2・26事件を語るスレ

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1安藤
今日は2月26日。
12月14日の吉良邸討ち入り、8月15日の終戦記念日よろしく、
お約束2・26事件について語りましょう。
26日襲撃、27日戒厳令、28日奉勅命令、29日投降。
これから3月1日までの4日間、この2・26スレッドで
事件を語ろう。

2日本@名無史さん:02/02/26 19:57
この日って何かお祭りあるの?
三島由紀夫は何かやってたぽいけど。
3日本@名無史さん:02/02/26 20:43
雪の日だったってのは本当?
4日本@名無史さん:02/02/26 20:51
軍部暴走の始まりって感じだけど、心から日本国の行く末を
願ってる人達がいたって事実だけは謙虚に受け止めないとならないかも。
5日本@名無史さん:02/02/26 20:52
>>2
麻布の寺で法要やってるよ。青年将校達の骨が分骨されてる寺。
参照過去ログ
「2・26事件について教えてください」
http://piza.2ch.net/log2/history/kako/950/950128578.html
6   :02/02/26 21:38
殺された要人には陸海軍の偉いさんもいた。
大命をうけた首相を殺すなど、極悪人だよ。
彼らが国を思ってというのなら、どこぞの革命テロ戦士
もヒーローになっちゃうよ。

515事件もそうだし、昨今の少年犯罪でもそうだが
マスコミは思いこみDQN罪人に意義を求めすぎるきらいがある。
7日本@名無史さん:02/02/26 21:48
純粋培養された将校の悲劇だな。

いずれにせよ人を自分の確信に基づいて殺した以上
結果は当然負うべきだよ。磯部の獄中手記とか読むと
こいつらが国政掌握してたら国はまさに闇になってたと思える。
おそるべき独善、他者への理解の無さ、狂信。

それに、彼等に率いられた兵士たち。
その後懲罰的にかなり苛酷な扱いを受けたとか聞くが。
8日本@名無史さん:02/02/26 21:51
天皇の意思を忖度してやるのが臣下の努め。
悲しいすれ違い物語だったということで。
9日本@名無史さん:02/02/26 21:55
雪がすごい日だったらしい
10日本@名無史さん:02/02/26 22:28
配達にいけなくて困ったと酒屋の先代が言っていたな。
11   :02/02/26 22:35
車が少なかった時代にもかかわらず
交通規制で、周囲は大渋滞〜

迷惑にも程がある
12日本@名無史さん:02/02/26 22:36
本日支給した薬包は全て実弾である
13日本@名無史さん:02/02/26 23:16
のらくらが読みたくなった・・・
14日本@名無史さん:02/02/26 23:16
↑間違い、のらくろ
15前に別スレで暴露した過去の226オタ:02/02/26 23:16
>>7
自分らが国政掌握するつもりはなかったんじゃ?
磯部が怒ってた最大の理由は、(国政を任せられると)信頼していた者達
に裏切られたということだったと思う。
まー、純粋培養ってのはあったかもねー。
教育って恐ろしいよねー
16日本@名無史さん:02/02/26 23:19
現隊復帰
17日本@名無史さん:02/02/26 23:19
関東アズマがウザイんだけど。
2・26は関東部隊で間違いないよな。
18日本@名無史さん:02/02/26 23:25
515を起こした奴等に比べればマシでしょう。
あいつ等は救いようが無い。
19日本@名無史さん:02/02/26 23:28
>>15

陰で真崎らを「ケレンスキー」呼ばわりしていたと思う。
つまり、ケレンスキー政権の後、真のレーニン政権が誕生するということ。
20日本@名無史さん:02/02/26 23:29
有力な青年将校は、山口県出身者と、東京出身者と、北海道出身者の三人だったかな。
(名前忘れちゃった)
大儀名文に挙げた東北の出身者は、1人しかいなかったそうだ。
あと参加兵には東北出身者が多くいたらしい。
部下の窮状を見ていられなかったのかな?
21日本@名無史さん:02/02/26 23:30
さだに曲作らせて映画作れば永遠となる
22日本@名無史さん:02/02/26 23:35
あの悪名高い「辻正信」が影に暗躍していたらしいのですが
どんな本に出ていたかわすれました。
2322:02/02/26 23:36
ゴメソ。辻政信だったよ。
24日本@名無史さん:02/02/26 23:44
>>20
山口=磯部
東京=栗原
北海道=村中
だねん。

磯部は山口県でも結構貧しい家の出だった(漁師か左官の家だったかな?)から
そういう経験からも決起にかける情熱は大きかったかも・・・。
栗原は軍人家族だったらしいけど、中隊持ってて部下思いだったらしいし
性格的に喧嘩っ早い人だったみたいだし。
(ヤルヤル中尉とか言われてたらしい。いつも「決起するぞ」て言ってたとか)

参加兵は埼玉県人とかもおおかったみたいよん。(東京の部隊だしね)
埼玉県から226事件参加者(ほとんど下士官兵)の体験談集がでてるねん。
25過去の226オタ女:02/02/26 23:51
>>22
辻が関わったのは、226事件の前の11月事件で、それも磯部や村中を
調査して捕まえる方として関わってたと思うんですが。
それ以外にも関わりがあったのかな・・・
26 :02/02/26 23:51
海軍陸戦隊vs決起部隊の戦闘が見たかった。
27過去の226オタ女 :02/02/26 23:53
>>19
真崎をケレンスキー?誰がそう言ってたんですか?
2819:02/02/26 23:55
当の磯部だったと思う。
出典は失念。
29過去の226オタ女:02/02/26 23:59
>>20
東北の状況は、東北の部隊にいた人からの情報が主だったような感じ。
運動の先駆者的な人が、東北の部隊にいたらしく。
八王子方面や埼玉方面なんかも結構貧しい家庭があったらしくて。
安藤なんかは、月給の何割かを貧窮家庭の部下の援助にあててたんだとか。
3020:02/02/27 00:02
24さん29さん
ありがと。
31過去の226オタ女:02/02/27 00:03
>>28
んー、捕まったあとでそう言ったということはないですかね
獄中手記、手元にないしもう忘れちゃったけど。
少なくとも磯部は真崎を結構信頼していたと思うんで・・・
32日本@名無史さん:02/02/27 00:10
2.26事件に参加し、処刑された将校、激戦地へ送られて
亡くなられた将兵に敬礼!
33日本@名無史さん:02/02/27 00:12
2月27日になりました。
34過去の226オタ女:02/02/27 00:18
>>30
ごめん、20も私です(笑
名前入れ忘れちゃって・・・

27日になったから捨てハンにもどろーっと
35日本@名無史さん:02/02/27 00:32
ハァ?
226参加の下士官未満には敬礼してもいい、命令に従っただけだからな。
戦地に行くのが怖くて反乱した逆賊に敬礼なんか出来るか!
そのせいでどれだけ日本が混乱したのか。
36日本@名無史さん:02/02/27 00:36
立てこもったホテルは帝国ホテル?
すまそ
37日本@名無史さん:02/02/27 00:37
27日になりましたが、2・26事件でなくなられた高橋是清の冥福を祈って、合掌。
他にもいっぱい殺された大臣達はいますが、
日露戦争では外債募集で戦争継続を支えつつ昭和期には重化学工業や軍需産業を発展させる等をして昭和恐慌を乗り切った稀代の財政家でありながら、
それにもかかわらず、成年将校から殺されるという皮肉な運命を歩んだ悲劇の宰相に合掌。
38日本@名無史さん:02/02/27 00:40
>>36
山王ホテル。赤坂だけど今はない。
39日本@名無史さん:02/02/27 00:41
はっきり言って、軍部上層部の責任だとと思う。
事件後、危険性を察して軍部を抑えこむ事は出来なかったのかな。
そうしようと動いた政治家は居なかったのか?
40日本@名無史さん:02/02/27 00:41
なるほろ、それでTBSには今でもお出になると言うワケですか
41日本@名無史さん:02/02/27 00:42
>>35
>戦地に行くのが怖くて
てのは違うっしょ。
安藤は決起して事が治まったら予定通り満州へ行くと
決起中に会った旧友に言っていた。
42日本@名無史さん:02/02/27 00:44
>>35
ハァ?じゃないでしょ。非国民が。
43age:02/02/27 00:47
<<39
陸軍を抑えようとしたした政治家は既に殺されてる。
浜口、井上、斉藤実。
法改正をしない限り陸軍・海軍の発言力を抑えることはできんかっただろう。
44教えて君:02/02/27 00:48
で、2chねらの見解は?
憂国の士なの?
たんなるクーデターなの?
それ以外?
45日本@名無史さん:02/02/27 00:50
>>44
2ちゃんねらなんていっぱいいるんだからさ・・・

私の見解は、憂国の士による単なるクーデター
46教えて君:02/02/27 00:52
うーむ、やはりさだは谷村の曲で日テレあたりがドラマ作らなきゃ
いけませんねぇ
47日本@名無史さん:02/02/27 00:52
>>42
カスに「非国民」なんて言葉で2チャンではじめて煽れたぞ(藁
もうちょっとましな日本語を喋れないのか?
48日本@名無史さん:02/02/27 00:54
5・15事件を起こした反乱グループに対し、
信じられないくらいの軽い刑罰のみにとどまったことが、2・26事件を起こす伏線の一つとなりました。
49日本@名無史さん:02/02/27 00:56
俺はWW1後の恐慌による不況と関東大震災が背景にあったと思う。
金融恐慌等が無ければ、大正デモクラシーが継続していた筈である。
外部ではベルサイユ体制でバッシングの嵐。
そんな背景があったとしても、決起した将校を弁護する気にはなれない。

50日本@名無史さん:02/02/27 00:58
>>48
それを言うなら三月事件が問題だ。

ついでに分かってたのなら木戸、なんとかしろよ。
51日本@名無史さん:02/02/27 01:04
私は高橋積極財政も伏線の一つであったと思います。
彼の日本再建策はのちにケインズ政策を言われる政策ですが、
浜口緊縮財政策で抑えられていた軍事費を拡大させ、重化学工業を中心に経済の牽引を図ったため、
軍部の力も増大。
さらに5・15事件や浜口首相暗殺事件、団琢磨事件等、犯人に対してきわめて甘い懲罰で
テロの正当化、暴力による言論の圧力に知識人、新聞等が屈したことも伏線(もしくは殺された)
52日本@名無史さん:02/02/27 01:10
226のテロをおこなった基地外に
合掌なんか出来ない。
53日本@名無史さん:02/02/27 01:20
行動としては、軍事テロだけど、彼等がなにを考えて行動
したかくらいは、勉強してね。軍国主義ではないんだよ。
54日本@名無史さん:02/02/27 01:22
>>53
彼らが結果的に何を残したかくらいは、勉強してね。
結果なんだよ〜。
55教えて君:02/02/27 01:32
ほほう、オモシロくなって参りました
やはりテロですか?
維新ですか?
おしえてください
56日本@名無史さん:02/02/27 01:52
この後彼ら所属の第1師団は北満で匪賊討伐の日々だったっけ。
何を残したかといえば、国家総動員体制の早期確立という、
陸軍省軍務局による政府や議会の無血占領か。
これで満州に引き続き、やっと「日本」も思いのままさ。
57日本@名無史さん:02/02/27 01:56
最前線に送られたのは、統制派に嫌われたからで
彼等の非ではない。
58日本@名無史さん:02/02/27 02:01
軍人は政治に関与したらいけないんだよ。
そんなこともわからないの〜。
59日本@名無史さん:02/02/27 02:22
>>58
軍が政治に関与するのを嫌って立ち上がった、将校達なんだよ。
説明するの面倒だから、勉強しろ。
60日本@名無史さん:02/02/27 02:25
2・26事件て実は昭和十一年説
61教えて君:02/02/27 02:27
なるほど、失敗したカダフィ大佐みたいなモンですな
62日本@名無史さん:02/02/27 02:28
>57
2年交代の第1師団の満州行きはもとから決まってて、
それもあるからあせって決起したというのもある。
63日本@名無史さん:02/02/27 02:31
>>59
で、結果的に軍が政治に関与するのがなくなったの?
逆じゃないの。
64日本@名無史さん:02/02/27 02:37
>>63
だから勉強しなって言ってるの!
65日本@名無史さん:02/02/27 02:49
勉強しなって、かなりありふれた煽りだね。
66日本@名無史さん:02/02/27 03:00
この後軍務局の面々は、決起将校のことなんか鼻からバカにしてるのに、
政府や議会のお偉方に
「それじゃウチの若いもんがまた決起するかもしれませんね」
ってな感じで、軍刀ガチャつかせて大いに脅しをかけ、
自分たちの恣意の実現に狂奔したのでした。
こうして満州は関東軍、「日本」は軍務局に占領されたのでした。
67日本@名無史さん:02/02/27 03:14
>>66
説明ありがとうございます。
だけど、皇道派と統制派の違いがわからん厨房には
理解できんと思う。
蛇足だが、勝手に言うと。
66氏の文の軍務局は統制派、決起将校は皇道派。
68日本@名無史さん:02/02/27 03:16
>>65
煽ってはいない、本気で言ってるのだ。
69日本@名無史さん:02/02/27 03:23
そしてこれからだよ。
軍が気に入らない内閣に陸軍大臣を出さずに
それだけで倒閣させてしまうのを多用したり、
当時課長にもなっていない佐藤賢了さんの「だまれ!」の
一言で議会がシーンとなっちゃったり、
武藤章さんの鶴の一声、「政党解散は軍の方針である」で
全政党がすぐ解散して大政翼賛会が発足したりするのは。
今じゃ考えられないよ。
役所の一局長の一言で自民党が解散するのと一緒だもん。
70日本@名無史さん:02/02/27 03:26
一部の部隊決起が、天皇や議会に恐怖心をあたえてしまった。
その思想うんぬんは抜きにね。
71日本@名無史さん:02/02/27 03:39
統制派は陸大出のエリート、皇道派の決起した青年将校はほとんど
陸大に行ってないエリートじゃない人。だけどそんな統制派を
憎んで頭が良くてもあえて陸大に行かなかった人もいる。
でも所詮陸大に行かなければ中央の要職にはつけない、
隊付で終わっちゃうから、軍務局や作戦部の面々の
彼らへのバカにしかたは半端じゃない。
72日本@名無史さん:02/02/27 03:46
つまらん突っ込みですまん。
陸大×
陸士○
73日本@名無史さん:02/02/27 08:36
>>72
士官学校は行ってるんじゃなかった?
大学は村中しか行ってないけど・・・
74日本@名無史さん:02/02/27 10:11
>>69
軍部大臣現役武官制が復活した理由は、
真崎などを内閣に入れないためだったのだが、
この事が裏目に出たんだよね。
この時期は悪い方向にしか進まないね。
75日本@名無史さん:02/02/27 11:51
昭和帝はなぜ現役武官制復活を認めたのか?
当時の世論や政治状況が知りたい。
76日本@名無史さん:02/02/27 13:19
>>75
昭和天皇は「君臨すれども統治せず」という存在。
極端に言えば、政府・統帥部が決定した事に、ハンコ(承認する)を押すだけ
の存在。
しかし、昭和天皇は数回自分の意見を通したことがある。
有名なところでは、田中義一叱責、2・26事件、ポツダム宣言受諾時、
他にも内閣人事に口出ししている時もある
77日本@名無史さん:02/02/27 13:51
「統治権を総攬」していた天皇が,「統治せず」ということはない.
同じめくら版を押すのでも,戦後の天皇の「虚器」としての国事行為ではなく
元首として行う権力的行為である.
78226子孫:02/02/27 14:17
願わくはsageでお願いします。
79日本@名無史さん:02/02/27 17:42
これで山下奉文はもう中央に戻れなくなった。
8076:02/02/27 20:32
>>77
形式上はでしょ。もし、貴方の言う元首として行う権力的行為ができたのであれば
戦争もさせなかったはずですし・・・
まぁ、私の言葉足らずでしたね。謝ります。
81日本@名無史さん:02/02/27 21:44
>>80
いざとなっては絶大な力をふるうことができたその立場が問題なんでしょ。
76にもあるようないくつかの事例のように、自分の意見を通せる権力が、
226の時にも存分にふるわれた。
(秩父宮と絡んでる噂があったから―実際秩父宮に心酔してた将校もいたし―
余計に感情的になったとも言われてるやね。)

戦争にしても、肯定はせずとも否定もしてないのだったら、わざわざ
周りの意向に反してやめろなんて言わないんじゃないの。
82江川さんの莞爾タンかわいすぎ:02/02/27 22:29
莞爾タンはね鎮圧する方に回ったけどね
よくわからないのだけど相沢三郎から時世の句を
相沢が死刑判決を受けた後にもらってるのんだね。
83日本@名無史さん:02/02/28 00:24
逆賊晒しage
84郷土の先輩・西田税を称える会:02/02/28 00:46
2・26事件に関与したとされる西田税については、以前から
関心を持って調べてきました。
わが郷土・鳥取県米子市の出身ですが、西田家の人々はずいぶんと
辛い思いもしたようです。何と言っても閉鎖的というか、そういう
土地柄ですからね、米子は。
しかし、税の憂いていたことは今の世の中にもぴたりと一致して
います。
85日本@名無史さん:02/02/28 01:04
「立憲君主は自分の意思で決定することができない」というのが基本。
議会の決定を承認する機関。
2・26事件の収拾に関しては特に天皇が直接指揮を執ったわけではない。
ポツダム宣言受諾に関しては鈴木首相に聖断を求められたのでそれに応えただけ。
進んで自分の意向を示し、直接決定しなかったという解釈なんだろう。
86日本@名無史さん:02/02/28 01:32
>85
直接指揮は確かに執ってないけど、
皇道派のお偉方が「賊軍ではなく義軍に」と陳情しようとしたら、
「朕の信頼する重臣をあれだけ殺しておいて何が義軍だ!
決起部隊は朕自ら近衛師団を率いて鎮圧せん」みたいなこと言って
珍しくかなりの意気込みを見せたよね。
これによって決起部隊は正式に賊軍と認定されて一気に収束に向かったよね。
収拾にあたっては、ご都合主義の皇道派のお偉方が、
彼らに自決を促して「武士の情け」を見せたぐらいだよね。
87日本@名無史さん:02/03/02 23:26
>>85
「基本」つったって、実際に天皇が意見を通すことができる(その権力を持ってる)
しくみになってたんだから。
そういうこと言ってるのに。
88日本@名無史さん:02/03/03 00:43
兵に告ぐ
勅令が発せられたのである
既に天皇陛下の御命令が発せられたのである
お前たちは上官の命令が正しいものと信じて絶対服従を
して、誠心誠意活動してきたのであろうが

既に天皇陛下の御命令によって
お前たちは皆、原隊に復帰せよと仰せられたのである
此上 お前たちが飽くまでも抵抗したならばそれは
勅命に反抗すること になり逆賊とならねばなら
ない
正しいことをしていると信じていたのにそれが間違って
居ったと知ったならば、徒らに今までの行きがかりや、義理
上からいつまでも反抗的態度をとって
天皇陛下にそむき奉り 逆賊としての汚名を
永久に受ける様なことがあってはならない
今からでも決して遅くはないから
直ちに抵抗はやめて軍旗の下に復帰する様に
せよ
そうしたら、今までの罪も許されるのである

お前たちの父兄は勿論のこと、国民全体もそれを
心から祈ってゐるのである
速やかに現在の位置を棄てて帰って来い
                戒厳司令官  香椎中将
陸軍省新聞班員  大久保弘一少佐
89日本@名無史さん:02/03/05 00:20
昨日か、一昨日の新聞に、2.26事件の青年将校
が死んだって出てたけど、有名な人なの?

90渡辺錠太郎:02/03/05 00:30
何故、統制派じゃない私が殺されねばならぬのだー!
91日本@名無史さん:02/03/05 00:45
アズマ人は、郷土を愛し、民を愛し、名誉を重んじる民族だ。
たくさんの民を犠牲にし、名誉を汚し、なおも君主ずらして
王位にありつづけた恥知らずのヒロヒトを、アズマ人は
尊敬することも、愛することもできない!(藁


92日本@名無史さん:02/03/29 13:49
新選組って、今でもあるのかな〜?
93日本@名無史さん:02/03/29 13:50
「青嵐
  過ぎて静けき
 日和かな」
94日本@名無史さん:02/03/29 17:05
皇道派って薩摩閥がベースなんでしょ?
95日本@名無史さん:02/03/29 17:26
皇道派と東郷平八郎が裏で繋がっていたのは間違いなさそうだけど
96日本@名無史さん:02/03/29 17:43
荒木貞夫(東京都)真崎甚三郎(佐賀県)小畑敏四郎(高知県)本庄繁(兵庫県)
川島義之(愛媛県)など厳密には皇道派といえるかは?だが、一応、世上、皇道派と
言われる人物は薩摩とは繋がっていないようだよ
9792:02/03/30 09:54
誰か、俺の質問に答えてくれよ。
98日本@名無史さん:02/03/30 09:57
冷蔵庫にそういうネーミングあります。メーカーは忘れたけど
9992:02/03/30 14:50
>>98
そう言えばあったね。って違〜〜〜〜〜う!!!!!。
100 :02/03/30 14:52
100
                     
101日本@名無史さん:02/03/30 15:09
>>90
渡辺錠太郎さま。
真崎の後任の教育総監であることと、天皇機関説を支持するような話
を周囲にしたのが理由であります。
102日本@名無史さん:02/04/22 00:37
2.26事件を扱った小説でお薦め無い?
人物、背景などが手っ取り早く理解できる感じの。
103日本@名無史さん:02/04/22 00:44
最近では、宮部みゆきの蒲生邸事件があるけど、これってあまり背景などは
くわしくないね。昔なら立野宣之?の反乱があった
104日本@名無史さん:02/04/26 19:28
age
105日本@名無史さん
d