1 :
日本@名無史さん:
について語り合いましょう。
2 :
日本@名無史さん:02/03/14 10:02
「個人的には、壬申の乱終結後の大海人は、血筋正しい後継ぎを二人も
設けてることだし、この際倭姫王とケコーンして吉野方と近江方の融和を
図るという手もあったと思うんですよね。
それに草壁・大津の後継者争い問題を考えると、乱後すぐに讃良を皇后に
したのは事態を混乱させるという意味でむしろマイナスかもしれません。
讃良が皇后に選ばれたのは、やはり壬申の乱における活躍への恩賞、
天皇補佐役としての活躍への期待、そして多分彼女への愛故、でしょう。」
これどう?(・∀・)
どうって…(-_-;)
4 :
日本@名無史さん:02/03/14 12:24
age
459 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/12 18:08
日本の天皇家というのは、中国の後宮や徳川家の大奥などとは違い、
もともと家柄の正しい女性しか入内出来ません。上の方のレスで
ありますが、尚侍などは、役職付きの天皇の妻という身分です。
天皇の妻ではなく、あくまで宮中で働く女性である「女房」という立場の者
さえ、中流以上の貴族しかなれませんでした。
天皇の妻にはなれない、あくまで職業婦人に過ぎない中流貴族の娘を
現代の身分に置き換えると、「県知事の娘」といったところでしょうか。
天皇家に嫁げるのは、各省大臣の娘でしょう。
皇后になれるのは、総理大臣の娘だと思われます。
***
460 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/12 18:13
じゃあ歴代天皇の側室だった人たちのなかに
庶民の娘はいなかったんだね。
そりゃあ美智子妃ブームになるわけだ。
徳川家の大奥だったら、八百屋の娘でも
将軍に気に入られてお世継ぎを生んだら
いきなり○○院扱いなのにね。
***
461 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/12 18:30
>>460 だからこそ、身分制など無くなった筈の現代ですら、
皇族・華族にはそれなりのプライドがあって、
一昔前は、美智子様も散々いじめられた、と。
しかし、血統にこだわったハーレムって世界でも珍しい気がする...
いやはや、想像もつかない特殊なところですな。
463 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/12 19:55
>461
世界でも珍しいのかな?
私もそんな気がするけど、でもヨーッロッパとかはやはり血筋重視のような気がする。
西洋はよく知らないんであくまで印象ですが。
でも絶対に日本の皇室ほどじゃないでしょうね。>血統主義
あと、世界にもさほど類を見ないと思うんですが、日本は血統と同等くらい、「徳」も
重視された気がする。宮中で乳兄弟を過失致死させた天皇が廃位になってますが、
西欧だと、「それが何か?」って感じだと思うし。
ある学説によると、天皇の後宮が他国と比べて血なまぐさくないのは、
お互いに血統や身分が拮抗している為、相手を粗略に扱えなかったからだって。
あと、天皇もそうだけど、基本的に「下々の者に対して手本となるべし」という思想が
根底にあるので、あまり品のない事は出来ないでしょうしね。
阿閉の
「辛かったけど、皇族だから我慢しなくてはと思ったのよ!」
という思想がバリバリ受け継がれている気がします。>天皇家
465 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/12 20:50
>463
確かに、日本の皇族の歴史って世界の王族に比べると
血なまぐささは少ないね。
大津の事件なんて、諸外国の王族の血なまぐささと
比べると、吹けば飛ぶような…
大友も、長屋王も、大津も、一応は
プライドを持たせる形で死に追いやってるし。
中国だったら体バラバラ、
ロシアだったら死ぬまで牢獄に幽閉、
ロンドンだったら拷問死させられてるよね。
***
469 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 00:49
>>463 ヨーロッパは、大雑把にいうとキリスト教の教義により
正式に結婚した夫婦から生まれた子供=嫡出子 であり
正妻(結婚の秘蹟を受けた女性)と妾の間には厳然とした区分けが
あります。だから、妾の間に先に子供(庶子)が生まれていても、
実際に家を継ぐのは、正妻の子供です。
正妻の間に子供がいなかったら、血統を遡る。
(たま〜に庶子でも王位を継いだ人とかいますが。)
財産分与の問題とかも絡んで、その辺は結構シビアな血統主義です。
東洋だと、トルコや中国の皇帝は後宮を持っていて、そこに入る
(入れられる)女性は全国各地はたまた外国出身、身分も様々。
皇帝の寵愛を受け皇子を産めば平民だって皇后も夢じゃないけれど、
いったん寵愛を失えば下手すれば罪人として処刑されることもある。
日本の天皇の後宮って、考えてみると特殊ですね。
男性でも訪れることができるし、なんてったって宦官がいない。
天皇の外戚になって実際の権力をふるうために、不比等以来
代々の藤原氏が画策した結果で、中宮・皇后になれる女性は
皇族出身か五摂家(一条・二条・九条・近衛・鷹司家=藤原氏の
中でも摂政・関白になれる家柄)出身だとばっちり身分規定したり。
(たまーに時の天皇や東宮につりあう娘がいないっつって
親戚の娘を養女にして入内させることもやってますが。)
天皇の跡継ぎも、産まれた順ではなく母親の血統が大きくものをいうし、
西洋と東洋の中間みたいな特殊なシステムですね。
470 名前:463 投稿日:02/03/13 01:26
>469
西洋はシビアというよりも、最初から「妻か愛人か」という問題ですね。
これは現代の一夫一婦制の国家に於ける、歴然たる区別。
ブルボン朝の公式寵姫さえ、愛人にすぎず、愛人は家族ではない。
日本の天皇家の場合、「妻か愛人か」ではなく、
基本的に入内した女性は全員が正式な妻であり、愛人ではない。
たくさんの妻の中から特に皇后を選ぶのであり、
彼女らは全員が家族であるところからからしても。
>母親の血統が大きくものをいうし
讃良や元明・元正まででしょうね。
藤原氏の台頭は、皇后は皇族出身であるべしの矩を覆してしまった。
権力者というよりも、その時に父親がどれだけ勢力があるかがポイントになってしまった。
471 名前:463 投稿日:02/03/13 01:29
権力者というよりも、その時に父親がどれだけ勢力があるかがポイントになってしまった。 X
血統というよりも、その時に父親がどれだけ勢力があるかがポイントになってしまった。 ○
477 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 02:22
>470
>権力者というよりも、その時に父親がどれだけ勢力があるかがポイントになってしまった。
紫式部が仕えていた、中宮彰子の父親・藤原道長は
娘のダンナ(一条天皇)とすこぶる気が合っていたらしく、
天皇の側室はALL道長つながりの女子。
皇后・藤原定子、藤原彰子、
女御・藤原義子、藤原元子、藤原尊子
本当に父親の力がモノを言ってたんだなあ。
***
482 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 02:35
>477
どの辺に「父親の力がモノを」と仰っているのか微妙なのでアレなんですが・・・
定子は道長つながりで皇后になったわけではなく、道長の兄である道隆が
先に政権を握り、その上での立后ですよ。道隆が早世した為、政権争いで
道隆の息子の伊周と叔父の道長が争い、道長が勝ち、娘の彰子を入内させ、
すでに皇后の定子がいるのに、無理矢理自分の娘を皇后にしてしまったわけです。
あと、道長が仲良しだったのは一条天皇というよりは、一条の母親である
東三条院です。彼女は道長の姉であり、甥の伊周より道長を溺愛していました。
伊周が政権争いに敗れたのは、叔母の鶴の一声だったそうです。
485 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 08:40
>>482 それで思い出したけど、関白道兼(道長兄)の娘は道兼死後、
後一条天皇の皇后威子(道長三女)の女房として
宮廷に出仕することになったんですよね。
世が世なら皇后にもなれた身分なのに、父に死なれたばかりに
従姉妹に仕える身に。運命とは残酷だ。
いくら血筋が良くてもこんな人もいるくらいだから、
やはり皇后に実家のバックは大切だ。
血筋は良かったけど、母も母方の実家も失った讃良さまが
皇后に冊立され、その後天皇位にまで上ったのは、
ほんっとうに壬申の乱における功績が大であり、
また個人としてずば抜けて優れた実力の持ち主
だったからなんだろうな〜。
改めて彼女の素晴らしさに思いを馳せてみる。
そして彼女亡き後の天皇家を守り抜いた安閉さまの凄さにも。
486 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 09:15
>485
>血筋は良かったけど、母も母方の実家も失った讃良さまが
>皇后に冊立され、その後天皇位にまで上ったのは
単に時代でしょう。
讃良の時代は、「皇后になれるのは皇女だけ」だったわけですから。
だからこそ、実家もクソもない倭姫も皇后でいられた訳だし。
平安時代だって、いくら後見がいないからって、内親王自身が女房になる
なんて事はあり得ないです。内親王の子女まではどうか知らないけど。
内親王および皇女と、所詮は臣下・藤原の元大臣の娘では、そもそも
身分が違いますよ。
>世が世なら皇后にもなれた身分なのに、父に死なれたばかりに
>従姉妹に仕える身に。運命とは残酷だ。
現代に置き換えると、就職先にあぶれた高卒の女の子が、本来なら
大卒しか雇わないような企業を経営している叔父に下っ端事務員として
縁故で雇ってもらうようなものでは・・・・
それほど悲観するような事ではないと思うよ。いやでも悲観するか・・な?
487 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 10:01
なんか日本史板みたいな話になってきたね。
>>486 >だからこそ、実家もクソもない倭姫も皇后でいられた訳だし。
あれは仕方ないんじゃないですか。皇族で天智の妻であったのが確実
なのは倭姫王だけですし。
(額田王は天智の妻じゃない説も有力ですからね)
個人的には、壬申の乱終結後の大海人は、血筋正しい後継ぎを二人も
設けてることだし、この際倭姫王とケコーンして吉野方と近江方の融和を
図るという手もあったと思うんですよね。
それに草壁・大津の後継者争い問題を考えると、乱後すぐに讃良を皇后に
したのは事態を混乱させるという意味でむしろマイナスかもしれません。
讃良が皇后に選ばれたのは、やはり壬申の乱における活躍への恩賞、
天皇補佐役としての活躍への期待、そして多分彼女への愛故、でしょう。
>内親王の子女まではどうか知らないけど。
宮家の姫なら女房・乳母共に「源氏物語」に例があります。
内親王がその身分のまま女房になった例はさすがに存じませんが、
内親王が身分を廃されて平民に落とされた例はありましたね。
>現代に置き換えると、就職先にあぶれた高卒の女の子が、本来なら
>大卒しか雇わないような企業を経営している叔父に下っ端事務員として
>縁故で雇ってもらうようなものでは・・・・
その例えはちょっと違うでそ。
むしろ、選挙に落選した国会議員が生活に困って仲間の国会議員の秘書に
なるとか、浩宮皇太子妃に落選した旧華族の人が雅子様の女官になるとか
そんなイメージじゃないかね。
488 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 12:20
>487
>あれは仕方ないんじゃないですか。皇族で天智の妻であったのが確実
>なのは倭姫王だけですし。
皇族出身の女しか皇后になれなかったのはただの事実ですよ。
話の流れを読みましょう。
486は485の
「讃良さまが 皇后に冊立され、その後天皇位にまで上ったのは、
ほんっとうに壬申の乱における功績が大であり、 また個人としてずば
抜けて優れた実力の持ち主 だったからなんだろうな〜」
に対する言及です。
讃良が当時皇后になれたのは、一番血統が良かったのと、年齢順。だから
太田が生きていれば、太田が皇后になっていたと、何度も言われている
わけです。本人の功績は無関係です。だから斉明も元明も天皇になれた
んです。
あと、何故当時皇女しか皇后になれなかったかというと、推古の例でも見える
ように、当時の法律で皇后は天皇即位の権限があったからですよ。
讃良が実力者であり、壬申の乱の功績が高かったことも事実ですが、それは
たまたま名と実が一致していただけのこと。讃良は「名」だけでも充分皇后・天皇
の■がありました。偶然資質も伴っていたからこそ、史上で特別視される
だけで。
489 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 12:25
>個人的には、壬申の乱終結後の大海人は、血筋正しい後継ぎを二人も
>設けてることだし、この際倭姫王とケコーンして吉野方と近江方の融和を
>図るという手もあったと思うんですよね。
何故 倭姫が大海人とケコーンΣ(´Д`;)?!
>それに草壁・大津の後継者争い問題を考えると、乱後すぐに讃良を皇后に
>したのは事態を混乱させるという意味でむしろマイナスかもしれません。
マイナスじゃないでしょう。てゆーか、壬申の乱当時、草壁と大津はまだ幼少。
ずっと未来の後継者争いより、皇后を決める方がどう考えても先決でしょう。
>讃良が皇后に選ばれたのは、やはり壬申の乱における活躍への恩賞、
>天皇補佐役としての活躍への期待、そして多分彼女への愛故、でしょう。
壬申の乱直後もその後も何故 倭姫が大海人の妻の名かで一番身分が
高かったのは讃良です。たとえ壬申の乱の功績がなくても、讃良が皇后に
なるのは当然ですよ。
490 名前:486 投稿日:02/03/13 12:41
>>内親王の子女まではどうか知らないけど。
>宮家の姫なら女房・乳母共に「源氏物語」に例があります。
>内親王がその身分のまま女房になった例はさすがに存じませんが、
>内親王が身分を廃されて平民に落とされた例はありましたね。
「内親王」位のままで女房になるはずはありません。
内親王位は皇女なら誰でもなれるというわけではありませんからね。
それをふまえた上で申し上げています。
>むしろ、選挙に落選した国会議員が生活に困って
受け取り方の違いだと思いますが・・・
485さんは「従姉妹の侍女になること」の哀れを言っているでしょう。
近い血縁者の風下につくのと、他人の風下につくのとでは微妙に違う
気がしますよ。
491 名前:486 投稿日:02/03/13 12:45
>488訂正/■→資格
>489訂正/
>壬申の乱直後もその後も何故 倭姫が大海人の妻の名かで一番身分が
>高かったのは讃良です。たとえ壬申の乱の功績がなくても、讃良が皇后に
>なるのは当然ですよ。X
↓
壬申の乱直後もその後も、大海人の妻の中で一番身分が 高かったのは讃良です。
たとえ壬申の乱の功績がなくても、讃良が皇后になるのは当然ですよ。
14 :
あっちの522:02/03/14 12:46
むこうで書くと荒れるからこっちに。
ポカーン(゚д゚)
-----------------------------------------------
525 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/14 08:45
>>522 >>495じゃありませんが、私の知ってる範囲で。
531 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/14 11:33
>>529 ごめんね。525=495ですわ。オホホ。
-----------------------------------------------
いや、525は前後を知らないで書き込みしたんだろうなと思った
だけで、あんた自身が495なら、ただの無知(つーか無恥)ですな。
バカじゃないの、オホホだってさ。
頑ななまでに「讃良の時代は」をシカトするのは、どうしても
自分の勘違いを認めたくないからか?
呆れてものがいえない。
>もっと身分の高い皇女を差し置いて皇后になった方は、
>あの時代にも探すと結構いらっしゃいます。
で、これにも答えられない、と。
日本史板で鍛えてもらってください、知ったかぶりちゃん(w
495 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 14:14
>>488 >皇族出身の女しか皇后になれなかったのはただの事実ですよ。
荒れぎみのところツッコミ申し訳ありませんが、梅原猛か永井路子の
読みすぎでは?そんなに単純に割り切れる話ではないですよ。
磐之姫、敏達皇后広姫、宝皇女など、本人が皇女でなかったり、
もっと身分の高い皇女を差し置いて皇后になった方は、
あの時代にも探すと結構いらっしゃいます。
また、皇女でなくとも蘇我氏出身者なら皇后になる資格があったと
いう説もあります。
>489
>ずっと未来の後継者争いより、皇后を決める方がどう考えても先決でしょう。
「称制」にするって手もあったかもよ。
つーか、日本史板にお逝き>知ったかぶりちゃん
496 名前:495 投稿日:02/03/13 14:22
>>495 >>489 >>ずっと未来の後継者争いより、皇后を決める方がどう考えても先決でしょう。
>「称制」にするって手もあったかもよ。
あ、ここは全くの間違いなのでこの部分は取り消します。
うっかり口出しした自分がアフォでした。まず日本史板に逝くわ。スゴスゴ。
497 名前:花と名無しさん 投稿日:02/03/13 18:38
>495
>>皇族出身の女しか皇后になれなかったのはただの事実ですよ。
>荒れぎみのところツッコミ申し訳ありませんが、梅原猛か永井路子の
>読みすぎでは?そんなに単純に割り切れる話ではないですよ。
梅原ギライ、永井ギライの私ですので、そういう決めつけられ方は
正直アレなんですが・・・
私が申し上げている「皇女しか皇后になれない」は、「天上の虹」が
描かれている時代についての話なんですが。
発端は>486の
>讃良の時代は、「皇后になれるのは皇女だけ」だったわけですから。
ですよ。
他の時代に於いては皇女がかならずしも皇后になれたわけじゃない事くらい
存じていますよ。
全体の流れと、そもそもはここは天虹スレだという事を理解した上で発言
して頂きたいものです。
>つーか、日本史板にお逝き>知ったかぶりちゃん
日本史板ではコテハンですが何か?
ていうか、うっかりだかどうかしりませんが、何故喧嘩ごしで語られるのか
不思議だ。
(゚д゚)?
転載コピペした者ですが二重投稿エラーになって書き込みできなくなっちまったー(・∀・)
あ、出来た。
18もちゃんと書き込まれてたわ。
でも飽たからもういいや
⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
( 531って乏しい知識で言いがかりをつけるだけつけて、
( 反論されて勝てないと日本史板へ逝けだの知ったかぶりだのと人を貶めて、
Ο ( さらに反論されると「雑談のつもりだった」と逃げて、
ο ( 悔し紛れに煽り、またまた反論されると他人をジサクジエン呼ばわり。
∧_∧ 。 ( 最後には「○○じゃないけど」とカキコして、
__ ( ・∀・)__ ( 相手が引っかかると「○○でした〜(得意げ)」と。
/ \ | ( すごい人格の持ち主だ、近寄らない方が無難です、諸君。
| .| | ( なんて思ってるなんて言えないよなぁ
| | | | | (
 ̄ | | | | ̄\ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
| | | | .\ マツデチ!! キャッキャッ!!
| |\ \ \⊃ \ ≡≡∧,,∧ ≡≡∧ ∧
 ̄ ∪ ̄.| | | ̄ ̄ ̄|| ≡≡ミ,,>∀<ミ ≡≡(,,・∀・)
| | | || ≡≡ミ_u,,uノ ≡≡ミ_u,,uノ
| | | || "~" """ ::: "~""~" """
| |_ |_ || """ ::: """ ::
|__)_) ‖
イイカゲンムコウニカクトワルイカラコッチニカクヨ
ズレちゃった。
>21
はげどう
相手にする価値もない。
日本史板に誘って「まだ私は負けてない」ヅラかましてんのが片腹侈タだよな。
付き合いきれねーよ。
24 :
日本@名無史さん:02/03/14 22:02
>>24 しーっ、よりによって少女漫画板で釣り上げられた程の珍しいお人よしなんだから、
構うんじゃありません。
・・・・・・・・知識もだけど、態度的にも一方に問題があったわな。
>個人的には、壬申の乱終結後の大海人は、血筋正しい後継ぎを二人も
>設けてることだし、この際倭姫王とケコーンして吉野方と近江方の融和を
>図るという手もあったと思うんですよね。
大海人と倭姫王の結婚の可能性?
なんで?
28 :
日本@名無史さん:02/03/15 22:44
>24
マジレス。
>18のURLを見てきたら判るよ(ワラ
それか、単に18=25?
私はミトコンドリア・イヴの子孫です。
31 :
日本@名無史さん:02/04/05 10:35
32 :
日本@名無史さん: