728 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 20:35:57
新年 ふじはら 上げ
729 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 03:27:43
奈良に鎌足が大化の改新とき談合した
談山神社ってのがあって、
そこに藤原子孫会入会のご案内があった。
なんでも子孫かどうかは自己申告制で、
申告さえすれば「誇らしきわが藤原一族」ボードにはり出してくれるらしい。
おれは近藤だから当然載っていたが、わろた。
730 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 03:58:23
一代30年として
30年前の先祖は2人
60年前の先祖は4人
90年前の先祖は8人と
計算していくと1000年遡れば
先祖の数は1億人を超える。
鎌足の精子が一粒も入っていない
日本人を探す方が困難
近ふじは 近江の藤原北 それとも近衛府役人の藤原北末流 どち
732 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 02:27:00
>>731 近江丞の藤原。
丞は三等官だから、まあ下っ端の藤原さん。
まあ、左エ門丞の佐藤、
斎宮頭の斉藤、他の○藤もいずれも下っ端だけどね。
733 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 02:40:48
>>730 子孫を残した方が良いな?少子化日本では500年6〜600年後には半分ぐらいの
日本人は自分の子孫か?
734 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 02:55:50
735 :
マコマー9:2010/01/24(日) 15:41:15
現在の藤原さんは藤原氏とは全くの無関係だという。私もほとんどはそう思うが
私が見た書籍の中には藤原氏の傍流で加藤や伊藤、斉藤といった名前ではなくその
まま藤原と名乗り続けた者もいたと書いてあった。人によって本によって言ってい
ることが若干違う。歴史というのは以外に俗説が多いものである。
2ちゃんも俗説交開の場でつね(;´・`)
737 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 21:48:22
血縁有無は知らないが
藤原姓は在日とB出身に多いよ
藤本姓は在日が好んで名乗ったし
藤内姓にいいたってはB姓の代表格だし
地区によっては後藤姓がB姓の地区も多い
勿論佐藤姓だってI半島西部ではB姓の代表格だからね
わからないよ 地区と職業で判断しないとさ
738 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:57:41
僕の先祖も、よく生き抜いたなーと思った。
僕の体には先祖の血が受け継がれている
しかし僕は童貞 オワタ(T_T)/~~
>>735 別に「俗説」とかそういう問題じゃないんだが?
中央貴族として残った家系で現在の戸籍上の苗字として藤原を称している家はない。
これは明確な事実。
一方で、地方で藤原を称し続けたかもしれない家は、ごく稀に存在する。
例えば静岡県に残っていた京丸藤原家など。
こういう家は大抵、伝説の域を出ないので、正確なところはわからない場合が多いし、
そもそも日本にほんの数軒しか存在しない、極めて稀な例外。
それ以外の藤原さんはほぼ間違いなく、あの藤原氏とは全く関係のない人たち。
・・・ってだけの話で、俗説などの入る余地はないのだが。
740 :
大和:2010/01/31(日) 19:28:18
僕の家の家紋は、さかさ藤なのですが、藤原氏と関係があるのでしょうか?
741 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:55:55
>これは明確な事実
それはいいんだけど、武士藤原がすっぽり抜けてますがな・・・
武士の時代には武士が栄えたのです。
栄えるってことは鼠算式に増えるってことで、所領のあるところには
たとえそこがB地区であろうと人を置いたことでしょう。
ネズミ算式に増えたから藤原を名乗らないことにしたんだよ
>>735 あと 以外→意外 のゆとり学習世代 最近 東京も顕在化してます
藤原文化(教育)の衰退なげかわしや
>>741 武家化した藤原氏で、江戸時代まで藤原のまま名乗り続けた人なんているの?
746 :
マコマー9:2010/02/07(日) 15:28:36
747 :
マコマー9:2010/02/07(日) 15:41:06
>>739 貴重なご意見ありがとうございました。
B出身? B地区?っていったいなんのことですか。
B=部落 のことと思われ
749 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 08:43:13
>>1 藤とは、草に月と秦と書くのは‥
渡来系統を示唆している。
だから、土着系と結び付く、平家とは対立して来たのだ。
藤原氏は天津神系統に属する、古い出雲民族に発する渡来の天津神族の武士。
天皇家は、次に古い、百済系天津神海神族の皇族。
後の半島の戦乱で半島から、西暦400年〜600年頃に避難して来たのが、9天皇家の葛城豪族に代表される、豪族天皇家にあたる。
関東を支配していた、武田氏の先祖も、新羅三郎と言う新羅からの渡来民族の末裔。この、新羅渡来人らは、高句麗の兵士を連れて渡来している。
その高句麗系が、風間や服部の忍軍の祖先にあたる。
750 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 09:12:44
日本氏族大鑑の■平姓諸流→■桓武平氏→■桓武平氏諸流→■織田系譜
桓武平氏諸流
--------------------------------------------------------------------------------
■大庭系譜
■澁谷系譜
■東郷系譜(薩摩)
■相馬系譜
■千葉系譜
■大悲山系譜
■葛西系譜
■熊谷系譜
■別府系譜
■東条系譜(南部)
■織田系譜
■ 宗 系譜
■平口系譜
■新子系譜
■永井系譜
■財部系譜
あらかた、前明治以来の政権時代に観た勝ち組の経営者や右翼がらみの人物姓だろ。
熊谷組、東郷平八郎、相馬=平総家、東条=東條英機、財部・・
日本氏族大鑑
http://www.geocities.jp/tajima73/index.html
753 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 16:54:44
ほー
754 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 22:59:37
日本人は天皇家の子孫!!
日本人は2000年前のどっかの某家の子孫!!
つーどうでもいいスレを立てたと。
755 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 02:14:55
桓武天皇って子供が50人くらいいたんだよね?
女系男系まったく無視、あらゆる筋からでも遡ることが
許されるなら、何がしかの高位高官の人物にはぶち当たるだろうね。
757 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:57:02
何がしかどころか、平安・鎌倉ぐらいまで遡れば子孫を残し得た高位高官の
ほとんどが大多数の現代日本人の先祖だと言っても過言ではないと思う。
758 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 08:18:56
そんなこと言っても、具体的に立証できなければ空しいだけ。
なんの意味もない。
アホか。
759 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 08:19:50
ほとんどが大多数の現代日本人の先祖は、圧倒的大多数の無名の農民だということをスルーすんな。
760 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 10:00:54
そのことと
>>757は全然矛盾しないと思うけどな。
高位高官の方が無名の農民より子孫を残しやすいし。
761 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 18:35:06
近世大名見てもわかるが、上流階級は意外と子孫が繁殖してない。
徳川将軍家がその典型だが、作っても作っても夭折している。
頑健な家康の子ですら、夭折や子なしが多い。
島津家みたいな例外はあるが、大名・旗本クラスでも養子だらけ。
庶民も疫病やら災害やら飢えで死ぬ確率は高いが、
もとの分母が圧倒的に多いし、雑草のようなたくましさがあるから、
圧倒的に多くの子孫を残すことができる。
公家だの上層武家は、もとの分母の数で勝負にならない。
762 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 23:50:43
歴代徳川将軍でも、身体が弱すぎて子供が作れなかった将軍が
何人かいたみたいだしなあ。
徳川家って綱吉の母親みたいに割合庶民の血が入っているんだけどね。
育てる環境もよくなかったのかもしれない。
危ないからといって運動させないとか。
763 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:25:28
でも、家康のDNAと同時代の貧農のDNAの平均値とで比較して、
どちらが現代日本人にDNAを残しているかを考えたら、家康になると思うがね。
764 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:30:31
家康は一人だが貧農は大勢いる
765 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:39:27
鎌倉時代の前半ぐらいまでは未開拓地が有り余っていたから、有力者の子孫が開墾して繁殖しまくり。
それ以降なると、相続争いでつぶし合いで南北朝争乱から戦国時代まで戦乱と下克上が続く。
下克上と言っても、過去に繁殖した有力者の子孫たちの範囲の中でのことだ、豊臣秀吉を例外として。
徳川家康が長子相続が確定させて以降は、大名の子であっても、長子以外は一生部屋済みで子孫を繁殖させられなくなる。
766 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:56:35
庶民も疫病やら災害やら飢えで死ぬ確率は高いが、
もとの分母が圧倒的に多いし、雑草のようなたくましさがあるから、
圧倒的に多くの子孫を残すことができる。
公家だの上層武家は、もとの分母の数で勝負にならない。
767 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:28:54
分母が圧倒的なんて何の意味もないよ。
公家や上層武家の男系子孫ならそんなに数は多くないかもしれないが
ここで議論されてる「子孫」は女系も可なんだろ?
100万分の1でも公家の血が入っていれば子孫という意味でなら
日本人の相当数が公家の子孫と言えるだろうね。
768 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:55:04
それをはるかに上まわる圧倒的大多数の農民の血を無視するな。
大海の中に目薬一滴落とすようなもんだ。
すぐに薄められて、かき消されてしまうわ。
769 :
日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:07:25
「薄められる」というのはそのとおりだろうが、「かき消される」
というのは意味不明だな。
一個人の一千年前(30世代としましょうか)の先祖は、単純計算で10億人いることになるから、
現代に確実に子孫を残している鎌足や不比等の血は、現代日本人みんなが引いているという考え方も分からぬではない。
しかし一方で、一個人の一千年前の先祖が、ある一定の限定的な地域に住んでいた千人程度の村人たちだけに行きつく、
という可能性も無いではない。
(数代経てばみな他人になってしまうことを考えれば、代々同郷同層の者たちの間だけで結婚し続けたと想定することも可能で、
つまりは、数代遡ればおんなじ先祖がうじゃうじゃ出てくるだけで、30世代前で先祖が何億人なんて話にもならない)
>>770 安倍さんだらけ、佐藤さんだらけの集落なんて東北には無数にありますからね。
772 :
日本@名無史さん:2010/09/01(水) 11:44:26
母親の旧姓が遠藤で母方の祖母の旧姓が醍醐で父方の祖母の旧姓が伊藤
なんとなく藤原氏の血を強く引いていそうな自分を感じる
773 :
日本@名無史さん:2010/09/01(水) 12:21:42
うちの父方は名前からして秦氏みたいな名前で、山間地に限れば非常に多い姓。
774 :
日本@名無史さん:2010/09/01(水) 12:28:37
自らの意思であったり、左遷されたりで地方おちした藤原氏は多い。
なんてったって、公家の7〜8割が藤原氏なんだから。
で、彼らが「一食一泊の恩」と苗字を与えることはしばしばあること。
また、その名前を「故あれば他の家にも名乗らせていい」なんてこともある。
少なくとも、藤の字をして藤原氏と血縁的なつながりがあるなどというものではない。
なにより、徳川家も「当初は藤原氏だったが、将軍職に手が届きそうになって源氏なった」と言う例もある。
本来は血族としてのをあらわす氏姓でもあったが、あてになどならない。
775 :
日本@名無史さん:2010/09/01(水) 12:33:00
下がり藤だかの家紋の佐藤さんやら後藤さんやら遠藤さんっているのかな?
そしたら藤原氏の末裔で間違いないよな?
776 :
日本@名無史さん:2010/09/01(水) 12:38:33
日本国で一番藤原氏の血を色濃く受け継いでいるのは天皇家だと思う
777 :
日本@名無史さん:
つーことは源氏も平家も皆受け継いでいるな