江戸時代に残った清和源氏で

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1日本@名無史さん
どこが一番、家格が高いのですか?
僕は、佐竹か細川のどちらかのような気がしますが。
他に嫡流に近い清和源氏っていましたっけ?
2日本@名無史さん:02/01/24 14:44
似たようなスレいっぱいあると思うんだけど
31:02/01/24 14:51
>2
すみません。もう一度探してみます。
でも、せっかくだから書かせてもらいますが、
家格とは純然たる血流で石高は関係ないです。
4   :02/01/31 16:29
>>3
家格だと、清和源氏の嫡流は摂津源氏だから、
佐竹や細川のような河内源氏の傍流は家格は低いよ。
5日本@名無史さん:02/01/31 17:25
>>1
一番家格が高いのは公家の竹内家です。
6竹内義和:02/01/31 17:47
>>5
呼んだ?
7日本@名無史さん:02/01/31 19:03
吉良クラスの高家でしょ。
喜連川氏とかね。
8日本@名無史さん:02/01/31 19:21
天皇はチョンの末裔なので、
天皇を祖先に持つ、源氏・平氏等もチョンの末裔。
9日本@名無史さん:02/01/31 22:47
吉良か今川じゃない? 大名ではないけど。
10日本@名無史さん:02/01/31 22:53
>>9
吉良と今川なら本家の吉良だな。
11名無し:02/01/31 22:54
武家の棟梁家としての清和源氏つまり河内源氏の後裔で
家格を維持しているのは、やはり喜連川でしょう。
吉良は所詮吉良、今川も同様。
喜連川は足利ですから。
12日本@名無史さん:02/01/31 23:00
喜連川にゃ負けるが格ならば渋川も高くないかねぇ?
13日本@名無史さん:02/01/31 23:24
一番高いのは徳川氏です。
八幡太郎義家の子新田義重の子
得川義季の子孫です。
14日本@名無史さん:02/01/31 23:37
>>13
そうだった。源氏武家棟梁は現在徳川家だったね。
そう意味では、家康の功績は末代まで影響があるね。
15日本@名無史さん:02/01/31 23:44
徳川家が源氏の長者

将軍の代替りごとに、天皇が保証してるんですぜ
16日本@名無史さん:02/01/31 23:50
その徳川も新田の総本家として認めてた
岩松(新田満次郎家)が格的には最高だろ。
しかし家康は岩松守純に贈20石。
本物は邪魔だからな。

17日本@名無史さん:02/02/01 00:25
>>13
捏造じゃん。
鼻で笑っちゃうぜ
って、このスレに今まで書いていた人が徳川の名前出ても何も異議を入れないのは
どういうわけよ。
もしかして佐幕派の自作自演スレなのか?
18日本@名無史さん:02/02/01 00:31
>>17
みんな奥床しいんだよ
誰か言ってくれるの待ってたの
>>14は痛烈な皮肉と思われ
19日本@名無史さん:02/02/01 00:40
>>16
言うまでも無く、徳川は偽源氏だろう。
岩松氏については、岩松満純が新田義宗の子というのは無理があり過ぎる。
江戸時代に秀頼の子を匿い、その人物に家督を譲る大名がいると思う?
20日本@名無史さん:02/02/01 00:44
真実と事実は違うってことだな。
21日本@名無史さん:02/02/01 00:55
徳川は荒尾氏の傍系という説が有力。
22日本@名無史さん:02/02/01 01:02
在原朝臣ですか・・・うーん。
23日本@名無史さん:02/02/01 01:04
荒尾って?
2421:02/02/01 01:07
ちょっといいすぎた。

荒尾氏の傍系って名乗ってた時期があったんだって。
で一説に荒尾氏の傍系という説があるらしい。
2521:02/02/01 01:11
で、荒尾なら松平から近いし、親戚関係でもあったということで、
まだ源氏よりは信憑性があるかもってことらしい。
26日本@名無史さん:02/02/01 01:17
いつごろ名乗ってたの?
27日本@名無史さん:02/02/01 01:20
>>21
賀茂氏説もあったような気がする
28日本@名無史さん:02/02/01 01:32
>>27
それは確か松平家の家紋の葵の紋がそもそも賀茂氏のものだから
ってのじゃなかったっけ?
29日本@名無史さん:02/02/01 01:36
確か大樹寺に残されている松平信光の書状かなんかに「賀茂朝臣」と
記されているからだったと思う。
よく覚えてないのでまた調べて報告するわ
30日本@名無史さん:02/02/01 01:36
荒尾は、松平の家康以前の家伝だと思う。
31日本@名無史さん:02/02/01 01:39
賀茂は地名。
賀茂に住み着いた荒尾氏が家伝の正解。
32日本@名無史さん:02/02/01 01:43
脱線スマソ。
関白は養子OKで、征夷大将軍は必ず源氏嫡流でなきゃダメだったの?
33日本@名無史さん:02/02/01 01:46
賀茂姓松平信重の姉娘の婿が清和源氏世良田親氏、
その後を妹娘の婿である在原泰親が継いだが
泰親の後は親氏の子信光が継いだ。
従って信光の子孫である家康は松平氏ということで言えば賀茂姓だし、
実系で言えば源姓、信光が泰親の後を継いだことに重きをおけば
在原姓となる。
34日本@名無史さん:02/02/01 01:51
賀茂と加茂は違うだろ?
松平郷もある加茂郡は三河の地名で、
賀茂は京都の上賀茂神社とかの賀茂だろ?
上賀茂神社は今でも葵祭とかやってるし。
35日本@名無史さん:02/02/01 01:51
>>33
偽源氏というのを承知でいわれているのですか?
36日本@名無史さん:02/02/01 01:56
>>33
松平郷の古い伝承では、親氏の名前はあるものの、
その出自は不明とされているそうな。
まあ、これが全てとは言わんけど、実際、松平行ってみたら、
多分、そんなん絶対嘘だろ?と思うと思われ。
37日本@名無史さん:02/02/01 01:56
>34
そんな偶然あるか。ふつう考えて、賀茂にすんだから賀茂というのが
当時ありがちなパターン。それをうまく京都の賀茂と結びつけただけでは。
葵なんてそれから肖ったかもしれんだろ。昔は加茂は賀茂だっただろうし
38日本@名無史さん:02/02/01 01:58
荒尾って鳥取藩家老の荒尾?
39日本@名無史さん:02/02/01 02:00
>>37
しかし、俺も詳しくは知らんがそれが学説らしい。
葵は古くから松平家が使ってるし、葵の紋はそもそも京の賀茂神社の
賀茂氏のもの。
そこに繋がりがあるのでは?というようなもんだったと思われ。
40日本@名無史さん:02/02/01 02:01
>>36
地元にそういう伝承残ってんだよね。
放浪者の親氏さん、弁舌の才能があったらしく、
松平の主に引き止められたとか書いてあるんだった。
確か豊田市史かなんかに紹介されていたんでは。
41日本@名無史さん:02/02/01 02:03
で、荒尾氏はそもそも在原業平の子孫なのか?
42日本@名無史さん:02/02/01 02:14
>34
字が違うだけ。

>35
南朝に従った世良田氏の活動が最後に確認できるのが十五世紀初頭。
信光の活動時期が十五世紀中頃。一概に両者の連続を否定は出来ないと思う。
信重の養子となった遍歴僧が南朝の遺臣だった可能性は充分ありうると思う。
43日本@名無史さん:02/02/01 02:29
>>41
荒尾氏が後年受位するとき在原朝臣を使っている
44日本@名無史さん:02/02/01 02:29
>>42
一応、松平に残ってる親氏の伝承、素性を訪ねられて
「東西南北を行き来する旅人」
先祖については、
「東西をきらわずして牢流の者に候へば、おんはづかしく存候」
と答えたそうな。
先にも言われてるように松平氏が世良田氏を名乗ったのは百年以上後の
享禄4年の清康の時、それも、名門の吉良氏や今川氏と激しく争っていた時期。
答えはいずれと出ていると思う。
45日本@名無史さん:02/02/01 02:31
徳川(松平)の先祖について

豊田市史に詳しいこと書いてありましたんでご紹介。
史料は「松平村誌」 村の伝承を集成したもののようです。

松平信重が自分の家系について語った言葉として、
<在原とも紀州鈴木の筋ともいうが詳細は知らず、
 今は源氏の末と言っている>とあります。

信重が連歌の会を催した際、記録する者がおらず、
「事仮初のやうなる流人」が「すこすこと」来て
連歌を見物しておったそうですが、信重が記録を
とるよう依頼したところ、これを引き受け、秀れた
句もつけたそうです。これが徳翁斎信武という徳阿弥の
モデルになった人です。
この時、信重が先祖を尋ねると、
「東西をきらハすして牢流の者に候へハ、おんはつかしく
存候」と答えたそうです。

つまり、ナニモワカラナーイのが本当ですね。
4645:02/02/01 02:32
ありゃま、先に書かれていたのね、こりゃまた失礼
47日本@名無史さん:02/02/01 02:33
>34・37
全国のカモという地名、及びカモ云々社というのは京都賀茂両社と関係があり、
(別にこれはカモに限ったことでなく他の地名・神社でも同様)
松平氏の葵紋は賀茂社の神紋に由来すると考えるのが自然。
4845:02/02/01 03:09
45で述べたように超いい加減なので、
それから数代して地名(郡名)より賀茂氏を名乗ることもあったと思われ。
ただし、信光は大樹寺におさめた文書で源氏の末と名乗ってもいる。
それ以降は、44氏が言ってるようにより尤もらしく名乗ってる。
49日本@名無史さん:02/02/01 03:10
徳川まだやる?
本題に戻る?
50日本@名無史さん:02/02/01 03:49
>>45
信重の養子になったのはその信武で、
徳川氏の先祖ってこと?
51日本@名無史さん:02/02/01 03:53
江戸時代の大名で清和源氏を名乗ってるのって怪しいとこ多い
5245:02/02/01 12:23
>>50
左様でございます
53日本@名無史さん:02/02/01 12:29
本題に戻りましょう。

家格で言ったらやはり摂津源氏。
浅野や池田はその末裔を称しているが、怪しいのでパスかな。

もし偽者も全部ひっくるめて系図だけで判断するのなら、
摂津源氏では池田、河内源氏では島津というところではないかな?

54日本@名無史さん:02/02/01 12:36
誰がなんと言おうと公家の竹内家。
55日本@名無史さん:02/02/01 14:40
家格は当主が受ける位階が第一基準となります。
56日本@名無史さん:02/02/01 15:35
>53
あきらかな偽者は排除して考えないと意味がないよ。
池田や島津なんて問題外だし。
57日本@名無史さん:02/02/01 15:42
>>56
じゃあ、どこ?
58日本@名無しさん:02/02/01 16:44
佐竹・・といいたいけれど、源氏とはいえ、平氏に恩があるからなあ・・・。
(妄想)
義光が常陸所領を義清(武田氏の祖)に継がせようとしたら、常陸平氏の怒りを買って、追放されちゃったわけだし。
義光が義業(佐竹氏の祖)を疎んじたら、義業の妻の実家の常陸平氏を蔑ろにしたも同様だったし。
かような事情から、平安末期は、佐竹は源氏筋でありながら平氏郎党となったわけです。

いっそ佐竹は「源氏」でなく「平氏」を名乗るべきでしょうか・・・。
尤も、室町時代は義人以降の時点で「藤原氏」でもあるわけだし・・・・。
59日本@名無史さん:02/02/01 17:16
>>58
じゃあ、だめじゃん。
60日本@名無史さん:02/02/01 17:48
傍流とはいえ、やっぱ喜連川氏か…
61日本@名無史さん:02/02/01 23:27
家柄だけなら喜連川氏だろう。
家柄+実力なら細川氏が最有力では?
62日本@名無史さん:02/02/01 23:30
>>61
実力(石高)では確かに細川だが、そもそも細川は仁木と同じく
何故か最初から足利一族というより家臣として扱われていたらしい。
63日本@名無史さん:02/02/01 23:31
>53
なんで浅野じゃなくて池田なのです?
64日本@名無史さん:02/02/01 23:37
な                                      い。
65日本@名無史さん:02/02/01 23:42
池田氏は藤原氏ですよ。
摂津池田氏=近世大名池田氏ならばですが。
でも系図ではそうなってんでしょ?
最近の研究で摂津池田氏は藤原氏っていうのが確定的らしいです。
66日本@名無史さん:02/02/02 00:16
家柄なら間違いなく喜連川しかないだろう・・・と思ったが
このスレではほとんど出てないのねー

喜連川氏自体知らない人が多いのかにゃ
正真正銘尊氏の子孫(傍流だけど)なのに
67日本@名無史さん:02/02/02 00:52
33は混乱している。正しくは
在原姓松平信重の姉娘の婿が賀茂親氏、その後を妹娘の婿である
清和源氏新田支流世良田泰親が継いだが、泰親の後は親氏の子信光が継いだ。
従って信光の子孫である家康は松平氏ということで言えば在原姓(在原姓荒尾氏か)だし、
実系で言えば賀茂姓。源姓は割って入った泰親に依ることになり根拠としては薄い。

なお親氏(後に信武)の父在親と、泰親の叔父(父親季の弟)有親は別人。
また泰親の父親季(徳阿弥)と養父親氏(信武)とは別人。

スマソ 話戻してくれ
68日本@名無史さん:02/02/02 01:00
細川凶兆家
69:02/02/02 01:23
70日本@名無史さん:02/02/02 01:29
>>67
前述「松平村誌」ではその点も異なって記述してある。

松平信重に二人の娘がいたことは同じだが、姉娘は酒井に嫁ぎ、
妹娘が未婚だったので、これを徳翁斎信武と結婚させようとした。
信武は今の知立市八橋にいた弟祐金斎を松平郷に引き取ることを条件に
これを承諾した。
信武と信重の娘の間には、2男1女ができたが、信武が急死し、祐金斎が
数年の間、松平を取り仕切り2代目と呼ばれた。
信武の男子のうち、長男は足が悪くこれが松平郷の松平氏の祖となった。
一方、次男は信光と名乗り、後に岩津に移り徳川氏の祖となった。

地元に伝わった伝承では、残念ながら泰親は出てこない。
在原や源氏の子孫といった伝承は、45のいうとおり信重段階ですら
よくわからない状態となっている。
71日本@名無史さん:02/02/02 02:20
>70
ご高説深謝。
祐金斎の俗名は伝わっていないのですか?
7270:02/02/02 18:01
>>71
伝わってないようです。
豊田市史によれば「松平村誌」は1879年に編纂され郡役所へ提出された史料で
稿本のままで刊行されることはなかった、とされています。
前述のように幕府が編纂した徳川(松平)系図とは異なる松平氏の発祥や
松平郷松平家(太郎左衛門家)のことが触れられています。
村の伝承を集成したもので、かつ編纂年代が明治に入ってからなので、
批判は容易ですが、信重が家の由来なぞよくわからんと言っているあたり
大変正直で個人的には好感がもてます(藁)
お住まいがどちらかわかりませんが、都道府県図書館に「豊田市史」は
置いてあると思いますので、是非ご覧ください。
73日本@名無史さん:02/02/06 19:00
あげ
74日本@名無史さん:02/02/06 19:09
おや、上がってる
徳川氏の発祥についてはもうよろしいか?
本題に戻っていいんですか?
75日本@名無史さん:02/02/06 20:11
現在の当主は細川家でしょう、細川護煕氏が天皇より内閣総理大臣に任命されましたから、
源氏長者は交替したわけです。
76日本@名無史さん:02/02/06 20:31
>>75
あの人、当時親父さんから細川家の家督すら譲ってもらってなかったんだよ。
今さら政治屋やるのは反対だって言われて。
結局、政界引退して継がして貰えたみたいだけど。
ってことで、当時は一般人だったので却下。
77日本@名無史さん:02/02/06 21:59
阿波公方家の平島氏はどうなんですか?
一応足利氏の末裔だそうですが、、、。
78日本@名無史さん:02/02/06 22:38
平島は信じていいんじゃないか?
79日本@名無史さん:02/02/06 22:47
家格が低すぎ。
80日本@名無史さん:02/02/06 22:48
厨房でスイマセン。
平島氏って江戸時代何やってたんですか?
81日本@名無史さん:02/02/06 22:56
8280:02/02/06 23:19
>>81
感謝感謝
所領わずか100石ですか、、、
庶流と考えられて高家にもなれなかったんですね
83日本@名無史さん:02/02/07 00:00
現在の宮家に「源」の姓を賜わることってないの?
84日本@名無史さん:02/02/07 01:13
>>75
それをいうなら岡山藩主池田家だろう。現天皇の義理の弟(笑
85日本@名無史さん:02/02/07 03:03
池田氏って本当に清和源氏?
86日本@名無史さん:02/02/07 03:14
確実な清和源氏で、石高が一番多い細川氏で決まりじゃない?
87日本@名無史さん:02/02/07 07:29
終戦直後に沢山の宮家が臣籍降下しましたが、姓は源ではありませんでした。
現在もあまり宮家が増えると、臣籍降下させる可能性はあると思いますが、
源ではないと思われ。
88日本@名無史さん:02/02/07 07:30
江戸時代に残った清和源氏でオフィシャルな嫡流は徳川家以外ないのでは。
それを除いて考える、ということなのね。このスレ。
89日本@名無史さん:02/02/07 10:58
現在は姓氏の区別ないため、氏の長者無いし、宮家も源氏にならない。
歌会始めなんか見てみると、現在は姓が無いため、
苗字と下の個人名の間に「の」を入れている。
たとえば山田太郎なら「やまだ の たろう」。
90日本@名無史さん:02/02/10 10:54
血筋でいくなら、摂津源氏になるので、
平岡、太田、大河内、土岐、金森、植村、土井、浅野あたりでしょうか。

土井は水野の養子なんで除外。浅野も詐称確実らしいので除外。
平岡(溝杭)、太田、大河内あたりは詐称の可能性はどんなもんなのでしょう?
土岐は高家、平岡、太田、金森、植村が大名ですね。
大河内から出た、松平信綱なんてのもいますね。

足利系なら、喜連川は、秀吉に妾出したお陰で高家になりましたが、血統でいく
なら、平嶋のが上ですよね。15代義昭の高山の子が秋田or島津で残ってるらしい
ですが、詐称でしょうね。
三淵も足利将軍家の出ですが、細川から養子が入って、既に滅んでますね。
小田は堀越公方の出ですが、養子に出てるので除外ですかね。
鎌倉公方系では、喜連川が嫡流で、後は、宮原や蔭山でしょうか。

足利一門まで広げると、多すぎて困りますが、今川、吉良、最上、畠山
あたりが高家ですね。旗本クラスならまだありますが多すぎますw
結局、大大名になれたのは、傍流ですが細川だけですね。

足利一門では、家格で細川、血筋で平嶋でしょうか。
解釈によっていろいろありますねぇ
91日本@名無史さん:02/02/11 17:42
類似スレ対策あげ
92日本@名無史さん:02/02/11 17:44
どちらで語ればよろしいの?
93 :02/02/11 23:06
いいかげん徳川やめろ。
94日本@名無史さん:02/02/21 23:57
江戸時代なら徳川じゃ、将軍だもん
95日本@名無史さん:02/02/22 00:04
武家にとって最高の武神義家流が意味があるんだから
摂津源氏は江戸には関係ないと思うが。
八幡宮の多くが武将が作っているのでも明らかだと思う。
96日本@名無史さん:02/02/22 00:35
>94
偽者はダメ!
97日本@名無史さん:02/02/22 00:46
>>90
喜連川の特殊性は、秀吉に妾出したからという理由だけではないと思うけど?
それだけだと、徳川時代のあの特殊で結構な待遇が説明できない気が。
98日本@名無史さん:02/02/22 05:24
喜連川って特殊なの?他の高家とは違うの?
99日本@名無史さん:02/02/22 10:50
>98
大名格です。10万石の格式。
100    :02/02/22 14:27
多田蔵人行綱
101日本@名無史さん:02/02/27 04:13
土岐頼光
102一応源氏:02/02/27 07:15
>>1さんへ
我が家は「佐竹氏」に攻められ家臣としてつかえた
浅利氏の子孫です。扇の紋も奪われ、雁金の紋を使ってます。
嫡流じゃないけどね。
103日本@名無史さん:02/02/27 12:21
平島公方家の子孫は90歳近くで京都在住。中央大学学員会京都支部顧問とかいう肩書き。
この人の先祖は明治政府に華族にしろと請願して門前払いされた。
その御仲間には、細川管領家の直系、足利義昭の末裔、後鳥羽上皇の子孫、楠木一族などがいたという。
104日本@名無史さん:02/02/27 12:50
>103
>細川管領家の直系、足利義昭の末裔、後鳥羽上皇の子孫、楠木一族
詳細キボンヌ
なにやらいかがわしい面々のような…
105日本@名無史さん:02/02/27 13:01
>104
どこかで見たが、詳細失念。
ただ、子孫繁栄で一族が多すぎた楠木以外は、一応は官位を持っていたという。
だから、官位をたてに華族にしろといったわけです。
賀茂社の社家も同じことをやっています。
106日本@名無史さん:02/02/27 16:46
細川管領とか義昭の子孫はは陪臣だから官位ないはず。
あとはもっと胡散臭い。
107日本@名無史さん:02/02/27 17:10
細川京兆家後裔、秋田三春藩藩士
義昭後裔、島津家臣
108日本@名無史さん:02/02/27 18:29
義昭の子孫系図キボンヌ
ところで義昭って将軍になった義昭?
109日本@名無史さん:02/02/28 02:49
検索すりゃ出てくるよ
110日本@名無史さん:02/02/28 10:43
識者の皆さんに教えていただきたいのですが。

源氏の嫡流滅亡後、武田、佐竹、新田を差し置いて、足利が源氏の棟梁と見なされた理由は何なのでありましょうか?

武田、佐竹の場合は義光の流れでなので傍流と見なされたからなのでしょうか?

新田は頼朝?の勘気を被ったからなのでしょうか?
111日本@名無史さん:02/03/07 14:35
源氏嫡流は、土岐氏だろうね。
112日本@名無史さん:02/03/07 18:30
はいはい
113土岐光頼:02/03/07 23:04
系図上では、土岐家39代目だけど、俺が源氏嫡流なの?
114日本@名無史さん:02/03/08 00:36
土岐は摂津源氏支流。
頼国の嫡子は、国房ではなく頼綱。
115日本@名無史さん:02/03/10 19:52
うっとうしいな

誰から勘定してもいいけど、清和(または陽成)から江戸時代まで何百年?
一世代25年と仮定して何十何世代?
親の数は2のn乗ってことくらいは知ってるよね
佐竹だろうが、土岐だろうが、徳川との差は五十歩百歩なわけ
(徳川に源氏の血が絶対入っていない、との証明は不可能)
天皇から源氏の長者をもらってる徳川、これ最強
なにをウダウダいう必要があるわけ?
116日本@名無史さん:02/03/11 14:00
>徳川に源氏の血が絶対入っていない、との証明は不可能
そんなこと言ったら、日本人は全員、清和源氏の子孫ですな。
血筋の真贋を見極めることも、立派な歴史研究の一部だと思うが。
117日本@名無史さん:02/03/11 20:29
その通りです。清和源氏の子孫にして、同時に桓武平氏にして、かつ藤原氏
というのが事実です。時宜に応じて使い分けてきただけです
(古代からあった氏族が、あとから出来た「源平藤橘」を仮冒している
例はいくらでも指摘できます)
どれも五十歩百歩、相対的な差に過ぎないということを言いたいのです
(そもそも桓武天皇と清和天皇の子孫を区別する意味などありましょうか?
近い皇胤と言うに過ぎません)
また「源平藤橘」は天皇が下賜した姓氏とされています。天皇が公認
すれば、血統上弟だろうが分家だろうが、それが本宗家なのです
血筋の真贋などと言いだすと、DNA云々という話になります

もちろん研究はご自由です。失礼いたしました

118日本@名無史さん:02/04/26 12:06
119日本@名無史さん:02/05/05 02:40
徳川家は、血縁上は、ほぼ100%源氏ではない。
しかし、源氏と詐称して、家康の将軍就任の際、天皇から源氏の氏長者と認定された時点で、源氏になった。
国家が、嘘を公認したというこど。
120日本@名無史さん:02/05/05 02:51
>ほぼ100%源氏ではない。

121日本@名無史さん:02/05/05 02:52
ま源氏だとか平氏だとか、こだわってもしゃーないでしょ。
みんな土民出身だって。
そういえば、徳川家の祖先は琵琶湖の北側で百姓相手に喧嘩してたなあ。
南北朝時代。
122日本@名無史さん:02/05/05 02:56
>121
祖先じゃなくて、祖先の一族だろ。
123日本@名無史さん:02/05/05 03:01
>122
 お、くわしい人!まあ、え〜でね〜べさ。
 でもあの琵琶湖北側の徳川一族ってさ、残虐でなかった?
 そんな記憶が。
124    :02/05/05 03:27
天皇が公認した時点で源氏の氏長者は徳川でいいじゃない。

この手のばかばかしいスレがよくたってるけど
血統だけが自慢の貧乏リーマンが住人にいるのかい?w

うざいからやめれ
125日本@名無史さん:02/05/08 22:55
保留・保留スレでーす。
126日本@名無史さん:02/05/09 01:05
土岐です。
源氏の嫡流です。
127日本@名無史さん:02/05/09 03:26
>>124
質問があります。
あなたは徳川氏の血筋をどの様に理解されてるのですか?
ついでに、織田、大友、島津氏などの血筋についても、
お願いします。
128日本@名無史さん:02/05/09 06:41
>>127
124じゃないけど、何でそんなこと聞くの?
129日本@名無史さん