1 :
日本@名無史さん:
九州、福岡に甲斐とか武田の姓が多いのはなぜでしょうか?
おそらく武田信玄の末裔や家来が、都落ちしたのでしょうけど。
信玄は最後病死したようですが、その息子とかどうなったの?
川中島で上杉氏に破れる→離散九州へ都落ち。
なんでしょうかね?
また、これとは別に壇ノ浦での平家の落人も、さらに菅原道真公の
側近もみな九州の地に移住せざるを得なかったのでしょうか?
2 :
日本@名無史さん:02/07/04 19:40
3 :
日本@名無史さん:02/07/04 20:19
武田氏は、信玄3男・りゅうほう(出家、盲目)の血筋が残ってます。りゅうほう自身は1852年の武田氏滅亡の際に殺されいますが、その子が幕府に仕え、幕末、現在に至っています。
信玄の七男?の武田信清は上杉家に仕え米沢に現在も血筋が残っています。
信玄の弟の川窪信実は長篠で戦死したが、家康と親交があったので子供の信俊
が旗本として取り立てられました。
5 :
日本@名無史さん:02/07/04 21:05
甲斐源氏(武田)は鎌倉以前から続く名流だからなあ。
鎌倉以前に、福岡の警護にあたったような歴史はないのかな。
【武田】
南北朝時代のはじめ、北条氏に従って笠置を攻めたりしたが、
中先代の乱に北条時行に加わって大打撃を受け、やがて箱根
竹之下の合戦以後は足利尊氏に属して各地に戦功を挙げ、陸奥
・伊豆・駿河・若狭・安芸・薩摩などに所領を広げ同族を置い
ている。甲斐源氏の嫡流は信武の子信成が継ぎ、その弟信頼か
ら大井氏が、同じく氏信の系統から若狭武田氏・安芸武田氏が出ている。
【甲斐】
菊池武房の子武本から出て、その子孫重村が足利尊氏に属して九州に下向
、菊池武重に敗れて日向鞍岡に土着したという。宗連(親直)が出て、阿
蘇大宮司阿蘇家の老臣として領国経営にあたった。
豊後大友氏は肥後支配のために、阿蘇氏の内部で主導権をもつ宗連に接
近、宗連もまた阿蘇氏内部での地位確立のために大友氏の影響力を利用し
た。大友氏衰退後は、龍造寺隆信に帰順したがのちに島津家に服属し、か
つての盟友相良義陽を響ケ原に敗北させている。子親秀は、秀吉の九州征
伐後、本領を安堵され佐々成政に属したが、一揆を起こして敗れ、殺された。
7 :
甲州名無し軍団:02/07/05 20:45
なんですかぁー
8 :
日本@名無史さん:02/07/06 05:13
>>6 宮崎とかにも甲斐さんっておおいよね。
けどなんで九州で「甲斐」なんだろ?
それと、越前で斯波氏の守護代だった甲斐氏は同族?
9 :
日本@名無史さん:02/07/06 05:36
甲斐のルーツは、清和源氏、嵯峨源氏、藤原氏隆家流、藤原南家、橘氏、大江氏、大中臣氏など。
10 :
日本@名無史さん:02/07/06 05:39
1は九州をなんだと思ってるんだ(w
都落ちの溜まり場と^)w
「落ち行く先は九州相良!」
これは、被差別民たる「山窩」の合言葉であり、山窩のメッカは相良(人吉)だった。
山梨県には九州から移動した山窩が多かった。八ヶ岳山麓は特に。
武士団と山窩はぜんぜん違うよ、山窩とエタヒミンも違う。
14 :
日本@名無史さん:02/07/09 07:08
なんねー!?皆して「落ちてゆくとか」・・・「なんで九州とか」・・・。
九州を馬鹿にしとるんね!!
天満様にあやまりんしゃい!!
15 :
日本@名無史さん:02/07/09 09:49
九州って馬鹿にする気にもならない(w
16 :
日本@名無史さん:02/07/09 09:56
甲斐バンドや武田鉄也の影響では?
それ以外考えられんよ。
17 :
日本@名無史さん:02/07/10 12:47
その天満様も左遷されたクチじゃん
18 :
日本@名無史さん:02/07/10 14:52
甲斐姓は居なかったが武田姓は多かったな
九州はええとこだよ 人生の半分しか居なかったが
豊かな土地と恵まれた自然の中で育った
>>17 悪いこと言わんからこれからそんな事を思わないほうがええと思うよ
19 :
日本@名無史さん :02/07/10 16:23
人名スレでもいったけどさ、名前は改名できるんだよ、届出すれば。
もともと甲斐とか武田って人が多いのでは無くて、改名した人が多いんだよ。
知り合いに甲斐ってヤツがいて、そいつに由来聞いてゲンメツした事がある。
だから清和源氏のルーツとかは別物だと思うけどな。
むしろ古くから居住している地域に寄る方が信憑性があるよ。
20 :
日本@名無史さん:02/07/10 16:37
九州の武田だったら
安芸の武田の方が関係不快と思うが。
戦国時代当時、九州は近畿に次ぐ地位の高い土地だったんじゃないか?
うん、言わないにする。ここだけの秘密ね。
九州は渡来人のための玄関口。本州は奥座敷。
24 :
日本@名無史さん:02/07/13 10:43
安芸守護の武田氏が大内、毛利連合軍に敗れて落ち延びた先が
筑紫地方。その関係から武田の苗字を称する家が多い。
このあたりは大河の「毛利元就」で描かれました。そのときの
武田氏は、宍戸 開が演じてました。
かの金八っあんもお母さんが武田という苗字を途絶えさせない
ため婿養子をもらって生まれた子だとその著書でお書きになっ
ておりまする
25 :
日本@名無史さん:02/07/13 13:06
なぜか大和性も多い
甲斐氏が九州に居るのは、1491年頃信濃から追い出されたからと聞く
28 :
日本@名無史さん:02/07/15 13:32
>>24 その金八っあんが山梨にやってくるんで逝ってきます。
29 :
日本@名無史さん:02/07/15 15:54
だから改名した人が多いだけだって。歴史うんぬんはほとんど関係ない。
君達だって甲斐さん武田さんになれるんだから。
30 :
日本@名無史さん:02/07/15 16:36
甲斐ちえみは。
>1
川中島で上杉氏に破れる→離散九州へ都落ち。
↑ってどういうこと?誰もつっこみなし?
32 :
南部三郎光行:02/07/15 23:49
2が妄想癖で片付けてるし
このスレは>>1が武田鉄矢と甲斐バンドのネタで立てたんじゃないのかな?
34 :
日本@名無史さん:02/07/15 23:54
基本的に、九州の武将は都落ちや落ち武者の末裔がほとんどです。
35 :
日本@名無史さん:02/07/16 00:53
>>29 当然ながら直系の子孫ではなく、明治になって急に取ってつけた
人がほとんどでしょう。でも重要なのは、そういう血筋の人がい
たと言う伝承が地方に残っていることが重要なのでは?
36 :
日本@名無史さん:02/07/16 01:29
若狭小浜城主武田大和守は阿蘇家臣高森家の客将となって
島津と戦い高森惟直を逃がして討死。
37 :
日本@名無史さん:02/07/16 02:39
観世音寺・東大寺・下野薬師寺しか戒壇を受けられなかったてえことに
九州の地位の高さが見られるのでは。
最澄が奔走して比叡山でもできるようになって、いまやそっちのほうが大手になったが。
38 :
日本@名無史さん:02/07/22 08:01
39 :
日本@名無史さん:02/07/23 02:13
>>35 スレ名は、多いのはなぜ?と聞いている。
だから当然の事を言ったまで。
実際に血筋を持つ人など極少数。
百姓の君達は我々名門貴族にあこがれて名前を真似した。
それが武田。
41 :
日本@名無史さん:02/07/23 10:56
蒲池ってなによ
糞田舎九州の偽家系を伝える一族、その名もカマチョ。
44 :
日本@名無史さん:02/08/07 23:45
45 :
日本@名無史さん:02/08/08 04:54
そういえば、高家の中に武田信玄の末裔がいたはずだ。
46 :
日本@名無史さん:02/08/08 11:52
甲斐は阿蘇氏の氏族で有名だから。阿蘇宮司の家系で九州中に
散らばりました。基本的に肥後の菊地一族。阿蘇神職も菊地
一族と関係が深い。菊地は南朝について勢力を覇ったので
南北両方から家臣も含めて勧誘とか懐柔でいろいろ官職名もらってます。
足利直義、直冬絡みも。
南北朝時代にばらまかれた官職名は、古い一族ほどなんかそれっぽい。
官職名とかで甲斐ってのはわりとポピュラー。
武田は、安芸武田ルーツが多いから。小早川が安芸武田の遺臣を吸収して
さらに筑前にってのがたぶん大きい。毛利家本体ではなく小早川にって
やりかたは毛利独特。ワンクッション置いて臣従しやすくするってパターン
で毛利と両川は勢力を急激に拡大させました。山陰は吉川、山陽は小早川
と毛利本家のどちらかにつくという方式で旧家臣団の序列とか微妙な問題を
解決。安芸武田の重臣熊谷とかは、毛利本体に吸収。主家筋の武田は、小早川。
47 :
日本@名無史さん:02/08/08 12:18
確か武田信玄の孫が福岡藩士になってたんじゃなかったかな。
48 :
日本@名無史さん:02/08/09 16:42
そんなに多くないよ。田中とか中村が多い。鈴木はやや少ない。
49 :
日本@名無史さん:02/08/09 19:51
森鴎外の「伊沢蘭軒」には、伊沢氏は武田信玄の裔とか書いてあるよ。
本当かどうか知らんが。
50 :
日本@名無史さん:02/08/09 22:45
本当に多いのかよ!
歌手しか知らんぞ。
52 :
日本@名無史さん:02/08/10 03:48
長野県の根羽村で武田信玄が死んだと聞いた。
53 :
日本@名無史さん:02/08/11 17:17
安芸・武田の方ダヨなぁ
54 :
日本@名無史さん:02/09/03 12:06
九州の甲斐という名字は、旧国名とは関係ありません。
一説には菊池一族の誰かが一時甲斐国に逃れたからという説もあるが、信憑性は?。
それよりも甲斐の国名の謂れと同様、山深い土地の意味からくるものらしい。
55 :
日本@名無史さん:02/10/10 00:03
56 :
日本@名無史さん:02/11/09 12:48
57 :
日本@名無史さん:02/12/05 19:04
>>54 越前守護代の下野出本姓佐野甲斐氏はまったく関係ないんだろうなぁ。。