旧日本軍は第二次世界大戦中の各国国軍と比較しても
軍律が厳しい部類に入ると思うのだが、日本史板の認識は?
4 :
日本@名無史さん:02/04/07 10:59
南京入城時の中島今朝吾16師団長の日記
13年12月19日
一、そこに日本軍がまた我先にと侵入し他の区域であろうとなかろうとお構い
なしに強奪して往く此れは地方民家屋につきては真に徹底して居る・・・
ずうずうしい奴が得というのである
師団司令部の表札を掲げているにも係らず中に入りて・・・・・目星のつく
ものは陳列古物だろうと何だろうと皆持っていく
余は15日入城後残物を集めて戸棚に入れ封印したが駄目である・・・・・
なにか目につけば直ちにかっぱらって行く兵卒の監督ぐらいでは何にもならぬ
堂々たる将校様の盗人だから真に驚いたことである
以上は一例であるが、他にも一杯あるぜよ。何が皇軍の規律は立派じゃ
5 :
田原総一朗(歴史のプロ):02/04/07 11:03
6 :
日本@名無史さん:02/04/07 11:29
>何が皇軍の規律は立派じゃ
戊辰戦争の時と変わってないんじゃないのかな。
ていうか、日清日露でだけ例外的に良かった、という事じゃ?
日本人に法治の観念が欠けているのは現在に至っても全くそのままじゃん。
法律や自分が当然それに制限されるべき規定を破って恥じるところがない・・
内部監査が全く出来ない。監督役がルール通りにやらせようとすると、
「世の中を知らない」「杓子定規だ」「悪意がある」などと言って
抵抗する。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とはよく言ったものだと
思う。
7 :
日本@名無史さん:02/04/07 11:44
>ていうか、日清日露でだけ例外的に良かった、という事じゃ?
日清戦争時に日本軍は旅順で住民を虐殺したけど。
8 :
日本@名無史さん:02/04/07 11:51
皇軍では軍律がきちんと守られていたなんて根も葉もないデマ。
軍律は厳しかったが守られていなかったのが現実。
9 :
日本@名無史さん:02/04/07 11:53
あれは日本軍の捕虜が虐殺されてるって情報からそういう行動に
走ったわけで、もちろん問題なんだけど、日中戦争期の山賊みたい
な行動とは比べられないと思う。
10 :
日本@名無史さん:02/04/07 11:58
上級司令部があったCの事例でさえ、これでは目の届かない前線の
大隊、中隊単位では何が行われていたか分かったものじゃない
11 :
日本@名無史さん :02/04/07 12:09
日清日露のときは、日本という国を世界の一等国として認めさせるために
政府も軍も躍起であり、捕虜の扱いには神経質だった様子。
ロシア兵は捕虜を収容する松山の待遇の良さから「マツヤマ-」といいながら
集団投降してきたという話もあるほど。
で、世界的海軍を作り上げたあとは猫かぶる必要ないので捕虜虐待しまくり。
12 :
日本@名無史さん:02/04/07 12:17
13 :
日本@名無史さん:02/04/07 12:19
戦争煽ってた朝日新聞は自浄作用働いたのか?
・・・訊くまでもないか。
14 :
日本@名無史さん:02/04/07 12:32
>13
それを反省したから今頑張ってんだろ。(藁
文句いうことないジャン
15 :
日本@名無史さん:02/04/07 12:49
他にくらべりゃ、まだマシな方だったとおもいますよ。
16 :
日本@名無史さん:02/04/07 13:50
>15
一体誰と比べてるの?
ソビエトやナチや毛沢東? (藁
じゃ、旧軍は連中と同じ穴の狢ってこと確定、ってこと
で結論の方いいですか?
18 :
日本@名無史さん:02/04/07 14:43
よく、著名人などの随筆などで、父親が戦線での出来事を戦後一切話さなかった
というのを見るけど、その人の父親の気持ち、わかるような気が
19 :
日本@名無史さん:02/04/07 14:44
ムリヤリは >15の方だろ。
20 :
日本@名無史さん:02/04/07 16:41
延々と本格的対外戦争を繰り返してたヨーロッパ、欧米と、江戸時代260年間本格的な対外戦争が無かった日本がぶつかると、軍規の扱いに違いが出ることもありえる。
諸外国は議会や世論を意識して、或いは、明日はわが身と考えて、捕虜の扱い一つでも神経を使っても不思議ではない。
それから、どこの国でも、軍人の数が増えるに従い、質が下がることもある。
勝ち戦か負け戦かでも変わる。貧すればどんするである。増してや敗走時となれば、食料も無く敵に追われて飢えと死の恐怖が。
軍規がいくら厳しくても、極限状態で心神喪失になっていれば狂気に走るだろう。
戦争犯罪で裁かれた中にも、心神喪失の患者が大勢居たと思う。
平時での残虐な犯罪者を心神喪失で減刑しようとする社会風潮の中で、戦時という極限状態の中で狂気に走った者まで含めて旧日本軍という一言で、悪行のみ晒されるというのは筋が通らないだろう。
21 :
日本@名無史さん:02/04/07 17:24
欧州の国々にとって、戦争はスポーツ。勝ったり負けたりで、
領有範囲が変貌し、それが日常化していくうちに、捕虜交換の
ルールとかも着実に根付いていった。
でも、日本は首の取り合い(勝てば覇権、負ければ首実検行き)
という総力戦の戦国時代から、いきなり太平の江戸時代に突入。
捕虜になって生き残る、もしくは負けても生き残るという文化の
ないまま、19世紀の植民地競争時代に開国させられた。
だから、白旗あげて降伏することが、軍人としての権利だと、
頭で解っていても、遺伝子が解っていないと思われ。
22 :
日本@名無史さん:02/04/07 17:28
頑張ってる?ひたすら責任転嫁の
歴史じゃなくない?
昭和13年12月19日>昭和12年12月19日の間違い。基本的なことなので訂正しておく
朝日新聞の姿勢についてカキコあったが、この際あまり関係ないのでは?
それに戦前の編集者と戦後の編集者はまったく違うのでは?戦前は緒方竹虎や細川隆元
など超保守派が幹部だった。ちなみに、ワシはズ〜ッと読売(バカGファンではないよ)
25 :
日本@名無史さん:02/04/07 19:54
東条退陣を画策して、自決に追い込まれた東方会の中野正剛(玄洋社につながる右翼)
彼も若い時は朝日に在籍した。緒方が朝日に入ったのも無二の親友中野の後を追った
がため。名称が同じため過去の言動で批判の対象になるなら、文部省や旧内務省
(警察庁や自治省)の責任は?これらも戦前とはまったく反対のことを言ってる
豚キム来ないね(藁
27 :
日本@名無史さん:02/04/07 20:11
>25
文部省は
超右翼(戦前戦中)→平和主義(戦後すぐ)
→復古調(昭和後期)→割とリベラル(現在)
と二転三転してると思う。
朝日がバイアスないとは言わないが、一方、新聞がバイアス持っては
いけないという理由もないよな。それに読者だってちゃんと
取捨選択して考えて読んでるって。新聞なんて催眠術師じゃないんだから
そう簡単に洗脳されるわけもないだろ。
朝日や読売も不偏不党、なんてウソの建前を止めて、我が新聞は
この思想をもって世に問う! とか堂々と宣言すればいいんだよ。
29 :
日本@名無史さん:02/04/07 20:20
関係ないけど、緒方貞子(国連高等弁務官)の夫は竹虎の息子
30 :
日本@名無史さん:02/04/07 20:26
英米の新聞は、かなり、どの政党寄りかがはっきりしてるみたいだね。
キライだったら読まなければいいわけで自分が読まない新聞を批判する
のも如何なものかと。それぞれ、ファンがいるわけで。それに、今の
大衆は新聞論調に左右されるほどアフォじゃないよ
>30
ていうか、いちおー、一都市に左と右の2新聞がなくてはいけない、という
決まりがあるらしい。以前、デトロイトに住んでいたのだが、そこでの
左新聞が経営悪化し、右新聞の新聞社に買われるということが起こって、
同じ新聞社が二つの新聞を出して、それで本当に自由な言論が保障されるか、
みたいな事で問題になってた。
32 :
日本@名無史さん:02/04/07 20:45
>>7 それは、旅順の市街地に兵隊が逃げ込んだ事も原因の一つ。
ん、そういや南京もそうだったね、
まあ人数はニ、三百人程度だから比較にはならないけどね。
ここで重要視する事は、軍の規律に政府が気を使っていた事。
後の政府はそれほど気にしなかった。
国際的に資金を得る必要があった政府と、
孤立の中で戦った政府との違いかも知れないけどね。
33 :
日本@名無史さん:02/04/07 21:08
>>1 シナ軍よりは遥かにマシだったよ。
粗暴な振る舞いという点では第二次大戦中の日本軍が突出していたわけではない。
34 :
日本@名無史さん:02/04/07 21:13
>33
>突出していたわけではない
前世紀のガイキチ人非人集団の群れの中でダントツに突出してなかった
ことがそんなに誇れることか?
別に誇っているわけではないと思われ・・・
36 :
日本@名無史さん:02/04/08 01:01
>>34 は、何としてでも旧日本軍をキチガイ集団に使用との執念があるようだが、
その源はなんだろうと興味が湧く。
37 :
日本@名無史さん:02/04/08 01:13
>36
というより、非常に多くの軍というのはキチガイ集団で例外は少ない、
と言ってるんだと思うが。
一人だけいい子ちゃんぶろうとするのがムカツクってことでわ?
38 :
日本@名無史さん:02/04/08 01:14
伊藤忠の元代表取締役の故瀬島龍三氏の回顧録「幾山河」を読めば
陸軍の暴走っぷりがよくわかる
39 :
日本@名無史さん:02/04/08 01:23
陸軍は珍走族か?
なーる、だから今も街宣車の上とかでガナってるのか・・・
40 :
日本@名無史さん:02/04/08 04:20
昔のソ連、中国など世界ではローカルな軍隊と比べて軍紀が厳正だったと
誇ってみてもあまり意味ないような。1のスレに対する意見なのだから
41 :
日本@名無史さん:02/04/08 05:32
戦争初期に日本軍が戦っていたのは、多くは旧軍閥の私兵でゴロツキ集団に
近いもの。蒋介石の北伐により一応国民政府軍の指揮下には入ってはいたが
実態は私兵で食い扶持だけは与えられていたならずもの達に過ぎない。
こうした、軍隊?と中央政府の統制下で給与、恩給を保証されている軍隊と
比べても意味がないのでは。ソ連軍は略奪奨励で戦意を維持したという、まさに
中世の軍隊に近い存在
42 :
日本@名無史さん:02/04/08 06:03
なんで意味がないの?軍を構成する要素が違っているというだけで
そういう相手だったんでしょ。
まともな軍隊と比べなければならないという理由があるなら教えてほしい。
43 :
日本@名無史さん:02/04/08 07:00
自慢にならんのと違うか、ということ
44 :
日本@名無史さん:02/04/08 07:47
「俺達は最低最悪じゃなかったzo!」 と言って自己肯定しようとする
一部輩の態度がそれ程尊敬に値するというならその理由を述べてくれ。
むしろ素直に自ら率先して旧悪を直視し認めその繰り返しを防ぐ手段を講じた方が
よほど万国万人の目に立派な態度と見てもらえると思うのだが。
中共政府の二重基準、夜郎自大、際限なき自己肯定は醜いと思わんか?
俺は、我が民主日本はあぁであってはならんと強く思うのだよ。
45 :
日本@名無史さん:02/04/08 07:52
当時の軍隊の中では軍規っつーか、軍律は厳しいかった。
ただし、それを遵守し執行する人間が少なかった。
今も昔も、法が悪いのではなくてそれを運営する人間が悪いために腐っていくんですな。
46 :
日本@名無史さん:02/04/08 08:02
>45
これなら同意。
ルールを持っていることと、それを順守する文化風土を持っていることとは
全く違うことだからね。
旧ソビエト憲法には、「ソビエト国民は諸外国の人々と友好すべし」と
あったそう。
って、外国人に道を聞かれて教えただけでシベリア送りじゃんか!!
47 :
日本@名無史さん:02/04/08 08:17
>46
旧軍
「軍隊内の私刑(リンチ)はこれを強く禁じる」
実態
言うのも馬鹿馬鹿しい私的制裁の嵐
48 :
日本@名無史さん:02/04/08 10:56
現代でも旅館・水商売で嫌われるのは医者・教師・警察官。
昔は軍隊も嫌われてたとか、ないですか?(特攻前の下士官除く)
外面はよいが無礼講がひどすぎる、とか。
わしゃ、まだ生きとるよ。勝手に殺さんといてや
50 :
日本@名無史さん:02/04/08 23:44
k
51 :
朝日新聞というか昭和初期の新聞はなぜDQNか?:02/04/09 01:16
>>13 朝日新聞がおかしくなったのは,寺内内閣〜原内閣のときの「白虹事件」をきっかけとした
報道期間大弾圧からだね.それまでの朝日新聞は政府批判を売りとするオピニオン紙という
性格だったのが(寺内を倒閣に追い込んだ),策謀家の原の罠にはまって社長の村山龍平が
辞任,編集主幹の長谷川如是閑が退社するなど経営首脳陣や記者たちの総入替をすることに
なった.
それだけじゃすまなくて,「本社の本領宣明」という一種の全面的な謝罪文まで掲載させ
られてしまった.
「我が社創刊以来四十年,つねに皇室を尊崇して国民忠愛の精神を鼓吹し」と,要するに
朝日新聞社は,天皇を崇拝し国民の忠君愛国を盛り上げるために働いてまいりましたが
これからもそうします(笑)という宣言なわけだが,新聞報道が一方に偏るのは困るので
今後は「不偏不党の立場で」公明正大な記事を書きます,という宣言になってしまった
わけだ.
これは,日本の新聞史上からいうと,それまでのオピニオン紙からの転換であって,
事実をただそのまま伝えることだけを役割とする新聞への転換という大きな変化の
節目になる事件だったのだが,それは新聞が独自の意見を出し続けることが不可能な
時代になったということを意味していた.大本営発表をたれ流し続けるだけという
新聞の性格は,原内閣の時期につくられたものであり,政党内閣時代の幕開けが
民主主義の基盤となるべき新聞の報道への弾圧で始まるという自縄自縛なものだった皮肉は
やがてくる政党政治の衰退の原因をすでに内包していたといえる.
52 :
日本@名無史さん:02/04/09 01:17
>>49 しかし瀬島さん、33歳で中佐、大本営参謀だもんな。
今の官僚も、実際に政策作ってるのは国家一種通った
35歳くらいの課長補佐クラスで、上はそれを承認するだけ。
昔の陸海軍部も今の官庁もしくみは同じだわな。
30代のガリ勉青二才に戦争計画練らせていたんだから
冷静に考えると恐ろしいね。
53 :
日本@名無史さん:02/04/09 01:27
ん、朝日新聞の元になった新聞社は、
日露戦争に国民を追い立てたりもしているぞ。
政府は戦争にはまだ反対だったのに、世論を動かし、
戦争止む無しの世論も作っている。
あの頃から全く体質が変わってないと言える。
54 :
日本@名無史さん:02/04/09 07:57
>53
そんな日露戦争のころの前身のした事持ち出されてもなぁ・・
てゆか、みんな朝日はあくまで永遠に素晴らしくて無誤謬たるべきと思ってる
みたいね。それって形を変えた朝日信仰でしょ。
同じ事は他の新聞には求めないんだから。
55 :
日本@名無史さん:02/04/09 11:26
>>54 それが太平洋戦争でも煽りまくってるんだよな〜。
しかし朝日は無誤謬たれってか、朝日信者の理屈ではそうなるのか?回りくどいね(ワラ
普通は売国新聞および信者はウゼエ死ね北に帰れ、ぐらいだよ。
56 :
日本@名無史さん:02/04/09 11:33
>>54 日露だけなら問題にしないよ。
その後も一貫して、戦争を煽っているから問題にしているんだよ。
戦前の著名(一般の人が読む)新聞で、戦争を煽らなかった新聞名を知りたいんだけど
58 :
日本@名無史さん:02/04/09 12:42
>>44 では、あなたは最低最悪だったと標榜することに意味があると
言いたいわけだね。
頑張ってや。
ま、アホとしか思わんが。
59 :
日本@名無史さん:02/04/09 12:48
緒方竹虎の戦後の述懐
日本の大新聞が、満州事変直後からでも、筆を揃へて軍の無軌道を警め、その
横暴と戦っていたら、太平洋戦争はあるいは防ぎ得たのではないかといえる。
・・・当時の新聞界に実在したる短見な事情が、機宜に「筆を揃へる」ことを
させず、徒に軍ファッショに言論統制を思わしめる誘惑と間隙を与へ、次々に
先手を打たれたことも、今日訴えどころのない筆者の憾みである
60 :
日本@名無史さん:02/04/09 13:01
57に答えることが出来ないのでは、朝日だけを批判するのは筋違いでは?
>>60 じゃあ素直に 戦争を煽るのは悪くなかった! って言えばいいじゃねぇか。
でもそうすっと今のアカヒの態度に問題が出るんだよな〜(ワラ
62 :
日本@名無史さん:02/04/09 14:42
59の例にある、緒方を初め終戦後には多くの新聞が反省を表明したのでは
朝日新聞は,なんども発禁処分をくらっているから,記者たちも慣れっこで
力押しの弾圧では,かえって反発して政府批判の論調がますます盛んになる
との懸念が政府側にはあった.(現に寺内内閣は強圧的なやりかたをして
かえって世論操作に失敗している)
そこで原敬は,無理に強権的な言論弾圧をするのではなく,
強く締め付けはするが,発禁処分はださずに
朝日の側から「すまんかった」と謝罪をいってくるのを待つ作戦に出た.
それにまんまとのってしまった朝日は,みずからが出した宣明文のため
自縄自縛的に,政府批判色を紙面から払拭せざるをえなくなった.
このあたりの朝日の社内での決定には,おおきな失策があったといわざるをえない.
64 :
日本@名無史さん:02/04/09 17:11
>>63 そのあたりの体質は今に引きずられており、一部の政治団体などは
巧妙に利用してきたように思えるね。現在でも朝日の論調はそのようにして
形成されているように思う。
65 :
日本@名無史さん:02/04/09 17:16
>>62 紙面を見比べてみたら分かる。煽り方が扇情的という点では朝日が一番だった。
それに、そうした事実がありながら今では戦後のある時期に反省し
それに立脚している、というたったそれだけの理由で、かつての
責任などそ知らぬ風情で、手のひらを返したような全く逆の論調を
垂れ流している、その豹変振り、厚顔無恥の度合いが読売など他の
マスメディアに比べて顕著なこと。
GHQに仕立てられそれを後ろ盾にした正義を振りかざしている濃度
も朝日が一番でしょう。
叩かれてしかるべきだと思いますね。
毎日については朝日の「ミニ版」といえるでしょう。
66 :
日本@名無史さん:02/04/09 17:17
67 :
日本@名無史さん:02/04/09 17:31
別のレスにもあったけど、責任ある立場にある当事者がまったくの別の人間
であるのだから、仕方ないんじゃないの。ある組織が過去とは決別して別の
体質になることは、よくあることだから。要するに、嫌な人は読まない、
好きな人は読む。これでいいのでは。別に朝日ファンではないが。勧誘に
ひっかかって交代で読んでる者だけど
68 :
日本@名無史さん:02/04/09 17:47
敗戦後、もっとも左傾化したのは読売なんだよね。マスコミ史に残る
大争議もやったし、GHQから発行停止もくってるぐらい
>1
いやー、旧日本軍の軍律はゆるゆるだったみたいよ。
たしかに、下っ端の兵隊に対してはビッシバッシやったんだけど、肝心の
幹部たちの軍律は、もうどうしょうもないぐらいゆるゆる。
その例とした、真珠湾攻撃の時、山本五十六大将が徹底的に攻撃しろと言ったのに、
実行部隊の南雲中将がこんなもんでいいやと帰って来ちゃって、世界最大のドッグヤードと
大量の石油タンクを無傷で残しっちゃたり。しかも、南雲中将はその後、罰せられてねぇでやんの。
旧日本軍ってこういう幹部の命令違反がごろごろある。これで、戦争の勝つほうがおかしいよ。
70 :
日本@名無史さん:02/04/09 18:34
それを言えば、海軍乙事件などその典型的な事例だよね。ゲリラの捕虜に
なった聯合艦隊参謀長・福留繁がゲリラの捕虜になり参謀の持っていた次期
作戦の重要書類を奪われているのに釈放された後も栄転をしている。
今も昔も変わらぬ高級官僚同士のかばい合い
あと、一番痛かったのが、廬溝橋事件(ろこうきょう)だな。
詳しい人物名は忘れたけど、教科書では軍部が政府の命令を無視したことになってるけで、
実際は軍の命令を、現場の若将校が、命令してきた相手に、
「私は、昔のあなたのように戦いたいのですぅ!」みたいなことを言って、上からの命令を
思いっきり無視したんだな。
この、くだらない動機による命令違反がなければ、太平洋戦争そのものがなかったかもしれない。
旧日本軍はどうしょうもねぇ。
72 :
日本@名無史さん:02/04/09 19:21
それは参謀本部の石原莞爾が関東軍に対して対支作戦の中止をうったえた時
関東軍参謀の武藤章が石原に対して『満州事変のとき貴方がやったことと同じ
ことをやろうとしているだけです』と言った言葉
73 :
日本@名無史さん:02/04/09 20:28
>>71 そんなことで歴史は変わってないよ。
血気盛んな将校がいたというだけの話だ。
>>72 それそれ。 廬溝橋じゃなかったんだ。
>>73 それは、誰にも分かりませしぇん。でも、ちょっとオーバーだったな。
関東軍参謀の武藤章ではなく参謀本部で石原の部下だった武藤章第三課長
の間違いだった(石原はこの時、第一作戦部長)
76 :
日本@名無史さん:02/04/09 22:58
要するに時の政府が軍部を制御できていなかったというか、当時の政治家にろくな
のがいなかったというか、要するに失政の結果の行き当たりばったりな無謀な戦争
をやったというか、つまり、そのせいで軍属以外の多くの日本人を殺したわけで、
それで、その責任は誰かとったのか?
77 :
朝日読者だけど:02/04/09 23:07
なんか興味深く一連のスレを読んでる。
あのさ、別に朝日がそんなにいいとは俺ちっとも言ってないじゃん。
別に新聞如き、どれ読んでもさほど素晴らしいわけでもなし、
さほど悪の権化であるわけでもなし、と思ってるし。
つーか、一部の人って必死になって朝日をどーしてそんなに嫌うのかなー、
とそこがどうにも不思議なだけ。例えば、一般的朝日購読者は別にそんなに
朝日に入れ込んでないyo。なのに朝日読んでれば売国奴呼ばわりだろ。
そのヒステリーというか、余裕の無さというか(藁、
もいちど聞くが、どしてそんなに必死こいて「たかが」一新聞を憎めるの?
そのことをもって「朝日大嫌い主義者こそ実は朝日に最も意味を見いだしている方々」
と言ったわけyo。
また、そゆう人々にたまたま一新聞を取ってるだけで突然2chとかで襲い
かかられる俺っちのメーワクも考えてくりゃれ。(藁
>>77 べつに一読者たるあなたなど誰も相手にしてはいないと思うが。
>78
まぁそう言われると立つ瀬がないが・・(藁
つまり俺が言いたかったことは、
1)仮に朝日の論調が問題あるのだとしてもゲンジツに読者はそれべったりじゃない
2)ゆえに朝日のゲンジツ世界への影響力はさほどではない
3)実影響がないものを青筋立てて批判するだけ無駄。ほっとくが吉
4)結局百花斉放で万人共生して目出度し目出度し
とゆうことなのyo。