【清和源氏人物名鑑】
≪源経基≫
清和天皇の第六皇子・貞純親王の子とされるが、実は陽成天皇(貞純親王の
兄弟)の皇子・元平親王の子。
経基王。
武蔵介に任官し、現地に赴任して荒稼ぎするが、土着の豪族(武士)たちと
軋轢を生じ、平将門が仲裁に入る。
しかし、将門が設けた和解の宴への招待を、将門による襲撃と誤解し、都へ
逃げ帰る。
「のちの武勲の家柄も、その初代はこのザマだったのである。」(奥富敬之)
朝廷に将門の反逆を訴えるも、将門と結びついていた右大臣によって誣告と
され、投獄。
しかし、将門が本当に乱を起こしたため釈放される。
将門の追討を命じられるが、坂東に到着する前に藤原秀郷・平貞盛らによっ
て将門の乱が鎮圧される。
その後、瀬戸内海で同時発生していた藤原純友の乱の鎮圧を命じられるも、
ここでも小野好古によって既に鎮圧され、純友の家臣と捕らえたのみに留ま
るが、それも武勲と認定される。
臣籍降下して源姓を賜り、清和源氏(実は陽成源氏)の祖となる。