どうよ?
良スレあげ
3 :
日本@名無史さん:01/12/08 12:16
まあ、三国史記よりは、信憑性があるわな。
4 :
日本@名無史さん:01/12/08 12:41
韓国の学者は、無視してんだって。
変な話だねえ。
固有名詞の漢字の用法とかってどうなの?
6 :
日本@名無史さん:01/12/09 14:05
良すれあげ
7 :
日本@名無史さん:01/12/09 14:23
>>5 推古朝遺文との共通性が指摘されてて信頼性があるね。
8 :
日本@名無史さん:01/12/10 12:14
これについてのいい論文とか本はない?
9 :
日本@名無史さん:01/12/10 20:23
山尾幸久の『古代の日朝関係』とか?
さんきう
あげげ
12 :
日本@名無史さん:01/12/15 23:56
百済系史書って信頼できると思うんだけど、
百済の後裔を名乗る韓国が認めないのでは?
韓国の学界なんて誰も相手していないからどうでもよい。
14 :
日本@名無史さん:01/12/18 00:30
百済記や百済本記や百済新撰は残ってないの?
そのものは、残っていない。
現存するのは、朝鮮の歴史書で最古のものは、三国史記という13世紀の書物。
よって、日本書紀に残るこれらの記録は、非常に貴重な存在なの。
16 :
日本@名無史さん:01/12/18 00:46
>>15 中国の史書に引用されていたりしないんですか?
17 :
日本@名無史さん:01/12/18 00:54
韓国の学界は、三国史記マンセー
また、百済が遼東半島を領有していたとまじめに唱えているらしい。
18 :
日本@名無史さん:01/12/18 01:35
遼東半島じゃなくて遼西地方だろ。かならずしもトンデモじゃないよ。
19 :
名無しさん@1周年:01/12/20 15:12
>>12 姦コックは、新羅の後裔を名乗っている一方で、百済=白丁と蔑視している
百済の王族を始めとして、多くは日本に亡命して帰化したのだから、
日本に吸収されたと見るのが正しいな
百済系史書と武寧王墓碑銘の記述が一致していたので、信憑性が確認された
20 :
名無しさん@1周年:01/12/20 15:13
>>15 姦コックでも、以前は三国史記なんて、中国史書のコピペばかりで
価値が薄いと逝っていたのに、ドキュソ国粋主義になっておかしくなった
21 :
日本@名無史さん:01/12/22 22:26
三国遺事は、壇君神話を記載する由緒正しい歴史書です
22 :
日本@名無史さん:01/12/22 22:32
古代も日本に遅れていたとは、認めたくないんだろうかな。
それは有名なウリナラトンデモ説です。
韓国の学界以外、誰も相手にしていません。
24 :
日本@名無史さん:01/12/23 01:47
三国史記は百済高句麗新羅から扱ってるわけですか?
三韓時代のことは?
25 :
日本@名無史さん:01/12/23 03:14
>16
いずれも百済滅亡後亡命百済人によって日本で書かれて
進上されたものなので、中国人は知らなかったと思われ。
百済記
日本書紀神功・応神・雄略紀に引用された百済の史書。
近肖古王から蓋鹵王の時代(346‐475)の倭と百済の関係を記すが
,物語的色彩が濃い。「貴国」「天朝」「啓」など日本を尊ぶ姿勢が顕著。
百済新撰
日本書紀雄略・武烈紀に引用された百済の史書。編年体で書かれたものと思われ
,蓋鹵王(あるいはその父毘有王か)と武寧王の系譜を記す。
百済本記
日本書紀継体・欽明紀に引用された百済の史書。武寧王から聖明王
,威徳王代の初年にいたる時期に,百済が倭や加羅諸国とともに任那復興に
尽力したことなどを記す。「日本」「日本府」の語が見える。日本書紀は
継体の崩年をこの書によって定め、また高句麗関係記事を採用するなど本書を重視していた。
茜 史朗 『百済記』『百済新撰』の史料的価値
茜 史朗 『百済記』『百済新撰』の描く世界
井上 秀雄 百済三書の史料的価値
木下 礼仁 「百済史料」についての一整理
久信田 喜一 『百済本記』考
栗原 薫 『百済新撰』の紀年
栗原 薫 『書紀』と『書紀』に利用された百済系史料
栗原 朋信 『書紀』神功・応神紀の「貴国」の解釈からみた日本と百済・東晉の関係
三品 彰英 百済記・百済新撰・百済本記について
山尾 幸久 百済三書と日本書紀
山尾 幸久 『日本書紀』と百済系史料
26 :
日本@名無史さん:01/12/23 03:20
>>25 「貴国」とか日本とかの後から日本がちょっと変えたとか言われてるけどね
それより前もおそらく中国の史書を参考に記述しています。
しかし、例の壇君伝説は記載されていませんね。
28 :
日本@名無史さん:01/12/28 21:42
百済系日本人以外が書いた百済の歴史はないのでしょうか?
三国史記 百済本紀 第三 金富軾撰
第18代 腆支王(在位405−420)
腆支王は『梁書』に名は映。阿莘王の嫡男で
阿莘王在位第三年(394)に太子となり
六年(397)倭国に人質としていった。
十四年に王が薨去すると、・・・
腆支は倭国にいて訃報を聞き、大声をあげて泣き
帰国を要請した。
倭王は百人の兵士を護衛につけて送り国境まで来た。
30 :
名無しさん@1周年:01/12/29 14:04
オマケで新羅の話
新羅の始祖の重臣についての話で、朝鮮正史「三国史記」の記述は以下の通り。
「瓠公はその出身の氏族名を明らかにしていない。瓠公はもともと倭人で、
むかし瓠を腰にさげ、海を渡って来た。それで瓠公と称したのである。」
しかし、これはよく読むと瓠公の「瓠」がPakakないしPakであるので
その主人にして始祖王である朴赫居世干とじつは本来は同一人物であったのでは
ないのかという見方が出来るのである。
始祖王、朴赫居世干に対する記述が神話的で曖昧であるのに対し、
倭人の瓠公の記録はひじょうに具体的で、しかも分量も多い。
「瓠公」が「ホコ」とも読めることにも注目。(天日槍)
史書にはさすがに王様が「倭人」とは書けないから、ほのめかしているとの見方がある。
第四代、脱解尼師今の記述に、
「昔、倭国の東北千里にある多婆那国の王が、女国の王女をめとって妻とし、生まれた
大卵を不詳なことと言い、捨てるように言ったが、妻は忍びず箱に入れて海に流した。
その箱は初め金官加羅国(任那)に着いたが、再び流されて辰韓(後の新羅)
に着いた。その箱を開いて出てきたので脱解と名付けられた。」(要約してます)
多婆那を弥生時代末〜古墳時代初期に栄えた丹波と見る説がある。
31 :
日本@名無史さん:02/01/06 00:24
新羅の始祖が倭人だったというだけじゃないの?
そりゃ朝鮮人は怒るかも知れないけど
32 :
日本@名無史さん:02/01/07 02:25
正確にいうと「新羅の王室の始祖」ね。
33 :
日本@名無史さん:02/01/13 11:02
そろそろ朝鮮人も認めてくれるはず
しかし、朝鮮の語源って、朝貢してくる鮮卑族、だったか?
34 :
日本@名無史さん:02/01/27 03:07
最近は嫌って韓国と改名した
35 :
日本@名無史さん:02/02/03 03:55
北朝鮮という表現も認めないらしい
やつらは『北韓』と呼んでるぞ
>>33 >朝鮮の語源って、朝貢してくる鮮卑族
おまえ馬鹿じゃねえの? 恥ずかしいからやめろ。
37 :
日本@名無史さん:02/02/03 12:13
>>35 「北韓」だってかなりましになった方。
10年前だか20年前だかには「北傀」っていってたぞ。
最近の太陽政策からは想像もつかないがな。
38 :
日本@名無史さん:02/02/11 02:38
>>36 中国がなぜ鮮卑にも同じ字を用いているかをよく考えてみよう
39 :
日本@名無史さん:02/02/16 13:50
>>38 また「鮮卑デンパ」野郎かよ。てめえあちこちの板で馬鹿さらすのやめろ。
新羅の始祖が倭人。
41 :
日本@名無史さん:02/02/16 15:44
鮮度の「鮮」でしょ?
「あざやか」「希少」という意味だから,卑字ではないでしょ.
42 :
日本@名無史さん:02/02/16 16:25
朝(日)が鮮やかな場所って意味だと聞いたよ。
そもそも自らの国号にしているんだから悪い意味じゃないはず。
43 :
日本@名無史さん:02/02/16 17:12
俺は魚のはらわたが、生でも食えるゾ!と言う意味だと思っていた。
それに美徳を感じていた民族なのかなと。
朝鮮というのは当て字。澄水、仙水、虞水などの川があるから川の名からできた地名。
(澄、仙、虞。澄仙=中山=朝鮮)
もとは「中山」(古名は鮮虞)の別表記で「中山」も「朝鮮」も古い時代は発音は同じ。
戦国時代の中国では東北の方角を漠然とさした言葉。
河南省(中原)や山東省(斉)では河北方面をさし、河北省(燕)では今の北朝鮮をさした。
45 :
日本@名無史さん:02/02/22 02:42
朝貢してくる鮮卑族、の略っぽいのは、偶然なのか、狙ったのか??
47 :
日本@名無史さん:02/02/25 19:05
中国国家の古朝鮮の名前をぱくって高麗が自分の国にしたってこと?
48 :
日本@名無史さん:02/02/27 11:56
>>47 質問の意味がいまいちわからないが・・・・
「朝鮮」という名詞の起源はともかく、漢代以降は「朝鮮」といえば
事実上「楽浪郡」をさしている。つまり今の北朝鮮をさす地名。
李氏朝鮮が「朝鮮」となのったのは、「朝鮮」と「和寧」の
二つの候補の中から明国に選んでもらったんだよ。
49 :
日本@名無史さん:02/03/04 09:32
和寧というのは歴史的にどこをさす言葉なの?
咸鏡道の永興。地図にのってるよ。
李朝の太祖・李成桂の出身地なので国名の候補になった。
(発祥の地をもって国名とするのは東アジアの常道)
このへんは高麗の「千里の長城」より北側で、昔は女真族の地。李成桂ももとは女真族の出身。
ただし明の太祖に選んでもらうってことはその段階で朝鮮に内定していたと同じこと。
独立色の強い和寧より、中国と関係深い朝鮮にしたというのは政権の路線の表れ。
51 :
日本@名無史さん:02/03/05 01:00
へえ、女真族なんだあ
じゃあ、清とは仲良かったの?
>>51 李成桂の出自が女真らしいとはいえ、表向きは高麗人だからね。
明が健在のころは女真を蛮族と見下して朝貢させてた。
のちにその蛮族だった女真族改め満州族に
武力で押さえ込まれて清への朝貢を余儀なくされたので
近世の朝鮮人の民族感情は屈折してゆくことに…。
53 :
日本@名無史さん:02/03/05 02:10
ふーん、なるほど、日本みたいに「華夷変態だ」ってことで
夷に従う必要なし、っていうふうにうまくはいかなかったのね。
海を隔てた利点かな。
>>50訂正すまそ
×このへんは高麗の「千里の長城」より北側で、
○このへんは高麗の「千里の長城」がすぐ北に接し、
55 :
日本@名無史さん:02/03/17 17:36
李氏朝鮮の王朝は女真族だったのかー
56 :
日本@名無史さん:02/03/23 13:47
中国王朝もほとんどの時代は漢民族以外だよ。
57 :
日本@名無史さん:02/04/07 21:59
髄も糖も異民族ですなぁ
58 :
日本@名無史さん:02/04/08 07:49
漢以外は全部異民族という理屈もなくはないが。漢民族なんだし。
59 :
日本@名無史さん:02/04/21 13:47
一応、宋は漢民族じゃないのかな?
もっとも領土はめちゃくちゃ小さくて、
さらに周囲からの侵入を絶えず許していた弱小国家だったけど。
60 :
日本@名無史さん:02/04/21 14:31
李成桂の奥さんはモンゴル人だっけ。
>>58 隋唐以降の第2次漢族(漢化した鮮卑との混血)。そういう意味では漢帝国の漢族とはちょっとちがう。
62 :
日本@名無史さん:02/04/30 22:07
まあ、すると隋唐は漢民族でないとして、そのあとはどうなのよ?
金とか元とか清とか‥
63 :
日本@名無史さん:02/04/30 22:36
モー娘板で以前こんなの見たけど本当なんですか?
加護・名護という名は百済の祭祀のひとつで白村江の戦いの後、
加護氏は近畿へ名護氏は琉球へ逃れた。
大体こんなことでしたけど。
64 :
日本@名無史さん:02/04/30 23:53
>>62 金は女真族、元はモンゴル族、清は満洲族。基本だろ。
65 :
日本@名無史さん:02/04/30 23:55
>>63 それは、よくあるチョン電波。
百済の祭祀に「加護」だの「名護」だのきいたことないぞ。
66 :
日本@名無史さん:02/05/08 18:33
だいたい、出典がモー娘板っていうところからあやしい。
67 :
日本@名無史さん:02/05/08 19:08
68 :
日本@名無史さん:02/05/18 14:42
>>64 62は征服者ではなくて支配された一般庶民がどんな民族だったかってことでは?
分からん。
記録がないから
70 :
日本@名無史さん:
んなこたあない