ、
義満にお願い事に行く公武合体のシステムを作り、成功している。
公武合体システムができたってことは、
天皇制が無意味になる可能性が高いということかね。
公家は勝ち馬に乗るからね。
88 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:22
作る会教科書には、「尊王家の頼朝・不遜な義満」と、
2ページも使って、すごいエコひいきして書いてあったね。
戦前の国定教科書化と思ったw。
事実、義満は南朝を騙して、皇位は思うがままだったけど。
天皇制の一番の危機ではあったんではないのかえ?
89 :
◆ANDOozB1sE :02/10/17 17:55
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< さいたまさいたま!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< さいたまさいたまさいたま!
さいたま〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
91 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:40
89のおっしゃる通り皇位窺ゆ説を初めに唱えたのは
田中良成博士「南北朝時代史」で、それを今谷明がさらに
補強した。しかし当時の精神風土から考えて臣下が皇位を
奪うということは考えにくい。公家は無節操であるから
義満に媚びて上皇並の扱いをしたが、皇位を簒奪したら
天皇を神と崇める民百姓を納得させることはできない。ここが
天皇国日本の不思議なところ。義満も信長、秀吉、家康も
この万世一系の不気味さを知っていたから天皇には手をつけられ
なかったのだと思う。平成のいまでも天皇の呪縛からいったい
どれだけの人が脱しているだろうか。
92 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:45
>>91 別に脱する必要などないと思うが・・・
天皇制があったところで、平成の世に問題などなかろう。
93 :
日本@名無史さん:02/10/17 18:55
足利義満は、天皇家のっとっても文句言えないくらい、権力あったんちゃう?
94 :
日本@名無史さん:02/10/17 19:01
まんが「一休さん」を見ていると、
後小松天皇の皇子を出家させ寺に軟禁し、寺社奉行の蜷川新左衞門を接近させ監視させる。
それでも安心できず、時々御所に招いて、義満みずから成長振りを見定める。
そんな空気がひしひしと伝わってくる名作だ。
95 :
89 ◆ANDOozB1sE :02/10/17 19:41
別に今谷マンセーなわけじゃないけど、当時民百姓がどれだけ天皇を神と思っていたか?
板東・奥羽ではおそらく鎌倉殿の方が権威あっただろうし、西国でも非農業民(網野マンセーでもないよ)くらいしか天皇マンセーじゃなかったんじゃないかな?
天皇を最も必要とした寺社・公家が不必要としていたんだからありえたんじゃないかなあ。
96 :
日本@名無史さん:02/10/17 21:06
>>95 寺社・公家は相当義満に脅かされていたからね。
寺社勢力で義満に(比較的)協力的だったのが禅宗(臨済宗)と、
義満の母方の実家の石清水八幡ぐらいじゃないかな?
あと、公家で協力的だったのは日野家と常盤井宮家(後二条天皇の子孫)だけかな。
皇位簒奪の意図があったかどうかは、義満に聞いてみなければ分からないが、
仮に義満にその意図があって、寿命がもうチョッと長くて、やっちゃった場合、
成功しなかったと思う。革命には大義名分と神話が必要だが、彼にはそれがない。
京都で公家を脅かしたり、中国から日本国王に任ぜられたくらいではダメだろうね。
98 :
日本@名無史さん:02/10/17 21:54
革命意識は必要ないんでないかな。
公家は自分たちから義満に媚び売りに行ってたし。
年中行事で格付けさえ保てれば公家は安心するし。
大義名分は、南北朝統一程度で間に合うんでないかな。
その程度のもんだよ、当時の朝廷は。
当時の貴種へのアコガレはスゴかったらしいよね。落ちぶれ公家が百姓屋へ泊まると
その家の娘かご内儀が夜伽して、妊娠すればお種頂戴で喜び、貞操上の問題にはなら
なかったと聞いたことがあるよ。ほんとかいなと思うけどね。
皇胤は結構根強い支持があったんじゃないかな。
100 :
日本@名無史さん:02/10/17 23:40
平成の今だって神社の鳥居に小便引っ掛けたり、おふだを土足で踏んづけることに
バチがあたると思う人が多いだろう。中世はもっと極端に神とか仏の力が民百姓の
日常を支配していた。公家、武家を含め民百姓にとって天皇はその神々の中心、
いな神々よりも上の存在として意識されていた。世俗権力の強弱を超越した異次元
の存在なのだ。だから臣下は侵すことができない、侵したらバチがあたるから。
101 :
日本@名無史さん:02/10/17 23:44
伝統の力とは、そんなに甘いもんじゃない。
村の鎮守の神様、御てんとう様、天罰・・・、
全てに神・天上世界というものが民衆の生活に密着している。
その普遍的な神の存在感に連なって、日本の代表神官たる「天皇」がある。
「天皇」は神に準じた存在で「人」では無いから、臣下が取って代わる事は出来ない。
雁字搦めにして、神棚に祭っておけば良いのさ。
ニアミスだった、
とにかく、太古より天皇は神官、俗権は臣下と職務分掌されている。
104 :
日本@名無史さん:02/10/18 00:36
>>104 天皇は、神官で特別な人だから、御廉の内に篭ってるの。
通い婚の時代も、内裏を頻繁に出られないから、後宮にハーレムを作るの。
そして、最大の仕事は神に奉仕する事。
毎朝、清涼殿の石灰壇に立って伊勢神宮を遥拝し、新嘗祭などで豊饒を祈る。
稲作ニッポンでは、それが最大のお勤め。
106 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:54
>99
貴種に限らず、旅人でも同様なことがあったと聞く。
血が濃くならない知恵だとか。
107 :
日本@名無史さん:02/10/18 02:21
>>105 太古って意味分かってる?
もうちょっと日本語勉強したほうがいいよ。
108 :
日本@名無史さん:02/10/18 09:29
天皇教の幻に入り込んでる人って多いな。
天皇は、どの息子を後継にしようか日夜高級公家と陰謀策略をめぐらし、
他の派閥の皇位継承権者に皇位をとられないように忙しかった。
天皇後継者なんて腐るほどいたし、そこでもめないように、
鎌倉殿や室町殿や徳川殿が後継者を決めてあげていた。
天皇は特別な人ではない。仕事が特殊なだけ。
誰でもできまっせ。
あと、割と政治に口出したがり屋が結構いて、かき回している。
109 :
89 ◆ANDOozB1sE :02/10/18 09:47
まあ、太古って言葉にそう拘ることもない。
105は確かに勘違いしているが。
だいたい義満スレなんだから、当時の状況を基準に考えるべき。
当時は祈祷なんかも義満主催の導師の方が皇室主催よりも格が上だったし、それほど天皇家の宗教的権威も高くなかったと思われ。
また、108に全面的に同意な訳じゃないが、天皇家がかなり俗だったとも推定される。
南北朝期までは俗権もかなり保持していたし。
110 :
日本@名無史さん:02/10/18 14:16
>>108 >>天皇は特別な人ではない。仕事が特殊なだけ。
その仕事とは「神を祭る」という世俗を離れた特殊な仕事であって、
血統に由来する職種である。言わば、血統的聖職者。
行為は誰でも真似できると言うが、それでは意味が無い。
また、生物としては人なれば、継承問題はあって当然。
だから、現人神なんじゃないの。
111 :
日本@名無史さん:02/10/18 15:10
>>110 天皇制には2つのトリックがあって、一つは親子継承。これは、天武朝?
あたりから始まり、桓武で擬似王朝交代があった。それ以前は、親子継承
は通常化してなく、臣下の合議で大王が決められたりした。万世一系とい
うのはトリック。何の意味も貴重性もない。
だいたい、現実の皇位継承を見ると、本当に後継でいいのかってくらい
地の薄いのが結構いる。継体なんてどこの馬の骨じゃって感じ。
もう一つのトリックは、政治が悪いと王朝が変わるという天命思想。
この中国の天命思想を、歴代王朝は必死に隠し続けた。
一種の革命思想だからね。
現人神思想は、明治以来の新発想で、明治から昭和の人間宣言までの、
歴代天皇制とは違う発想と思えるが。天武が少し似てたが。
112 :
日本@名無史さん:02/10/18 15:11
>>109 南北朝期と室町前期は、天皇制の権威も権力も史上最低でしたね。
宗教的権威も、冠位付与権威も、室町殿のほうが上でした。
王朝交代は、可能だったと思えます。
公家がこぞって賛成したでしょう。
そこまで義満は仕組んでましたから。
息子の誰かに天皇家の嫁ももつけてあり、文句はどこからも出なかった
でしょう。
戦国期になると、室町殿が頼りなくなったので、地方では天皇の権威は
たもてましたが。
113 :
日本@名無史さん:02/10/18 15:17
|
ヽ _____,.............._
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ゝ, ゝ__,ノ ,. }
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114 :
日本@名無史さん:02/10/18 16:51
生身の天皇は当然、普通の人間と同じようなもんだろう。ただ、民百姓が抱いていた
イメージは神聖至高な、神そのもの、または神の司祭者だった。そのイメージが
ある限りどんな権力者といえども皇位を犯すことはできなかったのではないか。
室町時代は確かに天皇の権威も権力も最低だったかも知れないが、それは政治上の
ことにすぎない。時代の精神というものを軽視してはならないと思う。
116 :
◆ANDOozB1sE :02/10/18 18:29
どっちも間違いというわけじゃないんだがなあ。
天皇家が日本史を通じて一定の宗教的権威を持ち続けたのは事実と思われ。
天皇家がヤマト政権成立期や律令初期、院政期にかなり強力な世俗権威を持っていたのも事実と思われ。
その世俗権威が南北朝期に全くと言っていいほど無くなったのも事実と思われ。
その他に宗教的権威が南北朝期にかなり低下したのも事実と思われ。
問題は、その宗教的権威の低下が、足利義満の簒奪企図を可能たらしめるほどであったか否かだけだ。
あと、神道の宗教的権威について言えば、義満の時期は仏教も陰陽道もある程度以上の権威を持っていたから、神道だけが突出していたわけでもない。
117 :
日本@名無史さん:02/10/18 18:45
極論だが、明治に天皇は偉いんだという説明会が各村ごとで行われている。
ということは、庶民は、「天皇の存在自体を知らなかった」時期のほうが
長いと思われる。
天皇直系神の子といわれた職能民や非稲作農民は、鎌倉中期から発達した
合理精神の発達により非人として蔑視されてきた。
その人たちを救うのに、もはや天皇の権威は役立たず、実際に救われると
説いてまわったのは一遍ら鎌倉新仏教だった。
もはや、庶民における権威は神道になく新仏教にあった。
江戸中期以降の国学が豪農層に天皇を「発見」させた。
一般庶民が、天皇を確実に意識したのは、古代の一時期と明治以降と
思われる。
よって、南北朝期・室町前半に、民百姓が天皇を意識していたことは
ありえないと考えられる。
問題は、公家や高僧や上級武家の意識。
この3者は、天皇権威より、義満の権威を上に見ていた。
かつ、上にしようとして同調していた模様。
118 :
すめらみこと:02/10/19 00:18
義満のようなうるさい奴はおだてるに限る。生きてる間は面倒だが、どうせいつかは死ぬ。
119 :
日本@名無史さん:02/10/19 04:07
>>79 いうまでもなく
「臣源」の「臣」とは
中国皇帝の臣という意味ですよね?
120 :
日本@名無史さん:02/10/19 13:06
そうでしょうね。
121 :
日本@名無史さん:02/10/19 13:08
>>79 1、中国の臣下
2、中国の認めた日本の国王
の両面性あると思われ。
時代は少し下るけど、桃山時代に来日したカトリックの宣教師が、
天皇=ローマ教皇
大名=国王
とヨーロッパ世界の構造と似た関係で日本をとらえていたらしいと何かで読んだことがある。
将軍は神聖ローマ帝国の皇帝かな。カノッサの屈辱で知られるように、皇帝は
教皇に結局かなわなかった。
まあ、違うところも多いとは思うが、宗教的権威はあなどれないってことはあると思うよ。
123 :
日本@名無史さん:02/10/19 14:35
>カノッサの屈辱で知られるように、皇帝は教皇に結局かなわなかった。
でも後日皇帝は教皇を憤死させてお礼参りはしているよ。
>>123 そうだね。義満も天皇を取り替えることはできたね。
その点でも妙に似ているね。
125 :
日本@名無史さん:02/10/19 18:39
それにしても義満って気持ち悪い男だね。相国寺やら鹿苑院を作って座禅三昧に
ふけるかと思うと、一方で宮中の女性を次々に手篭めにしたりの、やりたい放題、
能の世阿弥とも男色関係ありとか。学問好きな好色じじい、なんとなく徳川5代
将軍綱吉に似ていると思うのは俺だけか
126 :
日本@名無史さん:02/10/19 19:51
人妻好きは有名だったらしい。
漏れも人妻は好きだがハァハァ(あ、スマソ)
男色は公家・天皇家にもあったようだし、戦国武将にも多いし、パスで。
>宗教的権威
当時の宗教的権威は仏教だったから、天皇も仏教好きが多いし、
寺社を支配した義満の方が宗教的権威は上でないかな。
桃山時代の宣教師は、戦国後期以降だから、戦国期に天皇の権威は叙位付与権
で(将軍の地位が下がったので)、権力はないが地方での大名に対し、権威はあ
ったからね。
ま、その権威も天皇に対する尊敬ではなく、近隣大名への対抗大義名文づけ
のためではあったが。
寺社を支配するだけなら世俗的権威であって、宗教的権威とは言えんかな。
教皇はイエスの代理人としての宗教的権威だよん。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世も
世俗的権威で司教を任命したりなんかしてた訳だね。これも義満と似てるなー。
仏教の世界で宗教的権威をもって世俗的権威を兼ねようとすると、チベット方式の
イメージかなー。チョッとしんどいかなー。
義満は天皇を殺すことはできたかもしれないし(できんかったと思うが)、
日本の最高支配者にもなれたかもしれないが(なれんかったように思うが)、
天皇にはなれんかったと思うのです。
<このスレ意外と盛り上がって良いねえ>
128 :
日本@名無史さん:02/10/19 22:16
最高支配者には事実上なっていたでしょう。
武家・公家・宗教界を従えましたから。
鹿苑寺金閣が宗教的権威と世俗的権威の統一の象徴かな。
天皇を殺すことは考えてなかったでしょ、引退させて、嗣子を
皇位につけようとしてたんでないのかな。
129 :
日本@名無史さん:02/10/19 22:17
最高支配者には事実上なっていたでしょう。
武家・公家・宗教界を従えましたから。
鹿苑寺金閣が宗教的権威と世俗的権威の統一の象徴かな。
天皇を殺すことは考えてなかったでしょ、引退させて、嗣子を
皇位につけようとしてたんでないのかな。
130 :
日本@名無史さん:02/10/19 22:19
連続カキコすまん。間違った。
事実上の最高支配者と本当の最高支配者はビミョーに違うんだねー。
宗教的権威が足りんなー。
義嗣を親王の儀に准じて元服させたっつうのも俗物の極みっつう感じがするっす。
132 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:03
だから義満は別に天皇家に取って代わろうと思ってはいなかったんだってば
133 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:39
れっきとした将軍義持というのがいるのに、その弟の義嗣をどんどん昇進させて、
いったい義満は何を考えていたのかねえ。多分義嗣を関白太政大臣みたいな公家の
トップに、義持は武家のトップに据えて自分はその上に立つ日本国王になる積り
ではないかな。だけど義満も義嗣も皇位を狙う意図はなかったと思われ。
134 :
日本@名無史さん:02/10/20 00:03
>>131 俗物といったら、後二条天皇の子孫、源満仁(常盤井宮満仁親王)の方がはるかに上。
側室を何人も義満に差し出して、それで親王宣下をうけたうえに
宮家まで創立してもらっている。
135 :
日本@名無史さん:02/10/20 00:27
>>134 満仁親王って一応大覚寺統じゃねーの?
義満のころまでまだ「両統迭立」だったのかと小一時間(以下略
136 :
日本@名無史さん:02/10/20 10:46
>>131 >義嗣を親王の儀に准じて元服させた
その程度の事をやれば、乗り越えられたのが当時の天皇の宗教的権威の
レベルだったのでないのかな。
南北朝で天皇の宗教的権威も世俗的権威も地に落ちて、
義満の南北統一で、天皇家を完全にコントロール下に置いたということだから。
義嗣を次期天皇にする予定だったと思われ。
137 :
日本@名無史さん:02/10/20 10:55
義満が皇位簒奪を試みたのなら、天皇の地位を神聖なモノと思っていたという事だ。
時の最高権力者にして、天皇を廃止する事は考えなかった。
鹿苑寺金閣の階層構造に、はっきりと意志が出てるじゃないか。
1層の「法水院」は寝殿造りで公家を現し、
2層目の「潮音洞」は武家造りで武家を現し、
第3層の「究竟頂」はの唐風で天皇を現す。
138 :
日本@名無史さん:02/10/20 11:04
実際は馬鹿にしてたが、利用価値があるから神聖視してるふりしてちゃんでは。
歴代王権のように。
>第3層の「究竟頂」はの唐風で天皇を現す。
これは、天皇ではなく公武合体の上の義満自身を表すとも読めるのでは。
禅風でなかった?
金閣の1Fは公家、2Fは武家、3Fは寺社の象徴ではないかな。
神仏陰陽道混交の時代だから、寺と社は区別不能かな。
財政難の足利幕府から身を起こし、明の皇帝に媚びを売って日本国王となり貿易の実利を
得、日本国内の3大勢力を実効支配し、長男は征夷大将軍で次男の元服は日本最高の儀式
で行う。やりたいほうだいやってポックリ逝く。彼はこれで大満足だったのでは?
大いなる俗物に思えてならない。
140 :
日本@名無史さん:02/10/20 18:30
3階は禅風様式でした。
最初は仏舎利。
次に阿弥陀・菩薩が配置されていたそうです。
美術全集で確認しました。
141 :
日本@名無史さん:02/10/21 03:28
天辺の鳳凰は、鳳輦(ほうれん)にしか付けない、天皇の馬印みたいなもの。
つまり、3層目は天皇を担いでいることを示す。
142 :
日本@名無史さん:02/10/21 16:41
>>141 銀閣にもついてます。
金閣3層目は禅風様式。
鳳凰をつけたのは、義満の自己顕示。
天皇をあらわしたのではなく、自分を象徴させている。
>>142 ????
銀閣は足利義政でないかい。義政はもともと皇位簒奪の気配などまるでなし。
その銀閣にも鳳凰がある。これも義政の自己顕示かえ。
すまん。ロジックについていけてない。もそっと詳しく述べてたも。
144 :
日本@名無史さん:02/10/21 21:46
>>143 スマソ。
義政は皇位簒奪の意欲はないが、前半は割と政治意欲は強かったそうな。
1、金閣の3階は禅風(仏教)、天皇家を表現してはいない
2、鳳凰は天皇に捧げたものではない
3、鳳凰は天皇を上回るとの義満の自己顕示
4、義政は、金閣をまねて鳳凰をつけた。意外としぶとかった義政
の自己顕示か、金閣を真似ただけかはわからない。
って感じでどうでしょうか。倭さん。
なるほどね。義政はこの際関係ないようだんね。
ワシはこう思うよん。
鳳凰は、聖徳の天子の代に現れる瑞鳥とされるもの。日本では(一般的には)当代の
天皇をたたえるためのもの。だけど本来鳳凰は中国の皇帝をたたえるものだよん。
可能性は次のどれか。
@鳳凰は天皇のをたたえるため。
A鳳凰は明の皇帝をたたえるため。義満は皇帝の臣下たる日本国王。天皇は無視。
Bああいう形の建物のテッペンンには鳳凰が似合うし、みんなそうしているから。
どの場合でも皇位簒奪の意味はとれないよん。
146 :
日本@名無史さん:02/10/21 22:40
少なくとも当時の天皇をたたえるものではないだろう。
自己顕示でないかな。
自分を皇帝や日本国王に模してとの感じ。
義満は日本国王だからAは考えられなくもないが、朝貢貿易の相手でしかなくて
遥か遠くにいる皇帝をたたえてみても空しいやね。
国王は天子ではないから自分自身に鳳凰をあてがうのは釣り合いが悪いやね。
そうなると@かB。ワシはBが強いんかな〜と思うんじゃがなー。
148 :
日本@名無史さん:02/10/22 00:15
たいして難しい意味はないんじゃないの?
室町時代は今の日本人の国民文化のもとができあがった時代。
それを考えれば複雑な理屈などあるわけないってのがわかるはず。
ただ感覚的なうすっぺらい美学だけで刹那的に生きてたんだよ、今の日本人と同じ。
みんな深読みのしすぎ。
149 :
日本@名無史さん:02/10/22 14:54
>>145 >Bああいう形の建物のテッペンンには鳳凰が似合うし、みんなそうしているから。
鳳凰が似合う?みんなそうしている?
金閣以前、又は同時代に鳳凰を載せた建築ってありましたか?
せいぜい宇治の鳳凰堂ぐらいでしょう。夢殿だって宝珠(葱華)ですよ。
「ああいう形の建物のテッペンンには鳳凰が似合う」ように思えるのも、
「みんなそうしている」ように思えるのも、金閣が創り出したイメージでしか無いでしょう。
鳳凰を載せ得る構造物は、本来天皇の乗る「鳳輦」と「高御座」だけでしょう。
皇位簒奪の意図はどうあれ、義満はやはり「天子気どり」でいたと思いますね。
150 :
日本@名無史さん:02/10/22 15:31
ふと、蘇我氏の天子気取りが思い起こされ。
そんな感じだったんでないのかな。
義満の天子気取り。
151 :
◆ANDOozB1sE :02/10/22 17:42
Aだと、自分が皇位につくことを想定していたとも解釈できるのでは?
152 :
日本@名無史さん:02/10/22 19:15
>>151 平等院鳳凰堂はどうなりますかね?
これを建てさせた藤原頼通(道長の息子)に皇位簒奪の意図があったとは到底思えないんだすが
153 :
日本@名無史さん:02/10/22 21:32
ちょっと議論がずれてきた。
もともとは、
>「金閣の上に鳳凰がある」→天皇を尊敬してた→皇位簒奪の意思無し
って話。
それに対して、「鳳凰があるのは義満は自分を天皇を模してたのでは」との話。
銀閣は金閣の物まね。
平等院鳳凰堂は、浄土を信じた頼通のもの。
道長・頼通親子は、天皇を模してた風もある。
あるいは、天皇権威はイコール自分の権威だから、
そうしたのかも。
>>149 そうだね。義満の新発明というところか。そう考えると、1F、2F、3Fが全部
違う様式でさらにテッペンに鳳凰を乗せる異様な建物全体が義満の新発明ということだね。
あるいみではムチャクチャだけど、それ以前のあらゆるものを超越した世界を創りたかった
という感じかね。
やりたい放題のハチャメチャ人生ということで、やっぱ大河ドラマには無理かもね。
深みが足りんな。
しかし、それにしても「全三層+鳳凰」がそれぞれ公家・武家・寺社・天皇を暗示してるんなら意味深だねえ。
当時、それらの全てを思い通りにできる立場にあった義満を見事に表してる。面白い。
158 :
日本@名無史さん:02/10/23 15:01
>>155さん
どういたしまして。
>>157 そうだね。
鹿苑寺は息子が規模を縮小させる前は、かなーりの大規模だったそうな。
政庁がおかれ、政治の中心となり、高級公家・上級武家が出入りしていた。
そこに金閣がその形式で立ってるというのは象徴的。
南北朝統一・有力守護の排斥からの自信の表れでないかな。
治天の君、義満の象徴だね。
159 :
日本@名無史さん:02/10/31 13:06
時代的には天皇の権威は相当落ちていたはずだから、義満が本気で簒奪を
目論めば、さほど労せずに簒奪出来たはず。
160 :
日本@名無史さん:02/10/31 13:12
南北朝期〜室町前期は、天皇の権力と権威がともに最低の時期でした。
鎌倉期から、天皇ご指名権は幕府のものだったけれど。
良く家出した天皇がいたな。出家じゃないよ家出だよ。誰だっけ。
161 :
日本@名無史さん:02/10/31 13:46
家出と出家を間違えると大変なことになるのでよいこのみんなは気を付けよう
「大変です、うちの子供が出家しました」
162 :
日本@名無史さん:02/10/31 17:15
>>160 後土御門天皇だっけ?
九代将軍足利義尚の実の父という話あるけど。
163 :
ちんこ音頭ファンクラブ:02/11/03 21:10
こんなの見つけました。間違っていたら直してくだちい。
「足利義満の椿踰(ちんこ)音頭」
(註:椿=皇位 踰=ぬすむ)
一つ、一人の天下人 山内、土岐も滅ぼした
二つ、二つの天皇家 だまして統一させました。
三つ、みてくれ鹿苑院、屋根の上には鳳凰が
四つ、ようこそ明国使、日本国王 源道義(げんどうぎ)
5つ、いつもの九重塔 塔の上から御所覗き
6つ、むりやり奪いたい 名目だけの天皇位
7つ、なんとかなりそうだ 公家も坊主も黙らせた
8つ、やったね後小松帝 我が子が天子に即位した(はい)
9つ、子供の元服だ 親王式で立太子(ソレ)
10で、とつぜん死んじゃった だけどもらえた上皇位
皇位もみもみ も〜みもみ〜 皇位もみもみ も〜みもみ〜
164 :
日本@名無史さん:02/11/03 21:33
165 :
名無しさん@踊らにゃソンソン:02/11/03 22:24
166 :
日本@名無史さん:02/11/04 01:31
167 :
日本@名無史さん:02/11/07 17:16
腐れ外道やなー
168 :
山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/07 21:16
>162
即位にはやたらと金がかかったらしいのに崩御時には金が無くて四十日以上
も荼毘に臥されることになった方ですね。
天皇家への援助をしないことで権威を下げるか・・・
170 :
日本@名無史さん:02/11/11 15:27
体面よりも大切なことがあるあそうなものだが、公家社会では
それがわからなかった。
171 :
事実上院政やんか:02/11/15 17:01
出家したから天皇家に援助もしない。
172 :
日本@名無史さん:02/11/15 21:10
当然の流れでしょう。もうちょいで天皇家は・・・(以下略
173 :
日本@名無史さん:02/11/17 15:18
足利茶々丸は能無しのかすだった。また、13代目将軍の足利義輝は
塚原ト全に師事。しかし、私は上泉伊勢守のほうがうまいとおもう。
ちなみにわたしは10代の若き青年歴史学マニア。
メールをまつ。
175 :
日本@名無史さん:02/11/19 16:03
茶々丸って関東のほうだっけ?義輝は歩兵のワザを習ってどうするんだろ・・・
176 :
日本@名無史さん:02/11/22 13:51
剣豪将軍として畳の上で死にました。
177 :
日本@名無史さん:02/11/30 00:42
茶々丸って人は一生茶々丸?義なんとかって名前はつけなかったのか。
178 :
日本@名無史さん:02/12/02 19:22
講談社の「再現日本史」シリーズで足利義満について特集している。
義満以降3代の将軍の顧問だった醍醐寺座主・満済の「満済准后日記」によると、
義満は金閣寺で明使を迎え、皇帝の詔を机上に置き、焼香、三拝したうえで、
ひざまずいて読んだそうだ。満済は、義満が「卑屈」だったと評している。
もっとも、明は九州に陣取っていた親王を日本国王と認めていたり、大内氏が
明から冊封を受けたりして国内統治に支障が出るのを防ぐ戦略だったという見方も
あるみたいだ。
貿易では、一回船を出しただけで年貢の数倍の収入を幕府にもたらしたそうだ。
179 :
日本@名無史さん:02/12/05 18:34
金閣の問題は2、3階は金箔なのになぜ1階だけが何も塗っていないのかということ。1階=寝殿造り=公家。つまり公家には金色なんてぬる必要ねーよってこと。(井沢論)にはどう反論しますか?ただ塗り忘れただけなんていう答えは不可。
180 :
せくはらだいまおう:02/12/05 19:10
>>179 白色=清浄・・・つまり公家は武士のようにケガレた存在ではない(井沢説を応用)
181 :
日本@名無史さん:02/12/05 19:46
1階は、実用に供するからじゃない?
金箔を押した床なんぞ歩いたら、一発で剥がれちゃうよ。
だいたい、金を多用するのは仏像なんかであって、
身の周りを金ピカにするのは下品だというセンスだったと思う。
182 :
日本@名無史さん:02/12/05 23:03
>>181 再建される前の金閣寺では、金箔ではなく「金漆」が用いられていました。
簡単に剥げるようなものではありまへん。
183 :
日本@名無史さん:02/12/05 23:11
>>179 なぜ、「塗り忘れ」「資金不足」「こころ変わり」なんて答えは不可なんですか?教えてたもれ。
184 :
日本@名無史さん:02/12/06 00:45
金閣のてっぺんの鳳凰は、中国に天子が出現したときに舞い降りる鳥だろ。
185 :
日本@名無史さん:02/12/06 13:51
183>>お答えしましょう。塗り忘れ=金閣といえば自分の権威の象徴みたいなもん。それをどうして塗り忘れるの?仮に塗り忘れても誰かつっこむでしょう。
資金不足=論外。もともと金閣は大宮殿。広さも豪華さも今からは想像もできないような規模。それを義持が壊しちゃった。金閣だけ残して。そんな大宮殿をたてた男。どうして1階だけを金箔で塗る財力がないといえる?
心変わり=よーく考えなさい。普通建物に色をつけるなら1階から順番につけていくでしょう。3階だけ色がないなら心変わりはわかる。でも1階ですよ。最初から色をつける気なんてなかったことが明確。以上。
>>184 鳳凰とは泰平の世をもたらす君主が現れた時に出現するという空想上の動物。
なお、麒麟も同様。
もっとも、金閣寺の鳳凰像は、足利義満を日本国王と認めた明の皇帝
(中国では皇帝の象徴は五指の龍)に遠慮したものだす。
187 :
建築史専攻:02/12/06 21:25
私がお答えしましょう。
>>185
塗り忘れ=義満といえば武家の分際で天皇になろうとしたトンデモ基地外。刃物(武力)を持った基地外に突っ込みを入れるなんて、
人間ワザではありません。みんな気づかないフリをしていたのでしょう。
資金不足=大事業であればあるほど、資金不足が原因で計画が一部変更されるのは今も昔も同じ。義持が金箔のない1階部分を有する
金閣だけ残したのは、計画変更を余儀なくされた義満の不様さを後世に伝えるためだったと思われます。彼は弟に家督を譲ろうとした
義満をひどく恨んでいたからです。
188 :
建築史専攻:02/12/06 21:28
(承前)
心変わり=小学校の図工の時間をよーく思い出しなさい。建物の1、2階を塗った後に屋根を塗ったところ、
絵の具が流れて壁や窓が変色したイヤな経験は貴方にもあるはず。建物の上階から順番に内装・塗装して
いくことがないとはいえず、1階に来て気が変わったとしても不合理はありません。
>>183
以上のとおり、いずれも可能性がないとは言いませんが、不正解。正解は「単なるケチ」。
公家との関係云々は付け足しで、人の出入りが頻繁で傷みやすい1階部分に金をかけるのはもったいない、
これです。補修費用だってバカになりませんからね。
以上、半分マジレス半分ネタレスでした。
189 :
日本@名無史さん:02/12/06 21:57
もしかして、185=187,188の自作自演?
190 :
建築史専攻:02/12/06 22:26
>>189
違います。185みたいな低能と一緒にしないでくれ。大学院修了なんですよ。
191 :
日本@名無史さん:02/12/06 23:03
大学院修了って<藁
こんなトコで油売ってないで日本の将来についてしっかり研究してくれや。
192 :
日本@名無史さん:02/12/07 00:08
あげまん
193 :
日本@名無史さん:02/12/07 00:15
>>179 お前はどう反論しますか?正解キボンヌ。
194 :
日本@名無史さん:02/12/07 01:02
179敵前逃亡につき、金閣寺金箔問題はこれにてシューリョー。お疲れ様でした。
195 :
日本@名無史さん:02/12/07 01:27
天皇は万世一系
オマイラそれを汚すんだな
通報します
196 :
日本@名無史さん:02/12/07 02:43
私、天皇になりたいなどと思ったことはありませぬ。
ただ、天皇より格上の日本国王になりたいだけでございます。
197 :
日本@名無史さん:02/12/07 10:39
普通飾りは上にするものじゃ。安土桃山の金箔の瓦みたいに。
遠くからも見えますし、周囲の人が見上げる形になるから。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/07 10:51
最近は清和源氏が、本当に皇族から分かれたのか疑問視する説が強まってるね。
清和源氏の初代、経基と、2代目、満仲の生年の順序が
逆の可能性が強いという...
つまり、子供のほうが父親より年上という、変な説が...
199 :
日本@名無史さん:02/12/07 11:19
義満の頃は民衆レベルにまで天皇の権威はいきわたっていなかったと
思うし、公家は公家で天皇の身近にありすぎるから義満が脅迫・懐柔
すれば義満の皇位簒奪に賛成したかもしれない。
当時頑固な天皇制支持勢力があったとすれば武士階級。足利王朝の
専制を防ぐという現実的な利益もあったし。
義満が簒奪をほんとうにやったとしたら有力守護大名の離反で失敗
しただろう。
>>199 その前に、すでに、有力守護大名を倒して殺しています。
201 :
日本@名無史さん:02/12/07 11:39
義満が日本国王になりたかったのは、有力守護大名がウザかったせい。
守護大名の勢力均衡の上に地位を保つ将軍て仕事に嫌気がさしてたんじゃないのかな。
202 :
日本@名無史さん:02/12/07 11:41
有力大名を倒したといっても、他の有力大名を使って倒しただけ。足利将軍
は有力大名の合議制の頂点に立っているというのが本質、義満が彼だけの
力で皇位につけるものではない。だから彼が死んだらすべてご破算になった。
203 :
日本@名無史さん:02/12/07 12:27
もし本当に皇位を狙っていたら、息子で6代将軍となった
足利義教が義満よりももっと強引な形で皇位を簒奪してると思うけど、
その形跡が見当たらないんだよね。
むしろ天皇を前面に出して綸旨の復活とか、南朝皇族からの皇位継承権の
否定宣言しているし・・・
204 :
PURE-GOLD:02/12/07 12:49
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205 :
日本@名無史さん:02/12/07 13:19
義満と義教の仲が悪かったのは有名。
親への敵討ちのように、公家と距離を置き、武家政治を行っている。
もっとも、天皇へ武家奏上権は握ったままだったかな?
明への朝貢も、一時止めてたような。
206 :
日本@名無史さん:02/12/07 13:23
207 :
日本@名無史さん:02/12/07 13:33
義満には皇室乗っ取り・皇位簒奪の意図はありませんでした。
当時、皇室は表面上は両朝統一したものの、一部の南朝皇族が依然反抗を継続しており、
いわばお家騒動状態。公的立場では政治上の実権はなく、また、私的立場でも荘園経営は
困難の度を深めるばかりで経済的実利が急速に小さくなっていったと考えられます。
こんなやっかいな家を乗っ取って皇位に就いても旨みがない。義満はそう思ったことでしょう。
208 :
日本@名無史さん:02/12/07 23:16
皇位そのものには野心はなくとも、義満が天皇を超える権威を欲していたのはほぼ間違いなく、
それが日本国王だったのでしょう。
ただ、義満を日本国王に任命してくれる人が日本国内には見当たりません。しかたなく、世界の
大国である明の皇帝から任命されたことにして体裁を整えたのです。
義満の死後、義持は将軍職をコケにするような日本国王を気取っていた父義満に対する反感もあって、
義満をたたえるような朝廷からの贈位も辞退し、義満のお気に入りであった弟も禁固します。
義満の夢は一時中断しますが、義持の死後、後を継いだ義教が将軍専制を行おうと努力したわけであり、
義満の遺志は形を変えて生かされたというべきでしょう。
209 :
日本@名無史さん:02/12/07 23:31
奈良・平安の朝廷は決して天皇独裁ではなく、鎌倉以後の武家政治も、頼朝の独裁を除けば合議制が原則です。
鎌倉中期以降北条氏独裁になったことに対する御家人の不満が鎌倉幕府崩壊の一因ですし、建武新政が挫折した
のも後醍醐親政の天皇独裁の印象が強すぎたせいでした。
このような前例を知りつつ、専制権力を求めた義満・義教は、懲りない実験者として評価されるべきでしょう。
わしって何のために生まれたんやろ?・・・・・・・・・・
甥よ、将軍になれただけでもマシ。わしなんか宮中で元服まで
させてもらったのに、その後サッパリや。
抽選(籤)なんかで将軍になれなかったワシなんか(以下略…
213 :
日本@名無史さん:02/12/13 22:34
義満を題材にしたテレビドラマ見たいなぁ
>>212 おぬしは吉野の後南朝小倉宮から綸旨をもらっていたくせに、しらじらしい。
215 :
日本@名無史さん:02/12/29 22:02
まあ、足利義満による皇位簒奪が成功しようと失敗しようと、
足利将軍家と天皇家の外戚だった日野一族は安泰って事だね。
216 :
日本@名無史さん:02/12/29 22:24
>>198 清和源氏は本当は陽成源氏である、という説があるそうだ。
陽成天皇は正真正銘の基地外だったので、子孫(誰かは忘れた)が、それでは外聞が悪いと
系図を捏造したのだとか。
217 :
日本@名無史さん:03/01/11 00:03
その説は近年否定されてるんじゃなかった?
「日本国王」号は皇位とは何の関係もないよ。
明国皇帝の臣下であることを意味するのみ。国内政局においては何ら影響は無い。
日本の伝統君主である天皇位と支那から与えられた称号「日本国王」に上下関係も相関関係も無い。
(ただし明に対する代表権(外交権)は幕府側が朝廷から摂取したことになる)
そもそも東洋における「王」は西洋のキングと違い国家元首のことではなく、皇帝の下の位でしかない。
明から見れば、日本を代表して朝貢してくる者が一本化さえしてくれれば(そいつがその国で実際に
君主であろうとなかろうと)その者に「日本国王」号を与え、倭寇取り締まりを要求し貿易を許可しただけ。
だから義満の前に征西将軍懐良親王にも「日本国王」号を与えている。しかし懐良親王がそれをもって
国内の内乱で有利になったということは全くない。
あくまで対外代表権である「日本国王」号など、国内政局においては何の価値も無いから。
義満が国王号を受けたことへの公家・僧侶の批判は天皇を差し置いて国王となったことに対して
のものではなく、明皇帝の臣下になったこと(聖徳太子以来日本は建前上は大陸とは対等通交
であるべきだったのに)に対してのもの。
義満が自分の息子義嗣を皇室の猶子として送り込むという形で天皇「家」に介入しようとしたのは
事実だが、それと日本国王号は全く関係がない。
>>71が正解。
まーたとえて言うと、今度できた保守新党。
保守新党の「顔」であり、大臣として党を代表して小泉首相に任命されているのは扇千景。
でも、保守新党の内部での代表は熊谷弘。
保守新党の中では、いくら「党の顔」だの「現職大臣」だの言ったところで、それにより党内
発言権が増すというわけではなく、あくまで党の役職によって発言力が左右される……
みたいなもん。この場合、小泉=明皇帝、扇=日本国王、熊谷=天皇ってことね
(^^)
なるほど、実質、今谷説はあまり信じる要素が少ないのですか?
222 :
日本@名無史さん:03/01/15 01:26
日本国王になれると思って調子こいた義嗣が貧乏くじ。
223 :
日本@名無史さん:03/01/15 01:31
無理解にもほどがあるw
(^^)
225 :
日本@名無史さん:03/01/16 21:06
226 :
日本@名無史さん:03/01/16 21:08
227 :
日本@名無史さん:03/01/24 19:41
足利ある
228 :
日本@名無史さん:03/01/24 19:49
今谷説の最大の弱点は、徳川秀忠が死んだ時、明正天皇の「祖父」だということで
朝廷内で大上天皇の尊号を贈ろうとした点だね。
(「徳川実記」寛永9年二月ノ条 など)
ま、史料の信憑性がどうだらって事でその点はごまかしてるけど。
>>228 徳川秀忠―東福門院和子―明正天皇
ということは、
足利義満―後小松天皇―称光天皇
という伝説は事実だと暗示してるのかな?う〜む……
230 :
日本@名無史さん:03/02/02 13:31
大上ではなく太上天皇だろ?
231 :
日本@名無史さん:03/02/03 16:54
称光天皇って、内裏で自殺未遂をした方でしょうか?
教えてチャンで申し訳ないけれど、ご存じの方が
いらっしゃいましたら、ご教授お願いします。
233 :
日本@名無史さん:03/02/03 19:23
>>232 教えてくれてありがとうございます。
称光天皇の子孫が皇位につかなかったことだけは
覚えていましたが、それとごちゃ混ぜにして
いました。
恥ずかしいので、逝ってきます。
234 :
日本@名無史さん:03/02/14 16:37
妻帯はしたんですか?
235 :
日本@名無史さん:03/03/01 18:01
どうせすぐ終わるんじゃないか?
236 :
みんな潤タンを語ろう!情報公開OK:03/03/11 03:28
松原 潤ちゃん
福岡猫虐殺男 あれからもうすぐ一周忌!
有罪被告=広島県呉市焼山西三丁目
(父親は呉市内で小学校の教頭をしてるよん)
昭和五十年生まれ
最終学歴 九州大学工学部卒
猫虐殺現場
福岡市東区松島2−11−57
博石コーポ 408号
逮捕後引っ越す
*潤タンに覚えがある人はお気をつけあそばせ!
237 :
日本@名無史さん:03/03/22 02:00
徳川秀忠―東福門院和子―明正天皇
ということは、
足利義満―後小松天皇―称光天皇
という伝説は事実だと暗示してるのかな?う〜む……
238 :
天皇いらん:03/03/23 03:08
歴代日本国王一覧
初代 足利義満
2代 徳川家宣
3代 徳川家継
239 :
日本@名無史さん:03/03/27 22:51
4代 小泉純一郎
240 :
日本@名無史さん:03/03/29 16:28
彡ミミミヽ ノ彡ミミ)))
((彡ミミミミ)(彡彡)))彡)
彡彡゙゙゙゙゙"゙゙" """"ヾ彡彡))
ミ彡゙ .._ _ ミミ彡
ミミ彡 '´ ̄ヽ '´/ ̄ ` ,|ミ)))
ミ彡 ' ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ))
((彡| | | ` |ミ彡
(彡| ´-し`)\ |ミミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゞ| 、,! 」 |ソ 漏れわ足利義満の生まれ変わりだが、何か?
ヽ '´ ̄ ̄ ̄'ノ / \_________________
/⌒ \____/ ⌒\
\ / ¬ \ / ̄ ̄ヽ
\ /⌒⌒ヽ / \
\ ・ | \ ( 人 ) / ヽ
\ / ゝ ヽ \ / |
\ |;; | \/ | |
\ l |;; ;;; |\__/ | |
\ ̄ ―|;; ;;; |-/ | |
\ |;; ;;; |/ | |
\ |;; | |/ | |
| |; ;; ;;| /| |
;; / |
\ / ;; /
241 :
日本@名無史さん:03/03/29 19:23
天皇教の幻に入り込んでる人って多いな。
242 :
日本@名無史さん:03/03/29 21:33
応援してるっす>>足利義満
243 :
日本@名無史さん:03/03/30 22:04
天皇は万世一系
オマイラそれを汚すんだな
244 :
日本@名無史さん:03/04/01 02:15
私、天皇になりたいなどと思ったことはありませぬ。
ただ、天皇より格上の日本国王になりたいだけでございます。
245 :
日本@名無史さん:03/04/01 02:36
万世一系なんて明治人にとっては流行語
246 :
日本@名無史さん:03/04/04 00:14
結局、日本において最高の権限者は天皇ていうことだろ。世界的に独裁国家と変わらない。
だから”天皇制(エセ象徴)の廃止”を求めているの
247 :
日本@名無史さん:03/04/05 19:44
永楽帝が足利義満を「日本国王」に任じたのは、
建文帝と南朝系勢力とつながっていたことが深く関係している事は
あまり知られてないんですか?
248 :
日本@名無史さん:03/04/05 19:50
熊沢天皇マンセー。
249 :
日本@名無史さん:03/04/05 23:15
足利銀行へ
250 :
日本@名無史さん:03/04/09 00:52
永楽通宝金銭、欲しい!!
251 :
日本@名無史さん:03/04/13 02:45
|
ヽ _____,.............._
\ ,.-'"::::::::::::::::::::::::::::::::.ヽ
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
./::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::i
.i ,;il||||lli;, ,;il||||||||||lli;,. :::::::::::::::l
{ ,., " ,., ::::::::::::::::}
ゝ,tiiilllli;, ,tiill|||lli;, ..:::::::::::::::::}
丶.i'°i' i i'° ) ..:::::::::::::::::/
チ――― 〉.ゝ-'_,.l ゝ--' ::::/⌒ヽ/ ―――ン
l (_ " 6 ,ノ
ヽ ,‐‐‐‐、 ,'-‐
ゝ, ゝ__,ノ ,. }
丶、_‐ _,...-',-'"~ヽ、
,.-'" .l ̄ ̄./ >ヽ
/ .{ ヽ / / \
/ i' / / ヽ
/ \ / / .ヽ
./ / / }
.l ! / / }
i | / / }_
.| .i/ / 丿 -,
(^^)
253 :
日本@名無史さん:03/04/19 17:35
天皇教の幻に入り込んでる人って多いな。
254 :
日本@名無史さん:03/04/19 17:37
>>253 まあそういうことだ。
天皇家直系の承子さまに比べれば、
義満ごとき傍系はゴミってことだな。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
256 :
日本@名無史さん:03/04/27 14:38
早くのっとれ!
257 :
日本@名無史さん:03/05/01 12:01
>>247 明の功臣、胡惟庸は太祖に謀反を企てる際に、
当時九州に勢力を張っていた懐良親王に援軍を要請している。
更に時代を下って義満は靖難の役の真っ最中に、
使者を明に遣わしているが、
建文帝が戦勝した場合と永楽帝が戦勝した場合の
二種類の国書を持たせている。
成祖は鄭和の南海航海に代表されるような
海外政策に積極的だったので、義満の申出を、
快く引受けたと思われる。
258 :
日本@名無史さん:03/05/10 15:35
足利義満役を誰が演じるとしたら誰がいいと思うか?
>>258 中村雅俊なんかどうだ?
ただ垂れ目だからという理由しかないんだが
260 :
日本@名無史さん:03/05/10 19:41
↑それもいいが、もうちょっと威厳を感じさせるような人がいいな。
261 :
日本@名無史さん:03/05/10 20:57
262 :
日本@名無史さん:03/05/11 15:00
アニメの一休さんの登場人物は何で関西弁じゃないんだ?
あの時代は方言とか無かったのかな?
264 :
日本@名無史さん:03/05/22 08:41
アニメの一休さんでは足利義満の声はキートン山田だったな
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
266 :
日本@名無史さん:03/05/29 00:16
267 :
日本@名無史さん:03/06/12 20:47
268 :
日本@名無史さん:03/06/28 00:09
269 :
日本@名無史さん:03/07/08 01:03
270 :
日本@名無史さん:03/07/08 15:56
足利義嗣が天皇になっていればなあ。惜しいなあ。
271 :
日本@名無史さん:03/07/08 16:11
272 :
日本@名無史さん:03/07/08 16:34
>>271 間違いじゃないよ。天皇でいいんだよ。
ああ、足利義嗣が天皇になっていればなあ。惜しいなあ。
273 :
後亀山上皇:03/07/08 16:50
>>272 まことに惜しいのう。
足利義嗣なる自称「天皇」が出現すれば、さぞかし笑いものになって
いずれは皇家の正統たる朕が再び返り咲いたであろうに。
惜しい。
274 :
日本@名無史さん:03/07/08 17:01
後村上・長慶・後亀山の3代は歴代天皇から排除すべきだ。
真の正統な天皇は北朝である。
96代 後醍醐院
97代 光厳院
98代 後醍醐院(重祚)
99代 光明院
100代 崇光院
101代 後光厳院
102代 後円融院
103代 後小松院
104代 称光院
276 :
日本@名無史さん:03/07/08 18:17
>>274 しかし、足利尊氏は一旦は後村上天皇に投降してるから、この方が正しくね?
96代 後醍醐院
97代 光厳院
98代 後醍醐院(重祚)
99代 光明院
100代 崇光院
101代 後村上院(南朝)
102代 後光厳院
277 :
日本@名無史さん:03/07/09 01:41
ああ、足利義嗣が天皇になっていればなあ。惜しいなあ。
278 :
日本@名無史さん:03/07/09 01:44
>>276 うっ、一理ある・・・。
正平の一統をどう扱うかは、難しい問題だな。
崇光院と後光厳院の間の空白期間は、
やはり後村上が在位していたことになるのか、どうか・・・?
279 :
日本@名無史さん:03/07/09 18:28
南北朝があるということは東西もあるということなんだよね。
280 :
日本@名無史さん:03/07/10 01:11
>>279 東朝と西朝では誰が天皇をやっていたの?
281 :
日本@名無史さん:03/07/10 08:09
九州を席巻する勢いだった南朝方のシンボル・懐良親王が日本国王に封じられて
いるのを知らされて驚いた義満が、「華夷秩序における日本という国家の在り方」を
考える必要に迫られて“新しい支配者像”の絵を描いたんじゃないの?
「南北朝のゴタゴタは、もとをただせば国体という体(てい)に固執するからおこる
トラブル。天皇の位も、もとをただせば中華帝国の天子の擬似ブランド。
律令制度はすでに形骸化しており、天皇もいまや京文化の象徴にすぎない。
だったらおれが…」と考えたのだとしたら、スゴイ人。
でも、皇国史観にしがみつきたい輩がいまだに多い日本では、これからも
過小評価され続けるだろう。
282 :
日本@名無史さん:03/07/10 09:27
>281
というより自分より天皇のほうが権威があるというのが、
不自然だと思っただけじゃないの?
南北朝時代の天皇たちを尊敬しろというには無理がある。
>>282 朝鮮がそうしたように、
“中華思想のヒエラルキーにズッポリはまることの快適・安心”を義満は
優先したかったんじゃないかな。そのためには、天はひとつでイイ… と。
>>281がいう日本国王・良懐に対する焦燥・嫉妬は確かに作用したと思う。
今川了俊が明帝国→良懐への使者を捕らえたときの幕府・北朝方のショックは
すごいモノがあったようだ。
284 :
日本@名無史さん:03/07/10 18:44
>>281,283
「華夷秩序における日本という国家の在り方」?
「中華思想のヒエラルキーにズッポリはまることの快適・安心」?
何勝手なことほざいてんだよ
義満が「臣」を名乗ったのは貿易で儲けるために名を捨てて実をとっただけのことだろ
おまえらの思い込みと願望を義満に反映させるなよボケ
だいたい良懐って誰だよwww
285 :
日本@名無史さん:03/07/10 18:50
「日本国王良懐」の正体はふつう懐良親王とされてるけどねえ。
286 :
日本@名無史さん:03/07/10 19:03
良懐は懐良親王だよ。つうか、そんなことも知らずによく語れるな、284は。
まず検索ぐらいしてみろよ、バカの標本。
バカの標本って…
仲良くやろうよ!
>>284 いまググって勉強中か? バカの標本。
華夷秩序うんぬんをどれだけ意識していたかは解らんが、
義満が当時流の国際感覚(東アジア限定にしても)を持っていたのは間違いない。
懐良親王の明入貢→国王任命は、南朝の正当性に明がお墨付きを与えたと
捉えてびびったんだろうね。事実は、明にしてみれば「九州の実力者に倭寇の
取り締まりを頼みたかった」ゆえの抜擢なんだけど。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
290 :
日本@名無史さん:03/07/18 23:05
291 :
日本@名無史さん:03/07/20 13:42
室町幕府では一番安定していた頃だね
292 :
日本@名無史さん:03/07/25 00:04
義満最強!
293 :
日本@名無史さん:03/07/30 21:17
294 :
日本@名無史さん:03/08/01 00:22
オイラ足利義嗣の子孫、つまり日本国王家の末裔。
295 :
日本@名無史さん:03/08/01 07:17
足利義嗣が天皇になっていればなあ。惜しいなあ。
(^^)
297 :
日本@名無史さん:03/08/02 03:05
義嗣に子供はいません。
298 :
日本@名無史さん:03/08/06 02:20
299 :
日本@名無史さん:03/08/06 07:06
>>263 当時は畿内が日本の中心地帯であるから、
畿内の言葉を現代の標準語に訳したと考えれば別に矛盾はないね。
昔も当然、標準語や方言はあったけど、畿内が日本の中心地帯であった以上、
畿内の言葉が標準語で関東の言葉が方言だったんだしね。
実際、「アズマ言葉」を喋る人間を笑い物にした記録や短歌も残ってるほどだ。
ついでにもう一つ言うと、現代の関西弁は近代に元の言葉が崩れてできたもので近代発祥の物ではかないんだけど。
300 :
名無しさん:03/08/06 10:39
なんで、彼をNHKは大河の主人公に起用しないのだろう?
京都の時代祭でも、何故か室町時代だけが、行列から外され
てるし。やはり、右翼が怖いんだろうな。国賊を主役にする
と。時代祭は尊氏や、世阿弥は登場される方向で、京都市も
検討しているらしい。ただ、やはり義満は無理だろう。なに
しろ、皇位簒奪未遂の大国賊だから。尊氏はまだ、後醍醐帝
の政治から世を救ったとして、武士からは絶大な支持を得て
いたが、義満は後円融上皇の侍女は奪うは、拝賀の儀や、祭
祀まで、我が物顔でやるは、調子に乗りすぎたからな。
301 :
日本史博士@:03/08/06 12:39
義満は皇位簒奪未遂という、歴史上類を見ない
謀反を図ったのだから、時代祭は無理でしょう。
確かに、義持の立太子には成功したわけだが、
そのわずか10日後には急死してます。都合
がよすぎです。毒を盛られたのでしょう公家
に。太上法皇の宣下も異常です。国賊にそん
な称号を送らねばならなかったのは何故か?
それは無念の変死を遂げた義満の怨霊を封じ
る為に相違ないでしょう。義持も金閣だけは
破壊せずに残してるし、これも怨霊を恐れた
のでしょう。日明貿易まで潰してるのに。(
W 後円融上皇なんか、侍女を寝取られたショ
ックで、侍女をみね打ちにした挙句、自殺未
遂まで起こしているし、義満の死を願わない
者など、皆無だったと言えましょう。
302 :
日本@名無史さん:03/08/06 12:47
>義満の死を願わない者など、皆無だったと言えましょう。
そんなことは無い。
義満に付いて得をした人も居る。
例えば、陰明師の土御門家は、堂上家へ家格を引き上げてもらっている。
303 :
日本@名無史さん:03/08/06 16:13
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
..iiiiiiiiiiiii》| ::: |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ● ● ) .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii|
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305 :
日本@名無史さん:03/08/06 19:29
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308 :
日本@名無史さん:03/08/07 00:37
義満を始末したのは義持
310 :
日本@名無史さん:03/08/07 09:14
ぼるじょあって何者?
311 :
日本@名無史さん:03/08/07 09:16
曲者
312 :
(-_☆):03/08/07 16:21
>>300 皇位簒奪計画遂行の段階で皇后をレイプし子供を生ませたり、皇族を次々と暗殺して
事実上、北朝を密かに滅亡させて乗っ取ろうとした。
これによって始まった足利天皇家は幕末まで続くわけだが、事情を知っていた徳川家は
皇室をあからさまに冷遇し、徳川時代の天皇は食事に腐った魚などを出さねば成らないほどの
窮状に追い込まれ続けた。
現在の皇室は、その義満に抵抗した南朝の末裔として明治維新のドサクサに復権した王朝だから
冷遇して当然!!
というのが私の考え。
313 :
日本@名無史さん:03/08/07 16:35
314 :
日本@名無史さん:03/08/09 21:32
【皇位】そろそろ足利義満について語ろうか【簒奪】
315 :
日本@名無史さん:03/08/14 22:03
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
317 :
日本@名無史さん:03/08/16 00:22
318 :
日本@名無史さん:03/08/20 20:38
319 :
日本@名無史さん:03/08/29 20:00
320 :
日本@名無史さん:03/08/30 16:05
平成の今だって神社の鳥居に小便引っ掛けたり、おふだを土足で踏んづけることに
バチがあたると思う人が多いだろう。中世はもっと極端に神とか仏の力が民百姓の
日常を支配していた。公家、武家を含め民百姓にとって天皇はその神々の中心、
いな神々よりも上の存在として意識されていた。世俗権力の強弱を超越した異次元
の存在なのだ。だから臣下は侵すことができない、侵したらバチがあたるから。
321 :
日本@名無史さん:03/08/30 16:59
>>320 それを簡単に侵してしまった足利義満は偉大な君主として崇敬されました。
太上天皇号の宣下はその表れです。
322 :
日本@名無史さん:03/08/31 18:24
今更ですが今スレ読んでたら気になったもんで・・・
>塗り忘れ=義満といえば武家の分際で天皇になろうとしたトンデモ基地外。刃物(武力)を持った基地外に突っ込みを入れるなんて、
人間ワザではありません。みんな気づかないフリをしていたのでしょう。
ん?
>>185は金閣寺建設中に他の職人が壁を塗り役の人に誰かが突っ込むっていみじゃねーの?
刃物(武力)を持った基地外にこれが気づかれたとき一番立場がやばいのは職人だし。
だからミスがないよう見直したとき一階だけ塗り忘れられてたことに職人が気づかないとは考えられにくい。
>資金不足=大事業であればあるほど、資金不足が原因で計画が一部変更されるのは今も昔も同じ。義持が金箔のない1階部分を有する
ある意味自分の権力を誇示するために造られてんのに資金不足で計画変更って・・・
仮にも時の権力者だぞ。
>心変わり=小学校の図工の時間をよーく思い出しなさい。建物の1、2階を塗った後に屋根を塗ったところ、
絵の具が流れて壁や窓が変色したイヤな経験は貴方にもあるはず。建物の上階から順番に内装・塗装して
いくことがないとはいえず、1階に来て気が変わったとしても不合理はありません。
心変わりも何も最初から、1階=寝殿造り=公家。つまり公家には金色なんてぬる必要ねーよってことって計画だったんじゃない。
323 :
日本@名無史さん:03/09/03 20:30
ちんこの大きさが気になります。
324 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:32
325 :
日本@名無史さん:03/09/18 01:34
326 :
日本@名無史さん:03/09/20 23:01
>>320 当時の日本の信仰は民間信仰と天皇家の祖先神信仰がまだそれほど融合さ
れていなかった時代。
公家とかにとっては天皇は間違いなく伝統的な神道の中心ではある。
しかし、民百姓レベルではそうではない。
天皇が土着の神々の中心という思想が一般的ということはありえない。
第一、神道に目を向けてもどうやれば天皇が天照やイザナギより上位って思想に行き着くのか。
明治期に国教化を目指した国家神道でもおそれ多くてやってないのでは。
それに、天皇が出家したりする伝統的なことから、仏よりも下ということは明らか。
327 :
ty270410:03/09/20 23:31
義満は「公家」と「武家」を統括する地位にあると自認していたのでは,
ないでしょうか?
極めて革新的な考えを持ち,従来の権威や因習にとらわれない人物だったと
私は思います.
「公家」の統括者は「天皇」,「武家」の統括者は「将軍」
これら二つを統括する「日本国王」を自認していたと考えられないでしょうか?
ただ,時代の制約があり,その表現がうまくできなかったのでは・・・・
前の時代に「公家」では,「天皇」の上に「治天の君」として「上皇(院政)」が
ありました.「武家」でも「執権」の上に「得宗」がありました.
それらにならって「天皇」と「将軍」の両方の上に立つ地位を獲得したと
思われます.しかし,上記のように時代の制約,知識の未熟のせいで
うまく表現できず,「日本国王」として振舞っていたのでは,ないでしょうか?
そう考えると義満の行動がよく説明できるように思いますが,いかがでしょう?
義満は革新的な考えの持ち主でしたが,後継者は伝統にとらわれて,義満の
思想を理解できず,旧習にもどったと考えられます.
328 :
日本@名無史さん:03/09/21 04:43
>>327 地位の獲得とその誇示をあきらめたから「日本国王」…?
その時点で明帝国のほうに目を向けたというの?
義満を日本国王と封じているのは明皇帝だろ?
329 :
日本@名無史さん:03/09/21 07:37
>>327 現実問題として義満が自らを「治天」に擬していたことは確かだろうね。
「日本国王」という称号がその表現と言えるかどうかは難しいが・・・
330 :
日本@名無史さん:03/09/21 18:26
少なくとも義満って今で言うところの日本元首。
331 :
日本@名無史さん:03/09/21 20:36
足利義満が事実上法皇になってから織田信長が天下をとるまでのあいだは、
歴代の室町殿が「日本国王」だと言って間違いないだろうな。
「日本国皇帝」と言ってもいいが。とにかくそういうもの。
332 :
日本@名無史さん:03/09/22 00:46
333 :
日本@名無史さん:03/09/22 00:49
>>331 違うよ。「王」ってのは、シナでは皇帝よりずっと格下。
334 :
日本@名無史さん:03/09/22 03:04
そういえば、殷の湯王・紂王や伝説の聖王にも近く、日本の神武帝のような禹王なんかは「王」でしょう。
何で「王」の地位が下がったのだろう。
335 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:14
336 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:31
>>333 古代の中国でどうだったかなんて知らんよ。
現代の日本では皇帝も国王も似たようなもんだろ。
日本では「王」なんて古代に消滅しただろう。
338 :
日本@名無史さん:03/09/22 15:22
東久邇宮稔彦王とかいたじゃん
339 :
日本@名無史さん:03/09/22 18:24
340 :
日本@名無史さん:03/09/23 06:37
341 :
日本@名無史さん:03/09/26 20:42
公私共に日本一の思いつき男
342 :
日本@名無史さん:03/09/27 04:30
343 :
日本@名無史さん:03/09/27 17:45
仮に義満が長生きして義嗣を天皇にしたとしても、要するに足利天皇家と
足利将軍家の2つに分かれるだけで、天皇的権威と将軍的権威(権力)の
統合はできないだろう。義嗣と義持はもしかすると血で血を洗う対立に
陥っていたかもしれない。
同じ人間に将軍と天皇の位を兼ねさせて、それが代々継承されたならば
新しい種類の権力ができていたかもしれないが、ちょっと中途半端な感がある。
344 :
日本@名無史さん:03/09/27 17:54
義嗣は天皇家を継ぐのではなく、義満が新設した日本国王家を継ぐのだから問題ない。
ただし、義満の構想が国王>天皇・将軍だったとしたら、将軍家を継いだ兄貴の義持は
面白くないかもしれない。
345 :
日本@名無史さん:03/09/27 18:09
>>344 そうだろうか?
義嗣は天皇から譲位されるわけだから、天皇制がそれまで持っていた
役割を継承するだろう。
つまり、官位の発給などは従来の朝廷が行っていたように行われたのでは
ないか。
そうすると、官位を与える立場の足利家と、それを受ける足利家とに
分かれることになるだろう。つまり徳川家が直面したような(あとで
「大政奉還」になったような)2種類の権威の分裂は克服できなかった
と思う。
346 :
日本@名無史さん:03/09/27 18:52
将軍の父となった義満が次に望んだのが、公家集団のトップである天皇の父の地位で
あったことは間違いなかろう。周囲もそれに気づいていたわけで、彼の死後には太上
天皇を贈ることが論議されたのであろうが、天皇の父イコール上皇ととらえるところが、
当時の貴族たちの発想の限界といってよい。
義満の「日本国王」は、天皇・将軍といった既存の権威を超越したものではなかったか。
生まれながらの将軍で、勝手気ままのワガママ人生を送ってきた義満には、ある種自由な
発想ができる能力があったと思う。まあ、単なる気まぐれともいえるが・・・
もっとも、日本国王の実体というか具体的権能となると全く見えてこない。天皇や将軍、
摂関との関係もわからない。これまた、金持ちのボンボンにありがちな粗雑さといえよう。
ただし、オレは義満が好きだ。パーティーかなんかで彼の自慢話ホラ話を聞いてみたい。
この手の人間は、ギャラリーが多いほどハッスルするものなのだ。
347 :
日本@名無史さん:03/09/27 19:03
>>346 天皇の妃とおまんちょやったとか言い出しそうだな。マジで。
個人的には、義満って自分の後のことはあんまり考えてなかった人間のような気が。
義嗣のことにしても、なんか「日本国王」の体制を考えてるというよりも、
単に「今の俺って、こんなこともできるんだYO-」的な感じでやってるようにしか見えない。
>>344 義嗣の系統が日本国王家、義持の系統が将軍家とかいうことになったら、
仮に体制が確立したとしても、足利家の内部事情のせいで随分と不安定な代物になりそうだねえ。
関東も混じってきたりして、かなりややこしくなりそう。
349 :
日本@名無史さん:03/09/29 23:51
>>334 始皇帝が、それまでの「王」よりも更に上の地位として
「皇帝」という称号を名乗ってから、相対的に王の地位は下がった。
シナでは王なんてのは皇帝よりもずっと下位。
日本でもそれは同様。
親王は天皇より上位を意味しない。
六孫「王」とか以仁「王」なんかは親王にすらなれなかった皇族。
王の意味が向上したのは西欧のKINGの翻訳として「王」が宛てられてからの話だろう。
よって、室町時代には
天皇>>>>>>>>日本国王
という認識が普通。
義満がこれを名乗ったからということで、天皇位を窺っていた証明にはならない。
351 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:21
日葡辞書によれば、少なくとも戦国時代には天皇のことを「王」と呼んでいたのは確実だけどな。
それが中世人の認識。
352 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:33
kingと日本国王も同じようなもんだろ。
明から見た日本国の頂点が日本国王。
軍事・政治・外交のトップだったら元首だね。
353 :
日本@名無史さん:03/09/30 22:09
日本国王といっても当時の人たちにはピンとこなかったろう。
そのことを知った義満は明を相手に日本国王を名乗ったわけだ。
見方によっては、一種の高等オナニーともいえよう。
友達がいない、一人でボケとツッコミをやらざるを得なかった男の悲惨な姿かもしれない。
天オタ、必死だなw
355 :
日本@名無史さん :03/09/30 22:25
>>353 >日本国王といっても当時の人たちにはピンとこなかったろう。
おひおひ、義満は「日本国王」と名乗ったことで公家衆から猛烈に非難されてるじゃん。
それで年号を「洪徳」というのにしようとしたのがあぼーんされてるし。
356 :
日本@名無史さん:03/10/01 03:57
>>353 ちんこの大きさが気になります
ちんこの匂いも嗅ぎたいです
アナタオカシイネ
358 :
日本@名無史さん:03/10/08 22:36
359 :
日本@名無史さん:03/10/08 22:44
>>355 >おひおひ
日本史板の住民が旧仮名間違えちゃいかんね
国外の権威を利用して、天皇権威を相対化しようとしたと聞いたが?
>それで年号を「洪徳」というのにしようとしたのがあぼーんされてるし。
お返しに、天皇家の改元の権利を停止させたけどね。
意地で改元を認めず応永だけを34年間!w
子どもっぽいのか、天皇権威剥奪策の一つなのか。
361 :
日本@名無史さん:03/10/08 23:34
>>355 ちんこの大きさが気になります
ちんこの匂いも嗅ぎたいです
ちんこ厨はカマでも掘られたいわけかい?
363 :
日本@名無史さん:03/10/11 20:09
ちんこの大きさが気になります。
漏れは肛門の締まり具合の方がよほど気になるが?
365 :
日本@名無史さん:03/10/12 00:26
ちんこがどーのこーの書いてるヤシは同一人か?
邪魔だな。
366 :
日本@名無史さん:03/10/12 03:43
>365
ちんこの匂いが好きです
367 :
日本@名無史さん:03/10/12 03:45
皇位を簒奪できるような権力が足利将軍にあったとは思えんな
368 :
日本@名無史さん:03/10/12 03:50
369 :
日本@名無史さん:03/10/12 04:26
370 :
日本@名無史さん:03/10/12 20:56
>>364 お穴のビラビラよりちんこの大きさが気になります。
371 :
ty270410:03/10/13 00:28
義満は
将軍を辞した後の「大御所」と
天皇を辞した後の「上皇(治天の君)」
この二つを統合した実質的な国王をめざしたのだと
思う.気宇壮大な人物だったに違いない.
織田信長も同様だったと思う.
勤皇の姿勢を示しつつも,政治的には独歩し,
従来の幕府体制を否定し,従来の権威と無縁の新しい統治機構を
構想していたと思う.
志半ばにたおれたので,実現はみなかたが・・・・
>>371 思い込みはもういいから
具体的な史料とか業績を元に語ってくれ
373 :
日本@名無史さん:03/10/13 21:48
374 :
日本@名無史さん:03/10/13 22:20
>>373キター(゜∀゜)ーーー
オマエ キエロ
バカウヨカ?
375 :
日本@名無史さん:03/10/13 22:43
足利義満はなぜ将軍や太政大臣をやめてまで法皇になろうとしたかのべよ。
377 :
日本@名無史さん :03/10/14 21:03
375嘘。
三大将軍です。
378 :
日本@名無史さん:03/10/14 22:08
380 :
日本@名無史さん:03/10/15 23:09
ちんこ好きですね皆さん。
381 :
日本@名無史さん:03/10/17 00:30
クソスレ化してきましたな。
382 :
日本@名無史さん:03/10/17 00:35
>>380 残念だね。
ちんこ厨は放置しましょう。
383 :
日本@名無史さん:03/10/17 03:30
【ちんこ】そろそろ足利義満のちんこを語ろうか【磨く】
384 :
日本@名無史さん:03/10/17 04:22
鹿苑院太上天皇
385 :
ty270410:03/10/17 23:29
>>371 今谷明さんが同じ様なことを著書に発表している.
>>384 まさに太上天皇ですね!
義満一代で終わりですね!
>>385 がいしゅつネタですみません。
徳川幕府二代目将軍の徳川秀忠には「衡岳院太上天皇」って法諡を当初贈られる予定だったけど、
(「徳川実紀 寛永九年一月二十二日ノ条」など)
これってどうなんでしょ?
徳川秀忠が天皇になろうとしたんでしょうか?
おしえてくらはい。
娘が輿入れしたからでない?
388 :
日本@名無史さん:03/10/18 23:08
【珍子】そろそろ足利義満のちんこについて語ろうか【上等】
389 :
日本@名無史さん:03/10/19 00:18
>>386 後水尾院の舅だからね。しかも生前に太政大臣になっている。
死後の贈位贈官をするとすれば太上天皇以外になかったということでは。
390 :
日本@名無史さん:03/10/19 00:28
>389
ちんこの大きさが気になります。
391 :
日本@名無史さん:03/10/19 01:34
394 :
日本@名無史さん:03/10/19 08:12
395 :
日本@名無史さん :03/10/19 11:51
足利家時「三代後の義詮で天下とります」
396 :
日本@名無史さん:03/10/19 15:19
家時さんは何故父親やわが子のような「○氏」にしなかったのか
北条一族みたいな名前やんけ
397 :
日本@名無史さん:03/10/19 21:06
>>396 だって北条一族だろ。
足利の当主は尊氏までは歴代北条執権の諱を有難く戴いてきたし
正妻も北条一族から迎えているんだから。
398 :
日本@名無史さん:03/10/19 21:20
己のイチモツだけが暴れん坊
399 :
日本@名無史さん :03/10/19 21:28
>>396 北条から名前一文字もらったとかどこかで見た様な気が
それだけ家中からも期待されていたみたいで
それが「義家公より七代目の」なのかも
400 :
日本@名無史さん:03/10/20 21:39
4oo
401 :
日本@名無史さん:03/10/20 21:41
>>398 【朕閣寺】そろそろ足利義満のちんこについて語ろうか【炎上】
402 :
日本@名無史さん:03/10/21 00:33
ちんこの大きさが気になります
403 :
日本@名無史さん:03/10/21 01:13
なんか、クソはクソなりにおもしろくなってきたな。
>>402 おまえはクズだ。
408 :
日本@名無史さん:03/10/22 06:07
ちんこの大きさが気になります。
409 :
日本@名無史さん:03/10/22 07:11
411 :
日本@名無史さん:03/10/22 11:45
ちんこの大きさが気になります。
413 :
日本@名無史さん:03/10/22 21:26
真空ポンプでデカくなった
414 :
日本@名無史さん:03/10/23 23:17
>>412 教えて!原子爆弾はなぜチンコの形をしているのですか?
415 :
日本@名無史さん:03/10/23 23:27
416 :
日本@名無史さん:03/10/23 23:36
417 :
日本@名無史さん:03/10/23 23:53
>>415 図星です。
もしかしてぼくをイジメた川村君ですか?
川村君教えてください!!!原子爆弾はなぜチンコの形をしているのですか?
418 :
日本@名無史さん:03/10/24 00:02
朝廷は義満没後、太政天皇の尊号を贈ろうとしたが、
将軍義持は前管領斯波義将とはかり辞退した
419 :
日本@名無史さん:03/10/24 00:18
チンコの大きさが気になれます。
>>419 気になれますってなんだよ・・・
おまえはクズのうえにグズだな。
421 :
日本@名無史さん:03/10/24 03:11
チンコの大きさが気にいらない
422 :
日本@名無史さん:03/11/01 21:02
義満の物語の本で乱で逃げてる時に
「今から余がすべて敵を打ち倒してくれる!」とかそんな事を
言ったとか書いてあったが・・(子供向けの本だったかなあ10年以上前に
見たものだけど)10歳未満でそんなこといったのかなあ・・
もしほんとならすごい人物だったと思う・・
個人的には好きだ。
423 :
日本@名無史さん:03/11/02 18:15
424 :
日本@名無史さん:03/11/02 18:34
>>422 それは「おまえたち、この風景をかついで京都まで持って帰れ」というセリフじゃないか?
確かそんなセリフを吐いているはずだが。
>>417 そうだよ、久しぶりじゃん。
お前ちっとも変わってねえな。
426 :
日本@名無史さん:03/11/07 21:30
なんなんだココは・・・・
なんなんだって言われても・・・ちんこの大きさを気にするスレだろ
428 :
日本@名無史さん:03/11/07 23:27
ちんこの大きさを気にしているのは1人だけだけどな。
みんなスルーしてるんだからおまえもスルー汁。
429 :
日本@名無史さん:03/11/11 20:04
義満って高木ブーのイメージがあるんだけど・・・
430 :
日本@名無史さん:03/11/13 02:24
くだらん仮説だが後円融天皇が女帝だったら・・
義満は後円融女帝を口説き落としエッチして上皇になることを迫り
または女帝を孕まして皇位簒奪をするという計画を練ったかもしれない・・・・
その方が手っ取り早いじゃない、義満ならやっていそう。
まぁ頭脳使わないところは義満らしくないけれどw
>>430 この時代の日本人なんだから、その計画とは無関係に、とりあえずホモ関係にはあったろ。
432 :
日本@名無史さん:03/11/13 19:53
>>431 ふたりのチンコの大きさが気になります。
ちんこ厨の常駐の解除の仕方を教えてください。
sage進行で行けよ
435 :
日本@名無史さん:03/11/18 05:28
_,/ .、、 ...、ヽ,,-、
.,,メ-‐'" _"',| .、、._,i.""│._、
._,,,/`,イ―'' ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛
.,,,-,i´,―--―''" 、、,!冖'"`、_、,,,/'゚,,."゙l-‐''
_,,,,,,,,,,,,,、 _,,,,,--''"`'",/゙ 、、.',j/′.、,,∠''"` .'_ヽ.',゙l.._,,、
,,-'"゙` `゙゙''lーイ"` .‐′ _,..,,/ .ヽ、,i,i´ ``゙’ 、、シ":"'.「
.,,i´ `'i、\ ゙!, ._,-'"ン'` 、、`_,/`,i´ _,___,ニ='" .'゙、゙".゙l,,-'`
.,/′ `'i,\ ′ .,,,,-',,,,、.,i´、_:_'_v`"゙i、| ```` ` 、_,Jィ""゙l, _,,,,、
: ,i´ ゙l. ヽ丶 .r‐'"、.l゙、、:,p=l┴丶 .!,,! `'"''''''冖''?'''゙~."""'."'/゛ `
: |,,r ゙l, 、 i、、、、:,,_,xl!ヴi,、 、、っ,,,, 、`',,,,、`、`、|、
|、 、"| .i、 lrr-''"゙,,ハ;、-'"゙゙'''''''"丶ヽ.,,冫``~`"`"~"``` `/ `''''
`''r,,、 、 、、 .、丶、.``ヽ,レ"° `` .j゚'=∠、````,,,,,∠ ~'ヽ```````、_,r‐'ヘi、
`゙'ーi,,_、、、、、: :._,,,r〃 " /^゚"'广 ,/ .,/゙゙゙'''ヶ―''''″ `
`゙^""""''"'" ` ′ ′ ."
436 :
日本@名無史さん:03/11/20 22:15
ちんこの大きさが気になります。
438 :
日本@名無史さん:03/12/12 22:36
439 :
日本@名無史さん:03/12/12 23:46
チンコ♥
ついにチンコに屈したスレ。
無惨・・・
とても聡明なサヨクの方がいますね。
444 :
日本@名無史さん:03/12/26 22:38
義満のチンコに♥
445 :
日本@名無史さん:03/12/27 00:09
いっそスレッド削除依頼を出したほうがいいのでは・・・
446 :
日本@名無史さん:03/12/27 03:12
447 :
日本@名無史さん:03/12/27 03:13
室町太平記
448 :
日本@名無史さん:03/12/27 03:24
449 :
日本@名無史さん:03/12/27 03:32
>>430 義満って、後円融の皇后に対して、それと似たようなことをしなかった?
450 :
日本@名無史さん:03/12/27 03:42
>>280 西朝は、懐良親王で問題なし。
東朝は、新田義貞が奉じた恒良親王(建武政権崩壊時に後醍醐から帝位を譲られたという説あり)、あるいは建武期に鎌倉にいた成良親王。
451 :
日本@名無史さん:03/12/27 15:35
六波羅陥落時に、持明院統の光厳帝がうまく東国へ落ちていたら、その時点で東西朝が現出した可能性もある。
452 :
日本@名無史さん:03/12/27 16:20
453 :
日本@名無史さん:03/12/27 22:53
妄想抜きに歴史が語れるものか。
454 :
日本@名無史さん:03/12/27 22:57
455 :
日本@名無史さん:03/12/28 16:34
456 :
日本@名無史さん:03/12/28 17:39
チンコ♥
457 :
日本@名無史さん:03/12/31 03:26
康暦政変とはなんだったのか?
458 :
日本@名無史さん:03/12/31 03:41
459 :
日本@名無史さん:03/12/31 09:58
>>458 それ主人公は足利義満じゃなくて細川頼之だよ
460 :
日本@名無史さん:03/12/31 11:32
足利義満が大河ドラマ化されたら主人公は中村雅俊でキマリだな。
あの垂れ目はまさに鹿苑院法皇そのものだ。
461 :
日本@名無史さん:03/12/31 23:36
462 :
日本@名無史さん:04/01/01 00:04
463 :
日本@名無史さん:04/01/01 00:07
464 :
日本@名無史さん:04/01/02 01:53
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
本年もチンコの大きさが気になります。
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
今後義満のスレが立っても、
必ずチンコ厨に荒らされるだろうな・・・
それでも私は叫び続ける、
>>464 おまえはクズだ。
>>465 っていうか、無視できない貴方も厨房なんですが。
467 :
日本@名無史さん:04/01/05 01:58
[義満のチンコよろしく!!]
/∵ ▼ \
/∴ ヽ
, |∴ / \ |、
|`──-( / )-( \)l |
| [ , っ l |
`-, 'ヽ、_ソ }'
ノ ヽ、 `' ノ、
/ ゝ ── ' ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__ う 人 ・ ,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ ノ ノ
| x 9 /
| ヽ、_ _,ノ 彡イ
| (U) |
ヽ、__ノヽ___ノ
ヽ ̄ ̄ノ^ | ̄ ̄ i
義満・・・ちんこ つながりがわからん。
469 :
日本@名無史さん:04/01/05 02:14
ちんこで天下とったのは道鏡
470 :
日本@名無史さん:04/01/05 02:38
>>469 それは間違い。
義満のちんちんに興味を持つのも
間違い。
あぼーん
472 :
日本@名無史さん:04/01/06 01:16
_,,..-一=''ー-、.,,
__,,.;-''´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`‐-、._
r´;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;'ヽ、
(;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::''''''''''''''''::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i、
`i;;;;;;;;;::''' .....::.;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i
''''''/ .......::::::::;;;;;;;;;;;;;;;l、
/ ,__ 、___::::::::::;:::;;;;;;;;;;;;;;i
⊥ _ f ‐._´`i ̄ ̄ ̄ ::::::: r´ `i,;;;;;;,l
r´. l_,.,i t, "~’j :: ヽ, .l;;;;;;i
'i、 |'~ノ ,ヾ-‐´ l ィ´, ノ;;;;l、
`-+イ、,・ .)、 `;- ´ ;;;;;;;j 義満チンコに乾杯!
. `::ノ ,=--、ヽ /';、 これからも、ガンガレ!
`i 、==‐フ ,/ ヽ--―--、
`i、"´ ノ .ィ´ _.ィ´ ,,>ー-、_
ヽ__, ,ィ"´ ,.ィ´ ,.ィ´ // / ''" `i、
〃´ >- 、 / / // /´ 〃彡フ i、
/ ,ノ ,=、ヽ/\ ,:'´ // / / `i、
/| l ノ’/ Y \ / / 〈/ _ .ィ´ i、
l lィ´イ´ / | `´ ノ .ll _.ィ´ `i、
.| | i. / | i, / .||イ i、
尊氏"やい、おまいら!!幕府ができますた。室町に集合しる!
後村上"詳細キボンヌ
義満"1392は南北朝合一ですが、何か?
後小松"南北朝合一キターーーーーーーーー
後亀山"キターーーーーーーーーー
後醍醐"南北朝合一程度で騒ぐ厨は逝ってヨシ
尊氏"オマエモナー
義持"--------勘合貿易終了-------
義教"--------勘合貿易再開-------
富子"再開すなDQNが!それより息子うぷキボンヌ
赤松"嘉吉の乱うp
義教"↑誤爆?
義昭"将軍age
義政"ほらよ息子うぷ>富子
↑の弟"息子?降臨!!
義昭"将軍age
義輝"15第将軍ageんな!sageろ
義昭"将軍age
義輝"将軍age厨uzeeeeeeeeeeee!!
朝倉"ageっていれればあがると思ってる香具師はDQN!
細川&三好&松永"弱い将軍がいるのはこの幕府ですか?
義晴"氏ね
義栄"むしろ生きさせて
義昭"将軍age
義輝"義昭必死だな(w
出典
http://academy.2ch.net/history/kako/1014/10144/1014489813.html
474 :
日本@名無史さん:04/01/08 14:11
とりあえず暇になると一休さんを呼ぶのは(・A・)イクナイ
鹿苑院太上天皇マンセー
476 :
日本@名無史さん:04/01/22 14:03
___
/ ∧
/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / \
/ |::. ヽ
/ |:::: |
/ l::::.. (●) (●) | 金閣はガチ。銀閣はヤヲ
/ 、 \::::.. \___/ |
\ \:::.. \/ ノ⌒ヽ、
\ \ / / iヽ
\ \ / / / \
\ \/ //
\ / //
477 :
日本@名無史さん:04/01/22 22:07
金閣寺って金箔だから価値を認めてもらってるだけで
金箔が無かったら唯の寺。
金箔銀箔する建築はお金と権力の象徴だろう
建築物として立派だけど価値はいかほどか?
478 :
日本@名無史さん:04/01/22 22:07
金箔寺は義満の傲慢自慢寺
479 :
日本@名無史さん:04/01/22 22:09
>>477 おまえの言う「価値」てなんなんだ?
歴史的価値?芸術的価値?それともなんかもっとほかの価値?
480 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:03
>479
義満のチンコの価値が気になります。
481 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:16
金のために日本を売った国賊
482 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:20
>>479 芸術的な価値かな
美術的な問題さ。
美術としてあの建物は、立派なのか?
建てた職人の技と努力労力は評価に値するけれど、「美術品の価値」はある?
話の種にされるのはただ金箔が塗られてるだけじゃん。
483 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:20
義持は親に似ず出来た人物だったな
484 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:22
義満が早死にしたのは本当に惜しい。
対明外交の面でも皇位簒奪の面でも実に惜しい。
485 :
日本@名無史さん:04/01/22 23:55
義満が皇位を簒奪していてらおもしろい展開になったのにな
おもしろい先例ができた。
そして、明治維新もああいった形では行われなかっただろう。
そうなっていたら、今の日本はどうのようになってるのかな。
やっぱ共和制?
486 :
日本@名無史さん:04/01/23 00:03
キムチ制
487 :
日本@名無史さん:04/01/23 01:33
チンコ制♥
488 :
日本@名無史さん:04/01/24 21:33
>>486>>487 テメエ、いつもウザいんだよ!!
芸のない罵詈雑言ばかり並べやがって!!
テメエの粘着ストーカーぶりは気色悪いんだよ!!
489 :
日本@名無史さん:04/01/24 21:53
足利義満=反天皇 反天皇=サヨク
足 利 義 満 は サ ヨ ク !!
と、決定しました
490 :
日本@名無史さん:04/01/24 21:55
足利義満は自ら天皇(上皇)になろうとしたのであって、
天皇制を倒そうとしたわけではない。
義満を「反天皇」と言うのは当たらない。
491 :
日本@名無史さん:04/01/24 21:56
492 :
日本@名無史さん:04/01/28 01:22
これが義満チンコの自画像
↓
∵;ヽ;;
∵; i i| ∵;
∵;i i|∵;
∴ 。;i i| ∵;
/⌒\
; ( );
: |ノ ι. | ;
: |つ τ | ; ビクンビクン
: | .| ;
/ ̄ ̄ ̄\
/ |
|. (゚ )(。) |
◇ 、| ● | /ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>/| ______, / ゝ_ノ < ちんちんシュッ!シュッ!シュッ!
`^ヽヽ_\ ノ/ // \_______________
(⌒)二二)) ̄∪W ))/
493 :
日本@名無史さん:04/01/28 16:36
金閣寺は金の無駄使い
義満は所詮 庶民
生意気
494 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:02
チンコ♥
495 :
日本@名無史さん:04/01/30 00:20
鶴王御前(頼子)が早世しないで、ちゃんと后になっていたら・・・
女院になって健在だったら、義満と皇室との関係も変わってたかなあ。
あ、でも、父方の叔母まで女院だったら、もっとエスカレートしてたかも。
496 :
日本@名無史さん:04/02/07 01:41
/⌒⌒ヽ / \
\悶え.|・ | \ ( 人 ) / ヽ
\_| / ゝ ヽ \ / |
\. |;; | \/ | |
\ _l |;; ;;; |\__/ | |
\ ―|;; ;;; |-/ | |
\ |;; ;;; |/ | |
\ |;; | |/ | |
| |; ;; ;;| /| |
\ ;; / |
\ / ;;
497 :
日本@名無史さん:04/02/07 11:43
498 :
日本@名無史さん:04/02/08 22:35
ここで話題になっているので、エイリアン2を見ています。
もうすぐで、限定生産のDVDボックスも販売なので、買ってきて
見てみます。
499 :
日本@名無史さん:04/02/09 21:31
エイリアンって雌なのチンコ♥はついてないの
びっくりだね義満!
500 :
日本@名無史さん:04/02/09 21:34
>>499 義満が「日本国王エイリアンチンコ」と名乗った事と関係がある?
エイリアン4にそれらしいエピソードがあるけど、カットしたみたい。
限定版DVDの特典映像で拝めるかな?
501 :
日本@名無史さん:04/02/09 21:37
>>500 アレは天皇制に対する挑戦なのでエイリアンシリーズの問題とは全く別。
ちなみに義満は死後に天皇に準ずる位をおくりな(へんかんできん)されている。
これはアカデミー賞の特撮賞受賞と同じような名誉かな。
502 :
日本@名無史さん:04/02/09 22:27
エイリアンに義満は出てこない。本当にみたことあるのか?
503 :
日本@名無史さん:04/02/10 02:18
>502
オリバーストーンの「JFK」に台詞の中に出てきた
504 :
日本@名無史さん:04/02/10 23:15
505 :
日本@名無史さん:04/02/11 18:42
チンコだぞ
506 :
日本@名無史さん:04/02/28 23:15
足利義満は、天皇家のっとっても文句言えないくらい、権力あったんちゃう?
507 :
日本@名無史さん:04/02/29 00:32
当時は潜在的に皇位継承権を有する宮家が何軒もあったからな。常盤井宮、伏見宮、木寺宮、萩原宮。
足利義嗣が皇位についていても、せいぜい宮家がもう1軒増えた、くらいのインパクトしかなかったかも。
508 :
日本@名無史さん:04/03/04 22:56
>>507 義満のチンコの色が気になります。
匂いも嗅ぎたいです。
509 :
日本@名無史さん:04/03/05 01:00
義満のチンコはバットマン!!!
510 :
日本@名無史さん:04/03/11 10:24
すいません、質問なのですが、義満が日本国王に冊封されたとき
古代の奴国王が貰ったような印綬はもらわなかったのでしょうか?
511 :
日本@名無史さん:04/03/11 16:35
大庭脩氏の「親魏倭王」によろと、
「皇明実録」に以下のような記事が載っているそううです。
万歴23年正月7日に礼部尚書が豊臣平秀吉に印章等を給したいと裁可を求めている。
秀吉の時代で印章があったのですから足利義満も貰ったのではないでしょうか?
512 :
日本@名無史さん:04/03/12 21:41
今日図書館で借りて来た本「鄭氏台湾史-鄭成功三代の興亡実紀」(林田芳雄著)によると
鄭氏が降伏するときに、延平王印(鄭氏が後明の最後の皇帝から封じられた爵)のほか
臣下の公侯伯印(これは鄭氏が封じたもののようです)、将軍印等を清に差し出しています。
この王印が明から与えられたものか、鄭氏が自分で作ったものか良くわかりませんが、
自分で作ったにしても、明の制度に因ったものだと思います。
なので、宋の時にも王には印を与えたのではないでしょうか。
513 :
日本@名無史さん:04/03/13 04:54
>512
>なので、宋の時にも王には印を与えたのではないでしょうか。
何の話してるの?w
514 :
日本@名無史さん:04/03/13 05:28
フィリピン航空の井上幸枝さん、かわいい。
515 :
日本@名無史さん:04/03/15 14:45
義満のチンコ、かわいい。
516 :
日本@名無史さん:04/04/02 22:21
517 :
日本@名無史さん:04/04/02 23:48
518 :
名無しさんどっとこむ:04/04/06 19:11
うっかり将軍@どっとこむ面白いよ
519 :
日本@名無史さん:04/04/11 21:55
信長・秀吉には中国を中心とした東アジア圏を
統一して「中華皇帝」になろうとしたという説がある。
その場合、信長・秀吉は天皇を大名のように国替えを
命じて自由に動かせ、さらには改易できる立場に
なったということだ。すなわち、秀吉政権が存続し
海外進出が成功したときが、天皇家最大の危機
という説だ。
520 :
日本@名無史さん:04/04/29 13:47
そんな物、秀吉の脳内夢想でしかない
521 :
日本@名無史さん:04/05/16 15:47
そんな物、ちんこの脳内妄想でしかない
義満
すでに簒奪してると確信してるけど、ちょい揚げとく。
523 :
日本@名無史さん:04/05/16 23:23
今後、現在のやんごとなき家系が絶えたと仮定すると、義満の第二の予備血統である、
あるやんごとなかった家がやんごとなき家として復帰するであろう。そのときには、
正式に上皇が彼に贈られるであろう。
524 :
日本@名無史さん:04/05/18 11:06
義満の死因って「劇症糖尿病」じゃないかな?
525 :
日本@名無史さん:04/06/18 00:08
526 :
日本@名無史さん:04/07/18 00:51
ある本に、足利義満は
世阿弥によって潜伏期間が一ヶ月ほどある毒で殺された、
と書いてあったんですがどう思われます?
世阿弥に義満殺さなきゃならない動機あるの?
529 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:22
世阿弥は義満の子の義持・義教には疎まれ不遇であった
このスレッドでは散々出てくる井沢元彦だけど、
「天皇になろうとした将軍」(小学館)に、
朝廷の意を受けた世阿弥が、
義満を暗殺したのではないかと書いてあるな。
(世阿弥は前関白の二条良基の学術上の弟子で、
また楠木正成は大叔父にあたる)
義満は観阿弥、世阿弥親子を保護した恩人だから、
様々な葛藤があったのでは、とも。
531 :
日本@名無史さん:04/08/19 21:59
>>530 その本、世阿弥に義満暗殺を直接要請したのは二条満基(良基の曾孫)って書いているよね。
でもこの当時、足利将軍家とくっつくことによって朝廷内の権力を掌握している二条家の人間が、こういうことを沙汰するとは考えにくい気もする。
ちなみに、室町時代の摂政・関白は、五摂家のなかで、二条家の在任期間が圧倒的に長い。
この前、家族で京都旅行に行き、金閣寺を歩いていると、
前を歩く若いカップルの話が聞こえてきた。
男「ここは、3代将軍のヨシミツが建てたらしいよ」
女「嘘。3代将軍はイエミツでしょ。あたし学校で習ったよ」
男「そうかあ? ガイドブックにそう書いてあったけどな」
わしの娘「おい、おまえら」
わし「や、やめなさい」
534 :
日本@名無史さん:04/09/09 23:44
535 :
日本@名無史さん:04/09/10 06:58
>>532 その女は必ずしも間違いではないぞ。
昭和25年に焼失する国宝・金閣寺は、実は徳川家光が江戸時代に再建したものだからだ。
まぁ・・・・現代のものは、また違うんだけどな。
536 :
日本@名無史さん:04/10/01 01:27:24
537 :
日本@名無史さん:04/10/05 20:57:35
義満の時も冊封使ってきてたの?
538 :
日本@名無史さん:04/10/29 00:57:44
はい
539 :
日本@名無史さん:04/10/31 02:39:46
やっぱり義満も三跪九叩頭やってたんですか?
沖縄の守礼門や朝鮮の迎恩門のようなものもあったんですかね?
540 :
日本@名無史さん:04/11/17 02:25:55
義満が皇位を狙ってたとしたら、南北朝合一させたのが、どうもよくわからない。
乗っ取るにしても、南朝からの方がよほど簡単だと思うし、
実際、三種の神器も北朝に返す必要ないような。
一回合一させて正当性を高めてからって考えたのかな?
なんかまどろっこしい上に不確定要素多いし必然性を感じないんだけど・・・
まあ仮に乗っ取ったとしても、50年後には、
某宮を奉じた大名達が、正統な天子を位にお戻しする、とかいって
次々京に突入してきて結局無駄になったんじゃないかと思うけど。
明に駐箚官っていたの?
いたなら派遣されてきて大変だよね
542 :
日本@名無史さん:04/11/17 09:55:08
結局、今流行の「皇位簒奪説」って電波なわけ?
543 :
日本@名無史さん:04/11/17 13:57:28
>>542 「足利義満による『皇位簒奪計画』説」はね。
それにしても、今谷明と井沢元彦の二人はこのネタで相当稼いだだろうな…
544 :
日本@名無史さん:04/11/17 14:34:56
>>543 何をもって電波と断定するわけ?
それとも史学会の中じゃ電波扱いされてるのか?
今谷明の室町の王権を読むと
どう考えても義満は皇位簒奪を計画してたとしか思えん
545 :
543:04/11/17 15:10:54
>>544 今谷明の「室町の王権」は、読者に
「義満は皇位簒奪を計画してたとしか思えん」と
思い込ませるように書いているわけよ。
徳川秀忠の没後、朝廷内で、「衡岳太上天皇」の尊号を贈るかどうかで
揉めた事実について全く触れずにさ。
史学会関係者は、まず真っ先に、ここを突付いてくるからね。
次は義嗣の元服時の官位の低さについて突っ込まれてここでKO食らう。
まあ、漏れは実際にこうやって史学会関係者にやり込められただけなんだけどね(苦笑)
ただ、さすがに足利義教による『皇位簒奪計画』の可能性は有り得るとは
言っていたけど。
546 :
日本@名無史さん:04/11/17 16:30:07
>>545 そうだったんだ。
電波を信じて恥をかくところだった。サンクス。
義嗣の元服は親王立太子と同じだったと記憶しているが、
立太子としては全然ふさわしくなかったってこと?
義教の皇位簒奪計画の可能性については初耳なんだが、
よければ詳細キボンヌ
椿葉記、観聞御記等を読めば、わかるとおもうけど義満の子が天皇になっています。
そして孝明天皇、睦仁まで続き明治から長州のつくった奇兵隊の天皇。
明治の騒乱は南北朝の戦いという面もあります。
御用史ではわからないから、当時の庶民の日記などよんでみたら?
当時日本に来ていた欧米人の書いたものを読んでも御用史にない発見がありますよ。
結局天皇の正当性など、風前の灯火で、最後は(物)「三種の神器」に頼るしかないのです。
ちなみに朝鮮の巫女さんは神おろしの儀式をするとき、三種の神器を使います。
物は少し違うけどね。
549 :
日本@名無史さん:04/11/17 19:50:51
>>548 三種の神器は、壇ノ浦で無くなり
新しいのは、南北朝の動乱で混乱し...
朝鮮の血が濃い上流貴族や皇族とばかり結婚を繰り返していたから、
天皇家の遺伝子の中には朝鮮の要素が蓄積されている。
551 :
日本@名無史さん:04/11/17 19:56:48
>>548 三種の神器は
ユダヤをはじめ世界中である文化。
太陽信仰(農耕社会下の信仰)の共通の文化。
>>548>>550 在日朝鮮くんは、さっさと祖国に帰りなさい。
ああ、そういえば、祖国は中国に併合されるんですねW
552 :
日本@名無史さん:04/11/17 20:00:01
日本の皇室は濃尾平野から
勢力を拡大したと思われ。
濃尾の豪族でしょう?
現皇室は、畿内・濃尾の皇室の分家が
九州に居て、そこから即位した可能性が高い。
553 :
日本@名無史さん:04/11/17 23:32:38
>>351 戦国どころか幕末までそうだったな。尊王論とか王政復古とか。
554 :
日本@名無史さん:04/11/30 18:48:54
こいつ日本史の上で一番の売国奴だろ。
明と貿易したかったからって形式的とはいえプライド捨てて明の属国になることはねえだろ。
最悪だな。マジで死ね。こんな奴が国王?ふざけるな。
本人は何とも思わなかったんだろうけど後世生きる連中にはすげぇ迷惑で屈辱的なんだよ。
555 :
日本@名無史さん:04/11/30 19:13:17
それを言うなら、倭の五王の雄略天皇とかも売国奴になるんだが・・・
556 :
日本@名無史さん:04/11/30 19:33:11
義満は一応清和源氏の血を公的には引いているんだから力で継体王朝の再現を計る
ことは可能だったはず。やはり最後は暗殺されたのだろうか?
朝廷は蘇我入鹿、平将門、足利義満、織田信長など象徴的権威を奪おうとした
人物をことごとく消した過去がある。何故2000年もこのようなことが可能だったのだろう
道鏡が消されなかったのも分からないが。
>>556 >道鏡が消されなかったのも分からないが。
別に本人が皇位を欲していたわけではないから。
558 :
日本@名無史さん:04/12/11 21:42:21
age
559 :
日本@名無史さん:04/12/13 19:45:06
足利義満になんとなく興味を持ち始めたのですが、初心者が
読んで楽しい本ありますか?
560 :
日本@名無史さん:04/12/13 19:52:52
>>560 ありがとうございます。
読んだらまた書き込みます。
562 :
日本@名無史さん:04/12/21 05:55:22
>>554 >最悪だな。マジで死ね。
もう死んではります。
563 :
日本@名無史さん:04/12/21 06:07:17
義満の血統で忘れがちなのは
彼が男系で清和天皇の20世の孫であるだけではなく、
彼の母親は,順徳天皇(じゅんとくてんのう)の孫で,
当時の天皇・後円融(ごえんゆう)天皇とはいとこ同士だったということ。
そういう意味で、皇室に対して
非常に身近な感覚を持っていたとも言われている。
564 :
日本@名無史さん:04/12/21 20:38:53
足利義満と順徳天皇の関係は、順徳の曾孫が義満の祖母、という関係。けっこう遠い。
それと、後円融の母親が義満の母親が姉妹だという説は現在では否定されている。
後円融の母崇賢門院紀仲子の実の父親は「石清水祀官」としか伝わっておらず、まだ誰だか特定されていない。
565 :
石橋尾張守:04/12/30 09:23:05
>>540 >50年後には、某宮を奉じた大名達が、正統な天子を位にお戻しする、
>とかいって次々京に突入してきて結局無駄になったんじゃないかと
同意。
>>545 義教の皇位簒奪計画とは興味深い。
宜しければ出典など教えていただけますか。
>>564 私のおぼろげな記憶では崇賢門院って広橋仲子かと思ってたんですが
紀氏だったんですか。
良子(義満の母)と姉妹である可能性も皆無ではないということですか?
567 :
日本@名無史さん:05/01/03 15:56:44
>>565 崇賢門院は広橋兼綱の娘ということになっていますが、
これはどうも養子か猶子らしいです。
568 :
日本@名無史さん:05/01/03 16:51:17
で、自然死?
一休さんと新右衛門さんが出るならみたいな
571 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:44:42
足利義満は自然死です。
572 :
はてな:05/01/03 22:19:37
天皇の系統のなかに朝鮮人の皇后が居たと聞きましたが
本当でしょうか?。
573 :
日本@名無史さん:05/01/03 22:49:23
574 :
日本@名無史たん:05/01/03 22:51:46
>>571 ああいうタイミングで死んだ場合、他殺の可能性を検討すべきだね
576 :
日本@名無史さん:05/01/04 12:43:20
>>573 なぜ、嘘と言えるのか理由はあるのか?ないなら厨だぞ?
577 :
日本@名無史さん:05/01/04 12:46:03
>>572 たしかにいるね。
桓武天皇の妻のことかな?
百済王朝の子孫だったはず
578 :
日本@名無史さん:05/01/04 12:50:47
百済滅亡の時、日本に亡命してきた王族の13代目(だったかな?)和史乙継の子
「高野の新笠」でしょ。詳しいこと覚えてないが。。
579 :
日本@名無史さん:05/01/04 12:52:05
百済武寧王の系図わかるヤツいる?
580 :
2番星:05/01/04 14:05:06
p
ちがう
高野の新笠は、光仁の妻
間に産まれたのが桓武天皇でさー
日韓合併のとき
百済王の墓に日本式の神社が建立され、
天皇統治の正当性を説こうとしたのは有名な話。
>>578 何代目なんていえるほど明確な系譜は分かっていないはず。
帰化系の中でもさほど目立たない一族だし。
585 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:02:37
現天皇のゆかり発言で有名になった桓武天皇の母親の高野新笠の系図
武寧王[461年日本生まれ第25代百済王(在位501-523年)]
純陀太子 在日1世 (日本に人質に)
斯我君 在日2世
法師君 在日3世
雄蘇利紀君 在日4世
和史宇奈羅 在日5世 (和氏に改名して日本に帰化)
和史粟勝 在日6世
和史浄足 在日7世
和史武助 在日8世
和史乙継 在日9世(娘を天皇家に嫁がせて高野姓を賜る)
高野朝臣新笠 在日10世―桓武天皇[第50代天皇(在位781-806年)]
・・・つまり桓武天皇の母親の高野新笠は10代前に渡来し、6代前に日本に帰化した百
済系10世なのです。彼女の百済系の割合は1/(2^10)=0.00098。パーセントにすると0.098%
となります。逆に日本系の割合は99.902%で、血筋から見ても帰化している事から見ても
正真正銘の日本人です。ましてや125代の今上天皇との関係は「0」と言って差し支えあり
ません。
また「百済≠韓国」である事も強調しておきます。さらに「武寧王の父の東城王は日本
(倭)からやって来た」と韓国の古文書に書かれている事も付け加えておきます。そして
桓武天皇が即位したのは781年・・・つまり660年百済滅亡の121年後なのです。百済の政
治的な関わりは「0」です。
だからこそ「ゆかり」というリップサービスが出たのでしょう。単なる「情緒」の世界
ですから。
586 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:06:39
587 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:07:00
桓武は在日11世か。
588 :
日本@名無史さん:05/01/05 00:18:58
在日ではないだろ。
まあ10世代経る間に婚族に少しも百済系の血が入ってないかと言うとそれは闇の中なんだけどな。
武寧王は在韓日本人二世って事か。
勉強になるなぁ
591 :
日本@名無史さん:05/01/05 01:51:46
>>585 その系図はハン板などでよく見かけるが、純陀太子から乙継まで
の中間系譜ははっきり言ってデタラメだ。
高野新笠の実家である和氏の出自については、『続日本紀』と
『新撰姓氏録』くらいしか記すところがなく、それも「武寧王の
子純陀太子の後裔」という程度。
とりあえず、この系図の疑問点をいくつか指摘してみると、
・斯我君の子が法師君というのは『書紀』に載っているが、
純陀太子との続柄は不明である。
・雄蘇利紀君。『新撰姓氏録』には和連の始祖として
「雄蘇利紀王」の名がみえるが、これを流用したものか。
和連氏と和史氏が別々の氏であることはいうまでもない。
・和史武助もあやしい。『続日本紀』にみえる典薬頭の「倭武助」
を引っぱってきたのだろうが、「倭武助」は和史氏とはおそらく
無関係。その職能から漢系の和薬使主の系統と考えられている。
593 :
石橋尾張守:05/01/05 21:22:42
>>567 Thanks.
それにしても、なぜ義満が摂家から室を迎えなかったのか疑問。
彼ほどの権力者なら内親王すら娶れそうな気もしますが。
日野業子との結婚にメリットはあったのだろうけど、後室も業子の姪だし。
日野資国の娘が後小松帝の母であることと関係あるのかな
もっと長生きしたら義嗣に内親王を娶らせたんだろうか。
594 :
日本@名無史さん:05/01/05 21:28:24
>>593 王家や摂家の娘を娶って家格を飾る、という発想法自体がなかったのでしょう。
彼は自らを摂関に擬し、ついで法皇に擬した。
足利家を王家や摂家を超える家格に上昇させようとした。
595 :
日本@名無史さん:05/01/26 21:11:48
596 :
日本@名無史さん:05/02/13 20:20:51
>>88 でも、口では尊皇といいながら、義満の簒奪行為を抹殺して「なかったこと」にして罪を不問としてしまった平泉澄などよりはよっぽどマシだと思うよ>つくる会の方が
598 :
日本@名無史さん:05/03/11 17:53:12
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 。。。。。誰もいな(ry
\_ _________________
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日 ∨ U A V | そりゃ禁句です!
≡≡≡≡≡≡≡≡ ∧ ∧ <__________
V ∩ [] W 目 (゚Д゚,,)─┛~~
__ ∧ ∧_____ |つ∽
( ,,)日  ̄ ̄ ̄ ̄
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〜(___ノ
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 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄┻ ̄ ̄ ̄ ̄
599 :
日本@名無史さん:05/03/18 16:20:51
http://www.animax.co.jp/program/program.php3?naiyo=m_ikkyusan ◆暖かいお母さんの懐が恋しくても、日々立派なお坊さんへの修行に励む一休さん
足利将軍が南北朝の争いを平定した頃、天皇の御子・千菊丸は、
母・伊予の局の父が将軍家に敵対した為に、将軍の命により安国寺に預けられ、
一休と名のる事になった。やがて一休は、安国寺の和尚や監視役の蜷川新右衛門ら、
周囲の人々に暖かく見守られ、明るく元気に成長。
いじわるな商人・桔梗屋とその娘・弥生や、足利義満将軍から次々と出される難題を、
得意のトンチで鮮やかに解決していく。だが、母親と会う事はままならず、心はいつも寂しさでいっぱいだった。
◆日本を代表する名作アニメ「一休さん」。遂にそのTVシリーズがアニマックスに登場!
日本船舶振興会提供、母と子の愛をテーマに据えたTVアニメシリーズ。
全296話という長寿作品となり、今尚色あせない日本を代表する不朽の名作アニメの一つ。
数々の難題を得意のトンチで解決していく一休さんのヒーロー的な存在と、
母親を愛する心・・・数々の名シーンを残している家族全員が楽しめるアニメ。
現在新右衛門さんが刀を飲み込めといってます
本日の演出 新田義方
テラワロス
602 :
日本@名無史さん:05/03/19 14:55:05
yahooで康暦の政変を検索したら30件しか出なくて笑った。
603 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 13:36:57
なにそれ?
604 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 22:29:48
この国で天皇位を簒奪したり朝廷を廃止したりする事はできなかったとしても、
天皇とは別で朝廷からもらう官位でもない、全くの別枠の君主としての称号を創設して
それに即位する事は可能だっただろうか?
それこそ「日本国王」でも「大和国皇帝」でも何でもいいけど。
それをすれば朝廷を直接潰さなくても実質同じ事になると思うが。
605 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 01:05:46
たまたまなかった
606 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 01:17:05
>>604 平将門の「新皇」がそれにあたるのでは?
新皇として国司も任命しているし。
607 :
日本@名無史さん :2005/05/05(木) 01:29:29
後小松天皇は義満の息子で一休さんは義満の孫である
という説があるが本当か?
>>607 いやアニメ「一休さん」の世界では
「新衛門さんと一休はアニキとサブである」が真実。
ちなみに和尚様は一休の開拓者である。
というぐらいどうでも良い話。
609 :
さらば平成、ようこそ吉邦:2005/05/14(土) 18:09:33
平成17年(2005年)5月16日(月)
今上天皇明仁が、くも膜下出血のため、宮内庁病院にて崩御
平成17年(2005年)5月17日(火)
皇太子徳仁親王が践祚
細田博之官房長官が、新元号は「吉邦」(きっぽう)と発表
NHKでは、松平定知アナウンサーが「ゆく時代くる時代」を担当
「あと10秒で平成が終わります。」
(時報)「ピッピッピッピー!」
「元号が改まって、吉邦元年5月18日水曜日午前0時になりました。」
吉邦元年(2005年)7月3日(日)
平成天皇大喪の礼(新宿御苑)
吉邦元年(2005年)7月4日(月)
振替休日
吉邦元年(2005年)12月23日(金)
平成の日(祝日)
吉邦2年(2006年)2月23日(木)
天皇誕生日(祝日)
吉邦2年(2006年)8月16日(水)大安
天皇徳仁・皇后雅子即位の礼(京都御所)
610 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 18:13:27
611 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 18:31:18
>>607 一休宗純が皇位継承者から外されたのは
称光天皇の圧力でないかな?
称光天皇の皇太子とされた弟の小川宮を毒殺したなんて噂もささやかれるほどだし。
しかも小川宮の死後、次期皇太子と目された伏見宮貞成親王やその子の彦仁親王(後花園天皇)
なんかは、まるで称光天皇の疑惑から逃れるかのようにばたばたと出家してるし。
>>570 >一休さんと新右衛門さんが出るならみたいな
一休という名になった頃は義満は将軍を譲っていたし、
新右衛門も実在しているけど、6代将軍の頃だ。
史実とアニメを混乱するな
613 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 15:21:49
613
614 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 22:17:48
∋oノハヽo∈
( ^▽^) ミンナ ハヤク ハヤク
//\ ̄ ̄旦~ ̄\
// ※.\_____.\
\\※ ※ ※ ※ ※ ※ヽ
\`ー───────ヽ
\`ー───────ヽ
>>611 しょーこーは毒を撒くのがお好きなようで。
616 :
宣伝アゲ:2005/05/24(火) 23:58:50
( ト / / \ ヽ / /
\ \ | ; | / / ゲッチュ!!
__ /\_ `‐- \__;;/_/ /ヽ / ̄\
./ ○ ヽ、/ `-___________________,,,_/ / ○ \
/ \,,,--―――''''''''''''''''''''――-/ ヽ
..⌒‐-,/ ̄\/ヽー―――-、,,__,,,,-―――:|| _,,;-‐''"⌒~~~
r┤ ト:::::::::: (●) (<) ||/:::::::ヽ ライバル・持氏タンも大活躍!!
/ \_/ ヽ::::::::::::: \___/ ||:::::::::::::::: ヽ
| _( ̄ l::::::::::::::::::. \/ ノ__/
| _)_ノヽ 「足利義教と共に苦難を乗り越えるスレ」
ヽ____)ノ >>
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108995407/ ・・・・シナリオ職人さん、誰か助けて〜!!(宣伝スマソ)
617 :
日本@名無史さん:2005/05/25(水) 00:05:49
>>611 称徳天皇と光仁天皇の一字ずつとって、称光院
618 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:59:22
保守
619 :
さらば平成、ようこそ光文:2005/06/04(土) 17:23:29
平成17年(2005年)6月29日(水)
今上天皇明仁が、皇居で就寝中にクモ膜下出血を発症し、崩御
皇太子徳仁親王が践祚
細田博之官房長官が、新元号は「光文」(こうぶん)と発表
NHKでは、松平定知アナウンサーが「ゆく時代くる時代」を担当
「あと10秒で平成が終わります。」
(時報)「ピッピッピッピー!」
「元号が改まって、光文元年6月30日木曜日午前0時になりました。」
光文元年(2005年)8月16日(火)
平成天皇大喪の礼(新宿御苑)
光文元年(2005年)12月23日(金)
平成の日(祝日)
光文2年(2006年)2月23日(木)
天皇誕生日(祝日)
光文2年(2006年)8月16日(水)大安
天皇徳仁・皇后雅子即位の礼(京都御所)
620 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 19:07:10
義満の皇位簒奪説って現在の学界では今谷明氏だけが唱えてるの?
621 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 04:56:47
>>620 今谷説の再検証段階、否定をぶつけているんじゃない?
622 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 07:52:09
つか、足利義満が皇位を簒奪しようとしていたかどうかにあまり意味はないというのが学界の大勢では。
義満は天皇家を押しのけて治天に就任した。その事実だけで充分なのでは。
その点では学界は一致して今谷を支持している。
623 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:59:05
あまり意味はない?
624 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 04:48:14
ないね。
義満の簒奪は、天皇家の危機ではあっても天皇制の危機ではない。
今度は義満の系統が天皇になるだけでね?
ほんで系図書き換えたりしてやっぱり万世一系とか後の時代になっても言ってんだよきっと。
>>625 >今度は義満の系統が天皇になるだけでね?
「皇位」より「治天の君」が重要って事じゃないのか?
627 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:30:45
足利義満以降、徳川家定までは武家が治天の君を握っていた。
628 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:21:00
629 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 18:32:26
>>593 当時の摂関家って、それぞれ自分の家に家司なんかとして奉仕している
中流クラスの公家の娘なんかを娶っていることが多い。
義光は日野家なんかの公家たちを足利将軍家にとっての家司みたいにする
つもりだったのかも知れない。
武家の頂点である将軍と公家の頂点である摂関とを完全に別個の存在として
位置づけたのちの徳川将軍家に対して、朝廷内で摂関家と同格かそれ以上を
目指した足利将軍家(特に義満)ということがいえるかもしれない。
いずれにしても、とりあえず当時の足利将軍家は(義満の行為簒奪意志
云々の話は抜きにしても)摂関家と同等程度の家格にはなるはず。
義満以降の足利将軍家の嫡子の元服の作法は(親王形式だった義嗣を
除くと)完全に摂関家と同じ形式だし、義満が大臣・准三后となり、
日野康子が女院号宣下を受けているわけだから、朝廷内での位階・序列に
おいても、少なくとも清華家と同等以上、そして実質的には摂関にならない
こと以外は五摂家と同格かそれ以上なわけだし。
630 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 18:34:36
>>611 × 彦仁親王
○ 彦仁王
後花園天皇は即位前に親王宣下を受けていないので、彦仁王というのが
正しいはず。
631 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 19:10:17
つ「クソ実証」
シコシコ親王
633 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:51:47
634 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 20:03:28
糞実証って
でも、義満も系図見ると、立派な系図だよね
父方でも母方でも天皇とつながってて
当時の天皇と従兄弟だし幼くして幕府の将軍だし
うらやましいね
636 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:22:08
母方って石清水の善法寺家(本姓:紀氏)だろ?
637 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:47:47
>>629 足利家は摂関家よりも完全に格上だよ。むしろ摂関家を従者として従えていると言っていい。
摂関家の所領の進退権は室町殿の手中にあったし、
摂関家の当主たちは、代々、室町殿から偏諱を賜っている。
638 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:51:31
>>635 実は、足利義満の母と後円融院の母が姉妹だという証拠はない。
後円融院の母崇賢門院紀良子の実父は「石清水祀官」としか伝わっていない。
具体的人名は不明。善法寺通清が実父だというのは俗説。
639 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 01:57:26
>>637 朝廷の位階において足利家は摂関家と大差ない。
偏諱はもともとは単に烏帽子親が烏帽子子に与えて連帯感などを表す性格の
ものだから、必ずしも主従関係には直結しない。
もっとも武家社会における偏諱は、義満の政策によって主従関係の表象という
性格が強くなるのも事実だが、公家への偏諱には主従関係という性格はない。
さらに言えば、将軍から公家への偏諱が一般化するのは義満よりもう少しあとの
時代。
義満の時代にも二条満基などに例はあるがまだまだ数は少ない。
640 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 02:09:12
>>639 義満の地位は摂関家と同等というよりは法皇・上皇と同等であることは、今谷明が立証済み。
百瀬今朝雄の、義満が摂関家当主を家礼として従えていたという指摘もある。
また、日野康子の女院号宣下は摂関家にも例のないもの。
摂関の妻が女院に宣下された例は1件もない。
641 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 02:35:24
>>630 突っ込みどころはそこじゃないだろう。彦仁王は出家してないよ。
出家していたら即位できなかったはず。
642 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 08:14:25
>>640 >義満の地位は摂関家と同等というよりは法皇・上皇と同等であることは、今谷明が立証済み。
学会にはかなり異論もあるみたいだけどね。
>百瀬今朝雄の、義満が摂関家当主を家礼として従えていたという指摘もある。
これも微妙。
本来摂関家の家礼をするような公家を義満が自分自身の家礼のようにしていることなら普通にあり得そうだけど。
>また、日野康子の女院号宣下は摂関家にも例のないもの。
>摂関の妻が女院に宣下された例は1件もない。
北山院は後小松天皇の准母ということで女院になっている。
天皇の准母が女院号を受けている例なら、いくらでもある。
643 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 08:59:33
>>642 >学会にはかなり異論もあるみたいだけどね。
異論はもっぱら「義嗣を天皇に即位させようとした」という部分。
義満が治天の地位を奪ったことについては異論はほとんどない。
>本来摂関家の家礼をするような公家を義満が自分自身の家礼のようにしていることなら普通にあり得そうだけど。
想像だけでものを言うな。「荒暦」に記述された関白一条経嗣の行動は義満の家司そのもの。
>天皇の准母が女院号を受けている例なら、いくらでもある。
その例はすべて皇族(内親王)の例。
臣下出身の摂関家の妻が女院号を受けた例は1件もない。准三宮と取り違えてないか?
>>643 2chごときで何でそんなに熱くなってるの?
645 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 09:15:55
>>644 反論できなくなったらそれかよ。みっともない。
646 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 09:34:24
647 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 09:46:22
648 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:55:05
室町の五摂家を考えるなら、二条家と他の4家は区別して捉えたほうがよい。
そもそも鎌倉・南北朝時代の二条家は、初代当主の二条良実が父親の九条道家と
折り合いが悪く、家領の分与をあまり受けられなかったため、他の4家に比べて
経済基盤が著しく悪かった。
そのため南北朝時代以降、二条家は足利将軍家に接近することで摂関の地位を
独占し、殿下渡領を安定的に手中に収めておくことに熱心となる。
そして二条家が足利将軍家に接近する手段の一つとして、元服の際に足利将軍を
烏帽子親として元服して偏諱を受け、烏帽子親子関係を結ぶことだった。
もっとも、これは時代が下って義教くらいの時期になると、公家が将軍の偏諱を
貰うこともかなり一般的になるが。
ちなみに前述の『荒暦』の記主の一条経嗣は、二条家出身で一条家の養子に
なった人物なので、基本的に行動パターンは二条家の当主の場合と同じと思って
よい。
この結果、室町時代の摂関は二条・一条両家の在任期間が他の家に比べて
圧倒的に長くなるという事態になった。
649 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:08:45
>>648 足利将軍から偏諱を受けた最初の摂関家は九条家ですが。
摂関の在任期間も基本的には五摂家まわりもちだから各家当主の年齢や官位のバランスなど
偶然的要素のほうが大きいよ。ちゃんと在任期間の集計やってみた?
650 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:57:58
世阿弥とホモだったのが定説みたいになってるけどなんで?
実際にSEXしてるの見たヤツいないんだろ?
ただ贔屓にしてたのがなんでホモになるんだろ
近衛経忠 関白 建武3(1336) 8.15 〜 建武4(1337) 4.16 8ヶ月
近衛基嗣 関白 建武4(1337) 4.16 〜 暦応元(1338) 5.19 1年1ヶ月
近衛道嗣 関白 康安元(1361) 11. 9 〜 貞治2(1363) 6.16 1年7ヶ月
近衛兼嗣 摂政 嘉慶2(1388) 2. 7 〜 嘉慶2(1388) 3.26 1ヶ月
近衛家合計10年9ヶ月
鷹司師平 関白 康永元(1342) 11.18 〜 貞和2(1346) 2.29 3年3ヶ月
鷹司冬通 関白 貞治6(1367) 8.27 〜 応安2(1369) 11. 4 2年3ヶ月
鷹司家合計5年6ヶ月
九条道教 関白 康永元(1342) 正.27 〜 康永元(1342) 11.12 10ヶ月
九条道教 関白 延文3(1358) 12.29 〜 康安元(1361) 11. 9 2年11ヶ月
九条忠基 関白 永和元(1375) 12.27 〜 康暦元(1379) 8.22 3年8ヶ月
九条家合計7年5ヶ月
二条良基 関白 貞和2(1346) 2.29 〜 延文3(1358) 12.29 12年10ヶ月
二条良基 関白 貞治2(1363) 6.27 〜 貞治6(1367) 8.27 4年2ヶ月
二条師良 関白 応安2(1369) 11. 4 〜 永和元(1375) 12.27 6年1ヶ月
二条師嗣 関白 康暦元(1379) 8.25 〜 永徳2(1382) 4.11 2年8ヶ月
二条良基 摂政 永徳2(1382) 4.11 〜 嘉慶2(1388) 2. 7 3年10ヶ月
二条良基 摂政 嘉慶2(1388) 3.26 〜 嘉慶2(1388) 6.12 3ヶ月
二条良基 関白 嘉慶2(1388) 6.12 〜 嘉慶2(1388) 6.12 0ヶ月
二条師嗣 関白 嘉慶2(1388) 6.12 〜 応永元(1394) 11. 6 6年5ヶ月
二条家合計36年3ヶ月
一条経通 関白 暦応元(1338) 5.19 〜 康永元(1342) 正.26 3年8ヶ月
一条家合計3年8ヶ月
近衛忠嗣 関白 応永15(1408) 4.20 〜 応永16(1409) 2.21 10ヶ月
近衛房嗣 関白 文安2(1445) 11.13 〜 文安4(1447) 6.15 1年7ヶ月
近衛政家 関白 文明11(1479) 2.30 〜 文明15(1483) 2.24 4年0ヶ月
近衛家合計6年5ヶ月
鷹司房平 関白 享徳3(1454) 7. 1 〜 康正元(1455) 6. 2 11ヶ月
鷹司政平 関白 文明15(1483) 2.25 〜 長享元(1487) 2. 9 4年0ヶ月
鷹司家合計4年11ヶ月
九条満教 関白 応永25(1418) 12. 2 〜 応永31(1424) 4.20 5年4ヶ月
九条政基 関白 文明8(1476) 5.15 〜 文明11(1479) 2.27 2年9ヶ月
九条政忠 関白 長享元(1487) 2. 9 〜 長享2(1488) 8.22 1年6ヶ月
九条家合計9年7ヶ月
二条師嗣 関白 応永5(1398) 3. 9 〜 応永6(1399) 4.17 1年1ヶ月
二条満基 関白 応永16(1409) 3. 4 〜 応永17(1410) 12.27 1年9ヶ月
二条持基 関白 応永31(1424) 4.20 〜 正長元(1428) 7.28 4年3ヶ月
二条持基 摂政 正長元(1428) 7.28 〜 永享4(1432) 8.13 4年1ヶ月
二条持基 摂政 永享4(1432) 10.26 〜 永享5(1433) 3.23 5ヶ月
二条持基 関白 永享5(1433) 3.23 〜 文安2(1445) 11. 3 12年8ヶ月
二条持通 関白 享徳2(1453) 4.28 〜 享徳3(1454) 6.30 1年2ヶ月
二条持通 関白 康正元(1455) 6. 5 〜 長禄2(1458) 12. 5 3年6ヶ月
二条持通 関白 寛正4(1463) 4. 3 〜 応仁元(1467) 5. 9 4年1ヶ月
二条政嗣 関白 文明2(1470) 8.10 〜 文明8(1476) 5.13 5年9ヶ月
二条家合計38年9ヶ月
一条経嗣 関白 応永元(1394) 11. 6 〜 応永5(1398) 3. 9 3年4ヶ月
一条経嗣 関白 応永6(1399) 4.19 〜 応永15(1408) 4.20 9年0ヶ月
一条経嗣 関白 応永17(1410) 12.30 〜 応永25(1418) 11.17 7年11ヶ月
一条兼良 摂政 永享4(1432) 8.33 〜 永享4(1432) 10.26 2ヶ月
一条兼良 関白 文安4(1447) 6.15 〜 享徳2(1453) 3.28 5年9ヶ月
一条教房 関白 長禄2(1458) 12. 5 〜 寛正4(1463) 4. 3 4年4ヶ月
一条兼良 関白 応仁元(1467) 5. 9 〜 文明2(1470) 7.19 3年2ヶ月
一条冬良 関白 長享2(1488) 8.28 〜 明応2(1493) 3.28 4年7ヶ月
一条家合計38年3ヶ月
近衛尚通 関白 明応2(1493) 3.28 〜 明応6(1497) 6. 7 4年3ヶ月
近衛尚通 関白 永正10(1513) 10. 7 〜 永正11(1514) 8.24 10ヶ月
近衛稙家 関白 大永5(1525) 4. 5 〜 天文2(1533) 2. 5 7年10ヶ月
近衛稙家 関白 天文5(1536) 11. 1 〜 天文11(1542) 2.25 5年3ヶ月
近衛晴嗣 関白 天文23(1554) 3. 2 〜 永禄11(1568) 12.15 14年9ヶ月
近衛家合計32年11ヶ月
鷹司兼輔 関白 永正11(1514) 8.29 〜 永正15(1518) 3.27 3年7ヶ月
鷹司忠冬 関白 天文11(1542) 3.26 〜 天文14(1545) 6. 2 3年3ヶ月
鷹司家合計6年10ヶ月
九条尚経 関白 文亀元(1501) 6.29 〜 永正10(1513) 10. 5 12年4ヶ月
九条稙通 関白 天文2(1533) 2. 5 〜 天文3(1534) 11.21 1年9ヶ月
九条兼孝 関白 天正6(1578) 12.13 〜 天正9(1581) 4.29 2年4ヶ月
九条家合計16年5ヶ月
二条尚基 関白 明応6(1497) 6.18 〜 明応6(1497) 10.10 4ヶ月
二条尹房 関白 永正15(1518) 3.30 〜 大永5(1525) 4. 4 7年1ヶ月
二条尹房 関白 天文3(1534) 12.14 〜 天文5(1536)閏10.21 1年10ヶ月
二条晴良 関白 天文17(1548) 12.27 〜 天文22(1553) 正.20 4年1ヶ月
二条晴良 関白 永禄11(1568) 12.16 〜 天正6(1578) 4. 4 9年4ヶ月
二条昭実 関白 天正13(1585) 2.12 〜 天正13(1585) 7.11 5ヶ月
二条家合計23年1ヶ月
一条冬良 関白 明応6(1497) 10.23 〜 文亀元(1501) 6.27 3年8ヶ月
一条房通 関白 天文14(1545) 6. 2 〜 天文17(1548) 12.27 3年6ヶ月
一条兼冬 関白 天文22(1553) 正.22 〜 天文23(1554) 2. 1 1年1ヶ月
一条内基 関白 天正9(1581) 4.29 〜 天正13(1585) 2.11 3年10ヶ月
一条家12年1ヶ月
657 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:10:14
>>649 集計(
>>651-656)です。
建武政権が崩壊した建武3年から豊臣秀吉が関白となる直前の天正13年までを
一覧にして、さらに南北朝合一と明応政変で区切って、南北朝(建武〜明徳)、
室町中期(応永〜延徳)、戦国(明応〜天正)の3時期に分けて見ました。
まず、目立つのは南北朝には二条家のみ在職期間が異常に長いことでしょう。
そして、二条家出身の一条経嗣が一条家を嗣いで以降は、一条家も在職期間が
二条家並みに長くなります。
ところが、明応政変で幕府の構成や朝幕関係に変化が生じた明応以降になると、
二条・一条両家の在職期間の長さは以前ほど目立たなくなります。
むしろ、この時期に将軍家との婚姻関係が生じる近衛家の在職期間が長くなる
傾向が現れます。
なお鷹司家は全時代を通じて在職年数が極端に少ないと言えます。
658 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:32:42
鷹司って、いわゆる鷹の調教師だろ?
なんでこんな身分が高いんだ?
659 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:49:19
単にそのときどきの足利将軍に気に入られた奴が長く摂関でいられたということだろ。
無理に法則性を見出すほどのものとも思えないが。徒労だったね。
661 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 08:44:05
662 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 13:07:17
日本史上最高の国賊
663 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 16:03:09
ぁあ…とんち出るっ、とんち出ますうっ!!
ポッ、ポクッ、ポクポクポクチーンーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!とんち見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
将軍様っ!義満ーーーーーーっっっ…金閣っ!
屏風の虎ぁああああーーーーーーーーっっっっっっ!!!!
新右衛門んんーーーーっっっ!!!わっ、割れっ、割れアゴォォォッッ!!!
桔梗屋っっ!!桔梗屋っっ、さよちゃんっっ!!!
おおっ!橋っ!!この橋っ、わたっ、渡るべからずっっ!!!
真ん中歩くの見てぇっ、ああっ、もうダメッ!!母上様ーーーーっっっ!!!
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いやぁぁっ!一休、こんなにいっぱいとんち出してるゥゥッ!
ああっ、もうダメッ!
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665 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:56:23
偶然に必然性を見出そうとするのは馬鹿の特徴。
>>648はその典型。
二条家(および経嗣以降の一条家)の在任期間の異常な長さを、各家当主の
年齢や官位のバランスなどの偶然の結果のみだと強弁する奴こそ莫迦。
そのくせ
>>659では偶然以外の要因も認めるような発言をしていて一貫性がない。
667 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:25:35
まあいいんじゃない。自分では新発見をしたと思って満足していれば。
>>667 てか、室町時代の二条・一条両家の摂関在職期間が他家に比して異常に長い
ことと、それが単なる偶然ではないってことに関しては、結構いろんな人が
同様の趣旨のことを言ってると思うが。
もっとも、
>>648の前半部分に関しては、とある研究者(実名は出せないけど、
東大に所属する某氏)から酒の席で聞いた話の受け売りだったりしますけど。稿
669 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:45:34
治天の君にはなっていた
670 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 23:27:18
東大系の研究者って結局所詮クソ実証主義から抜け出せていないんだよな。
だから京大系の研究者のようなスケールの壮大さとか構想力が伴わない。
671 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 19:40:32
>結構いろんな人が同様の趣旨のことを言ってると思うが。
たとえば?
672 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:59:06
673 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:43:22
674 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 01:04:02
ウホウホ
ウホウホ
676 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 11:42:24
677 :
7311:2005/10/23(日) 11:45:03
678 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:02:50
足利義満を並べ替えると「義利満足」
義も利も十分に持ち合わせた人だったのだろう
679 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:20:32
足利義満の皇位奪取が成功してればいま皇位継承でこんなにもめずに済んだのに・・・
680 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:20:58
井沢元彦とかが後小松天皇は義満の子だとか言ってるが
根拠はあるのか?
想像だろ?
681 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:39:06
海音寺潮五郎も言ってるな。
もちろん想像。なんの根拠もなし。
682 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 15:21:22
久々age
義満を公家社会に引き立てていった
二条良基・日野宣子・三宝院光済の意図って何だったんだろ
683 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 20:55:56
無力な天皇家に頼れない以上、朝廷の維持存続のためには足利家に頼るしかないと思いきわめたのだろう
一休さんとのバトルだけはガチ
新右衛門さんはガチムチ
686 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 21:40:13
キートン山田
687 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 03:13:03
688 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 03:41:16
>>681 根拠としては当時の宮廷でそういう話が広まったらしいということか。
少なくともそう信じる何かがあったんだろ。
そしてそれはずっと北朝への猜疑心になっていた。
幕末の木造首ちょん事件もそれが根にあって南朝正統論が盛り上がった。
689 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:10:09
禅譲ってどうやるんだろ
691 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 08:59:38
age
父親の足利義詮は母親が赤橋守時の妹だから、足利氏は源氏と平氏の混血と言えるね
693 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 12:17:33
age
694 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 13:42:22
>>692 そんな事言ったら実朝や頼家はじめ、いくらでもいるよ
695 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 14:42:46
そもそも八幡太郎義家の母は平直方の娘。
ということは源氏と平氏とは親戚関係って事になるの?
大元は天皇家なんだし。
698 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 16:20:21
研究者の人教えて。義満は、女系男子だけど、もしかして遺伝子的には
皇族の男系男子なの?つまり、足利義満まで、清和源氏以来ずっと男系
男子でつながっているか?ということがききたいのだけど・・・・
そうすると、仮に簒奪があろうと、遺伝子的には天皇家の遺伝子。
今の、女系天皇論とはちがうような・・
武家で源氏長者になったのは彼が初めてじゃなかったっけ?
700 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 19:21:02
>>698 研究者じゃないけど男系で繋がってるよ。
このくらい薄い繋がりでは皇位継承の根拠にはならんだろうけど。
もし義嗣が皇位につけば皇統が変わったと考えるべきだろう。
>>699 久我具通が頑張ったので、あっさりと源氏長者を奪われた。
ついでに淳和奨学両院別当も一緒に持っていかれた。
この時から征夷大将軍が源氏長者と淳和奨学両院別当を兼ねることになる。
701 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 20:39:39
702 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 20:48:27
征夷大将軍が源氏長者と淳和奨学両院別当を兼ねることになるのは徳川家康以降です
源氏長者はともかく、武家らしくないしなんの実利もない淳和奨学両院別当の肩書きくらい残してやれば良いのに。
存外けつ穴の小さい奴らだな。
淳和奨学両院別当の源氏が、源氏長者に成れるのではなかった?
705 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 11:56:05
>>700さんありがとう。男系で繋がっているなら、今の女系天皇容認論より
100倍以上ましですね。女系では、どこの馬の骨が皇室に入るかわからない。
藤原家は絶対だめ。なにしろ天皇の随神でしょ。随神がなりかわっちゃだめ。
あくまで藩屏でいないとね。
ところで、足利家は逆臣・逆賊ですよね。私はそう思ってますので、足利さん
が偉そうにしているといつも「逆賊でしょ」とつぶやいています。
706 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:47:51
氏と家の区別もつかないやつがえらそうに能書きたれてもな
>>706 藤原は”氏”だね。足利は”家”だね? 源氏の中の足利なんだから(だから系図詐称でも徳川は”氏”ではなくて”家”)。
あと豊臣も”氏”だよね?
>>707 豊臣は「氏」ではなくて「姓」では無かっただろうか?
>>708 なるほど。しかし、氏と姓が良く判らない。
豊臣は豊”氏”で、”姓”は臣でいいの?
例えば、豊臣朝臣羽柴秀吉が正式名らしいが?
豊臣は姓じゃないのかな、
義満だったら、姓は源で、
氏(っていうかいわゆる苗字?)が足利だと思っていたのだが違うのか?
そもそも氏と今の苗字は違うのか?
誰か教えてくれい?
そこらへんは時代によって定義が変わると思うけど。
思い切り簡単に言うと氏は部族。んで昔は族長の事を姓と言った。
その後ランク付けのための朝廷の整理統合を経て
氏は源平藤橘などに代表される、というかほどんどこの四つに吸収された士族を、
姓はその下に位置する足利、新田、武田等を意味するようになった。
と言うような感じですか?
豊臣は源平藤橘の氏とは別に新たに建てられた氏族、と理解してたけど。
古代における氏と姓の意味が違ったかも。よくわかりません。
雑談スレに言って山野氏でもつかまえて聞いてみるとよいかもしれん。
この場合の氏の使い方はまた別で比較的新しいんだよね。ほんとによくわからん。
氏と姓は実質的には同じ。
もともとは氏=氏族、姓=役割。
厳密には源=氏、朝臣=姓、足利=苗字、家名、義満=名なんだろうけど
源を姓とすることもあるし厳密な区別はつけられてない。
ただ氏姓と苗字、家名は一応ちゃんと区別されてる。
豊臣みたいに係累の少ない氏ならどっちでもいいけど、藤源は区別しないと
訳分からなくなるからw
ということは、豊臣朝臣羽柴秀吉が正しいのか?豊臣「姓」の前は藤原「姓」でその前は「平」姓だったしな
715 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 01:00:09
age
716 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 15:26:23
逆賊高氏の謀反によって、後代にまで悪いイメージが浸透してしまった足利家は哀れですね。
特に義満なんて名前を聞くだけでかわいそうになります。
何で逆賊なの?
もしかしてみんな後南朝関係者?
狙った女は必ず落とす真田広之に嫉妬しているのでしょう
719 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 03:29:55
彼は暗殺された可能性が極めて高い。
大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)が交互に帝位につけると騙して南北合一をしてるわけだから、そういう意味では義満は嫌いだ。
あと明皇帝の家来として“日本国王 臣源道義”で日明貿易やってたのも何だか好きじゃない。
721 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 02:11:05
age
722 :
日本@名無史さん:2006/01/14(土) 21:06:13
>>705 北朝にとっては(基本的に)足利氏は功臣(いろいろ言いたいことはあるだろうけど)。
尊氏卿が持明院統を担がなければ、
今頃今上陛下が皇位にあらせらることもなかったのは事実。
「逆賊」という概念は時代時代で変わる。
例えば室町時代の殆どの期間、楠木正成は逆賊だった。
現代では無意味な概念。
>>720 豊臣と羽柴の位置が逆では?
尚。豊臣は姓なので、「とよとみひでよし」ではなく
「とよとみのひでよし」が正しい、と聞いた。
>>720 あなたの言っていることは分からないではないが、両統迭立が続いていたら、
戦乱は収まらない。
話が飛ぶが、江戸末期(幕末)に天皇家が分裂していたら、
我が国は西洋列強にいいように蹂躙されていただろう。
なんだかんだで義満が王朝の機関を使ったおかげで
公卿が陽の当たる場所にいられたんだよな。
逆に幕府は表舞台に出られなかった。
斯波義将が義満の死後、義満路線を放棄するのも
そういった疎外感からかね?
724 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 11:56:20
age
725 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:36:17
実際には公家が足利家の家臣として活動するのは義昭の時代まで見られるわけだが
726 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:26:03
義満は南北朝を和解させようとしていた忠臣。
test
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
729 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 10:40:37
逆賊厨って、なんだかアレルギー反応みたいに「高氏=逆賊」ってほざくが、お前らの史観でいくならば、
藤原基経や北条義時、徳川秀忠のほうがよほど朝廷には苛烈なことをしてると思うんだが。
藤原基経を霍光になぞらえたりして正当化するみたいだが、宇多天皇との一件など完全に我が儘だしねえ。
730 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 10:49:58
義満が天皇になっていればなぁ。
つか、義満の畳は雲霓縁、一時天皇扱いしてたのか?
やだ。
一休の父上さま、こそ天皇さまで〜つ
じゃあ母上様に種仕込んだのは将軍様なの?
733 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 13:53:03
ここ4年もスレが生きてるのか
734 :
もう源平戦国幕末には詳しくなりすぎて飽きました:2006/03/19(日) 18:04:07
南北朝から室町時代というのは、日本史の中でもあまりパッとしない印象がある。
その理由を簡単に言えば、大衆作家がテーマに取り上げる機会が少ないためであろう。
戦後の日本史は、教科書や学術書よりも、むしろ小説家の健筆やそれを原作にしたテレビドラマによって日本人の間に浸透している。
そして、大衆作家の草分けであった司馬遼太郎氏は、南北朝から室町時代が嫌いで、「この時代はクズみたいな人間しかいない」旨の発言を繰り返した。
そして驚くなかれ、この暴言が「歴史の通説」になってしまったのだ。
司馬遼太郎は、たいへん優れた大衆作家であるが、その史観はしょせん「英雄史観」である。
すなわち、彼の小説には、大衆を善導できる強大なカリスマ性やリーダーシップを持つ人間が不可欠なのである。
そういう意味で、司馬氏は「リーダー不在(と彼が主観的に想像する)」の南北朝室町が嫌いなのだろう。
でも、大衆作家の好悪が歴史の通説になるような不健全な環境は異常である。
それだけでも、この国の歴史認識の幼稚さが良く分かるというものだ。
南北朝室町期が「リーダー不在」に思える理由は、既存の権威が崩壊し、社会全体が混沌として複雑になったためである。
確かに、これでは大衆小説のテーマにはなりにくいだろう。
しかし、この混乱こそが、新たな日本を創造するための産みの苦しみだったのである。
思えば、今日の我々が「日本的」とか「日本文化」と言い習わす概念は、室町時代に確立されたものがほとんどである。
茶道、華道、俳諧、将棋、囲碁、能、狂言、邦楽、礼式は、いずれも南北朝室町時代に誕生し成熟したのだ。
また、いわゆる和式の建築様式(床の間や掛け軸など)も、室町時代に完成されたものである。
文学の世界でも、『太平記』、『風姿花伝』などの傑作が生まれている。
735 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 21:07:44
義嗣と内親王を結婚させてその内親王を皇位につけてから生まれてきた
皇子を次の皇位につけたら義満の野望は達成できそうなのですが・・
それ以前に義満があぼんしそうだし、義嗣だけではそこまでできそうに
ないと思うけれど
736 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 00:37:23
義満がせめてあと10年生きていればなあ。
後小松が義嗣に譲位して足利家の皇位簒奪は成功していただろうに。
そうすればいま万世一系などという与太を飛ばす馬鹿もいなかったはず。
息子に叛かれなかった、急進強引過ぎて
738 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:12:35
女系議論がかびすましい今こそ義満の皇位簒奪をテーマにした大河の製作を
一休さん、和尚さん、桔梗屋さん、新右衛門さんも必ず出して欲しい
でも無理か
勝海舟は義満を経済人として誉めてたな。
朝敵の風潮のなかで
740 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 21:20:55
足利義満は、皇位簒奪を目前にしたという点では
常に天皇論に引用されるほど目覚しい働きをした。
しかし、有能な後継者を育てなかった訳で、
後に出てくる織田信長と五十歩百歩。。。
真綿で締めるように朝廷を無力化したということでは、
徳川幕府のほうが上か。
741 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 22:46:02
義満が天皇の女官を犯して、生まれた天皇がいるって本当?
742 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 04:48:48
>736継体だって傍系だし。天皇の5代の胤なんて臣下みたいなもんだろ。
足利は一応、清和源氏だから、一系には変わりないだろ。
「われは、敏達天皇四代の孫、井手左大臣橘諸兄公の後胤たりといへども
民間に下って年久し。
楠木兵衛正成、スレ違いご無礼!」
744 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 16:36:41
745 :
日本@名無史さん:2006/04/18(火) 21:26:17
義量死後、義持が死んでくじ引きが行われるまで、将軍位は空位だったいう解釈であってるかな?
746 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:32:32
>>734 そこまで司馬センセ否定せんでもええやんかアンタ。
しかし戦国以前の室町はドラマにしにくいんかね?
734は司馬遼太郎を否定してるようには見えないけど?
小説家の創作が一般的な歴史認識となっている現状に異を唱えてるだけで。
749 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:27:15
俺は「箱根の坂」の大河化を望む。
但し原作のままではまずいので、かなり専門家による手直しが必要だが。
750 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:29:05
751 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:31:41
>>692 足利氏でいうなら、貞氏母も頼氏母も泰氏母も義氏母も北条一族。
>>695のいう平直方は北条氏のご先祖様。
752 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:50:18
>>713 確かに中世以降において「氏」と「姓」を厳密に区別することはなくなるね。
これは有力氏族がみんな「朝臣」姓になってしまったことが大きな原因かな。
近世まで「朝臣」以外の姓を名乗っている家って、地下官人の官方筆頭の
壬生家(氏は「小槻」、姓は「宿禰」)くらいしか思いつかない。
他にはあるのかな?
清原氏(嫡流は舟橋家)なんて、わざわざ天皇の許可を得て、姓を「真人」から
「朝臣」に変えたりしてるし。
753 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 15:15:54
姓(セイ)と姓(かばね)は意味が異なるからな
氏(シ)と氏(うじ)も違うし
日本語は難しいな
754 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 21:35:53
時代によっても意味合いが微妙だしね。
755 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:30:44
精子
キムチ臭いスレですね
757 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 21:15:09
758 :
日本@名無史さん:2006/05/24(水) 14:25:16
きむち?
759 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 17:09:33
あしかがよしみつwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
760 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 17:43:25
新右衛門さんは最初少しの間シリアスキャラで直ぐにヤラレキャラになったのは有名な話しだよな?
761 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 17:44:38
こいつツロイよ
762 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:51:08
まあ、義満ごときに天皇になれんよ
763 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:20:03
義満が目指したのは上皇だろ。
この人を大河で取り上げてほしいな。
765 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 22:01:47
1年持たないよ。
766 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 09:44:40
そうやな。
767 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 11:34:15
なんだかんだいいつつこういうのが可能だったのはやはり義満の時代だけなのでは?
南北朝から義満の一件は天皇の制度が近代以降考えられていたような
神聖絶対な枠組みのものでは実はなかったという点に中世論的価値があると思うが。
いやその中世でも簒奪まで考えたのは義満だけだし、
やはり王権の神聖化はあったよ。
義持は父親への反発もあろうが義満の政治をことごとく否定してるし、
義教は専制政治をしたが室町将軍唯一の尊王家だし、
義政はなれなれしいけど朝廷との関係はよかった。
769 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 23:16:31
義持の場合はむしろ朝廷に対して無関心すぎた面もある。
770 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 08:52:49
まじめに南北朝を和解させようとしてたのがちょっと意外。
771 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:43:18
わらわは、デブセンの宮
大観衆の前で、マワシ姿のデブ男が二人抱き合ってたのを見て濡れたのが、 わらわの性への目覚めじゃ。
.,i´.,│:.'!\,:^`,i´: : : : : : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: : : : ::::::゙l
,i´ /::゙l::ヽ:`-~ノ`::::::::::: : : : .,┐: : : : : : : : : : : : : :::::::::::::::゙l
/ ,!::::゙l、ヽ:::│:::::::::::::::::::::::.l゙ ゙l::::: : : : .........: .: : :::::::::::::::::::::::::|
`゙'-l゙:-,.:゙l,:::゙∨::::::::::::,、::::::::,l゙ ゙l::::::::,,::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::゙l
.,/|::-,"'-/:::,、::::::,l゚!::::::::./ ,!:::::::/|:::::::::::ュ,:::::::::::::::::::'j,:::::::|
,/` |::::::゙'ッ":::./{::::::::| |:::::_,l―-(,--l゙ ←--/ ゙=,,,,,,,,,,-,u,り:::::,l゙
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`-,i´ `\、:゙l .冖'" .,,┬''l ゙̄,{゙ヽ、 ヽ ,/ ,X,,,,,√゙'‐ ゙l
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|:::ヽ、 .| ゙'-―--‐ ,l
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: l゙:::,!│,|/` `'ー-,,,,,_゙'-、,,,,__,ッ-,,,,У
773 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 18:50:39
ho-
>>765-766 そこは脚本家など制作者サイドの腕次第。
細川頼之、今川貞世、渋川幸子、紀良子などにも
光を当てるようにすれば充分いけるはず。
775 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:22:50
>>764-766>>774 <wikipediaより>
日野富子の出生の秘密、足利義政との葛藤などの創作部分が難解である上、
全体的に暗い印象を持たせるものばかりであった。悪妻として認知されている
日野富子と歴史的にはなんら行動を起こさなかった義政を中心とした部分には
無理があったようで、全体的にはメリハリのない展開が続き、平均視聴率は
大河ドラマ史上最低の14.1%に落ち込んだ。主人公が実在する大河ドラマで
ありながら、堂々とその最期を全く描かず、山中をどこかへ彷徨って消えて
いくという何の救いもないエンディングも異例である。一方で、このドラマで
本格テレビデビューを果たした松たか子・市川新之助(現・11代市川海老蔵)・
野村萬斎らは、ここでの演技が好評を得、その後人気を博していく。
本作の失敗が影響したのか、純粋な室町時代のみを舞台にした大河ドラマは
その後一度も制作されていない。これに追い討ちを掛けるように、近年のNHKは
鎌倉時代末期から室町時代中期にかけての時期を忌避する傾向が顕著になって
おり(歴史情報番組「その時歴史が動いた」がこの時期を全くといっていいほど
取り上げないのはその一例)、当分の間この時代を題材にした作品は
作られそうにない。歴史的には動乱期にあたるものの、建設的な行動を行った
人物が乏しくドラマ性に欠ける点も否めないのがその所以だが、皮肉にも本作は
それを立証してしまったともいえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%81%AE%E4%B9%B1_%28NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%29 ということだそうです・・・。まあNHKに室町が見たいという投書が
殺到したりすれば多少は変わるかもしれないけどね。
776 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:35:10
北条時宗や八代将軍吉宗を見れば 足利義満で1年はちょろい。
>>774
777 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:49:27
「風林火山」と「篤姫」を来年に半年ずつやって、
再来年の1年間を「室町太平記」にすべきだろ。
>>776 同感。
その気になったら1年でも足りないくらい。
778 :
日本@名無史さん:2006/12/04(月) 06:55:53
義満出家後は当時の廷臣達の意識においても、義満≒法皇っぽいね。
ところで、義満の急死は義嗣に足利家の家督を奪われることに危機感を抱いた義持
による暗殺って線は薄いのかな?
780 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:53:57
そういえば、義満母・紀良子は順徳天皇の血筋、っていう話があるな。
>>768 政治体制に関して見ると「ことごとく」とは言えないと思う。
親父の人となりに関してはことごとく大っ嫌いだったかもしれないけど。
781 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 18:28:23
>>779 動機は十分すぎるほどあるけど証拠は出てないね。
幕府側は義満に鬱屈した感情を持ってたんで可能性としてはあるかもしれんね。
783 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 20:46:49
784 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:00:38
足利義満って、義持の義弟の義嗣をかわいがっていたという説があるよね。
785 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:09:20
>>784 何を今さら。・・・というか義満が義嗣を可愛がっていたという話だけなら
小学生が普通に知っているレベル(小学館等の漫画日本史シリーズにもある)。
786 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:33:14
> 義持の義弟の義嗣
「義弟」ってどういうこと?
788 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:05:39
789 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:05:53
>>764-766 足利一族でドラマ化して面白そうなのは、尊氏と成氏じゃないかな。
尊氏は言うまでも無い。
成氏は「非業の死を遂げた一族の生き残り」「武力で地盤を築いた」
という、足利一族では珍しく「男らしい」人だし。
まあ、成氏ってマイナーっぽいけど・・・
790 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 05:23:36
マイナーっぽいどころかマイナーそのものだろ。
里見八犬伝に出て来るとはいえ。
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\ \ ノ ´'ー'´,ハ/⌒ヽ.. .. .. ...:.:.:.:.:.:;:;:;:;:;:;:;:;;:;:;;:;:;;:;:;
強き幕府に生まれ変わらせたワシが狙うのは朝廷・・・
過激に皇位簒奪編 連載中・・・
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157332882/l50 足利義教と共に苦難を乗り越えてゆくスレC
ネタとはいえ、すこし過激な部分もありますが・・・
天皇家のシステムがよく理解できていない所もありますので、
よければアドバイスを下さいませ。
792 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 04:02:49
金閣と一緒に焼失した義満の法体の木像の画像が見れるサイトってないかな?
それにしても、金閣の焼失は残念だ。
小さい白黒写真でしか見たことないが、義満法体木像は素晴らしいと思った
金閣寺に住んでたの?
794 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:15:24
なーんだ初めは明から
「天皇の家臣が何勝手に使者送ってきてるんだ、帰れ」
ってつき帰されてるやん
795 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:24:43
結局、中国の王朝からしたら
日本の主は天皇家であると
いう認識ははっきりとわかっていたんだね。
だからこそ義満は将軍を辞して准三位や皇位を狙ったわけだ
796 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:31:41
准三后だった
797 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:35:38
皇位を狙ったというより
明に認めてもらいたい
一心で中国が日本の国主と認めていた
天皇家の地位を利用したんだね。
798 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:41:02
明からすればあの随や唐がと
交流のあった天皇家というものの
権威は力衰えたといえども
認めないわけにはいかないものだったんだろうね。
799 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:45:34
この時明が義満に示した対応から明らかなのは
「将軍」は天皇家の国臣であり日本国王とは認められない。
日本国王の称号を授けたのは
皇族に連なる形の
「准三后源道義」に対してだった。
800 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:50:02
金閣が明の使節を接待するための迎賓館という説ははじめて聞いたな(w
801 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:05:48
>>800 俺もはじめて聞いたよ。
だれかマトモな学者で、素人でも読める本出してる人っていないのかね?
802 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 01:16:05
今で言うと400億もつぎ込んだそうじゃないか。
そんな金よくあったな。
803 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 04:11:02
それを知ってしまったので火をつけたんだな。
>>802 まあでも人件費も材料費も今よりずっと安上がりだろうし
805 :
日本@名無史さん:2007/02/17(土) 18:30:11
反応が薄いので自演御免。
(黙ってやるのは卑怯だからな。あらかじめ宣言しておく)
>>797 それは極めて重要な見解ですね。
さすが文系名門國學院卒ですな。
従来の説では義満は国内の支配力を高めるために
明に朝貢したり皇位を狙ったりした
というのが定説でしたが
その定説を180度転回した
新たな見解で説得力があります!
806 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:29:38
807 :
日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:28:03
中世の教皇と皇帝を兼ね備えた
神聖ローマ帝国みたいな国作りたかったんじゃねえの
義満は
808 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 03:56:12
>>807 中世の教皇は神聖ローマ帝国内にいたのですか?
義満は男系皇統に属する人間であるため、仮に簒奪が成功したとしても万世一系が揺らぐことはない。
810 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 23:33:46
AD2007年3月の相場
1和同開珎=¥320000
811 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 23:44:03
>>807 ?教皇が皇帝を兼任したことはありませんが・・・
>>808 違います。ローマ(一時期南仏のアヴィニヨン)にいました。
神聖ローマ帝国はドイツです。
>>811 俺は
>>807とは別人だけど、おそらく807の考えは↓ではあるまいか?
「神聖ローマ皇帝は、ドイツ王になって、さらに教皇から戴冠されてはじめて皇帝たりうる立場(存在)」
だから、「足利家当主の座を射止めた上で、さらに天皇によって征夷大将軍の宣下を受けなければならない」足利将軍と
よく似ている。だから義満は、足利幕府の首長の地位の上に、さらにその首長を(形式的に)任命する天皇の位を欲したのでは
ないか? それはヨーロッパにたとえるなら神聖ローマ皇帝が、教皇の地位も欲しがるような状況に近い〜ということでは?
「もし神聖ローマ皇帝が、教皇の座を射止めた上で、帝国を治めるような時代」が出現していれば、義満が目指した(?)状況に近いといえば近い
かな?
807がここまで考えたかどうかわからん。ただの憶測だけど
813 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 02:26:04
でもドイツ王になった上でさらに教皇から戴冠っていうのはカール5世までで、
フェルディナント1世以降はドイツ王への即位と神聖ローマ皇帝への即位が
事実上イコールになった。
重箱の隅をつつくようなレスですな。けれど
>>813が言わんとしたこととはずれてると
思う。
815 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 13:01:32
つまりだ
義満は
政治的権限も宗教的権限も欲したと
信長は
さらにこれを超越して
神になることを欲したと
816 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 14:44:38
明との関係で言えば、義満に必要だったのは別に宗教的権威そのものではないよね。
朝廷が隋や唐と付き合ってきた歴史があるために明が朝廷しか相手にしなかったのが
問題なんだが、明はあくまで朝廷を俗世の中央政府だと思ってただけでしょ。
中国にはローマ教皇や天皇にあたる宗教的権威はないからね。義満に必要だったのは
「おたくとは国柄が違うんだよ!」と明を説得する能力だったね。将軍が天皇にならずに
対外的に日本の国主と認められれば、その後の日本の歴史は違ったものになってたね。
ただ義満や義教など数人の足利将軍が明帝国から「日本国王」に任じられた
ことは、一時的ながら対外関係にも影響を及ぼしたと思う。
たとえば琉球国王に対して、足利将軍(義教だったかな?)が送った手紙は、
『日本国王から琉球国王あて』の国書になっている。また琉球側からの返書も『琉球国王から日本国王
』あてという形式。 当時の東アジア的世界観では、李氏朝鮮、琉球、日本は明帝国から王位を授けられた
ものが治める衛星国的な考えだったのではないかな? 足利将軍としては「権威を高めるため、貿易促進の
ための便宜的な措置」ってことになるだろうけど。
818 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:42:16
>>812-813 てかさ、「ドイツ王」って概念はいつくらいまであったの?
ベーメン(ボヘミア)なんて神聖ローマ帝国内の領邦だけど、かなり早くから
伝統的に王号を名乗っている。
それともベーメンは、神聖ローマ帝国の一部ではあってもドイツ王国の一部では
ないというような建前なの?
819 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 17:55:25
プロイセンやサルデーニャの王号はどうなんだろ?
820 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:08:30
そういえばロシアには王号はないのかね?
公国はあっても王国はないよね。
821 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 16:25:24
義満の簒奪計画というのは、学界ではどの程度支持されている学説なの?
義満は父が10歳のとき生まれたの?
ごめん勘違いしてた
28歳だね
824 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:29:41
義満誕生時の義詮の年齢は数えで29歳。
尊氏が死んだ年に生まれた。
827 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 12:42:05
そろそろ一休さんと義満の関係について触れる時では?
828 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 12:57:38
一休さん=
後小松天皇の落胤。母は、南朝遺臣花山院氏の娘。
母は、南帝の恨みをはらさんと懐剣を隠し持っていた為、
一休をはらんだまま内裏を追放された。
一休は幼い頃から大徳寺に入れられ、出家。
室町幕府の定めた五山の制度を離れ、堺の豪商の手で大徳寺を復興。
一休さんの漫画以外、とりたてて義満との接点は深くなさそうだが?
829 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 21:43:10
今谷さんの説は刺激的だ。
でも、義満の権力が徐々に、自然に、肥大化していって
天皇の称号を受けてもいいほどに巨大になったって事。
今谷さんの本をいくら読んでも、上記の否定はできていないと思った。
最初から皇位簒奪の明確な意思を持っていて、
着々と手を打っていったとは思えない。
日本の政治家は、実はそんなに単純ではない。
受け身で複眼的視野で、特定の思想や政策を絞り込まない。
> 今谷さんの本をいくら読んでも、上記の否定はできていないと思った。
> 最初から皇位簒奪の明確な意思を持っていて、
> 着々と手を打っていったとは思えない。
そもそも今谷さんって
義満が「最初から皇位簒奪の明確な意思を持っていて、
着々と手を打っていった」という説なの?
831 :
日本@名無史さん:2007/07/15(日) 21:45:42
皇位簒奪の明確な意思があったら後南朝がだまってないだろ。
832 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:19:52
なぜに後南朝?
833 :
日本@名無史さん:2007/07/19(木) 06:14:26
>>830 「室町の王権」を読む限りはそのようです。
834 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 20:39:59
足利義満は、後円融天皇の従兄弟だからな。
(母親同士が姉妹)
皇位簒奪というよりも、
自分を天皇家の一員のように思っていたのだと思う。
清盛以来の太政大臣にも就任しているし。
今谷さんは天皇家サイドの連中も義満を天皇家の一員に取り込もうとしてたと
考えてしますね。
837 :
名無し募集中。。。:2007/08/20(月) 05:57:30
838 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 18:20:20
>>797 それだけの理由だったら、明に「日本国王」と呼ばれればそれで満足なはず。
しかし、義満は、それ以降も、
妻を後小松天皇の准母として臣下で唯一の女院に宣下させ「北山院」と呼ばせたり、
次男を後小松の御前で元服させたりとやりすぎ。
明の国王はそんなことまでいちいち干渉したりしない。
839 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 21:05:11
義満は光源氏になることを目指していたんでしょ?
840 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 21:52:09
足利義満はホモで、金閣はホモの館って本当ですか?
841 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 17:14:24
842 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 21:22:37
荘園公領製を実質的に破壊し、日本文化の礎とも言える北山文化のパトロンであった足利義満は
もっと評価されるべきだと思う。日明貿易による銅銭輸入の歴史的意義も評価が十分とは言えない。
信長や家康と比肩しうる人物である。
843 :
日本@名無史さん:2007/09/08(土) 06:54:29
室町幕府は荘園公領制を破壊したのではなくて自らの庇護下に再版荘園制というべき体制をつくった。
>>842 > 日明貿易による銅銭輸入の歴史的意義
どんな歴史的意義があるのか、解説プリーズ
845 :
日本@名無史さん:2007/09/09(日) 22:13:05
>>843 国衙領が武家側に移行したのは南北朝期という意味で荘園公領製の破壊と書いた。
公領が私領になっちまったわけだね。
>>844 明銭の輸入が貨幣経済の発展に寄与したことについて、詳細な解説を俺に期待しているのかな?
それとも、日明貿易を単なる幕府財政の強化策としか捉えていない、という告白なのか?
846 :
日本@名無史さん:2007/09/10(月) 17:32:15
要するに、無用の長物の天皇なんかなくしちゃえと、素直に考えたということ。
しかし、天皇はしぶとかった。
847 :
日本@名無史さん:2007/09/15(土) 23:46:04
>>845 南北朝期に確かに国衙領の大半がその実態を失うが、その実態は国衙領の守護領化。
室町期の守護は幕府権力の現地における執行人という意味合いが強いし、
守護領は世襲の家領ではなく守護職が替われば一緒に移ることが多いのだから、
純粋な私領というには微妙。
848 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 08:30:27
だな
849 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 16:30:46
闕所地=守護領ですか?
850 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 18:46:07
>>838 まあ形だけでも皇族の一員となれたことで
増長しちゃったんだろね。
小人にはよくあること。
851 :
日本@名無史さん:2008/01/01(火) 16:48:31
井沢元彦は評価してる
小説の話で板違いかもしれんが、今日
黒須紀一郎『日本国王抹殺』(2006,作品社)
を読んだ。
かなり神がかったストーリーだったが、小説としては面白かった。
853 :
日本@名無史さん:2008/01/02(水) 12:50:31
一休さんは いつも上様をぎゃふんと心理的に負かす内容
これはだれが考えた内容なのか知らないけど、大昔の逆族を天皇の子であった子坊主一休さんが
懲らしめるというあくまで子ども向きの、ものすごい内容だったんだね あのときは親でも詳しい事実を知っている人なんて少なかったんじゃない ?
考えてみたら浅間山の噴火で、ものすごい大量の当時の人たちが食べ物がなく聞くに忍びない死に方を沢山したのに
今じゃ、観光地になっている 日本人はありのままの事実を詳しく伝えないので 過去が変な風に湾曲してしまうとこがある
沖縄の教科書の件もそうじゃないか
854 :
日本@名無史さん:2008/01/02(水) 16:41:00
森茂暁先生は簒奪の意思は無かったと言ってる。
親王並みの元服は摂家クラスでは当たり前の事の様だ。
さすがにまだ南朝残党や伏見宮あたりが反乱起こすだろう。
855 :
日本@名無史さん:2008/01/02(水) 20:50:35
>>854 自分の嫁さんを女院にしたことは?
皇族でもなく、天皇や皇太子の妃でもないのに、
臣下の娘に生まれ、臣下の夫を持つ女性が
院号宣下を受けたのは、将軍義満夫人の北山院だけ。
北山院は後小松天皇の准母としての院号宣下だったが、
そもそも後小松天皇と近い姻戚関係すらない。
856 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 16:11:46
今谷信者?
857 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 17:04:54
>>855 今まで言われてる通り縁起担いだだけじゃないの?
または本当に後小松院と仲が良かったとか。
858 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 17:17:07
後円融天皇と従兄弟だった義満が特別だったんだよ。
後円融天皇は義満の皇位簒奪に怯えるあまり、
愛妾が義満と不義密通したという妄想に駆られて、
愛妾を刀で打ち据えたり、
はたまた別の愛妾を出家させたりしているからね。
義満にそんな気がなければ、後円融だって、
義満が後円融の愛妾に胤付けをしているなどという
妄想には駆られなかっただろう。
859 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 19:01:58
北山院の院号宣下の背景を考えるのなら外せないのは崇賢門院の存在。
860 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 00:12:38
義満は精力絶倫だったらしいけど
やはり体格も立派だったんだろうか
861 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 07:02:19
義満簒奪説を御念仏のように唱える莫迦はどうにかならないの?
大河板とかにまで出張してきて非常にウザいんだけど。
862 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 16:18:31
足利歴代将軍は背が高かったらしい
863 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 16:22:29
義晴は小柄で有名だったと聞くが。
足利将軍は垂れ目ばっか
865 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 17:18:44
866 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 21:03:38
義満と義持親子の「もみあげ」はすごい。
親子そっくり。
何故か義教は無い。
867 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 09:46:00
義教さんは元坊主なので髪を伸ばすのに苦労したらしい
868 :
お岩:2008/01/05(土) 11:54:07
義教、肖像はシュっとした二枚目だ。
869 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:06:20
金閣寺こそ王者の象徴
俺のPCの壁紙はもちろん金閣寺
870 :
日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:34:48
金閣寺は大工が作ったと主張している馬鹿が昔いたな。
871 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 16:29:15
幕末の文久3年、尊皇攘夷過激派により
足利歴代将軍の菩提寺等持院から
尊氏、義詮、義満3将軍の木造の頭部分が持ち出され、
悪臣として三条河原に晒される事件が起こった
872 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 23:39:28
しかし間違えて義満ではなく義持の首だった。
それで等持院の義持の木像は間違って今でも義満と伝えられてるわけだ
874 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 04:55:38
義満も木像で重要なのは敷物だね。
875 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 15:31:37
フランスのルイ14世みたいもんか
藤原道長に並ぶ権力者だった
877 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 19:26:55
>>876 足利義満は天皇の外祖父ではないから
藤原道長とは違うと思うが・・・
道長の時代には幕府なんてなかったし
ネットで金閣寺にあった国宝の義満の木像を探してもないから
古本屋で義満木像が写った絵葉書を注文しちゃった
値段は1000円
879 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 19:51:47
880 :
日本@名無史さん:2008/01/10(木) 20:11:10
>>878 繧繝縁の畳に座った法体像のことですね。
戦争でも焼けなかったのに放火で焼失なんて本当に惜しいですよね。
882 :
日本@名無史さん:2008/01/11(金) 19:35:23
義満の政治行動はやはり光源氏を強く意識していたんでしょうねぇ
883 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:53:24
>>882 後円融天皇が寵愛していた女官を
義満と密通しただろうと疑って追い詰め、
出家させたりしたこととか?
884 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:11:10
業子と康子の関係が、藤壺と紫の関係と一緒で、叔母と姪とか?
>>884 足利義満の場合、恋愛結婚ではなく
女官日野宣子の顔を立てるための結婚&再婚だったからどうだろう?
業子や、業子の死後継室に迎えた康子との仲が悪かったわけじゃないけど。
886 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:39:38
花の御所が、源氏に出てくる六条院を真似たものって話は聞くな。
887 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:01:00
帝の父になるというのも真似かな?
888 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 13:19:14
厳密には義満の嫁が天皇の准母だがな。
義満は後小松天皇の祖母(後円融母)崇賢門院が
自分の叔母であったことで(母の姉妹)、
北山院に迎えとってすべて生活の面倒を見、
年若い後小松天皇を転がしてたからな。
889 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 13:35:19
>>886 四季折々の花を植えたって点は間違いなく意識してるね。
890 :
日本@名無史さん:2008/01/12(土) 16:14:19
花の御所に確実にあった花となると
糸桜(愚管書・洛中洛外図屏風)と
紅梅の梅(洛中洛外図屏風)になるらしい
ちなみに花の御所という名は
将軍屋敷の前にこの場所に会った菊亭屋敷時代からのもので
義満が花をたくさん植えたから花の御所ではないらしい
義満は日本の徽宗だな
美術コレクションの収集家という面で
892 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 19:08:12
893 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 19:13:38
894 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 19:37:18
義満と家康だったらどっちの方が有能かな
生まれから将軍を約束されていた義満と
三河の小大名で人質にまでなった家康じゃ
苦労知らずの金持ちボンボンと成功した苦労人を比較するようなものだ。
でも義満の幼少の頃は南朝が京都に入ってきて
兵庫の赤松氏の所に逃げたりして大変だったみたい
幕府機構も確立されてなかったし
897 :
日本@名無史さん:2008/01/31(木) 18:47:04
足利一族の内紛でじいさんの尊氏や親父の義詮自体
北朝についたり南朝についたり無茶苦茶やってたからな
義満が成人してからは義満自身はぶれることなく
北朝支持であり続けた
だからいいんじゃないのか
義満のせいではないし
898 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 15:45:45
幼少の義満は名ばかりの将軍でかなり苦労したんだよな。
899 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 16:28:26
義満が11歳のとき父義詮が没した
そのため義満が成人するまで
管領細川頼之が主導となって政治を取った
ここで足利幕府を乗っ取らなかったところが
細川氏のすごいところだな
当時の室町幕府は流動的で
どっちに転ぶか分からなかった
900 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 01:10:44
満詮さんの子供は何で皆出家したの?
子孫を残して本家(義持の系統)と家督争いを
起こさせないための義満の指示によるため
902 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 19:37:19
義満は同母弟満詮の妻であった誠子を、満詮の出家後
満詮存命中に召しだして愛妾にしているね
903 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 19:47:29
南北朝合一を成し遂げた歴史的意義は大きい。
公家政権に代る武家独裁の政権の完成者として、
また封建制度完成への一段階として、
義満の歴史的地位は大きい。
904 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 21:01:14
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905 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 22:12:12
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| 拾ってください .|/
906 :
日本@名無史さん:2008/02/03(日) 23:56:05
907 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 23:55:51
足利義満ってロリコンだったのかw
腐女子の妄想小説に影響とかワロスww
908 :
日本@名無史さん:2008/04/13(日) 18:29:01
このスレまだあったんか。すげえな。長寿スレだな。
義満は日本国王なんかになった、けしからんヤツだよ。んじゃ。
909 :
日本@名無史さん:2008/05/13(火) 21:10:59
wikipediaによれば足利義嗣の息子に一色直明と足利嗣俊がいるらしいけど事実なの?
910 :
日本@名無史さん:2008/05/14(水) 17:35:04
>>908 明の皇帝が足利義満に勝手に「日本国王」の称号を与えただけ。
義満は貿易をするなら形式にこだわらず(対等貿易でなくてもよい)、
古来の冊封関係での貿易でもいいと考えていたから、
必然的に中国皇帝はお前をわしの家来である○○国王に任ずる、
という形式になるんだけどね。
912 :
日本@名無史さん:2008/07/22(火) 08:35:34
日本国王といえば最近だと中曽根康弘だな
スワジランド国王から来る手紙には総理だったころから
「日本国王ナカソネ殿」と書かれているそうだ
義満=中曽根大勲位
913 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:09:04
>>911 だったら、時の天皇もやればよかったんだよ。
私を中国皇帝の臣下にさせてください、と切々と綴った手紙と
皇帝への献上の品々を持参すれば、明の皇帝も悪い気はしない。
のりのりでお前を○○国王に任じる、という手紙と
献上した品以上の品々を家臣である日本の天皇に呉れてやるよ。
ひと休み〜、ひと休み♪
915 :
日本@名無史さん:2008/08/05(火) 01:35:30
義満ってどういうわけか人妻を召し上げて側室にするというパターンが多いんだよな。
日野資康の妻とか、弟の妻なども側室にしていたが、これは個人の性癖に帰すべき問題なのかなw
916 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 02:38:33
>>915 日野資康の妻(池尻殿)と、義満側室の池尻殿は同一人物なの?
だとしたら、日野康子の母親にも手をつけていることになるんだが
917 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:54:28
日野資教の側室で康子をはじめとする四人の子を産んだ、池尻殿
そして足利義教の側室で二人の子を産んだ、池尻殿
どちらも呼び名が同じ池尻殿なので混同されるが
皇族でも后妃でもないにもかかわらず日本史上唯一の女院となった
義満正室北山院の生母を義満が召していたのならばもっといろんな史料に書かれるはずだがそれがない
この2人の池尻殿が同一人物だという可能性は低いと思うが
>>917 でも結構混同(?)されてるんだよね。よく考えたら年齢的にもやや無理がある。
とはいえ義満の人妻好きはガチなような
919 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 16:37:58
義教って義満の事をどう思ってたんだろ
義持アニキと違い、やっぱり好意的に手本とか理想に思ってたんかな?
でも義教の政治はなんか義満とも異質だしなぁ。
920 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:10:41
足利義嗣の子孫て、越前に落ち延びて足利氏嫡流の権威で鞍谷公方となり
越前の国主として、守護の斯波氏を追い落とし越前を掌握したんだよ。
朝倉氏の傀儡としてだけどね。
義持のせいで天皇になれなかった。
923 :
日本@名無史さん:2008/10/09(木) 14:38:40 BE:2828885099-2BP(0)
希代のショタ公方♪
924 :
日本@名無史さん:2008/10/12(日) 17:45:20
義持って子供が義量ただ一人だけど女に興味がなかったの?
925 :
日本@名無史さん:2008/10/13(月) 01:18:19
足利義満は贅沢の限りを尽くしたけど
彼が建設を命じた金閣は日本の国宝。
歴史的財産を残してくれた事は評価に値する。
後の銀閣も銀箔で塗り固めてたら
日本国には金と銀の歴史的建築物が在る事に成ったのだが…
足利義政も正直惜しい事をしたと思う。
でも、金の建築物は世界にも結構在るけど
銀の建物ってあんま無いよーな…。
けど冷静に考えると金閣寺は趣味悪いよ?
銀閣寺のほうが遥かによろしい
927 :
日本@名無史さん:2008/10/13(月) 12:31:15
金閣は権威の象徴だったのだから
趣味の問題ではない
銀閣ももともと義政は銀を貼る予定でいた
出費ができなかっただけで
義政は政治は暗愚だったが
文化には造詣が深かったはず
928 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 09:58:22
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929 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 16:04:42
そもそも義持ってなんで北山第を取り壊したの?
御殿家屋としては今だに日本史上最大といわれる広大な建物を
取り壊す金がポンと出せる当時の足利家の潤沢なフトコロも凄いけど
930 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 16:23:41
足利が方便で「日本国王」を名乗って金をひきだしたんだなあ。
明の属国が足利と言えるが、日本が明の属国とは言えないなあ。
清というのは、先祖である義経の祖:清和天皇から取って国号を【清】としたわけだな。
つまり支那大陸の正当な宗主権は日本にあるということだ。
従って、今のチャンコロに宗主権はない。そして実力もない。
老子は日本に学びにきたが、タオイズムをやりにきたわけでもない。
ゆえに、功夫などを通じて道教を持ち出して日本に暗に攻め込んでも
最後には勝てなかったということだ。【チャンコロに実力なし、寄生虫、人体より出れば、干上がり死ぬのみ】
931 :
正義VS法:2008/11/06(木) 15:33:21
権力者であったことには間違いないのだが、足利将軍家直轄領を増やして
おかなかったことがのちの世代の没落の原因と言えるのでないでしょうか。
そもそもが幕府のスタートからして、本体の足利将軍家の基盤が脆弱だったんだよな。
尊氏が気前良く味方に恩賞をばら撒きすぎたせいで、有力守護大名がたくさん出来た。
義満も山名氏の力を削いだりして努力はしてるし、義教だって関東公方を始末したりして頑張ったんだけど
全然追いつかずに義教の死で、足利将軍家の復権も頓挫。
没落の原因を求めるなら尊氏じゃないかな。
義満の次代が電波の義持じゃなくて
義教だったら真の中央政権の確立も可能だったかも
>>929 父の足利義満や弟の足利義嗣が住んでいたから、
気に入らなかったからとある本で読んだな。
義持が義満や義嗣と仲が良くなかったのは事実みたいだね。
>932
ハズレ
当初は、領地が「国」じゃなく「荘園」単位だったから、ってだけ。
守護は領主じゃなくて、方面軍司令官って位置付けだったのよ。本来は。
で、幕府直轄領となってる荘園を全部あわせたら、数カ国に匹敵する規模があったはずだ。
鎌倉時代の段階ですら、1万箇所以上の荘園を領有してたらしいしな。
>>935 守護本来の位置づけは領主じゃないけど、義満以降は守護が国人領主等を
直接支配下に組み込んでいって、自分の領国化していくことになってるでしょ。
それだけ足利将軍家が有力守護を統制出来ていないって事だけど。
管領職に就ける細川・斯波・畠山の3家、侍所所司に就ける赤松・一色・山名・京極の4家。
そいつらと足利将軍家の所領の比率というか、力関係が問題なんじゃないかな。
尊氏が生きている間は戦時中でもあって味方同士で団結もするし、尊氏個人の力量で抑えられたとしても
いったん世が治まってきてしまえばね・・有力守護を抑えれるかどうかは、将軍の才覚次第って事になってしまう。
尊氏がもうちょっと味方に対してケチって、自分の家の力を強くすることを考えても良かったと思うんだよ。
江戸幕府見ると、歴代将軍は名君ばかりじゃなくて暗君もいたけどなんとか250年続いたしね・・維新までは内乱も起こさなかったし。
それを言い出したら、南北朝の動乱を収拾した義満にも責任があるってことになるのか・・
スマン
>>936はスルーしてくれ。
938 :
日本@名無史さん:2008/12/15(月) 22:27:51
ほしゅ
939 :
日本@名無史さん:2008/12/15(月) 22:43:35
応仁の乱の遠因は尊氏がしっかりした政治基盤を作っていなかったからだろ。
足利義政が江戸中期の将軍でも応仁の乱みたいな大乱は起こらないだろうし。
940 :
日本@名無史さん:2008/12/29(月) 00:45:59
このはし わたるべからず
織田信長は気にせずそのまま渡った
豊臣秀吉はその橋を壊し、新しい橋を架けた
徳川家康は渡れるようになるまで待ち続けた
一方、宇喜多秀家は泳いで渡った
942 :
日本@名無史さん:2009/01/09(金) 11:16:46
このスレで時々、明正天皇の祖父・徳川秀忠に没後「衡岳太上天皇」の尊号を贈るかどうかを朝廷内で揉め
た事実をもって、義満の皇位簒奪論を否定する意見があるけど、後年の出来事をもってきても何の証拠にも
ならないよね
既に義満へ太上天皇号を贈ろうとした先例があるんだから、外祖父の秀忠なら猶のことってだけの話
義満より前の例を実証できたら、それをもって否定できるけど
>>939 > 応仁の乱の遠因は尊氏がしっかりした政治基盤を作っていなかったからだろ。
そりゃまあそうだけど、作りたくても作れなかったんだよ。
944 :
日本@名無史さん:2009/02/04(水) 08:10:36
そろそろ大河ドラマになってほしいね☆皆さんどう思う??
945 :
日本@名無史さん:2009/02/09(月) 21:30:03
将軍(武家の棟梁)=国王の前例を作ったという点で、信長秀吉家康以上にエポックメイキング
な人だよな。直江とか前田とか山内の妻なんぞより、この人を先に釣り上げるべきだろw
花の☆御所 足利義満
こんな感じ?
>>945 釣りか?w
この場合、国王=中国皇帝の臣下だろうが。
そんなもんエポックメイキングとか言うんじゃないよ。
何のために義持が恭献王の諡号を突き返したと思ってる。
義持は単に、親父が嫌いだっただけだろ。
949 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 21:23:48
>>947 中国との関係ではなく、日本国内での実質的な王という意味だよ
義持の意識がどうであれ、義満以前と義満以降では将軍(武家のトップ)
ということの持つ意味が変わったと思うがどうだろう?
950 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 21:36:53
>>949 後継ぎの義持が父義満のやったことをすべて覆して終わりだよ。
義満は自分の嫁さんを天皇の養母にして女院にしたり、
限りなく天皇家に近づこうとしていたが
義持にはそんな気まったくなし。
以降の将軍たちも天皇家には興味がなかったし。
951 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:32:09
信長に比べたら天皇や将軍なぞこんまいこんまい。
肩書きがなければ光らない者は人として魅力無し。
白河天皇
sage
一般に流布してる信長像は講談やTVの作り上げた虚構なんだがw
>>1 一休さんを出せば足利義満の大河でも盛り上がりそうだね。
956 :
日本@名無史さん:2009/04/10(金) 21:52:45
義満ねえー 順徳天皇皇統子孫で 生母紀家の姉妹通じ時の天皇の身内で後小松帝のおおおじ
957 :
日本@名無史さん:2009/04/10(金) 21:58:48
>>955 日野富子で一休出してきて失敗してるじゃんw
やたら暗い一休だったが
だからといって実像に近いと言われる
女好き酒好き一休出してきても
視聴者は厭がるだろうし
>>950 室町幕府は他の鎌倉・江戸に比べたらよっぽど天皇家と密着していた。
義持は朝幕関係を常識的な水準に戻しただけ。
959 :
日本@名無史さん:2009/04/10(金) 22:59:04
>>958 「室町幕府が密着していた」というより義満個人だけだと思うが。
尊氏も義詮も、尊氏が娘を入内させたい希望を持っていた程度で
特に朝廷と密着していたわけではない。
むしろ、あっちの朝廷かついだりこっちの朝廷担いだり
天皇に弓ひいたりと歴代まれに見る不遜な行動とった人たちだったし。
義満は血縁上、まぎれもない後円融天皇のいとこで、天皇は何より身近な親戚だった。
だから、自分が天皇家の一族としてふるまうことに何のためらいもなかった。
それ以降の将軍はまた天皇家との血縁が遠くなってしまっただけのことだろう。
960 :
日本@名無史さん:2009/04/12(日) 00:25:40
>959
大塔の若宮興良さんは 1360年4月赤松らと 南朝に反乱し
吉野焼き打ち 義満の父2代将軍と 若宮は
一貫内通しいたよ 皇室が公式に認める
五三の桐紋 配下家は その赤松と足利の2家のみ
>>959 義持以後も室町幕府を主体とする「公武統一政権」の構造は変わっていないのだから、皇位簒奪説が云々される事態は義満だけであったとしても、室町幕府における公武密着は義持以後もそれほど変化はないよ。
治天の君から義満が奪った公家領の安堵(没収)の権限は義持以後の将軍行使している(将軍による御内書の安堵)。戦国時代に入ってもその路線は変わらず、将軍正室を近衛家に切り替えて朝廷との関係を強化することで求心力の補強を行おうとしている。
(こっちの方は結果論としては強化にはつながらなかった訳だが)
963 :
日本@名無史さん:2009/04/14(火) 21:06:53
>>957 一休出したのは、大塔宮皇統に近い伏見帝末に、 北朝統一し、伏見宮家設立のためで、
伏見帝は、 義満先祖の順徳帝の時代源平以来、天皇親政を断行し、さらに伏見上皇時代
討幕に意欲ある、皇統はずれの後醍醐帝の、両迭制使い即位の道開く 功績より
北朝統一し、直末伏見宮親王家が維持された。うまく書けないが真意つたわればー
964 :
日本史好きの男:2009/04/16(木) 09:53:32
子供が読むようなまんがの日本史の本にであるが、足利義満が天皇しか着用を許されんもの着ている
場面が出てくる。そして「義満さまが、天皇様に見える」と周囲の人が言ってる。
足利義満が天皇の位を狙ってか分からんが、天皇のようにふるまってたのは確かのようである。
965 :
日本史好きの男:2009/04/16(木) 09:57:45
狙ってか→狙ってたのか
966 :
日本@名無史さん:2009/04/16(木) 12:11:19
>>965 四辻宮親王家が、2代足利将軍に近く、親王宣下なくなり、将軍の力で源氏四辻姓えたり源氏解説本出しりで
順徳天皇の皇統の義満は、帝を意識してた。
>>964 俺アニメで見たけど一休さんに困らせられてたのは確かだ
>967
それ義満じゃなく義政だろうが。
またしても一休殿にしてやられたワイ
>>968 アニメで一休さんに困らされていたのは義満らしいな。
時代的に合わないのはアニメだから仕方ないw
971 :
日本@名無史さん:2009/04/20(月) 20:58:04
>970
一休さんは義満よりは若いんだから、
あの「将軍様」が義満なら、年齢がピッタリじゃないかな。
義満の孫である義教よりは年上だったはずだし、
義教の子である義政時代なら、一休さんは既に高齢者のはず...
973 :
日本@名無史さん:2009/04/22(水) 21:11:05
>>972 足利義満(1358−1408)
一休宗純(1394−1481)
足利義政(1436−1490)
一休は足利義満より36歳年下。
足利義政よりも48歳年上。
漫画の影響で一休は将軍様と仲良しだったという印象が強いが
一応日本史板なので付け足しておくとむしろ将軍家とは仲が悪かった。
一休が門主を勤めた大徳寺は南朝を開いた後醍醐天皇の帰依を受けたために
北朝方の天皇をいただく足利幕府とは不和で
足利幕府が定めた五山十刹の制にも入れられず完全に無視された。
そこで一休は幕府の支援を一切頼まず、
堺の豪商などの支援をうけて大徳寺を再興した。
堺の豪商出身の千利休が大徳寺と関わりが深いのはこういう訳がある。
結構近いんだな年齢
p
>>959 義持が義満の朝廷政策を明確に否定したのは太上天皇の件と側近公家の排除くらいだな。
義持は父に倣って後小松院を院別当となって治天からの王権剥奪を策している点はまさに義満の忠実な後継者であったことを意味している。
977 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 00:19:59
義持は名君
978 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 16:37:05
979 :
日本@名無史さん:2009/05/24(日) 15:08:41
980 :
日本@名無史さん:2009/05/24(日) 15:10:19
981 :
日本@名無史さん:2009/05/24(日) 18:22:33
義嗣の子孫って本当にいるの?いたとしたら義持死後に後継候補に上がらないなんてありえないと思うけど
>>981 義嗣が死んだとき、義持の側近が義嗣と結んで幕府転覆をしようとしたとしてでっち上げて、細川管領以下主要な守護大名が謀反の疑いをかけられた経緯があるから、義嗣は幕府全体的な黒歴史になった。