摂政関白豊臣秀次

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1日本@名無史さん
について語りましょう
2日本@名無史さん:02/04/18 21:23
で、彼のなにを語れと?
あと殺生関白の間違いだろ。
3日本@名無史さん:02/04/18 21:29
なんでもいいです。
4日本@名無史さん:02/04/18 21:47
百姓の出身にしては、文化的素養が結構あったみたいだね。

5日本@名無史さん:02/04/18 21:49
秀次は関白だが摂政ではないと思われ。
6武州百姓:02/04/18 22:04
あの蒲池ですら嵯峨源氏なんだから、秀次が摂政でないはずがない。
7日本@名無史さん:02/04/18 22:13
彼が町造りをした近江八幡では、結構愛されてるみたいだね
8日本@名無史さん:02/04/18 22:15
幼名孫七郎。下の弟は小吉、三吉。やっぱ嫡男扱いだったかえ。
9日本@名無史さん:02/04/18 22:26
側室の一人は明智光秀の娘だったとか。
10日本@名無史さん:02/04/18 23:19
結構可哀相な人だと思う
11日本@名無史さん:02/04/18 23:21
>>1は小和田哲男タンの『豊臣秀次』を新書で読んだだけだと思われ

要は自分の新しく得た知識をひけらかしたいだけでこんな駄スレを
立ててしまったんだろう。
だが小和田哲男タンなんて信用しちゃいかんよ。
12日本@名無史さん:02/04/18 23:27
韓国の小説だと秀吉を殺害しようとして失敗した事になってる>>秀次
13日本@名無史さん:02/04/18 23:28
秀次より百姓を養子にした三好康長について知りたい
14日本@名無史さん:02/04/18 23:48
秀頼が生まれていなかったらこいつが豊臣政権の継承者だったの?
そしたらどうなっていただろう。やはり関ヶ原?
15日本@名無史さん:02/04/18 23:57
>>12
なぜ勧告の小説?
秀次が生きていたら、秀次シンパだった伊達政宗や諸大名がいるから、面白い
展開になっただろうね。でも一つ間違えば南北朝や戦国時代に逆戻りか。
17日本@名無史さん:02/04/19 00:02
織田信雄とどっちがまし?
18日本@名無史さん:02/04/19 00:08
秀次って結構いいやつだったと思うよ。切腹時の潔さを見てもね。

殺生関白ってのは、三成あたりのでっちあげでしょう。
19日本@名無史さん:02/04/19 00:17
小牧長久手の敗戦は秀次のせいだったとおもうぞ
20日本@名無史さん:02/04/19 00:18
>>19
別に負けてないでしょ
21日本@名無史さん:02/04/19 00:20
戦いに遅刻した秀忠よりはマシと思うが。
22日本@名無史さん:02/04/19 00:21
徳川秀忠と豊臣秀次の2代目対決を見てみたかったな。
23日本@名無史さん:02/04/19 23:23
秀次の子供は男子4人、女子2人だったっけ?
24日本@名無史さん:02/04/19 23:28
>>15

勧告では秀吉の名はつとに有名。伊藤博文とともに最も有名なチョパーリかも。
25日本@名無史さん:02/04/19 23:32
 秀次もかわいそうだけど、その母親(つまり秀吉の姉)がかわいそうでならない。
せっかく高齢出産で産んだ息子たち3人全て早死になんて……
26日本@名無史さん:02/04/19 23:42
奥さんたち30人だっけ、処刑されちゃったね。
子供って何人いたの?
27日本@名無史さん:02/04/20 21:17
聚楽第あげ
28日本@名無史さん:02/04/20 21:30
東国一の美人といわれた駒姫は、秀次に嫁いだと思ったら処刑場へ。
29民族覇:02/04/20 23:01
>>18
三成の丁稚上げではないと思う。
むしろ、茶々(淀の方)側の讒言とおもわれ。
30日本@名無史さん:02/04/23 12:35
>>8
次兵衛は?
31日本@名無史さん:02/04/23 13:44
>>30
治兵衛→孫七郎でしょ
32日本@名無史さん:02/04/23 14:29
今年の大河秀次はでるよね?
秀次役は誰?
33日本@名無史さん:02/04/23 16:27
確か、秀次の血は江戸時代にも残っていたはずだが。
例の真田幸村の流れで。
34日本@名無史さん:02/04/23 16:47
弟の秀勝は、なぜ兄を差し置いて秀吉の養子になったんだろう。
35日本@名無史さん:02/04/23 23:41
小和田哲男さんが、『豊臣秀次』というタイトルの文庫本を出しました。
36日本@名無史さん:02/04/24 11:45
>35
文庫じゃなくて新書だろう?
37日本@名無史さん:02/04/24 13:04
長男は織田
次男は北畠
三男は神戸をそれぞれ継いでるからだろ
38日本@名無史さん:02/04/24 13:32
>>34
>>37
たぶん、34に対するレスだと思うけど、その秀勝とは別人の秀勝じゃない。
秀勝は三人いて、一人目は秀吉の実子(早世)、2人目は信長の息子。
34のいってるのは、三人目の、秀次の弟の秀勝。
39日本@名無史さん:02/04/24 14:15
秀吉 勝新太郎
秀次 陣内孝則
40日本@名無史さん:02/04/24 15:08
秀次が先に三好家を継いでいたから、とか。
41日本@名無史さん:02/04/25 01:44
結局殺生関白ってのはウソなんでしょ?
42日本@名無史さん:02/04/25 01:48
嘘であっても少しもおかしくはないね。継嗣問題を考えると。
43日本@名無史さん:02/04/25 02:21
秀次の側室って美女ぞろいだったらしいね。
一緒に処刑されたのに一部おばはんがいるけどこれは側室じゃないよね?
44禁断の名無しさん:02/04/25 06:28
不破万作とどんなアナールセクースしたのだろうか?
日本ゲイ史上に残るエロチックなセクースのひとつであることは間違いないだろう。
45日本@名無史さん:02/04/25 06:33
秀次家が残っていたら、少なくとも豊臣の血が絶えることはなかったと
思われる。秀吉死後は伊達政宗などの秀次シンパもいて、徳川との
面白い戦いになったのではないか。
46日本@名無史さん:02/04/25 06:42
政宗の戦略(秀次殺害まで)

(1)豊臣秀次の側近となる。朝鮮征伐の前に秀吉をあぼーん。
   挑戦征伐中止。
(2)石田三成派を一掃。このときまで徳川とも組んでおく。
(3)関東の徳川家康征伐をしかける。徳川滅亡。
(4)さらに領地拡大。会津若松を取り戻す。真田氏との婚姻。
(4)豊臣政権下の重鎮となり、秀次をしばらく補佐。
   その後、うまくいけば伊達幕府を樹立。
47日本@名無史さん:02/04/25 06:44
秀次、軽薄だけど愚かではないよ。秀吉に苛められたとき、皇室に贈り物などをして
いるけど、そのあたり目の付け所は悪くない(虚しくはあるが)。
秀吉に秀長という参謀役の弟がいたように、秀次にもよき兄弟がいれば、もう少し
何とかなっただろう。
48日本@名無史さん:02/04/25 06:49
結局秀吉って、秀頼が生まれたのもあるけど、精力絶倫で美人側室に
子供を次々に生ませた秀次がうらやましく、憎たらしくなったんだろうね。
男の嫉妬ってところか。

もし秀次が秀忠みたいに恐妻家で常に秀吉を立てていたら、案外
ころっと信用してたかな。何しろ「律義者」の皮をかぶった家康に
だまされてたわけだからね。無論役者が違うが。
49日本@名無史さん:02/04/25 07:13
>>41
何でも信長公記の「たいかう様軍記のうち」とかいう部分に
殺生の記述があるので、ある程度は事実らしい。
50日本@名無史さん:02/04/25 10:47
50505050505050505050505050505050げとー
51日本@名無史さん:02/04/25 11:36
>>49
小瀬甫庵だろ。
52日本@名無史さん:02/04/25 20:03
>>45
同意!!
つまり秀吉のやったことは家康の豊臣滅亡作戦をより楽なものにしてやっただけ。
「豊臣家」なんて言っても秀頼母子しかいなくなり、豊臣の血を絶やすにはその2人を消すだけでよくなったのだから…。
53日本@名無史さん:02/04/25 20:08
豊臣の血そのものは途絶えてないよ。
54日本@名無史さん:02/04/25 20:14
>>53
ソース希望。
55日本@名無史さん:02/04/25 21:09
>>54
秀長の血は公家等に流れている。
秀次の血は>>33の通り三好の姓を名乗って
丹後か丹波の藩の藩士になっている。
(ともあれ関白の血を引くものが一藩士になるとは...
と言っても日本人の大半は天皇家の血を引いているから
これだけを槍玉に挙げても意味無いか(w  )
56日本@名無史さん:02/04/25 23:05
>>55 秀長の血は公家等に流れている。

公家に流れてるのは秀次の弟の秀勝の娘(母は浅井長政の三女)の血では?
九条家に嫁いで4男3女産んでる。公家は養子縁組多いから子孫を全部たどるのは難しいけど。
この血筋が残れたのは母親が徳川秀忠と再婚したからだろうね。
秀長には実の娘が一人いるはずだが子孫はいないと思う。
養女の子孫ならいるかもしれないけど。
5753だよ:02/04/26 06:43
>>55
な〜る。
でも、その場合の言い方は
『豊臣の血そのものは途絶えてないよ』よりも
『豊臣の血筋は残っている可能性があるよ』だと思ふ。
とにかく、あじがと。お疲れ。
>>56
修正乙!
58日本@名無史さん:02/04/26 06:44
間違えた。
俺は54だった。
59日本@名無史さん:02/04/26 09:14
まあ、秀吉の女好きは有名で、町を行幸してる時なんかにフッと町人・農民、武士を問わず、気にいった女がいると、
妾になるように話しをつけて、飽きたら金を持たせて暇を出したというそうだし、
どこかに実は秀吉の種で妊娠した女性がいたりして、血筋が今も絶えずに残ってる可能性はある。
少なくとも「絶対にない」とは言いきれない。
60日本@名無史さん:02/04/27 00:11
age
61日本@名無史さん:02/04/27 07:40
>>55
つまり皆殺しを免れた子供がいたってこと?
62日本@名無史さん:02/04/27 08:11
ところで、豊臣家は在世中の天皇が幼少だったら
摂政になる資格はあったの?
63日本@名無史さん:02/04/27 13:45
>>61
当然逃げた奴もいるだろ
64日本@名無史さん:02/04/27 14:20

しかし秀次が生きていたら秀吉の死後、家康は彼をどうしただろう?

家康が秀頼を滅ぼしたのは何のかんの言っても、秀頼の財力と若さを恐れたからだろう。
しかも二条城会見で自ら「秀頼は賢い。人に従うような男ではない。」とまで評価したんだろ?

秀次が殺生関白というのが作り話にせよ、そこまで評価されたとは思えないから、大した脅威でないとしたら殺しまではしなかったろうか?
65日本@名無史さん:02/04/27 14:50
秀長に実子・・娘がいたって初めて聞いた。
秀吉の実子(秀勝)ともども、その後の詳細知ってる人いたら情報きぼーん。
66日本@名無史さん:02/04/27 15:15
真田太平記かなにかに秀次の娘が幸村の側室になったとか
あったんだけどほんと?
67日本@名無史さん:02/04/27 17:23
>>66
>>55を読め!
6856:02/04/27 18:03
>>65
 秀長の娘一人と書いたのだけど、二人の可能性もある。
というのは秀長の娘には豊臣秀保室と毛利秀元室がいて、
私はこれを同一人物(つまり再婚した)と考えてるのだが、
別人説もあるようなので。ちなみに秀保室のほうは「おきく」という
名のみわかり、秀元室のほうは1609年に22歳でなく無くなったことだけ
わかってる。どちらも子供はいない。

 秀吉の実子の秀勝は1576年に亡くなってる。没後に描かれたと思われる
肖像画を撮影した写真は現存していて、それをみると幼児なので1570年ぐらいに
生まれたのではと思われる。竹生嶋奉公書にでてくる「石松丸」と同一人物と
みられている。また同書にでてくる南殿が生母と推定されている。
あまりはっきりしたことがわからないのだけどこれが1人目の秀勝。

 2人目の秀勝は織田信長の4男。ただし5男、末子となってる史料もあり。
幼名・御次。最初の秀勝の死後に秀吉の養子になったようだ。本能寺の変後の
山崎の合戦に参加してる。1584年に毛利輝元の娘と結婚したが、翌年死去。
享年18歳(?)。子孫なし。

 3人目が秀次の弟で秀保の兄になる秀勝。1585年の2人目の秀勝の死後、
その遺領の丹波亀山に入る。その後何度か所領が変わったが最終的には
1591年に岐阜城に入ってる。しかし翌年、朝鮮出兵のため渡海した唐島
(巨済島)で病没。享年24歳。正室は浅井長政の三女お江(名前に異説あり)。
彼女との娘・完子ははじめ織田秀信に嫁いだが関ケ原後の秀信改易に伴い、
離別し、九条忠栄と再婚。4男3女をもうける。
69日本@名無史さん:02/04/27 19:26
秀次の妻妾や子供の皆殺しを推進したのが三成だったって言うけど、本当なら彼もバカなことしたもんだ。

何とか命だけは助けるよう秀吉にとりなしてやれば、恩義に感じて人望の薄い三成の味方になってくれたかも知れないのに…
70日本@名無史さん:02/04/27 19:32
皆殺しじゃないでしょ。
池田輝政の妹は助かっている。
家康のおかげ(?)で。
71日本@名無史さん:02/04/27 19:33
確かにそーだね三成君。
7265:02/04/27 19:45
>>68
詳細カンシャ。
秀長の娘は1609年に22才で病死ですか。
時期を考えると謀殺かとも疑いたくなりますが。
秀長晩年に出来た子なんですね。

秀勝も秀吉壮年期に出来た子のようですな。
生きていれば秀吉没時で30前の青年ですか。
秀吉の実子の割には世間に対する認知度が低いのは夭折したためか。
73日本@名無史さん:02/04/27 20:11
>>69
前田利家はここで恩を売ったようだね
74日本@名無史さん:02/04/27 20:22
実子の秀勝って何歳で死んだの?
7556:02/04/27 22:07
>>74
それは不明。絵で見た感じでは5,6歳(つまり幼稚園児ぐらい)に思える。
でも長浜で生まれたとしたらもっと幼いのかもしれない。
あと竹生嶋奉公書は間違いで、正しくは「竹生嶋奉加帳」。
76日本@名無史さん:02/04/28 00:03
>>68
御次丸が末子ってことはないでしょ。下にまだ兄弟がごろごろいるし、妙覚寺で死んだ勝長が五男だし。
7768:02/04/28 00:22
>>76
私もそう思うんだけど、『兼見卿記』では末子となってるらしい。
吉田兼見の間違いなんだろうけど、一応。
 ただ勝長は1582年に死んだのに男子が一人いて、秀勝は1585年に
18歳(?)で死んだからこのとき数え年15歳のはず。その弟とすると
勝長は数え年15歳以下で子持ちだったことになる。不可能ではないけれど……
兄弟順か秀勝の享年が間違ってる可能性がある。
78日本@名無史さん:02/04/28 10:00
>>75
「実子秀勝存在説」でちょっと気になるのは、5〜6歳で死んだとして、その年齢で「秀勝」と名乗っていたのだろうか、ってこと。

「秀勝」なんて、どう見ても元服後の名前でしょ?5〜6歳で元服を済ませていたんだろうか?

普通5〜6歳で夭折したのなら「○○丸」「○○千代」「○○松」なんて幼名のまま呼ばれている方が自然だと思うんだけど…
79日本@名無史さん:02/04/28 10:04
PHP新書の「豊臣秀次」つーのを読むがよい。
80日本@名無史さん:02/04/28 13:13
>>51
違う。
『たいかう様軍記のうち』は太田牛一。
これに書いてあったなら、信憑性は高いのではないのかな>殺生関白
81日本@名無史さん:02/04/28 13:35
>>79
タイトルに引かれて読んだが、期待を裏切るクズ本。資源のムダ使いだ。
やっぱり小和田はダメだね。
82日本@名無史さん:02/04/28 14:08
>>81
どこがだめだったの?
83日本@名無史さん:02/04/28 14:46
>>69
だが本当に三成は推進したのか?
三成家臣には秀次の遺臣がけっこういたが、
主家の身内を皆殺しを推進した奴に仕えるのは考え難くないか?
また、自分を恨んでいるかも知れない奴らを召し抱えようとする奴も不自然だし。
8482:02/04/28 16:58
どこがだめか指摘してくれよ、誰でもいいから。
無駄な金使いたくないし・・・。
85日本@名無史さん:02/04/28 18:57
今上天皇−昭和天皇−貞明皇后(大正天皇后)−九条道孝−九条尚忠−二条治孝−
二条宗基−九条幸教−九条輔実−女(九条兼晴室)−九条道房−完子(九条幸家室)
−豊臣秀勝
天皇家も豊臣の血を引いている。
86日本@名無史さん:02/04/28 19:01
>>85
まじで?
秀吉の甥の娘の血脈ってことだよね。
完子は秀吉の姉、ともの孫ってことになるのか?
87日本@名無史さん:02/04/28 21:20
>80
同じ太田牛一の本でも、『たいかう様軍記のうち』は秀頼に仕えていた時期のも
ので、信頼性が落ちる、と誰か書いていたような。
なぶり殺しの記事に関しては、秀次にはアリバイがあって無実だ、とかなんとか。
(ソースがすぐ出てこないんであれですが、もしかしたら件の小和田氏の書いた記
事かもしれない。)
真偽のほどはどうなんでしょうか。
88日本@名無史さん:02/04/29 01:58
>>86
まじ。
この秀勝は秀次の実弟で、ともの次男。
確実に残ってるのが分かってるのはこの系統だけじゃないかと。
89日本@名無史さん:02/04/29 11:22
完子にこどもはいないでしょう。
90日本@名無史さん:02/04/29 12:30
>>89
おッ!ブルドッグキボン!
91日本@名無史さん:02/04/29 16:23
確か武家のなかで現天皇家に血が流れてるのは
池田光政の娘の一条に嫁いだのと、島津久光の娘の九条に嫁いだやつね。
92日本@名無史さん:02/04/29 16:29
>>91
豊臣家の血筋も流れているだろ。
>>85より。
93日本@名無史さん:02/04/29 16:46
>92
その九条は二代あとに鷹司から養子が入っているため原天皇とは
関係ない。
9493:02/04/29 16:47
見落としてたけど養子の妻でつながってるのね。
そうなるとどうだか。
95日本@名無史さん:02/04/29 16:51
ともの旦那って誰?
96日本@名無史さん:02/04/29 19:03
ともはいつ結婚したのだろう?
長男の秀次は1568年生。次男の秀勝が1569年生。三男の秀保が1579年生。
弟の秀吉が1536年生まれだから、ともが秀次を産んだのは満32歳以上は確実。
当時の初産にしては高齢なような。
97日本@名無史さん:02/04/29 19:46
ヒデツグさんとsexしたいです。
98日本@名無史さん:02/05/04 20:05
あげます!
99日本@名無史さん:02/05/08 13:29
99get!!
100日本@名無史さん:02/05/08 15:18
100(・v・)!
101ともチャン:02/05/08 15:24
このスレッドは100を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

102伊達遠江守家中:02/05/09 03:37
>101
うそつけ(藁
103日本@名無史さん:02/05/09 05:04
淀君が、不義の子供を二人もつくらなければ、秀次がいずれは、最高権力者になっていただろう。
淀君の子供が自分の子供だと信じてしまった秀吉は、耄碌ジジイとしか言いようがない。
しかし、耄碌した最高権力者に、誰も逆らえなかったところが、さらにイタイ!
104日本@名無史さん:02/05/10 03:13
秀次が死んだ最大の受益者は前田利家。
秀次の広大な屋敷も前田のものになり、豊臣政権内での地位も一段と
あがった。
105日本@名無史さん:02/05/10 09:07
>>83
三成は推進してない。三成が悪く言われるのは、徳川時代に徹底的に悪者に
されたため。真実は清廉潔癖な義将。
106日本@名無史さん:02/05/10 12:17
>>105
>真実は清廉潔癖な義将。

ここんとこ、具体的に教えてください。
107伊達遠江守家中:02/05/12 00:46
>106
三成が直接関与したとしても、そりゃ単に秀吉と利害が一致したからと保身
のため。
前者は、秀頼可愛さに血迷ってる&制度上関白は太閤の命に従わなくてよい
ということに気がついた秀吉と、周囲に地方割拠派の大名を集めた(徳川・
蒲生・伊達・最上・あと途中で寝返った毛利とか)秀次を失脚させ中央集権
志向の政権を作りたかった三成の利害が部分的に一致したから。
しかし、当時のことだから政敵を失脚させて相手を生かしておくわけにもい
かないので、個人的恨みはないけど死んでもらうしかなかったのだろう。や
らずもがなの妻妾皆殺しは、秀吉の感情論によるものだと思う。
それに、現代の会社と同じで上司に「贈賄やってこい」と業務命令されると
首覚悟でないと反対できない場合もあるだろう。ましてやこの時代の首は、
本当に「首だけ」になってしまう可能性もあるのだから。
三成は、失業した秀次や蒲生家の旧臣をかなり召抱えている。自分の兵力増
強のためもあるだろうが、本当に恨まれるようなことをしていたら寝首をか
かれるような間抜けな行為である。
そんな急ごしらえの家臣団が関ヶ原でも、佐和山でも玉砕するまで戦ってい
る。それを考えただけでも三成に人格的長所がないと言うことはいえないで
しょ。
それに、江戸時代最初に三成奸臣説を否定したのは水戸黄門だったり。
マジ長レススマソ。
108日本@名無史さん:02/05/13 14:46
>107
全然説明になってないよ。
109伊達遠江守家中:02/05/14 10:40
>108
なってないか?
要するに三成が主体的に秀次を殺すとか、妻妾皆殺しとか、氏郷暗殺とか
やってのけたってわけじゃないだろ。だから秀次や氏郷の旧家臣も命かか
ってても三成について行ったんじゃないか?
だからそれなりに義をわきまえた人物ではないか?って言うのが要旨。

あと、清廉潔癖について書かなかったけど、こっちは下記のエピソードで。

佐和山攻めは、関ヶ原で裏切った小早川や脇坂・小川らが先陣を任された
んだが、敢え無く落城。
彼らは「権勢を誇った三成の城だから、さぞ財宝があるに違いない」と略奪
に勤しもうとしたが、たいした物は出てこない。
城自体も堅牢ではあったが、地肌むき出しの土壁ばかりで贅を凝らしたとこ
ろも全然なし。
彼は、そういう部分には贅沢せず城を堅牢にすること、良い家臣を召抱える
ことに知行をほとんど使っていたのだそうな。
110日本@名無史さん:02/05/15 15:16
>>109
思い込みだけで断定しないように。
111日本@名無史さん:02/05/15 15:32
>>110
もうちょっと具体的に指摘したらどう?
112伊達遠江守家中:02/05/15 16:39
>109
思い込みで断定しないようにって言うな! 状況証拠だけで断定しないようにと言え!(自爆)
113日本@名無史さん:02/05/15 16:54
>>110
私欲がなく豊臣家のためをおもって行動していた。すべてが豊臣家
のためだけに向けられている。というこだ。つまり現在の日本人と正反対の
清廉潔癖公正無私の人物ということ。ちゃんと本よめ。貴様こそ思いつきで
断定しないように。
114日本@名無史さん:02/05/15 17:05
三成研究家の白川亨氏は
「・・・真田家に秀次の娘が庇護されたのは三成の命となっているが、
秀吉の意向がなくては不可能であったろう」
と書いていたよ。
115日本@名無史さん:02/05/15 18:23
>113
あんた、そこが思い込みだよ。
116伊達遠江守家中:02/05/16 05:20
>115 (>110も同一人物?)
じゃ、あんた的にはどー解釈してんのよ?
結局、後世の人間が会ったことのない人物の評価をしているわけだから、
場合によっては状況証拠の積み重ねで推測するしかないだろうに。
自分の意見出さずに人のこと思い込み思い込み言ってるだけなら万年野党と
変わらんよ。
117日本@名無史さん:02/05/16 14:35
>116
こちらの解釈がどうという問題じゃないだろ。
あんたが思い込みを述べているから指摘しただけ。
問題をすりかえないように。
それに状況証拠ですらないじゃん。
118伊達遠江守家中:02/05/16 15:11
>118
状況証拠は全部文章にしてるぞ。理解できないようだからそこだけ列挙するからよく読め。
1.三成は、失業した秀次や蒲生家の旧臣をかなり召抱えている。
2.秀次や蒲生家の旧臣に代表される急ごしらえの家臣団が関ヶ原でも、佐和山でも
  玉砕するまで戦っている。
3.江戸時代最初に三成奸臣説を否定したのは(徳川一門の)水戸黄門である。
4.太閤在世中あれだけ権勢を誇ったにもかかわらず、佐和山城は質素な作りで財宝
  などどこにもなかったという記録がある。
これは私の脳内だけに記録されている話じゃないぞ。このスレを見ている人でもどれ
か一つくらいは知っているはずの話だ。
それでも思い込み呼ばわりできるなら、当然「思い込みではない」三成の「汚職貪欲
不公正」の反証はあるんだろーね。
君の脳内以外にさ。(藁
119日本@名無史さん:02/05/16 15:13
>>117
横から口出すようだが、
>>116の主張の方にうなづけるものがあると思うが。
結局、後世の人間が会ったことのない人物の評価をしているわけだから、
場合によっては状況証拠の積み重ねで推測するしかないだろうに。
という部分ね。

120日本@名無史さん:02/05/16 15:47
>>118
だからさ、あんたの列挙していることがなぜ
>真実は清廉潔癖な義将。
ということの状況証拠になるんだい?
121伊達遠江守家中:02/05/16 16:09
>120
つくづく読解力ないなぁ。自分で実際に見たものしか信じられないヤシが日本史
板来るなよ。
お前、もしかしたら歴史の話すると「見たんかよ〜」って必ず突っ込み入れてる
漏れの弟じゃないのか?(謎
「清廉潔癖な」→4
汚職貪欲だったら城に財宝がたくさんあったり佐和山城が豪華絢爛だったりする
はずじゃねーか。
「義将」→1・2・3
近世武士道が成立しない時代に、義理もわきまえてないような殿様のために玉砕
覚悟で戦ってくれる家臣がいるかよ。しかも島津や毛利、伊達ならいざしらず石
田家なんて譜代の家臣すらいない出来星大名じゃないか。

同じ学問板でも理系行った方がいいよ、君は。(藁
122日本@名無史さん:02/05/16 17:35
>>121
>汚職貪欲だったら城に財宝がたくさんあったり佐和山城が豪華絢爛だったりする
>はずじゃねーか。
まずここね。「清廉潔白⇔汚職貪欲」あんたはこういう主張らしい。
まあそれはいいとして、問題なのは、あんたにはこういう両極端しかないことだよ。
清廉潔白じゃなければ、汚職貪欲ってわけだ。
しかも、清廉潔白である条件は、財宝をもっていないことらしいし。
おそれいったよ。これが思い込みでなければ何なんだろう。
123日本@名無史さん:02/05/16 19:14
思い込みたっぷりの哀れな三成厨がいるスレはここですか?
124伊達遠江守家中 :02/05/16 19:26
>122
>まずここね
とおっしゃるからには他のも否定材料があるってことですね。
お伺いいたしましょう。
それから、ここで言ってる「清廉潔白」は絶対値として言ってるわけじゃな
いぞ。真に清廉潔白なんていうのは戦後の食糧難の時期に闇米食わずに死ん
だ裁判官みたいなのがそれに近い程度ですからね。
ここでは「権現様史観」で語られてる一般的な三成像と比較している。だか
ら状況証拠として徳川光圀の話が出てくるわけですが。
後続の反論が終わったら、次に「思い込みたっぷり」でない三成の真の姿を
教えてくださいね。
これだけ他人の言ってることは「思い込み」で片付けられる程論理的な思考
をお持ちなんですから、某万年野党みたいにレッテル貼りだけして逃げるな
んて卑怯なことはなさらないでしょうし、相手の説を否定するには反証が必
要だという慣例はもちろんご承知でしょうね。

>123
うるせえよ、クズ!
125明智掃除頭重三郎:02/05/16 20:11
>>伊達遠江守家中どの

しばし、落ち着かれよ。

ここは関白秀次公について語るスレでござるぞ。
126日本@名無史さん:02/05/16 20:18
この前、墓参してきたよ。
休日だったんだけど、狭い境内でフリマやってたよ。
127伊達遠江守家中:02/05/16 21:19
>125
こりゃ、掃除頭どの、失礼つかまつった。

また「思い込み」言われたらかなわんが、最近の雑誌記事など見ると秀次を
伝説どおりの「殺生関白」として扱うよりも、太閤との政治的対立によって
葬られた不幸な人物として扱う傾向が出てきたね。
ところで、秀次の城下町近江八幡市ではこんな評価してるけど一般住民とし
てはどんな風に思っているのかしらん?

ttp://www.city.omihachiman.shiga.jp/KANKO/kanko2.html
ttp://www.city.omihachiman.shiga.jp/KANKO/kanko10.htm
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/chosen/chapter4/06chosen.htm
128日本@名無史さん:02/05/17 14:24
>>124
関係無いけど、相対的な「清廉潔白」なんてあるの?
129伊達遠江守家中:02/05/17 14:56
それこそ「思い込み」というか印象だけで並べて例示するけど、江戸幕府の老中の
腐敗度を比較する場合
酒井忠清>>田沼意次>本多正純>>柳沢吉保>>松平定信>>水野忠邦>>>>本多正信
だったとする。(まぁ順序は人によって異見があると思うが)
この場合、田沼は下馬将軍よりは清廉だが釣り天井よりは汚いとかってレベル。
こういう場合が「相対的」って言うんでないか?
当時の汚職に関する基準は現代より遥かに緩いものではあったけどね。
で、もし君が110・115・117・120・122だったら、そろそろ自分の意見を語って
いただけるとありがたいんだがねぇ。
どういう見解が「思い込みたっぷり」でない真の三成像なのか教えを乞いたいの
でひとつよろしく頼むよ。
他人の意見を完全否定するにはそれなりの回答はご用意されているものと世間一
般の例から「思い込んで」いるんですけど、と言ってみるテスト。
130 :02/05/17 15:06
秀次名将説と暴君説・・・どっちが本当なんだ?
131日本@名無史さん:02/05/17 15:17
それより親子丼の話を聞かせてくれ(´Д`;)ハァハァ
132日本@名無史さん:02/05/17 15:21
思い込みたっぷりの哀れな三成厨と「他人の意見=思い込み」という頑固厨がいる
スレはここですか?


133日本@名無史さん:02/05/17 17:22
>>129
>どういう見解が「思い込みたっぷり」でない真の三成像なのか教えを乞いたい
客観的に見ればいいんじゃないの?
134ちんこ:02/05/17 18:50
三成の話はもういいよ
135伊達遠江守家中:02/05/17 21:17
>133
じゃぁ、客観的に見るとどーなのよ?
136日本@名無史さん:02/05/18 04:47
秀次の話にもどしちゃいます。

>127
近江八幡市の住人です。
小学生の頃に「秀次は近江八幡で善政を行い商業發展の基礎を築いた」
と習った。中學生になって殺生関白の話を本で読んでびっくりしたのを
覚えています。
そのためか、秀次は秀吉に振り回された犠牲者という認識をしています。
137伊達遠江守家中:02/05/18 05:06
>136
なるほど。確かにこれだけ評価が違ってると子供でなくても驚いてしまうで
しょうね。公人として立派でも私人としてドキュソな人も実在するというこ
とを割り引いたとしてもこれはちょっと、って感じですよね。
また、文化・芸術の振興に力を入れてた側面もあるようですね。
それを本気と見るか、司馬遼の『豊臣家の人々』のようにポーズと取るかは
人によって意見が分かれそうですが。
例によって「思い込みたっぷり」(藁)ですが、文書等から見た公家との交
流の様子や、長久手での惨敗などから考えると、自分には武張ったことは向
いてないと考えてこの方向に打ち込むという心理的代償行為が働いたように
思います。
武家関白である秀吉の後継者になるより、どこかの公家の跡継ぎになった方
が本人にとっては幸せだったのかも。
138日本@名無史さん:02/05/18 19:52
大河「秀吉」では、秀次党殲滅の場面が出る前に中途半端な終わり方をしてしまい、
「そこまでして秀吉の汚点を隠したいのか」と思わず脚本家に突っ込んでしまいました。
あれを語らないことには、晩年の秀吉像がひどくぼやけたものになってしまうと思うのですが。
139伊達遠江守家中:02/05/18 21:03
>138
朝鮮出兵もほぼオミットだったね。個人的にはこの二つをどう描くかを楽し
みにしていただけにちょっとがっかり。あと、「お拾いを頼む」とばかりに
なりふりかまわず誓詞を何度も取って、親バカ晒して死んでいくところも描
写されずに残念だったです。
140日本@名無史さん:02/05/19 00:48
>>136
近江八幡の某宿泊施設にて、そこのオヤッサンが同じことを言ってました。
そのオヤッサンが某清華家と名字が同じなので、かなり信じました。
私は思わず「お公家様だったんですか?」と尋ねところ、「はっはっはっ」と
はぐらかされたんですが、あの名字ってあんまり無いよな〜〜〜
141日本@名無史さん:02/05/21 15:22
秀次の男子は何名いたの?
142伊達遠江守家中:02/05/22 12:28
>141
太田牛一「太閤さま軍記のうち」の秀次の妻子を虐殺する場面では「若君三人」と
あるねぇ。この他に、逃れきって市井に身を隠した子供はいるんだろうか。
143日本@名無史さん:02/06/02 20:47
age
144日本@名無史さん:02/06/08 13:02
歴群だったか出典をチョト失念してしまったのですが、ふと読んだ本の中で、
秀次の生父…秀吉の姉婿である弥助サンの素性は、三輪氏という川並の棟梁のひとりで、
蜂須賀氏とか川並衆を秀吉に引き合わせたのもお姉さんの伝手という話がありました。
とすれば秀次事件も、秀次を頂点とする尾張派と淀君秀頼を頂点とする近江派との確執であり、
その後関ヶ原以降、蜂須賀や浅野や福島といった秀吉股肱の家が離反してしまったのも合点がいくような気がしますが…
それを窺わせるような話は、秀次生地という美和町のHPや江南市のHPでも紹介されてはいるようですが、
ttp://www.town.miwa.aichi.jp/miwatown/html/rekishi/rekishi.html
ttp://www.city.konan.aichi.jp/rekisi/bukouya12.html
ttp://www.city.konan.aichi.jp/rekisi/zyourenzi.html
そのへんの詳しい話どなたかご存じないでせうか?
145伊達遠江守家中:02/06/08 13:12
>144
それ、難しいなぁ。
秀次の自殺のくだりで、検視役が日頃自分を蔑ろにしている福島正則だと
聞いて、太閤は自分を死なせるつもりだと思い当たる節があったとある。
秀次が親交を結んでいた大名も、出自から言えば尾張派でも近江派でもな
い外様が中心だった印象があるけどなぁ。
(毛利輝元や細川忠興に金を貸していたり、伊達政宗と彼のところから出
奔して自分の家臣になった者を和解させたり、最上義光から娘を側室に出
させたり)
146日本@名無史さん :02/06/08 15:19
ここですか、自分の考えと違うことを書き込むと「証拠を出せ!証拠を出せ!」という
厨房が住むスレは

伝聞で申し訳ないが「秀次は何故東方を向いて腹を切ったのですか?」
どなたか教えて頂戴
それに>144 が書き込んでいる「三輪氏」についても教えて頂戴
147伊達遠江守家中:02/06/09 00:37
>146

いや、「思い込み」と決め付けてくれる人ならいましたが? ま、それはと
もかく、

>秀次は何故東方を向いて

最初秀次は間違えて東を向いたので、碁の相手をしていた僧侶が「極楽浄土
は西方にある。西を向かれよ」と言った。
すると秀次は「仏は十方にありとも申す。このままでよい」と言って東向き
のまま切腹したのだそうな。
148日本@名無史さん:02/06/09 00:57
秀次役は誰?
今年出るのかな
149日本@名無史さん:02/06/09 01:07
>>140
今出川(菊亭)ですか?
150日本@名無史さん:02/06/11 17:27
>>147
あれ?自分で「思い込み」と開き直ったんじゃないの?
151伊達遠江守家中:02/06/13 02:49
>150
君が噂の「ミスターレッテル貼り」か?
相変わらず「自分で目にしたもの以外は信じず」に、自分の意見と違う意見
は「思い込み」って決め付けてるのかい。
だったら、状況証拠で推論立てないと会話が成立しない場合が多い日本史板
になんか来るのやめて、数学板あたりに行きなよ。(藁
152伊達遠江守家中:02/06/13 02:57
>150
あ、そうだ。忘れてたよ。
君が当人なら、君の「客観的な説」をそろそろ開陳してくれないか。
人のことを「思い込み、思い込み」って叩くだけでは、ここならともかく
世間一般では誰も相手にしてくれないよ。
もっとも、君が引きこもってるんだったら別に世間から相手にされてなく
てもなにも問題ないんだけどね。(藁
153日本@名無史さん:02/06/13 12:46
さっそく反応するね。
「思い込み」って指摘されただけで、そんなにムキになるなよ。
君は「なんでも信じる」から「思い込み」っていわれるんだよ。
154伊達遠江守家中:02/06/13 12:56
>153
「なんでも」って何だよ?
自分の意見もないのに、一人前にいきがるなよ。この厨房が。
ここまでスレが伸びてるのに未だに自称「客観的な意見」が開陳できないんだっ
たら、とっとと「自分が見たものだけが真実」って主張できる板へ行きなよ。
そんな、君にとっての桃源郷がどこかにあるのだったらね。
155日本@名無史さん:02/06/13 13:33
思い込みクンには何をいってもムダということだね。
156日本@名無史さん:02/06/13 14:02
>>154
「自分で目にしたもの以外でもすべて信じる」ということじゃない?
157伊達遠江守家中:02/06/13 14:52
>155か156
どっちが「レッテル貼り」君だか知らんけど、君の見解はどうなのよ?
自分の見解も出さずに「何をいってもムダ」って、レスが2桁の時点から話が
一歩も前に進んでないじゃん。
できれば、そういう非建設的な叩きではなくて斬新的な資料批判による秀次像
を提示して漏れをグゥの音も出ないように粉砕してくれないか。
その方が、よっぽど建設的だと思うのだが。

>156
いくら何でも、『武功夜話』や辻政信の回想録をすべて信られるほどお目出度
い「思い込み君」ではないつもりなんだが。(藁
一応複数の資料に当たった上でその辺の判断をする学習は積んできているはず
なのだが。
158日本@名無史さん:02/06/13 16:52
>>157
内容が変わってるよ。
秀次の話じゃなくて、三成の話で「思い込み」と言われてるんだよ。
159伊達遠江守家中:02/06/13 17:32
>158
あぁ、失礼。じゃ、三成でお願いします。
もう待ち遠しくて待ち遠しくて。どのように蒙を啓いていただけるのかとワクワク。
160日本@名無史さん:02/06/13 18:16
>159
思い込みが激しいと、人の意見は頭に入らないのかね。
ガイシュツだけど。
161伊達遠江守家中:02/06/13 18:31
>160
どれが君だかわからないので見落としてるかもしれん。
コテハンでも使って、無知蒙昧なヤシを一から啓蒙してやるというつもりで
よくわかるようにお願いしたい。
162日本@名無史さん:02/06/16 14:45
続きは?
163日本@名無史さん:02/06/16 23:13
秀次さんファンです。

弟秀長か養子秀次か秀長の養子秀保が秀吉死後も生きてたら、
秀頼への政権移譲はどうなったかはともかく、史実よりは
家康がでしゃばりにくい状況になったと思います。
まあ家康のことだから、どうにかして政権奪取するかもしれ
ないけど、史実よりも難しくなると思います。
秀忠じゃ政権奪取はできなかったと思います。

もし秀長だたったら、家康に政権を取らさなかったような気が
しますし、もし取られても、徳川幕府下で大名として豊臣家を
存続させる事ができたんじゃないかと思います。

秀次か秀保だったら、家康にはかなわなかったと思いますが、
いるだけでも、家康が没するまでの時間稼ぎはできたんじゃ
ないでしょうか。秀頼がどうなるかはともかく。

もちろん秀勝がいれば、2代目は秀勝だった可能性が高いので、
秀頼を生ませる必要もなかったし、文句なしの2代目ですから、
家康もでしゃばるのにもっと苦労したと思います。
164日本@名無史さん:02/06/29 08:36
age
165日本@名無史さん:02/07/12 15:14
豊臣は糞
166日本@名無史さん:02/07/20 01:56
利家とまつ、池端万作決定あげ
167  :02/07/20 01:59
側室がらみの話はえぐいよなー、秀次。
山崎拓もびっくり。
168日本@名無史さん:02/08/11 18:30
秀次┬仙千代丸
   ├百丸
   ├土丸
   ├十丸
   ├女子(真田家へ嫁ぐ)
   └女子(梅小路家へ嫁ぐ)
169日本@名無史さん:02/08/28 21:28
age
170説法法主げい下:02/09/01 13:02
駒姫ならび多くの姫、御子たちが無惨にも惨殺、穴に埋められ(涙  南無 合掌
171日本@名無史さん:02/09/14 01:58
そういや秀次、大河で村井又兵衛に頭はたかれてたな
172日本@名無史さん:02/09/25 19:42
近江八幡の誇り「秀次公」万歳!
あなたのおかげで今の日本があります。
冤罪の汚名はもうはらしてますよ。
173日本@名無史さん:02/09/25 19:48
憎きは光成。でっちあげもいいかげんにしろよな!てめーが
かってに狩りをやったのはわかってんだよ。
たまには平馬の言う事でも聞いてろよな!迷惑なんだよ。
おかげで豊臣は滅びて、暗〜い徳川240年が来ちゃったよ。
デモクラシーが止まっちゃったから太平洋戦争起きちゃったよ。
174名無しのゴンベ@縷縷:02/09/25 20:07
秀次は、かわいそぉだぁなぁ〜、と漏れ思うのねん★大河の三成っちは
えらそ〜で漏れはキライキライなのねん♪河村恵利の「地獄ヶ淵」は秀次び
いきのつくりで漏れ好みのつくりなのでおじゃる♪
175日本@名無史さん
秀次にしろ三成にしろ徳川史観でしか語られていないわけで、
公平に評価するには未発表の歴史的資料でも見つからない限り難しいでしょう。
南京虐殺みたいに見聞者が生存しているにもかかわらず真相が不明瞭な事件が
あるのが人の社会ですから。