1 :
日本@名無史さん:
「つくる会」の伊藤隆と並ぶ反動歴史御用学者秦郁彦が
『諸君』2002年2月号に
「正体見たり! 宮地正人とその一派」という中傷文書を書いています。
「秦郁彦、伊藤隆とその一派」を歴史学界から叩き出すため
徹底的に糾弾しよう!
お前が論破してみろよ。
3 :
日本@名無史さん:01/12/25 15:10
>1
もしかして、貴方が宮地さんですか?(w
4 :
日本@名無史さん:01/12/25 15:23
1は、民青。
秦の文章の特徴は、見出し、小見出しに、
本文から逸脱した極端な表現が多用されること。
こんなにプロパガンダが好きでは、
まともな学者とはいえない。
6 :
日本@名無史さん:01/12/25 16:37
秦郁彦はもともと大蔵官僚だからな。
権力亡者の御用学者なのは、ある意味で当然。
まともな学者として相手にすべきではない。
7 :
日本@名無史さん:01/12/25 16:46
>6
ご卓見を「まともな学者」にも教えてあげよう(w
8 :
日本@名無史さん:01/12/25 16:49
宮地氏の書き方にも問題があったんじゃない?
秦氏の文章を読むかぎりでは
彼が記者会見まで開いて主張した「白旗偽文書説」も
確たる証拠のない観測の域を出ないように思うけど・・・。
いったん噛み付いた以上、松本氏とは堂々と討論すべし。
9 :
日本@名無史さん:01/12/25 17:14
秦郁彦の「正体見たり! 宮地正人とその一派」より。
「学界ではよく「民青人事」という用語が使われる。民青(日共系を意味する)は、拠点づくりのため、
全国規模でコマを動かすのを得意としている。コマにされる人材は、大学院生か助手の時代から
日共系の学会に入って論文を書いたり、学会報告するキャリアを積んでポストを世話してもらい、
教授にまで登っていく仕組みになっている。
そのかわりボスの指令に反抗するのは許されず、タブーを破ればいじめられたり、「破門」されてしまう(と思わせる)。
このあたりはヤクザ世界の秩序に似ていると言えなくもない。」(123〜124ページ)
妄想に基づいた反共デマ文書以外の何物でもない。
10 :
日本@名無史さん:01/12/25 17:51
>9
今時「反共デマ文書」はないだろう。
それとも、貴方「容共」?(w
11 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:35
>10
そういう貴方は「反共」?(w
12 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:35
>>9 はあ。そこまで書いてるの。
自分が千葉大学に入ったことが、既にその反証だと思うがね。(今は日大)
この人、盧溝橋事件、南京事件、毒ガス戦については
わりとまともな研究をしてると思うんだが、
最近はまた・・。
13 :
日本@名無史さん:01/12/25 18:49
>12
従軍慰安婦についてはどう思う?
わきの仕事だけど。
14 :
日本@名無史さん:01/12/25 19:01
>12
秦郁彦も、伊藤隆と同レベルの職業的反共屋に過ぎないということ。
15 :
日本@名無史さん:01/12/25 19:24
秦郁彦の「正体見たり! 宮地正人とその一派」より。
「東大紛争は、加藤総長が民青と結んで全共闘の学生を排除する形で収拾されたから、
紛争後の東大では大学当局へ恩を売った形の民青が大手を振って歩くようになる。
とくに史料編さん所は、東大職員組合の委員長や幹部を送りこみ、
監督官庁の文部省も一目置く民青の牙城になっていた。
史学科の助手をやっていた宮地氏に史料編さん所の山口啓二教授からもらいがかかったのは
一九七三年である。
東大の各学部には日共の支部ネットがある。山口氏は党本部の学者・文化人対策を仕切る一段上のポストにいて、
にらみを利かせていたのだが、地味な非政治的学術論文とアジビラ風のアピールを書き分ける宮地氏の才能に目をつけ、
後継者として引き抜いたといわれている。
史料編さん所は、学生教育と研究で忙しい学部とちがい、
数百年単位の古文書収集と刊行を本務とする職場だから、時間には恵まれている。
この利点をフルに活用した宮地氏は、左翼歴史団体の「御三家」を束ねつつ政治運動に精を出す。」(115ページ)
宮地先生に卑劣な人格攻撃を加える秦郁彦を徹底的に糾弾して、学界から抹殺しよう!
こういうことを糾弾する秦はえらい。
2chのミンコロどもがオロオロしてて愉快だな。
17 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:11
宮地氏は今、国立歴史民俗博物館の館長なんだけど、
これも民青人事?。
18 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:15
いい事するね。
19 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:26
秦氏は今回の記事で和田春樹、高崎宗司ら旧社会党系歴史家を
宮地ら日共系とは別立てで批判しているのだが、
このスレで誰も和田らを庇わないのは、
日本史板の左翼はミンコロばかりだからか?(w
20 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:35
史学畑では「民青人事」どころか「歴研人事」という言葉もあるよ
21 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:37
そりゃ、歴史家としての格の違い。
22 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:40
歴史家としての格、知名度は、和田春樹の方が上じゃない?
23 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:40
>>13 従軍慰安婦の件は今更言うまでもないでしょ。
強制ではなくて半強制なのだってな言い方が適正かどうか、
ちょっと勉強した人だったらわかることでしょ。
24 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:49
>>20 基本的には学閥人事だよ。
今どき、「左だから引き抜かれた」なんてな言い方ができそうなのは、
数えられる程度。
逆の、「右だから引き抜かれた」っていう例は、ごろごろ転がってるけどね(藁
25 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:54
どうせ19は、
網野善彦の宿敵が、永原慶二や安良城盛昭だったことさえ知らないんだろうな。
26 :
日本@名無史さん:01/12/25 20:58
>24
伊藤隆門下グループ以外で日本近代史に右派集団っている?
北岡伸一は50近くになってやっと東大に戻れたから
門下生はまだいないし
27 :
日本@名無史さん:01/12/25 21:09
ミンセイ学者も旧社会統計学者も断末魔ではあるよな。
28 :
日本@名無史さん:01/12/25 21:49
>>26 「右派集団」という程のものは、日本近代史ではあまり思い当たらないよ。
伊藤隆に忠実な若手ってのもほんの数名。
佐藤清三朗系も、北岡はともかく他を「右」と言うのは言い過ぎだろうしね。
むしろ集団でウヨ研究者を育てているのは、前近代の分野。
某大とか某大とか(笑)
わかるでしょ?
29 :
日本@名無史さん:01/12/25 21:50
どこ?どこ?教えて!
まちがい
清三朗→誠三朗
>>29 概ねあっち系の大学。
そこから系列大に大量に送り込む現象が見られはじめたよ。
こんな掲示板に頼るより、
図書館に置いてある「教職員・研究テーマ一覧」を手にとって、
自分で調べてごらん。
あっち系と言ったってぜんぜん分らん。
前近代にも右派集団なんて無いよ。
だいたい「系列大に大量に送り込む現象」って何だ?
31を信用しないように。
33 :
日本@名無史さん:01/12/25 22:21
>>8 秦氏の文章読んでないんだけど、そのへんはどういうこと書いてたの?
白旗についての宮地氏の文章は歴史学研究会のページ行けばあるよ。
>>1へ、そろそろ自作自演やめれ。
(wはめったに使わないと思うけど(w。
35 :
日本@名無史さん:01/12/25 22:38
>>28 伊藤隆の後任、野島(加藤)陽子先生も事実上、伊藤隆との縁を切ったからね。
野島先生のホームページを見ると、その辺のスタンスがよく分かる。
東大での伊藤隆の後継者は、むしろ高村門下の鈴木淳?
36 :
日本@名無史さん:01/12/25 22:59
最近の例じゃ皇學館→金沢工業大に続々。
37 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:07
秦はずっと拓大にいたので、一般の大学で選考がどう行われるのか、
実体験では知り得なかった筈。
その後数年間千葉にいて、日大に移ったわけだが、
弟子もいないし、教員の選考については伝聞・推定がほとんどだろ。
それを、あたかも見てきたかのように決めつけてるんだからね、
ひどいもんだ。
38 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:13
39 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:17
>>38 なんだ、そんなことも知らんのか?
ここにある研究所とか、経営母体とか、人脈とか。
40 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:18
なんで学者達はこんな争いをするの?誰か教えて。大人しく
研究してればいいじゃん。いい研究すれば日本史は生きてくる
と思うのですけど。学会は権力抗争の舞台となっているの?
41 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:20
どうやら
>>1はそこの理系厨房院生らしいなあ。
だんだん事情がわかってきて、わくわく。
42 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:24
>>41 故意に話を混乱させてやがる。
1が反ウヨなのに、なんで彼がウヨ大の院生じゃないといけないのか。
どっかで見た手口だな(笑
43 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:29
ところで秦郁彦って、80年代から南京事件・七三一部隊・従軍慰安婦
問題、とウヨサヨ論争のホットなテーマに関わってきたんだよね。
「右傾化」と呼ぶかは別にして、近年の彼の学術的には露骨すぎる
「反左翼」的スタンスは、七三一部隊の人体実験に関する教科書裁判で
証人として出たときに、「左翼」側から苛められたのが
原因かなと思ったりするけど。。。
44 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:30
>>26,
>>28 ソ連が崩壊していなければ立教で一生終わった政治ゴロに過ぎん>北岡伸一
45 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:33
1が反ウヨ?? ここは秦の中傷記事を紹介するためのスレだろう。
46 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:33
故意に話を混乱させる愉快犯にやられすぎだよ。
もとは政治思想板で、「コヴァと言うヤツがコヴァ」と
わけのわからないことを言い出すやつがいたが、
同板がカキコめなくなった時期に、
そいつが日本史板に移住してきたんだろ。
そいつの正体は、アズマと交戦している某。
47 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:38
48 :
日本@名無史さん:01/12/25 23:44
はいはい、コヴァ板から来られたんですか。
49 :
日本@名無史さん:01/12/26 00:00
>>20 民青は知らんが、いくら何でも「歴研人事」はねーだろ。
あそこで近代史の仕事やってる若手は職なしばっかなんだから(w。
>49
他の時代も同じや・・・
>>40 こんないちゃもんの付け方はまっとうな学者のすることではありません。
52 :
日本@名無史さん:01/12/26 02:06
>49 >50
どうしてそんなに詳しいの?
関係者ですか?
53 :
日本@名無史さん:01/12/26 02:12
>51
たしかにこのスレで紹介された秦氏の文章は誹謗・中傷の類だけれど
実際の「諸君」誌の記事には宮路氏の見解への学問的な疑義も含まれてるよ。
読んでみて。
>33
書店で立ち読みしたので詳しくは書けないけど、
秦氏によると「創る会」教科書に書かれている
「ペリーが幕府に白旗を要求した」ことを書き記した文書の真偽について、
宮路氏が主張した「偽文書説」もまた根拠が薄く、
どうしてかくも断言できるのか理解できないとのこと。
結構丹念に宮路氏の主張を追いながら
典拠とされた史料をひいて考証を加えているので読み応えあり。
じつはHP上の宮路氏の批判文は
まるで「鬼の首を取ったような?」書きっぷりだけど、
時系列的に並べるとこれも段々トーンダウンしてきているらしい。
しかも松本氏が反批判し誌上討論を呼びかけたのを
宮路氏は拒否したらしい・・・。
自分にはどちらの説が正しいのか見極められないけれど、
秦氏の主張にもそれなりの説得力があったよ。
ただ、秦氏が主張しているうちの、
宮地氏の策動に影響されて「創る会」教科書の
採択率が0.03%にとどまったという内容には首肯しかねるけどね。
(宮地氏の記者会見をマスコミが大々的にとりあげたっけ?
ほとんど相手にされなかったんじゃないかと思うが・・・)
本筋の話題である「ペリーの白旗書簡」は結局、どうなの?
人事っていったって、法学部系統と文学部系統じゃ比較にならないんじゃ。
>>37 秦教授が書いてるのはおおよそ事実ではないの?
嘘だという根拠は?
>>57 人事の話が好きそうだけど、本題の白旗文書に戻ったら?
秦氏の白旗に関する意見を批判する論者には、史料なりなんなり指摘してもらってさ。
宮地氏の応援団なら、きちんとした根拠を持った上でのことだろうから。
>>58 特に白旗書簡には興味ありませんので・・・。
60 :
日本@名無史さん:01/12/26 09:55
>53
>たしかにこのスレで紹介された秦氏の文章は誹謗・中傷の類だけれど
岩波『広辞苑』には、中傷は「無実のことを言って他人の名誉を傷つけること。「誹謗―」」とあるんだが。
どこが誹謗中傷なのか教えてくれ。
61 :
日本@名無史さん:01/12/26 10:44
>60
「誹謗・中傷」の表現きついかな?
言いたかったのは、
部分的に記事を引用すると全体のイメージを取り違えるということ。
問題になっている秦氏の記事が、史実に基づいた議論を要求するもので
(それ自体は実証史学にとってとても重要なこと)、
誰かが書いてあったように「人格攻撃」を第一の目的としたものではないことを
指摘したかっただけなのさ。
62 :
日本@名無史さん:01/12/26 11:23
秦先生。龍渓書舎事件の事は忘れませんぞ。
63 :
日本@名無史さん:01/12/26 11:51
64 :
日本@名無史さん:01/12/26 12:13
戦後すぐに大蔵省が編纂した「日本人の海外活動に関する歴史的調査」
の復刻をめぐる騒動。NACSISでこの書名を入れると,海賊版の復刻に
混じって,この騒動の顛末を記したパンフレットが出てくるから,それ
を読んでもらえると詳細がわかる。
ちなみに秦先生は当時大蔵省財政史編纂室長として,この復刻阻止に
全力を尽くす。おかげで植民地史研究者からはよく思われていない。
龍渓書舎の話って、秦郁彦日大教授も自著『昭和史を縦走する』(グラフ社)に
何か書いてたような気が。
66 :
日本@名無史さん:01/12/26 15:29
>>65 それは知らなかった。捜してみよう。
何抜かしてるんかなー。楽しみ。
67 :
日本@名無史さん:01/12/26 15:37
秦の論文の本筋は、白旗書簡が、史実か伝説か
って言う学問的問題なのに、このスレッドのやつらは
そのことには全く興味を持たないで、民青人事は本当にあるかどうかとか
どこの大学がウヨの巣窟かどうかとか
くだらないことにしか興味がないみたいね。
68 :
日本@名無史さん:01/12/26 15:40
>>67 だってこの板にいるのはミンコロばっかりだもん。
69 :
日本@名無史さん:01/12/26 16:01
>>67 日本史板には史学専攻の大学院生が多いということでは?
院生にとっては人事の方がはるかに切実な問題。
70 :
日本@名無史さん:01/12/26 18:19
だいたい、スレのタイトルが”秦郁彦が宮地正人「先生」を中傷”。
秦郁彦を叩こうとする意図が見え見えでイタイ。
71 :
日本@名無史さん:01/12/26 18:24
権力に奉仕する反動的な御用学者が叩かれるのは当然。
72 :
日本@名無史さん:01/12/26 18:37
>>69 史学なんてODになったらコンビニのバイトぐらいしか
雇われ口なくなるモンね(ププ
>院生にとっては人事の方がはるかに切実な問題。
学究を名乗るくせにこういうことを正直に言ってしまえる
怠惰さには笑えるよ。
まだやっていたのか金沢工業大学君、また誘導尋問してあげようか。
龍渓書舎の一件って、龍渓書舎が大蔵省の許可をとる前に出版するって
いっちゃって、大蔵省から断られた話でしょ。龍渓書舎は裁判で負けたんじゃ
なかった?
75 :
日本@名無史さん:01/12/26 21:12
『諸君』の文章を読んで驚いた。
ペリーと幕府の交渉のなかで実際に白旗が登場した
ことについては宮地氏も後に認めたんだね。
じつはこの話題を初めて耳にしたのは
彼に近い立場の人からだったんだけど・・・、
そのときは白旗の存在そのものが風説なのだと
実際に宮地氏が言ってたと聞いたからね
(彼の文章もそうとしか受けとめられないよね)。
76 :
日本@名無史さん:01/12/26 22:01
おそらく論争としては秦のほうが正しい。
しかしサヨが牛耳っている学会では
史学畑出身ではない、松本や秦の言うことは相手にされない。
史学会はサヨの巣窟
77 :
日本@名無史さん:01/12/26 22:04
>史学畑出身ではない、松本や秦の言うことは相手にされない。
「反左翼の松本や秦の言うことは相手にされない」でも通じるよ。
78 :
日本@名無史さん:01/12/26 22:07
>76
1が問題にしているのは、そういった些末な事実関係ではなく、
秦が今回の記事で行っている宮地氏への人格攻撃だろ?
79 :
日本@名無史さん:01/12/26 22:34
>>78 >>76
> 1が問題にしているのは、そういった些末な事実関係ではなく、
> 秦が今回の記事で行っている宮地氏への人格攻撃だろ?
>
宮地は東京大学史料編纂所の権威を持って扶桑社の教科書は
偽書を元に作られているというネガティブキャンペーンをやったのだから
これは明らかに純粋な学術論争ではない。
学術論争としては、5年前の松本、大江論争があったが
そのときも別に宮地は何にも言ってない。
宮地は叩かれて当然。
宮地氏を歴史家ではなく政治運動家と評している感じだが,ある意味では適切な判断。
人格攻撃と言えなくもないが。
>>1 アホをアホといってどこが悪い?
バカをバカといってどこが悪い?
82 :
日本@名無史さん:01/12/26 22:43
ついでに言うならば、宮地は新しい歴史教科書不採択運動の
発起人の一人であることもお忘れなきように。
こういった政治運動にかかわっておいている以上
今回の問題は、性質から考えて
単なる学術論争上の誤りとはいえない。
宮地は明らかにデマゴーグである。
83 :
日本@名無史さん:01/12/26 23:10
宮地氏は「白旗書簡」の箇所以外にも
「創る会」教科書の記述の「誤り」をたくさん発見していて
順次公表していくと言ってたらしい。
もしかすると第二波第三波の批判を準備してるかもしれないゾ。
84 :
日本@名無史さん:01/12/26 23:13
宮地先生ガンバレ
秦郁彦の卑劣な人格攻撃に負けるな
85 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:58
全国の国公立大学の教育学部と経済学部は共産党系教授の溜まり場。
読んだけど、こんなのでは誹謗中傷とは言えないような気がするが。
ヤクザの抗争かよ。
88 :
日本@名無史さん:01/12/27 02:26
宮地は完全に秦に論破されてるじゃないか。こっぱずかしい野郎だな。
>>1の奴は、秦が指摘しているネットの奴じゃないか。
89 :
日本@名無史さん:01/12/27 02:38
推測に基づく人格攻撃は、いただけないよな…。
漏れは名前の通り保守派で秦の業績も評価するけれど人間的には
秦ってかなり癖のある人みたいね。いろんなとこで無用の摩擦を引き
起こしているらしい。本人に悪意はないのだろうけどよくも悪くも学者馬鹿。
宮地の方が"政治家"として優秀なんじゃないの(藁)。
一番最初は、松本VS大江だったんだけど、今では、
松本健一(麗澤大教授)&三輪公忠(上智大名誉教授)+秦郁彦(日本大学教授)
VS
大江志乃夫(茨城大名誉教授)&宮地正人(前東大史料編纂所教授・現、歴史民族博物館館長)
悲惨な1のいるスレに登録しとくか
94 :
日本@名無史さん:01/12/27 09:18
もし秦のいうとおりなら
記者会見まで開いて教科書記述を
反動イデオローグによる「史実捏造事件」よばわりした
宮地の言動も誹謗・中傷といわれても仕方ないだろう。
それともまだ自説を補強・展開する根拠を握っているのか?
95 :
日本@名無史さん:01/12/27 10:45
>92
分かりやすく書けば
右翼御用学者 VS 共産党御用学者
だな。
96 :
日本@名無史さん:01/12/27 15:15
97 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:35
一昔前の『諸君』をみたところによると
白旗書簡の真偽に疑問をつけられた
松本が宮地に公開質問状を出したときに
宮地は、
「松本と議論するのが目的なのではない。
作る会の教科書をつぶすのが目的なのだ。」
といって、松本を無視したそうだ。
右からの一方的情報だからほんとかどうか分からんが
本当だとしたら宮地は学者の資質がない。
98 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:52
>作る会の教科書をつぶすのが目的なのだ。
良識ある歴史学者なら当然のことだ。
99 :
日本@名無史さん:01/12/27 16:59
コヴァも執筆に参加している歴史教科書を批判する学者と、それを擁護する学者と、
どちらに「学者の資質がない」かは自明のことだろ(藁
100 :
日本@名無史さん:01/12/27 17:57
101 :
日本@名無史さん:01/12/27 18:24
お前、コヴァだろ
102 :
日本@名無史さん:01/12/27 19:05
>>98 >>作る会の教科書をつぶすのが目的なのだ。
> 良識ある歴史学者なら当然のことだ。
>
サヨの考える良識=政治的イデオローグのプロパガンダとしてデマゴギーを垂れ流すこと(ワラ
こんなところで場外乱闘するな
104 :
日本@名無史さん:01/12/27 21:53
秦氏が大蔵省を辞めた経緯を教えて
>良識ある歴史学者なら当然のことだ。
君が非常識なのは分かった。
106 :
日本@名無史さん:01/12/27 22:22
>104
秦郁彦って、叩けばほこりが出る体でしょ?
しばらく前、大蔵省時代の女性問題が『噂の真相』で暴露されていたよ。
>>106 「噂の真相」に、だろ?ウラのとれた辻元清美の覚醒剤運び屋疑惑を
編集長特権で握りつぶすような雑誌を誰が信用するか。
秦の立場はよく分からん。
以前に中村粲と論争したせいか、「諸君」にはよく論文を
載せるが「正論」には載せない。
109 :
日本@名無史さん:01/12/27 22:44
女性問題と学問上の業績、思想になんの関係があるのかね?
110 :
日本@名無史さん:01/12/27 22:52
>>107 ソースきぼ〜ん
ないとバカウヨ呼ばわりされるよ〜ん
111 :
日本@名無史さん:01/12/27 23:31
112 :
日本@名無史さん:01/12/27 23:34
イメージで判断する所が馬鹿サヨ。
女性問題が何の関係がある?
なんか話しを反らそうとしてない?
まだやっていたのか金沢工大君(ハァ
114 :
日本@名無史さん:01/12/28 00:23
>>104 秦は大蔵省に勤務しながら近代史の論文を
30本ぐらい、著作も数冊出している
大蔵省財政史室長、参事官、を経て退任というのは
明らかに主流ではないが、経歴としては恥ずかしくない。
大蔵時代も主計局のようなエリートコースには目もくれないで
戦争の話ばっかりしていたという。
WWUの撃墜王の実際の撃墜数の実証的研究などをやっているが
これなどは明らかに彼が軍ヲタであることを物語っているといえるでしょう。
(こんなことをやっても、史学畑で業績として認められるわけないので
趣味としてやってるとしか思えない)
要するに秦というのは、単なるヘビーな軍ヲタであったのだが
たまたまものすごくよくお勉強のできる秀才であったので
東大法学部→国家一種→大蔵官僚というエリートコースを
進んでしまったと考えるべきじゃないのかな。
115 :
日本@名無史さん:01/12/28 00:27
ちなみに秦の思想として、「国家に誇りを」
とか、「大東亜戦争は聖戦であった。」
とかいった、「国家主義」的なことにはあまり興味なさそうに思われる。
単純に反戦左翼が死ぬほど嫌いらしいということと
東大法学部らしいエリート主義者であるということだけが
特徴かな?
116 :
日本@名無史さん:01/12/28 11:49
>単なるヘビーな軍ヲタであったのだが
そんな奴が歴史学者を名乗ること自体、おこがましいというべきだな。
117 :
日本@名無史さん:01/12/28 11:58
118 :
日本@名無史さん:01/12/28 12:41
秦氏はやっぱり原書房とつながっていたのか?
119 :
日本@名無史さん:01/12/28 14:06
秦郁彦がヘビーな軍事オタクにかかわらず
大蔵省に進んだのは
家がうるさかったからみたいだ。特に母親。
噂の真相に書いてあった。
別に何ヲタでも学者であることには関係ないと思う・・・
秦郁彦の文ってなんか「自分以外はみんなバカ」って思ってるような気がして
なーんかダメなんだよねえ。
もちろん極度な反共反左翼なのもそうなんだけど
121 :
日本@名無史さん:01/12/28 14:42
>119
その記事にストーカーをしていたことも書かれていなかったっけ?
宮地さんて国立歴史民俗博物館の館長に就任していたのか。
井上・土田・石井さんはまだこれからという時に亡くなったから、
結構激務なのかなあ。まあ石井さんは辞任した後に亡くなったけど。
123 :
日本@名無史さん:01/12/28 14:56
秦教授は大蔵省から防衛庁や防衛研修所(今の防衛研究所)なんかにも
行ってるね。やっぱり軍事関係が好きだからなんでしょうね。
126 :
日本@名無史さん:01/12/28 15:31
127 :
日本@名無史さん:01/12/28 15:44
この他に、サマリウム独特のものとして、
磁性材料や触媒などの面でも際立ったはたらきを
示すことが知られているが、特に興味深いのは
原子価揺動( valence fluctuation )と呼ばれる
性質である。これは、金属や化合物において格子を
形成しているイオンの電荷が変化する現象で、サマ
リウムの他にもセリウムやユウロピウムEuなどの
ランタノイド・アクチノイド元素の化合物でも見
い出されている。しかし、特にサマリウムに関して
興味深い点は、単体の金属状態においても2種類の
電子状態を持った原子が存在することである。サマ
リウムの安定な電子配置としては
『2価』"divalent" state : [Xe] (4f)6 (ds)2
『3価』"trivalent" state : [Xe] (4f)5 (ds)3
の2種類がある。サマリウム原子が単独で存在する場合の
配置は"divalent"であるが、金属固体として存在する場合は
原子半径の小さい"trivalent"の状態の方が安定化する。
しかし、固体の状態でも、表面の原子は内部の原子とは異なり"
divalent"の配置で存在する。 これは、2つの配置間のエネ
ルギー差が極めて小さいことに起因している。このことにより、
サマリウム原子は周囲の状態に敏感に反応してその電子状態を
変えるであろうと予想できる。実際、様々な金属基板の上に少量
のサマリウムを乗せた実験では、基板の種類や乗せたサマリウム
の量に応じてサマリウム原子の「価数」が変化し、非整数値の
価数状態が観測されている。この混合原子価状態と呼ばれる現象が
、サマリウムを含む物質の持つ色々な特性(特に触媒活性など)に
も寄与しているであろうと考えられる。
血迷ったか。
−−−−−−−− 終了 −−−−−−−−−
129 :
日本@名無史さん:01/12/28 16:47
>127
キミ、金沢工業大?
130 :
日本@名無史さん:01/12/28 21:35
根拠となる文書(条文のやつ)は真っ赤な偽物、というのは誰が見てもそうだと思うんだけど
それでも、宮地氏が白旗の存在をを認めたと、秦氏が言うソースは何ですか?
『諸君』がちかくの本屋で見つからないんでよろしかったら教えて下さい。
131 :
日本@名無史さん:01/12/28 21:41
>>130 話をそらすな
サマリウム独自の原子価の話をしている
132 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:03
>130
現物をみてはないのだが、
秦氏が指摘していたのは次の記事だよ。
〈黒船来航は「砲艦外交」だったのか〉
「ペリーの白旗書簡」論争を解体する
岸 俊光『中央公論』2001年12月号
>>130 中央公論の12月号読んでみ。
それにしても
>根拠となる文書(条文のやつ)は真っ赤な偽物
って白旗書簡は偽物ってこと?
134 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:41
>>130 今回の秦氏の記事読むと、実は根拠の文書に関しては宮地氏の
詐術があったようです。
根拠となっている文書は、東大が明治に刊行した大日本古文書
幕末外交関係文書之一の史料119号ですが、日付けの下に「?」
マークが付いていることについて、宮地氏は、これは文書「全体」
の信用性に疑問がある証拠だとしてますが、秦氏は単に「日付」
が曖昧なことを示すだけだ、という立場の様です。
また、この 119 号は実は三種類の文書からなるものなのに、
宮地氏は三番目の文書のみしかないような態度を取り、それを
否定するという手法を取っているそうです。しかも、三番目の
文書に関して、宮地氏が実在しないとする人物も実在するとの
こと。
135 :
134 つづき:01/12/28 22:41
>>130 白旗を認めたというソースは、中央公論の平成13年12月号の、
毎日新聞の岸俊光記者によるレポートのようです。
それによると、宮地氏は岸記者とのインタビューで、白旗の
存在を認める発言をしたらしい。ただし、旗の意味については
米側は口頭で説明はしたが、文書化はしていない。だから書簡
は偽物、と説明したとのことです。
それと、歴史評論 平成13年 10 月号に宮地氏自身が載せた論文
では、ペリーの部下と幕府の役人との交渉について記述し、米側は
「我々は武装力を上陸させても国書を受け取ってもらわなければ
ならない。 (中略) 交渉のためあなた方が白旗を揚げてやって
くるならば我々は友好に迎え入れよう」という発言があったこと
は認めてるみたいです。ただ、「友好」の部分は原典の史料20号
にはなく宮地氏が追加した表現らしいです。
私はこれらの両記事を参照してませんが、秦氏の記事の引用を
読む限り、宮地氏はペリー一行が武力をチラ付かせて交渉したこと、
白旗が幕府の役人に渡されたことは認めるものの、白旗を降参
したことを示すものだとする「文書はない」と主張しているだけ
みたいですな。
136 :
日本@名無史さん:01/12/28 23:39
サマリウムはランタノイドのひとつだというのは誰でも知っておるが
原子価揺動は知らんかった
137 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:49
歴史学研究会のHPより
1.『扶桑社の新しい歴史教科書176ページ』
>「幕府が国書の受け取りを拒絶できなかったのはなぜか。
>それには手紙が添えられ、「開国要求を認めないならば
>武力に訴えるから防戦するがよい。戦争になれば必勝する
>のはアメリカだ。いよいよ降参というときにはこの白旗を押し立てよ。
>そうすれば和睦しよう」と書かれてあった。」
2.歴史学研究会のHP
>コメント:『大日本古文書 幕末外国関係文書 一』に
>参考資料(疑わしい資料)として掲載されている偽文書に
>基づいた記述であり、明白な誤りである。この文書には、
>ペリーは白旗とともに「皇朝古体文辞」・漢文・英語で書かれた
>書簡を日本側に手渡したことが記されているが、この文書は、
>幕末にあまたある風説や流言飛語を書き留めた風説書と呼ばれる
>たぐいの史料にのみ見えるものであり、史的事実を解明するために
>使用できるような文書ではない。
歴史学研究会というのは、現代日本語も読めない馬鹿の集まりであるようだ。
1のもともとの扶桑社の教科書は、別にソースを
『大日本古文書 幕末外国関係文書 一』から取ったとは
どこにも書いていない。ペリーが白旗を渡して
降参を迫ったという事実があると記述しているだけだ。
なのに宮地は、この文書は偽書だ、扶桑者は偽書を元に
教科書を書いてると、大騒ぎしておいて、松本らに反論されると
「ペリーが白旗を渡したのは本当のようだ。書簡は偽書の可能性がある。」
などと白を切っている。
まあ詳しくは諸君を見てほしいが、宮地の敗北はほぼ決定ですのう。
この板のミンコロどもは、早くも話題そらしに必死のようだが
138 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:53
じゃあ扶桑社の教科書はどこからソースを取ったの?
>>138 松本健一『白旗伝説』(講談社学術文庫)
三輪公忠『隠されたペリーの「白旗」』(上智大学)
140 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:00
>>138 >じゃあ扶桑社の教科書はどこからソースを取ったの?
>
ペリーが白旗を渡したのはケツを拭かせる為だったとでも?
扶桑社の教科書に書いてあるようなシュチュエーション
以外に考えようがないと思うんだがね
>>138 >>139 その両著とも、原典は 大日本古文書幕末外交関係
文書之一の史料119号だから、
>>137 の書き方はさすが
に暴言に近いでしょう。
ただ、批判先の歴史学研究会も頭っから偽書扱い
しているのは問題ですな。秦氏のように、曖昧なのは
日付だけである、という解釈もありうるのだから。
それに、
>>134 にも描いたけど、史料119 号は三つの
文書をまとめたものなのに、攻撃しやすい三番目の文書
のみしかないような態度を取っているのは公正な態度
ではありませんね。
142 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:27
>歴史評論 平成13年 10 月号に宮地氏自身が載せた論文
これは持ってたから早速読んだ。
でも、これ、あちこちで発表されてる宮地氏の書いてることと全く同じ文章。
当該論文は歴史学研究会のページに文章がまるまるのってるから見てください。
秦氏の文章を読んでないのでなんとも言えないけど
>>134、
>>135を読んで私なりに
?だった部分を書出マスです。
>幕末外交関係文書之一の史料119号ですが、日付けの下に「?」
>マークが付いていることについて、宮地氏は、これは文書「全体」
>の信用性に疑問がある証拠だとしてますが、秦氏は単に「日付」
>が曖昧なことを示すだけだ、という立場の様です。
大日本古文書も見てないからわからないけど、日付の下の?が云々されるとしても
宮地氏がその史料を偽文書だとしている根拠はそれだけではないです。
史料の内容など、他にも根拠をあげています。
>また、この 119 号は実は三種類の文書からなるものなのに、
>宮地氏は三番目の文書のみしかないような態度を取り、
具体的にあげているものはその1通だけですが、他の白旗関連書簡についても
まとめて正文として論じられない根拠を説明しているはずです。
>三番目の文書に関して、宮地氏が実在しないとする人物も実在するとの
これは知らないのでパス。(この時代専門じゃないの・・・)
143 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:28
>ペリーの部下と幕府の役人との交渉について記述し、米側は
>「我々は武装力を上陸させても国書を受け取ってもらわなければ
>ならない。 (中略) 交渉のためあなた方が白旗を揚げてやって
>くるならば我々は友好に迎え入れよう」という発言があったこと
>は認めてるみたいです
これは、斉昭の発言に白旗がでてきて云々のことを言ってるのだろうか?
だとしたら、一緒に渡されたのは降参を強要する白旗ではなく和睦を強要する白旗だと
いう説明です。
白旗はアメリカ側の旗艦、測量船全てにもつけられていたことなどをあげて、アメリカ
側はくどいほど「これは和睦の印だ」と日本側に説明していた、と書いている。
大日本古文書も見てないからわからないけど「友好」との言葉を付け加えたというのは
何のことか・・・ざっと見たけどわかんなかった。
だけど下半身の話に逸らす輩は、
自らの負けを認めているのと同じだな。
>>144 別に当該学者そのものの話ならスレッドから逸れてるとは言えないでしょ。
146 :
保守派さん:01/12/29 01:48
>>145 その論理でいくと宮地の私生活をここで書いてもかまわないというこ
とになるね(藁。
147 :
保守派さん:01/12/29 01:51
あ、念のためにいっとくと俺は保守派だから「言論の自由」や「率直なタブーなき言論」
などが無条件で正しいとは思ってないのよね。どっちも下半身の話は
やめようね、というのが
>>146の趣旨ね。
良心的とはいえんがね・・・と書こうとしたら・・・
>>146 あんまりひどいこと書いて訴えられないようにね!
それから、身分がばれないように気をつけてね!
だけど、このスレッドで女の話なんてほとんどしてないじゃん。
なんか過剰反応しすぎ。
確かに「宮地氏は学者ではなく政治運動家である」という言い方はあまり品があるとは言えないが,
左翼の秦に対する個人攻撃はその上をはるかに逝っている。
いいじゃないか。それなりに実のある議論してるじゃん。
「噂の真相」のネタなんか持ち出してはしゃいでるのは
まともに議論に加われない厨房だから、ほっとけや。
>でも、これ、あちこちで発表されてる宮地氏の書いてることと全く同じ文章。
歴史学研究会のページ見直したらちょっとだけ違ってました。
でも筋は同じです。
ちなみに、これに関する宮地氏の論文(歴史学研究会のページ)はこれ
wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/announce/announce.htm#shirohata
>>142 歴史研究会の HP 見てきました。宮地氏は、ペリーは白旗は
渡したが、それは和睦を目的とした行為で、日本の降参の証し
ではない、という立場のようですね。
私も、白旗事件に関しては、今回の秦氏の記事でしか知らない
のですが… 各論点について取り敢えず記事から補足します。
●渡されたはずの文書のオランダ語版について触れられず、
日本語古文が含まれていたという件
秦氏はオランダ語版には触れてません。日本語古文版について
は、S.W.ウィリアムズ、仙太郎(元漂流民)、乾忠助(仙台藩士)
など、日本語を解したスタッフが同行していた、としています。
●米国立公文書館に存在しない件
UP 12月号の三輪氏の意見を引用。大統領に威嚇を禁じられて
おり、結果的に開国に成功したので、ペリーは本国に報告しな
かったからだそうです。確かに命令違反を報告はしないかも。
155 :
134 つづき:01/12/29 04:51
●降参か、和睦かについて
秦氏も海軍愚存、ペリー日本遠征随行記を補強材量にあげている
ので、どっちが正しいのか原典見ないと分かりませんね…。
ただ、宮地氏も認めている、
>6月4日、米国側は、もし日本側が国書を受け取らないのならば、
>武装力を上陸させても国書を受け取ってもらうほかない。その
>結果に関して責任は持てない。しかし、そのような場合でも、
>交渉のため、あなた方が白旗をかかげてやってくるならば、
>我々は友好的に迎えいれようとの趣旨の発言をしており、
…この発言を「文字通り」友好の証し、と解釈するのは作為的
に過ぎる気はしますな。ほとんど白旗書簡と主旨同じですし。
●幕末の中枢にいた人々にまつわる文書で触れられて無いことについて
119 号史料は、町奉行書類所収事件書、高麗環雑記も出典と
しており、特に後者は第一級史料である、とのこと。
●文部省自身が偽書と過去に判断したことについて
そもそも調査活動は白旗書簡の真贋を目的としたものではない
こと、大日本維新史料に単に記載されなかったことを「削除した」
と表現するのはミスリードであること、と非難してます。
さらに調査活動した藤井氏が大日本古文書幕末外国関係文書
に信頼を寄せていたこと、維新史料編纂者である丸山氏が幕末
交渉にあたった与力・香山栄左衛門の、白旗書簡の内容を彷佛
とさせる報告書を引用した本を出していたことから、白旗書簡
を偽書扱いした様子は無い、としています。
個人的な感想としては、宮地氏の最初の意見表明が、書簡
のみならず、白旗の存在も否定したような内容であったせいか
(
>>130 さんも誤解していたみたいだし)、どうも秦氏はペリー
が白旗を渡したことに触れた史料も反例と考えているようです。
また記事全体から受ける印象としては、秦氏も白旗書簡は
正式な親書の一部ではなく、現場の交渉人が交渉内容を書類化
したものでは、という見方のようです。交渉人の一人、与力の
香山栄左衛門が白旗書簡と同主旨の幕府への報告書が存在する
らしいですから。
宮地氏は、反米意識を煽り立てると非難していますが、
>>155 の記事の引用部を見る限り、米国のとった対応は友好的
というよりは恫喝と判断するのが妥当でしょう。「必要と
あらば来春更に大艦隊を率いて江戸に来航する計画を明言」
した書簡まで渡しているのですから。それを考えると、白旗
書簡の真贋を議論する価値があるのか、私には疑問です。
結局、宮地氏の批判は、つくる会に対する批判のため
の批判でしかないと思います。
最後に素朴な疑問なんですが、「白旗を友好の証し」
に使用した例、というのは他にもあるんでしょうか。
現在の一般常識からすると、白旗 = 降伏、という
印象があるので、宮地氏の主張に余り説得力を感じ
ないのですが…。
158 :
日本@名無史さん:01/12/29 09:13
>150
30万人もの虐殺を否定する人でなしを批判するのに、何のタブーが存在しようか
>>158 なるほど、虐殺派は反対派を人でなしと定義することによって、その言
論を封じるという手段を使うつもりかな。以前はその手段は結構有効に
働いていたけど、今後は無理だよ〜。虐殺派=真実を重んじる正義の人
というイメージは崩れてしまっているからな(藁
160 :
日本@名無史さん:01/12/29 12:29
161 :
日本@名無史さん:01/12/29 12:38
虐殺肯定派は血に飢えているからな、
人が多く死んだほうが、嬉しいんだよ。
162 :
名無しさん@1周年:01/12/29 14:02
http://www.sankei.co.jp/paper/today/itimen/29iti001.htm ■過激派が中心的役割 教科書不採択運動
公安調査庁の回顧と展望 セクト名挙げ認定
新しい歴史教科書をつくる会のメンバーが執筆陣に加わった扶桑社の中学校歴史・公民教科書の不採択運動に過激派が共産党などとともに中心的な役割を果たしていたことが、公安調査庁の二十八日までの調べで分かった。
同庁がこのほど発表した平成十四年版「内外情勢の回顧と展望」で明らかにした。不採択運動を行った団体は「市民の良識の勝利」などと主張していたが、公安当局がこれを否定した形だ。
それによると、過激派は「採択に反対する内外の労組、市民団体や在日韓国人団体などと共闘し、全国各地で教育委員会や地方議会に対して、不採択とするよう要求する陳情・要請活動を展開した」としている。
具体的には、共産同戦旗派と共産同全国委員会が主導する「アジア共同行動日本連絡会議」が東京、大阪など五カ所で採択阻止の集会を開催。
(以下続く)
>秦氏はオランダ語版には触れてません。日本語古文版について
>は、S.W.ウィリアムズ、仙太郎(元漂流民)、乾忠助(仙台藩士)
>など、日本語を解したスタッフが同行していた、としています。
オランダ語に触れてないのは何故でしょうね。
それと、元漂流民と仙台藩士で「皇朝古体文辞」を作ったという理屈で
しょうか。よくわかりませんが、この史料によれば「皇朝古体文辞」は
国学者が訳したことになっています。
(尤も、この国学者についても幕府が任命した翻訳者に含まれていないそうですが)
>●米国立公文書館に存在しない件
これも反論されてます。米国に保存されても日本側には証拠が残るはずで、次の交渉の
時に引き出されるのは明かである、と。
これに関して言えば逆に、艦隊を率いてくることを見せつけておいて(これは米国への
報告書にも伝えられている内容)それ以上の命令違反のことをわざわざやったと、確か
な文書もないのに断定するつくる会への反論になってしまうと思います。
>119 号史料は、町奉行書類所収事件書、高麗環雑記も出典と
>しており、特に後者は第一級史料である、とのこと。
これは、宮地氏の文にも書いてあります。
『町奉行書類所収事件書』は良質の「膨大な史料群」ですが、当該史料のある
「外国雑件三」という冊は「江戸在住ではなく地方在勤の者の典型的な風説留め」
の類で、町奉行書には関係のないものだそうです。
『高麗環雑記』も、風説留です。(第1級史料ってなんでしょ?)
この中でも当該史料は「写」として掲載されており、翻訳者の名前が書かれていな
かったり。この日付と同時期で、別の史料にも「写」があるそうですが文面が相当
異なっている。など、たぶん歴史学研究会(「学」が抜けると別の会になってしまう・・・)
のページでも書いていると思います。
164 :
日本@名無史さん:01/12/29 14:13
>維新史料編纂者である丸山氏が幕末交渉にあたった与力・香山栄左衛門の、白旗
>書簡の内容を彷佛とさせる報告書を引用した本を出していたことから
これはどういうことなのでしょうね。宮地氏はこれらの与力の言としてあらゆる風説書
に写されている「浦賀奉行与力聞書」にも、白旗を掲げ参り申すべく候というような米
国側の発言は紹介されていないとあるのですが・・・
あと、『大日本古文書』という本の質の話がでてくる論理は全く分かりません。
史料集には偽文書も載りますし、その本を作った時点で偽文書とされていないものでも
後の研究で偽文書とされるものは多々ありますし、「藤井氏が大日本古文書幕末外国関
係文書に信頼を寄せていたこと」等は、この史料を偽文書扱いしていなかったという
証左にはならないと思います。
>個人的な感想としては、宮地氏の最初の意見表明が、書簡
>のみならず、白旗の存在も否定したような内容であったせいか
歴研のページの日付にあるように、以前から見解は変わっていないと思いますが・・・
あと、宮地氏は白旗云々が正真正銘和睦の証であったなどとは言っておらず、
鎖国をしていたのに、高圧的に和睦を迫ったことは認めているところでしょう。
つくる会の教科書には「〜という文書が渡され」というように書いてあったと
思いますが、その根拠となる史料は偽文書であり、偽文書を元にしてアメリカの
砲艦外交を説明することは許されない、という趣旨であるはずです。
ただし、この史料が偽文書でありながらこれほど広まった自体を指して
「日本の開国という未曾有の事態に直面した武士階級を含む三千万の日本国民の
恐怖と不安、そして見通しのたたないものへの激しい苛立ちを理解させるための
格好の材料として、我々はこの史料を活用していかなければならない」
(先掲『歴史評論』より)としているのです。
白旗書簡の真贋を問題にしているだけではなく、その解明によって見えてくる
ものがあるからこそ、これだけ長い文にもしているのだと思います。
秦氏はそういう部分をくみ取っているのでしょうか。
近代史専攻じゃないのでいい加減なこと言ってるかも。
詳しい人のフォローをお待ちします・・・
あー、急いで書いたら文がへんだ。すみません。
166 :
日本@名無史さん:01/12/29 14:59
公安がソースの産経新聞記事だって(藁
167 :
日本@名無史さん:01/12/29 15:05
つーか、つくる会の賛同者や幹部に、怪しい宗教団体とか右翼団体の会員なんかも
入ってたことは言わないのね。
詳しい人、フォローしてくれないかなぁ。
>>142 ●オランダ語版に触れない理由
これについては、分かりません。反論の材料が見つからなかったのか、
重要で無いと判断したのか、都合が悪いから無視したのか…。
>「皇朝古体文辞」は国学者が訳したことになっています。
「訳」ですか ? 原文は 前田夏蔭読之 なので、読んだだけでは。
無知で申し訳ないのですが、皇朝古体文辞というのは、専門家でないと
読解できない代物なのでしょうか ?
> (尤も、この国学者についても幕府が任命した翻訳者に含まれていないそうですが)
秦氏によれば、前田夏蔭は、水戸斉明に仕えた国学者だそうですが…。
>日本側には証拠が残るはずで、次の交渉の時に引き出されるのは明かである、と。
意味がよく分かりませんが、既に開国を決めた状況で、何に使うのでしょうか。
米国側が大統領に威嚇や武力行使を禁じられていたことを、日本側が知っていれば
別ですけど。あるいは、第三国にアメリカの横暴を訴える時とか。それ以外の状況
で、意味を持つ文書とは思えませんが…。
ちなみに、白旗と書簡は安政 6 年の江戸城火災で消失してるそうです。
170 :
134 つづき:01/12/29 17:56
町奉行書類所収事件書については、記事中で言及がないので、史料的価値は私には
不明です。高麗環雑記からの出典については、御小姓・久留金之助の日記の写し、と
なっているので風説ではないのでは ? 秦氏は、この高麗環雑記を東大史料編纂所が
所蔵する第一級のコレクション、と評してますが、一般的な評価は低いのでしょうか。
与力の報告書の原文は不明ですが丸山国雄著の「ハリー、ペリー侵略外交顛末」に、
『白旗を建て参りくれ候えば、鉄砲は打ち掛け申す間敷段…』と引用されているそう
です。
大日本古文書の質に触れているのは、大日本維新史料に白旗書簡が掲載されなかった
背景、理由が不明 (特に言及されてない) なのに、宮地氏が文部省が偽書と判断した
からだと主張したからだと思います。
宮地氏の最初の表明、というのは 6 月の記者会見の内容のことです。この時には
白旗書簡が偽文書と力説する一方で、白旗自体にはほとんど触れなかったらしいので、
当然白旗も存在しないと思った人が多かった、とのこと。毎日新聞の岸記者もその
一人でしょう。
これは時間の限られる記者会見では仕方なかったのかもしれません。白旗の存在
を認めてしまったら、当然それは「降伏を意味するのでは ?」という質問が出てきて
「いや、降伏ではなく和睦を意味するのです」と反論しても、記者たちには「それは
タテマエでペリーの意図としては降伏を強要することにあったのでは ?」みたいに
受け取られたりしたら、記者会見が台無しですからね。
171 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:13
秦は当初、宮地の言を信用していたと書いていた。
それが教科書採択で惨敗してから、
日本史研究者など基本的に信用できないと喚きだした。
負け犬が自己保持のために、「世の中全体がおかしいのだ」と
ほざいているということだな。
172 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:26
キチガイ低能反日偽善売国奴の馬鹿は逝ってよし。
173 :
日本@名無史さん:01/12/29 22:01
秦郁彦によれば、トルコはアジアじゃないらしい(藁
>>171 あんた知らないの?
秦は採択前から白旗書簡のこと言ってる。
>>173 普通にあの文章読む限りでは、トルコ大使館の人間はアジアと考えてないと読めるが?
しばらく書けないので頑張ってかいてみます。
>「訳」ですか ? 原文は 前田夏蔭読之 なので、読んだだけでは。
>無知で申し訳ないのですが、皇朝古体文辞というのは、専門家でないと
>読解できない代物なのでしょうか ?
わかりません。文字通り「読んだ」にしても国学者が読んだということに
当該史料ではなっていますから。
>秦氏によれば、前田夏蔭は、水戸斉明に仕えた国学者だそうですが…。
この時幕府がアメリカ側の文書の翻訳者として任命された中に入っていないということです。
(ちなみに、その任命もオランダ語と漢文の訳者しか任命されていないそうですが)
存在してないなんて書いてませんよ。
(もしかして秦氏がいったのはこっちの前田のことだったんですか?宮地氏が存在しないと
言っている前田肥前守の方なのですが)
>意味がよく分かりませんが、既に開国を決めた状況で、何に使うのでしょうか。
『高麗環雑記』の記述を信頼する論ならば、この書簡が幕府の中枢に関わる人達の間で
残っていないのは奇妙ですし、交渉だって一度きりで終わったわけではありませんし。
そういうことだろうと思うのですが。
>ちなみに、白旗と書簡は安政 6 年の江戸城火災で消失してるそうです。
これは知りません。ていうか、それも伝説からではなかったでしたっけ?
『高麗環雑記』は宮地氏は「風説留」とされてます。(「風説留」=良質な
史料ではない、という意味ではないことはご了承下さい)
松本氏などは小姓の日記を下級幕臣高麗環が写し取ったという見解
らしいですね。どちらが正しいのかはよくわかりませんが、小姓の日記を
下級幕臣が現物を見ながら写し取るということが可能なのでしょうか。
しかも史料名も写した方の人物の「雑記」という名称ですし・・・
(しかし「第一級のコレクション」という言い方は何だかなあ・・・骨董屋
みたいだと思うのは私だけ?)
ちなみに史料そのものは良質なものでも、その中に書いてある個々の内容が
全て信用できる事実が書かれているとは限りません。
史料の中の「○○というものがあったそうだ」という○○まで信頼できる事実
であると判断できるなどということはありませんし。
>『白旗を建て参りくれ候えば、鉄砲は打ち掛け申す間敷段…』
これが述べられた事実については宮地氏も認めていることだと思います。
>大日本古文書の質に触れているのは、大日本維新史料に白旗書簡が掲載されなかった
>背景、理由が不明 (特に言及されてない) なのに、宮地氏が文部省が偽書と判断した
>からだと主張したからだと思います。
これは宮地氏も「個人的な推量」にとどめていることなので、何とも言い難いですが。
にしても秦氏は、藤井甚太郎が『大日本古文書』を信頼していたと書いて、それな
らばなおさら当人が編纂した際に『大日本古文書』の史料を落としているというこ
とどう説明しているのでしょうか。
編纂のための調査が白旗文書の真偽判定の為の調査ではなかったことは言われなく
とも当然のことであって、編纂者が信頼を寄せる史料集の史料を掲載していない
理由を説明したことにはならないと思うのですが。
178 :
日本@名無史さん:01/12/30 01:52
それから、秦氏や宮地氏を批判する人達が何を考えているのかわかりませんが
宮地氏はじめ研究者もアメリカが心底友好的に和睦を求めてきた、などということを
思っている人はほとんど(全く?)いないと思います。
江戸時代が終わった要因の一つには外圧による鎖国の解除も考えられているはずですし、
それなのに、アメリカが全く威圧的な態度もなしに日本に接してきたなどと考えている訳
はないです。
以前右系の人の言説を見たときに、歴史学者はそう考えていると本気で思っているような
人がいましたので、これだけは言っておきます。
(まさか秦氏もそのように思っているなどということはないと思いますが)
存在する根拠が乏しい怪しい史料は極力使用しない方が妥当だと思いますし、教科書
ならばなおのこと。そんな史料にこだわらなくともアメリカの砲艦外交については
充分論じることができるはずです。
宮地氏の論説は、むしろつくる会側にもヒントにさえなりうるものだと思います。
白旗書簡にこだわらなくとも、宮地氏の論説のようなものをもっと深めて考えれば、
当時の世相などを絡めて黒船来航時の日本をもっと重厚的に考えることができると思
うのですがね。
終了
180 :
日本@名無史さん:01/12/30 10:39
秦郁彦擁護派がこのスレを終わらせたがっているな。
よってage
181 :
日本@名無史さん:02/01/01 23:07
宮地は日共のくせに、反米感情を戒めるような発言をするのは許せん!
182 :
日本@名無史さん:02/01/02 10:02
>>181 結局、日共の連中は組織が躍進し自己主張が通りさえすれば、主義主張など
どーでもいい、大衆を愚弄するデマゴーキ、クズばかりなんです。
>>173 日本の外務省のホームページの分類だとトルコはアジアには含まれていない。
「中東」に含まれている。
よーし、パパ内ゲバしちゃうぞー
185 :
日本@名無史さん:02/01/02 22:25
>>135の解釈がまぁ妥当なところだろ。
今回は、誤解を与え突け込まれるような文章書いた宮地さんが悪いのでは?
186 :
日本@名無史さん:02/01/02 23:52
秦も書いてたけど白旗ネタを
「つくる会」教科書批判の「目玉」にする
宮地のセンスがワカンネエ。
187 :
日本@名無史さん:02/01/03 06:48
秦さんをつくる会のごとき屑連中と一緒くたにするとは…(怒
188 :
日本@名無史さん:02/01/03 06:59
って秦は同会のメンバーですよ。
秦の著作と会の主張は全然くい違うので、
いったいなにを考えてるんだっていう疑問も出てくるよね。
おれは、その点に関する秦の説明を聞いたことがないが、
整合的に説明してほしいところ。
189 :
日本@名無史さん:02/01/03 07:15
187ははからずも、秦=屑ということを認めたことに(以下略
190 :
日本@名無史さん:02/01/03 17:07
>>185 135以後のやりとりを鑑みてそういう結論になるのはちょっと理解できないので
よろしかったら説明していただければうれしいのですが。
今までやりとりさせていただいた感想を言えば、秦氏の宮地批判には意味がよく
わからないことも多いです。もちろん、専門の人でないと判断できない部分も
ありますが、どちらかといえば秦氏の誤読(失礼ですが意図的に読者に対して
そう読めると書いているようにも。)の方が強いようにも思います。
191 :
日本@名無史さん:02/01/03 20:32
>190
自分で『諸君』記事読んで意見を述べてみたら?
192 :
誰が誰だか??:02/01/03 21:59
q
193 :
日本@名無史さん:02/01/03 23:09
そもそも、宮地がさもペリーが白旗を渡したことが
無かったとでも言うように、あいまいな物言いをし
大々的に記者会見を開いて
作る会の教科書をいんちき呼ばわりしてるんだから
この時点でまともな論争など無理。
しかも宮地は、松本と論争するのが目的でなく
作る会をつぶすのが目的だって言ってるんだぜ。
明らかなデマゴギーの垂れ流し。
>>188 秦郁彦教授はつくる会発足時の賛同者の一人となっただけで、会の
メンバーとはなっていません。
195 :
日本@名無史さん:02/01/04 00:10
なんか議論が繰り返しになってるが...
作る会の教科書p.176には「ペリーは、大統領の国書とは別に、白旗を2本、
幕府に渡していた。それには手紙が添えられ(以下内容)」とある。
宮地氏はその手紙が明白な偽文書であることを実証した。でも白旗を渡した
ことを否定したわけではなく、むしろその事実から偽文書が作られた可能性
も指摘しているらしい(この辺は読んでない)。宮地氏の偽文書の実証は
秦氏の批判で崩れるとは思えない。でもアメリカの「砲艦外交」は事実で、
宮地氏も否定していないんだから偽文書なんか引用してボロを出さなくて
も良いものを、やっぱ作る会の教科書の執筆者はド素人のDQN。
と言うことで、終了。って終わらないだろうなあ。
197 :
日本@名無史さん:02/01/04 00:26
無知
素人の定義が「無知」ねえ(藁
199 :
日本@名無史さん:02/01/04 00:32
宮地
「史実をめぐって松本と論争するつもりはない。『新しい歴史教科書』を
潰すことが目的なのだ」
200 :
日本@名無史さん:02/01/04 00:33
>195
素人が「ド素人のDQN」なんて言葉を使っちゃいけないよ。
>>195 宮地が言ってる「友好的」っていうのはどう説明するのさ?
202 :
日本@名無史さん:02/01/04 00:56
だからさあ、「我々は友好的に迎えいれようとの趣旨の発言」ってのはどのことをいってるわけ?
質問の意味がわからん。
だからあ、どの史料に「我々は友好的に迎えいれよう」ってのが出てくるの?
俺はさ、あの時代(近世?近代?)の専門じゃないけどさあ、
「白旗」が「友好的」っていう説明がいまいちピンとこないんだよね。
そういう例は他にもあったのかな?
>>205 それは原文に当たらないと分らんからまたいつか。別にアメリカ側の発言
に友好的という言葉があろうと無かろうと関係ないと思うが。
もう寝るから補足しておくと、作る会の教科書が偽文書のペリー書簡を引用
したからと言って、執筆者が『大日本古文書』の使い方も知らんドキュンだ
とは思うが、別にそれが反米感情を煽り立てるとは思わん。宮地氏が反米感情
を煽る記述だと批判しているなら、それは政治的だと思う。
俺は松本健一が言ってるように、あれは「降伏」する際に使うもんだと思う。
まあ、あんまり興味あるわけじゃないけど。
209 :
日本@名無史さん :02/01/04 01:34
民青出身の宮地先生を批判する反動右翼が集るスレはここですか?
210 :
日本@名無史さん:02/01/04 12:21
民青出身というより、現役共産党員でしょ?
>>208 アメリカ側の艦船や測量船にも白旗がつけてあったそうですが・・・
212 :
日本@名無史さん:02/01/04 14:33
アメリカでは白旗は「友好」のシンボルだったんだろうか?
213 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:13
ただダマしただけじゃないか。
幕府には白旗を友好の印として説明しておいて、だまされた幕府の使節が
白旗を持って来ると、「日本をついに降伏させました!!」と本国に報告する。
ってほんとかいな。
214 :
保守派さん:02/01/04 20:32
その論法を使えば
「大化2年に改新の詔が出された」とか「文治元年に頼朝に全国に守護地頭を設置する権限が
与えられた」と書いてある1960年代以降の教科書の執筆者はみんな「ド素人のDQN」というこ
とになるね。
そのレベルの"間違い"を記者会見までひらいて政治的に批判した宮地
正人は歴史学者として恥じて死ぬべきであろう。
215 :
保守派さん:02/01/04 20:33
216 :
日本@名無史さん:02/01/04 20:40
共匪は、みなごろし。
217 :
日本@名無史さん:02/01/04 20:49
>>214 今どき「大化2年に改新の詔が出された」とか「文治元年に
頼朝に全国に守護地頭を設置する権限が与えられた」と、注も付けず
に書いてる現行教科書があったら教えてほしいね。
偽文書を教科書に引用するのとは全然レベルが違う問題だけど。
教科書出すこと自体政治的意図からのくせに。
「政治的」なんて理由で批判を批判できると思ってるの?
219 :
保守派さん:02/01/04 22:36
>>217 単なる記憶で申し訳ないが、80年代までの中学教科書ではその手の記述
ざらにあったと思うが。
試みに今手元にある1981年の山川の高校日本史教科書を見ると"いわゆる改新の詔"
については「翌646(大化2)年には,政府は4ヶ条からなる改新の詔を発した・・・(5行
略)・・・「日本書紀に記されているこの詔には,のちの令の文によって修飾されたと思
われる部分もあるが」とあるだけで「郡評論争」などへの言及はなし。同じページ
に『日本書紀』の改新の詔が引用されているがどこが修飾と疑われているかの註記は
ゼロ。
"守護・地頭"は「・・・朝廷に迫って諸国に守護・地頭を任命する権利・・・」と本文にあ
って註記はなし。
山川の高校日本史教科書ですらこうならば当時の中学教科書の表現はおおよそ見
当がつくのでは?
で、宮地氏が"歴史学者として"明らかにしたのは「大日本古文書幕末外交関係文書
之一の史料119号にほぼ逐語的に対応する原本は存在しなかった可能性が極めて高
い」ということであろう(この"推論"は"客観的事実"に極めて近いと私も思う)。
しかし「大日本古文書幕末外交関係文書之一の史料119号が作られるきっかけになっ
たペリーの"手紙"が存在した可能性」は否定し切れてない。むしろ宮地氏は「白旗そ
のものの存在」や「口頭による恫喝があった可能性」は肯定している。
問題の扶桑社のコラムでは別に「大日本古文書幕末外交関係文書之一の史料119号に
ほぼ逐語的に対応する原本」の引用などしていない。単に白旗を使って恫喝したとい
う手紙があったことを述べているだけである。
「日本書紀に載っているような改新の詔そのものの文章が現実に大化2年の1月
に出された可能性はほとんど100%ありえない」「しかしこのころ律令国家形成向
けたプログラムが発布された可能性は強い」
「吾妻鏡に載っているような文治の守護・地頭の勅許がなかったことはほぼ確実であ
る」「しかし文治元年の12月に鎌倉幕府の守護・地頭制度の基盤となる重要な文書が
朝廷から頼朝に与えられたこともほぼ確実である」
「大日本古文書幕末外交関係文書之一の史料119号にほぼ逐語的に対応する原本は
存在しなかった可能性が極めて高い」「大日本古文書幕末外交関係文書之一の史
料119号が作られるきっかけになったペリーの"手紙"が存在した可能性はあるし、
口頭での恫喝が行われた可能性は高い」
↑の三つを比べれば扶桑社の教科書のコラムが「旧石器捏造事件」と比較して批判
されなければならないものとはとても思えないが。あのような素晴らしい論文を書
く宮地氏は自分の行動を省みて恥ずかしくないのだろうか?
流れを無視するレスですまんが(サゲときます)、
1が言及している伊藤隆に関することで1つ。
伊藤隆編の『日本近代史像の再構築』を見たが、
例えばパル判事に関する論文は、
田中正明のような「日本無罪論」とは全く隔たった論旨だった。
パルの特殊な立場を浮かび上がらせたもので、
むしろその限界を指摘しているように読めた。
この本には劉傑も書いているし、
若手歴史系研究者の中のコアな「伊藤派」なんて、
ほんとに限定されるんだろうなと思った。
秦とは関係ないのでサゲ。
221 :
日本@名無史さん:02/01/04 23:26
>>219 問題にしているのは現行教科書だが、20年前でも改新の詔が後世の改変
を受けている可能性を指摘しているし、「朝廷に迫って諸国に守護・地頭を任命
する権利」という記述も「全国」とは言ってないし、別に間違ってはいない。
すぐ論点がそれてゆくが、教科書に偽文書を引用したことを批判している。
偽文書のもとになった文書が存在したかどうかなど、問題ではない。
222 :
日本@名無史さん:02/01/04 23:27
>>220 伊藤隆は最近、後任となった門下生の野島陽子氏にも無視されているよ。
ホームページを見ても、野島氏はアンチ「伊藤派」では?
それに野島氏も民青出身だしね。思想問題で民青をやめたわけでもないし。
>>219 大袈裟、戦闘的というのは、コヴァ一派の話の展開のさせかたじゃないの?
秦にもそのような傾向がかなり強い。
伊藤隆も論文では少ないが、座談会になると「共産党が太平洋戦争を起こした」式の
かなり無茶なデフォルメをしている。
この手合いと論戦するのなら、仕方ないんじゃないの?
>>221 「偽文書」ではないって松本健一とか三輪公忠とかが言ってるわけでしょ?
宮地の論稿読んだけど、「偽文書」だと断言できるとは私には思えないなあ。
225 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:08
松本は白旗が降伏を意味することを日本に伝えたのは
ペリーが最初だったと主張している(『白旗伝説』)。
「一八五三年の時点で、日本人はまだ、
白旗が降伏のメッセージであるという
国際法的な取り決めを知らなかった」とすれば
幕府側にペリー書簡の記録が残されなかった理由や
斉昭が重大視しなかった理由も説明がつくように思う。
この点について宮地は何か言及しているのだろうか?
>>219 80年て・・・20年前の話ですか・・・
>>225 宮地・秦どちらかの文を読めばわかると思いますが
白旗に関する文書は白旗のことだけが記してある文書ではないです。
渡した文書の目録なども記してありますから
そのような理由のみで
>幕府側にペリー書簡の記録が残されなかった理由や
>斉昭が重大視しなかった理由も説明がつくように
とは思えません。
あと、アメリカ側も白旗を掲げていたという事はどうなのでしょう?
228 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:24
229 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:25
>223
野島陽子氏のHPで
アンチ「伊藤派」的記述が
ある場所を教えてください。
230 :
日本@名無史さん:02/01/05 02:03
白旗が「降伏」を意味することを
ペリーが知らなかったとは考えられない。
やはり軍事力を背景に極めて強圧的な外交を
していたのだと考えるのが筋じゃないかな。
宮地がいうように測量船や黒船に白旗が掲げられていたのも
「和睦」「友好」といいながら実質的な「降伏」を
受け入れさせるロジックを組み立てていたからでは?
232 :
日本@名無史さん:02/01/05 02:21
>>231 宮地氏のものを読んでどういう部分でそのように感じるかと訊いたのですが。
宮地氏のものをよんで、このスレッドも読んでるのですよね。
>>232 宮地氏言ってる「疑問符」は位置が問題だと思う。
それに、「原文がない」というのは、三輪さんの反論の方が
説得力あるように思える。
歴史学的に論理的なのか科学的なのか知らんが、
宮地のサイトはサヨ丸出しだったの。
謝罪がどうだの、共生社会がどうだの。
別にサヨが悪いわけじゃないが、こーいう
人間はちょっと引くね。
235 :
日本@名無史さん:02/01/05 09:57
>>233 位置が問題って、『大日本古文書 幕末外国関係文書』の凡例に「其疑ハシキ
モノニハ(?)ヲ附セリ」とあるんだろう。
>>134によれば、秦氏は「凡例」
の意味も知らんらしいが。
236 :
日本@名無史さん:02/01/05 10:29
>>233 「あるように思える」て言われても。
以前秦氏の論を説明して宮地氏の論についても云々言ってくれた人みたいに
ちゃんと説明して下さいよ。
>>234 君にひかれるなら本望かもな。
サイトの主である「歴史学研究会」も。
日本大学法学部秦ゼミのホームページの人達、頑張って
上智大名誉教授三輪先生も秦先生のお友達だもんね
三輪も能天気な「大東亜会議」賞賛者で、素人目にも痛い人に思えるのですが。
240 :
日本@名無史さん:02/01/05 13:27
以前、松本と大江が論争したときの
両者の論文はどこに発表されたの?
誰か教えて。
>>236 説明も何も、松本氏と三輪氏に指摘されている通りだよ。
わざわざ同じことを書かせないでくれよ。
242 :
日本@名無史さん:02/01/05 18:45
>>223 禿しく同意。
権力にすりよる秦、伊藤一派を粉砕するために手段を選ぶ必要はない。
>223
その「座談会」ってどこの?
何かに載ってますか?
245 :
日本@名無史さん:02/01/05 19:20
秦のは読んどらんが、「疑ハシキモノ」が偽文書を指すのは
史料集の常識。部分的にあやしい場合は(ママ)を付ける。
こんなことは史学科の学部生でも知ってる。
ママって、おかあさんじゃないよ。
>>245 そうじゃなくてさあ、「日付」があやしいってことじゃないの?
秦教授が言ってるのはさ、「?」の位置から考えると、「?」は史料全体
にかかってるんじゃなくて、その一部分に適用されているんじゃないかっ
て言ってる訳でしょ。宮地教授は「全体」に適用されると言ってるようだけど。
私もよく知らんけど。
248 :
日本@名無史さん:02/01/05 19:29
>>246 実在しない年号など、日付があやしい場合にも(ママ)を付ける。
249 :
日本@名無史さん:02/01/05 19:34
>
>>247 だから凡例に「疑ハシキモノ」に?を付けるって書いてあれば、
史料集の編者が場所によって記号の意味を変えることはありえない。
「其疑ハシキモノニハ(?)ヲ附セリ」ってあって、「六月九日(?)米国使節〜〜」
ってあるわけでしょ。四日説や七日説なんかがあるから、九日の下に編纂者が(?)
をつけたんじゃないの?
251 :
日本@名無史さん:02/01/05 19:43
秦教授によれば、他にも(?)が出てくるのが結構あるらしいよ。
例えば、「六月七日(?)通弁官ポートマン覚書(?)」とか、
「浦賀奉行(?)久里浜警固人数の件」とか。そうして考えてみても
(?)は部分に適用されるのであって、全体ではないんじゃないかと。
253 :
日本@名無史さん:02/01/05 19:45
「ママ」って当時から使ってたんですか?
「ママ」も何も、「六月九日(?)」っていうのは、編纂者が記入したんでしょ?
編纂者は日付が怪しいから、とりあえず国書交付の日付の「九日(?)」としたんじゃ?
まあ、宮地氏の対応を待ちましょうよ。
257 :
保守派さん:02/01/05 22:31
>>221 あのね。一連のスレをよく読んでね。論点をずらし続けるのはどっち?
>>137 1.『扶桑社の新しい歴史教科書176ページ』
>「幕府が国書の受け取りを拒絶できなかったのはなぜか。
>それには手紙が添えられ、「開国要求を認めないならば
>武力に訴えるから防戦するがよい。戦争になれば必勝する
>のはアメリカだ。いよいよ降参というときにはこの白旗を押し立てよ。
>そうすれば和睦しよう」と書かれてあった。」
↑ここのどこに「偽文書が引用」されているの?
それから俺の方も前言撤回。
>>219 |で、宮地氏が"歴史学者として"明らかにしたのは「大日本古文書幕末外交関係文書
|之一の史料119号にほぼ逐語的に対応する原本は存在しなかった可能性が極めて高
|い」ということであろう(この"推論"は"客観的事実"に極めて近いと私も思う)。
宮地氏の実証が成功しているのは、119号文書の参考史料である「嘉永癸丑浦賀数
条」が明白な偽文書である。ということだけ。119号文書そのものについては"疑わし
い"という程度。いわんや「白旗書簡」ないし「白旗メモランダム」は宮地氏の論考
を素直に読めば実在する可能性が高いのではないか?
だから、「あのような素晴らしい論文を書く宮地氏」という評価も撤回する。過去の
業績はともかく白旗関係の仕事は全く評価できない。実証主義が聞いて呆れる。
☆現段階での私の感想は、
1 ペリーが白旗を日本に渡して恫喝を行ったことが事実である可能性、
99.99999・・・・%
2 白旗の趣旨を記した何らかの文書が浦賀奉行にあり、それが大日本古文書幕末外
交関係文書之一の史料119号の素材となった可能性、
95%以上
3 2の「何らかの文書」がペリーからの正式の書簡であった可能性、
50%前後
4 3の「ペリーからの正式の書簡」が「嘉永癸丑浦賀数条」が語るようなやり方で
翻訳された可能性、 0.000・・・1%
☆で現段階での私の結論。
1および2からだけでも扶桑社のコラムは書けるし、なんら問題はないと考える。
以上
258 :
日本@名無史さん:02/01/05 22:37
>>257 引用されているよ。「」内は、次の原文の意訳でしょ。
依ては通商是非是非希ふにあらす、不承知に候べし、此時ハ時宜に寄、干戈を以て
、天理に背きし罪を糾也、其時は、又国法を以て、防戦致されよ、必勝ハ我にあり、
敵対兼可申歟、其節に至て、和降願度候ハハ、予か贈る所の白旗を押立示すべし、
即時に砲を止め艦を退く、此方の趣意如此、
259 :
日本@名無史さん:02/01/05 22:46
>>257 >↑ここのどこに「偽文書が引用」されているの?
とんだ屁理屈。だったらこの資料を使った秦氏の論も
的はずれってことになる。
260 :
日本@名無史さん:02/01/05 22:55
>>241 あいにく近所の本屋は小さいもんで、本も置いてなかったです。
買う気はしませんし、ここ見てる人の勉強にもなると思いますし
指摘箇所くらい説明してくれませんかね?
261 :
日本@名無史さん:02/01/05 23:09
あとここでの白旗扱いに関して単純に疑問
アメリカも自ら旗艦や測量船に白旗掲げたりさせたということはどう考えるのでしょう?
単純に「この白旗は降伏ではなく和睦の印」とアピールすること以外に
何の意図があったのかな?て思ってしまうのですけど。
当時白旗は降伏の印と認識されていたそうだけど、だからこそ「白旗は和睦の
(軍使の)印」という意図を伝えようとしたのでは?と思ってしまう。
「そうやってアピールして、実は日本を騙すつもりだった」というのも、よくわからない。
それならどうして自分(アメリカ)の方から白旗掲げていたのでしょう?
白旗の意味を知らない日本を騙して白旗掲げさせて降伏の形を取らせた
としても後になれば結局ゴタゴタしますよね。その時には武力使うこと
になるだろうし。そんな遠回しのまどろっこしい方法使うかなあ?
さらに言えば、アメリカは本国からはそういう方法禁止されてたんですよね?
騙した後で日本とゴタゴタしたら、本国から詰問されるだろうし・・・
なのにわざわざ使うって・・・
詳しい人お願いします。
>>260 「疑問符」の話はもう出てるから省略するとして、
日米双方に「原文」がないとする宮地氏の論には、三輪さんが反論してる。
威嚇によらぬ方法で開国させるように大統領から命を受けていたため、公式報告書に
書簡の記載をしなかったということが三輪論稿に書いてある。
ちなみに、日本側にないのは、例の安政6年の江戸城火災で無くなったとされる。
264 :
日本@名無史さん:02/01/06 00:43
>>255 その通り。
『幕末外国関係文書』第一巻の目次には、
「六月九日(?)米国使節ペリー書翰─我政府へ白旗差出の件」
とあり、疑問符(?)は日付の部分に付けられている。
しかし宮地は、この疑問符は日付ではなく史料全体に対して
付けられたものであり、白旗書簡は偽文書である、としている。
では、他に疑問符(?)の付いた箇所はどうなっているのか?
一つ例を挙げてみる。
「六月七日(?)通辨官ポートマン覚書(?)」
宮地の言うように、日付の後の(?)が全体に対してのものだと
すると、もう一つの(?)はいったい何に対してのものなのか、
説明できなくなる。
265 :
日本@名無史さん:02/01/06 00:52
>260
詳しい事情については分らないから
推測する以外ないわけだけど・・・、
逆にこう考えてみたらどう?
どうして当時の国際法上の常識として
「降伏」を意味するはずの白旗をわざわざペリーが
「友好」の印と称して自分の艦船に掲げていたのか?
武力行使をちらつかせながら強引な交渉をしていた状況証拠からみて
どう考えてみてもペリーの姿勢が「友好的」だったとはいえない。
世界史的にみても
これは「保護」を大義名分に列強国が弱小国を
植民地化していったときのやり口によく似ているのでは?
266 :
宮地先生、論争してくれ(w:02/01/06 01:05
朝日新聞が宮地―松本論争をやってみたらと思いつき、
宮地氏に打診したところ、
「史実をめぐって松本と論争するつもりはない。『新しい歴史教科書』を
潰すことが目的なのだ」
という理由で断られた。
267 :
日本@名無史さん:02/01/06 01:52
>>263 それについてもコメント有ります。
このスレッドでも書かれてます。
反応がなかったので、よかったら代わりにお願いできますか。
>>266 何度も出てるけど、それは何処のソースなの?
宮地氏がどこかで書いてるんですか?対論を持
ちかけたらしい記者が書いてるんですか?
268 :
日本@名無史さん:02/01/06 01:55
>>260 あの、友好の印としてではなく和睦の印を示すと書いてるのです。
強引な交渉だったから云々は既に踏まえての疑問ですので、
その答えでは意味がわかりません・・・
>>261の、特に「?」部分に注意してまとめてお答えいただきたく・・・
269 :
日本@名無史さん :02/01/06 02:36
>>267 >>266は、『諸君!』2月号で秦が書いてるよ。
出所は8月16日の産経新聞で松本健一が書いてるやつ。
ちなみに朝日新聞からも宮地からも訂正要求はない。
271 :
日本@名無史さん:02/01/06 02:52
>>270 ていうか・・・スレッド読んでくれればそれに関連する件について
宮地氏がどういう見解かわかると思うんですが。
272 :
日本@名無史さん:02/01/06 02:55
>>269 産経新聞に当の松本が書いている記事なんて信用できるか。
あほらしくて訂正要求もやっとれん。
>>268 確かに「?」の使い方は実際にどうなってるか、『幕末外
国関係文書』を確認してみる必要はあるな。
すまん、
>>268は
>>264の誤り。
別に史料集の編者がどう考えていたかなんて問題じゃなくて、
自分で判断することなんだが。
274 :
日本@名無史さん :02/01/06 03:05
>>272 朝日新聞が宮地、松本両氏に論争を持ちかけたんだよ。
それで、松本はOKして、宮地の方は断ったんだよ。
だいたい、松本がデタラメ書いてたら、朝日新聞が鬼の首を
取ったように批判するだろう。
君はそれぐらい分からないの?
275 :
日本@名無史さん:02/01/06 03:10
>>274 >朝日新聞が宮地、松本両氏に論争を持ちかけたんだよ。
そのソースは松本氏側にしか無いわけだろう?
たとえ真実としても、「『新しい歴史教科書』を潰すことが目的なのだ」
なんてどうやって聞いたんだ?
>だいたい、松本がデタラメ書いてたら、朝日新聞が鬼の首を
>取ったように批判するだろう。
そんなこたあない。誰も信じないような記事をわざわざ批判する意味は
ない。
276 :
日本@名無史さん:02/01/06 03:16
>>269 白旗云々の説があるのは知っていたけど教科書に載るまでは
放っておいたそうですから、関わり合いになるのを避けているの
かもしれないですね。
教科書に偽文書を引用したことを問題視しているので
白旗が云々という話で、松本氏などが納得できないなら
それはそれで従来通り唱え続ければいいんじゃないの、
という意図なのかも、と思います。
(例えば、2ちゃんねるに自分の研究範囲に関わるスレッド
があっても、誰かがネットでいい加減な説を流していたと
しても、自分は議論に参加して説教してみようなんて気は
さらさら起きない、というような気持ちに似てるかも。)
まあ宮地氏がそういう意図なら、対論をしないから逃げた、と
言っても宮地氏にはあまりダメージにならないと思いますよ。
松本氏なども、反論したいならいくらでもそれを伝える媒体
を持ってる人なんですから。あんまり対論にこだわらなくても。
277 :
日本@名無史さん :02/01/06 03:16
阿呆とやりあっても無駄なのか。
>>273 一般論としてはそのとおりで明治時代の史料編纂官がどう判断していたか?
などということは1853年夏に何があったか?ということとは直接の関係は
ないが、宮地さん自身が明治の史料編纂官や大正・昭和戦前期の史料編
纂官の"選択"を自説の根拠の一つにしているのだからねぇ。
>>274 別に宮地さんを弁護するつもりはないが「今教科書問題で忙しいので
松本さんには申し訳ありませんが、今回は公開論争は遠慮させていた
だきます」と言ったというようなことが、松本氏や朝日の記者には悪意
に受け取られたという可能性はある。
ちなみに松本健一も反体制カルチャー出身だから朝日の記者に人脈も
シンパも持っているはず。
しかしこういう状況で公開討論を拒否すればどんな風に誤解・曲解されよ
うと自業自得だし。宮地さんも汚名を被ることは覚悟の上で修羅道を歩んで
いるのだろうなぁ。
>>274 別に宮地さんを弁護するつもりはないが、
>>271 今ちょっとログ読んだけど、白旗書簡を示す史料が怪しいっていってるだけでしょ。
少なくとも、「偽文書」だと「断言」するのは私には無理だな。
280 :
日本@名無史さん:02/01/06 03:21
>>279 ですから・・・その根拠を・・・
オランダ語の文書については?
皇朝古体文については?またそれを読んだという国学者については?
281 :
日本@名無史さん:02/01/06 03:29
白旗の存在は宮地も認めてるわけだ。
論点は「白旗書簡」が偽文書であるかどうかだ。
282 :
日本@名無史さん :02/01/06 03:34
一ヶ月交代で論争されても面倒だよね。
直接会って、対談してもらう方がどっちが勝ちかなのか判り易い。
>>280 ログに挙がってるけど、
S.W.ウィリアムズ、仙太郎(元漂流民)、乾忠助(仙台藩士)ら、日本語ができた
連中がいた可能性があるらしいじゃん。
284 :
日本@名無史さん :02/01/06 03:41
>>280 だからそれら119号の付録が全部偽物でも白旗書簡の真偽判断にはほとん
ど影響ゼロでしょ。
285 :
日本@名無史さん:02/01/06 08:19
歴史学から政治性が除去されない限り学問とは言えないな。
286 :
日本@名無史さん:02/01/06 09:17
三谷博もつくる会の徹底批判をしていた。
287 :
日本@名無史さん:02/01/06 09:24
そもそも白旗って、軍使が交渉する時にも使うものだからして
イコール「降伏」とは言えないのでは?
289 :
日本@名無史さん:02/01/06 10:47
>>285 あいつ先学期の学期末試験で漏れの完璧な答案に
「可」つけやがった。逝ってよし。
でも講義ではそんなに激しくは批判してなかったと思うけど。
290 :
日本@名無史さん:02/01/06 11:29
>>283 実際につけられていたオランダ語訳がないのは?
皇朝古体文辞って、読んでるの国学者らしいが。
その国学者も翻訳者として任命された形跡がないらしいが。
>>284 付録って?これら目録は119号の内容なんだけど。
291 :
日本@名無史さん:02/01/06 11:41
>>288 そう、それ、思ったんですよ。
一般的に白旗が降伏というように捉えられていたというのは
わかる気がするのですが、後の国際法でも一応「軍使」の印
が白旗なんですよね。そりゃ「交戦中の」敵方に対して、自
ら軍使を出して交渉するということがどういうことか、と
いうのはありますが、黒船にかかるこの件の場合、そういう
状況じゃないよなあ、と思ったんです。アメリカ側も自ら
白旗掲げていたようですから。
だから、(日本は鎖国政策をとっているのを)アメリカが威圧的に
和睦をつきつけた、というのは宮地氏も認めていることですが
それに異を唱える人達、つまりアメリカが横柄だったという「騙し
て降伏させるつもりだった」とかの主張のかたに尋ねてみたかった
んです。
そうか、白旗が「軍使」の印だったら別に騙していることにはならないな。
>>213の発言は撤回する。
294 :
保守派さん:02/01/06 21:26
>>268など
おいおい。「偽文書を引用」って例えば"前田肥前守"(藁)部分とか
を"引用"した場合にしかいえないだろう。
「高麗環雑記」や「町奉行書類所収事件書」から"趣旨を採る"ので
あれば、百歩譲ってもせいぜい『二次史料の疑問のある部分に依拠
した』という批判がかろうじて可能なくらいだろう。
で"疑問"が優勢に見えるのも単体で見た場合だけであって「海防愚
存」や「六月四日浦賀米船対話書」とあわせれば別に扶桑社のコラ
ムのように要約することに何の問題もないと思うが。せいぜい表現
の幅・ぶれの問題だろう。
それとも歴史学研究会は「二次史料・編纂物に依拠して書かれてい
る中学教科書の記述の当該部分すべて語尾を推量形にするか註を付
けるように検定で厳しくご指導下さい」などという請願決議案を可
決するつもりなのだろうか? これではレミングの集団自殺ではな
いか。オメデテーナー。ほんとうにそれでいいのか宮地を小一時間
ほど問いつめたい。
>>290 >朝古体文辞って、読んでるの国学者らしいが。
>その学者も翻訳者として任命された形跡がないらしいが。
意味がよくわからない。ペリー側に日本語を書ける人物がいたかってことでしょ?
ペリー側のその日本語文書を読んだのが前田某だって話じゃないの。
浦賀奉行日記にある「事平之用向」があれば「白旗を揚げ」て、
ってところからみると、少なくとも「友好的」というよりは
「降伏」あるいは少なくとも「和睦」って感じがするねえ。
297 :
日本@名無史さん:02/01/06 22:18
優良スレage。もっとみんなによくわかるように大々的に論争して欲しい。
「翻訳者」として「任命」って、その辺の事情はよく知らんけど、
ペリー側が「皇朝古体文辞」で書簡を持ってくるとあらかじめ予想してて、
「皇朝古体文辞」の「翻訳者」を任命してたってわけではないでしょ?
だいたい、「皇朝古体文辞」の「翻訳者」に任命された人っているの?
なんだか、関係者のうちで読める人が読めばいいだけのような気もするしさ。
一応日本語なんだから。
299 :
保守派さん:02/01/06 22:27
「皇朝古体文辞」ってどんな文体なの?
専門の人、頼むわ。
301 :
日本@名無史さん:02/01/06 22:53
302 :
日本@名無史さん:02/01/07 00:52
>296
同意。
鎖国を理由に開国を拒否する日本にとって
軍事力に屈して国書を受け取ることが
事実上「降伏」を意味したことはペリーにも分っただろう。
だからこれまでの白旗の意味についての議論を総合すると、
「日本が降伏して国書を受け取るのならば、
軍使の印として白旗を掲げてその旨を伝えて来い」
ということになるだろう。
303 :
反動派さん:02/01/07 03:38
>保守派さんとやら。
どこのどなたかとんと見当も付きませぬが、なにやらあたななりの正義感
というか怒りに基づいて発言しておられるご様子。
それほど筋を通すのがお好きならば、それこそ堂々と学会で宮地氏を
攻撃されては? 匿名ネットでいくらきれい事をならべても良くて単なる
井の中の蛙、悪くとれば、学閥や人脈のしがらみで公然と非難すべき
ことを非難せず、蔭で憂さ晴らしをしている学匪のお仲間ということに
なってしまうと思いますが。それでは男がすたりませぬかな?
おっとこれは差別語でしたかな。そういえばいくらネットで男言葉を使っ
ておられても現実にあなたが男性であるとは限りませんでしたね。これ
は失敬。いずれにせよ人間がすたりませぬかな?
304 :
日本@名無史さん:02/01/07 13:07
ああもう、何か書くならせめてこのスレッドの過去ログ読んでリンク先を
確認したり、それくらいの作業してよ・・・
オランダ語訳は、実際にアメリカ側が日本に渡してるの。
なのに件の白旗書簡とかにはそれを渡したことは書いておらず
どこの記録にも載っていない「皇朝古体文辞」の訳を渡したと書いてあるの。
「皇朝古体文辞」は、当時の「古文」。日本の古代の文だそうだ。
古文渡すくらいなら、当時の日本語を何故渡さないの?
305 :
日本@名無史さん:02/01/07 13:17
>>294 303さんが書いてくれてるけど
秦郁彦は何故119号文書に関してつらつらと書いたの?
藤岡信勝も松本健一も、宮地の文に反応してる。
これってどういうこと?
>>296 過去ログ読めば解りますが「友好的に」和睦がなったなどと
宮地氏も書いてません。
306 :
日本@名無史さん:02/01/07 13:23
>>294 宮地氏が存在しないと言った「前田肥前守」は結局存在したの?
ここでのやりとりでは、国学者の前田夏陰の方を宮地氏が存在
していないと言ったと、秦郁彦が勘違いしていたように思えて
しまうのだけど。
>>304 「白旗書簡」のオランダ語訳を渡したって、どの史料で確認できるの?
>>305 宮地氏は浦賀奉行日記を「あなた方が白旗をかかげてやってくるならば、
我々は友好的に迎えいれよう」って解釈しているわけでしょ?
オランダ語訳っていうのは何を訳したものなわけ?
「皇朝古体文辞」っていうのは気になるんだけどさ、時代としては何時代の文体なの?
これってペリー側にいたとされる日本語を解する連中では書けない文体なのかね?
そこをまず確認したいな。例によって、この時代の専門の人頼むわ。
>>306 秦氏によると、前田肥前守は加賀の大名で、何種類の大名辞典にも収録されている実在の人物だそうだよ。
秦論稿を読む限りでは、勘違いはしていないみたい。
311 :
保守派さん:02/01/08 00:16
>反動派さんとやら。
どこのどなたかとんと見当も付きませぬが、なにやらあたななりの愉悦感
というか野次馬に基づいて発言しておられるご様子。
それほどネット遊びがお好きならば、それこそ堂々と学会にディスプレイ
を持ち込みこの板それ自体を揶揄されては? 匿名ネットでいくらきれい事をならべても良くて単なる
井の中の蛙、悪くとれば、ヒマな学匪のお仲間ということに
なってしまうと思いますが。それでは男がすたりませぬかな?
おっとこれは差別語でしたかな。そういえばいくらネットで男言葉を使っ
ておられても現実にあなたが男性であるとは限りませんでしたね。これ
は失敬。いずれにせよ人間がすたりませぬかな?
312 :
保守派さん:02/01/08 00:22
>>303 そんなことは諸君に投稿でもして秦に聞いてくれよ。
岡目八目でいうと必要ないと思うけどね。「この論点については
宮地氏の所説が仮にすべて正しいとしても本稿の論旨には影響
しないのでコメントは省略させていただく」とか。
おそらくはせっかく調べたんだから全部書いてしまったというだけ
じゃないの?
松本と藤岡のは読んでないからしらん。松本はともかく藤岡はなんか
意味のあること書いているのか?
313 :
日本@名無史さん:02/01/08 00:27
>>307 アメリカ側が送ってきた国書はオランダ語と漢文の訳がつけられてました。
これは、実際に幕府がオランダ語と漢文の訳者を任命したらしいので(よ
くしらないけど知り合いがそういっていた。宮地氏の文のうけうりかもし
れないが)裏付けのあることでしょう。
白旗書簡って、どういう文だったか知ってます?
314 :
日本@名無史さん:02/01/08 00:46
>>310 そうですか、ありがと。加賀藩主前田家に肥前守を名乗る人物がちょくちょく
いるのは私も知ってたんだけど。
しかしこの時も「肥前守」を名乗ってたのかな。
ちなみに・・・漢文読むのをを藩主が任命されるって・・・ちと不自然でないかな
315 :
日本@名無史さん :02/01/08 02:20
話は変わるけど宮地氏は「白旗書簡」とされているものは「風説留」に
しか見られないから偽文書だ、という言い方をしてるよね。
でも最近の学会では民間の「風説留」には幕府の機密文書も含めて重
要な文書がたくさん流出しているということで注目を集めている流行研究
分野でないの?
そうすると宮地説とは逆に幕府が正式に公開しなかったからこそ「風説
留」にしか出てこない、という推測の方が流れとして自然なんじゃないの?
だれか専門の方説明お願いしますです。
316 :
日本@名無史さん:02/01/08 04:34
秦は頭が良すぎるが故に、法学部行って、大蔵省に入ったのは正解
だったんじゃないの?史学科に行ったら、すっかり「優等生」として
適応していたかもしれない。
東大史料編纂所の山本正博さんって好きなんだけど、この人も宮地の派閥と
関係あるのかい?色々いるわけですか?
317 :
日本@名無史さん:02/01/08 05:01
歴史学会というのは学会の中でも
特に閉鎖的で非常識で感覚のズレタところのようだな。
そしてその中で、あいつらのコピーが純粋培養され、拡大再生産
されていく。
あんなんが大手を振って、公教育に関わっているのだから困った
ものだ。
御用学者で好き勝手やってるのはどちらなのだろうね。
共産党系が権威で正統な世界とは・・・学会や教育はこいつらにとっ
て最後の砦であり、おいしい蜜であり、最大の公報手段なんだろうね。
一般人の面してんじゃねーって。なにが庶民に立った歴史だよ(w
>>313 「白旗書簡」っていうのは「国書」ではないでしょ?
ペリー側が勝手に出した書簡だと思うんだけど。
>>314 秦論稿によると、家斎の娘を妻にしたときに東大の赤門を建てたと
される人物だとか。
前田肥前守はただ単にその漢文を読んだだけくらいの意味にとって
おけばいいと思うけどね。宮地氏の言うように、「どこにも存在し
てはない」ということになれば話は別だけど。
319 :
日本@名無史さん:02/01/08 12:24
モレは某大学の日本史教員だけど、別に党関係者でもシンパでもないよ。
宮地氏が党関係者なのは本当だろうけれど、立派な学者なのは間違いないし、
厨房から検討違いの議論をふっかけられていると守りたくもなるよ。
少しは素人さんに花を持たせることも考えるけどね。
320 :
日本@名無史さん:02/01/08 12:24
モレは某大学の日本史教員だけど、別に党関係者でもシンパでもないよ。
宮地氏が党関係者なのは本当だろうけれど、立派な学者なのは間違いないし、
厨房から検討違いの議論をふっかけられていると守りたくもなるよ。
少しは素人さんに花を持たせることも考えるけどね。
あらら、二重投稿スマソ。
322 :
日本@名無史さん:02/01/08 17:31
>厨房から検討違いの議論をふっかけられていると守りたくもなるよ。
秦郁彦のことか?
いや、このスレの一部の議論と中傷だけどね。
324 :
日本@名無史さん:02/01/08 21:51
>>312 逆に、あなたはどうしてそんなにつくる会の教科書のことを断定的に
語ることができるのですか?秦氏が説明したものを「必要なかった」
などと断定的に語ることができるのですか?あなたが執筆したんですか?
ついでに、松本氏の反論は見てないです。(すみません『教科書が教えな
い歴史』で白旗伝説が語られた時のことでした)藤岡氏はたいしたこと言
ってないです。
>>315 最新の研究状況は知りませんが、そういうことも言われているのですか。
ですが宮地氏の論では、風説留にしか見られないのはおかしい文書だから
ということも述べられているように思いましたが・・・。
>>317 あなたはそれ程までに歴史学会を深くご存じなのですね。
他分野多くの学会についても造詣が深いらしい。
ありとあらゆる学会の中でも、どんな学会が一番開放的で
常識的で感覚がずれていないのかぜひ教えていただきたいです。
325 :
日本@名無史さん:02/01/08 21:53
>>318 「前田肥前守」について『国史大事典』見ました。
秦氏が述べているのはたぶん金沢藩主前田斉泰だと思いますが
肥前守を名乗るようになるのは慶応2年からだそうです。
ですからこの人物は嘉永年間での前田肥前守ではないようですね。
個人的な見解なので申し訳ありませんが、
国書に付せられていたオランダ語訳がない、
国書に付せられていなかった皇朝古体文辞がある
これが「ペリーが勝手に書いた文」だとしても
どうしてこのような差がでるのでしょう。
わざわざこのようなやりかたをしなくても、国書と同じような訳を
つければいいでしょうに。
ペリーが勝手に出した文書だとしても、内容は日本側との条約締結の
ための交渉に関するものですし・・・
326 :
日本@名無史さん:02/01/09 04:03
講談社の歴史の月刊誌にも白旗の件が出てました。
なんでこっちは叩かないの?
作る会の教科書だから叩くんでしょ。為にする批判。
憎悪に支配されてる
人間には、全てが醜く見えるんでしょうよ。
327 :
保守派さん:02/01/09 06:54
>>324 「岡目八目」って書いてないか? プロ野球球団の経営の内情
なんか知らなくても「あの場面では絶対にスクイズだ!」なんて
日常会話でいくらでも出てくるではないか。
>>315 「風説留」というと一般読者や歴史学者でも江戸時代後期が専門で
なければ、文字のイメージに引きずられて「噂の真相の一行情報の類」
というイメージを持ってしまうことも宮地氏は計算にいれていたでしょう
ね。現に諸君の秦論文を読むと秦氏自身が「風説留」というのが当の
宮地氏はじめ幕末史の研究者によって注目を集めている種類のもので
あることを知らなかったように見えます。秦稿には宮地氏の著書や論文
が列挙されてましたけどちゃんと読んでいないんだと思う。もし『幕末維
新期の文化と情報』などを読んでいたら、それを宮地氏への反論に活用
したはず。
328 :
日本@名無史さん:02/01/09 11:53
おいおい、「講談社の歴史の月刊誌」と教科書を一緒にするなよ。
中学校の授業で使うんだぜ。
329 :
日本@名無史さん:02/01/10 01:31
>>327 >というイメージを持ってしまうことも宮地氏は計算にいれていたでしょうね。
それはかなりの陰謀論でしょう。何故そこまで計算高く悪辣な人物と想像するの?
『幕末維新期の文化と情報』の中の論理と宮地氏の白旗関連文は矛盾しないと思
いますよ。風説留が必ずしも事実を克明に記した物ではなく、ジャーナリスティ
ックな要素のある物だということも書いていたと思うし、第一国書の類などは諸
大名や幕臣に開示したこともあって世間へ広まり風説留などにも記されたという
ようなこと、書いてありませんでしたっけ?(持ってないので忘れた)
だからこそ、宮地氏はこの書簡が幕政に関わる中枢部の文書には見いだされず、
風説留にのみ見いだされるということを論点の一つとされたのではないでしょうか。
330 :
日本@名無史さん:02/01/10 01:32
用事のついでに『大日本古文書』見てみました。
○日付の下の(?)について。
確かに日付の下に(?)がありました。他にも同じ様な例があります。
普通は(ママ)とつける、という意見もありましたが、これはそれもつけられない例です。
文書に月日が記されていませんでしたから。
ですから、編纂側が文書が存在するとしたらこの日として推定したものだと思います。
凡例をもう少し前に遡って読んでみますと
「表題の受取人差出人及びその職名等は務めて正確を期したれども、猶断定
を誤れるものなきを保せず、又其疑わしきものには(?)を附せり」
とあります(だーっと写しただけなので正確ではないかも)
判断は難しいですね。確かに日付や人名などにみに対する疑いにも見えます。
しかし、文書自体にも疑いがありながら推定を試みた結果とも見えますし。
(そういうの、史料集にもよくありますよね。「この文書は検討の余地有り」
と付記しながら文書の年月日や人名を推定してある文書)
そもそも宮地氏は「疑問符を解除する責任は利用者にある」と書いているのみで、
何を意図してそう書いたのかわかりません。松本健一などは6月4日に渡された
と言っていますから、責任もって「疑問符を解除」したわけで、単にそういう
作業を指しただけかもしれないし・・・
○119号文書と、その近辺の他の国書・書簡を比べて
まず目に付くのは、119号文書以外のアメリカ側からの国書や書簡は、漢文
原文・訳オランダ語原文・訳が全てつけられていることです。これは国書だけ
でなくペリーの書簡も同じです。
比べて119号文書は原文が何語だったのか記されておらず、何語からの訳か
も記されておらず、この文書のみが形として異様です。
○119号文書は、宮地氏がとりあげた一つのみではなかったという件
確かに取り上げられているのは119号の参照としてあげられている文書で、
もう一通存在しますが、「先年以来、彼国より通商願有之候処・・・」
以下宮地氏が取りあげた文書の書簡内容とほぼ同文のものです。箱の中に入っ
ていた物の目録が書いていないだけ。
出所が同じ系統の写だということでしょうね。
他はまたいつか・・・
>>330 >そもそも宮地氏は「疑問符を解除する責任は利用者にある」と書いているのみで、
>何を意図してそう書いたのかわかりません
宮地氏が「最後に何故『幕末外国関係文書』第一巻の編纂者が、この
白旗書簡に疑問符を附して掲載し、偽文書として削除しなかったかと
いう点に付いて考えてみたい。」なんて書いている以上、常識的に判
すれば、(?)は全体にかかってると宮地氏は解しているとするのが
妥当でしょう。
>比べて119号文書は原文が何語だったのか記されておらず、何語からの訳か
>も記されておらず、この文書のみが形として異様です
まさか、それだけの根拠で「偽文書」だと主張されるわけですか?
浦賀奉行の記録とあわせて読めば、「白旗書簡」は存在したと解しても、
問題ないとは思いますが、百歩譲っても宮地氏のように「明々白々の偽文書」
などとは、到底思えません。
332 :
保守派さん:02/01/10 03:07
>>329 確かに陰謀論かもしれんが今回の一連の宮地氏のやり方を見ていると
人間不信に陥るぞ。親父の押入からエロ本を見つけた時の衝撃というか。
UP論文なんか秦氏のいうとおり明らかに一般人への眩惑効果を狙って
いるとしか思えないし。
ただ「風説留」の方は普通に学術論文として書けば一々説明はしないのが
当然だろうから確かに意図的に一般人への眩惑効果を狙っているわけで
はないのかもしれない。ただ単に秦が「諸君読者へ"風説"という文字
面が与える影響を中和する機会を逃した」のが秦の失策だったというだけ
で。
『幕末維新期の文化と情報』が「書簡肯定派」の側からも利用可能である
というだけで、一連の宮地白旗論文と矛盾・抵触する物でないということは
認めます。
ないことはそのとおり。
333 :
日本@名無史さん:02/01/10 05:01
白旗説と同程度の依拠で、教科書に出てる
事例は他にあるわけ?あったら教えて。
だとしたら、作る会教科書のあそこの記述だけを持ち上げて
批判するのっておかしくない?
334 :
日本@名無史さん:02/01/10 05:04
とにかく白旗の話って
歴史番組とかでは恰好の面白い題材だと思うのね。
不思議発見とか、その時歴史が動いたとかそれ系の番組で。
この教科書を巡る政治闘争のせいで、テレビ局としては放送しにくい
空気が出来てしまったのは残念である。
335 :
日本@名無史さん:02/01/10 19:51
>>331 >最後に何故『幕末外国関係文書』第一巻の編纂者が、この
>白旗書簡に疑問符を附して掲載し、偽文書として削除しなかったかと
>いう点に付いて考えてみたい
という宮地氏の文は、それまで偽文書である根拠をたくさん述べてきて
「最後に」でしょ。補足すれば
「(自分はこれまで偽文書であることを断定してきたが)最後に何故編纂者が
・・・」
という意味だと今まで私は思ってたよ。(?)がどうこういう以前にさ。
あなたのような解釈もありかもしれないけど「常識的に判すれば〜妥当でしょう」
とまで言いきることはできないと思うよ。
>まさか、それだけの根拠で「偽文書」だと主張されるわけですか?
してないっすよ(笑
私が『大日本古文書』を見てきた感想だって書いてるじゃないですか。
>>332 同意してもらってよかった。
『UP』の文は見てないけど、それに載せる事って、そんなに一般人への影響力
あるんでしょか?
>>333 つくる会の教科書に対して指摘する中でも、白旗文書に関することは宮地氏が
尤も興味を持った点だったというだけのことでは。
336 :
日本@名無史さん:02/01/10 19:52
松本健一氏のものもちょっとだけ読んでみました。と言っても中央公論の
『日本の近代』で見ただけなのですけど。
感想として。松本氏の論では白旗書簡の内容は持論の大きな前提になって
いるようですね。だからつくる会も松本氏も、あれほどまでに白旗書簡の
真偽にこだわっていたのかと思いました。
アメリカ側の船が白旗を自ら掲げていたのは、和睦の印であるかのように
日本側を騙す為にアピールしている、という解釈については、無理がある
のではないか、と思うのはこのスレッドでも既出なので略。
斉昭が、白旗書簡を知っていた、ということについては宮地氏が反論
していますが、これは歴研のページにも簡単に書かれてますので省略。
くどいですが「(日本は鎖国をしているのに)和睦の印だと言って白
旗を差し出し国書を受け取らせた」ということまでを宮地氏が否定して
いないことはご承知おきのことを・・・
337 :
日本@名無史さん:02/01/10 19:58
何度かでてきているので、6月4日の浦賀奉行所3人とアメリカ側の
会談に話。
時々出てきた「友好的」という言葉を云々というのはこの史料がもと
だったんですね。ですが、宮地氏は『歴史評論』の中でこの史料の
原文もあげた上で自らの訳をつけていますから、これにつけられた
訳は宮地氏の意訳ということは一見してわかります。
「友好的」という言葉以外にも「武装力を上陸させても」国書を受け
取ってもらうしかないというような意訳もしてますよ。
ですから、「友好的」という言葉にたいした意味を持たせている
ようには思えません。騙そうというつもりでしたら、そもそも史料
原文あげないでしょう。
あと、「この対談こそ白旗書簡が存在する裏付けだ」という主張は
当を得ていないように思います。
なぜなら、これがそのまま白旗書簡が存在することを実証する史料
ではないから。白旗書簡が存在しても存在しなくてもこの会話が事
実であろう事は変わらないですし
「この対談が白旗書簡に内容が似ている=白旗書簡が存在する証拠」
にはとてもならないですよね。
実際、宮地氏はこの会談は事実と捉えていて、このアメリカ側の話が
白旗書簡が作られる(+信じられる)根拠になったと述べているのです。
つまり、宮地氏の白旗書簡偽文書論の断定はこの史料の内容も考慮した上で
行われているということ。さらに言えば、それでも白旗書簡が偽文書である
と断定できる論理を展開できる(している)ということです。
ところで「海防愚存」の中の一節、
「和睦合図之白旗指出し推て願書を奉り、剩内海え乗込空砲打鳴し」
の「指出」って、ホントは「白旗を(船に)掲揚」って意味では
ないのか。とすれば宮地・秦両氏ともそもそもこの文書の理解を
間違っていることになる。
でもって「(船に)差し出した」から「(幕府に)差し出した」と
変容した「風説」が白旗書簡を生んだのではないかと思ってみたりする。
スマン、「歴研」ホームページの文章見ると、
宮地氏はちゃんとそう書いているな。わはは、恥ずかし:。
でも何か紛らわしい文章っす。
340 :
保守派さん:02/01/11 00:16
>>333 あるもないも扶桑社のコラムを削除すべしとの論が通るなら前近代史の大部
分は遺跡・遺物の写真の羅列(解釈してはいけない!)と京都の公家の日記
から作者が実際に見聞した情報のみの羅列になるものと思われ。
>>334 「白旗授受の場」を再現ドラマでやる時に「開国要求を認めないならば
武力に訴えるから防戦するがよい。戦争になれば必勝するのはアメリカ
だ。いよいよ降参というときにはこの白旗を押し立てよ。 そうすれば和睦
しよう」と"台詞で"ペリーに言わせれば宮地氏も何もいえないはず。
フジテレビでやれば面白いのに。そんで終わったらテロップで「白旗授受の
場の考証は宮地論文に忠実にしたがいました。宮地先生ありがとう。提供
は扶桑社でした。」とやれば最大限の嫌がらせになるのでは(藁)。
>>337 そういう状況を考慮すれば「白旗書簡が偽文書であると断定」なんて
無理だろうというのが秦などの主張。俺も白旗書簡あるいは白旗メモ
ランダムがあったという方が「幕府内の強硬派の偽作」などを想定する
より遙に自然な推測だと思う。
341 :
日本@名無史さん:02/01/11 04:18
別冊歴史読本「教科書大論争」というタイトルが興味を引いたんでパラパラと見て
みた。そしたらそこには論争は無く、扶桑社本の批判者のオンパレードで呆気に取
られた。歴史読本って市井の歴史愛好家が読むようなもんだと思ってただけに、この繋がりはちょっと意外。
アメリカ史が専門の油井大三郎さんが、白旗について触れていた。
宮路氏の論文を根拠に、書簡は偽文書であり、白旗はアメリカ側が掲げていたこと
が判明していると断定していた。アメリカ史の専門家が、幕末史の専門家の意見を
無批判に受け入れた結果なのだろうか。油井さんは、あの教科書だけを問題視して
いるようだが、東京書籍の原爆の記述はどうなのだろう?油井大三郎であるなら、
あれこそ決して許せない記述だと思うのだが、彼の教科書批判は扶桑社にだけ
向いてしまうようである。
それにしても、「白旗を渡して、武力による恫喝」をしたのが史実だとしたらこの
際、書簡があったかどうかで、アメリカの強硬なイメージが和らぐとは到底思えな
い。史実かどうかに焦点を絞るとしても、偽文書だったと断定する方が旗色が悪い。
それと宮路氏の論文は、歴史の権威が素人に対して印象操作をするのが第1目的な
のであるから、一見してわかるというのは違うと思う。最初の論文では白旗まで存
在し無いかのような前提で書かれていたこと、白旗書簡を否定する為に、隠蔽と誇
張を織り交ぜて詐術を用いていたこと、時には捏造まで持ち出したことなど、純粋
な学問論争とは思えない。偽文書ではないかという結論さえ合えば良いと言う人
がいるけど、その結論に至る為の、論証がメチャクチャだったのである。歴史的虚
偽で以って、歴史的真実を掘り出したと言っている。
嘘や歪曲だと宮路氏は自覚している筈で、嘘や歪曲だと自覚していなかった
としたら宮路氏はその程度の知識の歴史家なのだろうか?
しかし秦に指摘されるまで、私のような素人にはカラクリがまったく分からなかった。
教育委員や教師も同様でしょう。なんとなくおかしいという空気を醸成するには
十分である。東大の歴史学の権威が断言したら、わざわざ仔細に立ち入る気に
なる人はなかなかいないでしょう。教育者にはたじろがせる。一般人なら、新聞で斜め読み
した程度で、、記憶も薄れ、関心も無い、なんとなくのイメージが残っている・・・それでいい
のだ。
342 :
日本@名無史さん:02/01/11 08:20
>アメリカ史が専門の油井大三郎さん
油井は「共産党学部」の一橋大学社会学部から東大へ移ってきたゴリゴリだよ。
アメリカ史が専門といっても、アメリカを糾弾することが専門。
343 :
日本@名無史さん:02/01/11 19:30
>>342 >アメリカ史が専門といっても、アメリカを糾弾することが専門。
それを言うなら「米帝糾弾」
>>335 宮地氏がわざわざ「日付」の注意を喚起するために疑問符について
繰り返し触れているとは到底思えない。
宮地氏はやはり全体にかかっていると考えているのでしょう。
345 :
日本@名無史さん:02/01/13 09:54
>>340 状況的に白旗文書が偽文書であると断定できる、ということですよ。
偽文書と断定できる状況と、白旗文書が作られる(信じられる)と考えられる状況
というのは質が違うでしょ。
白旗文書が信じられる状況を根拠にすることができるなら、この世の偽文書の量は
相当減るでしょう。
メモなりなんなりというのは知りませんが、白旗書簡よりも不確実なものであるの
は確かですよね。ペリーは何通か書簡を出しているのにわざわざ別紙でメモを出して
(自国語である英語以外の訳もつけて)、それはアメリカの法に触れるから残らなか
ったのだ(でも日本に残らなかったのは何故でしょう?)ということですから。
>>344 はあ、だからそれはそうかもしれませんが。
どっちにしろ白旗書簡を考察する論旨には影響ないので
あまり言っても仕方ないと思いますが。
346 :
日本@名無史さん:02/01/13 09:58
>>339 確かにそうかも知れないですね。
歴史評論にのったものの方がまだわかりやすいと思います。
安政の火災で焼失したんじゃないの?
>>347 安政の火災でどうして他のペリー書簡(アメリカの記録にも残ってる)は消失しなかったの?
>>348 そこにおいてなかったのかも知れんし、詳しくは知らない。
しかし、そんなことは本題と関係ないのでは?
>>349だって「日本に白旗書簡だけ残らなかったのはおかしい」の反論に
「燃えたから」ていうんでしょ?
本題には関係ないかも知れないけど、どういう理屈でそう主張してるのか
ということには関係ある
>>350 あのー… ペリーから渡された、という白旗自身も燃えてるのですが。
だから白旗書簡も一緒に燃えた、という理屈は成立しないわけではない
のでは。
>>350じゃあ、あんたは「燃えた」というのは嘘だっていうわけ?
353 :
日本@名無史さん:02/01/25 04:56
これだけ論拠がデタラメなのに
作る会はこんなものを論拠に教科書にしてる!って
やっぱ詐欺じゃん。
354 :
日本@名無史さん:02/01/25 06:17
>>353 教科書にある「歴史事実」とされるもので、厳密に調べると論拠薄弱なものが多い。だから、本当はそんな事実はなかった、というような説が次々と出てくる。そして教科書記述の論拠はデタラメだ、という主張まで現れる。
「詐欺」なんて、そう目くじらをたてるほどのものではないだろう。
355 :
日本@名無史さん:02/01/25 21:53
>>353 少なくとも従軍慰安婦の記述よりは論拠がしっかりしてる
>>351 だから、じゃあなんで他のは燃えてないの?
それにね「燃えてない」なんていってないし、
偽文書だという論拠が揃ってるから
「それだけがどこにも残ってないことも頷ける」
ということなので、勘違いしないようにね。
357 :
日本@名無史さん:02/01/26 05:19
「これだけ論拠がデタラメなのに
作る会はこんなものを論拠に教科書にしてる!」←宮地氏の主張
というのは詐欺じゃん。
という意味。
>>357 デタラメなのは確かでしょ
偽文書だという証明は火災で焼けた焼けないなんて議論でしているのではない
まあ、宮地氏の反論待ちましょうよ。
361 :
日本@名無史さん:02/01/31 20:51
宮地さん今度は論争するのかな?
>>359 それを宮地氏の論文が示してるんでしょ。頭悪すぎ。
秦郁彦の文見た。
つーか、半分くらいは白旗うんぬんと関係ないことじゃない。
歴博の変な批判までしてらあ。「民青人事」なんて言ってるの2ch厨房くらいかと
思ったけど、この人までマジで言ってるのね。
>>362 松本氏と秦氏の反論に対して、宮地氏はまた反論書いたわけ?
366 :
日本@名無史さん:02/02/07 20:41
反共秦郁彦糾弾age
>>365 それまでいろいろ書いてきた者なんで「今さら何を?」という
感じなんですが。
解決してない事柄あげてくれます?
>>364 秦氏の反論はちと論点が変。松本氏のは知らない。
>>367 秦氏のどこが変なわけですかね?
私に言わせれば、宮地氏の書いたものの方がよほど変。
「解決してない事柄」の解説してくれるなら、秦氏や三輪氏、
松本氏らが宮地氏に対して行った反論を宮地氏の代わりに、
全部論拠を挙げて反駁してもらえますか。
まずは、前田肥前守が存在しない証拠を教えてください。
それから、三輪氏が米側に書簡がない理由を論証しましたが、
それに対する反論をお願いします。また、宮地氏は大日本古文書に
「?」があることをもって、偽文書であると断ずる「根拠」の1つ
にしていますが、あれは宮地氏のような解釈の仕方は間違いであると
いう反論があります。それに対する反論をどうぞ。
369 :
日本@名無史さん:02/02/10 15:31
川o・-・) <宮地先生ってまともな学者だったんですね・・・。
|||゜〜゜)‖<紺野、間違ってるぞ
371 :
日本@名無史さん:02/02/12 20:23
sageたがっているウヨ坊がいるのでage
ミンミンにろくなのはいないのだから、草加とともに大掃除しておけ。
373 :
日本@名無史さん:02/02/12 21:25
さっそくウヨが一匹釣れた(w
374 :
日本@名無史さん:02/02/12 22:28
>>373 ウヨが釣れた釣れたと言うだけで、自分は何も身のあることを言えないバカ(w
どうせ自分は何も具体的なこと何も言えないんでしょ? 秦や宮地の原論文すら読んでなさそう。
ここでちゃんとデータを出して議論してる、まともなサヨにも失礼だよ。
375 :
日本@名無史さん:02/02/12 22:56
>>368 まず、ネットで探せる程度の宮地氏の論くらいは読んで、このスレッドも読んでいるのですよね?
前田肥前守は
>>357。当時「前田肥前守」が存在するというならそれはそちらが出すべきでしょう。
アメリカにない理由も、堂々巡りです。この白旗書簡以外のものはアメリカにも日
本にも残っています。それについて宮地氏も書いてます。宮地氏が書いたものを読
んでから具体的に指摘して書いて下さい。
「?」についてもずーっと前から書き込みがあります。読み直して具体的にご意見を。
その他、宮地氏の論拠に対して秦氏や他の方々が何もコメントしていない部分が
たくさんあります。
376 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:02
補足。
アメリカにない理由も、翻訳のこと等も含めて宮地氏は書いているはずです。
数ある中でその「一通だけが」残らないことをいくら推測を重ねても、
他との整合性がとれなければ意味がありません。
翻訳者や翻訳文の問題、事実を裏付ける材料等々。
377 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:09
>>375 秦の論稿読んだんでしょ?
「前田肥前守」は何種類もの大名辞典に出てるって書いてあるじゃん。
じゃあ、これらの辞典は嘘書いてるわけね?
378 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:10
「?」は明らかに宮地の解釈が間違い。これは間違いない。
「白旗」自体がなんで現存しないのかを宮地氏に聞いてみたいね(ワラ
380 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:26
>>377 だから、その前田肥前守を調べたんだって書いてるじゃないですか。
当時、まだ「肥前守」じゃないはずなの。
381 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:28
>>378 前にも書いたけど、どっちにもとれる文章には違いないと思うけど
「解釈が間違い」とまで言い切れる根拠はあなたにはありまして?
382 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:31
>379
つーか、白旗渡したって宮地氏は書いてる?書いてないと思うんだけど。
383 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:42
いつから肥前守になるの?
384 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:47
まじで過去ログ読んでなかったのか・・・
386 :
日本@名無史さん:02/02/13 00:05
秦氏はサヨにもウヨにも叩かれたことがある。
おそらく特定の政治目的を排して歴史の事実のみを明らかにするという
歴史学者としての最低限のモラルをもっている数少ない人物とお見受けするが
彼の想像力がたくましすぎるという印象もある。
それにしても陰謀史観ってのはやっかいだね。
388 :
日本@名無史さん:02/02/13 00:32
そうすると、白旗は渡さないで、白旗の使い方だけ教えたってわけ?
宮地氏も「白旗」に関するやりとりがあったことは認めてるんでしょ。
秦教授のいうとおり、宮地氏が主張できるのは、「口頭でつたえたのが
文書に化けたものである」くらいじゃないの?
390 :
日本@名無史さん:02/02/13 08:34
白旗に関するやりとりがあったということは浦賀奉行所の対談の事を言ってるだけ。
それ以外の内容を裏付けるものは存在しない。
391 :
日本@名無史さん:02/02/13 08:35
392 :
日本@名無史さん:02/02/13 08:41
おっと、391補足
白旗が降伏の印であると教えた史料はない
393 :
日本@名無史さん:02/02/13 08:55
斉昭がいう「和睦のための白旗指出」のことを白旗を日本に渡したと解釈するのではなくて
アメリカ側がそれを旗印にしながら強引に国書を渡した、と言ってるのでしょ。
それはホームページにアップしてる文だと短いから少しわかりにくいかも知れないけど
歴史評論の方ではきちんと説明していたような。
394 :
日本@名無史さん:02/02/13 19:19
>>390 あんた、日本語読めるのか?
浦賀のやりとりで白旗の使い方説明してるだろ。
聞いた話だけど、秦氏は前田肥前守の一件をとっくに承知してるそうだよ。
「諸君!」ではいつの時代の肥前守かをちゃんと説明してないみたいだけど、
あの文書を書いた人が前田肥前守と筒井肥前守とを間違えたんじゃないかって。
よく知らんけど、前田家は肥前守が結構いたんでしょ。
396 :
日本@名無史さん:02/02/14 00:35
>>394 補足してあるんだが。どう教えてるんだい?
>>395 秦は、前田肥前守は存在するってはっきりいってたんじゃなかったっけ?
東大赤門作った人とかなんとか特定してなかったけか。
(この時代じゃないとしたら、それを書いて何を言うつもりだったんだろう)
399 :
横レスだが:02/02/14 21:48
浦賀奉行所の記録で、「我々は武力行使をするかもしれない。その事態になって、
和睦をしたいのなら、白旗を揚げて来い」ってちゃんと日本側に説明してる。
400 :
日本@名無史さん:02/02/14 22:13
白旗のついてのやりとりがあったことは、後になって宮地氏自身も認めてる。
401 :
日本@名無史さん:02/02/15 07:40
>>389 書き忘れねえ・・・東大赤門作った人という話はどっからでてきたんだっけ・・・
>>399 それは白旗は降伏のためにあげるもんだって教えて白旗を渡したという証左ではないでしょ?
>>400 後になって?最初から認めてると思うんだけど?
歴研の文も7月。(『UP』の文と同じだときいたけど)
ていうか、それも前やった。
402 :
日本@名無史さん:02/02/15 21:42
前田肥前守が赤門作ったことは事実
403 :
日本@名無史さん:02/02/15 21:47
「此度渡来之アメリカ夷、重き御禁制を心得ながら浦賀え乗入、
和睦合図之白旗指出し推て願書を奉り、剩内海え乗込空砲打鳴し、
我侭に測量迄致し、其驕傲無礼之始末言語同断」
だいたい、宮地は白旗を「友好的」と解釈してるんだろ(藁
405 :
日本@名無史さん:02/02/15 22:05
秦が言ってるように口頭か文書かの違いくらいしかない。
脅して開国させるという趣旨を「つくる会」の教科書は書
きたかったわけで、反対に宮地は嘘の白旗の一件で「反米意識」
を注入するのは許せんということで書いてるわけだから、まず
口頭か文書かは関係ないと言ってよい。
406 :
日本@名無史さん:02/02/15 22:06
>>403 だから、それの「指出」はアメリカ側が掲げていたという意味。
宮地氏の論文で解説してるでしょ。
407 :
日本@名無史さん:02/02/15 22:11
>>404 意訳を攻めるなら「武装力を上陸させても」国書を受け取って
もらうしかないとの意訳は攻めないの?
>>337参照。
>>405 違う。
アメリカの砲艦外交を偽文書なんかを教科書に載せて説明するのはおかしいと
書いているでしょ。
>>402 だから何?秦がただの書き忘れしただけだ、なんてまだ言うの。
409 :
日本@名無史さん:02/02/15 22:14
>>407 浦賀の記録も白旗書簡もたいした違いはない。
410 :
日本@名無史さん:02/02/15 22:20
宮地が言うように、白旗が本当に「友好」を示すものならば、明らかに
「つくる会」の記載は教科書に載せるべきではないが、宮地の主張は
根拠が乏しい。
411 :
日本@名無史さん:02/02/15 22:50
>>409 あるでしょ。
だからそちらは「白旗渡して白旗書簡を渡した」ことにこだわってるのでは
ないの?
違いがないと思うならそれでいいじゃん。わざわざ実在根拠の薄い文書を
ひいて頑張って教科書に載せたり偽文書じゃないって反論する必要ないじゃん。
>>410 宮地氏が言ってるのはアメリカは和睦の印だと強調して白旗を一生懸命掲げていた
ということであって、アメリカが真に友好的だったかどうかではないでしょ。
413 :
日本@名無史さん:02/02/16 00:56
宮地氏の理屈では白旗書簡は偽文書でないと困る。
白旗書簡は「戦争を挑発し、日本を軽蔑しきった」書簡であって、
宮地氏のように「白旗」を「友好的」と解釈する場合は、
当然、偽文書であろうということになる。
414 :
日本@名無史さん:02/02/16 01:11
結局のところ、「現存していない事」くらいなもので、偽文書であると断定する根拠はない。
415 :
日本@名無史さん:02/02/16 01:21
ちなみに、「?」の使い方について出てたが、宮地氏自身、編纂者が「?」
を付しておきながら何故削除しなかったかを考察していることから、当然、
宮地氏は、「編纂者は偽文書だと考えている」と解していることにまず、
間違いないだろう。つまり、宮地氏は全体にかかっていると考えていると
いうことだ。
416 :
日本@名無史さん:02/02/16 01:50
今こそ学会を牛耳ってきたマルキスト達を追い出す時だ。
417 :
日本@名無史さん:02/02/16 21:56
ところで秦郁彦は、亡くなった関寛治(東大教授)のお友達だったよね。
南京虐殺事件では、「大虐殺派」と「まぼろし派」の中間に立った。
日航機墜落の際には自衛隊批判をぶって、保守のタカ派から総攻撃をくらった。
秦郁彦は反共には違いないだろうが、伊藤隆と同類とは思われないが。
418 :
日本@名無史さん:02/02/17 00:16
宮地正人、遠山茂樹、今井清一、大江志乃夫、藤原彰ら日本共産党員は逝ってよし!
419 :
日本@名無史さん:02/02/17 01:18
>417
伊藤隆は南京事件まぼろし派なの?
まあ伊藤はつくる会だし、特に昭和天皇関係では
実証よりも党派的姿勢を優先してる感じはするが、
基本的に秦と同じグループと考えていいのでは?
最初は宮地氏も偽文書だって「断定」していってたけど、今では「疑わしい」って
変わったね。
421 :
日本@名無史さん:02/02/17 03:32
伊藤隆の弟子の劉傑(早稲田大学助教授)はどういう立場なのでしょうか。
著書を読んだ限りでは、伊藤隆・秦郁彦らの保守的政治姿勢とは大きな
開きがあると思うのですが。
422 :
日本@名無史さん:02/02/17 03:46
>>420 伊藤の東大時代の弟子はたくさんいるだろうけど、
イデオロギー的に今の伊藤に近い人というのは思い当たらんなぁ。
今、東大文学部にいる加藤陽子も、つくる会にちょっと嫌味を言ってた気もするし。
でも、保守系のつくる会批判派(五百旗頭真とか)も伊藤を名指しで批判してる
わけではない。大先生を敬して遠ざける、という感じなんだろうか。
それになんだかんだ言って、伊藤は近代の実証研究では大御所。
史料改竄なんかも目立つ一部のまぼろし派とは雲泥の差がある。
政治的評価と学者としての能力の評価とは、また別なんじゃない?
部外者の勝手な推測なので、学会の内部事情に詳しい人の情報求む。
423 :
日本@名無史さん:02/02/17 05:21
昔、伊藤と論文共作してたジョージ・アキタは今日本にいるみたいだね。
424 :
日本@名無史さん:02/02/17 08:29
>>422 野島(加藤)陽子先生は、はっきりと左です。
学内政治的には上野千鶴子先生の子分ですし、
野島先生が上野先生の影響を強く受けているから、
ゼミ生も政治史より社会史をやってる人の方が多いです。
それに野島先生は、駿台で教えている旦那様もかなり左だそうです。
加藤陽子が左なわけねえだろ。それに旦那が左だったというのは昔の話。
426 :
日本@名無史さん:02/02/17 09:13
>>425 左じゃなかったら、上野千鶴子先生の子分にはならないと思います。
このスレの民青の関係者のみなさん、氏んでください。
428 :
日本@名無史さん:02/02/17 12:30
秦郁彦や伊藤隆を弁護するウヨのみなさん、氏んでください。
429 :
日本@名無史さん:02/02/17 12:54
日本の文系がどうしようもなく腐っていることがよくわかるスレだな
430 :
日本@名無史さん:02/02/17 22:01
>>426 伊藤隆の弟子はみんな右なの?
>>413 白旗を降伏の印だという意味とアメリカが示したのだと解釈できる根拠は全くないよ。
アメリカ自ら白旗掲げてたのだし。(白旗=降伏論者はこれを日本を騙すためのもん
だと説明するが、それは白旗書簡の実在以上に根拠がない。しかも白旗書簡が実在す
るとしなければ、成り立たない説明。)
繰り返すがアメリカの「砲艦外交」を宮地氏は否定していないのだから。
431 :
日本@名無史さん:02/02/17 22:32
秦郁彦先生は、拓殖大→千葉大→日大 と大学を渡り歩いているが、授業は完全に
手を抜いている。秦郁彦先生の授業を受けた学生の多くは失望している。
秦郁彦先生は他の先生を批判する暇があったら、まともな授業をする準備をせよ。
432 :
日本@名無史さん:02/02/17 22:46
授業に期待する学生はドキュソ
自分で勉強しなさいって
共産党員は431みたいなやり方でしか「批判」が
出来ないんだね。
434 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:17
野島陽子は昔まっかっか。
いったん転んでころびモノ同士で
くっついて結婚したんだな。
いまは右とか左とかじゃなくて
権力志向むき出しのフェミニスト。
ブスだから上野の子分なんだよ。
435 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:27
野島氏がフェミなら、世間の常識から見たらやっぱり左なのでは?
>>434 昔のこというなら伊藤隆だってまっかっかの中でもさらにあかい人だったはず。
437 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:35
ええとお、何とかいうばばあがいたじゃん。
市民派とかいってテレビでまくっててさ、
原発推進委員会みてえなのから広告塔になって、
っていわれたらすぐに主張を変えやがったでぶ。
野島はあんな感じだよ。
政府から一声かかれば、左も右もなく
しっぽ振りそうだな。
アメリカでキャリア女に相応しい肩で風きる
歩き方から学んできたんだってよ。
普通の感覚ならば、浦賀奉行の記録と白旗書簡とを併せ読めば、宮地氏のように
「友好的」なんて解釈はできないんじゃないのかね。
浦賀の記録なんかでも宮地氏は「友好的に受け入れる」なんていう解釈してるけど、
素人感覚ではそういうふうには読めないねえ。
>434、437
いきなりレベルの低いカキコが現れたな。
何も分かってないなら無理して書き込むなって感じ。
440 :
日本@名無史さん:02/02/18 01:02
>>438 >浦賀奉行の記録と白旗書簡とを併せ読めば
だから、白旗書簡が存在することを前提にしないといけないんかい?
407転載。意訳を攻めるなら「武装力を上陸させても」国書を受け取って
もらうしかないとの意訳は攻めないの?
>>337参照。
しかしさ、友好的にと意訳したということが何だというの。
宮地氏はアメリカの「砲艦外交」は認めてるし、白旗書簡のような偽文書が
信じられるような状況であっただろうことを述べ、こういう文書を研究する
価値を否定しちゃいないのに。
白旗書簡が偽物だという決定的証拠がない限り、浦賀の記録から見て
そういう書簡はあってもおかしくないと私は解しますね。
「降伏」か「友好的」かじゃ全然違ってくると思うんですけど。
444 :
日本@名無史さん:02/02/18 08:49
>439
>何も分かってないなら無理して書き込むなって感じ。
その逆と見たが・・・
>434、437
あなたはF川さん? S木さん?
447 :
日本@名無史さん:02/02/19 04:22
>>433 確かに私は共産党系ですが、イデオロギー以前の問題です。
秦郁彦教授は、学部生のゼミはおろか、大学院でも殆ど研究指導をしないのです。
ある著名な教授は、「大学院であんな者(秦先生)のゼミに入ったら、その院生
の人生はメチャクチャになる」とまで言い切りました。
秦郁彦教授は、学者としてはともかく、教授としては最低です。伊藤某以下です。
448 :
日本@名無史さん:02/02/19 04:34
>>447 確かに秦の弟子って全く知らないなぁ。
もっとも読者としては研究と執筆活動だけやっててくれればいい。
授業に手を抜こうが関係なし。
449 :
日本@名無史さん:02/02/19 06:24
>>447 それと秦氏の学問的業績とは関係ないだろう。
世に研究者としては立派でも教育者として疑問な方は、共産党系を含めてたくさんいるよ。
450 :
日本@名無史さん:02/02/19 08:41
>>446 今まで書いてきたことを全く理解してないようなので
何を言いたくてそんなことを書いているのかたずねているのですよ。
ちなみに、秦郁彦が今でも立派な研究者かどうかといえば私は疑問ですね。
451 :
日本@名無史さん:02/02/19 08:41
>>447 >ある著名な教授は、「大学院であんな者(秦先生)のゼミに入ったら、その院生
>の人生はメチャクチャになる」とまで言い切りました。
それは、あんたの指導教授周辺のエリート共産党員教授なんだろうな。
言っちゃ悪いが、拓大、日大の大学院に行くようなレベルの奴が
研究者として自立できるレベルなわけないだろう。
そもそも研究者を目指しているのかね。
あれほどの業績がありながら、そんな学生・院生の相手をさせられる秦氏の方に同情するよ。
それに秦門下生の人生をメチャクチャにするのは、学会主流派の共産党でもあるぜ。
452 :
日本@名無史さん:02/02/20 01:00
>>451 どんなに業績があろうとも、「盧溝橋事件を起こしたのは劉少奇の部隊」なんていう
デタラメを書くような人は学者失格です。
453 :
日本@名無史さん:02/02/20 01:04
454 :
日本@名無史さん:02/02/20 01:29
455 :
日本@名無史さん:02/02/20 01:38
「盧溝橋事件を起こしたのは劉少奇の部隊」というのは、あり得そうだけど、
秦郁彦の論文では、そう断定するだけの根拠が薄弱だと思います。
456 :
日本@名無史さん:02/02/20 03:38
>>452 ん ? 誰のことを言ってるの ?
秦郁彦なら、昭和史の謎を追う、の廬溝橋事件の項で 劉少奇の
部隊が起こした、というのは俗説として否定しているけど。
確か、そう主張していたとされる共産党の宣伝文の存在そのもの
に対して疑問視していたはずだけど。
秦氏のことでないなら、失礼。
458 :
日本@名無史さん:02/02/21 21:05
「対抗言論」なんて札付きの左翼サイトだろ。
秦氏の『昭和史の謎を追う』と『盧溝橋事件』を確認したが、
どちらも劉少奇説を否定していた。
前者では
「七月七日夜の「盧溝橋の第一発」を劉少奇が現場で指導する
位置にいなかったことはたしかだろう」とし(118ページ)
「金振中以下の第一線部隊が七月七日に中共党の指令にそって
行動していたとは断定しがたく、単純な敵愾心から反射的に
暴発しただけなのかも知れない」と結んでいる。
459 :
日本@名無史さん:02/02/21 22:05
>>458 札付きの左翼サイトだからなんだっての?
それなりにちゃんとした本読んでるようだし、秦郁彦の問題点に対する指摘も
妥当だと思うんだがね。
>>458 ちなみに、対抗言論のページでは秦郁彦の言うことを全く否定しているわけでもないんだが。
しかしなんで盧溝橋の話で元気になってるんだろう。
すれ違いの煽りなら適当に済ませて放っておけばいいのに。
462 :
日本@名無史さん:02/02/23 22:54
>>451 拓大はともかく、日大法学部・法学研究科には研究者になれる学生は
いるんじゃないの?
日大には、生え抜きの教授はいたと思うよ。
>>459 >>457 で紹介されたサイトをザッと読んでみましたけど、
どこにも秦氏が廬溝橋での発砲は劉少奇の仕業だなんて書いた
とはありませんでしたけど ?
多少、日本軍擁護的な記述がある、というだけの話でしょう。
結局、
>>452 さんの主張、廬溝橋は劉少奇の部隊が起こした、
と秦氏が主張したってのは、デマってことでいいのかな。
464 :
日本@名無史さん:02/02/24 12:40
>>456 >>452さんは、秦郁彦先生の『廬溝橋事件の研究』(東京大学出版会)あたりを、
誤読したのではないかと思われ。
457は452とは別人だからよろしく。
466 :
日本@名無史さん:02/02/24 13:41
>>464 たぶん「秦郁彦」という名前に条件反射的に反応しただけで、
読んでいないと思う。
>>464 日大が力入れてるのは法律系統だから、どうかな?
468 :
日本@名無史さん:02/02/26 08:38
469 :
日本@名無史さん:02/03/15 02:38
age
470 :
日本@名無史さん:02/03/15 03:32
なんでそこまで秦に肩入れできるのかね?
秦もあの年齢だから、おれも直接にその論文を受け継いだ経験はないが、
しかし、ちょっと『昭和史の論点』を見ただけで、
幾つもおかしな点が出てくる。
例えば、陸軍が日米開戦後すぐ、対ソ戦をやろうとしていたとか。
(対ソ戦を強く志向してたのはごく一部)
36人のビルマ独立志士とか。
(正しくは30人。「ビルマ独立軍」も「ビルマ独立義勇軍」の間違い)
開戦に反対したら天皇が幽閉されていた可能性が十分にあるとか。
(極論だよ、そんな具体的な史料も状況もないし)
ハル・ノートで血が逆流とか。
(軍部はとっくにやる気で、交渉を迷惑がる向きも強かった)
佐藤がアメリカの陸軍力を過小評価していたとか。
(佐藤は引き分けに持ち込むのがやっとだとしか考えていない)
少し前の論文だと、影佐工作を高く評価してたし。
(今ではそう考える人は一部だけ。秦も敢えて語らなくなった)
陸軍の統制は太平洋戦争に向かってかなり進展したとか。
(とてもそうは思えない)
>>470 あんたみたいなやりかたで「文章」読んだら、とてもじゃないが、
みんながみんな、文句つけたくなるんじゃないの?
たかが「座談会」にいちいちくだらんケチつけるのはいかがなものか(藁
>470
っていうか、君の論点と見解が変だよ。
>ハル・ノートで血が逆流とか
(というと、別にハル・ノートがきたところで平常を保っていたってことかい?)
>佐藤がアメリカの陸軍力を過小評価していたとか
(というと、佐藤はアメリカの陸軍力を正当にあるいは、過大評価してたってことかい?)
473 :
日本@名無史さん:02/03/15 04:32
影佐というと汪兆銘の話か?
秦が高く評価したって? 少し前の論文って何よ?
>>470 >陸軍の統制は太平洋戦争に向かってかなり進展したとか
そうすると悪化したの?
そういやあ、ひでえHPがあったなあ。
戦史についての比較的まじめなものだと思ってたら、自説なんかはほとんど書かないで、
知られている作家とか、学者の書いたものに対しての「揚げ足取り」と
「間違い探し」に励んでる。当人がまともな人間ではないから、汚い言葉も平気で使う。
自分では論文を書かないで、後になって人の「批判」ばっかりするのはある意味「強力」だな。
結構、アクセスされてるみたいだから、この中でも見たやついるかもね。
いるいる。某院にもそういう変人がいる。自分では何にも書けないくせに、
人の悪口になったら急に評論家ぶって語りだすのが。まあ、どこにでも
そういう人いるのでしょうけど。
「お前何様?」「人のことより自分のこと心配しろよ」と言ってやり
たいが・・・なかなかそうもいかない。オレも因縁つけられるくらいの
量を書きたいよ。
評論家と研究者は違うことが分からない
分をわきまえてることを評価できるな
研究しても相手にされないことは分かってるんだから
>470
一部とかごく一部とか適当なこと書き散らしてるね
資料検証ができない人間が批判の時によくやる手だね
具体名をあげることができない(藁
論文だったら全く相手にされないな
つーか470じゃないけどさ
ネットで、それも2chでその人がどんな論文書いてるかもわからんに
「こんな揚げ足取りばかり書いてる奴は・・・」も何もないでしょう。
そういうことこそ、意味無いレスでは?
座談会でも何でも、その人の考え方とか傾向などが見えるのだから、
そこに何か言ったってかまわんと思うがね。
なんでそんなに秦がすごいと思うのか、持ち上げられるのか、
私もわからないわ。
479 :
日本@名無史さん:02/03/15 14:19
異常だね。
ずっと底に沈んでいたスレに、ちょっと470で書いたら、
サゲの連発で夜中にここまでレス(それも全部同一趣旨)がつくとは。
よっぽど崇めてるんだな(藁
影佐の件は元ネタは『人物往来』の論文だよ。
酷使大辞典にも同一趣旨のことを書いてる。
座談会で見せる大まかな流れの把握にこそ力量が現れるもんだろ。
座談会形式でも、網野や石井なんぞは、ここまで誤解を生むことは言わないぜ(藁
480 :
日本@名無史さん:02/03/15 14:22
影佐の王兆銘工作か…。
塚本誠の「ある情報将校の記録」読んだのを思い出すな。
481 :
日本@名無史さん:02/03/15 14:23
秦は「昭和史の軍人たち」で影佐のこと書いてるけど、そんな感じはしなかったなあ。
483 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:17
追加1
『人物往来』→『経済往来』
追加2
佐藤の捉え方は決して小さな問題ではない。
田中、武藤ではなく、佐藤こそが佐藤の腹心。
彼の戦略構想は、東条時代の戦略を見るためには重要。
秦は「東条英機」(『経済往来』1979・7)でも、
上記のような佐藤観を記しているが、
どうにも東条を真っ当に評価できてないようだ。
例えば、消去法的に陸相になったとか、「事務屋」としての性格を強調しているが、このへんは眉唾。
いわゆる「強硬派」(影佐も入れるべき)の利益を代表する切り札として認識すべき。
秦は1938〜1941年あたりの政治史が苦手に見える。
484 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:24
追加3
秦は上記の「東条英機」でも、東条が「陸軍部内の統制を回復させ」たとし、
『太平洋戦争への道』でも、北部仏印進駐後の人事で、
「下剋上の風潮が衰え、軍首脳部とくに陸軍大臣の統制力が強化されたのも、
事実であった」とする。
しかし、こんなもん、別に専門的な話を知らなくても、
辻政信の行動を見ればおかしいってことはわかる。
専門的に見ればなおさら。
追加4
影佐の話を深めたければ、既に名前があがってる劉傑の本でも読めば?
秦が影佐評を、『昭和史の軍人たち』に入れる時に改稿したのかはおれは知らない。
しかし最初に発表されたものや『国史大辞典』のものは、
明らかに好意的に評価しすぎている。
485 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:25
ごめん
佐藤の腹心→登場の腹心
20年以上も前の話かよ。ご苦労なこった。
487 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:31
その東条観が変わっていないのが問題なんだがね。
悪態だけは見事だな>486
488 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:36
『昭和史の軍人たち』として出版されたのは1987年だってよ。
489 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:42
それは文庫版だよ。昭和57年に出版。
490 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:47
私はそれ読んでないが、汪兆銘工作を秦が高く評価するなんてことはまず、
考えられないと思うよ。人違いじゃないのかな。
俺、文庫版なら手元にあるよ。
492 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:50
>>490 汪兆銘工作全体という意味ではない。
影佐は日中友好に尽くす和平主義だったという捉え方がおかしい。
493 :
日本@名無史さん:02/03/15 20:56
要は、影佐が『日華協議記録』の段階から、
陸軍主流の意志に反して善意を見せていたという捉え方。
このような理解を受け継いでいるのが、最近では戸部良一。
だけどこれも、一時代前の研究でさえ、影佐の本音が「謀略」だっていう
田尻某の回想記を紹介していて、半ば破綻していた。
494 :
日本@名無史さん:02/03/15 21:02
読んでないから分からんが、秦さんは「謀略」じゃないっていってるわけ?
「その第二次近衛内閣に陸相として入閣したのが、前航空総監の東条英機
であった。阿南陸軍次官と沢田参謀次長の選定ともいわれるが、全軍の
輿望を担ってというよりも、前後に適当な軍政家がいないという消極的、
事務的理由からだったようだ。阿南は間もなくこの人選を後悔するが〜〜」
って書いてある。
496 :
日本@名無史さん:02/03/15 21:08
>>494 細かな表現は忘れたが、寛大な条件だったことを高く評価していた筈。
おれもそれを読んで、ずっとそうなのかと思ってたもん。
>>495 その前段階の陸軍次官就任のあたりから、「強硬派」あるいは反石原系の
期待を担って登用されたのが実際のところ。
497 :
日本@名無史さん:02/03/15 21:10
1938〜1939年あたりの1つの見方としては、
堀場一雄『支那事変戦争指導史』でも読んでみたら?
これは学術書ではないが、参謀本部側が東条をどう見ていたかがよくわかる。
498 :
日本@名無史さん:02/03/15 21:15
40年以上も前の本で恐縮だが、『日中戦争史』読む限りでは、特におかしな点はないけどなあ。
499 :
日本@名無史さん:02/03/15 21:19
>>498 1937年のことをしっかり分析しているのは認めているよ。
ただ、第5章「日中戦争期における拡大派と不拡大派」などというのは、
やはり時代を感じさせる。
500 :
日本@名無史さん:02/03/15 21:37
畑元帥なんかは東條陸相が既定事実だったみたいに書いているが、実際に
「全軍の輿望」を東條が負っていたのかは私にはわからん。現に、
秦さんが書いている阿南陸軍次官と沢田参謀次長のことも知らないし。
秦も宮地もたいしたもんだよ。なんだかんだいったって、有名な歴史学者として
の地位を確立した。
502 :
日本@名無史さん:02/03/15 22:14
そんな世俗の評価なんかどうでもいいよ・・・
どうでもいいとはいかがなものか
そういやあ、前田朗っていう東京造形大ってところの教授が、ひどく口汚く罵って
たな。こういうやつが「人権」だのなんなのって言えた口かよ、と思ったもんだ。
それもたいした内容じゃないのにもかかわらずさ。
505 :
日本@名無史さん:02/03/21 10:45
日大法学部の教授会でも秦は嫌われ者らしい。
>>505 それ嘘だろ。法学部の教授会で投票やって過半数以上取ってるから招聘されるんだろ。
日法みたいに保守系が多いところで、特段嫌われているとは考えられない。
>>470 終戦時みたいに意見が半々に分かれている事態ならともかく、
ハルノートが来て、おおよそ開戦に一致したものを天皇が反対して
ひっくり返そうとしたら、江戸時代の主君押し込めじゃないが、
天皇の身になんらかの事態が生じた可能性は否定できないよ。
508 :
率直なギモン :02/03/27 13:50
日本史の研究者ってモテなさそう…。
楽しいですか?
モデルと結婚して、合間に女子大生と不倫をしています。楽しいですが、何か?
510 :
日本@名無史さん:02/03/29 02:51
>>509 おまえ、マジで捕まるぞ。いいかげんやめとけ。
513 :
日本@名無史さん:02/03/31 23:55
秦ゼミってどんな史料・テキスト使ってる?
院生・学部生を問わず詳細きぼーん。
それでだいたいの指導風景も伝わってくるってもんだ。
終了
age
糞スレあげんなよ ボケ