性格が明るそうな戦国武将って誰かな?

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11
好き嫌いで云えば、信玄が好き。でもなんとなく、暗い気がする。
信長は暗くはないが、怒ってばかりいそう。
秀吉は、なかなか、明るい性格のような気がする。
なんか、暗い感じの人が多い気がしない?
幕末だと海舟、西郷、竜馬、晋作なんかは、明るそう。
武市、桂は暗そう。
まぁ、フィーリングなんだけど、どう思う?
2日本@名無史さん:02/01/19 00:54
竜馬
3日本@名無史さん:02/01/19 00:58
沖田
4日本@名無史さん:02/01/19 01:00
トシちゃん・・・・アハハハ。
51:02/01/19 01:06
沖田は、その人生がというか結末が、悲哀に満ちていて何となく、
暗いイメージがあったんだけど、子供好きで、確かに明るいか。
だからこそ、彼の死が、より悲し気なのかな?
竜馬は、いかにも明るいよね。
よく、南国土佐の気風みたいにいうけど、武市とかは、暗そう。
6日本@名無史さん:02/01/19 01:10
信長の嫡孫、三法師秀信なんてどう?
明るいんじゃなくて派手好みだけか…
7日本@名無史さん:02/01/19 01:11
スレとは違う話題になったが。
武市は明るい人物あだったと思う。暗い人の周りには人は集まらんだろう。
8日本@名無史さん:02/01/19 01:12
秀吉 忘れちゃいけませんな
9日本@名無史さん:02/01/19 01:14
坂上田村麻呂 明るいと言うか豪気な感じ
10日本@名無史さん:02/01/19 01:16
織田有楽斎。
11日本@名無史さん:02/01/19 01:19
戦国ぢゃないの?

うぅ・・・じゃああえて「山中鹿之助」
愛です。愛。
12日本@名無史さん:02/01/19 01:19
平賀源内
131:02/01/19 01:20
武市が暗そうなのは、暗殺を指示しているイメージが強いからか?

派手な人は明るく見えるね。そういう意味では、伊達正宗なんかどう?
141:02/01/19 01:36
明るそうな人って、
1.派手好み---秀信、正宗
2.工夫することが好きまたは、得意---秀吉、竜馬
ってなパターンがあるきがする。

>11 やっぱ、戦国には少ないのかなぁ。なんて思ってました。
早雲なんか明るそうかな。
15日本@名無史さん:02/01/19 02:07
今川氏真公なぞは如何でしょうか。
161:02/01/19 02:35
>15
父、義元から受け継いだ公家風は「陰」というよりは「陽」って、
感じがする。それと、富士を挟んで対比すると甲斐武田は「陰」、
駿河今川は「陽」のイメージ(武田、好きだけどね)。
義元でなく、氏真は何故?

内陸より海寄り、日本海側より大平洋側が明るいかも。
17日本@名無史さん:02/01/19 02:49
>16
>内陸より海寄り、日本海側より太平洋側が明るいかも。
それは現在の事じゃないの、回航路とかさ・・ま、いいか。
18日本@名無史さん:02/01/19 05:31
加藤清正とかはどうでしょ?
191:02/01/19 08:45
>17 確かに現在のイメージを歴史に投影しているところはあるかも(反省)。
それと、「山陰」「山陽」って言葉もちょっと意識してた。

>>18 これまでに挙がった人たちの中では、坂上田村麻呂と並んで、
豪快さで、明るい性格を感じさせる人物ですね。

戦国じゃないけど、紫式部とか明るいのかなぁ。
清小納言は、暗いと言わないまでも、当時の世の中に不満が多そうな感じ。
20日本@名無史さん:02/01/19 09:19
わしゃ、明智光秀が好き
21日本@名無史さん:02/01/19 09:29
>>19
っつーか紫式部と清少納言は逆じゃない?
作品を見ても式部の方が内にこもってるというか、陰険そうだというか・・・
清少納言の方が外交的っていうのは大体一致してる評価じゃ?
いろいろ気の利いた事言ったり明るく機知に富んでる感じ。
22日本@名無史さん:02/01/19 09:30
>>20
俺も好きだが明るさとは無縁の人物のような。
娘、珠子にもいえると思うが。
23日本@名無史さん:02/01/19 10:00
戦国で明るいって意外と思い浮かばないなぁ。
沈毅や剛毅はいくらでも思い浮かぶんだけど。
まぁ、秀吉は当然として大内義隆・羽柴秀次・・・ろくな奴いねぇなw
24日本@名無史さん:02/01/19 10:23
塙団衛門
いい人だ
25日本@名無史さん:02/01/19 10:45
福島正則は明るいんじゃなくて躁?
小説のイメージがこびりついて離れないけど、
内政家であったという話も聞くし、よくわからない。
26日本@名無史さん:02/01/19 11:35
宇喜多秀家
27日本@名無史さん:02/01/19 11:45
織田有楽斎。軽薄そうだね。
2815:02/01/19 11:47
>16
>義元でなく、氏真は何故?
信長の前で蹴鞠やってみせたんじゃなかったっけ?
史実としたら明るくなくちゃやれんわな。
いやいや、生きるため何でもやるのと性格明るいのは全然違うか。sage
291:02/01/19 18:03
>21 スマソ!単純に私があぽでした.
戦国、あんまり、いないかなぁ。(いや実際、みなさん沢山出してくれてますけど)
暗い戦国武将なら、いっぱい出るのかな?
30日本@名無史さん:02/01/19 18:16
後藤又兵衛
明るいとかいうイメージより豪快そう
31日本@名無史さん:02/01/19 21:34
小早川隆景
元就の戦略の話がホントナラ
321:02/01/20 09:08
>20 >22 明智光秀が明るく、明るい未来を信じて、
意気揚々と信長を討ったと思うと、かっこいいかも。
>>23 大内義隆---確かに明るい性格だろうと思う。
     平和な時代の方が向いてそう。
羽柴秀次---言い過ぎかも知れないけど、明るいよりノーテンキっぽい。
     (数々の乱行から)
>>24 ゴメンなさい。不勉強で...。なにかエピソードとか欲しい気。
>>25 躁っぽい。個人的には大河ドラマの蟹江敬三のイメージ。
>>26 そうかな?あんまり、そういうイメージないけど。
>>27 サバサバした性格な気がする。軽薄といえば軽薄だけど...
>>28 そういう説もあるね。有楽斎もそうだけど、
割切りがいいのも明るさの一つと思う。
>>30 蜂須賀小六もそうだけど、豪傑風の人は明るそうでよいです。
>>31 この人もサバサバ、割切り系?

雑賀孫一なんてどうだろう?結構、明るそうダヨネ?
33日本@名無史さん:02/01/20 09:12
ねね
34日本@名無史さん:02/01/20 09:31
>>32
>明智光秀が明るく、明るい未来を信じて、
>意気揚々と信長を討ったと思うと、かっこいいかも。
本当は明智光秀は明るい性格だったという可能性はあるね。
暗い性格だったという決定的な証拠はないでしょう。
信長の家来は緊張して信長の命令に平伏してたでしょうから
明るい性格がそのまま出たなんてことはないだろうし。
35日本@名無史さん:02/01/20 12:33
前田慶次郎利益。かぶきものだったていうイメージから。
36日本@名無史さん:02/01/20 12:47
黒田如水とか真田昌幸とか
少なくとも性格暗いというイメージはないな
37日本@名無史さん:02/01/20 12:50
そうそう、曽呂利新左衛門は明るいだろ
38日本@名無史さん:02/01/20 13:15
レッツゴー三好三人衆
39日本@名無史さん:02/01/20 14:55
>>36
クロカンは後半生暗かったんじゃないか?
40日本@名無史さん :02/01/20 14:59
千石なんとか。
41日本@名無史さん:02/01/20 15:00
雑賀孫一は、司馬さんの小説でやたら明るく描かれてるね。
本来の紀州は南国的な明るさがあったんだが、御三家に支配されて
暗い国になったとも。
42日本@名無史さん:02/01/20 15:01
>>40
九州で死んだ奴か?
43日本@名無史さん:02/01/20 15:06
>>42
なんか、秀吉に千石賜って、それを名字にしちゃうやつ。
陣羽織に、鈴をつけて、じゃらじゃら鳴らしながらとか。
猪突猛進なのに、逃げ足が目茶苦茶、早くて、九州征伐の先陣を
まかされつつも、逃げなくって、高野山に押し込まれ。
44日本@名無史さん:02/01/20 15:06
>>32
>この人もサバサバ、割切り系?
元就が 雪が多く閉鎖的、地道な努力が必要な山陰地方>元春
    温暖で開放的、外交折衝が必要な山陽地方>隆景
なんて話や
隆景自身、暗く有能な家臣より、お調子者だが陽気な家臣を求めた
なんて逸話があったはず。

45日本@名無史さん:02/01/20 15:16
>>43
千石秀久(1552〜1614)だそーです。
461:02/01/22 00:29
>33 寧々かぁ。戦国武将じゃないけど、明るそう。
夫婦揃って、明るいとは良いことですね。
>35 花の慶次も明るいだろうなぁ。カブキモノは、明るさの象徴の一つかも。
>36>39 黒田如水(クロカン)、真田昌幸は比較的、秀吉タイプな気がする。
工夫とか好きそうで、諦めたり、あまりしなそう。(雰囲気的にね。)
>37 曽呂利さんって、戦国時代の一休さんですね。
  頓智ってのは、賢さと悪戯心が必要だからね。なるほどです。
>38 豪傑タイプって解釈でよいでしょうか?
>40>42>43>45 千石(仙石?)秀久、43さんのおかげで、ダイブわかりました。
ありがとう。カブキモノタイプって感じですか?

頭の良い人が多いですね。
それと、信長の死後に活躍した人が多いように思えますね。
それにしても、秀吉以外思い付かなかったんだけど、意外といるものですね。

晩年、暗くなりがちなのは、頷ける話です。歴史的に有名な人物のなかでも、
戦国時代の人たちは、当人の晩年がお家断絶と密接に関わったりするケースも
多いだろうし、事をなせずに死にいたったりするケースは、
当たり前にあることだし、でも、これは、晩年というより、最期かな。
47日本@名無史さん:02/01/26 07:44
松永久秀なんかも多分明るくておしゃべりな
奴だったと思うよ。
愛嬌がなきゃ出世できないだろうし。
腹黒いのは腹の中だけってことで。
48日本@名無史さん:02/02/06 16:53
朝倉義景って暗そうだね。
49日本@名無史さん:02/02/06 17:04
今川氏真も意外と明るい性格のような気がする。
50日本@名無史さん:02/02/06 17:22
結城秀康も性格が明るいと思われ。
51日本@名無史さん:02/02/06 17:38
かぶき者なんてドキュソだろ。
外見は派手だろうが性格は屈折してると思うぞ。
52日本@名無史さん:02/02/18 04:51
島津4兄弟
53隠居:02/02/18 05:03
安土城天守に提灯をつけて飾り、町民共から入場料を取って、
場内を一般開放するなんざ、信長もけっこう「祭り好き」の
明るい人だったと思われ。
54日本@名無史さん:02/02/18 06:46
政宗は暗そうだ。
目玉は飛び出るわ親兄弟は殺すわでどうしても陽気にはなれんだろ。
55181:02/02/18 07:21
朝倉は楽しく毎日遊んでたらしいよ
56日本@名無史さん:02/02/18 08:22
陽気な上杉景勝ってのは
ちょっといやだな
57日本@名無史さん:02/02/18 10:48
>>47
そういう意味では、斉藤道三も明るそう
のんびりと油を売りながら、客の相手もしなくちゃならないんだし、
無口な人には向かない職業のような気がする
58日本@名無史さん:02/02/18 10:54
>>49
禿同
59日本@名無史さん:02/02/18 11:13
>>56
養父謙信はどうだろうか?
高野山に引き篭もろうとしたことがあるし、あんまり明るくないか・・・
60日本@名無史さん:02/02/18 12:36
関白秀次
アーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
61日本@名無史さん:02/02/18 13:00
>>59
根暗の代表格と思われ
62日本@名無史さん:02/02/18 13:44
>>59
>>61
毘沙門堂に引き籠もってひとりでぶつくさやってるし、
家臣が言うこと聞かないのにすねて家出するわ…
63日本@名無史さん:02/02/20 23:44
>>62
今の時代に蘇ったら2ちゃんで煽りや荒らしやりそうだな。w
64日本@名無史さん:02/03/09 00:59
山名豊国はどうだ!>>1よ!
65日本@名無史さん:02/03/09 01:07
松平清康なんかは明るそうだね
犬に例えられるぐらいの忠誠心を家臣達に持たしたんだから、
明るく、剛毅で機智に富み、心配りが出来そうな感じ
66日本@名無史さん:02/03/09 04:17
松永久秀。
平蜘蛛抱えて自爆する様は、さぞや明るかった事でしょう。
67日本@名無史さん:02/03/09 04:22
親子兄弟、親友でも戦って明るい気分になれるのかな?
68日本@名無史さん:02/03/09 08:57
戦国期の人間で実際に明るくても文献とかには残らないだろう。
69日本@名無史さん:02/03/10 00:54
立花宗茂ってどうよ?
剛勇で明るい性格だったと思うんだよね。関ヶ原の戦いの後に、
西軍が大阪城で戦わないと知ると「話にならん。自分は柳河で
独りで戦う」と言って柳河へ。結局、戦うことの無駄を知って
城を明け渡して去る際には農民に「次の殿様が心配だから、
戦いを続けてください」と懇願される。
農民にも好かれる人だったのだろう。
約20年後に柳河城主に復帰した際には、そのときの農民が涙を
流して喜んだそうだ。

秀吉にも気に入られていたそうだしね。あ〜あ、大河ドラマは
前田利家よりも立花宗茂やってほしかったな。

そういえば、黒田官兵衛が豊臣秀吉の九州出陣を急がせたのは
高橋紹雲に続いて立花宗茂までもを見殺しにしては、威厳に
関わるという判断があったとも言われてますね。
70 ◆SIsterxw :02/03/10 01:53
種子島時堯(1528〜1579)
どんなにぼったくられても鉄砲を2丁も買うなんて太っ腹すぎる。

逆に暗いのは長宗我部元親(1539〜1599)
あまり運に恵まれず、晩年はノイローゼ状態だったらしい。
71日本@名無史さん:02/03/10 02:04
島津義久。
明るいというか……豪快?
72日本@名無史さん:02/03/10 05:53
朗らかに敵将を薙ぎ倒す武将。
73日本@名無史さん:02/03/10 06:30
>>1

西郷は包容力はあるが根暗では?
自殺未遂をしているし思い詰めやすいフシがある。
変にお調子者でないから人望を集めた気がする。
74日本@名無史さん:02/03/10 09:54
戦国武将の個人差もあるだろうけど、後世に残るイメージが
どの部分をもって残っているかの違いが大きい。

戦国初代系は、多くの人を味方につける必要があったので明るいし、
そう見せる必要があることを知っていた。
その部分が後世、小説や物語に多くなっているので、
総体、明るいイメージの人が多い。
戦国代々系は、家臣団はすでに形成されており、
家の生き残りをかけての権謀術数の部分が
権謀術数の方法により、
イメージとして陽となったり陰となったりしている。

現代の企業経営者のイメージと同じ?
75日本@名無史さん:02/03/12 01:33
>>71
だったら義久よりも義弘をageたほうが…
76日本@名無史さん:02/03/12 04:38
>>74

>戦国初代系は、多くの人を味方につける必要があったので明るいし、
>そう見せる必要があることを知っていた。

そうでもないだろ。
武田信玄の父で武田家を周囲に恐れさせた信虎は、味方を増やすために明るく振る舞おうなどとしていない。
寧ろその逆で横暴に振る舞った。
武田信玄は父ほど横暴ではなかったが味方を増やすために明るく振る舞う事などせず、見せしめもよく行った。
信長だって味方を増やすために明るく振る舞う事など心がけていない。
伊達政宗も弟を殺し母を追放し父を人質に取られても躊躇せずひたすら周囲と戦い続けて勢力を広げた。
77日本@名無史さん:02/03/12 04:46
>>76
ワロタ ワロタ
78日本@名無史さん:02/03/12 09:01
村井貞勝なんてどうだろ?
信長から相当無茶な命令とか受けてたと思うし、信長と朝廷の橋渡し役で苦労してそうだけど、
それをストレスに感じる事も信長を恨む事も全くなく最後まで忠義一筋だったし、
信長から絶大な信頼を受けてたし、公家や商人や茶人ともうまくつきあっていたみたいだし、
人当たりの良い明るい性格だったと思う。それも表向きじゃなくて内面からね。
個人的には陽気なおっさんってイメージがあるし。
7974:02/03/12 20:27
>76,
武田、織田、伊達が初代系とは知らなかった。
80日本@名無史さん:02/03/12 20:32
70 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 01/12/13 07:52

>>55
>日本史板は2ch有数の優良板ですよ
>他の板を回ればそれくらいスグ分かりますよ

他板に比べ日本史板が優良なのはアズマのおかげだよ。
アズマが薩長=明治国家のいかがわしさを徹底的に暴いてくれたので、
ウヨは明治国家による侵略戦争の正当化、美化がやりにくくなった。
他民族に対する差別的書き込みが少ないのも反明治国家のアズマがいるから。
日本人の良識を示したという点でアズマはこそ日本史板の良心だよ。
81日本@名無史さん:02/03/12 20:53
大友宗麟は明るい性格だったような気がする
82日本@名無史さん:02/03/12 21:23
明治国家の延長が自民党だろが。北へ帰れ!
83日本@名無史さん:02/03/12 23:09
>>81
明るいっていうよりDQN
84日本@名無史さん:02/05/02 17:53
age
85日本@名無史さん:02/05/02 18:18
ageだけ書くな。
戦国武将の性格を論じるなら戦国板いけや。
86日本@名無史さん:02/05/02 19:40
>>70
16歳にして戦国の様相を一変させるきっかけを作った少年。

彼が鉄砲の模造を命じてそれが成功したおかげで、太平の世が
訪れるのが30年は早まったと思う。
彼は自分のした事の歴史的意義に気づいてるかなあ?とふと思う。
87日本@名無史さん:02/05/05 10:59
どっかでチラっと聞いた話なんだけど、
織田信長ちゅうのは一生涯、軽度の躁病状が持続的に現れていたらしい。
まあ事実かどうかはわからんにしろ、妙にうなずける話ではある。
うらやましい限りでもある。

前田なんかは権力世界でやったことはどうもキナ臭くて暗さがつきまとうけど、
個人の人格そのものは明るかったんじゃないかな。
わりとお調子者だったんじゃないか?

88日本@名無史さん:02/05/05 11:02
一向宗徒(投降者,女子供多数を含む)をまとめて釜ゆでの刑にして,
信長のご機嫌取りをした前田利家が,「明るい性格」だと???

87さんは,NHKの歴史捏造ドラマの見すぎ。
89日本@名無史さん:02/05/05 11:15
立花宗茂。
90日本@名無史さん:02/05/05 11:24
>>57
遅レスで申し訳ないが、俺も斉藤道三は明るい性格だったと思うな。
「油を売る」って言葉があるけど、その語源は、当時の油は今の物に比べて
精錬されてなかったから、お客さんの器に油が落ちてくるまで時間がかかったらしい。
その待ち時間に、お客さんを退屈させないために色々話をして時間を稼ぐ事が
「油を売る」のそもそもの語源なんだって。
コレが本当なら、暗い性格の奴にはなかなか出来ない商売だよね。
91日本@名無史さん:02/05/09 06:24
石田三成
9287:02/05/09 06:50
>>88
ドラマなんざ見てねーですYO。
釜茹でにしてご機嫌とりするとなぜ暗い性格になるのか飛躍。
ってかこんなくだらん話題で議論する気も起こらない。うざってーな。逝っちゃえ。
93日本@名無史さん:02/05/09 08:25
>>90でもさ明るい奴はお笑い芸人に向かないって言うじゃん。
94日本@名無史さん:02/05/09 17:43
秀吉は、本当にユーモアのセンスを持っていたのではないかなあ
どこぞの城を囲んで膠着状態が続いている際に、本人が陣中から「春になり候ば、敵も味方も大あくびにて候」と書き送った手紙が現在に残っているし(藁 
醒酔笑の中にも彼に関する小ネタが多いね
95日本@名無史さん:02/05/09 17:47
っていうか、前田は明るいというか馬鹿で、良心の呵責もなく
明るく虐殺って感じにみえる。

暗い悪人よりも明るい悪人のが多いんだよ。心理学では。
9695:02/05/09 17:52
しかし明るいだの暗いだのって1は性格のことがわかっていない
らしいな。というか三国戦国ネタむけだなマコトに。タイトルみ
ただけで笑っちゃったけど。
97日本@名無史さん:02/05/10 01:14
明るい=善=面白い、ではないからね。虐殺しても明るいのは明るいし、
話上手で面白くても暗いのは暗い。
98日本@名無史さん:02/05/10 10:32
だからさーお笑い芸人って普段は暗い奴が多いんだって、特にハイテンション芸人は鬱が多い。
99日本@名無史さん:02/05/10 10:34
↓100は譲るぜ!
100日本@名無史さん:02/05/10 10:46
100ゲット!!!!!
101nana:02/05/10 21:02
いいなぁ、100・・・(ワラ
102日本@名無史さん:02/05/12 23:32
織田家臣団の中では?

柴田君=豪気・面倒見がいい→モー娘の中澤姐さんタイプじゃないかな?
明智君=小心者・頭がイイ→モー娘の矢口タイプじゃないかな?
滝川君=頭良くない・強がり→モー娘のなっちタイプじゃないかな?
丹羽君=まったり・温厚→モー娘のごっつぁんタイプじゃないかな?
羽柴君=陽気・可愛がられる→モー娘の辻ちゃんタイプじゃないかな?

上杉君=神がかり・いっちゃってる=モー娘の飯田タイプじゃないかな?
武田君=不器用だけど思慮深い=モー娘の保田タイプじゃないかな?
徳川君=短気・我慢強い=モー娘のよっすぃ〜タイプじゃないかな?
義昭君=実力もないくせにコソコソと=モー娘の梨華ちゃんタイプじゃないかな?
浅井君=選ぶ相手を間違えた=モー娘の市井タイプじゃないかな?
今川君=実力はあったものの、早期に挫折=モー娘の福田タイプじゃないかな?
信長君=恐怖と実力でのし上がる。潔く散る=モー娘の石黒タイプじゃないかな?
政宗君=のらりくらりで人生乗り切る=モー娘の加護ちゃんタイプじゃないかな?
103日本@名無史さん:02/05/12 23:38
>>94
それはユーモアではなく、イジメだ(w
104日本@名無史さん:02/05/12 23:42
>>522
残念ながらない
105日本@名無史さん:02/05/12 23:51
>>94
鼻クソほじりながら言ってると考えて下さい。
106日本@名無史さん:02/05/13 01:03
やっぱ柴田勝家かなー。
カメ割るなよカメ。
「かかれ!」って号令かければ済むと思うなよ。
面白い奴だが家来は迷惑か?
107日本@名無史さん:02/05/19 02:11
徳川家康は明るくない
108日本@名無史さん:02/05/19 02:36
明るそうな人なら、北条早雲なんてどうでしょう?
109日本@名無史さん:02/05/19 02:44
戦国武将の殿様達は人望もなきゃならないから、外面は
みんな明るいタイプだったと思うよ。

下克上の時代に名門名家だけで部下がついて来るわけないし。
家康にしても権力もって傲慢になる以前は魅力的な人だったでしょ。
110日本@名無史さん
黒田節の母里太兵衛なんか明るそう。