吉野作造・・・というより大正デモクラシー・・・?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1チャコ
初心者的なこと聞いていたらごめんなさい。
そして、どこかに同じ内容のスレッドがあったらごめんなさい。
(一応、一通りかぶってないか調べましたが)

基本的なことですが、色々わからないことがあります。
よろしければ教えて下さい。

吉野作造という人が「民主主義」でなく「民本主義」としたのは
どうしてなのですか?
また、「民主主義」と「民本主義」って何がどう違うのですか?
よくわからないので、教えてください。
2チャコ:01/10/23 00:53
やっぱり、どこの資料にも詳しく載ってないんです・・・。
なんか、大正デモクラシーのことだけでも良いので
何か無いですかねぇ・・・・。
3日本@名無史さん:01/10/23 00:58
民主主義だと主権在民。
民本主義だと天皇主権が可。
4チャコ:01/10/23 01:01
>3さん
ありがとうございます。
5シャコ :01/10/23 01:34
吉野の言うことは要するに、天皇主権を法理上の観念として高い抽象のレベルにおき、
それを具体のレベルに置き直すとき、普通選挙にもとづく代議政治をつうじて、
国民世論を、むしろ憲法の制約という条件つきで、反映させようというのである。
天皇の意思と国民の意思は根底においてつながっており、
結合意思の向かうべき方向はすでに憲法によって示されている。
それならば、自余のことは選挙と議会に任せよ、それが民本主義なのである。
6チャコ:01/10/23 02:04
>5さん
ありがとうございます。
へぇ・・・なるほど・・・。
吉野作造が中央公論で論文を出すまで、誰も民本主義なんて考え無かった
ということなのでしょぅか・・・。あれ?話脱線してますね・・・。
でも、その論文によって、だんだん大衆化運動が広まった・・・というのは
間違っていませんよね・・・?
・・・間違ってます・・・・?
大衆化運動、大衆化運動とか言いますけど、
具体的にはどんなことが広まったんでしょう?
やっぱり、この頃を境に政治が大きく変わったということには
違いないんですよね?
普選が出来たんだし・・・。
7日本@名無史さん :01/10/23 02:27
民本主義は吉野作造の造語ではないようだ。
吉野が中央公論に「憲政の本義を説いて・・・」を発表した当時すでに
多くの人が使っていた用語みたいだね。
これ以上のことは知らないので次の人に譲る。ではさようなら
8チャコ:01/10/23 02:35
>7さん
ありがとうございます。
多くの人が使っていた中でも、吉野作造が一般的に知られているのは
きっと当時でも大きく取り上げられていたからなのかも知れませんね。
9日本@名無史さん:01/10/24 05:15
吉野自身が書いた「民本主義鼓吹時代の回顧」(1928年)の中で、民本主義という言葉は自分が作ったのではなく、茅原華山が当時よく使っていた。上杉慎吉も自分が造語したと言っている、と書いているよ。人口に膾炙しているから、便利だと思って踏襲したのだ、と。
で、その茅原華山は、自分が作ったのではなく、黒岩涙香が作って、自分が広めたと言っているし、上杉慎吉は井上哲次郎との論争で使用しているが、その論争では井上が先に使ってるらしい。
ということで、誰が最初に使い出したのか、よくは知りません。大体、古代中国にその語自体は求められるわけだし。でも、吉野が使った当初から、それなりに流布していたとは言い切っていい。
ちなみに『中央公論』に書いた「憲政の本義」が吉野における「民本主義」使用の最初ではないんで、ヨロシク。
10日本@名無史さん:01/10/24 05:18
良い時代でした
11日本@名無史さん:01/10/24 17:32
>10
何をもってそう言う?

明治のフランス思想直輸入派の中には、もっとラジカルな民主主義思想を説いた
者もいるんじゃないかな・・。吉野がミスターデモクラシーみたいに言われるのは
それなりに広範な社会的支持があったという点の違い?
12日本@名無史さん:01/10/26 02:37
同時代に吉野よりずっとラディカルな民主主義者もいただろうし、社会主義者など
もいましたよね。実際デモクラシー概念を民主主義と民本主義で使い分けするのに
対しては批判もあったし。
社会主義者からすれば、吉野は微温的に過ぎる、ということだったでしょう。
でも、大日本帝国憲法の範囲内で、いかに民主化を行えるか、という視点からする
吉野の民本主義提唱は、大きな影響を持ち得たし、憲法の実際の運用をいかに改革
するかという問題の摘出の仕方はやはり鮮やかだったのでは?

>6
「大衆化運動」っていうのは若干違和感が。「大衆運動」では?
でも、実際は大衆による運動というところより、大衆への啓蒙運動っていう部分の
ほうが強かったのかな。なら、デモクラシーの大衆化への運動という意味で大衆化
運動なのかなあ?
13203
吉野作蔵って、戦中どんな扱いだったのかな?
あの頃は、共産>社会>議会制民主主義、と極左から微温的左まで
ひっくるめて反ー日本的、と言われたじゃない?
吉野なんかも非国民扱いだったのかな?
今からすると全くおとなしすぎるぐらいの思想なんだけど、
時勢ってのはオソロシイな。