伊達正宗ってなんで人気あんの?

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1日本@名無史さん
伊達正宗って、別に普通の外様じゃん。
秀吉に媚売って、家康に媚び売って、
不似合いな城建てて、欧州に施設送って
その後はしらんぷり。ひとつもかっこよく
ないんだけど・・・。ご意見ある人
2日本@名無史さん:01/11/30 09:02
2げっとー!
>>1
ついでに、「伊達正宗」じゃなくて「伊達政宗」。ネタ?
3正宗白鳥:01/11/30 09:08
1は,紙パック入り菊正宗(本醸造)でも飲んでなさい
4ただの歴史好き:01/11/30 09:39
政宗って人気あんの?
知らなかった…………

まぁ、真面目な話、20代の彼(戦国大名時代)がとにかく凄かったので、その後のダメダメは無視って事では……
5伊達ハト胸:01/11/30 10:30
大河ドラマの愛姫(後藤久美子)はかわいかったなあ。
6日本@名無史さん:01/11/30 13:37
>4
大河ドラマのせいだよ。渡辺謙が格好よかったからあのイメージで固定しちゃっただけ
7日本@名無史さん:01/11/30 14:11
不似合いな城って大大名にしてはしょぼいということ?
8日本@名無史さん:01/11/30 14:36
後半生はダメダメっていうか割と普通の民政家だね。
北条氏康とほぼ同タイプだけど、この知名度の差は・・・
そうだね。大河ドラマのせいだね。
9日本@名無史さん:01/11/30 14:42
やっぱり「独眼竜」ってのがなんかカッコイイ。
10日本@名無史さん:01/11/30 14:51
片目だからってのはあるね。
11日本@名無史さん:01/11/30 14:56
じゃあ大河ドラマがなかったら、
佐竹義重や南部晴政ぐらいの知名度だったのか
12日本@名無史さん:01/11/30 15:14
山岡荘八の小説がウケたから
13日本@名無史さん:01/11/30 15:28
>>12
徳川家康も山岡の小説で一躍人気者になったと聞きます。
それ以前は、「狸親父」と呼ばれて蔑まれてたらしいですね。
14日本@名無史さん:01/11/30 18:10
>>13
薩長政府の敵だったからね
15日本@名無史さん:01/11/30 20:09
伊達正宗は関ヶ原の時東軍について上杉景勝を西へ行かせなかったので
個人的には好きではありません。
でも、支倉常長を派遣した話は興味があります。
16 :01/11/30 20:14
ddddddddddddddddddddddddddddddddddddddd
17日本@名無史さん:01/11/30 20:28
最後のほうまで生き残った戦国大名だからじゃないか。
18名無しんぼ:01/11/30 20:43
 別スレにも書いたけど、一言。
 人質となった実の父親を捨て殺しにしたこと、同格以上の
敵であった芦名氏と佐竹氏をうち破り、会津を初めとする奥
州の大半を手中にしたこと、家督争いで競争相手の実の弟を
殺したこと、その成り行きで実の母親を追放したこと、実質
天下人だった豊臣秀吉を相手に降伏交渉を成功させたこと。
 以上みーんな政宗が25歳になるまでにやってきたこと。
早熟な育ちの多い戦国の世であること、生まれつきの大名で
あることなどを差し引いても、いかにすさまじい人物であっ
たかわかるのでは?
 
19 :01/11/30 21:58
片倉が偉かっただけ。
家康にいいように利用されるだけ利用された能無し。そういうイメージしかねえぞ。

最後まで最上を滅ぼせなかったのが奴の能無しを語ってる。
で、福島の小豪族相手にセコセコ戦ってただけじゃん。

佐竹との戦いだって実質敗北だしねえ。
相手が家の事情で引き上げただけだし。(もともとやる気も無かったし)

はっきりいってただの凡将。
ただ、前田といっしょで大藩だったから後世に名前が残っただけ。
20日本@名無史さん:01/11/30 22:06
歴史ヲタって極論が好きだねぇ
21 わかる?:01/11/30 22:43
369 :戦国クイズ :01/11/30 21:10
湯治にきていた伊達政宗の前に,水面を蛇が前方から近いてきた。
正宗はどうやって,蛇を追っ払ったか?
22蒲生氏郷:01/11/30 23:11
伊達政宗は親殺し、ひがみ根性、陰険、田舎者、無節操、強欲な性格破綻者です。
まぁ、彼は身障者だし親に虐待されたりとかだしコンプレックスの塊なのもやむをえないかも。
23日本@名無史さん:01/12/01 00:05
あ〜っ、新社長に左遷させられた支部長さんがウジウジ愚痴たれてるぅw
24日本@名無史さん:01/12/01 00:06
見てると面白いが、絶対近くにはいてほしくないタイプ。
25日本@名無史さん:01/12/01 00:07
>19
だいぶ厳しい基準をお持ちのようだが、そういう貴方が認める優れた大名は誰?
26日本@名無史さん:01/12/01 00:13
>>21
山岡壮八の小説だな。
「男の印の口は縦に裂けてござろう」
27日本@名無史さん:01/12/01 01:49
東北のNO、1武将を決めるとすれば
謙信と政宗ならどっちだ?
28日本@名無史さん:01/12/01 02:10
謙信は東北だったっけ???
29日本@名無史さん:01/12/01 02:17
違うと思う。
30新潟県民:01/12/01 06:58
>>28
謙信は越後(新潟県)を本拠地としていた戦国大名なのれす。
新潟は、いちおう中部地方なのれす。
でもたまに「東北七県」とかいって、東北地方の仲間にされちゃうこともあるのれす。
実際、電気は東北電力が供給しているのれす。
NHKは「ここからは関東甲信越のニュースをお伝え…」とかなんとか、
無理やり東京の仲間にしてしまってるのれす。首都高の混雑状況なんて知ったこっちゃないのれす。
他にも「北陸」とか呼ばれることもあるし、どこの仲間なのかサパーリわからんのれす。

スレ違いにつきsageなのれす
31蒲生氏郷:01/12/01 10:44
人物で行ったら断然、謙信だな。俺も尊敬しているよ。
正義に生き、信義に殉ずる漢だよ、謙信は。
政宗クンも農民をあおったりする前に他人に信用されるように努めなさいって。
まぁ、今頃、東北の田舎で天下を狙っているなんて本当に誇大妄想狂だよ、ぷぷぷ。

あと、晩年はアホのフリをしたというのが定説化しているが、本当は単なる老人性痴呆。
32伊達政宗:01/12/01 12:29
>31
所詮負け犬の遠吠え、左遷大名は哀れのよう。
33日本@名無史さん:01/12/01 14:25
米沢城には謙信の像があるけど、政宗の影はうすいね。
出生地なのに。
34日本@名無史さん:01/12/01 14:28
会津に入府した蒲生氏郷との全面戦争をやってほしかった。
氏郷も、天下が欲しかったら柱の陰でめそめそ泣いてないで、
伊達を滅ぼし奥州の覇者になればよかったと思われ。
35日本@名無史さん:01/12/01 14:59
>>30
細かいことに必死になるな あほちゃうか 暇なんか
要は謙信と政宗どっちが上かちゅうことや
カス野郎
36日本@名無史さん:01/12/01 15:02
畿内からみたら
越後(新潟)は東北で別に良し
37 :01/12/01 15:15
レーザー光線が当てられた武将は、大河ドラマ史上
彼だけ。
38日本@名無史さん:01/12/01 15:15
氏郷ってなんか器用貧乏ちっくなイメージがあるなぁー
39蒲生氏郷:01/12/01 15:18
>>33
そりゃ、米沢といえば上杉景勝&直江兼続と上杉鷹山だろー(自爆)。
>>34
>伊達を滅ぼし奥州の覇者になればよかったと思われ。
東北を支配しても天下統一できないぜ!!
40日本@名無史さん:01/12/01 15:23
>>27
1.伊達稙宗
2.斯波詮高
3.南部安信

こんなもんでしょ。
41日本@名無史さん:01/12/01 15:46
会津では政宗と氏郷どっちが人気あるの?
42日本@名無史さん:01/12/01 15:51
戦術家としては謙信が上
戦略家としては政宗が上だろう。
短期決戦なら謙信が勝つと思うが
長引けばどうなるか?
43日本@名無史さん:01/12/01 15:58
>>41
圧倒的に氏郷です。
伊達政宗は、1589年に会津に攻め込んだ際に会津の寺院を焼き払ったりと暴虐の限りを尽くしたので、地元では人気ない。聞いたところによれば、大河ドラマ『独眼竜政宗』は会津では視聴率が悪かったとか・・・
44蒲生氏郷 :01/12/01 16:01
>>41
圧倒的に蒲生氏郷。
>>42
政宗と謙信が同時代人として....
1560年ごろの時代状況なら、政宗はひたすら謙信に低姿勢をとると思う。
1570年ごろなら政宗は反信長同盟に加わり謙信の風下にたつはず。
1580年ごろなら政宗は謙信の毒殺を謀るはず。
45蒲生氏郷:01/12/01 16:01
かぶたスマソ。
46日本@名無史さん:01/12/01 16:08
会津では政宗は人気ないです。
秀吉の奥州仕置により一年足らずで
国替されてしまったので、
統治者としての印象は薄く、むしろ
芦名家を滅ぼした侵略者と見られている。
47日本@名無史さん:01/12/01 16:24
結局会津に有能な大名とか
いなかったの?
だったら会津ってただのヘタレじゃん!
幕末に敵対した
薩長土にはかつて九州地方の覇者島津、中国地方の覇者毛利
四国地方の覇者長曽我部がいたっていうのに。
そりゃ会津が薩長土に敵うはずないよな
格が違いすぎる
48日本@名無史さん:01/12/01 16:30
蒲生氏郷は、5年ほどしか会津を統治していなかったにも関わらず、名君として評価が高い。
かなりの大器だったのかも?
49日本@名無史さん:01/12/01 16:40
だったのかもw
50日本@名無史さん:01/12/01 16:52
>48
だから秀吉に疎まれた
51日本@名無史さん:01/12/01 16:56
蒲生ウジ郷が
秀吉に疎まれたくらいの人物だったら
政宗なんてちょろいでしょ?
52日本@名無史さん:01/12/01 17:02
優秀でなきゃ織田カンパニーじゃ生き残れんわなー
もともと六角商事の人なのに社長の娘もらってるんだもの
ただ人にあらず
53日本@名無史さん:01/12/01 17:11
蒲生蛆郷あげ
54日本@名無史さん:01/12/01 18:24
徳川家光にお父様と呼ばせ、影で操っていたカッコウになっていた
のだから、最終的には勝ち組みになった人物ではないか。
支倉常長のローマ派遣。失敗には終わったが、目の付け所が
他の大名と比べて、ずば抜けて大局的であった。
55蒲生氏郷:01/12/01 18:30
>政宗なんてちょろいでしょ?
性格の悪さというか権謀術数は政宗の方が上。松永久秀なみ....
俺も奴に毒を盛られて....
多くの武将が天下取りの夢をあきらめ、御家の保身を図る中でも天下に覇を唱えんとしたところに政宗の人気があるようだが、時代が読めない単なるドキュソ。
黒田官兵衛でさえ、関ヶ原以降はあきらめたのに。
>>54
最終的勝者には激しく同意。
ただ、家康に危険人物視されていたんだから、家臣はヒヤヒヤものだったと思うぞ。
56伊達:01/12/01 18:50
家康殿に恐れられるとは武門の誉れ、恐悦至極に存ずる。
57日本@名無史さん:01/12/02 01:21
島津と比較すると見劣りするねえ。
義弘、義久どっちと比較しても。
58日本@名無史さん:01/12/02 01:25
蒲生は対伊達というだけではなく
対徳川に背後から牽制させてたのでは
対徳川包囲網の一環として
59日本@名無史さん:01/12/02 01:31
伊達がかってに蒲生にライバル意識燃やしてたけど
蒲生は大封を得たとはいえ田舎に飛ばされて不満なだけ
60日本@名無史さん:01/12/02 02:16
小田原征伐の時に秀吉と一戦してほしかったね。

ところで、蒲生は関東の徳川、奥州の伊達の監視役として会津に配置されたという話をよく聞くけど、
当初秀吉は関東に堀秀政を封ずるつもりだったらしい。堀の病没でこの話は立ち消えになったが、そうなったら氏郷や政宗の運命も変わったかも。
61日本@名無史さん:01/12/02 03:16
1>>

伊達正宗って誰だよ?
漢字ぐらい間違えるな馬鹿がっ!
62日本@名無史さん:01/12/02 03:27
>>1
正室に将軍足利義満の母の妹を娶り、近隣の諸大名を次々と傘下に入れ、
応永9年の政宗の乱では鎌倉府の上杉氏憲軍約15万との3度の戦いを凌いで、
陸奥出羽両国にわたる伊達氏最大の版図を築いたからに決まってんじゃん。
63日本@名無史さん:01/12/02 06:55
彼のマザコンぶりは目に余るね。
しかも、幼い頃からかわいがられてたならともかく、
うとまれて酷い目にあわされた母親を
どうして、あんなに求めるのかな?
64日本@名無史さん:01/12/02 13:04
大河ドラマの話か?
65日本@名無史さん:01/12/02 13:52
>>63
疎まれ嫌われたからこそ母親に対する強い憧憬を抱くようになったんだろう。
それに当時、父と弟はもう死んでるから唯一の肉親なんだし。
54さんも書いているように家光と大の仲良しだったようだけれどあの猜疑心の固まり
の信用を得たのはやっぱり同じ心に傷を持つ者だったからだろう。
66日本@名無史さん:01/12/02 21:16
父という理解者がいた政宗に比べて完全に孤独な少年期を過ごした家光の方が
心の闇は深そうだけれどね。
67VIVA:01/12/02 23:08
結局、政宗ってのは武将としては奥州限定のローカル大名だったんだよね。
東北地域以外で伊達勢が戦闘をしたのは、大坂夏の陣の片倉小十郎隊(2代目)だけ。
それも、真田隊に蹴散らされて退却している。
政宗のすごいところは、政治家、策略家として老獪で、武功以上の存在感を示して
成功したところ。この点ではやはり並みの人物ではないと思われる。
68日本@名無史さん:01/12/02 23:39
いや片倉重綱は単独で神保隊を全滅させたぞ!!w
69大野治房:01/12/02 23:59
 伊達少将殿に天下を得る機会ありとするならば、あの関が原戦を控えて
家康と秀忠が徳川勢主力を率いて西へと向かったときではないかな?

 あの時、上杉家が伊達成実にいろいろ働きかけていたというから、その時の
人脈を利用して直江山城守を通じて上杉と素早く手打ちするかどうかで、
天下の行方は大きく変わったと思うが?
70日本@名無史さん:01/12/03 00:09
越後上杉氏の血を引く伊達成実と上杉を名乗っているだけの景勝。
なのに立場が正反対とはこれいかに・・・
71VIVA:01/12/03 00:11
>>68
何言ってるの?神保は東軍についていた味方だぜ。
当時、伊達隊が後ろから味方を踏み潰したというので
家康が政宗を本陣に呼び出して尋問したのは有名。
結局、戦時の混乱ということで不問にされたが、
味方を全滅させたのが成果とは笑わせる。

神保 相茂

長三郎。春茂の子。父の死後、遺領を継ぐ。
慶長5年(1600)家康の上杉景勝攻めに従い、関ヶ原で東軍について戦功があり、
7千石に加増。伏見に住す。元和元年、大阪夏の陣に従軍。5月7日の戦いで
後藤又兵衛隊と戦い戦果をあげるが、この時伊達政宗と先陣争いをしたため
政宗はこれを妬み、政宗は乱戦に紛れて神保隊に鉄砲を撃ちかけ神保隊は全滅し、
相茂も天王寺に討死した。34歳。
72日本@名無史さん:01/12/03 00:12
竹に雀の家紋の継承者伊達成実と使わせて貰ってるだけの政宗。
なのに立場が正反対とはこれいかに・・・
73日本@名無史さん:01/12/03 00:20
>>67
朝鮮出兵を忘れているぞ
日本軍の重要拠点・金海城を取り囲む敵を奇襲して蹴散らし、さらに日本からの補給路・撤退路
を確保する大活躍で秀吉から「功名三国に比類無し」という最大級の賛辞の入った感状を貰って
いる
74日本@名無史さん:01/12/03 00:20
>>71
 >>68はちゃんと最後に「w」つけてるじゃん
75VIVA:01/12/03 00:24
>>74
ホントだ。ついマジレスしてしまった。
我ながらこっぱずかし〜。
76日本@名無史さん:01/12/03 00:27
>75
無駄じゃーない。
その逸話知らない人もおるし。
NHK大河の独眼流政宗でもそのシーンは放送したのかの?
77片倉小十郎重長:01/12/03 00:39
そもそも幸村殿との密約により伊達家は後藤殿を打つ手筈だったのじゃ。
そこに何も知らぬ神保隊が割って入って来おったのよ、この緊急事態に
手をこまねいている殿のため、わしが神保隊ごと後藤又兵衛を討ったのじゃ。
このことにより幸村殿はわしに姫を託されたのじゃよ。フォフォフォ。
78日本@名無史さん:01/12/03 00:41
>>76
どっかのスレで痛快に皆殺しにしていたとの噂を聞いたが。<大河
79日本@名無史さん:01/12/03 00:44
ブラックユーモア系のギャグ漫画の主役になりそうな人間だよね、政宗って
80日本@名無史さん:01/12/03 01:14
伊達政宗の面白さは、前半の波瀾万丈と、後半の優秀な民政に
あるんでしょう。意外と知られていないが、仙台入城後の
民政はかなりのもので、原野だった大崎・黒川地方を僅か
20年で北上川の改修などで広大な水田にしてしまったし、
小さな集落を、40キロ平方メートルに及ぶ当時の京都と
ほぼ同じ大きさの巨大な城下に作り替えてしまった
(ただし元禄以降は人口が減少し、大部分が廃墟になった)。

その他にも40キロにも及ぶ長大な運河(ただし完成は明治)や
30キロにも及ぶ防波林(津波対策)、海外への使節派遣など、
その発想や構想の雄大さはすごいと思う。

ただしいわゆる世間一般の戦国大名「独眼竜」の「カッコヨサ」は、
例のドラマのおかげだとは思うけど(w
私のイメージだと、ああいうかっこよさよりも、むしろ徳川家康の
老獪さに通じる「凄み」であって、関ヶ原以後も家康と適度な
緊張感があったのは、実は同族同士だったからだとおもっとりマス。
81日本@名無史さん:01/12/03 01:46
このスレで時々「片倉重綱」という名前を見掛けるが、
「景綱」の間違いでないかい?
それとも息子の「重長」と混同してる?
82( ´D`)ノ <アーイ:01/12/03 02:05
片倉小十郎重綱はパパ小十郎景綱と同様に律儀な人れしたので
徳川綱吉が将軍につくと、将軍と同じ『綱』という字では
恐れおおいと考えちゃったのれす。そこで重長と改名したのれすよ。
テヘテヘ、ののってあたまイーれしょ。
83日本@名無史さん:01/12/03 02:11
>>80
後半、言いえて妙。
84日本@名無史さん:01/12/03 03:22
戦国板で似たようなのを見つけた

伊達政宗はこんな奴だ!
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1005542936/
85 :01/12/03 04:37
「伊達者」という言葉が生まれたのはいつ頃?
その辺に人気の理由がありそうな気がするが…
86日本@名無史さん:01/12/03 04:44
政宗が上洛したときだろ
87日本@名無史さん:01/12/03 05:45
日本人の美意識の進化

バサラ者→カブキ者→ダテ者
88日本@名無史さん:01/12/03 08:56
北条攻めのとき、白装束で現れて秀吉の怒りを和らげたと
いうのも、美談として残っているがこれだって、苦し紛れの
一手という感じで、奥州の覇者というイメージにはほど遠い
と思うな。
89日本@名無史さん:01/12/03 13:00
>>88
まぁそれは個々の解釈の違いでしょう
俺はようやるなぁって思ってる
90日本@名無史さん:01/12/03 13:40
ローカル武将、政宗は本気で天下をとれると
途中まで考えていました。でも、変わり身が
早く、いいわけ上手な政宗は、さも、忠義を
示す態度をとりながら、一方でこそこそ策略
を練っていました。そのしつこさが立派。
91日本@名無史さん:01/12/03 14:32
名刀伊達正宗は国宝だよ
92日本@名無史さん:01/12/03 14:36
>85
「伊達者」というのは
秀吉の朝鮮出兵のとき、正宗が自軍の兵が渡航しなくてもいいように
将兵に派手な(立派な)着物を着せて派手好きな秀吉がそばにおいて置くように
仕向けたことから来ているのだと思った。
93縞栗鼠(シマリス)の親方:01/12/03 14:42
中央高等学院の従業員「西部」が女子トイレに闖入し
汚物入れを物色して女子生徒の使用済みタンポン・ナプキン等を
個人的に収集しているというのは事実。
中央高等学院 http://chs-f.com/index.html 中央高等学院福岡校
http://www.chuo-school.ac/
94日本@名無史さん:01/12/03 14:58
>>92
初めから奥州諸大名は後方支援の為に国内で待機していてよいと
秀吉に言われていましたが何か?
95日本@名無史さん:01/12/03 15:21
>94
ということは、奥州部族は一段低くみられて
ということかな?
96日本@名無史さん:01/12/03 19:04
名スレの予感・・・
97日本@名無史さん:01/12/03 20:56
馬鹿が、迷スレだろぉがぁ!
98日本@名無史さん:01/12/03 22:09
いや、俺もこのスレは良いスレだと思う。
微妙にニュートラルを保とうとしてるあがきが良い。
99日本@名無史さん:01/12/04 08:39
政宗の虚像と実像は、どの辺?
虚像:独眼流・野望・老獪
実像:障害者による屈折・強いものにはすぐ巻かれる。
無駄なものはすぐ排除。
100名無しさん脚:01/12/04 08:57
>強いものにはすぐ巻かれる。無駄なものはすぐ排除。
を批判を抑えてやるのが老獪。
101日本@名無史さん:01/12/04 11:17
昨日の福井新聞に載ってた高校入試対策の問題でも、
伊達正宗がなんたらかんたらってなってた。
入試対策用なんだから、誤字止めれ。
102日本@名無史さん:01/12/04 15:57
佐竹申伍の「蒲生氏郷」を最初に読んだ時、伊達政宗の悪党ぶりは新鮮だった。
それまで政宗が主役で、秀吉や氏郷が悪役の本や時代劇ばかり見てきたから、
見方を180度変えるとこうなるんだなと感慨に浸ったよ。
103日本@名無史さん:01/12/04 16:17
政宗の威風堂々としたイメージは、
作り上げられたというより、本人
もアピールが上手だったんだろうね。
あの甲冑姿などは、ほかの武将に比べる
と群を抜いてた。本当は、大悪党だよ。
104日本@名無史さん:01/12/04 16:21
>>103
慶長5年の役の際、上杉家の家臣岡左内が伊達政宗と太刀を交えた
ことがあったが、左内の方は政宗を単なる葉武者と思って捨て置いた
そうな。粗末な鎧を着ていたから、政宗とは気づかなかったと。
105日本@名無史さん:01/12/04 17:35
慶長5年の役って長谷堂のアレですか?
あの戦いは留守政景が大将で政宗は参加していないと思うんですが?
106日本@名無史さん:01/12/04 17:54
>>104
その話初耳・・・。
岡左内ていえば、伊達政宗と一騎打ちをして
朝鮮渡来の熊毛の陣羽織を奪ったって話ししか知らんが。
陣羽織より命奪えって突っ込んでやりたいワw
107島津家の記録:01/12/04 18:23
伊達殿は、今度見方討被申候事。雖然御前は能候共、諸大名衆
笑物にて比興との由、御取沙汰之由候。味方討に被逢候人は、
大和之国衆神保長三郎殿と申にて候。
10892だけど:01/12/04 19:44
調べてみたら「伊達者」というのは
「伊達政宗が上洛したときに伊達家の家臣が奇抜な衣装をしたから」でした。
なにしろ、「まんがはじめて物語(だったかな?)」で見ただけなので十年以上も間違ったまま覚えていたとは
不覚だった・・・。
109日本@名無史さん:01/12/04 20:07
どこどこの大将を捕らえたけど逃がしてやったってのは結構
よくあるホラ話のような気がするんだが。

政宗が捕らえられたっつー話は佐竹、上杉両家にあるんだが
どっちも信憑性が恐ろしく薄い。総大将が前線に出るわけねえだろ普通。
110日本@名無史さん:01/12/04 20:25
>>95
間違いなく東北大名は一段低く見られていたようで、南部氏が朝鮮出兵で名護屋に
待機してるときに国許に当てた書状には、もう"田舎者といわれた"云々
の愚痴のオンパレードだったそうです。源氏の名門だった南部氏でさえ
それこそ徹底的に馬鹿にされていたようで、"為信のやつも馬鹿にされたらしい”
などと不倶戴天の敵の津軽為信にも同情を示す有様。

政宗もその辺を意識したのか、朝鮮出兵時に桜を振って送り出す
京の民に皮肉な上の句を残してます。
"都人 梅にも懲りず桜かな"
これは平安時代に前九年の役で捕らえられ京に連行された安部宗任に
警吏が梅を指差して"これが何だかわかるか"(おまえんとこに
梅はないだろ田舎者)と聞いた際"都では梅というんだろ?"
(あるに決まってんだろボケ)と皮肉を込めて答えた故事によります。
111日本@名無史さん:01/12/04 21:19
田舎モンがその出自だけで苦労するのは何時の時代でも同じか
112日本@名無史さん:01/12/04 22:20
だれか関ケ原あげて
113日本@名無史さん:01/12/05 15:13
南蛮人のめかけは子供産まなかったのかなぁ?
114日本@名無史さん:01/12/11 23:37
>>113
南部氏にはちょっかい出してるし、白石は攻め取ってますが
それ以上の侵攻もせず対最上に関しては
ほとんど援軍出してないし、母親の手紙でよーやく腰をあげたと
おもったら留守政景にまかせてしかも政景は傍観。

関が原が終わってから申し訳程度に上杉領に侵攻して、抗戦してきたら
「はい、おれもちゃんと戦いました」といった感じでとっとと逃げてます。
どー考えてもやる気がなかったようです。
115日本@名無史さん:01/12/12 00:13
東京の神保町は伊達の滅ぼした神保と関係あるの?
116日本@名無史さん:01/12/12 01:05
117日本@名無史さん:01/12/18 10:36
俺は好きだがなぁ。
有能な後継者を育てられなかったところは残念だけど。

宇和島の分家の方が優秀な血を引いてるような気がするよ。

でも政宗って家臣に恵まれてたからだよね。
じゃなかったらきっとすぐ伊達家滅亡してる。
118日本@名無史さん:01/12/18 10:50
どこの家だって家臣に恵まれていなければ滅びます
119日本@名無史さん:01/12/18 20:28
最後の仙台藩主慶邦が優秀でなかったというだけで、仙台伊達藩藩主は
政宗ほどではないにせよ割と優秀です。

政宗以降、出費に出費を重ねた末に傾いた仙台藩の財政を
立て直した5代伊達吉村なんてのはおそらく名君の部類に入るんじゃないでしょうか。
120吉村:01/12/18 20:31
アッコさぁぁぁぁん!!
121日本@名無史さん:01/12/18 23:43
1600年におけるこのスレに登場した主用人物の年齢比較
謙信69歳(49歳で没)、島津義弘64歳、上杉景勝45歳、蒲生氏郷43歳(38歳で没)、
石田三成&直江兼続39歳、伊達政宗32歳、黒田長政31歳、宇喜多秀家26歳、
徳川秀忠20歳、小早川秀秋17歳、そして徳川家康57歳。
政宗は、10歳くらい年長者とやりあっても負けてないことがよくわかる。
逆に小早川秀秋がヘタレなのも仕方がないように思われ。
122日本@名無史さん:01/12/19 10:10
おめえらが戦国時代に生きてたら、謙信にも蛆郷にも政宗にもかなわねーよ
123日本@名無史さん:01/12/28 00:00
 政宗はドラマとかで見てるだけなら面白い男だけど、
側にはいて欲しくないタイプだな。仕えるなんて考えたくもない。
124日本@名無史さん:01/12/28 00:06
伊達政宗って、小田原で秀吉と連れションした人だったよね?
125日本@名無史さん:01/12/28 00:08
>>124
 それは秀吉と家康のエピソードのような。
政宗もだったかな?
126日本@名無史さん:01/12/28 00:09
そうそう。あと茶会で大谷刑部の鼻汁飲んだのもこの人。
127日本@名無史さん:01/12/31 13:33
>>126
それって三成じゃなかったっけ?
判ってて飲んだっていうことで。
それで刑部が感涙流して、大親友に。
関ヶ原で刑部が西軍になった遠因の一つであると。
違ったっけ?
128日本@名無史さん:01/12/31 16:14
>>127
ネタにマジレスカコワル〜。
129日本@名無史さん:01/12/31 20:21
>>128
ネタにもなってない(w
いちいち指摘すんなよカコワルイ
130日本@名無史さん:01/12/31 21:22
>>129
どう考えてもネタじゃん(嘲笑
131日本@名無史さん:01/12/31 22:50
>>130
そうでなくて(藁
ネタとも言えないくらいつまらんって意味
マヌケ晒してないでもっと日本語勉強しろよ(嘲笑
132日本@名無史さん:02/01/01 17:14
ドラマ再放送中age
133名無しさん脚:02/01/01 17:28
>ドラマ再放送中age
NHKの三国志ほどじゃないけど合戦シーンの馬が多い(^。^)
一方的伊達政宗史観が、かえってここちよい。
しかし、高橋英樹の伊達政宗、青年時代はツライ...
134名無しさん脚:02/01/01 17:30
母と心から和解する政宗、ドラマ的にイイ(笑)
135日本@名無史さん:02/01/01 19:00
「花の慶次」の政宗もかっちょえ〜
136日本@名無史さん:02/01/01 19:01
>>133
三成と氏郷が悪役だしね(w
137日本@名無史さん:02/01/01 19:03
そりゃ蒲生くんも踏んだり蹴ったりだな
138日本@名無史さん:02/01/01 19:22
>>137
オレ、蒲生くんの生涯にちと興味あり。PHP文庫で出てたっけ?
他のは大抵読んじゃったし・・・
あれって、その人の概要を知る導入としてはなかなかとっつきやすい
小説群かなって思います。
139千少庵:02/01/01 19:55
>>138
あったような気がします、読んでないけど>PHP
氏郷はその死因に興味がありますね。
やはり石田三成の進言で秀吉が毒殺したのでしょうか?
140138:02/01/01 20:03
>>139
さんくす!
なんか、恨まれてそうだしね。
政宗も1枚かんでたかもね。
「花押のことでいちいち文句言いやがって!」みたいな
141日本@名無史さん:02/01/10 23:37
「太平記」で検索してスレが無かったんでここに書きます。

正中の変で、多治見国長らが密会していた席に「伊達三位○雅」と書いてあったと思うが、
彼は別の伊達氏なんでしょうか。それとも貴族で伊達に預けている荘園領主なんでしょうか。
だれか詳しい方教えて下さい。
142個人的には:02/01/11 00:05
       政治  戦闘  智謀   足軽  騎馬  鉄砲  水軍 
伊達 政宗   184 182 190 B A B E
武田 信玄   192 194 186 A S D E
上杉 謙信 162 200 152 A S E E
徳川 家康 188 178 194 B B C D
織田 信長  196 180 192 B B A B

この人意外と好きなんで…
最上 義光 186 146 198 C C D D
143日本@名無史さん:02/01/11 02:36
太平記当時の当主は陸奥国府・式評定衆の伊達左近蔵人行朝、
伊達家で三位といえば従三位権中納言政宗しか居ないわけで・・・。
144日本@名無史さん:02/01/11 02:57
143
そうでしょ。でも確かに太平記の最初に「伊達三位」の名前が一回だけ出てくる。
145日本@名無史さん:02/01/11 23:07
>>141
「無礼講」=倒幕計画メンバー(幹事:日野資朝)
藤原師賢
藤原隆資
源実世
日野俊基
伊達遊雅・・・・←>>141コイツの事だろ。
聖護院玄基
足助重成
多治見国長
土岐頼貞・・・・裏切り→山本時綱に始末される。正中の変へ

太平記原文そのものが歴史書としては認識されていない傾向がありますからね。
【伊達遊雅】が実在の人物かどうかは・・・
ここの日本史板の先生方の回答を待ちましょう。
146141:02/01/11 23:15
>>141です。
『太平記』に正中の変について、

爰ニ美濃国住人土岐伯耆十郎頼貞、多治見四郎国長ト云者アリ、
共ニ清和源氏ノ後胤トシテ、武勇ノ聞へ有ケレバ、資朝卿様々ノ
縁ヲ尋テ昵ビ近ヅカレ、朋友ノ交り已ニ浅カラザリケレドモ、
如何有ベカラント思ハレケレバ、猶モ能々其心ヲ窺見ン為ニ、
無礼講ト云事ヲゾ始ラレケル、其人数ニハ尹大納言師賢、
四條中納言隆資、洞院左衛門督実世、蔵人右少弁俊基、
伊達三位房遊雅、聖護院庁法眼玄基、足助次郎重成、
多治見四郎次郎国長等ナリ、其交会遊宴ノ体、見聞耳目ヲ驚セリ、

上記『伊達三位房遊雅』の事なんです。
147日本@名無史さん:02/01/11 23:32
>146
伊達三位房遊雅と聖護院庁法眼玄基は高僧です。公家・武士に在らず
148日本@名無史さん:02/01/12 01:21
↓これなんか怪しいっすね〜。
http://www.kamnavi.net/it/kii/date.htm
149 :02/01/12 01:28
>>92
そうなのか?伊達家は元々甲冑は黒塗り一色で統一されていなかったっけ?
俺が聞いた話は江戸時代になってから参勤交代で地元の領地から家臣団が
江戸に駐在するわけだが、元々田舎者で質素倹約をむねとする伊達家の武将
は衣装も地味でダサダサだったので、これでは伊達家は江戸の庶民から笑い
物にされると思った政宗が派手な衣装を着るようにと江戸詰めの家臣団に
厳命したのが始まりと聞いた。家臣達はかなり嫌がったが領主の命令なので
仕方なく恥ずかしいのを我慢して派手な衣装を着たらしい。政宗の読み通り
派手好きの江戸庶民の評判はよく「伊達物」「伊達男」という言葉ができた。
150日本@名無史さん:02/01/12 01:39
伊達撒きは・・・(お呼び出ない)

146からすると南北朝以前に、伊達という言葉か地名か何か知らないが、
在ったと言う事か。文字としては。
確か伊達は伊佐から派生したと聞いたが。

板違い→鼬(いたち)がい→いたちがい→伊達GUY!
151日本@名無史さん:02/01/12 01:58
伊達マサムネ
152日本@名無史さん:02/01/12 02:05
つーか、奈良時代からあるし・・・。>伊達
153日本@名無史さん:02/01/12 02:15
>152
何処にですか?
154日本@名無史さん:02/01/12 02:21
陸奥国伊達郡
155日本@名無史さん:02/01/12 02:25
PS 平安時代だけどね
156152:02/01/12 02:42
あ、伊達郡て平安時代に信夫郡から分離して出来たんダタね。ゴメソ。
157日本@名無史さん:02/01/12 02:53
>>148
サンクス。紀伊の風土紀だね。

薗部神社  境内 東西二十五間 南北二百六十八間   禁殺生
  本社 拜殿 廰 二間 五間 御供所
     神楽所  御湯所
  末社十一社
   八幡宮 恵美須社 天磐座社 天照大神 金峯神 社 合殿
   八王子社 粟島社 春日社 楠神社
   早尾社 住吉社 稲荷社
  延喜式名草郡伊達神社 名神大
  本國神名帳名草郡正一位伊達大神
村中にあり 善明寺大谷平井薗部四箇村の産土神なり
續日本後紀承和十一年(844年)奉授紀伊國ノ従五位下志摩大達
静火ノ神ニ正五位下ヲ(大達は伊達の誤りならむ 瀬藤)
文徳實録嘉祥三年(850年)三神並ニ授従四位下ヲ 三代實録貞観元年
(859年)三神並ニ授従四位下同十七年三神並ニ従三位ヲとあり
其後遂に正一位を授けらる 。


紀伊の国に、志摩大達→志摩伊達と言う者が、藤原氏台頭以前に居たという事か。
既に畿内では神社、人名に使われていたと。
158日本@名無史さん:02/01/12 02:56
>>149
伊達者の由縁はよう知らんが、文禄の役から
伊達家の具足が黒に統一されたのは確かだ。

それまで燈色の具足にムカデの前立てだった伊達成実も
政宗と同型の黒漆五枚胴に毛虫の前立ての具足に変わっている。
159日本@名無史さん:02/01/12 03:33
「伊達物」「伊達男」の由来は149が正しいと思うよ。
160日本@名無史さん:02/01/12 03:40
南部盛岡では、伊達様はやんた殿様の一番であんす。
161日本@名無史さん :02/01/12 03:42
朝鮮出兵を逃れるために、奇抜な甲冑とかを秀吉の前で見せたんだっけ。
俺には真田幸村みたいな時代や運に恵まれなかった人物に映るんだけど。
162日本@名無史さん:02/01/12 03:52
伊達家の行列語源説は俗説。

>157
志摩・伊達・静火は三社。いずれも式内社。
163日本@名無史さん:02/01/12 03:53
強そうに言われるが、北にいる南部(ちょっと面白いよね)が怖くて、
出陣できなかった、田舎大名でしょ。
164日本@名無史さん:02/01/12 03:57
間に葛西、大崎がいるじゃん。
南部とていきなり伊達領に攻めてくることは出来ないよ。
165飢饉は人災!?:02/01/12 04:00
>>160
南部盛岡は飢饉の国。他藩に逃亡する者数知れず。

仙台藩領だった胆江地区は、飢饉に対する備えや政策が比較的整っていたため、
南部藩と比べると餓死者はあまり出ませんでした。むしろ、食糧を求め胆江地区に
多数流入し、息絶えた南部藩領の人が多かったようです。
166日本@名無史さん:02/01/12 04:26
>165
ありがとね、やさしく言ってくれて。

南部の三閉伊郡一揆は、ひどいもんでした。
南部藩は表高二十万石、実高十四万石ですから。
でも租税は、表高分徴収するという・・・。

「壬生義士伝」に書かれてる以上につらい土地
だったのよ。

んだども我も、南部の武士だ。鎌倉以来何百年も奥羽の土地ば
守ってきた。後からきた伊達だの、佐竹だのにこの奥羽を荒らされ
たくねのす。
167日本@名無史さん:02/01/12 04:34
てか南部晴政の時代ならともかく、政宗当時の南部は没落していた
葛西にすら勝ったり負けたりしてた程度なんだよね〜。
しまいには津軽為信に独立されちゃうし。。。
168日本@名無史さん:02/01/12 04:48
それはですね、仲間内同士もすごく強かったの!!
葛西も強かったし、津軽は嘘うまかったし。

強いもんどうしの苦労があっての、あの藩領。伊達者
みたいなのと違うの!
169日本@名無史さん:02/01/12 05:03
あの藩領は単なる奥州仕置の結果だとおもうぞ
170日本@名無史さん:02/01/12 06:32
>169
そりゃ、津軽に盗られたかわりを秀吉様が伊達から
分捕って南部にくれた分だべ、文句言うなら秀吉様
に言え。
南部に仇するとは、お門違いと言うものよ。
171伊達藩士:02/01/12 16:23
170
南部がんばれ。東北は良い所だよ。
172日本@名無史さん:02/01/12 17:21
最近のノブヤボの奥羽武将の非常識な強さは、
地元民の圧力とか聞いたがマジか?
173日本@名無史さん:02/01/12 22:30
>>172
具体的に名前挙げてみ。
174虎舞流:02/01/19 19:15
独眼「流」。
この誤植はどこのサイトに行っても異常に多い(2ちゃんに限らず)。
ナゾだ!!何で独眼「流」なんだ?
175日本@名無史さん:02/01/19 20:59
南部遠江守 対 津軽越中守 南部と津軽の骨肉の争いに、伊達が漁夫の利をしめん。
176:02/01/19 21:03
相馬大作は津軽侍従ではなくて、仙台藩主を襲撃すべきだったね。
177日本@名無史さん:02/01/19 21:06
相馬は、津軽と松平陸奥守と佐竹右京を襲撃す。
178人気の秘密:02/01/23 05:51
片目がビーム砲だから
179日本@名無史さん:02/01/23 08:40
東北(旧仙台領)に限っていうと、
政宗人気は渡辺謙の大河ドラマよりずっと前から根強いよ。
ジジババ世代だと、宮城県人より岩手県内の旧仙台藩の地域がとくに。
岩手県でも南部(南部家じゃなくて南の方ね)の人間は
気分的には宮城県人のつもりみたい。

で、宮城県の人間(ジジババとか地方史マニアね)は、
自分たちのルーツ(?)は大崎だの葛西だのとさかんに議論してる。
伊達も人気はあるけど福島・山形方面からきた征服者って感じ?
180日本@名無史さん:02/01/23 10:22
日本史板で政宗の話題をしたがる奴はかなりの確率で正宗って書くな。
おまえらそんなに菊正宗の宣伝でもしたのかと。
181日本@名無史さん:02/01/23 10:39
>>178
激しくワラタ
182人気の秘密・説2:02/01/23 12:52
片目に鬼太郎の親父が住んでる
183日本@名無史さん:02/01/23 13:42
>>179
宮城県の人間が大崎だの葛西だの?福島・山形方面からきた征服者?
それ、県北地方限定のことね。
準伊達領だった仙塩地区や、初めから伊達領だった仙南地方と
一緒にして欲しくないのことアルよ。
184日本@名無史さん:02/01/23 14:31
こういうのは三戦板で書いてね
このスレは三戦板へ・・・
185北信愛:02/01/25 17:53
秀吉が日本統一する際の最後の戦い(秀吉は直接出兵してないけど)となった、
九戸政実の乱は裏で政宗が糸引いてたんでしょ。政宗は討伐軍として九戸城
に来たけど何もできなかった。
186日本@名無史さん:02/01/25 22:20
>>185
あんた「天を衝く」読みすぎ。
187日本@名無史さん:02/01/25 22:32
>準伊達領だった仙塩地区

188:日本@名無史さん :02/01/27 01:53
少なくとも宮城県民にとって伊達政宗はかなり英雄のように感じる。
松島・仙台に行った時のマンセーぶりはすごい。
189日本@名無史さん:02/01/27 02:00
幕府創設時、家康の次のやり手大名といえば政宗が筆頭でしょう。
葵三代でも、家康は潰す気だったのを、秀忠が歯向かうシーンがあったね。
190日本@名無史さん :02/01/27 02:19
政宗ネタ、コピペ。

もし政宗が天下を望むとすれば、家康、もしくは秀忠の死の直後。
軍事的には宇和島と仙台、越後(松平忠輝)との挟撃。
さらに京都は幕府嫌いの後水尾上皇をそそのかし、義理の孫にあたる
後西天皇を擁立して(嫡孫、伊達綱宗とは母親が姉妹)
形式的には後水尾上皇による「院政」を復活させて倒幕の勅命を・・・
191日本@名無史さん:02/01/27 02:26
>>187
仙塩地区=仙台・塩竈

仙台(千代)=国分氏
塩竈・多賀城=留守氏
192日本@名無史さん:02/01/28 13:51
仙台市民は結構醒めた目で見てるよ。
しょせん外からきたお客さん的な感じ。
塩釜とかの人もそうだとおもうよー。
193日本@名無史さん:02/01/28 14:57
国分氏や留守氏は弱小だからなのか伊達の子分だからなのか理由は知らないが、
地元の地方史マニアには、なぜか葛西氏や大崎氏のような人気がないよね。
仙台にすんでても葛西氏の旧領だったような気分の人もいるし。
国分氏みたいなしょうもないものにこだわるのは仙台人のプライドに合わないから
ふだんは存在を忘れてるんじゃないの?
194日本@名無史さん:02/01/28 15:01
地元大名マンセーはどこの地方も同じでしょうよ
195日本@名無史さん:02/01/28 16:37
葛西氏は石巻や登米の方面ですな
196日本@名無史さん:02/01/28 22:38
>>173
南部、津軽、北、芦名、伊達、最上、九戸、等など、
情報元は、三戦板。
197日本@名無史さん:02/01/31 11:38
葛西氏や大崎氏って、伊達に臣従した時期がだいぶ後のようなイメージがあるけど
地方史研究家によってはすげえ早い時期にすでに服属しちゃったと考証してる説もあり
よくわからないね。
198日本@名無史さん:02/01/31 13:47
>>196
だから具体的に、だってば。
南部のだれか?石川のだれか?大浦のだれか?北のだれか?
芦名のだれか?伊達のだれか?最上のだれか?九戸のだれか?等などのだれか?
安東愛季はよいのか?戸沢盛安はよいのか?片倉景綱はよいのか?
相馬盛胤はよいのか?佐竹義重はよいのか?
199日本@名無史さん:02/02/01 16:39
うん? ちょうどいいパラメータだと思うけど?
200日本@名無史さん:02/02/01 16:49
正宗って言う名刀無かったっけ?
201日本@名無史さん:02/02/01 16:57
>>200
明らかな煽りだな。
202日本@名無史さん:02/02/01 17:03
とりあえず196の情報量がゼロなのは分かる。
203日本@名無史さん:02/02/01 17:30
>>197
大崎氏は伊達家から養子迎えてるし
204日本@名無史さん:02/02/01 17:33
伊達政宗の弟、伊達小次郎は芦名だかどこかに養子に行くはずだったのでわ?
205日本@名無史さん:02/02/01 17:34
大崎は、かなり早くから臣従というか一定の上下関係があったらしいけど、
葛西はそんなことはなかったと思うよ。
206日本@名無史さん:02/02/01 17:36
>>204
金上遠州らの佐竹派に押されて立ち消えになった。
207日本@名無史さん:02/02/01 18:08
>>206
秀吉の横車と思われ。
208日本@名無史さん:02/02/01 18:09
伊達稙宗の謀略で大崎氏の家督を継いだ息子・伊達義宣が
天文の乱で前当主の大崎義直に暗殺されてから
大崎氏との関係は険悪だよ。
209日本@名無史さん:02/02/01 18:19
なんとなくプチ信長みたいなイメージが有るんだよね。
まぁ地理的に天下取りは無理だったかも知れんが。
210イローハ!!:02/02/01 18:53
蒲生蛆郷を追い落とすために行った策略とやらを
だれか教えてたもれ
211任天堂兵:02/02/01 19:57
奥州を統一できたぞこいつは
212日本@名無史さん :02/02/01 22:07
井沢元彦ちゃんは「伊達政宗は信長と秀吉と家康を混ぜ合わせたような武将」と電波ゆんゆん
213日本@名無史さん:02/02/02 13:00
>>208
へー。大崎義宣って伊達から養子に入ったんだ。
葛西に伊達から何度も養子入りしてるのは知ってたけど。
214日本@名無史さん:02/02/02 22:26
大崎義宣って井沢元彦のご先祖様だとか。
215日本@名無史さん:02/02/02 22:40
大崎義宣って子孫いるの?
大崎義隆は大崎義直の子だし。
216日本@名無史さん:02/02/02 22:51
徳川は旗本八万騎。伊達は三万八千騎。徳川の約半分。
江戸時代になってもこれだけ多くの家来を養ったのは政宗だけ。
天下取りの野望を老年まで政宗は捨てなかった。
217日本@名無史さん:02/02/07 05:18
伊達の話は南部スレじゃなくてこっちに欠け
218日本@名無史さん:02/02/07 17:26
悲しいお知らせです。
グーグルで「伊達正宗」を検索してみたところ、3,010件のヒットがありました……。
「伊達政宗」13,400件の1/4に迫る勢いです。
219日本@名無史さん:02/02/07 17:28
正宗タンの兜の前立てカコイイ ハァハァ
220日本@名無史さん:02/02/07 17:36
>>219
正式名は何だっけ?
221日本@名無史さん:02/02/07 20:38
>>220
伊達左京大夫藤原朝臣政宗じゃないの?
222日本@名無史さん:02/02/07 22:05
>>221
いやw弦月のアレのことだろ?
get222
223日本@名無史さん:02/02/07 22:18
>>219
合戦で実際に組み合いになった時アレで相手の首を取ったことがあるそうです。
224日本@名無史さん:02/02/07 22:24
鎧は、「鉄黒漆五枚胴具足」というらしいです。
兜の前立はしらん。
225224:02/02/07 22:26
分かりました。
「三日月前立黒漆六十二間筋兜」というそうです。
226日本@名無史さん:02/02/07 22:35
>>225
覚えれんわそんな長いの!
227日本@名無史さん:02/02/07 23:35
62間もあるのか?
うちのは12間しかないが。
228日本@名無史さん:02/02/08 00:37
○○間て何ですか?
バカにもわかるように説明してくだせい。
229日本@名無史さん:02/02/08 12:40
>>228
何枚の鉄板を溶接して兜をつくってるかってこと。
その数だけ筋がある。
政宗タンは多いのが特徴と聞いた。
ところであの三日月の前立ては現存しちょるんだろか。
見てみたいものじゃ。
230日本@名無史さん:02/02/08 13:00
片目だから。
231日本@名無史さん:02/02/08 13:04
>>229
溶接じゃなくて鋲(リベット)で留めてあるです。
232日本@名無史さん:02/02/08 14:20
>>229
現存どころか、具足一式が国宝に制定されて
仙台市博物館に常時展示してあるよ。
233日本@名無史さん:02/02/08 15:30
>>1
http://page.freett.com/nudy_nudy/[email protected]
これだせ?人気でないわけ無いじゃん。
234233:02/02/08 16:02
235日本@名無史さん:02/02/08 19:30
>>231
訂正すまそ
>>232
何!すんばらしい。今度見てくる。
236228:02/02/09 00:16
>>229
>>231
バカにもわかったっす、どうもでやんす。
237日本@名無史さん:02/02/09 04:13
あまり伊達家及び、伊達政宗の悪口は言わないでください。
悪く思えば悪い、良いく思えば良い
ただそれだけのことです。
全国的に人気が出た背景には、大河ドラマであるということは
否定しません。
それで良いではないですか。

見てもいない、少ない知識だけで評価するのは
阿呆のすることです。この世にいない者を愚弄するのは特にです。
余計な妄想をする前に、己自信に磨きをかけましょう。
どうかよろしくお願いします。
238日本@名無史さん:02/02/09 09:13
>>237
ここは「伊達正宗」スレですが?
239日本@名無史さん:02/02/09 09:16
>>237は伊達の子孫か?
240 :02/02/09 09:18
ホ?イス?ソなところが・・・
241のぶなが:02/02/09 09:53
言いたい事も言えないこんな世の中じゃ〜ポイズン♪
242日本@名無史さん:02/02/16 13:21
伊達政宗が片目になった理由も複数の伝承がある上に、
実は片目じゃなかったって説もあるね。
243日本@名無史さん:02/02/16 13:30
>>242
何か変わったトンデモ本でも読みました?
244日本@名無史さん:02/02/16 13:40
>>242
名前は忘れたが(鎌倉の御霊神社だったかな?スマソ)
わざと片方の目を隠して神事を行う神社があるよ。
伊達政宗も、そういった事と関係あるのかもしれない。
245日本@名無史さん:02/02/16 13:52
伊達は、足利など屁とも思っていなかったみたいだね。
勢力を伸ばしつつ、手玉にとって遊んでいた感じ。
でも晩年、家康には感服した。なんせ頼朝公以来の名君だもんね。
246日本@名無史さん:02/02/16 14:05
鎮守府将軍「伊達政宗」
247すまけい:02/02/16 16:42
伊達殿は、黒田孝高同様、徳川家康にとってみれば、信用できない男だった。
百万石のお墨付きを反故にして2万石しか加増しなかったのは、一揆を扇動したせいだ、
というのは、あとからのつけたし。
248日本@名無史さん:02/02/16 17:01
江戸時代になって、伊達家は養子相続ばかりじゃないの。
249日本@名無史さん:02/02/16 17:03
いいじゃん、みんな政宗の血を引いてるんだから。
250すまけい:02/02/16 17:06
分家からの養子相続はあったみたいだけど、
他家からの相続はなかったみたいだよ。
251日本@名無史さん:02/02/16 17:32
やっぱり名将は家康のように下半身も強くないとねぇ〜。
落胤含めて男女16人の子宝は伊達じゃないよw
しまいには成実のぶんも作っちゃうし。。。
252日本@名無史さん:02/02/16 17:37
殿様で、ちやほやされると精力が衰えるのかもしれんな。
野を駆け巡り、生死を賭けた戦をすれば、精子も強くなる。
逆に苦労なし、反戦平和主義者は、精力が弱い気がするのは俺だけか。
253日本@名無史さん:02/02/16 18:48
わが藩を会津100万石の昔に戻したい。そのためには、関ヶ原のドサクサにまぎれて
奥州を席巻する必要があったのだよ。
254日本@名無史さん:02/02/16 20:26
伊達氏の系図を見ると、歴代の将軍から偏諱を受けた人物がすごくたくさんいる。
名門度では毛利や島津なんて比じゃないな。
255日本@名無史さん:02/02/16 22:09
御三家、御三卿、越前松平、津山松平、松江松平、
島津、前田、毛利、浅野、細川、因州池田、備前池田、蜂須賀、上杉、
鍋島、黒田などの外様大名もうけていますけど何か。
256日本@名無史さん:02/02/16 22:12
>>255

もっと文脈を読め
中世伊達氏の事を言っているんだよ。
257日本@名無史さん:02/02/16 22:26
伊達の凄いところは義政から始まる偏名の叩き売りの前から
連続的に貰っていて、しかも時を見てあっさり見放した所だな。
258日本@名無史さん:02/02/16 22:53
しかし伊達家も少弐家には及ばないな。

探題レベルで同じとみなすと奥州探題=九州探題となる。
現地受領の総帥のレベルで並ぶのが鎮守府将軍陸奥守=太宰少弐筑前守の家柄。
探題と現地受領トップでどちらが上になるのかは見方は論争もあろうが
東北九州という保守的土地柄を考慮すると
新設探題職は歴史の重みからみてやはり軽いとみられたはず。
鎮守府将軍の歴任者としては藤原秀郷、平貞盛、源頼義、源義家、藤原秀衝、
足利尊氏、北畠顕家ら歴史を彩った華やかな名が連なる。
太宰少弐も現地実務官では事実上トップ。
太宰大弐の平清盛、頼盛、少弐の藤原隆家らこれも摂関家血筋や伊勢平氏棟梁ら
歴史上の著名人物がつらなる。

伊達家は戦国末期に奥州探題を拝命したり
系図上奥州藤原氏につなげかえたりしているけど
鎌倉一御家人からスタートした家史は変えられなかった。
少弐家は鎮西すべてを束ねる鎮西奉行職からスタートしている。
その意味からも少弐家は伊達家よりは上であろう。
259日本@名無史さん:02/02/16 22:58
うん、凄いね。偉いね。権中納言くらいじゃ、かなわないね。
260日本@名無史さん:02/02/16 23:11
権中納言くらいなんのその。
家柄はありとあらゆる要素の複合価値で極位はその家の1%も語っていないときもある。
歴史的重量感っていうのかな。
元寇時に「日の丸大将少弐景資」の奮戦がなければ
日本国という国体自体が現在存在していなかったことを
日本人は深く受け止めるべし。

ところでなんで政宗は渡海しなかったのかね?
261日本@名無史さん:02/02/17 00:43
したよ4ヶ月だけ。
でも渡海よりも京都での行進と、茂庭綱元が
秀吉のオキニになった事の方が有名だね。
262日本@名無史さん:02/02/17 01:16
伊達勢はわが龍造寺鍋島勢の如く獅子奮迅の働きを見せたかね?
半島北辺の孤城で絶望的な篭城を行っていた加藤清正は
鍋島黒田勢の突入によって危機から脱した後、
骨と皮ばかりに痩せた手で鍋島直茂の手を押し抱いて
「ご恩は一生忘れぬ」と誓ったと伝わる。
(事実関ヶ原の時は西軍方についた鍋島家の弁護のために奔走している)
ところで関ヶ原といえば伊達は上杉に蹴散らされたのではないかの?

263>:02/02/17 01:40
政宗はA型だった。
264日本@名無史さん:02/02/17 01:42
>258
隆家は権帥、正二位中納言。大弐・少弐連中と一緒にすんな。
265日本@名無史さん:02/02/17 01:57
親王任国の太宰府では大臣にあたる帥は赴任しないから
権帥が非常任の大臣みたいなもの。
大弐が政務次官だとすると
少弐っていうのは事務次官ってことだ。
事務次官がどんなに偉いかがこの一事でわかる。
例えていうと東大法学部でて外交官試験受かって
その後も昇進を重ねたエリート中のエリート。
明治維新始まって以来初めてその事務次官の首を二人も切った大臣が
近頃首相に更迭されたがそのくらい事務次官は現場のトップ。
同様に少弐は九州における現地最高官だってこと。
266日本@名無史さん:02/02/17 02:17
>>263
 遺骨発掘調査の結果B型となってなかったけ?
267日本@名無史さん:02/02/17 02:27
一番偉いのは、バスジャック少年も、東京都知事も、総理大臣も、
宇宙から来た征夷大将軍坂上田村麻呂くんも、かなわない
牛乳大好き阿弖流為U世くんなのだが。。
268日本@名無史さん:02/02/17 03:30
>>262
政宗家臣小梁川盛宗の祖父親朝が楽勝で落とした長谷堂城に
散々手間取ってる直江にどうやって蹴散らされるよw
269日本@名無史さん:02/02/17 05:17
印篭紅花酒とはどのようなものだったのでしょう?
焼酎みたいなもの?
270日本@名無史さん:02/02/18 04:05
伊達公子と関係あるのか政宗は
271日本@名無史さん:02/02/18 04:10
関ヶ原で西軍が勝っていたら、奥羽は上杉領。伊達は滅亡、よくても小領主に転落。
272日本@名無史さん:02/02/18 04:33
南北朝で鎌倉の直義が京都の尊氏にもし勝ったとしたら
頼朝や家康のような武断政治をやっていたと思う。
西国を基盤とする京都幕府、京畿政権では
尊氏も秀吉も諸勢力の上に乗っかるしかなかった。
南北朝で宮方についた伊達氏が生き延びたように
関ヶ原で西軍が勝っていても東軍についた伊達氏は豊臣政権下で生き延びるでしょう。
ただ三成親友佐竹のライバル伊達に対する評価が気になるが。
273二眼流宗男:02/02/18 04:35
わしも人気あるぞ。ただいま絶好調だなや。
274日本@名無史さん:02/02/18 05:08
>>270
但馬国にも地頭職を持っていたそうで、
但馬・備中方面に伊達氏の分流が存在するらしい。

>>271
政宗は、関が原の結果両方に対応していたと思うぞ、
どちらかと言えば、家康が死んで天下の行方が解らなくなる方を望んでいた筈。
政宗にとっては、蒲生氏郷が最大のライバルであって、上杉など屁でもなかったでしょう。
275日本@名無史さん:02/02/18 14:05
関ヶ原で西軍が勝っていたら?
上杉に最上潰させといて、本腰入れて南部に侵攻、
余力でどさくさ紛れに相馬に攻め入って万々歳でしょ。
秀宗の地位を利用して徳川政権より良いトコロまで行くんじゃない?
276 :02/02/18 14:11
伊達男の語源になったカッコよさは伊達ではありません
277日本@名無史さん:02/02/18 14:16
270にレスつけてるけど伊達公子のこと言ってるの?
278日本@名無史さん:02/02/18 17:28
伊達家の兜の前立てってさあ、総大将政宗以下、
偉い順に少しずつ違うんだよね。こいつは半月、とか。
で、鎧は黒一色でさ。
あの辺の美意識って、たしかに「伊達者」だよな。

だけど政治的にはどうかなあ。蒲生氏郷に
全然やられてたじゃん。所詮田舎大名かなあ。
279日本@名無史さん:02/02/18 19:10
やっぱりさ、江戸に住んでるときも、かなり訛っていたのかな?
280日本@名無史さん:02/02/18 23:13
まあ、25から伏見に8年居たんで京訛だったかも(w
281日本@名無史さん:02/02/18 23:17
25からでは言葉直すには遅すぎるだろう。しかもたった8年じゃあ……
282日本@名無史さん:02/02/18 23:20
3年もあれば関西弁は移るもんよ
283日本@名無史さん:02/02/18 23:22
晩年の伊達成実でさえ江戸城で講談してたし、
フツーに武士言葉喋ってたろうw
284日本@名無史さん:02/02/22 14:00
伊達政宗が片目になった理由も複数の伝承がある上に、
実は片目じゃなかったって説もあるね。

旧伊達領下じゃ、政宗が子供の頃
棒っ切れ振り回してチャンバラごっこしてて
片目になったっていう民間伝承が根強い。
285人気の秘密:02/02/23 02:53
 ・カッコいい。(外観だけでなく秀吉に会う際の死装束など、強いだけの武将とは一味違う。)
 ・視野が広い。(海外にも目を向けていた。坂本竜馬の人気とも通じるところが有る。)
 ・政治家として経済に明るい。(政宗が開拓した新田の米は江戸でシェアも人気も一番だった。)
 ・政治家として将来も見通せた。(国替えをされないため仙台に東照宮を作って家康を祀った。秀忠、家光も家康には手を出せない。)
286日本@名無史さん:02/02/23 05:22
まーくんは妖怪とも戦ったんだよー。
287日本@名無史さん:02/02/23 10:26
>>284
>棒っ切れ振り回してチャンバラごっこしてて片目になった

それは奥方の愛子姫の子供時代の話が混線して民間伝承になったのではないかという説がある。
その場合は片目なのは奥方の方で政宗は片目じゃなかった説になる。
288日本@名無史さん:02/02/23 10:46
政宗の親父、輝宗という人に興味があります。
あまり風采のあがらない人だったようです。

この人がやった行動は、息子たちの跡目相続問題のときでしょう。
英姿颯爽とした弟小次郎に対し、幼少時期に片目を失い、容貌醜悪で
コンプレックスの塊になっている長男坊。

こうした中、妻をはじめ家臣団の間で持ち上がった政宗の廃嫡問題に対して、
この玉石定かでない長男に、伊達家中興の祖、半神的英雄九代大膳大夫政宗の名を
受け継がせる(思い切ったことをしたと思う)ことで「こいつが世継ぎなのだ」
ということを示し、廃嫡を唱える家臣団の口を封じてしまっている。

このときの輝宗には、政宗の行く末に完全な自信があったかどうか。

やがて政宗は見違えるような活躍を見せてゆくが、結局はこの期待をかけた息子に
殺されざるを得なかった。
畠山義継に曳かれながら阿武隈川を渡るときのこの人の心境を思うと、
とても切ない。
289日本@名無史さん:02/02/23 12:30
そう、そう、あの時の政宗の心情を思うと
秀吉の惣無事令を盾にして逃げた佐竹は糞喰らえだよw
290日本@名無史さん:02/02/26 08:56
金髪碧眼のお妾さんがいたんだけど、
政宗が鉄砲で股間撃たれてちんこも玉もなくなってしまったので、
そのお妾を家臣にくれてやった。
291日本@名無史さん:02/02/26 10:22
それっていつのことよ(w

最後の十男・伊達宗勝が生まれたのが1621年で政宗55歳・・・
大坂の陣が終わって6年、最上家改易の1年前。。。
もう太平の世だぞ、いつ鉄砲で股間撃たれるんだ?
292日本@名無史さん:02/02/26 15:57
>>290,>>291
それは奥方の愛姫のレズをやめさせた話というのが真相。だからちんこも玉もないのは当然。
293日本@名無史さん:02/02/26 16:04
>292
「レズ」の語源知ってるか?
294日本@名無史さん:02/03/02 16:11
>>263
政宗はB型。
息子の忠宗がA型。
295日本@名無史さん:02/03/03 00:54
片目というのに興味が・・・
296日本@名無史さん:02/03/13 12:21
キティなところに萌
297日本@名無史さん:02/04/18 00:30
age
298日本@名無史さん:02/04/18 00:33
ここは伊達政宗の話題厳禁スレですか?

正宗・・・・?googleに逝ってきます。
299日本@名無史さん:02/04/18 00:36
>>298
(´ー`)新参者ウゼェ
300日本@名無史さん:02/04/18 00:37
300ゲットォォォォォ!!!
301日本@名無史さん:02/05/05 05:35
両目だったら絶対人気なかったとおもう
302ルーシー:02/05/05 05:56
政宗が人気があるのは、パツ金と セックスしたからだよ。
それが、政宗の知名度を上げた1番の理由だよ。

だから仙台の政宗像の 後ろ斜めをチョックラ見てみると 金髪美人の裸の銅像があるよ。
おみやげコーナーにも パツ金マン獣 があるしね  おいしかったよ。

人の価値はパツ金とセックスする事できまるんだね。


303日本@名無史さん:02/05/05 05:59
>>302
すげー
博学!
304日本@名無史さん:02/05/07 11:33
政宗に外国人の側室が居たってのは、確か作り話だよな?
305日本@名無史さん:02/05/07 11:49
アーア、言っちゃった
306日本@名無史さん:02/05/15 16:47
>>304
「お瑠璃の方」様のことでしょ?
日本人と南蛮人のハーフだって事になってる。
307日本@名無史さん:02/05/15 18:25
>>306
どこの小説の話?
混同しないほうがいいよ。
308日本@名無史さん:02/05/16 05:47
何でみんな政宗の話してるんだよ。
ここは伊達正宗について語るスレッドじゃないのか?
正宗は、政宗の双子の兄じゃないか。本当は彼が伊達家の十七代になるはず
だったのに、その利発さと美貌をねたんだ政宗が片倉小十郎に命じて毒殺さ
せちゃったから政宗に家督が回ってきたんだ。
正宗が十七代を継いでたら、奥州統一は2年くらい早まったのではないかと
言われてるよ。
今では、名前が似ていることもあって誰もその存在に気がついてないけどね。
309日本@名無史さん:02/05/16 05:55
死に装束着てたから
310ともチャン:02/05/16 07:19
>>308
たしか菊正宗は鉄仮面をかぶせられて地下室に幽閉されていたんだよな。
311日本@名無史さん:02/05/16 13:14
>310
それでも文武の修行は怠らない見事な人物だったそうだよ。
で、政宗は父には兄が出奔したって嘘ついてたらしい。
最後にその秘密を知ったために輝宗は突発的な事故にみせかけて殺されたんだよね。
312日本@名無史さん:02/05/16 14:25
伊達小次郎政隆だっけ?
313日本@名無史さん:02/05/16 15:37
岩谷堂!!藁
ナイス>>312
314日本@名無史さん:02/05/25 18:02
>>1
数々のトラウマによって得た器用と高い教養を以て、
年の離れた天下人達とタメ同然につきあえた希な厨房ダーカラ。
315日本@名無史さん:02/05/30 21:36
age
316日本@名無史さん:02/05/30 23:28
>>1は、あれか?
正宗が手からビームが出たり、
気合いで空中を飛んだら、
怒ると頭が金色になればカッコいいのか?
媚びを売るのが、カッコ悪いと思っている時点で
世間知らずのガキだな。
317日本@名無史さん:02/05/30 23:47
(0^〜^0)<従三位権中納言なのに「普通の外様」カコイイw
318日本@名無史さん :02/05/31 06:46
>316
>手からビーム
>気合いで空中を飛んだ
>怒ると頭が金色
政宗はそんなことできないけど、正宗ならできるぞ。(藁
319日本@名無史さん:02/06/05 23:31
政宗の遺言は、まさに戦国を生きた男って感じだよ
320日本@名無史さん:02/06/05 23:50
政宗はあずみとセックスします
321日本@名無史さん:02/06/06 00:07
仙台って伊達政宗の後は歴史に名前残した人いるのかなぁ?
幕末でも仙台関係で有名なのは世良だったりするし、明治以降
でも有名な軍人・政治家ってあんまり知らない。

「男伊達」という言葉より「伊達じゃない」という言葉が一般化した
ように、政宗以降の伊達衆は上っ面だけで中身はないんでしょ。
322日本@名無史さん:02/06/06 00:09
眼帯をしてるから。
323日本@名無史さん
>>321
伊達宗勝、伊達安芸、原田甲斐、伊達綱宗、林子平、大槻玄沢・大槻磐渓・大槻文彦、
高野長英、玉虫左太夫、真田喜平太、細谷十太夫、星恂太郎、伊達邦成、田村顕允、
高橋是清、千葉卓三郎、伊達順之助、土井晩翠、井上成美、八木秀次&宇田新太郎、
上山草人、西澤潤一、大見忠弘。