吉良上野介義央を再評価するスレ

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1日本@名無史さん
 ドキュソで基地外だった浅野内匠頭長矩に切られた為に、悪役にされた
三河の名君・吉良上野介を再評価しよう。
2参州尊皇派:01/12/14 18:53
┌───────────────
│参州吉良公と播州赤穂義士の
│ご冥福をお祈り致します 合掌
└──v────────────

幡   ∧ ∧
大   (#゚Д゚)  ξ
菩   <武y 7っ-
薩   ( /つ)[o]
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
3参州尊皇派:01/12/14 18:53
三河の名門吉良公はもちろん尊皇家でした。
4日本@名無史さん:01/12/14 19:30
>>参州尊皇派
徳川家は公家諸法度を出したりしてるからあまり尊皇派じゃないね。
5日本@名無史さん:01/12/14 19:44
承久の乱で、尾張源氏は朝廷側についたけど、三河武士ってどうしてたの?
6世界@名無史さん:01/12/14 19:46
その様なことよりも壱よ、ちとお耳を拝借。すれと縁無きことなれども。
この度、拙者が江戸城に出城した折のことで御座る。松の廊下。
何か騒がしきことあり、一向に前に進めず。
何事かと思い見ゆれば赤穂藩主浅野内匠頭、吉良上野介に斬り付け候。
最早、阿呆奴がと。馬鹿奴がと。
そなたたち、刃傷事件ごときで松の廊下を占拠するとは一体何事か。
刃傷事件なり、刃傷事件。
何やら家老や御家人も打ち出で、一城総出で物見遊山で御座るか、まことに目出度きことなり。
「吉良上野介覚悟!」などと叫びしは正視に耐えず。
そなたたち、介錯し申し上げるから切腹せよと。
そも松の廊下とは本来閑散としているべき物なり。
擦れ違う隣国藩主との目だけで気まずき礼、
次の参勤交代は拙者か否か、その様な雰囲気こそ松の廊下の真髄。
火事と喧嘩と江戸の花は引っ込んでおれ。
して、漸く通れたと胸をなでおろし奉りし折、どこぞの芋侍が「殿中で御座る」とのたまいし。
そこでまたしても我が怒髪天を衝くが如きに候。
この時勢殿中などすでに過去の遺物なり。
したり顔して何が「殿中で御座る」か。恥を知れ恥を。
そなたは本当に殿中で御座ると叫びたいのかと問いたい。問い詰めたい。半刻弱ほど問い詰めたい。
ただ単にどさくさに紛れて歴史に残る言葉を言いたいだけなのではないかと。
江戸城中の先達である拙者に言わせれば、斯様な如き事態の適切な判断はやはり、
討ち入り。
これなり。
雪の降る吉良邸に陣太鼓を鳴らし討ち入り。これでござる。
して、見事仇を討ち果たし凱旋。これぞ武士道。
されどこれは切腹を覚悟の上でやらねばならぬ諸刃の刃。
未熟者には百年早き所業。
まあ壱の如き若輩者には、昼行灯で敵の目を欺くが関の山なり。
7日本@名無史さん:01/12/14 19:47
徳川宗家は皇国史観では悪玉だよ。
分家の水戸光圀の垂れ流した妄想電波に徹底的に
叩かれたんだから歴史の皮肉だね。
水戸家って一体に何物なの?
8日本@名無史さん:01/12/14 19:48
とりあえず、今日やる金曜ロードショウの忠臣蔵は見ないよ。
9日本@名無史さん :01/12/14 19:48
↑絶対くると思ってたよ。
109:01/12/14 19:49
あ、6のことね。
11日本@名無史さん:01/12/14 19:50
吉良上野介さんがテロリストに殺された日ですね。
12日本@名無史さん:01/12/14 19:51
公家や寺家を政治に関わらせなかった徳川家の政策の
元ネタって織田信長の天下布武でいいのかな?
13日本@名無史さん:01/12/14 20:07
吉良の殿様よいお方 赤いお馬の見回りも
浪士に討たれてそれからは 仕様がないではないかいな

 
14日本@名無史さん:01/12/14 20:12
このHPどうよ。
タイトルは『吉良上野介』か、いいねー。
一度、八名信夫氏に吉良公を演じて欲しいな。
http://osaka.yomiuri.co.jp/rekishisanpo/010728.htm
15日本@名無史さん:01/12/14 21:23
忠臣蔵なんて見ないで、運命のダダダダーンでも見よっとっ。
16みたよ:01/12/15 01:59
五辛リ辛(弁)の椿と交互にみながら、途中に風呂入ったりして忠臣蔵・・・
の刺客を見た。健さんはかっこいいが関東の武士まるだしだ。中井は力が入っ
ていたねぇ。宮沢りえの京ことばは最悪。色っぽかったが。
17日本@名無史さん:01/12/15 02:11
赤穂浪士って結局は食い詰めものの集まりだろ?
っていうか赤穂が関西だっていう時点で事の真相は大体わかるよ。
たくっ関西人はろくなことをしねぇ。
勘違いで殺されてしまった吉良が可哀想だ。
18トラツキー ◆TORA70sk :01/12/17 02:41
参考:16日の知ってるつもりにて
○寛永五年(1628)目付・豊島明重→老中・井上正就、刺殺。
●豊島は警備の者に殺害され、御家断絶。井上家は息子が相続。
○貞享元年(1684)若年寄・稲葉正休→大老・堀田正俊、殺害。
●稲葉はその場で殺害され、御家断絶、掘田家は息子が相続。
○元禄十四年(1701)接待役・浅野長矩→吉良義央傷害、殺人未遂?
●浅野は即日切腹、吉良家おかまいなし(その後御家断絶)。
19みたよ:01/12/17 23:42
俺は浅野の癇癪もちって説が妥当とおもう。
吉良も何か言ったかしたかはあったと思うが。
まぁあたりまえか・・・
20日本@名無史さん:02/01/09 16:35
相互あげ
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