1 :
日本@名無史さん:
村上源氏(?)、赤松一族について語りましょう。
別所・有馬・小寺などの庶流でもOK
3 :
日本@名無史さん:02/06/13 20:09
赤松円心の白旗城。名前がカコイイ!
たしか南朝の天皇を
5 :
日本@名無史さん:02/06/13 21:39
極悪
6 :
日本@名無史さん:02/06/14 14:13
兵隊やくざの有馬頼義って赤松一族の有馬?
7 :
日本@名無史さん:02/06/14 14:21
智頭急行 「河野原円心」駅は赤松円心の拠点。
「宮本武蔵」駅と一緒に来年は大ブレークだ!
8 :
日本@名無史さん:02/06/14 15:40
佐竹一族でおま。
結城合戦の後、「足利義教」をそちらが「嘉吉の乱」で暗殺してくれたおかげで、わが義人公が一命をとりとめることができました。
正直サンクス。
9 :
日本@名無史さん:02/06/14 16:24
>>6 兵隊やくざの・・そうともいうが(w 直木賞作家の
有馬頼義(よりちか)です(w
福岡久留米藩の藩主家(維新後伯爵)です。
家伝では先祖は足利尊氏と供に戦った赤松則村です、
その孫の義祐が摂津有馬郡に城を持ち有馬姓を名のった
らしいです。
10 :
日本@名無史さん:02/06/15 18:28
うちのばあちゃんが赤松36家のひとつであった孝橋家の
血を引いてますが何か?
赤松円心(則村)が最初に旗揚げした苔縄に住んでました。
宝林寺にも毎年、行ってますよ。
(赤松一族の集会があるらしい)
11 :
日本@名無史さん:02/06/15 18:47
12 :
日本@名無史さん:02/06/16 04:19
マッチョマッチョマッチョ♪ マッチョマッチョマッチョ♪ マッチョマッチョマッチョ♪ マッチョマッチョマッチョ♪ マッチョマッチョマッチョ♪
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6代将軍足利義教を殺した後、本家は滅亡やっけ?
北播磨の雄、在田氏マンセー
15 :
日本@名無史さん:02/06/16 18:38
>>4 南朝じゃないよ。後南朝の天子様を殺害したんだYO!
極悪
16 :
日本@名無史さん:02/06/16 19:53
やっと平和になろうかという時に、世の中を乱そうという
逆賊乱子は、日本全体の未来のため駆除して当然
17 :
日本@名無史さん:02/06/16 20:00
政治の目的が最大多数の最大幸福を追求するものであることは
古今不変の法則の筈
従って、自分らの独裁を求める南朝、後南朝は根絶やしされて
しかるべきものである
18 :
日本@名無史さん:02/06/16 20:33
民を塗炭の苦しみから救った赤松は英雄
19 :
日本@名無史さん:02/06/16 23:53
政則は本当に苦労したんだろうな。
「花の乱」で政則をやってた役者は結構男前だった。
でも「太平記」の円心は渡辺哲。
政則は細川家の支援で播備作の3国を回復したとばかり言われて、
政則の実力については語られることが少ないけど、それなりの人物
だったのではないでしょうか。
山名氏との抗争、家臣団との不和など、回復後も悩みは尽きなかっ
たと思います。
京都七条に潜んでいたのが3カ国の太守になり、波乱に富んだ人生
でしたが、最期はあっけなく、加西郡久斗山で鷹狩の途中に急死し
てしまいました。まだ30代後半という若さでした。
政則の死後、養子の義村が重臣の浦上村宗によって室津に幽閉され
て暗殺されてしまったあたり、政則の死も暗殺だったような気がし
ます。
21 :
日本@名無史さん:02/06/18 18:28
>>20 同感です。浦上による謀殺でしょう。
本当に赤松にとって浦上は獅子身中の虫でした。
浦上がいなければ播・備・美の3国の実力からして戦国の雄になれた
可能性があります。
今日、赤松惣領家がこの世に存在しない事は本当に残念です。
22 :
日本@名無史さん:02/06/19 11:16
赤松が村上源氏流って本当かな?
>>21 確かに、肥沃な領地ですし、そうなった可能性はかなり高かった
でしょうね。誠に残念です。
ところで、うちも赤松の流れらしい。
亡くなった祖父さんはほらふきだったが、叔父が赤松の本家に
祖父さんと一緒に挨拶に行った記憶がある、といってた。
系図に祖父さんの名前も載ってるらしい。
今、赤松のご本家って、どこに住んでおられるのかな。
>>23 赤松の本家なんてものは存在しません。
嫡流は途絶えています。
いるとしたらニセ本家。
別所一族(赤松家の庶流)の生き残りで石野氏というのがいて
徳川幕府の旗本になりました。その石野氏が江戸期に赤松を名乗っています。
その石野氏が赤松本家と名乗っているなら解りますが、血統的には話になりません。
赤松一族は36家とも44家とも言われるくらい勢力がありましたが、江戸期に
大名として生き残ったのは、有馬家ただひとつです。
有馬家は、摂津国の有馬郡に領地を持ったので赤松から有馬に姓を変えた家です。
有馬家は血統的にも、石野氏などより遥かに赤松惣領家に近く、あえて
現代で赤松一族を代表するならば有馬家しかありません。
25 :
日本@名無史さん:02/06/19 19:36
おそ松一族!
有馬が妥当だと思うが
赤松男爵家(幕臣系)
というのもあったな
27 :
日本@名無史さん:02/06/19 19:58
有馬って、途中で石野から養子入ってなかったっけ?
28 :
日本@名無史さん:02/06/19 20:16
29 :
日本@名無史さん:02/06/19 20:22
>>26 旗本石野氏=赤松男爵家では?
石野氏は途中から赤松姓を名乗りましたから。
30 :
日本@名無史さん:02/06/20 12:08
皆さん、レスありがとう。
確かに、赤松の本家なんて存在するわけないですわな。
将軍殺しちゃってるんだからね。
でも、あれって山名の陰謀、なんてことない?
32 :
日本@名無史さん:02/06/20 15:59
>31
将軍を殺したから本家がないのではなくて、
下克上により没落したんです。
33 :
日本@名無史さん:02/06/21 02:58
なぜ本能寺の変の際、北近江みたいに光秀に同調しなかったのかと
赤松一族に小一時間(以下略)
34 :
日本@名無史さん:02/06/21 03:47
赤松―浦上―宇喜多は、細川―三好―松永と並ぶ三代続きの下克上だな。
さすがに三段階ってのは他にあんまりないよね。
35 :
日本@名無史さん:02/06/24 22:04
有馬頼義と三島由紀夫って犬猿の仲だったとか・・・
36 :
日本@名無史さん:02/06/25 03:18
少弐ー龍造寺ー鍋島は?
37 :
日本@名無史さん:02/06/25 03:20
>>35 タイプがぜんぜん違うじゃん。
両者の小説読んだことある?
38 :
日本@名無史さん:02/06/26 10:29
>37
有馬頼義って、二・二六事件で殺害された斉藤実内大臣の親戚筋らしく、二・二六事件
の青年将校を賛美した三島を論難したとか。
39 :
日本@名無史さん:02/07/01 17:01
細川内閣の文部大臣
赤松則房
播磨置塩一万石→阿波住吉一万石
41 :
日本@名無史さん:02/07/02 21:03
則房が関が原で西軍について惣領家アボーン説と
関が原の前に則房死んで跡継ぎいたのに豊臣政権の政争に巻き込まれて
惣領家アボーン説がある。
則房には則勝という跡継ぎがいたが、大阪の陣で功をあげてお家再興を
願うが実現せず、京都で看取る人もなく死んでしまったそうな。
跡継ぎはおらず、惣領家の血筋は絶えた。
血筋的には、惣領家よりも赤松嫡流といえる龍野赤松家も
当主の広英が関が原で西軍につくが寝返り、血脈を守れるかと
思われたが関が原の後始末の鳥取城攻めで城下に火を放ち、
決着はついていたのに無益な事をし、城下の領民を苦しめた罪を
問われて領地没収の上、切腹を強いられた。跡継ぎの男子はなく
女子のみいたが、美作の庄屋に嫁いで埋没してしまった。
鳥取城下に火を放ったのは、実は亀井であり罪を押し付けられた
という説もある。
龍野赤松家は、赤松家を再興した赤松政則が京都の白拍子に生ませた
男子が始祖であり、本来なら赤松家の跡取りであった。
生まれた時に、既に政則の娘に養子をもらい跡取りとする事が決まって
いたのでお家騒動を避けるために別家とした。
養子というのが、後の赤松義村である。
義村は下克上により、家臣の浦上村宗に幽閉され殺される事になる。
43 :
日本@名無史さん:02/07/20 19:29
age
44 :
日本@名無史さん:02/08/11 01:10
age
45 :
日本@名無史さん:02/08/11 12:07
アゲ
赤松氏は、播磨、美作、備前、摂津有馬郡の他に、
常陸(茨城県)にも飛び地を持っていたようですね。
つくば市の手子生城に赤松則実という人物がいた
そうです。
この常陸赤松氏は、戦国時代に常陸南部に勢力を張っ
た小田氏(小田城主)の配下になったようですが、
詳細はわかりません。
47 :
日本@名無史さん:02/08/12 23:25
自天王!
48 :
日本@名無史さん:02/08/12 23:53
有馬氏は途中で石野氏から養子が入ってるけど、
石野氏って有馬氏の血を直接ひいてるの?
49 :
日本@名無史さん:02/08/26 13:00
age
50 :
日本@名無史さん:02/08/26 14:03
ちんこあげ
51 :
日本@名無史さん:02/09/02 11:01
戦国時代の赤松氏は、浦上村宗が細川高国に味方したことから晴元側についたと思うんだけど
その後の三好政権や義昭・信長との関わりはどうだったの?
あと、浦上政宗と仲が悪いのは当然として、政宗から独立した浦上宗景とも険悪な関係?
だとすれば毛利とは友好関係?
質問ばっかりでスマソ
>>22 損なの大嘘に決まってっだろうおおおおおおおあああ
赤松氏は 逆賊にあらず 侍の意地をつらぬいた一族だ
>>53 少なくとも満祐は逆賊。
理由は何であれ、将軍を殺害し、正規の幕府軍に討伐されたわけ。
「花の乱」の第1話の始まりが、いきなり赤松の将軍義教の殺害
だった点からして、満祐は弁解の余地なし。
政則は、一族ががんばって南朝から神器を奪って北朝に渡した点
が評価されてますので、
変な名前。。
赤松って、戦国の負け組みですよね。(ププ)
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58 :
日本@名無史さん:02/09/09 12:40
>>34 いくらでもあるんじゃないか?
ぱっと考えただけでも、
斯波−織田−織田、とか
斯波−甲斐−朝倉、とか
土岐−斉藤−長井、とか
ぽんぽん思いつくんだけど、
と言いかけたがこれ以上思いつかんな。あはは。
>>53 侍の意地を貫いたからこそ逆賊になったのでは?
59 :
日本@名無史さん:02/09/09 13:08
それも考えたけど、
毛利は安芸の国人で、陶の下にいたわけじゃないんじゃ、とか思って。
陶は周防の守護代、
安芸の守護は武田氏だよな。
61 :
日本@名無史さん:02/09/09 13:42
漫画家の赤松健って赤松の末裔なんでせうか?とヘボレス
62 :
日本@名無史さん:02/09/11 15:15
競馬の『有馬記念』って、有馬氏の子孫が昔のJRAの
会長か何かになったのを、のちに記念して出来たレースだって
聞いたのですが、本当ですか?
としたら、摂津の『有馬』と『有馬記念』は、あながち無関係ではない
わけで、有馬出身の競馬好きの私としては嬉しいのですが。
教えて?
63 :
日本@名無史さん:02/09/11 16:19
>62
そうです。過去にも同様のスレがたくさんありましたが、
赤松一族で、摂津有馬発祥である、久留米の元大名であった、
有馬頼寧伯爵に因んだもの。
因みに、作家有馬頼義はその息子。
>48
石野氏は赤松一族です。
64 :
日本@名無史さん:02/09/17 10:47
赤松則勝って大坂の陣で手柄を立てて復活を狙ったってどこかに書かれてたけどどっちについたの?文脈からいって徳川方?
あと赤松義祐(政則の子だっけ?)の子に孫三郎ってのがいたって言われてるけど系図で見たことないな。
65 :
【 ´,_ゝ`】隠密同心ショッカー:02/09/17 10:49
兵隊やくざバンザイ!!
赤松則房の後継ぎって則英じゃなかった?
67 :
日本@名無史さん:02/09/17 16:26
68 :
日本@名無史さん:02/09/18 14:38
赤松家の詳細な系図の掲載されてる本教えて!
69 :
日本@名無史さん:
age