東条英機ではなく石原莞爾が指揮を取っていれば、
日本はアメリカに勝っていたのか?
21倍の中国軍に勝った、戦争の天才。
東京裁判でも戦争の天才と思われていたようだしな。
2 :
日本@名無史さん:02/08/29 14:20
日本軍の装備は中国軍の50倍・・・勝って当然。
誰が、指揮を取ってもま・け・る。
3 :
日本@名無史さん:02/08/29 14:25
満州事変の立役者は石原の小僧などではなく、越境将軍、林閣下である。
肖像写真を見ただけで分かるだろう。貧相な石原に比べてあの立派なお髭。
石原 東亜連盟
林 大日本興亜同盟
さあどっちがマトモかな?
石原莞爾ってだれ?大学受験レベル超えてない?
>>2
文章がおかしいですよ
8 :
日本@名無史さん:02/08/29 15:49
太平洋戦争開戦時
石原莞爾の評価では米日の国力差は500対1。
これがせめて50対1なら勝てるのだがと彼は言った。
よって誰であろうと絶対勝てない!
そもそも石原完爾は実際より30年後くらいにアメリカと戦争したがってたみたいだからなぁ
10 :
日本@名無史さん:02/08/29 16:49
1970年まで戦争しないでいて、
そこで戦ったら勝ったかも。
11 :
日本@名無史さん:02/08/29 17:36
満州、朝鮮、台湾かかえていたら、
どこかで独立運動が起きて、
アメリカとの戦争どころではない罠
12 :
日本@名無史さん:02/08/29 18:52
っていうか史実の30年後だと全面戦争なんてやれないだろう
どこかで代理戦争レベルだな
14 :
日本@名無史さん:02/08/29 19:35
IF論ばかりだね、、、
真珠湾の前に戦争反対派が権力とったとしても、
軟弱外交って世論から批判されたあげく、
開戦派と政権交代しただけさ。
15 :
日本@名無史さん:02/08/29 19:48
満州事変の時は火力と親日政権があったから兵力33倍の張学良にも勝てた。
しかし大東亜ではうまくいかんでしょ。
陸海軍の無能な将官一掃すれば講和まで行けたかも
17 :
日本@名無史さん:02/08/30 06:32
>>16 行けない。
軍人の能力が勝敗のポイントではないから。
戦争をしてアジアが次々に独立していったのは英米の誤算。
石原が指揮を取っていても同じこと、国力を見ずに、どんな名将を持ってきても
あの戦争は勝てなかったと思う、まあ石原なら東條よりは早く政権を投げ出して
多少早く戦争終結がされていたかもしれないとは思うが・・・。
東情英機が「昭和17年に何もしなかった」と悔いているな。事実、児童にゴムまりを
配給したり、馬に乗って市内を視察したり、不要不急の動きが目立つ。
大東亜会議を一年早く開催出来れば政治的効果は絶大であったと思われる。
21 :
日本@名無史さん:02/08/30 13:47
>>20 とどのつまり準備不足でしょう。
日中戦争でストックが枯渇しかけているところではじめたから
17年中は作戦に船舶を徴用されて生産体制がなかなか整わなかったとか。
作戦と生産は両立しないということですね。なるほど。
23 :
日本@名無史さん:02/08/30 16:10
つーか原爆作られちゃった時点で、どんな天才が指揮をとっていようが負け確定。
しいて言えば、アメリカになりふり構わず泣きついて「仲間にして下さい」泣きついていれば、
今なお日本は超大国の地位を保っていたでしょう。
ま、そんな事すれば現在の我々から売国奴扱いされているんでしょうけどね。
でも当時の国論はそんな風には導かなかったよな・・・
24 :
日本@名無史さん:02/08/30 19:23
>23
戦後にほぼ同じことをやった吉田茂を「戦後日本の生みの親」と称えている今の日本ですから、
たぶん国が豊かになってさえいれば褒められてたでしょうね。
25 :
日本@名無史さん:02/08/30 19:37
石原は、東京裁判で、「自分が指揮していれば、日本は勝っていた」いたと爆弾発言
をし、国際的な反響が大きく、後でもう1度裁判長に尋ねられ、「言い過ぎた」「少なく
とも自分が指揮していれば日本が負けることはなかった」と修正。
石原は戦争プランも一応考案していた。
日本海軍は、ソロモン沖まで行き、ガダルカナルとかで無駄死にをし、戦闘機を数千機
失ったし、ミッドウェーでも壊滅的打撃を受けた。
しかし、石原構想では、日本の行軍範囲は、ニューギニア島ではイリアンジャヤまで。
東半分のパプア・ニューギニア部分には手を出さない。当然、ソロモン沖の海戦も
ガダルカナルもなし。
そして、海軍はシーレーン防衛に徹する。
この作戦なら、相当長く戦えたし、アメリカも日本を屈服させるのは容易ではなかった
だろう。
日本が占領している各地を航空要塞化しておけば、米空母を迎え撃てる。
原爆も日本に落とすのは難しい。
26 :
日本@名無史さん:02/08/30 20:13
石原が総理に就くタイミングもあっただろうな。
まず、海軍省と陸軍省を統合して国防省を創設、海軍軍令部、陸軍大本営廃止、して参謀本部(情報省でも可)を創設
海軍と陸軍の無能な将官を一掃し能力、実力をあるものを残し、能力実力主義を徹底し
後は
>>25の石原構想の通り行けば良い勝負が出来るかと
>27
それ日本じゃない
29 :
日本@名無史さん:02/08/30 20:57
石原センセー、吊るしクビになってますた!
30 :
日本@名無史さん:02/08/30 20:59
ジパングですか(藁
31 :
日本@名無史さん :02/08/30 20:59
石原感じが天才かなんか知らないが,ひとりいてもどうにもなんない。
国同士の戦争なんて結局,国力だろ。
石原がクーデター起こしたらと仮定して考えたからなぁw(ぉ
つーか石原が日本の全権握ったら戦争やらない結論になっちゃうよ
少なくとも1940年代の間は。
34 :
日本@名無史さん:02/08/30 21:22
誰が指揮したとしても、いい方に解釈して戦争の終結が多少早まるか、随分譲歩した講和が
出来たかなというぐらいのことしか出来なかったと思う。
石原がハルノートを突きつけられた段階で首相の立場にいたならば別の方向に行った可能性は
あるが、主流派でなく傍流で口が過ぎて東條から睨まれ予備役に編入され、彼が恐らく大戦中
に総理に就くことはなかったと思われ。
35 :
日本@名無史さん:02/08/30 21:23
>>33 石原は、どうしても戦争が避けられないのなら北進すべきだと主張していた。
この点から石原への不信感を抱かざるをえない。
北進で負けたら(確実に負ける)、どうするつもりだったのか?
36 :
日本@名無史さん:02/08/30 21:29
東条は極悪人ではなかったかもしれんが、かなり無能だった。
とにかく東条は最悪の選択だったんじゃないか?
木戸幸一は開戦必至となった時点で東条に責任の全てを
なすり付けようという考えを持ったんじゃないの?
37 :
日本@名無史さん:02/08/30 23:16
>>35 というより何のための北進かというのがまず問題だと思われる。
戦争ゲームじゃないんだから。
38 :
日本@名無史さん:02/08/30 23:16
東条と石原は、国を憂いた甘粕正彦の仲介で
ガダルカナルが泥沼化した頃一席会談を持っている。
石原は東条に戦争指導は無理なので辞めろと諫言し
東条は東条で状況説明に終始し何も得るものなく終ったと言う。
39 :
日本@名無史さん:02/08/30 23:17
>>36 東条が独裁者になって全ての戦争指導をするわけではないからあまり影響はない。
40 :
日本@名無史さん:02/08/30 23:18
繰り返すが、原爆が完成した時点で(略)
41 :
日本@名無史さん:02/08/31 00:04
冗談も休み休み言え!
こんな資源もない島国が勝てるわけね〜だろ
42 :
日本@名無史さん:02/08/31 01:09
まあ負けは確実だったとしてもさ、もうちょっと上手い負け方したんじゃないかとさ。
さっさと蒋介石とも和解してアメリカに恭順、共産勢力に対抗する、ていう・・・・
だいぶ歴史が変わったかも。
難しいんちゃう?
44 :
日本@名無史さん:02/08/31 01:20
>>42 さっさと蒋介石と和解すると中国大陸に親米政権が残るのでアメリカと日本との連携する価値が薄くなります。
外交上見捨てられるでしょう。
45 :
日本@名無史さん:02/08/31 01:21
富嶽がもっと早く完成していれば
十分に勝てたと思うよ
46 :
日本@名無史さん:02/08/31 01:24
開戦の翌年にスターリングラードだよ
つきあう相手を間違える外交オンチな国で
誰が戦争指揮しても変わらない
47 :
日本@名無史さん:02/08/31 01:32
>>46 当時の日本への情報スターリングラード戦も勝利戦だったし。
ドイツは日本以上に国土破壊されているし。
強い敵にはすぐに負ける伊・仏は楽だよね。
48 :
日本@名無史さん:02/08/31 02:30
49 :
日本@名無史さん:02/08/31 03:37
ネタスレ化の予感。
石原たんがどの時点で政権をとるかで結果は異なるでしょうね。
戦前だとまず対米戦はやらんだろうし、戦時中だとクーデターでないと石原内閣は存在しそうもないし。
そもそも海軍の南進派と対立して内閣を維持できないような気がする。
50 :
日本@名無史さん:02/08/31 03:49
51 :
日本@名無史さん:02/08/31 03:59
>>42 日中停戦の画策を失敗した男だぞ
アメリカに恭順する?
開戦もしていない相手に?
世論が許さないだろうな。
>>49 クーデターで成立した政権は議会の支持、国民の支持、お上が許さない。
結局石原は馬ショクと何ら違うところのないアホウ軍人。
>51
おりこうぶるのはいいんだけどさ、そんなことみんな分かってるよ。
53 :
日本@名無史さん:02/08/31 18:53
日本が大東亜戦争に負けたのは戦線を無作為に広げた為。と石原は
言っている。
でも本当はアメリカと戦争をしたから負けたのだと思うYO。
54 :
日本@名無史さん:02/08/31 22:31
馬鹿なのに意欲旺盛な軍人は困るね。
石原じゃ馬鹿軍人を抑えきれないよ。たぶん。
55 :
日本@名無史さん:02/09/01 00:44
>>52 ネタにマジれすですか?
プリプリ怒るなよ
可愛い坊や
56 :
日本@名無史さん:02/09/01 00:53
>>54 実際にそうだった
かつて自分が中央を無視したように
自分も無視された
57 :
日本@名無史さん:02/09/01 00:54
>>56 石原はインテリではあったけど世間知らずだったって所だね。
貧乏人や馬鹿の発想を省みることができなかった。
58 :
日本史@名無史:02/09/01 01:10
莞爾も役不足って感じが否めない
日中戦争は回避されるが、その分満州の戦力は充実し、皇道派の対ソ強硬論が優勢になる。
しかし充実したとはいえ極東ソ連軍の量的優勢は揺るぎ無く、ノモンハン事件を契機に
対ソ全面戦争に陥り、ジューコフ率いるソ連装甲部隊に石原は苦戦する。
ドイツは極東へのソ連軍の増強を見て、単独でポーランド侵攻を実施。
バルト三国,ミンスク西方,ベッサラビアにドイツ軍が展開し,スターリンは硬軟巧みに
使い分け,日本へ停戦を呼びかける。この時点で日本陸軍は10万規模の死傷者を出しており、
停戦に応じる。石原は損失の責を受け辞任。
60 :
日本@名無史さん:02/09/01 18:52
石原では政治力不足だな。
他者との調整や事前の根回しが下手だろう。
むしろ永田鉄山が生きていれば、の方が興味深い。
61 :
日本@名無史さん:02/09/01 19:07
だれがトップになっても、その場、その時代の大勢や組織の論理に順応してしまう
日本人の国民性から考えて、開戦という流れに逆らうことは難しそうだな。
物事を理詰め、合理的に考えることが苦手で都合の悪いことには目を瞑り、希望的
観測や願望を現実と混同する性格は今も変わらない!
62 :
日本@名無史さん:02/09/01 19:10
板垣がずっと莞爾をささえてくれたらな〜
63 :
日本@名無史さん:02/09/01 20:59
>>60 永田鉄山の殺害によって陸軍は変わったな
ただその後の歴史そのものは永田が生きていてもさほど変わらなかったかと思う。
石原がどういう立場で戦争を指導するのか
その仮定がわからないけど、結局対米戦は
海軍の戦だから石原が指揮をとって同じ結果
だったような気もする。
65 :
日本@名無史さん:02/09/01 21:35
そもそも石原莞爾がいなかったら、日本は負けなかったんじゃないか?
彼の最大の失敗は満州問題をフセイン張りに軍事力で解決したこと。
特務機関を使って満州独立させてたら少しは歴史が変わったかも。
石原だったらアメリカと戦争してないよ。
>>8 だが、石原莞爾は東京裁判(ある意味東北裁判?)の証人出廷で、
「もしこのたびの戦争の指揮を東条ではなく私が取っていたならば、その裁判長の席に立っていたのは私で、
ここに立っていたのは君なんだよ」
と言っていたのだが
>>8 だが、石原莞爾は東京裁判(ある意味東北裁判?)の証人出廷で、
「石原さん、あなたは21倍の中国人に勝つ自信があったのですか。私にはおよそ無謀な計画だと思いますが」との裁判長の台詞に対し、
「君、戦争というのは数ではない。作戦だ。もしこのたびの戦争の指揮を東条ではなく私が取っていたならば、その裁判長の席に立っていたのは私で、
ここに立っていたのは君なんだよ」
と言っていたのだが
69 :
日本@名無史さん:02/09/01 22:14
>>67 単なる強がりだろ。
自分の国すら動かすのに失敗したやつが世界情勢を変えられたわけがない。
彼は政治家じゃなくて、軍人だからね。
226だってちゃんと処理したじゃない。
ノモンハンって石原関係あるの?
73 :
日本@名無史さん:02/09/01 22:52
75 :
日本@名無史さん:02/09/02 00:51
しかし、今の日本は世界第二位の軍事大国とか言う人いるし、
SAPIOには中国は日本を侵攻できない(圧倒的日本優位)とあったが、
それはどうだ?
当時は51倍も差があった。
その差を埋められたようには思えん。
中国だって当時より格段に強くなったんだし
59はフィクションか
石原莞爾は「山形」の人。
昔から山形の人は「トップ」には成れないんだよ‥
誰がトップに立とうが独裁でもやらない限り結果は変らない
国内の組織同士によるパワーゲームが一番の問題
>77
柏戸もナンバー2だったな。
敗北の「色」がついていないカリスマってだけでしょ。
みんな勝手にその気になるが、そんな「色」なんてのは本物の力じゃないよ。
81 :
日本@名無史さん:02/09/02 14:51
ま、うまく講和にもっていけたとしてもそれはイタリア、ドイツの降伏前までだね。
それまでに出来なきゃ、世の中が悪を必要としていた時代だから何やっても史実と
変わらん。
石原莞爾はサジを投げたんだよ。だから彼が指揮しても勝てない。
82 :
日本@名無史さん:02/09/02 15:53
仏印に出兵せず、蘭印に出兵すれば、アメリカと戦争にならなかったのでは。
といっても虚しい結果論だけど。
石油を確保して戦争回避。今後二度と戦争に負けない為に、相手の許容範囲を
推し量るすべを日本人は身に付けなければならないと思う。
統制派は中国相手の火遊びをしたがり、皇道派はソ連相手に決戦を望んでいた。
226で皇道派が壊滅しなければ石原は失脚しなかったかも知れず,
日中戦争は回避できたかもしれないが対ソ全面戦争に陥った可能性は高い。
ちょいとスレ違いだが、山形本当に可哀相だな。
明治維新の「清河八郎」(清川?)もそうだし今時の
「加藤○一氏」もしかり・・・
85 :
日本@名無史さん:02/09/02 16:20
≪84
ははははははは。
86 :
日本@名無史さん:02/09/02 20:21
山形(というか庄内)は変人のスクツ
石原莞爾
大川周明
佐藤鉄太郎(海軍戦略家)
上海事変が歴史を分けたな。
石原なら中国と戦争していない。
88 :
日本@名無史さん:02/09/02 21:36
軍刀が肛門に突き刺さっちゃたのが問題。
でもタンカに乗って、酒田まで山越えして頑張ったのよ。
満州の夢は五族共和。東条さえいなければ日本は勝っていた。
ビルマより先には行かないから、シーレーンは関係ないもんねーだ!
89 :
日本@名無史さん:02/09/02 22:35
満州国建国の時点で、中国との開戦は避けられない。
ドイツと同盟の時点で、アメリカとの開戦は避けられない。
よって、大差なし。
>>88 >ビルマより先は・・・
で、戦争するための資源はどこからもってくるんだ?
日本が島国である以上シーレーンの問題からははなれられないんだが
91 :
日本@名無史さん:02/09/02 23:00
陸軍で大物と呼べるのは石原莞爾・永田鉄山ぐらいで、
真崎甚三郎などそれ以外の者は大物ぶっていただけで、
2・26や敗戦後にその多くが馬脚をあらわしたそうだ。
92 :
日本@名無史さん:02/09/02 23:02
大蓮を初めとする中国との共同路線です。日本は中国と戦っては
いけなかったのです。あくまでも植民地解放が主眼
なのだから・・米国はABCD包囲網を組むけど、大東亜で守れば
大丈夫だった。但し日本が唯一戦ってはいけなかったのは
オーストラリアでした。
万里の長城を越えなければ、向こうが越えてくることもなかった。
蒋介石も日本がソビエトと戦うために満州を拠点とするのは容認するだろうし、
満州に対する中国の名目的な主権を日本は認め,実質的な満州への日本の施政権を
中国が容認する,というところで手を打ちたかったのが石原の本音だったような。
上海に行ってなければヨーロッパもアメリカもOKでしょ
留守番が火事場泥棒になった瞬間だからね。
96 :
日本@名無史さん:02/09/05 13:22
中公文庫で石原莞爾の『最終戦総論』ガ出てる。戦前にここまで考えていたのは
大したもんだと思う。良い悪いは別にして。
98 :
日本@名無史さん:02/09/08 23:13
まず戦争は国家という組織の行動の一種であり、
組織というのはそれが巨大であればあるほど一人の天才ではなく
多数の優秀なコマが優劣を決すべきものであるから、石原が指揮をとっていても
完全な専制で石原単独で戦略決定できる状況にないと影響は少ないとオモウぞ。
ましてや、石原派が軍部を掌握してたら今ごろ日本も中国もなくなってるぞ。
ごめん。そんなことはない。
99 :
日本@名無史さん:02/09/08 23:55
石原莞爾の限界は、軍事は政治の手段に一つ過ぎないということに
気づかなかった事だと思う。
軍人だから、しょうがないけどね。
100GET!!!
石原閣下 万歳!!!
101 :
日本@名無史さん:02/09/09 15:17
いしわら、と読むのか。
俺としては、石原莞爾=アホ、だけどな。
ヨーロッパで勉強してきて、本家に色々教えてもらったくせに、
勝手に自信もつだけのトロくささがある。
馬鹿な事件起こすわけだよ。
104 :
日本@名無史さん:02/09/10 02:53
なんで国際連盟を脱退させたの?大東亜を満州で培えると思ったの?
でもアメリカとの戦は考えてなかったのよ・・
105 :
日本@名無史さん:02/09/10 12:33
⇒なんで国際連盟を脱退させたの?
意味がよくわからないが、意訳でレス。日本が連盟を脱退したのは、総会が
リットン報告書を賛成42:反対1、棄権1で可決したから。日本はかねてから
報告書を激しく非難し、もし、満州国が不承任になれば連盟を脱退すると、
発表、内田外相は国土を焦土としても満州を守るなんて発言し、後がなかった。
なお、この時、石原も全権団に加わっていたが、総会には一度も出席してない。
満州事変 1931年9月
上海事変 1932年1月
リットン調査団日本到着 1932年2月
国際連盟で可決 1933年2月
あの上海事変がなければ違ってた。
石原はアメリカとの戦争をみすえていた。だから満州事変をおこしたと思う
108 :
日本@名無史さん:02/09/10 13:56
>内田外相は国土を焦土としても満州を守るなんて発言し、後がなかった。
まさか、10年後本当に国土が焦土になるとは思わんかったんだろうな(藁)
松岡自身はついつい調子にのって、けつまくって連盟を飛び出してきたが、その後は結構欝だったそうだ。
元老西園寺や重臣斎藤実は連盟脱退反対だったから。
これらの人ににらまれたら、政界ではやっていけない。
が、国民が帰国した彼を英雄扱いしてまた調子にのってしまった。
で、近衛内閣で外交をめちゃめちゃにして戦争へ。
なんか松岡って中身の無いパーフォーマーで小泉に似ているような。
今回の北朝鮮交渉の鍵となる田中局長が松岡に似ているのかも知れない
110 :
日本@名無史さん:02/09/10 15:09
>あの上海事変がなければ違ってた。
上海事件(第一次)の発端は、怪物、田中隆吉(公使館武官)が仕組んだ陰謀。
s7年1月、日蓮宗の僧侶と信徒の一行が、租界を巡行中、中国人群集に襲われ
襲1人死亡、3人重傷という事件が起こったが、これは田中が中国人に金を与え
襲わせたもの。この結果、それまで冷静だった英国の態度が大きく変わり、3月
サイモン外相は連盟規約と不戦条約の原則に違反した手段により成立した一切の状態
したに加盟国は承認を与えることが出来ないとする宣言の提案をし採択された。
あぼーん
112 :
大東亜帝国:02/10/02 03:42
113 :
日本@名無史さん :02/10/02 04:11
石原莞爾ならもう少し蒋介石をうまく使っていたら共産党を潰せて
国民党を傀儡にするぐらいのことは出来たんじゃないか??
蒋は切れ者だから戦争終結後の地位を約束するとか。。。
114 :
日本@名無史さん:02/10/02 16:32
>>113 石原は確かに頭がよいが政治的根回しにおいては能力が疑問だな。
日本の組織すら政治的に操れないで野に下った人間が外国の要人を操れるとは思えんな
115 :
日本@名無史さん:02/10/02 16:54
連合艦隊司令部を
草加を参謀長に
淵田を航空参謀にしていれば、勝っていたよ。
116 :
日本@名無史さん:02/10/02 19:45
↑草加は知らんが草鹿龍之介ならs19年ごろ聯合艦隊参謀長やってたけど、
淵田美津雄もs18年、第一航空艦隊(基地航空部隊=角田覚治)先任参謀、
s19年、聯合艦隊兼南方総軍参謀だったが。
117 :
日本@名無史さん:02/10/02 20:03
草鹿は昭和20年4月、大和沖縄特攻出撃の時のGF参謀長。強硬に反対する
伊藤二F長官を言いくるめて特攻を承諾させた。
118 :
日本@名無史さん:02/10/02 22:45
石油が採れない国じゃあ、戦争できんだろ。石原は国力をためて最終決戦をやるとか
ほざいていたが、米国のミシシッピ川下流の油田に勝る石油をどこからとるつもり
だったんだ。
満州
満州の石油石炭が良質だったら、万里の長城を越えることもなかったし、上海を攻めることもなかった。当然、中国ともアメリカとも戦争することもなかった。
石原莞爾って念仏唱えながら作戦考えていたんだろ?
ヴァカじゃん!
122 :
日本@名無史さん:02/10/08 22:22
石原閣下の「世界最終戦争論」読みますた。
感動しますた。
その鋭い観察にたまげますた。
閣下が戦争指導してれば、ワシントン国際軍事法廷には
まっかさああとにみつううが被告席にいたことでせう。
123 :
日本@名無史さん:02/10/08 22:34
オレも読んだが、ふ〜ん、そう。てな感じだった。
124 :
日本@名無史さん:02/10/08 23:11
石原が組織した東亜聯盟の戦後のスローガン
「国民皆農」「農工一体」「都市の解体」「簡素生活」
>118 名前:日本@名無史さん :02/10/02 22:45
>石油が採れない国じゃあ、戦争できんだろ。石原は国力をためて最終決戦をやるとか
>ほざいていたが、米国のミシシッピ川下流の油田に勝る石油をどこからとるつもり
>だったんだ。
連続3年ノーヘル賞をとった皇国民の叡智を結集すれば
石炭から石油がとれるであります・・・
松根油(いっぱつ変換できないのは、アメ公(IME)の陰謀)もあるです・・
126 :
日本@名無史さん:02/10/08 23:30
>>125 >松根油(いっぱつ変換できないのは、アメ公(IME)の陰謀)もあるです・・
大規模な環境破壊の先駆けと言われているやつですな!
日本全国の松林を穿り返したため、戦後の台風災害による甚大な被害が
全国で発生した。
127 :
日本@名無史さん:02/10/08 23:32
>>121 どこが馬鹿なんだ?
戦国時代あたりの武将でも同じ事してそうだが。
128 :
日本@名無史さん:02/10/08 23:45
日蓮宗の信者つうのは、危ない人間多いなー。
石原莞爾、井上日召(血盟団の面々)、北一暉等等。
今でいうオウムみたいなものだ
>>129 カルト集団と日蓮宗じゃ比較にならないだろ
創価>オウム>日蓮宗>>>おいなりさん
132 :
日本@名無史さん:02/10/09 00:06
日本が負けたのは、軍事上の問題というより、
政治上の問題だと思うよ。
例え、石原が総指揮をとったとしても、
国内の政治の分裂をまとめられなければ
同じでしょ。
133 :
日本@名無史さん:02/10/09 00:10
134 :
日本@名無史さん:02/10/09 01:34
>>132 日米戦を始めたという枠内で考えると
負けたのは政治上の問題ですらない。
しいて言えばアメリカの問題だ。
工業力発揮しすぎ
135 :
日本@名無史さん:02/10/09 10:04
大正末期ドイツに留学した石原は街中を羽織袴でのし歩いたそうだ。同じころパリに
留学していた東久邇宮氏は「郷に入っては郷に従えだよ」と忠告したが、一度も洋服を
着なかったという。国際聯盟の全権団の一員としてジュネーブへ行った時も同じ。
東久邇宮氏は終始変わらぬ石原の支持者で、その後、誰も石原を引き取るのを嫌がった
ときも自分の部下に呼び寄せたほどだが、彼の日蓮宗だけは不賛成で苦言を呈したが
石原は聞く耳持たなかった。
136 :
日本@名無史さん:02/10/09 12:43
石原が発明発見に、異常な関心をもっていたことは、おどろくばかりで、
私が戦時中、昭和十八年の夏、山形県鶴岡市の高山樗牛生誕の借家にいた石原をたずねたとき、
「いまの爆弾では効果が少ない、水素爆弾をつくらなければこの戦争に勝てない」
といって、四国に在住する水素爆弾について研究している民間篤志家の住所を教えてくれ、
「これを、東久邇宮殿下につたえて欲しい。しかし、いまの狭量な軍閥は関心を示さないだろう」
と苦笑していた。
岡田益吉(満州国情報科長)「日本軍人英傑伝」
137 :
日本@名無史さん:02/10/09 12:49
石原は、宮崎正義を中心として、調査マンを動員し、
「重要産業五ヵ年計画」を、昭和十二年五月、陸軍省案としてまとめており、
飛行機は年間一万機、鉄鋼は二千百五十万トン、アルミニューム十万トンなど、
これらを完成するまで、戦争は不可能であると主張し、持久戦の準備に専念すべきことを強調した。
今後二十年は、戦争してはならぬとさえ断言している。
石原は「不戦一勝主義」といっていた。
岡田益吉(満州国情報科長)「日本軍人英傑伝」
138 :
世界@名無史さん:02/10/09 14:35
臥薪嘗胆で頑張って機会を待つか...
己のチンケなプライドで泣きながら切れて袋にされるか...
どちらが男らしいか?
DQNはこういうときは先にカッコイイ技で相手をビビらせようするのだが..
139 :
日本@名無史さん:02/10/09 18:37
>138
当時の日本はDQNを「志士」と褒め称える発狂国家でしたから、しかたありません
140 :
日本@名無史さん:02/10/09 21:15
甘粕正彦(大杉栄殺害犯)曰く「石原のまわりに集まるのは、ヤクザ程度の連中ばかりだ」
141 :
日本@名無史さん:02/10/09 22:59
それって五十歩百歩ってやつか?
142 :
日本@名無史さん:02/10/10 21:59
甘粕を知らないんだなあ……
143 :
日本@名無史さん:02/10/10 22:11
甘粕大尉:関東大震災の時、無政府主義者の大杉栄らを殺害して古井戸に
投げ込んだ憲兵大尉(陸士24期)。懲役10年の判決をうけるが、3年で釈放
満州に渡り、協和会幹部、満映理事長など。敗戦時、新京で家族と自殺。
144 :
日本@名無史さん:02/10/10 22:20
石原莞爾の父は巡査でのち警部に、祖父は庄内藩士で慶応年間には酒田の町奉行も
務め、戊辰の役にも従軍。庄内藩、三秀才の一人といわれ、町奉行になる前は
新徴組(新撰組の前身)の指図役を務めたこともある。
145 :
日本@名無史さん:02/10/10 22:40
石原が幼年学校に入ったころは父はまだ巡査で、学費を払う余裕もなく
困っていたのを、富樫治右衛門という人の好意で学費の補助を受けた。
146 :
日本@名無史さん:02/10/10 23:28
満洲ってそんなに資源があったのか?
支那と戦わないで国力を増大させるというけれど・・・。
やっぱ南に行くしかなかったんじゃないだろうか。
148 :
日本@名無史さん:02/10/10 23:43
>146
甘粕が出所後、陸軍の機密費でフランスに渡ったり、溥儀の引き出し工作を
土肥原大佐らと行ったのは多くの書に書かれているので事実だと思うが。
WWUはそもそも松岡洋右の日ソ中立条約あたりから作戦ミスだからね。
というよりもソ連の作戦勝ち、かな。アメリカはむしろ漁夫の利って感じ。
永田鉄山が生きていたら、全然違う昭和史だったと思うけど
石原莞爾は天寿を全うしたやん。田舎でこっそりと。
>>147 録な資源はなかった。満州は、対ロシア戦の緩衝地帯としての
地政学的な意味が重要。
南に行くと、自動的に対アメリカ戦。石原莞爾のプランなら、南下は
だいたい1950年くらいからでしょ。
>>130 日蓮宗のうち、とくに当時の国柱会は、カルトですがな。
今でも日蓮宗の某派はフランスでカルト認定されていたり、
国内では石原莞爾・田中智学以来の右翼ズブズブ関係があったり。
カルトでない日蓮宗ももちろんたくさんあるけどさ。
>>131 創価学会は、元々、日蓮正宗の信徒学会です。 (;´Д`)
152 :
日本@名無史さん:02/10/12 18:29
石原莞爾って、ジパングで初めて知ったよ。
153 :
日本@名無史さん:02/10/12 18:36
>>151 層化学会は、日蓮宗から破門されています。
フランスではカルト団体指定です。
154 :
日本@名無史さん:02/10/12 19:45
石原が戦時中に指導者だったら、負けが込んだ昭和19〜20年頃には全国の信者に
号令かけてテンツクテンツクテンテンツクと白装束の行者が街中練り歩いたでせう。
155 :
日本@名無史さん:02/10/12 20:28
日蓮宗の行者の太鼓叩いた行進、うるさいぜ、以前住んでたとこに上行寺という
日蓮宗の寺あったが、毎年、今ごろだったが信徒が練り歩いてかなわんかった。
石原が指揮していたら・・・
1970年代に日米全面核戦争勃発。
双方甚大な被害を残し、地球の人口は30%まで減少。
アメリカは政治システムが失われ、降伏。
大日本帝国は神秘的な親和力により天皇の下にまとまる。
そして世界は一つになる。
・・・んなわけあるかい!・・・たぶん無いだろう。
157 :
日本@名無史さん:02/10/12 21:22
『世界最終戦争論』に一節、「・・・飛行機は無着陸で世界をグルグル廻る。しかも
破戒兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けてみると
敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり大阪も、東京も、
北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう・・・。
このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも耐え得る者が最後の勇者で・・・」
158 :
日本@名無史さん:02/10/12 21:23
勇者>優者
159 :
日本@名無史さん:02/10/12 21:39
決戦兵器、米国は開発したけど、日本はムリでせう。
蒋介石や米国とは戦わず、対ソ連戦争を行う。
陸戦では不利だが、陸海軍の航空戦力を駆使してシベリアの沿岸部中心に侵攻しべし。
ソ連東部の港湾を全て制圧しソ連太平洋艦隊を撃滅、ソ連の極東における影響力を抹消する。
っていうか対ソ戦と決まった後は軍事板ネタだなこれは
161 :
日本@名無史さん:02/10/12 22:46
石原が死の床で、弟子の武田邦太郎に口述させた「新日本の進路」の中で語る。
「今日私は、東亜聯盟の主張がすべて正しかったとは勿論思わない。最終戦争が
東亜と欧米との両国家群の間で行われるであろうと予想した見解は、甚だしい
自惚れであり、事実上明らかに誤りであったことを認める」 これでチョン。
まぁ、歴史にifは禁物ですからね。
成るべくしてなった結果だと考えるべきではある。
163 :
日本@名無史さん:02/10/13 01:13
最終戦の東亜代表とは厨狂でないことを切に祈るので
今後もはずれ続けて欲しい。
>160
つか、対ソ戦の準備のために対中戦はじめてる時点で……
165 :
日本@名無史さん:02/11/02 15:08
難しい
石原が指揮とろうたって
結局組織同士の板ばさみになって何も出きんだろう
167 :
島津の退き口:02/11/29 13:18
石原莞爾は佐治芳彦の本で始めて知った、佐治は石原を賞賛「すげえ人がいたんだんな」と思った厨房時代、若かった・・・
168 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:18
石原が指揮とったところで、陸軍重視だから同じこと。
最終的に、アメリカに負けたし、中国での泥沼から抜けれない(これも敗因)のも同じでは。
169 :
日本@名無史さん:02/12/02 02:23
結局アメリカ次第で勝ちも負けも左右されてたってこった。
>>25 構想はできても、実行、維持するためには他の実力が要る。
作戦参謀に政治家は務まらないね。
政治家には人をまとめる力が要るから。
石原にはそれがない。
よって、無理。
171 :
日本@名無史さん:02/12/02 16:43
石原は、自分の振りかざす「正義」を他人に強要してる。
中国人の反日感情とか、世論とか全く無視してる。
石原の理論には「同時代性」が欠けているから、
どんなに立派だとしても実現は極めて難しい。
自分に都合のいい設定だけ認めるなら、モナコだってアメリカに勝てる。
自分の振りかざす「正義」を他人に強要しない政治家は一人もいないと思われ。
それとも土井タカ子がそうだとでも?
妥協するから政治家。
俺のみが正しい、と叫んで世をすねるのは、政治の素人。
そんな奴が何をやろうが、世の中を変えることは出来ない。
174 :
日本@名無史さん:02/12/02 19:29
>173
日本は素人政治家ばかりじゃん(涙
175 :
日本@名無史さん:02/12/02 19:33
>>173 石原は政治家じゃないしな
軍事力というのは暴力で自分の政治目的を相手に押し付けるためにあるんだから
一番、妥協的精神がいらない政治手段。
その軍人として有能であるがゆえに石原は政治家には向かない
176 :
日本@名無史さん:02/12/02 19:34
太平洋戦争は日米共にやるだけ損な戦いだ。アメにはなるべく早くナチスドイツ
打倒に専念してもらって、そのあいだに日本陸軍は中国ならずものごろつきども
を手っ取り早く一網打尽にしてしまえば良かった。インパール作戦と打通作戦は、
発動時期が遅すぎた。
ここは福田教かw
179 :
島津の退き口:02/12/03 12:42
この前、ケガで東京逓信病院に入院したよ、「ペリーを読んでこい」と言いたくなった・・・
>>179 激しく既出かな?
www1.kcn.ne.jp/~houou/piano.swf
石原莞爾あげ
183 :
日本@名無史さん:02/12/28 12:32
こいつは吊るしておくべきだったな。
つるすとしたら、辻ちゃんとか弁ちゃん、卓ちゃん、源ちゃんだろう・・・。
(^^)
(^^)
石原莞爾をあまり持ち上げると佐治芳彦になっちゃうけど(藁)
石原が東条に取って代わっていたら? ってifは個人的にすごく興味あるけど、
もしそうなったら、恐らく永田鉄山と同じ運命をたどったのではないかと?
天才肌の石原のばやい、かなり急進的な事をやりかねない気がする。
そして、そういう奴は必ず消されるってのが日本史のパターン。
誰か、政治力のある大物とコンビを組ませて…の方が現実的かなぁ?
189 :
日本@名無史さん:03/01/27 05:55
小生は受験直前の高房で受験レベルの知識しかないんだけど
まだまだ勉強不足な漏れ的見解だと
南進否定、北進政策
満州にユダヤ資本や反共産主義系ロシア資本を誘致
満州国をロシア油田地帯まで拡大→油田確保
ハルノート返答無期限保留(米への建前は「結論もうちょっと待ってね」)
石原莞爾の唯我独尊で開戦志向の世論を無視
国力を十分につけて開戦
ってのはだめでつか?
んで意表をついて空母を南極・南米経由させて米本土を空襲ってのは?
100点満点で採点きぼん。
190 :
日本@名無史さん:03/01/27 09:07
いつ、どのような世界情勢の元でという事柄が抜けてて
判定すらできない
191 :
日本@名無史さん:03/01/27 09:55
>189
志望校どこ?
192 :
日本@名無史さん:03/01/27 09:58
関東学院大なら入れそう。
成城、専修、日大志望です。
第1志望は日大史学科です。
194 :
日本@名無史さん:03/01/27 10:33
石原が東条の代わりをやるとすると、参謀総長は多田駿、
関東軍司令官は板垣征四郎ってところか
もう一つ政治力に欠けるなあ
↑永田鉄山が生きてればなぁ
>195
そういう仮定で、佐治芳彦が仮想戦記書いてますけどね(^^;)
197 :
日本@名無史さん:03/01/29 23:27
l
198 :
交渉役の板垣征四郎が捕虜になったらどうするか>194:03/01/29 23:32
>>189 もうちょっと勉強しとけ
ネタとしては30点くらいだな
ネタでなければ門前払いのレベルだぞい
保守
保守
203 :
日本@名無史さん:03/03/11 20:44
204 :
日本@名無史さん:03/03/13 11:00
もう、いい加減語ることないしな・・・・・
でもとりあえず保守兼age
205 :
日本@名無史さん:03/03/14 03:05
石原なら中国とは、やらんかった。
では、なにをやったか。
ドイツとともに、ロシア攻撃。
ここでアメリカ参戦。
歴史の大局は変わらない 。
206 :
日本@名無史さん:03/03/14 03:12
理知的に見えて根本は狂信的な石原
彼が指揮した所で何ら大勢は変わらない。
あの、日蓮電波と言われる彼ですが
日蓮信仰については何も語ることがないのでしょうか。
ここは宗教板でないので、難しいとは思いますが。
満州で伊地知と出会い日蓮信仰に目覚めたようですね。
日蓮信仰関係者が見る石原莞爾は世の評価とは違って見えて
素直な気がします。私はそういう石原莞爾が好きですね。
208 :
日本@名無史さん:03/03/29 21:13
幕末明治で日本は人材を使い果たして、100年のねむりにはいったのです。
莞爾など3竜評論家軍人です。
21世紀には、新しい人材がでることを希望します。
>>207 すくなくとも、この日蓮臭い終末論を出した時点で戦争論の論理性が崩れる気がする。西洋軍事史を
研究しながら、なぜ無理やり結び付けようとしたんだろう。五百旗頭の論文と最終戦論読んだ程度なので
詳しい人いたら、教えて欲しい。
と言いつつも、折れも石原の慧眼や出張法廷での証言は興味深くて面白いと思う。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
212 :
日本@名無史さん:03/04/27 04:41
>>205 ロシア攻撃はいいんだが
シベリア出兵、ノモンハン事件をバロメーターとして
当時の日本の戦力への考え方からして結果はかなり怪しい
一番の問題は陸軍などの現地の人間が中央の命令通りに作戦を遂行してたのか?
あと、東条らの反石原勢力も黙ってないんじゃないの?
天皇は石原の事嫌いだったし
>ロシア攻撃で、アメリカが対日参戦
これはありえない。しばらくは傍観してたと思うな
敵と敵を戦わせて、消耗させたところで、言いがかりをつけて参戦してたはず
if ネ タ 妄 想 ス レ は 日 本 史 板 に は 不 要
>石原莞爾が大東亜戦争の指揮を取っていれば
「指揮」の程度によるが
とりあえず,あの時点での開戦は無い。
日中戦争も無いか早期停戦だろう。
よって大東亜戦の指揮を取る事はありえない。
その後,
対米冷戦下で国力を付けて対抗しようとするが
満州を確保して露骨な対米対抗策に出た日本に対して
アメリカの世論は冷たい。
また反共主義が災いしてソ連とも協力できない。
結局はアメリカの国力の伸びに敵わず
冷戦は何十年も続かず,石原の寿命は1950年代までには尽き
親米路線への転換で終わる。
極東ではアイルランド紛争の如き満州・半島紛争が起きただろう。
ただ大東亜戦での百万単位の日本人の死は避けられた公算が強い。
>>214 スペインみたいだな。下手するとポルトガルだ。
216 :
日本@名無史さん:03/04/27 20:16
>>214 たとえば石原首相か石原陸相として
天皇や石原の意思とは無関係に
現地の軍隊が勝手に事を起こすことってないのか?
辻なり牟田口なり武藤なり土肥原なりが
それを口実にアメリカが参戦する事だってありえる
石原政権はこれに対してどういう処罰をするの?
石原は何もいえないんじゃないの?
石原内閣だとそういう可能性のほうが高かったと思う
217 :
日本@名無史さん:03/04/27 21:21
>>83 ソ連軍と無法者同士やりあったほうがマシだったんじゃないの?
218 :
日本@名無史さん:03/05/01 19:57
佐治の太平洋戦争の批評を読みましたけど、「攻勢終末点の縮小」と「海上護衛戦への連合艦隊の投入」には納得できました。
さらに原油が現地のタンクから溢れ出そうになっていた点や、海軍が屁タレだったことなどへの指摘は面白かったです。
石原に執らせれば日本は滅亡していた。今の日本の様にwだって世界最終戦争論だろ!世界がなくなるよ!佐治さんはこんなの持ち上げて責任とれるの??
>>219 責任かぁ。どうやってとればいいんだろうね?
ただ、私は現在の日本の状況を見ていると、パフォーマンスしか能の無い小泉や管、さらに視聴率や売上のことしか考えていないマスコミには絶望する。
多分戦前の政党政治もこんな感じで腐敗・退廃していて、結局は軍が表舞台に出るしかなかったのだと思う。
そう考えると、佐治さんが石原を持ち上げることはベターだと考える。
少なくとも社民党やサヨクの論調を世間に流すよりは、マシだと考えます。
ある本で読んだんだが、日本軍の最終目標は
「米英ソの屈服」だって
222 :
日本@名無史さん:03/05/09 20:38
<“悪の帝国”=大日本帝国=フセイン・イラク帝国>
“悪の帝国”大日本帝国は、“正義の味方”アメリカを中心とする連合軍に
完膚なきまでに叩きのめされ、壊滅した。
その結果、圧政に苦しんでいた日本国民は、軍部や右翼ファシストたちの手から解放された。
国民を苦しめ続けた軍部、右翼ファシスト、そしてその協力者たちは“戦犯”として裁かれた(東京裁判)。
国民の人権・自由が保障されない封建的な大日本帝国憲法は“破棄”され、
国民主権・基本的人権の保障・平和主義を謳う近代的な“日本国憲法体制”が新しく発足した。
このように、アメリカを中心とする連合国との戦争に日本が負けたから、
日本国民は今日に至るまで自由と平和と豊かさを享受しているのである!
すべて、アメリカを中心とする連合国のおかげであることを日本国民は忘れてはならない!
アメリカなどに対する感謝の気持ちを日本国民は忘れてはならない。
アメリカ万歳!!
東京裁判史観万歳!!
日本国憲法体制万歳!!
ちなみに、イラクの戦後復興は、“日本占領”をモデルとするらしい。
とすれば、“イラク版東京裁判”の下で“戦犯”が裁かれ、
“イラク版日本国憲法”が制定されるのであろう。
その結果、イラク国民は、今後永遠に自由と平和と豊かさを享受してゆくことであろう…。
晩年は不遇な時を過ごしたようだが、彼の作戦は後年になって、光を浴びた感がある。
後年になって満州事変は失敗だったと後悔していたとか。
突発的、発作的に行動する観があり、国軍をすべる立場につく人間ではない。
ワシが大東亜戦争を指揮したのはとても正しかった。
それでおしまい。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
229 :
日本@名無史さん:03/07/06 02:10
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
232 :
日本@名無史さん:03/08/01 16:02
保
(^^)