考古学は科学になれるか?(旧石器考古学Part3)

このエントリーをはてなブックマークに追加
523日本@名無史さん
岡村の76年論文をみよ。 座散乱木と馬場壇は岡村の前期旧石器編年のシナリオ通り。

 藤村が気まぐれで埋めたなら、岡村論文の仮説にピッタリ合うかいな。

 そこのところが、捏造の本質ではないかいな。

 安齋も上手に騙されたわけがここにある。

 皆さん、藤村の気まぐれで騙されたのではないのです。主犯は、シナリオを書いた奴でしょう。
524日本@名無史さん:01/12/01 12:52
考古学をやっている人かわかならいけど518,519は正論。
日本考古学は早く「考古学」というdisciplineを築かないと空洞化してしまう。いつまでも歴史学・人類学・周辺科学におんぶにだっこではダメ。考古学者はモノから歴史が解るという妄想を一度捨ててみてはどうだろう?

521「学問は個人の技ではなく、学者共同体の仕事であり、それを前進させることが個々の研究者の仕事だ、という思想」をもっていたマルクスファン歴史学者や考古学者が科学者であるとは思わない。彼らはむしろ学問を後退させたにすぎない。そんな妄想も捨てよう!
525521:01/12/01 14:30
>>524
別にマルクス学者の擁護をしたのでない。
自然科学で言うピア(同僚)の概念を説明したのだ。
526日本@名無史さん:01/12/01 15:44
結局、今現在日本には前期、中期旧石器なるものは無いのだろ?
はっきりせーよ。
旧石器考古学者の面子や生活を思いやる必要は全く無いぞ。

ところで、土器編年というのは科学か?
後から投げ込まれたという鐙がそのまわりのガラクタ土器の編年から
4世紀初めといっているが、信用できるのか?
527日本@名無史さん:01/12/01 16:18
>>526
奈良市教委は
1)出土層は固く締まっており、後世に上から落ち込んだとは考えにくい
2)出土層に含まれている土器片のうち、もっとも新しいのが4世紀初め
ということから「4世紀初めのあぶみ」と判断したようだ。
これまでの馬に関する常識を100年早めるだけに慎重だと思う。

4世紀の末に騎馬民族がやってきたという江上説の難点は4世紀に
日本に馬がいないという点にあった。これから面白くなるよ。
528日本@名無史さん:01/12/01 20:43
土器編年というのは相対年代だろ?
絶対年代が判るのか?
土器ってのは穴を掘って埋めたり、環濠に投げ捨てたりする傾向が
あるようだが、何を根拠に絶対年代を決めたのだ?
C14とか使ってるの?
さらに編年だってあやしいもんだ。
縄文時代から高い芸術性が認められるのに、模様や形で新しい古いってのが
判定できるのかね?とっても疑問だ。
529527:01/12/01 21:33
確かに君の言うとおりで土器編年法は相対年代だ。誤差は30~50年ぐらいある。
但し馬具の出土年代に関してはこれまで土器編年法で決められていたので、
同じ編年法では今回のあぶみは4世紀の初めになる、ということで土俵は同じ
と考えている。
将来的にはすべて絶対年代に翻訳することが必要だろう。今回のあぶみは
木製品なので年輪年代法で絶対年代を決められると思う。
530日本@名無史さん:01/12/01 21:41
>>523
貴方の議論は藤村の単独犯行でなく、1976年に論文を書いた共犯者がいる
という主張だと思いますが、具体的証拠をあげて論じるべきでしょう。