伝統芸能一家って

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1日本@名無史さん:02/01/03 04:06
江戸時代の士農工商でいうとどれにはいるのですか。
たとえば狂言の和泉家とか、歌舞伎とか。
江戸時代の社会的地位はどの程度だったのでしょうか。
2日本@名無史さん :02/01/03 04:19
市川団十郎=堀越家
尾上菊五郎=寺島家
その他歌舞伎の宗家名家は武士身分です。
あまり詳しくはないが、他の伝統芸能もそうだと思います。
3日本@名無史さん:02/01/03 20:26
>>2
尾上菊五郎の娘は寺島しのぶだしね。
あと、中村(勘九郎とか)は戦国時代の大名中村一氏の子孫らしいし。

でも、昔の芸能人って今と違って見下されてたって話もあるし(何も
生み出さないから)、分野で扱いが違ったのかな?
4日本@名無史さん:02/01/03 23:29
東儀家って古いの?
5日本@名無史さん:02/01/04 22:36
どいつもこいつも河原乞食だっつてんだろゴルア!
6日本@名無史さん:02/01/05 00:32
>>5
なかなか懐かしい話です
7日本@名無史さん:02/01/05 02:17
中村勘三郎家は戦国大名の中村氏の一族出身だよ
8日本@名無史さん:02/01/05 02:23
歌舞伎の市川一門の「市川」は現山梨県の市川(大門)に由来している。
堀越家があの辺を支配していた市川氏から派生しているから。

>>7
同じ歌舞伎でも、「中村」は本名なんですか?
9日本@名無史さん:02/01/05 02:33
>>8
十六代目で血は途絶えて中村座の名跡だけ継いだんじゃなかったかな?
十七代(勘九郎の父)は波野姓、兄の先先代時蔵は小川姓だったよね
10リットン調査団:02/01/05 02:40
血系で始祖から繋がっている家なんて歌舞伎界では絶無に近いでしょう。
ほとんど途中で芸養子が入っているから。
11日本@名無史さん:02/01/05 09:55
そもそも士農工商で分離するのがナンセンス
12日本@名無史さん:02/01/05 10:04
人別帖では町人扱いだったような・・・
13日本@名無史さん:02/01/05 13:40
マジレス
全部じゃないが河原乞食がほとんどです
14日本@名無史さん:02/01/05 17:25
実際は士族身分の人もいたらしいけど
世間のイメージはエッタだよな
15日本@名無史さん:02/01/05 18:26
そんなイメージ持ってる人の方が少ないと思うがねえ〜
16日本@名無史さん:02/01/05 20:03
>>5,13
同一人物の厨房か知らないが、バカの一つ覚えの「河原乞食」だね。
17日本@名無史さん:02/01/05 22:12
>>10
座頭を兼任していた家は血縁重視だったようだけど・・・
18日本@名無史さん:02/01/05 22:15
少なくとも今の偉そうな態度を見ると
伝統芸能一家が先祖が卑しい身分だなんて
普通の人は寸毫も思わないだろうな。
19日本@名無史さん:02/01/05 23:20
なんだか河原乞食関係者が必死に否定してるな
世間のイメージは間違いなく「そう」だといってるだけなのにさ
でも実際に全部がそうだったといってるわけではないよ
20日本@名無史さん:02/01/05 23:28
観世、大蔵、金剛とかは?

寺島しのぶって大河の飛鳥井家の姫役してたね。
21日本@名無史さん:02/01/05 23:40
>>18
>少なくとも今の偉そうな態度を見ると
ププッ(w、この一文に社会の最下層厨房の本音が見え隠れしているね。
そんなに伝統芸能に関心があるなら、日本史板なんかでコソコソ吠えてないで、
伝統芸能板に堂々とスレ立てて下さい。
「伝統芸能って河原乞食なんですか?」とかね。
   ↓
http://ton.2ch.net/rakugo/
まあ、「悲惨な1」になること請け合いでしょうが。
22???:02/01/05 23:59
松本幸四郎家、市川団十郎家、とあとひとつ(わすれた・・)
には、おんなじ農民の血が流れてますです。
23日本@名無史さん:02/01/06 00:11
初代片岡仁左衛門の出自を教えて下さい。
松島屋の屋号の由来も。
24日本@名無史さん:02/01/06 00:22
>>23
一応こんなサイトがあるが、
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/cape-eagle/kabuki/matsushima.html

それよりか伝統芸能板のこのスレあたりで訊いた方がいいでしょう。
http://ton.2ch.net/test/read.cgi/rakugo/980258228/l50
2518:02/01/06 00:36
俺、もしかしてなんか悪いこと言った?
26日本@名無史さん:02/01/06 01:01
梨園の名前の由来をおしえてください。
27日本@名無史さん:02/01/06 01:23
”乞胸香具河原者掟之事”
芝居と申すは、田舎在在には無之、江戸浅草猿若町
中村勘三郎座、市村羽左衛門座、河原崎権之助座のほか無御座。
(略)此者、身分の義は外に無之、河原者と唱ひ・・・(略)
水野越前守様御老中御勤役の節、厳重に被仰付・・・・・。

河原者と認識されていたようですが、次々と役者達が奉行所に
訴え、エタ頭弾左衛門の支配から抜けようと努力したため、ついに
その支配から抜けることができたようです。今で言う部落開放運動
みたいなものでしょうか。

”勝扇子”
歌舞伎狂言座之輩、エタの手下並びに非人の類に無之証書・・・・
二代目市川団十郎これを(裁判でエタの支配から抜けたこと)勝扇
と号し家蔵す。(略)既に原本は五代目市川団十郎、美濃紙へ自筆
をもって宝永五年(1708年)小林新助(カラクリ師)江戸公事方日記写し
(小林新助が浅草弾左衛門とエタの支配云々で争って勝訴した裁判)
を載せている。
28日本@名無史さん:02/01/06 01:26
市川団十郎が江戸から追放されたとき、
「市川団十郎他一匹」と書かれたそうです。
士農工商以下として扱われていたことは、事実でしょう。
2927:02/01/06 01:33
でも、明治なんかになると土佐候の
山内容堂なんかは団十郎といつも
飲み歩いていたほどだから、
人によってとらえ方は違ったのだと思うけど。
役者は女の子から人気があったのは事実だし
幕府が役者に対して素人と交わらないようお触れ
を出しているのも事実だし。
30日本@名無史さん:02/01/06 01:47
>>29
明治期は土佐候どころか、天覧歌舞伎やってるよ。
つーか、スレの論点がずれてきてない?
1は単純に芸能関係者の身分について訊いているのであって、
歌舞伎については堀越家その他名家が「士分」であったことは
間違いのない事実。
「身分」ではなく「職業」としての「市川団十郎」に対する差別はまた別次元の話だよ。

あと相撲取りも「力士」という呼称からわかるように、各藩抱えの「士分」だったらしいね。
31日本@名無史さん :02/01/06 15:11
>>30
初代団十郎の曽祖父が一条信竜に仕えていたというだけで
江戸時代に士分だったわけではないよ。太政官が東京府に対して
芸人の農籍、商籍、弾左衛門支配籍を明らかにせよという命令に、
東京府が弁官に差し出した調査書では”音曲芸人、歌舞伎役者は市籍(町人人別)
であるが歌舞伎役者は猥に素人(一般人)と交わってはいけない”と
報告している。
>>27で”身分の義は外に無之、河原者と唱ひ”と水野越前守が述べているように
江戸初中期は身分上も士農工商の枠には入っていない非人枠であり歌舞伎役者
が士分になったことなど一度もありません。士分になれたのは能役者、
狂言師だけです。幕末には歌舞伎役者らが能などの様式を取り入れて自称狂言師
を名乗り大名家などに出入りをするようになりますが、すぐに出入り禁止令がで
ています。
32日本@名無史さん:02/01/06 19:09
能楽師は帯刀をゆるされて、一応士族だが、
歌舞伎役者は、たとえ出自が士族でも、芝居役者として身分は最下位。
農民以下。
33日本@名無史さん:02/01/06 21:48
全員被差別民です
山城新吾が言ってたよ
34日本@名無史さん:02/01/06 22:30
>>27
かなり詳しいが、少し誤解がある。
歌舞伎役者が弾一党の支配から脱出できたのは、どこか(安房だったかな?)の興行での訴訟沙汰がきっかけ。
弾が支配権の根拠とする頼朝以来の文書を偽造として歌舞伎側が訴え、それを奉行が認めたから。
(そりゃあそうだ。頼朝の時代には歌舞伎役者なんて存在しなかったんだから。)
この騒動はいわば芸能興行の利権をめぐる争いで、下からの「解放運動」などという
性格のものではなかった。歌舞伎は歌舞伎でまた別に厳しいヒエラルキーが維持され
続けたのだから。

それから、弾以前・以降も歌舞伎役者は特別の扱いを受けたといっても、
それはあくまでも「職業」についてであって、身分についてはまた別に基準があったはず。
町人か士分かどうかは別にして、市川団十郎と堀越某はある意味で別の人格だったということ。
この点が、土地に緊縛されて全人格的に賤民として支配されていたエタカワタの類との違いで、
混同すると大きな誤解を生じる。
賤民(職業)と町民(身分)の間での二重支配というのは、いわゆる非人層でも例えば乞胸などがそうだった。
非人層には一種のグレーゾーンが存在していたわけで、
いわば完全な賤民制(エタ、カワタ)に対して、不完全な賤民制(非人・諸芸人)ということか。
そう言えば少し前、某近世史研究者が非人が二つの名前を使い分けていことを論文で書いていたね。
35日本@名無史さん
>>34
>>歌舞伎役者が弾一党の支配から脱出できたのは、どこか(安房だったかな?)の興行での訴訟沙汰がきっかけ。
だから>>27に”宝永五年(1708年)小林新助(カラクリ師)”って書いてあるじゃん。
それに”此者、身分の義は外に無之、河原者と唱ひ・・・”とあるように、職業上は○○で身分上は○○なんて
一々思ってないわけよ。当時の一般人たちですら・・・・。

>>非人が二つの名前を使い分けていことを・・・・・
侍だって、農民だって複数名乗ることぐらいあったって