1 1 1    聖徳太子って何者?  1 1 1

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41日本@名無史さん:02/07/11 02:05
モデルさんだろ?
42日本@名無史さん:02/07/11 02:34
兵庫県鶴林寺から、重文指定の「正徳太子絵伝」が盗まれますた。
神戸新聞より。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/020710ke65300.html



43【^−^】フフフ:02/07/11 12:08
実在はしたそうですよ。でも名前だけかも。
なんか逸話は、いろんなのが混じってるそうです。
寺の逸話って脚色されやすいですからね。
仏法を護持する側のキャラクターですから
とんでもないことになりがちです。

後の時代の空海とかもっとすごいことに
なってます。

まだ生きてるとかは、さすがにヤバイっすよ。
44日本@名無史さん:02/07/11 12:46
山背王家は結局なんなの?
4538:02/07/11 20:14
>>39 遣隋使の派遣はたしかに、聖徳太子の業績である可能性が高いと
思います。ただ、人材の登用はいかがでしょうか。
大和朝廷は以前より帰化人の登用は行っていたようであり、聖徳太子
を特別視する証拠は薄いように思います。
また、新羅との関係も徹底的に悪化したのは、白村江以降であり、
それ以前は必ずしも百済一辺倒ではなかったように思います。
百済からの亡命者が大量に帰化し、日本書記の編纂にも参加したかと
思います。その中で、新羅が過去から仇敵であるかのように記録された
のではないかと思います。
46日本@名無史さん :02/07/11 21:39
聖人的な説話は、半島から取り入れたっぽいけどなぁ
しかし、直系の子孫が十数年足らずの間に全員死亡ってのは
尋常じゃない
本人は大王位についてないにも関わらず

47日本@名無史さん:02/07/11 22:07
??? >>45
これは38=40である私への意見なのかな?何か変じゃない?38は私だし。
>39への内容なのかな。ひょっとして素人さん?

あなたの考えに間違いはないけれど、どれだけ深くその点を考慮するかって事でしょうね。
>>46氏の言うように、直系子孫がああいう形で断絶されるってのは本当に尋常じゃない。
多くの人が存在を疑うのも無理ないと思うよ。だから存在していたとするなら、当時の
状勢にとって、かなり急進的な事をやったのでは、と考えるわけ。
特に新羅については、あなたの視点もその通りだけど、もっと深刻な問題だったんじゃ
ないのかな、と私は思います。
4845:02/07/11 22:42
>>47 失礼しました。番号が1番ずれてしまいました。
念のために言うと、私は聖徳太子は実在していたと考えています。
直系子孫の断絶は尋常でなく、その原因は聖徳太子の先進性に
あるとの指摘のようですが、断絶の理由は山背大兄が皇位を争った
からではありませんか?皇位を争って殺戮にあった皇族は多々あった
かと思います。
49日本@名無史さん:02/07/11 23:17
鎌倉時代に聖徳太子や役行者らが被った神話化は尋常じゃない。
50日本@名無史さん:02/07/11 23:46
神話かは奈良時代から始まっている。
ただし、江戸時代の国学者からはこき下ろされたけど。
51日本@名無史さん:02/07/12 19:27
>>48
皇位を争ったとはいっても、おそらく山背側から能動的に仕掛けた争いではなかった
でしょう。推古崩御時にはいまだ後継者が定まっていなかった。(そういう意味でも
太子は謙虚だったというか、お人好しというか)勿論皇位をめぐる争いは後の世にも
多々ありますが、ここでむしろ注目すべきは、何故身内同然の蘇我があそこまで徹底
した仕打ちをしたのかという点です。
古人大兄を立てる思惑は当然あったでしょう。ただ中大兄派の動きを考慮すれば、
山背一族を断絶させたのは、はっきり言って失策です。ただしこれは皇位継承面
だけを検証すれば、ですけれど。

やはり私は、蘇我側に政治的に鬱屈した要素があったのではないかと考えます。斑鳩
への政治中枢移動、百済から新羅への外交転換、人事もおそらくは冠位十二階にみら
れるように、中大兄派などの対抗派閥などからも抜擢し、空気を随分入換えたと思わ
れます。客観的に言えば「時の一番の権力者」の力を削ぐ方針をとった訳ですね。
政治改革というのは保守抵抗勢力が強いほど難しく、またバッサリと切るように行わ
なければなりません。(これは現代の政治も一緒です)
しかしたとえ成功しても、この時のように激しい反動にあうというのが大方の流れで
す。大化の改新はその反動を叩くという名分があった為に、見事な成功を治めたと読
みとれるのではないでしょうか?>38で言いましたが、太子の改革がまずなければ、
大化の成功も、8世紀に至る政権も存在しえなかったのではないか、と私は考えます。
52日本@名無史さん:02/07/12 19:34
>>51は、相当のDQN
53日本@名無史さん:02/07/12 22:10
DQNって、どこが?
そんなメチャメチャでもないと思ワレ。
>>52が厨房ってほうが納得できる。
5448:02/07/13 05:51
>>51
山背大兄が、能動的でないとはなかなか言い難いと思います。田村皇子との
競合時にも、臣下を召し寄せて不満をぶちまけている記録もあります。
蘇我氏に対してもクレームをつけています。もちろん、資料に載って
いるのは、実際にあったことの一部はずです。
 また、山背殺戮に関しては、蘇我氏を主犯と見るのは、資料の表面的な
見方と感じます。本論でないので、詳述しませんが、孝徳一派や中大兄一派
が、蘇我氏を引きずっていった点を見落としています。
 本論にもどすと、51は聖徳太子の事跡をどのへんまでが真実と考えて
いるのでしょうか。根本的にはそのへんの認識の違いのように感じます。
51は記紀の記述を相当の程度で事実としているように見えますが、
いかがでしょうか。
 蛇足ですが、47で「素人」かとの質問がありましたが、どのような
立場だと「玄人」なのですか?
55日本@名無史さん:02/07/13 08:11
山背王家は実在したんだよね。
聖徳太子の実在と山背王家の実在をごっちゃになるとわけわからなくなります。
この時期は結局まだ倭王大乱の延長で王権をめぐる争い、の段階だよね。

「継体天皇」(この時代はまだ天皇はいない)以降から
朝廷が安定して続いたことにしようとすると
聖徳太子のような人物を皇室の内部に設定する必要が出てくるのだと思われ。
56日本@名無史さん:02/07/13 08:12
>49
弘法大師とあわせて「たいし」が古神道と密教が合体した信仰のシンボルと
なってきますね。
幼童天皇のイメージの象徴にもなり。
57日本@名無史さん:02/07/13 08:13
なぜ聖徳太子の信仰は被差別民の間で広まったの?
58日本@名無史さん:02/07/13 08:29
「山背王家」? 最近では、そう呼ぶのがトレンドなのか?

昔は、「上宮王家」と呼んでたがなあ。
59日本@名無史さん:02/07/13 17:02
>>54
素人さん?と聞いたのは番号間違えてたからですよ。
相手の番号を自分のハンドルに間違える人ってあんま見かけないからね。
2ch初心者かと思っただけ。

梅原猛が確かそういう観点してたんだっけ?あ、別に批判するとかじゃないよ。ただ
そうするとそちらの方が、より事跡を真に捉えてるんじゃないのかなあと。私はあく
まで流れを受けて「実在したとするなら」って観点で言ったに過ぎないから。
「しなかった」という人がいても一向に構わないと思うし、無理もないと思う。(>47)
ただ「実在した」のなら、やっぱその後の動きは変だよなあと。で>51を書いた。
だから記紀だとか、実際の事跡にまで掘り下げてとか、まだそこまでは考えてません。
(51で1例出しただけでDQNとか言われるんだからね、ココは)
「実在した」前提で話しに入ってよいのならそうするけど、当然「しなかった」って人
もいるからね。実像を探る、又はどう脚色されたかが目的なんでしょ?私の観点として
「後にああいう事件が起きたということは実在したんじゃないの」と表現したまでです。
実際の政治等に触れて別の深い所へ持ってくつもりはありませんので、あしからず。

それよかあなたの実在する、って根拠は何?できたら書いてちょ。
60日本@名無史さん:02/07/16 21:27
>>50
どうこきおろされたのか教えてください。
>>57の意見にもすごく興味がある。
61日本@名無史さん:02/07/17 00:51
聖徳太子=林太郎大王(はやしのおおいらつこのおおきみ)=蘇我馬子
という説はいかがでしょう?
62日本@名無史さん:02/07/17 00:56
聖徳太子ってハーフなの?
63日本@名無史さん:02/07/17 17:22
国学者は仏教に否定的でしたから、仏教側に都合のいい
聖徳太子の存在を否定しようとしたのでしょう。
江戸期あたりからその風潮があったので、あたかも存在しない
って説が真実かのように語る学者がいるのも事実です。
寺院側の資料がアテにならないとしちゃうとそうなるのも
まぁおかしくはありませんが・・・。
6450:02/07/18 21:53
>>60
どうこきおろされたかですが、一つは>>63にも通じますが、
他国の宗教である仏教を崇拝し、日本本来の神道を軽視したことについて。
もう一つは、崇峻天皇が暗殺された後、蘇我馬子の罪を追求しなかった
ことが、不忠であると非難されています。
65 :02/07/18 21:56
俺は元Kの科学だが、後輩に自分は聖徳太子の生まれ変わりだと本気で信じてる馬鹿がいた。
66iga:02/07/19 15:18
聖徳太子自体が架空の人物って教えてやれ。
67日本@名無史さん:02/07/19 15:40
聖徳太子って馬子の実績を語るために作られた「架空の人物」なのか
68iga:02/07/19 15:44
仏教寺院が作り出した仏法の護持者。天皇家とのつながりを
捏造。基本的に天平時代に国営寺院を造るまでは、そんなに
関わっていないはず。物部氏が酷い扱いだしな。
69日本@名無史さん:02/07/21 00:17
聖徳太子の誕生物語が初期のキリスト教の影響を受けていると思われ。
日本書紀中の人物名で「聖」及び「神」がついている者は実在性が怪しいと思われ。
中国からの返礼の使者、ハイセイが報告書に推古天皇のことを記していない。
17条憲法は法律というよりは、仏教の道徳心得を列挙したもの。ハンムラビ法典の方が素晴らしい出来と思われ。
記紀の中で、「聖(ヒジリ)は、真人(ヒジリ)を知る」聖徳太子伝説あり。
推古天皇の時代、竜に乗った人が現れ、山へ飛んで行ったという記述もあり。
ファンタジー溢れる物語に憂世を喘いだ人々が酔いしれたかったのだと思われ。

こんな感じでしょうか。まだ、いっぱいあるけどね。
70日本@名無史さん:02/07/21 16:12
>>32
小林さんに洗脳されちゃダメ!
71日本@名無史さん:02/07/25 03:12
実在したか否かなど問題ではない。それを確定することはできない。
人様々に想いを巡らせる以上、それは確かに、今、此処に、在る、のだ。
想いの巡らせかたの変遷に、注意深く耽溺するよりほかに道はあるまい。
72日本@名無史さん:02/07/25 13:12
>>69
も一つ詳しく言うなら直接的にキリスト教は関わっていない。
聖徳太子が取り入れた、新羅の弥勒信仰にキリスト教の影響が見られる、とした
方がよい。シルクロードを東進してくる際、仏教の一部がキリスト教の教理を取
り入れたのが弥勒(マイトレーヤ、メサイヤ)信仰で、後に唐にも一部定着して
いる。これを先進的に取り入れていたのが新羅だったわけ。
73日本@名無史さん:02/07/25 23:02
>>69に質問
なるほど、「神」のついているのは、神武、応神など実在の疑わしい
のが多い。しかし、「聖」はそんなに疑わしい人ってそんなにいますか?
「聖」は仏教に熱心な人につける尊称かと思っています。
聖武などそうだし、百済の聖明王などがそうです。
実例がいろいろあるなら教えて下さい。
74日本@名無史さん:02/07/25 23:04
聖武天皇も実在が怪しい???
7573:02/07/27 05:31
聖武は怪しくありません。69が、「聖」のつくのは実在が怪しい、
と言っているので、反論の意味で書きました。
聖徳という名前(追号)から、実在、非実在を論ずることはできない
との主張です。
76日本@名無史さん:02/07/27 06:53
何か話バラバラだな
用明に皇子がいて、そいつが結婚もして、子供もいたってのは事実だろ。
ただそいつが英雄だったかどうかはしらん。
この皇子の実在まで否定するのはドキュソ
77日本@名無史さん:02/07/27 19:37
天智も天武も叙明の息子だろ
山背大兄が叙明と皇位を争って破れた人物であるとすれば
政治的敗者である彼の霊を鎮魂するために
聖徳太子像が考え出されたのでは、と思う
78日本@名無史さん:02/07/28 07:26
>>77 鎮魂するなら、本人をすべきで、架空の人物を鎮魂しても、
鎮魂したことにならない。それでは、山背の霊がいっそう怒りそうだ。
非実在の証明にはならない。
聖徳が伝説に覆われていて、どこまでが実像かわかりにくいのは確かだが、
そのことと、実在、非実在とは別問題である。
非実在の論拠は、伝承に創作が多く含まれている、といっているだけでは
ないのか?
79日本@名無史さん:02/07/29 14:44
>>77
考え方は面白いと思うよ。皇位の継承面では実際の思惑に近いだろうと思われ。

ただその場合、蘇我の動きがなあ。蘇我が山背を討ったのも架空なんだろうか。
中大兄・鎌足らがすでに現場で手を汚したのか。それとも傍観して後、大義をもって
蘇我を討ったのか。この蘇我氏の絡みをどう捌くかだよね。
憲法や十二階、これは推古が単独でやったのかな。それとも馬子?弥勒信仰の流れとか
考えると、やっぱりそれ以外の人物は存在していたんじゃないのかなあ。
80いなかっぺい:02/07/30 14:39
大山教授「聖徳太子はいなかった」を読め。
81日本@名無史さん:02/07/30 17:42
聖徳太子は琵琶湖の人魚に説教されますた。
82日本@名無史さん:02/07/30 18:05
>>80 大山教授って誰?どういう内容?
83日本@名無史さん:02/07/30 20:34
>>80
そんな本あったか?
84日本史:02/08/01 20:10
聖徳太子は実際にはいなかったという説もあるようです。
もしそうなのだったら、いったい、法隆寺は誰が建てたと言うのでしょう。
また金堂に安置されている『こんどうしゃかさんそんぞう』は
誰なのでしょうね。
85日本@名無史さん:02/08/01 22:44
うまやどおうでしょう
86日本@名無史さん:02/08/05 15:59
ロリコンの池沼好き
即出ならスマン
87日本@名無史さん:02/08/15 14:45
馬子とかんけいがあるの?

88日本@名無史さん:02/08/24 15:11
馬宿皇子(うまやどのみこ)は当時の大王(おおきみ)である馬子の息子ですよ。
89日本@名無史さん:02/08/24 16:02
南伸坊の"歴史上の本人"という本を読もう
90日本@名無史さん
馬の時が異なるが、当時としては誤差だよな。