津軽氏

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1日本@名無史さん
南部氏・秋田氏スレがあるので、津軽氏についても語りましょう。
2歴史の勉強:02/02/04 00:24
大浦氏って、ホントに南部氏の庶流なんですか?
3日本@名無史さん:02/02/04 00:26
どうなんでしょうね?「寛政重修諸家譜」には藤原頼通流になってるが
戦国時代からしか歴代の名を載せていない。
4日本@名無史さん:02/02/04 00:42
>>3
江戸時代に出来た系図って信憑性あるのかよ?
にわか大名共が家系粉飾してた時代だろ?
5日本@名無史さん:02/02/04 00:42
やはり為信に尽きる
こいつは政治を知っていた
6日本@名無史さん:02/02/04 00:43
 津軽って大阪の先物取引で失敗し、飢饉なのに大阪に米を送らなけ
ればならなくなったんですよね。いったい何で金が必要だったんだろ?
で、家臣に詰め腹を切らせて…。
 大量に餓死者が出たけど、江戸時代は異様に気温が低い時期だから
仕方ない部分もあるんだけど…

 ところで、新撰組の中に津軽の殿様の妾の子ってのがいたような?

7日本@名無史さん:02/02/04 00:45
>>4
いや、だから「寛政譜」ご覧になればわかることですが、
「頼通流」という大枠の粉飾はあるのかもしれないが、
肝心の中身が載っていない。いきなり戦国時代から系図が
始まっている。
8日本@名無史さん:02/02/04 00:47
へえ、大名が先物取引に参加する、なんてことがあったんだ。
それは津軽に限らず、わりとありふれたことだったんですか?
9歴史の勉強:02/02/04 00:47
まあ、津軽は謎の多い地域だから……
大浦為信が討った津軽郡代・石川(南部)高信が
後に南部宗家を継ぐ信直のお父さんだってぐらいは知ってるけど。
あと、為信が浪岡御所・北畠顕村を殺したことぐらいは……。
まあ、これぐらいは太宰治の「津軽」にも載ってます。

しかし、安藤氏が南部氏に津軽を追われた時期だって推測の域を出ない、
それぐらい謎の多い地域ですからね。
しかし気になるのは、どうして戦国末期に大浦為信は決起したのでしょうか?
ほかの地域と関連してるのかな?
10日本@名無史さん:02/02/04 00:49
「本所には 過ぎたるものが二つあり、
 津軽大名 炭屋塩原」
       
11日本@名無史さん:02/02/04 00:55
>>9
石川高信は果たして大浦為信に討たれたかどうかすらもはっきりしない。
大浦為信の親父が誰なのかもはっきりしない。
謎だらけですな。
1210:02/02/04 01:01
津軽氏の歴史的存在は豊臣以降でしょ、
それ以前の歴史は南部氏の流れなんじゃないの。
13日本@名無史さん:02/02/04 01:04
南部助政−久慈信実−信政−政継−治継−治義−大浦為信
14歴史の勉強:02/02/04 01:16
大浦氏が南部の庶流だとしたら、やっぱ意図的に出自を改竄したんだろね。
津軽領有を正当化し、南部氏に対抗する必要があったろうから。
摂関家を系図に取り込んでるのは、
津軽はもともと安藤氏(秋田氏)の支配下にあり、
強大で且つ家柄も良かった(甲斐武田氏庶流)南部氏に対抗するためでしょ。

可能性としては、やっぱ南部庶流だろうけどねえ。
15 :02/02/04 01:17
南部氏の分家だということを隠蔽したかったわけかね?
16日本@名無史さん:02/02/04 01:23
有名な金為時の子孫、久慈氏流です。
17日本@名無史さん:02/02/04 02:02
秀吉が小田原北条攻めした時に、全国の武家に召集令状出したでしょ、
その時はまだ津軽と南部は戦ってたの、そんな中で津軽のおばさんが
京の近衛家からの・・・
いやここのスレの人達には、釈迦に説教か。
>>10の狂歌は江戸時代のもので、津軽家が徳川幕府に嫌われてた様子
がわかる。
18日本@名無しさん:02/02/04 02:32
津軽家の弘前藩領って江戸時代に開墾が著しく、江戸時代後期には30万石もあったって本当ですか。
19日本@名無史さん:02/02/04 02:38
>>18
もっとあったさ。
20日本@名無史さん:02/02/04 04:00
ではどのくらいですか?
21日本@名無しさん:02/02/04 04:19
ホテル100キンマンコク
22歴史の勉強:02/02/04 10:19
30万石ねえ。
石高の最大の問題点は「実際の経済力がわかりにくくなってしまう」とこ。
だって、そこに封じられた時の経済指標なわけじゃん?

これでまた津軽と南部が並ぶ?
東北美人万歳!
23歴史の勉強:02/02/04 10:33
おれは負けない……
24日本@名無史さん:02/02/04 10:33
南部のとなりがいいな。
25 :02/02/04 10:45
津軽氏って徳川から義孝氏(常陸宮妃の父)が養子に入って継いだ
わけだけど、彼には女の子しかおらず、いずれも他家へ
嫁ぎ婿は取らなかったようだね。
分家の陸奥黒石藩のほうは続いているようだが、弘前藩主家のほうは
義孝氏の逝去で絶えちゃったの?
26日本@名無史さん:02/02/04 14:20
津軽為信はもともと南部左京亮だから、
南部庶流の可能性が高い。
27井沢狂信者:02/02/04 17:55
大浦戌との従姉妹同士の結婚ってマジですか?

まあ、南部庶流なのは確かだと思うが。
何で南部は幕末に藩史を改竄したんだろう?
28日本@名無史さん:02/02/04 21:03
>>27
南部の藩史改竄って知らないや、軽く説明してくんないかなぁ。
29日本@名無史さん:02/02/04 21:20
久慈氏は九戸政実の乱で皆殺しになったはず。
市民運動の世界で久慈力と言う人が居られるが、
自分は久慈氏の残党の子孫と言っていた。
30日本@名無史さん:02/02/04 21:44
南部氏スレになってきた。
31しったかぶり:02/02/04 21:58
歴史の勉強さん こんばんは、
あなたの博学には、敬意を評します。
そろそろ津軽版があがる頃だと思ってました。
 南部側と津軽側では、為信については大昔から
見解が番います。
 が>9と>14の見解が妥当な所だと思われます。
32歴史の勉強:02/02/04 22:50
9でも書きましたが、大浦為信が戦国末に急速に台頭したのは
他地域との関連も考えられないでしょうか?
為信が浪岡御所を亡ぼしてから小田原征伐までたった11年。
何か時期があまりに良すぎて、
中央政権との連絡による所領安堵を見込んでなかったかな〜?
と思えてしまって。

津軽もとい「ひのもと」は意外なくらい京都との連絡が密でしたから、
中央で織田信長が天下統一するのを見越して、
津軽で決起した可能性は全然ないもんでしょうか?
浪岡御所を亡ぼしたのも、京都で足利将軍が追放されて、
もう旧時代の権威を生かしておく必要がなくなったから、とか。
まあ、当時の南部氏の内情を詳しく調べるのが先決でしょうけど……。
33しったかぶり:02/02/04 23:02
>32
当時 南部本家の信直は、九戸政実とのお家騒動のために
津軽まで大軍を派遣できなかった。(為信は政実と手を組んででいたらしい。)
 ご指摘のとうり為信は天下の政情には少なくとも南部氏よりは
明るかったと思いますが。ちょっとかいかぶりすぎでしょう。
34歴史の勉強:02/02/04 23:08
しかし、南部氏も最後の最後まで同族連合の域を脱しなかったのに、
どうして津軽を100年以上も支配できたのでしょうか?
間接統治だったのかな?(それすらわからん、く〜!)。
あるいは、浪岡さんが意外と勢力あったとか。
あるいは石川高信と大浦為信が、もともと同僚で、
何かの齟齬をきたした……とかでしょうか?
35日本@名無史さん:02/02/04 23:09
偽系図とはいえ近衛家とはなんらかのつながりは
あったと考えた方が自然だと思う。
36井沢狂信者:02/02/04 23:12
>>28
確か原敬のご先祖さんとかが幕末頃に南部藩史作ったんだけど、津軽
家の出自とか南部晴政と晴継の死亡年がかなり操作されたとのこと。
何でだろ?
37歴史の勉強:02/02/04 23:13
まあ、近衛氏が津軽まで来たってのはウソでしょうけどね。
南部氏が大浦の遠祖の母親だそうですから、
大浦氏は南部氏の何らかの縁戚、とするのが一番妥当でしょう。
しかし、安藤との血縁はなかったの?
38井沢狂信者:02/02/04 23:19
九戸と石川は強かったらしいね。
南部晴政の戦功の半分以上が石川高信の挙げたものと言われるほど。
九戸も安藤から鹿角郡を奪還しているし。

>>34
南部騎馬軍団が強すぎただけでしょ。
浪岡北畠は主筋(でよかったけか?)だから滅ぼすわけにはいかないし。
同族連合は当主が強引だと結構歯車が噛み合うと思う。
良いとこと悪いとこが一気に出たな、南部は。
39歴史の勉強:02/02/04 23:23
日本の戦法としては、下馬して徒歩で戦うのが普通だったそうだが、
南部氏は馬に乗ったまま戦えたのかな?
とすると、北方遊牧民の影響もあったことになる?

どうでもいいですが、太宰治の「津軽」読みました。
津軽に興味を持ち始めたもので。
あれだと津軽は世界で一番美しい土地に思える。
太宰自身は「米所は美人が多いはずだが……」
と限りなく寒いことを書いていましたが。
40井沢狂信者:02/02/04 23:33
>>39
すいません、半分以上妄想です、南部騎馬軍団。
でも三千騎を動員ってギャグですね、三千人下馬して戦う(w
まあ南部馬はかなり優秀なはずですから騎馬戦術に向くかな?
津軽は平野多いし、南部は精悍だし。

津軽為信旗揚げ以後の戦いって、殆どゲリラ戦にしか感じないんですけど。
勢力築くのに十年以上かかっているし、九戸の造反が無ければ独立は無理でしたよね。
41歴史の勉強:02/02/04 23:37
南部氏にとって馬とは、実際乗って戦うというより、
最有力商品だったでしょうから。

しかし、津軽平野で騎馬軍団てのも面白いスペクタクルだな。
あーみの先生が宮崎駿(だったけ?)との対談で、
「日本には実際ヨーロッパみたいな平原はないんですよ。北海道しか」
と仰せだったが、津軽って広大なの?
武蔵野は網野老師のいうとおり、真っ平らなとこはあまりありません。
42日本@名無史さん:02/02/04 23:39
>>39
日本刀の長さの変遷を見ると、戦国期までの刀の長さは
騎馬戦用ということだけど。
43歴史の勉強:02/02/04 23:45
実際は下馬したんでしょ?
だって、馬上で刀剣ふるうと危ないらしいし、
今週の「利家とまつ」(以降「まつ」)では安達六兵衛とかいう武士が
2mはありそうな太刀を振り回してたけど。
対する前田利家は馬上で槍。
桶狭間では、歩行でもフラフラしてたくせに…。

昔の武士は馬をケチケチ使ってたらしいから、
戦闘時には馬を使わなかったと聞いたが……
44日本@名無史さん:02/02/04 23:54
馬上で刀は振り回せないですよね、すれ違いざまに切るか
突き合ったんでしょ。剣術というものが発明されたのは馬
から降りてからだし。
45日本@名無史さん:02/02/05 00:33
津軽を語ってくれ、南部ではなく。
46日本@名無史さん:02/02/05 12:40
津軽と南部どっちが優秀だった?
47日本@名無しさん:02/02/05 12:49
やはり津軽だろ。ドサクサにまぎれて家老の分際で主家を領土を一部乗っ取ったのだから。
48日本@名無史さん:02/02/05 13:04
>>47
激しく同意!!
アホな南部DQNより1.5倍位はマシだな。
49井沢狂信者:02/02/05 14:08
津軽が優秀なのではなく南部が空中分解しただけだろ。
求心力を持つ晴政が耄碌して、ただでさえ凶暴だったのが一層乱暴に
なって御家が真っ二つになったんだよ。
お家騒動あな恐ろしや。

そもそも南部本家(田子信直)は九戸、津軽とは敵対、八戸とは緊張状
態っていう袋のねずみみたいな状態だったんだぞ。
その好機を生かせなかった九戸側(津軽含む)が間抜けなんだろ。
いつも肝心なところで躊躇しやがって。
50歴史の勉強:02/02/05 14:16
津軽史上、大浦為信は屈指の英雄なんだろうけど、
井沢狂信者さんの言うとおり、南部氏の一族内の統制が未完成だったから。

しかし、大浦氏も南部氏も太閤の朱印状をもらってたんだから、
どうがんばっても現状維持しかできなかったのでは?
(南部氏は九戸ばかりか大崎旧領も併呑してますが)
51歴史の勉強:02/02/05 14:21
安東氏時代の十三湖の水深てどれぐらいだったのかな?
百科事典によると水深3mしかないそうだけど……。
52日本@名無史さん:02/02/05 15:03
当時からりんごの産地だったのかな?
53日本@名無史さん:02/02/05 18:48
あの土地で、実高20万石(とオレは聞いた)は無理だと思われるが...。
今ならしらんが、当時の稲で...。
54日本@名無史さん:02/02/05 18:58
>>53
北東北の場合の実高は、大豊作の時の数字。
平均すれば表高さえ下回るかもしれない。
55日本@名無史さん:02/02/05 20:37
南部と比べるとはるかにましだろうけど、伊達と比べるとどうかな。
56日本@名無史さん:02/02/05 21:19
現在もそうだけど、伊達の土地とは気候が違いすぎる。
日本海側の方が米の生産には適していたのは確か。
57歴史の勉強:02/02/05 23:29
気候を考えると、一番稲作に不適なのは旧南部領だろうね。
しかし東北諸藩にとって米って、別に自給消費(んなこと江戸時代やってないって)
のためじゃなく、基本的に東京・大阪で売るためのもんでしょ?
でもなぜ米だったかは疑問もある。
もっと寒さに強い農産品でもよかったと思うんだが……。
太宰治の「津軽」には津軽の凶作年が載ってて、
何と元和年間から戦争中までの300年間は5年に1回は不作。
たぶん、藩主が一番金になる農産物だってんで、農民に奨励したんだと思う。
その結果、飢饉が発生しやすくなってしまった、と。
人口もかなり増加してると思うんですけどね。
そういう資料はありますか?

林檎は明治以降に導入されたもんだそうです。
これが江戸時代にあったらなあ……
58日本@名無史さん:02/02/06 00:01
腐りやすい果物は物流が不安定な時代は商品として
供給しずらいでしょ。
>歴史の勉強へ、人口増加が飢饉の原因という仮説を
考えてるみたいだが、やっぱそれはないな。
59日本@名無史さん:02/02/06 00:15
津軽娘は泣いたとさ、つらい別れにないたとさ
60日本@名無史さん:02/02/06 00:36
 矢立峠での津軽藩主狙撃事件(だっけw)の詳細を教えてください。
61日本@名無史さん:02/02/06 01:06
相馬大作事件ですな、大昔映画にもなり申した。
夜も遅いので詳細は語れず。
62日本@名無史さん:02/02/06 02:16
>>58
しかし米の権化だった仙台藩の、天明の飢饉での
鬼のような死人の数(約20万人)をみると
一概に違うとは言いきれないんじゃない?
63井沢狂信者:02/02/06 05:57
人口増加が飢饉につながる例は結構あるぞ。
1300年代のイングランドなんかまさにそう。
賃金減るわ、労働機会減るわで農民みんなあぼーん。
とどめがペスト。

あ、津軽に関係ねーや。
64歴史の勉強:02/02/06 09:57
江戸時代最初の100年間は日本史上でも特記されるほど人口が増加した時期だから、
東北諸藩の人口もかなり増加したことは事実。
「人口で読む日本の歴史」(鬼頭宏、講談社学術文庫)の図表によると、
東北はだいたい関東と同じぐらいの人口増加率を見ている(西は東より低い)。
全国的に見られた人口増が東北にも及んだ結果、
扶養可能人口をオーバーして、のちのち餓死者が多くなる結果を招いたと考えれば。
65日本@名無史さん:02/02/06 10:57
>>53
津軽って幕末に20万石になったんだっけ?
南部は20万石になったのはきいたけど。
66歴史の勉強:02/02/06 15:49
津軽は5万石から10万石に格上げになったっきりじゃなかった?
南部藩ももともと10万石で、蝦夷地警備のために20万石になったと思った。
67日本@名無史さん:02/02/06 18:37
>66
その無理がたたって百姓一揆連発。
68歴史の勉強:02/02/07 01:26
う〜ん、津軽の殿さまは名君が多かったと聞くけれどねえ……。
農業生産が破綻したら、やっぱ藩経営者の責任になるか。
東北は農業に過剰なまでに関わってる気がするけど、
殿さまもほかの産業は考えなかったのかな?
69歴史の勉強:02/02/07 02:15
大浦為信って、大河にならないかなあ?
誰か大浦を主人公にした歴史小説とか書いてる?
いや〜、一代20年で安藤南部宿縁の地を分捕った大浦為信って、
何か魅力感じるじゃないですか?
何なら、津軽をめぐる大名の興亡譚てことで「ひのもと太平記」とかさ。
個人的には音の関係で「南部太平記」とかしたいけど。
「奥州」が使えなさそうなのが痛い(奥州だと、伊達や芦名と思われそうだ)。
津軽平野で騎馬軍団スペクタクルやるの。
70日本@名無史さん:02/02/07 11:06
相馬大作万歳!!
71井沢狂信者:02/02/07 11:08
伊達家のスレッドってあった?

関係ないですけど、津軽・八戸・岩手県北地域を治めていた頃の南部家
は何万石あったんでしょうか?
津軽5万石、南部10万石じゃあ合わせて15万石……。
とても北東北の主とは考えられん石高だな。

やはり農業以外の産業が発達してたのかな?
72日本@名無史さん:02/02/07 12:48
南部なんかにレス数負けてたまるかage
73日本@名無史さん:02/02/07 12:55
>>69
南北朝時代の南部家の歴史を綴った本で「北斗太平記」ってのが上下巻で
地方出版社から出てたよ。
やっぱり津軽より南部の方がカコイイよ。
74日本@名無史さん:02/02/07 21:51
江戸時代からリンゴを殖産興業してたら良かったのに?
戦前から果樹栽培が繁盛しなかったのは、
(豊でなかった事もあろうが)
果樹園には資本を多く必要とする(収穫までに長年かかる)から、
大地主しか出来なかった?からではなかろうか?
紀州ミカンはどうだったのだろうか?
75日本@名無史さん:02/02/08 11:27
相馬大作こと下斗米秀之進将真
76日本@名無史さん:02/02/08 23:42
 東北地方は江戸時代中期むちゃくちゃな飢饉に襲われるんだけど、でも
これってこの時代太陽の活動が沈静化して、世界的に気温が下がったから
でもあるんだよね。

 ところで、津軽氏の参勤交代だけど、どこを通ったんでしょ。僕は秋田
に住んでいるから、「津軽氏はここを通った」って記録を良く見るんだけ
ど、峠越えがきついのに津軽氏って全部佐竹藩を通ったのかなあ?
 犬猿の仲だけど、南部藩を通る方が明らかに楽だと思うんだけど…。
77日本@名無史さん:02/02/09 00:22
今でも野辺地にあるかと思うが、南部と津軽の藩境の土饅頭が
江戸後期に至るまで藩境を封鎖した稀有な例らしいと。
北東北は平安時代は気候温暖でいい土地だったらしい。
江戸期の気候は冷寒だったと聞く。
78歴史の勉強:02/02/09 00:23
「北斗太平記」なかなかの良書。
小説かと思ったら、ちゃんとした歴史書だった(もちろん、小説でもよかったが)。
今日、横浜の図書館で借りてきた。
いい本はちゃんと他地方でも入荷するんだと感心した。
ただまあ、南部氏を基軸に語ってるとこは悲しいが……。
津軽の歴史学は前途多難だ……

余談だが、太宰治の「津軽」を買った。
79日本@名無史さん:02/02/09 00:33
津軽も南部との価格競争がだめだな。
1813年の民次郎一揆は蝦夷警備の軍役拡張が原因だからな。
80日本@名無史さん:02/02/09 00:40
蝦夷進駐は我ら東北諸般は全て行きました。
津軽の人達もちゃんとしたした歴史、”事実としての歴史”を
知っておかないとだめだよ。
81日本@名無史さん:02/02/09 00:52
>>74
当時保存の出来ないリンゴを運ぶの無理でしょ。
82日本@名無史さん:02/02/09 00:56
常陸宮妃の実家
83日本@名無史さん:02/02/09 01:04
>>79
訂正×価格競争→○家格競争
それから蝦夷警備自体は藩レベルの問題じゃないよ。
それを無理をして家格上げに利用しようとする事が問題。
84日本@名無史さん:02/02/09 01:12
>>83
それは南部も一緒だから、君も津軽の人なら歴史として話そうよ。
85日本@名無史さん:02/02/09 01:33
江戸期においては津軽家は、近衛家と血縁の公家大名でしょ。
南部様より石高低いのに官位が高くなって、南部様がおかしくなって
・・・20万石を無理やり申請・・・。

86日本@名無史さん:02/02/09 01:48
公家大名なんていうジャンルがあるの??
87日本@名無史さん:02/02/09 01:51
>>86
 戦国期だと北畠とか、土佐の一条氏とかいるが……
88日本@名無史さん:02/02/09 02:01
各江戸大名家の公家との血縁について教えて
89日本@名無史さん:02/02/09 02:10
歴史を知りたい諸君に告ぐ。
教えて君になるなかれ、まず己で探求したまえ。
そしてなを疑問があれば、このスレで質問するがいい。
90日本@名無史さん:02/02/09 02:48
調べ方おしえて
91日本@名無史さん:02/02/09 03:09
>>90
おいおいマジかよ!?
92日本@名無史さん:02/02/09 03:15
盛信が新庄氏から養子なので実系は橘氏となります。
93日本@名無史さん:02/02/09 03:24
盛信ってどの時代の人?
94日本@名無史さん:02/02/09 03:52
為信の5,6代前じゃなかったっけか
3,4代だったかな
95日本@名無史さん:02/02/09 04:06
>>92-94
自作自演のときはね、人に読まれることを意識してもう少し詳しく
書かないと、誰もが???ですよ。まして津軽氏なんだから説明しろ。


9673:02/02/09 05:09
>>78
北斗太平記を紹介した者ですが、
あまり学問的には?なところも多く著者は本業の学者でもないようなので
注意が必要かと。でも面白かったのは事実だけど。
97日本@名無史さん:02/02/09 05:45
>>73
今日図書館で探してきます。
津軽の歴史は作り話が多いので気にしません。
ご親切にありがとうございます。
98日本@名無史さん:02/02/09 08:26
津軽は日本海側。
99日本@名無史さん:02/02/09 08:32
ならべ
100日本@名無史さん:02/02/09 08:45
100!!!!!!!
101日本@名無史さん:02/02/09 09:06
100ごときで浮かれるではない!
このたわけめが!
102日本@名無史さん:02/02/09 11:39
 歌謡曲の世界では「南部」よりも「津軽」が圧倒的に優位ですよね。
なんでだろう?戦後直ぐに放映された「青い山脈」も津軽が舞台だしね。
103:02/02/09 16:21
津軽氏の家臣には石田三成の子孫の方(ただし姓は石田ではない)
がいらっしゃるんですよね。以前何かの本で読んだような記憶が…
104歴史の勉強:02/02/09 16:31
大浦氏が近衛の末裔なんて、明らかに捏造されたもんだから、
南部氏は勿論、大名も注目しなかったんじゃない?

津軽は小説家を多く出していて、日本文化への影響力が大きい。
葛西善三、太宰治、石坂洋次郎、みんな津軽出身者。
音楽でも大きい影響力を持ってたよね(今はどうなの?)。
三味線音楽でも、津軽は越後の「ごぜ」と並んで有名だから。

岩手県というと、すぐに石川啄木と宮沢賢治が連想されてしまうが、
浅田次郎も旧南部藩領出身なんでしょう?
太宰治の「津軽」に匹敵する名文とか、有名なの無い?
105歴史の勉強:02/02/09 16:38
林檎といえば椎名林檎より古い林檎酒ってのがあるけど、
あれを造って全国販売するとか江戸時代の人は考えられなかったかな?
106日本@名無史さん:02/02/09 18:14
age
107日本@名無史さん:02/02/09 20:28
>>104
浅田次郎氏は東京生まれの東京育ち。
盛岡出身の小説家で現在有名なのは、高橋克彦氏。
108日本@名無史さん:02/02/09 20:40
青森でリンゴ栽培が盛んになるのは外国品種が入った
明治以降だからねぇ。
109日本@名無史さん:02/02/09 22:21
>>103
杉山家でしょう。
代々家老の。
110歴史の勉強:02/02/10 00:37
高橋克彦か!
克彦は太宰治に勝てない気がする……
111日本@名無史さん:02/02/10 00:45
太宰とサリンジャーには誰も、かなわないさ。
112歴史の勉強:02/02/10 00:59
何故サリンジャー?
113日本@名無史さん:02/02/10 01:10
日米代表の屈折青春作家部門で。
114日本@名無史さん:02/02/10 02:01
>95
92と94は同一人(俺)だけど、93はちがうよ。
だいたい何でこんなこと自作自演しなきゃいけないんだ?
それだったら最初から92と94合わせた文章書くよ。
それとも何か議論呼びそうなことなの?
俺あんまり南部がどうの津軽がどうのって詳しくないから
単純に系図上の記載書いただけだよ。
橘って言っちゃいけないことなの? 何かわかんねえよ。
ただ自作自演っていうんならちゃんと調べてから言えよ。
115歴史の勉強:02/02/10 02:03
まあまあ、そう怒らんと。
ここは良スレで、荒らしも今んとこ来てないからさ。

でも、大浦氏の系図はでっち上げでしょう。
僕は南部の一族だったと思う。
そうでもないと、10年20年で津軽全域を傘下に収めることが不可能だろう。
11695:02/02/10 02:09
 失礼いたしました。私の無知ゆえに知らない氏姓に反応してしまいました。
今後意味なきスレはいたしません。どうかお許しください。
11795:02/02/10 02:21
>>116
系図はでっち上げなんだけど、それを近衛家が認めたのが?
公家には公家の策略があるにしてもだよ、何故辺境の地の
津軽に許したのか?
118日本@名無史さん:02/02/10 12:55
>>117
近衛家とは親しかったから。
もちろん為信以降。
119歴史の勉強:02/02/11 01:22
近衛さんとこに大枚はずんだんでしょうかね?
大浦氏にとっては死活問題だったろうし、
近衛さんも江戸時代は数千石の知行しかもらってなかったから。
おっと、大浦・近衛を侮辱したいんじゃないですよ。
戦国時代には公然と「売官」やってましたからね、お公家さんは。
生活に窮したら、そういうことは平気でやれるでしょう。
江戸時代は「ニセ系図」を造るのが大流行しましたしね。

それにしても、別に安倍でも奥州藤原でも、
極端な言い方すれば南北朝期に没落した曽我の後裔を騙っても好かったろうに、
なぜ京都の近衛さんを持ち出したかが疑問ですね。
120日本@名無史さん:02/02/11 02:22
>>119
まさにそこが疑問なんだよね、南部の家来筋がなんでって感じ。
江戸上屋敷も大名としては異例に郊外にあるし。
121日本@名無史さん:02/02/12 02:15
津軽華子様が常陸宮に嫁いだ時は、民間から初めて宮家へ嫁ぐと、
ニュースになったんだよね。
122歴史の勉強:02/02/12 02:56
津軽さんて、今でも津軽姓なのか。それって明治時代ですか?
スマソ、皇室に関心ないもので。
しかし、「公家大名」とは津軽藩の実態と懸け離れた言い方だと思うぞ?
123日本@名無史さん:02/02/12 12:46
>>119
おいおい、近衛と田舎大名のどっちのほうが箔がつくと思う?
124日本@名無史さん:02/02/12 13:31
>民間から初めて宮家へ嫁ぐと、

皇太子の結婚より常陸宮の結婚のほうが先だったの?
125歴史の勉強:02/02/15 00:59
東北「ひのもと」(この呼称、復権せん!)に関心あるんで、
今日近くの本屋で「街道をゆく」を立ち読みしたんですよ。
司馬遼太郎のあれ、テレビ化もされた。
そこで、「十三」とはアイヌ語で……とか書いてあった。
また、「十」は訓で、「三」は音だから、
学者が嫌ったのかも知れない……などと……

「とさ」は「入り口が狭い」説が有力なんじゃなかったか?
「とさ」が「じゅうさん」になったのは、
津軽侯が「土佐守」に任じられたからだろ?
わざと書いたのか??
126日本@名無史さん:02/02/15 01:11
121です、ごめんなさい。恥しくて出て来れませんでした。
東北から天皇家に嫁入りしたと言う事が大ニュースだったみたい。
127日本@名無史さん:02/02/15 01:37
津軽は、出羽守・越中守にもなってるし、徳川幕府の
守基準が私には不明だ。
高知の山之内は江戸時代中ずっと、土佐之守だし。
128日本@名無史さん:02/02/15 07:41
1394年「北海夷テキ動乱」の後、安東氏を、幕府が『日乃本将軍』に任命。
若狭の国、羽賀寺再建。その記録に『奥州十三湊日乃本将軍安倍康季』とある。
安藤氏は安倍氏の末。
後、南部・安東合戦の末1443年津軽をおわれる。このとき十三湊も焼亡。
安藤氏は、その後秋田氏となり、佐竹氏に追われ三春藩として明治維新へ。
 日乃本将軍は津軽氏と一切関係なし。三春藩秋田氏にその権利あり。

129日本@名無史さん:02/02/15 10:07
age
130世界@名無史さん:02/02/15 10:39
明治以後で知ってる事。
廃藩後に12代津軽承昭は正三位勲三等伯爵になる。

津軽華子様の父は津軽義孝といって
元伯爵で日本博物館協会会長、馬事公苑長、東京オリンピック準備室長、
中央競馬会監事、馬事文化財団理事長などに従事した。
1994年に亡くなった。
131歴史の勉強:02/02/15 10:57
「日ノ本将軍」は鎮守府・征夷大将軍とは違って、
わりと任官例が多かったみたい。
相馬氏もそう称された(自称?)ことがあったらしい。
意味的には、「日ノ本」(=東北最北部)の将軍というより、
漠然と東(東北地方は東にあると考えられていた)の将軍、程度だった。
でも、同地域に複数の日ノ本将軍がいたとは考えにくいので、
大浦氏の将軍任官はなかったと思う。
自称しただけだろう。

江戸時代どころか、足利氏の時代には官位は無実化しつつあった。
山名氏がなぜか「陸奥守」になってたりするし。
京都の公家権力が衰微した時に、もういい加減なものになっていた。
132日本@名無史さん:02/02/15 11:40
>>128>>131
日乃本将軍、「日ノ本将軍」どっちでもいいけど、
朝廷の官職じゃないよ。勝手に名乗ってるだけ。
妖怪博士とか暗黒大将軍とかと同じ。
133日本@名無史さん:02/02/15 12:20
結局、津軽氏はなぜ出羽守、越中守を名乗っていたの?
134W:02/02/15 14:36
W
135W:02/02/15 14:42
>>132
 古事記にも記述がある,坂上田村麻呂が建てた「日本中央の碑」っ
てのが青森にあるんだよね。「日ノ本将軍」ってのはその「日本」の
将軍って意味なんじゃないの?要するに,北東北の地が昔「日ノ本」
とか「日本」とか呼ばれていて大和政権がその名を引き継いだ…。
これは,中国の正史にも記述が残っているみたいだしね。

136日本@名無史さん:02/02/15 15:17
>>133
別に意味ないだろ。
137JJ:02/02/15 15:18
>135
そいつは違うな。負け惜しみの碑だよ。
昔、畿内で権力をもったもんが青森に逃げてんだからな。
あんなもんは無視するに限るぜ。
138日本@名無史さん:02/02/15 15:23
>>135
>大和政権がその名を引き継いだ…。

どこからそんな話が出てくるの?
日ノ本将軍というのはあくまでも自称。
139日本@名無史さん:02/02/15 16:36
で、津軽義孝氏亡きあと、津軽家は断絶したの?
140日本@名無史さん:02/02/15 18:40
>>138 >>137
 でも、中国の史料にも「日本」の名前の由来について、元はさらに東の民族の
国名を採ったとあるよ。秀吉も「日本」統一をしたとき、「おれは九州から日本
まで征服したぞ」といったとか。
141日本@名無史さん:02/02/15 18:52
たんに日の出の方向の事だろ。
142日本@名無史さん:02/02/15 19:02
北畠顕信が日の本将軍職に任じたという説もあるな
143日本@名無史さん:02/02/15 19:12
「東方の将軍さん」という意味でしょう。深い意味があったとは思えんが。
144日本@名無史さん:02/02/15 20:40
>>141 >>143
 そう思いたいって事ですね。でも、中国の文献にもあるからねぇ。
おまけに坂上田村麻呂の碑も発見されているしね。
145日本@名無史さん:02/02/15 21:37
坂之上田村麻呂は青森県には来ておらず。時代も802年。
 その碑は天間林村、「坪」にあり、『日本中央』と記されている。
田村麻呂は侵略者。津軽衆は英雄視するな。
 
146日本@名無史さん:02/02/16 00:42
>>145
 別に田村麻呂を英雄視しているわけじゃないぞ。そもそもの「日本」の
名前が、元々は津軽とか東北北部を中心とした地域の名前であったと言っ
ているわけだ。
147歴史の勉強:02/02/16 02:07
でも、「日ノ本」という語を検証してゆくと、
意外と「日本」て国号がつまんなく思えてくるかもね。
せっかく、網野善彦先生が熱くなってるのに。
「日本」が使われるようになるのは7世紀だそうだが、
もし「東にある国だから日本国〜」だとしたら、
あまりに「まんま」過ぎておもしろくないぞ?
でも、その可能性が否定できない気がする……。

で、そのうち日本の語源が忘れ去られて、
東北は東に延びていると考えられていたがゆえに、
「ひのもと」という呼称だけが残ったのだとすると、おもしろい。
148日本@名無史さん:02/02/16 02:17
歴史の勉強さん、酔っぱらってる〜。
149日本@名無史さん:02/02/16 02:20
 仮に「日本」が現在の東北地方のことだとしても、
肝心の東北人(?)が自分たちの国を「日本」と呼んでたのかなあ。
西側の朝廷側が勝手に東の国という意味で、「日本」と呼んでただけにも思えるのだけど。
150日本@名無史さん:02/02/16 08:54
肝心の東北人といっても支配層は西からの移民なんだし、
文化意識としても京都中心に考えていたわけなんだから、
東方という意味で日本と自称してもいいんじゃないの?
151日本@名無史さん:02/02/16 09:48
>>128
安藤氏は安倍氏の末じゃないよ。詳しくは安藤スレ参照。

>>132
禿しくワラエル。でもそのとおりだけどな。

>>135
古事記にはそんな話ないよ。

>>135,>>137
「日本中央の碑」は坂上田村麻呂が彫りつけたという伝説からいえば
敗北者の負け惜しみじゃなくて勝利者の記念碑。だから
「ひのもともなか」と読んで北海道奥羽の中心とみるのではなく
「やまともなか」と読んで樺太〜九州の中心とみる説があるわけ。
どっちが正しいかは不定だが、解釈によって意味がぜんぜんちがってしまう。

>>135,>>144
青森の「日本中央の碑」は後世の偽造。本物ではない。

>>140,>>144
旧唐書に出てくる倭国から日本への改名の話は時期的にみて壬申の乱のこと。
倭国=近江朝廷=大友皇子 vs 日本=東国軍=大海人皇子
これ以外の解釈は今のところあまり有力ではないようだ。

>>141,>>143
そのとおりと思う。

>>145
田村麿は坂上氏だから東漢氏の子孫で帰化人の系統だけど、
本人は陸奥出身だったって説もあるね。

>>147
「日本の語源が忘れ去られ」“なかったから”でしょうが。
152日本@名無史さん:02/02/16 10:15
こっち↓のスレ参照すれ。

「日本」の語源
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972377947/
153日本@名無史さん:02/02/16 10:53
>>128
安藤氏は安倍氏の末じゃないよ。詳しくは↓参照。

津軽安東氏について(東日流ネタご遠慮ください)
http://mentai.2ch.net/history/kako/985/985251450.html

地味な一族「安藤」について語り合いたい。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1011243012/
154日本@名無史さん:02/02/16 17:06
>>151

>「ひのもともなか」と読んで北海道奥羽の中心とみるのではなく
>「やまともなか」と読んで樺太〜九州の中心とみる説があるわけ。
>どっちが正しいかは不定だが、解釈によって意味がぜんぜんちがってしまう。
 樺太なんて、当時の大和政権は認識すらしてないだろ。統一国家すらな
かったのになんで「中央」の碑を作ったんだい?
155日本@名無史さん:02/02/16 17:22
中央には、都、政府の意味もあるよね。
156歴史の勉強:02/02/16 22:26
「ひのもと」ぐらいの簡単な単語なら、特に教養ない人でも知ってた可能性は高い。
んでもまあ、どーしても「西から見た」視点は否定できないから、
地元人はそう呼んでなかったでしょう。
まあ、対外文書に「日本」と書いたのは誰の発案か知りませんが、
その本来の意味はかなり早い段階で忘れられてたんじゃないでしょうか?
日本を「やまと」と呼んでた人間もいましたし。
沖縄では「やまと」だそうですから。

松平定信は「蝦夷地は日本じゃない」と考えていたそうです。
サハリンなんて、よほどのインテリじゃあないと知らなかったでしょう。
昔はどこの国家にも属してないような土地がいっぱいありました。
蝦夷地、すなわち北海道だってそんなもんだったわけです。
昔は境界線を必要としないような世界だったのです。
157歴史の勉強:02/02/16 22:32
上げときます。
158日本@名無史さん:02/02/17 13:17
>>154
>樺太なんて、当時の大和政権は認識すらしてないだろ。統一国家すらな
>かったのになんで「中央」の碑を作ったんだい?

むちゃくちゃだなあ。
田村麿は9世紀初頭なんだから統一国家はあるし
その頃はすでに組織的な北方経営がされた後。

斉明朝、安倍比羅夫の水軍が粛慎と交流してるね。
粛慎の正体については以前スレッドがあって議論されたけど
沿海州方面の後の靺鞨である可能性がある。
そして蝦夷地に複数の官衙が置かれて北方経営がなされたことがわかる。
これが7世紀。で、靺鞨国への距離が書かれた有名な多賀城碑が8世紀。
田村麿が「日本中央碑」をほりつけたのは9世紀初頭。渤海国との交流も盛んな時代。
現在資料が欠落していてもかなりの程度の北方情報はつかんでいた可能性はある。

その後、律令制が弛緩して北方利権も現地人にひきつがれ
北方情報は中央からみれば大幅に後退したが、
今昔物語の「安倍頼時、胡国に行きて空しく返りし語」、
(この胡国も詳細は省略するが北海道ではなく大陸)。これが11世紀で、
これ以降、平泉藤原氏の時代までにふたたび組織的な北方経営が復興。
その成果が鎌倉時代以降、北条氏にひきつがれ、その被官である安藤氏が蝦夷管領として
樺太アイヌを指揮してモンゴルと戦っている。(海保嶺夫説)
津軽の「蝦夷管領」の機能は、遠く7世紀に北方経営の基地であった
「津軽津司」の機能を継承しているもの。
159日本@名無史さん:02/02/17 13:18
>>156
>「ひのもと」ぐらいの簡単な単語なら、特に教養ない人でも知ってた可能性は高い。
>んでもまあ、どーしても「西から見た」視点は否定できないから、
>地元人はそう呼んでなかったでしょう。

それもあり得るが、かならずそうだともいえない。
外から名付けた地名が定着する場合もあるし
本来の意味が忘れられてしまえば、どこから見た視点なのかなんてどうでもいいこと。
ただ東北人が自分らの居住地を一般的に「ひのもと」と自称していたわけでなく
自称の場合は中央(近畿=関西=上方)を意識していう場合だけのような気がする。
「日ノ本将軍」とか。あとは中央の側からよばれた場合だけ。

>まあ、対外文書に「日本」と書いたのは誰の発案か知りませんが、
>その本来の意味はかなり早い段階で忘れられてたんじゃないでしょうか?
>日本を「やまと」と呼んでた人間もいましたし。

対外文書? 国書のこと?
その場合は奥羽をさす「ひのもと」ではなく
もともと「やまと(旧・倭国)」の当て字なんだから
訓読みする場合には最初から「やまと」と読むのが正しく「ひのもと」は後発的な読み。

>松平定信は「蝦夷地は日本じゃない」と考えていたそうです。
>サハリンなんて、よほどのインテリじゃあないと知らなかったでしょう。

江戸時代はね。
いろんな時代をごちゃごちゃにしちゃいけないよ。

>昔はどこの国家にも属してないような土地がいっぱいありました。
>蝦夷地、すなわち北海道だってそんなもんだったわけです。
>昔は境界線を必要としないような世界だったのです。

そのとおり。
逆にいえば古代国家の外縁というのは朝貢してくる辺民がいるかぎり
どこまでも延びるということでもあるね。
160日本@名無史さん:02/02/17 20:19
家老の乳井(にゅうい)家は、
戦国時代に寺だったのが、世俗化して武士になったのですか?
161日本@名無史さん:02/02/17 22:14
>>158
 強烈なデンパが飛んでおります!
162歴史の勉強:02/02/17 23:29
国家の感覚は時代によって違いますからね。
昔は人間が住んでない土地なんていっぱいあったわけで。
世界史の地図を見てても、どこの国家にも属していない領域がかなりあった。
モンゴル帝国もシベリアはあんま手を出してない。
おそらく当時の人間にはあまり価値がなかったからでしょう。

「ひのもと」はかなり広域を指した語と考えるべきでしょう。
奥州藤原氏の時代には本州北端まで郡制が拡大したそうだから、
それ以降は郡名、もしくはさらに小さい地域名(庄・郷・村など)を使い、
「ひのもと」はかなり広範囲な地域に対して使われたのでしょう。
「ひのもと」出身の人が別の土地の人と話す時とか。。
163日本@名無史さん:02/02/19 09:30
 津軽藩にはアイヌ人が住んでいたんだけど,この事について知っていることを
どなたか教えてください。どこにいつまで住んでいたのかな?
164日本@名無史さん:02/02/19 11:16
ひのもと=日高見国
165日本@名無史さん:02/02/19 11:26
どうでもいいけど昨日の水戸黄門つまんなかったな。
166日本@名無史さん:02/02/19 20:38
アイヌ民族は宇鉄などに住んでいたけど
寛政期に藩の同化政策が行われたらしい。
167日本@名無史さん:02/02/19 22:29
もともと住んでたっていうか、戦国時代とかに北海道から南下してきた人たちだね。
津軽藩だけじゃなくて南部藩にもけっこういたんじゃなかったっけ。
168日本@名無史さん:02/02/20 04:18
津軽衆も南部集も、大和の血よ。
169日本@名無史さん:02/02/20 10:05
 民族ってのは結局「個人の所属意識」で定義できるからねぇ。
 でも,やはりアイヌの血は少なからず流れていると思うんだけどね。

>>167
 そいや安東氏も十三湊から北海道に行ったり,秋田に行ったり色々移動してい
るんですよね。それとの関連があるのかな?
170日本@名無史さん:02/02/21 12:29
アイヌと北海道在住和人との間の通婚は、いかにもありそうだけど
津軽衆や南部衆とアイヌとの通婚は、あんまり考えにくいような気がするが…?
171日本@名無史さん:02/02/21 12:30
悪魔大元帥安東愛季
172日本@名無史さん:02/02/21 22:02
あげー
173日本@名無史さん:02/02/21 22:14
>>170
 津軽地方の狩猟民族「またぎ」の普段使う言葉は、ほぼアイヌ語だ
よ。なにかつながりがあるんでしょうね。
 戦後は在日朝鮮人のまたぎとかがいたらしい…。
174日本@名無史さん:02/02/22 03:06
>>173
マタギは狩猟民であって、民族ではないよ。
175日本@名無史さん:02/02/22 05:54
ほぼアイヌ語ってあんた・・・・しかも「らしい」ってあんた・・・
176歴史の勉強:02/02/22 09:45
そう言や、幕末の戦争の時、津軽藩はどうしてたの?
南部藩は家老が斬首されたのが有名だけど。
戦禍もなく平和裏に推移したってことかな?
177日本@名無史さん:02/02/22 09:51
>>174
 それは分かっているよ。でもアイヌ語を使っているのは事実。家庭では日本語
を使い職場(山)ではアイヌ語を使った。それだけなんじゃないの?

>>175
 在日朝鮮人のマタギについては,白神山地保護運動で活躍し,またヒマラヤに
ついての本も出している,文筆家の根深誠氏「白神山地に生きる」に描かれてい
る。
178日本@名無史さん:02/02/22 10:02
>>176
 奥羽列藩同盟に加盟していたが,心情的には同盟から脱退した秋田藩よ
りだった。本庄とかの戦いにも兵を出したり,秋田藩に新式銃をあげたり
した。でも,煮え切らない態度なので,秋田藩も真意を疑い常に警戒して
いた。官軍が大量にやってきて,はっきり戦況が秋田藩よりに有利になる
と,いきなり野辺地を攻撃した。しかし,南部藩からのもの凄い抵抗にあ
い,かなりの被害を出し指揮者も死亡して完敗する。
 その後戊辰戦争の決着がついてから,また南部藩の集落を遅い,新政府
から怒られてもいる。
179日本@名無史さん:02/02/22 13:50
アイヌ語っていうか山に入る時の「忌み言葉」でしょう。
日本語とアイヌ語に分化する前の古い言葉が「忌み言葉」の中に残ったのでは。
180日本@名無史さん:02/02/22 15:50
>>179
 単語がまるっきりアイヌ語だからねぇ。しかも,山に入ると日本語の使用が禁
じられるんだよね。地名がアイヌ語で解釈できる場所が沢山あることも合わせて
考えると,やはりアイヌの影響は否定できないと思うよ。
181日本@名無史さん:02/02/23 03:47
いまもマタギっているんだよ。
182日本@名無史さん:02/02/23 10:00
猿をエビスといったりするのがアイヌ語???
183日本@名無史さん:02/02/23 17:03
エビスって日本語にもある言葉じゃないの?
184日本@名無史さん:02/02/23 18:05
アイヌ語じゃないよな?
185日本@名無史さん:02/02/23 18:11
アイヌをエビスといったりするのが日本語
186日本@名無史さん:02/02/23 19:44
>>185は「皮肉」を分かってないのでは。
187 :02/02/24 00:37
津軽人ってアイヌの血がかなり混じってるの?
188日本@名無史さん:02/02/24 02:05
津軽人はツングース。だからアイヌとは別系統。
189日本@名無史さん:02/02/25 00:39
>>187
 血の事を言ったらきりがないと思うよ。現実にはアイヌ系統も混じって
いるだろうけど、日本人の血も多い。結構南から来ているからね。秋田で
は白人の血も混じっているとか…そうやって色々混じっているんだろうね。
190日本@名無史さん:02/02/25 01:32
>秋田では白人の血も混じっているとか

そんなような話は聞いたことがあるけど、秋田だけに混じってるの?
それもヘンな話だな。
191日本@名無史さん:02/02/25 01:37
秋田人のDNAにシベリア系があるのは既に知られてる。
192日本@名無史さん:02/02/25 01:38
日本人のDNAは半島系というのも学会じゃ常識。
193日本@名無史さん:02/02/25 01:42
なんと!落合と桜庭にはシベリア系の血が!!
194日本@名無史さん:02/02/25 01:42
青森とかで調査した場合、半島人と同タイプの遺伝子情報をもってる
人間ってどれぐらいの割合でいるのだろうか?
195日本@名無史さん:02/02/25 01:43
なんと!石井とギバちゃんにはシベリア系の血が!!
196日本@名無史さん:02/02/25 01:45
>>194
十三湊を介して交流があったから
結構比率高いんじゃないすか?
197日本@名無史さん:02/02/25 01:45
石井って?
198日本@名無史さん:02/02/25 01:59
日本人全体の90%以上に半島というか、向こうのDNAがはいってますよ。
秋田の場合は、色白の人が多いというので、それが何故かを調べたら、
白人系のDNAを持ってる血があったのよ。
経験的に言っても秋田はやっぱり美人が多い。言葉なまりはきついけどね。
199日本@名無史さん:02/02/25 02:06
>>196
史書にも残らない大昔の話だからDNAとかで調べるんだよ。
日本成立以前のお話、旧日本列島人(縄文系)から,現日本
列島人(弥生系)に換わってく頃の話でしょ。
200日本@名無史さん:02/02/25 02:23
196に対してなぜ199のようなレスになるわけ?
201日本@名無史さん:02/02/25 02:27
そりゃツガルサングンシとかの偽書を考えたんでしょ。
202日本@名無史さん:02/02/25 02:29
>>197
あみんの岡村とケコーンしたヤツよ。
203日本@名無史さん:02/02/25 02:33
石井浩郎か。あいつが白人の末裔だとはな。
人は見かけによらないねえ。
204日本@名無史さん:02/02/25 02:54
津軽板が下種話に陥りがちなのは、血とかDNAに関係
があるの?
205日本@名無史さん:02/02/25 03:02
小比類巻という苗字はアイヌの苗字らしいが、津軽在住の
アイヌの苗字ってどういうのがあるの?
206日本@名無史さん:02/02/25 03:32
>>205
小比類巻は南部の武士団にもいるが、おめはん何を言いてのよ?
207日本@名無史さん:02/02/25 06:00
なんか迷走してるな。このまま迷スレ化?
208日本@名無史さん:02/02/25 12:05
迷スレの予感
209日本@名無史さん:02/02/25 13:55
>>206
南部にいるかどうかなんて知らないが、アイヌ出自らしい。
南部の家臣になる以前にヤマトに同化していた一族では?
210日本@名無史さん:02/02/25 14:16
>>209
南部の分家だろ?
211日本@名無史さん:02/02/25 14:19
津軽氏?
212日本@名無史さん:02/02/25 15:19
 安東氏は明らかに蝦夷系統だけどね。
213日本@名無史さん:02/02/26 00:11
岩木山は津軽の聖地なの?
214日本@名無史さん:02/02/26 00:25
富士山に似ても似つかない山を、津軽富士と呼ぶあの山ですか。
215日本@名無史さん:02/02/26 00:27
津軽にはキリストの墓もあったような・・・。
216日本@名無史さん:02/02/26 01:06
キリストの弟、イスキリの墓もあります。
217日本@名無史さん:02/02/26 01:10
イスキリなんて名前の弟いたの?
余談だが、その人は処女懐胎ではないのか?
218日本@名無史さん:02/02/26 01:14
いるわけないから面白いのさ、でもでかい十字架二本立ってて、
近所にはキリストの子孫も住んでる。
有名なお話だと思うけど。
219リットン調査団:02/02/26 01:18
キリストの子孫たちは、なんていう苗字を名乗っているの?
220日本@名無史さん:02/02/26 03:17
>>219
知ってるのに聞いてるんでしょ、竹内文書の話。
いちおう言うと、戸来さんヘブライの変形なんだって。
家紋はユダヤの星。
221日本@名無史さん:02/02/26 05:53
>>209
小比類巻って地名はアイヌ起源だろうけど、
その地名を姓にした武士がアイヌ系だとはいえないんじゃい。
222日本@名無史さん:02/02/26 06:46
小比類巻もキリストの話もみんな南部の方の話でーす。
 津軽と一緒にしないでください。
もう少し、勉強しよう。
223日本@名無史さん:02/02/26 09:19
>>218
キリストは「ユミ子」(一説では「ミユ」)という女性をめとり
3人の女子を産んだ。その3人の子孫の家が3家あり、長女の子孫は関口家。
津軽じゃなくて南部の話なのでサゲ。
224日本@名無史さん:02/02/26 14:07
ユミ子はねえだろ、いくらなんでも。
まあヒミコがいたならユミコがいてもおかしくねえのか?
225井沢狂信者:02/02/26 20:41
>>223
ミユという名前ならミリアムの転訛でありえるかも。
ミリアムというのはマリアの中近東における呼び方です。
電波すいません。
226日本@名無史さん:02/02/27 02:46
どーして津軽といえば
三味線なのでしょう?
江戸時代から特に津軽にだけ(それと沖縄?)三味線が栄えていたのでしょうか?
三味線と言うと芸者を想像してしまうのですが・……
227日本@名無史さん:02/02/27 02:50
津軽というお国は、歴史があいまいなだけに、
レスもあいまいでよいね。
228日本@名無史さん:02/02/27 02:54
誉め言葉ですよね?
229227:02/02/27 03:03
>>228
南部の人間だから、半分半分で聞いでけで。
230日本@名無史さん:02/02/27 03:04
南部の人は今でも津軽をあまりよく思っていないの?
231日本@名無史さん:02/03/02 20:36
十三湊は、近年の発掘調査の結果、
滅亡の原因は「興国の大津波」ではなかったそうです。
232日本@名無史さん:02/03/02 22:41
そもそも「興国の大津波」自体が無かったってことだろ。
これも考古学調査以前から言われてたこと。洪水はあったみたいだけど。
知らなかったのは東日流外信者と古田武彦信者とムー読者だけ。
233日本@名無史さん:02/03/02 23:37
滅亡の原因はなんだったの?
234日本@名無史さん:02/03/02 23:58
 なにやら五所川原近辺に江戸時代から延々と伝わるトランプゲームが
あるそうだが…。なにやら、トランプのたぐいは江戸時代に禁止になっ
たんだけど津軽は一番北だから、その禁制もゆるくて、ずーーーっと受
け継がれてきたトランプゲームがあるという話を聞いたことがあります。
どなたかご存じありませんか?
235ゴニンカン:02/03/03 00:14
>>234
あまりにも有名すぎて語るのもバカらしい。。。
236日本@名無史さん:02/03/03 00:20
>>233
だから滅亡なんてしてないのっ!
鎌倉時代に栄えてたのが大津波で滅亡したって話はデタラメで、
ほんとは室町時代の方がより繁栄してたんだよ。
237日本@名無史さん:02/03/03 00:34
安東氏から奪い取ってはみたものの、内陸の民の
南部氏には扱えきれなくて衰退して行ったわけでしょ。
238日本@名無史さん:02/03/03 00:55
>>237
そんなわけでもない。
鎌倉時代から戦国時代にかけては国際経済が内陸から海洋への移行期。
モンゴル帝国の全盛期は大陸に近い津軽あたりでも西国なみにもうけがでかいけど
南シナ海やインドネシアに国際交易の中心が移ったら博多や堺にかなうわけがない。
それでも室町中期は「三津七湊」のうちに入ってたんだから
津軽の繁栄はたいしたものだったといってよい。
というと鎌倉時代の方がもっとすごかったのかと誤解されるけど
考古学的には室町時代の方が津軽の最盛期。
239日本@名無史さん:02/03/03 02:32
人口はどのぐらいいたんですかね?
240237:02/03/03 02:39
>>238
うん。だから、南部氏のものになった室町中〜後期から
急激に衰退していったわけじゃん?
241238:02/03/03 13:19
>>237=240
時期的には重なるが、南部のせいじゃないって言ってんの。
242日本@名無史さん:02/03/03 13:35
ちょっと意味がわからん。
243日本@名無史さん:02/03/03 13:51
南部のせいで衰退したんじゃなくて、衰退したから南部に負けた。
順番が逆。
244歴史の勉強:02/03/04 10:51
懲りもせず、山川出版「青森県の歴史」を買ってしまった。ハハハハ。
古本屋で、¥100。

しかし、ひさびさに産業経済論なんで忠言したいが、
衰退を単純に論じることはできないぞ?
十三湊の最盛期が14〜15世紀前半だってことは確定的だけど、
十三湊だけを見て津軽の盛衰を語るのもどうかと思う。
経済はあくまで「相対的に」語られるものだから。
オランダがヨーロッパの中心だった時代は永遠に去ったが、
オランダの経済そのものは着実に発展してるわけで。
今でも「メジャー」に名を連ねていることは周知の事実。
北方貿易の拠点として津軽が衰退したのは事実だが、
その根本原因は貿易拠点が津軽海峡北部(今の北海道)に移行したからだろう。

それを考えると、青函連絡船の寄港地として栄えた青森市が
今後衰退していってしまうのかも興味深い。
245日本@名無史さん:02/03/04 14:11
日本全体が衰退するよ
246歴史の勉強:02/03/05 09:51
日本全体って、あんた……
それ言い出しちゃうと、キリ無いじゃんよお。
いや、日本の経済的地位は後退するだろうけど(不可避だべなあ)、
もっと細かいミクロな視点でさ、どこが栄えてくか、とかさあ。
埼玉県が神奈川県追い越したら嫌だなあ(その時は日本を去る!)。

しかし、武富士放火犯が浪岡の人とは。こんなとこで出会うとはなあ、浪岡。
御所の名を辱めるでない! これ!
247歴史の勉強:02/03/05 15:26
南部あげたから、あげちゃう。
248日本@名無史さん:02/03/06 06:45
津軽衆は公家のように凡庸なのかITが普及してない僻地なのか
249日本@名無史さん:02/03/06 19:42
十三氏というのは、津軽氏の先祖ですか?
250日本@名無史さん:02/03/06 19:51
今、衆議院で予算委員長やっとる
津島雄二は、太宰治の親戚なのですか?


251歴史の勉強:02/03/06 23:23
>250
なんじゃねーんすか?
僕も以前、青森県の衆議院選挙で「津島」姓の候補を初めて見た時は驚いた。
太宰治の親父が貴族院(今の参議院)議員だったことは
太宰ファンなら知ってると思いますが(自伝的小説に出るから)、
太宰治の一番上の兄さんが戦後初の国会議員選挙に当選してるんですよ。
やっぱ、いーとこのボンなのね、太宰治は(あれじゃ共産主義者は無理だろ)。
今ですと、さしずめ小泉孝太郎がウェートレスと心中やらかすみてーなもん?
たんだ、津軽一帯には津島姓が多いそうなので、直系かは知りません。
地元の人、一報を請う!

(追記)
秋田市長に当選した「佐竹」さんは、やっぱ佐竹氏の出なんだってさ。
熊本の「との〜」と同レベルの現象は田舎で頻発しています。
田舎はアナザーワールド……
252日本@名無史さん:02/03/07 19:14
>>250
津島雄二氏は太宰治の娘婿です、親戚というか義理の息子。
青森県は国会議員の世襲率100%です。
253歴史の勉強:02/03/07 23:47
小泉純一郎も3代目の世襲議員だよ。
じーさまが又次郎といって、逓信大臣(今の郵政大臣)やった。
親父さんが純也といって、婿養子。

保守と革新が伯仲するような地域が一番リアルに政治を体感できるんだろうけど、
東北は新潟県とたいして変わらないみたいね。
254日本@名無史さん:02/03/07 23:53
小泉???
255日本@名無史さん:02/03/08 00:02
>>251
 秋田市長の佐竹氏は自民党推薦で県知事に立候補しましたが、落選
したんですよ。で、さすがに殿様の家系の人をせっかく退職させてま
で、県知事選挙に担ぎ出したのに、そのまま落選させて放っておくの
はマズイというわけで、秋田自民党の意地もあって、その後、秋田市
長に当選しましたとさ。
256日本@名無史さん:02/03/08 12:46
世襲議員は全体の7割を占めるらしい
257日本@名無史さん:02/03/08 19:16
津軽に金キンや銀や銅は取れますか?
258日本@名無史さん:02/03/08 19:29
津軽人は富士山のことを「駿河津軽山」「甲斐津軽山」と呼ぶそうだ。
259日本@名無史さん:02/03/08 19:38
津軽と南部って昔から仲悪い

いまでも青森・弘前と八戸は県民同士いがみあってる
260日本@名無史さん:02/03/09 03:05
どーでもいい話だが、こないだ青森市にいったら、割と交通量の多そうな道路脇
に、でかい字で「南部藩」「南部」と書いた建物が建ってた。
なんだ、と思ったら、チェーン店っぽいラーメン屋だった。
259の話は聞いた事があったんで「おぉっ」と思ったけど、さすがに食い物の名
前にめくじら立てたりはないんですかね。
261日本@名無史さん:02/03/09 11:45
青森市は津軽の領土ですけど、
江戸時代には町だったんですか?
262歴史の勉強:02/03/09 14:55
青森市は、もともと津軽藩の外ガ浜奉行の管轄で、
藩政期に陸奥湾(青森湾のほうがいいの?)の港として開発されたそうです。
津軽藩の港としては鰺ヶ沢のほうが重要だったようですが。

この辺は太宰治の「津軽」にわりと簡単に書いてあります。
ああ、南部に太宰ありせば……
青森県津軽地域住民よ、太宰治を顕彰せよ!(ハハハハ)
263日本@名無史さん:02/03/10 00:26
>>262
 昔は鰺ヶ沢への交通はどうやってたの?お岩木山をぐるりっとまわって
たのかな?
264歴史の勉強:02/03/10 23:25
今日は図書館で、日ノ本にあった港の所在を調べてきましたよ。
大浦氏って、鰺ヶ沢近辺を支配してたんですね。
大浦氏があの辺に送り込まれたのは1491年だそうだから、
おそらく十三湊に替わる湊として発達してたんでしょうね。
たぶん、その経済力が大浦為信の独立につながったのだと思う。
265日本@名無史さん:02/03/11 03:09
調べきれんゆえ、推測ではあるが15世紀に日本海を制したのは
大友氏ではないかと?そことつながる資料を・・・眠い。
266日本@名無史さん:02/03/11 03:11
ここのスレ津軽民は見てんだろな〜、
267日本@名無史さん:02/03/11 20:27
『東日流外三郡誌』ネタですけど、
それに登場する皇孫と自称する、藤崎の天内一族
(和田喜八郎さんのスポンサーだった、リンゴジュース工場の
社長の人の実家だそうで…)ですが、
一般の郷土史家も知っている一族なのですか?
藤崎の肝いり くらいの階級だったのですか?
戦国期とか維新期(本当に天内一族が戊辰戦争に参加したのか?)
に登場したということを、和田さんの史料?以外で確認できるのか?
スポンサーのFさんの自尊心をくすぐるために、
和田さんがでっちあげたにすぎない貴種流離伝説でしょうか?
それとも、長慶天皇伝説のように、昔(和田さんより前!)
から有った話でしょうか?
268日本@名無史さん:02/03/13 18:12
269歴史の勉強:02/03/16 01:12
今日、図書館で新人物往来社の「奥羽・津軽一族」を借りてきました。
いやー、初代藩主だけで200pしかない本の100pも書ける大名なんて、
大浦氏(津軽氏)だけじゃないでしょうか?
(まだ150pほどしか読んでませんが……)
ちょっと津軽寄りな観もありますが、良書だと思います。
270歴史の勉強:02/03/16 01:58
ずーっと忘れてましたが、
むつ利之という漫画家が書いた「第三野球部」のピッチャーが
「小比類巻」でしたよね?
優勝おめでとう。
なぜ打ち切り?(アニメ)
271日本@名無史さん:02/03/16 02:04
>いやー、初代藩主だけで200pしかない本の100pも書ける大名なんて、

それ以後の藩主のことは、大して書くべきこともないということ
ではないのか?
272歴史の勉強:02/03/16 02:13
やっぱ、出自、でしょ?
あれだけ出身の真偽を知りたくなる大名ってのも居ないでしょ?
南部氏だと、系図の過誤を発見する……ってほうに行っちゃうだろうし。

でも、江戸時代の藩主なんてそんなもんじゃないですか?
いただけ、と。そんな人が大半だったでしょう。
たまあに、すごい政治家が出たりすると、その代だけクローズアップ。
つぶれかかってる藩だと、なおいい(悲惨なことを……)。
河合継之助だって、もし破産寸前の藩に生まれなかったら……。
津軽さんは、第2代が非常な名君だったと聞きますが。

「第三野球部」で思い出しましたが、
今でも青森県経済は「出稼ぎ」なしではやってけないんですか?
だって、あのマンガの青森県代表のお父さん、みんな出稼ぎなんだもん。
あれは今の青森県にも当てはまるんでしょうか?
何か「旧時代」をそのまま蒸し返してる気がしたんだけど。
273日本@名無史さん:02/03/16 03:29
津軽は為信以降は近衛の家系図を引いて公家出自になったらしい。
その後も近衛家から姫を受け続け、徳川後期には特殊な公家出身の
大名という看板をもっていた。
274歴史の勉強:02/03/16 15:14
「鈴木宗男を歴史上の人物にたとえると?」というスレッドで、
「大浦為信」という書き込みがあった……。
とても悲しくなった。
275日本@名無史さん:02/03/17 00:13
 津軽と南部ってなんでこんなに仲が悪いの?未だに…

 俺は秋田北部だから、心情的に津軽よりなんだよね。秋田でも鹿角は南部
より…でもないかな?結構過酷な政策とってたからなぁ。南部は。
276日本@名無史さん:02/03/17 01:15
津軽為信の軍師の沼田祐光についてだけど、
結局出自は不明なんだっけ?

上野の沼田出身の浪人で、細川藤孝に仕えた後、
武者修行中に為信に出会うってのが一応定説だよね。
上野沼田氏の一族なのか、沼田出身ってだけなのかもはっきりしない。

それで確か細川藤孝の妻が沼田氏だったと思う。
幕臣の沼田上野介光兼の娘。
祐光が藤孝に仕えたってのは沼田氏つながりってことはないのかな?
そっちの沼田氏は若狭熊川の領主だったらしいけど、
名乗りも上野介だし光兼と祐光で名前も「光」が共通してる。

俺としては、上野沼田氏出身の祐光が一族で幕府奉公衆の光兼を頼って上京してきて、
そこで藤孝に最初に見出されたんじゃないかって思ってるんだけど、
専門家の人どうでしょうか?
277276:02/03/17 01:24
>>276
追加だけど、もしくは沼田祐光はもともと幕臣の沼田氏の一族で、
上野とはもともと直接関係なかったのかもしれないとも思う。
そしたら細川藤孝との関係もすんなりいく。
278日本@名無史さん:02/03/17 01:31
>>275
鹿角は南部領でした。
279日本@名無史さん:02/03/18 15:16
沼田祐光の出自は不明のはず。
280歴史の勉強:02/03/20 13:34
大浦ネタはないけど、挙げ!
281日本@名無史さん:02/03/23 04:03
津軽も上げとくよ、
282歴史の勉強:02/03/25 00:52
津軽は名君が有名なので、歴代みんな名君かと思ってたら、
何だか暗君ぞろいの家って気がしてきちゃったなあ。
増産が印象的なだけにね。
「津軽一族」は津軽でも読まれてますか?

乳井貢って、今はどんな評価をされてるんですか?
僕は江戸時代の学者として非常に興味があるんだけど……

でも、藩主が浪費したからって、それだけで藩政が苦しくなるのはおかしい。
やっぱ「構造的な」問題があったんじゃないですか?
たとえば乱開発しちゃったせいで、一回天候不順があると、
とたんにバタバタ人が死んでくっていう。
津軽と南部の「北海道出稼ぎ」は有名ですけど、
そういう背景もあってかな?
283日本@名無史さん:02/03/25 02:29
津軽はいまだに北前貿易だから、書状をあつらえて届けないと、
レスはなし。
284日本@名無史さん:02/03/26 21:08
正月頃、堀越城跡から為信のものが何か発掘されたらしいが、何出てきたん?
285日本@名無史さん:02/03/26 21:19
286284:02/03/26 22:10
おー情報サンクスです。
287日本@名無史さん:02/03/28 03:56
南部衆としては、津軽衆もageアゲちゃう。

論客が、南部スレで好き放題に語っているが、
あれは、いかがなものかと・・・

伊達衆にも出てきてもらいたい所なのだが、
288日本@名無史さん:02/03/28 04:08
秋田氏にもおいで願いたい。
佐竹氏デムパはきっと来ないだろうな。
289歴史の勉強:02/03/30 13:07
秋田氏を考えるばあい、どこから津軽安藤氏と区別するかを明確にしなきゃ。
もちろん、分けないで一貫してたものと考えるなら、それはそれで好いのですが。

ただ、秋田氏のばあい、中世〜幕末の一貫した歴史を考えにくい。
南部氏のばあい、南部氏が糠部に入部したころから幕末まで、
津軽氏のばあい、大浦為信の正体検討から幕末までですが、
秋田氏のばあい転封されちゃってますから。
「秋田・佐竹スレッド」と銘打ったほうが好いかも知れません。
290歴史の勉強:02/04/08 00:31
南部に差をつけられる一方だ(僕の責任もある……)。
津軽ネタを書き込もう。もー、弘前第5師団でもいいから。

秋田は白人が多いって書き込みがずーーーっと前にあったけど、
アイヌって白人なんでしょ? 少なくとも日本人より白人に近い。
アイヌってえと、「男として一回は生まれてみたい」風貌のオッサンしか見ないけど、
女性は美人が多いんでしょうか?
具志堅用高の顔には憧れても、沖縄人女性は好みではありません(ハハハハ)。
平良とみさん、スマソ。
291歴史の勉強:02/04/13 00:39
津軽は戦国期が謎の大海に沈んでるせいか、南部に押されがちですね。
もっとも僕自身、最近はあんま津軽関係を読んでないや。
解明できないのんかなあ? 津軽前史。
大浦為信の正体。浪岡御所の滅亡。十三湊の衰退。
こんな面白いテーマもまたとないのに。
292日本@名無史さん:02/04/13 20:08
南部騎馬軍団の影を見て津軽衆は潰走したとのことでござる。
293民族覇:02/04/13 22:22
>>272さん
蛇足ながら,津軽氏は為信の子信牧(のぶひら)の時
石田三成の娘を娶り、その間に嗣子信政が生まれている。
つまり、津軽氏には三成の血が流れている。
294歴史の勉強:02/04/13 23:22
悲劇の奥方ですか。津軽藩政初期は暗い話ばっかで嫌ですね。
ま、いいんじゃない?
出自詐称に比べれば、血統をごまかしようがないほうがまだ。
津軽は、大道寺氏とか、没落武士を積極的にスカウトしてますね。
わりと人脈広かったのかな?
295日本@名無史さん:02/04/13 23:25
人脈だけでなく、資金面でもわりと裕福だったそうですな。
45000石だった津軽藩も幕末には32万石にまで開墾しまくったそうです。
296民族覇:02/04/20 21:55
ちなみに為信は戦国時代,「南部左京亮」と称したそうな。
秀吉に誼を通じた際もそういう名前で書状を送っている。
つまり,南部一族とみなされていたらしい。そして,その
書状は石田三成を介して秀吉に伝えられた。ここで三成が津軽の
書状を受ける役にいなければ,津軽の独立はありえなかっただろう。
津軽の独立は三成の存在なくしてはなかっただろう。
297日本@名無史さん:02/04/20 22:24
津軽家から薩摩島津家の分家に養子に入られた方がいらっしゃいます。
地元では殿様と言って尊ばれています。
 一時期はご自分でスーパーに買い物にいらっしゃるなど
見ていて痛々しい限りでしたが、最近はそれなりに幸せに
お暮らしのご様子。

良かった良かった。
298名無し大名:02/04/21 14:52
島津重豪の五男だかが八戸藩に入ったのも興味深いです。
津軽も八戸も幕末は官軍に属したことが、青森県になる一因だったんですかね?
299日本@名無史さん:02/04/21 23:35
age
300歴史の勉強:02/04/22 03:36
300もらいついでに。
津軽藩は「朝敵」(今思えば、何故こんなものに精神的圧迫を感じたのか?)に
ならないで済んだ藩ですからね。殿さまが養子だったんだっけ?(秋田だっけ?)
秋田は官軍に味方して、ずいぶんひどい目にも遭ったけど。

幕末ともなると、もうお殿様も養子が多くなりますね。
官僚制が完成し切っちゃうと、もう血統は重要でなくなるのでしょうか?
301日本@名無史さん:02/04/22 08:15
八戸藩は官軍方ではありません。
野辺地戦争では盛岡軍と一緒に津軽軍を撃退しております。
 青森県の成り立ちはまた別です。
302日本@名無史さん:02/04/23 13:31
>>287
論客とは誰のこと?
まあ想像はつくが。
303名無し大名:02/04/23 23:16
>>298うっかりage。
304日本@名無史さん:02/04/24 20:21
桜庭の血を引く者なんですけど、白人の血を引いてるっていうレスのソースを教えて
欲しいのですが。気になって当分考え込んじゃいます。
305304:02/04/24 20:31
すいません。南部家に仕えてたんでしたっけ。南部スレの方で訊きます。
306日本@名無史さん:02/04/24 21:40
>>304
 そいや、桜庭結構白いよね(w
307千徳大和:02/05/04 07:25
まいねage
308日本@名無史さん:02/05/04 10:48
???
桜庭って白人なの? はじめて聞いた・・・・
309日本@名無史さん:02/05/04 11:12
白人じゃなきゃグレーシー一族と互角に戦えないよな。
310日本@名無史さん:02/05/04 11:34
白人じゃなきゃあんなに乳輪デカい訳ないよな
311日本@名無史さん:02/05/04 11:42
白人じゃなきゃギョウザ耳噛まれ無いよな。
312日本@名無史さん:02/05/04 11:45
白人じゃなきゃ羽賀研二と寝たなんて安っぽい売名行為しないよな。
313津軽信枚:02/05/05 03:33
本名桜庭じゃないでしょ。つーか桜庭氏スレじゃないでしょ。もっと津軽氏を語リーナ
314日本@名無史さん:02/05/05 03:37




















てst
315日本@名無史さん:02/05/05 03:38
白人
316日本@名無史さん:02/05/10 01:54
あげー
>>276-277
沼田光兼と沼田祐光の名前を比べると
沼田祐光の方が、光兼より上位になりますよ
(偏諱の場合、与える字を上に置く為

織田信長の場合
浅井長政、森長可、菅谷長頼、金森長近
(前田利長は信長存命時に利勝、羽柴秀長は長秀
徳川家康の場合
榊原康政、石川康長、天野康景とその子息、家康異父弟の康元、康俊
足利将軍家の場合
上杉輝虎、細川昭氏、足利晴氏、藤氏(義輝の初名義藤から
318歴史の勉強:02/05/11 23:25
不毛な白人ネタが多いので、一筆啓上しとこう。上げついでに。

白人なんて、科学的な分類じゃないですよ。
白人自身も、ずいぶんいい加減な人種分類感覚を持ってたようです。
たとえばシェークスピアはアラビア人を「黒人」と呼んでたそうです。
そもそも、有色人種って区分自体が滅茶苦茶なもんだからねえ。

よく聞きますが、アイヌさんは日本人より白人に近いんだそうですね。
わからん気がしないでもない。要するにコーカサス人種に近いんだろうね。
モンゴロイドったって、色白な系統と色黒な系統が両方いるからね。

つーより、白人コンプレックスってまだ残存してんの?

こちらのスレッドの趣旨に関連することを書きましょう。ただし推論です。
えー、関東一不細工が多いと全世界的に名高い首都近郊某市出身者には、
東北出身の女子大生は美人が多いと思います。お世辞じゃなく。
東北はもともと他地方からの入植者が多い地方でした。
源頼朝の奥州征服も、大量の入植者を随伴するものだったと言われます。
混血が多いから美人が多くなるのではないでしょうか?
関東も人が流入しとるわりには「〜美人」とか聞かないですね。
「元が悪すぎて改良速度が追いつかない」のでしょうか?
319日本@名無史さん:02/05/12 00:03
 美人なんて単に文化の違いでしかないよ。今は西洋的価値観が広がっている
から、目が大きくて…って価値観が広がっているだけ。秋田美人云々と言われ
たのも大正時代からだから、西洋的価値観が広がった後の話。
 江戸時代の美人画を見ると目が細い人ばかりだしね。
320歴史の勉強:02/05/12 19:39
しっかし、秋田美人なんて誰が広めた語なんだろね?
秋田は田舎だから、今の住民の大半は江戸時代に住んでた方々の子孫だろうけど、
江戸時代には秋田美人なんて感覚は無かったのかな?
津軽や南部は、文化的に秋田に対してコンプレックスあったみたいだから、
「憧れの地・秋田」への思いが、女性への憧憬へと変容し、
東北諸藩の商人が各地に繁衍することによって、
「いや〜、秋田の女はいいぜ〜?」
ってな感じで広まったんじゃないの?

ま、僕の住む関東某市に美人が少ないのは否定できません。
「ミス〜」のレベルでわかるよ。東北に栄光あれ!
321日本@名無史さん:02/05/13 14:43
>>317
足利昭氏ってだれ?
そんなのいないでしょ。
322日本@名無史さん:02/05/13 14:58
>>320
>津軽や南部は、文化的に秋田に対してコンプレックスあったみたいだから

津軽はどうか知らないが、南部が秋田にコンプレクス持ってたなんて、
聞いた事無いです。
323日本@名無史さん:02/05/18 14:44
324日本@名無史さん:02/05/18 14:47
>>323
ageるのなら何かカキコしてね。
これでは白紙の答案用紙だよ。
325日本@名無史さん:02/05/18 16:43
秋田の女優・アイドルて加藤夏希以降だれも出てこんね
326日本@名無史さん:02/05/18 16:56
>>325
何故津軽スレに秋田県出身のアイドルが??
327日本@名無史さん:02/05/25 17:56
常陸宮妃の実家って絶えたの?
328連休三日:02/06/02 03:57
なんか自分の出自にコンプレックスをもってるらしい「DNAオタク」が
自作自演しだしてから、急速に荒れたな。「半島」にルーツを求め、
「白人」にこだわりたがる。「向こうの国」の人ですか?w

329日本@名無史さん:02/06/03 23:29
>>321
ごめん、細川昭氏→細川昭元
330日本@名無史さん:02/06/03 23:36
>320
佐竹が水戸の美人を連れてったからでしょ?
だから日本3大ブスのひとつが茨城らしい
331日本@名無史さん:02/06/03 23:44
日本三大○○は日本各地で違うよな、俺の知ってる日本ブス産地は
仙台、名古屋、広島。
332日本@名無史さん:02/06/03 23:55
>>331
なんか聞いた話だと仙台はいわゆる「伊達男」のやっかみでそうなったて話らしい・・・。
でも仙台がいい男が多いって話は聞いた事無いけどねw
333日本@名無史さん:02/06/03 23:57
>>332
仙台は仙台人が自分たちで言ってるんだけど
仙台人が自虐ってるだけかな
334日本@名無史さん:02/06/06 00:53
日本史板のなんでも質問スレで紹介されてきました。
質問があるのですけれど、

「津軽藩」の何代目か忘れましたが、ロシアの貴族からお嫁さん(正妻)貰った殿様
いるって大学ならったのですが、詳細ご存知の方いますでしょうか?





335日本@名無史さん:02/06/06 01:00
>>334
アッチからコッチに質問移動したみたいだけど、このスレは住人が
少ないみたいだから、南部衆の私も探してみるよ。
336日本@名無史さん:02/06/06 11:31
うそ
337日本@名無史さん:02/06/06 19:49
>334

それはネタだろう
正妻は人質として江戸に置いとくものだし
同格くらいの大名からもらうのが通例

可能性があるとすれば、御国御前(側室)だろうが
イマイチ信じられん
338日本@名無史さん:02/06/06 21:29
>>337
明治以降の当主では?
339334:02/06/06 23:56
>>337
ネタじゃないです。側室ではなく正妻と言っておりました。
自分でいろいろ文献探して調べてみます。
何か見つかったらお知らせします。

>>338
うーん。明治以降か分からないけど、津軽藩藩主と言っておりました。


どうも、ありがとうでした。
340334:02/06/07 00:32
自分で調べました所、
ttp://isweb14.infoseek.co.jp/area/s-mizoe/mm64.html

のページに津軽藩当主や正妻の情報が記載されていました。
けど、ロシアから女性を娶ったという事実はなかったようです。

すいません。お騒がせしました。
341日本@名無史さん:02/06/07 09:04
ご苦労さまでした。とりあえず、よかったですね

話としては面白いけど、鎖国の世にロシア娘というのはね(笑)
あと、あげ足を取るわけじゃないけど、普通藩主というと江戸期の当主を
指すわけです。戦国時代や明治以降なら津軽家当主でも藩主とは言わない
でしょう
まあ、可能性があるとすれば明治以降で当主の弟あたりかも知れない。
ロシア革命を逃れて日本に来た娘とか・・
342日本@名無史さん:02/06/07 09:33
鴎外の「渋江抽斎」を読んだ人はいませんか?
343日本@名無史さん:02/06/12 13:40
ナンシー関さんのご冥福を祈ります。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0612/002.html
344日本@名無史さん:02/06/12 17:06
ナンシーさんって青森でししたか・・・津軽?
345日本@名無史さん:02/06/22 18:30
関直美
346津軽右京亮:02/06/28 14:15
                                  .、,_
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       ナンシーで終わるな! >    .ノ¨ー--、、,,__    . ̄¨¨^^'''二「
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             .\ /         .:l′           ノ┘ .「.'′


347日本@名無史さん:02/06/29 21:02
藩祖が怒ったぞー!
348日本@名無史さん:02/06/29 21:33
昨日、野辺地の大叔母が亡くなりました。
349日本@名無史さん:02/07/01 01:14
ご冥福を。
350ライバル参上!:02/07/08 23:13
   ミ.爻
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hr《》|リlllllllllllll!.{llllllllllレlu|》r ,y ゙″ ¨゙ylァ:ill|,zll「゙< オラァー350!
v =《厂¨⌒″l|, ゙l!{l|フllll|》ll|トi;;;llz_    `{|゙《レ、  |
ノl《|》|!冖''''リll(l| .ll|''lllz;lllll|z》l;l(ill|リllllz;:z!ミ|リzl| _  \_________
爻i}《ii》ミ》|||lレlli .|llil|ミ《l|リリ||ミi|リ .^ア《ア卅^ ゙リlllll},i》|||リl;||ll|》|l|ミll;l;l;llli|llllllllllll|》!^
(|》l||lllzllllllllllllllll| .llllliy ^lil|′,メ ,iレ',l.〔厶yメ .{l|リllll|lll|リ|ll|》l|llllllll;;lllllllll|||ミ^¨゙__,,z
lll;;;《lllllll|_《 .|l|》l|)=' ゙リll|゙ ,illl゙illlトl||lyノ″」》リ(i《;l《|;llllllllllllllllllllll;ミ^¨_,,ylllllllllllll
∨ .,[;ll'l(l}[爻゙》 ゙llll;|lト_`y(`_゙ア「》l|,,l||,,;lll! ,..″;ll il|,爻_.゙ミlllllllllll|厂゙,,,,,lllllllllllllllll;||
351日本@名無史さん:02/07/19 21:56
ageです
352日本@名無史さん:02/07/30 00:15
353日本@名無史さん:02/08/07 08:26
津軽のお祭りは荒っぽいね、他の東北とは雰囲気が違うよ。
354きまぐれ教えてくん:02/08/07 10:43
沼田くんが津軽くんに目をつけた
いきさつ誰か教えて
355いいかげんに返すくん:02/08/08 14:00
群馬から家出した沼田君がチャイルド津軽君の聡明さに惚れたって感じかな?
356日本@名無史さん:02/08/20 22:45
357為信:02/08/25 09:25
おはようございます。
為信です。

昨日信長の野望で天下統一しました。20年かかりました。
358日本@名無史さん:02/08/25 13:16
このスレ最初から読みました。
今まで蛮族蝦夷の地だと思っていたとうほぐにもかろうじて
文化らしきものがあったってことがわかりました。
ありがとう。

名古屋人より
359日本@名無史さん:02/08/25 13:42
>>342
渋江抽斎いいね。
当時のインテリ武士階級の様子がよくわかるし。
しかし、抽斎にしても蘭軒にしても、
医官ということは剃髪していたんだろうかな、・・・
その辺りを想像するとちょっと萎えるんだが。
360日本@名無史さん:02/09/04 02:22
361日本@名無史さん:02/09/07 14:42
>>130
津軽家現当主って誰?
362日本@名無史さん:02/09/22 22:56
津軽義孝には息子はいないんだよね。家は誰が相続したんだろ?
363日本@名無史さん:02/09/26 23:13
南部氏スレは日本史板の中でも優良スレで800を超えました、津軽衆もガンガレ。
364日本@名無史さん:02/10/02 01:22
365日本@名無史さん:02/10/02 01:36
これはまた驚き申した!皆の衆、津軽殿はこともあろうに空揚げですぞ。
366日本@名無史さん:02/10/15 22:16
ナンシー関あげ
367日本@名無史さん:02/10/29 03:38
津軽家から島津一族に養子に出た、島津久英さんが
10月4日に100歳でお亡くなりになりました。

ご冥福をお祈りいたします。
368:02/11/02 20:24
369日本@名無史さん:02/11/02 21:02
>津軽家から島津一族に養子に出た、

津軽家の誰の子供?
370日本@名無史さん:02/11/07 23:00
為信の軍事、合戦等の能力てどうなの?
謀略等のイメージが強いので
371日本@名無史さん:02/11/07 23:55
>>370
過去レス南部レス等読んくだされ。
372日本@名無史さん:02/11/18 00:26
373日本@名無史さん:02/11/30 17:49
374日本@名無史さん:02/12/08 22:21
なんでアヘンの事を「津軽」って言うんだろ?
375日本@名無史さん
>>374
聞いだごどね。