徳川慶喜について全てさらけ出せゴルァ

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1日本@名無史さん
何も解らない俺にお前らの徳川慶喜の知識を教えて下さい。
2日本@名無史さん:02/07/16 15:31
3日本@名無史さん:02/07/16 15:35
すばらしい最後の皇帝です。
この人が将軍でなかったら、日本は絶対に近代化は遅れていたであろう
4アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/16 15:38
のぶPは字が上手。
5【^-^】氷川物語:02/07/16 16:58
家康公の再来と呼ばれた江戸幕府最後の将軍です。
司馬遼太郎の著作にそのまま”最後の将軍”って
小説もありますのでどうぞ。
6ばむ:02/07/16 17:02
学校でなんかあきっぽい人とか習ったけど・・・
7アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/16 17:19
ハンサムではある。
イギリスの外交官なんぞが「美男子だ」と高く容姿を評価してました。
8日本@名無史さん:02/07/16 17:36
晩年は道楽して過ごしました。

年をとっても好奇心旺盛な人で、顕微鏡を手に入れた時に、
大好きな「きなこ」を見てみようと見たところ、きなこ菌(ごく微小な虫)を発見してしまい
それ以来、「きなこ」は一切口にしなくなったというエピソードが好き。

あと自転車を日本で初めて乗ったのはこの人だったと思う。

それと狩りが好きで、猟銃片手にお供の人と獲物を追っているとお百姓さんが怒鳴り込んできた。
どうやら狩りに夢中でお百姓さんの畑を踏み荒らしてしまったのだ。
そしたら元将軍様は一言・・・・・
「じゃあ畑の野菜を全部買い取ろう」
豪快です。

以上、こんなエピソードが以前テレビ番組で紹介されていました。
9アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/16 17:45
自転車とトンカツ(だったかな)が好きだったというエピソードは、しかし
ホントかどうか知らない。ソースがワシのお婆ちゃんだから。
10日本@名無史さん:02/07/16 17:47
静岡の牧の原台地を開墾したのはこの人だよな?
士族使って。
11日本@名無史さん:02/07/16 17:48
フランスよりの輸入でランドセルを日本初に愛用したのも
彼だったはず。
長州征伐にランドセルをせおい向かったらしい
12日本@名無史さん:02/07/16 18:08
銀製の飯盒で飯炊き。
13日本@名無史さん:02/07/16 18:29
一ツ橋家での母の歳は1歳上!
ちょっとハァハァ

火消の娘が妾って史実かね?
14日本@名無史さん :02/07/16 19:21
>>13

×一ツ橋家での母の歳は1歳上!
○一ツ橋家での義理の祖母の歳は7歳上!

ちなみに「義理の祖母」と「できていた」という話はあながちウソではないらしい・・・
15日本@名無史さん:02/07/16 19:25
>>11
長州にランドセル背負って向かう将軍様の姿に萌え。
16日本@名無史さん:02/07/16 20:21
豚一様もえ!!
17日本@名無史さん:02/07/16 21:07
個人の能力は高い。
性格は貴族。
奇妙な理屈だが、自分では何もしないできないことが
日本の貴族として名君(→毛利のソーセイ候)の条件だが、
なまじすぐれていたため、また、性格が貴族だったために、
謀臣・家臣を非業へ追いやることしばしば。
政治家として強いてほかに類型をもとめるならば、土佐の老公などがあげられる。

開明好き。牛豚を好み、洋式を好み、モダンを好む。
しかし同様に開明好きの勝とは今ひとつ折り合いが悪く、因縁浅からず。
されども最終的に徳川家の後処理を結局はその勝にやらせてしまうあたり、
貴族臭がどうにも抜けない。
その辺が滑稽な人物でもある。

圧倒的趣味人。なにしろ、器用である。
才人としての彼に強いて類型をもとめるなら、福地オウチあたりになるだろうか。
つまり、能力が高すぎてちゃらんぽらん。

江戸開幕以来最もちゃらんぽらんな人物が最後の将軍となり、
そのちゃらんぽらんさのお陰で明治維新が思ったより早く済み、
今日の繁栄にも多少の影響を与えていると思われる点、奇妙なほど滑稽である。

18日本@名無史さん:02/07/17 14:22
奇妙な理屈は、この人にも当然あてはまる。自分では何もしないできないことが
普通というかお笑いのタネになる。目黒のさんまではないが・・個人的なことは
ほぼ何もできずできないことを恥という概念はない。
一般の人間のできないことに対しては興味を持つので、写真や自転車などを
使いこなした華族としては最初であろう。結果的に趣味の写真家としても
才能が評価されている。明治初期の庶民風俗を題材にしているので資料と
しても貴重(単に殿様的に珍しかっただけかも)。
19日本@名無史さん:02/07/18 00:04
風評だけの名君。
器用貧乏。
根暗
20【^▽^】胃炎+気管支炎ジョーカー@病床(?):02/07/18 00:07
>17
禿同!土佐の老公こと容堂にも当てはまりますね。
慶喜と違い下品だけど(w
幕末の殿様など馬鹿+ノンポリの方が良いのだ。
21日本@名無史さん:02/07/18 00:10
慶喜は無能な観念論者。
朝廷を取り込んでの政治ごっこに関してはわずかな才覚を示したが、
それが破綻した際には、現実を全く直視できず、
卑怯な自己保身と逃亡に終始した。
幕府として取るべきオプションのほとんどを潰した慶喜が、
敵である薩長に褒め称えられているのは皮肉でしかない。
22日本@名無史さん:02/07/18 00:14
>>1
スレを立ててしまったからもうしょうがない。
>1には類似スレを探す探究心を持って欲しかった。
▼徳川慶喜は維新の功労者?▼
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1024411893/
慶喜としては南紀派の連中や幕臣・譜代を味方とみなしていなかったような。
彦根が裏切ったように、何時裏切るかわからない連中とはおさらばしたかった
というのが本音だろう。
24日本@名無史さん:02/07/18 00:55
よ!ヘタレ将軍!!
25慶喜の幕閣への本音:02/07/18 01:02
江戸では散々足引っ張っといて責任だけ俺に押しつけんな。
26日本@名無史さん:02/07/18 01:32
徳川慶喜はテロリストに国家を売り渡したクズにして絞首刑が妥当
小栗上野介ら勇敢にテロリストに抵抗した人間を見殺しにした上
日本滅亡への侵略戦争に何の抵抗も示さなかったのは万死の犯罪だった。

27アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 09:42
日本滅亡の侵略戦争になんの抵抗も示さなかったって…
その「抵抗」って武力戦のこと?

武力で勝てないのにあくまで武力行使しようとしたら、結果
「滅亡→侵略→植民地化」となっちゃったろう理由で、
なんか矛盾してないか?>26
28日本@名無史さん:02/07/18 09:53
最近ではアラファトの自治政府の例が幕末の状況にやや近いね
29日本@名無史さん:02/07/18 10:23
写真盗撮マニア
30日本@名無史さん:02/07/18 10:25
元祖カメラ小僧
31日本@名無史さん:02/07/18 10:40
>>27
はぁ?
武力で勝てるはずのない勝負に勝ってしまったのが薩長なんだよ。
幕府は軍事的に倒幕派を壊滅させる機会が何度もあったにもかかわらず、
慶喜のめちゃくちゃな指揮のせいでそれをすべて失ってしまった。
薩長は慶喜なくして決して勝利できなかっただろう。
32日本@名無史さん:02/07/18 10:41
>>28
軍事力の大きさから言えばこうなる。
イスラエル:幕府
パレスチナ:薩長
そして、パレスチナのインティファーダの前に、
シャロン政権が一切の軍事反撃を禁止しつつこっそり逃亡、
混乱のなかで圧倒的な軍事力を持つイスラエルがあっけなく崩壊する・・・
こんなシナリオが現実となってはじめて「幕末の状況」に近いと言える。
33アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 10:43
>>31
一時的に勝っただけでしょ。
34日本@名無史さん:02/07/18 10:49
特技・よその家の姫君に自分の子種をおくりこむ夜の魔術士
35日本@名無史さん:02/07/18 10:51
>>33
何を言いたいのかよく分からないけど、「一時的」に、
いずれ幕府は消滅するという意味を含めてるなら、そのとおり。
幕府主導で開国・近代化路線を進める過程で、
幕藩体制は幕府自身によって解体されただろう。
36アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 10:54
>>35
違う違う、俺どっちかというと、薩長との戦いに参加した外国人から見た
史料しか読んでないのさ。日本視点は小説ばっかだし。
外国側から見た薩長との戦いは、いずれは薩長が負けたんでないのってことよ。

おこんないでね、俺はただの無知だから。
37日本@名無史さん:02/07/18 10:59
その開国・近代化路線を進める幕府を裏切りテロリストに
国家を売り渡したのが慶喜であり、侵略戦争→日本滅亡への
道を切り開いた大馬鹿者であろう。
38アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 11:01
まぁ、俺は不承知なわけだが。>37
39アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 11:17
100年以上も経過して、ありとあらゆる方面から分析した結果、
「これが最善の道だったものを。選べなかったこいつは駄目だ」と
指摘して論うことは簡単ではないか。
ところで侵略戦争など起こっていないし、日本も滅亡していないわけなんですが。

徳川幕府=日本

という意味?
現代日本を「西欧文明に毒され、江戸幕府の頃まではあった
日本的精神の滅亡した結果」ということ?
40日本@名無史さん:02/07/18 11:20
>ところで侵略戦争など起こっていないし、
いくら低脳極まるバカウヨでもそこまでは言うまいが。
キチガイを通り越して廃人だな。歴史歪曲も対外mにせい
41アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 11:22
>>40
だってもともとは「貿易したいから開港してよ、チミ達」
ってきたわけでしょ? ペルリが。
まぁ、開港せんと刺すゾとは言われて、恐喝といえば恐喝されとるわけだがな。
とりあえず幕府は開港したので侵略戦争は起こってねぇじゃん。
42日本@名無史さん:02/07/18 11:28
>41
そう。幕府は開国に徹し、侵略戦争など考えなかった。
その幕府の平和的開国近代化に反対したテロ集団は
現実が全く見えず、卑劣なテロで開国を妨害し続けた。
そのような連中に国家を売り渡した大馬鹿が慶喜。
その後の悲惨な侵略の歴史は周知の通り。
43アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 11:33
確かに異人さん達は、一応貿易、でも相手がしょうもない民族だったら
植民地にしてしまおうという野心はあったよ。でも、幕府との交渉の末、
日本は清や他のアジア諸国のようにあしらうわけにはいかない国だと
判断した。当時日本に来た外交官の史料を読んでごらん。日本を植民地
にするのは無理だと書いてるし、当時欧米で発行された新聞にも
その手の記事が満載です。ところで幕府側には、一部の自国民こそが
泣き所だった。外国には勝てないのに、「大和魂」とか言い出して、
神風ふかせて外国に対抗しようとした人がいるし、幕府の弱腰にムカついて、
天皇を掲げて幕府を叩こうとしたり。ちなみに天皇は外国となんか付き合い
たくない派の筆頭だったわけだが。
44アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 11:36
>>42
あ、テロリストって勤王佐幕派の人たちのこと?
45日本@名無史さん:02/07/18 11:38
テロリストは薩長土のキチガイ連中
46アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 11:40
>そのような連中に国家を売り渡した大馬鹿が慶喜。

平和的開国って…
幕府の弱腰のままだったら、ものすごく悪い条件で貿易が始まる
ところだったんじゃないの。
孔明天皇に代表される頭ごなしの外国ギライデムパも多くいたろうし、
それは否定しないけど、でもひの国民の猛威を見たからこそ、
外国は
「日本侮りがたし!」
と、考えを改めた一面もかなーーーーーりあるんだよ。
47アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/18 11:40


薩長とイギリスの戦いって、確か生麦事件が原因じゃなかったっけ。
48吉宗:02/07/18 11:42
「覗き・夜這い・盗撮」といえば一ツ橋。

親子代々、同じことやるから、まんまとハメられる。

ちょっとは進化せんかい!ボケ!!!
49吉宗:02/07/18 11:48
「観音開き、観たいならストリップやろ!」なんていってみるスレ。
50日本@名無史さん:02/07/18 11:48
幕府は弱腰立ったというのは薩長が宣伝した妄想
薩長などのテロリストに足を引っ張られたというのが事実。
そのテロを取り締まる政府としての正当行為を常に妨害した
最後に裏切って強大な幕府を崩壊させた馬鹿者が慶喜だ。
幕府の大半は慶喜の将軍就任に反対していた。彦根は裏切る、会津、桑名は慶喜を侮る、
これではまともに指揮はできないと判断し、政権放棄にならざるを得なかった。

52吉宗:02/07/18 11:53
覗きといえば「ウ下の人言」なんてのもありだね。
風呂に落ちて「ぼっちゃん!」

ぶんぶ、ぶんぶと夜も眠れず、元の濁りの田沼恋しき。
53逃亡する慶喜の心境:02/07/18 11:59
自分の足をひっぱってきた南紀派の連中に義理立てするのもばかばかしいと思ってたのかもしれない。
54吉宗:02/07/18 12:07
>>覗きといえば「ウ下の人言」なんてのもありだね。
>>風呂に落ちて「ぼっちゃん!」

親孝行を表彰する割に、自分が親不孝・・・・・。ププッ!
55【^−^】勝におまかせ♪:02/07/18 12:24
幕府は、財政破綻も桁違いだったんですよ。
戦争してさらに悪化しても・・・滅亡です。
幕末の軍拡は、徳川政権の基盤では養えない
ところまで来てました。
借款とかやって国土売るしかない状態を
回避した慶喜は、判断としては正しいです。
藩を解体して強力な中央集権ってのは、維新
だからできたんであって、慶喜政権下では
いくら英雄でも無理。
56Nanashi_et_al:02/07/18 14:09
>>37
その後の明治国家の展開は「侵略戦争→日本滅亡」という単純な図式では把握できないと思う。
仮にこれが正しいとしても、今のような議論で、
慶喜に対する非難としてこの問題を投げかけるのは的はずれだと思うけど・・・

>>42
>平和的開国近代化
「平和」とは、相応の軍事力の裏付けがあってはじめて維持できるもの。
幕府は西欧の技術を導入して富国強兵策を進めようとしていたのであり、
明治政府はその幕府の近代化路線を引き継いだにすぎないのでは・・・
57Nanashi_et_al:02/07/18 14:13
>>55
>幕府は、財政破綻も桁違いだったんですよ。
経済の近代化を進めるには幕藩体制の解体が必要。
この点を正しく理解していたのは幕府であって、
だからこそ幕府は近代国家へ移行しようとしてた。

>借款とかやって国土売るしかない状態
小栗がフランスとの貿易交渉のなかで借款契約を進めたことはたしかだけど、
「国土を担保にして」というのは勝が流したデマ。
借款交渉は仏英両国を相手とし、担保条項はつけられていなかった。
実は、当時の小栗は、外国商館による貿易利潤独占を打破するために
外国と競合できる商社を組織しようと計画していた。
これに最も危機感をもっていたのが英国のパークスで、
パークスは薩長とともにフランスによる植民地化の危機を煽り立てた。
この辺の事情を詳細に見ると、誰が国賊であったかは明らなんだけどね。
58Nanashi_et_al:02/07/18 14:16
>>55
たびたびすまそ。
>藩を解体して強力な中央集権ってのは、
>維新だからできたんであって、慶喜政権下ではいくら英雄でも無理。
薩長史観に毒されてるのでわ(w
薩長は自分が幕藩体制を解体するはめになるとは夢にも思ってなかったんだよ。
華族、皇族、士族といった旧来からの特権階級の利権を丸ごと維持しようとしたんだけど、
しかし現実の経済がそれを許さなかった。
すべての矛盾が集中した士族が暴発したのはご存じのとおり。
59日本@名無史さん:02/07/18 14:16
趣味は写真、自転車(日本初)
60日本@名無史さん:02/07/18 20:26
明治維新が革命だったか否かはさておき、
「革命的な改革」すなわち特権階級(既得権益と言い換えてもいい)の転落を生じさせ、
新たな国の基盤を作る作業は「ストレンジャー」でなければまずできない。
小泉政権が自民党から出ているというだけですでに革命的事業は不可能であることと同じで、
あるいはゴルバチョフが結局政治的廃人になってしまった理屈と同じで、
慶喜がどれほどすぐれた人物であったとしても、
また小栗上野介がよほどの逸材だったとしても、それはまず無理だったと言っていいんでは。

ちなみに。
結局のところ政策として断行するのはストレンジャーだが、
社会の矛盾を正す必要性を真っ先に感じとるのはたいていが政権担当者側で、
その中でもかなり優秀な人物がそうであることが多い。
この人たちは四苦八苦するものの結局は実り少なく、新政府からは罪人扱いを受けることが多い。
まったく気の毒な話だが、ここで彼らに必要以上に感情移入してしまうのは
歴史を学ぶ者としては危険行為ではないかと。

ただ言えるのは、べつに慶喜や上野介が西郷や大久保より劣っていたということではなく、
これは置かれた立場の違い。
具体的な政策案に於いて相違が出るのは、立場が思考を制限・誘導するからで、
たとえば小栗が薩摩に属していたらもっと違った案を立てたろうと思われ。

その点で俺は勝を評価したい。
かなり不節操な人物とも言えるが、よほど透明度の高い見解を持っていた人物であることは否めない。
ヘラヘラしたキャラクターについては好みは分かれるところだろうけども。
61日本@名無史さん:02/07/18 23:13
富士見軒の西洋料理、永坂の更科の蕎麦、鯛の目玉の佃煮、鯛の塩汁、
お菓子は「風月堂」の特製品、ベッタラ漬、「ハマヤ」のふき豆、
お雑煮は小松菜入りの本鴨雑煮春には土筆ごぜん、雪が降ると雪見豆腐、
食膳にのぼる魚は刺身は白身か鮪、煮魚は鰈、青魚はまず食さなかった、
日曜の朝はパン食、バタートーストと紅茶、時にコーンフレークがついた
・・・なんか慶喜が長生きしたことが無性に腹立たしい
こいつが風月堂のお菓子を堪能するために幕府は滅んだのだ
62日本@名無史さん:02/07/18 23:18
>こいつが風月堂のお菓子を堪能するために幕府は滅んだのだ
マリー・アントワネットの逆バージョンだね
63愚痴るだけの負け犬:02/07/19 01:22
慶喜邸への「討ち入り」でもやればいい。

64日本@名無史さん:02/07/19 05:39
テロリストに国家を売り渡したクズ>慶喜∩勝
65日本@名無史さん:02/07/19 13:00
期待age
66日本@名無史さん:02/07/19 13:16
>>58 江戸周辺の土地だけでもやろうとした水野忠邦がどうなったか・・・
幕府は主要幹部が領主兼任だから無理だよ。小栗だってボロカス言われた
のは中央集権的な発想が利権を維持しようとする幕閣に嫌われまくった
せいだし。慶喜でも無理だったはず。っていうか幕府側でそんなこと言える
状態じゃないでしょ。小栗を売国って言ってたのは勝じゃなくて幕閣の連中。
勝は、後から自分が言ったような発言するから誤解されるけど・・・。
薩長の薩摩はともかく木戸とか大村は最初から藩構造自体を潰す気だったらしい
から、あんなことができたのかも。諸侯が権力をそれぞれ持ってるようでは、
幕府と同じでなにも改革できないからね。

勝は意外と大村とかを評価してる。文句もボロカス言ってるけどね。
西郷みたいに、なんでも一任する(結局、悪評も一任された勝にいくようになるが)
するより自分が悪評かぶるヤツの方がいいようなこと言ってる。
その理屈なら小栗も悪いやつじゃないって理屈になると思うけど。擁護も非難も
維新後は言ってないね。
67日本@名無史さん:02/07/19 22:05
慶喜って、政治闘争力だったら、幕府側でもほぼ最強クラスだろ。
単にそれ以外がしょぼ過たんかもしれんけど。
置かれた位置が中途半端過ぎたんだよ。
幕末の最終段階で、倒幕派が、お前らそこまでやるかーってな
無茶苦茶やってるけど、そこまでやんなきゃ、慶喜にゃあ
勝てなかったんだな。
そんな闘いやってた奴らにすりゃ、江藤や板垣なんて、
動きが止まって見えるよな。敵じゃねーな。
大坂から出撃せずに、流れに任せて新政府の
議定になってたら面白かったかも。

68日本@名無史さん:02/07/21 17:14
十四代将軍をめぐって争った
家茂か、慶喜、どっちか一人を殺してれば
幕府は存続していたかもね。
69アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/07/21 17:31
は?
70【 ´,_ゝ`】金欠ショッカー阿波守:02/07/21 17:56
けいきさんファンの方々も宜しゅう。
http://jbbs.shitaraba.com/study/1620/
71日本@名無史さん:02/07/21 17:58
あったまいい
72日本@名無史さん:02/07/22 22:09
さすが2ちゃんねる!!
もっと知識をくれ
73日本@名無史さん:02/07/22 23:30
勝海舟はうそつき、ぺてんし
負海舟だ!
74日本@名無史さん:02/07/30 22:39
なんか慶喜が「幕府を滅ぼしたから悪者」みたいにいってる輩が多いけど。
滅びなければ幕府はどうなって日本はドコへ行くの?
今の平成の世の中まで幕藩体制が続けば良いと・・・。アフォ
75日本@名無史さん:02/07/30 22:55
徳川景気は釣りと投網の名手だろ
76【 ´,_ゝ`】禁酒ショッカー阿波守:02/07/30 23:03
>75
豚一公も、幕藩体制は日本のために良くないと考えていたようだ。
西周とかいう幕臣に、草案を作らせていたそうです。
詳しいことはよくわからんので、誰か詳細キボンヌ。
77 :02/07/30 23:09
偉大なる「腰抜け」。
彼には時代の流れが見えていたんだろう。
さらに幕府ではなく、日本国という立場で考えていた。
薩長の挑発に乗って徹底交戦していたら、英仏の餌食になっていたかも知れない。
明治の世になって、公爵の地位を与えた天皇曰く「ようやく彼の功績に報いることができた」。
彼は評価されるべき人物です。
78 :02/07/30 23:33
終了
79幕府内の不和:02/07/30 23:56
譜代や旗本が慶喜を嫌っていたと同じほど慶喜も譜代・旗本を疎んじていた。
慶喜側近の原市之進などは、旗本廃止論者だったため、幕臣に殺害された。
80日本@名無史さん:02/08/01 09:19
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の
  日本の近代史。


1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
     近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し
     文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜68) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
     建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 反乱により、関税率が下がる。
     徳川慶喜氏が大君に即位する。小栗らと連携し
     反乱鎮圧と近代化に尽力。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
     軍制改革がすすむ。
1868 政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
     政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
     解消される。
     廃藩が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。すでに日本は世界屈指の
     平和国家にして民主主義国家に。
81日本@名無史さん:02/08/06 15:24
ちなみに誕生日はオイラと同じ9/29
元巨人のクロマティーも一緒!
82日本@名無史さん:02/08/06 15:26
>>81
9/29→くにく→苦肉か・・・
慶喜にも
原に呼ばれたクロチャンにも
>>81にも
ぴったりだなww
83日本@名無史さん:02/08/07 19:07
お前!「関東九二九会」なめたらあかんぞ!
84日本@名無史さん:02/08/07 21:21
>>77
慶 喜 必 死 だ な (w
85日本@名無史さん:02/08/11 18:38
大河ドラマやってるとき水戸に行って徳川慶喜展みたよ。
コンピュータ加工で当時の大政奉還の映像と音声を流してたよ。
骨格や身長体重等から割り出した声だとか言ってたが・・・。

大政奉還時でなく、死ぬ2〜3年前に会ったことがある人が、当時子供で、
生きていたとしたら、95〜100才位かな?現存してたりして!!
86日本@名無史さん:02/08/11 18:53
今ケガしてんだろ?
87日本@名無史さん:02/08/11 18:54
「神君の再来」とは笑わせる。
88日本@名無史さん:02/08/11 19:04
漏れの曾祖父(1906年生まれ)は当時代々木に住んでいたので、
何度もあったことがあるとか。
で、NHKスペシャルの「街道をゆく」で松平容保の孫の松平保定氏が出演したとき、
「け、慶喜様ぁ?」と目を丸くして驚いていた。
曾祖父いわく、「やはり水戸様の御血筋だけにそっくり・・・」だとか。
89日本@名無史さん:02/08/11 19:06
そのじいちゃんちょっとボケてんじゃねーのか
90日本@名無史さん:02/08/11 19:08
>88
その曾じじいまだ逝きてんの?
91日本@名無史さん:02/08/11 19:11
つーか曾爺さんが100にも満たないというと
88は糞ガキだな
5代くらい遡ってやっと江戸時代かよw
9288:02/08/11 19:17
>>89
ボケたふりならいつもの事なんだけどね。

>>90
まだ生きてるよん。エロじじい。
漏れに「はやくわしにやしゃごを見せろ」とハッパかけてる。
漏れはまだ高校生で彼女もいないのに(呆れ

すれと関係ないのでさげ
93アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/08/11 22:28
うちの亡くなったじいさん、鈴木大拙と瓜二つ。勿論全くの他人だが、
オヤジに大拙さんの写真見せたら絶句して言葉を失っていた程だ。
血筋ならあり得る話じゃない?
94日本@名無史さん:02/08/12 03:07
>>88
徳川慶喜の住まいは代々木上原の大山町だっけ?

大山町といえば現当主徳川恒孝氏も住んでおられるな。
隣が幕府儒官林家で反対の隣が松平家。
ちょっと離れた所に大久保利通の大久保家。
あの一帯は感慨深いものがありますな。
95日本@名無史さん:02/09/04 13:57
>>94
徳川慶喜邸は今の東京体育館一帯。
96北陸高校氏ね:02/09/04 16:13
徳川慶喜は ゴミです 近代体制の 遺物です













         以上
97(笑(笑:02/09/04 19:52
>>94
笑ったYO!
HNが「北陸高校氏ね」っていうのも笑ったし、(笑

>徳川慶喜は ゴミです 近代体制の 遺物です

って句読点が無いのもさ!(笑

スペースがやたら多くて「以上」もセンターだし。(笑

っていうか、それをしてる君の姿が目に浮かぶ。(笑
98幕臣:02/09/05 13:10
従三位左近衛権中将徳川刑部卿慶喜卿

一橋家を継いだ頃の慶喜は眉目秀麗なカッコイイ公達だったんだろうなー。
99アフォ( ´_ゝ`) ◆lrrr3OOI :02/09/05 20:00
あるイギリス貴族の慶喜評。

「彼が失脚する寸前、30歳の時の彼を覚えているが、
徳川公爵は私が今まであった中でも際だって立派で上品な風貌を
備えた人であった。しかもそれだけではなかった。
彼は極めて人好きのする優雅な態度と魅力的な物腰を備えていた、
背は高くなかったが、非常に均整が取れていた。
顔立ちは彫りが深く、口も歯も非の打ち所がなかった。
顔色は明るいオリーブ色で、その手も脚も彫刻家のモデルにしたい程であった。
彼が微笑むと、顔全体が明るくなった。年を取った現在でも、
彼の立派な外見はほとんど変わらず、その魅力は全てそのまま残っていた」
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