明治維新は革命的ではあったが、幕府が大政奉還を行なうことで国家が
大分裂するほどの内乱は引き起こさず他国に比べれば順調に近代化を
果たすことができた。
なぜこのように明治維新は順当に行ない得たのか、その思想的原理は
何であったのか? を考えてみたい。おれはそれが儒教の変革の思想
であったと思うがどうだ。
2 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:33
長い物には巻かれろ!だろ。
明治維新は大変に理にかなっていたと思う。長いものに巻かれるのも時に
よっては合理的な選択、決断となる。また外圧がせまっておりそれをこまめば
アヘン戦争の二の舞を演じることになっていただろう。なぜああも合理的な
判断ができたのか。それも現在の日本よりも厳しい選択だったと思う。というのも
近世と近代の分かれ目で、近代化をするとなればそれまでの伝統的世界の流れから
大きく転換することになる。
今の日本は合理的な行動をしていない。よって明治維新の思想とは何であったかと思うのだ。
4 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:40
スポンサーのイギリスが賢かったから。
イギリス? そうでなく、幕府がなぜあのような賢明な決断ができたかということだ。
その思想背景は何かということが気になる。
6 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:42
>>1 儒教の変革の思想が根本理念なら、李氏朝鮮や清で真っ先に
維新が起こっていなけりゃいかんと思うがどうだ?
甘いね。儒教は東アジア共通の古典。ただし、その古典を本国だから、発祥地に
近いからといって体現しているわけではない。儒教が変革の思想であるといっても
それをどれくらい実行に移せたかということは民族により異なる。
なぜ日本人は当時それを実行に移せたのか、それが気になる。
当時と比べ、現在の日本人が変革ができないのは変革の根本的思想がないから
ではないか、と思うのである。
8 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:46
>>5 勝海舟に先見の明があったから。これにつきる。
ではその思想の根源とはなんだ?
10 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:49
>>5 たとえば江戸城無血開場ってイギリスの介入なしにはあり
えなかったと思うのだがどうだろう。とりあえず、当時は
イギリスが、幕府のバックについていたフランスと積極的
に極東では事を構えたくないとおもったし、フランスにも
事情があった、と。
だから、タイミングが悪けりゃ、血みどろの内戦だってあった
かもと思う。
11 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:50
明治維新と現在の差は、危機が肌で感じられるほど明確か、
明確でないかだと思うよ。
たぶんの現在の日本は、黒船が来るちょっと前あたりなんじゃないかな。
12 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:54
中国と朝鮮が近代化しなかったのは、外国を見下す朱子学が
根付いていたからでしょ。それに、対し日本はさほど朱子学が
根付いていなかったから、素直に外国の文化を取り入れた。
>>10
そうした外圧を受けたことは分かる。で、それに対して、攘夷しようとする
思想があったにもかかわらずなぜ変革することを決断したかということだ。
清は外圧に対して変わろうとしなかった。しかし日本は窮したけれども変わった。
そこにどんな思想背景があったかということだ。
14 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:57
戊辰戦争から西南戦争までで一応日清戦争なみの戦死者は出ている。
>>12
朱子学の理解が浅いぞ。例えば勝海舟の先生は佐久間象山だ。
16 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:01
>>13 外圧って言い方がやだ。スポンサー呼んで。
あと外圧の形も違う。
>清は外圧に対して変わろうとしなかった。しかし日本は窮したけれども変わった。
>そこにどんな思想背景があったかということだ
そりゃ列強の評価の違いとか国の大きさとかでしょ。思想はあんま
り関係ないでしょ。少なくとも思想だけには還元できない。
17 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:03
西欧化しないとマズイぞ、清国の二の舞は踏むまいぞ。
18 :
日テレ24時間テレビでウンザリしている人:02/08/18 00:03
日テレ24時間テレビでウンザリしている人
2円募金をやりましょう。
マンネリ化した24時間テレビを2ちゃんねらーの手で打ち切りにしよう。
理由
・障害者を見せ物にした3流芸人のカラオケ大会はやめてほしい
→なぜ募金にカラオケが必要なのかまったく意味不明。こういうものに
何千万円という金がかかるのに視聴者に募金しろというのはふざけている。
・毎年マンネリ化した感動の押し売りはやめてほしい
→主催者側は勝手に泣いているが、視聴者はどうでもいいと思っている。
TVで泣くのは、鈴木ムネヲまたは、かくし芸で大泣きする「山瀬まみ」だけで十分である。
・ってゆうか24時間じゃねーじゃん。ウソつくな。
→うそばっか、どうせマラソンも偽善あきたよ。
実行方法
・募金はモナーの絵をペットボトルに貼ってペットボトルの中に2円を入れて募金しよう。
→募金は金額の大小ではないということを今一度わかってもらうようにしよう。
・外貨貯金も受け付けます。
8/18 12:00武道館前に集合
なぜ思想にこだわるかということだが、明治になっても江戸から続く儒教
思想の流れは日本においては断絶しなかった。それは儒教が変革の主体と
なったのであって、伝統的保守的で破棄すべきものと捉えられていなかった
ことの証だと思うからだ。
すなわち明治維新変革の担い手達は儒教を自らの変革の理念として変革
を決断断行したと考える。
現代の日本で改革が行なえないのは、思想的に変革の根本理念がないから
だと思うのである。
20 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:05
>>18 それは2Chの24時間テレビ化を目指す事。
>>15 それだけじゃ、反論になってないよ。
反論するのなら、日本で朱子学ががっちりと根付いていた事を述べるべきだし、
朱子学が根付いていても、外国の文化を積極的に取り入れていたと述べるべきだ。
22 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:06
>>7 日本の方が儒教思想を強く体現してるって?…そりゃ君の新説かね。
当時の儒教=朱子学だが、李氏朝鮮の儒者(当然朱子学だ)などから
は日本は未熟そのものに見えてたらしいぞ。
もっと儒教の変革の理論について語るべきである。
24 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:08
25 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:09
もしかして、>1は朝鮮人か?
「明治維新は、朝鮮の儒教のおかげニダ!賠償しる!」なんて
言わないだろうな。
26 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:09
まぁ、なんか高邁な思想があって明治維新が成し遂げられた
と考えたいのは、日本人だからわかるけど、それは幻想だわ。
もちろん、変な思想にかぶれた狂信者がいたことは事実だろ
うけど、それが維新の原動力ってのはありえないと思う。
強いていえば、昨日まで攘夷で今日は開国ってのは、今日の
日本の政党政治の離合集散、朝礼暮改の悪習と根を一つて
いるとはいっていいかな。
>>22
儒教の変革の理論について体現したということだ。
日本は合理的に変革した。が、清・朝鮮は変革しなかった。
同じ儒教を学んでいても変革については日本のほうが実行できたのはどうしてか
ということだ。
あちらは宗教としていたが、こちらは文化としていたということもできるかもしれない。
28 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:10
日本の思想を考慮に入れるなら、
武士道と仏教を忘れちゃイカンよ。
29 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:11
明治維新に形而上的な思想はないよ。
>>25
煽りだとわかっているがいわせてもらうが、今の嫌韓思想から簡単に判断してはいけない。
事実、江戸幕府の中心思想は儒教だったのだから。
>>29
ではその形而上的という言葉の語源はなんだ?
32 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:14
江戸幕府が中心になったんじゃないしなー。
それに朱子学も盛んだったが、国学の方が盛んだった。
江戸幕府が賢明だ決断を下したということをいっている。
国学で攘夷に突っ走ったら第2阿片戦争だったかもしれない。
34 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:15
儒教、儒教っていうけど、儒教のどの思想家のどの言葉が影響したのか
ぐらいは言うべきだな。
35 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:15
出典を聞いてる
37 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:16
>>31 普通の日本母だよ、形而上・形而下。
思想や哲学を語る場合必要な言葉でしょう。
38 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:17
>>30 江戸幕府の中心思想が儒教だっていうソースは?
語源はドイツかな?それの日本語訳だよ。
>>37
まさか形而上学が西欧由来のものだけだと思ってないだろうね?
では教えてやる。形而上とは儒教の五経の一つ易経の言葉が出典。
42 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:18
>>33 だから朱子学のより、国学の方が優性だったんだってば、
それに攘夷勢力が勝ったでしょ?
朱子学なんて、及びでもなかった。
43 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:20
>>33 賢明かどうかは後世が決めることで、単に偶然の産物かもしれない。
あるいは内戦を戦う勇気も気力もなかったのかも(軍事力はあっただ
ろうけどな)。結果オーライに後付けの解釈をしても空しい。
別の偶然が働いたら懸命でない選択をしたかも知れない。
>>42
今ここでは変革について論じている。
45 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:21
>1
つーか儒学がなんの役にたったんだ?
儒学をなにか一つの凝り固まった頑迷な思想と捉えてる人がいるね。
47 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:23
>>42 別に朱子学と国学が対立関係にあったわけじゃないんだが…。
それに倒幕勢力が勝ったのであって攘夷勢力じゃないぞ。
ちゃんと歴史を勉強しましょう。
明治維新は実学だったのだよ。
なんかここのレスしてる人達って京都寺田屋で議論してる志士みたいね。
49 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:23
>>29、39
アリストテレスです。
近代に訳語として使われ始めたのでしょう。
まぁ、漢学趣味の方がそれ以前のことをいろいろ言って
るけど、まぁ、それはナンセンス。
50 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:24
>>44 だから変革に儒学がどうして影響あるんだ?
影響したのは国学だろ?
新政府が独立を守れたのは、外国に極力影響を持たせないようにした為だ。
初期は出来る限り借金をせず、自国のことは自国で賄った。
だから独立を守れたんだ。
他国の援助を受けていたら、半植民地化されたと思われ。
51 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:24
>1は、儒学が明治維新の原動力だと主張するのなら、
儒学がどのように明治維新に影響を及ぼしたのか
具体的に説明する義務があるぞ。
ナンセンスと片付けられるとはおもわなんだ
53 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:26
>>47 一応攘夷を御旗に上げてたからね。
(別に新政府の高官が攘夷を目的にしていたとは言ってない)
攘夷勢力を利用したってニュアンスが近いかな?
幕府の儒官たちが明治維新に対してどんな思想をもって対処したか、ということだ。
55 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:29
思想の話題からすこし離れるが、
俺は「時期」に着目したいね。
日本に初めて微弱な外圧がかかったのは、宣教師来日、つまり織豊時代にまで遡る。
宣教師というのは多かれ少なかれ斥候の役割も持っていたからね。
信長はそれをむしろ積極的に利用しようとし、内戦割拠の状態を打開しようとした。
秀吉ははじめ信長の方法を踏襲したが国内制圧をほぼ完了するに至り、そこで方向転換をした。
家康以降の江戸政権は日本国土にカンヌキをくっつけて立てこもりをしようとした。
これらの推移は、日本の地理条件に助けられたこともあり、ほぼ思惑通りにきた。
思惑通りににっちもさっちも行かなくなるのが、幕末。
気がつけば日本の周りはほとんど敵の占領下。
孤城になったと言ってよく。あるいは絶海の孤島。
ということは、逆にいえば、「時期」が一番遅かったということだね。
これも地理的条件によるところが大きい。アジアの奥座敷だからね、日本と朝鮮は。
近代化のお手本は英国にある。
近代化しなかった場合の反面教師はアジア諸国にある。
しかも近世までは超大国と目されていた中国が半死半生。
小国日本としては、こうとなればやるしかないわけで。
「何が長期的に見てプラスか」、が、佐幕にも勤皇にもひどく分かりやすかった。
56 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:29
徳川幕府が重用した儒学→朱子学→水戸学=国学。
57 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:30
まあ、水戸の大日本史は朱子学の思想がもとになってるわな。
この大日本史が無かったら、天皇があれほどまでに重要な存在として持ち上げられたかどうか・・・・・
朱子学は儒教から発生してるから、維新に重要な貢献をしたのは確かだよ
↑なにか、思想理解においてはステレオタイプだな。
59 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:31
「幕府の儒官たち」なるほど、そこまでスケールの小さな話なら
わからないでもない。現実政治の前ではあまり関係ない人たち、
あるいは個人的には影響を持っても、それは儒教の影響ではない
しね。
60 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:31
61 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:32
その後明治天皇の侍講に元田なぞをつけたことで維新断行首脳部の
ある程度の思考のルーティンはなぞれるのでは。
帰る側はいい。しかし全てがそうでなかったのに幕府は例えばアメリカと
条約を結ぶとか、大政奉還をするとか、柔軟に対応し、それが内乱を最小限に
くいとめて明治維新を順調にすすめる結果となった。
その根底に儒教があったのではないか、ということだ。
63 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:34
>>61 すぐに追い出されなかったっけ?
記憶違いならスマソ。
64 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:34
現実的な政治判断。
65 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:34
徳川幕府が儒教を重要視したのは、先祖崇拝だな先祖がいてこその自分だと。
現代日本に残っているのは、「お父さんお母さんを大事にしましょう。」思想だ。
66 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:35
>>62 その対応が反発を招いたんだし、
幕府が滅亡する遠因となった。
67 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:36
>>1 儒学のどの思想のどこがどう、影響したのか具体的な説明がないぞ。
68 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:36
69 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:37
>>67 それに尽きるな。
なんか影響していて欲しいという願望だけ。
>>66
だが清はそうした柔軟な対応ができなんだ。よく江戸幕府はできたと思うのだ。
それから当時の日本全体で侍は儒教の教養を持っていた。あらゆる文献に
儒教用語が引かれている。儒教の影響についてもっと考える必要がある。
71 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:37
儒教は安定社会を作る為に輸入されたもんじゃないの?
階級を納得させる為にさ。
72 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:40
ひょっとして幕府高官には禅譲思想があったために維新がスムーズに行った、って話?
スマン儒教にてんで疎いもんだから
江戸時代の儒学についてはさほど多くの人が詳しく理解していない
74 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:41
>>70 あの後の清は外国のいいなり、彼方此方租借させ借金し、
鉄道の敷設などをまかせた、それによって半植民地された。
だが明治新政府は、それを断り自国を保持した。
だから儒学の影響なんて悪いようにしか影響しなかった。
75 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:41
>>70 片一方は小国、島国
もう一方は大国、大陸国
とかの事情の影響のほうが大きそう。
また、植民地化しようとする側にも「日本は中国のグリコのおまけ」的な
軽視があったようだし。
そういう要因で考えたほうがいいかも。
清と日本。
では
あ、禅譲じゃなくて易姓革命かな。よくわからないや。
78 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:43
おまいら、陽明学は無視か?
明治維新のバックボーンとしては朱子学よりも陽明学の方が大きいんじゃない?
陽明学は浅薄な見方をすれば革命を煽ってると取れなくも無いし。
薩摩でも大流行だし。老中板倉勝静の師匠も陽明学者だし。
>>78 あまり、儒教的でないお言葉で驚きました。
81 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:46
>>79 浅薄な見方をしなくても革命を煽ってるよ(w
行き着くところは革命家か反乱者
82 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:48
>>79 それは、判ってるけど、それでは誰かが固執している「幕府の賢
明な判断」(笑)の説明にはならんのよ。
いうなれば儒教の形而上学の部分が変革をもたらす思想原動力になったのでないか?
また朱子学でも陽明学でも結局解釈の問題。儒教の経典は五経。四書は朱子学が
前面に押し出したもので、分かりやすく徳行に結びつきやすいものを選んだもの。
なにせ幕末のちょい前には陽明学者大塩平八郎が大坂で一旗あげちゃってるしね。
陽明学にはそういうところがあるね。
大塩だってもすこし時期が遅けりゃ経世済民、立派な志士だよ
まだまだ体制が磐石な時期だったから反乱者だっただけの話で
汚い言葉を吐いてしまいました。もうし訳ございません、平に謝罪いたします。
68へのレスのつもりがタイプミスで間違えてしまいました。
腹切っておわびいたします。それでは・・御免!ウッ!、どなたか介錯をおお・・
明治維新はブルジョア民主主義革命です。
88 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:53
>>83 で、どうしてあなたはそう思うの?
あなたが儒教の形而上的な思想が変革をもたらしたと考えているのはもう分かったから。
89 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:53
>>87 いや、封建遺制は無視できんよ。
32年テーゼを読みなさい。
>>87 彼らがブルジョアになったのは明治新政権後だろ。
明治維新の捉え方ってホント左翼的にとらえられてる。
右翼だと思ってる人もかなりすりこまれているということがこのスレで
わかりました。
92 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:54
>>85 加藤紘一ももう少し次期が遅けりゃ経世済民、立派な獅子だよ。
まだ自民党体制が磐石な時期だったから叛乱者の烙印を押されただけで。
>>86 イ`
>>87 ええじゃないかとか農工商階級も結構盛り上がってたけど
それを武士階級とは違う独自の動きに組織出来る奴がいなかったからな。
>>91 わたしゃ、シャレのつもりでいってますが。
>>88 だってあれだけ侍たちが儒学をやり、幕府も昌平坂学問所を中心に儒学に
いそしんでいて、それが効果がなかったとは思えないからだ。
政治的にもその哲学が相当生かされていたと思うからだ。
しかし現在の眼からは儒教はあまり理解されていないので当然古い思想だと
思われがちで評価も低すぎるのでないかと思うのだ。
>>91 少しまじめに書くと、明治維新に対する批判に耐えうる
社会科学的分析が、左翼の側からしかなされてこなかった
という事情があります。立花隆などが言うように、日本では
マルクス主義が一種の近代化の理論だった、わけですから。
ただ、そのマルクス主義ももはやカビが生えてるわけなので
これからは違うでしょうが。
97 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:04
>>95 フムフム。まあ続きを聞いてみよう。
>政治的にもその哲学が相当生かされていたと思う
たとえばどの辺りにそれを感じるの?
幕末の、どんな政治現象をもって儒教の影響を嗅ぎ取った?
ちなみに日本では儒教ではなく「儒学」、一種の学問的なものとして流布していたわけだけど、
この相違についてはどんな風に考えてる?
自分が右翼だと思ってる人も、実はそれほど自国の伝統を理解していない。
それほど日本人は西欧崇拝が未だに直らないということだろう。
明治の変革はほとんど伝統的な思想から行なわれた。そしてそれは確固と
した決断によって遂行されたということをもっと理解しなければならない。
自分の祖先のやったことを現代の西洋的な見方で軽く判断してはいけないと
思います。
99 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:10
98はもはや論理で争うことはあきらめたという宣言でしょうか。
なんの説明にもなってない。
ただ、西洋だろうが、儒教だろうが外来の思想であることには
かわりがないのだが。
100 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:11
幕末ではないが、薩摩の近思録党(こんなじだっけ?)の顛末は
儒学が政治に対して影響力があったという証左になるのでは?
外来の思想ならそうでしっかり当時の江戸時代の思想家の言葉をもっと
しっかり読まねばならない。
だってほとんどの人が明治維新を概念的に外面からだけ捉えてる。このスレでも
痛いほど窺えた。
しかしあれだけの革命は単なる野蛮な国が外圧に押し流されてできるものでない。
確固とした決断があってこそなしえたとおもう。決断の裏には確固とした理念が
なくてはならん。当時それにあたるのは儒教思想が主であっただろう。
だから当時の儒教思想を理解せずに明治維新を理解することは難しいと思うのだ.
せっかく一応はちゃんと1の路線で考察してみようとしてやってんのに、
なんなんだそのレスは一体
普通にムカつくぞ
もうやめた
103 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:19
つーか幕府はあっさり負けたやん。
104 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:20
>>江戸時代の思想家の言葉をもっと しっかり読まねばならない。
つーか、そのあたりは左翼の世界では丸山真男ですでに大昔からやって
るの。わたしゃ左翼じゃないけど。
丸山真男、この人も読みが非常に偏っているとされているので除外。
106 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:22
↑歴史やってるのか? だったらいえない言葉だぞ。
だって当時の侍の基本教養は儒学だったんだからな。
109 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:28
漏れは本多利明なんかに興味がある。
明治維新に与えた影響はほとんど無いだろうが。
なにせ明治維新の際の加賀藩があのていたらくだし。
110 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:28
基本教養が儒学だろうと地政学だろうと、在日は存在するし、
彼らの多くが日本民族の分断をひじょうに強い情念をもって
望んでいるのは否定のしようがない現実だ。
現実から逃避した時点でそれは学問ではなくなる。
111 :
日本@名無史さん:02/08/18 01:29
当時の基本教養は儒学含む漢学です
112 :
日本@名無史さん:02/08/18 02:10
>>102 なんだか、1のレスは明治維新が先に事実どおりのことを遂行しようというスケジュールがあって
それが彼の場合は徳川幕府が主導したとイメージで語っているような気がするな。
その背景にある思想が儒学だという前提で。
私は維新はかなりいろんな思想や志向が交錯して偶然が重なってあのようになったと思っているので
何だかイデオロギーが歴史を必然的に動かしたというのはちょっと首肯できないな。
まあそれはおいておいて
議論するとすれば
大政奉還以降の幕府側の動きの背景を探るんなら徳川慶喜がどういう思考であったかが一番重要であったと思う。
1の路線でいうなら慶喜の政治的決断に儒教思想が影響したかどうかかな。
違う。儒教に易経というのがあっていわば儒教の形而上思想であって、
簡単に説明できないけれども万物が変化するという思想である。
佐久間ゾウザンにしろ多くのものが影響を受けている。
114 :
日本@名無史さん:02/08/18 02:22
変化を認めるなら、あっさり植民地になっています。
異を拒んだが為に独立を守ったのです。
変化を認めるということは決して外国に屈するということではないぞ。
状況の変化に柔軟に対応するということだ。柔軟な決断を下すということだ。
頑なに変化を拒めばアヘン戦争となる。流れに沿えば平和的な変革がなされる。
明治維新に思想的原理があったのかな? 尊王攘夷という朱子学的スローガンを
尊王派は掲げていたけれど、実際はもっと怨念のようなものに突き上げられて、
行動してたように思えてならない。徳川二百五十年余りの長州、薩摩の不満が
ペリー来航に見られるように世界情勢の変化にたいして大藩として祭り上げら
れてはいたけれど、いくら高官位をもらっても幕政の枢要には参画させてはも
らえずこのままでは徳川と共に共倒れになるという危機感と今までの徳川への
怨念が維新の原動力となったのではないだろうか。
それと>1は割合と明治維新が順当に行われたように云っているが戊辰戦争もあり
国内分裂の危機もあった、実際奥州では相当の戦闘が行われたのは周知の通り
個人的には京都守護職を命じられた会津が最後まで目の敵にされあのような悲惨
な状況になったのは気の毒でならない。
118 :
日本@名無史さん:02/08/18 03:18
>>117 ほぼ同意。
倒幕運動の大きな特徴は思想や理念が完全に欠落してることにある。
倒幕派は「徳川を倒して天皇とすり替えよ」とヒステリックに叫ぶ以外には、
なんら発展的な思想はもちあわせていなかった。
尊攘派のイデオローグである真木和泉などは、
封建制こそ万世不易の良制であるとし、
これを変革しようとしている幕府に対して、
狂気じみた誹謗中傷を行っている。
要するに、維新の背景にあるのは、思想というよりも、
何百年も抑圧されてきた薩長の鬱屈した感情の暴発だね。
119 :
日本@名無史さん:02/08/18 03:53
>>1 大政奉還を行なうことで国家が大分裂するほどの内乱は引き起こさず
この時点で歴史認識間違ってると思うぞ。
薩長側の軍事力と戦術・戦略・士気で、一種の「革命戦争」を遂行し、
幕府側が負けたんだよ。大政奉還は幕府側の最後の賭け。
日本の開国と近代化と軍事力強化などの方針はどちらのサイドも同じ。
重要なのは、リアリズム。西洋やアジアの事情を知っていたかどうかも重要。
吉田松陰も儒学やってるし、教養の上に思想が築かれたということ。
>>117 同意・・ついでに言うと、土佐の郷士(長曾我部侍)の怨念
儒学は、徳川初期政権が封建制を強固にする為奨励
だから当時の武士の共通の知識。
これを通じて、清川八郎など少数のドキュソが全国を駆け回り
外圧と相まって大きな無意識のムーヴメントが起きていた。
これに便乗する形で、関ケ原のリターンマッチが行われた。
最初に血祭りにあげられた幕府側の大物は
三成の所領をそっくり頂戴したヤシの子孫だしね
122 :
日本@名無史さん:02/08/18 13:41
事件関連メモ
「幕府困らせ死刑になりたかった」西郷容疑者の動機と判断。
動機?高杉容疑者「何もかも嫌」と供述・・・
岩倉容疑者、大量の砒素を所持。
数か月前知人に「何しても無罪だ」と語っていた・・・
大久保被告は「幕府への反発や自分の精神の弱さにも左右されて、
転落の一途をたどった。幕府を襲ったことを理解できないと言われるが、
説明する能力もないが、自分の中ではそういうことが結びついて、
今ここに座っている」と語った。 傍聴する幕臣は、時折ハンカチで
涙をぬぐいながら、大久保被告に厳しい視線を送っていた。
123 :
日本@名無史さん :02/08/18 14:00
124 :
日本@名無史さん:02/08/18 14:26
支配者が変わる時ってのは、国を二分する血で血を洗う戦いになったり、
どちらかがゲリラ化し、収拾がつかない内戦へと突き進むもんだけど、
それにくらべりゃ日本は上手くスマートにやってのけたよ。
まぁ、喧々諤々やってたらアングロサクソンの草刈場にされちゃって、
今頃は「ヤーパン共和国」なんていうカソリックの国になってたんじゃないの。
125 :
どれにあたる?4番?:02/08/18 20:05
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合、あなたが
「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…
1:事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
2:ごくまれな反例をとりあげる
「だが、時として尻尾が2本ある犬が生まれることもある」
3:自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」
4:主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
「ところで、カモノハシが卵を産むのは知っているか?」
7:陰謀であると力説する
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」
8:知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
10:ありえない解決策を図る
「結局、犬が卵を産めるようになれば良いって事だよね」
11:レッテル貼りをする
「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」
13:勝利宣言をする
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」
126 :
日本@名無史さん:02/08/18 21:41
>>125 何を言いたいのかよくわからないけど、
このスレでの問題は、1がカラスはほ乳類だと思いこみ、
「カラスは哺乳類としての条件を満たしている」ことを前提に議論を展開してること。
127 :
日本@名無史さん:02/08/18 21:52
なるほど、頭いー
1は絶対詭弁様なのにどこがどう詭弁なのかわからなかったの
15条とは前提から違ってたのね
128 :
日本@名無史さん:02/08/19 03:09
「明治維新」ではなく「明治」の思想的原理は何であったか?
という問いかけならば、それは、福沢や西周らの啓蒙思想だと思う。
明治政府の俗物が成り上がり者特有の愚民思想を旧来の儒学や国学で粉飾していたとき、
人間は生まれながらにして自由・平等であると真正面から主張した功績は大きい。
社会や人間の変革を説いた知識人のほとんどが幕府が育成した人材で、
幕府を倒し「維新」を為し遂げた連中は儒教的名分論や国学的国体論に囚われていた・・・
明治維新とは一体何であったかがこの辺にも現れていると思う。
129 :
日本@名無史さん:02/08/19 05:07
水戸学(後期)が明治維新の思想的原理って意味かな。
130 :
日本@名無史さん:02/08/19 05:29
やっぱり「五箇条の御誓文」は重要だと思うぞ。横井小楠だな。
131 :
日本@名無史さん:02/08/20 03:39
「五箇条の御誓文」は欧米に対するポーズにすぎない。
倒幕派は英国に気に入られるために必死だった。
国内向けの本音は同じ時期に布告された「太政官の高札」に書かれてる。
132 :
日本@名無史さん:02/08/22 11:24
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を嫁
133 :
日本@名無史さん:02/08/22 11:49
このままでは借金で国が潰れます
134 :
日本@名無史さん:02/09/08 22:21
あげ
135 :
日本@名無史さん:02/09/08 22:24
>>132 マックスウェーバーっすね。
実は自分も重ねてる・・・明治維新と。
読んだときうーんなるほどと
納得したでやんす。
137 :
日本@名無史さん:02/09/11 00:19
>>124 >まぁ、喧々諤々やってたらアングロサクソンの草刈場にされちゃって、
>今頃は「ヤーパン共和国」なんていうカソリックの国になってたんじゃないの。
アポですかあなたは?
アングロサクソンはどちらかと言えばプロテスタントなんですけど。
138 :
日本@名無史さん:02/09/13 01:46
明治に入ってからの啓蒙思想家に関して言えば、
より影響を与えたのは徂徠学だと思うのだけど。
そこんとこどうよ?
139 :
日本@名無史さん:02/09/13 08:52
河上彦斎が学んだ学問を子細に検討してみ。
典型的維新志士の思想的基盤がよく分かると思う。
>>137 藁
もし明治維新がなければ
なんて議論をしてる連中のレベルはその程度ですか?
カソリックとプロテスタントの区別もつかない、、、、、
141 :
日本@名無史さん:02/09/16 23:39
>>139 彦斎が標準とは思えないよ。この男は平均以上の教養があったし。
大多数の志士は(指導層を除く)、もっと無学だったのが実際じゃないの?
142 :
日本@名無史さん:02/09/17 01:48
関東征伐。
143 :
日本@名無史さん:02/09/17 01:56
維新の曙が大塩中斎とすれば、
陽明学も入るのでは>
144 :
日本@名無史さん:02/09/17 02:23
譲る人がいたから良かったんだよね。
日本人の培ってきた引き際のよさが発揮された例じゃないかと。
切腹という文化がありますが、引くことが敗北ではなく
儀式として高められている例です。
切腹はおそろしい内容だけれど、日本人の中に憧れを生んでいた。
それが明治のときに、引くべき組織、人物が自ら引いて、
秩序形成がすみやかになされた。
培ってきた精神が国民的に実現した姿だと思います。
145 :
日本@名無史さん:02/09/17 05:25
h
146 :
1-145を読まずにカキコ:02/09/17 07:56
山県大弐→吉田松陰 という思想的影響はあっただろう.
「柳子新論」を読んだ坊主と松陰との論争的な文通が残っており,その中で
最初は倒幕に反対していた松陰が次第に説得されて,しまいには「もはや天朝も幕府もいらぬ」
とまで述べるに至っている(あるいは松陰自身も「柳子新論」を入手していたかも).
松陰が単なる攘夷思想から「倒幕」へと踏みだしたのは,このへんにカギがある.
147 :
日本@名無史さん:02/09/17 10:14
吉田松陰の思想は、若い頃から肥後の宮部鼎蔵と
切磋琢磨して形成された部分も大きいけどね。
この二人の門人から、倒幕志士が多く輩出される
んだよな。
148 :
日本@名無史さん:02/09/17 10:26
>>1 思想を思想としなかったからこそ近代化がスムーズに行えた。
現実に直面していた問題は、大きく分けて外交、行政、経済産業の三点。
その問題を解決するためにより現実的で効果的な方法をとった。
天皇制はそのための方便だし。
現実の問題に取り組む中から思想は生まれる。
健全だったと思う。
149 :
日本@名無史さん:02/09/17 11:53
>>148 近代化の成功の一方で、失ったものも多くあったことが
昨今指摘されているが、そのことについてはどう認識
している?
150 :
日本@名無史さん:02/09/17 11:58
>>148 近代化できて良かった良かったと無邪気に評価しているのは
70年代の学説の一部だよ。すでに過去のもの。
151 :
日本@名無史さん:02/09/17 12:00
>>150 ・・・ん? 1960年代では?
いわゆる「近代化論」だろ?
152 :
日本@名無史さん:02/09/17 12:12
>>1 原理もくそもないだろ。勤皇の志士なんて過激派の跳ねっ返り。
153 :
日本@名無史さん:02/09/17 15:39
>>1 貴方は、「儒教の変革の思想」などとのたまうが、「儒教の変革の思想」=易姓革命 と
言いたいのなら(易姓革命論自体は、儒教自身とあんま関係ないけどね)だよ・・・
もし、貴方の言いたいことが、「易姓革命」ならば、王室が変わらなきゃいけなくなる。
つまり、王政復古どころか、王政打倒→その後新王朝建設ってことが必要になってくる。
それと、儒教のどこに、「変革の思想」が有るのか、教えてくれ。
「これ弧か 弧か? 弧か?」と叫んだ孔子様のどこに、「変革」の要素があるのか?
王陽明が朱子学者達に論戦を挑んだ時から、儒教の訓古学といえば
「より古いテクストを尊ぶ」というような気風のある世界のどこに「変革」の要素があるのか?
頼むから、教えてくれ。
続き
で、これは、最近 司馬史観の横行でもはや、「俗論」となりつつある見解だが。
○江戸中期以降、水戸学を中心とする朱子学が、教養人のスタンダードな
思想になった。 つまり、資実通鑑なんかの、支那バージョンの
「尊王攘夷」という思想が、文化文政以降、教養人の思想的背骨となった。
○で、支那の「尊王攘夷」を本朝に移植する際、当然、「王とはだれだ?」って
話になる。「江戸の将軍ではなく、京都の天皇だわな」ってことになって
「尊王攘夷」が「尊皇攘夷」に止揚する。 その端的な例が、頼山陽の
「日本外史」。日本外史以前の歴史書が、家康を記述する時、常に
「神君」という表記だったが、日本外史に至って初めて、朝廷から付与された
その時々の官位で、家康を呼称するようになる。
○幕末ともなると、幕府高官でさえ、「幕府は、正統政権たるべき京の天皇から
政権を委託されているに過ぎない」と考えるようになる。
○つまり、江戸末期の人々は、日本史上はじめて、その思想内容如何に関わらず
形而上的な理由で己の行動を決定するようになってしまった。
慶喜が、小御所会議の結果をうけ、無抵抗恭順に走ったのも、彼が受けた
朱子学的教育の結果と考えるのが妥当だと思われる。
○そりゃー、資実通鑑で、けちょんけちょんに書かれている「逆賊」と
己の歴史的評価が、後世からみて同じ・・・ ってことになると
朱子学徒とすりゃ、たまったものじゃない。
以上、俗説の受け売りでした。
>>149 >近代化の成功の一方で、失ったものも多くあったことが
>昨今指摘されているが、そのことについてはどう認識
>している?
失ったものって具体的に何?
>>148 >近代化できて良かった良かったと無邪気に評価しているのは
>70年代の学説の一部だよ。すでに過去のもの。
学説はどうか知らないよ。
俺は近代化は素直に評価できると思っただけ。
あなたも学説じゃなくてご自分がどう思っているのか教えて。
156 :
日本@名無史さん:02/09/17 19:10
>>153 易姓革命自体は誰が言い始めたの?
俺は孟子だと思ってたんだけど。
>>156 孟子は、湯武放伐が儒教そのものに突きつける大きな矛盾を、必死になって
説明しようとする。 だから、孟子が「易姓革命理論の濫觴」と見られるのも
無理ない。 孟子を積載した遣唐使の船は沈没する なーんていう
伝説が生まれたのも無理は無い。
しかし、湯武放伐のような出来事を、「易姓革命」なる言葉の初出は
孟子より後だろうと思われる。 不勉強で申し訳ないが、ひょっとして
孟子の中に「姓易リ命革ル」というのが出てくるかもしれん。
諸兄、お手持ちの孟子を引っ張ってみてくれ。
で、孟子の頑張りでも、湯武放伐の矛盾というのは解決しない。
何千年とたったあと、朱子がその仕事を引き継ぐ。
それが、幕末の日本人に多大な影響を与えた 正閏論と大義名分論
ってことになる。
まあ、俺はとにかく、>>1の不勉強を責めたい。思いつきで議論はじめるもんじゃない。
158 :
日本@名無史さん:02/09/18 09:58
>>157 >「姓易リ命革ル」
この一文は孟子以前のものだったように思ったんだけど。
手元に孟子も易経とかもないので図書館で借りてくるわ。
159 :
日本@名無史さん:02/09/18 11:52
形而上学をmetaphysicsの訳語として採用したのは
西周かなんかじゃなかったっけ?
もちろん儒学の教養がなかったらこんな訳語は思いつかないだろう.
160 :
日本@名無史さん:02/09/18 12:14
土佐の南学も忘れてはならない。
土佐山内家かも南学者が出ているほどで、
土佐藩は殿様・上士から白札・郷士・下士・庄屋まで
キンノー狂徒。
>>158 そだそだ。そりゃ、易経にでてるだろうな・・・ おれがアホだった。
ただ、易経で出てるだろうけど、別に「変革の思想」ってことじゃないと思うぜ。
また、湯武放伐や王朝交代を念頭に置いての 「姓易リ命革ル」じゃないと思うぜ。
>>159 いや。だからさ、維新への儒教・儒学の影響は、絶大さ。
俺はとにかく、>>1の 「ちょっと中国古典かじってみました。議論したいなー」
的な厨房ノリが許せないんだって。
何 度 も 言 う が 儒 教・儒 学 に 変 革 の 思 想 な ん ぞ あ り ゃ し ね え
「変革を許さない!!」ってのが儒教・儒学の売り・よさ なんだって。
>>160 おお。どうやって変換した?
>>161 >土佐の南学も忘れてはならない。
>土佐山内家かも南学者が出ているほどで
これは、「頭痛が痛い」と一緒だぞ(笑)
土佐でやってる儒学だから「南学」って言うんだ(笑)
163 :
觚不觚觚哉觚哉:02/09/18 19:50
「觚」・・・辛抱強く「こ」を変換しました(w
うーん.
>>1だけでなく,「儒教に変革の思想なんぞない」と断言できるひとに対しても
ちょっとかじってみましたMax Weber的な東西比較がすりこまれているとオレはオモタ.
164 :
觚不觚觚哉觚哉:02/09/18 19:51
Weberの考え方はこうだ
「まさに西欧の土俵の上で,しかもそこにのみ,普遍的な意義と妥当性をもつ発展方向を示すところの,文化諸現象があらわれたのである」(ウェーバー『宗教社会学論選』(1916)序言)
165 :
觚不觚觚哉觚哉:02/09/18 19:53
そのように考えるからこそ,こそシナの儒教については
「呪術が積極的な救済意義をもつからといって,儒教はそれを非難せずに放置したのにひきかえ,ここ(ヨーロッパ)ではピューリタニズムにおいてすべて儒教的なもの
は悪魔に属するものとなり,それに反して宗教的に価値あるものは,合理的に倫理的なもののみであった」(同書最終章「儒教とピューリタニズム」)
「《現世》に対する緊張は,(儒教においては)けっして成立することはなかった.・・・自然と神性,倫理的要請と人間的不十分さ・・・宗教的義務と政治・社会
的現実,などのあいだのなんらかの緊張関係は,この(儒教)倫理には完全に欠けていた.そしてこのことから,ただ単に伝統的・因襲的に束縛されるのではなく内的な
力によって,日常の営みに影響を与えるあらゆる手がかりもまた,その倫理にまったく欠けていた」(同)
166 :
觚不觚觚哉觚哉:02/09/18 20:01
このような儒教規範に対して,キリスト教では「内面よりする一つの価値規準(《現
世》に対して,それを当の規準にしたがって形成すべき資料とみなすような価値規
準)に依拠して,日常の営みの組織的な志向を創り出す」とWeberはいう.だか
らWeberの考え方では,キリスト教は宗教改革に見られるような内部革新力をもつ
が,儒教にはそのような内在的な力を「まったく」持たない,ということになる.
しかし,Weberほどの大学者が,こと東西の比較となると,こうも先入観に基づいた
即断をするのかと私は驚く.上に引用した箇所を彼が書いた1916年というのは,何
千年にもつづいた皇帝性を当のシナ人たちがひっくりかえして,まがりなりにも共
和制をうちたてた辛亥革命(1911)からわずか数年後であった.その革命の指導者・
孫文が儒教の精神(「天下をもって公けとなす」)を体現する人物だったのを看過
していたのだろうか.
167 :
日本@名無史さん:02/09/18 20:05
「觚觚ならず觚か觚か」という孔子こそ,まさにWeberのいう「内面よりする一つの価値規準」を体現する人ではなかったか?
(3行目・訂正)
s/においてすべて儒教的なもの/においてすべて呪術的なもの
169 :
日本@名無史さん:02/09/18 20:41
維新のカリスマ 高杉晋作の思想原理は
80% 師の敵討ち
10% 故郷の為
10% 伊達と酔狂
なんか、呉智英の受け売り(少し前の)っぽい・・・
163へ
今晩から出張なんです
i-modeから見てます
きちんと議論したいんで火曜日まで待って下さい
163へ
今晩から出張なんです
i-modeから見てます
きちんと議論したいんで火曜日まで待って下さい
163へ
今晩から出張なんです
i-modeから見てます
きちんと議論したいんで火曜日まで待って下さい
175 :
日本@名無史さん:02/09/18 23:57
少数派が有力な軍事力を持ったのがきっかけであって
思想なんてあとづけもいいとこだろ?
176 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:10
>>175 誰が主導権を握るか。
倒幕運動はそれがもと。
維新後の近代化はいかに日本のインフラを整備するかに主眼が置かれた。
本来、思想というのはそういったダイナミックな動きの中で作られるもので
先に思想があったわけではない。
儒教にしろ、キリスト教にしろそれらが必要な土壌があって初めて生まれて育つ。
このスレも明治維新を通じて日本人が生み育てた思想がどういったものだったかを考えれば
いくらか価値があるだろう。
177 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:16
では江戸時代の政治思想の中心、すなわち儒学についてはどう思う?
明治からの日本思想には多くの意味があるが江戸時代にはあまりないという
ように読めるが。
明治維新を起す引き金は開国にあった。薩長はもともと開国に反対し攘夷を
主張した。開国を実際行なったのは江戸幕府である。当時の国際関係をみると
開国のほうが合理的であったといえる。その合理的判断を下した江戸幕府が
なぜそれを選択し得たのか? 従来の説のままでいいのか?
178 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:23
インフラの仕方に幕府と薩長(新政府)には大きな差がある。
外国資本の導入に積極的かそうでないかだ。
おそらくここが思想的な違いだろう。
179 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:29
おれは開国か攘夷かといった高度な政治的判断は、その国家の積み上げてきた
英知あってこそ合理的になしうるのであると思う。英知というものは決して
その場限りのものではない。
180 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:50
>>178 それは思想の違いではなくて方法の違い。
思想とは価値観であり方法ではない。
俺はそう思うが。
181 :
日本@名無史さん:02/09/19 00:51
多くの場合、江戸幕府が弱体化し外圧に屈したというような見方。
183 :
日本@名無史さん:02/09/19 01:12
>>180 外国資本正しくは、諸外国の影響を極力避けていたことは、
大きな思想的な違いだと思うけどな。
184 :
日本@名無史さん:02/09/19 01:18
>>183 なぜ外国の影響をさけたいと考えたのか。
なぜ外国の影響を受けてでも近代化をしたかったのか。
その点はどうだろう?
185 :
日本@名無史さん:02/09/19 01:21
外国に対する危機意識の差だろう。
186 :
日本@名無史さん:02/09/19 01:47
幕府はフランス依存派だったよね。
187 :
日本@名無史さん:02/09/19 02:04
>>185 なるほど危機意識か。
それは日本が経済的に外国に支配されるというものかな。
>>186 そうそう。
慶喜はナポレオン三世から馬をもらって、
西洋風の軍服を着てその馬に乗ってる写真があるね。
188 :
もんたみの:02/09/19 18:36
次の文章は,ハリス来日で通商条約の締結を迫っている頃,ある人物が
鎖国をあくまで固執したがる京都朝廷に対し,なんとか説得しようとして送った書簡の
一部です.(孝明天皇もこれを読んだのか?)
さて,これ書いた「ある人物」とは誰でしょう? 4択です.
A 井伊直弼 B 佐久間象山 C 勝海舟 D 吉田松陰
「鎖国の説は一時は無事に候へども,宴安姑息の徒の喜ぶ所にして,始終遠大の御大計に御座なく候。
一国に居つき候と天下に跋渉つかまつるとは人の智愚労逸,近く日本内にても懸絶致し候事。況や四海
に於てをや。何とぞ大鑑を打ちつくり,公卿より列侯以下,万国航海つかまつり,智見を開き,富国
強兵の大策あい立ち候様つかまつり度き事に御座候。・・・外国の事情を知らずして徒らに海岸を守り
貧窮に困しみ候は,誠に失策に之れあるべく,英吉利・仏蘭西などの小国にてさへ,万里の遠海へわたり
人を制し候は,皆々航海の益に御座候。此の所早く御着眼之れなく候ては覚束なく存じ奉り候」
189 :
日本@名無史さん:02/09/20 19:07
ライフライン使っても?
190 :
日本@名無史さん:02/09/20 23:02
⊂( ⊂(´_ゝ`)ノ ぉーでぃえん酢
191 :
日本@名無史さん:02/09/22 19:54
もんたみのでてこいゴルア
答えは文珍博士じゃヽ(`Д´)ノ
192 :
2チャンネルで超有名:02/09/22 19:57
193 :
もんたみの:02/09/22 21:04
ふぁいなるあんさー?
>>191 文珍博士ということは,いちばん右か(笑).正解ですじゃ.
大意「鎖国は、姑息の徒が喜ぶもので、決して優れた策ではない。大艦を建造して、
万国を航海し、智見を開き、富国強兵の大策を立てるべきです。外国の事情も知らず
に、いたずらに海岸の防備を固め、財政的に苦しむのは誠に失政です。イギリス・フ
ランスなどの小国が、万里の波濤を越えて、人を制しているのは、航海の利益による
ものです。ここに早く御着眼なくしてはおぼつかない」
一見,「開国論」のようにみえる主張だが,開国をしたうえで諸外国と自由競争に
より国力をつけて諸外国に対抗すべし.さもなければ日本の独立は覚束ないぞと
いうのが要点なわけで,実はこれが「攘夷論」の神髄なのだ.よって,Dの吉田松陰
とわかる.
194 :
もんたみの:02/09/22 21:39
「開国」を実行した幕府が開明的・合理的で,「攘夷」を主張していた薩長は
反動的だというのは,あまりにも単純な見方ではないかと思う.そんな意図も
ありまして.
攘夷といっても,上にみるように開国の主張とも矛盾するものではないからね.
まあ,長州も藩論はコロコロ変わるし,合理的でない迷走的な行動の連続ではある
わけですが,幕府にしても,合理的な政局運営をやっていたと評価できるのは
阿部正弘のときぐらいじゃないかな?
195 :
日本@名無史さん:02/09/22 22:14
阿部はチンカス
阿部の政策というか政治姿勢は功罪両面あるだろう。
197 :
日本@名無史さん:02/09/28 00:47
まあ明治時代の日本人なんて今以上に
外国に関しては「欧米好き、アジア蔑視」だったけどね。
当時の代表的な知識人である福沢諭吉は『脱亜論』て本書いて
「我々もシナ人に対して隣人に対するような態度でなく
西洋人が彼等に対するのと同じような態度で接するべきだ」
と主張してるからね。
欧米好き、アジア蔑視(自国は例外にして)は敗戦と共に
始まったんじゃなくて、明治以来。寧ろ最近はマシになってきてる。
198 :
日本@名無史さん:02/09/28 01:03
199 :
日本@名無史さん:02/09/28 12:07
本居宣長じゃ
200 :
日本@名無史さん:02/09/28 14:40
もっとましな論者はいねえのか?
201 :
日本@名無史さん:02/09/29 23:55
松下村塾系の思想書って中国地方の古書店とか神田とかにある?
回天詩史とか水戸学系のはたまに見るんだけど
202 :
日本@名無史さん:02/09/29 23:59
あるわけないだろ。
もともと松下村塾の思想なんてない。
>>201 講談社学術文庫から
講孟サッ記(上・下、吉田松陰、近藤啓吾全訳注)が出ている。
絶版になっているかもしれない。
ありがとうございます。探してみます。
中央公論新社から中公クラシックスというシリーズが出ておりその中にある。それが
最新。
『孟子』を弟子たちと読みながら感想を述べ合い注釈をつけたもの。
注釈書というかたちで自らの思想を吐露したもの。
明らかに孟子を踏み台にして自らの理想や思想を語ったもの。松蔭の主著といえる。
革命=維新ってむりやりしてしまうけど、
みんなクーデターや蜂起を維新・革命と同一視しているのが間違い。
つまりある時革命や維新が起こりました、というイメージが違うの。
たぶん「易姓革命」のイメージのせいだろうけど。
本当は政権とってからの国づくりこそが革命=維新なわけで。
ある瞬間なのではなくて、持続して続いていくイメージが本当。
中国なんかいまだ「革命中」なわけよ。
その辺ふまえて議論してほしい。
207 :
日本@名無史さん:02/10/13 09:14
そうだね。だいたいにして日本では易姓革命は受け入れられなかったもんね。
というか為政者がそれを嫌ったと言うか。
革命と言うとナポレオンのイメージも強かったんかな。
特に洋学者の間では。どうなんかな。
ところで「海国図誌」にナポレオンって出てきてたっけ?
208 :
日本@名無史さん:02/10/23 17:07
age
>206
>つまりある時革命や維新が起こりました、というイメージが違うの。
だけど明治維新で領主階級(大名、旗本、その他上級武士)は、解体され、土地から引き離されたじゃないか。
1868年にこれが旧幕領地で起こり、1871年廃藩置県で残りの地域でも起こって、
ここが日本の近代の出発点になった。
その、何が言いたいのか良くわからないんだけど。
言ってることはわかるんだけど、それと206がどう絡むのか説明をキボン。
212 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:17
馬鹿と議論すると自分も馬鹿になります
>211
明治維新という一時点において(厳密には1868年と1871年)
日本の近代市民革命が本質的に達成されたということです。
日本史板に国学を語るスレってある?
>211
ある時、すなわち明治維新(1868年-1871年)
において支配階級が変わり、日本の近代市民革命が本質的に達成されたということです。
206の「持続して続いていくイメージが本当。」というのは、近代化に伴う改革を
やっていかなくてはいけないという点ではそうなんだけど、その大きな転換点(出発点)は、
一つの時期に求められる。
216 :
日本@名無史さん:02/12/02 20:32
近代市民革命と言う言葉を使ってるとそのうち突っ込まれると思うよ。
市民じゃないし。
うお、もう書かれてた。
>>217 ケコーンする?
219 :
日本@名無史さん:02/12/02 21:04
岡義武は「民族革命」っていってるな>明治維新
まあ当時の日本で西欧の「市民」概念に相当するのは
武士階級と豪商豪農くらいだったから、明治維新は市民革命でもいいかと。
きっかけはただのクーデタだったけどね。
市民=ブルジョアジー=都市に住む金融、商工業者の上層部分=日本史における豪商=町人
「ブルジョア革命」を翻訳する時に、「町人革命」と翻訳すべきだった。
「市民革命」と訳してしまったがために、民主的で大衆や貧民が大きな役割を果たすような
イメージがついてしまった。
221 :
日本@名無史さん:02/12/03 20:33
実際、革命というと貧困層の民衆が力をあわせてたちあがった
というイメージがあるけどこれは本当は違う・・・・
表にしろ裏にしろ多少裕福なものがからんでいる・・・・
なぜなら、武器を調達する資金が必要だからだ。
虐殺の代名詞のポル・ポトだってポル・ポト自身は
ヨーロッパに留学してる・・・
222 :
日本@名無史さん:02/12/03 20:42
というか、大衆や貧民が中心的役割を果たすような「革命」なんて嫌い。
明治維新がそんなモノじゃなくてよかったよ。
223 :
日本@名無史さん:02/12/03 20:44
それから、アジアとか、欧米圏以外の革命とかクーデターには
貧富の差の問題もあるけど、欧米的価値観と自国文化の価値観
との葛藤もあると思う。
224 :
日本@名無史さん:02/12/07 15:12
革命とかブルジョアとか君たちは片山潜か
>>222 世界各国のブルジョア(市民)革命って、大、中のブルジョアジーがスポンサーになって、何らかの武装勢力と
旧支配階級で野党的立場だったものが結集して前近代的体制を打ち倒すというパターンが多い。
武装勢力あるいは、旧支配階級で野党的立場だったものが具体的にどういう人たちかは、
それぞれの国の特殊事情で異なる。
いずれにしても、革命が成功してもスポンサーである大中ブルジョアジーの意向を無視しては、
政権を維持していけない。
226 :
日本@名無史さん:02/12/07 16:21
まぁ、明治維新ってやつは一部の権力持ちが世間の思想を操って起こしたクーデターだろ
227 :
日本@名無史さん:02/12/07 17:21
明治維新というのは武士階級の中で権力が移動しただけだよ。
クーデターであって革命ではない。
箔をつけるために天皇を利用し、
上級武士から自分達に権力を集中させるために
廃藩置県や四民平等、華族制度などを打ち出しただけ。
能力のある人間が政治を動かすようにするための改革。
無血革命に近いのは奇跡。もっとも優秀な人材を集めて作った
政府だからというのもあるのだろう。
229 :
日本@名無史さん:02/12/07 17:34
>>228 何処が無血革命なんだ?
恭順を表明した相手にも襲い掛かり、
都合が悪くなれば味方にも濡れ衣を着せて処刑し、
戊辰戦争から国会開設、普通選挙の実施までにどれだけの血が流れたと思っているんだ?
230 :
軍事暴走を止められたはず:02/12/07 17:47
_'7/)__
《フ´ ' `く|.
∩i /ノノノ))〉
))f!(l.゚ ー゚ノ!. 恭順した慶喜とかは江戸を救ったよ。
(( ⊂丞つ
ヽニく/_|l
し'ノ.
「ゑゑじゃなゐか」から覚めたとき君主が天皇にいつのまにか代わっていたよ
って感覚だったんじゃない?当時の民衆的には
>227
>明治維新というのは武士階級の中で権力が移動しただけだよ。
>クーデターであって革命ではない。
武士は、徴兵令で存在価値を失い、廃刀令で精神的支柱を失い、
秩禄処分で経済的基盤を失った。もし武士対武士なら、こんなことはしないはず。
一部の下級武士は新時代の支配者に上り詰めたが多くの下級武士は食い詰めた。
その差は何だろうか。
もちろん能力の違いと運が大きいのだが、その一方で市民階級(=ブルジョアジー、
倒幕戦の時は三井、小野、島田組など)の支援を受けているかどうかの違いも、
重要である。
要するに支配階級が変わったのだよ。これまでは、領主階級が権力を握っていたのが、
市民階級(ブルジョア)が権力の座についた。
ただし彼らは自分の仕事があるから、なかなか直接正式に権力のイスに座ることはできない。
そこで政治家に献金して、日ごろから政府の経済政策を前もって教えてもらったりして、
自分の有利なように経済政策を立ててもらっている。
233 :
日本@名無史さん:02/12/16 11:38
>232いいこというね。
ほとんどの武士は経済的な基盤を失ったわけで、今のリストラなんか問題じゃない
ほどたいへんだったんでしょ。下総台地の開発を行う会社は士族に仕事をやらせたんだけど、
仕事が大変で逃げ出す人が多く、船橋あたりに監視所を設けていたそうだ。
234 :
229に同意:02/12/16 11:46
無血革命とは都合のいい歴史改竄。
東北地方に歴史的建造物が少ないのはなぜか考えてみよ。
アレは紛れもない、内乱でした。
235 :
日本@名無史さん:02/12/16 11:56
下級武士が権力を奪取して、武士から官僚・商人などの市民階級になって支配していったということね。
236 :
日本@名無史さん:02/12/16 12:15
権力を持つものが変わるのですから、いろいろな犠牲が出るのは当然。文化大革命を見よ。
237 :
日本@名無史さん:02/12/16 14:17
最初に征韓論を唱えたのは島津斉彬だと聞いたが本当ですか?
238 :
日本@名無史さん:03/01/06 01:34
良スレ
239 :
日本@名無史さん:03/01/06 02:05
明治維新で一区切りするのではなく、
この時代の権力基盤の移行期を黒船来航から明治14年の政変まで
で捉えると、確かに相当な血が流れてるな。
241 :
日本@名無史さん:03/01/06 12:07
>>239 フランス革命やロシア革命に比べると飛躍的に
死傷者数が少ないことは事実だろうが。
242 :
日本@名無史さん:03/01/06 12:59
一言でいうと、『日本は万世一系の天皇国』・・・これに尽きると思う。
これがある程度の合理性(日本が独立を確保するという意味において)を
持っていたということでは?
例えば、中国なんかはこうはいかない。。。清は征服王朝だし、
多民族が領域にいる以上、簡単なナショナリズムではダメだった。
尚、『。。天皇国』の思想は維新以前ではまるで一般的ではなかった。
そのような思想が日本の政治思想の中枢に植え付けられた・・
これがなければ有司専制もありえない・・十分「革命的」だったと思う。
簡単な問いだが
「何故、列強の植民地にされてはならないのか?」
「何故、奴隷化されてはならないのか?」
と問われたときに、明確に答えられる人がいるだろうか?
243 :
日本@名無史さん:03/01/06 18:39
陽明学の耳学問ではなく実行の重視に行き着く。
大塩平八郎あたりから動きはじめている。
244 :
日本@名無史さん:03/01/06 20:49
テメーら、無血とかいってんじゃねー!!
by 井伊直弼、川路聖謨、小栗忠順、佐久間象山、横井小楠、姉小路公知、
吉田松陰、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉田東洋、有村治左衛門、藤田小四郎、
橋本左内、河井継之助、近藤勇、土方歳三、相楽総三、有馬新七、久坂玄瑞、
広沢真臣、大村益次郎、前原一誠、江藤新平、西郷隆盛、桐野利秋、大山綱良、
篠原国幹、別府晋介、村田新八、大久保利通 &孝明天皇?
>>244 少なくともアカデミズムの近代史研究者の中には、
明治維新を「無血」な改革だったと主張している者はいないよ。
ただ、犠牲者の規模が他国の改革や革命に比べ、極端に少ない
ことが特色なのは、244も認めるだろう?
慶喜が天皇を尊重して諸侯を政権に引き入れて改革政体でいこうとほぼ決まっていたところに、
薩長が謀略をはかって倒幕戦争をおこした。クーデタが成功したのは謀略家たちが優秀だった
のだろうけど、日本の歴史の正当性にあやしいところがあって個人的には残念。
でも新政府だったからラディカルに改革ができて、廃藩置県、徴兵制、国会開設などができた。
19世紀後半の世界史的に残された数十年という短い時間内に、独立を侵されない国家づくりが
まがりなりにできた。
維新成功の理由
国内情勢
中央政権(幕府)から半独立的な地方政権(諸藩)が多数あり、独自の軍隊を持っていた。
内乱を、短期間で終結させた。
新政権の指導者が、断固たる決意と、権力欲を持って、事に当たった。
教育レベルが高く、国際情勢を理解する知識人が多数いた。
基本的に単一民族だった。(基本的にと書いてるので、アイヌ他のつっこみは不要)
民衆が既成権力に反感を抱いていて、短期的には、新権力者はそれも利用した。
国際情勢など。
日本の地理的位置。(東の果て)
日本開国の次期。(かなり遅い)
英仏露の他地域も含む、微妙な対立。
英仏の国内世論(戦争に対する躊躇)
開国をせまった各国がそれぞれ戦争を抱えてたしね。
(^^)
保守
(^^)
252 :
日本@名無史さん:03/01/24 07:52
くだらん馬鹿スレだ
もし開国直前に2chがあったら、
【勝海舟は売国奴】
とかいうスレが続出だった?
254 :
日本@名無史さん:03/02/06 01:44
>>1 そんなものはないと思うが。
薩長過激派の跳ね上がり分子が暴走してただけだろ。
255 :
佐倉強哉の意見:03/02/06 03:39
佐倉強哉は元・二本松藩士。作家・榊山潤の妻の父である。
榊山潤の「田舎武士の目」から、佐倉強哉の意見を述べる。
この人(佐倉)の福沢諭吉に対する傾倒はひと方でなかった。
いきるために屈辱を忍び、敵の最下層の食をはんだ日々が、
楽しかろうはずもない。邏卒の多くは、無能な薩摩の下級武士だった。
無能な人間ほど威張りたがるもので、今や我が藩の天下だという意識を
片時もしまってはおかない。この人は邏卒の間でも、とるに足りない
賊藩の徒であった。
政治の機構はいろいろ変わったが、つまるところは天皇が将軍に代わった
だけであった。天皇の下には、天皇を絶対の権力者として祭り上げる事
によって、薩長の成り上がりどもが解きを得顔に権力をふるっている。
こんな新政なら、何も天皇を表面に押し立てる必要はなかった。
勝安房と対立した主戦論者小栗上野介に任せても、これ以上の新政を
手際よく開いて行ったはずだと、この人は考えた。
この人のこういう意見は晩年においても変わらなかった(続)。
256 :
佐倉強哉の意見:03/02/06 03:51
この人に言わせると、
明治の改革は新政府の意志で成就したものではない。
外からと下からの力が盛り上がって、そうならざるを
得なかったのである。確かに封建制度は根本からゆらいで、
たとえ薩長の巧妙な打倒運動が功を奏しないでも、徳川幕府は
自壊作用を起こしたかも知れない。ただし薩長の倒幕運動は、
徳川の基礎がゆらぎはじめた機会をとらえたので、
徳川に代わって天下をとる野心は凄まじかったが、自分達の手で
新しい日本を築きあげようとする大方針はなかった。
その証拠に、維新の動乱を貫いた薩長二藩の感情は、
まったく封建的なものであった。
上州権田村に引きこもった小栗上野介を虐殺したのも、
その一例である。奥羽は連盟を造って新政府に対抗した。
明治政府は、賊藩である奥羽に対して、あくまで冷たかった。
現に戦後も、東北本線は単線であった(続)。
257 :
佐倉強哉の意見:03/02/06 04:05
日本を一つにして、西欧に負けない国家を造り上げようとする
大方針があったとすれば、そんな小感情にいつまでもとらわれて
いるはずがない。つまり彼らには、徳川を倒して天下を握ろう
という、封建的な野心しかなかったことになる。
もし徳川が自壊作用を起こさなかったら、いずれにしても
根本から建て直さなければならなかった時代の必然によって、
明治政府のしたくらいのことはしたろう。
明治政府を動かした力と同じものが、徳川を動かした
にちがいないからだ。
明治政府の食をはんで(司法官・弁護士)、苦労のない晩年を送った
この人が、頑としてこういう見解を捨てなかったのは、この人の
生きてきた道筋が、どんなに険しかったかを物語るものであろう。
「俺が賊藩の徒でなかったら、大臣ぐらいにはなっていたろう」
と、一杯飲むとこの人は言った。
負け惜しみとは言えない人柄であった。(佐倉強哉・1850-1939年)
258 :
勤王の志士の実態:03/02/06 13:14
「勤王の志士」は、明治政府や小説家の宣伝で、「革命家」のような
イメージで語られるが、実態はもっと胡散臭い。今日、龍馬や西郷は
すっかり「英雄」になっているが、「勤王の志士の大半はただのゴロツキ」
と、私はにらんでいる。以下、結城禮一郎「旧幕新撰組の結城無二三」から
「勤王の志士」の姿を紹介。
結城無二三は江戸で流行思想の尊皇攘夷に染まり、生麦事件に刺激されて
同士を探していたが、幕府に密告されて江戸に居られなくなり、京都に
逃げてくる。
「けだし京都は当時勤王攘夷党の巣窟で、ここへ行ったら必ず自分らの
志を遂ぐることができるだろうと思ったからである。
ところが来てみると大違い。勤王というのは畢竟幕府いじめの口実で、
攘夷さえも真剣にやろうと言うものは居ない。たまたまあれば
それは諸藩の末輩で、巧みに先輩浪士に煽動され、一途に
外夷討つべしと叫んでいるばかり、肝腎の先輩達はこれを機会に
幕府を倒そう、そして自分らが代わって幕府を作ろうという野心の
塊であることを発見した。
正直無垢の若い心にはこれほど嫌な現実暴露はなかった。
それで攘夷なぞと言うことは二の次にして、まず彼ら浪士の横暴を
懲らしてやろうと思い立った。」(略)
259 :
勤王の志士の実態:03/02/06 13:28
「京都には元来守護職というようなものはなく、治安の保持
は所司代の手一つでやっていたのだ。ところが嘉永・安永以来
浪士がしきりに入り込んで非違を謀り、所司代だけでは
やりきれなくなったので、文久二年閏八月朔日、新たに
京都守護職を置き、職禄五万石を給し松平肥後守を抜擢して
これに任じたのである。
それでその時まで盛んに町々辻々へ落首張り紙をしたり、
あっちこっち火をつけて歩いたり、諸公家はじめ富裕の市民
を恐喝したり、甚だしきに至っては御所の中へ生首を
投げ込んだりして、乱暴狼藉の限りを尽くしていた浪士ども、
会津の上洛とともに一時に屏息してしまった。
その代わりとして、今度は暗殺がはやりだした。」
260 :
勤王の志士の実態:03/02/06 13:40
「一体近藤という男はどちらかといえば潔癖すぎる方で、
他人の悪いことをするのを黙って見ていられない質でした。
会津候の手に付いてあの通りの働きをしましたのも、
本当は幕府へ忠義を尽くしたというのではなく、
勤王勤王と騒ぎ立てる人々が、口では立派なことを言って
いながら陰ではひどいことばかりしている。
第一国元から禁裏手入れと称して莫大な金を取り寄せ、
それを祇園や島原で湯水の如くに費消する。
つまり、自分らの遊びのために勤王の看板をかけているものが
多かったのです。それが非常に近藤の癪に触ったものと見えます。
けしからん奴らだ、叩き斬ってしまえ
といって端からやっつけたものです。私なぞも実はやはり
それと同じ心持ちで京都で働いてたのです。」
261 :
結城無二三の維新観:03/02/06 14:27
「世間ではよく旧幕失意の人々を目して、時勢を見るの明が
無かったと言うけれども、時勢を見るの明は薩長の人達より
むしろ旧幕の人達の方が勝っていた。世界の大勢を心得、
民心を察し、それに適応すべき政治をしようとしていたのは
かえって旧幕有司農地にその人多く、薩長のいわゆる先覚者
なぞはこの点に置いては遙かに一籌を輸するものが多かったのだ。
それがただ時の巡り合わせが悪かったばかりに、主客地を異にし、
旧幕有司の志が時を遅れ姿を変えて薩長の手で行われるように
なったのだ。あの時もし慶喜公が十五代将軍にならなかった
ならば、なっても鳥羽伏見であんな見苦しい振る舞いをすることが
なかったならば、日本はもっと昔にもっとよい政治を布き、
もっとよい文化を得ることができたろう。たまたま変な
巡り合わになったため、天子様にご心配かけることも多く、
人民の福利もしばしば阻害されがちになったのである。
なんとも残り惜しいことだ。」
大室奇兵隊革命
263 :
日本@名無史さん:03/02/14 07:17
( ´D`)<ののと明治維新についてかたるのれす
264 :
日本@名無史さん:03/02/15 12:47
内容のない空疎な長文はウザイな。
>>264 大したことも書けないくせに、批判だけはするお前よりマシだろ。
266 :
日本@名無史さん:03/03/02 00:05
>261
>あの時もし慶喜公が十五代将軍にならなかった
>ならば、なっても鳥羽伏見であんな見苦しい振る舞いをすることが
>なかったならば、日本はもっと昔にもっとよい政治を布き、
>もっとよい文化を得ることができたろう。
幕末の幕府はひどい財政赤字で、近代化を進めるための資金を
商人たちの御用金、借金の増加でまかなおうとした。彼らは幕府が財政が困難なことを知っていたので反発したが、
従わなければ懲罰を受けるし、従っても経済的困難に陥る。
そこで彼らは幕府に反発し、倒幕に動いていた志士たちに資金援助をした。
幕末の財政赤字の主因は、譜代、旗本たちが無用な官職を得て禄を得ていたことにある。
また、様々な、贅沢が横行していた。身分社会なので優秀な人材が重要な官職につくとは限らない。
アメリカ視察から帰ってきた勝海舟が、老中からアメリカで何が珍しかったかと聞かれて、
「アメリカでは高い地位にはそれ相応の能力の人が就いていますが、
わが国はそうではありません」と答えて、老中が「控えおろう」と怒ったという有名な話がある。
幕末に小栗が近代化を進めようとしていたが、彼ら(譜代大名、旗本)が自らの財政特権を放棄し、
身分社会を解体できただろうか。
268 :
日本@名無史さん:03/03/02 10:16
出来たんじゃなかろうかね。
明治になってからの版籍奉還も廃藩置県も大きな問題無しに出来たんだし。
幕府がやっても出来そうな気がする。薩摩は駄々をこねそうだけど。
269 :
日本@名無史さん:03/03/02 10:59
>アメリカ視察から帰ってきた勝海舟が、老中からアメリカで何が珍しかったかと聞かれて、
>「アメリカでは高い地位にはそれ相応の能力の人が就いていますが、
>わが国はそうではありません」
そもそもアメリカなら勝のような無能なホラ吹きは咸臨丸の艦長になれなかった。
遠洋航海術の知識が皆無の勝は、
航海中は自室にとじこもりきりで艦長の職務を完全に放棄。
木村が勝の反対を押し切ってブルック大尉やアメリカ人水兵を乗船させてなければ、
全員太平洋の藻くずとなるところだった。
勝は上陸後のパフォーマンスにのみ長けていた恥知らずなクズ。
小栗のような有能な人材を抜擢し自己改革を進めようとしていた幕府、
その幕府の足を引っ張りつづけたのが、勝や薩長のような無能な不満分子だった。
>>269 じゃあなぜ、有能な人材を抱えた幕府は
無能な薩長に敗れたの?
勝が政治家としてイマイチなのはもう一般的な見解になりつつあるんじゃない?
小栗も高く評価されている。
薩長の藩士の全てが有能でないのは当然。
極論ばかりで煽るのはいい加減に止めたら?
271 :
日本@名無史さん:03/03/02 17:33
>268
>版籍奉還も廃藩置県も大きな問題無しに出来たんだし。
戊辰戦争で新政府の軍事力が強大なのを諸大名も認識し、反抗をあきらめたんでしょう。
それにしても旗本たちは彰義隊を結成して反乱した。
>269
>小栗のような有能な人材を抜擢し自己改革を進めようとしていた幕府、
幕府の目指していた近代化は、軍隊、産業、政治体制などの分野にわたるけどどれも限界があった。
その根本は、大名たちが各分野で指導的立場に立ち、門閥社会を温存することには変わりはないことだ。
272 :
日本@名無史さん:03/03/02 19:07
>>270 >じゃあなぜ、有能な人材を抱えた幕府は
>無能な薩長に敗れたの?
優秀・優勢なものが無能・劣勢なものに負けた例など歴史に数限りなくありますが?
君は真性の馬鹿なの?
273 :
270じゃないけど:03/03/02 20:13
>272
>優秀・優勢なものが無能・劣勢なものに負けた例など歴史に数限りなくありますが?
それは例えばソ連のアフガン侵攻とかベトナム戦争みたいに地理的条件が大きく作用していた時でしょ。
戊辰戦争ではそんなことは影響してなかった。
>>1 儒教というより平田派の国学じゃないの
明治政府は、論語や孟子を読めとはいわなかったな。
教育勅語にもあるとおり、皇祖皇宗徳を建こと高遠にして・・・。
道徳まで天皇の祖先が作ったことにしたね。
276 :
日本@名無史さん:03/03/02 21:08
明治維新の真実は、孝明天皇・将軍家茂・睦仁親王暗殺と
大室寅之祐へのすり替えを掘り下げないと理解できない。
幕末のペリー来航は日本人にとってまさに驚きだった。
科学技術もさることながら、選挙で大統領を選ぶという政治体制も驚き。
当時の庶民でさえ、メリケン国は、入れ札で主(あるじ)を選ぶといって
これを理解した。
このとき従来の絶対と思われたいた主従関係が絶対ではないことになった。
すくなくとも疑問の余地がでてきたな。
これは幕府側も薩長も同じでしょ。
西郷なんて島津久光をなかば無視してるね。
>>277 1853年のペリー来航前に欧米の政体については、
蘭学者がすでに知っていたんだけどね。
でも、まだ知識としてのレベルにとどまってた。
それがペリー来航によって「混乱する幕府に統治責任者としての能力があるのか?」
という話になり、「これまでの幕藩体制(封建的支配)が果たして有効なのかどうか?」となった。
新知識や海外について関心の高い人々が現実の政治に
欧米のしくみを取り入れるようになった。
封建制は代々職を子孫が受け継ぐので安定期には向いているが、
状況が刻々と変化する変動期にそれに対応できない人が職についてしまったら
問題の先送りか傍観になってしまう。
ペリー来航という大きなインパクトによって、下級藩士でも海外事情に詳しかったり
新知識の保持者であれば登用されるようになった。
しかし、これは従来の封建制を否定し絶対主義的君主による統治へと進んだ。
薩長は絶対君主に天皇を選んだ。
幕臣である小栗は将軍家を絶対君主にしようとしたが失敗した。
>新知識や海外について関心の高い人々が現実の政治に
>欧米のしくみを取り入れるようになった。
↑は↓に訂正
「現実の政治に携わる人々の中で新知識や海外について関心の高い人が
現実の政治(特に軍制・産業政策)に欧米のしくみを取り入れるようになった。」
280 :
日本@名無史さん:03/03/02 23:10
>幕府の目指していた近代化は、軍隊、産業、政治体制などの分野にわたるけどどれも限界があった。
>その根本は、大名たちが各分野で指導的立場に立ち、門閥社会を温存することには変わりはないことだ。
そもそも薩長が倒幕に踏み切ったのは自藩の封建的な特権が侵犯されるとの危機感から。
倒幕に際して封建的な秩序を解体しようとの意図は全く無かったんだよ。
そして現に明治政府は華族や皇族といった特権階級をつくり出し、
封建的な寄生者に江戸期と同等以上の禄を与えていた。
明治政府の本音はあくまでも封建制の維持にあるのであり、その後、
封建的なしがらみを漸次切り捨てていくのは経済的必要に迫られてのこと。
よって仮に幕府が近代化を進めても似通った経過をたどるであろうことは間違いない。
むしろ天皇という前近代的な権威を必要としない点で、
より徹底した民主化が進んだ可能性が高い。
>>280 >むしろ天皇という前近代的な権威を必要としない点で、
>より徹底した民主化が進んだ可能性が高い。
幕府は自身の責任で政治を行っていた。薩長は天皇を担ぎ出すことに
よって自分達の政治的責任を回避しようとしたね。
>>280 > 倒幕に際して封建的な秩序を解体しようとの意図は全く無かったんだよ。
> そして現に明治政府は華族や皇族といった特権階級をつくり出し、
> 封建的な寄生者に江戸期と同等以上の禄を与えていた。
> 明治政府の本音はあくまでも封建制の維持にあるのであり、その後、
> 封建的なしがらみを漸次切り捨てていくのは経済的必要に迫られてのこと。
廃藩置県が実施された意義についてはどう考えますか?
もちろん財政面で行き詰った藩が多かったことは事実ですが、
それだけで封建制そのものの否定にまでは進まないと私は思います。
> よって仮に幕府が近代化を進めても似通った経過をたどるであろうことは間違いない。
> むしろ天皇という前近代的な権威を必要としない点で、
> より徹底した民主化が進んだ可能性が高い。
幕府も近代化を進めていましたね。
倒幕後、薩長が作った新政府はこの恩恵を大きく受けていました。
しかし、「幕府が近代化の担い手であり続けた場合より民主化が進んだ」という推測の根拠は
私にはわかりません。
あなたはなぜそう思いますか?
>>281 幕藩体制は幕府と数多くの藩から成り立っていました。
そして封建的支配によって日本を支配していました。
幕府は幕府の領土を藩はそれぞれの藩を独自に支配していました。
この大勢の下では外交・国防など日本全体に関わる問題に取り組む際問題がありましたね。
だから薩長は天皇の一元支配による国家をつくろうとし、
幕府(小栗と言った方が良いでしょうか?)は
幕府が日本全体に郡県制をしくことでこれを解決しようとしました。
薩長が天皇を持ち出したのは、
幕末に尊王論が盛んになっていた事と
新体制での薩長とその他土肥などとのバランスを取る事によるのではないでしょうか?
もし、薩長いずれかの藩主を新しい体制のトップに据えることになればもめてしまいます。
ペリー来航からわずか15年程で幕藩体制という封建支配にかわる、
新しい政治体制を日本に住む人全員に示しそれを行うには、
誰もが知っている天皇という存在を担ぎ出しそれを利用するのは
仕方がないのではないかと思います。
>>283 薩長は天皇の絶対的権威を振りかざして自分達が勝手に政治を操ろうした。
だから反対は容認しないし、意見も聞かないというのが基本。
これに対して幕府系は基本的に自分の責任で政治を行うということ。つま
り常に批判の対象になる。実際幕末からは批判に晒されていた。
このような批判を受け入れる姿勢こそ民権政治の始まり。
批判の対象とされる。
>>284 284の最後の一行は削除漏れだから無視してね。
実際、慶喜の構想では議会も含まれていたね。
もちろん議員は、有力者に限られていたが議会を開くということは、
民権政治を加速させることになる。
>>284 ではなぜ小栗の郡県制は実現できなかったのでしょうか?
また、なぜ慶喜は小栗の案を受け入れず薩長と戦うことを途中で放棄したのでしょうか?
>>285 >284の最後の一行は削除漏れだから無視してね。
了解です。
>実際、慶喜の構想では議会も含まれていたね。
雄藩連合ということでしょうか?
もしそうであれば成立したての新政府は正に薩長土肥などの雄藩連合政権だったと思います。
>もちろん議員は、有力者に限られていたが議会を開くということは、
>民権政治を加速させることになる。
共和政体ですね。
封建体制から民主主義に移行する際には、
現実問題として必要だったでしょうね。
288 :
日本@名無史さん:03/03/03 00:27
>ペリー来航からわずか15年程で幕藩体制という封建支配にかわる、
>新しい政治体制を日本に住む人全員に示しそれを行うには、
>誰もが知っている天皇という存在を担ぎ出しそれを利用するのは
>仕方がないのではないかと思います。
上から近代化を進めるためには反対派を押さえつける強力な権威が必要で、
幕末当時の日本でそれを担える機構は幕府のみだった。
薩長が行ったのは徳川家と天皇をすりかえただけであり、
決して幕藩体制に代わる新しい体制を示した訳ではない。
そして薩長により近代化が成功したのは、幕府を否定したからではなく、
丸ごと乗っ取ることに成功したからなんだよ。
ちなみに江戸末期の庶民の誰もが知ってる権威とは将軍のことで、
江戸庶民は天皇がなんであるかを知らなかった。
このため明治当初の薩長は、なによりもまず庶民に天皇の権威を植え付けることに必死だった。
福沢は「時事小言」で、明治当初の14年の雰囲気を次のように描写している。
「復古とは鎌倉以前王代の古政に復することと想像したりにや、
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
・・・民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾ける者あらざりき。
・・・西洋の書を翻訳し・・・民をして政治の思想を抱かしめんことを勤めたれども、
之に応ずる者誠に寥々たり。」
薩長が天皇の権威を振り回し復古主義を広めたことにより、
日本の近代化・民主化の進みは十数年遅延しグロテスクに歪曲されたと言えるね。
>>288 日本の近代化は、薩長の功績であるかのように言うやつがいるが
これはウソだろう。
近代化は時代のながれだよ。民衆でも入れ札で主を選ぶことを知
ったからには放っておいても社会は近代化される。
また武士道は、一個の人間として独立の精神を養ってきた。
ところが明治政府が求めたのは天皇への盲従である。
つまり明治維新は日本人の精神と意識を堕落させたといえる。
290 :
日本@名無史さん:03/03/03 09:48
>>280 >そもそも薩長が倒幕に踏み切ったのは自藩の封建的な特権が侵犯されるとの危機感から。
>倒幕に際して封建的な秩序を解体しようとの意図は全く無かったんだよ。
ちがうね。
薩長(つーか木戸を中心とする長州系)は最初から廃藩置県を目的としていた。
これは明治新政府の初年度にすでに、廃藩置県に関して物議を交しているし、ほぼ間違いないね。
よって↓は薩摩の一部の保守派意見のみを一般化した、明治新政府の本質を誤った意見だといえる。
>明治政府の本音はあくまでも封建制の維持にあるのであり、その後、
291 :
日本@名無史さん:03/03/03 09:54
>>284 反対意見を持つ者を処刑したり、
幕府の方針に反対な立場をとる藩を軍事侵攻していた幕府が、それを言っても説得力なし。
そもそも幕末の幕府の方針は民主化などではない、
基本的に幕府の独裁体制の構築である。
そしてだからこそ、明治新政府同様、中央集権国家の確立と、
僅かながら、近代化の可能性があった。
292 :
日本@名無史さん:03/03/03 10:16
天皇制を潰して共和制に移行しなかった時点で明治維新は革命じゃないな。
所詮古い権威にしがみ付こうとしていただけ。
>>282 なんたって王政”復古”だもんね。
幕府とは親藩、譜代、旗本の集まりなわけだがペリー来航いらい
その連中さえ幕府は押さえが効かなくなっていたんだよ。
幕府の独裁なんてどうやってもできないし、慶喜だってそんこと
考えてはいなだろう。
明治維新が日本人の精神性を堕落させたことは間違いないね。
298 :
日本@名無史さん:03/03/03 17:40
>292
>天皇制を潰して共和制に移行しなかった時点で明治維新は革命じゃないな。
天皇を取り巻いて政治の実権を握っていた政治家たちは、三井、三菱....
その他の市民階級(ブルジョア)と癒着していました。
幕末に大商人たちは幕府から御用金、貸付金を強要されて窮地に立たされていました。
この時点で彼らは支配階級ではなかったのです。それが明治維新以降、
政治権力に入り込んだんだから、明治維新は市民革命ですよ。
。
299 :
日本@名無史さん:03/03/05 22:14
>>270 >>273-4 何故フランス革命時、フランスの貴族ら教養、血統、能力にあふれていたエリートたちは、無教養、無学、馬の骨の暴徒に負けたんだろうね?
その後、同じくフランス革命軍は質、能力、教養、血統、実践経験、量、武器、全てに劣っていたのに、何故優秀なプロイセンの通常軍に勝ったのかなあ?地理的条件が左右したのかな?
300 :
日本@名無史さん:03/03/06 00:43
301 :
日本@名無史さん:03/03/06 01:54
>>300 軍隊が王制に反対する人が多かったから、ナポレオンもその頃は下士官。
ちゅか、ここでは日本史を語れ。
302 :
日本@名無史さん:03/03/06 02:01
303 :
日本@名無史さん:03/03/06 02:08
>>302 つまり世界的な時代の流れだということで。
304 :
日本@名無史さん:03/03/06 04:48
「明治維新の思想的原理とは何であったか?」
この問題設定そのものが、誤りである。
明治維新に「思想的原理」など、ありはしない。
あるとすれば、後からのこじつけだ。
305 :
日本@名無史さん:03/03/06 06:04
「伊勢神宮ならペリー艦隊に勝てる」
これが明治維新の思想原理。
306 :
日本@名無史さん:03/03/06 06:57
明治維新と「共和制」とか「民主化」とかがどう関係あるってんだ?
当時の目的は「独立の維持」とその為の「国家の統一・国力の増強」。
民主化だの共和制だのなんてモンはそもそも相手にしてない。
308 :
日本@名無史さん:03/03/06 16:43
>299
>何故フランス革命時、フランスの貴族ら教養、血統、能力にあふれていたエリートたちは、無教養、無学、馬の骨の暴徒に負けたんだろうね?
>その後、同じくフランス革命軍は質、能力、教養、血統、実践経験、量、武器、全てに劣っていたのに、何故優秀なプロイセンの通常軍に勝ったのかなあ?地理的条件が左右したのかな?
旧体制下の軍隊の上層部は能力に関係なく家柄の良いもので固められていた。身分社会だったのですよ。
政府も同じです。優秀な人材でも家柄が悪ければ政府、軍隊の上層にはいけなかった。
一方の革命軍は身分に関係なく能力主義で編成されていた。これに当時のブルジョアジーの資金力が結合して、革命軍は勝利できた。
フランス革命軍とプロイセンの関係も同じです。
309 :
日本@名無史さん:03/03/11 02:42
誰も読んでねえよ
明治維新の思想原理=国体論+西欧化論
参勤交代を復活させたりした連中が幅をきかせた幕府のほうが、
身動きがとりづらかった。
312 :
日本@名無史さん:03/03/12 19:30
このスレッドを見て失望するのは、ほとんど江戸時代の思想についてしっかり
理解しているものがいないことである。大抵、儒学国学などとだけしか説明できまい。
その内容まで詳しく理解しているものはいまい。
江戸時代の学問は漢学であるが、思想というからには漢学の内容、著作の内容
まで理解していなければ論じられないと思う。国体論だの西欧化論などと
叫ぶはいいが、実際それを読んだのか?
江戸時代の漢学は相当高度であって、まさに中国における儒学を理解していな
ければ少なくとも論じる事はできない。日本史の連中は中国の学問にはうとい
から良く知りもせずに知ったふうなことをいう。江戸時代の儒者をあまりなめて
はいけない、軽んじてはいけない。彼らは彼らなりの叡智を築き上げていた。
歴史を現在の価値観すなわり欧米的価値観だけで判断するととんでもない誤りを
おかすことになる。
というようなえらそうなことを感じています。
ものすごい素人問答
ある意味、驚嘆。
314 :
日本@名無史さん:03/03/15 10:09
ペリー来航から15年で幕藩体制が崩壊し、
その後4年で廃藩置県に至ったことを考えると
思想は二の次で現実の問題に対処したとしか思えないね。
315 :
日本@名無史さん:03/03/16 02:50
浅い考え方だね
316 :
日本@名無史さん:03/03/16 10:52
一言レスは無視で
317 :
日本@名無史さん:03/03/16 22:38
水戸思想
318 :
日本@名無史さん:03/03/22 00:52
ではない
319 :
日本@名無史さん:03/03/22 00:54
水戸学+平田国学による思想強化。
維新後、狂信的な奴等は次々と排除。
320 :
日本@名無史さん:03/03/29 22:12
321 :
日本@名無史さん:03/03/30 00:01
江戸時代には税金は基本的に農民が払うもので、大商人達は時々冥加金、運上金を出すだけだった。
明治以降は税制が近代化され商人も常時税負担を強いられるようになった。
明治維新で得をしたのは政治と結んだ一部の商人だけ。
小野組は破産したけどね
やっぱり>1の命題で考察すると、難しいね。アヘン戦争以来の外的状況・衝撃から端を発していても
薩摩・長州等の行動は事件や状況で変化しているからなぁ。それを貫く思想的原理となると彼等が
教育として受けた朱子学・陽明学・国学は当然影響はあるだろうけど、端的にこれだとは言いにくい。
大政奉還以降はそれこそ本格的に西洋思想が輸入された事はもちろん、実学もあったしね。
324 :
日本@名無史さん:03/04/05 23:34
>>270を罵るレスが定期的についてるけど同じ奴か?
もしそうなら気持ち悪い
326 :
日本@名無史さん:03/04/06 00:42
>
>>280 >>そもそも薩長が倒幕に踏み切ったのは自藩の封建的な特権が侵犯されるとの危機感から。
>>倒幕に際して封建的な秩序を解体しようとの意図は全く無かったんだよ。
>ちがうね。
>薩長(つーか木戸を中心とする長州系)は最初から廃藩置県を目的としていた。
>これは明治新政府の初年度にすでに、廃藩置県に関して物議を交しているし、ほぼ間違いないね。
オイオイ明治初年に新政府で議論されていたことが倒幕と何の関わりがあるのかね?
明治初年にはもう幕府は存在しないのだけどね。
328 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:05
全ての高貴なるもの、高貴なるものを敬うものにとって、明治維新などという茶番は吐き気を催すもの以外の何物でもないのだ。
明治維新、それは決して、高貴なるものの内裏に入ることの許されない賤しい俗物どもが嫉妬でひきおこした高貴なるものを貶めようとし、国家全体を静かに破壊しようとする負の運動である。
明治維新を賛美するカルト信者の低レベルな俗物どもに「理解する」などということは不可能である。そのように生まれついていないのだ。
俗物どもは云う
「俺はたくさんの本を読んでいる」
「俺は一流大学卒業だ」
だからなんだというのだ?そんなものは全くの無駄にすぎない。
雑草にたくさん且つバラエティに富んだ肥料を与えても、所詮雑草にすぎない。
どんなに背伸びしたところで雑草は雑草、俗物は俗物なのである。
329 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:06
高貴なるものの使命は雑草どもが所詮雑草にすぎないことを理解しなければならない。
そして、彼らに多くの養分をあたえることを否定し、停止することに全力をそそがなければならない。
彼らが肥沃な土地に生えること、肥沃な土地に占めることを許してはならない。
そのようなことは彼らにとって「分不相応」である。
そのようなことを許していては高貴なるものはしっぺ返しをくらうのである。
明治維新が大成功な革命であるからこそ、バーク狂信者且つ、エリート主義者にとって許せない出来事である。
明治維新によっておこなわれた徹底的な階級破壊は現代、否これからも、日本全体に害毒を垂れ流していくのである。
330 :
日本@名無史さん:03/04/17 02:06
日本が何百年もの年月をかけて培ってきた、世界に誇る無形の財産である、公家文化や武士階級を破壊した明治維新を賛美する輩は日本に嫉妬する在日朝鮮人か、キチガイ全体主義者、共産主義者、薩長の俗物どもだけであろう。
これらを失ったことによって日本が被った損失は計り知れない。
昨今の不景気などこれにくらべたらなんでもない。
明治維新という間違った出来事のために、我々は自らの先祖から断絶した忌まわしい未来を歩まざるを得ないのだ。
331 :
ネットdeDVD:03/04/17 02:07
332 :
日本@名無史さん:03/04/17 11:07
うまい飯くいてーだろ
333 :
日本@名無史さん:03/04/17 11:23
今だ>330みたいにうだうだ言ってる奴がいることが今の日本の損失だな
334 :
日本@名無史さん:03/04/18 00:29
お前は両親殺して史ね。
335 :
日本@名無史さん:03/04/18 00:45
>>327 具体的な改革案と、思想の始まりはまた別の話し。
思想の始まりは、王政復古というものが郡県思想を持っていたことが原因。
(このあたりはいわんでもわかると思うが、むしろ封建体制より古いぐらいだからね)
勿論王政復古論者が、必ずしも郡県思想を持っていたわけではないが、
もともと思想的に同じ根を持つため、王政復古論者の中に郡県思想をもつものは多くいたわけ。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
338 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:05
思想的バックーボーンーがないから不徹底な革命だ、とか言う香具師
おれはこう思う
「産業革命に遅れることン十年」
産業革命に遅れること20年(?)のおフランスはくやしいので、「フランス革命」
が近代だ!と喧伝した。
産業革命に遅れること30年のドイーツは無理な領土拡張を求めた
産業革命に遅れること50年のロシヤは一足飛びに先進国になろうともくろんで
マルクスちゅぎを採用した
産業革命に遅れること70年のニポーンは昼も夜も働いてがんばった。
それが明治維新の思想だろ。
これでだいたいあってるか?
339 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:09
でもさあ、産業革命ってある決まった年に起こったんじゃないだろ?
何十年にも渡ってじわじわと起こったんじゃないの?
340 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:11
あ、言われてみればその通りだ。君やるね。
って、でも「産業革命に遅れることン十年」って表現はどっかで見たような
気がするんだが。誰かしらないか?
341 :
日本@名無史さん:03/04/30 23:24
産業革命に遅れること150年になるはずだった韓国は、日韓併合のおかげ様で
かろうじて100年の周回遅れですんだ、か?
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
344 :
日本@名無史さん:03/05/16 07:17
なんで国会開設が薩長の功績になるんだよ。
後に議会は開設されたが、議会より力を持った政府を薩長が作った
ために戦前の陸軍の横暴、今の政治家を無視する官僚の存在という
ばかげた現状につながっているんだろうが。
345 :
日本@名無史さん:03/05/19 22:43
346 :
日本@名無史さん:03/05/19 23:01
間抜けな暴走をした石原莞爾
やらなくていい戦争をやらかした東條英機
やらなくていい作戦でボロ負けした山本56
とその子分南雲忠一
こいつら無能な軍人を平等に出世させた薩長はたしかに悪いよな
賊軍出身者は子孫も負けグセが取れてないのを見抜けなかったわけだ
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
349 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/06/30 21:43
▲資本共産法▽
職業安定所を国税庁に統合し、かつ公権力化する。企業面接を撤廃して雇用創出を図る。
備考:企業教育の必然性と人材派遣業の処分
▲琉球国際認定規格推進▽
同一国内でありながら、国籍と民族の固有化を尊重し、続けて北方領土問題にも取り組む。
▲地域社会保護法案▽
住民投票を公権力化し、地域社会の破壊を阻止する。
▲教育改革法▽
義務教育の数学・音楽・美術を廃止し、情報処理・脳神経学(精神学)・マインドコントロール手法(音楽・美術)を新たに加え、資本主義社会の虚弱性に抗する消費者層の暗黙的な社会主義化を目指す。
▲予約売買法▽
卸売り業者すべてに予約販売制を導入・義務化し、物資の流通を共産主義化する。
350 :
日本@名無史さん:03/07/14 16:07
此処って馬鹿の集まり?歴史上の人に対して失礼な事言い過ぎじゃないの?
351 :
日本@名無史さん:03/07/14 17:10
この板に限らず、ネット上ではいたる所で朝鮮人が歴史歪曲に励んでるよ。
明治維新の偉大さを誹謗中傷で隠蔽しようとする奴らは結構多い。
世界広しといえども、明治維新を目の敵にしている珍獣は朝鮮人くらいなものだ。
>>350 大東亜戦争の敗戦と原因となった国家体制は明治維新に根があるから仕方ない。
>>352 その理屈はヒトラーが台頭し、ホロコーストが起きた原因をワイマール憲法に押しつけるようなものだ。
馬鹿はとっとと逝ね。
354 :
日本@名無史さん:03/07/14 19:59
>>352 ワイマール憲法に問題があったからこそ戦後改正されちゃったんだろうが。
馬鹿はとっとと逝ね。
>>354 戦後独逸では民主主義が否定されたのか、それは知らなかった。
356 :
日本@名無史さん:03/07/14 20:07
>>355 無学なヤツだな。よく覚えておけ。
ワイマール憲法はもうなくなっちゃったんだよ。
独裁者を生み出す危険性があるので、民主主義は全て廃止にすべきだ!
>>356 どうやら356の脳内戦後独逸は、民主主義に問題があるとして民主主義を否定したらしい。
徳川幕府が滅んだ原因は、幕藩体制を作り上げた家康に原因があるそうな。
>>351 逆だよ。朝鮮人は江戸時代の偉大さを誹謗中傷してるんだよ。
だいたい明治維新なんて朝鮮と縁の深い反日集団のクーデタなんだから。
王権か民権かのどちらかの選択を日本が迫られたらどっちになるにせよ
かなりの混乱を伴うと思う。
在日の学者どもは、江戸時代を日朝友好の時代といって賛美しています。
そうだね、江戸幕府を賛美している香具師は、在日認定してもいいんじゃない?
在日が日本にいられるのは明治政府のおかげ
365 :
日本@名無史さん:03/07/14 22:26
>>346 無能ならそもそも出世できないし、平等とは言いがたいと思うがね。
ところで、有能な薩長を有する日本がなぜ先の大戦に負けたの?
366 :
日本@名無史さん:03/07/14 22:40
なんだか知らないが荒れてるなこのスレは
>>365 長州出身者を陸軍士官学校に、入学させないようにしていたのは有名な話だけど?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
369 :
日本@名無史さん:03/07/17 12:04
>>359 家康公の遺訓にそむき水戸から将軍を出したことが原因
370 :
日本@名無史さん:03/07/17 12:40
尾張から出してたらもっと早く幕府は崩壊してたような気もするが。
(^^)
373 :
日本@名無史さん:03/08/12 09:58
保守上げ
374 :
日本@名無史さん:03/08/16 15:40
関ヶ原の報復が明治維新の思想的原理
375 :
日本@名無史さん:03/08/16 16:14
戦争に負けたのは、チョンと組んだから
流石の薩長でも例の法則は覆らない
376 :
日本@名無史さん:03/08/16 19:11
丸山真男らが詳細に論述し尽くしたのでは?>1
彼らの話を信じると、水戸学の天皇原理主義思想が倒幕の原動力になったそうだよ
377 :
日本@名無史さん:03/08/27 22:36
戊辰戦争の最中に、薩摩藩士が西郷隆盛に、
「先生、この戦が終わったら、本格的に攘夷をやらなければいけませんね」
と言ったら、西郷は、
「ハハハ。"攘夷"なんて、兵隊を動員するためのキャッチコピーだよ。
本気で攘夷なんてやるわけねえだろ。馬鹿か?」
と笑ってたので、部下たちはみな唖然としていた。
それを次の日に聞いた岩倉具視も「だまされた!」と悔し泣き。
西郷隆盛は上野の銅像とは似ても似付かぬ、繊細な策士タイプだったらしいね
379 :
日本@名無史さん:03/09/04 22:05
380 :
日本@名無史さん:03/09/04 22:06
381 :
日本@名無史さん:03/09/12 01:44
383 :
日本@名無史さん:03/09/19 00:22
キタ━━━(^▽^)━( ^▽)━( ^)━( ;)━(^ )━(▽^ )━(^▽^)━━━シナイヨ!!!!!
386 :
日本@名無史さん:03/10/09 01:18
387 :
日本@名無史さん:03/10/17 00:27
388 :
日本@名無史さん: