679 :
日本@名無史さん:02/05/01 17:08
>>674 ま、明治大帝とて生物学的にはヒトですから自分の考えというものはお持ちでしょうな。
680 :
日本@名無史さん:02/05/03 01:05
>>『聖断』(中公新書)での指摘は素晴らしい。
とういうのは、
『御前会議 昭和天皇十五回の聖断』大江志乃夫/著 中央公論社 \621 1991/02
のこと? 品切れ中だそうです。残念無念。
>>680 大きな本屋で探せば置いてる所が多いと思う。
大江氏の本では
『張作霖爆殺 昭和天皇の統帥』中公新書
『日本の参謀本部』中公新書
等が手に入り易い。
682 :
日本@名無史さん:02/05/03 09:20
>>677 >日清戦争開戦のとき、明治天皇の反対にもかかわらず、政府は戦争を決定し、
>これに対して明治天皇は拒否権を行使しなかった。このことにより、明治憲法は
>「事情変更の原則」により事実上の変更がなされ、日本は専制国家から立憲君主国家に
>なった。
フムフム、この理屈でいけば、昭和天皇が拒否権を発動して、田中義一内閣を総辞職
においこんだことによって、「事情変更の原則」による事実上の変更がなされ、日本は
また専制君主国に戻ったことになるね。
>>682 >昭和天皇が拒否権を発動して、田中義一内閣を総辞職
>においこんだことによって、「事情変更の原則」による事実上の変更がなされ、日本は
>また専制君主国に戻ったことになるね。
そういうこと。
所謂「統帥権」は内閣の輔弼事項に含まれない。
つまり、「統帥権」は天皇に属し執行権は参謀本部が握っていた。
張作霖爆殺に始まる満州事変は、
当時の憲法下では首相・陸相・内閣では厳重な処罰はできなかった。
参謀本部の責任追及は天皇でなければできなかった。
張作霖爆殺事件の調査とその結果に対して
昭和天皇は田中首相を叱責したがそれは筋違いだった。
叱責されるべきは参謀総長だった。
昭和天皇の処置の誤りはここから始まった。
684 :
日本@名無史さん:02/05/03 15:25
>昭和天皇が拒否権を発動して、
>田中義一内閣を総辞職
>においこんだことによって
「拒否権を発動して」とは言い過ぎではないですか?
田中の上奏が二転三転するので昭和天皇は田中が大嫌いになった。
それが田中の知るところとなり田中が総辞職しただけで、
別に昭和天皇が田中を更迭したわけではないだろう。
そりゃテキトーな事ばっかり報告されたら誰だって不信感は抱くと思うよ。
責任というなら田中にあるような気がするが。
686 :
日本@名無史さん:02/05/03 16:55
>>683を読みました。
少々、気に掛かる点が。
>張作霖爆殺に始まる満州事変は、
満州事変の始まりは柳条湖事件では?
>当時の憲法下では首相・陸相・内閣では厳重な処罰はできなかった
てか陸相白川義則はもろに厳罰反対を表明してますね。
>参謀本部の責任追及は天皇でなければできなかった
「参謀本部の責任追及」ではなく「関東軍の責任追及」では?
張作霖の爆殺は関東軍高級参謀の河本大作が勝手に練って実行したものでしょう。
責任を追及されるべきは参謀本部ではなく関東軍だと思うが。
>張作霖爆殺事件の調査とその結果に対して
>昭和天皇は田中首相を叱責したがそれは筋違いだった。
>叱責されるべきは参謀総長だった。
参謀総長って鈴木荘六大将のこと?
いや、むしろ田中首相の厳罰方針を潰しにかかった白川陸首と上原元帥及び彼らを突き動かした陸軍部内の派閥「双葉会」と「一夕会」が叱責されるべきなかじゃないですか?
ちなみに「双葉会」と「一夕会」をあわせると物凄い勢力みたいですよ。
それで私の意見ですけど、つまり何ですか?
張作霖爆殺事件の主要メンバーを厳罰に処すことは内閣では無理なので天皇がすべきだったというわけですか?
こりゃ、ちと変ですね。
もろに天皇の政治関与ですやん。
それに処罰とはつまり「人事」ですね。
天皇に人事の実権はありませんよ。
張作霖爆殺メンバーに対する人事権が具体的に誰にあったかは存じませんが、陸軍自身にあったことは事実。
たしかに首相は口出しできない。
しかし、そこをうまくまとめるのが首相たる者の役目では?
それでもなお、河本大佐らの厳重処罰を首相が断行するのは絶対に無理というのであれば、それはもう権力分散型憲法の欠陥というより他はないのでは?
687 :
日本@名無史さん:02/05/03 19:07
>>683 >所謂「統帥権」は内閣の輔弼事項に含まれない。
>つまり、「統帥権」は天皇に属し執行権は参謀本部が握っていた。
正確に言えば、軍部大臣も「統帥権」の執行権は有していた。人事(補職)権や
軍令の奉行権、軍政に関する区処権など。
>張作霖爆殺事件の調査とその結果に対して
>昭和天皇は田中首相を叱責したがそれは筋違いだった。
>叱責されるべきは参謀総長だった。
>昭和天皇の処置の誤りはここから始まった。
これは大江志乃夫氏の『張作霖爆殺』の見解だよね。でも、これはとんでもない
珍解釈。大江さんは軍事史の専門家なのに、戦前の軍制について初歩的な誤りをし
ている。それで、大恥かいてしまった。
陸軍軍人の人事、犯罪の処分についての責任者は参謀総長ではなくて、陸軍大臣
だよ。
688 :
日本@名無史さん:02/05/03 19:26
>>684 >それが田中の知るところとなり田中が総辞職しただけで、
>別に昭和天皇が田中を更迭したわけではないだろう。
だって、当のご本人がこう言ってるんだよ。
「そこで田中は再び私の処にやって来て、この問題はうやむやの中に葬り
たいと云ふ事であった。それでは前言と甚だ相違した事になるから、私は
田中に対して、それでは前と話が違ふではないか、辞表を出してはどうか
と強い語気で云った。
こんな云ひ方をしたのは、私の若気の至りであると今は考えてゐるが、
とにかくそういふ云ひ方をした。それで田中は辞表を提出し、田中内閣は
総辞職した。」(『昭和天皇独白録』p.22)
少なくとも昭和天皇は、田中を辞めさせたのは自分だと考えていたわけね。
>「拒否権を発動して」とは言い過ぎではないですか?
『昭和天皇独白録』の別の箇所には、
「田中に対しては、辞表を出さぬかといったのは、「ベトー」を行ったのでは
なく、忠告をしたのであるけれ共、この時以来、閣議決定に対し、意見は云ふ
が、「ベトー」は云はねう事にした」(同書、p.25)
と、回想されている。
つまり、彼の主観では、「ベトー」すなわち「拒否権を発動」したつもりは
なかったのだが、しかし、結果的に拒否権発動とおなじことになったと理解し
ていたわけだ。
まあ、この回想がほんとうに事実を正確につたえているかどうか、検討のよち
があるが、昭和天皇自身の解釈にそくして言えば、「拒否権発動による更迭」は
言い過ぎとはいえない。
>>686 >満州事変の始まりは柳条湖事件では?
確かに満州事変の始まりは柳条湖事件(一発変換できないな)だ。
しかし、参謀本部の参謀が独断で大陸での権益拡大を計画し実行した始まりは
張作霖爆殺事件だ。
「満州事変」という事件そのものより、「参謀の独断」という要素を重視し
張作霖爆殺事件を始まりとした。
誤解を与え申し訳ない。
>てか陸相白川義則はもろに厳罰反対を表明してますね。
貴方は陸軍内部の派閥についても詳しいようなので、
知識の乏しい私が答えるのは差し出がましいことになるが一応。
白川は田中との関係が深い。
彼らの関係は田中が陸軍に入るために愛媛で勉強していた頃からのもの。
原敬内閣で田中が陸相に就任すると山梨半造が次官に、
白川はそれ以前に就任していた人事局長に留まった。
田中が病気を理由に辞任すると、山梨が陸相に白川が次官に起用された。
その後、田中が組閣する際に白川が陸相に就任。
ここまでの関係を見ると白川は田中の「子飼い」と言って良い。
田中は白川を通じて陸軍に影響力を行使できると考え、
昭和天皇もそのように考えたのではないか?
しかし、田中と対立する上原らの圧力により優柔な白川は厳罰反対を表明する。
白川の厳罰反対は白川自身のものというよりは陸軍の意志であった。
続き
>「参謀本部の責任追及」ではなく「関東軍の責任追及」では?
>張作霖の爆殺は関東軍高級参謀の河本大作が勝手に練って実行したものでしょう。
>責任を追及されるべきは参謀本部ではなく関東軍だと思うが。
確かに事件を計画・実行したのは河本である。
しかし、事件後陸軍軍人の関与が噂される様になり事件の調査が行われることになる。
調査報告では「陸軍軍人の関与はない」とされた。
陸軍中央部は満州における張作霖の存在を疎ましく思っていた。
事件により張作霖が死亡したこと自体は喜ぶべきことであったが、
陸軍軍人が関与していたとなると大問題である。
河本が行った張作霖爆殺事件を刑法に照らし合わせると、
第126条「人の存在する…(中略)…顚覆又は破壊したる…
罪を犯して因て人を死に到したる者は死刑又は無期懲役に処す」、
爆発物取締罰則第一条「人の身体財産を害せんとするの目的を以て
爆発物を使用したる者及び人をして之を使用せしめたる者は
死刑又は無期若くは七年以上の懲役又は禁錮に処す」という重罪だそうだ。
これほどの犯罪者を陸軍内部から出せば、
「世論も陸軍の批判を強めるのではないか」という懸念もあり当然の調査報告となった。
田中はこの報告を受けてもそれを信じず調査を他の機関に依頼する。
調査については経緯・結果が相当複雑なモノなので私がこれ以上述べるのは差し控える。
詳しくは『張作霖爆殺』を読んで頂きたい。
さらに続き
>むしろ田中首相の厳罰方針を潰しにかかった白川陸首と上原元帥及び彼らを突き動かし>た陸軍部内の派閥「双葉会」と「一夕会」が叱責されるべきなかじゃないですか?
確かにその通り。
しかし、二葉会などは陸軍の公式な組織ではなく将校たちが私的に作った「勉強会」に過ぎず処罰の対象にするのは難しい。
また、昭和天皇自身も軍人に対し甘い面が多く厳罰を下すとは思えない。
>ちなみに「双葉会」と「一夕会」をあわせると物凄い勢力みたいですよ。
重要なポストに彼らが就きはじめ影響力を増していたのは事実。
しかし、彼ら自身中央部が事件後に満州への作戦(派兵といったほうが正確か)を
計画・実行することを当てにしておりまだ歯止めは掛けられる段階だった。
>もろに天皇の政治関与ですやん。
>…(中略)…
>それはもう権力分散型憲法の欠陥というより他はないのでは?
正にその通り。
元々「統帥権」をめぐっては内閣の輔弼事項であるという解釈があった。
しかし、日露戦争後伊藤博文が国政への影響力を低下させていく中で、
陸軍は参謀本部や軍令に関する法を制定し「統帥権」を不可侵のモノとし
自らの隠れ蓑としていく。
丁寧なレスを付けて頂いたが、それに対する私のレスは答えとして不十分なのはお許し頂きたい。
この問題は余りにも長い期間をかけて生まれ、広範囲にその影響が出ている。
私が挙げた本を読んで頂ければより分かり易く詳しく知ることが出来ると思う。
>>687。
>でも、これはとんでもない珍解釈。
>大江さんは軍事史の専門家なのに、戦前の軍制について初歩的な誤りをし
>ている。それで、大恥かいてしまった。
>陸軍軍人の人事、犯罪の処分についての責任者は参謀総長ではなくて、陸軍大臣
>だよ。
そうですか。
私は専門家ではありませんので、
本で読んだ知識をひけらかす事しかできませんので
書き込みに誤りがあると思います。
>>684 独白録に関しては昭和天皇の戦争責任回避に一役買った事と
戦前に重臣達が残した記録との間に食い違いがかなりあるとの事で
何とも。
ところで、この事件の処置に対する
>>687さんの見解は?
かなり初歩的な疑問ですが張作霖爆殺の犯人はどこの国の法で裁かれるべきものなのでしょう?
日本? 中国?
事件の現場は満鉄の附属地帯の中であり、犯人は日本人・河本大作だよね。
それならば、日本の法で裁かれます。
美濃部達吉『憲法撮要』(改訂5版、1932年発行)によると、
「一部統治区域は南満州鉄道附属地帯是なり。
…その地域に在る日本臣民は治外法権条約(日清通商航海条約20条)により、
支那の裁判権に服せず、専ら日本の領事裁判権に服するものなるを以て、
日本臣民に対しては日本が統治権の全部を有するものなり。」
ということです。この場合は犯人が軍人なので、領事裁判じゃなくて軍法会議だろうけどね(たぶん・・・)。
どっちにしろ、日本の法で裁かれるという原則は変わらないと思われ。
ところで幼稚な質問で恐縮だけど、
白川義則って、江川達也のマンガ「日露戦争物語」に出てくる彼ですよね。
任官と補職の違いをご存知の方いらっしゃいますか?
武官における「官」というのは、基本的には大将以下伍長までの階級のことであり、
「任官」というのは、即ち階級に任じられること。
では「職」「補職」というのは何でしょうか?
いまいち分かりません。
参謀本部設置当初の明治11年の参謀本部条例では
「本部長ハ将官一人ヲ勅ニ依テ之ヲ任ス」
となっており、参謀本部長というのは「任」じられる「官」である、という感じがします。
でも、明治41年の参謀本部条例では
「参謀総長ハ陸軍大将若シクハ陸軍中将ヲ以テ親補シ」とあり、
参謀総長は「補」される「職」になっているようです。
両者の本質的な違いは何でしょうか???
以下は仮説です。
二つの参謀本部条例の間には、明治40年に公式令が制定されている。
公式令14条によると、官を任じる官記には内閣総理大臣が副署すると定められている。
武官を任じる官記とて例外ではない。参謀本部長を任じるときも総理大臣が副署することになる。
これを嫌がった参謀本部サイドが、参謀本部総長は「官」じゃなくて「職」であるということにして、
その補職には総理大臣の副署は要らない、という形式にしたのではないか?
「補職」の概念の裏には、統帥部の独立を画策する意図が隠されていたのではないか?
実際のところは、参謀本部総長の補職には誰が副署するのでしょうか???
誰も副署しない???
>>696 本を読んでの私の類推。
大将や大佐などの「官」は経験値。
「職」は各人の経験値に応じて実際にどういった仕事をするかというもの。
例えば関東軍司令官という「職」は大将が就ける。
人事に関しては人事局長に相当な権限が与えられていたようだ。
レスありがとうございます。
「職」=「実際にどういった仕事をするか」という解釈ですが
陸軍省では陸軍大臣は親任官、次官・局長・次長は勅任官は、課長以下は奏任官などであり、
皆「任官」されます。「補職」ではないようです。
陸軍省・海軍省に関しては「どういった仕事をさせるか」を「補職」とする解釈には無理があるように思われます。
>>698 そう言えば、「軍司令官以上は天皇が直々に…」という文章を何かの本で見た。
その本では「親任」ではなく「親補」となってきたような気がするが記憶は曖昧。
「憲法撮要」さんは相当詳しいようなのでこれ以上はでしゃばらないようにする。
700 :
日本@名無史さん:02/05/04 13:19
>>692 >そうですか。
>私は専門家ではありませんので、
>本で読んだ知識をひけらかす事しかできませんので
>書き込みに誤りがあると思います。
気を悪くしたのなら、あやまるよ。
悪いのは専門家なのに、初歩的な誤りをした大江氏のほう。発表当時、大江氏の見解を
もちあげた日本中世史の大家もいたくらいだったから、あなたに責任はありません。
>ところで、この事件の処置に対する
>>687さんの見解は?
この「事件の「処置」」とは、事件の真相は公表せずに、満鉄の警備上重大な手落
ちがあったという理由で、関東軍の首脳と事件の関係者を行政処分にしたという「処
置」ですよね。
念のために確認しておくと、当時公表された行政処分の内容は、
関東軍司令官村岡長太郎の予備役編入
関東軍参謀長斎藤恒と独立守備隊司令官水町竹三の重謹慎(ともに監督不行届により)
同高級参謀河本大佐の停職
童門さんの質問が、上記「処置」の当否に関してこちらの見解を問うものだとした
ら、すまないけど、回答はごく月並。
「この時にきちんと司法処分をして、河本等を処罰しておれば、その後の事態の展開
は大きくちがっていたであろう」。
ただ同時に、どのような政府であれ、できれば闇から闇に葬りたくなるような性格
の事件であったことも否定するつもりはない。つまり、よほどの決断と覚悟がなけれ
ば処分はできなかったであろうと、そうも考えている。
これで回答になっているかな。
701 :
日本@名無史さん:02/05/04 13:23
>>696 >任官と補職の違いをご存知の方いらっしゃいますか?
>武官における「官」というのは、基本的には大将以下伍長までの階級のことであり、
>「任官」というのは、即ち階級に任じられること。
そのとおり。すなわち武官官等表に定める「官」のいずれかにつくのが「任官」。
>では「職」「補職」というのは何でしょうか?
>いまいち分かりません。
軍の組織内の特定のポスト(=職、ただし武官職にかぎられる。上は参謀総
長から下は小隊長まで)につくこと、あるいは臨時に特定の職務を命じられる
こと、それが「補職」。
憲法撮要さんが陸軍大将に進級して、参謀総長に就任すれば、天皇から
「任陸軍大将、補参謀総長」の辞令をもらいます。
「任官」「補職」とでは、人事発令の手続きがことなる。
少尉以上の「任官」は軍部大臣が人事案件を内閣に提出し、内閣総理大臣から
天皇に裁可を求める奏請がなされる。任命辞令は大佐以下の場合は、陸軍省・海
軍省から発令され、将官の場合は内閣が出す。大将であれば親任官なので、天皇
が親署し、内閣総理大臣が副署する。
この手続きは一般の文官と同じ。すなわち国務として処理される。「任官」は
憲法第10条の任免大権の行使による人事といえる。
いっぽう、「補職」の場合、人事案件は内閣に出されずに、軍部大臣から直接
天皇に裁可を求める上奏がなされる。つまり帷幄上奏の対象となる。
ただし任命辞令は「任官」の場合と同じで、大佐以下のポストは陸軍省・海軍
省から、将官ポストは内閣から出る。
親補職たとえば参謀総長の場合は、天皇が親署し、内閣総理大臣が副署するか、
あるいは時期によっては天皇御璽のみで天皇親署がない場合もある。その場合で
も内閣総理大臣が奉勅の対署をしている。
この場合の人事は、憲法第10条ではなくて、第11条の統帥大権の行使によるも
のと解釈される。もっとも、この解釈だと将官の辞令が内閣から出されるのは、
ほんとうはおかしいのだが慣例によりそうなっている。
>参謀本部設置当初の明治11年の参謀本部条例では
>「本部長ハ将官一人ヲ勅ニ依テ之ヲ任ス」
>となっており、参謀本部長というのは「任」じられる「官」である、という感じがします。
>でも、明治41年の参謀本部条例では
>「参謀総長ハ陸軍大将若シクハ陸軍中将ヲ以テ親補シ」とあり、
>参謀総長は「補」される「職」になっているようです。
明治11年に山県が参謀本部長になったときは、「任官」の手続きだった(内閣の
閣議で案件が承認されたあと、三条太政大臣が上奏して裁可を受けている)。とこ
ろが、途中から参謀総長は「官」ではなくて、「職」だと認識されるように変化し
たために、法文も上のようになったわけ。
702 :
日本@名無史さん:02/05/04 13:27
>>698 >陸軍省では陸軍大臣は親任官、次官・局長・次長は勅任官は、課長以下は奏任官などであり、
>皆「任官」されます。「補職」ではないようです。
陸軍省の武官が就任しなければいけないポストで、「任官」の対象となるのは、
陸軍大臣と陸軍次官のみ。その他の武官職の局長は「補職」。官報を見るとわか
るけど、「任陸軍次官」に対して「補軍務局長」となっている。
また、課長以下の職務については陸軍大臣が専決できる。つまり「任官」では
ない。なぜなら、奏任官ならばその「任官」は内閣を経由して天皇に上奏しなけ
ればいけないことになっているから。
課長以下の場合、辞令の文句は「補軍事課長」でなく、「軍事課長を命ず」か
「軍事課長を被仰付」だと思われる。
なぜ、「陸軍大臣」と「陸軍次官」だけが「任官」かといえば、それはこの二
つは他の各省大臣や次官と同じ「文官職」であるから。陸軍大臣や次官は武官の
みが就任できる特殊な文官職だったわけ。
なお、軍務局長などが補職だったことは、これらの局長人事も帷幄上奏によっ
て決定されていたことを意味する。
703 :
日本@名無史さん:02/05/04 17:14
>>701 補足だよ。
> いっぽう、「補職」の場合、人事案件は内閣に出されずに、軍部大臣から直接
>天皇に裁可を求める上奏がなされる。つまり帷幄上奏の対象となる。
すべての補職が帷幄上奏されていたのではない。そんなことになったら、天皇は
たいへんだ。毎日、毎日ハンコ押しで、腱鞘炎になりかねない。
天皇に上奏されたのは、補職の一部にすぎない。将官の補職すべてと(これは確
実)、佐官だとラインでは連隊長以上、スタッフでは各級の参謀長以上だと思われ
る(この点不確か)。
それ以下の補職は各級の司令官・指揮官や陸軍大臣以下の官司の長に委任されて
いた。
詳細なる教示、感謝いたします。
>その他の武官職の局長は「補職」。
なるほど、なるほど。
各省官制通則(
http://duplex.tripod.co.jp/rei/rm26-122.htm )では
第十八条 各局局長ハ一人勅任トス(略)
とありますので、単純にこれに従えば、軍務局長なども任官の対象になりまする。
おそらく、陸軍省官制・海軍省官制に、軍務局長なども補職の対象とするよう特別な規定があるのでしょう(小生は未見です)。小生の更なる興味は、その特別な規定がいつ成立したのか、という点でありまする。ちと調べてみます。
任官の発令者の件ですが、
公式令(
http://duplex.tripod.co.jp/rei/rm40-6.htm )
14条によれば、
・親任官ノ官記・・・御名あり御璽あり→総理大臣が副署する
・勅任官ノ官記・・・御名なし御璽あり→内閣総理大臣が奉す
・奏任官ノ官記・・・御名なし御璽なし(内閣ノ印のみ)→内閣総理大臣が宣す
となっています。
>任命辞令は大佐以下の場合は、陸軍省・海
>軍省から発令され、将官の場合は内閣が出す。大将であれば親任官なので、天皇
>が親署し、内閣総理大臣が副署する。
というご説明と違うのですが、任命辞令というのは官記とは別物なのですか?
確認お願いします。
706 :
日本@名無史さん:02/05/07 14:28
>>704 >おそらく、陸軍省官制・海軍省官制に、軍務局長なども補職の対象とするよう特別な規定があるのでしょう
そのとおり。たとえば、各省官制通則が制定されたのは1886年が最初だが、同時に発令された陸軍省官制の
第二条に、「陸軍省職員ハ武官ヲ以テ之ニ補ス其文官ヲ任用スルトキハ各省通則ニ依ル」とあって、陸軍省の
職員には原則として武官をもってあて、その命課は補職である(「之ニ補ス」)との規定がなされている。
なお、補足しておくと、各省の内局局長が「任官」の対象となるべき「官」となったのは、じつはこの時
(1886年の各省官制通則および高等官官等俸給令の制定)がはじめてであって、それまでは内局の局長は
「官」ではなく、「職」とみなされていた。「官」は外務大丞で、その「職」が公信局長というように。
>小生の更なる興味は、その特別な規定がいつ成立したのか、という点でありまする。ちと調べてみます。
調査の結果が披露されるのを楽しみにしているよ。余計なお世話かもしれないが、少し口出しを。
この問題はさらに次のように分節化できる。
1.上記陸軍省官制第二条に該当する「特別な規定」が、いつから陸軍省・海軍省の職制なり官制にもりこまれ
るようになったのか。
2.武官のばあい、「任官」と「補職」の人事発令手続きが異なるものになったのはいつからか。言い換えれば、
「任官」=国務大臣上奏、「補職」=帷幄上奏という区分が生じたのはいつからか。さらになぜ武官の「補職」
だけが他と異なる手続きで処理されうるのか、その法的根拠は何か。
3.1.2.の「特別の規定」や法的根拠は明治憲法の制定によって、いかなる変更をもこうむらなかったのか。
4.武官の場合、「補職」なる用語がいつから生まれたのか。
ついでに、このスレッドの本来の問題意識にひきつけたかたちで問題を設定しなおすと、
5.「補職」=帷幄上奏という武官人事の方法(天皇の統帥権行使)は憲法第55条といかなる関係にあると考え
られるか。明治憲法の文理解釈からして、はたして合憲といえるか。
707 :
日本@名無史さん:02/05/07 14:30
>>705 >>任命辞令は大佐以下の場合は、陸軍省・海
>>軍省から発令され、将官の場合は内閣が出す。大将であれば親任官なので、天皇
>>が親署し、内閣総理大臣が副署する。
>というご説明と違うのですが、任命辞令というのは官記とは別物なのですか?
>確認お願いします。
ごめん、ごめん。これはこちらの間違いです。「任官」の場合は、公式令
の規定どおり、奏任官(佐尉官)でも任命辞令すなわち官記は、陸軍省・海
軍省ではなくて内閣から発令される。訂正しておくと、
官記:奏任官(佐尉官)は内閣から発令、内閣の印を押して、総理大臣が宣
勅任官(中将、少将)は内閣から発令、天皇御璽を押して、総理大臣が奉
親任官(大将)は内閣から発令、天皇親署、御璽、総理大臣副署
となる。補職の場合は職紀とよばれるが、その発令の区分は前のとおり。
AGE
age
age
711 :
日本@名無史さん:02/05/14 16:48
官僚の権限が弱くなった。
だが国民の代表である政治家は無能。
712 :
日本@名無史さん:02/05/23 22:51
あげ
713 :
日本@名無史さん:02/05/26 07:39
明治憲法起草に参加した金子堅太郎(1853-1942)の晩年の発言を知りたいです。
714 :
日本@名無史さん:02/05/26 14:24
金子堅太郎てそんなに長生きしてたのか!
確かに晩年の発言は知りたいな
明治20年代には予期してなかったようなことが次々に起こったんだろうな
715 :
日本@名無史さん:02/05/26 14:55
日本国憲法に強硬に反対してた吉田が、なぜ急に擁護に回ったんだろうな。
そういえば、吉田茂の記念展が開かれているという話を耳にしたんですが、
どこでやってるか、どなたかご存知ですか?
716 :
日本@名無史さん:02/05/26 15:20
>>713-714 中途半端なレスで申し訳ないんですが、
金子は、1930年のロンドン海軍軍縮問題で、枢密院顧問として
浜口内閣を苦しめたり、その後は天皇機関説を批判したり、
日中戦争の前後に東亜モンロー主義の論文を雑誌に書いたりしてました。
東亜モンロー主義の論文は読んだ筈なんですが、
割と短いもので、取り立てて特色のあるものではなかった
ことぐらいしか記憶にはないです。
ロンドン海軍軍縮、天皇機関説に関する発言は、
多少その問題を詳しく扱った本には出て来ると思います。
飽くまでも印象では、頑迷な老人になってしまったな、という感じです。
AGE
AGE
719 :
日本@名無史さん:02/05/29 18:16
>>715 永田町の衆議院憲政記念館で、6月14日まで。
a
天皇機関説論争について詳しく書かれた本を教えてくれ。
名前忘れたけど横浜有隣堂の憲法の棚に分かりやすいのがあったが。
宮沢俊義『天皇機関説事件』有斐閣
725 :
日本@名無史さん:02/06/02 23:13
>宮沢俊義『天皇機関説事件』有斐閣
ソノ本ハ品切レデース。
天皇機関説の周辺―三つの天皇機関説と昭和史の証言 有斐閣選書 (74)
宮本 盛太郎 (著)
コレモ品切レデース。
入手可能な本では、
天皇制と国家―近代日本の立憲君主制
増田 知子 (著) 単行本 (1999/05/01) 青木書店
の中の1章が天皇機関説排撃事件を扱っているよん。
AGE
727 :
日本@名無史さん:02/06/14 02:28
今、明治憲法の研究者の中で評価が高いのは誰ですか?
728 :
日本@名無史さん: