1 :
日本@名無史さん:
海軍はいち早くきづいて食糧変えて脚気激減、
それなのに陸軍軍医総監殿は最後まで脚気は
最近感染と言い張った。
何千、いや何万人の犠牲者が出たか?
その規模、HIVの比に非ず。
2 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:16
日露戦争で3万人を殺害した森鴎外は逝ってよし。
3 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:19
高木兼寛>森鴎外は常識
4 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:23
志賀潔などの優秀な医学者も沈めた。
ノーベル賞を奪い去った張本人でもある。
5 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:23
あの頃、脚気は細菌感染ってわかってたんだっけ?
6 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:24
森鴎外は執筆だけやっときゃよかった
7 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:39
>>5 = ???????????????????????????
8 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:41
>>5 脚気はビタミンB不足に起因。
鴎外のアホは、ドイツ医学の馬鹿の1つ覚えで
何でも細菌が原因と信じていた。
9 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:44
まさか軍出入りの業者と癒着…なんてね。
最近のニュースの見過ぎか。
10 :
日本@名無史さん:02/03/09 12:42
1さんの仰るとおりだが、何をいまさらの話題だ。
山下政三さんの研究が出たのはだいぶ前だ
11 :
日本@名無史さん:02/03/09 13:01
安部が無罪なら鴎外も無罪。
よってこのスレ終了でいいですか?
12 :
日本@名無史さん:02/03/09 14:10
江戸わずらい=脚気?
13 :
日本@名無史さん:02/03/09 15:16
別に鴎外は利権のためにウソついたわけじゃないだろうに……
単にアタマがこちこちの権威主義者だっただけの話で、
目先のカネのために患者を売った安部とは罪の質が全然違うわい。
14 :
日本@名無史さん:02/03/09 15:21
鴎外は「ドイツ帰りの超エリート」という
自分のプライドを守らんが為に
細菌説に固執した。
大罪だね。
森先生の悪口をいうな!
16 :
日本@名無史さん:02/03/09 18:13
17 :
日本@名無史さん:02/03/09 18:49
石井四郎とどっちがDQS?
医学者?としてなら、森の方が下なんじゃないの?
石井個人でも731がらみの実績があるし、
そこから巣立った学者もいるんでしょ?
19 :
日本@名無史さん:02/03/09 18:55
高木かねひろあげてやれよ。奴こそ脚気を解明した功績のある
人物なんだからYO
20 :
日本@名無史さん :02/03/09 23:47
ハンセン病問題の最大の戦犯・光田健輔は安部英と同じく山口出身だが、
もともとは隣藩石見出身の森林太郎に憧れて上京した。
因果は廻る。
ていうか、長州近辺は罪人医学者の名産地。
21 :
日本@名無史さん:02/03/10 00:16
アホネタにマジレスする用で悪いが、
日露戦争は1905年
ビタミンBが始めて発見されたのは1910年
欧米の学会で細菌説が否定されたのはもっと後。
高木兼寛が、日露戦争以前に玄米を食することにより脚気が防げると
発見したのはすばらしいことであるが、具体的理論に乏しかったのである。
一方、アメリカの学会が、非加熱製剤を使わないように指摘したのは
1982年、エイズウイルスが発見されたのは1983年、
然るに安部は1986年まで、周りの反対の意見を押し切って
非加熱製剤を使い続けるよう指導してる。
森と安部は罪の重さが全く違う
舞姫でドイツ人女性をヤリステした頃となんら進歩していないですなあ。
23 :
日本@名無史さん:02/03/10 00:51
>具体的理論に乏しかったのである
でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。
明治天皇も玄米の効用には気付いていた。
「別に毒でもないんだし、効用があるなら食べさせておこうか。
理由は後で追及しよう」という姿勢をとらず
プライドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし
高木らを誹謗した。森一派は有罪。
24 :
日本@名無史さん :02/03/10 00:54
高木の東京慈恵医大は今は立派な大病院だけど、
当時はしがない町医者だからねえ。
帝大医学部および陸軍の権威主義が背景にあったことは事実だろう。
玄米男爵高木さま
26 :
日本@名無史さん:02/03/10 02:24
>当時はしがない町医者
誰が?
高木氏は海軍の軍医(最後は軍医総監)ですが。
慈恵会病院にしても、皇后以下、当時の最高クラスの人々が後援していた
はずで、「しがない町医者」とは程遠い存在でしょう。
イギリス留学したりしていて、当時の医学界の主流派ではないにしても。
>>26 いや、一応そのことは知ってるんだけど。
つまり、帝大の権威が絶大だったってことを言いたかったわけ。
実は今慈恵病院に通ってて、先生と話してると
「今でも東大コンプレックス強いなあ」てひしひし感じちゃうのよ。
>21
海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名ですが、ビタミン Cの発見はビタ
ミンB1より後です。
これは、原因は不明ながらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかって
いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験ができなかったことが影響し
ているそうです。
(治療法が確立していたため、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)
「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒でしょう。
海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾病の原因になりうるという認識を持って
いた高木氏が、「栄養上の問題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。
このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)は、結果的には誤りだった訳
ですが、何の仮説もなく闇雲に行動していた訳ではない。
そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確たる根拠を持たない一仮説
に過ぎないわけです。
当時、日本人医師達との対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確立し
て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではないか」というようなアドバイスをした
と聞きます。これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思い込みで突っ走るの
を危惧したためでしょう。
>27
なるほど。
ただ、高木兼寛・森鴎外も含め、当時の「本当のエリート」は、先進諸国に留学
した人ですよね?
帝大閥の威光が確立してしまった後とは、事情が違うようにも思いますが。
>>23 >>28 なんか日本語読めない奴が多いな。まったく
罪の重さが全く違う。とかいただけで
森鴎外が無罪とは一言も言ってないんですが?
スレッドタイトルが「同罪」となってるから
同罪とはいえないでしょって言ってるの。
森鴎外は主流の学説に同調しただけ。
安部のやった事は、明らかに血液製剤が危険と
判っていながら、製薬会社の利益のために
主流の学説に一人反対してごり押ししたの。
ミスと意図的な犯罪の区別ぐらいつけられるようになってから
人の意見に文句つけようネ。僕ちゃんたち
31 :
日本@名無史さん:02/03/10 17:42
ってか高木が脚気の解決法を見つけたのが普通の流れだというが
その流れを今まで誰も見つけられなかった、一種のコロンブスの卵
的なもんだよな。そこまで理解した上で述べてほしいっす。あとは
30の考えに同調
>30
>ミスと意図的な犯罪の区別ぐらいつけられるようになってから
石黒や森は、麦飯賛成派の陸軍軍医達を飛ばしたり、麦飯給食禁止を
たびたび指示したりしていますが?
それも、海軍での食餌改革の後に。
だからこそ、陸相が聴衆の面前で公然と森を非難したりという事態に
至ったんですが。
だいたい、主流の学説も何も、石黒/森/小池といった当人達が主と
して主張していた説でしょう?連中が学閥的に声がでかかったから、
一見主流に見えていただけ。
自説と面子に固執して、有効かもしれない療法を「俗説」と決めつけ
て退けたあげくに多数の死者を出すという行為は、単に「ミス」では
すませることができないし、安部教授と同罪か、むしろ罪は重いくら
いだと思ってますが。
>31
>ってか高木が脚気の解決法を見つけたのが普通の流れだというが
>その流れを今まで誰も見つけられなかった、一種のコロンブスの卵
>的なもんだよな。
23にあるように、脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の
独創ではないです。
高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、「栄養不良ではな
いか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革案を提示し実証したと
ころだと思います。
それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚気の
治療法を確立できなかったからではない。
日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸軍でも
地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。
経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定する
がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても「ミス」な
どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為でしょう。
34 :
日本@名無史さん:02/03/11 16:17
>>32 1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かったことがわかってないようだね。
近代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで
コッホとパスツールが、細菌の発見→純粋培養による特定という
手法を編み出し、初めて病気に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。
だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に対する
者に対しては全く無力。
当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。
いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように
統計的に明らかな改善があったからといって
そのやり方が正しいとは一概に言えないのが医学。
統計結果を元に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で
その影響を除去して考えなければならない。
然るにプラシーボ効果に対する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。
それまで、医学では統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされていた。
つまり
>>32のレスはどう考えても今の概念で、当時を糾弾してるに過ぎない。
安部のときと、鴎外のときは、技術も違うけれども、概念も違う。
それをいっしょにして考えてるだけだね。
>34
ビタミンの概念はなかったかも知れませんが、28でも書いたように、栄養の不足で致死的な
症状を起こすことがある、ということは、数百年も前にわかっています。
既に、1734年には新鮮な野菜の欠乏が壊血病の原因だとして、「抗壊血病性食品」という言
葉を提唱した(これは早すぎて受け入れられなかったそうですが)そうですし、1747年には
柑橘果汁が有効であると証明され、18世紀末には予防法として採用されています。
もっとも、その間に一説では13万人以上のイギリス水兵が壊血病で死んだそうですから、い
ずこも同じ、といったところでしょうが。(金がかかり過ぎる、が理由だったそうで。)
脚気にしても、ビタミンB1の発見に直接連なる、エイクマンによる実験論文は1898年だそう
ですから、高木氏の成果が当時の医学人の理解力を越えていたなどということはありません。
そもそも、当の陸軍軍医部自体が、明治32年(1899年、森鴎外が小倉に飛ばされていた時期)
に、根拠を示した上で、米麦混食の効果を一旦はみとめこれを推進しています。
それを、敢えて逆戻りさせた挙げ句、約2万8千人の死者と20万人以上の患者を出すような策
を推した人物を弁護する言葉を、私は知らないです。
自分が確実な予防策を知っていた上で怪し気な民間療法を禁ずるならば格別ですが、自分は無
為無策でありながら、少なくとも経験的には有効性がわかっている予防法を禁止した訳ですよ、
森鴎外は。
海軍では猖獗を極めた脚気の制圧に成功し、陸軍でも諸処で米麦混食を実施し成果を上げてい
たことを虚心にみれば、心ある者ならば自説や面子を捨てる筈です。
日露戦争当時に陸軍の給食方針が半ば人殺しよばわりで非難され、陸相が弁明の談話を発表す
るに至った、ということをみても、「今の目で見ての非難」などでないことは明白だと思いま
すが。
36 :
日本@名無史さん :02/03/12 00:06
34さんとかは知見が豊富だが、
一方でカキコに漲る熱意から察すると、やはり鴎外に多少シンパシーがあるのかな。
おれは専門外なので、医学的なことにはコメントできない。
ただ、高木兼寛=海軍・薩摩閥に対する陸軍・帝大(ついでに長州)閥の妙な意地、
つまり不合理で主観的で医学外的な理由で、数万人にも及ぶ尊い命が失われた可能性は
やはり看過できないと思うよ。
ついでだが、あのハンセン病問題でも、反隔離派の小笠原登=京大系アカデミズムに
対する光田一派=現場主義の歪んだ対抗心があったと聞くし、
同様のことは東大の落ちこぼれだった安部英にも当てはまるだろう。
なんでも単純にアナロジー化するのはアホらしいと思うが、
「歴史に学ぶ」という姿勢をもってすれば、こういう視角から
脚気問題を見直すこともあっていいと思う。
37 :
日本@名無史さん:02/03/26 10:39
そうですね。
これは農水主導だけど、BSEでまたもや繰り返されたことだし。
38 :
日本@名無史さん:02/04/06 11:39
おいおい、今度は薬害C型肝炎か。
どうなってるんだ。
10年もウィルス入り血液製剤放置で、さらに販売促進たあ、べらぼうだね。
ほんとに一度総括してくれよ、官僚の公衆衛生概念。
39 :
日本@名無史さん:02/04/07 16:10
そうかも。
40 :
日本@名無史さん:02/04/14 17:17
あげ
41 :
日本@名無史さん:
鴎外がひどかったのは有名だけど、
東大医学部系列がそれを隠滅、
あまつさえ虚実を捏造しようとしたのもことさら醜い。腐ってる