武烈天皇の悪行について

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1ジョニー宜野座
あの〜、歴史には全然詳しく無い初心者なんですけど、先日「日本書紀」
読んでたら武烈天皇の残虐行為がいろいろ書いてあったんで不思議に思った
んですね。妊婦の腹を裂いて胎児を取り出したり、人のナマ爪剥いで畑を
掘らせたり、他には「史記」からのパクりと思われる記述とかで暴君に
描いてあるんです。
でも「日本書紀」って天皇家を悪し様に書く事なんて憚られるんじゃないん
ですかね?遠慮会釈なしに書いた人は誅殺されなかったんですかね?
これが正当の天皇家の記録なんでしょうか?
2日本@名無史さん:02/01/27 06:53
日本書紀は天皇家が捏造した偽書
よって、武烈天皇の悪行も、武烈天皇も実在しません
3日本@名無史さん:02/01/27 06:59
しかし妊婦の腹を裂くぐらい内臓に興味があるのなら
腑分けすればいいのにと思うのおれだけか。
杉田玄白や前野良沢もびっくらこくぞ。
日本の医学はこんなにすすんでたのかーって。
4日本@名無史さん:02/01/27 07:04
雄略天皇の血筋でしょうか、かなりいってたかも。
ただ非常に厳格な独裁者だったみたい。
妊婦の腹さしたなんてのは信じがたいが、
雄略帝の確立した独裁体制にのっかって、張り切ってたかもしんない。
姉貴の手白髪皇女って、妻が二人いてあちこちの女に手をつけてる
オオドがまいっちゃうぐらい、いい女だったのかな。
5ジョニー宜野座:02/01/27 07:08
>>2
実在しないのだったら聖天子に描けば良いと思うのですが...
捏造であろうがなかろうが、公認の天皇の一人を悪者にしてしまうのが
変だなあ、と思ったもので。
6日本@名無史さん:02/01/27 13:23
皇国史観では、いいことをした、と書いてある権力者はみな実在でその
有難さに咽び泣け、と強いるのに、悪いことをした、という記述はみな
中国の史書からコピーした虚構だ、無視しろとか言うのが、なんか
二重基準だな、と子供心にも思ったもんだ。
7日本@名無史さん:02/01/27 13:35
全く血縁の無い継体天皇を持ち上げるために、中国の暴虐非道な
帝王の行為を行ったように書いたというのが多分真相。
8>71:02/01/27 14:22
血縁はあるという構図になってるんだけど。
そういう前提でない、王朝交代の筋書きで書かれてるなら分るが。
9日本@名無史さん:02/01/27 19:15
10日本@名無史さん:02/02/01 12:26
11 :02/02/02 21:48
武烈は悪い平群真鳥を亡ぼしました
12日本@名無史さん:02/02/18 00:20
平群鮪
13日本@名無史さん:02/02/18 00:22
アホ。わざわざスレ立てるな。
14日本@名無史さん:02/02/24 16:27
真面目なスレだよ!
15転載くん:02/03/03 13:48
339 :日本@名無史さん :01/10/29 06:40
>”武烈必殺” 残虐の王権!

あは。おもしろいね。
漏れはウヨだけど武烈天皇すきだなあ。
日本書紀の残虐行為の記述は事実ではないという詳しい考証を、他のスレで載せたのも漏れだけど、
個人的な気持ちとしては事実であってほしかった。

武烈天皇ってのは、聖帝と崇められる仁徳天皇の嫡流(代々長男)で、
かつ、絶世の英雄とされる雄略天皇の血をひく唯一の生き残り。
応神天皇五世孫なんていう掃いて捨てるほどいたであろう馬の骨とはちがうんだよ。
10歳で即位して18歳で死んだという伝説のとおりならば、
おそらく日本史上最古の少年天皇でもある。

残虐なことしかやらなかったわけじゃなくて、それ以外にもいろいろやってるよ。
当時、古参の大臣である平群真鳥が朝廷で専権をふるっていたのを、
クーデターで倒してから即位したとか。この時10歳。

即位してからのかれは、裁判好きで法律に詳しく、朝から晩まで朝廷に出て、
世に知られずにいる無実の罪はかならず見抜いてそれをはらし、
裁定は人情(実情?)にかなっていた、と。英明な一面もあったんだよ。

当時の百済王は末多王で、残虐行為は、こいつと競い合ってたようだ。
ちなみに桓武天皇の母方の先祖は、この時代に帰化したらしいね。

皇后がいたのに子孫がなかったのは、
あんまり普通のセックスは好きじゃなかったのかもな。

古代ローマでいうと、カリギュラ帝よりも、
アナーキストの神さまで変態少年皇帝のヘリオガバルスのイメージかな。
(ヘリオガバルス+大岡越前かな)
酒鬼薔薇みたいな小僧といっしょにしちゃイカンよ。
バモイドオキ神のかわりに崇めなさい。

340 :399 :01/10/29 15:35
>339
ヘリオガバルス帝についてはこれを見そ。

古代ローマに宦官がいたの?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/975259020/
このスレの>7,>39,>40,>46,>54,>82,>89,>91
16日本@名無史さん:02/03/03 14:04
 武烈の悪行がことさら記述されているのは、実は次の継体の正当性
を強調したいが為だと言う話もあるようですね。
17日本@名無史さん:02/03/18 17:15
そういう説もあるけど、そうだと断言することもできない。
18日本@名無史さん:02/03/25 00:15
うほほ
19日本@名無史さん:02/04/21 13:58
20日本@名無史さん:02/04/27 21:43
21日本@名無史さん:02/05/04 23:05
22日本@名無史さん:02/05/04 23:52
桀紂は悪く書かれすぎているという話もあるね
23日本@名無史さん:02/05/12 20:45
age
24日本@名無史さん:02/05/12 23:44
>>22
殷の紂王は実際は、政(まつりごと)に熱心で頻繁に周囲の国を征伐
したらしい。その隙を狙って、周の武王に攻め込まれたらしい。
25日本@名無史さん:02/05/13 17:57
26日本@名無史さん:02/05/13 18:57
シナでも南北朝の天子たちは、狂っている奴が多かったよ。どうやら世界史的な
風潮として不良天子や非行天子が量産された時代だったというのが真相とみる。
武烈ひとりだけが非行をしたように記述されているほうが、むしろおかしい。
あの時代の彼以外の歴代天皇も大同小異だったはず。
27日本@名無史さん:02/05/13 19:04
>>24
殷の紂王は息子の武庚禄父から「釐王」という謚号を贈られてる。
「謚法解」でも「釐王」という謚号は
外交や内政に優れた功績を残した君主に贈られる名前だし。
28やまとのよそもの:02/05/13 19:23
武烈にはもともと男子も女子もなく跡継ぎが絶えるはずだったと継体紀に
ある。別に武烈を悪逆非道にしなくても、しかるべき手続きで継体が即位
したとしても良かったし、その方が天皇家にとって良いと思うけどなあ。
にもかかわらず悪逆非道に書いてあるのは事実だったからじゃないかな。
子供ができなかったのも、こういうひどいやつだったからかもね。
廻りがしっかり記憶していてごまかしきれず本当のことを書きましたとさ。
なにが気に入らなくてグレたんだろ。そっちに興味あり。
29やまとのよそもの:02/05/13 22:56
18才で死んだみたいだけど、死因はなんだろ。
悪逆非道が本当・嘘どちらであっても大伴金村大連一味による暗殺
って線が濃厚だな。
30日本@名無史さん:02/05/14 15:11
age
31153:02/05/24 20:22
age
32日本@名無史さん:02/05/25 14:41
>>29
古史古伝の類には(書名忘れた)、武烈天皇は暗殺されたことになってる。
たしか大嘗祭の宴で酔った隙に殺されたとか書いてあった。
33日本@名無史さん:02/06/06 00:21
陽成は武烈の再来だよ。
34古代最凶の悪魔・日本のネロ・カリギュラ「武烈天皇」(第25代):02/06/06 00:50
2年秋、妊婦の腹を割いてその胎児をご覧になった。
3年冬10月、人の生爪を抜いて、山芋を掘らせた。
4年夏4月に、人の頭髪を抜いて梢に登らせ、樹の根本を切らせて、登っていた者が
 落ちて死ぬのを眺めるのを楽しみとされた。
5年夏6月に、人を池の堤の樋(ひ)に伏せて入らせ、外に流れ出てくるのを三つ又
 の矛で刺し殺してはそれを楽しまれた。
7年春2月に、人を樹に登らせ、弓で射落としてお笑いになった。
8年春3月に、女を裸にして平板に座らせ、馬を全面に引き出して交接させた。
 女の陰部を見て、潤っているものは殺し、潤っていないものは召し上げて官婢とされた。
そしてそれを楽しまれた。(日本書紀より)
35マーシャルアーツの達人、悪ガキ・撲殺魔「陽成天皇」(第57代):02/06/06 00:51
 陽成天皇は性格異常天皇として有名です。二条の后を母とする陽成天皇は奇行が
目立ち、十七歳で退位させられてしまうが、そのきっかけの一つとなったのが殿上で
彼の乳母(紀全子)の子である源益という者の命を奪ったことである(『尊卑分脉』
『玉葉』などによれば、陽成天皇が殴殺したとの風聞があったらしい)。
 今でいう高校生ぐらいの歳で在位し自らの乳母の子を撲殺....また、宮中で馬を
飼うのは禁じられていましたが陽成帝は飼育。ワルガキ取り巻きと言わば馬での
暴走行為も....
 見るに見かねた関白藤原基経はこの言わば狂帝を無理やり退位させ、永らく冷や飯を
食わされていた光孝天皇(当時既に40代)を即位させます。
 『大鏡』や『中外抄』、降っては『神皇正統記』等の著者達も、夙に病弱説を排し、
暴君説を採っている。中でも慈円は、暴君説を強く主張し、「この陽成院、九歳にて位
につきて八年十六までのあひだ、昔の武烈天皇のごとくなのめらずあさましくおはし
ましければ、おぢにて昭宣公基経は摂政にて諸卿群議有て、『是は御ものゝけのかく
あれておはしませば、いかが国主とて国をもおさめおはしますべき』とてなん、
をろしまいらせんとてやうやうに沙汰有りけるに、・・・」 と述べ、この帝を廃し、
光孝天皇を擁立したことをもって、『藤氏の三功』の一つに数えているのである。
 なお江戸時代の初期の後陽成天皇は女官の密通事件に怒って相手の貴族たちの処刑を
強く主張したため殺人天皇陽成の再来ということで「後陽成」という贈り名をもらった。
36自らの悪質なイタズラの報いでアボ〜ン「四条天皇」(第87代):02/06/06 00:51
 四条天皇が若干12歳で亡くなった事情について、『五代帝王物語』では、
「主上あどけなくわたらせ給ひて、近習の人、女房などを倒して笑はせ給はんとて、
弘御所に滑石の粉を板敷にぬりをかれたりけるに、主上あしくして御顛
倒ありけるを……」と極めて詳細に記述している。
 つまり四条天皇は人を滑らせて笑ってやろうとして蝋石を塗っていたところ、
自分が滑って転倒し、打ちどころが悪くて数日寝込んだあとにポックリ逝って
しまったという、まあ、歴代天皇史上これ以上情けない死に方をした人は
いないくらい変な死に方をした天皇なのである。
 当時のお遊びの一つに、土器の皿を転がしてどこまで行くか競争するというのが
ありました。廊下なんかでやる他愛のない遊びですが、その時によく皿が滑って
転がるように、滑石の細かい粉を撒いてたんですね。で、四条天皇はこれに目を
つけました。
 「こっそりこれを廊下に塗り込んで、みんなをすべりこけさせてやろう!」
 実行してみると、思ったとおり、朝服に身を固めた臣下たちがあっちでつるり、
こっちですってん。手を叩いて笑いこける四条天皇。
 誰の仕業かわかっても、それがほかならぬ主上とあっては怒ることもできず・・・。
天皇の悪戯はエスカレートします。それだけならよかったんですが。
 ある日のこと。いつもと同じように廊下に滑石の粉を撒いている時、何かの弾みに
四条天皇自身が足を取られてしまったんですね。勢い良く板敷きに転倒して死んだ天皇。
 しかし、四条天皇本人が死んだからよかったものの、四条天皇のイタズラで、
殺された者もいたかもしれないわけで、四条天皇が自らのイタズラの報いで死亡
したのは、第二の武烈天皇、陽成天皇が生まれなかったことを考えれば、むしろ
幸福なことだったのかもしれません。
37大伴金村大連:02/06/15 15:54
ageてやるよ
38日本@名無史さん:02/06/23 20:33
武烈はデッチage
39日本@名無史さん:02/06/23 21:18
でっちあげっつたって話が残ってるのも事実だかんな。
ま百何十代も続いてれば時にはきちがいも出るだろ。
40日本@名無史さん:02/07/07 11:36
age
41日本@名無史さん:02/07/15 15:39
>>32
ってことは、古史古伝もあんがいウソじゃない!?
42日本@名無史さん:02/07/17 04:13
>28
>なにが気に入らなくてグレたんだろ。そっちに興味あり。

ほんとは女だったから。


43日本@名無史さん:02/07/30 00:15
44日本@名無史さん:02/07/30 12:15
>>36
四条天皇はそのわんぱくなとこがみんなに好かれてたみたいだね。
亡くなった後女官たちはみんな悲しんで、
しばらく朝廷は灯が消えたみたいに暗くなったらしいから。
想像するとけっこうかわいい。
45日本@名無史さん:02/07/30 12:18
平群氏没落のこととかそれにまつわる物部影姫の逸話もあるし、
実在しなかったてのはさすがにないだろ。
そこまで話しを作るとは思えん。
46日本@名無史さん:02/07/30 13:42
47日本@名無史さん:02/08/11 21:36
48日本@名無史さん:02/08/19 05:02
>>35
陽成は、女を裸にして縄で縛り池に放り落としたなんてこともしたらしいな。
49大伴金村:02/08/30 20:50
以下はマジ情報です。
武烈天皇の皇后春日娘子は飯豊皇女の隠し子です。
武烈には子が無かったと言われますが、
実際は2人の皇子女がいますた。
@廿瀬雄皇子(はつせおのおうじ)武烈5年冬10月 狂乱の病を発し、薨じた。
A廿瀬弟皇女(はつせのおとのおうじょ)同6年秋9月 突如発熱、狂乱して薨じた。
そして、同8年冬12月天皇が崩御(被殺?)、ここに仁徳王統は途絶えた。ジャンジャン!

出典「先代旧事本紀大成経」

(´-`).。oO(最後の一行だけで全てがウソっぽく聞こえるなぁ……)
50日本@名無史さん:02/09/07 02:35
50 50 50 50 50 50 50 50
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50 50 50 50 50 50 50 50
51贋作です:02/09/07 07:16
武烈の話は中国の歴史書の真似焼きじょないの?似たようなのきいたことある。
52日本@名無史さん:02/09/07 07:31
中国の史書で猟奇的行動ではなく「解剖」が正式に記録されているのは
漢書の王莽伝が最初。莽が命じてやらせた。

ただしこれも囚人を使った生体解剖。
53日本@名無史さん:02/09/07 07:34
武烈天皇とは関係ないが
王莽の時代にはグライダーとおぼしき飛行機器で
空を飛んだ人が出たりと、
結構科学面では見るべきものがあった時代かもしれない。
54日本@名無史さん:02/09/17 01:21
仁賢天皇には男子がなく皇統断絶の危機であった。
そこで皇女が生まれた時、男児と偽って育てた。これが武烈天皇になった。
皇子と皇女の双子(実は一人二役)だが皇女の方は病弱で武烈が死ぬまでほとんど人前に出ることはなく
八重九重の奥に隠れ人々から忘れられていた。

秘密を知る平群鮪とその父の平群真鳥は
真相を暴いて皇室を滅ぼし倭国を奪おうと画策したが
武烈(10歳)と大伴金村のコンビによって阻止された。

武烈の奇矯な行動は
女性ゆえの秘密行動を「この天皇なら何があっても不思議でない」とカモフラージュするためと
恐ろしい性格で近寄りがたい雰囲気を作り、接近して観察されないようにするため。
実際の政治は即位前の継体天皇がサポートしていたと思われる。

18歳になった時、すでに当時の年齢では行き遅れなので、女性として結婚するため、
偽りの死を演出。
そして継体天皇の皇后となり後に欽明天皇を生んだ。つまり武烈天皇=手白香皇女。
55日本@名無史さん
仁徳朝系統(仁徳〜武烈)の子孫を名乗る氏族がいないのは何故?