>>165高家についてですが…高家は元々、戦国時代や室町時代(なかには鎌倉時代にまで源流をたどれる名門もあります)
から存在した源氏などの名門の系です。御承知のとおり江戸時代の儀礼儀典担当の幕府の
役職を指すのですが、名門の家柄であることは事実です。
高家には、高家全体の世話役にある高家肝煎や非役である表高家がありまして、
表高家は、年始・歳暮・五節句に登城し拝賀するのみであって日常的な職務はなかっ
たのです。
徳川幕府の職務の高家は、秀忠の時代に室町将軍の縁故である石橋・吉良・品川
家の三家を登用したに始まりまして、綱吉治世に十六家、家斉治世に三十一家、幕
末には二百家だったそうです。幕末であれば、相当数が表高家であったと考えられ
る。
高家は、幕府の儀礼典礼を司るのが職務で、具体的には朝廷への使節、勅使・院
使の接待、伊勢・日光への代参、宮中の作法を司ることなどであった。
もともと、家柄が高く、朝廷に接する機会も多いことなどから、禄高はせいぜい
五千石が最高であったが官位は四位中将まで進むことができた。
四位中将といえば、井伊・会津クラスの官位でその上は、将軍は別格として御三
家御三卿、前田家しかないほどの高位である。
また、特定の大名家の「昵近衆」として儀式作法の顧問報酬を受けることがあり、
結構な実入りがあったといわれる。
このように高家は、禁裏公家に対する儀式を預かり武家にして公家にも似た一種
独特の家であったのである。ちなみに同じ掌典職である奏者番は、専ら武家に関す
る儀式を預かる点で高家と相違している。
高家一覧表(文政5(1822)年文政武鑑より) 名 前 官 位 禄 高
高 家 大沢右京大夫基之 従四位上侍従(高家肝煎) 3550石
戸田備後守氏倚 従四位上侍従(高家肝煎) 2000石
中条河内守信義 従四位上侍従(高家肝煎) 1000石
宮原弾状大弼義周 従四位下侍従 1140石
織田豊後守信順 従四位下侍従 700石
畠山飛騨守義宣 従五位下侍従 3100石
上杉中務大輔義長 従五位下侍従 1496石
由良播磨守貞陰 従五位下侍従 1000石
今川刑部大輔義用 従五位下侍従 1000石
横瀬駿河守貞征 従五位下侍従 1000石
前田信濃守長粲 従五位下侍従 1000石
大沢修理大夫基休 従五位下侍従 600石
武田左京大夫信典 従五位下侍従 500俵
表高家 畠山左衛門基利 5000石
織田主殿信味 2700石
織田大膳長孺 2000石
六角頼母 2000石
日野岩丸 1530石
京極采女高正 1500石
吉良中務義房 1425石
長沢大蔵資言 1400石
前田繁之助長晧 1400石
大友左京義智 1000石
土岐■之助 700石
有馬繁丸 500石
品川内記 300石
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