縄文時代の日本人のほんとの姿は?

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268日本@名無史さん:02/09/07 17:13
どうしようもない学者のまねして言葉遊びしたって無意味
今言う日本列島に所謂縄文時代に住んでいた人間を「簡単に」日本人と言うのだ
俺の先祖だったか、君の先祖だったか、今の日本人の誰の先祖でもないのか。
269日本@名無史さん:02/09/07 20:35
>>268
なにが言いたいのかいまいちわかりません。
270日本@名無史さん:02/09/08 09:18
日本国という呼び方は天武天皇あたりに
なってから初めてであり縄文時代に日本
国はなかった、だから縄文時代に日本人
は居なかったという言い方があるけど、
そんなのは言葉遊びなんじゃないの、と
いうこと
271268よ:02/09/08 09:24
漏れには2人のおぢいさんと2人のおばあさんがいます
2人のおぢいさんにはそれぞれ2人のおぢいさんとおばあさんが
2にんのおばあさんにはそれぞれ2人のおぢいさんとおばあさんがいます
さて、じょうもんじだいにまでさかのぼると何人のおぢいさんとおばあさんが必要でしょうか?
そのおぢいさんとおばあさんは、ずっと「日本列島」の中にいたのでしょうか?

人間集団の移動と交流は「日本列島」とか「朝鮮半島」なんて狭い範囲で収束するものではないよ
偏狭な地域主義、閉鎖的民族史観は、おまいらの嫌いな「ウリナラ」主義と同じじゃないの?
272日本@名無史さん:02/09/08 09:26
「日本人のルーツ」講師:埴原和郎 http://www.iias.or.jp/event/lec980509_j.html

>ところが、弥生時代の遺跡から縄文人とは特徴の違う人骨が見つかった。
>顔は面長で身長が高かった。朝鮮半島から船を使って渡ってきたと考えられた。

 茨城・岩手の縄文人はかなり面長なのでは?
  http://gross.anatomy.saga-med.ac.jp/shinoda/jaa104/intro.html
  http://www.museum.tohoku.ac.jp/1998SE/page06.html
  (参考)国立科学博物館の縄文人骨・弥生人骨
  http://www.kahaku.go.jp/special/past/kao-ten/kao/hensen/img-pg/03-1-1.html
  http://www.kahaku.go.jp/special/past/kao-ten/kao/hensen/img-pg/03-2-1.html

>しかし、現在では交通の発達などで遺伝子が拡散しやすくなり、
>東日本にもかなり大量の渡来系遺伝子が浸透してきたとみられる。
>血液型や身長などを調べることでもこれらのことが裏付けられている。

 血液型や身長は、西日本より東日本の方が朝鮮・中国北部系に近いだろ。
 こんなの小学生でも調べればすぐに分かるはず。
 最近の遺伝子研究によって二重構造モデルの間違いが分かったとか言われてるけど、
 最初から間違ってたのは明らかじゃないのか。

>昨年度から「二重構造モデル」を検証する大規模な総合研究も始まった。
>研究の成果が楽しみだ。

 その成果がこれなのね。
 http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/nl/15/12.htm
273日本@名無史さん:02/09/08 10:51
>272
埴原の二重構造モデルは、あらっぽくまとめると
(1)縄文人は東南アジア系の旧石器時代人
(2)弥生時代に北東アジアから移住の波があり、縄文集団と徐々に混血
という二つの要素からなる(尾本恵市著 分子人類学と日本人の起源)

このうち(1)については概ね否定的
(2)については肯定的、というのが現状ではないだろうか。

>その成果がこれなのね。
> http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/nl/15/12.htm

↑でも「大筋では二重構造論を肯定する結果となった。ただし縄文人の南方起源は支持されず・・・」とある。
274日本@名無史さん:02/09/08 11:09
「中国東北部と三内丸山に代表される北日本の縄文遺跡との類似性」だって。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/1111/nto1111_9.html

そりゃ、あんなDNAの鑑定結果が出るのもしょうがないのでは。
275日本@名無史さん:02/09/08 12:19
>274
”あんなDNAの鑑定結果”って、篠田さんの研究結果のこと?
ブリヤートとしか一致しなかった塩基配列も出たけど
台湾の漢族としか一致しなかったものも出てる
別の配列でブリヤートと一致するものはインドも含んで広く東ユーラシア大陸とも一致

どれか一つだけ取り上げて騒いでいるのがNHK
276日本@名無史さん:02/09/08 14:27
>>275
そんなことはありません。多数の縄文人の歯から取り出したDNAは、はっきり
とブリヤートとの一致を示し、考古学でもロシア科学アカデミーが縄文人の
先祖が住んでいた遺跡をバイカル湖畔で確認。
沿海州北部の縄文土器の原形ともいう土器がバイカル〜樺太のルート上で
発見されている。総合的に縄文人が北方系であり、とりわけブリヤートとの
関わりが強いことは間違いないこと。
松本秀雄のGm遺伝子でも同じ結果である。
277日本@名無史さん:02/09/08 16:56
おいっ!!過去レス読めれ!!!無限ループになってるぞ!!!!
>>276 ソースは?
多数の縄文人の歯 >誰がどこの資料で?
バイカル湖畔で確認 >遺跡名キボンヌ、あとロシア科学アカデミーはどこの部署ですか?
バイカル〜樺太のルート上で >これも遺跡名キボンヌ 確かにアムール流域にはありそだけど、中国でも古いの出てるよ
間違いないことは、NHKにまんまとのせられたバイカル-ブリヤート執着デムパがこのスレにいるということ
278日本@名無史さん:02/09/08 17:14
>>274
けつ状耳飾 って九州四国でもでてるよね。
形、材料、年代なんかから、中国東北部のものとどういう関係になるんだろ?

中国東北部のものも、姫川の翡翠だろうか、
翡翠としては、姫川産のものは少なくとも列島各地からでているそうだ。
279日本@名無史さん:02/09/08 20:39
>>278
けつ状耳飾は、長江流域→中国東北です。
中国のものは雲南あるいはビルマ産のヒスイでしょう
280日本@名無史さん:02/09/08 22:59
>>279

中国のものは雲南あるいはビルマ産のヒスイでしょう、というのは
失礼だが根拠あるのですか? (憶測だけ?)
281日本@名無史さん:02/09/09 08:58
>>280
中国側の分析例がないから理化学的には不明。岩石学的には雲南、ビルマ産といえるものもあるらしい。
あと訂正、>>274の興隆窪のけつ状耳飾は長江流域より古くなった。ただし、後続する時期のものはまだ不明。
興隆窪文化の年代は日本でいえば縄文時代早期半ば頃か。三内丸山とはちょっとずれる。
むしろ同時期のけつ状耳飾は北陸に多いかも。
しかし残念ながら、興隆窪文化は黄河流域からの影響。バイカル方面ではないからDNA云々とはつながらないと思う。
282日本@名無史さん:02/09/09 11:57
デムパ教授はなんでブリヤートに執着するのだろうか
283280:02/09/09 13:27
>>281
ありがとう
284日本@名無史さん:02/09/09 13:58
>>283
「自然と文化」64号 2000年10月刊 特集・紅山文化と縄文文化
ジュンク堂とか紀伊国屋なら置いてるかも
まだ異論も多いけどね
285日本@名無史さん:02/09/12 09:04
ブリヤートの件は57に尽きるな
286ジーモン@ケーニヒスベルク:02/09/13 10:43
弥生系は好戦的で貪欲だ。
奴らを殺せ。
287ジーモン@ケーニヒスベルク:02/09/13 10:49
弥生系の居ない平和な日本列島を!
288粗忽:02/09/13 15:42
波状毛で二重瞼、血液O型の私は縄文人に親近感を感じるせいか
引き目鉤鼻の関西系のっぺり弥生人にはなじめません。
289粗忽:02/09/13 15:44
バイカル経由の北方モンゴロイドの方々も何か疎遠なものを感じます
が偏見でしょうか?
290倭奴:02/09/14 16:40
渡来人は来たのか。イネの専門家である佐藤洋一郎氏の近著「稲の日本史」(角川選書
2002年)におもしろいこと書いてある。
 漏れもある理由から、半島からの渡来人が弥生時代に多量にやって来たとは考えてい
なかったので、 納得、納得。

縄文時代には日本列島に焼き畑農耕の熱帯ジャポニカによる稲作が伝えられた。
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカは遺伝子レベルで識別ができる。起源は不明だ
が、フィリピン、台湾あたりから、琉球列島を通って伝えられたようである。
 縄文稲作に懐疑的な考古学者がいるが、焼き畑式の稲作なら荒起こしや、しろ
かきはしないので、籾を地中に植えるための槍のような農具があればいい。われ
われが考えるような農具が見つからないのも当たり前。また焼き畑式だから、水
田跡が見つからないのは当たり前。
 縄文晩期になって温帯ジャポニカの水田稲作が伝えられたが、すぐに全国に広
がったようではなく、縄文稲作の要素を残しながら熱帯ジャポニカと温帯ジャポ
ニカが同じ水田で作られた。今に見るような温帯ジャポニカの水田に完全に切り
替わるのは、近世になってからである。新たな発見がされるたびに、縄文稲作と
弥生稲作の間には断絶はなく、むしろ連続しているとみる方が適切である。
 また、持ち込まれたジャポニカもごく少数であって、縄文後期に、渡来人が手に
手に稲を携え、大量に移住してきたとは思えない。
 経路は中国大陸から直接やって来きた、朝鮮半島経由の二通り考えられる
証拠がある。
291倭奴:02/09/14 16:41
続き
佐藤氏の著書からの引用

・・・・引用開始・・・・
やって来た渡来人たちの人口は、ある推定によると一〇〇万人にも達するといわれた。これ
だけのヒトがわずか数百年の弥生時代にやってきたのなら、列島の人と文化はその渡来のをき
っかけに大きく変化したに違いない。渡来人が手に手にイネと稲作の技術を携えてきたのなら、
列島の生業はこの時期に大きく変化したに違いない。
 こうした大変革の主体者である多量の渡来人は本当にやってきたのか。今現在、その明確な
答えは得られていない。しかし、−−ここにもくりかえし述べたように−−今私たちの手中に
あるデータは必ずしも二重構造説によらなくとも説明ができそうである。
 渡来人たちが稲作の文化も持たず何も伝えず、ただ数だけがやってきたという「強弁」はむ
ろん可能である。しかしもしそれが事実であるなら、渡来人の集団はたんに奴隷の集団にすぎ
なかったことになる。
(中略)
                         従来、この大変革の主体者たちが渡来
人であったと考えられてきたわけであるが、前項に書いたように、もし「渡来人がこなかっ
た」とするなら、この変革の担い手は誰なのか。消去法でいけば変革の主体者は在来のいわゆ
る縄文人であったことになる。水田稲作をはじめとする弥生時代を特徴づける文化的要素は縄文
人達によって日本列島にもち込まれたことになる。変革は、外的な力によってではなく主体
的に行われたことになる。端的にいえば、水田稲作の技術は大陸に渡った縄文人たちが日本列
島にもち帰ったものだということにもなる。
 渡来人が変革の主体者であったとする見解に対して、在来の縄文人たちが自らを自らの手で
「変革」したとする見解は以前からあった。この見解に、再び光を当ててみることが必要であ
ろう。
・・・・引用終わり・・・・

  >>しかしもしそれが事実であるなら、渡来人の集団はたんに奴隷の集団にすぎ
  >>  なかったことになる。
  腹を抱えてワッハハ、膝を叩いて思わずガテン。
292日本@名無史さん:02/09/14 17:25
昔のブリアートが縄文系やアイヌで、今のブリアートはその後の氷河期で
新モンゴロイド化しまった。
293炯炯:02/09/15 08:32
>>292
西の方は結構コーカソイド系が混じっているだろうから古モンゴロイド
が高い比率で残っているとこってどこに多いのかなあ〜?
294日本@名無史さん:02/09/15 09:27
295日本@名無史さん:02/09/15 10:22
>>293
かなり純粋な古モンゴロイドの人達って、アボリジニ(オーストラリアの)とか、ブラジルのカヤポ(だったかな)の人達じゃないか、と思ってる。
彼らはGm遺伝子の青と緑しか持ってない。赤や黄色が発生する前の人達を古モンゴロイドと考えて見ている。

研究者たちは、DNA、Gm、骨などバラバラに研究してるけど、相関もってやって欲しいな。
佐賀医科大学の篠田謙一さんは、DNAと歯の形状の相関を見た、これって、初めての異分野で相関をとった研究じゃないか、と注目してる
296日本@名無史さん:02/09/15 11:57
アボリジニとアイヌは全く異なりますが・・・。
297日本@名無史さん:02/09/15 13:58
縄文時代に「日本人」だって!!

悪いことは言わない。
きみ、小学校からやり直しなさいね。
298日本@名無史さん:02/09/15 14:08
アボリジニに関する穏当と思われるサイトがある
http://www.gondo.com/g-files/aborig/aborig1.htm
アフリカ起源ではない、古モンゴロイドであろうか、アイヌとの関係は薄いなど。

296が295のことを言ってるのなら、295はそんなことを言っていないとおもわれ

299炯炯:02/09/15 21:41
>>297 あほな書き込みはやめてね。

>>298
ネクタイ締めたネアンデルタール人を観て「あーこーゆー白人いるよな」と
思って笑えました。ミトコンドリアイブ説って割り方信じていたのですが、
Y染色体の変異率が他の遺伝子より高いのを割り引いても分子時計の精度は
傍証として有効だというのが良く判りました。要は一説を金科玉条の如きに
固持するのではなくクロスする検証が必要だと言う事なのでしょう。
300日本@名無史さん:02/09/15 22:55
>>299
分子時計の精度、ということに関連していると思うが
http://member.nifty.ne.jp/take_tk/tondemo/mtdna.htm#iken1
のシミュレーションは読み応えがある、というか歯が立たないのだが、
所詮統計モノなので、ミトコンドリアDNAの塩基一つ違いが12000年、
というのも実におぼつかない平均らしい
301日本@名無史さん:02/10/03 00:24
9月発行予定が遅れているようだが勉誠出版から出る次の Humanity of Science に新たなミトコンドリアDNAの検定結果がでるようだ
302日本@名無史さん:02/10/16 01:05
我々日本人は縄文1万年の歴史がある
日本語を大切にしよう
303日本@名無史さん:02/10/16 01:13
>302
薄ぺらな、江戸弁か?
304日本@名無史さん:02/10/16 01:16
>>302
縄文人は、アイヌですよ
日本人は、縄文人を侵略して滅ぼした弥生人です

縄文一万年は、アイヌの歴史です
歴史を捏造するのは止めてください
305日本@名無史さん:02/10/16 01:36
>>304
うんうん
306日本@名無史さん:02/10/16 05:24
>>304
東日本で出土する数少ない弥生人は縄文的特徴を多分に残していますが。
307日本@名無史さん:02/10/16 05:49
現代日本人がアイヌとちがってしまったのは、
弥生時代の渡来人の血ではなくて(それは北九州と山口県にみられる一時的かつ局所的な現象)
古墳時代の帰化人の血のせいだろう。
308日本@名無史さん:02/10/16 16:59
>>307
ということは、弥生文化は 渡来文化のほとんど影響を受けずに
縄文文化が 連続的に 内部的に 弥生文化に変容した と
考えるの? おもしろいな。 その考えのほんとらしさは
どうやったらわかる?

309日本@名無史さん:02/10/16 23:07
渡来“文化”の影響はものすごく受けたが
渡来血統はあまり入らなかった。(その段階では)
明治の頃の文明開化のようなもの。江戸時代と明治時代では血統はそんなに入れ替わってないだろ。

渡来血統の影響(形質人類学的な変化)は古墳時代におこったこと。
310日本@名無史さん:02/10/17 16:34
307
(それは北九州と山口県にみられる一時的かつ局所的な現象)

そうなんですかぁ?
311日本@名無史さん:02/10/17 19:35
縄文人はブリヤート人です
弥生人は中国系です
朝鮮人は5世紀以降に技術者として渡来し帰化しました
3122!:02/10/17 19:46
縄文人はブリヤート人です、早い時期に沖縄にまで到達しています
中国文明より先に、南方系&ポリネシア文明を受け入れました
弥生人は中国系渡来人です、縄文人を蹴散らし西日本を侵略しました
しかし南九州は征服出来ませんでした、大国主命が頭領でしたが南九州出身の
大和一族に倒されました、今は出雲大社に祀られています
朝鮮人は5世紀以降に主に技術者として渡来し帰化しました
その事は日本書紀に細かく記載されています

313日本@名無史さん:02/10/17 20:18
ブリヤート人はいいのだが、沖縄の港川人は南方スンダランド系と
いわれ、南九州や、太平洋側沿岸各地に来てるようだが?

弥生系渡来人は大陸や半島から何人くらいか概数わかったら教えて。
314日本@名無史さん:02/10/17 21:08
南方系はほとんど滅んだと何度書かせるんだ。ワザトラマンめ。
315日本@名無史さん:02/10/18 08:35
>>309

身長だとか頭頂指数だとか骨の小変異なんかでは縄文人と弥生人とで明らかな差が出てるようだけど
316日本@名無史さん:02/10/18 09:10
>>314
南方系の遺物が高知や愛知や東海から出て来てるんだよ。
混血してると予測されてます。>ウリナラマンへ
317日本@名無史さん



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