1 :
日本@名無史さん:
どんなんだったんだろう
日本独自の文化が発達していたと思うが…
2 :
日本@名無史さん:02/06/21 19:05
朝鮮半島に土着化して中国文明化されていく連中も多数出てきました。
3 :
日本@名無史さん:02/06/21 19:06
縄文土器とか
4 :
日本@名無史さん:02/06/21 22:18
郷ひろみと高田みづえみたいな顔してたらしいよ。
5 :
日本@名無史さん:02/06/21 23:11
縄文人は朝鮮に渡っていない。極東なのに珍しく凹凸のある顔であった。
おそらくコーカソイドから充分に分化しないうちに古い形質を残したまま東進し
樺太から日本列島に入った。
ムー大陸の子孫が空を飛ぶ船でやってきた。
7 :
日本@名無史さん:02/06/22 00:18
縄文時代も、最初と終わりじゃかなり発展の度合いが
違うだろうからなぁ。
そもそも、縄文時代っていつからいつまでよ。
8 :
日本@名無史さん:02/06/22 00:21
古朝鮮人が文明を建設してから新朝鮮人が弥生時代を建設するまでが定説です。
9 :
日本@名無史さん:02/06/22 00:23
>>8 日本人が朝鮮人なら、
日本の朝鮮併合は問題ないはず。
10 :
日本@名無史さん:02/06/22 00:25
家庭内にたとえると、父母を息子が強姦したようなもの<日韓併合。
11 :
日本@名無史さん:02/06/22 00:26
>>9 民族の創出は出身地でななく、固有の言語、固有の文化。
12 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/22 01:04
13 :
日本@名無史さん:02/06/22 04:03
>>8 弥生人のほとんどは中国人です。そのときに一部奴隷としてつれて来られたのが
賎人ですので、その定説は間違ってます。
>>10 仮にそうだとしても、扶養してやったというほうが正しい。
14 :
日本@名無史さん:02/06/22 11:35
>5
縄文人って、南方モンゴロイドが北上したんじゃなかったっけ?
15 :
日本@名無史さん:02/06/22 18:53
16 :
日本@名無史さん:02/06/25 02:16
逆にさあ
アメリカ大陸から渡ってくるやつはいなかったわけ?
18 :
日本@名無史さん:02/06/25 08:41
>>17 その男は南方系だ。縄文人は目が大きく窪んでいる。鼻も高い。
平井堅が正統派の縄文系だ。
縄文人は南方系ではない。バイカル湖畔から樺太経由で列島に入った北方系だ。
バイカル湖畔なぜ、ここが、起点なのか?
20 :
日本@名無史さん:02/06/25 09:25
NHK見なかった?5回シリーズのやつ。現在ブリヤート人が住むバイカル
湖畔の村の近くの遺跡でロシア人学者が縄文人が残した矢尻などを発見し
マンモスを追い気候の変化で東進し樺太方面に向かったそうだ。
勿論、バイカルに達するまでは中央アジアあたりにいたと思うよ。
>20 ありがとう。
と言うことは、その痕跡が、日本列島に存在するものより古いと言うことですね。
22 :
日本@名無史さん:02/06/25 14:44
>21
そういうことです。
23 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/25 16:46
私は目がデカく、ヒゲと体毛が濃いけども、
彫りが浅いし、輪郭が丸いから縄文系じゃないな。
九州人はポリネシア文化の影響を受け全身刺青でした
ポリネシアはオーストラリアの右上辺りの随分遠い所です
縄文土器がインドネシア周辺やアメリカ中部からも見つかったりするのは
文化交流または人の移動があった為です
アメリカ大陸ではハポネスと呼ばれる七福神みたいな彫り物も見つかっています
中国人はチーナ、何語だっけか・・・
25 :
日本@名無史さん:02/06/28 23:14
age
26 :
縄文お姉様がゴー。:02/06/29 00:02
27 :
日本@名無史さん:02/06/29 10:57
ところで
ブリヤート人っていわゆる縄文系と言われる人々と
全然顔にてないよね?
あれってどういうことなのかな?
28 :
日本@名無史さん:02/06/29 12:02
でも、ブリヤート人はモンゴル人より格段に美しい人が多いよ。
多分ブリヤートは寒冷適応したのでしょう。縄文人は温かい日本列島に
渡ったので古い形質(彫りの深い顔や長い頭)を保ったのです。
寒冷適応はご存知でしょうが、凍傷から身を守るため目の上に厚い脂肪が
でき一重となり、鼻も低くなり毛も薄くなるのです。体型も胴長、短足
となりました。
29 :
日本@名無史さん:02/06/29 12:11
30 :
日本@名無史さん:02/06/29 12:24
サンプル数の少ないのは駄目だ。すぐ翻る。
最近の研究で信頼されるのが、佐賀医科大学で行った多数(400くらい)
の縄文人の歯から取り出したDNA。この9割以上がブリヤートと一致
した。
31 :
日本@名無史さん:02/06/29 12:51
>>28 はぁ。ブリヤート人は、モンゴル人の「本家」と言っていい人たちだぞ。
32 :
日本@名無史さん:02/06/29 12:55
北海道のアイヌ以外の先住民族の人たちは縄文系とは言わないの?
平面的な顔立ちが多いみたいだけど。
33 :
日本@名無史さん:02/06/29 13:09
ブリヤート族=夫余族なの?
34 :
日本@名無史さん:02/06/30 16:49
縄文って、いいなぁ・・・・
去年上野の国立博物館で縄文展見てきたけど、土器や土偶みてたら
なんか感激して、涙が出た。縄文の血なんだな、きっと。
35 :
日本@名無史さん:02/06/30 16:52
ブリヤート人=最初のモンゴル族
モンゴル人=モンゴル族が各地を征服する過程で、ツングース人・
トルコ人等がモンゴルに同化することで成立。
36 :
日本@名無史さん:02/06/30 19:30
37 :
日本@名無史さん:02/06/30 22:08
>32
樺太にいたアイヌ以外のニブヒやウィルタは新モンゴロイドで縄文系ではない。
38 :
日本@名無史さん:02/07/02 02:09
皆さん、形質人類学も勿論重要で、興味深いのですが、もっと熱く縄文ロマンを
語りませんか?私はハズカシながら専門知識もありませんが、なぜか火焔土器と
遮光器土偶のレプリカを持っており、1日1回は縄文にトリップしています。
専門知識のある方、宜しくお願いします。
39 :
日本@名無史さん:02/07/22 20:08
縄文土器が朝鮮半島南部まで発見されることなどから、
縄文時代においても縄文人は半島南部まで勢力圏を有していたと推測される。
40 :
日本@名無史さん:02/07/23 00:23
縄文土器が太平洋を渡った証拠はあるのに、
どうして学会では自虐的なのですか?
41 :
日本@名無史さん:02/08/06 12:10
日本沿岸で取れるゴホウラ貝を加工した装飾品が中国大陸から見つかり、
中国の古い貨幣が九州の縄文の遺跡から出土している。
縄文期の土製品の中には、丸木舟にウリボウ(イノシシの子供)を乗せた
形のものが見つかっている。遺跡出土骨の分析からは、縄文晩期には中国
大陸原産種のイノシシが日本に入っていることが判明している。
縄文時代の人間は半島や大陸と頻繁にコミュニケーションがあったようで
ある。
学校で習う日本史では、のちの時代の遣隋使や遣唐使が日本海を渡るのに
えらく苦労しているという印象を与えているが、これは大人数を乗せた構
造船だからであって、縄文時代の簡素な丸木舟の方が実は波浪には強いの
である。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/08/06 14:02
ナコルルみたいなのが多かったと思う
43 :
日本@名無史さん:02/08/06 14:41
>>40 あれ?縄文は樺太から来たんでしょ?弥生が太平洋でショ?
>あれ?縄文は樺太から来たんでしょ?
うさんくさい。と一言。
45 :
日本@名無史さん:02/08/06 14:47
>>44 だって、NHKのスペシャルでやってたZO!
>45
起点は、何処か?証明されたのか?
樺太説を採ると、私の場合、言い伝えで聞いた話しと自己矛盾を起こす。
なせ?チベット「ラサ」を、無視する。
>>46 なんか、シベリアだか、モンゴルだかの雪だらけで遊牧してる民族のDNAが、
日本人にかなり一致するとか。
言い伝えって?ラサって、チベットの首都の?
48 :
日本@名無史さん:02/08/06 15:37
ロシアの学者により縄文人がバイカル湖畔にいた遺跡が証明され、
気候の変化に伴う動物の移動で東方へ向かい、樺太に入ったのは
石器、矢尻、土器などから間違いないし、ブリアートなどと遺伝子も
一致し、沿海州には縄文土器を残している。
Gm遺伝子で縄文人やアイヌは著しく「北方系」を示している。
日本の縄文遺跡は、北から順に、古いのですか?
日本に弥生時代以前までいた人種を全て縄文人といっていいのですか?
固有縄文人、古アジア人、南方海洋人などはみんな、寒冷地化をうけてないですが、
それぞれ、特徴があるはずです。
また、旧モンゴロイドと言う言い方はこれらの寒冷地化を受けてない人種の総称として
使ってもいいですか?
>Gm遺伝子で縄文人やアイヌは著しく「北方系」を示している
元々、インド周辺にいたのでは?なぜ、チベットは、孤立した?
渥美清は朝鮮顔と思っていたが、あれは縄文顔の一種だそうだ。
縄文顔と思われる有名人を教えてほしい。
53 :
日本@名無史さん:02/08/10 12:34
海賊エリクソンって白人系ですか?ブリヤート系ですか?
54 :
日本@名無史さん:02/08/10 14:03
55 :
日本@名無史さん:02/08/10 14:38
>>52 縄文系の芸能人は多い。加山雄三や黒沢年男なんかもそう。
渥美清はモンゴル系だろう。
56 :
日本@名無史さん:02/08/10 18:48
農耕、牧畜をしなかった新石器文化というところにロマンがある。
>30
佐賀医科大学の調査では29個体のミトコンドリアDNAなどを調べた。
ミトコンドリアDNA1万6千あまりの塩基うちの181塩基について。
29の中で、ハプロタイプ#1が17人いた。
このハプロタイプが、NHK『日本人はるかな旅』によるとブリヤート・モンゴルに2個体あった。
ここら辺がとりあえず原資料。これをどう考えるか?
17/29によって半分以上の縄文人はプリヤート出身、と思うのはいいのかな?
勿論データが少ない、ということもあるが、同じハプロタイプだ、ってことは、
それをもってる人数が如何に多くとも、その母系が子沢山だった、ってことに過ぎない、かも。。。
むしろ多数のハプロタイプがどっかと共通してたら、びっくりすることにしてはどうか?
NHK、せっかちすぎる。それにミトコンドリアDNAでは母系しか分からないから、
ミトコンドリアDNAでは完全にX人と一致してるのに、形質はすっかりY人、ってことも大いにありうる。
日本人種!を一種類だと思って、それが、世界のどっかの一種類と全部合致する、と思ってることになるような考え方、そろそろやめない?
>>54,55
山急。
でもおれが読んだ本には渥美は縄文系だとかいてあったのだが?
他には片岡鶴太郎とか、吉永小百合とかかいてあったな。
59 :
日本@名無史さん:02/08/12 16:37
>57
NHKは、縄文人南下説の印象を与えたね。
俺の所は、カメの中に入る話も残っているし、タミール系
>>59 山急。
こいつだったらよく見かける。
でも、平井堅は違うタイプだな。
62 :
日本@名無史さん:02/08/13 06:40
抜歯の風習ってグロいっすね。
昔は歯医者がないんだし、健康な歯なんて貴重だったろうに。
フォーク状の門歯ってなにかの実用性があったんだろうか?
63 :
日本@名無史さん:02/08/13 08:19
>>16 縄文人の子孫はインディアンなので、
それはありえない
64 :
日本@名無史さん:02/08/13 09:10
俺のは、聞きかじりなんで、違ってるときは訂正してやってね。
人は、母系はアフリカで発生してる。それが、食料とか求めて徐々に散っていった。
日本へも当然やってくることになるんだけど、
その最初は28が書いた人たちが多かったみたいだ。
次からはメチャクチャ。
大陸のモンゴロイドやら南方系やら、直接地続きのころに大陸から渡って来たり、
潮で海を越えてきたりね。日本が終着点みたいなものだったから。
日本の地層が火山層で遺跡などが消失しやすいため、
よくわからないことが多いけど、たくさんの集落を作っていたみたい。
縄文時代は、人種間の交わりはゆるやかにおこなわれていたらしい。
各集落間の交易も日本各地や海を越えたところでもされてた。
縄文人の文化は、エジプト文明や中国の文化が超えるまでは世界一。
知られてる土器の発明がまずそれにあたる。
土器は、まず鍋として発展したみたい。稲作も東南アジアから伝わってきた。
海産物の養殖や植樹、ワイン、クッキーも作られてる。
なぜか、ベジタリアンが多くて虫歯が多かったそうだ。
長文失礼。
カメに入る話は弥生人の風習だと世界不思議発見で言っていたような。
66 :
日本@名無史さん:02/08/13 11:02
>64
土器の発明はイランの方が古いという説もある。
イランで出土した土器は炭素年代測定で測られていないのが多いそうだ。そういうのは地層だけで古さを推定している。
67 :
日本@名無史さん:02/08/13 11:15
>>59の想像図は正確ではない。これらの図は縄文人が南方系で東南アジア
から来たという説が支配的な頃、先入観を入れて描かれた。
実際は縄文人は北方系で樺太経由で渡来したというのが、遺跡や遺伝子
から最有力となっている。
だから、真の姿はもっとコーカソイド的容貌となる。
>>66
そうなんだ〜。
中東やインドとあたりは、あまり知られてない謎の文明とか多いもんね。
文化=文明世界一は大きく言い過ぎたかな?
土器のポイントは鍋利用というところかな。
これって、単純なようで、ゆでるなんて発想は世界で最初らしい。
69 :
日本@名無史さん:02/08/13 12:10
>>64 中国南部、ロシア極東などでも日本列島と同じくらい「古い」土器が発見されつつある。
どこが「最古」という問題ではなく、同じような生活をしている中で同時多発的な発生の可能性もある。
鍋の起源としては、樹皮容器-補強のために粘土を塗る-焼けた部分が硬くなることを発見-全部粘土で作ってみるという仮説もあり。
水を張って火にかけると、樹皮容器でも燃えずに水を沸かせる実験データあり。水の上になる縁の部分だけ焼けやすいので、粘土を貼るらしい。
>>66 イランやシリアの古い「土器」は、粘土を干して固めただけの器、または貯蔵用の穴の内壁に防水、防虫用に粘土を貼ったもの。
これらが火災にあって焼けたものが、結果として土器のように見える。古い「土器」が、火災住居からしか見つからない点がポイント。
この地域は、基本的にムギ-製粉-パンにして焼く食文化なので、鍋より先に、石臼、かまど、貯蔵穴が発達する。
必要なければ発明はない。最古の土器=文化の発達度合いではない
>>67 北方系の影響があったとしても、そこに住んでいたのは生粋のモンゴロイド系。平たい顔、一重で切れ長の目の、「渡来系弥生人」みたいになるはず。
コーカソイド系の分布は、もっと西。
確かに、カメに入る話は弥生人の風習、吉野ヶ里遺跡など。
考古学の研究、チベットは、難しいだろうが、インド周辺は、遅れているの?
71 :
日本@名無史さん:02/08/13 16:44
>>70 甕棺、壷棺は縄文にもあります。
インド、パキスタンは海外(アメリカ、イギリス、フランス)からの調査隊も含めて、考古学の調査、研究は進んでいる地域です。
最近では、チベットとその周辺にも、海外からの調査隊が入りはじめました。
残念ながら、まだ知られていないなぞの文明というのは、「いっぱい」は残ってなさそうです
縄文にもありましたか。場所的に自己矛盾を抱えなくてすみました。
>チベットとその周辺にも、海外からの調査隊が入りはじめました。
この点は、やはり、中国に感謝すべきか・・・・。
74 :
日本@名無史さん:02/08/13 20:26
>>69 あんた縄文人知らないの?立体的で古モンゴロイドで古コーカソイドに似ている
んだよ。
>>74 縄文人が平たい顔だといっているのではない。
北からの影響があったのならそうなると言うこと。
古コーカソイドって何?
もし「似ている」のなら、それは渡来、影響を示すのではなく、共通形質ってこと。
76 :
日本@名無史さん:02/08/14 10:52
>>75 縄文人はバイカル湖畔から樺太経由で南下というルートが最も有力ですが。
北=平たい顔というのはおかしい。縄文人は北方系でも立体的。
あんたが言いたいのはシベリアでの寒冷適応によるのっぺり顔だろう。
縄文人は寒冷化の前に温かい日本列島に移動。だからコーカソイドのような
古い形質を残した東アジアでは特異な部類に属する。
「縄文人はバイカル湖畔から樺太経由で南下」してきた一種類だけなの?
78 :
日本@名無史さん:02/08/14 13:37
いままで発見された5千体以上の縄文人骨は、ほとんどが東日本で発見
され、このタイプはバイカルからが主流のようだ。
西日本タイプは違うかもしれないが、勉強不足でわからない。
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>>76 >縄文人はバイカル湖畔から樺太経由で南下というルートが最も有力
なぜ有力なのか? 該当する地域に縄文人と共通する形質をもち、かつ年代の古い人骨資料が発見されているのか?「DNAがブリヤートと一致」では説明にならない。ブリヤートが、縄文時代以前からバイカル湖畔に住んでいたとは限らないから。
ハワイの先住民は中国南部の系統関係が示唆されても、中国南部→ハワイというダイレクトな移動は意味しない。東南アジア島嶼部→赤道以南のオセアニアを経由して、ぐるっと回って到達している。
DNAはつながりを示しても、移動経路までは示さない。
>縄文人は寒冷化の前に温かい日本列島に移動
いつのこと?シベリアに人類の痕跡が顕著になるのは10万年前前後から。比較的温暖なのは12万〜7万年前ころ。その間に日本列島に移動したということ?次に温かくなるのは、縄文時代に入ってから。
NHKの受け売りですか?
>>78,
>>80 ミトコンドリアDNAは母方の一系的なつながりを示すが、核DNAは父方の多系的なつながりを示す。
「A地域と似ている」「B地域と一致した」というのは、そこが起源で移動してきたということだけを意味しない。祖先に、AやBに起源をもつ集団が含まれているということ。
またより古い時代の系統関係については、その後の民族移動や通婚の影響も考えなくてはならないので、起源地の道程は難しい。
83 :
コギャルとHな出会い:02/08/14 15:10
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縄文人ですか?ああしってますとも
私が子供の頃は近くの湖にたくさんいたものです
うちのじいさんが満州にいた頃は空一面に広がるくらいいたそうです
ソ連軍が侵攻してきたときには珍しがって持って帰るロシア人が多かったそうですが
抑留されたじいさんがラーゲリから見たのは放し飼いにされて野生化した縄文人だったそうです
85 :
日本@名無史さん:02/08/14 15:15
548に使用
あのババアなんつったけ?
清川虹子?
高田純次が、清川虹子の 指輪やダイヤのコレクションを拝見する企画。
高田が、高い指輪を口に入れて、清川が激怒してビンタ張ったり、
口から出したガムを ビロ〜ンと指輪にくっつけたり。
それと、なんと言っても、清川のぶ厚い唇に虫メガネをあて、
巨大唇に見せるのは最高だった。(大笑)
もう死んだんだっけ?ウプププ
ぷっぷー!!
86 :
日本@名無史さん:02/08/14 16:03
87 :
日本@名無史さん:02/08/14 16:10
>>80 1例や2例一致したからといって全く断定できない。
最近では佐賀医科大学で多くの縄文人の歯から取り出したDNAを調べた
らやはり圧倒的にバイカル湖畔のブリアートと一致。
北方系であることは間違いない。
>>81 ブリアートが縄文以前に住んでいたというよりブリアートの祖先がと
言うのが正確。その辺のことはロシア科学アカデミーで解っていると
思うよ。ところで君の考えるルートを教えてくれ。
佐賀医科大の調査は確かに27人中19人がバイカル湖畔と一致した、
と言ってるけど、全部が同じパターンだ。
ということは、同じオッカサンの系統だ、ってことで、
一つの母系だけがバイカルと一致した、ということじゃないの。57も参照。
80の浦和一号も一つの母系がマレー方面と一致してた。80は何も断定してないと思う。
縄文人の起源は複数あるんじゃないの、ってことを示唆してるだけだろう
89 :
日本@名無史さん:02/08/14 19:12
いきなり入ってごめん。
山形県の高畠町にあるウキタムの里はすげ―。
縄文前期に漆器の大皿があるよ。縄文は高度な漆器文化が
花開いていたようだ。ほんと平安時代と大して変わらない
高度な文化だったのではないかい。? わからんけど。
90 :
日本@名無史さん:02/08/14 21:37
昔(昭和33年頃)毎日新聞社からシベリアの考古学の本が出ていた。
今手元に無いが、確か全六巻のシリーズの一冊だった。(すごくいい本)
その中に柳葉型のナイフ(磨製ではない)があって、これが
俺が東久留米に遠足に言った時(昭和25年頃)に拾ったものとそっくりだった。
(これは半欠けだった。当時の担任がきれいなものを持っていた。)
だから当時からこれは関係あるな、と思っていた。
しかしその後北海道、東北の縄文文化が時代的に西日本より遅いもの、と言うような
考え方が主流になって、あれ、って思っていた。
俺は(専門ではないが)縄文は北から来た、と考えた方が自然だと思っていたよ。
>>87 モンゴル、シベリアの民族集団の居住地は、歴史的経緯を考慮しなければならない。とくに近代の、漢民族の版図拡大、ロシア人のシベリア進出などの影響は大きい。
まさブリヤートが東南アジアにいたとか言う気はないけれど、縄文人との共通祖先のころからずっとバイカル湖周辺にとどまっていたとするのはどうか。
東シベリア〜モンゴル〜極東〜中国北部くらいの広がりで考えておく必要があるのでは。
「同じオッカサンの系統」>オトーチャンの系統はどうなの?
縄文人の起源を渡来として考えるならば、それ以前の日本列島人はどうなるのか?旧石器時代にまでさかのぼって考える必要がある。縄文時代の直前に、似通った技術の細石器が東シベリア〜モンゴル〜極東〜中国北部+韓(朝鮮)半島〜日本列島に存在する。
この程度の広がりの中で共通祖先が分化、あるいは交流して後の地域的集団が成立していった。
だから縄文人の中には、後にブリヤートとして区別される人たちと共通する血を受け継いでいるものもあるし、中国を介して(マレー系集団の故地は中国南部と考えられている)南方にも親戚がいるということでどうでしょうか?
みんな、祖先をさかのぼれば数はいっぱいでしょ?(父母は2人だけど祖父母は4人、曾祖父母は…)
> 「同じオッカサンの系統」>オトーチャンの系統はどうなの?
ミトコンドリアからは全く不明
93 :
日本@名無史さん:02/08/15 13:35
>>91 縄文人の起源を探るのに、比較的新しい漢民族の版図拡大やロシア人の
シベリア進出は関係ないでしょ。
今わかっていることは、遺伝学で縄文人は北方アジア系を示していること。
縄文人とアイヌの頭骨が酷似していること。
縄文人の中で同じ遺伝的グループに属する骨が北海道、樺太を中心に
多くみられ、それが本州を南下して北関東あたりまで分布していること。
宝来氏のミトコンドリアDNAをもとにやった縄文人との比較研究は
個体数が少なく結論に至ってないこと。
少なくとも1万年前以降の新石器時代では、東アジアで縄文人くらい彫り
の深い顔をして鼻が高いヒトはいない。現代のアイヌも彼らと同じような
顔つきをしている。
縄文人のルーツが北アジアの旧石器時代人に由来するのであれば、上洞人
が鍵を握っている。
>93
>それが本州を南下して北関東あたりまで分布していること。
この移動が、時系列として、証明済みなのですか?
>>92 だからミトコンドリアDNAからは片側の系統しかたどれないということを指摘している。核DNAの検討も不可欠でしょう。
>>94 そのとおりですね。現在、年代的に最も古い縄文時代の人骨は、栃木県大谷寺洞穴、ついで神奈川県平坂遺跡、長野県栃原岩陰でしょうか。
北海道、サハリンでは、もっと年代の下った人骨しか見つかっていません。
>>93 何度も言いますが、現在バイカル湖周辺に住んでいる人たちの持っているDNAが、過去からずーっとその地域に固有のものであったということを証明しない限り、DNAの一致(または類似)=起源地の同定にはならないということ。
一元的な起源、移動を仮定したとしても、共通祖先は別の場所にいて、そこから、ブリヤートはバイカル湖畔へ、縄文人は日本列島へと移動したのかもしれない。
96 :
日本@名無史さん:02/08/15 15:26
以下は世界史版に書いたスレなんですが、こっちの方が良いような気がして移って来ました。
”日本語系統の緒仮説の中で日本語が混合言語だという仮説と日本語がアルタイ系だという仮説が一番見込みがあると思い
ます。”という以下の話と
ttp://www.nichibun.ac.jp/research/ken_menu/nihongo.html 下の議論”上下2段活用と母音調和”の話を考えると、日本語文法はアルタイ系ということは大いにありえると思います。
ttp://member.nifty.ne.jp/take_tk/gokon/dousi1.htm 日本語がアルタイ系であると言うとき、弥生時代、それ以前の縄文(南方)に、弥生人=北方=アルタイ系の言葉
が混じったと言う考えが有ります。
しかし日本語が、文法北方、語彙南方の形で混合言語(クレオール)として出来たとすると、
クレオール語は普通古い文法に、新しい語彙が大量に乗っかってできるそうで、
弥生時代に文法南方=縄文、語彙北方=大陸人として、クレオール語として日本語が確立したと想定するのは疑問です。
(日本語は南方文法でも中国語文法でもないから)
むしろ、細石刃を持った人=北方=アルタイ系、に粗放稲作を持った人=南方=華南又はタイ系?
が混じって、縄文期に混合言語(クレオール)として、日本語が出来たと、考えられないでしょうか?
つまり縄文期に日本列島及びその周りで、混合言語として元日本語が出来たと考えるのです。
すると高句麗の南方要素や、日本語の類似性はまず朝鮮半島南部、九州などで、元日本語・元高句麗語として
混合言語(クレオール)が出来、中期以降の縄文人はこうした言葉を話していた。
これは、ピジンとして便利なので日本海の周りで使われ、朝鮮半島でもこの言葉は通じた。
こうして古代には、朝鮮半島は、少なくとも南部は、日本列島・琉球などと同一の文化圏だった。
その後朝鮮語は、モンゴル語、女真語などの影響が北から入り、日本語との分化が急速に進んだ。
その為朝鮮語は、アルタイ系の要素が日本語より強い(母音調和など)。(モンゴル語はアルタイ系)
母音調和が早くに廃れた日本語(万葉などは残滓とする)は、南方要素がより強く、弥生では語彙の借用だけで、
現朝鮮に連なる語や、中国語の影響は、直接には受けていない。と考えるわけです。
すると”日本語が混合言語だという仮説と日本語がアルタイ系だという仮説”はどっちも正しいとなりますし、
古代(紀元前1000くらい)の朝鮮半島諸語の、日本語の類似性も説明できます。電波でしょうか?
それと上記のように考え、大陸から来た弥生人は、その当時の日本語と似た(あるいは影響を与えた)
言葉を話していた人々だったとすれば、原住民(縄文人)との交流が楽で、弥生文化が急速に進んだ要因になります。
細石刃を持った人=北方=アルタイ系、と粗放稲作を持った人=南方=華南又はタイ系を証明し、
縄文時代のどっかで、言葉・文化の大きな変化があったことを示し、かつ朝鮮半島の古代文化との
類似性を証明し、古代朝鮮半島諸語を比較しないと、単なる脳内妄想になっちゃうんでしょうね。
縄文人は元日本語を話し、文法の影響などで、現代日本人とあまり異ならない思考をしてた。
従って現日本文化の基盤は、縄文時代にあるということは、ありうるでしょうか?
97 :
日本@名無史さん:02/08/15 15:29
98 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:05
≦96
朝鮮語じゃなくもっと近い言語を忘れていませんか?
>クレオール語は普通古い文法に、新しい語彙が大量に乗っかってできるそうで、
銅島では古いアレウト語の語根に
新来のロシア語の動詞活用(文法の全部かどうかは知らない)が
ついた混合言語が使われているという
村山七郎+大林太良『日本語の起源』
100 :
81=91:02/08/15 17:45
文献:山口敏「日本人の生い立ち」(1999)
縄文人の「立体的な顔」は、旧石器時代人の原始的な特徴と共通する(東アジアに限らず、世界的に見ても)。
頭骨については、中国南部の柳江人、ジャワのワジャク人、沖縄の港川人が似ていて、縄文人もこのグループに入るとの指摘がある。
一方、港川人の四肢骨には縄文人と共通する特徴が見られない。
縄文時代のより古い時期の人骨(草創期〜早期)は、後の時代よりも変異が大きい。複数の起源をもつものが、日本列島の中で同化してゆき、「縄文人」が形成された可能性が高い。
バイカル湖周辺の人骨は、新石器時代から青銅器・初期鉄器時代にかけて、いずれも「高顔」系の特徴を示す。いわゆる「渡来系弥生人」と共通するもの。
101 :
81=91:02/08/15 17:52
>>96 >細石刃を持った人=北方=アルタイ系
とすると、アルタイ系諸言語の祖語は、2万数千年前には成立していたことになりますが。
縄文時代における「混合言語」成立の前に、各地域で大きな変化が生じるのでは?
細石刃の日本列島への到来:北海道で2万プラスアルファ、本州で1万4〜5千年前
リョクトウ、ヒョウタンなど栽培植物の渡来、おそらく7千年前以降
また、細石刃の一部は、チュクチ半島からアラスカにまで到達してますが。この地域の言語は?
102 :
81=91:02/08/15 18:22
篠田謙一(佐賀医科大)2001「ミトコンドリアDNAの塩基配列と縄文・弥生人と現代人集団の関係」
分析対象資料:縄文時代2集団(千葉県と茨城県の2遺跡、中期以降)
比較対象:DDBJに登録されたアジア・環太平洋地域の諸集団、および109名の日本人(すべて、現代人<これ重要)
前提:「今回配列を決定した部位は古人骨を解析する際の技術的な制約から十分に長いものではないので、配列決定部位を延ばしていけば今回同一と見なしたハブロタイプでも、さらに分化する可能性もある」
「ハブロタイプによっては、環太平洋・アジア地域に普遍的に見られるものも多くあり、その一致がかならずしも近縁性を示さないものも多くみられたが、全体として見ると各集団で一定の傾向を掴むことができた」
結果:分析縄文人に特徴的なハブロタイプ8 内訳は、アジア全域に見られるもの3、東南アジア・中国南部とのみ共通2
「東北アジアの現代人集団はデータがあまり多くないこともあって一致するハブロタイプはあまりないが、」
「中妻遺跡で最大多数を占めるハブロタイプはモンゴルにのみ出現するタイプと一致しており、北東アジアとの近縁性を示した。」
解釈の1例(馬場悠男(国立科学博)2001「形態と分子からみる日本人の起源と形成に関する研究」
人骨:港川人骨、縄文人骨はワジャク人骨と似ており、中国の山頂洞人、柳江人とは似ていない。人骨からみると東南アジア起源(
>>100の山口説とは異なる見解)
DNA:(例数が少なく結論は出ないが)縄文人の直接の子孫であるアイヌが北東アジア人とに類似していることからも、北東アジア起源が示唆される
以上2点を総合したシナリオ
旧石器時代の東アジアには、現代の東南アジア人やアイヌと共通する「立体的な」顔立ちの人びとがいた。ただし北と南では遺伝的特徴に差があった。
2万年前、氷河期により北の人々は寒冷適応による変化(平たい顔など)。適応的でない(中立的な)遺伝的特徴は変化せず。
結果、平坦顔-北系DNA、立体顔-北系DNA、立体顔-南系DNAが分化。縄文人やアイヌは立体顔-北系DNA。
数千年前、平坦顔-北系DNAが東アジアに広がり、立体顔-北系DNA集団を追いやる。日本列島には長らく縄文人が残っていたが、弥生時代には平坦顔到来。
103 :
81=91:02/08/15 18:25
NHKは、こうしたデータから「ブリヤート=中妻縄文人」というトピックスに焦点を当ててお話しを組み立ててみたのでしょう。
ちょっと端折りすぎ、というか。。。
NHKが基本的に間違ってるのは日本人(縄文人でもいい)が単一民族で、
さて、それはどっから来たか、という単細胞であることだ。
北か、南か、という二元論じゃぁ結論が出ないことに、気づいて欲しいものだ。
105 :
日本@名無史さん:02/08/15 20:02
縄文人が南方系だというのは、古典的・伝統的な人類学の考え方です。
ジャワ原人や北京原人がすべての人類の起源で、それが世界に広がった
というような考え方があった。しかし現在では、遺伝の研究により
新人は原人まで溯らないことがわかっている。ですから、今はその点は
全く考える必要がない。形態人類学をやっている人たちには、依然として
ジャワ原人がいた東南アジアに日本人のルーツを求めるという先入観が
まだある。(尾本恵市)
106 :
日本@名無史さん:02/08/15 23:31
>>105 ワジャク人、港川人、縄文人が似ているという馬場説は、その是非はともかく、アジアの新人の比較です。
原人云々とはまた別の話
107 :
日本@名無史さん:02/08/15 23:55
>>106 中国の数万年前以降の新人の化石としては南中国の柳江人と周口店近くの上洞人
です。頭骨の形態から港川人が柳江人に似てると発表されました。
しかし現代人の集団遺伝学的研究から、東アジアには南と北の集団が大別され、
この両者の起源は数万年前の旧石器時代に溯ると考えられます。
港川人は1万8千年前に沖縄にいた縄文以前の旧石器時代人だろうと思います。
宝来氏によるとアイヌと沖縄の人は1万2千年前、縄文時代の最初の頃から
アイヌと沖縄の祖先は別々の集団として存在していた。
琉球には南からの移住や中国大陸からもあり相当混血があったのに対し、縄文人
と酷似するアイヌは比較的混血が少ないようです。
尾本氏によると、縄文系は北アジアの旧石器時代に由来するはずだということ
です。港川人はインドネシアの古い人骨に共通性があるのに対し、縄文人とは
それほど似ていないということです。
縄文人のルーツはやはり北方の上洞人こそが鍵を握っているでしょう。
108 :
日本@名無史さん:02/08/16 00:52
>>107 徳永勝士(東京大学)2001「HLAから推定するアイヌ人、琉球人、本土日本人の成立」
(尾本惠市、斎藤成也、宝来聡らのデータも参照している)
・沖縄集団とアイヌ民族の先祖はおそらく縄文時代には遺伝的に近縁であった
・その後沖縄集団は、日本本土、大陸、あるいは台湾の人々の影響をかなりの程度受け、結果として本土日本人などと近縁になった
・アイヌ民族はおそらく縄文時代人の遺伝的特性を良く保ってきた
109 :
日本@名無史さん:02/08/16 01:18
一応のまとめ
・頭蓋の比較によると、後期旧石器時代の東アジア人骨は、北(山頂洞人)と南(柳江人、港川人、ワジャク人)に分けられる
・2グループの遺伝的関係は分からない(DNAの抽出はなされていない)
・縄文人は、頭蓋の比較では南のグループに近い
・しかし四肢骨などには、縄文人と港川人の間に違いが見られる
・2グループとも、現代日本人とは大きく異なる
・縄文人と同時代の中国新石器時代人も、2グループとは異なる
・旧石器2グループと、縄文人、現代日本人、中国新石器時代人全体を比較すると、古(旧石器、縄文)、新(現代日本、中国新石器)となる
・縄文人は、同時代の中国大陸人と比べて、旧石器時代人により近い=祖先の形質を残す
・中国大陸で旧石器〜新石器の間に起こった変化が、縄文人には起こっていない
・したがって、中国大陸での変化が起こった時点で、縄文人は分化したことになる
・中国大陸主要部以外のデータは少ないが、モンゴルなども同様の変化があるようだ
・東南アジアについては不明
110 :
日本@名無史さん:02/08/16 01:38
遺伝関係
・縄文時代中期以降、(現在の)茨城県に、現代ブリヤートと祖先(大婆さま)が共通する可能性のある集団がいた>ミトコンドリアDNA
・現代日本人には、東南アジア起源の特徴は認められず、中国起源が主な特著が認められる(核DNAβグロビン遺伝子)
・現代日本人=韓国人=北部漢族−(近い)−沖縄集団−(祖先共通だがやや遠い)−アイヌ民族(ヒト白血球抗原系HLA遺伝子)
・東北アジア集団−(中間)−アイヌ民族−(中間)−南米先住民(HLA)
・現代人の遺伝的特徴の違いがどの時点の変化を示すのかは難しい
・現代日本、韓国、北部漢族の一致、沖縄集団の類似は、弥生時代以降の移動・交流の影響が大きいと思われる
・南米先住民がアジア集団から分かれたのは、はやくても2万年前以降、おそらく1万2〜4千年前ころと思われる(考古学的証拠)
・したがって、南米先住民とアイヌの「差」は、それ以降に生じたもの
・アイヌと沖縄集団は共通祖先と考えられるので、南米先住民とアイヌの分化以降に分かれた考えられる。つまり縄文時代の開始以降
111 :
日本@名無史さん:02/08/16 06:34
112 :
日本@名無史さん:02/08/16 10:40
>>111 「人種」は同じでしょう。同時代の日本列島外の他集団と比較したときには、「同一集団」と言える。
もちろん、日本列島内での変異はある。土器そのほか文化内容にも差がある。けれども、日本列島外と比べた時には「縄文文化」として括ることは可能。
方言レベルの差なのか、もう少し小さな差なのか。
茨城と愛知なので地域差は当然考慮する。
中妻は後期〜晩期、伊川津(東大HPの説明文が間違っている…)は晩期中心なので時間差はあまりない。
交流がまったくなかったとは思われないので、晩期までにそれぞれ別系統に変化したとは思われない。
細石刃を持った人の言葉は、抱合語とすると縄文人の言葉も、その仲間かもしれません。
しかしアイヌ語は、アルタイ語系にも似ているらしいし、そもそもアイヌ語とアイヌ文化をもって
直接縄文>続縄文>擦文>アイヌだから、縄文人の言葉はアイヌ語だ、とはいえない訳で、
なぜならアイヌ語とアイヌ文化は、今の日本語と同程度(それ以上)に変化していて、
むしろ日本語の方が、縄文の特徴を残してる、ということも、あり得ます。
例えば、オホーツク文化=抱合語=シベリア沿岸・イヌイット人影響説などいかがでしょう。
オホーツク文化がアイヌ文化に影響し、アイヌ語も抱合語に変化したと言うのは変でしょうかね?
そもそも北海道アイヌ人より、樺太アイヌ人の方が日本人に近い説も有るらしく私には良くわかりません。
まー上の4分類も典型から、混成まで有るらしいので、深い研究がいるんだろうな。
今時点で可能性が薄いのは、サンスクリット、インドヨーロッバ諸語かな。
もっとも
ttp://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/history/honbun/kojiki.html なんてすごいのも有るし。ちなみにシュメール語は膠着語だそうです。
ttp://www1.odn.ne.jp/beni/gengo/oth_lan/other.html バスク語・カフカズ諸語群が日本語と親族だとして、縄文人はコーカソイドって線は大穴かな。
115 :
日本@名無史さん:02/08/16 11:56
遺伝関係追加
・縄文時代前期、(現在の)埼玉県に、現代マレーシア、インドネシア人と祖先(大婆さま)が共通する可能性のある集団がいた>ミトコンドリアDNA
>ミトコンドリアDNAの特定領域では、(現代)東南アジアと同じ血の人も、(現代)北アジアと同じ血の人もいた
・遺伝的多型の上では、現代アイヌは現代北アジア集団に含まれる
・(形質:頭蓋、歯)縄文→アイヌの直接的なつながりが有力
>アイヌにつながる縄文の主体は現代北アジア集団により近い?
116 :
日本@名無史さん:02/08/16 12:12
>>113 >日本・朝鮮・アイヌ三言語が同一の祖語から6千年以上前に分離している
「6千年以上前」というのが味噌なんでしょうが一応…
共通する細石刃文化以後、1万年前〜遅くとも8千年前ころには、朝鮮半島、本州・中四国(南九州は区分されるかもしれない)、北海道にはそれぞれ異なる文化が成立します。
朝鮮半島、本州・中四国はそれぞれ独自性が強く、北海道は東シベリア〜極東と共通性が強いといえる
6千年前ころ(大雑把)以降、朝鮮半島南部と九州北部は活発な交流、北海道は本州北部と交流して共通化
このころまでに南方(インド?アフリカ?)起源のヒョウタンなどが日本列島に渡来
117 :
日本@名無史さん:02/08/16 12:25
オホーツク文化人は、骨の上ではアムール川流域に近く、ニヴヒとどうか?だそうです
平坦顔で四肢骨が短く寒冷地適応化したモンゴロイドで、アムール・バイカルの新石器時代人と近い
縄文人、アメリカ先住民とは分化した後の北アジア集団ということになるでしょう
エスキモーとの関係は難しいですが、考古学的にはなしでしょう
ということで、近現代の民族言語地図と重ねた時には、おそらくアルタイ系なのでは?
簡単に、日本語、琉球語、アイヌ語としているが、そんなものが、
塊として、古代から存在するのか?
119 :
日本@名無史さん:02/08/16 13:07
>>114 確かに北海道のオホーツク海沿岸にニブヒ(ギリヤーク)などの影響を
受けたオホーツク文化がありましたが、4世紀から13世紀で北海道
全域ではなく、オホーツク系人骨もオホーツク沿岸に少し見られる程度
で混血もほとんどなかったようで言語の影響はなかったでしょう。
樺太アイヌより北海道アイヌの方がアイヌ的というか縄文的です。
それは、樺太アイヌがニブヒなどと北緯50度近くで混血があったため
新モンゴロイド的形質が見られるからです。(顔の高さや長身)
北海道アイヌは純血を比較的保っていたのでしょう。
>「6千年以上前」というのが味噌なんでしょうが一応…
そうですよね。そう言っておけば言語年代学からも文句言われない
言語の検討していて6千年以上前、と言っておけば、資料がないところでは、反証が出にくい〜出せない。
ミソと言われればミソだが、大いにマユツバ
121 :
日本@名無史さん:02/08/16 14:49
119の言う通り、オホーツクの言語面の影響は無い、と言って良さそう。
理由1:北海道でオホーツク文化の影響を受けたところと受けてないとことろで言語が違ってない。
理由2:ニブフなりオホーツク言語とアイヌ語で同系統の語彙が見つからない(1500年前に入ってきたのなら、70%位は基礎語彙が共通のはず。)
、
人種衝突域の、言語がそれほど重要か?
123 :
日本@名無史さん:02/08/16 15:02
124 :
日本@名無史さん:02/08/16 15:41
>123 そうゆう話するんなら、人種、ってなに?からはじめてほしい
「縄文人」の定義とは、
「弥生時代以前の人達」という意味でしかないんでしょ?
126 :
日本@名無史さん:02/08/16 15:48
>>123 例にあげられた写真は顔の高さがかなり違うように見えるが、横を向けてみるとどうなるか
眉間の出っ張りや鼻の高さ、あごの「頑丈さ」、身長、手足の長さ、などなど
そのほかいろいろ比べると、中国新石器人-渡来系弥生人で1グループ、縄文人は1グループ、現代日本人は渡来系に近く1グループということになる
なお、これは骨格から見た近いグループ
言語を共通する集団とか、文化・風習を同じくする「民族」とイコールではない
皆が、サラリーマンやってた訳ではあるまい。
形質は、参考程度でいいのでは、?
128 :
日本@名無史さん:02/08/16 16:19
>127 うんうん、みんな同じ顔形だったらこわいぞ、縄文人
129 :
日本@名無史さん:02/08/16 16:22
122 人種衝突域の、言語がそれほど重要か?
人種衝突域の言語が重要でない理由は?
衝突していようが居まいが、その地域の昔の様相を知る為に重要なのは自明じゃないの?
130 :
日本@名無史さん:02/08/16 16:38
ところでなんで縄文土器はへこいのばかり国宝になるんだ?
だれか教えて、しるぶるれ。
131 :
日本@名無史さん:02/08/16 16:42
>130
古けりゃ、いいってもんだろ 爆
133 :
日本@名無史さん:02/08/16 20:27
134 :
日本@名無史さん:02/08/17 14:51
133
日本のように土建屋がどんどん国土を荒廃させれば、遺跡も一杯でてくるだろうに。爆
135 :
日本@名無史さん:02/08/17 15:34
>>133 旧石器は古いのもあるよ
日本のは捏造のせいで、大丈夫かもしれないのも慎重になって古いといえなくなってる
136 :
日本@名無史さん:02/08/17 15:44
>>135 朝鮮人のいうことは信用できない。日本のものはすべてパクろうとする。
137 :
日本@名無史さん:02/08/18 00:56
朝鮮は捏造大国
138 :
日本@名無史さん:02/08/18 09:26
顔が似てるとか、身長がどうのこうの、って学者まで言ってるが、どうしても信用できない
>>48 あのババアなんつったけ?
清川虹子?
高田純次が、清川虹子の 指輪やダイヤのコレクションを拝見する企画。
高田が、高い指輪を口に入れて、清川が激怒してビンタ張ったり、
口から出したガムを ビロ〜ンと指輪にくっつけたり。
それと、なんと言っても、清川のぶ厚い唇に虫メガネをあて、
巨大唇に見せるのは最高だった。(大笑)
もう死んだんだっけ?ウプププ
ぷっぷー!!
140 :
ちょっと意見:02/08/20 09:22
今、日本に縄文人はいません。
いるのは弥生人(中国人・朝鮮人)だけです。
>>140 いいえ、弥生人は中国人・韓国人ではありません。
元中国大陸人・経過朝鮮半島人です。
142 :
皆さんお疲れ:02/08/20 16:00
それは、『隆達小歌』にみるように、室町末の流行歌(小歌)で
あり、売笑窟(色町)で男根(ペニス)を愛でる歌である。
それを、明治の元勲大山巖が 「馬ト酒ト女ヲ好ム」 睦仁の歌とした。
そして、それは 「天皇―侵略―狂った日本人」 の歴史構造の中で、「悪魔の歌」となった。
143 :
日本@名無史さん:02/08/20 16:22
>>140 DNAはそう言ってないけど、どう説明する?
144 :
日本@名無史さん:02/08/20 17:40
Gm遺伝子では、(南北)中国人、朝鮮人、日本人と明らかに異なるでしょ。
やはりブリヤートやユカギールなど古シベリア民族が日本人の親戚。
145 :
日本@名無史さん:02/08/20 18:32
Gm遺伝子なんて、そんなに解像度ないよ、どっちにしたって。
白、黒、黄色くらいしか識別しない
チベット、ラサも忘れないで。
147 :
日本@名無史さん:02/08/25 20:34
あげ
148 :
日本@名無史さん:02/08/26 00:28
149 :
日本@名無史さん:02/08/26 20:44
みんな。ちょっと脱線するが、古い天皇の名前ってアイヌ語臭くない。?
オオヤマトネコヒコクニクルのネコとクル。
ミマキイリピコイニエのイリとピコ。
日本語って抱合語臭くない。?
吾妻。吾鳥。など。(例を上げたら切りが無い。)
ソウという発音が付く谷筋に滝があるのは何故。
東京奥多摩 惣角沢。孫惣谷。他上げたら切りが無い。
ヒラという発音が付く地名の近くに河岸段丘が発達しているのは何故。
なぜじゃ〜〜〜。
150 :
日本@名無史さん:02/08/26 21:18
151 :
日本@名無史さん:02/08/26 22:05
152 :
日本@名無史さん:02/08/26 23:02
抱合語って
旧シベリア諸語、ギリヤーク語、アイヌ語、
アラスカ-エスキモー語・アメリカ-インディアン諸語...。
なんかマンモスハンターの言葉で、氷河時代にアメリカ大陸に渡って、北極圏周辺に
広がりました、って感じがするんですよ。
ベーリング海峡両岸の、言葉ってイメージ。
アイヌ語と、オホーツク文明の関係って話を持ち出したのも、そんなイメージの話で、
第二次大戦で、ナバホ語を使った暗号の話があるくらい、難解で日本語に似てないって思ッちゃうんですよ。
そんな系統の言葉を祖語にして、日本語ができたのかなー??
>113のURLからのコピペ
現在、我々がよりアイヌ的である(すなわち非日本人的である)と信じている身体上の特徴や言語的特徴は、
ウラル系(フィノ=ウグール系)民族の進入・北進によって、原日本人が樺太と東北地方南部以南に分断されたものとも解釈できます。
結局アジア大陸からの影響が大きいんでしょうねー。アイヌ語と、アイヌ文化ってよくわからないっす。
東北や北海道の人々が、西日本などとは別に、大陸と交流していたって話はよく聞きますね。
縄文人種ってのは、人種って考えが間違いだからありえない。大体人類を遺伝子で語るのは無理がある。
縄文民族ってのは、民族の定義を、客観的あるいは本質主義的にするのは、間違いだからやっぱりいえない。
縄文民族を、民族境界から定義したくても、彼らは自分たちを、縄文民族と意識してたか怪しい。
となると、縄文時代見たいな遥か昔で、いくらかまとまりを考えられるのは、言語位かなー。
言語の線も、ひどくあやふやだけど。そう考えると”縄文時代の日本人”って表現がへんだよね。
153 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:03
≪152
古事記のオトカシ、エウカシ、って抱合語臭くない。
オトタチバナヒメって抱合語臭くない。?
ミマキイリピコイニエって抱合語のかたまりでない。?
ミマ、キ、イリ、ピコ、イ、ニエ。と分けられるが抱合語じゃない。?
154 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:16
古代の天皇の和風シゴウは武烈以降は和語に成りきるが、
(例シラカノ〇〇〇〜 )
それ以前は抱合語の匂いがぷんぷんするぜ。
155 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:27
156 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:44
韓国人に言わせるとカタカナも韓国から伝わったそうです。
そんなカタカナなのに発祥の地である韓国ではなぜハングルなんて
使ってるんでしょうね。不思議です。
157 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:49
大体日本語のカミってのはアイヌ語のカムイといっしょだよな。
民族にとってもっとも大事な者の一つが
宗教だとしたら倭人とアイヌ人は
同族なんじゃないか?
158 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:50
↑貧乏性で捻くれ者の韓国、朝鮮相手にするな。
159 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:54
何で学者さんは言語が分離すると考えるのかな。
言語ってのはどちらかというと融合する場合のほうが多いんじゃないだろうか。
160 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:57
>>156 それホントに?
つーか信じてしまいそうなところが2chのコワイところ
161 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:58
162 :
日本@名無史さん:02/08/27 15:58
≪157
江戸時代、松浦武四郎が今の北海道を旅行した時、アイヌを見て、これは
古い日本の伝統を受け継いだ人達だと、感じたそうだよ。
大体北方民族とアイヌをつなげるのがおかしい。アイヌにスキーがあるか?
大陸の北方民族にはスキーがあるぞ。
163 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:01
>>161 古代朝鮮(語)って・・・
中国の資料ですか?
164 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:01
>九州人はポリネシア文化の影響を受け全身刺青でした
江戸時代までふんどしだけで体中刺青の町人はたくさんいましたね。
明治以降はヤクザや肉体労働者に伝統が受け継がれました。
165 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:03
わり 縄文時代に日本人はいなかった。日本ができたのは7世紀ぐらいかな
166 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:03
≪161
ガセじゃん。
熊と神を比べるのではなく、神と神を比べろYO。
167 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:03
>>160それが事実かどうかは別として韓国人はそう主張してる。
168 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:06
カミはオカミってことだよ。
つまり自分より上の立場から絶対的な影響を与えるもののこと。
それが大自然であったり権力者であったり偉人であったりするわけ。
169 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:08
だって日本人はカミから生まれたけど、韓国人は熊から生まれたんだから
韓国人にとっては熊=カミなんだよ。
170 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:10
>>168 国語学的には否定されてるよ
オカミは「御上」だろ
上代特殊仮名遣いでは、神の「ミ」は乙類
対して上の「ミ」は甲類
甲類乙類って焼酎みたいだな
171 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:14
古代朝鮮語自体あやしい
勝手に神=熊にすんなよ
それに神=熊は朝鮮じゃなくてアイヌでは?
たしかに神=クマ(奥深く隠れた存在)って説はあるよ
172 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:17
≪167
だから〜。 韓国、朝鮮をあてにするなって。
冷静で、まともな議論するやついないんだから。
173 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:23
アイヌの最高神は熊じゃなくて、コタンクルカムイなの。
だから、熊が神の語源じゃないの。カムイの語源は日本語の
カムと並んで判らないの。 だれか知らないか。?
朝鮮語じゃダメだぞ。
174 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:26
今の日本人は人類学的には二大別できそうだ。
簡単に言ってしまうと、縄文系と渡来系。
その中間に縄文+渡来=弥生のさまざまな度合いがある。
このパラダイムを認めないと(または、コテンパンにやっつけるかしないと)進歩がないのでは。
175 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:30
>>173 日本語のカムってなんだ?
発音が「カミ」よりも「カム」に近いってことだと思うけど
やぱり「カミ」じゃないの?
176 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:32
>173
コタンカルカムイ:国を造った神
コタンコルカムイ:国を持つ神
はあるが、コタンクルカムイは知らないぞ
上の二つは和人のいう大国主に相当する。
アイヌの最高神はアペフチカムイ 火・姥・神 だろう
177 :
日本@名無史さん:02/08/27 16:43
≪175,176
うおおおおお。マジレスが来たー。
175へ、そうしておこう。
176へ、確かに、その通りでした。動物を意識したカムイの中では、の一文
が抜けてたのよ。レプンカムイなんてもちだすなYO。疲れるから。
時代時代色々あると思うよ。神謡集読みな。
178 :
日本@名無史さん:02/08/27 17:49
どちらにしてもアイヌにしても倭人にしても
変わりないね。原始的な宗教を持っていることには。
すくなくとも北米のインディアンと白人の関係ではないと思ってる。
アイヌと倭人は婚姻を結びつつ日本人になっていったんでしょ。
179 :
日本@名無史さん:02/08/27 17:56
>177 動物を意識したカムイの中
ってなによ? フクロウのことも コタンコロカムイ って言うことを言ってるわけ?
北米インディアンと白人の関係、って、もちろんそのまま、縄文から弥生への変遷に当てはまるわけでもないけど、先住民(文化・言語)と渡来民(文化・言語)の間にどんな現象が起きたか、ってのは結構参考になりそうだとおもう
インディアン語(まとめちゃうけど)の地名が残ってる様
米語がインディアン語から単語を借用している様
先住民の追いやり方
先住民言語の消滅の速度 なんか。。。
181 :
日本@名無史さん:02/08/27 18:12
アイヌ語が日本全国に残ってるのといっしょか。
大体奥州藤原氏って倭人より原住民に近かったんでしょ。
アイヌの間に倭人の英雄(義経)の話が受け継がれていたのは
奥州藤原氏がアイヌ系の民族であった証拠だと思う。
ん?
アイヌ=蝦夷ってなってんの?
183 :
日本@名無史さん:02/08/27 18:52
≪181
本当にアイヌの間に義経の話が受け継がれていたか?
確かに平安期と思しき兜の鉢が2〜3個出土しているが、、、、、、。
厳星兜。驚きです。
エミシ=アイヌじゃないだろう。たぶん。エミシの子孫が本州アイヌだろう。
本州アイヌ知ってるよね。江戸時代までイタやつ。
全エミシが類アイヌ語を話していたかどうかは判らないYO〜。
神武東征の時の戦勝歌に「エミシを一人で百人力」みたいに言ってる。
このエミシは神武にとっての賊であり、先住民の名称なんだろう。
BC660頃とは言わぬまでもAD一世紀とかあたりにエミシが近畿にいた、ってことなんだろう
それと、今のアイヌの関係は? 証明も反証も知らないけどどう?
185 :
日本@名無史さん:02/08/27 20:57
このスレ縄文時代の日本人の姿だよね?
アイヌやエミシが縄文人の末裔ってことなの?
アイヌ=エミシって確証すらまだない
もっと研究すすまないとなんともね
187 :
日本@名無史さん:02/08/27 21:47
縄文人骨のミトコンドリアDNAと最近のアイヌのそれとが一致してる、という例があるので、アイヌが縄文人の末裔である可能性がある。
190 :
日本@名無史さん:02/08/28 01:08
そして今の関東人はチョソです。埼玉県には高麗郡まであります。
簡単に言ってチョソの植民地が日本なんです。
191 :
日本史@名無史さん:02/08/28 01:17
いえ関東人の多くは大阪人の子孫です
192 :
日本@名無史さん:02/08/28 04:49
こんな昔の話、どうでもいいやん
193 :
日本@名無史さん:02/08/28 05:05
だから、平井堅みたいな感じだって。
194 :
日本@名無史さん:02/08/28 05:08
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|:::::| ∴∴ -二二二二- ∴∴ |:::::::| < 縄文人ですが何か?
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>>190 全人類はアフリカ人だってか
ハン板へ帰れよ(嘲
あっ、おまえの脳内じゃ人類の起源はニダなんだっけ?
196 :
日本@名無史さん:02/08/28 09:29
≪187
だから〜。 アイヌは南から北に広がったんじゃないか。
北から南なら北海道にもスキーあるはずでしょう。
すぐ隣りに別民族がいる環境で相手の文化の影響を受けたんだろう。
>>196 >だから〜。 アイヌは南から北に広がったんじゃないか。
脳内アイヌ?
縄文式土器、って南から北へ広がった、なんてことになってるの?
だれかおせえて
199
200 :
日本@名無史さん:02/08/28 15:47
アイヌは南から北
縄文人は北から南
関東は高麗文化が縄文に次ぎ強い
>>200 高麗文化って何だ?
さりげなく捏造をすんな。
202 :
日本@名無史さん:02/08/28 15:52
より目人種が工作に勤しんでおりますなあ。
203 :
日本@名無史さん:02/08/28 15:55
>>198 んなわけねえー
縄文土器の原形が発明された場所はアムール川下流。
そのまんま樺太上陸。
列島を南下しながら進化して整った縄文土器に。
204 :
日本@名無史さん:02/08/28 15:58
高麗文化伝達はいわゆる蘇我一族の関東への東征が絡んでる
もちろん既に2万年前から縄文人がすんでいた訳だが
関東は弥生人にあまりに侵略されていないので関西より縄文系が強いはず
205 :
日本@名無史さん:02/08/28 16:02
アイヌはもと縄文人でまず樺太経由で南下、本州中部まで進出するも、
12世紀ころまた北上して故郷の樺太へ行きました。
206 :
日本@名無史さん:02/08/28 16:07
元アイヌから分かれたのが縄文人だろが。捏造チョンは逝ってよし。
207 :
日本@名無史さん:02/08/28 16:10
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
高麗文化って何ですか?
208 :
日本@名無史さん:02/08/28 16:35
こんな昔の話、どうでもええやん
時代錯誤
210 :
日本@名無史さん:02/08/28 16:52
211 :
日本@名無史さん:02/08/28 18:56
みんな。 そんなに簡単じゃないって。
縄文12000年、エミシは1600年、アイヌは800年だぜ。
アイヌ=縄文って・・・
アイヌは続縄文文化までは遡れるけど、、、最近はアイヌ=縄文なんかい?
213 :
日本@名無史さん:02/08/29 09:55
>212
縄文文化と続縄文文化は連続している、のでは?
そうなら、続縄文文化以降アイヌ文化も連続している、のだから
縄文文化からアイヌ文化まで連続しているのでは?
214 :
日本@名無史さん:02/08/29 10:43
アイヌは大昔は縄文人だったかもしれんが、弥生までには異人種異民族だよ。
言葉も文化も違えば、人種においても確かに縄文人に近く、彫りは深いが
鼻は低くなってしまって縄文人のそれとは形態は異にするようだ。
215 :
日本@名無史さん:02/08/29 11:49
人類学では縄文人とアイヌをそんなに明確に区別できない。
骨格的にも、アイヌと縄文人はひじょうに近く、近世アイヌなら多少は
縄文人と区別がつくものの、より古い続縄文や擦文といわれる時代(本州
の弥生から13世紀に相当)のアイヌ人骨は、縄文人骨とほとんど区別
できないほどよく似ている。
現代のアイヌは、すでに和人と半々ぐらい混血しているとされ、本来の
”縄文の血”はかなり薄まっている。それでも現代のアイヌの顔には、
立体的な「濃い顔」が多い。ということは、本来のアイヌの顔が、
いかに「濃い顔」で立体的だったかが想像される。
馬場悠男(国立科学博物館人類研究部部長)より
216 :
日本@名無史さん:02/08/29 11:49
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217 :
日本@名無史さん:02/08/29 12:41
だから平井堅なんだって、縄文人は。
218 :
日本@名無史さん:02/08/29 14:40
>217 佐原真さんは男は郷ひろみ、オンナは高田みづえか、といってる
219 :
日本@名無史さん:02/08/29 16:19
大国主命って弥生人?新羅人?高麗人?
220 :
日本@名無史さん:02/08/29 19:46
≪219
日本人の祖先。 朝鮮じゃない。 たぶん中国大陸東岸の少数民族と縄文人の混血。
理由。朝鮮に高床式住居がないから。
221 :
日本@名無史さん:02/08/30 09:13
≪195の小学生
事例を示して反論せよ。
222 :
日本@名無史さん:02/08/30 12:55
アイヌ=エミシでネタ振りをしてみましょう。
開拓判官であった武四郎は蝦夷地の命名に着手する。「道名の義につき意見書」の中で、候補として以下のものを挙げた。 日高見道、北加伊道、海北道、海島道、東北道、千島道である。 採用されたのは北加伊道であるが、武四郎はその由来を次のように述べている。
「アイヌたちは互いの事をカイノーと呼ぶ。女童のことをカイナ、男童のことをセカチー、またなまってアイノーと呼ぶ。」
ttp://hokkaido.yomiuri.co.jp/tanken/tanken_t010407.htm 本当は、今のアイヌ語で、上のHPの様には解釈できないそうです。
ま2chだからネタとして振ってみます。
以下のようなことが、有るそうです。
知里真志保「分類アイヌ語辞典・人間編」
(マオカ、シラウラは樺太の地名。語彙の採集地)
「kaynoカィノ(シラウラ)男児;少年。
kaynuカィヌ(マオカ、シラウラ)1.14〜15才の男児;少年。2.マオカでわ息子や甥を呼ぶのに用いる。3.シラウラでわ夫や夫の兄を呼ぶのに用いる。」
樺太アイヌ方言を考えると、”アイヌたちは互いの事をカイノーと呼ぶ”、は有り得るかもしれません。
(武四郎がそのように受け取った。と言う意味。kaynuカィヌの2.3.ですね。)ちなみに音威子府は、道北です。
日本国内に、樺太アイヌ方言の話者はいないようなので、この辺は確かめるのが困難なのだそうです。
223 :
日本@名無史さん:02/08/30 12:55
続き
蝦夷をエミシと訓じるのは難しく、普通はカイだと思います。東夷の”夷”に卑しめて虫の入った字をつけたってことですね。
前の方で樺太アイヌ人が、縄文人に近いと言った話が出てましたが、今のアイヌ語とアイヌ文化は、大陸の影響を強く受けている。(オホーツク文化もと蒸し返してみましょう)
このときカイと言う語は滅んだ。しかし樺太アイヌ方言ではkaynuカィヌ、kaynoカィノとなって残った。
日本語では、甲斐の国という語が残った。って言うのはどうでしょう。(まー甲斐は「交(か)ひ」だって話ですけどね。)
縄文人の世界はカイの国と言い。エミシは蝦夷(カイ)と言うのが正しいというわけです。
縄文人は相手をたたえるとき、甲斐性のあるやつって呼んだってわけですね。価値のあるものはカイのあるものです。
(カイがあると言う表現は古くからあります。)
>>223 カイがあるってのは、貝があるってのが語源かな。
縄文といったら、貝は価値ある食物だしな・・・妄想です。
225 :
日本@名無史さん:02/08/30 14:16
竹取物語では、”カイなし”というところで”貝なし”と書いてあるそうです。
貝は古く中国で貨幣でした。財とか貨あるいは賜と言った価値のあるものに貝偏
を使いますね。
ただこれは子安貝の話ですね。南方系の話だなー
じゃ縄文と南方文化についてのネタ振り。
226 :
日本@名無史さん:02/08/30 14:17
227 :
日本@名無史さん:02/08/30 14:24
228 :
日本@名無史さん:02/08/30 15:43
樺太アイヌはクイと呼ばれていた。中国の清の時代、樺太は「クイェ王国」
アイヌの王国と呼ばれた。
229 :
日本@名無史さん:02/08/30 16:15
クイェ王国でぐぐって見たら
ttp://www.aichi-pu.ac.jp/for/~kshiro/orosia5-3.html が出てきました。
”ベルギー人ヤソ会士・トーマスが清国滞在中に作成した、東タターリア地図(1690)には、カラフトが「クイェ王国」(アイヌの王国)と記されている”
のことですね。初めて知りました。ありがとうございます。
面白いですねー。樺太って大陸に近いですもんね。
樺太アイヌ語なんてどうやって勉強すりゃ良いんだろう。
カイは開音節になって、甲斐になったのであって、基はもっとこもった音だったのかな
自分のネタ話を信じてしまいそうですね。(w
230 :
日本@名無史さん:02/08/30 16:59
231 :
日本@名無史さん:02/08/30 18:09
武田氏と交戦状態に入る前には、アイヌは外洋航海用の大型船を持っていた
というが、多くの現代日本人がアイヌを過小評価するのは悲しい。
縄文文化ー続縄文文化ーアイヌ文化=縄文=類アイヌ語使用先史時代人
というニュアンスで書いた人がいたが、気持ちがわかる。
232 :
日本@名無史さん:02/08/30 18:22
231でいいと思う
233 :
日本@名無史さん:02/08/30 18:23
教えを請いたい。
刀剣に興味のある人々の間では、蝦夷=エムシ(太刀を佩いた人々)
という解釈がされているが、考えられる事だろうか?
蝦夷は衣の下に太刀を佩く。(日本書紀だったか忘れたが)とあるが?
縄文の是川遺跡からは、漆塗りの木製飾り太刀が出土していて、これが
平安期の太刀を思わせドキッとしている。また石刀の中にアイヌ刀に良く似た
湾刀があり、不思議で不思議でしょうがない。
鉄って縄文時代にあったか?
234 :
日本@名無史さん:02/08/30 19:25
縄文時代に鉄はないだろ。
鉄は鉄でもべんがらだろ。
第二酸化鉄。
朱色の顔料として使用してたやつ。
アイヌ文化期に内耳の鍋においては、土製と鉄製ありましたが。
土製は鉄製をもしたんだろ。
似たもの@縄文はいろんなところに見られる。
縄文後期の彩色土器と16世紀の香炉とか。
形状に偶然があり、材質の変遷は成り行きか?
縄文時代(謎)多し。
235 :
日本@名無史さん:02/08/30 19:54
>233
emus は確かに「剣(片刃の)」とある(田村すずこ辞典)が
剣をはいた人、までの意味にはならない
236 :
日本@名無史さん:02/08/30 20:03
233:ご参考まで
田村すず子辞典:クッポケチウ [kutpokeciw]
【他動】[kut-pok-e-ciw 帯・の下・に・さす]
(刀)を腰に(帯/ベルトの下に)さす。
kamuy ranke tam / a=kutpokeciw カムイ ランケ タム/アクッポケチウ
[雅]私は神から下されたような立派な刀を腰にさした。 〔Sユーカラ〕
まるで高倉下の話みたいだが、それはともかく、これは
衣の下(内部)ではなく、帯に挟んだ、外部から見える状態だとおもう
237 :
日本@名無史さん:02/08/30 22:04
>>230 そうです。白鳥氏によると、『新唐書』に出てくる「流鬼」が樺太アイヌという。
それは、シュレンクの説「ギリヤーク人は樺太島をLaerといい、この島に
住む人をLaer−Kuyeという」を引用。
238 :
日本@名無史さん:02/08/31 15:13
現代及び近代のアイヌは刀剣に布を掛けて、肩に掛け、腰の位置で刀剣が
水平になるように佩いている。
日本刀も平安中期から室町後期にかけては太刀と称し、吊り金具に帯をつけて
水平に佩いていた。 刀は帯に差すもの、太刀は佩くものという区別があった。
平安期では狩衣に太刀を佩いたので、当然太刀は衣の外に出る。
鎌倉期になると羽織がだんだん取り入れられて、太刀は柄と鞘先を除いて羽織の
中に隠れる。
この羽織はアイヌ文化から和人が取り入れたものではないか?
平泉の藤原清衡だったか、秀衡だったかの棺から羽織がでているが。
羽織の事をアイヌ語でなんと言ったか、忘れた。
239 :
日本@名無史さん:02/08/31 15:21
238
kosonte のこと? 日本語の小袖からアイヌ語に入った、と聞いていたが、しかし、日本語としても、何か変なことばですね
アイヌ語がもと? ちょっと新鮮。
240 :
日本@名無史さん:02/08/31 16:09
≪239
kosonteとは、その系統毎に刺し子で刺繍してあるやつですか?
241 :
日本@名無史さん:02/08/31 19:05
江戸時代にはアイヌのアツシが和人の間でも流行したそうだ。
242 :
日本@名無史さん:02/09/01 18:35
>240 家系特有のモレウ(渦巻き)なんかがある、というのなら241の言うアツシだと思う。
243 :
日本@名無史さん:02/09/02 15:23
アツシやコソンテは何処まで遡れるのだろうか?
アツシの模様に大洞A,A’,B,BC,等、各式の口縁部の模様と
共通する意匠があるように思うが。
244 :
日本@名無史さん:02/09/02 15:48
243 そうそう。唐草模様とかいって、ペルシャまで行っちゃうようなこと言ってる人もいたような。とりあえず、マユツバ、にしているけど。
245 :
日本@名無史さん:02/09/02 16:04
『シンポジウム・アイヌ・その起源と文化形成』p134−
アツシのアイヌ模様について:
吉崎: 何年か前あの模様はサラセン文化の影響だという説をきいた
乳井: シナのトウテツ文に結びつけた人もいますね
吉崎: いずれもボクにはいただけないのですが・・・
河野: ラーメンのどんぶりのS字状の模様と似ているものまでがサラセンからだなんて思われることさえある。僕はアイヌ模様は、続縄文文化の後北式土器の漁網の模様から変化をたどることができると思うのです。(図版三枚)
(これには疑問が呈されるがハッキリしない:投稿者注)
・・・・・・・・・・・・・・・
河野: 平泉の藤原氏のものが古いが、アイヌによるものではないからね。
乳井: 道内の繊維品の古いのをあげると・・・桃山時代の小袖のきれはしがでてるぐらい。アツシも現存するものでさかのぼれるのはせいぜい百年でしょうか。
246 :
日本@名無史さん:02/09/02 16:39
平泉の藤原清衡は、中尊寺供養願文に、自分の出自を俘囚の上頭、東夷の遠酋。
とはっきり書いている。この供養願文は泣かせる。何故って。官軍といわず賊
といわず、罪無く死んだ多くの人々を供養する為中尊寺を建立したと書いてあ
るんだよ。
247 :
日本@名無史さん:02/09/02 16:56
アツシは温かいので江戸時代から漁師が好んで着たそうだ。
うちは四国だがばあちゃんの田舎には昔アツシがあったそうだ。
248 :
日本@名無史さん:02/09/04 22:07
くどいようだが、縄文時代に絶対に鉄は無かったか?
最近になって、産鉄地帯では青銅より先に鉄器があったと言う人がいるが。
縄文前期の漆器が山形県南陽市から多数出土しているが、あの大皿は石器
でこつこつ削ったものだろうか?
ヒッタイトの鉄はBC2500年というが、信じれば今から4500年前となる。
ヒッタイトがトルコ人に取って代わられるのはBC1900年、3900年前。
トルコ人と同一民族とおぼしきタタール人が極東にもいるぞ。
間宮海峡はタタール海峡とも言うぞ。 さあどうだ。鉄は無かったか?
249 :
日本@名無史さん:02/09/04 22:45
くどいようだが、縄文時代に絶対に鉄は無かったか? U.
ベンガラ(現在市販されている物)は簡単に金属鉄になるぞ。
この折れでも金属鉄にできるぞ。
ベンガラどころか、褐鉄鉱であっても金属鉄に還元できるぞ。
岩手県の釜石近辺の川にころがっている餅鉄だと、小学生でも金属鉄に
還元できるぞ。 さあどうだ。 鉄は無かったか?
250 :
日本@名無史さん:02/09/04 23:08
くどいようだが、縄文時代に絶対に鉄は無かったか? V.
縄文後期、晩期の土器で黒い土器は、中国の黒陶の伝統を引くのでは?
と言っている人がいるが、土器を黒く焼くにのは、焼成の最終段階で酸素
の供給を絶てばそうなる。
これら土器は野焼きで焼成させたものではない。 窯焼を疑わせる。
縦型炉で鉄還元をする際、ある約束事を守れば、誰でも鉄原料を金属鉄に
還元できる。 内径30cm 高さ130cmの縦型炉。
内径と高さの割合が同じなら超小型でもかまわない。
それこそベンガラを原料に超小型炉で、、、、。妄想だが。
さあどうだ。 鉄は無かったか?
251 :
日本@名無史さん:02/09/04 23:24
↑
送風を忘れた。
送風の注意点。炎の色が青では送風が強すぎる。黒い炎(あいまいな表現だが)
青い炎では鉄原料が全部ノロになるぞ。
燃焼に使う炭は消し炭が良い。かっちりした木炭では燃焼温度が上がりすぎて
送風に苦労するぞ。
還元自体は比較的容易なんだけど、問題は溶かす事なのね。
縄文土器の焼成温度では鉄は溶けないけど、弥生土器の焼成温度ぐらいに
なれば完全には溶けないまでも(工夫すれば)たたら製鉄ぐらいは出来るようになるわけで。
でも自分でつくらなくても交易で手に入れれば良いから、縄文時代を通して
全く鉄が使われなかったかというとそんな事はないと思うけど、
鉄を国産化しはじめたのは、弥生中期頃ではないかしらん。
253 :
日本@名無史さん:02/09/05 11:11
ベンガラが住居いっぱいに敷いてあるやつ。 あやしいな〜。
別に溶かさなくともいいのでは? 800℃で鍛造可能だし、850℃で
還元可能だから。教科書の1250℃にとらわれなくともいいんじゃない。
但し、事例が、、、、。無い?
確かにベンガラを大量に使っている遺跡のある地域が、
後に鉄生産の先進地になった可能性はあると思う。
鉄は青銅より錆びやすく遺物として残りにくいから証明は困難なんだよね。
255 :
某大学学部生:02/09/05 22:05
>>250 野焼きでも黒色土器を作ることは可能みたいですよ。
中に籾殻等を入れ、器面に丁寧にミガキをかけ、伏せ焼きにするときれいに
吸炭するようです。
256 :
日本@名無史さん:02/09/06 00:16
東北のエミシは騎馬軍団を持っていたそうだから、馬具のハミなんかは鉄で
ないと駄目だから鉄を持ってたんじゃないかなあ。
257 :
日本@名無史さん:02/09/06 12:53
>256
いつの時代かな?
私はポリネシアンとアイヌが混じったような容貌です。
弥生的な醤油顔が好きなのですが・・・
259 :
ホムラ勃つ:02/09/06 16:06
>>256 エミシの騎馬軍団?(・∀・)?
日光サル軍団みたいなの?
縄文時代に「日本」はない
だから「縄文時代の日本人」などいなかった
とカキコしてみるテスト
ガイシュツ?
261 :
日本@名無史さん:02/09/07 12:48
>>259 なんかの本に朝廷軍と戦ったエミシの軍馬が発見され、騎馬隊を保有していた
とあったよ。もう忘れたが。
262 :
日本@名無史さん:02/09/07 12:49
263 :
日本@名無史さん:02/09/07 14:15
陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸 樺太
大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸 島
陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大 北 島
大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大 北北 島
陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大 北北北北
大陸大陸大陸大陸大陸大陸大陸大 大 北北北
陸大陸大陸大陸大陸大陸大正日 北
大陸大陸 大陸大陸大陸正日 州
陸大 陸大陸大陸正日正 本州
大 日正日 ______ 州本
大 正日正日 (謝罪しるニダ!) 本州
陸 大 正日正ウリ |/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 島 本州
大陸大陸大 ウリナラウ 竹 .本州
陸大 <丶`∀´> 本 本州本
大 ウリナラウ 本州本州本
陸大 ナラウリナ 州本州本州本州本
大陸 ウリナ 島 本州本州本州 本州
陸大 九州 四国 本
大陸大 島九州九 四 島
陸大陸 九州
大陸 州九
陸大陸 島
大陸
陸大
大 島
島 島
島
1よ。あなたのいってることは
「西暦1000年アメリカ人の本当の姿は」といってるようなもんだ。
縄文時代この列島には日本人なんて存在してなかったんだよ。
265 :
ホマラ勃つ:02/09/07 16:01
「朝廷」側の地域には、軍馬も馬具もたくさん出てる罠
「官牧」もな
「朝廷軍と戦ったエミシの軍馬」ってのはどうかと思うよ
>>262 縄文時代(に並行する時代)に「朝鮮」なんて存在しなかったニダ
「韓国」もなー
267 :
日本@名無史さん:02/09/07 16:50
日本列島(樺太から九州まで)に縄文人がいたのだから、日本人が
存在していたと言える。
問題なのは沖縄。沖縄に縄文、弥生、古墳という時代区分はない。
ずっと貝塚が作り続けられたため、10世紀まで「貝塚時代」と
呼ばれる。本土が稲作農耕の弥生時代になっても、漁を中心に狩りや
木の実を採取する生活が続いたらしい。農耕の本格化は9−10世紀
とされる。勿論、北海道と樺太は弥生がなく縄文、続縄文、擦門と
続いた。
268 :
日本@名無史さん:02/09/07 17:13
どうしようもない学者のまねして言葉遊びしたって無意味
今言う日本列島に所謂縄文時代に住んでいた人間を「簡単に」日本人と言うのだ
俺の先祖だったか、君の先祖だったか、今の日本人の誰の先祖でもないのか。
269 :
日本@名無史さん:02/09/07 20:35
>>268 なにが言いたいのかいまいちわかりません。
270 :
日本@名無史さん:02/09/08 09:18
日本国という呼び方は天武天皇あたりに
なってから初めてであり縄文時代に日本
国はなかった、だから縄文時代に日本人
は居なかったという言い方があるけど、
そんなのは言葉遊びなんじゃないの、と
いうこと
漏れには2人のおぢいさんと2人のおばあさんがいます
2人のおぢいさんにはそれぞれ2人のおぢいさんとおばあさんが
2にんのおばあさんにはそれぞれ2人のおぢいさんとおばあさんがいます
さて、じょうもんじだいにまでさかのぼると何人のおぢいさんとおばあさんが必要でしょうか?
そのおぢいさんとおばあさんは、ずっと「日本列島」の中にいたのでしょうか?
人間集団の移動と交流は「日本列島」とか「朝鮮半島」なんて狭い範囲で収束するものではないよ
偏狭な地域主義、閉鎖的民族史観は、おまいらの嫌いな「ウリナラ」主義と同じじゃないの?
272 :
日本@名無史さん:02/09/08 09:26
273 :
日本@名無史さん:02/09/08 10:51
>272
埴原の二重構造モデルは、あらっぽくまとめると
(1)縄文人は東南アジア系の旧石器時代人
(2)弥生時代に北東アジアから移住の波があり、縄文集団と徐々に混血
という二つの要素からなる(尾本恵市著 分子人類学と日本人の起源)
このうち(1)については概ね否定的
(2)については肯定的、というのが現状ではないだろうか。
>その成果がこれなのね。
>
http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/nl/15/12.htm ↑でも「大筋では二重構造論を肯定する結果となった。ただし縄文人の南方起源は支持されず・・・」とある。
274 :
日本@名無史さん:02/09/08 11:09
275 :
日本@名無史さん:02/09/08 12:19
>274
”あんなDNAの鑑定結果”って、篠田さんの研究結果のこと?
ブリヤートとしか一致しなかった塩基配列も出たけど
台湾の漢族としか一致しなかったものも出てる
別の配列でブリヤートと一致するものはインドも含んで広く東ユーラシア大陸とも一致
どれか一つだけ取り上げて騒いでいるのがNHK
276 :
日本@名無史さん:02/09/08 14:27
>>275 そんなことはありません。多数の縄文人の歯から取り出したDNAは、はっきり
とブリヤートとの一致を示し、考古学でもロシア科学アカデミーが縄文人の
先祖が住んでいた遺跡をバイカル湖畔で確認。
沿海州北部の縄文土器の原形ともいう土器がバイカル〜樺太のルート上で
発見されている。総合的に縄文人が北方系であり、とりわけブリヤートとの
関わりが強いことは間違いないこと。
松本秀雄のGm遺伝子でも同じ結果である。
おいっ!!過去レス読めれ!!!無限ループになってるぞ!!!!
>>276 ソースは?
多数の縄文人の歯 >誰がどこの資料で?
バイカル湖畔で確認 >遺跡名キボンヌ、あとロシア科学アカデミーはどこの部署ですか?
バイカル〜樺太のルート上で >これも遺跡名キボンヌ 確かにアムール流域にはありそだけど、中国でも古いの出てるよ
間違いないことは、NHKにまんまとのせられたバイカル-ブリヤート執着デムパがこのスレにいるということ
278 :
日本@名無史さん:02/09/08 17:14
>>274 けつ状耳飾 って九州四国でもでてるよね。
形、材料、年代なんかから、中国東北部のものとどういう関係になるんだろ?
中国東北部のものも、姫川の翡翠だろうか、
翡翠としては、姫川産のものは少なくとも列島各地からでているそうだ。
>>278 けつ状耳飾は、長江流域→中国東北です。
中国のものは雲南あるいはビルマ産のヒスイでしょう
280 :
日本@名無史さん:02/09/08 22:59
>>279 中国のものは雲南あるいはビルマ産のヒスイでしょう、というのは
失礼だが根拠あるのですか? (憶測だけ?)
281 :
日本@名無史さん:02/09/09 08:58
>>280 中国側の分析例がないから理化学的には不明。岩石学的には雲南、ビルマ産といえるものもあるらしい。
あと訂正、
>>274の興隆窪のけつ状耳飾は長江流域より古くなった。ただし、後続する時期のものはまだ不明。
興隆窪文化の年代は日本でいえば縄文時代早期半ば頃か。三内丸山とはちょっとずれる。
むしろ同時期のけつ状耳飾は北陸に多いかも。
しかし残念ながら、興隆窪文化は黄河流域からの影響。バイカル方面ではないからDNA云々とはつながらないと思う。
282 :
日本@名無史さん:02/09/09 11:57
デムパ教授はなんでブリヤートに執着するのだろうか
284 :
日本@名無史さん:02/09/09 13:58
>>283 「自然と文化」64号 2000年10月刊 特集・紅山文化と縄文文化
ジュンク堂とか紀伊国屋なら置いてるかも
まだ異論も多いけどね
285 :
日本@名無史さん:02/09/12 09:04
ブリヤートの件は57に尽きるな
286 :
ジーモン@ケーニヒスベルク:02/09/13 10:43
弥生系は好戦的で貪欲だ。
奴らを殺せ。
287 :
ジーモン@ケーニヒスベルク:02/09/13 10:49
弥生系の居ない平和な日本列島を!
波状毛で二重瞼、血液O型の私は縄文人に親近感を感じるせいか
引き目鉤鼻の関西系のっぺり弥生人にはなじめません。
バイカル経由の北方モンゴロイドの方々も何か疎遠なものを感じます
が偏見でしょうか?
渡来人は来たのか。イネの専門家である佐藤洋一郎氏の近著「稲の日本史」(角川選書
2002年)におもしろいこと書いてある。
漏れもある理由から、半島からの渡来人が弥生時代に多量にやって来たとは考えてい
なかったので、 納得、納得。
縄文時代には日本列島に焼き畑農耕の熱帯ジャポニカによる稲作が伝えられた。
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカは遺伝子レベルで識別ができる。起源は不明だ
が、フィリピン、台湾あたりから、琉球列島を通って伝えられたようである。
縄文稲作に懐疑的な考古学者がいるが、焼き畑式の稲作なら荒起こしや、しろ
かきはしないので、籾を地中に植えるための槍のような農具があればいい。われ
われが考えるような農具が見つからないのも当たり前。また焼き畑式だから、水
田跡が見つからないのは当たり前。
縄文晩期になって温帯ジャポニカの水田稲作が伝えられたが、すぐに全国に広
がったようではなく、縄文稲作の要素を残しながら熱帯ジャポニカと温帯ジャポ
ニカが同じ水田で作られた。今に見るような温帯ジャポニカの水田に完全に切り
替わるのは、近世になってからである。新たな発見がされるたびに、縄文稲作と
弥生稲作の間には断絶はなく、むしろ連続しているとみる方が適切である。
また、持ち込まれたジャポニカもごく少数であって、縄文後期に、渡来人が手に
手に稲を携え、大量に移住してきたとは思えない。
経路は中国大陸から直接やって来きた、朝鮮半島経由の二通り考えられる
証拠がある。
続き
佐藤氏の著書からの引用
・・・・引用開始・・・・
やって来た渡来人たちの人口は、ある推定によると一〇〇万人にも達するといわれた。これ
だけのヒトがわずか数百年の弥生時代にやってきたのなら、列島の人と文化はその渡来のをき
っかけに大きく変化したに違いない。渡来人が手に手にイネと稲作の技術を携えてきたのなら、
列島の生業はこの時期に大きく変化したに違いない。
こうした大変革の主体者である多量の渡来人は本当にやってきたのか。今現在、その明確な
答えは得られていない。しかし、−−ここにもくりかえし述べたように−−今私たちの手中に
あるデータは必ずしも二重構造説によらなくとも説明ができそうである。
渡来人たちが稲作の文化も持たず何も伝えず、ただ数だけがやってきたという「強弁」はむ
ろん可能である。しかしもしそれが事実であるなら、渡来人の集団はたんに奴隷の集団にすぎ
なかったことになる。
(中略)
従来、この大変革の主体者たちが渡来
人であったと考えられてきたわけであるが、前項に書いたように、もし「渡来人がこなかっ
た」とするなら、この変革の担い手は誰なのか。消去法でいけば変革の主体者は在来のいわゆ
る縄文人であったことになる。水田稲作をはじめとする弥生時代を特徴づける文化的要素は縄文
人達によって日本列島にもち込まれたことになる。変革は、外的な力によってではなく主体
的に行われたことになる。端的にいえば、水田稲作の技術は大陸に渡った縄文人たちが日本列
島にもち帰ったものだということにもなる。
渡来人が変革の主体者であったとする見解に対して、在来の縄文人たちが自らを自らの手で
「変革」したとする見解は以前からあった。この見解に、再び光を当ててみることが必要であ
ろう。
・・・・引用終わり・・・・
>>しかしもしそれが事実であるなら、渡来人の集団はたんに奴隷の集団にすぎ
>> なかったことになる。
腹を抱えてワッハハ、膝を叩いて思わずガテン。
292 :
日本@名無史さん:02/09/14 17:25
昔のブリアートが縄文系やアイヌで、今のブリアートはその後の氷河期で
新モンゴロイド化しまった。
>>292 西の方は結構コーカソイド系が混じっているだろうから古モンゴロイド
が高い比率で残っているとこってどこに多いのかなあ〜?
294 :
日本@名無史さん:02/09/15 09:27
295 :
日本@名無史さん:02/09/15 10:22
>>293 かなり純粋な古モンゴロイドの人達って、アボリジニ(オーストラリアの)とか、ブラジルのカヤポ(だったかな)の人達じゃないか、と思ってる。
彼らはGm遺伝子の青と緑しか持ってない。赤や黄色が発生する前の人達を古モンゴロイドと考えて見ている。
研究者たちは、DNA、Gm、骨などバラバラに研究してるけど、相関もってやって欲しいな。
佐賀医科大学の篠田謙一さんは、DNAと歯の形状の相関を見た、これって、初めての異分野で相関をとった研究じゃないか、と注目してる
296 :
日本@名無史さん:02/09/15 11:57
アボリジニとアイヌは全く異なりますが・・・。
297 :
日本@名無史さん:02/09/15 13:58
縄文時代に「日本人」だって!!
悪いことは言わない。
きみ、小学校からやり直しなさいね。
298 :
日本@名無史さん:02/09/15 14:08
>>297 あほな書き込みはやめてね。
>>298 ネクタイ締めたネアンデルタール人を観て「あーこーゆー白人いるよな」と
思って笑えました。ミトコンドリアイブ説って割り方信じていたのですが、
Y染色体の変異率が他の遺伝子より高いのを割り引いても分子時計の精度は
傍証として有効だというのが良く判りました。要は一説を金科玉条の如きに
固持するのではなくクロスする検証が必要だと言う事なのでしょう。
300 :
日本@名無史さん:02/09/15 22:55
301 :
日本@名無史さん:02/10/03 00:24
9月発行予定が遅れているようだが勉誠出版から出る次の Humanity of Science に新たなミトコンドリアDNAの検定結果がでるようだ
302 :
日本@名無史さん:02/10/16 01:05
我々日本人は縄文1万年の歴史がある
日本語を大切にしよう
>302
薄ぺらな、江戸弁か?
304 :
日本@名無史さん:02/10/16 01:16
>>302 縄文人は、アイヌですよ
日本人は、縄文人を侵略して滅ぼした弥生人です
縄文一万年は、アイヌの歴史です
歴史を捏造するのは止めてください
305 :
日本@名無史さん:02/10/16 01:36
306 :
日本@名無史さん:02/10/16 05:24
>>304 東日本で出土する数少ない弥生人は縄文的特徴を多分に残していますが。
307 :
日本@名無史さん:02/10/16 05:49
現代日本人がアイヌとちがってしまったのは、
弥生時代の渡来人の血ではなくて(それは北九州と山口県にみられる一時的かつ局所的な現象)
古墳時代の帰化人の血のせいだろう。
308 :
日本@名無史さん:02/10/16 16:59
>>307 ということは、弥生文化は 渡来文化のほとんど影響を受けずに
縄文文化が 連続的に 内部的に 弥生文化に変容した と
考えるの? おもしろいな。 その考えのほんとらしさは
どうやったらわかる?
渡来“文化”の影響はものすごく受けたが
渡来血統はあまり入らなかった。(その段階では)
明治の頃の文明開化のようなもの。江戸時代と明治時代では血統はそんなに入れ替わってないだろ。
渡来血統の影響(形質人類学的な変化)は古墳時代におこったこと。
310 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:34
307
(それは北九州と山口県にみられる一時的かつ局所的な現象)
そうなんですかぁ?
311 :
日本@名無史さん:02/10/17 19:35
縄文人はブリヤート人です
弥生人は中国系です
朝鮮人は5世紀以降に技術者として渡来し帰化しました
縄文人はブリヤート人です、早い時期に沖縄にまで到達しています
中国文明より先に、南方系&ポリネシア文明を受け入れました
弥生人は中国系渡来人です、縄文人を蹴散らし西日本を侵略しました
しかし南九州は征服出来ませんでした、大国主命が頭領でしたが南九州出身の
大和一族に倒されました、今は出雲大社に祀られています
朝鮮人は5世紀以降に主に技術者として渡来し帰化しました
その事は日本書紀に細かく記載されています
313 :
日本@名無史さん:02/10/17 20:18
ブリヤート人はいいのだが、沖縄の港川人は南方スンダランド系と
いわれ、南九州や、太平洋側沿岸各地に来てるようだが?
弥生系渡来人は大陸や半島から何人くらいか概数わかったら教えて。
314 :
日本@名無史さん:02/10/17 21:08
南方系はほとんど滅んだと何度書かせるんだ。ワザトラマンめ。
315 :
日本@名無史さん:02/10/18 08:35
>>309 身長だとか頭頂指数だとか骨の小変異なんかでは縄文人と弥生人とで明らかな差が出てるようだけど
316 :
日本@名無史さん:02/10/18 09:10
>>314 南方系の遺物が高知や愛知や東海から出て来てるんだよ。
混血してると予測されてます。>ウリナラマンへ