1 :
日本@名無史さん:
思ったりする。
はいはい。そのとおり。
3 :
日本@名無史さん:02/05/08 00:55
忍者の始まりってなんだ?
4 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:11
講談で「忍者」扱いにされてる伊賀衆やら甲賀衆やらは
基本的にただの現地の土豪連中。
風魔も風魔谷の土豪ってだけでないか?
確かに「忍術」なる技術体系は今にも伝わっているが・・・
それは一部の山岳修行者が考えた武術体系であって、
一般に広まっていたものとは言い難い。
風魔谷って何だ(藁
6 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:19
7 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:24
諷魔小太郎は、「隠密剣士」では
あの天津敏が扮していた。
8 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:24
9 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:31
>>4はいい加減な知識の披露。
風魔は諜報や奇襲でしられてる。
そこに体系だったものが無かったという
根拠はなんだ。
サササササ
10 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:34
>>9 むしろ「諜報や奇襲」の根拠はなあに?
伊賀衆だってただの土豪が何時の間にか忍者集団だよ?(w
ただしこういった独立的地侍連中が奇襲戦やゲリラ戦を
大敵から身を守る手段として得意としていたのは確かだ。
甲賀衆などは典型的。
11 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:34
>>4 伊賀の隠密って本当は存在しなかったんだ。
へぇー。
風魔自体、資料に登場してないんだが
13 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:39
>>12 江戸時代の北 條五代記にあった気がする。
基の史料なんだろ。
14 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:42
北条五代記なんて史料でも資料でもないぞ。
15 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:43
>>14 江戸時代の話集めたものだろうけど
だからといって馬鹿にできるものなの?
16 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:44
○『北條五代記』所収「三十九 関東の乱波智路の事 [雑ノ六] 原文
見しは昔、関東諸国みだれ、弓箭を取てやむ事なし。然ば其比、らつぱと云くせ者おほく有し。これらの者、盗人にて、又盗人にもあ
らざる、心かしこくけなげにて、横道なる者共也。或文に乱波と記せり。但正字おぼつかなし。俗にらつぱといふ。
され共此者を国大名衆扶持し給ひぬ。是はいかなる子細ぞといへば、此乱波、我国に有盗人をよく穿鑿し、尋出して首を切、をの
れは他国へ忍び入、山賊・海賊・夜討・強盗して物取事が上手也。才智に有て、某計調略をめぐらす事、凡慮に及ばず。古語に、偽
ても賢きをまなばんを賢とすといへり。されば智略と盗人の相おなじ事也。舎利弗も智恵をもつてぬすみをよくせられけると、古き文に
見えたり。乱波と号す、道の品こそかはれ、武士の智謀計策をめぐらし、他国を切て取も又おなじ。
扨又戴淵と云者盗人也。陸機と云者舟に乗、長安へ参る時、淵はかりごとをめぐらし、陸機が舟のうちを盗みとらんとす。
陸がいはく
「汝が器用才覚にては、高位にもすゝむべき人なり。何とて盗みするや」
と云時、淵つるぎをなげすて、盗の心をあらためける。帝聞めし
「志をひるがへす事切也」
と、ほうび有て、めしあげて将軍になし給ひぬ。
是をおもふに、誠に関東のらつぱが智恵にては、神仏とならんも安かるべし。大人にもならず、財宝をもたくはへず、盗人業をえた
るこそ、をろかなれ。
然に、北條左京太夫平氏直は、関八州に威をふるひ、隣国皆敵たるによて、たゝかひやん事なし。
武田四郎源勝頼・同太郎信勝父子、天正九年の秋、信濃・甲斐・駿河三ヶ国の勢をもよほし、駿河三枚ばしへ打出、黄瀬川の難所
をへだて、諸勢は浮嶋が原に陣どる。氏直も関八州の軍兵を卒し、伊豆のはつねが原・三嶋に陣をはる。
氏直乱波二百人扶持し給ふ中に、一の悪者有。かれが名を風摩と云。たとへば西天竺九十六人の中、一のくせ者を外道といへる
がごとし。此風摩が同類の中、四頭あり。山海の両賊、強竊の二盗是なり。山海の両賊は山川に達し、強盗はかたき所を押破て入、
竊盗はほそる盗人と名付、忍びが上手。此四盗ら、夜討をもて第一とす。
此二百人の徒党、四手に分て、雨の降夜もふらぬ夜も、風の吹よも吹ぬ夜も、黄瀬川の大河を物共せず打渡て、勝頼の陣場へ
夜々に忍び入て、人を生捕、つなぎ馬の綱を切、はだせにて乗、かたはらへ夜討して分捕・乱捕し、あまつさへ爰かしこへ火をかけ、
四方八方へ味方にまなんで紛れ入て鬨音をあぐれば、惣陣さはぎ動揺し、ものゝぐ一りやうに二三人取付、わがよ人よと引あひ、あ
はてふためきはしり出るといへ共、前後にまよひ、味方のむかふを敵ぞとおもひ、討つうたれつ、火をちらし、算を乱して、半死半生
にたゝかひ、夜明て首を実検すれば、皆同士軍して、被官が主をうち、子が親の首を取、あまりの面目なさに、髻をきり、さまをかへ、
高野の嶺にのぼる人こそおほかりけれ。
扨又其外に、もとゆい切、十人計かたはらにかくれ、こぞり居たりしが
「かくても生がひ有べからず。腹を切らん」
といふ所に、一人すゝみて云けるは
17 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:44
「我々死たり共、主を討親を殺す其むくひを謝せずんば、五逆八逆の罪のがるべからず。
二百人の悪盗を、いずれを分て、かたきせんや。風摩は乱波の大将也。命を捨ば、かれを討共安かるべし。
今宵も夜討に集るべし。
それ風摩は二百人の中に有てかくれなき大男、長七尺二寸、手足の筋骨あらあら敷、こゝかしこに村こぶ有て、眼はさかさまにさ
け、黒髭にて、口脇両へ広くさけ、きば四つ外へ出たり。かしらは福禄寿に似て、鼻たかし。声を高く出せば、五十町聞え、ひきくいだ
せば、からびたるこえにて幽なり。見まがふ事はなきぞとよ。其時風摩を見出し、むずとくんでさしちがへ、今生の本望を達し、会稽の
恥辱をすゝぎ、亡君亡親へ黄泉のうつたいにせん」
と、かれらが来る道筋に、十人心ざしを一つにして、草にふして待にける。
風摩例の夜討して、散々に成てにぐる時、十人の者共其中へまぎれ入、行末は二百人みな一所に集たり。
然ば、夜討強盗して帰る時、立すぐり・居すぐりといふ事あり。明松をともし、約束の声を出し、諸人同時にざつと立、颯と居る。是は
敵まぎれ入たるをえり出さんための謀なり。
然に件の立すぐり・居すぐりをしける所に、紛れ入たる十人の者、あえて此義をしらず、えり出され、みなうたれけるこそふびんな
れ。
夜々の事なれば、勝頼の諸勢是にくたびれ、夜明ければ、よろひをぬぎすて昼ねしける所に、なま才覚なるものいひけるは
「いかにや人々、兵野にふせば、とぶ鴈の飛みだるゝをば見給はぬか。風摩が忍び、乱波が草にふしたるよ」
とよびめぐれば、
「すはや心得たり。遁すな討とれ」
とて、惣陣騒ぎ動乱しける。馳向て是を見るに、人一人もなし。くるれば馬にくらをきひかへ、弓に矢をはげ、鉄炮に火縄をはさみ、干
戈を枕とし、甲冑をしとねとし、秋三月長夜をあかしかね
「うらめしの風摩が忍びや。あらつらの、らつぱが夜討や」
といひし事、天正十八寅の年まで有つるが、今は国おさまり目出度御代なれば、風摩がうはさ、乱波が名さへ、関東にうせはてたり。
18 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:45
風魔党なるものがいたとして「忍者」であるという確証は
怪しいと言わざるを得ないってところでしょうな。
まあ「風間谷」はあるようだからその辺の住人が「風間小太郎」
とか名乗ってたら後世いつの間にか「風魔小太郎」になっていたとか。
19 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:48
20 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:54
胡散臭いのは忍者否定派だな。
肯定派の根拠
現在、忍者と呼ばれる活動をしていたものども
ハズカシイ否定派の根拠
忍者とは「忍者」という名で呼ばれていたものである。
らっぱは忍者でないニダ
21 :
日本@名無史さん:02/05/08 01:55
22 :
日本@名無史さん:02/05/08 02:06
>>20 ごめん。なにいってんのか全然わかんない。
23 :
日本@名無史さん:02/05/08 02:37
お勧めの一品
新人物往来社出版 「忍者」のすべて(定価1500円)を買え
24 :
日本@名無史さん:02/05/08 02:59
百地三太夫は???
25 :
日本@名無史さん:02/05/08 04:15
>>23 内容は面白いけど、歴史の史料としては使えないという感想を得た。
26 :
日本@名無史さん:02/05/08 04:21
27 :
日本@名無史さん:02/05/08 04:54
風魔小太郎は何人いたの?
28 :
日本@名無史さん:02/05/08 06:23
よく知らんが、光栄(藁 によると、2人。実在かどうかは知らん。
で、
>>20は何がいいたかったんだ?
29 :
日本@名無史さん:02/05/08 06:42
なんか忍者関係で良い資料ない?
30 :
日本@名無史さん:02/05/08 06:53
なんで20が非難されてるのかわからない…。
一人でやってる粘着質な人がいる?
>>18が忍者をどのように定義してるのかという話じゃないの。
>>4も山岳修行者について説明すべき。盗賊のようなことを
する集団というわけ?山岳修行者とは何者なんでしょう。
31 :
日本@名無史さん:02/05/08 07:06
32 :
日本@名無史さん:02/05/08 07:06
鮮人が日本史板に混ざってます…。
33 :
日本@名無史さん:02/05/08 07:08
差別用語はやめましょう。
忍者否定派は単なる知ったかぶりの日本人です。
35 :
日本@名無史さん:02/05/08 07:32
>>30 いや、ほんとに
>>20は何が言いたいのか全然理解できんのだが。
漏れは28だが、他の人たちも理解できんかったんだろう。
36 :
日本@名無史さん:02/05/08 08:51
小太郎の天敵、隠密剣士の大瀬康一はどうしてるのかな?霧の遁兵衛(牧冬吉)は
死んだけど
ちょっと前にスカパーで放送された時に
ゲストで出てたよ。
38 :
日本@名無史さん:02/05/08 11:10
河越野戦で風魔衆が活躍したのは本当?
40 :
日本@名無史さん:02/05/15 17:32
風魔が江戸で盗賊してた頃に編成された特別警察って
火付盗賊改めのことなの?
41 :
日本@名無史さん:02/05/15 21:25
魔風雷丸
42 :
日本@名無史さん:02/05/16 03:27
43 :
日本@名無史さん:02/05/16 09:35
武州文書所収の元亀4年12月10日付け後北条氏発給の印判状に「風間」という
のが出てくるけど、これがいわゆる「風魔」のことといわれている。
風魔もののネタもとになる北条五代記の話も作者の三浦浄心が後北条氏の旧臣
だから、あながちフィクションばかりとは考えられない
透けパンデカの風間三姉妹って風魔の末裔なんだよね。
45 :
日本@名無史さん:02/05/16 11:17
忍者って部落民?今は漫画のヒーローだけど、
当時の社会的な位置付けってどんなもんですか?
風魔は北条滅亡後、盗賊となって江戸を荒らしていたが、家康に手なずけられて
吉原を任されたそうだ。
47 :
日本@名無史さん:02/05/16 17:22
『武州文書』というのは公共図書館などで閲覧できるのでしょうか。
48 :
日本@名無史さん:02/05/16 17:34
伊賀者は諜報とか破壊工作をしてたんじゃないの?
忍術はもちろんは使わなかったろうけど。ただの土豪連合とするのは
どうなんだろう?
49 :
日本@名無史さん:02/05/16 21:23
>>47 その古文書(
>>43)が載っているのは「武州古文書・上巻」というタイトルです。角川書店刊で東京
や埼玉の主要都市の図書館だったらたいてい置いてあるはずです。素人のいいかげんな解釈ですが
参考までに。
まず元亀3年5月7日付の虎の印判状(武州古文書・上巻398頁、多摩郡155)。
思いっきり意訳すると、「風間はきたる7月まで6か村に配置されることになったので、宿泊以下
の件について間違いのないよう村々に申しつけるよう。万一、お前たちの支配する村に対して風間
が少しでも狼藉を働いたら、いったんは風間に申し入れるように。それでも承知しないなら書き付
けで小田原まで届け出るように。そうすれば小田原から問題解決をはかる。風間が村の中の馬の餌
となる草やたきぎを取ることは問題ない」というような内容です。
もう一つは元亀4年12月10日付の虎の印判状(武州古文書・上巻449頁、足立郡66)。
「このあたりの村に風間を駐屯させているが、すな原村に駐屯する命令は出ていないのに、いまだ
に村に居座っているとのこと。百姓には迷惑この上ないだろうから、今後、すな原村に風間を駐屯
させることのないよう、命令を出しておく」といった内容。これは文の中にある6ヶ村の領主に宛
てた文書。両方の文書ともこの頃行われていた関宿や幸手付近の戦闘に関連したものといわれてい
ますね。 長文スマソ
>>49さん。
どうも有り難うございます。参考になりましたよ。どこかへ行って現物にあたってみます。
51 :
日本@名無史さん:02/05/16 23:42
忍者は元々山賊のようなものだった
52 :
日本@名無史さん:02/05/16 23:44
>29
マジレスするよ。
あさひコミックス、落第忍者乱太郎 既刊31巻
53 :
?1/4?3??E^??:
スケバン刑事の風間三姉妹は、赤影にでてきた魔風いかずち丸の子孫。