1 :
日本@名無史さん:
1get
2 :
日本@名無史さん:02/05/05 15:53
字
3 :
日本@名無史さん:02/05/05 15:54
隼人の方が響きがかっこいい
熊襲は何だか響きがダサい
たぶん隼人=現在の鹿児島県人
熊襲=熊本県人なのでは
>>3 思いこみで書くと恥をさらす実例だ。
よく調べて再書き込みを行うように。
今回だけは許してやろう。
5 :
伊達遠江守家中:02/05/06 02:39
昔、サントリーの会長が言ってました。
「東北のような熊襲の住んでいる所に首都を持っていくなぞ言語道断」
だそうなので、九州にいるのが隼人で東北にいるのが熊襲では?
・・・・・・・もちろんネタです。(藁
>5
貴様は馬鹿か?
7 :
日本@名無史さん:02/05/06 09:23
>6
無知はあんたさ。事実そゆうことを言ったのだ。
8 :
日本@名無史さん:02/05/06 10:00
隼人は隼を祭神にしてたからじゃないの?
熊襲はよーしらんが
9 :
日本@名無史さん:02/05/06 10:06
熊を襲っていたからクマソだろう。
>>1 わからないことは辞典でもひいてはいかがでしょうか。
ネタスレにもしにくいスレは対処に困ります。
11 :
伊達遠江守家中:02/05/06 11:04
>5
この一言で、当時東北ではサントリー不買運動が起こったのだ。
元々、首都移転先を関西ブロックにしたかったサントリー会長が、講演会か
何かでこう放言したんだ。
地元へのリップサービスとはいえ、少々高価なものについたもんだ。
ま、漏れは多分あんたほど賢くねーだろうから別にいいけどさ。(藁
12 :
日本@名無史さん:02/05/06 11:09
ダサツマハヤト
13 :
日本@名無史さん:02/05/06 11:11
サントリービールと白角は、
もともと売れてなかったから
影響はなかったらしい
14 :
日本@名無史さん:02/05/06 11:26
>>10 事典ならともかく、辞典でわかるかな?
あ、わかるの。
良い辞典もってるね。
>>14 不思議なところに目をつけましたね。
『日本史大事典』等でもいいとは思いますが
『国史大辞典』等の日本史辞典の存在はご存じないのでしょうか…
それに国語辞典でもいいと思いますが…
日本史の辞典なんて余計なものは持ってません。
>>15 で、その日本史辞典にはどう書いてるの?
漏れの持ってる辞書には
熊襲:南九州に住んでいた勇猛な種族、大和朝廷に従わなかった
隼人:南九州に住んでいた勇猛な種族
とある。
たしかにこれで十分と言えば十分だ。
大事なポイントは書いてあるし。
18 :
日本@名無史さん:02/05/06 18:23
>17
それで合ってると思う。
「熊襲」は古事記と日本書紀では微妙にちがう。
古事記では「熊曾」と書き純然たる地名。
日本書紀ではあたかもそういう種族がいるように書かれているが、
ほとんど神話的で、具体的にあれこれ論ずることが難しい。
種族であるかのような文飾がほどこされているが本来は地名だろう。
熊襲国は熊国と襲国(曾国)の併称。
熊国は熊本県西南の人吉盆地(球磨郡)で異論がないが、
襲国がどこかは諸説ある。
大隈の曽於郡とする説が一般的だが阿蘇説などもある。
日本書紀の地理観では宮崎県北部がすぐ熊襲の領域と考えられているので、
宮崎県北半(日向国臼杵郡)を襲国とする説もある。
この場合は、九州中央の山岳部が熊襲国であり、
その西部(球磨郡)が熊国、東部(臼杵郡)が襲国という理解。
地名である熊襲に対し隼人は種族名。
今の鹿児島県下に居住。
国造本紀に、景行天皇が隼人の通訳を唱更国(薩摩)の国造にしたというのが初出。
景行天皇の九州征伐は熊襲国(熊本県宮崎県)を征服したという伝説なので、
これによってはじめて隼人の領域(鹿児島県)と接触したということを示している。
22 :
日本@名無史さん:02/05/06 20:30
衆夷は?
23 :
日本@名無史さん:02/05/07 01:02
倭王武の上表文は
1)「度って海北を平らぐること九十五国」
に要点があるのであって
2)「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国」
というのは1)を導くための枕詞にすぎず、深い意味はない。
しいてこじつけるとすれば、この五十五国が律令時代の郡と同程度の規模と仮定すれば
南九州と九州中央部あわせたくらいの範囲か。
つまり熊襲国と隼人の領域の合計。
24 :
日本@名無史さん:02/05/07 08:36
>>20 >大隈の曽於郡とする説が一般的だが
「大隅」ね?
ちなみに現在の曽於郡と昔の囎唹郡は違うという点に
気をつけなければならないが・・
もともと、現在の鹿児島県霧島町や国分市のあたりの地域が
「囎唹」と呼ばれた地域のようだ。
#なお、現在の霧島町は、かつて囎唹郡(そおのこおり)と
呼ばれており、明治期には、西襲山(にしそのやま)村を名乗って
いた。(つまり、つい最近まで地名に「襲」の字が使われていた。)
おそらく、地形的に霧島連山に遮られたために最後までヤマトに
従わなかった地域なので「ソ(襲)」の名が地名に残ったと
思われるが・・
そもそも、大隅国自体が日向国から分かれておかれた国であり、
日向のまつろわぬ民が住んでいる地域を「ソ(襲)」と
呼んでいたという解釈もあながち間違いではないのでは?
奈良時代に朝廷から位を授かったとされる「曾君」(そのきみ)は、
「日向隼人」と呼ばれているしね。
あ〜難しくてわかんねー。
みなさんレスサンキウ。
問題集やってて熊襲って書いたら隼人だったんだ。
用語集みても使い分けできないしさあ。
仙台に遷都したらええなんていうアホなことを言いよる者がおりますが
東北は熊襲の産地で文化の程度も非常に低いですわ。
東北?
漏れのイメージでは
東北・北海道→蝦夷
九州→隼人・熊襲
なんだけど。
なんか間違ってる?
28 :
日本@名無史さん:02/05/07 09:57
>>27 佐治敬三の発言は東北の蝦夷と南九州の熊襲を混同してのものです。
29 :
日本@名無史さん:02/05/07 12:28
大和朝廷に服属したのが隼人
そうでないのが熊襲
熊襲と隼人に共通点はない。
両者を直接結び付ける証拠は文献にも考古学にも見出せない。
>>29san
私もそのように教わりました。
隼人族が宮中警護時にイヌ鳴き(イーイー:ショッカーみたい)
をしていたとも教わりました。
これは間違いってことですか?
32 :
日本@名無史さん:02/05/08 02:52
記紀に出てくる九州南部の野蛮な連中がクマソ。
律令国家において、いわゆる犬鳴きをしていたのが九州南部のハヤト。
同一なものなのかどうなのかは何とも言えないのは確か。
ハイヤット・ホテルの経営者一族の先祖が隼人。インドネシア、ボルネオが故郷。
そこから日本列島にやって来た。
熊襲は長髄彦の国「狗奴国」の分国地。長髄彦は朝鮮の朴氏の祖。のちに長髄彦は東北地方に遠征し彼の地を支配。
景行天皇は倭王旨のことで、百済の辰斯王のことでもある。
34 :
日本@名無史さん:02/05/18 06:26
あのさ日向の国の天孫族が瀬戸内海を渡り大和に政権立てて出雲
と対立するんだよね。それでなんで熊襲や隼人とも対立するの?
熊襲の長髄彦は卑弥呼と対立していたが、これを見ても邪馬壹国が日向の地にあったことが知られる。
36 :
日本@名無史さん:02/05/20 23:33
熊襲が熊本あたりにいた原住民で隼人は鹿児島にいた原住民じゃないの?
南九州に南方系の人種が住んでいたようだが、カルデラの爆発で絶滅したような
ので、両方とも縄文人じゃないの。
熊襲も蝦夷も毛深いとあるのでアイヌのような縄文系だったんでしょう。
>>34 >あのさ日向の国の天孫族が瀬戸内海を渡り大和に政権立てて出雲
と対立するんだよね。
これは皇国史観のための神話。
本当は、朝鮮半島から対馬海峡を渡って九州に上陸したことをモデルにしている。
古代は朝鮮半島と九州はひとつの文化圏であったのだ。
>それでなんで熊襲や隼人とも対立するの?
九州に上陸した神武は卑弥呼(ヒメタタライスズ)と夫婦であったが、その卑弥呼と「狗奴国」の王たる長髄彦と対立していたということ。
隼人は南方海洋系でしょ、隼人族の盾の文様が共通しているそうな。
「月光仮面 」はトンデモ決定
もともとは、九州東北部を中心とした東表国(のちの駕洛)と熊本の多羅国、南九州の狗奴国のグループに、朝鮮半島から九州に侵略した神武グループが対立していたが、
駕洛と多羅国が脱落し、神武(とその妻の卑弥呼)のグループと狗奴国のみの対決になってしまった。
狗奴国は呉の支援を受け、神武(卑弥呼)グループは魏の圧力を逃れるために、終戦不可能となった。
これが真相である。
隼人(はやと)はハイヤットのこと。
強いて言えば、隼人はインドネシア系。
熊襲はインド系。
43 :
日本@名無史さん:02/05/21 00:13
強いて言えば隼人は鳥
熊襲は熊
44 :
日本@名無史さん:02/05/21 00:17
イヌイットは犬ですか?
45 :
日本@名無史さん:02/06/19 22:19
46 :
日本@名無史さん:02/06/19 22:30
薩摩芋を主食にしてるのが隼人
明太子を主食にしてるのが熊襲
47 :
日本@名無史さん:02/06/29 15:29
蘇我氏が幅をきかせていた時代が「隼人」
藤原氏が権力とってからが「熊襲」
権力者によってネーミングは変わるのは常識。
>明太子を主食にしてるのが熊襲
芥子レンコンか鳥南蛮だろ(w