「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか9)

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908日本@名無史さん
西都原(宮崎県西都市)である証拠。
1、地名の語末に「都」という文字を使うのは、実際に首都であった場合に限られる。
  類例、京「都」、東京「都」。宇「都」宮のような音借とは違う。
  西都の「西」、方位のことではなく、西洲(九州)という固有名の地の都という意味(原文に沿わせるとこうなる。)
2、三角縁神獣鏡も出土。(魏鏡説らしい)
3、西都のオサホ・メサホ塚は宮内庁の管理化であるため発掘ができない。
  9割5分以上が手付かずらしい。発掘調査の実施を強く宮内庁に要求したい。
4、現在、長岡京や藤原京の場所は特定できるのに、同じく古都である邪馬台国の所在が何故特定できないのか?
  政治的意図(天皇制)による組織的な隠蔽工作が行われたと思量する。これに荷担する畿内説は不快である。
5、国内最大級の古墳群が西都にはある。また、九州で一番大きな帆立貝式古墳(オサホズカ)がある。
6、神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地は西都。
7、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は人口密度が一番高かった。
  人間の生活痕跡である遺跡の数がその証拠である。
8、朝鮮総督府修史委員会の「黒板を中心とする焚書のウワサ」は、畿内説による歴史改竄を思わせる。
  オサホ塚に後方部をつける改修は、卑弥呼の墓が円墳であることから、これを隠蔽する行為である。
9、好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も歴史改竄であろう。
  記紀による天皇家の出自も歴史改竄、現実は神武も卑弥呼も朝鮮からきた。
  これの隠蔽行為によって邪馬台国の所在は不明とされている。
  西都の発掘調査が行われれば一気に論争も解決するだろう。