1 :
日本@名無史さん:
天皇家の名字教えてください
2
3 :
日本@名無史さん:01/12/01 03:05
阿毎
4 :
日本@名無史さん:01/12/01 03:08
この「姓はあめ」って当時「あめ・・・」って
諡とか付けてたからそれ聞いて誤解したんじゃないか?
「天(あま)」らしいですね。
アマテラスとか、アマノウズメとかいるじゃないですか。
皇室は高天原の神様の直系なので、当然姓も神様です。
それから、何とか宮とか、なんとか仁とか名乗られるのが常だけど、あれも本名じゃないですよ。
本名は別に有り、皇室外には隠されています。
総理大臣ですら知ることはできない、「なんとかのミコト」風の真名です。
それが日本の最高機密です。
日本では名字は天皇家が与える物なので、
天皇家の名字は名無しです
同時に天皇家に名字をもらえなかった地下の者も名無しです
7 :
日本@名無史さん:01/12/01 19:33
地下? なんのこっちゃ
8 :
日本@名無史さん:01/12/01 19:37
すれ違いデスが今上天皇は大学を中退してのは本当なんでしょうか?
>7
無知をさらけ出す前に勉強しろ。
じげ ぢ― 【地下】
(1)昇殿を許されない官人の総称。また、その家格。一般には蔵人を除く六位以下。公卿(くぎよう)・殿上人に対する語で、のちには家格の固定に伴い、堂上家(とうじようけ)の出身者以外は公卿でも地下である者が生じた。地下人。⇔堂上⇔殿上人
(2)宮廷に仕える者以外の人々の総称。一般農民や庶民をさす。地下人。
(3)在郷、また在郷の人。地下人。
(4)自分の住んでいる集落。「それ先度―に寄合があつたは/狂言・右近左近(虎寛本)」
>8
日本の最高機密を知ったからにはかわいそうだが消えてもらうぞ。
13 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:13
なんか難しいっすね。
14 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:27
天皇は高卒ドキュソ
15 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:27
>12
学習院在学中に欧州歴訪して、出席日数が足らなくなった。宮内庁が多寡を
くくってたら、落第処分になって大慌て。学習院教授会は国家権力にも屈し
ませんでした。
>>15 そういう経緯があったのですか。ありがとうございます。
17 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:32
常陸宮って本当に大学行ったの?あの知恵遅れじゃ高校卒業も難しそうだが?
18 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:38
19 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:42
>>10 地家作蔵→大室寅之祐(明治天皇)→昭和天皇だから地下ではなくて地家でしょ?
オレがジャパンのテンノーに姓を下賜してやるから
ありがたく拝領せよ!
汝は今日から「Sukiyaki」姓を名乗るがよい!
21 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:43
名字ではないんだけど宮家の名前って皇籍離脱のときに名字になるね
大正天皇→昭和天皇→今上天皇→皇太子→今回御誕生なされた内親王 (0歳)
大正天皇→昭和天皇→今上天皇→秋篠宮文仁親王→秋篠宮眞子内親王 (10歳)
大正天皇→昭和天皇→今上天皇→秋篠宮文仁親王→秋篠宮佳子内親王 (6歳)
大正天皇→三笠宮崇仁親王→三笠宮寛仁親王→三笠宮彬子女王 (19歳)
大正天皇→三笠宮崇仁親王→三笠宮寛仁親王→三笠宮瑶子女王 (18歳)
大正天皇→三笠宮崇仁親王→高円宮憲仁親王→高円宮承子女王 (15歳)
大正天皇→三笠宮崇仁親王→高円宮憲仁親王→高円宮典子女王 (13歳)
大正天皇→三笠宮崇仁親王→高円宮憲仁親王→高円宮絢子女王 (11歳)
22 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:44
>>15 でも橋本明(天皇のご学友で橋龍のいとこ)なら知ってんじゃないの?
23 :
スキヤキ・アキヒト:01/12/01 20:44
ははっ! ありがたきおことば
恐悦至極に存じまする
うい奴じゃ。わが名から一字をとって汝に授けよう。
今日からGの字を頭につけて
ガキヒトと名乗るがよい!
25 :
スキヤキ・ガキヒト@日本天皇:01/12/01 20:49
とほほほほほ。これ以上つぎはぎだらけの名前にされたくないでおじゃる。
26 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:52
シンプルに大王でいいんじゃない?
27 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:54
小和田王朝の始まりです
28 :
日本@名無史さん:01/12/01 21:02
>>5 きっと、皇族の真名知ったりしたら抹殺されちゃうんだろうな。ドキドキ。
29 :
日本@名無史さん:01/12/01 21:05
本当にそんなものあるんか?
30 :
日本@名無史さん:01/12/01 21:15
366 名前: 投稿日:01/12/01 18:47 ID:anA/CiO9
皇孫殿下【命名の儀(12/8)】
候補一覧
燦子(あきこ)
汐子(きよこ)
純子(すみこ)
敦子(あつこ)
温子(はるこ)
恭子(やすこ)
琳子(りんこ)
31 :
日本@名無史さん:01/12/01 21:18
? (31) 36: 網野善彦に萌えるスレ (107)
37: 雅子が赤子捻り出してるぞ!! (19) 38: この板、
朝鮮人が沢山入り込んでるよ (42) 39: 大正天皇て
どんな人?おしえて! (168) 40: 私立大学の史学科
(312) 41: ■□ 坂本竜馬について □■ (604)
42: ★天皇こそ神であり、究極の国体主である★ (58)
43: 女帝はアホ。 (182) 44: 黒田官兵衛孝高だけど・・ (7)
45: 今だから語る,恩赦は廃止すべきか? (7)
46: 【徹底検証!!】なんでタヌキに負けたんだ。石田三成 (105)
47: 新選組など佐幕派ファンに告ぐ!! (796)
48: 年輪年代法信者にもの申す2 (217)
49: 騎馬民族征服説 (263) 50: アンチ薩長の矛盾を語るスレ (121) 5
1: 日本最大の学者一族・箕作家について語るスレ (18) 52: トーホグ
エミシの歴史を語るスレッド (239) 53: 石山一向一揆を語れ (11)
54: 伊達正宗ってなんで人気あんの? (56)
55: 系図に詳しいHPを教えて (31)
56: 司馬 遼太郎!!てめぇ何様やねん!ヴォケが!!! (634)
57: ◆◆内親王殿下御誕生あそばされる!◆◆ (2)
58: 女帝誕生を阻止しよう! (16) 59: 藤原○香、木村拓○
、松島○菜子は童話? (244) 60: 神武天皇はね、ちょんなの ワ
カル (17) 61: ■■神武だけど朕に何用か?■■ (201)
62: なぜ日本には「田」「藤」のつく人が多いのか? (162)
63: 学術雑誌内の論文の検索方法は? (93) 64: ◆アキヒ
トだけど◆ (19) 65: 雅子様のお子様の名前を勝手に予想しよう★
日本史板 (75) 66: 有名人のお墓のについて (177) 67: 何が126代だ!!
(288) 68: バカマツ君がはじまるザンス〜〜シェーーー!!! (16) 6
9: NHK大河ド
32 :
日本@名無史さん:01/12/01 22:00
天皇家の姓は、「息長(おきなが)」。
33 :
日本@名無史さん:01/12/01 22:02
>22
本物の橋本明は江戸城の地下で、鉄仮面をかぶせて監禁されてる。今いるのは
双子の弟だ。
34 :
日本@名無史さん:01/12/01 22:04
>>32 息長が正しいだろう。
現皇室の祖は、継体天皇であり、継体の天皇即位前の名前は、
息長オオドだったから。
「日本」だよ。
36 :
日本@名無史さん:01/12/01 22:30
「天皇」でいいじゃん
37 :
日本@名無史さん:01/12/03 00:04
何かの本で「大伴」って聞いたことがある
38 :
日本@名無史さん:01/12/03 00:07
山田
39 :
日本@名無史さん:01/12/03 00:29
>>6 の説が一番整合性が有る。よって認定。俺も支持。
40 :
日本@名無史さん:01/12/03 00:33
「倭」ってガッコの先生が言ってたよ。
もちろん渡来系の血筋で。
なんか、とてつもないドキュンばかりだね、このスレは。
42 :
日本@名無史さん:01/12/03 02:47
43 :
日本@名無史さん:01/12/03 03:23
橋本龍太郎の橋本家って天皇の親戚って本当?
44 :
日本@名無史さん:01/12/03 04:23
>6
ふ〜ん、名字って天皇からもらえるんだ、ふ〜ん、初めて聞いた
>10
一般農民や庶民にだって名字あるじゃん。
おれはてっきり奴婢のこと言ってんのかと思ったよ。
律令制下において、良には姓があり、賤には姓がないからな。
最初は一代限りの称号や通称、字などが、次第に子孫に継承されるようになり
家名として固定するものが名字であるとするなら、某宮というのは名字の一種と捉えられるだろう。
但しこれはあくまでも各宮家の称号であって、天皇家全体の名字はない。
もちろん姓もない。天皇は良賤に包含されない存在であるから。
45 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:39
>>44 本来は姓と苗字は別のものです。それはご存知ですよね?
46 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:43
藤原系の血を多く含んで
長い間藤原の傀儡だったことだし藤原でいいと思う。
47 :
日本@名無史さん:01/12/04 00:01
>45
俺は分かってるよ。分かってないのは6だろ。
48 :
日本@名無史さん:01/12/04 00:03
天之 あまの
または
天 あま
でしょ。他には考えようにも思いつかない。
49 :
日本@名無史さん:01/12/04 02:52
昔どこかで菊華だって言ってたやつがいたが…
藤原一門にいそうだな。ってそれは菊亭か。
50 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:07
太古には,菊はなかったでしょ.あれは大陸伝来の花.
51 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:18
っていうか,天皇は権威のソースを,大陸伝来の文化を独占的に輸入し
「下される」ことによって獲得していたわけだから,そういう意味で
「菊」が天皇家を象徴する花なのは,みずからは文化的中身をもたず
中空構造としてつづいてきた皇室の伝統をも象徴していることになる.
52 :
日本@名無史さん:01/12/06 08:12
いわゆる倭の五王の時期には、対中国国書に「倭」を姓として自称しています。
「倭讃」とかのようにね。だから「倭」。今風に言ったら日本かな。あ、奈良か。
いや東京かな。「千代田」なんて名字っぽくていいかもね。目出度いし。
53 :
日本@名無史さん:01/12/06 19:27
もともとの姓は「金」氏だったと思いますよ
54 :
日本@名無史さん:01/12/07 20:09
ほんとに皇太子に聞いた奴がいた!
55 :
日本@名無史さん:01/12/07 20:15
扶与というらしい。韓国がそういっている。
>6
古代には姓が無かった名残だと認識していたんだけど?
56 :
日本@名無史さん:01/12/07 20:37
>>6 もともとは姓が在ったものがその理屈で名乗らなくなった
ということだったと思います。
南朝方の親王の子孫とか言い伝えがある家で、
天野 とか、 安間(あんま)という苗字があるんだけど、
この辺の理由もあって「あま」説に1票
ヨーロッパや中東の王室にも姓がない。
王位に就く前に姓を持っていたとしても、なくなってしまう。
万国共通のルール?
58 :
日本@名無史さん:01/12/07 20:49
支那はあるね。
59 :
日本@名無史さん:01/12/07 22:45
隋書倭国伝を読めよ。
60 :
日本@名無史さん:01/12/08 00:03
>59
阿毎はとっくにガイシュツだぞ。
>56
もともとないよ。
61 :
日本@名無史さん:01/12/08 00:08
姓なんてなくても識別できるからいいんだよ。
62 :
馬鹿発見!!!!:01/12/08 00:09
>ヨーロッパや中東の王室にも姓がない
64 :
日本@名無史さん:01/12/08 08:02
ハノーヴァー家じゃなかったの? 詳細きぼんぬ.
65 :
日本@名無史さん:01/12/08 09:07
チョン明仁
これが氏名だ。
66 :
日本@名無史さん:01/12/08 09:30
金明仁
67 :
日本@名無史さん:01/12/08 10:44
>>63 >>64 ハノーヴァー朝はヴィクトリア女王まで。1901年に彼女が没した後は彼女の夫のアルバート公の家名をとり、サックス=コーバーグ=ゴーサ家となった。
しかし、第一次世界大戦の勃発により敵国となったドイツ風の家名を改めて、1917年に離宮所在地の名を取りウィンザー家となった。
中東の王様に苗字がないという話で思い出したんだけど、
以前のヨルダンの王様がアマチュア無線を趣味にしていた。
そのコールサインが
JY1
といった。国の識別コードだけ。さすがだ。
69 :
日本@名無史さん:01/12/08 23:15
>>67 質問。英国は現在も女王で夫君がいますが、
チャールズ皇太子が即位後は父方の姓に変わるのでしょうか。
70 :
日本@名無史さん:01/12/09 06:43
中東って王室に限らずみんな名字無いんじゃなかったっけ
だったらあんまり比較事例にならんとおもうが。
71 :
日本@名無史さん:01/12/09 07:02
>69
エジンバラ公も元は王族なんだけど、彼の姓は何?
72 :
日本@名無史さん:01/12/09 07:19
エバラ
73 :
日本@名無史さん:01/12/09 07:56
「三輪」説は?
74 :
日本@名無史さん:01/12/09 08:00
天皇家の祖先が大和盆地の三輪山の麓を拠点にしていたからだろ。
>>74 で、有力豪族は、結局地名が名字になってるから。
76 :
日本@名無史さん:01/12/09 08:08
熊沢
77 :
日本@名無史さん:01/12/09 08:19
>>6 天皇と豪族との関係を制度化する手段としての「姓」なら,
>>6のいうとおりだが
このスレの趣旨は,天皇家のfamily name は何よ? ということだと推定されるので
却下.
78 :
日本@名無史さん:01/12/09 08:24
ヨーロッパでも,王侯貴族は別として,庶民は姓をもってなかったんじゃない?
79 :
日本@名無史さん:01/12/09 08:27
レオナルド・ダ・ヴィンチ (ヴィンチ村のレオナルド)
イグナチウス・デ・ロヨラ (ロヨラ城のイグナチウス)
81 :
日本@名無史さん:01/12/09 08:42
>>79 ならば、高天原族の天皇家は「高天原愛子」だね。
ハノーヴァー家というのは、英国の王朝としての呼び名で
ハノーヴァー選帝候家ではハノーファー家とは言いません。
本来はブラウンシュワイク・リューネブルク家といいます。
それもウェッティン家の子孫が互いを区別する過程でついた名前です。
藤原氏が九条家や近衛家とかと名乗ったのと同じ様な感じです。
エジンバラ公はギリシャ王室の出身だから、グリュックスブルク家の一族です。
でもやっぱり本来は王族にはsurnameってないのじゃないかと思われます。
彼が英国に渡る前の亡命生活のころ、レンタカーを借りようとしたとき、
Phillippe of Greece とサインして断られたという話があります。
ということは、グリュックスブルクが本姓という認識じゃないということです。
ちなみにエジンバラ公の姓はマウントバッテンですが、これは母方の姓の
バッテンベルクを英国風にした姓で英国籍になったときに名乗ったものです。
ちなみに、サックス・コーバーク・ゴータ家というのは、surnameじゃなく、
1917年に王家のsurnameをウィンザーとすることを決めたとありました。
チャールズ皇太子のフルネームは、
Charles Phillippe Arthur George Windsor ですが
アンドリュー王子のフルネームは
Andrew Albert Christian Edward Mountbatten Windsor です。
つまり今のところ英国王家の嫡流が Windsor を名乗り、
傍流は Mountbatten Windsor を名乗ることになっている模様です。
でも肝心の天皇家は起源が古すぎてはっきりしませんね。
無理矢理言うと、宇多天皇が臣籍降下して源定省(みなもとのさだみ)と
名乗っていたので、源氏といえないこともないってとこでしょうか。
83 :
日本@名無史さん:01/12/09 21:58
削除人の更迭
ローカルルールの制定
に向けて動きたい
ローカルルールには
史観論争の禁止(政治思想板へ)
朝鮮差別の禁止(ハングル板へ)
皇室罵倒の禁止(最悪板へ)
の三条を盛り込みたいと思う
どうだろうか?
84 :
日本@名無史さん:01/12/12 11:17
もしも愛子内親王が即位して他家の男性のところへ嫁入りしてしまったら
姓や名字などはどのようになってしまうのでしょうか?
少しは板の住民の言葉も聞け>84
なんでこれが歴史板なんだ?
86 :
日本@名無史さん:01/12/14 02:07
>>62 ヨーロッパや中東の王家の「〜家」という名称は家名ではあっても、姓ではない。
姓ではないため、王族が署名したりするときにファーストネームに続けて家名を書くということも基本的にはない。
87 :
日本@名無史さん:01/12/14 02:11
チンパンジー愛子内親王
88 :
日本@名無史さん:01/12/16 00:00
フランスの王家はカペー家だよね。
フランス革命でルイ16世が死刑にされた時の判決文には、
嫌みったらしく本来の姓を使って被告人ルイ・カペーと書いたそうだ。
89 :
日本@名無史さん:01/12/16 00:24
おいおい「家名はあっても姓はない」って何?
ただのへりくつに聞こえるが。
90 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:08
>>89 あでも家名と姓の使い分けはあったんだよ。
フランス王国の王家の姓はカペー(カペの方が正しい発音かな)だけど、
途中で分家が継いでいて、家名としてはヴァロワ家。
実は日本でもこれと似た制度があって、足利氏や徳川氏は姓は源氏なんだ。
徳川家の人も公式の文書には源光圀とか署名している。
徳川が源氏というのは本当はインチキで、公式には源氏という事だけどね。
でも源みたいな姓は名乗る家の数が多くて区別するのが大変なんで、
居住地とかにちなんで、家を区別するための家名の通称が出来た。
これが苗字或いは名字の始まり。今じゃ姓と同義だけど。
封建制による制度の類似だろうね。
91 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:27
天皇家には姓はありませんよ。
というか弥生時代には日本人には誰も姓を持っている人はいません。
日本の神様の名前は、例えば武美槌とか饒速日とかみればわかる事で
名前だけしかありません。姓が出来たのは、古代氏族の系図を見ていくと
応神朝か仁徳朝の可能性が高いです。但しこの時代は、姓という字は「カバネ」と
呼ばれて、臣や連などの貴族の称号(公爵とかBaronとかいったようなもの)を
意味していました。今の姓の意味で使われていた言葉は氏(ウジ)です。
まず貴族階級に大伴連、葛城臣とかの氏と姓が与えられました。
被支配階級は、どこかの貴族の支配下にある事を示す大伴部、蘇我部などの
姓を名乗りました。
天皇家自身は姓を与える立場だったので、自分の姓は名乗りませんでした。
これが天皇家に姓がない理由です。
なお新羅でも日本と同様に最初は王家に姓はありませんでしたが、後に支那風の
金氏としました。高句麗や百済は、出身部族の夫余またはその略の余を姓に
してました。やはり支那に近い分その影響が強いです。
92 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:29
訂正
武甕槌←武美槌
93 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:40
カペー? ヴァロワ?
じゃブルボンてのは何?
94 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:42
>91
>古代氏族の系図を見ていくと 応神朝か仁徳朝の可能性が高いです
鉄剣銘を見る限り、雄略朝になってもまだ無いんじゃないの?
95 :
日本@名無史さん:01/12/17 01:02
ブルボン家というのは、
カペー朝のルイ9世を祖とするカペー家の一族です。
ブルボン・ラルシャンボー市に本拠地を置くブルボン公になったことから
初代ブルボン公が、ルイ・ド・ブルボンと呼ばれるようになりました。
>>90氏も書いていますが、家名と姓は別物なのです。
徳川家の場合(本姓は源氏ということになっています)が、
八代将軍徳川吉宗の次男が、田安宗武と呼ばれるようなものです。
この場合の田安が家名ということになります。(由来は田安門内に屋敷を
賜ったことによります)
あくまでも徳川から改姓したわけじゃないのです。
97 :
日本@名無史さん:01/12/18 11:08
天皇の名字って日本でしょ
98 :
日本@名無史さん:01/12/20 00:48
氏姓苗字の違いを整理すると
たとえば藤原朝臣(フジワラノアソン)何某が斎宮頭(カモンノカミ)を名乗っている場合、
氏=藤原
姓=朝臣
斎藤=斎宮頭藤原氏の意味で苗字(≒家名)
となるわけだね。
99 :
日本@名無史さん:01/12/20 00:52
いくら古代でも豪族同士、イエを区別する必要があっただろうから、
もともとは何か姓があったと思う。
イリ王朝・ワケ王朝ってのがあるからこれが姓かも?
で、今の皇統は継体朝だから「息長氏」
きっとこれだよ!
100 :
日本@名無史さん:01/12/20 01:24
イリとかワケってのは名前の下に付く称号だよ。カバネの前進
>イエを区別する必要があっただろうから、
区別も何もイエそのものがないんだから
101 :
日本@名無史さん:01/12/20 01:24
102 :
日本@名無史さん:01/12/20 01:53
>98
別に斎宮頭(さいぐうのかみ)名乗っちゃいないよ。
先祖がそうだったっていうだけの話だよ。
103 :
日本@名無史さん:01/12/20 05:43
>>94 >鉄剣銘を見る限り、雄略朝になってもまだ無いんじゃないの?
おおかなり知識がある。
でもこの史上最古の系図の最後に位置する人(稲荷山古墳の被葬者の可能性が高い)の
小別臣おっと乎獲居臣という名を見ると、臣の姓(カバネ)を賜っている事がわかるね。
普通氏と姓はセットで与えられるから、書かれてないが氏もあった可能性が高いと思う。
では氏は何か?太田亮博士は、東国に膳大伴部が多い事を言っている。膳大伴部を支配
する最高位の貴族(太田博士の用語では惣領的伴造)は、膳氏の同族の可能性が高いだろ
う。膳氏の同族なら臣姓の可能性が高く、鉄剣の銘文と整合的だ。なお武蔵国造は直姓
だから合わないし、秩々父国造は連姓の可能性が高い(太田亮説)からこれも合わない。
しかし新撰姓氏録その他あらゆる資料を見ても、膳氏や阿部氏は勿論いかなる氏族でも、
膳大伴臣などという氏族は存在しない。膳氏や阿部氏の同族でも、この地域に関係あり
そうな氏族は存在しない。大きな勢力があったにしても所詮は地方貴族だし、中央に勢力
はなかったのかもしれない。とはいえ大泊瀬幼武天皇(諡雄略)朝に氏姓が存在していた
のは確実ではないだろうか。但し小別臣がいつ氏姓を賜ったかは問題だ。誉田別天皇
(諡応神)朝は確実に無理だ。大鷦鷯天皇(諡仁徳)朝に賜った可能性は僅かにある。
やはり一番可能性が高いのは大泊瀬幼武天皇(諡雄略)朝か。
例によって遅レスだが。
>>100 >区別も何もイエそのものがないんだから
いや、文化人類学で言うリネージという観念は存在していた。古代氏族の系図を見れば
わかる通りで、大和朝廷の貴族制度(いわゆる氏姓制度)が施行される以前から、男系を
たどる家系の観念は存在していた。稲荷山古墳鉄剣銘文では多加利足尼から加差披余まで
の期間だ。氏や姓は存在しなくても家長権は家族内の男子に相続されていた。そもそも
家系の観念が元々全く存在してなかったら、氏姓制度の施行自体が不可能になる。但し
日本では観念或いは文化としての氏族は存在するが、支那やアラブの如き相互に協力し
合う氏族共同体は存在しない(明石一紀説)。なおこの銘文に、剣なのに刀と書いてある
のは、当時の日本人の漢字の知識の水準を示しているだろう。
104 :
日本@名無史さん:01/12/20 07:39
皇族がたが、海外に行く時って、やっぱ税関でチェックするのかな?
でもって、「名字が書いてないじゃないですか」なんて係官に
言われたりするのか?
105 :
日本@名無史さん:01/12/20 07:51
>乎獲居臣という名を見ると、臣の姓(カバネ)を賜っている事がわかるね。
わかんないなあ。これは名前に付いているから個人の称号だろ。
こういうのが後のカバネの濫觴であるのは太田博士が言われるとおりだが、
この時点ではまだ。彼以前のスクネやワケも同類と思われ。
あんたの論理だとスクネだって当てはまっちゃうよ。
>普通氏と姓はセットで与えられる
その通り。だから名前に付く称号とは別。
>膳氏の同族なら臣姓の可能性が高く、
俺もそう思う。
>なお武蔵国造は直姓だから合わないし(中略)
>膳大伴臣などという氏族は存在しない。
鉄剣銘の「臣」字は「直」寺だとする説も根強い。
だとすれば武蔵直・膳大伴直の可能性もある。
個人的には字を見た限りではどちらとも言い難い。
確かに臣にしては変な形だし、かといって直には画数が不足のような。
>大泊瀬幼武天皇(諡雄略)朝に氏姓が存在していた
のは確実ではないだろうか。
ウジ名が存在していたら書かないわけがない。
ウジ名は奉事根原そのものなのだから。
>いや、(以下略)
そんなことはわかってるよ。99に、
>イエを区別する必要が
てあるから100のように書いたんだよ。リネージとイエは
同一視できないだろ。
>氏や姓は存在しなくても
全くおっしゃるとおり。
>>105 うお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
2ちゃんねるにしてはなんと高水準なレス。萌え、おっと燃えてきた。
こうなったら真剣にやるぞぉ。(その割に遅レスだが。)
スレの趣旨と無関係という批判が出そうだが、日本人(やまとびと)の氏姓の起源を
明らかにする事は、正に天皇家に名字がない理由を明らかにするものだ。
部外者には殆ど理解できないだろうが、そんな事は無視してガンガンやろう。
という訳でまずは訂正だ。
大彦おっと意冨比垝から加差披余まで ← 多加利足尼から加差披余まで
(出ない字があるかも)
別に意冨比垝を阿部氏族の共通の祖と考えて外したとかいう
高尚なものではない。単純にぼーっとしていただけだ。
それからリネージは、氏族より狭いより確実な同族集団と思っていたが、
文化人類学の氏族と国史学の氏族は全く範囲が違っていた。
よってここでは使えない。といってどんな語を使えばいいか
いいものが思い浮かばない。どう訂正するかはしばらく猶予してくれ。
また銘文に刀とある件だが、誤用であるとしても4〜5世紀には、両刃の剣でも
刀と表記する場合がある事が定着していたので、それを明記して刀と書くべき
という田中卓の意見がある。これもまた傾聴に値するが、いちいち断り書きを
入れるのが面倒だし、世の中の大勢に従って剣としておこう。
という訳でいよいよ本題だが、これだけで長レスになってしまったので、
続きはまた2〜3日後だ。のんびりし過ぎかな。
やっと本当のレスだ。
まずは大和時代の姓についての規定を。既に知っている事も多いだろうが、このスレの他の読者への
説明も兼ねるので我慢してくれ。また学術論文ではないから、多少大雑把な部分や資料を明示していない
部分もあるがご容赦願う。
まず太田亮博士の「日本上代に於ける社会組織の研究」(会の旧字が出ないなあ)にある原始的カバネと
制定的カバネの区分を使う。原始的カバネは自然発生的な称号で、制定的カバネは大和朝廷の貴族制度
として公的に採用された称号である。
原始的カバネ:地名や職業名に何か称号を付けて、土地や職業集団の支配者である事を表した。
彦、媛、タケル(字が出ん)、戸賣、耳、主、積など、
後の制定的カバネ(単純に言うと貴族の称号)の臣、連なども原始的カバネの中から採用された。
太田博士は原始カバネの例に宿禰も挙げている。勿論宿禰は新しい用字で、大和時代は足尼。
八色の姓に宿禰があるが、これは律令時代に入ってから。大和時代には足尼は原始的カバネである。
貴族制度が施行されても原始的カバネは使われ続けたが、公的な称号ではないから個人の名前の一部
としての称号である。私は稲荷山古墳鉄剣銘文にある足尼も原始的カバネと考える。105さんの意見も
これと同じになると思うがどうだろう。
次に別(ワケ)について検討する。太田博士は、皇族の称号が皇族の地方官の名となったもので、
姓とは言えないが後世は姓のように取り扱われている、と書いている。制定的カバネには含まれないから
原始的カバネと
同様に使われるが、その意味は原始的カバネの如き普通の称号ではなく、天皇家の分家である事を表示する
というのが主要な役割だろう。ここでの議論で重要なのは、公式の貴族の称号ではないという事である。
○○別という人名についている別は、原始的カバネと同様に名前の一部として使われている。やはり
105さんの意見もこれと同じになると思うがどうだろう。
但し別という言葉が、完全に皇別氏族の称号類似物や皇別氏族の個人名のみに限定して使われていたと
考えるのは誤り。もともと「わける」という動詞の連用形だから、天皇家の分家に使用が限定される以前は
どこでも普通に使われていた言葉と思われる。天皇家の分家に使われた事から類推すると、古代の末子相続
制度で、年長の子供が分家する時によく使われる言葉だった可能性がある。神話時代(弥生時代)や辺境
(悪かったな)では、後の時代の中央地域とは違って本来の意味の別が使われた。天日別、天足別(問題が
あるが)といった神名がそうだろう。また陸奥国一宮は都都古和氣神社だが、私は都都古和氣を土着の
神の名と考える。和氣から都都古和氣の神名を畿内系と考える説が有力だが、常陸国風土記に土蜘蛛の
名に磐子別がある。名前の構成法が類似している。別の本来の意味は皇別氏族とは無関係だから、
田舎では本来の意味が残ったとしても不思議はない。という訳で都都古和氣を土着の神と考える。
ここまでの説明では、稲荷山古墳鉄剣銘文の中の足尼や獲居は、原始的カバネや皇別氏族である事を
表示する公的ではない称号。だから名前の一部としての称号である。ここまでは105さんも同意
されると思う。問題は乎獲居臣の臣の性格である。
制定的カバネ。単純に言えば大和朝廷時代の貴族の称号。その機能を説明すると、大和朝廷内での
その貴族の地位や職掌を表示するもの。ここでは原始的カバネと区別するため、単に貴族の称号とは
呼ばず制定的カバネという用語を使う。
臣、連、君、直、造、首、史、その他多数。
賜姓の基準は次の通り。(太田亮説に私の補足説明。)
臣:大日本根子彦國牽天皇(諡考元)以前の天皇の子孫の氏族。
連:神話時代以来の天皇家の臣下と、神話時代の天皇家の分家。
大雑把に言えば天皇家譜代の家臣(のうちの地位の高いもの)。なお江戸幕府は家康より前の松平家の分家は
臣下扱いの譜代大名にした。古い分家を家来扱いするのは大和幕府おっと大和朝廷も同じだったようだ。
君:本来皇族の称号だが、皇別氏族の姓と化した。稚日本根子彦大日日天皇(諡開化)以後の天皇の後裔。
臣と君の区分の基準が妙な感じがあるが、これはかなり合理的に説明できる。実質的な日本の統一者である
御間城入彦五十瓊殖天皇(諡崇神)の兄弟から皇族で、それ以前のうっとおしい分家は家来扱いにした(だから
称号の文字も臣)と考えるといい。しかし実際には大和朝廷は臣姓氏族の専横に最後まで苦しむ事になる。
直:国造の姓。
造:伴造の姓。
職名(国造、伴造)の一部の字と称号(カバネ)の字に同じ文字(造)を使っているため、長く姓としての
造は気付かれなかった。本居宣長も混同している。本論で重要になるが、直は制定的カバネであり貴族の称号。
首:下級貴族。まあ村長クラス。
但し首姓でも相当強大な勢力があるものもあった。但し鉄剣銘文の首は、姓の首ではなく、単純に頭領とか
いった意味だろう。
また姓の表示の仕方は2通りある。多臣品治のように、氏+姓+個人名というもの。物部守屋大連のように、
氏+個人名+姓というもの。系図では氏は自明の前提なので省略されて、個人名+姓で書かれる場合が多い。
武裳見足尼臣―稲見臣―毛建臣―石持臣―豊忍小見―宇気古臣―品治臣―安万呂 (多臣:系図は阿蘇君)
制定的カバネつまり貴族制度が施行されたのは何時の時代か。溝口睦子は「古代氏族の系譜」(吉川弘文館)で、
多くの氏族で誉田別天皇(諡応神)か大鷦鷯天皇(諡仁徳)以後の時期に制定的カバネの表示が始まる事を
指摘している。例外は物部氏で、太田博士も活目入彦五十狭茅天皇(諡垂仁)朝の賜姓ではないかと考えて
いる。しかし天孫本紀中の連姓が付く人名の一部は国造本紀にも登場していて、そちらは命の字がついて
いる。国造本紀の成立は、どんなに古く見ても推古朝だから、物部氏の誉田別天皇(諡応神)朝より前の
人名の連姓は、推古朝以後の付加の可能性が高い。なお溝口は戦後史学の徒であるから、誉田別天皇
(諡応神)朝あたりを境界とした人名の変化を、時代区分の観念の変化と称しているが、私は単純に
史実と考える。誉田別天皇(諡応神)朝はもう歴史時代である。
なお姓(カバネ)と職業名は別の概念である事を記しておく。国造、伴造、県主、稲置といったものは、
現代の都道府県知事、市町村長などと同じく職業名である。しかし当時の封建領主としての職業は世襲
だったので、古代人自身も職業名と姓(カバネ)を厳密には区別していない。日本紀(やまとのふみ)
にも国造を稲置に降格する時に「姓を落として」と書いてある。だから太田博士も国造などの職業名を、
職業的カバネと言っている。私としては概念を明確にするために、職業名としておく。貴族制度の制定者は
職業名と称号の区別を明確に理解していたと思うが、後の時代の人はいい加減だった様だ。なお封建領主という
用語は意図的に使っている。古代にも封建制が存在したというのが私の主張である。
いよいよ本題である。問題は、乎獲居臣の臣が制定的カバネの臣か、それとも原始的カバネである名前の一部
として使われた臣かどうかである。また臣か直かの検討もする。臣らしき字を直とする説があるのは当然知って
いる。私は臣説を支持するので書かなかった。今書いている通りやたらとスペースを取るためでもある。
私はここで乎獲居臣の臣を貴族の称号と考える。理由の第1は、貴族制度の施行を誉田別天皇(諡応神)朝か
大鷦鷯天皇(諡仁徳)朝の史実と考えるからである。ただしこの氏族の賜姓は遅かったと考えるのがいいと思う。
第2に、鉄剣銘文中の人名が臣姓にふさわしい傾向があるからである。原始的カバネと同様の使い方をする
別は皇別氏族の呼称として使われ、皇別氏族の名前の一部に○○別といった形で使われる事は多かった。
例を示す。
彦刺肩別、浦凝別、御友別、鴨別 (吉備臣)
武渟河別、豊韓別、雷別 (阿部臣)
石衝別、石城別、石凝別 (三尾君)
しかし実は皇別氏族でも名前の一部の別が頻出するのは、第7代の大日本根子彦太瓊天皇(諡孝霊)の
分枝氏族である吉備氏以後である。皇別氏族でもそれ以前の天皇から分かれた和爾氏や多氏では、名前に別を
使う人物は系図中には少ない。和爾氏は印南別嬢だけ。この人物は吉備氏の可能性も高い。多氏は武水別と
武諸日別。また神別天孫の尾張氏にも淡夜別という人名がある。これらは天皇家の分枝氏族という意味は
ないだろう。本来の意味の別か、皇別氏族の人名の別の影響を受けたものではないだろうか。
ここで鉄剣銘文中の人名を見てみると、テ余加利獲居(字が出ん)、多沙鬼獲居という2人の別を含むがつく
人名がある。テ余加利獲居は豊韓別と同一人物の可能性が高い。既に述べた通り別を名前に含む人名が
頻出するのは、大日本根子彦太瓊天皇(諡孝霊)以後の氏族である。阿部氏族は第8代大日本根子彦國牽天皇
(諡考元)の後裔だから別が付くのは普通と言える。ここから考えると、臣姓の可能性は相当ある。
しかし武蔵国造の同族と考える場合には、この獲居は非常に都合が悪い。武蔵氏は出雲臣同族と称している。
武蔵氏は神別天孫氏族で皇別氏族ではない。だから人名中に別を使う可能性は非常に低くなる。実際史書や
系図に現れる武蔵氏の人名には別がつく者は1人もいない。系図の信頼性は問題だが。
なお私も武蔵国造同族で膳大伴直というのがいた可能性は相当あると思うが、今のところ確認できる資料は
皆無である。木簡などで出てくると面白いが。足立郡の支配者は大部直または丈部直である。私は丈部直説を
支持するが、大部直が正しい場合には膳大伴直だった可能性が出てくるだろう。
また君姓の可能性も考えなければならないが、今のところ臣らしき字を君とする説は出ていない。
本来はもっと真剣に検討されるべきだと思うが、2ちゃんねるだし省略する。
もう1つ、考古学的問題もある。埼玉(さきたま)古墳群は旧笠原郡にある。笠原郡の支配者は武蔵氏の
同族と称する笠原直である。旧笠原郡には他に若小玉古墳群という有力な古墳群がある。こちらが笠原氏の
墳墓群で、埼玉古墳群は別の氏族の墓場ではないだろうか。近くに氷川神社(火を噴く巫女はいないだろうな)
とかがあると状況証拠になるが(神社の創建年代は問題だが)、そうは都合よくいかなかった。
それから105さんの指摘にやや問題がある。直は制定的カバネである。当然名前の一部ではなく貴族の
称号である。鉄剣銘文中の臣らしき文字が、本当に臣かそれとも直かが問題になるのは当然だが、直の
時には制定的カバネとして扱い、臣の時は原始的カバネつまり名前の一部として扱うのはご都合主義では
ないだろうか。
しかし臣を姓と考える場合の問題点も幾つか存在する。まず105さんのいうなぜ氏が書かれてないか
という問題である。私は最初これをスペースが足りない金石文での単純な省略と思っていたが、恐らく
そうではない。
銘文中にある世々という表現は極めて重要である。実は私も105さんの指摘を読んでいてこれに気が
付いた。大泊瀬幼武天皇(諡雄略)朝に新たな職掌として武人としての奉仕が始まったのなら、賜姓が
この天皇の時代でも、「世々」と書く事はありえない。鉄剣銘文の「世々」は、先祖の誰かから継続して
武人として仕えてきたという事の主張である。そしてこの場合の奉仕の初代は、言うまでもなく大和朝廷の
日本統一の際に重要な役割を果たした四道将軍の一人の大彦である。大彦は周知の人物だったから、
あえて大彦の武勇の伝えを書く必要はなかっただろう。またこの世々の初代が大彦でなかったとしても、
乎獲居臣以前の誰かではあり、その誰かはまだ賜姓されていない。なお四道将軍が支那風の文飾である
事は言うまでもない。実際に日本統一で戦った将軍は10人程度はいる。
大泊瀬幼武天皇(諡雄略)は殺人鬼とも言うべき凶暴な性格だった。支那への国書に公然と高句麗への
戦争の威嚇を書いているのが呆れる。こういう天皇に仕える場合、武人との性格を強調するのは当然
ではある。仮に大泊瀬幼武天皇(諡雄略)朝に膳大伴臣とかいった氏姓を賜っていたとしても、それは
武人の長というこの氏の性格、あるいは乎獲居臣の自己主張とは直接関係がない。これが氏を省略
しても問題なかった基本的理由と考えるがどうだろうか。
しかしこうなると膳大伴部の性格から考えて、膳大伴臣とかいう可能性が低くなる。戦争への参加は
全ての氏族の義務だから、別に乎獲居臣が膳氏の同族で武人の長だったとしてもそれだけでは不思議
ではない。実際膳氏にも武人はいる。しかしやはり膳氏の基本的な職掌は食膳奉仕だ。だから阿部氏や
膳氏の同族だったとしても、膳大伴部とは無関係の氏族である可能性が相当出てくる。まあ大泊瀬幼武天皇
(諡雄略)の性格から、本来は軍事氏族としての性格が薄い氏族でも、軍事的貢献を強調する必要が
あった可能性はある。
さてしかし105さんをご都合主義ではないかと批判しておきながら、実は私の立場でも臣が名前の一部
である可能性を完全に否定できない。既に書いた通り、制定的カバネは原始的カバネの中から選ばれた。
当然制定的カバネになる前は名前の一部として使われていた。例えば中臣氏系図の次の名前がそうである。
宇佐津臣命――御食津臣命――伊賀津臣命――梨迹臣命
貴族制度が成立して制定的カバネが出現すると、原始的カバネとしての臣の使用は減るが、完全に
なくなる訳ではない。後の時代には使主、意美などの字で表記して姓の臣と区別する傾向があるが、
明らかに名前の一部なのに臣と表記した例も残る。(すまん、今ちょっと適切な例が見付からない。しかし
確かにあった筈だ。)
だから稲荷山古墳鉄剣銘文の場合でも、乎獲居臣の臣字が名前の一部である可能性は完全には排除
できない。確率的には姓としての臣の可能性がずっと高いとしか言えない。なお臣だけでなく直や連も
原始的姓だったので、名前の一部として使われている例は幾つかある。しかしどういう訳か臣だけが、
名前の一部として使われている例が飛び抜けて多い。そのため臣の字の区別は難しくなる。
なんという長さだ。2ちゃんねるでこんな事をしなければならないとは。しかしこれは真理に到達する
ための論争だ。105さんを打倒するのが目的ではない。真理に到達するなら論争自体には負けても
全然構わないのだ。105さんもそれ以外の人も、鋭い批判を是非浴びせてくれ。長くても私は全然
構わないぞ。ひろゆきは困るかもしれないが(藁。
111 :
日本@名無史さん:01/12/25 01:49
氏だの姓だの家名だの日本的な概念がヨーロッパと共通だとおもってるやつがいるな。
112 :
日本@名無史さん:01/12/28 18:36
「伊佐治」さんて苗字があるけど、これは垂仁天皇の苗字
あと、聖徳太子時代の天皇に「倉橋」「泊瀬部」とかつくのがあるけど
これも苗字
大名が代毎に苗字が変わってる例があるのと同じ
113 :
名無しのミョ:01/12/28 20:46
以前、Yahooの掲示板に天皇(あまの)=天野と書かれていた。
なんか、アマテラスノオオミカミから来ているのか?
でも、本当に天野なのかは分かりません。
今現在はないのかも?
114 :
日本@名無史さん:01/12/28 20:52
既出かもしれないが、
「唐書」だか「隋書」だか支那の史書に向こうの皇帝が
日本からの使者に天皇の苗字だかを聞いた話しがのってましたよね。
たしか、使者は日本の天皇に苗字はないという記述と日本の天皇の苗字は
「天氏」と答えただとか。
詳細は詳しい人お願いします。
115 :
日本@名無史さん:01/12/28 20:57
アマツヒタカヒコが一族の職能姓ちゃうんか?
116 :
日本@名無史さん:02/01/02 04:46
各宮家の御名前や称号も覚えてくださいね。
三笠宮彬子(みかさのみやあきこ) 20歳
三笠宮瑶子(みかさのみやようこ) 18歳
高円宮承子(たかまどのみやつぐこ) 15歳
高円宮典子(たかまどのみやのりこ) 13歳
高円宮絢子(たかまどのみやあやこ) 11歳
秋篠宮眞子(あきしののみやまこ) 10歳
秋篠宮佳子(あきしののみやかこ) 7歳
敬宮愛子(としのみやあいこ) 0歳
117 :
日本@名無史さん:02/01/02 04:57
118 :
日本@名無史さん:02/01/07 06:06
各宮家の名前は名字ではないということになっているの?
119 :
日本@名無史さん:02/01/08 00:15
>112
いちおうつっこんでおくね。
イサチは垂仁の諱であって苗字ではない。
崇神のイニエ、安寧のタマデミ、雄略のワカタケルと同様。
「倉橋」「泊瀬部」は崇峻の宮地(倉橋柴垣宮)と諱。
ちなみに諱は乳母の氏。推古の額田部なんかもそう。
これ以降淳和の大伴までほとんどそう。
天皇家に名字は無いが、姓はある。
息長(おきなが)。
結局ね、日本の「家」制度は、
土地を子孫に代々受け継ぐことを目的に武家社会が生み出したもので、
血筋なんてある意味どうでもよかったわけね。
豊臣氏が藤原を名乗ったり、徳川氏が源氏を名乗ってるように。
唯一血筋を重んじる家系が天皇家なんだけど、
天皇家は、苗字=土地=「家」っていう、武家社会の図式には当てはまらない。
だから天皇家には苗字がない。
122 :
日本@名無史さん:02/01/09 05:16
>>121 苗字は無いが姓はある。
「息長」姓だよ。
123 :
日本@名無史さん:02/01/09 05:19
息長というのは、継体天皇の姓だよね。
124 :
日本@名無史さん:02/01/09 05:24
現皇室は、継体の子孫だから、継体の姓の「息長」は、
現皇室の姓になる。
125 :
日本@名無史さん:02/01/09 05:43
>>124 それって誰が決めたのかな?決まってる事か?
と言う事は大伴金村が連れてきたのはその家の名前まで連れて来たのか?
126 :
日本@名無史さん:02/01/10 07:16
天皇にも戸籍ってあるのでしょうか?
基本的人権は?
127 :
日本@名無史さん:02/01/11 05:01
戸籍はない。皇統譜というものがある。
紀子さん雅子さんは結婚と同時に戸籍から抜けて皇統譜に名前が記載
とかなんとかTVで解説してた。
基本的人権は、そもそも選挙権もないことだし日本国民としての人権は
ぶっちゃけた話ないと思われ。なんてったって統合の象徴なのだから。
男系がアメ
女系がオキナガ
古代の天皇の名前を挙げて置こう。
舒明天皇(田村皇子)=【中臣⇒藤原鎌足=朝鮮半島の百済・巨勢】
天智天皇(中大兄皇子)=【金・春秋=新羅王武烈】
天武天皇(大海人皇子)=【泉蓋蘇文=高麗王】
聖武天皇(首皇子)=【蘇我⇒石川朝臣君子・きみこ⇒吉備侯・きみこ】
こんな事、書き残せないよね。
でも調べたら判ったのだ。
韓国小説の読みすぎ?
半島系は神祇官にはなれないよ。(秦氏も)
春秋は高句麗に断られ、唐と結んだ。
蘇文は主殺し。
>基本的人権は?
天皇は法的な意味で「日本国民」ではないからな。
選挙権どころか、
信教の自由も職業選択の自由も言論の自由も、
何もないのに、
人権擁護団体はなぜ問題にしないのだ?
132 :
日本@名無史さん:02/01/11 08:05
中国では姓がないのは蛮族の証拠と思われていたから、そのイメージを払拭するためにも、東夷の王も姓をもたなければならなかっただろう。
133 :
日本@名無史さん:02/01/12 00:24
息長は阿居王系(真手王・大股王など)などの姓であって
彦主人王系の継体の姓ではない。
仮に息長だとしてもその論理なら宇多の源ということになる。
大 室
オ前ラ何モ知ラナインダナ ハハハ 姓ガ無イ何テ言ッテル馬鹿モイルシ
皇太子ガ 小学生ノ頃ノ映像ガアル 習字ヲシテイル映像ダ 昔ニュースデヤッテタ
名前ヲ左下ニ書イテイタゾ 物凄ク長イ名前ダッタ ソノ文字列ノ中ニ
確カニ 親王トイウ字ガ含マレテイタ事ヲ覚エテイル
136 :
日本@名無史さん:02/02/01 12:19
aaaaaaaaaaaaaaaaaa
137 :
日本@名無史さん:02/02/02 01:23
>135
一応突っ込んでおくね。
親王は名前の下に付く称号であって、名字とは別。
138 :
日本@名無史さん:02/02/07 16:36
大室
139 :
日本@名無史さん:02/02/09 11:09
加羅の金氏と同族だったのでは? そうなら
金
140 :
日本@名無史さん:02/02/09 14:41
「加羅の金氏」っていいうけど、加羅諸国の中にどの国も金氏ってわけじゃないよ。
加羅諸国の中でも「金官加羅」の旱岐の家柄“だけ”が金氏。
「金官国」だからその金の字をとって金氏にした。
ところで日本の皇室と「加羅の金氏」が同族という根拠は? とんでも説以外で。
GOOの国語辞典だと神武天皇の真名がこれみたいだから
『神日本磐余彦天皇(かんやまといわれ)(びこのすめらみこと)』
とりあえず、カム、ヤマト、サメラ、ミコトなんかは入ってきそうだけど
結局よくわからんなあ
142 :
日本@名無史さん:02/02/10 02:21
あのねえ、神日本は尊称、磐余彦は磐余に来てからの称号、
天皇は称号。実名はワカミケヌあるいはトヨミケヌ、幼名サヌ。苗字はなし。
>140
加羅の金氏は新羅金氏と同族で、新羅王家は神武の兄の裔だからじゃないの。
本末転倒だけどね。
144 :
日本@名無史さん:02/02/19 14:56
oomuro
145 :
日本@名無史さん:02/02/19 15:01
痔け?
146 :
日本@名無史さん:02/02/19 15:40
147 :
日本@名無史さん:02/02/20 02:33
息長裕仁
息長明仁
>>146 閑院宮は美仁、孝仁、愛仁、載仁、春仁と続く家をいうのであって
現皇室は別。
加えて清華家の家名と同じなのは不相応。
149 :
日本@名無史さん:02/02/20 09:44
大室裕仁
大室徳仁
150 :
日本@名無史さん:02/02/20 10:46
天照徳仁
151 :
日本@名無史さん:02/02/20 16:06
神武徳仁
152 :
日本@名無史さん:02/02/24 06:30
愛仁という前例があるのだとすると愛子♂化でも愛仁は使えないのか‥
153 :
日本@名無史さん:02/02/27 04:44
息長姓が正解だよ。
154 :
日本@名無史さん:02/03/04 09:31
息長って、神功皇后の実家の名字じゃ?
東クニノ宮(字忘れた)って皇族の首相がいたでしょう?
彼は確か皇族から外されたと思うんだけど、その後何んて名乗ったの?
156 :
日本@名無史さん:02/03/04 16:31
東久邇稔彦
157 :
日本@名無史さん:02/03/04 17:21
GK大室徳川徳仁
158 :
◆NumB0uNQ :02/03/04 18:59
カムヤマト・明仁
159 :
日本@名無史さん:02/03/05 00:45
>154
そのころ名字ない
あまのくーん。
天皇家って外国では何て言われているの?
名字がないから〜家って言えないよね。
162 :
日本@名無史さん:02/03/11 01:53
天皇・家をそのまま訳して呼ばれてる
GK大室橋本愛新覚羅愛子ーGK大室徳川(前田、和田)徳仁ー島津朝香宮三笠宮明仁ー
164 :
日本@名無史さん:02/03/11 02:37
大工の岡田ー調所おゆらOR島津おゆらー島津久光ー島津忠義ーその子朝香宮鳩彦(中川宮が50過ぎてからの子じゃない)ー三笠宮タカヒトー今上陛下ー
つまり、
岡田調所島津朝香三笠宮明仁
俺は自説で天皇に名字を付けるとしたら
「三輪」
ってことにしてるよ。
奈良県大神神社(おおみわ・じんじゃ)もその名残だと解釈してる。
天皇も多分三輪の氏の上だと思ってる。根拠なんてない。
自身満々の電波をクラエェ〜!
166 :
日本@名無史さん:02/03/11 05:14
三輪は今の天皇家の前にヤマトおさめてたんだよね。
あながち電波でもないよ。
167 :
日本@名無史さん:02/03/20 20:45
電話でも、はい、雅子です、とこたえるらしい。名字名乗れないらしい
168 :
日本@名無史さん:02/04/04 20:34
旧姓つかうとやばしねえ。。
169 :
日本@名無史さん:02/04/16 19:58
天照っていう名字で始まる神は二人いるね
170 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:28
天照国照彦?誰だっけ??
171 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:32
隋書にちゃんと阿毎氏と書いてあるではないか。
うーむ、何かすごいスレだわい。
古代史に詳しくないもの(ついでに文化人類学も)が口を挟むところなどないのだけれど、
ちょっと口をはさませてもらいます。
名字や氏、姓といったものは、あくまでも他者の存在を前提に、識別のために必要な「アイテム」
であるように考えます。
天皇家・大王家が他の豪族と肩を並べる存在であったときは、識別のため「屋号」のようなものが
あったのではないでしょうか。
天皇家が他者を圧倒する権力をもった時、この時点から天皇家が他者と混同されることが
なくなり、「屋号」は消滅したのではないのでしょうか。
言い換えるならば、天皇家が天皇家である所以は、「名字」がないところにあるのではないでしょうか。
173 :
日本@名無史さん:02/05/01 19:46
阿毎の発音は当時の発音を考慮するとどうなるの?
174 :
日本@名無史さん:
アマ?アメ?