1 :
日本@名無史さん:
役に立つ・立たないは問わず、自分が知ってる雑学を
遠慮なくガンガン披露してみよう!
「ンな事知ってるよ!」などのツッコミは大人げないのでやめよう。
まず俺から。
・A級戦犯の木戸幸一は、木戸孝允(桂小五郎)の孫。
・海軍大将・山本五十六は、父親が56歳の時に産まれた。
・板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」は本人ではなく、弟子が言ったもの。
・「戦前の日本人は、横書きの文章を右から左へ文字を書いていた」のはウソ。
2 :
日本@名無史さん:01/11/01 00:55
3 :
日本@名無史さん:01/11/01 00:57
「生類憐れみの令」で犬を保護したことで有名な五代将軍、
徳川綱吉は、戌年生まれだった。
処女とセックスするときは、指つっこんで2、3回逝かせて
からちんこを入れるとスムーズに入る。
5 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:00
当初の予定では、米軍はプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」は、
北九州に投下される予定だったが、なんか知らんが突然長崎に予定変更してみた。
6 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:04
徳川家光と豊臣秀頼はイトコだ。
(互いの母親が姉妹なんだから当たり前か・・・)
7 :
日本@名無しさん:01/11/01 01:06
8 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:07
岩崎弥太郎の三菱のマークは土佐藩の藩紋からきてる。
9 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:09
新一万円札の肖像画の人物は、初の女性ということで樋口一葉が候補に挙がった。
しかし、一葉はあまりにもツルッとしたシンプルな顔であり、
ニセ札が偽造されやすいという欠点があるため、その案はあっさりと却下された。
今後も女性が肖像画の紙幣は登場しないのでしょうなあ・・・・
鎌倉の海に、白い小さな穴の開いたものがたくさん落ちている。
実は全部人骨。
新田義貞が鎌倉を落とした後、ちらかっていた死体を燃やし(北条一門や有力御家人は別)て捨てたもの。
鎌倉の海おそるべし
11 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:34
北条時宗のドラマ、海を見てフビライを思う主人公のシーンがあったが、その方向実は太平洋側だった
フビライを思うなら日本海側見ないといけないんじゃ
・・・史実じゃないが
12 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:34
一休さんは後亀山天皇の実の息子。
(後亀山天皇は南朝側の天皇である。)
幼い息子を南北朝の争いに巻き込みたくないという母親の配慮から
一休は、寺に預けられた。
これは、アニメの設定だけの話かと思ってたら、どうやら史実らしい。
13 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:36
日本史全体じゃなくてせめて時代ごとに区切ってくれたほうが後で読みやすいと思うよ
14 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:40
現在の与党である「自由民主党」は、吉田茂の「自由党」と鳩山一郎の「民主党」が
合併したために付けられた名称である。
その鳩山一郎の孫である鳩山由紀夫が現在「民主党」の党首であるという
事実は、歴史の輪廻と言うべきか。
……ゴメン、みんな知ってたね。
15 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:43
>>13 いろんな人が書き込んでるし、みんなそれぞれ得意な時代がバラバラ
なんだから、好き勝手に書いちゃってOKじゃないかな?
16 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:48
>15
うん、批判じゃなくてさ、ただの私的意見だから
ごめんね
福沢諭吉は戦争賛美し、学問できないやつはクズだと言い、従軍慰安婦を必要だと言った
・・・ほんとに讃えられるべき人?
17 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:48
俺の祖父が子供の頃は、江戸時代生まれの人間が少しも珍しくなく
そこら辺にたくさんいた。
遠いようで意外と近い江戸時代。
18 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:52
>>17補足。
「天保人」という言葉が今で言う「昭和一桁生まれ」みたいな
意味で使われていたらしい。
19 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:55
「第二次世界大戦で日本と戦った国はどこか?」
という質問には90%以上の日本人は答えられる。
「第一次世界大戦で日本と戦った国はどこか?」
という質問には90%以上の日本人は答えられない。
20 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:56
>19
第一次はドイツ、イタリアで
あってる?
21 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:57
「千円札の夏目漱石って何した人?」
という質問には90%以上の日本人は答えられる。
「五千円札の新渡戸稲造って何した人?」
という質問には90%以上の日本人は答えられない。
22 :
日本@名無史さん:01/11/01 01:59
>21
・・・・こ、答えも言ってください
新渡戸稲造は国際連盟事務局長、だったような
ひでよしのみぎては六本あった
24 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:00
み、右手じゃなくて右手の指だと思われ・・・
25 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:00
>>16 あと、「天は人の上に人を作らず」は有名だが、
自分の娘の嫁ぎ先が士族じゃないと承知しなかった
26 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:01
>>22 それよりか『武士道』の著者って方が通りがいいんじゃないの?
ちなみにクウェーカー教徒
27 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:02
クウェーカーってなに?
28 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:02
台湾の都市・高雄(カオシュン)は、日本の植民地時代に名づけられたもので、
当時は日本語読みで「タカオ」と読んでいた。
これは、台湾語(ミンナン語)でもともと「タークォー」と呼んでいたものを
日本語風に改めたものらしい。
北海道のアイヌ語由来地名もこんなノリのものばっかし。
29 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:06
>>27 キリスト教の一派だがかなり異端
17世紀中頃に創設されたプロテスタントの一派。徹底した平和主義
で戦争に反対し絶対に武器をとらない
30 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:08
伊藤博文と、伊藤博文四天王(藤門四天王)の筆頭伊東巳代治に
男色行為の噂
実の親子説もあったがこれは確実にウソ
31 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:08
源頼朝は、女に夜這いをかけたら、その女に殺されて死んだ。
それじゃあ、征夷大将軍としてあまりにも情けないということで、
落馬死ということにしておいたらしい。
武士の棟梁ともあろう者が落馬で死ぬってのも、充分情けないと思うんだけど。
なんかこの説、ウソくさいかも。本で読んだんだけどね。
32 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:11
豊臣秀吉とジミー大西は1月1日生まれ。
33 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:13
>>32 それは俗説に過ぎんよ。太閤記かなんかの出典だろ。
34 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:13
戦後の給食制度に大きく貢献したララ物資を、サレジオ教会系の会社は横流しをして巨富を得ていた。
35 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:14
「源義経は大陸へ逃走後、チンギスハンと名乗りモンゴル帝国を築いた」だって?
そんな説は、馬鹿馬鹿しい!
我が青森県にある新郷村には「キリストの墓」があるんだぜ!
チンギスハンよりキリストの方がスゴイだろーが!
36 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:25
京都北山山荘にある観光名所「金閣」(鹿苑寺)はニセモノである。
本物の金閣は1397年に足利義満によって建立されたが、
その約六百年後の1950年に火事で焼失された。
現在のものは、1955年に再建されたものである。
自分の親父より若いと思うとありがたみが無いねえ。
37 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:30
関東軍の謀略により爆殺された、奉天軍閥の巨頭・張作霖の
息子・張学良(抗日運動家。蒋介石と対立)は、1898年生まれだが
つい最近まで生きてた。
38 :
日本@名無史さん:01/11/01 02:34
最近の歴史教科書には、現代史に手塚治虫とか長嶋茂雄とかが
載っているらしい。
五大日本昔話しが言える奴はなかなかいないだろう。
以外と出てこない。
答えを聞くと、あーそうだー、とけっこうすっきりする。
40 :
日本@名無史さん:01/11/01 03:24
二宮金次郎(尊徳)は、薪を背負いながら勉強したこと以外、
何をしたのかはあまり知られていない。
二宮は幕末の農政家で農村復興に努めた人物。
節約・貯蓄を中心とする事業法「報徳仕法」は彼の死後も報徳運動として続けられた。
…やっぱし今ひとつパッとしないよね。
41 :
日本@名無史さん:01/11/01 03:29
>>36 奈良の大仏さんも昭和に出来たニセモン。
言い出したら観光名所なんてニセモンだらけ。
有名で歴史が深い本物と言えば、法隆寺・薬師寺あたりかな?
42 :
日本@名無史さん:01/11/01 19:33
内閣総理大臣の最年少記録保持者は、第一代目の伊藤博文である。
第一次伊藤内閣は1885年に発足され、当時伊藤は44歳だった。
この記録は、未だに誰にも破られていなく、また今後破られる気配もない。
43 :
日本@名無史さん:01/11/01 19:44
田中真紀子が田中角栄の子なのは誰もが知るが、現在の政界に
かつての大物の子・孫は多い。
父・または祖父が元首相の現役議員は…
福田康夫(父は赳夫)・麻生太郎(祖父は吉田茂)・細川護煕(祖父は近衛文麿)
鳩山由紀夫(祖父は鳩山一郎)・小渕恵子(父は小渕恵三)・池田○○(父は池田勇人)
池田の名前は忘れちゃった。確か宏池会のメンバーだったよな…
他にもいる?
44 :
日本@名無史さん:01/11/01 20:16
平沼っていなかったっけ
45 :
日本@名無史さん:01/11/02 00:25
>>43 ていうか、国会議員ってほとんど全員、親戚に元国会議員がいるだろ?
46 :
日本@名無史さん:01/11/02 00:41
≫43
池田行彦は勇人の娘婿
47 :
日本@名無史さん:01/11/02 00:42
平沼赳夫は騏一郎の養子。
48 :
日本@名無史さん :01/11/02 00:45
国会議員の使う公用車、現在、衆議院で約160台
参議院で約100台所有している。5年ぐらい経つと
払い下げられるのだが、一般人には取得不可。
殆どが議員、議員の親戚、秘書に五万円から八万円
でセンチュリー、プレジデントが売られていく。
ホントです。
49 :
日本@名無史さん:01/11/02 11:09
50 :
日本@名無史さん:01/11/02 11:13
51 :
日本@名無史さん:01/11/02 11:15
52 :
日本@名無史さん:01/11/02 11:20
>51
自民党国会議員の七割以上は二世、三世議員だよ。
53 :
日本@名無史さん:01/11/02 17:10
倭寇は、実は海賊じゃなくて、民間の貿易業者にすぎなかった。
54 :
日本@名無史さん:01/11/02 17:11
>>52 日本社会の流動性の低さの象徴ですな。
そういうのに限って,「門閥は親の敵」といった福沢やら
「児孫のために美田を残さず」といった西郷を尊敬してい
たりする。
55 :
日本@名無史さん:01/11/02 17:47
>>25 福沢諭吉は
天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、と云へり。
と書いている。
西洋の考え方を紹介しただけで、諭吉個人の思想とは無関係である。
有名な「墨俣一夜城」は、実は秀吉ではなく、ほとんど前田利家が建造した。
秀吉は材料の運搬を少し手伝っただけ。
今川義元の子、氏真は通説では「馬鹿」「愚将」として紹介されるが実はかなりの大物。
家康に対抗出来ないと判断すると、あっさり領地を明渡し、京へ移り住んだ。
しかも、朝廷に取り入りそこそこの身分を貰って寿命をまっとうした。
ちなみにこの時代、戦に負けた大名は処刑されるのが普通である。
58 :
日本@名無史さん:01/11/02 18:53
59 :
日本@名無史さん:01/11/02 18:56
>>8 JALの鶴マークは、JALの創業者がフランス人のデザイナーに
社章のデザインを頼んだところ、そのデザイナーが、
「日本には素晴らしい紋章がいっぱいあるじゃないか」
と言って日本の家紋帳を取り出し、結局その中の六角家の
家紋を採用した。
60 :
日本@名無史さん:01/11/02 18:57
>>56 佐々成政じゃなかったっけ?『武功夜話』によればだけど。
61 :
日本@名無史さん:01/11/03 00:30
今日、文化の日は明治天皇の誕生日で、明治時代から祝日であるが
意外とその由来を知らない者が多い。
長い時が経つにつれてそういう知識は失われてゆくのでしょうか。
おそらく、「みどりの日」が昭和天皇の誕生日だということも
いずれは忘れ去られるのでしょうね。
62 :
日本@名無史さん:01/11/03 00:45
>>61 勤労感謝の日(11月23日)は大正天皇の誕生日じゃなかった?
63 :
日本@名無史さん:01/11/03 08:27
つまり,月曜に寄せて連休化しない祝日は天皇がらみということで。
そのうち陸軍紀念日,海軍紀念日も復活したりして。
64 :
日本@名無史さん:01/11/03 14:39
>>63 ハァ?子供の日は天皇がらみだったんですか?海の日は?秋分の日や春分の日は?
節句は天皇家の行事と関連付けることが可能かと。
秋分・春分も皇室行事と結びつく。
もとは大陸文化だけどね。
66 :
日本@名無史さん:01/11/03 15:27
勤労感謝の日はもともとは新嘗祭。
彼岸の中日は春季皇霊祭・秋期皇霊祭。
余談だが、戦前の松の内は元旦・神武天皇祭・宮中宴会と
一年の初めから飛び石連休だった。
今のような名称になったのは、やはり占領下での「改革」が原因。
祝日と休日も厳密には違うんだよね。
コピペするぞ。
「合衆国」は、幕末に江戸幕府の役人が訳したそうで、これは State を「州」と訳した上、
「衆」に間違えたのではない。幕府の役人は、それほどバカではない。では、どこから出たか、
というと中国の古典「周礼」からだそうだ。
幕府の役人にはアメリカの共和制政治形態が理解できなかった。
理解できないのは、国に世襲の君主がおらず、棟梁(大統領)を入札(いれふだ、選挙)で決めている、
ということだった。 1850-1860年代には、共和国すなわち国王のいない国は珍しかったのだ。
「周礼」をひもといたら、共和制に似た政治形態を「合衆」と書いてあったので、「合衆国」の訳を当てた。
だってさ。
69 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:05
祝日ネタが出たので便乗してみる。
俺が小学生の頃、2月11日の建国記念日は、大日本帝国憲法が発布された日だと教えられた。
しかし、あるとき別の本を読んでみたら建国記念日は、「神武天皇が帝位に即位した日」と
書いてあった。
どっちが本当??
70 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:22
「神武天皇が帝位に即位した日」は嘘だな。
神武天皇なんて実在しないもん。実在しない奴が即位なんてできるわけない。
どちらも本当。
日本書紀の神武天皇即位の日を換算すると
2月11日になるらしい。その日に帝国憲法発布。
雑学一つ。
昭和天皇始め皇室は、戦後暫くの間
宣教師を宮中に呼んで聖書を学んでいた。
(皇室祭祀を取りやめたわけではない)
でも、講和条約締結後沙汰やみになったそうだ。
結局米国の歓心を得ようとしてのものだった。
72 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:28
もともと2月11日は「紀元節」。
休みだけど、学校にいって教育勅語の読み上げを聞かされたりした。
69の言っているのはどちらも正しいんだけど、神武即位の日として
紀元節で祝日になっていたわけです。
話は変わりますが、今の建国記念の日は法律で定められた日では
ありません。
73 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:31
>>70 まあ確かに神武天皇は実在しないことは確実なんだが、国威発揚のため、
神話に基づいた祝日を設定することはあり得るんじゃないかな。
確か、建国記念日は戦前は「紀元節」と呼ばれていたと思ったが。
俺の予想では、大日本帝国憲法の発布は、とてもめでたいことなので、
その紀元節に合わせたんだと思う。
74 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:31
三笠宮殿下は建国記念の日制定に反対だった為
「赤い宮さま」と呼ばれた。
歴史には関係無いが
殿下は御自身で運転されていた車を、
一般人の車に追突させたことがある。
75 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:34
以前何かのコラムでビートたけし氏が「最近の若い奴は東条と東郷の区別も分からない」
と、戦後歴史教育について嘆いていたが、実際は東郷平八郎の名前すら
知らない若者もたくさんいる。
なにせほとんどの歴史教科書にその名が掲載されてないのだから。
76 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:39
後深草院、亀山院の母方の祖母は100歳を超える天寿を全うした。
公家のお姫さまだから、まず運動は殆どしない。
衛生状態も良くない。栄養も偏っている。
何故百歳以上生きられたんだろう?
77 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:42
最近の若いやつは西城秀樹と西郷輝彦の区別も分からない。
78 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:49
>>41 今の大仏は江戸時代の物だろう。
台座の一部に奈良時代の物が残っている。後、指の一部もか。
昭和の大規模な解体修理とまざってないか?(大仏殿の)
まあ、にせものと言う表現はどうかと思うけどな。その定義なら薬師寺も
東塔以外はにせものだろ。
79 :
日本@名無史さん:01/11/04 00:52
大正天皇の誕生日は、8月31日だそうです。
明治天皇の誕生日は祝日として残っているのに大正のは残ってないのは
何故なんでしょうか? ちょっと疑問。
ところで、大正天皇は12月25日に崩御したそうです。
その一週間後の正月は、新年行事が自粛されちゃったのだろうか?
80 :
ぁゃιぃアズマ人@アズマ恵比寿:01/11/04 00:53
天皇が日本の歴史の中心というのは、ウヨクソ・ヤマト族の妄想に他ならない。
アズマ史観こそ、21世紀の神話・正統的歴史イデオロギーとなろう(藁
81 :
日本@名無史さん:01/11/04 01:01
>>78 現在の奈良の大仏って江戸時代の物なんだ!知らなかった・・・
幕府って金があったんだね。仏教に熱心な将軍でもいたのかな?
現在の価値に換算すると数千億円はかかっただろうね。
>>81 松永久秀による大仏殿焼き討ちからの再建で、
お金が足りずに、大仏殿がひとまわり小さくなってしまった。
幕府の再建ではないです。もちろん、援助はあったとは思いますが。
まあ、鎌倉時代の再建も、幕府からの援助も多少はありましたが、基本的
には、僧がお金を集めてってことですな。
平安時代にも、燃やされてますので。
83 :
日本@名無史さん:01/11/04 01:39
>>1 > ・「戦前の日本人は、横書きの文章を右から左へ文字を書いていた」のはウソ。
ウソなのかこれ・・・・
右→左の文って、たくさん見たことあるけど。
84 :
日本@名無史さん:01/11/04 01:51
>>75 東郷平八郎のどこに、歴史教科書に載せるほどの価値が?
85 :
日本@名無史さん:01/11/04 22:17
>>84 日露戦争をどうとらえるか?じゃないかなあ。
ま、東郷がいなくても勝ったかもしらんが。
かなりウロなのですが奈良時代の役所関係の文献で
「なんで遅刻したのか」
「昨日遠くから知人が来て深酒をしまして…」
みたいのが有るそうです。 理由として通ったみたいです。
87 :
日本@名無史さん:01/11/05 00:57
「平成」は普通「ヘーセー」と発音するのは誰でも知ってるが、
平成が始まった直後は、みんな「ヘイセー」と言っていた。
これは、新元号を発表した小渕恵三官房長官が「ヘイセー」と言っていたため。
88 :
日本@名無史さん:01/11/05 01:02
>>87 ヘイセイだよ。
元号を改める政令(昭和六十四年政令第一号)の規定により定められた元号の読み方は、次のとおりである。
へいせい
平成
昭和六十四年一月七日
内閣総理大臣 竹下 登
89 :
日本@名無史さん:01/11/05 06:00
>>88 いやっ そーゆー話じゃなくてさ…。
87で言ってるのは、実際に口に出したときの発音の事だよ。
13年も前の事はもう忘れちゃった?
みんな、「へ〜せ〜」じゃなくて「へいせ〜」って、「い」をやや強めて発音してたでしょ?
キセルと似た言葉で、薩摩守というものがある。
意味は無賃乗車。
平家物語にも登場する平家の武将平忠度(ただのり)
が薩摩守だったのでこんな使われ方が生まれた。
91 :
日本@名無史さん:01/11/05 07:01
ただのり(忠度=薩摩守)=ただのり(ただ乗り)
>>90
93 :
日本@名無史さん:01/11/05 10:47
>>86 昔NHKで見たけど、それに似たような記録、古代エジプトにもあったみたい。
仕事休んだ具体的な理由は忘れたけど、現代の会社や学校じゃ許されないような理由だった事は確か。
昔の人はおおらかだったのね。
94 :
日本@名無史さん:01/11/05 16:14
加藤清正は、痔で悩んでいた。
野口英世も、痔で悩んでいた。
メジャーな年号の覚え方教えれ!
96 :
日本@名無史さん:01/11/05 16:31
>>95 1392年。
いざ国まとめて、南北朝統一。
いざ国まとめて、李氏朝鮮建国。
98 :
日本@名無史さん:01/11/05 16:37
>95
新しくスレッドたてたほうがいいかもしれませんよ?
1333年
一味散々(いち、み、さん、ざん)鎌倉幕府滅亡
>>97 え? メジャーじゃないの?
俺は中学と高校で同じこと聞いたけどな。
じゃあ、これはどう?
1941年。行くよ一発 真珠湾攻撃。
100 :
日本@名無史さん:01/11/05 18:37
戦前の農村の家屋の間取りを見たことがある?
それには、「部屋」「個室」という概念が無い。
つまり、家族全員が居間でごっちゃになって生活していたのだ。
ここでちょっと問題。
農村では男女は一体どこでセックスをしていたのか?
(1)今でいうラブホテルのような施設が各村に存在し、そこで集まってヤっていた。
(2)定期的に子供たちを寄合所へ集めて、その間に自宅でヤっていた。
(3)家族の前でも気にせず、家でヤってた。
正解は(3)。
戦前の農村では、セックスすることが恥ずかしいことだという認識は無かったようだ。
当時の農民は、現在では考えられないほど大らかだったと考えられている。
102 :
日本@名無史さん:01/11/05 18:50
90そげなことはみんなしっちょうるぜよ。
103 :
日本@名無史さん:01/11/05 19:56
>>100 惜しい、(1)も正解。出題者さんしっかり勉強しませう。
現在の民俗学的通説によれば、農村の生活風俗は実に豊かで
多様なものでした。特に性的習俗の世界では、「若衆宿」など
若い男女の交際の場や、寺などの空き棟での「柿の葉問答」と
呼ばれる独特の交わいの伝統が存在したことが知られています。
104 :
日本@名無史さん:01/11/06 03:07
さらにいえば農村に限らず町方の長屋なんかも(3)
片方の乳は赤ん坊に、もう片方は夫に
105 :
日本@名無史さん:01/11/06 03:24
106 :
日本@名無史さん:01/11/06 11:03
田のつく名字は先祖が農民である。
藤のつく名字は先祖が藤原氏の血を引いている。
村のつく名字は先祖が村の偉い人である。
107 :
日本@名無史さん:01/11/06 11:23
日本人のほとんどが
源氏か平氏か橘氏(藤原)の血を引いてるらしいよ
直系は農民でも何処かで繋がってるんだって
108 :
日本@名無史さん:01/11/06 11:26
○村という名字には、金持ちが多い。
109 :
日本@名無史さん:01/11/06 13:18
>>49 おしいっ!岩崎家の家紋「三階菱」と土佐山内家の家紋「三ツ柏」の組合せ
でミツビシマークが出来たんだよん。
110 :
日本@名無史さん:01/11/06 14:57
道鏡は巨根だった。だから時の天皇、孝謙天皇に取り入れられた。
111 :
ワシントン会議:01/11/06 15:09
バルチック艦隊の所在を連合艦隊に通報したのは沖縄県宮古島の5人の漁師だ。
112 :
最近知った事:01/11/06 15:11
四面楚歌とは周りは敵ばかりになったではなく
楚の項羽が漢の高祖に包囲されたとき、
四方の敵が楚国の歌をうたうのを聞き、(漢の高祖が漢軍に歌わせた)
楚の民がもはや漢軍に降服したかと思って驚いたという話です
113 :
日本@名無史さん:01/11/06 18:24
>>56 墨俣の一夜城ってさ、蜂須賀小六の功績が大きかったんじゃなかったけ?
114 :
日本@名無史さん:01/11/06 20:55
>>95 やっ!むむっ!応天門が燃えている。
866年。応天門の変
115 :
日本@名無史さん:01/11/07 00:09
このスレ面白いな。
116 :
【^▲^】ヤマト退屈男@””管直””入:01/11/07 00:11
★ゲイ州にゲイが多いという説
横書き文章が、右から左からに変わったのは、共和圏がらみの二次世界大戦中じゃなかったけ?
>95
人さんざん死んで、建武の新政。1334年。
共和圏じゃなくて共栄圏ね。スマソ。
これだけじゃあれなので、もひとつ>95。
納豆食べよう平城京。710年。
119 :
日本@名無史さん:01/11/07 00:36
「奈良をなくして平安京 794年」と奈良で言ったら殺されますか?
120 :
日本@名無史さん:01/11/07 01:00
間に長岡京があるから別にいいよ
121 :
( ´∀`)さん:01/11/08 12:40
>>107源氏、平氏も藤原氏の血を引いている。
よって日本人の90%以上に藤原氏の血が入っていることになる。
122 :
ワシントン会議:01/11/08 13:05
43さん小渕恵子ではありません、小渕優子です。
123 :
日本@名無史さん:01/11/09 02:52
もともと、日本には右から左へと横書きに「文章」を書く習慣は無い。
右から左へ書くのは「文章」では無く、「看板」や「見出し」だけ。
では、横書きに「文章」を書くのはどういう場合かと言うと、
まあ戦前は、数学や英語の教科書ぐらいだね。
当然、数式や英文を右から左へ書くワケが無いので、
それらは現代と同様、左から右へと書いていた。
124 :
日本@名無史さん:01/11/09 03:21
「ええじゃないか騒動」は本当にあった。
125 :
日本@名無史さん:01/11/09 11:48
126 :
日本@名無史さん:01/11/09 12:10
粥鍋「行平」の由来は
在原行平が須磨に流されたときに読んだ塩の句から。
もともと行平は塩を焼く道具だったため。
ちなみに伊勢物語の主人公、業平の兄。
127 :
日本@名無史さん:01/11/11 01:44
20世紀の初めにロシアと仲が悪かったトルコには、日露戦争後
「東郷通り」や「乃木公園」などの地名が記念としてつけられた。
128 :
日本@名無史さん:01/11/11 02:00
129 :
日本@名無史さん:01/11/12 11:16
ニコライ二世が斬られた大津事件の影響で
「我が国の皇太子が日本国において斬られた事実を忘れるな」小学校が開校された。
(「〜」の中すべて名前)
場所はハバロフスクかウラジオストック(失念失礼)
が、地元の対日感情はそれほど激化していなかったよう。
130 :
日本@名無史さん:01/11/12 13:28
127と同じような話だが
やっぱり、ロシアと仲の悪かったフィンランドでも
ビールに「トーゴー」と名付けられた。今あるかどうかは知らない。
131 :
日本@名無史さん:01/11/12 17:54
130の名前は「提督シリーズ」の一つにすぎない。
132 :
日本@名無史さん:01/11/14 00:16
>>130 ビールの缶に東郷平八郎の顔がプリントされてるのかな?
今でもあるんならシリーズごとお土産に買ってみたいものだ。
133 :
日本@名無史さん:01/11/14 00:25
>>123 もともと、日本には右から左へと横書きに「文章」を書く習慣は無い。
それ以前に、日本には横書の習慣自体が無かったのです。
「看板」や「見出し」が左←右なのは、1行あたり1文字の縦書きなのです。
134 :
日本@名無史さん:01/11/14 00:51
135 :
日本@名無史さん:01/11/14 02:04
>>134 なるほど。情報感謝。
以前、ビートたけしが東郷ビールの話をイキイキとして話していたのを
テレビで見たが、アレはちょっとした勘違いだったんだね。
136 :
日本@名無史さん:01/11/19 00:37
島津製作所の会社のロゴマークのデザインは、薩摩藩の家紋と同じ。
137 :
日本@名無史さん:01/11/19 01:08
三菱は土佐藩の家紋から
139 :
ふむ。。。:01/11/19 01:21
>>129 確か、ロシア革命で殺されたニコライ2世の遺体を
確定する、とかいう作業が10年くらい前に行われて、
その血液鑑定に用いられたのが、
129が言ってる大津襲撃事件のときに
ニコライ2世の血を拭き取った、
(日本に残されていた)手拭いだったんだよね
そこから彼の血液型がBであったことも判明^^
140 :
ふむ。。。:01/11/19 01:24
そーいや、伊達政宗の遺体が調査にかけられて、
その結果、彼の血液型もBであることが判明
ちなみに、その際の骨格の復元像が
宮城県のロウ人形館かなんかにあったと思う
確か、政宗の声も再現されてたよ
141 :
ふむ。。。:01/11/19 01:27
そーいや、秀吉の右手の指が6本あった、ってゆー話
どーなった?
前田利家の家史にも出てくるんでしょ?
142 :
日本@名無史さん:01/11/19 01:32
143 :
138じゃないけど:01/11/19 01:47
>>142 岩崎家の家紋から
土佐商会の時に藩紋も受け継いでるので
まるっきり間違いでもないが。
144 :
東の空みろよ:01/11/19 02:28
゚*・。..。・。・゚..★・/・
★‥゚・。・。・../・。゚・。・ ★ ★
* /。・。・・゚・。 ★ ★
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(´ー`)y-~~
(へ へ
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Π/________/~\
/__|| *'ー'|| 口|オニイチャン、カゼヒクヨ
━━ |__|  ̄ ̄ ̄|___|━━
見てたよ。
凄いぜマジ
羨ましいな。曇っててまるで見えないよ。
147 :
日本@名無史さん:01/11/19 04:24
西の方なら晴れてるかので良く見える
まだ見れるぞ。
149 :
87896455132:01/11/19 07:20
>>123 >>133 ははぁ…なるほど。右利きが多い日本人が本当に横書きすれば左→右になるのは
理にかなってる気がする。
アラビア文字とかは右→左で書くのはなぜ?左利きが多いのか?
150 :
日本@名無史さん:01/11/19 09:15
巻物の関係だろう→右書き
何で横になったのかの方が不思議
151 :
日本@名無史さん:01/11/19 11:42
>>127 トーゴー通り、ノギ通りは東欧諸国の至る所にあるが、フィンランドにはなんとムツヒト通りまである。
そんなに日本が好きか、いやそんなにロシアが嫌いか。
悲劇の武将・源義経は、チビで猫背で出っ歯の超不細工男だった。
154 :
日本@名無史さん:01/11/19 16:13
>>149 アラビア文字が右->左なのは 左利きが多いからって聞いたけど
違うのか〜?
じゃないと インク文化ではインク濡れ濡れになると思われ。
155 :
日本@名無史さん:01/11/21 07:40
↑オイオイ……。
じゃぁ、日本の墨文化ならお手てが真っ黒けか?
遅レスだが、
>>16 ≫福沢諭吉は戦争賛美し、学問できないやつはクズだと言い、従軍慰安婦を必要だと言った
≫・・・ほんとに讃えられるべき人?
戦争賛美は「征韓論」だと思うが、当時ロシアの南下を阻むには、
韓国の存在が重要だった。韓国の意識を涵養するため。
学問は、商いと実学を結びつけた人だから、言いそうかな?
従軍慰安婦は必要です。ベトナム戦争の韓国軍や、
チェチェンのソ連軍、ハーフが沢山生まれちゃいました。
また、貧しい地域では兵士相手の売春は、とても良い儲けになるので、
放っておいても兵士の後をついていきます。
私設の売春窟で病気が流行るよりも、衛生兵の管理する施設を作るべきですね。
156 :
日本@名無史さん:01/11/21 14:16
朝鮮は日本政府の行った修好の申し入れを拒否した。
日本人は夷風に染まり、洋服を着用していた。
649年新羅は唐の衣冠を導入(唐の永徽元号を採用)
652年新羅使は唐服を着用して、倭に来たため、新羅征討論がでた。
唐の元号を使うということは、唐の服属国ということ。
女帝を立てることは、唐からの独立を意味する
158 :
日本@名無史さん:01/11/29 21:00
漏れ知ってるよ!
1はチョセーン人。
今日もソーレンの前で座り込みしてたのを目撃した。
159 :
日本@名無史さん:01/12/03 11:38
694年
剥くよ ちんちん 藤原京
160 :
日本@名無史さん:01/12/03 22:40
午後に(552)お寺に御参拝(538)
仏教伝来だYO!
161 :
日本@名無史さん:01/12/04 15:46
>>160 漏れは「仏教はクダラないゴミや」と覚えたよ。
(クダラ→百済 ゴミや→538)
162 :
日本@名無史さん:01/12/14 19:19
163 :
名無しんぼ:01/12/14 20:13
>>37 蒋介石の妻だった宋美齢はまだ生きてるよ。今年
でなんと104歳!
>>140 昔手相の本で秀吉のものと伝えられている手形を
見たことあるけど、確か右手で5本指だったような
気がする。手の平の中央を上下に通る運命線(人生
全般の運不運を司る)がぶっとくて、しかも手首か
ら中指の途中まで貫いていたのを記憶している。
164 :
日本@名無史さん:01/12/15 19:23
ここスレ一通り読んだ。
玉石混交、清濁取り混ぜ勉強になった。
ageときます。
166 :
日本@名無史さん:01/12/16 07:05
>>155 ソ連軍といえばベルリン陥落時のレイプは有名だな。
アメリカ統治だった日本はその意味でもラッキーだった。
中のつく名字は代々土地の有力者の家柄である可能性が高い。
168 :
日本@名無史さん:01/12/16 16:59
国会とは国民会議の略称である。
169 :
日本@名無史さん:01/12/16 17:05
文明開化を略して文化という言葉が生まれた。
ほんとうですか
171 :
名無的発言者:01/12/19 14:54
>>166 日本人女性、ラッキーというには随分泣かされてると思いますけど・・・
172 :
日本@名無史さん:01/12/19 16:06
ベトナム戦争で共産軍はタバコ屋でスパイ活動を行っていたらしい。
現在の日本で中国が行っているスパイ活動の拠点はもっぱら
エステ店らしいとの情報。
173 :
日本@名無史さん:01/12/19 16:26
東京の有楽町の由来は、
織田信長の弟、織田有楽斎から。
大阪の梅田はかつて墓地で埋田だった。
大阪の阿倍野区晴明が丘は、まんまやがエクソシストの
安部晴明が1枚かんでる。
日本で初めてメガネをかけたのは足利12代の義晴。
176 :
日本@名無史さん:01/12/19 16:58
東京の蒲田は昔はあたり一面田んぼだったらしい。
177 :
日本@名無史さん:01/12/19 17:02
溜池山王駅周辺は昔は溜池があったらしい
178 :
日本@名無史さん:01/12/19 17:28
常陸風土記成立のはるか以前、関東平野は海だったらしい。
筑波の語源は「着く波」。その後、隆起したがその時に残されたのが霞ヶ浦。
そういういえば、室町期の地図で下総を見ると現在の八日市場あたりから、
印旛沼にかけて海が大きく切れ込んで内海のように記されていたな。
179 :
日本@名無史さん:01/12/21 03:06
東京湾も小さくなったもんなあ
大阪も仁徳陵の寸前まで海だったんだよね
今の中央区あたりまでほとんど海没。
180 :
日本@名無史さん:01/12/21 21:55
明治時代になるまで、日本語には「愛」という概念はなかった
金八ファンハケーン
182 :
日本@名無史さん:01/12/27 00:58
国学者は思想先行で、理論付けのため古文書の改竄を多くやっていた。
現在の歴史書もそれを引用しているものが多い。
183 :
日本@名無史さん:01/12/27 04:03
江華島条約締結のときの話。
朝鮮では目上の人の前で眼鏡をかけるのは失礼とされていた。
朝鮮側高官はわざと日本側代表の前で眼鏡をかけていた。
だが、日本側は眼鏡が失礼という習慣はなかったために
朝鮮側の皮肉に気付かなかった。
締結後、朝鮮側高官は「やはり日本は蛮国だ。眼鏡をかけることが
礼を失することを誰も知らない」と嘲笑したという。
夜郎自大の典型的な話。
184 :
日本@名無史さん:01/12/28 00:07
1600年、豊後の国に流れ着いたオランダ船リーフデ号に乗っていた
ヤン=ヨーステンからとって、今の八重洲。
ついでに知ってると思うけどウィリアム=アダムズは三浦半島に土地を貰ったので
日本名を三浦按人という。
185 :
日本@名無史さん:01/12/31 14:01
一休さんが親王なのはガイシュツだが、それを証明するものとして
一休さんのお墓は今でも宮内庁管轄で菊の紋入り
By 知ってるつもり?
186 :
日本@名無史さん:01/12/31 14:17
>>180 Loveの概念が無いだけで愛自体はあったろ。
187 :
日本@名無史さん:01/12/31 16:18
大戦末期、厭戦気分が強く、老人たちがおおっぴらに軍部批判をするような状況に
業を煮やした大阪地区の某司令官は、戦力化できない老人や幼児は全員処分すべし、
と参謀本部に三度具申して三度退けられた。
188 :
日本@名無史さん:02/01/01 19:01
近衛文麿って皆「コノエフミマロ」って読むと思ってるけど
違っていて本当は「コノエアヤマロ」って言うんだよ。
189 :
日本@名無史さん:02/01/01 19:24
>>188 そして孫の細川元首相は顔がクリソツで大笑い。
市川海老蔵と孫の新之助並にクリソツ。
191 :
日本@名無史さん:02/01/01 20:15
>>166 でも満州じゃかなりレイプされてるよ。
中国人(満州国人?)もかなりやられてるような気もするけど
中共は何も言わないね。
192 :
スウェデンのカポエリスタ:02/01/01 21:44
鎌倉時代には「いただきマンモス」て言うてたってほんまですか?
193 :
亀レスで恐縮だけど:02/01/01 21:50
>>79 >大正天皇の誕生日は、8月31日だそうです。
>明治天皇の誕生日は祝日として残っているのに大正のは残ってないのは
>何故なんでしょうか? ちょっと疑問。
大正天皇の誕生日は8月31日だったんだけど、
その日は学校が夏休みでお休みの為、
大正時代には天皇誕生日(天朝節)は、2ヶ月ずらして10月31日に祝っていたそうです。
そんななのであまり本来の誕生日の8月31日はあまり重要ではなく、
また大正時代は15年しかなかったので、今日祝日として残っていないのでは。
194 :
N.BOY:02/01/03 23:38
朝鮮出兵のとき虎退治をしたといわれる加藤清正
ほとんどの絵では槍を使って倒したものが描かれて
いるけど実際は鉄砲で撃ち殺した。
195 :
日本@名無史さん:02/01/03 23:43
鹿児島≠日本
196 :
日本@名無史さん:02/01/12 21:03
山本権兵衛
「やまもとごんべえ」じゃない
「やまもとごんのひょうえ」だ!!
・・・・・BY山本元海軍大臣
クスコの変で殺された仲成は射殺である。
コカコーラは元ペプシコーラ。
ペプシコーラは元コカコーラ。
家系等の問題でそうなったらしい。
つまり味と社名が逆になっちゃってるんだ。
だからペプシが好きな奴は本当はコカコーラ派で
コカコーラが好きな奴は本当はペプシ派ということになる。
ややこしいね。
元コカコーラの味で現コカコーラ社に売り上げ負けているペプシにとっては悲しい事実である。
200 :
日本@名無史さん:02/01/18 02:12
慶応義塾は創立当初京都などにもあったが
学生が集まらずすぐに廃校になった。跡地
京都府庁にあった。史跡があるはず。
201 :
日本@名無史さん:02/01/18 02:16
跡碑ネ
202 :
日本@名無史さん:02/01/18 04:07
伊藤博文を「いとう はくぶん」と言う人は戦前生まれ。
203 :
日本@名無史さん:02/01/19 11:43
伊達正宗は胴当て?(鎧の胴の部分)一個、一個に実弾を撃って
貫通しなかった胴当てだけを、兵に支給していた。
204 :
日本@名無史さん:02/01/19 12:34
昭和33年生まれの父は「いとうはくぶん」と習ったと言ってたよ?
205 :
日本@名無史さん:02/01/20 02:37
206 :
日本@名無史さん:02/01/20 02:55
政宗だろ。age足は愚行だよ。
織田信長は献上された黒人を見て、信じられなかったので
風呂にいれて汚れ(黒色)を落とそうとしたけど、落ちなかったので
丁重に扱った。
何だか信長らしいや。
蝶野的だな。
208 :
日本@名無史さん:02/01/20 04:01
>>204盛岡じゃ原敬はハラケイ、でも授業じゃハラタカシ。試験は漢字だから関係なし。
209 :
日本@名無史さん:02/01/20 18:02
>>204へ〜そうなんだ。
俺の姉は34年生まれだけどハクブンって言わないな〜。
習った教師で違うのかな??
確かに試験じゃ関係ないね。
それにしても>202の俺のカキコは雑学じゃないのでお詫びのage
210 :
日本@名無史さん:02/02/04 00:10
33年まではハクブンなんだよね
211 :
日本@名無史さん:02/02/04 00:12
真珠湾攻撃の日の味噌汁は
サービスでダシを普段の2倍入れたので
おいしかったそうな
212 :
日本@名無史さん:02/02/04 00:44
晩年は正宗に改名してます
大正時代までは親鸞は架空の人物だと本気で思われていました。
理由は公家の日記にでてこないからだそうです。
興味のなさそうなはなしなのでsage。
織田信雄は実はオダノブオと読む。
215 :
日本@名無史さん:02/02/08 12:43
肉弾三勇士は事故死だった。
216 :
日本@名無史さん:02/02/09 06:03
カメはほんとにびびったら頭をひっこめない。
┐(*゚▽゚)Γ
217 :
日本@名無史さん:02/02/09 06:05
タモリがサングラスしているのは片目が義眼だからである。
218 :
日本@名無史さん:02/02/09 06:06
実在する忍者は服部半蔵だけ。
219 :
日本@名無史さん:02/02/09 06:14
タモリは早稲田時代のJAZZオケで、部長に「マイルスのペットは泣いてるが
お前のペットは、笑ってる。」と言われて司会者になりました。
220 :
日本@名無史さん:02/02/09 06:16
>>218 君が言わんとしてるのは、忍者組織で大名になった人?
221 :
アジの開き直り:02/02/09 06:35
アズマとヤマトは同一人物である。定理である。
222 :
日本@名無史さん:02/02/09 06:45
江戸の長屋の共同便所の戸は、腰の高さしかなかった。
223 :
日本@名無史さん:02/02/09 06:50
江戸時代はアナルセックスを肛門様と言っていた。
224 :
日本@名無史さん:02/02/09 18:10
>220
いやすべての忍者
225 :
日本@名無史さん:02/02/09 19:42
>>224 貴方のカキコでは「忍者というものは服部半蔵ただひとりしかいなかった」
というふうに聞こえてしまう・・・。
226 :
日本@名無史さん:02/02/09 20:39
百姓の家には家の中の土間に小便ツボがあった。
便所が別棟なので夜中に小便をしたくなったら小便ツボを
使った
万歳〜ばんざい〜は帝国憲法発布時に一緒に作られた日本語。
たまに明治時代を舞台にした小説とかで明治初期に「万歳三唱」とか
やってるの見かけるけど間違い。
228 :
日本@名無史さん:02/02/09 23:38
新撰組局長近藤勇の愛刀は虎徹ではなく清麿だった。
二・二六事件で柳家小さん師匠がやった落語は子褒め。誰一人として笑わなかった。
建物の中で斬り合いをする時は天井に刀が刺さらないように下から斬るのが基本。時代劇等ではそれを再現してない。
>>12 一休さんって北朝の後小松天皇の子じゃなかったか?
既出だったらすまんが。
229 :
日本@名無史さん:02/02/10 00:15
>>227 バンザイの起源とは考えた事も無かったよ。
>>229 原案では「マンザイ」「ばんぜい」とかあったらしいYO!!
バンゼーイィイイイ!!!
231 :
日本@名無史さん:02/02/10 02:17
ジャミラは水に弱い。
232 :
日本@名無史さん:02/02/10 02:45
ちんこの皮切って繁殖したユダヤ人は埃及王の命令で
男児が殺されまくったんだって。
233 :
日本@名無史さん:02/02/10 03:42
227若槻礼次郎が万歳やったとき天皇の御馬が驚いて立ち上がって
混乱したので万歳の声が徐々に小さくなっていった。
森有礼が暗殺された理由は天皇の御簾をステッキで上げて天皇を
覗いたことに憤慨したやつが刺した。
一休は後村上天皇の子。
今は天気予報の177。これは明治時代、大隈重信の家の電話番号でした。
236 :
日本@名無史さん:
>>230 最初は「奉賀!」(字うろ覚え)って案だったらしいけど、
これだと「阿呆!」って聞こえちゃうから没になったって
親戚のにーちゃんが言ってた